カゼッラ
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交響曲全集 「蛇女」より交響的断章 ノセダ指揮 BBCフィルハーモニック レビュー日:2016.7.11 |
★★★★★ 新古典派・折衷主義作曲家、カゼッラの魅力を余すことなく伝えてくれます
発見の喜びに満ちたアルバムである。ジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)は、BBCフィルハーモニックを指揮して、2010年から2015年までの6年間で、イタリアの作曲家アルフレード・カゼッラ(Alfredo Casella 1883-1947)の一連の管弦楽作品を録音したのであるが、そこから交響曲3曲と管弦楽組曲2曲をセレクトした2枚組に再編集されたものが当アイテム。収録曲は以下の通り。 【CD1】 1) 交響曲 第1番 ロ短調 op.5 2) 交響曲 第3番 op.63 「シンフォニア」 【CD2】 3) 「蛇女」組曲 第1番 op.50bis 4) 「蛇女」組曲 第2番 op.50ter 5) 交響曲 第2番 ハ短調 op.12 作曲家で音楽学者であったカゼッラは、作曲をフォーレ(Gabriel Faure 1845-1924)に師事し、ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741)を研究し、その作品を世間に啓蒙することに大きな役割を果たした人物である。その作品は、器楽のためのものがほとんどで、イタリアではレスピーギ(Ottorino Respighi 1879–1936)とともに管弦楽作品の大家であると言って良い。しかし、その作品が録音や演奏で取り上げられることは多くない。私が最近聞いたものの中では、フランスのピアニスト、シャマユ(Bertrand Chamayou 1981-)が録音したラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)のピアノ独奏曲全集の中に、カゼッラの小品が収められていたことくらいしか思い出さない。 しかし、このような、陽の当たり損ねている作品に、的確なスポットライトを当てるのは、ノセダの得意とするところ。演奏、録音ともに優れた当録音の出現は画期的だ。 さて、ではカゼッラの作風はいかようなものか?1883年生まれであるから、新ウィーン楽派と同年代ということになるのだけれど、彼の作品にはそのような要素は感じない。言ってみれば「新古典主義」。そして、おもしろいのは、聴いていると、いろんな作曲家の作品の断片が聞こえてくるところである。これも表現するなら「折衷主義」。そして、オーケストレーションはそれこそレスピーギを思わせる重厚な華やかさを持っているのだ。とにかく、学術的な嫌味がない。ダークな表現をする個所もあるが、その背景におもわぬ楽天性が潜んでいて、深刻とまで感じさせない。 例えば、第1交響曲の第1楽章では、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)を思わせる暗い情緒を伴った冒頭部を持つが、これがいつの間にか活発で行進するかのような音楽に変わり、映画音楽のような華やかなクライマックスへと進む。中間2楽章はロシア的なメランコリーを感じさせるいかにも中間楽章であるという佇まいで、これがチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)的ともいえる終楽章への「力をためる部分」となっている。この「作り」も古典的だ。 交響曲第2番は随所にマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)を思わせる音型が顔を出すから、マーラーが好きな人にはとにかく楽しいはずだ。野趣性に満ちた部分でも、牧歌的な部分でも、あちこちでマーラーのテイストが表出する。実際、作曲時期にカゼッラはマーラーと会っているとのこと。ブルックナーの第3交響曲を「ワーグナー」と呼ぶなら、このカゼッラの第2交響曲は「マーラー」という呼び名がふさわしい。 交響曲第3番にもマーラーの気配は漂うが、いくぶん平和な穏やかさが支配するようになる。 カゼッラの作品は、以上のように、聴いていて楽しいのだが、「でも結局カゼッラらしさって何?」という疑問はどうしても残ってしまうだろう。私が感じたのは、やはり重厚壮麗なオーケストレーションの技術が、カゼッラのなによりの顔のように感じられる。それは作品の主張として、「核」となるものではないのかもしれないが、しかし、カラーとしてはなかなか魅力にあふれたものではある。 そもそもカゼッラの折衷主義というものが、私たちの判断を越えた、彼のポリシーなのかもしれないとも思う。彼の作品群を見ていると、「○○○○ふう」という任意の作曲家をあえてイメージした作品が多くあるのだ。師のフォーレとは似つかないが、様々な作曲家の要素を組み合わせて自分のものとするカゼッラの作品には、思いもかけない深さがあるのかもしれない。ノセダの優れた演奏を聴いて楽しめるのは、そのなによりの証かもしれない。 |