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ブラームス



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲 歌曲


交響曲

交響曲全集 悲劇的序曲 大学祝典序曲 ピアノ協奏曲 第1番 第2番 ヴァイオリン協奏曲
ティーレマン指揮 ドレスデン・シュターツカペレ p: ポリーニ vn: バティアシュシヴィリ

レビュー日:2014.9.29
★★★★★ いかにもドイツの伝統的響きを引き出したティーレマンのブラームス
 クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann 1959-)が、シュターツカペレ・ドレスデンを振ってのブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲全集。CD3枚組であるが、協奏曲3曲を収録したDVDが追加してあるサービス版だ。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68 2012年録音
2) 悲劇的序曲 op.81 2013年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73 2013年録音
4) 大学祝典序曲 op.80 2013年録音
【CD3】
5) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 2012年録音
6) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98 2013年録音
【DVD】
7) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15 p: ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-) 2011年録音
8) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83 p: ポリーニ 2013年録音
9) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.77 vn: バティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-) 2013年録音
 すべてライブ録音。なお、7)と8)については、同一音源のものが別にCD化されている。9)については、同じ顔合わせの既出CDはあるが、本盤に収録されているのは別の演奏会の模様であり、初出となる。
 最近のブラームスの交響曲全集としては、シャイー(Riccardo Chailly 1953-)が、やはり旧東独の伝統的オーケストラであるライプチィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と2012年に製作したものの印象がきわめて強いため、これと比較しながら聴いてみた。色々な意味で対照的な両盤であると思う。
 シャイー盤が、一貫して速いテンポを採用し、音響のスリム化により、浪漫的な高揚や、膨らみを可能な限り排しながら、非常に締まったシャープな感覚に徹したのに対し、ティーレマンははるかに古典的な趣を示す。穏当で保守的なテンポを軸に、曲想に沿ってルバート奏法やテンポのゆらぎを交え、適度な能弁さにより、浪漫的な抒情性を引き出している。つまりシャイーが革新性をもとめ、新しい音の価値観で聴き手にスリリングな「興奮」を与えてくれたのに対し、ティーレマンは、保守的な手法により、聴き手にとって原風景的ともいえる音楽を再現することにより、聴き手に「安心」を感じさせてくれるもの、と言えそうだ。
 ただ、この「原風景的」というのは、あくまで現代のティーレマンにそこそこ近い世代の感覚であろう。それは、フルトヴェングラー、カラヤン、ベームといった、一時代前の巨匠たちの演奏に強い愛着を持つ世代にとっての「原風景」である。
 いずれにしても、現代オーケストラを駆使して、中音域の厚い安定したマイルドな響きで、しっかりした重量感を感じさせてくれる演奏になっている。
 全体を通して聴いて、一番印象に残ったのは交響曲第4番の第3楽章と第4楽章である。第3楽章は、恰幅の良い音を全力で開放させた野太い力強さと、模範的な響きに収めた聴き易さが両立していて、エネルギッシュかつスマート。この勢いを受けて第4楽章も力強いパワフルな表現で、雄弁かつ劇的だ。終結部に向けてアッチェレランドで畳み掛けるような迫力も凄い。
 また大学祝典序曲も素晴らしい内容。いかにもブラームスらしい賑やかさのある曲であるが、ティーレマンの雄弁なスタイルは、この曲から気品のある推進力を引き出し、聴き手を音楽の世界に強く誘ってくれる。
 次いで、交響曲第1番の終楽章。あの有名な歓喜の主題が、ふくよかに繰り返されるのは豊饒で心地よく、聴くものを夢見心地にさせてくれる。
 録音については、やや軟焦点気味で、最近の録音にしては、やや奥行きや透明感に不足する感じがあったが、中音域の厚い当演奏の性格から、そのことはさほど欠点として響かなかったのは幸いだろう。
 DVDに収録されているバティアシュヴィリを迎えてのヴァイオリン協奏曲では、珍しいブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)作のカデンツァが、しなやかな弾力を宿した、力強いヴァイオリンで伸びやかに奏でられる。ティーレマンの指揮とあいまってゴージャスな雰囲気。また、2曲のピアノ協奏曲でのポリーニの演奏も、さすがに年季の入ったピアノだ。映像でみると、よくあの小さな動きで、あそこまで芯の入った強い響きを出せるものだとあらためて驚かされる。いずれにしても、何度も録音している得意な楽曲なだけに、余裕を感じさせるほどの弾き振りで、質実剛健といった雰囲気を醸し出している。本物の音楽の貫禄を感じさせる演奏だ。
 以上のように添付されたDVDも含めて、ティーレマンの、一つの模範像とも言えるブラームスを存分に堪能できるアルバムになっている。シャイー盤との聴き比べがことのほか楽しいので、可能な人は、是非、そちらも併せてオススメします。

交響曲全集 ハイドンの主題による変奏曲 大学祝典序曲 悲劇的序曲 運命の歌 アルト・ラプソディ ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 ドイツ・レクイエム ハンガリー舞曲 第1番 第3番 第10番 第17番
ワルター指揮 コロンビア交響楽団 ニューヨーク・フィルハーモニック vn: フランチェスカッティ vc: フルニエ ウェストミンスター合唱団 オクシデンタル・カレッジ・コンサート合唱団 S: ゼーフリート Br: ロンドン A: ミラー

レビュー日:2014.9.16
★★★★★ 「ありがたい」と言うほかありません
 往年のドイツの名指揮者ブルーノ・ワルター(Bruno Walter 1876-1962)がCBSレーベルに録音した一連のブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)作品を5枚のCDに収録したBox-set。その詳細は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68 1959年録音
2) ハイドンの主題による変奏曲 op.56a 1960年録音
3) 大学祝典序曲 op.80 1960年録音
【CD2】
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73 1960年録音
2) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 1960年録音
【CD3】
1) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98 1959年録音
2) 悲劇的序曲 op.81 1960年録音
3) 運命の歌 op.54 1961年録音
   オクシデンタル・カレッジ・コンサート合唱団
【CD4】
1) ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 op.102 1959年録音
   vn: ジノ・フランチェスカッティ(Zino Francescatti 1902-1991)
   vc: ピエール・フルニエ(Pierre Fournier 1906-1986)
2) ハンガリー舞曲集(第1番 ト短調、第3番 ヘ長調、第10番 ヘ長調、第17番嬰ヘ短調) 1951年録音 モノラル
【CD5】
1) ドイツ・レクイエム op.45 1952年録音 モノラル
   イルムガルト・ゼーフリート(Irmgard Seefried 1910-1988 ソプラノ)
   ジョージ・ロンドン(George London 1920-1985 バス・バリトン)
   ウェストミンスター合唱団
2) アルト・ラプソディ op.53 1961年録音
   ミルドレッド・ミラー(Mildred Miller 1924- メゾ・ソプラノ)
   オクシデンタル・カレッジ・コンサート合唱団
 オーケストラは「ハンガリー舞曲集」と「ドイツ・レクイエム」がニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団、他はすべてコロンビア交響楽団。
 すでに同様の企画で、モーツァルトとマーラーのボックス・セットがリリースされているが、このたびブラームスも廉価Box-setとなったわけで、私も、これらの名盤がこの価格で入手できることの嬉しさとともに、不思議な申し訳なさを感じつつも購入させていただいた。
 さて、まず収録曲の並びを見て、率直に気付くことがある。「あれ?ドイツ・レクイエムとアルト・ラプソディって、1枚のディスクで入るかな?」。。そう、ドイツ・レクイエムという楽曲は、場合によってはCD1枚に収まらない大曲だ。しかし、ワルターの演奏では62分。アルト・ラプソディとカップリングしてなんら問題ない。
 最近でこそ、違う傾向が見受けられるようになったけど、ブラームスの作品は、ブラームスの死後、どんどんゆっくりと演奏されるようになってきた。私たちの多くが親しんだものは、たいてい、そのゆっくりベースの論法によるものだ。ドイツ・レクイエムと言う作品は、その象徴的存在で、現在では、この楽曲は、死の典礼にふさわしい、厳かで、荘重な雰囲気をもって鳴らされることがほとんど。しかし、このワルターの演奏を聴くと、雰囲気は一転する。なんと鮮やかで、勝利の凱歌を思わせるような音楽だろう、と。
 じっさい、この作品はテキストの問題があって、典礼で用いることはできないものだ。ブラームスがどれくらいそのことを意識していたかわからないけど、要は純然たる演奏会用作品なのである。レクイエムとはいっても、もっと違った対峙の方法はいくらでもある。そして、この60年も前の録音が、なんと鮮烈で新鮮に聴こえることだろうか!これは現代の音楽フアンにちょっとしたショックを与えるものだ。イーフリートの柔らかかく伸びやかな声も聴きどころだが、ぜひワルターによる「純音楽的解釈」の力強さを堪能していただきたい。
 とはいっても、本Box-setのメインはやはり4つの交響曲だろう。フアンのみなさんにあっては、すでに何度も聴いた演奏かもしれないが、あらためて書くと、ワルターのブラームスは実にドラマチックである。テンポは活発だし、リズムもちょっとキツめなくらいで刻んでいく。しかし、その吠えるようなブラームスが、なんとも魅力なのだ。
 やはり一般に評価の高い第4交響曲が最高の名演と呼ぶにふさわしい。いまもって、この録音を同曲の代表に推す人も大いに違いない。吠える弦、連れ添うように鳴く木管。そして、力強く推進する全体像。情熱と感傷の混交するロマン派のエネルギーを凝集したような迫力に満ちている。
 また、これらのスタイルにおいても、決して内省的な深みは置き去りにされる事がないのがワルターの名人たる所以。特にヴァイオリンとチェロの絶妙のバランスによって描かれる陰影の深さは、得難いニュアンスを導いている。
 もちろん、さすがに録音は古いので、部分的に弦の響きに硬いところはあるのだけれど、今回のリマスターで、(正直、大きな違いは感じなかったが)やや明るい感じにはなったと思う。いずれにしても、この往年の名演に、これだけまとめて一気に接することが出来るというのは、ありがたいと言うほかない。

交響曲全集 大学祝典序曲
シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2007.2.24
★★★★★ 光と影が明確に交差するブラームス
 リッカルド・シャイーによるブラームスの交響曲全集。4曲の交響曲に加えて大学祝典序曲も収録されている。録音は87年から91年にかけて行われている。ブラームスの交響曲の場合、同時に鳴る楽器が多く、スコアの見た目も“重さ”の感じられるものだ。そしてそこから、いわゆる「ドイツ的」とも形容される重層的な響きが得られる。ただ、私などはブラームスの交響曲のいかにも熱量の多い響きの継続が、時として胃もたれのように感じてしまうこともある。確かに作品としては立派なのだが、ちょっと肌に合わないという感じだろうか。そんな私が好んで聴いていたのはスウィトナーによる全集である。ここでは全体的に柔らかいフォルムの音で、本格的な音造りを試みながらも、若干重心の高い軽さがあり、それが聴き易さを引き出していて、とても良かった。このシャイーによる録音も別のアプローチでありながら、同じような「聴き易さ」を感じさせてくれる。シャイーの場合、音作りは明晰である。まさにガラスで建物の構造を描いた透視図のような感覚で、奥行きやバランスを真中で聴いていてとても知覚しやすい。いま、どの方向で何が起こっているのかがはっきりわかり、頭の中で再構築できる安心感がある。それでいて音楽の流れや美観も損なわれていない。全体的にボリュームは控えめかもしれないが、楽曲自体がもっている熱を自然に開放できている。美しさで特筆されるのは第2番(特に第2楽章の美しいこと!)だと思うが、総じて全体的に私にとってはたいへん好ましいブラームスの交響曲録音となっている。

交響曲全集 ハイドンの主題による変奏曲 アルト・ラプソディ
ザンデルリンク指揮 ベルリン交響楽団 ベルリン放送合唱団 A: マルケルト

レビュー日:2011.6.7
★★★★★ 美しいバランスのとれた力演
 クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling 1912-)とベルリン交響楽団によるブラームスの交響曲全集。アルト・ラプソディとハイドンの主題による変奏曲が併録されている。アルト独唱は、アンネッテ・マルケルト(Annette Markert)。1990年の録音。
 ザンデルリングはドイツの指揮者であるが、母親がユダヤ人であったため、第二次大戦中にソ連に移り、以後ソ連、東ドイツを中心に活躍した。東ドイツ時代の1971-72年に名門ドレスデン・シュターツカペレとブラームスの交響曲全集の録音を一度完成させていて、名盤の誉れが高い。それで、当録音はオーケストラを変えて2度目の全集ということになる。
 ザンデルリングという指揮者の第一の特徴は、古典的な和声を重んじ、合奏音を保守的なカラーに統一することにあると思う。それで、彼がショスタコーヴィチやシベリウス、ラフマニノフを振っても、どこか奥ゆかしい雰囲気があって、古典的な調性の響きが主となっていて、攻撃性の少ない厳かさが印象となって伝わる場合が多い。私が聴く限りではベートーヴェンの初期~中期、それにブラームスの作品がザンデルリングのスタイルによく適合し、響きが自然で伸びやかになるように思う。
 それで、このブラームスも、スローなテンポでじっくり練り上げた、調和を重んじた音楽になっていて、強いインパクトを設けるわけではなく、総合的に厚みの豊かな音楽が出来上がっている。その特徴が如実に伝わるのが緩徐楽章。例えば、第2交響曲や第4交響曲の第2楽章。安定した弦楽器陣のグラデーションをしっかりと響かせて、その存分なエコーを保ちながら「曲想の移ろい」を分け隔てるインターバルの確保のため、一層ゆったりとしたテンポが終始貫かれることになる。
 上述の通り、スローで一様なテンポの場合、曲想の分け隔ては「大きな間合い」をとることによる場合が普通。ここにおけるザンデルリングの手法でもそれが中心である。ただし、第1交響曲の第1楽章のように、エネルギッシュな音楽では、やや踏み込んだ金管や弦のアクセントがあり、心地よくタメの効果を高めることで、フレージングの効果をもたらしていて気持ちよい。
 総じて、美しいバランスのとれた力演だと思うが、第3交響曲の終楽章のようなブラームスが強い個性を解き放った箇所~後期ロマン派の情熱の迸(ほとばし)りを感じる部分~が埋もれるところがあり、後期ロマン派の特有の強い薫りを感じる前に曲が終わってしまうように思えるところもある。もちろん、当録音が品質の高い演奏であることは間違いないが、上記の様な弱点を、「オーケストラの力強い感情表出」で克服していたドレスデンとの旧録音の方を「代表録音」として挙げる方が多くてもおかしくないだろう。

交響曲全集
ジンマン指揮 チュリッヒ・トーンハレ管弦楽団

レビュー日:2011.9.26
★★★★★ ブラームスの交響曲全集に強力な名盤登場!
 デイヴィッド・ジンマン(David Zinman 1936-)指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によるブラームスの交響曲全集。2010年録音。  ジンマンとチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団は、素晴らしいマーラーの交響曲全集を完成したばかりで、いったい次は何を録音してくれるんだろう?と興味を持っていたのだが、ブラームス、しかもいきなりの全集という重量級のラインナップでそれに応えてくれた。実際、聴いていただきたいのだが、素晴らしい内容の演奏である。
 全体的にやや早めのテンポが主体。交響曲第1番は冒頭から颯爽たる佇まいで、インテンポ、勇気凛々たる推進力に満ちた音楽が開始される。細部が研ぎ澄まされていて、管弦の一つ一つの音がシャープに鳴っていて、音楽の弛緩を防ぐと共に、ここぞという場面での瞬間の踏み込みに、更に一つ鋭く突き通るようなインパクトがある。音色の裾を大きく広げることなく、次々に現われるフレーズをテキパキと処理し、一つの意志の元に束ねてさばく。その線的な迫力が醍醐味だ。有名な終楽章も、厳かというより、辛口の佇まいを示しており、非常に筋肉質な響きと思う。一方、楽器の音色自体には、ほどよいぬくもりがあり、決してツンツンした響きに終始するようなことはない。指揮者、オーケストラ、双方の力量を感じさせる。
 交響曲第2番は、楽曲の性格からか、いくぶん柔らかい雰囲気で、気品のあるカンタービレが美しい。中間楽章も穏やかな色合いであるが、ベースとなるテンポやフレージングは高度に統御されていて、不自然な間延びの気配すら感じさせない。終楽章は豊かに管弦を鳴らしているが、こちらも締まりのよい音色が印象的だ。
 交響曲第3番は音楽の起伏を巧妙に演出したアプローチが見事。第1楽章の情熱的なメッセージを、楽器の軽重を巧みに操って、いくぶん軽やかに、しかし内容豊かに表現している。早いテンポで吹き渡る一陣の風のようだが、的確な音楽の主張がある。終楽章の情熱と抑制の表現も齟齬がなく、高い説得力を感じる。
 交響曲第4番は全体を一筆書きで書ききったような、スピーディーでスリムなフォルムを示す。ブラームスの音楽が、これほど洗練された澄みきった響きで纏め上げられているというのは、私には驚異である。
 以上、私はこの全集を、いかにも現代の「学究的な知性」と「管弦楽の機能」を追及した名演として推したい。ちなみに録音も非常に素晴らしい。マーラー・チクルスと同様にスタッフの優秀さが如実に伝わるだろう。ライヴ録音とされているが、聴いていてそれと気付くのには時間がかかるだろう。様々な観点からレベルの高い全集だと思う。

交響曲全集 悲劇的序曲 ハイドンの主題による変奏曲 大学祝典序曲 ハンガリー舞曲 第1番 第3番 第10番 他
シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2013.10.7
★★★★★ 快速テンポで、ブラームスから厳しい古典的作法を引き出した驚異の名演
 シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ゲヴァントハウス管弦楽団による、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲全集。2012~13年の録音。CD3枚組。シャイーは、コンセルトヘボウ管弦楽団と1987~91年にも全集を録音していたあので、20年以上経ての再録音ということになる。
 ただ、このたびの録音は、前回のものと比べて、きわめて企画性の高いものとなっている。その理由は収録内容の多彩さだ。まずは3枚のCDの内容を示したい。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68
2) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90
【CD2】
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73
2) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
3) 交響曲 第4番 第1楽章終結部及び冒頭部分の異稿
【CD3】
1) 悲劇的序曲 op.81
2) 間奏曲ホ長調 op.116-4(クレンゲル編)
3) 間奏曲変ホ長調 op.117-1(クレンゲル編)
4) ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
5) 愛のワルツ op.52より第1,2,4,5,6,8,9,11曲 (管弦楽版)
6) 新しい愛のワルツ op.65より 第9曲 (管弦楽版)
7) 交響曲 第1番 より 第2楽章(初演稿)
8) 大学祝典序曲 op.80
9) ハンガリー舞曲集から、第1番 ハ短調、第3番 ヘ長調 第10番 ヘ長調
 収録曲を俯瞰して、以下のことが特徴として挙げられるだろう。
・交響曲の異稿を収録していること
・クレンゲル編の間奏曲や、愛のワルツの管弦楽版など珍しいものを収録していること
 もう少し見ると、
・交響曲2曲が一枚のディスクに収まっている
 というのも特徴になるだろう。
 つまり、この収録内容を見ただけで「網羅性を充実させた、資料価値の高い全集」であることがわかり、更に1枚への収録曲目から「速いテンポによる演奏」であることも察せられるに違いない。
 さて、聴いてみての感想である。前提として、私はかつてシャイーがコンセルトヘボウと録音した全集をたいへん気に入っていて、よく聴くのだけれど、その「前回作」とはまったく異なった印象を受けた。その印象の差異の大部分は「テンポ設定の違い」にある。このたびの録音はやはり速い。
 この「速さ」がどのような考察から導かれたものなのか、わからないが、とにかく非常に小気味よく音楽は進行し、用いられる表現が実にヴィヴィッド。活力に溢れ、粘着性のところはほとんどない。このテンポを維持するため、音響は適度なスリム化が行われ、浪漫的な高揚や、膨らみは可能な限り排されている。そして、非常に締まったシャープな感覚の音が次々と連鎖反応のように繰り出される。
 こうやって書くと、その演奏は無機的で機械的なものと思われるだろうか。ところがそうではない。これがこの演奏の凄いところ。シャイーがちょっと前に録音したベートーヴェンの全集を聴かれた方なら想像しやすいかもしれない。あれも速かった!しかし、決して情感は圧殺されていない。それどころか、美しい響き、抒情性はさりげなく、適度に残っているのである。まるで上品な、ちょっとしたときに気付く香水のように。
 その上、迫力も失われていない。むしろ高速進行の中で、凛々しく鳴らされる金管やティンパニの量感のあるフォルテは、力強く、リズム感豊かで、聴き手の気持ちを高揚させる。
 それで私は「これは凄い演奏だ」とたいへん感心して、一気に聴き通してしまったのだが、聴き通して一つ思ったことは、この演奏によって、 “ブラームスの交響曲が古典的に響いた” ということである。ブラームスは後期ロマン派の作曲家で、少なくとも私が知っている近代以降の演奏は、その浪漫性の表現の仕方において、様々な検討が行われたものであったように思う。第1交響曲の壮大な冒頭、雄渾なフィナーレ、第2交響曲の牧歌的情緒、第3交響曲第3楽章の「後期ロマン派」を代表する哀愁のこもった旋律、第4交響曲の冒頭のすすり泣くような弦。そういった濃厚な感情表現に対して、迫真に迫ったり、あるいは淡い趣で漂わせたり、いろいろなスタイルがあって、私もそれを楽しんできた。しかし、このシャイーの演奏は、この交響曲たちに潜む古典性をあきらかにし、はっきりとその構築性や様式美を共通して提示することに成功したのである。これは、まったく新しいブラームス像である。私はそのことに感動した。
 他では「悲劇的序曲」と「大学祝典序曲」の引き締まった、これまた凛々しい響きが素晴らしい。ことに悲劇的序曲は、交響曲同様に、余分なものを排した古典的な造形美の極致といった演奏である。
 更には、様々なフアン・サービスがフィルアップされている網羅性も嬉しい。中でもポール・クレンゲル(Paul Klengel 1854-1935)という人物~この人物はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の伝説的チェロ奏者ユリウス・クレンゲル(Julius Klengel 1859-1933)の兄だそうだ~がオーケストラ用に編曲した間奏曲集は、実に美しい内容で、望外の喜びといったところ。
 異稿も面白かった。CD2の末尾に収められた交響曲第4番の冒頭は、まるで「せーの」と言ってから、現在の形でリスタートする感じ。こんなの聴いたことがない。
 いずれにしても、シャイーがまたまた凄い仕事をやってくれた、という全集です。勢いに乗って聴くべし。

交響曲全集
ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2017.11.14
★★★★★ 現代を代表するブラームス録音
 2002年9月からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めているサイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)による、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振ってのブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲全集。2008年にすべてライヴ収録されたもの。EMI原版であるが、当アイテムはWarnerから再発売されたもので、EMI盤では付属していた映像メディアが割愛され、それも含めてプライスダウンしている。CD3枚に以下の様に収録されている。
【CD1】
交響曲 第1番 ハ短調 op.68
【CD2】
交響曲 第2番 ニ長調 op.73
交響曲 第3番 ヘ長調 op.90
【CD3】
交響曲 第4番 ホ短調 op.98
 ラトルにとって、ブラームスの交響曲初録音となる。19世紀の音楽に常に重要な役割を果たしてきたオーケストラの首席指揮者を務めるものとして、ブラームスを振るというのはきわめて自然なことであるが、録音時には「ラトルのブラームス」として、新鮮味を持って迎えられたものだった。
 改めて聴いてみると、このオーケストラのスペックをフルに活かしたと言って良い、ヴィヴィッドな名演になっていると感じられる。ラトルはこの録音に際して、ヴァイオリンの対向配置を用いているとのことだが、その効果云々というより、つねに全体の響きが調和的で、どの瞬間も、各奏者が、他の奏者の出す音に機敏に反応し、その立ち位置を明確にした演奏が心がけられている。それは、この名オーケストラであれば当然、ということもできるが、GⅠレースで1番人気の馬に騎乗して、堂々と押し切って勝ちきるような王道の演奏(形容が変でしょうか?)というのは、風格があって、「これこそがクラシック音楽である」という気風に満ちているのである。
 交響曲第1番は荘重な悲しみから開始されるが、ここですでに演奏の特徴は明瞭で、音楽の完全性のために機能している要素を犠牲にしてまで、過度に踏み込んだり、劇性を演出したりすることはないという規律性が見出されるのである。しかし、逆に言うと、音楽としてまず完全であるべきで、そのプライオリティを守ったうえで、目的に向かう集中線に沿って、様々な演出が行われることとなる。その結果、ハーモニーは常に豊かでありながら、音楽は美しい一貫性を維持し、各所に合理的な迫力が満ちていることになる。
 前述の特徴は、当全集全般に言えることであるが、そこにラトルならではのエッセンスを添えることも忘れてはいない。交響曲第2番では第1楽章終結部のホルンに特徴ある音を求めるし、第3交響曲の終楽章では、こちらも特徴的な強弱の脈がある。あるいは、第2番や第3番では、もっと牧歌的というか、のどかな部分があっても良いと感じるかもしれないが、ラトルは、これも前述の芸術像に従って、ある種の緊張感を一定ラインから下げないようコントロールしており、フレーズのインターバルが停滞に近づくことを、厳に戒めていると言うことができる。
 交響曲第4番、とくに第3楽章と第4楽章はこの全集の白眉ではないだろうか。すべての表現が一体となることの迫力、その祖語のない音楽の内的充実に目を見張らされる。
 全般に現代の名演と呼ぶにふさわしい内容で、古今の巨匠の録音と並びうる立派な容貌を感じさせる全集である。完成度の高さでは随一と言っても良いだろう。

交響曲全集
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2018.3.7
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団の金字塔
 2006年12月、はじめて札幌交響楽団の壇上に登場したラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)による公演は、たいへんな成功を収め、その話題を聞きつけた人々によって、翌日から当日券も完売するほどの人気となった。札幌交響楽団はエリシュカに首席客演指揮者の就任を要請。これを快諾したマエストロは、2008年4月から首席客演指揮者、さらに2015年から名誉指揮者の地位に着いた。
 彼らの活動はコンサートのみならず、録音活動も積極的に行われ、ドヴォルザークの5曲の交響曲、チャイコフスキーの3大交響曲などがリリースされた。それらの内容も全て素晴らしいものだった。
 しかし、2017年、86歳となったエリシュカの健康上の理由により、札幌交響楽団を振るのは、同年10月の定期公演が最後となることとなった。彼が再び札幌交響楽団の檀上に建つことは、残念ながら難しくなった。とはいえ、この10年間の充実した芸術活動は、称賛されてしかるべきものである。また、Altusレーベルで進められていた札幌コンサートホールkitaraでのライヴ音源を中心としたブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) のシリーズの完結が間に合ったことは、喜ばしいことに違いない。
 当盤は、そのブラームスの4つの交響曲をまとめたBox-set。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68 2017年録音
2) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 2013年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73 2014年録音
【CD3】
4) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98 2015年録音
 個人的には、それぞれの単発売盤の併録曲もたいへん魅力なので、そちらをすべて収集することをよりオススメするが、もちろんその「メイン」であるブラームスを集めた当アイテムが悪いというわけではない。ブラームスを聴くことが主眼であれば、コスト的にも当盤を選択することがリーズナブルだ。
 最初に録音された第3番はなかなか難しい楽曲で、豪放さと難渋さが激しく交錯するところがあり、どちらか一方を強く打ち出すと、他方の味わいが減じられるというところがある。しかし、エリシュカは、このオーケストラから芯のある力強い響きを引き出す一方で、入念に旋律を扱い、さらにこれを保持する音に巧妙なバランスを与えることで、相殺される成分をほとんど感じさせない演奏を成功させた。これは世界の一流オーケストラでも、なかなか達成できない種類の演奏である。私にとっての地元のオーケストラであるという云々を抜きに、文句のない素晴らしい演奏に違いない。ことに第3楽章の旋律の受け渡しで深まっていく味わいは、彼らのドヴォルザークの交響曲での成功を引き継いだ成果と感じられてならない。
 次に録音された第2番は、穏当なテンポによる古典的正統的な解釈。発色を押さえた音色が、音楽の表情に深みを与えている。特に第1楽章は弦の細やかな綾やグラデーションを、精緻に響かせている。弾力的な個所でも、弾み過ぎないおとなしさが、独特の高貴さを醸し出していると思うが、人によっては、より浪漫的な濃厚な響きを欲するかもしれない。しかし、そのような思いは、楽章が進むにつれて、エリシュカの様々な施しに気付くことで解消されると考える。そして高らかに歌い上げられる終楽章の見事さ。この演奏は、明らかに様々な表現を、終楽章を頂点と考える設計に従って、くみ上げたものだろう。すべてを聴き終わったとき、私はこの演奏が成功したものであることを確信することが出来る。
 唯一のセッション録音である第4番は、咆哮するような強さはないが、サウンドのグラデーションがよく吟味されていて、音楽表現としての意義づけを感じさせてくれる。特に合奏音のバランス、音の末尾の減衰まで熟慮された演奏ぶりは、老練の技でありながら、瑞々しい解放感にも繋がっている。テンポはとても自然で、各場面で音楽がどのような表情を持っているかが、適度な間合いで聴き手に届けられる。また、全体を支えるような力強い金管の熱演も、見事なもの。
 全集中の白眉は最後に録音された第1番。中庸で堂々たるテンポ設定から、明確な拍と、ときおり差し挟まれるエネルギーを凝縮するような踏み込みが、弛緩のない音楽を脈々と供給する。それは、この楽曲が、ドイツロマン派を象徴する芸術作品であることを高らかに示している。ソロ楽器の魅力的な表現もぜひポイントとして挙げたい。エリシュカはソロ楽器のパートを巧みに演出する手腕を持ち合わせていて、それが開始される瞬間の芳醇な瞬間は、何度訪れても心地の良いもの。それだけの場を提供されたのだから、ソロ楽器もここぞとばかりに美しく鳴り渡る。まさに指揮者と団員の信頼関係が凝縮する一瞬であろう。もちろん、それらの演出も、全体の流れの良さに的確に組み込まれていて、なんら不自然に感じる要素はない。エリシュカとオーケストラの大団円を象徴するかのような終楽章はことに感動的。ティンパニの明瞭な効果を軸にエネルギーの収縮と放散を巧みに操って、金管のシンフォニックな響きを場に導く。そして、勝利の凱歌を高らかに歌い上げる様は、この音楽が持っているパワーを、直接的に聴衆に伝えるものに他ならない。威風堂々たる名演である。
 エリシュカが札幌交響楽団と築き上げた信頼関係が結実した全集であり、特に地元に住む私にとっては、忘れがたい記念すべき録音と感じられるのである。

交響曲全集
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2019.9.2
★★★★★ 円熟味を感じさせるクーベリックのブラームス
 ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)指揮、バイエルン放送交響楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲全集。CD3枚に以下の様に収録されている。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68
【CD2】
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73
【CD3】
3) 交響曲 第3番 へ長調 op.90
4) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
 いずれも1983年のライヴ録音。
 クーベリック指揮によるブラームスの交響曲全集となると、1956~57年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音し、DECCAからリリースされたものがあるのだが、私は未聴。録音条件を考慮して、当盤を代表的なものとして扱うことが妥当だろう。
 長らくバイエルン放送交響楽団と良好な関係を築き上げてきたクーベリックならではの、自然で円熟味豊かなブラームスを聴くことが出来る。クーベリックのライヴ録音には、熱血的な演奏が多いのだが、これらのブラームスは、熱血性をさほど感じない。むしろ、豊かな恰幅と安定感を第一に感じさせる演奏と言えるだろう。
 全般に落ち着いたテンポ。多めのホールトーンをベースに、柔らか味のある合奏音が醸成されている。オーケストラの音色には深みが感じられ、私には秋の雰囲気に似通う感触がある。強い特徴があるわけではないが、したたかな深みがあって、ブラームスらしい。
 中にあって、私が良いなと感じたのは、緩徐楽章であり、例えば第2番の第2楽章のど、厚みと暖かみを湛えた弦が描き出す絵画的と形容したい音のグラデーションは、いかにも血の通った表現で、こまやかな起伏、聴き手の心に寄り添うようなカンタービレが美しく、夢見心地にさせてくれる。第3番の第3楽章は哀しみより郷愁を思わせる響きで、優しい。
 また、オーケストラの音色の高級感もさすがで、ハーモニーがやわらかく連続的に移り変わるところなど見事だ。ホルンの印象的なシーンは多い。
 クーベリックのライヴということで、より熱血的な演奏を望む向きには、期待通りの内容ではないかもしれないが、円熟味のあるまろやかな美演として、十分な内容の感じられる演奏となっている。

ブラームス 交響曲全集 ハイドンの主題による変奏曲 悲劇的序曲  シェーンベルク 5つの管弦楽曲 管弦楽のための変奏曲  ルトスワフスキ 葬送音楽 管弦楽のための書
ヘルビッヒ指揮 ベルリン交響楽団

レビュー日:2021.7.19
★★★★★ 70年代東ドイツで制作された素晴らしいブラームスの交響曲全集
 チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、ベルリン交響楽団を指揮して録音したブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲全集。CD4枚組であるが、うち1枚はブラームス以外の作品が収録されており、ボーナスCDと見做していいと思う。4枚の収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.58 1978年録音
2) 悲劇的序曲 op.81 1978年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73 1977,78年録音
4) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 1979年録音
【CD3】
5) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98 1978年録音
6) ハイドンの主題による変奏曲 op.56a 1978年録音
【CD4】
シェーンベルク(Arnold Schonberg 1874-1951)
7) 5つの管弦楽曲 op.16 1982,83年録音
8) 管弦楽のための変奏曲 op.31 1982,83年録音
ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994)
9) 葬送音楽 1982,83年録音
10) 管弦楽のための書 1982,83年録音
 1970年代というのは、クラシック音楽界においては、東西を問わず、様々な録音が積極的に制作された時代で、中でもブラームスの交響曲のような王道的レパートリーには、現在まで名演として語り継がれるものも含めて、相当数の録音が行われた。それらの録音の中には、目立つものではないが、聴いてみると素晴らしい、味わい深いものもあって、いまさらながらそういった名録音に接するのは、現代の楽しみの一つかもしれない。
 このヘルビッヒのブラームスも、定番化されるようなものではなかったのであるが、とても素晴らしい。1970年代に東ドイツで制作されたブラームスの交響曲全集というと、クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling 1912-2011)がシューターツカペレ・ドレスデンを指揮して録音したものが、現在まで名盤として語り継がれているが、このヘルビッヒの録音も、聴いてみると、勝るとも劣らない内容で、オーケストラの芸術表現として一つの粋を極めたような感慨をもたらしてくれる。
 交響曲第1番から、引き締まった響きで、派手な演出を凝らすようなところは一切なく始まる。それがブラームスのシンフォニーに特有のコクをもたらしている。この演奏を一言で形容するなら「熟成された」演奏といったところだろうか。もちろん、ただ楽譜通りに演奏しただけというだけではなく、必要なところで添えられる情感や演出は、見事なものである。それらは、例えば弦のトレモロの意志的な強弱の変化であったり、木管の音色の細やかな調整であったりする。これらの演出は、分かりやすいものではないが、しかし、この音楽の世界に深く集中するほどに、その力を感じるものである。また、演奏自体が、聴き手に集中しやすい環境を自然に醸成しているという点でも、演奏者たちがもつ文化的背景の深さや豊かさが伝わってくるのであり、結果として、聴き手は大きな感動を受け取ることとなる。
 悲劇的序曲もきわめて真摯な音作り。テンポもインテンポが基本となるが、一つ一つの切り口が鮮明で、合奏音はつねに必要なもので満たされているという充足感に満ちている。私は、ブラームスのオーケストラ曲を聴いていて、演奏によっては音が多すぎると感じることがしばしばあるのだが、この演奏には、そのような要素がなく、なるほど、ブラームスのオーケストラは、本来、このような演奏を念頭に書かれたものだったのかもしれない、と思う。それほどまでに説得力のある響きである。同曲異演の録音が無数にあるこれらの楽曲であるが、ヘルビッヒとベルリン交響楽団ほどの高みを感じさせるものは、ほとんどないといって良い。それくらい、いい演奏である。
 交響曲第2番は、いかにもさりげなく開始されるが、それがこの曲らしい。田園風景の中で、夏空をゆったり動く雲を見ているような情緒が薫る。やがて、主題は全合奏に至るが、決して強奏に大きく傾くわけでなく、よく制御が効き、それでいて内面的な力をもった響きであり、貫禄に溢れている。中間楽章でも、一聴して味付けの薄い演奏という印象かもしれないが、じっくりと聴きこむべき味わいがある。木管と弦楽器のブレンドされた音響が絶妙だ。終楽章は果敢であるが、節度を守る高貴さがあり、この名曲に相応しい響きとなっている。
 交響曲第3番は、素朴な響きであり、かつ含蓄ある音にも満ちている。第1楽章は、スケール感を出すことにこだわらず、全体の流れの良さをキープ。中間楽章はこの演奏の魅力が良く出た個所で、第3楽章の有名な主題がホルン、クラリネットと受け継がれるところなど、旋律を奏でる楽器と、他の楽器のコントラストが美しく、魅了される。主楽章は、情熱が溢れてくるが、それでも、気高い佇まいを崩さず、合奏音の美しさと自然さを維持したまま、シャープに曲を閉じる。
 交響曲第4番は、冒頭から、余分な力の入らない、しかし、しっかりと味わいと情感のこもった響きが導かれ、それがきわめて自然に連続していく。すべての楽器が有機的に結びつきながら、一つの像を形作っていく様は、何も音楽に限らず、様々な事柄に共通する尊さを感じさせるが、そこに添えられる歌は、聴き手の気持ちを強く揺さぶる。第1楽章のエンディングは情熱的だが、制御の効いた響きであり、そこにさらに付け加えたいと感じるものは、何もない。こういう演奏を「完成度が高い」というのだろう。第2楽章も自然でありながら円熟を感じさせる。木管の柔らかな響きは、郷愁を誘うが、その感動は、決して演奏者側から仕掛けられたという性質のものではなく、聴き手の内面が、いつの間にか掘り起こされることによって起る性質のものである。第3楽章の力感も、内面的な充実があり、しっかりしている。第4楽章は、当然の事ながら情熱的な音楽となるが、ヘルビッヒのアプローチに作為的なものはまったく感じられず、それでいて、聴き手の気持ちに直接訴えかける。もちろん、ブラームスの交響曲は、もっと叫んだり、足を踏み鳴らしたりするような演奏であっても、白熱し、興奮を得ることもあるのだが、私には、ヘルビッヒの演奏は、より大切な価値観をさりげなく語り掛けているように思われる。
 ハイドンの主題による変奏曲も同様で、自然で流れが良いだけでなく、必要なところに必要なだけ力が加わり、かつ潤いと情感に満ちた響きとなっている。各変奏曲が、それぞれの性格に相応しい方法で表現されているが、加えて、全体の運びの優雅さは得難い価値を持っている。終結近くの全合奏に導かれる過程の総てが心地よく収まっており、一切が美しい。
 【CD4】に収録されたシェーンベルクとルトスワフスキは、いずれも練り上げられた音響が堪能される。響きに、無調音楽の演奏でしばしば感じられる攻撃的なものはなく、むしろ音色の自然さを重ねた芳醇さが満ちている。ことにルトスワフスキの「管弦楽のための書」における音響のグラデーションは美しく、今日でも、当該曲の代表的録音と言って良い。当盤のボーナスCD的に扱うのは、もったいないくらいの内容。

ブラームス 交響曲 第1番  シェーンベルク 浄められた夜
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2009.1.21
★★★★★ 大きなエネルギーを感じる爆演
 2008年はカラヤンの生誕100年ということで、数々の企画盤やライヴ音源の復刻が行われたが、これもその貴重な一枚。1988年ロンドンでのベルリンフィルとの演奏会で、結果的にこれが最後のロンドン公演だったとのこと。曲目はシェーンベルクの「浄夜(弦楽合奏版)」とブラームスの交響曲第1番。
 カラヤンの録音芸術における完全主義により、テクノロジーの粋を極めた数々の作品は、それゆえに支持するもの、拒否するものも多かった。しかし、彼の数々のアプローチは録音技術における数々のアカデミックな研究につながり、多元的な成果を生み出した。彼が常にあたらしいメディアに興味を示したのは、なにか新しいことを伝えられる媒介を探求するという彼の姿勢がそのまま投影されたものであり、時代を先駆けたマルチな芸術家であった証左である。
 逆に言えば、録音技術というフィルターの効果の薄いライヴ録音(もちろんリマスターはあるけれど)はまた別のものを伝える貴重な記録となる。本ディスクも録音状態から言えば良好とは言えないし、またカラヤンが目指した究極形態と比して完成度は劣るが、演奏それ自体として魅力が横溢している。
 シェーンベルクは弦楽合奏であるが、その重く太い響きがきわめて濃厚なテイスティングをもたらしており、かつテンポは意外に速めで、曲の造形線を巧みに保持しつつ豊かなサウンドを繰り広げている。もっと録音状況が良ければ・・・という点が惜しまれる。ブラームスは凄い。私はブラームスの室内楽や管弦楽曲の重い響きにやや胃もたれを起こす体質で、さっぱりした演奏を好むが、このカラヤンの演奏は逆に突き抜けて爽快さまで辿りついた稀有の形態である。この音楽には大きな重力がかかっている。と同時に、その重力圏を遠心力により打ち破ろうと、大きくスイングしてエネルギーを圧縮し、それを(やや不揃いになろうとも)豪快に開放するという作用が繰り返され、そして曲は大きく熱いパッションを宿し、光を放ちながら前に進む。その壮大なスケール感は圧倒的とも言える。

ブラームス 交響曲 第1番  メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ)」  シューベルト 交響曲 第5番
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2017.11.30
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団、感動のフィナーレに至る
 2006年12月、はじめて札幌交響楽団の壇上に登場したラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)による公演は、たいへんな成功を収め、その話題を聞きつけた人々によって、翌日から当日券も完売するほどの人気となった。札幌交響楽団はエリシュカに首席客演指揮者の就任を要請。これを快諾したマエストロは、2008年4月から首席客演指揮者、さらに2015年から名誉指揮者の地位に着いた。
 彼らの活動はコンサートのみならず、録音活動も積極的に行われ、ドヴォルザークの5曲の交響曲、チャイコフスキーの3大交響曲などがリリースされた。それらの内容も全て素晴らしいものだった。
 しかし、2017年、86歳となったエリシュカの健康上の理由により、札幌交響楽団を振るのは、同年10月の定期公演が最後となることとなった。彼が再び札幌交響楽団の檀上に建つことは、残念ながら難しくなった。とはいえ、この10年間の充実した芸術活動は、称賛されてしかるべきものである。また、Altusレーベルで進められていたブラームスのシリーズの完結が間に合ったことは、喜ばしいことに違いない。
 当盤は、その「締めくくり」の1枚で、2017年3月の札幌コンサート・ホール、Kitaraでの演奏会を収録したもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847) 序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ)」 op.26
2) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828) 交響曲 第5番 変ロ長調 D.485
【CD2】
3) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) 交響曲 第1番 ハ短調 op.68
 ドイツロマン派の王道のと呼ぶにふさわしい3作品で、彼らのフィナーレを飾るにふさわしいラインナップ。
 まずメンデルスゾーンが始まるが、ここで彼らは基本的にはゆったりしたテンポを取りながらも、細やかに感情のこもった音色を駆使し、劇的で、よく言われるようなこの曲の風景描写的な側面より、物語的な、交響詩的な世界を描き上げる。それは、同じフレーズであっても、様々にその感情的な含みを変化させるように奏でられる表現から読み取れる感覚であり、この音楽のドラマティックな面が、十分に展開された心地よさを感じさせるものとなっている。
 次いでシューベルトである。第1楽章は快活なテンポであるが、小編成ゆえの楽器の音色の魅力を伝えつつ、適度なアゴーギグを交えて進む。この曲にしては饒舌な演奏であるが、音楽の格調は高い。中間2楽章はいかにも落ち着いたトーンであり、しっとりした味わいが豊かである。
 しかし、やはり当盤の白眉はブラームス。中庸で堂々たるテンポ設定から、明確な拍と、ときおり差し挟まれるエネルギーを凝縮するような踏み込みが、弛緩のない音楽を脈々と供給する。それは、この楽曲が、ドイツロマン派を象徴する芸術作品であることを高らかに示している。ソロ楽器の魅力的な表現もぜひポイントとして挙げたい。エリシュカはソロ楽器のパートを巧みに演出する手腕を持ち合わせていて、それが開始される瞬間の芳醇な瞬間は、何度訪れても心地の良いもの。それだけの場を提供されたのだから、ソロ楽器もここぞとばかりに美しく鳴り渡る。まさに指揮者と団員の信頼関係が凝縮する一瞬であろう。もちろん、それらの演出も、全体の流れの良さに的確に組み込まれていて、なんら不自然に感じる要素はない。
 エリシュカとオーケストラの大団円を象徴するかのような終楽章はことに感動的だ。ティンパニの明瞭な効果を軸にエネルギーの収縮と放散を巧みに操って、金管のシンフォニックな響きを場に導く。そして、勝利の凱歌を高らかに歌い上げる様は、この音楽が持っているパワーを、直接的に聴衆に伝えるものに他ならない。威風堂々たる名演である。
 これでエリシュカの振る札幌交響楽団を聴く機会がなくなってしまうのかと思うと、寂しくてならないが、いまはただ、感謝のひと時です。ありがとう、マエストロ!

交響曲 第1番 悲劇的序曲
ザンデルリンク指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

レビュー日:2011.11.17
★★★★★ ザンデルリングとドレスデンの「名刺代わり」とも言える名演奏
 最近亡くなられたドイツの名指揮者、クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling 1912-2011)が、ドレスデン・シュターツカペレと録音したブラームスの交響曲第1番と悲劇的序曲。録音は1971年から72年にかけて。
 言わずと知れた歴史的名盤だ。ザンデルリンクは第二次世界大戦中にドイツからソ連に渡り、以後ソ連と東ドイツを中心に活躍したが、中でもドレスデンとのブラームスの録音は白眉と呼ぶに相応しいものだ。
 ザンデルリングは同じ東ドイツのオーケストラであるベルリン交響楽団と、1990年にブラームスの交響曲全集を再録音していて(この年の秋に東西ドイツが統合した)、そちらは最近輸入盤が廉価で入手できるようになったので、私も聴いてみたところである。
 それで、その90年の録音も聴いた上での当盤の感想になる。いずれも素晴らしい演奏だと思うが、個人的にはこの70年代のドレスデンとの録音がより一層優れていると感じられる。ザンデルリングは有機的でシンフォニックな音の調和を果たしながら、音楽の持つ推進力を奮い立たせるように鼓舞する瞬間がある。90年の録音では穏便な健やかさが目立つのに比べて、70年代の録音ではよりエキサイティングな要素があり、逞しい。それにドレスデン・シュターツカペレの自然発揚的とも言える表現力がたいへんに豊かで、一つ一つの音から深い感情が伝わってくる。
 第1交響曲の第1楽章でとりわけ印象に残ったのは終結部で、木管、弦楽器が曲想を引継ぎながら、美しい物語の幕を閉じるように音楽が結ばれてゆく様が麗しい。中間2楽章は適度な柔軟性を持ちながらも、全体としては筋肉質とも言える締まった感触があり、いかにも旧東ドイツのオーケストラらしい響きを堪能できる。終楽章は力強く、クライマックスに向けて機敏に動き回るオーケストラの躍動感が見事だ。
 また、併せて収録されている「悲劇的序曲」がこれまた「超」の付くくらい素晴らしい名演。ザンデルリングは90年の全集の際には、この曲を録音しなかったのだけれど、ひょっとすると、このドレスデンとの名演が不動のものと感じていたからではないのか?そう思ってしまうくらい見事。最初の二つの合奏音と、それに呼応するティンパニの残響。この冒頭だけで、この上なく深みのある味わいをもたらしてくれる。中間部の盛り上がりも苛烈といえるテンションを内包しながら、こまやかに計算され、配慮の行き届いたところに全てのパーツが配置されており、その整然性と激性の両立ぶりが、稀代の指揮者と楽団であったことを如実に物語る。これこそ、ザンデルリングとドレスデンの「名刺代わり」の名演奏と呼ぶに相応しい。

交響曲 第1番 悲劇的序曲
ヘルビッヒ指揮 ベルリン交響楽団

レビュー日:2021.7.12
★★★★★ これぞ本格派のブラームス
 チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、ベルリン交響楽団を指揮して、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の下記の2作品を収録したもの。
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.58
2) 悲劇的序曲 op.81
 1978年の録音。
 1970年代というのは、クラシック音楽界においては、東西を問わず、様々な録音が積極的に制作された時代で、中でもブラームスの交響曲のような王道的レパートリーには、現在まで名演として語り継がれるものも含めて、相当数の録音が行われた。それらの録音の中には、目立つものではないが、聴いてみると素晴らしい、味わい深いものもあって、いまさらながらそういった名録音に接するのは、現代の楽しみの一つかもしれない。
 このヘルビッヒのブラームスも、定番化されるようなものではなかったのであるが、とても素晴らしい。オーケストラの芸術表現として一つの粋を極めたような感慨をもたらしてくれる。
 交響曲第1番において、オーケストラは引き締まった響きで、派手な演出を凝らすようなところは一切なく、それがブラームスのシンフォニーに特有のコクをもたらしている。この演奏を一言で形容するなら「熟成された」演奏といったところだろうか。もちろん、ただ楽譜通りに演奏しただけというだけではなく、必要なところで添えられる情感や演出は、見事なものである。それらは、例えば弦のトレモロの意志的な強弱の変化であったり、木管の音色の細やかな調整であったりする。これらの演出は、分かりやすいものではないが、しかし、この音楽の世界に深く集中するほどに、その力を感じるものである。また、演奏自体が、聴き手に集中しやすい環境を自然に醸成しているという点でも、演奏者たちがもつ文化的背景の深さや豊かさが伝わってくるのであり、結果として、聴き手は大きな感動を受け取ることとなる。
 悲劇的序曲もきわめて真摯な音作り。テンポもインテンポが基本となるが、一つ一つの切り口が鮮明で、合奏音はつねに必要なもので満たされているという充足感に満ちている。私は、ブラームスのオーケストラ曲を聴いていて、演奏によっては音が多すぎると感じることがしばしばあるのだが、この演奏には、そのような要素がなく、なるほど、ブラームスのオーケストラは、本来、このような演奏を念頭に書かれたものだったのかもしれない、と思う。それほどまでに説得力のある響きである。同曲異演の録音が無数にあるこれらの楽曲であるが、ヘルビッヒとベルリン交響楽団ほどの高みを感じさせるものは、ほとんどないといって良い。それくらい、いい演奏である。

交響曲 第1番
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.10.22
★★★★★ ジュリーニの貫禄を感じさせるブラームスの第1交響曲
 カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini 1914-2005)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「交響曲 第1番 ハ短調 op.68」。1991年の録音。
 荘重かつ明るく歌われたブラームスである。
 私は、このたび、ジュリーニとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームスの4曲とブルックナーの3曲を集めた8枚組のBox-setを聴いて、一通り聴いているのだけれど、ブルックナーでは第8番と第9番、ブラームスでは第1番と第4番が良いように感じる。
 テンポは遅い。ジュリーニが基本的に遅めのテンポを好むこともあるが、この時期のジュリーニは、中でもゆったりしたテンポを用いることが多かった。第1楽章の冒頭から、いかにもすそ野が広がっているような雄大な音作りだ。かといって、豪快一辺倒というわけではない。第1楽章であれば、第1主題の提示から弦楽器が歌う第1主題に宿された濃厚なカンタービレ、ひたすら「音楽を歌わせるんだ」という意志に満ちたその響きは、流麗であり、それに沿えられる様々な楽器も、その歌を大きくしようという方向性で、一貫している。その様は、高らかな凱歌といった印象だ。また、テンポがスローではあるが、十分な計算が感じられる展開で、モチーフも統一感があって、即興的なものではない。それによって、ある種の冗長さを引き締めるところが、ジュリーニの手腕であろう。
 第2楽章はウィーン・フィルの音色を存分に堪能させてくれるところで、明るく、輝かしく、歌に溢れた表情が好ましいし、テンポが遅くても、沈滞とは無縁の活力が息づいている。独奏ヴァイオリンの艶やかな音色、オーボエの典雅さなど忘れがたい。
 第3楽章も優美である。この楽章の特徴であるクラリネットの活躍は、さすがウィーンと思わせる柔らかく、かつ豊かな響きで再現されている。
 第4楽章は序奏部の深々とした音色が印象的。迫力と優美さの双方を追及しながら、手際よくまとめた手腕が光る。テンポは、他の楽章同様ゆったりとしているが、弛みのない進行で、聴かせる。全合奏において、しばしば、音の緩みのようなものはあるけれど、全体の起伏の中で溶け込んでおり、強い違和感を感じさせない。こういったところは、ジュリーニの巧さなのか、オーケストラの優秀さなのか、もしくはその双方なのか。高名なフィナーレでも、普通はもっとテンポを速めたいようなところであっても、しっかりと手綱を弾くような制御があって、高級感がある。
 全般に、ジュリーニの音楽性と楽曲の性格がよくマッチしていて、ふくよかな音感で包まれている。

交響曲 第1番
パイタ指揮 ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団

レビュー日:2019.9.28
★★★★☆ 貴重盤になりつつあるパイタの音源の一つ。唯一録音したブラームス
 カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)指揮、ナショナル・フィルハーモニック管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「交響曲 第1番 ハ短調 op.68」。1981年の録音。
 カルロス・パイタという指揮者の名前は、クラシック・フアンの間で、キワモノ的な形で知られている。アルゼンチンの資産家の家に生まれた彼は、ドイツが生んだ往年の巨匠、フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)にあこがれて音楽家を志し、指揮者となり、自らの資産を元手として、ロンドンでオーケストラを設立し、スイスでレーベルを立ち上げた。そのレーベル名がLodiaで、パイタの録音はいずれもLodiaから発売された。
 しかし、Lodiaレーベルの活動は、2009年からほぼ活動が低下し、現在ではほぼ停止状態となっており、関連音源については、現在市場に流通している以上のものが生産される可能性は、かなり低くなっているようだ。
 私も、その状況を知り、遅まきながらパイタの録音をいくつか入手して聴いてみている。実は、いままで耳に入ってきたパイタのキワモノ的指揮ぶり、超絶フォルテッシモだとか、金管の咆哮さく裂といったイメージが、私に彼の音源を聴くことを敬遠させてきたのだが、聴いてみると、決してそんなことはない、確かにユニークだが、したたかな音楽表現があり、芸術たりうるものとなっている場合が多い。
 このブラームスも同様だ。基本的にテンポが弛緩のない王道的なもので統一されていて、気風がしっかりあることが好印象。たしかにティンパニは「ぶっ叩く」という形容が当てはまるように強烈だが、音楽を壊すようなことはなく、むしろ十分に「聴かせどころ」として切った「見栄」の効果があり、聴く側の気持ちを高らかに鼓舞してくれる。そう、ブラームスの第1交響曲には、このようにエネルギッシュな燃焼性を十二分に内包した音楽であるのだ。今さらそのことに気づいたというわけではないが、その点を衒いなく開放する音楽表現が、決して不自然にはならないことを、当盤は伝えてくれる。
 低音域が十分な「重さ」を伴って鳴るにもかかわらず、音色は全般に明るめで、暗い印象を与えない。この点がフルトヴェングラーとパイタの違いの一つのように思える。また、合奏音についても、もうひとつ内的充実を感じさせる響きが欲しいと思わせるところもある。しかし、気風の良い演奏というのは、別の観点で清々しさがあり、スキッとさせてくれる魅力があるものだ。有名な第4楽章のコーダは勢いを減ずることなく、フォルテッシモの高みに到達し、晴れやかな金管が鳴り渡る。外面的と言えばそれまでだが、そのど直球の表現自体に、大きな魅力があることも動かしがたい事実だ。
 こんなブラームスがあってもいい。むしろ、こんな演奏まであることが、音盤収集の面白味を深めてくれる。そんな思いをおこさせてくれる一枚です。入手困難な状況となってしまうことは、惜しいですね。

ブラームス 交響曲 第2番  ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2008.11.15
★★★★★ クリアでクールなブラームス
 アシュケナージが1990年から91年にかけてクリーヴランド管弦楽団と録音したもの。ブラームスの交響曲第2番とドヴォルザークの弦楽セレナーデという魅力的なカップリングだ。
 個人的に、ブラームスの音楽を、さらに加熱してうなされるように演奏されると、あまりにももたれてしまう。元来の曲想が熱量たっぷりなので、味付けはできるだけさらっとやってほしいと思う。交響曲で私がいいと思う録音はセルやスウィトナー、それにシャイーのものであるが、このアシュケナージ盤も悪くない。
 冒頭から音楽はさりげなく、必要最小限なことでまとめられている。指揮者の強い思い込みを表出するのではなく、スコアから適切な情報量を抽出し、洗練されたフィルターによってほどよい重み付けが加えられている。第1楽章の有名な主題も濃厚ではなく、節度ある客観的審美性に貫かれている。歌も情念を出すのではなく、一つの音楽の機構としての役割が与えられている。第2楽章はそれでいて情緒が漂っており、高雅な雰囲気を纏っている。決してソフトに型崩れしているわけではなく、曇りのない硬度を感じる。第4楽章の激しいところでも節度が保たれており、明瞭な楽器の音色が鮮明に録音されている。
 もちろん、これが「ブラームスらしくない」という意見もあると思うが、それを承知でいい演奏だと思う。「ブラームスらしさ」というような概念も、大抵は後天的先入観であるし、率直に聴いて、いい音のする演奏というのは、また別にあっていいものだと思う。
 ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」も美しく引き締まった佳演だ。第4楽章のメランコリーな郷愁は純度の高さを感じるし、第5楽章の回想部も美しい。アンサンブルも輝かしい音色で見事。

ブラームス 交響曲 第2番  モーツァルト 交響曲 第38番「プラハ」  ウェーバー 魔弾の射手 序曲
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2015.8.25
★★★★★ エリシュカの緻密な設計で、聴き手を音楽世界に誘う周到なプログラム
 2008年から札幌交響楽団の主席客演指揮者を務め、さらに2015年からは名誉指揮者に就任したラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)による同交響楽団とのアルバム。このオーケストラとの蜜月ぶりを示す好録音となっている。収録曲は以下の3曲。
1) ウェーバー(Carl Maria von Weber 1786-1826) 歌劇「魔弾の射手」序曲
2) モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791) 交響曲 第38番 ニ長調 K.504「プラハ」
3) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73
 2014年11月、札幌コンサートホール・キタラにおけるにおけるライヴ録音。
 エリシュカと札幌交響楽団は、全5枚からなるpastierレーベルのドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の交響曲シリーズを完結し、同レーベルから今度はチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の三大交響曲シリーズが開始されたほか、これに並行してAltusレーベルからはブラームスの交響曲チクルスが開始されるという充実ぶり。
 当盤は、そのブラームス・シリーズの第2弾で、さらにウェーバーとモーツァルトの名曲2曲をカップリングした手厚い内容のアルバムとなっている。このプログラムの演奏会は複数日あって、録音もそれぞれ行われたのだけれど、つぎはぎの編集などは行わず、エリシュカの希望によって、一つのライヴ音源をそのままメディア化したもの。エリシュカの自信が伝わるエピソードだと思う。
 冒頭のウェーバーの曲は森の描写というイメージのある作品。最近では、磨き上げられた都市近郊型の森を思わせる演奏が多い中、札響の音は、緑に深く分け入ったような森のイメージが漂う。弦を中心としたやや暗めのトーンで、森の冷気や暗がりが伝わる様な響き。有名なホルンの開放音も、セーヴの効いた憂いを備えた響きで、私はとても美しいと思う。
 これに続くモーツァルトも、典雅さよりも、愉悦の中に程よい影や哀しみを添えた演奏。テンポは穏当で、古典的正統的な解釈であるが、発色を押さえた音色が、音楽の表情に深みを与えている。弦楽アンサンブルは、どちらかというと乾いた響きで、少し硬さも感じられるが、この交響曲の名曲性をよく引き出したアンサンブルだと感じた。
 末尾のブラームスも同様。特に第1楽章は弦の細やかな綾やグラデーションを、精緻に響かせている。弾力的な個所でも、弾み過ぎないおとなしさが、独特の高貴さを醸し出していると思うが、人によっては、より浪漫的な濃厚な響きを欲するかもしれない。しかし、そのような思いは、楽章が進むにつれて、エリシュカの様々な施しに気付くことで解消されると考える。そして高らかに歌い上げられる終楽章の見事さ。この演奏は、明らかに様々な表現を、終楽章を頂点と考える設計に従って、くみ上げたものだろう。すべてを聴き終わったとき、私はこの演奏が成功したものであることを確信することが出来る。素晴らしい演奏会だ。
 今後、録音される2曲の短調の名曲にも、大いに期待したい。

交響曲 第2番
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2015.10.15
★★★★☆ ジュリーニ3度目の録音となったブラームスの第2交響曲
 カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini 1914-2005)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「交響曲 第2番 ニ長調 op.73」。1991年の録音。
 ジュリーニは、ブラームスの第2交響曲を3回録音している。最初はフィルハーモニア管弦楽団と、1962年。次にロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団と1991年の録音。そして、当盤である。
 このうち、おそらく名盤としてもっとも名高いのは、ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団との録音ではないだろうか。私は学生時代に、父のLPコレクションでクラシック音楽に親しんだのだが、父はブラームスの第2交響曲のLPをずいぶん何枚も持っていた。いや、今の私のCD所有数と比較したらさほどのことはないのだけれど、当時はLP1枚が高価なものであったし、10種くらいあったと思う。アバド、セル、ザンデルリンク、ベーム、ワルター・・・。そんな中に並んでいたのも、ロサンゼルスとの録音。ただ、父は「好きな曲なのだが、これだという録音がなくて増えてしまった」「中ではセルの録音が一番いい」、と言っていたものだ。
 さて、このウィーンとの録音を、ロサンゼルスとの録音と比べると、ひときわゆったりしたテンポが特徴的だ。両者の全4楽章の演奏時間を参考までに記載する。
・ロサンゼルス盤 22'31 10'41 5'42 9'45
・ウィーン盤   18'00 12'20 6'02 11'04 (第1楽章はリピートなし)
 こうして見てみると、長大化を避けるため、ロサンゼルスとの録音では行っていた第1楽章のリピートを、当録音においては省略したように感じられる。とにかく、当録音で聴かれるブラームスの第2交響曲は、全体を通してスローなテンポで、音楽が熟しきり、時にそれを通り過ぎるほど、と感じるほどに、思いのこもった表現に満ちている。第1楽章の第1主題は悠然と鳴るが、呼吸が大きく、クライマックスまでうねるように盛り上がる。そのエネルギーは大きい。音色も美しいが、饒舌であり、たっぷりしたカンタービレが含まれる。強奏部分では、テンポが遅いため、ための部分で、スマートではなく、やや仰々しさを感じるところもあるのは致し方ないだろう。この熟した雰囲気は、なぜか思索的で、後期のブラームスを思わせる味わいを示す。
 第2楽章は優美だが、弦のたっぷりした歌に、やや耽溺気味と感じるところもある。とにかく、歌えるところはすべて歌ったという衒いのない演奏とも言える。第3楽章は比較的普通にまとまっている。
 終楽章も実にゆったりとし、大きく練り上げるような起伏を描きあげていて、クライマックス、特に終結部の音の壮麗さは見事なものだ。金管の豪壮な響きも心がこもる。他方で、やはりこの楽章では、全曲をまとめ上げる推進力を、より強く打ち出してほしいところがあり、そのような点で、やはりロサンゼルス・フィルとの旧盤の方が、ふさわしい解決が付けられていたように感じる。
 全般に、この時期のジュリーニとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ならではの、爛熟したブラームスであるが、他の演奏と比べると、どうしても弛緩を感じさせるところが残る。

交響曲 第2番 第3番
ヘルビッヒ指揮 ベルリン交響楽団

レビュー日:2021.7.14
★★★★★ 名人と名オーケストラによる、練度の高いブラームス
 チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、ベルリン交響楽団を指揮して、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の下記の2作品を収録したもの。
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.73
2) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90
 交響曲第2番は1977,78年、第3番は1979年の録音。
 最近、ヘルビッヒの録音をいくつか聴いているが、どれも素晴らしい内容豊かなもので、この録音も、心に沁みるものだった。ヘルビッヒのスタイルは正統的で、テンポは平均かやや速め。オーケストラの音色はいつも練度の高さを感じさせるもので、ヨーロッパの音楽文化の凄さというのは、こういう演奏に現れるのだろう、と思わされる。もちろん、当盤も良い。
 交響曲第2番は、いかにもさりげなく開始されるが、それがこの曲らしい。田園風景の中で、夏空をゆったり動く雲を見ているような情緒が薫る。やがて、主題は全合奏に至るが、決して強奏に大きく傾くわけでなく、よく制御が効き、それでいて内面的な力をもった響きであり、貫禄に溢れている。中間楽章でも、一聴して味付けの薄い演奏という印象かもしれないが、じっくりと聴きこむべき味わいがある。木管と弦楽器のブレンドされた音響が絶妙だ。終楽章は果敢であるが、節度を守る高貴さがあり、この名曲に相応しい響きとなっている。
 交響曲第3番は、素朴な響きであり、かつ含蓄ある音にも満ちている。第1楽章は、スケール感を出すことにこだわらず、全体の流れの良さをキープ。中間楽章はこの演奏の魅力が良く出た個所で、第3楽章の有名な主題がホルン、クラリネットと受け継がれるところなど、旋律を奏でる楽器と、他の楽器のコントラストが美しく、魅了される。主楽章は、情熱が溢れてくるが、それでも、気高い佇まいを崩さず、合奏音の美しさと自然さを維持したまま、シャープに曲を閉じる。
 名人の棒による美しく引き締まったブラームスだ。

交響曲 第2番 第4番
ドホナーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2015.12.15
★★★★☆ 円熟味?芸風に幅を持ったドホナーニのブラームス
 クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2曲の交響曲をライヴ収録したアルバム。
1) 交響曲 第2番 ニ長調op.73
2) 交響曲 第4番 ホ短調op.98
 2007年の録音。CD2枚組。
 ドイツの指揮者、ドホナーニは、1984年から2002年にかけて、クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めた。そして、80年代から90年代にかけてDECCAレーベルを中心に様々な録音を世に送り出したのだけれど、クリーヴランドを去って、1997年からフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者となって以降、なぜか録音は極端に少なくなってしまった。
 そんななかで、比較的最近になってから、英Signumからいくつかのライヴ録音がリリースされるようになり、久しぶりにドホナーニの音楽をいろいろ楽しめるようになっている。
 ブラームスに関しては、ドホナーニはクリーヴランド時代の1980年代に、Teldecレーベルに交響曲の全曲録音を行っており、それも優秀な録音だった。それから、およそ20年の時を経たのが当盤の演奏ということになる。
 一言でいうと、以前のドホナーニらしい堅固なテンポが保たれているが、その中で様々な感情的な揺れが大きくなっているといったところ。これは当盤がライヴ録音であるためかもしれないが、以前のドホナーニらしさは、少し影をひそめた印象。
 とはいえ、アンサンブルの機能美はドホナーニらしい磨き上げを感じさせる。金管やティンパニの明瞭な音が演奏の印象に強く作用している。特に第2番の鮮やかなティンパニの効果(第4楽章の終結部の鮮やかなこと!)は、この楽曲からもたらされるイメージとしては、特徴的なものだ。
 前述した感情的な揺れは、特に弦楽器陣の合奏音に漂う濃厚な味わいが象徴的で、わかりやすい個所として、第4番の第2楽章の中間部から奏でられる肉厚な表現を挙げたい。
 スケルツォのスリリングな展開もドホナーニらしい。他方で、前述の様々な表現が織り交じった結果、以前ほどの純粋性は感じない。逆に言うと、その場に応じた即興性というニュアンスが加わったとも言えるだろう。聴き手の好みの問題になるが、私個人的には、クリーヴランド時代の徹底ぶりの方が見事で感心させられる。
 録音については、20年前のものと比較しても、特に優れているという感じは受けなかったので、これからドホナーニのブラームスを購入したいという人なら、廉価になっている旧録音と比較された方がいいだろう。とはいえ、私の好きな指揮者であるドホナーニの最近の姿を伝えてくれる英Signumには感謝したい。

ブラームス 交響曲 第3番 ハイドンの主題による変奏曲  ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2008.11.15
★★★★★ ちょっとセルを彷彿とさせるアシュケナージのブラームス
 アシュケナージはピアニストとしてブラームスの協奏曲や室内楽に多くの録音をしているが、指揮者としてはそれほど取り上げてはいない。しかし、1990年から92年にかけてクリーヴランド管弦楽団を指揮してDECCAに録音した交響曲全集がある。このオーケストラとアシュケナージの相性はなかなか良好で、楽団員との室内楽の録音などもあり、それもブラームスが多かったので、アシュケナージはこのオーケストラとブラームスの録音に望みたいと思わせる要素があったのだと思う。当盤には、まずドヴォルザークの序曲「謝肉祭」があり、次いでブラームスの交響曲第3番、最後に同じくブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が収録されている。
 クリーヴランド交響楽団のブラームスというと、私にはジョージ・セルの録音が懐かしく思い起こされる。典雅で適度なエンターテーメント性を保った品のよいブラームスであった。ブラームスの作品というのは、なかなか饒舌で、楽譜を見た感じでも、音符が密集していて、第一勘「重い音楽」と感じるが、セルの演奏にはまったくそんな雰囲気がなく風通しがよかった。
 さて、アシュケナージが数十年を経て録音したブラームスも不思議と傾向が似ていると思う。饒舌さを感じないクールさが保たれていて、健やかな音色だ。第3番の第1楽章は例えばカラヤンならレガートを効かしてたっぷりした音楽にするのだけれど、アシュケナージは線的で、短い助走で軽く踏み切る感じ。音色もやや明るく、金属的な感じもあるけれど、悪いわけではない。第2楽章の軽妙さもよい。第3楽章はメロディの間合いが美しいし、第4楽章も適度な客観性に貫かれている。
 「ハイドンの主題による変奏曲」はブラームスの作品の中で私がもっとも好きな作品だが、ここでも木管の風通しがいかにもさわやかで、流れるように進む楽想が心地よい。いわゆる純ドイツ風ブラームスとは違うけれど、魅力的な演奏だ。ドヴォルザークも同様に色彩感豊かでありながら重さがなく、明朗だ。

ブラームス 交響曲 第3番  ドヴォルザーク チェロ協奏曲
エリシュカ指揮 札幌交響楽団 vc: 石川祐支

レビュー日:2015.1.6
★★★★★ 堂々たる名演。エリシュカと札響によるブラームスとドヴォルザーク
 ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)指揮、札幌交響楽団による演奏で、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 とドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 という名曲同士の組み合わせ。2013年のライヴ録音。チェロ独奏は2005年から札幌交響楽団で首席チェリストを務めている石川祐支(いしかわゆうじ 1977-)。
 エリシュカと札幌交響楽団の録音シリーズは、これまでPastierレーベルからリリースされてきたが、このたびは、多くのライヴ録音の復刻などを手掛けているAltusレーベルからの発売となった。ブラームスもシリーズ化されるとのことだから、今後もAltusレーベルで継続されると思われる。
 さて、内容であるが、エリシュカと札幌交響楽団の深い信頼関係を示す一枚だ。いずれの楽曲も堂々たる名演で、素晴らしい聴き味の深さをもたらしてくれる。特に、ドヴォルザークのチェロ協奏曲では、外部から著名なチェロ奏者を招くことなく、エリシュカ自らの強い希望によって、札幌交響楽団の首席チェロ奏者である石川祐支が独奏を務めていることも、彼らの深い関係を物語っている。
 ブラームスの交響曲第3番はなかなか難しい楽曲で、豪放さと難渋さが激しく交錯するところがあり、どちらか一方を強く打ち出すと、他方の味わいが減じられるというところがある。しかし、エリシュカは、このオーケストラから芯のある力強い響きを引き出す一方で、入念に旋律を扱い、さらにこれを保持する音に巧妙なバランスを与えることで、相殺される成分をほとんど感じさせない演奏を成功させた。これは世界の一流オーケストラでも、なかなか達成できない種類の演奏である。私にとっての地元のオーケストラであるという云々を抜きに、文句のない素晴らしい演奏に違いない。ことに第3楽章の旋律の受け渡しで深まっていく味わいは、彼らのドヴォルザークの交響曲での成功を引き継いだ成果と感じられてならない。
 ドヴォルザークのチェロ協奏曲がまた素晴らしい。石川のチェロは力強さと深みを湛えた抜群の音色で、現代を代表するチェロ奏者としての力量を持っていることがわかる。エリシュカの一際篤い信頼に見事に応えた演奏だ。札幌交響楽団にとっても、ドヴォルザークは重要かつ得意なレパートリーであり、郷愁を誘う旋律、民俗性を背景に持つリズム処理など、いずれも老練といってもいい熟達ぶりで、それはもちろん指揮をするエリシュカの深い含蓄によって、一層高度なレベルで引き出されたものに違いない。すべての音に情感がこもり、しかし主張し過ぎることで全体のバランスを崩すことの決してない響きは、ドヴォルザークの一つの理想像を築き上げていると言ってもいい。
 これほどの名演を地元のオーケストラが繰り広げていることに感謝しつつ、続編への熱い期待が一層膨らんだ。

交響曲 第3番 ハイドンの主題による変奏曲
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.10.19
★★★★☆ 明るく浪漫的なジュリーニ/ウィーン・フィルによるブラームスの2作品
 カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini 1914-2005)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「交響曲 第3番 ヘ長調 op.90」と「ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調 op.56a」。1990年の録音。交響曲のみライヴ録音。
 ゆったりしたテンポで、熱く、明るく描かれたブラームスである。スローテンポなブラームスの第3交響曲というと、同じウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したバーンスタイン (Leonard Bernstein 1918-1990)の録音が思い出されるが、当盤もそれと同じくらいのテンポである。当録音は全集の一貫であるが、ジュリーニは、翌年の交響曲第2番においては、設定するスローなテンポを鑑みて、第1楽章のリピートを省略したのであるが、この第3番ではリピートも行っているので、やや長さを感じさせる。ただ、前述のバーンスタインがあまりにも冗長で弛緩を感じざるを得なかったのに対し、当ジュリーニ盤は、適度な緊張感があって、メリハリが明瞭であり、そこまでスローなテンポによる負荷を感じさせない点でうまくいっていると思う。
 第1楽章は熱血的で、金管も朗々と鳴るが、分厚い弦のカンタービレが有効に作用し、迫力として伝わる。ところどころ、全合奏はライヴゆえか不揃いなものを感じさせる。それは、あるいは現代の整えられた演奏に慣れ過ぎたせいで、目立つように感じるだけかもしれない。不揃いゆえの迫力として、それを是とするおおらかさに接するようにも思う。第2楽章は意外と標準的な響きで、クライマックスでリタルダントがあるほかは、穏当に流れて、歌われる。有名な第3楽章は、スローなテンポで、独自の強弱感を与えたメロディが歌われる。その情緒は濃い味わいだが、現代の感覚では、全般にやや甘美が過ぎるかもしれない。第4楽章は第1楽章と同じ印象で、浪漫的。強奏の迫力は見事なもので、ここでも多少のゆらぎはあるものの、表現として芸術的に消化された感があるし、やや人工的な味わいを残すものの、構築性を十分キープしながら力感を編み出していて、巨匠の描く音楽に相応しい厚みを感じさせてくれる。ただ、ところどころ、ブラームスの音楽に目立つある種の「うるささ」を、顕在化し過ぎた感もある。
 ハイドンの主題による変奏曲も、序盤はわりと普通ながら、中途以降はスローなテンポを基本とし、浪漫的に描いている。冒頭の木管の主題は、ウィーン・フィルらしい典雅さがあって、魅力十分。ウィーンの木管の魅力は、当盤の当曲録音全体の印象の主だったものを形成するといって良いくらい、影響力を感じさせる。中間部の哀愁や郷愁を感じさせる味わいも、着色が濃く、かつ明るい。この明るさにみちた表出力は、ジュリーニの特質の代表的なものと言っていいだろう。終曲に向けた盛り上がりは圧巻で、力強く感動的なものとなっている。
 全般に、ある種の自由さを感じさせながらも、全曲の造形がほどよくキープされており、指揮者とオーケストラの練達さを感じさせる。濃厚で浪漫的な表現への好みによって、聴き手の評価に幅が出来るだろう。

交響曲 第3番 第4番
ヘンゲルブロック指揮 NDRエルプ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2020.6.3
★★★★★ 2017年落成のエルプフィルハーモニー・ハンブルクのように、近代建築を連想させるブラームス
 ハンブルクを拠点としてきた北ドイツ放送交響楽団は、市内のエルベ川に面したホール、「エルプフィルハーモニー・ハンブルク」が2017年に全面完成し、そこに拠点を移すにあたって、名称を「NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団」と改称した。「エルプ」はエルベ川を意味する。本アルバムは、ジャケットに、「エルプフィルハーモニー・ハンブルク」の建物がデザインされている。もちろんネット上でもいろいろ見ることが出来るが、美しい近代建築物であり、ハンブルクの街並み、エルベ川の広大な風景にもよく合っている。ネット上で提供されているサービスを使用すると、当該建築物の内部も閲覧することが出来るので、興味のある方はぜひどうぞ。(私はいろいろ拝見させていただきました)
 さて、当盤は、そんな新装NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の記念すべきセッション録音第1弾に当たるもので、2011年から同オーケストラの首席指揮者となっているヘンゲルブロック(Thomas Hengelbrock 1958-)の指揮で、以下のブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の2つの交響曲を収録している。
1) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
2) 交響曲 第3番 ヘ長調 op.90
 録音は2016年エルプフィルハーモニー・ハンブルクと記載されており、当施設の全面完成前となっているが、音楽ホールとしてに機能は先んじて確立されていたのだろう。
 さて、このヘンゲルブロック指揮の演奏であるが、私見では、まさにこのエルプフィルハーモニー・ハンブルクの建物を思わせるような、近代的でスリムでスタイリッシュなブラームスである。
 最初に収録されているのは交響曲第4番である。ヘンゲルブロックは異稿を採用しているため、第1楽章は、ブラームスが出版時にカットした4小節分の弦と木管の合奏音から開始される。ただ、それ以外に、通常版と大きな違いはない。ヘンゲルブロックが作り出す音は濁りがない。澄んだ秋の空を思わせるとでも言おうか。いや、それほど感傷的でもないな・・・。やはり、どこかガラス面積の多い近代建築物を思わせるスッキリした響き、と形容するのが良い。ピチカートや木管の瑞々しい響きも印象的で、新しいホールの音響は、明晰に楽器の響きを分離できているようだ。そんなすっきりしたブラームスは、聴き易い一方で、浪漫的な熱血さからは、かなり距離を置いており、交響曲第4番であれば、そのことが終楽章に顕著に示されている。響きがスキッとしていることで、この楽章がもつ性格が、他の演奏と幾分聴き味が異なる。とはいえ、それは面白くないというわけではない。フルートの旋律に併せた精緻なニュアンスの切り替えや、ティンパニが刻むくっきりした陰影は、聴いていて気持ちが良く、流れも自然である。
 第3番も同傾向。両端楽章など演奏によっては武骨な音楽となるのだけれど、当演奏はとにかくスマートで、水彩画を思わせる音響により風通し良く通り抜けていく。私が当曲で気に入っているスウィトナー(Otmar Suitner 1922-2010)の演奏に近いものがあると思う。第3楽章でも適度な脱力から伸びやかな旋律美が感じられる。決して濃厚なロマンの薫りではなく、感性を主体にフォルムを整えた演奏だ。私は、ブラームスの音楽の「がさつく」ように楽器を重ねて表現される情熱を、やや重すぎると感じるところがあるので、このような演奏の方が、肌合い的には合うところがある。というわけでとても気に入った。
 ただ、前述の通り、ブラームスの音楽に、ロマンティシズムの強い放出のようなものを求める人にとっては、どこか肩透かしをくった演奏に聴こえるかもしれない。私にはとてもよく響くブラームスであるが、多くのブラームス・ファンが強く支持するような演奏とは違うものになっているかもしれない。

交響曲 第4番 ハイドンの主題による変奏曲
ジークハルト指揮 アーネム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2009.5.23
★★★★★ レーベルの企画力にも感謝の一枚
 世界的な景気の落ち込みや価値観の多様化の中で、大手レーベルがオーケストラの録音を手控えるようになって久しい。しかし、オクタヴィアの様に、そのような状況にあえて精力的な企画を続けるレーベルには喝采を送りたい。えーと、このレーベルの場合、安い入手盤を入手できないので「痛し痒し」というのは正直なところなのですが・・・。それにしても、このジークハルトとアーネム・フィルのような優秀なアーティストとオーケストラを、きちんと紹介してくれる企画力というのも立派の一語に尽きる。
 さて、このジークハルトとアーネム・フィルの当演奏。ブラームスであるが、咆哮するような演奏ではなく、インテンポで憂いや哀しみの表現を品良く出してくる。第1楽章はハーモニーのバランスが確かで、踏み外しのない規律性があり、かといって迫力不足とも思わせない。こういう演奏というのは、なかなか年季を刻まないと出来ないのではないだろうか。もっと印象的なのは第2楽章。リズミカルでやや早めの斬新な切り口で、鮮明に曲想を奏でている。第3楽章から終楽章へはアタッカ気味に間の短い録音編集が的を射ていて気持ちよい。フィナーレのスリムな響きもなかなかイカしている。
 「ハイドンの主題による変奏曲」はブラームスの作品の中でも私がもっとも好きなものだが、たおやかで優美な音色に包まれたこの演奏がとても気に入った。総じてブラームスの録音でも広く聴いてほしいものの一つです。

ブラームス 交響曲 第4番  ベートーヴェン 交響曲 第4番
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2016.4.12
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団による充実のブラームス第2弾
 ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)指揮、札幌交響楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲シリーズの第2弾で、今回はセッション録音によるもの。収録曲は以下の2曲。
1) ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
2) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60
 2015年録音。
 前作に続いて名曲と名曲の豪華な組み合わせ。
 すでに確固たる評価を築いた観のあるエリシュカと札幌交響楽団であるか、このたびも堂々たる名演で、安心して名曲の世界に身をゆだねることが出来る。それは単に安全運転というだけでなく、各所の細やかな表現が、音楽全体の構成の中で、必然的な文脈を持って奏でられ、交響曲としてのストーリーがあり、かつ作品自体の素晴らしさを味わい尽くすことが出来るもの。エリシュカと札幌交響楽団は、音楽フアンの信頼に、常にしっかりと応えてくれる存在となったわけだ。実に頼もしい限り。
 ブラームスは咆哮するような強さはないが、サウンドのグラデーションがよく吟味されていて、音楽表現としての意義づけを感じさせてくれる。特に合奏音のバランス、音の末尾の減衰まで熟慮された演奏ぶりは、老練の技でありながら、瑞々しい解放感にも繋がっている。テンポはとても自然で、各場面で音楽がどのような表情を持っているかが、適度な間合いで聴き手に届けられる。また、全体を支えるような力強い金管の熱演も、見事なもの。
 ベートーヴェンでも同様で、奥行きのある本格的な名演。適度な恰幅で、マイルドな味わいながら、随所に緻密な設計に支えられた音響がある。各楽器の的確な距離感が、音の起伏によく反映している。テンポは、ブラームスに比較すると、若干ゆったりしたものであるが、ごく一般的なものであり、緩急の激しさに訴えるような演出はないが、それだけにじっくりした味わいがあり、これら2曲にはぴったりのアプローチだと思う。
 それと、やはり札幌コンサートホールkitaraの優れた設計もあらためて感じさせられた。これだけ演奏の意図が、実際に音として呼応し、録音媒体を通じて聴き手に伝わるというのは、演奏する側のモチベーションにも繋がるし、そのような環境が現在の札幌交響楽団の充実を支えていることは間違いないだろう。ホールがオーケストラを育てる好例であるとも思う。

交響曲 第4番 悲劇的序曲
ジュリーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.10.23
★★★★★ ジュリーニによって浪漫性を究めた解釈を示されたブラームスの第4交響曲
 カルロ・マリア・ジュリーニ(Carlo Maria Giulini 1914-2005)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の 「交響曲 第4番 ホ短調 op.98」 と 「悲劇的序曲 op.81」 の2曲を収録。1989年のライヴ録音。
 ジュリーニはこの時期に、ウィーン・フィルとブラームスの全4曲の交響曲を録音しているが、当録音がその最初のものに当たる。
 非常に特徴的な演奏である。おそらく、この演奏はブラームスが意図したような響きとはまったく別のものだろう。とにかくテンポがゆっくりしていて(特に第2楽章以降)、それでいて、歌謡性に満ちた艶やかさ、特に弦楽器の響きが麗しさに満ちている。それは、この交響曲が、後期ロマン派の、夢見るようなものが結実した芸術品であると確信しているかのようだ。
 ブラームスの音楽をどのような美学的位置づけとして認識するのかの論争は置いておくとしても、ジュリーニの回答はその極端なものであり、それゆえに他の演奏と比較した場合、それは特徴的に感じられる。
 第1楽章は、中では比較的普通といって良く、テンポはやや遅いくらい。ただ、旋律を歌わせることにはっきりと重点を置いて、全体が揺蕩(たゆた)う様なドライヴ感は、なかなか陶酔的で、美しい。静謐も耽美的で、添えられる木管の音色も実に香しい。
 第2楽章からはいやがうえにもスローなテンポが印象を支配するが、そこには独特の感傷と美が覆うような魅力がある。表面的な美しさと内省的な美しさの双方を突き詰めた表現をこころみた結果、そこにはどこか世紀末的な退廃感にも通じるものが生まれている。最初聴いたときにはそこまで感じなかったのだが、何度か聴き込んでいるうちに、私はその点に気が付き、面白いと感じるようになった。
 第3楽章も他の当該楽章の演奏とはあきらかに違ったものが引き出されている。ゆったりとしていて、何かを謳歌しているような雰囲気で、さながら讃歌が奏でられるような趣だ。終結部に向けて、ティンパニの強靭な響きにより、恰幅豊かに閉じられる。
 第4楽章も遅い。劇性は強調されず、なめらかかつのびやかに表現されるメロディが、自在な伸縮性を伴って、歌われる。その伸縮は、弛緩を警戒して、よく計算された感じがする。だから、すそ野の広がりを感じはするが、無辺というイメージではない。しかし、おおらかな歌謡性は、全編を満たし、明るく輝かしい響きを尽くすかのように、全曲の結末を描く。
 悲劇的序曲も同様のアプローチといって良いが、この曲では、楽曲の性格がジュリーニの解釈を吸収しきれずに、やや表現が余っているように感じられるところもある。
 とはいえ、この第4交響曲はユニークで楽しめる。ブラームスの交響曲の演奏は、20世紀後半に向けて、テンポを遅く取る傾向が進んでいったという。それは、ある程度の数の過去の代表的な録音を聴くとわかることでもあるが、このジュリーニの解釈は、その20世紀後半の、一つの極致の解釈を成したものと言っていいだろう。ウィーンの美麗なサウンドが、それを支えていることは言うまでもない。

交響曲 第4番 ピアノ協奏曲 第2番
フィッシャー=ディースカウ指揮 ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 p: リフシッツ

レビュー日:2019.5.30
★★★★★ 「指揮者」フィッシャー=ディースカウの記録の一つ
 世紀のバリトン、フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau 1925-2012)が指揮活動もしていたことは、それほど知られていないかもしれない。というのは、彼の指揮活動は70年代から80年代のはじめまでと、その後20年のインターバルをおいて2000年代の、2つの離れた時期に限定的なものだったからである。
 フィッシャー=ディースカウが指揮者としてのデビューしたときの逸話としてこんな話が伝わっている。・・フィッシャー=ディースカウが自らの指揮者としての初のコンサートにクレンペラー(Otto Klemperer 1885-1973)を招待する。するとクレンペラーは「その日はショルティが“冬の旅”を歌うのを聴きにいく先約があってね」という痛烈な皮肉で返したという。ちなみに、ショルティは「指揮者・ピアニスト」で、わざわざそう書くのもなんだが、美声とは程遠い声の持ち主ある。私は、フィッシャー=ディースカウとクレンペラーの普段の間柄を知らないが、文字通り見ると、「畑違いだよ」と一刀両断したように思える。
 私の記憶では、フィッシャー=ディースカウは、指揮活動を中座したとき、指揮の難しさ、辛さに触れ、自分にはそれを乗り越えてまで熱中できなかったことなどについて語っていた。そのエピソードと、前述のクレンペラーの返しの逸話は、よく馴染む。
 しかしフィッシャー=ディースカウは指揮活動を再開し、いくつか録音を記録することとなった。当盤はその2期目の活動記録の一つ。
 ちなみに、私は、フィッシャー=ディースカウの第1期の指揮活動の録音で、一つだけ思い出がって、現在のDENONレーベルによるPCM録音視聴用オムニバスLPを、私の親が所持していて、その音源の中に、彼が指揮したブラームスの交響曲第4番の冒頭が入っていて、聴く機会があったのである(奇しくも当録音と同じ曲)。とても情感豊かに弦が鳴るのを聴いて、「なかなか良さそう」と思った。ただ、それで聴けたのは、視聴版のため、2分くらいだったと思う。以来、その音源とは接する機会はなかった。
 なので、今回、2002年にライヴ録音された当盤を、その思い出が手伝うような形で、購入して聴いてみた。
 前置きが長くなってしまったが、当アイテムは、フィッシャー=ディースカウの指揮で、CD2枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】 ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83
【CD2】 ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
 オーケストラはベルリン・コンツェルトハウス交響楽団、協奏曲のピアノ独奏はコンスタンチン・リフシッツ(Konstantin Lifschitz 1976-)。2002年のライヴ録音。
 演奏は、オーソドックスなものというのが全体的な印象。私が良いと感じたのは交響曲の方。哀愁を込めて歌われる旋律、特に旋律をになう木管楽器が色めくように表出するところはなかなか演出効果が活きている。第1楽章の末尾でテンポをやや落として劇性を得るところも、適度なアヤであり、聴き応えがある。第2楽章はゆっくりしていて、やや平板さを感じるが、第3楽章は内的な因子で生命力に溢れた表現で魅力いっぱい。爆発的なものも存分に描かれている。第4楽章は落ち着いて郷愁を歌う。なかなか充実感のある聴後であった。
 それに比べると、ピアノ協奏曲は、やや薄みに響く個所があるように感じられた。全体的にはリフシッツと見通しの良い響きをつくっていて、悪くはないのだが、ときおりふっと密度が薄くなる感じがする。だが第3楽章の歌には、心のこもったものがあって、感動的だ。いくぶん軽めの第4楽章も、難なくまとめているといったところ。
 前述のように、全体としては十分に良好な演奏で、際立った特徴はないが、ブラームスらしい感傷や郷愁は濃厚に感じることが出来る。他の名演、名盤に比較しうるとまでは言わないが、フィッシャー=ディースカウの指揮ぶりに興味のある人に、失望を味わわせることはないだろう。

交響曲 第4番 ハイドンの主題による変奏曲
ヘルビッヒ指揮 ベルリン交響楽団

レビュー日:2021.7.16
★★★★★ 指揮者、オーケストラが共に楽曲を深く知りぬいた感のある名演
 チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、ベルリン交響楽団を指揮して、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の下記の2作品を収録したもの。
1) 交響曲 第4番 ホ短調 op.98
2) ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
 1978年の録音。
 ヘルビッヒのブラームスはいずれも、伝統的なヨーロッパの音楽文化の深みを、自然に発露させたもの。楽曲に精通した指揮者とオーケストラが邂逅することによって生み出された滋味豊かな名演と感じられる。
 第4交響曲は、冒頭から、余分な力の入らない、しかし、しっかりと味わいと情感のこもった響きが導かれ、それがきわめて自然に連続していく。すべての楽器が有機的に結びつきながら、一つの像を形作っていく様は、何も音楽に限らず、様々な事柄に共通する尊さを感じさせるが、そこに添えられる歌は、聴き手の気持ちを強く揺さぶる。第1楽章のエンディングは情熱的だが、制御の効いた響きであり、そこにさらに付け加えたいと感じるものは、何もない。こういう演奏を「完成度が高い」というのだろう。第2楽章も自然でありながら円熟を感じさせる。木管の柔らかな響きは、郷愁を誘うが、その感動は、決して演奏者側から仕掛けられたという性質のものではなく、聴き手の内面が、いつの間にか掘り起こされることによって起る性質のものである。第3楽章の力感も、内面的な充実があり、しっかりしている。第4楽章は、当然の事ながら情熱的な音楽となるが、ヘルビッヒのアプローチに作為的なものはまったく感じられず、それでいて、聴き手の気持ちに直接訴えかける。もちろん、ブラームスの交響曲は、もっと叫んだり、足を踏み鳴らしたりするような演奏であっても、白熱し、興奮を得ることもあるのだが、私には、ヘルビッヒの演奏は、より大切な価値観をさりげなく語り掛けているように思われる。
 ハイドンの主題による変奏曲も同様で、自然で流れが良いだけでなく、必要なところに必要なだけ力が加わり、かつ潤いと情感に満ちた響きとなっている。各変奏曲が、それぞれの性格に相応しい方法で表現されているが、加えて、全体の運びの優雅さは得難い価値を持っている。終結近くの全合奏に導かれる過程の総てが心地よく収まっており、一切が美しい。


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管弦楽曲

セレナード 第1番 第2番
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2015.3.5
★★★★★ 改めて聴いてみると、良い作品でした
 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の2曲のセレナードを収録。2014年、スタジオ録音。収録内容の詳細は以下の通り。
1) セレナード 第1番 ニ長調 op.11
 第1楽章 アレグロ・モルト ニ長調
 第2楽章 スケルツォ アレグロ・ノン・トロッポ ニ短調
 第3楽章 アダージョ・ノン・トロッポ 変ロ長調
 第4楽章 メヌエット第1と第2 ト長調とト短調
 第5楽章 スケルツォ アレグロ ニ長調
 第6楽章 ロンド アレグロ ニ長調
2) セレナード 第2番 イ長調 op.16
 第1楽章 アレグロ・モデラート イ長調
 第2楽章 スケルツォ ヴィヴァーチェ ハ長調
 第3楽章 アダージョ・ノン・トロッポ イ短調
 第4楽章 クアジ・メヌエット ニ長調
 第5楽章 ロンド アレグロ イ長調
 ブラームスの諸作品の中で、2曲のセレナードについては、あまり知らない人が多いと思う。私も、当盤で聴いたのは、とても久しぶりで、どんな曲だったか忘れていたくらいだ。しかし、シャイーの優れた演奏で聴くと、十分に音楽を聴く悦楽で人を満たしてくれる作品だとあらためて思った。
 セレナードという楽曲には、本来屋外演奏のための作品という意味がある。18世紀以降、この名前は、他楽章構成で、交響曲よりライトな雰囲気の音楽に対して与えられてきた。ブラームスの作品をこの系列であるが、「屋外演奏」というより、「戸外描写」的な雰囲気、つまり「牧歌的」なものを感じさせる音楽だ。第1番の第1楽章は、印象的で暖かな舞曲ふうの音楽であるが、この音楽に中央ヨーロッパの田舎の風景を重ね合わせる連想は、大きく外れたものではないだろう。メヌエットに含まれる郷愁的なものは、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)作品にも通じるものだ。
 これらの作品は、ブラームスが20代のころの作品。だから、まだ交響曲第1番の完成までに10年以上ある時期。しかし、すでにブラームスの優れた管弦楽書法が示されているし、旋律や熱気を帯びた節回しなど、ブラームス以外の何物でもない音楽となっている。前述の牧歌的性格と、ブラームスの性向が、混合した作品といったところだろう。編成は、ほぼ二管編成のフル・オーケストラといったサイズだが、第2番ではティンパニとともに弦楽合奏からヴァイオリンが外されているところが大きな特徴だ。
 シャイーの演奏は、やや速めのテンポを維持し、特に管楽器のフレーズをくっきりと浮き立たせることによって、この作品の性格を明瞭に提示している。音色はやや乾いた響きで、音の区切りを明瞭にしているが、そのため弦楽合奏によるなめらかなフレーズは、比較的厚く響くように聴こえる。熱と渋みの要素を湛えながら、旋律楽器のきれいな音を追求した演奏だと思う。
 また、これらのセレナードは、奏者に高い技術を要求するが、その点でも当盤は高い水準にある。これは、ゲヴァントハウス管弦楽団とのスタジオ録音なので、当然と言えば当然なのだけれど。
 そういった意味で、困難さの高い第2番の方が、より演奏の完成度の高さを示したものと思う。最後の楽章で、満ち足りた雰囲気が溢れるのは、ピッコロの妙技に支えられているところが大きい。
 当盤の登場によって、私も含めて、多くの人がブラームスのセレナードの価値を再認識する機会を得ることができると思う。

ハンガリー舞曲 全集
スウィトナー指揮 シュターツカペレ・ベルリン

レビュー日:2018.6.1
★★★★★ シュターツカペレ・ベルリンの洗練されたサウンドをこころゆくまで楽しめる1枚です
 スウィトナー(Otmar Suitner 1922-2010)指揮、シュターツカペレ・ベルリンによるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のハンガリー舞曲集。全21曲を収録したもの。1989年の録音。
 よく知られるように、これらの曲集は本来ピアノ連弾曲であり、ブラームス自身が管弦楽版の編曲を行ったのは3曲のみ。残りの18曲は、他者の編曲となる。当盤での収録曲について、それぞれ編曲者を加えて記すと以下のようになる。
1) 第1曲 ト短調 ブラームス編曲
2) 第2曲 ニ短調 アンドレアス・ハレーン(Andreas Hallen 1846-1925)編曲
3) 第3曲 ヘ長調 ブラームス編曲
4) 第4曲 嬰ヘ短調 パウル・ユオン(Paul Juon 1872-1940)編曲
5) 第5曲 ト短調 マルティン・シュメリング(Martin Schmeling 1864-1963)編曲
6) 第6曲 ニ長調 マルティン・シュメリング編曲
7) 第7曲 ヘ長調 マルティン・シュメリング編曲
8) 第8曲 イ短調 ローベルト・ショルム(Robert Schollum 1913-1987)編曲
9) 第9曲 ホ短調 ローベルト・ショルム編曲
10) 第10曲 ヘ長調 ブラームス編曲
11) 第11曲 ニ短調 アルベルト・パーロウ(Albert Parlow 1824-1888)編曲
12) 第12曲 ニ短調 アルベルト・パーロウ編曲
13) 第13曲 ニ長調 アルベルト・パーロウ編曲
14) 第14曲 ニ短調 アルベルト・パーロウ編曲
15) 第15曲 変ロ長調 アルベルト・パーロウ編曲
16) 第16曲 ヘ短調 アルベルト・パーロウ編曲
17) 第17曲 嬰ヘ短調 ドヴォルザーク(Leopold Dvorak 1841-1904)編曲
18) 第18曲 ニ長調 ドヴォルザーク編曲
19) 第19曲 ロ短調 ドヴォルザーク編曲
20) 第20曲 ホ短調 ドヴォルザーク編曲
21) 第21曲 ホ短調 ドヴォルザーク編曲
 高名な第5番は、パーロウの編曲が用いらることも多い。カラヤン、小沢らはパーロウ版により録音をしている。当盤で採用されたシュメリング版は、アバドも録音時にこちらとっている。シュメリング版の方が軽快な味わいがあるかと思う。
 これらのハンガリー舞曲集は、広く知られた作品ではあるが、管弦楽版の全曲を録音する指揮者が多くはない。もともとがジプシーの旋律を題材にしたものであるうえに、前述のオーケストラ・スコアもブラームス以外の音楽家の手による楽曲がほとんどであることが大きな理由だろう。また、必ずしも全曲聴く必要性のない作品だとも思う。
 しかし、このスウィトナーの録音は素晴らしい。シュターツカペレ・ベルリンの洗練されたサウンドを存分に活かして、とても流れが良く、必要なところで自然と力の入る練達したドライブを繰り広げている。全体的なトーンは柔らかめで、聴き味としてはマイルドなものであるが、中音域の豊かな厚みは、さほど高速なテンポをとらなくても、十全に舞曲としての弾力感を補ってくれる。そうして繰り広げられるハンガリー舞曲は、たとえ由来がジプシー音楽であったとしても、ブラームスという天才によって、薫り高い芸術として新たな生命を宿したものとして、聴き手に伝えらえるのである。
 有名な第1番や第5番の颯爽たる佇まいも見事であるが、どの曲も、あざとさとは別の、とても生き生きとした表現に満ちている。例えば、第4番のスピーディーに展開する中間部のテンポの取り方の巧さと絶妙な間合いや、第18番の細やかな木管が新緑の木漏れ日のように降り注ぐ様など、いずれも忘れがたい瞬間をもたらしてくれるものではないだろうか。
 高名なアバドの録音と比べると、ダイナミックレンジ、緩急の幅ともにアバド盤の方が大きいのであるが、低音域の音楽的効果をキープした継続感、それを踏まえた全体を聴いたときの充足感、そして前述のようにとても自然な聴き心地をふまえ、トータルの私の感想としては、このスウィトナー盤を、本曲集の代表的録音として推したい。


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協奏曲

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ(ラッブラ編) ハイドンの主題による変奏曲
p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2009.9.19
★★★★★ 極上のテイストに仕上がった「お徳用アルバム」
 ブラームスの以下の曲を収録しているお得なアルバム。
(1) ピアノ協奏曲第1番 p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 1981年録音
(2) ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ(ラッブラ編) アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 1992年録音
(3) ピアノ協奏曲第2番 p: アシュケナージ ハイティンク指揮 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 1982年録音
(4) ハイドンの主題による変奏曲 アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 1991年録音
 ブラームスのピアノ協奏曲は「ピアノ付きの交響曲」と呼ばれることがある。シンフォニックで雄大なオーケストラ書法を指してのことだが、もちろん独奏楽器としてのピアノも雄弁な語りかけを必要とするので、多様な音楽性の求められる作品だ。
 アシュケナージは私の大好きな芸術家であるが、ここで表現されている知情意のバランスのとれたスタイルは彼の洗練されたセンスが十全に映されたものだろう。アシュケナージが協奏曲のソリストであるとき、彼はオーケストラの音色に耳をそばだて、その整合性の中で彼の音楽を紡ぎだしていく。アシュケナージはブラームスのピアノ協奏曲第2番を別に2度録音している。1967年のメータ指揮ロンドン交響楽団との共演と、1969年のクレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との共演である。この2人の指揮者はまったくスタイルが異なる(と思う)のだが、いずれの演奏もアシュケナージによって説得力のあるバランスのとれた演奏となっている。
 それにしてもハイティンクによるオーケストラのサウンドも素晴らしい。いかにもヨーロッパの伝統的な、正真正銘のオーケストラサウンドで、かつ現代的なシャープさも持ち合わせている。アシュケナージのピアニストの特徴ともマッチしていて、互いの長所を引き立てる相乗効果により、極上のテイストに仕上がっている。
 余録にアシュケナージがクリーヴランド管弦楽団を指揮して録音した管弦楽曲が2曲収録されているが、こちらも透明感のあるライトな音色が魅力の逸品で、合わせてたいへんお買い得なアルバムになっている。またいずれの録音水準も非常に高く安定。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番
p: ラルーム 山田指揮 ベルリン放送交響楽団

レビュー日:2018.3.19
★★★★☆ 現代を代表する「ブラームス弾き」ラルームが、協奏曲を録音
 2009年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝を果たしたフランスのピアニスト、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)は、いま、私が特に注目しているピアニストで、これまでの録音も一通り聴いてきた。特に、彼によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ独奏曲や、クラリネット・ソナタをはじめとする室内楽の録音は、情感の表出と陰影の彩りが魅力的で、私はとても心を動かされていた。ラルームの弾くブラームスをもっともっと聴きたいと思っていたら、なんと協奏曲2曲まとめたアルバムがリリースされた。CD2枚に下記の2曲が収録されている。
1) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
2) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83
 山田和樹(1979-)指揮、ベルリン放送交響楽団のバックを得て、2017年にセッション録音されたもの。第2番第3楽章のチェロ独奏は、同交響楽団の首席チェロ奏者であるハンス=ヤーコプ・エッシェンブルク(Hans-Jakob Eschenburg)が務める。
 ブラームスの2つのピアノ協奏曲は、練達したピアニストにとっても、特に難しいジャンルであると思われるが、ラルームは、味わいぶかい表現を導き出している。これまでの彼の録音から推察される通り、陰影の深いタッチで、ことに優美な部分の扱いに長け、これらの作品が持つ内面的な部分に、細やかなひだを感じさせてくれる。全体のテンポは、やや淡泊と感じられる穏当なものであるが、そのピアノの音色のふちどりに、ほのかなグラデーションが感じられる。それは、暖かい情感をともなって、聴き手の気持ちを豊かにさせてくれるものである。
 私が特に素晴らしいと感じたのは第2協奏曲の第3、第4楽章である。第3楽章では独奏チェロのメロディーに浮き沈みするように付き添うピアノが抜群の味わいを導き出しているし、第4楽章ではオーケストラの明るい音色とともに、ブラームス特有の濃厚な情緒を瞬間的に描き分け、自然な流れの中で、様々に音楽的な機微を愉しませてくれるのである。
 2009年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、以後世界各地で活躍をしている山田和樹の指揮も注目どころだろう。当盤のオーケストラに関しての印象は、きわめてさっぱりしたブラームスという感じである。合奏音がきれいで濁りがなく、テンポが穏当であるにも関わらず、すみやかさを感じさせる。重さや熱といったものより、響きのきれいさと透明感を優先させ、独奏者のピアノに焦点を置いたと感じさせる音作り。しかし、私は、そのことを、指揮者の美徳として、よくわかるつもりであるが、その一方でブラームスの協奏曲においては、もっと内燃的な熱さがあってもいいようにも感じるし、そうでなければ、さらに別の何かがほしいというところが残るのである。少なくとも、そのような渇望を払拭させてくれるほどには、感じられなかった。
 以上のことから、ラルームのピアノの美しさを堪能させていただいたが、ブラームスの大規模な協奏曲2曲を収録したアルバムとして、現時点で他の名録音に匹敵しうるとまでは考えず、星4つの評価にさせていただきました。

ブラームス ピアノ協奏曲 第1番  ウェーバー ピアノ小協奏曲(コンツェツトシュトゥック)
p: ブレンデル アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン交響楽団

レビュー日:2005.7.16
★★★★★ ぜひウェーバーの協奏曲を堪能してください。
 ブラームスはレコード・アカデミー賞を受賞した評価の高い演奏だが、むしろ注目したいのはカップリングのウェーバー。これはLP時代にシューマンのピアノ協奏曲のB面に収録されていたものだが、たいへんな佳曲である。そんな録音がこのような企画であらためて取り上げられるのはウレシイ限りだ。
 ウェーバーはピアノ協奏曲を3曲作曲しているが、そのなかで、この「コンツェツトシュトゥック」ともよばれる小協奏曲がもっとも美しい作品だ。曲は4つの部分からなっているが、切れ目無く演奏される。この曲は協奏曲というジャンルでは珍しく標題性を持っており、それによると、第1部は騎士を戦場に送り出した姫君の嘆き、第2部は姫君がさいなまされる恐ろしい妄想、第3部は騎士達の帰還、第4部は姫君の喜び、となっている。
 ブレンデルはやや遅めのテンポでニュアンスに富む表現を心がけ、やや暗い影をもつこの曲の内面性をたくみに演出している。一方で、つねにベースにはドイツ音楽の本流に根ざした卓越した構成感があり、この魅力的な作品に、さらなる洗練を与えている。これが森の響きというものだろうか。。。
 最近ではハイペリオンからデミジェンコの名演も加えられており、ウェーバーのこの秘作も存在感を増してきたようだ。

ピアノ協奏曲 第1番
p: フェルツマン フォンク指揮 ケルン放送交響楽団

レビュー日:2006.7.24
★★★★★ 自由を拡大した魅力的なブラームス
 カメラータが最近国内盤をリリースすることで、注目が増しているピアニスト、フェルツマンの10年前の録音がお目見えした。正規のセッション録音で音質は良好。ブラームスというのはちょっと意外な感じもしたが、興味深く聴いてみた。
 まず、やはり従来のブラームスとは違い、ピアノの自由度がいくぶん大きい。重音のニュアンスはよく吟味されていて、歌の振幅も大きいが、その自由さを獲得する過程で、ややオーケストラは大人しくならざるを得ない。
 しかし、従来と違うからといって悪い演奏というわけではない。ここでは「ブラームスらしく」といった志向にとらわれない瑞々しいピアノの歌が他にはない魅力なのである。ちょっと即興的な節回しや、軽やかな気転など、この重い作品を自分の領域に取り込み、そこで闊達なピアノの冴えを見せてくれる。これはこれで爽快な演奏である。
 フォンクの指揮はオーソドックスであるが時として木管に自由度を与えて、フェルツマンの世界をともに楽しもうという好ましい配慮と思える。これもまたよしの1枚といえる。

ピアノ協奏曲 第1番 3つの間奏曲
p: アンスネス ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

レビュー日:2011.8.19
★★★★★ リリース時期が少しずれていたなら、と思ってしまうディスク
 常々、世の中タイミングの不運というものがある。三国志の呉の名将、周瑜は、同じ時に生を与えられた孔明との運命を天に問うたそうだが、そんな話はザラである。2000年に無敵を誇り「降臨」と形容された競走馬、テイエムオペラオーは、その年、5つのG1レースを制覇したが、そのうち4つのレースで2着に終わったのがメイショウドトウだった。さぞかしメイショウドトウは思ったことだろう。「天はなぜテイエムオペラオーと同じ時に我が生を与えたのだ」と。
 なんで、こんな話を書いたかと言うと、このディスクについて、私は似たような思い出があるからだ。このアンスネスとブラームスの演奏、立派な名演なのだけれど、ほぼ同じタイミングでポリーニとアバドによる同曲のリリースがあった。それなので、CDショップにいってみても、特価で輸入盤が積み上げられているのは、ポリーニのディスクばかりで、アンスネスのこのアルバムは、リリース早々に、「ブラームス」のタグのついた棚への移動を余儀なくされていた。私の記憶では、当時の専門誌やフアンの投票でも、ポリーニ盤が話題を圧倒し、このアンスネスのディスクなんてほとんど取り上げられなかったものだ。
 ところがこのディスク、傍流に置いておくにはあまりにもったいない素晴らしい内容なのである。
 アンスネス(Leif Ove Andsnes)は1970年生まれだから、このディスクが録音された1997-98年にはまだ20代であった。しかし、堂々たるブラームスを展開している。アンスネスはこの協奏曲からロマン派特有の濃厚なテイスティングを引き出しているわけではない。むしろその主眼は詩情の自然な発露にあり、詩的で、時に激しさを伴った歌に満ちたアプローチだと思う。白熱する要素も十二分にある。両端楽章は力感に満ちた表現が随所に溢れていて、激性豊かで、この規模の大きい楽曲の「決め所」を外さない心地よさがある。しかし、楽想をスピードにまかせて弾き飛ばすようなことはなく、感情が覆い尽くすような方法論はとられていない。いつだって一定のクールさがあるのだ。(ラトルの方がむしろ熱っぽい印象を受けるが)。
 ラトルの指揮は情熱的だが、EMIの録音のせいなのか、やや弦楽器陣の響きに奥行きが乏しいのが気にかかる。とはいっても全体の良好な印象を覆すほどの欠点にはなっていない。素晴らしい演奏、と言っていいだろう。
 末尾に収録された「3つの間奏曲」も美しい佳演。思索的で、時に少し踏みしめるように進む音楽は高雅な雰囲気。十分にこれらの曲らしさが表出している。

ピアノ協奏曲 第1番 創作主題による変奏曲 主題と変奏
p: パイク インバル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2013.3.19
★★★★★ パイクが力強く弾きこんだ充実のブラームス
 韓国のピアニスト、クン・ウー・パイク(Kun Woo Paik 1946-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の作品集。収録曲は、(1)ピアノ協奏曲第1番 (2)創作主題による変奏曲 (3)主題と変奏の3曲。ピアノ協奏曲ではインバル(Eliahu Inbal 1936-)指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団がバックを務める。2009年の録音。
 最後に収録されている「主題と変奏曲ニ短調」はブラームスの弦楽六重奏曲第1番の第2楽章をピアノ盤に編曲したもの。原曲の甘いメロディは有名で、ルイ・マル(Louis Malle 1932-1995)監督による1958年の映画「恋人たち」で使用されたことで良く知られているもの。
 パイクというピアニストは、日本では最初デッカ・レーベルを介して紹介されたと記憶しているが、その後他のメジャー・レーベルからも録音がリリースされるようになった。今回はドイツ・グラモフォンのディスクで、このレーベルから、パイク、そしてインバルというアーティストが協奏曲をリリースするのは、私には新鮮な印象。(曲目はこのレーベルらしい王道ものだが)
 さて、このブラームスであるが、パイクというピアニストの美点がよく捉えられたものだと思う。このピアニストの美点とは、力強いピアニズムと、かつその力強さに溺れることのない卓越したコントロール能力であると思う。そして、それらがこのブラームスの、特に肉厚な表現を多用する協奏曲で、如何なく発揮されている。ことに低音で重々しい和音を連続的に扱うような場所で、明瞭に強く鳴らされるピアノは、この作品のスケールの大きさを如実に物語っている。ブラームスのピアノ協奏曲は、女性奏者には特に演奏の難しい作品であるという話を聞いたことがあるが、このパイクの演奏は、普遍的な意味での男性的な力強さと客観性を併せて体得したと思わせるもので、そのことに私は感動する。インバルもこのオーケストラの充実した中声部の厚みを、余裕を持って響かせており、安心して聴くことができる。
 「創作主題による変奏曲」は初期に属する作品で、ベートーヴェンに対するブラームスの憧れと思索、迷いと捨てきれぬ望みが表出した作品だと思う。私はアダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)というピアニストが2010年に録音したものが好きなのだが、パイクの演奏には、より青春の香りが漂っている。パイクの方がずっと年配のベテランなのだけれど、だからこそ回顧的な情熱を秘めて音楽を奏でられるというところがあるように感じる。これも思うところの多い演奏となっている。
 「主題と変奏」は、甘いメロディをじっくりと腰を据えてしっくりと歌い込んだ趣があり、深まる秋の雰囲気があって、これもこの曲に相応しいと思う。いずれも奏者の個性が良く作用した名演となっていると思う。

ピアノ協奏曲 第1番 ハンガリー舞曲 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 第7番 第11番 第14番 第17番
p: アンゲリッシュ P.ヤルヴィ指揮 フランクフルト放送交響楽団 p: ブラレイ

レビュー日:2013.7.29
★★★★☆ アンゲリッシュによるクールでスマートなブラームス
 フランスのピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュ(Nicholas Angelich 1970-)によるブラームスの作品を収めたアルバム。メイン・プログラムと言えるのがパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、フランクフルト放送交響楽団とのピアノ協奏曲第1番で、さらにフランク・ブラレイ(Frank Braley 1968-)を迎えて4手によるハンガリー舞曲から、第1番、第2番、第3番、第4番、第5番、第7番、第11番、第14番、第17番の9曲を演奏している。いずれも2007年の録音。
 アンゲリッシュは、チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-)やベロフ(Michel Beroff 1950-)らに師事し、1989年のカサドシュ国際コンクール(Robert Casadesus International Piano Competitionで第2位、1994年のジーナ・バッカウアー国際コンクール(Gina Bachauer International Piano Competition)で第1位を獲得した。現在では、ソロ、室内楽、協奏曲と幅広い楽曲に積極的な録音活動を行っている。その演奏スタイルは、温和な抒情性の発露にあると思う。コンクール型ピアニストによくある“ばく進型”とは一線を画す。
 それで、このブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴く。この曲は雄大で20分を越える第1楽章が象徴するように、シンフォニックで、スケールの大きい作品であり、ピアニストは、己を鼓舞し、立ち向かうようにして、この巨大な作品に対峙する趣があり、聴く方も、その「奮闘ぶり」を期待するところがある。しかし、アンゲリッシュはやはり違う。彼の方法論はそのような汗を散らして奮闘する(イメージ上の)ものではない。洗練された音楽性を武器に、これをしなやかに弾きこなし、適度な迫力も備えながら、もっとも綻びのなく、多大な活性化エネルギーを必要としない無理のない作法で音楽を形作る。歌もあるが、これも情緒あふれるというより、どこかサラリとした弾き振りで、いかにも現代的なクールな雰囲気。
 そして、ヤルヴィ指揮のオーケストラも比較的同じような傾向で、熱くなり過ぎないように、つねに一定距離をキープするように進行していく。そうして得られる音楽は、古典的な均整感があり、無理がない。
 それで、この演奏もそのようなスタンスで齟齬の無い完成度の高さを示したものになっている。ただ、そのクールな感じが、例えば第1楽章終結部や第3楽章の情熱的なオーケストラのパッセージにおいて、距離があり過ぎて、独特の冷めた、ちょっと薄いとも言える響きに繋がっているところもあり、個人的には気になったとこ。
 そういった点で、むしろハンガリー舞曲の方が、私は楽しむことができた。技巧を見せつけるというほどではないが、息の合った自在な緩急が好ましかった。やや急くようなところもるのだが、これは二人ならではの勢いだろう。現時点での良心的な演奏と思うが、今後のアンゲリッシュがどちらの方にその芸風を進めるのか、なかなか興味を引かれるところである。

ピアノ協奏曲 第1番
p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2014.1.7
★★★★★ ピアノとオーケストラの幸福な出会いがもたらした名演
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15」。1981年の録音。
 非常に優れた演奏。アシュケナージとハイティンク、コンセルトヘボウ管弦楽団は、1984年から86年にかけて、素晴らしいラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ協奏曲全集を録音することになるのだが、その成功は、このブラームスの録音の時点で、確約されたものだったように思う。当盤の素晴らしさは何と言ってもピアノとオーケストラの一体感にある。
 ブラームスという作曲家は、あふれ出る楽想を、どのような編成の音楽に還元すべきかで、とかく悩んだ人だったらしい。この協奏曲も、作曲を開始したころには、交響曲として完成するという目論見があったという。実際、ブラームスが書いた協奏曲は、いずれもシンフォニックで、オーケストラにも交響曲に匹敵するパフォーマンスを要求する。対位法を織り交ぜた長大な展開、楽器の独奏的使用の多用、ポリフォニックな処理。そのようなブラームスの協奏曲(特にピアノ協奏曲)において、私はことに、独奏者に「オーケストラの中に融合する」資質を求める。もちろん「融合する」というのは「埋没する」ということではない。融合と埋没は相反する概念だ。アシュケナージというピアニストは、特にこの80年代のころの録音において、実に慎重にオーケストラを「聴き」、自分の役割をその中で打ち出している。
 その結果、音楽は、一つの重厚なシンフォニーのように響き、独奏楽器と他の楽器が共鳴するのである。これは単にアゴーギグやデュナーミクを合わせている、ということではない。時には対立し、時に基礎となるという、一つ一つの音に、音響構成上の、音楽的意味を、明瞭に与えるということだ。その結果、音楽は時として凄まじいほどの鮮烈な効果を発する。例えば、第1楽章終結部の畳み掛けるような情熱的迫力がそれだ。アシュケナージのピアノだけを、単に独奏楽器という意識だけで汲み取ろうとして聞いてしまうと、その音は、時に完全な形で把握しにくいと感じるかもしれない。しかし、私はブラームスのピアノ協奏曲として、「ピアノ付交響曲」という視点を踏まえて聴くならば、アシュケナージのアプローチが恐ろしいほど合理的で、そして音楽的であることに気付かされる。
 実際、私はこの録音を何度も聴いた。もう、いくつもの録音を聴いてきたけれど、やはりこの録音に戻ってしまう。それは、この演奏が、この作品の「シンフォニックである」という要素を、もっとも充実した形で成果にしたものに感じられるからだ。
 嵐の様に激動する両端楽章に挟まれた第2楽章、その悲哀と優美を、穏やかに、しかし全器楽が連続的に奏でるアンサンブルの美しさは無類。
 もう一つの成功.は、アシュケナージのピアノの音色と、コンセルトヘボウ管弦楽団の音色が、実にまろやかによく溶け合うという相性の良さを挙げたい。ともにほの暗い暖色系のソノリティでありながら、要所要所で柔らかな透明感や、内燃的なパッションを引き出す。ピアノとオーケストラの幸福な出会いがもたらした名演だ。

ブラームス ピアノ協奏曲 第1番  モーツァルト ピアノ協奏曲 第25番  ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第31番  シューベルト 4つの即興曲D.935より 第1番 へ短調
p: ブレンデル C.デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団 ツェンダー指揮 南西ドイツ放送交響楽団

レビュー日:2020.8.11
★★★★★ ブレンデルの複数のライヴ音源を集めた2枚組Box-setです
 ブレンデル(Alfred Brendel 1931-)の80歳を記念して、DECCAレーベルから2011年にリリースされた2枚組企画盤で、ブレンデルの過去のライヴ音源がまとめられたもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
【CD2】
2) モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791) ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
3) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
4) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828) 4つの即興曲D.935より 第1番 へ短調
 1)はコリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-2013)指揮、バイエルン放送交響楽団、2)はハンス・ツェンダー(Hans Zender 1936-2019)指揮、南西ドイツ放送交響楽団との協演。
 1)は1985年ミュンヘンでの、2)は2002年バーデンバーデンでの、3,4)は2007年ザルツブルクでのライヴの模様。
 ブレンデルらしい滋味豊かな名演揃い。ブラームスは、冒頭からデイヴィス指揮のオーケストラがスケールの大きい表現を聴かせる。ドロドロと鳴るティンパニに導かれて、重みづけされた主題を弦が勇壮に奏でる。管弦楽は全般にスケールの大きい演奏ぶりで、ドラマを盛り上げているが、ブレンデルの演奏は真面目で一貫して真摯さに貫かれたもの。しかし、それらの相性は良く、全体としてはいかにも中央ヨーロッパ的な、中庸の美を重んじた響きにまとめ上げられる。第2楽章のピアノは、真摯ゆえの深さがあり、コクを感じる表現で魅力的だ。
 ブレンデルのモーツァルトについてだが、1970年から1984年にかけてブレンデルはマリナー (Neville Marriner 1924-2016)と全集を録音している。ただ、この全集が私にはあまり面白くなくて、とにかく真面目過ぎて、モーツァルトの音楽に欲しいチャームさがあまり感じられないのだ。私の愛聴するアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)やペライア(Murray Perahia 1947-)の全集と比べると、あまりにも色彩感に乏し過ぎるのである。しかし、ブレンデルが後年録音したものは、それよりだいぶ良い印象で、ここに収録された第25番もその傾向に合致し、ピアニスティックな魅力やウィットのある表現に癒される。とはいえ、私には、この曲の演奏としては、まだ硬さを感じさせるところは残るのだが。
 それに比べると、ベートーヴェンとシューベルトの独奏曲は、心の底から楽しめる。特にベートーヴェンのソナタ第31番では、ブレンデルのスタジオ録音盤に比べて、第3楽章のテンポをやや落とし、変奏曲を、よりこまやかなニュアンスまで含めて描き分けている点にライヴならではの感興を得た。
 「ここが聴きどころ」というより、全体としていかにも古典音楽らしい美観と味わいのある演奏で、ブレンデルの大家としてのあり様が感じられる良いアルバムである。

ピアノ協奏曲 第1番 6つの小品
p: キム・ソヌク チョン・ミョンフン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

レビュー日:2020.12.18
★★★★★ キム・ソヌクによる秀逸なバランスを感じさせるブラームス
 2006年のリーズ国際ピアノ・コンクールで、アジア人として初の優勝(かつ史上最年少での優勝)を果たした韓国のピアニスト、キム・ソヌク(Sunwook Kim 1988-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の作品を集めたアルバム。収録内容は以下の通り。
1-3) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
6つの小品 op.118
 4) 第1曲 間奏曲 イ短調
 5) 第2曲 間奏曲 イ長調
 6) 第3曲 バラード ト短調
 7) 第4曲 間奏曲 ヘ短調
 8) 第5曲 ロマンス ヘ長調
 9) 第6曲 間奏曲 変ホ短調
 ピアノ協奏曲は、2019年のアジア・ツアーに際して行われた韓国公演でのライヴ録音で、チョン・ミョンフン(Myung-Whun Chung 1953-)指揮、シュターツカペレ・ドレスデンとの協演。6つの小品は、2020年にライプツィヒでセッション録音されたもの。
 ピアノ協奏曲は故郷での凱旋ライヴといった面もあり、しかも韓国が生んだ偉大な先輩であるチョン・ミョンフンが世界を代表するオーケストラを指揮しているとのことも手伝って、終曲後の熱狂的な拍手も様子がうかがえるものとなっているが、その誘因効果を差し引いたとしても、良い演奏である。キム・ソヌクはドイツ王道のレパートリーを持っているとのことであるが、なるほど、彼はそれらの演奏に必要なバランス性、すなわち古典的様式美を表現する均質性と、ロマン派的情動を描く表現性の双方を持ち合わせ、それを自分なりのスタイルで演奏に還元する能力を持っていると言える。
 全体に的確な方法で音楽が構築されていて、オーケストラの深い音色とあいまって、これぞブラームスと形容したい響きに満ちている。個人的には、もう少しこのピアニストならではの踏み込みや刻印のようなものがあった方が面白いと感じるところはあるが、かといって、この演奏にそういう文句をつけるのは、いささか方向違いとも言えるだろう。
 もともとブラームスのピアノ協奏曲というのは、ドイツ・オーストリアものの王道的レパートリーを歩む者にとって、なんとしても手掛けて、その真価を世に示すような位置にある作品であり、それだけに、相応の覚悟で取り上げられるべき作品であるとも思うが、この演奏は、見事に聴くべきものの期待に応えた内容となっている。私が特に感嘆したのは第3楽章。スピーディーでありながら、引き締まったフォルムであり、かつこまやかに巡らされた情的なものも備わっている。そして、それらを回収しながら、鮮やかな帰結に向かう様は、歴史上の様々な名演と比較しても遜色ない聴き映えを感じさせてくれた。ライヴでこの完成度というのは、恐れ入る。
 6つの小品は、清廉な情熱を感じさせる演奏と思う。しばしばブラームスの後期の作品で指摘されるが、ソヌクの演奏からは、しばしば若々しい萌芽を思わせるような生命力が伝わってきて、深い呼吸感も、吐息というより、高い意気を感じさせてくれる。これもまた魅力的な演奏であり、現代を代表するブラームス弾きの一人と感じられる。

ピアノ協奏曲 第2番
p: フェルツマン フォンク指揮 ケルン放送交響楽団

レビュー日:2006.7.24
★★★★★ 後半2楽章がこの演奏の真髄です。
 カメラータが最近国内盤をリリースすることで、注目が増しているピアニスト、フェルツマンの10年前の録音がお目見えした。正規のセッション録音で音質は良好。第1協奏曲を聴いた時にも感じたものだが、ピアノの自由な振る舞いが大変楽しい。ちょっとした和音にあえる味わいの面白さを堪能できる。音色はつねに澄んでいるし、重みはないが、明るいブラームスとしてあたらしいスタイルを提示している(逆に言うと古典的なブラームスを期待する人には、あまり向かないかもしれない)。
 オーケストラも安定した音色であるが、第1番に比べて楽曲自体の構成がよく練られているため、より自由度の発色が目立つ。しかし、それが非常に相応しいとさえ感じられるから不思議だ。木管の思い切ったクローズアップもいい。
 中でも第3楽章と第4楽章が素晴らしい出来栄え。第3楽章はチェロ独奏から引き続く一連のシーンはゆっくりと世界を描くように展開しており、その描写力はみごと。第4楽章はより浪漫的でゆるやかな楽章であるが、ここでフェルツマンの遊行的なピアニズムは多彩な色合いを獲得していて、聴き手を心底楽しませてくれる1枚となった。

ピアノ協奏曲 第2番 ハイドンの主題による変奏曲
p: アシュケナージ クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2008.9.11
★★★★☆ アシュケナージとクレンペラーの共演の記録
 クレンペラー指揮によるブラームスの名曲2曲のライヴ録音。一つはアシュケナージを独奏に迎えてのピアノ協奏曲第2番、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏、1969年の録音。もう一つはハイドンの主題による変奏曲でコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏、1957年の録音。
 やはりアシュケナージとの顔合わせによる協奏曲が興味の中心となる。アシュケナージはこの曲を2回デッカにレコーディングしている。当盤を含めたそれぞれの共演者と楽章毎の演奏時間を記すと、以下のようになる。
(1) メータ指揮 ロンドン交響楽団 <67> 17'33,9'12,12'31,8'39
(2) クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 <69> 19'44,9'34,12'32,9'40
(3) ハイティンク指揮 ウィーンフィル <82> 18'45,9'33,13'09,9'30
 (3)の録音は名盤の誉れ高いものである。ところで、こうして並べてみると、3種の録音は特に第1楽章の演奏時間が大きく異なっていることがわかる。とすると、これはほとんど指揮者の個性によるものということになる。もちろんブラームスの協奏曲は独奏楽器付きの交響曲と称されるほど管弦楽曲的な要素が強いのだけれど、それにしても、ことに(2)の場合、わずか2年前のメータとの録音と比して10%以上たっぷりと第1楽章に費やしていることになる。
 これを踏まえてクレンペラーの指揮を聴くと、なるほど稀有壮大である。クレンペラーという指揮者は、どのような作品でもおおよそ同じような感情を宿した発露を目指し、それが曲によっては無理があったりするけれど、この曲ではうまくいっているように思える。そしてその成功を支えているのが、巧みなアシュケナージのピアノである。オーケストラとのバランスへの配慮はこのピアニストの大きな美点である(それゆえ、後に指揮者として多くの独奏者と共演するキャリアに至ったのだと思う)。だから若きメータとの線的なブラームスにも、この巨匠クレンペラーの稀有壮大なドラマにも的確な必然性を与える。かといってアシュケナージが没個性的な演奏をしているわけでは決してない。なんといってもふくよかで美麗な響きが圧巻だし、パッションの放出と詩情に満ちたピアニズムだ。これを至芸という。アシュケナージ、クレンペラー双方のファンにとって貴重な音源であることは間違いない。
 コンセルトヘボウ管弦楽団との「ハイドンの主題による変奏曲」は特に木管楽器の柔らかい響きが聴き所。ただし、この2曲の録音状況は良いとは言えない。ノイズも多い。この時代のライヴとは言え、もうちょっといい音で聴きたかったのが残念。

ピアノ協奏曲 第2番 交響曲 第4番
p: ベロフ ヨッフム指揮 ドレスデン国立管弦楽団

レビュー日:2008.10.11
★★★★☆ 若きベロフの珍しいロマン派の協奏曲録音
 オイゲン・ヨッフムが当時の若き新鋭ピアニストミシェル・ベロフと共演した珍しい録音。1979年5月ドレスデンにおけるライヴ録音。
 ミシェル・ベロフというピアニストは、70年代の始めから「新解釈」と騒がれたドビュッシーの録音で話題になった。ベロフは10代のうちにそのメシアン解釈で世に名をしられたピアニストだったわけで、他のロマン派の流れの延長に存在するピアニストたちとは「入り口」が違った、と考えられる。またそれゆえに、そのパフォーマンスに異質を感じる人は多かったに違いない。なので、まだ70年代のうちにヨッフムと一緒にこのようなロマン派の大協奏曲にアプローチしていたこと自体が非常に興味深い。
 演奏を聴いてみると、非常に直線的なピアニズムである。確か当時ベロフは尊敬するピアニストとしてポリーニとブレンデルの名を挙げていて、この曲についてはその両者の録音があるが、ベロフの方法は彼らともまったく違う。何かもっとずっと刹那的なものだ。だから時として音楽が乾いて殺伐としてくる印象さえある。ここで断っておくと、私はベロフの「新解釈」ドビュッシーは大好きな録音だし、マズアと録音したプロコフィエフも良かった。またデュメイと録音したブラームスのヴァイオリン・ソナタも素晴らしい演奏だと思う。ただ、このブラームスは、確かにすごい部分もあるが、消化しきれていないという部分が残る。大曲に挑んだけれど、いくつかの問題をまっすぐ読んだだけで解決には至っていないと思う。
 それでも、このような録音があるのは一興で、私もベロフの録音はほとんど持っているくらいだから、これも大事な記録だろう。
 併録のヨッフムによるブラームスの交響曲第4番はヨッフムらしいテンポ設定の幅を大きくとった浪漫的解釈で、第1楽章はゆったりと入り、後半に向けて加速させ激性を帯びる。第3楽章の推進性もヨッフムのパワフルなスタイルを踏襲したものだろう。

ブラームス ピアノ協奏曲 第2番  シューマン 序奏と協奏的アレグロ ホルンとピアノのためのアダージョとアレグロ
p: アシュケナージ メータ指揮 シーガル指揮 ロンドン交響楽団 hrn: タックウェル

レビュー日:2007.7.10
★★★★★ いかにも若々しさに満ちたブラームスなど・・・
 再編集版である。ブラームスのピアノ協奏曲第2番(メータ指揮ロンドン交響楽団)の録音が1967年、シューマンの序奏と協奏的アレグロ(シーガル指揮ロンドン交響楽団)の録音が1977年、シューマンのホルンとピアノのためのアダージョとアレグロ(hrn: タックウェル)の録音が1974年である。
 アシュケナージのブラームスは、1984年のハイティンク指揮ウィーンフィルとの共演による再録音盤の方が圧倒的な名演・名録音でつとに有名であるが、この67年録音のものも捨てがたい魅力を持っている。メータの指揮ともども、直線的なスタイルで、颯爽たるブラームスである。84年盤に聴きなれていると、あまりにも快活過ぎるような気もするが、特に1楽章の推進力は心地よい。第2楽章も(かつて「刑事コロンボ」で、犯人が車中でこの楽章を聴いていたシーンを思い出す)清冽な演奏で若々しい。
 シューマンの曲は同時に発売されたショパン、ダンツィとカップリングされたものとは別の曲(一部、どちらも「シューマン ピアノ小協奏曲」と表記されているところがあり、まぎらわしい)。こちらの正式名称(一般名称?)はピアノと管弦楽のための序奏と協奏的アレグロである。これもシューマンらしい歌謡性のよく出た演奏で魅力がたっぷり。
 また、シューマンの得意な「ホルン付き室内楽」の一つである末尾曲も、佳作であり、再編集版ならではの様々な魅力を持った一枚になった。

ピアノ協奏曲 第2番
p: アシュケナージ ハイティンク指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2014.1.8
★★★★★ オーケストラに見事に呼応するピアノに、芸術の深さを実感する名録音
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83」。1982年の録音。当アイテムは国内で廉価再発売されたもの。
 前年の第1番の録音に続くものだが、なぜかオーケストラがコンセルトヘボウ管弦楽団からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に変更されている。個人的には、第1番の録音が素晴らしかったので、オーケストラもそのままでも良かったと思うが、レコード会社の戦略として、ウィーン・フィルを一つの看板として、さらにセールスを伸ばしたい目玉録音という確信があったのかもしれない。もちろん、結果として、当盤もたいへん高品質な内容となっていて、このような録音が記録されたことは、もちろん嬉しい。
 さて、アシュケナージにとって、この曲は3度目の録音となる。最初の録音は、メータ(Zubin Mehta 1936-)指揮ロンドン交響楽団との1967年の録音(DECCA UCCD-3868)、そして、その2年後の1969年に、クレンペラー(Otto Klemperer 1885-1973)指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と行われたライヴの模様もCD化されている(Hunt production HUNTCD 709)。参考までに、3度目の録音にあたる当盤を含めて、各楽章のタイミングを表記してみよう。
1) 1967年録音(メータ指揮) 17:33,9:12,12:31,8:39
2) 1969年録音(クレンペラー指揮) 19:44,9:34,12:32,9:40
3) 1982年録音(ハイティンク指揮) 18:45,9:33,13:09,9:30
 こうしてみると、特に両端楽章がメータとの共演では速く、第1楽章はクレンペラーとの録音でゆったりしていたことがわかる。実際に聴いてみても、そのニュアンスの差は大きい。しかし、いずれの演奏でも、アシュケナージの巧みなピアニズムが、オーケストラと過不足なく意思疎通し、見事な演奏を聴かせている。
 実は、ブラームスのピアノ協奏曲の場合、これが重要なポイントで、その「シンフォニックなサウンドのつくり」、「オーケストラに求められる多弁な表現」、「各楽器に与えられた多彩な役割」と言った要素から、ピアニストには、他の協奏曲と比較しても、一層オーケストラとの密な意思疎通が求められるのである。そして、その点で卓越したバランス感覚(と音色)を持ち合わせているのが、他ならぬアシュケナージというピアニストである。
 実際、これらの3種の演奏を聴いて、どれもなんとうまく見事にまとめているのだろう、と思う。特に、私の見方では、メータとクレンペラーなんて、まったく音楽性の異なる指揮者である。しかし、そのいずれにもアシュケナージは見事に過不足なく応えている。実は、これはなかなか大変なことで、以前、1990年のショパン・コンクールで第3位に入賞した横山幸雄(1971-)が、「自分はどんな指揮者との協奏曲でも、完璧に併せる自信がある」とコメントしていたことを記憶する。彼ほどの技術があっても、広範な「指揮者の求め」の多くに応えることは、あえてメリットとして述べるべきと考えたくなるほど、大きく価値のある資質であるのだ。
 もちろん、逆に言うと、芸術家のステイタスという観点から、「ピアニストが器用過ぎる」、という風にもとらえられるかもしれない。しかし、これらのアシュケナージの録音の、芸術としての完成度の高さを耳にすると、そのような考えは消し飛ぶ。なんと素晴らしいブラームスだろう、と。
 実際、このハイティンクとの3度目の録音は「決定打」といっていい内容だろう。それはアシュケナージのピアニストとしての完成期であるとともに、指揮者ハイティンクにとっても、最高のパフォーマンスを繰り出せる、そういった機会に行なわれた録音だったように思う。冒頭のふくよかなホルンに呼応する暖かいピアノ、中盤のシンフォニックな盛り上がりで、十全に呼吸を合わせるピアノとオーケストラ、互いの暖かいマイルドな響きの中で、必要な主張を適切なプライオリティで発揮する各奏者たち。ウィーン・フィルのトーンも自然な奥行きがあり、音楽に常に適度なふくらみがある。第2楽章の情熱、この第2楽章が私は大好きだ。刑事コロンボの「パイルD-3の謎」で使用されているのを聴き、なんと絶妙な選曲だろう、と思ったが、やはりこのアシュケナージ盤が最高にあのシーンを想起させてくれる。第3楽章のチェロの美しい事。こういう音が出てくると、「さすがウィーン・フィル」と唸ってしまう。そして幸福感に満ちた第4楽章。
 この録音が登場して30年以上が経過したようだけど、いまだに、この曲のマイベストといえる録音がこれです。

ピアノ協奏曲 第2番
p: ハフ A.デイヴィス指揮 BBC交響楽団

レビュー日:2015.8.27
★★★★☆ 明瞭なピアニズムで、響きの重さをストレートに表現したハフのブラームス
 スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)のピアノ、アンドルー・デイヴィス(Andrew Davis 1944-)指揮BBC交響楽団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83」。1989年の録音。
 とても真摯で辛口なブラームスだ。ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、彼が書いた多くの作品中でもひときわ輝く大傑作であるが、その音楽はブラームスらしい重厚な響きから構成されている。冒頭のホルンの甘い、一度聴いたら忘れられない旋律と、これに呼応するピアノのロマンティックな上昇音型は、聴き手を幻想世界に誘うことを予告するが、実はその後のオーケストレーションとピアノのパートには、ブラームスらしい厚い響きで装飾された和音が多様に折り返すことになる。これをそのままリアルに表現していくのか、あるいは何らかの洗練を加えて、マイルドな広がりをもたらすのかは、奏者らのこの作品に対する考え方になる。
 私がこの曲でいちばん好きな録音はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とハイティンク(Bernard Haitink 1929-)による1981年の録音だ。その録音では、ピアノは完全になりきっているにも関わらず、その音響に驚くほどの色彩的な幅が付与されていることで、高度にオーケストラのサウンドと融合させることに成功したもので、中央ヨーロッパ的な肉厚で豊かで洗練された表現が実現された。その後、この方向性で当盤をしのぐ演奏は聴いたことがない。
 それで、原点に戻ってこの曲を省み、ピアノとオーケストラの対峙性を積極的に受け入れ、ピアノを硬派に響かせた演奏という方法論があって、私にはこのハフの演奏はその典型と言える。ピアノの独立性の高いサウンドは、オーケストラとの対比色を強め、オーケストラとピアノが、互いの響きの差異を主張しあうように、音楽は進んでいく。例えば、導入部のピアノの音からして、輪郭を明瞭に打ち出し、フレージングにもハフ固有のリズムを与える。一人の弾き手によって操られる独奏楽器としての超越性を印象付けるものだ。その明暗のくっきりしたフォルムが本演奏の特徴。
 ただ、私の場合、ブラームスの協奏曲にこのようなアプローチで迫られると、少々聴き疲れするところがあるのも事実。先に書いたように、このアプローチだと、あちこちでピアノの重厚な和音が否応なく顔を出してくるので、全体としてときおり突出感を感じさせる演奏となる。洗練とは異なる価値観で、それ自体の面白さはあるが、音楽の流れとしてやや人工的で、私の場合、ときどき興が逸れてしまう。この傾向は特に前半2楽章で強い。
 それに比較して、音楽そのものが比較的軽妙な響きで構成されている後半2楽章は、自然な流れを感じさせる。オーケストラは、時折もっと楽想のふくらみがほしい所もあるが、まずは水準並みの演奏を維持している。
 というわけで、同曲の録音としてなら、私は他の盤の方を推したいが、若きハフの真摯な取り組みは、一聴に値するものとも思う。

ピアノ協奏曲 第2番 パガニーニの主題による変奏曲 8つの小品
p: リル ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団

レビュー日:2020.8.26
★★★★☆ ジョン・リルが活動初期に記録したブラームス。「8つの小品」が良演
 イギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の録音を集めた2枚組アルバムで、収録曲は以下の通り。
【CD1】
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83
【CD2】
パガニーニの主題による変奏曲 イ短調 op.35
 1) 第1巻
 2) 第2巻
8つの小品 op.76
 3) 第1番 奇想曲 嬰ヘ短調
 4) 第2番 奇想曲 ロ短調
 5) 第3番 間奏曲 変イ短調
 6) 第4番 間奏曲 変ロ長調
 7) 第5番 奇想曲 嬰ハ短調
 8) 第6番 間奏曲 イ長調
 9) 第7番 間奏曲 イ短調
 10) 第8番 奇想曲 ハ長調 
 【CD1】に収録されている協奏曲は、リルが優勝を果たした1970年のチャイコフスキー・コンクールの本選におけるライヴ録音で、ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky 1931-2018)指揮、モスクワ放送交響楽団との演奏。【CD2】はその前年である1969年のスタジオ録音の音源。
 演奏としてとにかく特徴が際立っているのが【CD1】に収録されたライヴ演奏で、もうとにかく速い。コンクールということなので、独奏者の意向が重視された演奏に違いないが、リルの若々しさが、一種の猛々しさになったような演奏で、オーケストラも、「え?まだ飛ばすの?」といった感じで、なんだかヒイヒイいいながら付いてくるといった感じである。結果として、力強いピアニズムに満ちているとは言え、粗さが散見という以上に見受けられるし、オーケストラも場所によっては粗悪とまでいいたいほどの音を出すところがある。逆にそれが凄みになっているという考えもあるかもしれないが、私は、ちょっといくらなんでも、という思いが強く、この演奏で優勝を果たしたとなると、他の演奏はどのようなものだったのか、逆説的に気になってしまうというのが正直なところ。録音状況も悪く、少なくとも私は、鑑賞を心から楽しむことは出来なかった。
 というわけで、2枚のうちでは、【CD2】に収録されている独奏曲集の方がはるかに良いと思う。パガニーニの主題による変奏曲は、現代の腕達者なコンクールピアニストの様々な録音と比べると、テンポはゆったり目で、やや重いが、相応の落ち着きが感じられ悪くない。むしろメインは8つの小品であり、リルはこれらの性格的な楽曲それぞれに感情豊かなアプローチを繰り広げていて、楽しませてくれる。第2番の奇想曲のピアニスティックな遊戯性、第5番の奇想曲のパッセージが含む情熱性の増幅、第7番の間奏曲に込められた風情の表出、いずれもが雄弁であり、大家ふうの貫禄を感じさせる美演だ。
 以上のように、協奏曲については、難ありの内容と考えるが、2枚目の特に「8つの小品」については、優れた演奏であると思う。是非オススメというわけではないが、リルの若き日の演奏に触れたい方には興味深いものとなっていると思う。

ヴァイオリン協奏曲 F.A.E.ソナタからスケルツォ ハンガリー舞曲 第1番 第2番 第7番 第9番
vn: パールマン バレンボイム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 p: アシュケナージ

レビュー日:2010.4.29
★★★★★ CD収録漏れ音源が復活しました!
 イツァーク・パールマンのブラームス・プログラム。曲目、共演者、録音データを以下に記す。
(1) ヴァイオリン協奏曲 バレンボイム指揮 ベルリンフィル(ライヴ)1992年録音
(2) F.A.E.ソナタから 「スケルツォ」 p: アシュケナージ 1983年録音
(3) ハンガリー舞曲 第1番 第2番 第7番 第9番 p: アシュケナージ 1983年録音
 実は、私にとってヴァイオリン協奏曲よりもアシュケナージと録音した室内楽の方がメインである。パールマンはアシュケナージとブラームスのヴァイオリンソナタ全集を録音していて、当時LP2枚組となることもあって、その最後の面に(2)(3)が収録されていた。しかし、この名演がCD化されるにあたって、3つのヴァイオリンソナタが1枚のディスクに収められることになり、収録時間の関係から上記(2)(3)は割愛されてしまったのである。これを惜しく思っていたのは私だけではないだろう。
 それなので、このような再編集ディスクで、再びこれらの録音が蘇ることがうれしい。(2)は1853年にドイツの作曲家であるロベルト・シューマンが友人のアルベルト・ディートリヒ(Albert Dietrich 1829-1908)とヨハネス・ブラームスとともにヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim)のために作曲した合作ヴァイオリンソナタのうち、ブラームスが担当したスケルツォ楽章である。アシュケナージとパールマンによる輝かしい音色が見事で、できればシューマン、ディートリヒが担当した他楽章も聴きたいと思わせてくれる豊かな演奏となっている。
 ハンガリー舞曲も良い。パールマンの太く明るい音色と、アシュケナージの詩情と情熱の精度の高いバランスを保ったピアノがよくマッチしていて、たいへん心地よいリズミカルな演奏となっている。決め所でのパールマンの達者な技巧も聴き手の気持ちをぐっと掴んでくれる。
 バレンボイムとの録音はライヴである。指揮者バレンボイムは、ピアニストとしても時々そういうところがあるけれど、かなり大仰な音楽をやりたいという部分があり、このブラームスも良くも悪くもその面が出ている。オーケストラの音色が華やかに広がるのだが、その拡散の過程で若干混濁するようなところがある。こういうところをもっと集中して引き締めてくれたなら・・と私などは思ってしまうのだけど、どうだろうか?EMIの録音の分解能の低さも一因かもしれない。しかしパールマンの音色は明朗で美しく、カデンツァや第2楽章の旋律など、聴き所は多い。

ブラームス ヴァイオリン協奏曲  C.シューマン ピアノとヴァイオリンのための3つのロマンス
vn: バティアシュヴィリ ティーレマン指揮 ドレスデン・シュターツカペレ p: アリス=紗良・オット

レビュー日:2013.6.14
★★★★★ バティアシュヴィリの“粘り”と“キレ”の技を堪能
 グルジア出身のヴァイオリニスト、リサ・バティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-)の2012年録音のアルバム。収録曲は以下の2曲。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ヴァイオリン協奏曲ニ長調
2) クララ・シューマン(Clara Schumann 1819-1896) ピアノとヴァイオリンのための3つのロマンス
 1)ではクリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann 1959-)指揮、ドレスデン・シュターツカペレ管弦楽団がバックを務め、2)ではアリス=紗良・オット(Alice-Sara Ott 1988-)がピアノを担当。ブラームスのヴァイオリン協奏曲では珍しいブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)作のカデンツァを採用している。
 バティアシュヴィリというと、2010年録音のショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)ヴァイオリン協奏曲第1番を中心とした意欲的なアルバムがたいへん印象に残っているが、それ以来のドイツ・グラモフォン・レーベルからのリリースということになる。
 このたびの録音を瑞々しい感性を活かした颯爽たる出来栄え。しなやかな弾力を宿しながら、力強く伸びやかに奏でられるヴァイオリンの音色はたいへん魅力的。ブラームスではティーレマンがバックから恰幅の豊かでソフトな音を引き出していて、たいへんゴージャスな雰囲気はあり、その素地があって、バティアシュヴィリの伸びやかで、朗々たるヴァイオリンが鮮烈に存在を示すといった展開。バティアシュヴィリの音を“弾力”の魅力は、特に重音において際立っている。“粘り”と“キレ”の両方の力を縦横に使い分けるテクニックと感性に恐れ入る。この効果があまりにも爽快なので、この楽曲において、印象が軽くなるところもあるのだが、そこに重さまで求めるのは“ないものねだり”になろう。
 2楽章の管弦楽の夢見るような美しい情感も特筆したい。バティアシュヴィリのヴァイオリンとあいまって、一体感に溢れた調和に満ちた美観を湛えている。終楽章も適度な放散が心地よく聴き手の気持ちに呼応する。
 ブゾーニの珍しいカデンツァは面白い。ティンパニや弦楽を伴っっているので、カデンツァらしくない面もあるのだが、慣れると違和感なく響く。このような注目盤で取り上げられて、「陽の目を見た」のは、良い事だろう。
 クララ・シューマンの室内楽は、表面的な美しさのある曲で、気楽に聴ける作品。合計収録時間が50分を切るのは、最近の長時間収録傾向と比較すると寂しいが、十分に一聴の価値ありのディスクとなっているだろう。

ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ハンガリー舞曲集(第1番 第2番 第6番 第11番)  バルトーク ラプソディー 第1番 第2番
vn: カヴァコス シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 p: ナジ

レビュー日:2013.10.9
★★★★★ カヴァコスのソフトな響きを楽しめる一枚
 ギリシアのヴァイオリニスト、レオニダス・カヴァコス(Leonidas Kavakos 1967-)による2013年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ヴァイオリン協奏曲
2) バルトーク(Bartok Bela 1881-1945) ヴァイオリンとピアノのための狂詩曲 第1番、第2番
3) ブラームス ハンガリー舞曲集から 第1番、第2番、第6番、第11番
 1)はリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮ゲヴァントハウス管弦楽団、2)と3)はスロバキアのピアニスト、ペーテル・ナジ(Peter Nagy 1964-)との共演。
 ブラームスのヴァイオリン協奏曲については、当盤とほぼ同時にシャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団によるブラームスの交響曲全集がリリースされていて、そちらでシャイーは究めて特徴的な快速演奏を提示していたことから、当盤を聴く前に「あるいはこちらも同様の傾向か?」と思ったのだが、それはまったく違っていて、むしろシャイーが2008年にレーピン(Vadim Repin 1971-)と録音した同曲より、ややゆったりしているぐらい。なので交響曲とはまた別の趣向(というより、独奏者が主なのだろう)による演奏と思われる。カデンツァは、もっとも一般的なヨアヒム(Joseph Joachim 1831-1907)のものを使用。ちなみにハンガリー舞曲を「ヴァイオリンとピアノ版」に編曲したあのが、そのヨアヒムである。
 カヴァコスのヴァイオリンの特徴は、何と言っても、その耳あたりの柔らかさにあると思う。これは、低音に適度な伸びがある一方で、高音の減衰がスムーズなことによってもたらされる効果で、そこには奏法とともに、当然の事ながら使用している楽器の効果も含まれる。
 その結果、カヴァアコスのヴァイオリンの音色は「澄んだ音色」と形容しやすい印象を受ける。このブラームスにおいても、彼の演奏はパワータイプではなく、特性を活かした明るい伸びやかなものとなっている。シャイーの指揮も、そんなカヴァコスの特徴を大事にしたもので、十分な音の間合いを計り、肌理の細かさに配慮した音づくりとなっている。そのため、抒情的箇所においてはヴァイオリンのカンタービレが堪能されるし、ダイナミックな場面では、求心的な迫力よりも、俯瞰的なバランスが優先される。第2楽章の瑞々しい美しさや、第3楽章のしなやかな弾力は、そういった効果の総体的な印象だろう。
 バルトークのラプソディーが収録されている。どういう意図の組み合わせなのかはわからないが、ブラームスのハンガリー舞曲と同様に、民俗的な主題をモチーフにした作品なので、共通項があると言えばある。ここではナジのほのかに甘いピアノの響きにより、カヴァコスらしいソフトな音色が堪能できる。狂詩曲第2番の後半部(トラック7)における、柔らかなピチカートとボウイングの交錯は、実に楽しい。
 ハンガリー舞曲も洗練を感じさせる表現。全体的に「明朗な聴き易さ」が魅力のアルバムとなっています。

ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンとチェロの為の協奏曲
vn: レーピン vc: モルク シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2013.9.9
★★★★★ レーピンの高い技術と豊かな音量が実感できる録音
 ヴァディム・レーピン(Vadim Repin 1971-)のヴァイオリン、リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏で、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ヴァイオリン協奏曲」と「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」を収録。チェロは、トルルス・モルク(Truls Mork 1961-)。2008年の録音。
 レーピンというヴァイオリニストは、「現代最高」と称されることもあるが、それほど録音活動に積極的でないこともあり、日本での認識は、そこまでのレベルではないように思われる。しかし、実力は疑うべくもなく、特に、輝かしい張りのある重音を、連続して次々と繰り出されるようなところの演奏効果は、天下一品といった感じで、重さ、バランスを失わず、ほとんど聴き手にその至難さへの準備さえ感じさせずにこなしてしまう。大変なテクニックであり、パワーである。しかも、大味というわけではなく、細部の練り込まれた表現も存分にある。
 このブラームスでも張りのある、そして音量の大きい響きで、たいへんまっすぐなロマンティシズムを湛えた演奏となっていると思う。ソノリティ自体は若干硬めで、冒頭の登場シーンなど、例えばバティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-)と比べると、ややソリッドで攻撃的に感じる。そういった点でソフトな洗練とは一線を画した趣が強いが、その強靭さがレーピンというヴァイオリニストの武器であり、魅力である。
 シャイー指揮によるオーケストラは、弦楽器陣がややドライな響きの印象もあるが、ところどころで管楽器の個性的とも言える響きがアクセントになっている。第2楽章冒頭のオーボエの息の長い旋律は、瑞々しい美観を湛えて印象的。これに導かれて独奏ヴァイオリンが瞑想的に立ち現われるところなど、絶好の聴きどころだ。テンポは古典的な中庸を守っていて、一般的といっていい範囲。なお、第1楽章のカデンツァは、一般的なヨアヒム(Joseph Joachim 1831-1907)のものではなく、ハイフェッツ(Jascha Heifetzas 1901-1987)のものを使用している。
 モルクが加わっての「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」は、ヴァイオリン協奏曲に比べると、ややソフトな音色を用いた表現にシフトしていて、こちらの方がいいという人もいるだろう。第2楽章の耽美的なニュアンスが特に良いと思う。終楽章は少し荒々しい気風も覗かせる。
 全般に、ロシア・ロマンティシズムを感じさせる野太いブラームスになっているおり、聴き応えのある内容だと思う。

ヴァイオリン協奏曲(ラツィック編 ピアノ版) 2つのラプソディ スケルツォ
p: ラツィック スパーノ指揮 アトランタ交響楽団

レビュー日:2018.6.5
★★★★★ クロアチアの奇才・ラツィックが世に生み出した、ブラームスの「ピアノ協奏曲 第3番」
 クラシック音楽の音源収集を長く続けていると、時々タイトルを見ただけで「なんじゃこりゃ」となってしまうものに出くわす。当盤はその典型で、なんとブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ピアノ協奏曲 第3番」と銘打ってあるではないか。ご存知の通り、ブラームスのピアノ協奏曲は2曲限り。「第3番」なんて、そもそもこの世に存在しない。
 まあ、このディスクが発売されて、すでに8年が経過しているわけですから、いまさらそこから記載するのもなんですが、この「ピアノ協奏曲 第3番」を誕生させた仕掛人は、クロアチアのピアニスト、デヤン・ラツィック(Dejan Lazic 1977-)です。ラツィックは、バッハやベートーヴェンが自身のヴァイオリン協奏曲をアレンジして鍵盤楽器の協奏曲のスコアを書いたことに触発され、同じことをブラームスのヴァイオリン協奏曲に試みよう、と思い立ったのです。以来2003年から5年間かけて「編曲」を行い、その成果が、ここに収録された作品となるわけです。
 というわけで、あらためて当盤の収録内容を記します。
1) ブラームス(ラツッィク編) ピアノ協奏曲 第3番 ニ長調 (原曲:ヴァイオリン協奏曲 op.77)
2) ブラームス 2つのラプソディ(ロ短調、ト短調) op.79
3) ブラームス スケルツォ 変ホ短調 op.4
 ピアノ独奏は前述のラツィック、協奏曲のオーケストラは、ロバート・スパーノ(Robert Spano 1961-)指揮、アトランタ交響楽団。録音は2009年。協奏曲がライヴ録音、併録されている独奏曲はスタジオ録音となっている。
 ラツィックの編曲はオーケストラ・スコアに対しては行われておらず、ひたすら独奏パートのトレースによって達成されている。それにしても、長年の蓄積というのは恐ろしいものだ。何回も聴いてきた曲だけに、わたしは最初にこのCDを鳴らした時、なかなか重みのあるオーケストラの導入に聴き入ってしまい、あの劇的なヴァイオリンの導入部では、すっかりヴァイオリンの音を期待してしまっていたものだから、ピアノがここで登場したとき。一瞬、何が起ったのかと面食らってしまった。たいへん、申し訳ない。そうだった、ピアノ版だった。気を取り直して聴きなおした(笑)。
 なかなかよく出来ている。確かに導入部の違和感はあるが、全般にピアノという楽器の能力に応じた和声表現を充実させ、力強い属音の響く帰結は新しい存在感を導いているし、ブラームスの他の2つの名ピアノ協奏曲を彷彿とさせる。独奏楽器の響きが肥厚することによって、オーケストラに与えられた機能との重複が心配されたが、ハーモニーは決してメロディを台無しにすることはなく、むしろ新しい感興を引き起こしてくれる。ヴァイオリンの効果を踏襲したアルペッジョの使用の繰り返しや、あるいは左手パートの機能の薄さを指摘することはできるが、全体としては、それは些末なことといって良く、第2楽章の詩情や、第3楽章の熱血も、新たに加わった力を感じるのである。ラツィックの編曲、なかなかどうして見事なものだ。最終的に、議論に残るのは、この編曲の芸術的正当性ということかもしれないが、私個人のスタンスとしては、このような取り組みは歓迎したい。
 併録されたソロ曲は、スタジオ録音にしてはエネルギッシュで、ところどころ精緻さを欠く印象も残すが、ラツィックらしい勢いのある演奏とも言える。ただ、ラプソディに関しては、ラツィックがみせる速度への俊敏な反応をすこし控えて、重さの表現をもっと取り入れた方が、私にはこの曲らしいように思う。
 とはいえ、当盤のあきらかなメインディッシュである協奏曲は、存分に面白く、私はたいへん楽しませていただけました。たいへん満足した1枚です。


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室内楽

ブラームス ピアノ五重奏曲  シューマン ピアノ五重奏曲
p: アンスネス アルテミス四重奏団

レビュー日:2008.2.9
★★★★★ 爽快なシューマンとブラームス
 アンスネスとアルテミス四重奏団によるシューマンとブラームスのピアノ五重奏曲。注目の顔合わせによる録音と言っていいだろう。録音は2006年。
 ピアノと弦楽の室内楽というのはなかなかアプローチの難しいジャンルだと思う。演奏によっては複数の弦楽とピアノの位置関係がなかなかしっくりこないところがある。加えてブラームスのこのジャンルの作品は比較的人気があると思うけれど、私には少々苦手なところがあって、この楽器編成でぐっと甘みのある重い音色を響かせるのだけれど、これを熱っぽく演奏されるとどうにも「もたれ感」を感じてしまうのです。もちろん、これは私のフィーリングなので、「そこがいいところじゃないか」と言われればそれまでなのですが。というわけでこの感じを解消してくれる演奏にどうしても食指が伸びる傾向があります。
 そんな私にとって、この清清しい演奏は、曲の弱点(勝手に弱点呼ばわりしてすいません・・)を補ってくれる心地よい演奏。アンスネスの突き通るようなスマートなタッチに、軽やかな弦楽合奏が重なり、とても風通しのよいブラームスになっている。第2楽章のしなやかな美しさもこの演奏の美点となっている。
 シューマンの曲も熱っぽいのだが、こちらは私も元来素直に楽しめる名曲で、旋律と伴奏の間合いが的確で、室内楽らしい備えのある曲だと思う。もちろん、こちらでも彼らの適性は活きていて、ピアニスティックなピアノとソフトで洗練された弦楽のニュアンスが瑞々しい。私のすきなプレスラー&エマーソン盤やヴラダー&アルティス盤に近い演奏と思う。いずれにしてもこれらの曲で発揮された若々しさを感じる感性は、なかなか相応しいと思った。

ピアノ五重奏曲 クラリネット三重奏曲
p: アシュケナージ クリーヴランド管弦楽四重奏団 cl: コーエン

レビュー日:2016.3.3
★★★★★ アシュケナージが楽団員たちと共演した暖かさの伝わる室内楽録音
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、1988年から1994年まで主席客演指揮者を務めたクリーヴランド管弦楽団の当時の首席奏者たちと、1989年に録音したブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の室内楽曲集。以下の2曲が収録されている。
1) クラリネット三重奏曲 イ短調 op.114
  クラリネット: フランクリン・コーエン(Franklin Cohen 1943-)
  チェロ: スティーヴン・ゲバー(Stephen Geber 1942-)
2) ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34
  ヴァイオリン: ダニエル・マジェスケ(Daniel Majeske 1932-1993)
  ヴァイオリン: バーナード・ゴールドシュミット(Bernard Goldschmidt 1925-1994)
  ヴィオラ: ロバート・ヴァーノン(Robert Vernon 1949-)
  チェロ: スティーヴン・ゲバー
 いずれの奏者も、当時のクリーヴランド管弦楽団の首席奏者というだけでなく、ソリストとしても活躍した芸術家たちである。
 当盤が録音された1989年という年は、ソ連の政治改革の余波で、アシュケナージが26年ぶりに帰国を実現した年であった。それで、当録音がリリースされた当初、自分が指揮をするオーケストラの団員と、室内楽を録音するというスタンス自体に、アシュケナージの心象を表すものがある、という記事を見た記憶がある。
 なるほど、そういう視点もあるのか、と思う。それと別に、ここに示された演奏は、アシュケナージが中心となったにふさわしい純音楽としての価値を示したものでもあろう。
 私は、元来ブラームスの作品の中で、一連の“ピアノ○重奏曲”と銘打たれた作品群に苦手意識を持ってきた。ブラームスが注ぎ込んだ熱意が、これらの編成にとどまらない血気を孕み、重厚さを求めてさまようところに、アンバランスな不安を感じたからである。しかし、自分の肌合いに添う演奏とであって、曲への印象を変えることがある。私の場合、ピアノ五重奏曲との「改めての出会い」は、このアシュケナージ盤によって果たされた。
 豊かな音色による甘美さを伴いながら、バランスよく構築された構成感。それは、均一なテンポを基本とした心地よい推進性の維持と、暖かい表情付けによってもたらされる。第2楽章の透明な、第3楽章のトリオに込められたさり気なくも深いニュアンスは、この演奏の性格を象徴的に示すものだろう。後半になるほど絢爛たるロマン派の濃厚さを増す楽曲であるが、終楽章も運動的な快活さにあふれてまとめられているのが心地よい。
 クラリネット三重奏曲も見事な演奏で、ここではコーエンのいかにも思慮を感じさせるクラリネットの節回しが美しいが、これに呼応するチェロ、それらを支え、時に雄弁に前面にたつピアノが、私にはとてもこの曲らしく響いていると感じられる。もちろん、もっと回顧的で、耽美的な演奏もこの曲には良いのだけれど、アシュケナージらの明晰なスタイルも、とても魅力的で、音楽的なものに違いない。

ピアノ五重奏曲 弦楽四重奏曲 第2番
タカーチ四重奏団 p: ハフ

レビュー日:2018.1.10
★★★★★ 内省と外向の巧みなバランスで豊かに奏でられたブラームス
 タカーチ四重奏団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2つの室内楽を収録したアルバム。
1) ピアノ五重奏曲 へ短調 op.34
2) 弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.51-2
 1)のピアノはスティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)。2007年の録音時の四重奏団のメンバーは以下の通り。
 エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第1ヴァイオリン
 カーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-) 第2ヴァイオリン
 ジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-) ヴィオラ
 アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) チェロ
 タカーチ四重奏団が、内省的な表現と外向的な表現の双方において、卓越した手腕をふるった名演と言って良い。また、ハフの室内楽奏者としての見事さも明瞭に示されている。
 タカーチ四重奏団は、これらの楽曲の熱的要素を表現するに際して、過度に刺々しいアクションとなることを十分に警戒し、アコースティックで柔らか味のあるサウンドに軸を置き、非常に深みのあるサウンドを構築している。
 ピアノ五重奏曲では、ハフの軽いペダリングを用いた円熟を感じさせるタッチが巧妙なアンサンブルを演出しており、第2楽章の透明なテクスチュア、第3楽章の運動美の心地よさがともにこの演奏の特徴をよく表している。この楽曲では、第1楽章の濃厚な情感とともに、終楽章の規模の大きい複層的なアレグロを以下に処理するかが、聴いた後の充足感に大きく作用すると思うが、その点でも当盤の内容は申し分ない。終楽章の5つの楽器の緊密なやり取りの積み重ねは、この楽章が伝えたいことの大部分を聴き手に届けるだけのものになっていて、聴いていて、様々に情緒をゆすぶられるのである。いかにも、ブラームスを聴いたという手応えがあるのが嬉しい。
 弦楽四重奏曲第2番も名演で、特に第1楽章の第2主題の深い憂いと、どこか不思議さを湛えた扱いが忘れがたい。第2楽章と第3楽章は、他の録音と比較して活気に富んだ印象があり、やや表情を抑えた甘美さも、全体のバランスを考えた周到さを感じさせるものとなっている。そして終楽章のロンドでは、健やかな音楽の広がりがこの楽曲に相応しい裾野を感じさせる。
 ブラームスの作品の中で、弦楽四重奏曲第2番は、重要な作品とは言えないが、しかし、このような良い演奏で聴くと、ロマン派ならではの諸相を存分に含む一遍であることがわかる。当盤は、有名曲であるピアノ五重奏曲の名演を楽しむとともに、弦楽四重奏曲第2番の魅力に気づかせてくれる録音と言うことが出来る。

ピアノ五重奏曲 弦楽五重奏曲 第2番
パヴェル・ハース四重奏団  p: ギルトブルク va: ニクル

レビュー日:2022.6.2
★★★★★ またしてもパヴェル・ハース四重奏団が、名盤を世に送り出す
 パヴェル・ハース四重奏団による、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2作品を収録したアルバム。
1) ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34
2) 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111
 1)におけるピアノ独奏はボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)、2)では、パヴェル・ハース四重奏団結成時のメンバーだったパヴェル・ニクル(Pavel Nikl)が、第2ヴィオラとして加わる。
 録音時のパヴェル・ハース四重奏団のメンバーは下記の通り。
 第1ヴァイオリン: ヴェロニカ・ヤルツコヴァ(Veronika Jaruskova)
 第2ヴァイオリン: マレク・ツヴァイベル(Marek Zwiebel)
 ヴィオラ: ルオシャ・ファン(Luosha Fang)
 チェロ: ペテル・ヤルシェク(Peter Jarusek)
 2021年の録音。
 「世界最高」というキーワードは、主観的で、多様な価値軸を含むものの評価に適さないが、個人的に、パヴェル・ハース四重奏団は、現在、世界最高の四重奏団と言って良いのではないか、と思う。それくらい、リリースされる録音一つ一つが素晴らしい。最近では、ヴィオラ奏者がラディム・セドミドブスキ(Radim Sedmidubsky)から、2018年の東京国際ヴィオラコンクールで第1位となった中国のヴィオラ奏者、ルオシャ・ファンに交代したが、その完成度の高い研ぎ澄まされたサウンドは、まったく変わらない。
 ところで、当アルバムの構成を見ていると、2017年に彼らが録音したドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の作品集と似通っていることに気づく。そちらも、ピアノ五重奏曲と弦楽五重奏曲を組み合わせたアルバムで、ピアノはギルトブルク、第2ヴィオラはパヴェル・ニクルが担当していた。そのアルバムも素晴らしい成功を感じさせるもので、再び、同じソリストを迎えての録音は、必然性を感じさせるものであるとともに、期待に違わぬ成果をあげている。
 ブラームスのピアノ五重奏曲は、ピアノと弦のバランスと言う点で、難しさを内包した楽曲だと思うけれど、この演奏の両者の融合度の高さ、それでいて燃焼性の高いスリリングなサウンドは、聴いていてゾクゾクするような興奮を味わわせてくれる。ともすれば表層的になりがちなフレーズであっても、じっくりとブレンドされた楽器の響きは、アンサンブルの本質を感じさせるような深みを持ち、つねに滋味豊か。全体的には速めのテンポで、シャープに推移するが、旋律のもつ美観を存分に引き出し、潤いにみちたものともなっている。第2楽章の鬱な情感、第3楽章の激しいリズムも聴きどころだか、何といってもシンフォニックでありながら、キリリと引き締まった両端楽章に、この演奏の魅力は象徴されているだろう。
 弦楽五重奏曲第2番は、私は当演奏を聴くまで、正直、こんなにいい曲だと思わなかった。第1楽章冒頭、他の楽器を背景にチェロか奏でる旋律の勇壮にして幅広な様は、偉大な山容をほこる山並みの絶景を思わせるように、気宇壮大だ。それにしても、アンジュレーションに応じた全体の柔軟な変化は素晴らししく、それはこまやかでありながらキレがあり、それでいて自然な連続性を保ち、音楽的な齟齬を常に高い次元でかみ合わせている。第2楽章の抒情性の発露も、品をたもちながら、深いきれこみがあって、聴き手に迫る力がケタ違いと言って良い。
 これほどの名演は、そうあるまい、と実感させられる名録音だと思う。

弦楽五重奏曲 第1番 第2番
タカーチ四重奏団 va: パワー

レビュー日:2018.1.11
★★★★★ 完成された芸術を感じさせるタカーチとパワーによる充実の弦楽五重奏曲
 現代を代表する弦楽四重奏団であるタカーチ四重奏団に、これまた世界的なヴィオラ奏者、ローレンス・パワー(Lawrence Power 1977-)が加わっての、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2曲の弦楽五重奏曲が収録されたアルバム。
1) 弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 op.88
2) 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111
 2013年の録音。ちなみに録音時のタカーチ四重奏団のメンバーは、以下の通り。
 エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第1ヴァイオリン
 カーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-) 第2ヴァイオリン
 ジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-) ヴィオラ
 アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) チェロ
 ブラームスが書いた2曲の弦楽五重奏曲は、円熟期から後期にかけて書かれたものであるが、現在それほど聴かれる機会が多いとは言えないだろう。しかし、ブラームスは作曲当時、これらの作品にたいへんな自信を持っていたようで、第1番の出版に際しては、いつも自作にネガティヴな評価を下すブラームスが、「かつて私の書いた音楽に、このように美しいものはなかったでしょう」とコメントしたほどである。また、第2番については、現在では「傑作」と評されることも多くなってきたが、音楽フアンに相応に支持されているとは言い難いと思う。
 そんな2曲の「本来の魅力」に気づかせてくれる強力な録音が当盤である。もちろん、それは聴き手の個人差もあるのであるが、少なくとも私の場合、当録音に接することで、これらの楽曲の美しさに一層深く接することができたという実感が強い。もちろん、他にも優秀な録音があって、私がそれらを未聴なこともあるのだろうけれど、タカーチとパワーの演奏はとてもしっくり行く演奏に感じられる。
 例えば、第1番の第1楽章の冒頭部、最初のチェロのフレーズをヴァイオリンのメロディーが消さず、かつ全体的な推進力が脈々と維持される圧を持っていると言う点で、当演奏のすぐれたバランスは、早くも明らかになっている。パワーの輝かしいヴィオラにもスポットライトの当たる場面が用意されているので、この楽章は、そういった意味でもとても楽しめる。緩徐楽章は2つの主題がともに変奏を経て音楽を進めていくが、アンサンブルの妙技が冴え、情緒が深い。この第2楽章の美しさをもって、私は当録音が名演であることを確信するに至った。
 第2番は、特に終楽章の主題がどことなくドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)を彷彿とさせるような平明さであるが、その音響構成はブラームスらしい嗜好が凝らされていし、聴いてみるとブラームスの晩年の作品特有の色彩の濃淡がある。第1楽章には長い序奏部が置かれ、そこで各楽器は様々な役割を与えられているが、タカーチとパワーは、明朗でありながら、力強い推進性に満ちたアンサンブルを響かせる。この曲ではフェイェールのチェロのパッセージの鮮やかさが特に見事である。第3楽章の幽玄な雰囲気を経て、終楽章では、平明な旋律でありながら、シンフォニックな広がりをもった響きで、ブラームスが極めた書法が描きつくされる観があるが、5人の奏者の闊達な弾きぶりは、音響をこの上なく充実させ、見事な帰結をたどる。
 これら2曲の美しさを高いレベルで体現した芸術表現として、完成を感じさせる。

ピアノ四重奏曲 第1番 第3番
p: ネボルシン vn: バラホフスキー va: ゼムツォフ vc: シュミット

レビュー日:2017.9.7
★★★★★ とても優れた演奏。楽曲の魅力をいっぱいに伝えてくれます
 一つの録音との出会いによって、今までよくわからなかった楽曲の魅力が、一気に伝わってくることを経験することがある。私にとって、当盤はそのようなアルバム。ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2つの室内楽曲を収録したもの。
1) ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 op.25
2) ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 op.60
 ピアノ: エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)
 ヴァイオリン: アントン・バラホフスキー(Anton Barakhovsky 1973-)
 ヴィオラ: アレクサンドル・ゼムツォフ(Alexander Zemtsov 1978-)
 チェロ: ヴォルフガンク・エマヌエル・シュミット(Wolfgang Emanuel Schmidt 1971-)
 2012年の録音。
 私はブラームスのピアノと複数の弦楽器から構成された室内楽にそれまで苦手意識のようなものがあり、聴いていてどうしても気持ちの逸れるところがあった。熱っぽい響きで滔々と語られる浪漫性、そこにある甘美と渋み。そう言った「要素」を理解できても、全曲としてのそれらの収束感、おさまりといったところに、どうしてもすわりの悪さを感じていた。それで、ピアノ四重奏曲第1番に関しては、むしろシェーンベルク(Arnold Schonberg 1874-1951)が編曲した管弦楽版の方が「しっくり行く」感じであり、「ブラームス第5の交響曲」といったイメージで聴くことを楽しんでいた。
 しかし、当盤を聴いて、私はいろいろ得心が行った。なるほど、これはこういう曲だったのか、と。なんといっても透明な肌合いで、繊細に表現された細やかさが魅力である。熱っぽくうなされるようなところは抑えられているが、そのことは、楽曲になんら不利益になっておらず、むしろシェーンベルクが強い感心をしめしたような精緻な仕組みがよくわかるのである。第1番は第1楽章の中間部で弱音の弦が交錯するニュアンスがことのほか美しいし、微妙に調性とからの自由な音色のニュアンスが深い。第2楽章の弱音の意味深な情感も見事だし、第3楽章の後期作品を彷彿とされる清澄さも忘れがたい。そしてジプシー風ロンドと称される第4楽章では、全奏者の技巧の卓越で、スリリングな味わいが存分に堪能できる。ピアノと低弦の素早いパッセージの正確な応酬は白眉と言っても良い。
 第3番は、作品番号は大きいが、いったんは第1番より先に完成され、のちに改訂されたもの。悲劇的なで沈鬱な冒頭が印象的であるが、その雰囲気は全曲を覆うというわけでもなく、浪漫的。私は、以前この曲に、そのような散漫さを感じ、どこに中心があるかわからないような、とっつき難いイメージを持っていた。しかし、それも当盤を聴くと、とてもすっきりした。中間2楽章は、ピアノ協奏曲第2番に似た働きがあって、その両端に悲劇的な音楽があるが、その最後は栄光が逆転し、全てを覆す。ブラームスがこの楽曲に、交響曲的な命題を与えたことが、当盤の見通しの良い響き、スキのないテンポと洗練された細部の表現によって、ついにわかったように思うのである。
 もちろん、音楽芸術は抽象的な価値があるもので、伝え手である演奏者によっても、受け取る側の感情や興味によっても、聴いた時の感想は異なってくる。しかし、細部まで克明に仕上げられ、音量、音圧も豊かで、スタイリッシュにまとめられた当演奏は、それだけでも絶対的に高い価値を持っているに違いない。そして、当盤と出会って、私の中では、これらの曲が、初めて深いところまで伝わった感触がある。というわけで、是非とも推奨したい1枚です。

ブラームス ピアノ四重奏曲 第2番  マーラー ピアノ四重奏曲
p: ネボルシン vn: バラホフスキー va: ゼムツォフ vc: シュミット

レビュー日:2017.9.8
★★★★★ 当該曲を代表する録音と言えるでしょう。
 ロマン派を象徴する以下の2曲のピアノ四重奏曲を収録したアルバム。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ピアノ四重奏曲 第2番 イ長調 op.26
2) マーラー(Gustav Mahler 1860-1911) ピアノ四重奏曲 イ短調
 演奏は、
 ピアノ: エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)
 ヴァイオリン: アントン・バラホフスキー(Anton Barakhovsky 1973-)
 ヴィオラ: アレクサンドル・ゼムツォフ(Alexander Zemtsov 1978-)
 チェロ: ヴォルフガンク・エマヌエル・シュミット(Wolfgang Emanuel Schmidt 1971-)
 2012年の録音。
 同じ顔合わせで、同時にブラームスの第1番と第3番が録音されており(8572798)、当盤と併せて、ブラームスの全部のピアノ四重奏曲を聴くことができる。
 第1番、第3番も素晴らしい内容だったが、当盤ももちろん良い。ブラームスのピアノ四重奏曲第2番は、ブラームスがこのジャンルで書いた作品の中では、唯一明るい楽想が主となったもの。4つの楽章からなるが、一つ一つの楽章の規模が大きく、当盤ではスケルツォのテンポがややゆったり目であることも手伝って、全部の楽章が演奏時間10分を越えている。その聴き味は、交響曲にも通じ、特に16分に及ぶ第1楽章は、交響曲第2番と性格的な親近性も感じさせる。
 ネボルシンの室内楽奏者としての適性の高さも特筆もので、例えば第2楽章の弦の弱奏に添えられるピアニスティックな効果の美しさなど絶品である。
 第1楽章は全体としては暖かい楽想の中で、様々なニュアンスの交錯があるが、過剰さを排しながらも、情緒に不足することはなく、精妙で引き締まった響きに満ちている。第3楽章の周到に考えられた通常より落ち着いたテンポを経て、終楽章のハンガリー的メロディによる熱血に至る起伏も鮮やか。それぞれの楽器の響きには透明感があり、歌も厚ぼったくならず、とてもフレッシュな心地よさに満ちている。
 マーラーのピアノ四重奏曲は、作曲者16歳の時に書かれたもの。一つの楽章だけ(未完か、単一楽章作品かは不明)で、演奏時間11分である。この作品は、マーラーの死後、マーラーの妻であったアルマ(Alma Mahler 1879-1964)によってスコアが発見されたもの。古典的な響きの中で、悲しい情感の漂う佳作で、16歳の作品と考えると驚くほかない完成度である。マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese 1942-)が2010年に作製した映画「シャッター・アイランド」で、この作品が使われたことは、ちょっと話題になった。若書きゆえの単調さはあるが、楽しめる作品であると思う。
 こちらもブラームス同様、当盤には、精緻に陰影と情感を表現した演奏が収められている。楽曲のスタイルや性向を考えると、ブラームス作品との組み合わせはいかにも適切といった感じであり、アルバムの企画としても成功しているだろう。

ピアノ三重奏曲全集(第1番 第2番 第3番 イ長調(遺作))
p: アシュケナージ vn: パールマン vc: ハレル

レビュー日:2008.3.8
★★★★☆ 魅力的なブラームスですが、録音が良くないです
 ブラームスはピアノ三重奏曲を4曲書いているが、そのうち番号が付いているのは3曲だけで、残りの1曲は20世紀になってから発見された遺作である。遺作とはいっても4楽章すべてが完成されており、大きな規模を持ったものだ。
 本盤は遺作も含めた全4曲を収録した「全集」だ。ピアノはアシュケナージ、ヴァイオリンはパールマン、チェロはハレル。録音は1991年。この3人はベートーヴェンやチャイコフスキーも録音しているし、パールマンとアシュケナージはブラームスのヴァイオリンソナタを、ハレルとアシュケナージはブラームスのチェロソナタを録音しているから、この全集も必然のように彼らのレパートリーに加わったのだと思う。
 ブラームスの室内楽は日本では評価が高いが、なかなか難しい面を残していると思う。とくにこれらのピアノ三重奏曲はともすれば「騒がしい」楽曲となりかねない。かといって渋く内省的に演奏しても面白みに欠ける。
 ここでは3人の個性が良い方に作用していると感じた。私が聴いた印象は「まるでチェロの伴奏付の“ヴァイオリンソナタ”だな」というところ。つまりアシュケナージはいつものように絶妙のバランス感覚で音楽のありようを的確に見出している。一方でパールマンは明朗に音楽を奏で、実に立派で開放的な音色である。そしてハレルのチェロはそれらを支えるように彩りを与えている。その結果楽器の重複による騒々しさがなくなり、ちょっとした小編成の協奏曲でも聴いているようなのだ。これがブラームスにはしっくりいく。
 楽曲としてもっとも有名なのはたっぷりと憂いを含んだメロディーが印象的な第1番であるが、他の曲も悪くない。特に緩徐楽章の魅力が大きく、遺作のイ長調も郷愁に満ちた第3楽章がとても印象に残る。
 ただし、EMIの録音は良くない。特にこの時代の録音は悪く、ヴァイオリンの高音部など音が割れ気味である。いくらなんでも91年のデジタル録音なのだから、もう少し何とかしてほしかった。残念。

ブラームス ピアノ三重奏曲 第1番  ベートーヴェン ピアノ三重奏曲 第6番
ドレスデン・トリオ

レビュー日:2014.2.4
★★★★★ 地味ながら堅実な味わいを醸し出すドレスデン・トリオ
 ドイツのヴァイオリニスト、カイ・フォーグラー(Kai Vogler 1962-)と同じくドイツのチェリスト、ペーター・ブルンズ(Peter Bruns 1963-)に、アメリカのピアニスト、ログリット・イシャイ(Roglit Ishay 1965-)が加わって結成された「ドレスデン・トリオ(Dresdner Trio)」による1991年録音のアルバム。国内盤で彼らの録音が発売されたのは、実質的にデビュー盤といえる当盤一枚きり。カタログを探しても、国内で流通した他の輸入盤が見当たらないが、それなりの期間活動していたようだし、海外のみで流通しているものは、あるのかもしれない。いずれにしても「ピアノ・トリオ」という形で、長期間活躍できる楽団が少ない、ということは言えるかもしれない。そうはいっても、このディスクはなかなか聴き味豊かなもので、この楽団の活躍がきちんと評価されていなかったのなら、残念な気がする。収録曲は以下の2曲。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ピアノ三重奏曲 第1番 ロ長調 op.8
2) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ三重奏曲 第6番 変ホ長調 op.70-2
 いずれも4つの楽章を持ち、ピアノ三重奏としては規模の大きい作品。ブラームスの作品は、ロマン派のこのジャンルの名曲の一つで、美しいじっくりとした味わいに満ちた作品。1854年、ブラームス21歳のときに初版が出版されたが、ブラームスは後年、この作品に大きく手入れを行い、実に37年後の1891年に、現在知られる改訂版が出版されている。37年前に自分が作ったものに大きく手を加えるというのは、なかなか一般には考えにくい行為かもしれないが、音楽という世界の特殊性、そして「音楽作品」のあり方を考える好事例かもしれない。若書き的な「奔放な魅力」より、高度な書法による「普遍的な価値」を尊んだものだろう。結果、ブラームスの努力により、より名曲としてのステイタスを高めた「作品」が遺されることとなった。
 なんといっても、情緒をたっぷりと含みながらも、快活さに溢れた第1楽章が素晴らしいが、第2楽章のロ短調で書かれたスケルツォは、この作曲家のスケルツォにおける面白みが表出していて、興味深く聴くところが多い。
 ベートーヴェンの作品は、存在としてはかなり地味な作品だ。作曲時期としては、脂の乗り切った名作を続々と編み出していた「傑作の森」の時期であるにもかかわらず、この作品は、クラシックフアンの間でも、「あの曲」といわれて思い出せる人はめったにいないものだろう。メロディーや動機が古典的で、ベートーヴェンらしい「新しさ」をそれほど感じないため、どこか類型的な感じがする。調和的で、伝統的なパッセージを繰り返すが、メロディー自体の魅力もいま一つ。ただ、中間2楽章が面白く、第2楽章は旋律的な役割を担う長調の動機と、装飾的な役割を担う短調の動機による二重変奏で、この2つのモチーフの交替が不思議な効果を挙げている。また第3楽章は暗いハーモニーを底辺にもつスケルツォで、全曲の中でも異色を放つ感触がある。ロマン派への布石の音楽と言えそうだ。そのような点に注意して聴くと、(傑作とまではいえないが)そこそこ面白く聴けると思う。
 ドレスデン・トリオの演奏は、3つの楽器の融合度が深く、自然な暖かみと、アコースティックな響きに満ち溢れている。ブラームスの冒頭のしっとりと含みをもった主題提示や、全体にほのかに香る高雅さに、彼らの持つ音楽の背景の深さを十分に感じ取れる。その後も、それぞれの楽器が、他の奏者とのハーモニーを精妙に保ちながら、瑞々しい色彩感を湛えた音楽を表現している。主パートを歌う楽器であっても、強引に前面に出るようなことは決してなく、一つ一つのフレーズが親密に受け渡されていくことで、暖かい音楽が紡がれていく。実に心地よい音楽だ。
 2014年現在にあって、彼らのディスクで入手可能なものは、当盤だけのようであるが、忘れずに聴きとめておきたいアルバムだと感じる。

ブラームス ホルン三重奏曲  シューマン アンダンテと変奏 アダージョとアレグロ
p: アシュケナージ hrn: ヴラトコヴィチ vn: マイレ p: ヴォフカ・アシュケナージ vc: G.ドンデラー M.ドンデラー

レビュー日:2015.12.22
★★★★★ アシュケナージの楽才の豊かさを如実に示したホルン付室内楽アルバムの名盤です
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、クロアチアのホルン奏者ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(Radovan Vlatkovic 1962-)と録音したブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)及びシューマン(Robert Alexander Schumann)のホルンとピアノを含む室内楽曲集。1991年の録音。収録曲は以下の通り。
1) ブラームス ホルン三重奏曲 変ホ長調 op.40
2) シューマン アンダンテと変奏曲 変ロ長調 op.46
3) シューマン アダージョとアレグロ 変イ長調 op.70
 1)ではハンス・マイレ(Hans Maile)によるヴァイオリン、2)ではヴォフカ・アシュケナージ(Vovka Ashkenazy 1961-)による第2ピアノと、 ゲオルク・ドンデラー(Georg Donderer)とマチアス・ドンデラー(Mathias Donderer)による2本のチェロが加わる。
 アシュケナージには、これらの曲を1)は1968年に、2)は1964年に、3)は1975年に、いずれもオーストリアの名ホルン奏者バリー・タックウェル(Barry Tuckwell 1931-)と録音していたので、本録音はいずれも2度目の録音ということになる。また、3)については、2007年にナイジェル・ブラック(Nigel Black)とも録音を行っている。
 当録音を聴くと、タックウェルとの名録音の記憶が沸き起こった。とくにホルン三重奏曲は、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)が参加して、フランクのヴァイオリン・ソナタとカップリングされた歴史的名盤で、私はずいぶん聴いたものだ。
 その録音と比較すると、まずひとつ歴然と違うのは、当然のことながら音質の差である。60年代の録音とは比較するまでもない細やかで、鮮明な音像であり、楽器の音色の美しさが一層堪能できる。また、タックウェルやパールマンが、どちらかという華やかで彩鮮やかな演奏を繰り広げたのに対し、当録音は、暖かい奥行きや内面的な優しさを感じさせる演奏であると思った。特にホルンの音色が、不思議な距離感を持って響く感じがあり、そのことが音響的な空間をとても感じさせる。
 この演奏を聴いていると、ホルンの前身楽器が、かつてアルプスの山間で、通信に使用されていたというエピソードを思い出す。この呼応の不思議な間が、巧妙な暖かさと演奏の印象の柔らかさに通じる。この関係に添ったマイレのヴァイオリンも絶妙だ。
 それにしても美しいのはやはりアシュケナージのピアノで、輝く珠が転がる様な響き。しかも音楽的な滋味を豊かに湛えていて、自然に、かつ的確な音楽的語りかけを持って響いてくる。この三者の共演はなかなかに感動的だ。
 しかし、それにもまして私が素晴らしいと感じたのはシューマンの「アンダンテと変奏曲」。2台のピアノ、ホルン、2本のチェロといういっぷう変わった編成でありながら、とても整った響きが醸成される。それは一朝一夕で得られるものではなく、やはり全体をリードするアシュケナージの音楽的含蓄の深さを感じさせずにはおかない。第4変奏のスタッカートの鮮やかな発色の美しいこと!ただ、この曲の場合、ホルンの役割はサポート的なものとなるので、ホルンの音を楽しみたい人には、むしろその次の「アダージョとアレグロ」がいいだろう。シューマンが「ヴァルヴ付きホルン」のために書いた2曲からなる小品だが、それゆえに様々な表情の表出法が練られていて、ホルンという楽器の響きを存分に味わうことが出来る。
 共演者たちの充実、美麗な録音と、文句のつけようのない魅力いっぱいのアルバムだ。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」 第2番 第3番 F.A.E.ソナタ (シューマン、ディートリヒと共作)
vn: デュメイ p: ベロフ

レビュー日:2013.8.12
★★★★★  「雨空」を感じさせてくれる名録音
 フランスのヴァイオリニスト、デュメイ(Augustin Dumay 1949-)と、同じくフランスのピアニスト、ベロフ(Michel Beroff 1950-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のヴァイオリン・ソナタ全集。ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」、第2番、第3番に加えて、F.A.E.ソナタが収録されている。1978年の録音。CD2枚組。
 F.A.E.ソナタは、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)が中心となって3人の作曲家が共作した作品で、アルベルト・ディートリヒ(Albert Dietrich 1829- 1908)が第1楽章、シューマンが第2,第4楽章、ブラームスが第3楽章のスケルツォを書いた。この作品は、3人の共通の友人であったヴァイオリニスト、ヨアヒム(Joseph Joachim 1831-1907)に献呈された。ちなみに「F.A.E.」とはヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」の頭文字をとったもの。
 私はブラームスの室内楽な中では、このヴァイオリン・ソナタ集がいちばん好きで、いろいろな録音を聴いてきた。中で、以前から親しんできた録音の一つが当盤である。ちなみに、デュメイは1991年にピレシュ(Maria Joao Pires 1944-)と、第1番から第3番までの3曲を再録音しているが、私はこちらの旧盤の方が好きである。
 それでは、どのような点が好きなのかというと、私はこれらの曲では輪郭線がある程度明瞭に出ていて、またテンポは基本的にインテンポで進めるのがいいと思っているからである。
 ブラームスのヴァイオリン・ソナタでは、旋律にたいへん憂いのある情感があるため、表情付けをしようとすると、それこそ色んなことができるし、おそらく演奏していると、いろいろなことをやりたいと思うのではないだろうか。ただ、そうやって饒舌に語るブラームスに、私はちょっと違和感を持つのである。これは、奥ゆかしくやれ、といっているわけではない。ニュアンスを多層に盛り込むことで、これらの楽曲の真ん中にある(と思う)孤高のような気配が減じるように感じられるからである。
 それで、デュメイとベロフの演奏は、基本的に直線的な音を使って、陰影をきっちりと描き、淡々と弾き進めることで、いつのまにか、ハッとするほどの奥深い音楽を彷徨っているような気持ちを聴き手に与えてくれる。
 いちばん好きなのがヴァイオリン・ソナタ第3番の第1楽章。途中からタンタンタンタンと一定リズムを刻み続けるピアノに乗って、秘めやかな美しさを湛えた旋律がヴァイオリンによって紡がれていくところ。デュメイとベロフの演奏は、一聴すると即物的な印象を与えるかもしれない。しかし、一見ぶっきらぼうとも思える音色の連続が、いつのまにか驚くほどの清澄さを湛え、憂いが内面からにじみ出るように思えてくるのである。これがブラームスのヴァイオリン・ソナタの本質であるように思えてならない。
 それにしてもブラームスのヴァイオリン・ソナタには雨がよく似合う。第1ソナタは「雨の歌」というタイトルがあり、これは終楽章の美しいメロディの引用元となった歌曲名によるものなのだけれど、この演奏で聴く第3ソナタの第1楽章も、いつ果てるともない雨の情景を描いているように思えてならない。どんよりとした曇り空を思わせてくれるこの演奏がとても良い。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」 第2番 第3番
vn: パールマン p: アシュケナージ

レビュー日:2014.8.5
★★★★★  歴史的名盤
 イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman 1945-)とウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の全3曲のヴァイオリン・ソナタを収録したアルバム。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調「雨の歌」
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調
 1983年の録音。
 EMIレーベルによる“Great Recordings”と銘打っての復刻シリーズだが、その名に恥じない素晴らしい名演である。
 私は、ずいぶん長い事クラシック音楽を聴き続けて、その際、レコード芸術誌をはじめとする様々な情報誌などにお世話になったのだが、今現在、はっきりと言えることが一つある。それは「日本の批評家はあまりアテにはならない」ということである。
 つまり、何かを参考にしたいなら、海外の、特に米英独仏の批評を知った方が良い。少なくとも私にとっては、そのことがはるかに有用で有益だった。これは、日本における音楽文化の歴史の浅さという背景ももちろんあるけれど、批評の対象が国内盤中心とならざるをえないこと、日本におけるクラシック音楽の市場規模が小さいため一部批評家の独善的権威が支配的となってしまったことなど、様々な理由が考えられる。
 いきなり、そのようなことを書いたのは、おそらく現在の日本の批評家で、これらの名曲の演奏として、当盤を「推薦する」ような人はあまりいないだろう、という状況が広がっているからである。しかし、私は、この録音が、これらの楽曲において、疑いなく歴史的名盤として、第一に指折っても何ら問題のないものであると思う。
 実際、私はこれらの楽曲でいろいろな名演と呼ばれる録音を聴いてきた。スーク、シュナイダーハン、グリュミオー、クレーメル、デュメイの新旧2種、ヴェンゲーロフ、あるいはパールマン自身がバレンボイムと組んで再録音したものもある。しかし、私はやっぱりこのパールマンとアシュケナージの名演に行きついてしまう。
 ソナタ第3番を聴く。ブラームスの作品においては、編成の小さくなるものほど、包み隠しきれない作曲家の感情というものが表面にあらわれてくる。この第3番は、その感情が、きわめて強い情動を持って奏でられるが、パールマンは、メロディーを響かせながら、感情のアクセントを強く、しかし壊れないギリギリの節度を持って歌わせている。その踏み込みの感覚が素晴らしい。そして、そこにアシュケナージのサポートが加わって、音楽として的確な外形が瞬く間に築き上げられていく。彼らの弾く第3番には、どこか憤怒の色を奥に秘めたような情熱が、きわめて高度にコントロールされた世界が展開しているのだ。この演奏に馴染んだ私には、他のどの演奏も(良いのだけれど)なにか物足りなさを残させてしまうところがある。表面上淡々と美しくという以上に、はるかに深い闇を持った作品なのだ、ということに気付かせてくれる。私は、こういう演奏こそ「歴史的名盤」と呼びたい。
 ソナタ第1番と第2番ももちろん素晴らしい。まったく齟齬の片りんさえ窺えない完璧なデュオだ。ヴァイオリンの細かいポルタメントやレガート、それは時に濃厚で甘美な一瞬の気配をもたらすが、アシュケナージのピアノが沿うように陰影を描くことで、清涼な趣に転換させ、凛々しくその顛末を結ぶ。その短い時間に放たれる様々な味わいの豊かな事。詩的で味わい深い音楽だ。
 この見事な名演が、引き続き復刻されていることを歓迎しつつ、我が国の音楽評論のレベルの向上も、(勝手ながら)願わせていただこう。
 なお、LP初出時に併録されていた「F.A.E.ソナタからスケルツォ」と「ハンガリー舞曲集から第1番、第2番、第7番、第9番」については、EMI7243 5 62598 2に収録されています。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」 第2番 第3番 F.A.E.ソナタ から「スケルツォ」 子守唄
vn: カヴァコス p: ユジャ・ワン

レビュー日:2014.9.4
★★★★☆  冒頭のスケルツォが素晴らしい
 ギリシアのヴァイオリニスト、レオニダス・カヴァコス(Leonidas Kavakos 1967-)と、中国のピアニスト、ユジャ・ワン(Yuja Wang 1987-)によるブラームス・アルバム。2013年の録音。収録曲は以下の通り。
1) 「F.A.E.ソナタ」から スケルツォ
2) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78「雨の歌」
3) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100
4) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 op.108
5) 子守歌
 冒頭にシューマン(Robert Schumann 1810-1856)、ディートリヒ(Albert Dietrich 1829-1908)との共作である「F.A.E.ソナタ」から、ブラームスが担当したスケルツォ楽章を収録し、続いてブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタ、末尾に1分強のヴァイオリンとピアノによる「子守唄」を収録するというサービスの良い内容。
 この2人が共演すると聞いて、意外な印象を持ったのは私だけではないだろう。カヴァコスのヴァイオリンの特徴は、その耳あたりの柔らかさにある。低音に適度な伸びがある一方で、高音の減衰がスムーズなことによってもたらされる「澄んだ音色」と形容しやすい印象によってもたらされるものだ。一方、ワンのピアノは扇情的で攻撃的、極めて積極的に聴き手にアプローチしてくるもので、両者の演奏は「作品と奏者の距離感」という観点で、決定的に異なるものに感じられる。
 その一方で、ブラームスの作品は、内省的なものと外向的なものが様々に混交するところがあるので、そういった意味で、この奏者と楽曲の組み合わせは面白そう、というのが聴く前の私のイメージ。
 しかし、聴いてみると、思ったほど濃厚な音楽とはなっておらず、それというのも、ワンのピアノがかなり引いた印象の部分が多いからである。これは彼女なりに、ソロと室内楽における「使い分け」を吟味した結果に思える。
 私が良いと感じたのは以下の箇所。まず冒頭のF.A.E.ソナタのスケルツォ。結果から言うとこれがいちばん良かった。楽曲の性急な要素を究め、闊達なピアノのもと、直線的に進むヴァイオリンは爽快な切れ味。周囲を巻き込むようなスピード感で末尾まで突き進む。クールな情熱を存分に湛えた快演奏だ。次いでソナタ第1番の第2楽章。ここではカヴァコスの引き出す重音の美しさ、ニュアンスに富んだ瑞々しい表現が絶好で、ワンの引き出す色鮮やかなピアニシモとともに、彩色の限りを尽くしたカラフルさが楽しい。同様に、ソナタ第2番の第2楽章もカヴァコスのピチカートの絶妙の強弱が大切に奏でられた価値ある美観を演出している。ワンのピアノも軽妙なタッチ。
 他方で、もう一つに感じられたのがソナタ第1番の両端楽章とソナタ第3番。これらの箇所では、特にワンのピアノが抑制的に感じられる。それ自体は悪い事ではないのだけれど、加えてどことなく硬さや萎縮を感じるところがある。ちょっとフリーな服装が好きなのに、無理して畏まった正装をしているようなイメージ。悪いというわけではないのだけれど、そのようなスタイルの場合、どうしても他の名演に比べて、熟成感が今一つに思えてしまう。例えば第1番第1楽章の第1主題がしめやかな雰囲気をまとって展開するところ、あるいは第3番第1楽章後半の淡々と、しかし抒情的な旋律がいつ果てるともなく進むところなど、もっと深いニュアンスを感じたいところだが、彼らの演奏では、いかにもあっさりと過ぎ去ってしまって、物足りないように思えてしまう。かといって演奏全体が、枯淡という方向性を志しているわけでもない。
 前述のように、私には素晴らしいところと今一つのところが混ざった印象となったけれど、当録音全体を非常に高く評価する批評も多くあるようなので、あくまで私個人の感想ということで、ご了解いただこう。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番「雨の歌」 第2番 第3番
vn: デュメイ p: ピリス

レビュー日:2016.3.22
★★★★☆  ソナタ第2番が名演です。
 フランスのヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイ(Augustin Dumay 1949-)とポルトガルのピアニスト、マリア・ジョアン・ピリス(Maria Joao Pires 1944-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の3曲のヴァイオリン・ソナタを収録したアルバム。1991年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 op.78「雨の歌」
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 op.108
 デュメイは、1978年にミシェル・ベロフ(Michel Beroff 1950-)と、F.A.E.ソナタを含むブラームスの全ヴァイオリン・ソナタを録音していたので、これらの録音は再録音ということになる。
 私は、デュメイがベロフと録音した輪郭のくっきりし、かつロマン派特有の情熱をストレートに表現した旧録音を愛聴している。それに比べると、この新録音はかなりおとなしく、内省的な表現をとにかく緻密にやろうとした印象。
 これはピレシュというピアニストの影響も強いだろう。ブラームスのヴァイオリン・ソナタには、ロマン派特有の濃厚な甘味があるので、これを饒舌にやりすぎると、なかなか胃もたれがする。ピリスというピアニストは、強い音というのはそれほど使わないので、結果的にその饒舌さを軽減して、楽曲全体を高貴な響きに導く。だが、その過程でブラームス特有の濃厚な気配が減じられるところもある。
 個人的には、彼らのスタイルが成功しているのは第2番の、それも特に第1楽章が素晴らしく、音の余韻まで徹底したコントロールにより、細密な表情を施していて、幻想的で薫り高い雰囲気を表出している。演奏が楽曲にフィットする好例だ。また、第1番の第1楽章も詩的な静謐が満ちていて、神秘を感じさせてくれる。
 対して第1番の第3楽章、第3番の第1楽章に関しては、私には物足りなさの方が残る。いずれにしても、楽曲が進むにつれていつのまにか濃厚なロマン派の霧が立ち上ってくるような雰囲気が欲しい演奏であるにもかかわらず、彼らの演奏はその一歩手前で、すっと引いてしまうようなところがある。全体の出来事が弱音域にシフトし過ぎている、とでも言おうか。少なくとも、私には聴いていてフラストレーションが残る。そういった部分では、精密な音像も、なぜか人工的に響いてくる。奏者の抑制の意識が聴き手である私に伝わりすぎるのだろう。それで、目が覚めてしまって、夢中になれない。
 これらの曲では、私はどうしてもベロフとの旧盤の方を懐かしく感じてしまいます。

ヴィオラ・ソナタ 第1番 第2番
va: カシュカシアン p: レヴィン

レビュー日:2011.6.1
再レビュー日:2013.11.29
★★★★★ ブラームス最晩年のソナタの恰幅豊かな演奏
 ブラームスの2曲のヴィオラ・ソナタを収録。ヴィオラはカシュカシアン、ピアノはレヴィン。1996年の録音。
 キム・カシュカシアン(Kim Kashkashian)は1952年アメリカ、デトロイト出身の女流ヴィオリスト。1980年のライオネル・ターティス国際ヴィオラ・コンクールで第2位に入賞している。ピアノを弾いているロバート・レヴィン(Robert Levin)は1947年生まれのアメリカのピアニスト。むしろフォルテ・ピアノ奏者として名高いが、モダンピアノも奏していて、ここではモダンピアニストとしての力量を示している。余談だがレヴィンはモーツァルト研究家としても高名で、モーツァルトのレクイエムに自ら加筆したスコアを出版するなど活躍している。
 さて、ブラームスのこれらの作品は当初「クラリネット・ソナタ」として作曲されたもので、ブラームス自身の手によってヴィオラ版も遺された。クラリネット版に比べて、楽器の特性を活かした重音や装飾音の追加が行われている。この2曲のソナタには、ブラームスの最晩年の作品であるという象徴的意味の他、ブラームス自身がクララ・シューマンへの愛情を表現するため、自身の作品1にも使用した音型を用いるなど、様々な「伏線」が潜んでいることで有名だが、それを抜きにしても純粋にブラームスが書いた傑作のソナタとして高い価値を持っている。
 最晩年の作品というと「枯淡」のイメージがあるが、この2曲のソナタには情熱的なパッセージも多く垣間見られており、往年のブラームスらしい活力が漲っている側面もある。旋律も美しく、ブラームスの代表作と言っても過言ではないだろう。
 この演奏はカシュカシアンのヴィオラが素晴らしい。技術的な安定はもちろんだが、微細な速度変化への注意深い洞察によって、様々な曲想を描いていく。空想的であったり、情熱的であったり。これらのソナタは様々な「感情」が描かれるので、機敏な対応が心強い。ヴィオラという太い低音を出力できる楽器特有のやや暗めの情感の表出を楽しませてくれる。
 レヴィンのピアノは思いのほか闊達で饒舌。両曲の終楽章などでは若々しいほどの膂力に満ちた盛り上がりを提示していて、いかにも自分の解釈で突き進んだ感じ。しかし、カシュカシアンとのバランスは思いのほか上手く言っていて、曲想に厚みが加わったような好感がある。ただ、人によっては、この曲にしてはやや衒(てら)いのない健康ぶり過ぎると思われるかもしれない。
★★★★★ ヴィオラという楽器の音色をじっくり味わえるアルバム
 アメリカのヴィオラ奏者、キム・カシュカシアン(Kim Kashkashian 1952-)と、同じくアメリカのピアニスト、ロバート・レヴィン(Robert Levin 1947-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の2曲のヴィオラ・ソナタ(第1番ヘ短調op.120-1 と第2番変ホ長調op.120-2)を収録したアルバム。1996年の録音。
 当盤でヴィオラを奏しているカシュカシアンは、デトロイト出身の女流ヴィオラ奏者でリストで、1980年のライオネル・ターティス国際ヴィオラ・コンクールで第2位に入賞している。また、ピアノを弾いているレヴィンは、むしろフォルテ・ピアノ奏者として名高いが、モーツァルト研究家としても高名な音楽学者でもあり、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)のレクイエムに自ら加筆したスコアを出版するなど活躍している。~そのレヴィン版レクイエムは、マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925- 2010)指揮の名演が入手可能~。・・当盤では現代ピアノを奏して、その力量を示している。
 さて、ブラームスのこれらの作品は当初「クラリネット・ソナタ」として作曲されたもので、ブラームス自身の手によってヴィオラ版も遺された。クラリネット版に比べて、楽器の特性を活かした重音や装飾音の追加が行われている。
 この2曲のソナタには、ブラームスの最晩年の作品であるという象徴的意味の他、ブラームス自身がクララ・シューマンへの愛情を表現するため、自身の作品1にも使用した音型を用いるなど、様々な「伏線」が潜んでいることで有名だが、それを抜きにしても純粋にブラームスが書いた傑作のソナタとして高い価値を持っている。最晩年の作品というと「枯淡」のイメージがあるが、この2曲のソナタには情熱的なパッセージも多く垣間見られており、往年のブラームスらしい活力が漲っている側面もある。旋律も美しく、ブラームスの代表作と言っても過言ではないだろう。
 この演奏はカシュカシアンのヴィオラが素晴らしい。技術的な安定はもちろんだが、微細な速度変化への注意深い洞察によって、様々な曲想を描いていく。空想的であったり、情熱的であったり。これらのソナタは様々な「感情」が描かれるので、機敏な対応が心強い。この音楽を奏でるために必要なニュアンスを存分に漂わせた演奏だ。ヴィオラという太い低音を出力できる楽器特有のやや暗めの情感を楽しませてくれる。
 レヴィンのピアノは思いのほか闊達で饒舌。両曲の終楽章なででは若々しいほどの膂力に満ちた盛り上がりを提示していて、いかにも自分の解釈で突き進んだ感じ。しかし、カシュカシアンとのバランスは思いのほか上手く言っていて、曲想に厚みが加わったような好感がある。ただ、人によっては、この曲にしてはやや衒(てら)いのない健康ぶりが活発に過ぎると思われるかもしれない。

クラリネット・ソナタ 第1番 第2番 クラリネット三重奏曲
cl: セヴェール p: ラルーム vc: ラファリエール

レビュー日:2015.5.29
★★★★★ 鉄道廃線めぐりのBGMにピッタリなブラームス後期の室内楽曲集
 ラファエル・セヴェール(Raphael Severe 1994-)のクラリネット、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)のピアノによるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のクラリネットのための室内楽曲集。2014年録音。収録曲は以下の通り。
1) クラリネット三重奏曲 イ短調 op.114
2) クラリネット・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.120-1
3) クラリネット・ソナタ 第2番 変ロ長調 op.120-2
 1)ではヴィクトル・ジュリアン=ラファリエール(Victor Julien-Laferriere 1990-)によるチェロが加わる。
 若い奏者たちによるブラームス晩年の作品集。ラルームは2009年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝し、その後mirareレーベルから、2010年にブラームス、2012年にシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集を収録していたが、それらの深い内面性を感じさせる演奏に私はとても感心していた。そんなラルームにとって、これらの室内楽作品は、とても相性が良さそう。
 他の2人の奏者については、私は当盤で聴くのが初めて。クラリネットのセヴェールは録音時まだ20歳であるが、とても安定した響きで、素直に情感を表出する。もっと他の楽器との緊密な掛け合いがあっても良いところもあるが、楽想に沿った旋律の色合いを、好ましく表出する。聴いていて、特に気になるようなフレージングはなく、とにかく自然。その、そこはかとない禁欲的なスタイルが、室内楽的な空気をよく表出している。
 これらの印象は、ピアノ、チェロにも共通している。とにかく自然であざとさを感じさせないが、集中して聴いてみると、細かいところまできちんと演奏しており、ほころびがない。全体的に平和な情景を感じさせるが、拡大しても崩れないデジタル画像を感じさせる。とはいっても、表現が機械的ということはまったくない。とても健やかな音楽性で、その音楽性は、きわめて制御のよく効いた奏者のバランスによって保たれている。
 それで、この演奏を聴いていると、私はこれらの楽曲の、素の姿に直接触れたような気持ちになった。いずれもブラームスの書いたもっとも美しく内省的なメロディを持った楽曲たちだけに、彼らの素直な音楽性が、作品の魅力をそのまま抽出したような新鮮な感触をもたらしてくれる。逆に、人によっては、時にもっと踏み込んだ表現がほしいと感じられるかもしれないが。
 私のお気に入りは、ソナタ第1番の第2楽章である。さり気なく、しかし淡い郷愁的な雰囲気が漂っている。私の趣味の一つである鉄道廃線めぐりのBGMにぴったりな雰囲気である。

ブラームス クラリネット・ソナタ 第1番 第2番  シューマン ピアノとクラリネットのための幻想小曲集
cl: コーエン p: アシュケナージ

レビュー日:2016.3.2
★★★★★ 冬の夜に聴くのにとてもいいアルバムです。
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、1988年から1994年まで、クリーヴランド管弦楽団の主席客演指揮者を務めたが、当時クリーヴランド管弦楽団の首席クラリネット奏者だったフランクリン・コーエン(Franklin Cohen 1943-)と製作した室内楽アルバム。以下の楽曲が収録されている。
ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)
1) クラリネット・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.120-1
2) クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
シューマン(Robert Schumann 1810-1856)
3) ピアノとクラリネットのための幻想小曲集 op.73
 1)と2)が1991年、3)が1990年の録音。
 ブラームスは、晩年になってから、クラリネットを含む室内楽曲を手掛けるようになった。名手リヒャルト・ミュールフェルト(Richard Muhlfeld 1856-1907)の演奏と出会い、この楽器への興味が啓発されたためである。中でも名作の呼び声高い2曲のクラリネット・ソナタについては、ブラームスの最高傑作と推す人もいる。
 これら2曲作曲の動機が、前述のような名クラリネット奏者との出会いによるものであったとはいえ、ピアノの雄弁な表現力が圧倒的な存在感を示す作品でもある。ブラームスが晩年にたどり付いたピアノという楽器を用いた様々な演奏技法が、楽曲の構造を支えている。
 アシュケナージのピアノは、さすがにこの点をよく把握したもので、やや早めのテンポで、生き生きとした全体像を見事に作っている。もちろん、これらの楽曲には、クラリネット特有の郷愁や枯淡の雰囲気が通う。そういった点でアシュケナージのピアノは、生命力が溢れ過ぎていると感じる人もいるかもしれないが、必要な場所では十分に柔和な響きで、クラリネットを暖かく包む。例えば第1ソナタの第3楽章の冒頭など、両者の楽器が繰り出す柔らかな響きは、天国的といっても良い美しい瞬間を演出する。
 コーエンのクラリネットは、古典的な様式美を思わせる真面目さが魅力で、甘味もほのかなものとなっているのが私には心地よい。第1ソナタの第2楽章の淡々とした表現が、いつのまにか無類の切なさを宿しているのも、この楽曲に相応しい印象だろう。また第2ソナタの第3楽章のコーダ(これを第4楽章として編集する場合もある)の、鮮やかな推進性は、爽快な帰結をうまく導いている。
 シューマンの楽曲は、一種のソナタのような作品とみなせる(旋律の回帰など)が、ブラームスのソナタに比べると、ひとまわり規模の小さいもの。コーエンとアシュケナージの表現は、楽曲の規模に相応しい瀟洒さを湛えていて、こちらも品の良い味わいに満ちている。

クラリネット・ソナタ 第1番 第2番
cl: マンノ p: パール

レビュー日:2019.4.3
★★★★☆ パールのピアノの運びに特徴を感じるブラームスのクラリネット・ソナタ
 ドイツのクラリネット奏者、ラルフ・マンノ(Ralph Manno 1964-)と、チリのピアニスト、アルフレッド・パール(Alfredo Perl 1965-)による、ブラームス(Brahms 1833-1897)の以下の2曲を収録したアルバム。
1) クラリネット・ソナタ 第1番 へ短調 op.120-1
2) クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
 1992年の録音。
 言うまでもなくブラームス晩年の名品として知られる2つの作品である。
 これらの楽曲は、ヴィオラで奏させることもあるが、クラリネットによる演奏では、私はフランクリン・コーエン(Franklin Cohen 1946-)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるものと、ラファエル・セヴェール(Raphael Severe 1994-)とアダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)によるものの2点を良く聴く。いずれもブラームス晩年の哀愁とともに、青年期を思わせる情熱を精緻な表現で描き出していて、とても見事なものだ。
 一方、このマンノとパールの録音も、精緻な演奏と言えるだろう。ただ、前2盤に比べて、当盤の演奏は、フレーズの扱いに違いがある。これはパールのピアノの印象による部分が大きく、カンタービレの情緒を引き出すレガートが一般的に用いられる場面で、あえて、これを縦線で切るような表現を心掛けるところがあるためだ。例えば、第2番の第2楽章アレグロ・アパショナータの中間部で、パールの演奏は、エッジの効いた奏法を徹していて、音楽は縦割りな印象となり、旋律線の情熱的表現は、他の演奏ほどにはトライされていない印象を受ける。全般にパールのブラームス演奏が、こういうスタイルなのだろう、と思えるが、この点は聴き手の印象に作用する一つの要点だと思う。
 私個人的には、当演奏の特徴として面白く聴きながらも、やはりかつて聴き馴染んだものの方が、より高雅なものがあり、この作品に相応しいように感じた。
 音色はきれい。パールのピアノは輪郭がくっきりしていて、和音も透き通った結晶のように方格的。それゆえに、それを武器としての前述の表現もあるのだろうけれど、クラリネットの澄んだ音色とパールのピアノの透明な交錯は、魅力的だ。強い音もよく使っているが、鳴りが美しいこと、音楽的必然性がよく整えられていることから、決してうるささを感じさせるものにはなっていない。マンノのクラリネットは、パールのピアノに呼応して、フレーズの区切りが明瞭で、音色は明るく透明。全体として見通しの良い色彩感の中で、クリアな音像を徹底して描きあげている。

ブラームス クラリネット・ソナタ 第1番 第2番  ヴィトマン ピアノのための間奏曲集
cl: ヴィトマン p: シフ

レビュー日:2020.11.24
★★★★☆ 明朗に奏でられた「クラリネット・ソナタ」
 ドイツのクラリネット奏者で、作曲家でもあるイェルク・ヴィトマン(Jorg Widmann 1973-)の、クラリネット奏者としての演奏と、作曲家としての作品をまとめて、一つのアルバムにしたもの。収録内容は以下の通り。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
2) ヴィトマン ピアノのための間奏曲集
3) ブラームス クラリネット・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.120-1
 2)はピアノ独奏作品。全収録曲において、アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff 1953-)がピアノを務める。2018年の録音。
 現代の作曲家であるヴィトマンの作品をブラームスの2つのクラリネット・ソナタで挟むという構成で、ある意味ECMレーベルらしいアルバムになっていると言えるだろう。
 演奏であるが、まずブラームスの2曲のクラリネット・ソナタについて書くが、いずれも私がこれまでに聴いた中で、もっとも明るい響きに満ちたものと言えるだろう。これらのクラリネット・ソナタは、晩年のブラームスらしい、昔を思い返すような寂寥感と、それでも時に若やぐときの不思議な心暗さが交錯し、それらが聴いていて抽象的な深みのある陰影として刻まれるのであるが、この演奏は、むしろクールで解析的なピアノの上に、どこまでも明朗でくっきりしたクラリネットが沿っていて、感情的な表現については、あえて追及しないようなクールさが漂っている。
 2つのソナタの中間楽章は、その透明感の徹底が、逆に孤独を感じさせるところまで到達した感があり、彼らの目指した成果は、あるいはこの部分にあったのかもしれない、と感じさせる。それに比べて両端楽章は、清々しいほどに混じり気のない音色が流れており、それはブラームスというより、近代芸術を感じさせる具体的な感覚性を表現したもののように思われる。コントロールも隅々まで徹底して、技術も音量も安定しているが、それゆえに現代建築を思わせるような、合理性でおしきったようなまぎれの無さがある。私は、その演奏ぶりに感嘆しながらも、どこか、より情緒的なものを探して、自分が惑っているような感覚も味わった。なるほど、こういう演奏もあるのか、と、感動するより、頭で理解して感心する演奏と表現した方がいいだろうか。
 最終的には、聴き手の好みの問題になるだろうか、私個人的には、この演奏の美しさを認めつつ、どうしても、郷愁的な味わいの薄さを気にしてしまう。もし、当盤を聴いて、同じ物足りなさを感じる人であれば、ラファエル・セヴェール(Raphael Severe 1994-)とアダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)の演奏を一聴されたいと思う。
 さて、中間に収録されたヴィトマンのピアノ独奏曲についてであるが、こちらは5つの小品からなっている。ブラームス的なフレーズのモチーフを用いて、6度などのやや不穏さを感じさせる関係音の助けをかりつつ、繊細な音形を散りばめている。散文的な印象を持っているが、ブラームスへの思慕は伝わってくるし、2つのクラリネット・ソナタの間に配置してみようという意図もわからなくはない。シフの精緻なピアニズムが、楽曲の方向性を真摯に示しており、結果として、アルバムの構成感の醸成をよく達成していると思う。

クラリネット・ソナタ 第1番 第2番 ヴァイオリン・ソナタ 第2番(クラリネット版)
cl: コリンズ p: ハフ

レビュー日:2022.1.11
★★★★☆ 晴れやかに、鮮やかに奏でられたブラームス
 イギリスのクラリネット奏者、マイケル・コリンズ(Michael Collins 1962-)と、イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のクラリネット・ソナタ集。収録内容は以下の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.100 (コリンズ編クラリネット版)
2) クラリネット・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.120-1
3) クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
 2020年の録音。
 当盤には、ブラームスが当時の名クラリネット奏者、リヒャルト・ミュールフェルト(Richard Muhlfeld 1856-1907)のために書いた高名な2つのクラリネット・ソナタに加えて、コリンズがクラリネット版に編曲したヴァイオリン・ソナタ第2番が収録されている。そのため、アルバムのタイトルは、“3 SONATAS FOR CLARINET”となっている。
 また、コリンズは、クラリネット・ソナタ第1番と第2番については、1988年にミハイル・プレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-)と、2014年にマイケル・マクヘイル(Michael McHale 1983-)と録音しているので、本盤が3回目の録音ということになる。
 冒頭にヴァイオリン・ソナタ第2番のクラリネット版が収録されているが、これはヴァイオリンのパートを素直にクラリネットに移植した感じの内容で、聴いてみると、意外なほどしっくりくる。コリンズのクラリネットは明朗なくっきりとした響きがあり、晴れやかに楽曲を奏でているが、その晴れやかゆえの哀しい色がふと顔をのぞかせるところがあって、聴き手の琴線に触れるところだ。ハフのピアノは、適度に力強さを備えたもので、全体としては堅実明晰といった響きで、手堅くまとまっている。
 2曲のクラリネット・ソナタも、晴れやかで、ときに情熱的な奔流を交えながら、鮮やかな音色の交錯が繰り広げられる。これらの楽曲の演奏のなかでは、ポジティヴな印象を受けるアプローチで、特にクラリネットの高音部は、強く逞しい響きを持っており、印象に支配的な効果をもたらしている。これら2曲の演奏としては、やや勇気が強すぎる気もするが、それゆえの鮮やかさは、この演奏の魅力と言えるだろう。一方で、いわゆるわびさび的な側面では、より奥深いものが聴きたいという感じも残るところがあるので、そちらを満たす名演としては、ラファエル・セヴェール(Raphael Severe 1994-)とアダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)の録音を、併せて紹介しておきたい。

チェロ・ソナタ 第1番 第2番
vc: H.シフ p: オピッツ

レビュー日:2013.4.1
★★★★★ ブラームスの一つの重要な側面を思わせるような演奏
 オーストリアのチェリスト、ハインリヒ・シフ(Heinrich Schiff 1951-)とドイツのピアニスト、ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz 1953-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のチェロソナタ第1番と第2番を収録したアルバム。1996年の録音。
 ブラームスは他にも習作を書いたらしいが、残っているチェロソナタはこの2曲で、第1番は1865年、第2番は1886年に書かれた。ともにこのジャンルを代表する名曲として知られる。第2番は後期の作品になるが、この作曲家の場合、特に晩年に枯淡や清澄の境地に至るというふうでもなく、むしろ晩年の作品にも若々しい情熱や、青春を思わせる膂力があり、この第2ソナタもその系譜にある曲だと思う。一方で、第1番は重々しい主題により、いかにも沈鬱な面があるが、チェロらしい低音旋律ならではの情感を垣間見せてくれる。
 ブラームスという人は、作曲家としてはすでに早くにその完成点に到達し、そこからベートーヴェンへ近づくことができない自分を何度も認識しながら、自分なりの到達点で、そのスタイルの作品を数多く世に送った人だと思う。彼の作品を聴くと、手を伸ばせど届かない何かへの渇望と、それならそこで、縦横無尽にやってやるという情熱を同時に感じることが多く、これらのチェロソナタにも同じ要素を強く感じる。
 ブラームスは生涯独身だった。シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の妻で美貌のピアニストだったクララ・シューマン(Clara Schumann 1819-1896)に対し、何度も恋情の迸った熱い手紙を送りながら、しかしシューマンの死後は、一転して彼女の思いに応じなかった。ブラームスは一言、こう言ったという。「孤独だが自由だ」。
 私には、この言葉が、ベートーヴェンの作品に恋い焦がれながら、自分の書く音楽がまったくそれと異なることを誰よりも認識していたであろうブラームスが自らに送った言葉と思えてならない。そして、そのような感情がこの2曲のチェロソナタには、じっくり蓄えられているように思う。
 シフとオピッツの演奏、これは素晴らしい。音色としては渋いものだし、跳躍や朗々とした響きがあるわけではない。もちろん、そんな風に演奏してもいいのだけれど、彼らの音楽は、ただひたすら内面に向かって奏でられるような趣がある。ピアノとチェロの親密な語り合いは、厳しい冬、山間の小屋で、小さな火を囲んで語り合っているような印象である。内密で、普段の日常会話とはまったく違ったトーンで、もっと深い思考から発せられた言葉の交錯。
 そして、ブラームスの生涯埋められることのなかった葛藤に、思いを馳せる。

チェロ・ソナタ 第1番 第2番
vc: ハレル p: アシュケナージ

レビュー日:2016.3.4
★★★★★ 奏者二人の感性が光るブラームスのチェロ・ソナタ
 リン・ハレル(Lynn Harrell)のチェロ、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノによるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の以下の2曲のチェロ・ソナタを収録。
1) チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 op.38
2) チェロ・ソナタ 第2番 ヘ長調 op.99
 1980年の録音。
 ブラームスの2曲のチェロ・ソナタは、作曲時期が離れていることもあり、性格的にも違いが大きい。ソナタの第1番は悲哀の情感の表現が中心で、チェロは高音域に進出することは稀で、美しいが憂鬱な主題を訥々と語る様に歌う。第2番は、作曲技法的にははるかに多様なものが反映されていて、音域の移動もダイナミック。全般に自然の雄大な風景を思わせるような明朗さが示される。
 当演奏は、これらの2曲の対比点を巧みに描き出した名演だ。この2人の場合、音楽の主導はアシュケナージによる、これは何度も聞く論点だ。私もそう思うが、決してハレルのチェロが過度に引っ込んでいるわけではない。この2人の共演の場合、ピアニストのネーム・ヴァリューが圧倒的であるため、先入観を持つかもしれないが、ハレルのチェロも的確なルバート奏法により、作品に沿って過不足なく楽器を響かせている。力強い量感にはやや不足するところはあるものの、逆に線的な繊細さは、知的なコントロールが行き届いていて、落ち着いた聴き味をもたらしてくれる。
 しかし、やはりこの演奏の印象を強いものにしているのは、アシュケナージのピアノだろう。自在なタッチから繰り出される音色の豊かさの、絶対的なソノリティの美しさは、魔術的といってもいいほどで、自然にすべてが収まる心地よいテンポを維持しながら、楽想に起伏に沿った絶妙のアクセントを繰り出す。
 情感のこもった表現も見事ながら、ブラームス特有の快活に沸き立つような個所での、運動美にみちた「さばき」も堂に入ったものだ。第2番第2楽章の深いニュアンスの交錯、それに続く短くも様々な音楽的事象に満ちた第3楽章の俊敏な反応に、この演奏の美点が象徴的に集約されているだろう。
 録音から36年が経過した今でも鮮度が失われず、ブラームスのチェロ・ソナタ録音の中で、印象深い1枚となっている。

チェロ・ソナタ 第1番 第2番 歌曲集(シュヴァーベ&リンマー編 チェロとピアノ版)
vc: シュヴァーベ p: リンマー

レビュー日:2017.6.26
★★★★☆ 歌曲編曲が美しいシュヴァーベのブラームス
 2005年のブラームス国際コンクールにおいて第2位となったドイツのチェリスト、ガブリエル・シュヴァーベ(Gabriel Schwabe 1988-)が、イギリスのピアニスト、ニコラス・リンマー(Nicholas Rimmer 1981-)と録音したブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のチェロとピアノのための作品集。2014年の録音で収録曲は以下の通り。
1) チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 op.38
2) 4つの歌 op.43 第2曲「5月の夜」
3) 5つの歌曲 op.47 第1曲「便り」
4) 5つの歌曲 op.47 第2曲「愛の炎」
5) 5つの歌 op.72 第4曲「失望」
6) 6つの歌曲 op.85 第1曲「夏の夕べ」
7) 6つの歌曲 op.97 第1曲「ナイチンゲール」
8) チェロ・ソナタ 第2番 ヘ長調 op.99
 高名な2つのチェロ・ソナタの間に6曲の歌曲からの編曲を収録する構成。これらの歌曲編曲は、シュヴァーベとリンマーの手によるもの。
 何度か聴いてみての印象であるが、このアルバムの聴きものは、ソナタよりむしろ6つの歌曲の編曲という感じがする。これらの歌曲のイントネーションまで押さえた巧妙な編曲、チェロ特有の節回しを活かしたほの暗い情緒の表出は、とても瑞々しく、魅力に満ち溢れているのである。ブラームスが、これらの楽曲に込めた低音域の調べは、チェロという楽器を通してとてもよく響くし、落ち着いたテンポで、物憂げな行間の雰囲気をすくってゆく演奏は、たいへん好感が持てる。原曲を知らない人にとっては、大きな発見ともなりうるもので、これらの楽曲が、チェロとピアノにこれほどまでよく合うのかと、ずいぶん驚かされる気持ちで聴いた。とても良い。
 2つのソナタでは、古今の多くの名盤に対抗する意識が働いたのか、やや踏み込みの勢いが付き過ぎたところが見受けられる。全般に急くようなテンポに感じられるところが多く、ピアノの導くコード変更も、やや一本気で、どこかぶっきらぼうに聴こえるところもある。流れるように早く進む個所で、適度な心地よさと清冽さを併せ持つのは良いが、これと対照的な部分において、十分に雰囲気が変わり切れていないところもあるだろう。特に緩徐楽章では、もう一つなにか心に訴えかけるような、内面的なメッセージ性が欲しい。
 とは言え、両曲とも、特に終楽章を中心に、快活で勇壮な勢いを感じさせてくれる。若々しい彼らならではのスタイルといったところかもしれない。シュヴァーベはブラームス国際コンクールを登竜門としたからには、この作曲家に深い愛着があるのだろう。歌曲の編曲のセンス、そして、その旋律の奏でぶりに、その片鱗は十分にうかがえることが出来る。
 これらのチェロ・ソナタにおいても、輝かしい部分を活かしながら、さらなる深みに導く表現に進んでほしい。


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器楽曲

ピアノ独奏曲全集
p: オピッツ

レビュー日:2008.11.3
★★★★★ 完全な「全集」ではないですが、ほぼ揃っています
 ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz)によるブラ-ムスのピアノ独奏作品全集。録音は1989年に集中して行われている。
 ブラームスの作曲家としての作品群はピアノ独奏曲、それも古典的な枠組みを持ったソナタから始まったといっても過言ではない。しかしソナタの作曲をわずか3年ほどで中止してしまう。交響曲の世界であれほどベートーヴェンの後継にこだわったブラームスがなぜ?と思うが、それはやはり自分の中から湧き出てくる音楽のインスピレーションがどうもこのジャンルに合致しなかったからではないだろうか。実際自分の楽想を楽曲にまとめる段階で、それに相応しい楽器や編成に随分悩んだらしく、交響曲が協奏曲になったり、協奏曲の独奏楽器が2個になったり、「クラリネット又はヴィオラ・ソナタ」まで出現するが、ピアノ・ソナタへの「見切り」は相当早かった。そしてその後は変奏曲と小品の世界へと移る。だからブラームスのオリジナルのピアノ独奏曲というのはそう多くはない。軸となるのは「変奏曲」と晩年の枯淡を示す小品だと思う。
 オピッツの演奏は技巧が安定していて、風格豊かにブラームスを堂々と奏でている。ソナタでも恰幅のよい和音が十全に響いて心地よい。変奏曲などでは、もっと色鮮やかな面があってもいいと思うが、愚直といっては悪いが、素直でまじめにまっすぐにやり遂げている。私自身の好みから行くとやや違った肌合いを感じる部分もあるが、これはこれで、間違いなくドイツ音楽の本流を表現した肌身に感じる演奏なのだと思う。例えば3つの間奏曲の落ち着いた風情で奏でられる郷愁は、渋いロマンを湛えていて美しい。非常に説得力のある名演だ。
 ただ、独奏曲全集と銘打ってあるが、ショパン、ウェーバー、バッハの主題に基づいた練習曲集やハンガリー舞曲集などが収録されておらず、その点がちょっと残念である。できれば可能な形で残りの楽曲を録音してほしいところだ。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 スケルツォ
p: メルニコフ

レビュー日:2011.9.26
★★★★★ ブラームスの若々しい情熱を、力強く熱く解放
 アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)によるブラームスのピアノ・ソナタ第1番、第2番とスケルツォ。2010年の録音。
 メルニコフはモスクワ生まれのピアニスト。私は、このピアニストを、ヴァイオリニスト、ファウスト(Isabelle Faust 1972-)との共演で知るようになったが、その後、スクリャービンやショスタコーヴィチの見事なソロ録音に接し、ますます目の離せないピアニストになってきた。このたびは少し意表を付いた観のあるジャンルで、ブラームスの初期の作品集である。収録曲は順に、ピアノ・ソナタ第2番、スケルツォ、ピアノ・ソナタ第1番となっていて、これは19歳のブラームスが作曲した順番に倣った形だ。
 ブラームスは、ピアノ・ソナタを全部で3曲しか遺さなかった。ベートーヴェンの後継を目指したにしては極端に少ない数だと思う。おそらく、どこかのタイミングで、自分の中から湧き出るインスピレーションと、ジャンルとしてのピアノ・ソナタの間に、大きな隔たりを感じたに違いない。そういった結果をすでに知っている私たちにとって、そんなブラームスが意気軒昂に書き上げた初期のソナタがどのような楽曲だったのか、というのも興味深いものとなるだろう。
 さて、ここで、メルニコフの演奏であるが、まず注目点は楽器である。1875年製ベーゼンドルファーを用いている。ブラームスがこれらの作品を書いたのは1852-53年とされているから、ちょっとタイムラグはあるが、おおむね当時の楽器の響きかもしれない。そして、この楽器から、メルニコフは極めて力強いくっきりしたソノリティを引き出している。残響がよくセーヴされた録音の効果もあるだろうが、一つ一つの音色の独立性が高い。ブラームスのピアノ・ソナタは、同じ音を連音で弾くことで効果を高める部分が多く、そこで、この楽器の音色は、エモーショナルな表情付けを巧みに引き出しており、なかなか成功していると思う。
 ソナタ第1番は如実にベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の雰囲気を踏襲しているのが面白い。冒頭に提示される音型、その後のパターンもほとんどそっくり。中間部は自由でパッションが様々に放出される。実に若々しさを感じる音楽だ。ソナタ第2番も同じように、やり場のない情熱をひたすら楽譜に書き込んでいったような、情念を感じる音楽だ。いずれの作品でも、後半2楽章に後年のブラームスを髣髴とさせるような憂いや情緒、浪漫性が見られ、なかなか楽しく聴くことができる。まさに天才の若書きと言えるものだろう。個人的にスケルツォは好きな作品だ。音楽としての構成感が整っていて、ブラームスらしさも的確にある。いずれの楽曲でもメルニコフは、作品に宿る「若き情熱」を、そのまま熱く解き放っている。力強い響きで、緩急、フレージングに全身の力を打ちつけたような集中線を感じる。やはりこの人、すごいピアニストなのだ。

ピアノ・ソナタ 第3番 ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ
p: アシュケナージ

レビュー日:2013.4.1
★★★★★ ピアノという楽器の特性を最善に発揮させたアシュケナージのブラームス
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノソロアルバムで、収録曲は「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」と「ピアノソナタ第3番」の2曲。1990年から91年にかけての録音。
 ブラームスの作品群の中で、特徴的な分布を示すものとして「ピアノ独奏曲」という分野がある。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の業績を引き継ぐことを最大のテーマとして作曲家を志したブラームスである。当然のことながら「新約聖書」の名で呼ばれるベートーヴェンの32のピアノソナタからなる小宇宙についても、それを継ごうという意志はあったに違いない。実際、ソナタ第1番は、あからさまにベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタを意識した楽想に満ちている。しかし、結果的にブラームスはピアノソナタを3曲しか書かなかった。しかも、いずれも彼の作曲活動の初期に書かれたものである。最後の第3番でさえ20歳のときの作品。つまり、いちはやくブラームスが自らが手がけることを放逐したジャンルこそが「ピアノ・ソナタ」だったのである。
 しかし、一方でブラームスは「変奏曲」のジャンルに2つの傑作を書くことができた。「パガニーニの主題による練習曲」と「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」である。ブラームスがこのジャンルで自己を表現し得たのが、ソナタではなく変奏曲であったというのが面白い。実際、室内楽でもソナタ形式による優れた作品を書きながら、最も簡潔な「ピアノソナタ」については、ブラームスにとって、人知れぬ高い敷居があったに違いないと思う。
 ブラームスのピアノソロ作品の中で、私が特に好きな曲は、その「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」である。ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)のクラヴィーア組曲第2巻の第1曲の旋律に基づく典雅さと快活さを備えた変奏の数々は、それぞれが魅力的というだけでなく、流麗な線的連携が保たれている。
 アシュケナージの演奏が素晴らしい。ぬくもりに溢れたタッチで、運動的な心地よさを常に湛え、麗しい音楽を引き出していく。テンポの自然さもさることながら、ソノリティー自体の絶対的な美しさが得難いもの。まろやかな柔らか味がありながら、しかし一つ一つきちんと芯の入った音で、ピアノという楽器の特性を最善に発揮させた成果となって、すばらしい結実を示している。
 ピアノ・ソナタ第3番は5つの楽章からなる巨大な音楽で、散漫なところもあるが、若きブラームスの熱い野心を感じさせる音楽。これもアシュケナージのリードにより、豊かな感情の奔流として表現されている。このような演奏があて、はじめて映える音楽となるように思う。
 ちなみに「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」は、イギリスの作曲家ラッブラ(Edmund Rubbra 1901-1986)によって、「管弦楽曲版」の編曲が行われているが、こちらもアシュケナージはクリーヴランド管弦楽団を指揮して1992年に録音している。こちらも一聴の価値はおおいにアリと思います。

ピアノ・ソナタ 第3番 8つの小品より ハンガリー舞曲集より
p: キーシン

レビュー日:2015.3.17
★★★★★ キーシンの力強いピアニズムが全編に満ちたブラームス
 キーシン(Evgeny Kissin 1971-)による2001年録音のブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ作品集。収録曲は下記の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 op.5
2) 8つのピアノ小品より 第7番「間奏曲」 イ短調 op.76-7
3) 8つのピアノ小品より 第2番「カプリッチョ」 ロ短調 op.76-2
4) ハンガリー舞曲 第1番 ト短調
5) ハンガリー舞曲 第3番 ヘ長調
6) ハンガリー舞曲 第2番 ニ短調
7) ハンガリー舞曲 第7番 ヘ長調
8) ハンガリー舞曲 第6番 変ニ長調
 重量感とスピード感の双方を満たした重厚な響きを堪能できるアルバムだ。ピアノ・ソナタ第3番は、ブラームスが20歳のころに書いた作品で、結果的に彼が遺した最後のピアノ・ソナタとなった作品。5楽章構成という巨大性は、青年ブラームスの野心と浪漫性を感じさせるが、あわせてベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)への強い敬慕の念が反映された作品でもある。
 全体は苦悩から勝利へのコンセプトに沿い、ベートーヴェンの中期を思わせる色の濃い音楽で、主題も深刻な雰囲気を持っている。若々しい筆致ながらも、随所にブラームスならではの響きを認め、ブラームス若年期の重要な作品と考えてよいだろう。キーシンは、圧倒的な力強さでこの作品に立ち向かっている。この作品が持つ未完な部分を意に介さず、すべてが絶対的正解であったかのような、肯定的な響きに満ちている。キーシンの演奏によって、輝きを増した部分も多い。第4楽章の運命のフレーズが、これほどまっすぐに決然と鳴り響くのは、キーシンが弾いているからだ。第2楽章の流麗な抒情性も、キーシンの技術がよく活きた清冽さがある。
 8つのピアノ小品からは、比較的名高い「カプリッチョ」を含む2曲が弾かれている。この「カプリッチョ」が良い味わいだ。「間奏曲」が、ちょっと力強すぎるようにも感じるのに比べ、「カプリッチョ」は高貴さを維持し、豊かな感興を導いてくれる。
 最後に高名なハンガリー舞曲集から、ブラームス自身によって、独奏ピアノ用にアレンジされたものが5曲収録されている。第5番がないのが残念だが、パワフルな快演奏だ。舞曲ならではの「軽さ」とは無縁と言ってもよい圧力のある響きでありながら、果敢なテンポを設定し、タッチではなくスピードで舞曲の体を維持している。キーシンならではのヴィルトゥオジティを満喫させてくれる。量感あふれる低い和音が、高速で連続するところなど、きわめてエネルギッシュ。聴き手を熱くさせてくれる快演だ。

ピアノ・ソナタ 第3番 7つの幻想曲
p: ラルーム

レビュー日:2021.11.5
★★★★★ ラルーム10年振りのブラームスの独奏曲集
 フランスのピアニスト、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 op.5
7つの幻想曲 op.116
 2) 第1番 奇想曲 ニ短調
 3) 第2番 間奏曲 イ短調
 4) 第3番 奇想曲 ト短調
 5) 第4番 間奏曲 ホ長調
 6) 第5番 間奏曲 ホ短調
 7) 第6番 間奏曲 ホ長調
 8) 第7番 奇想曲 ニ短調
 2020年の録音。
 ラルームによるブラームスのピアノ独奏曲集となると、「創作主題による変奏曲」「8つの小品」「2つのラプソディー」「3つの間奏曲」を収録した2010年録音のもの以来、10年振りの録音ということになる。ブラームスを主要なレパートリーとしているラルームにしては、意外に前回録音から、大きなインターバルをおいての当盤の登場となった。
 以前のアルバムでも、ラルームは、ブラームスの様々な作曲時期の作品を一つのアルバムにまとめる形としていたが、このたびも初期の作品であるソナタと、後期の作品であるop.116が組み合わされている。
 ラルームの演奏は、じっくりと弾き込んだ、熟成感のある味わい深さに満ちていて、これらの楽曲に相応しい熱を内包しつつも、潤いに満ちたものだ。
 ピアノ・ソナタ第3番は、冒頭から若きブラームスの気合が感じられる楽曲だが、ラルームは暖かなタッチと豊穣な響きで、これを彩る。弛緩の無い流れを整えながら、ブラームスの楽曲がもつ凹凸を、巧みに流れの中に取り込み、燃え立つような情熱と、芸術的な高貴さを両立されている。ことに成果が上がっているのが第2楽章で、物憂げな間合いに、程よい情感をあたえつつ、思慮深さを感じさせるピアノは、魅力的だ。
 op.116も、枯淡に陥ることなく、情熱と叙情のバランスで、鮮やかに彩られており、豊穣な音楽となっている。時に物憂い楽曲は、しばしば、間隙の「処理」を感じさせてしまうのだが、ラルームの演奏は、シームレスな波の中で、自然な起伏を描いており、情感が漂う。第3番の奇想曲における技巧的な鮮やかさ、第5番の間奏曲における、屋根から落ちる雨滴を思わせるような情緒など、ことに聴きどころと言えるのではないだろうか。全体のバランスとともに、一つ一つの楽曲に、適度な雄弁な表現性を感じさせるラルームの演奏は、名演と呼ぶにふさわしい完成度を感じさせる。

ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 2つのラプソディー 4つの小品 6つの小品
p: ペライア

レビュー日:2010.12.7
★★★★★ 一層力強いスケール感を増したペライアのブラームス
 最近のペライアは、本当に1曲1曲じっくりと弾き込んだ様な充実したアルバムをリリースしてくれる。2007年から09年にかけてきわめて優美なバッハのパルティータを録音してくれてから、「次は何を録音してくれるんだろう?」と期待していたが、2010年の新録音はブラームスとなった。
 ブラームスのソロ作品というのは、ピアノ器楽曲の中でメインのレパートリーとは言い難い状況ではあるけれど、中で、今回収録された「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」や「2つのラプソディー」などは、もっともっと多くのピアニストに弾かれて良い作品だと思う。ことに私は「2つのラプソディー」が大好きで、ラドゥ・ルプーの名演を愛聴しているが、その対抗馬的ディスクが手薄であったため、今回のペライア盤の登場はいろいろな意味で嬉しい。
 さて、ペライアの演奏である。「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」から、その特徴は際立っていて、以前のパルティータ集で聴かせてくれた優美さに、スケールの大きな力強さが加わっている。この変奏曲の部分は、ブラームスが得意とする和音強奏の連続により、「音楽」を持ち上げる部分がいくつかあるが、そういったところで、ペライアは思い切り息を吸い込むように力を蓄え、情熱的に放出してみせる。以前のペライアからさらに一つ何かを身につけたような豪放さだ。それでいて、ペライアならではの美観によって「こまやかに整えられた音楽」のフォローが行き届いており、全体として程よい「なだらかさ」が与えられている。そのため決してガチャガチャした印象にはならない。華やかに、かつしなやかに、この曲ならではの起伏が表現されていて、それは聴き手に「豊かさ」として伝わるだろう。また、軽やかで、テンポに拘らないこまやかな歌がこぼれる変奏などでも、ペライアらしい聴き応えに満ちている。
 「2つのラプソディー」も情熱的な側面が思いのほか力強く表現されていて、ペライアのブラームスに対するスタイルがわかる。ブラームスらしい派手な音色の重なりがあるのだけれど、これをきちんと開放して響かせながら、歌謡性のある旋律や支持音をたくみに拾っており、重層的な響きだけれど、重過ぎない。まさにルプーと比較しうるこの曲の特性を汲んだ名演だと思う。
 晩年の小品も「枯淡」の表現に拘らないところが良い。情熱的な若々しさを感じるところは、奇をてらわずまっすぐな音楽性でこれを表現しきった気風を感じる。また次のペライアの録音が聴きたくなる。

主題と変奏 4つのバラード 7つの幻想曲
p: コジュヒン

レビュー日:2017.3.31
★★★★★ コジュヒン4年ぶりのソロ・アルバムは諦観の念が滲みだすようなブラームス
 2010年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したロシアのピアニスト、デニス・コジュヒン (Denis Kozhukhin 1986-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。
1) 主題と変奏 op.18b
4つのバラード op.10
 2) 第1番 ニ短調「エドワード」
 3) 第2番 ニ長調
 4) 第3番 ロ短調
 5) 第4番 ロ長調
7つの幻想曲集 op.116
 6) 第1番 奇想曲 ニ短調
 7) 第2番 間奏曲 イ短調
 8) 第3番 奇想曲 ト短調
 9) 第4番 間奏曲 ホ長調
 10) 第5番 間奏曲 ホ短調
 11) 第6番 間奏曲 ホ長調
 12) 第7番 奇想曲 ニ短調
 2016年の録音。コジュヒンにはプロコフィエフの戦争三部作ソナタを収録した2012年録音のソロ・アルバムがあったが、それ以来4年ぶりの録音ということになる。私は、プロコフィエフの落ち着きながらも音楽的な味わいの深い演奏に感銘を受けたので、次の録音を待っていた。4年ぶりの独奏曲アルバムとなった当盤は、じっくりと作りこまれた味わいを感じさせるものとなっている。
 今回はブラームスで、どこか渋みを感じさせる選曲なのもこのピアニストらしい。全般に内省的な色彩を感じる曲集だが、冒頭の「主題と変奏」は、弦楽六重奏曲第1番の第2楽章をピアノ独奏版に編曲したもので、この作品のメロディだけが通俗性を持っている。コジュヒンは、その通俗性と一定の距離を保ち、透明で清らかな響きで迫りながら、過不足ない情緒を醸し出す。
 続いてブラームス21歳の作品である「4つのバラード」と59歳の作品である「7つの幻想曲」が収められている。これらの曲について、コジュヒンは以下の様にコメントしている。「ブラームスは、人間の感情と心に敏感で、かつ深淵な知を持ってそれらを洞察した偉大な作曲家として、人生の様々な側面を音楽に反映させています。バラードには、不確かな未来に対する若者の不安が、まったく対照的に、幻想曲には終末に近づくことに抵抗することをあきらめた人の失望があります。」・・後者は、日本語で「諦観」と表現される感情に近いだろう。
 コジュヒンは、落ち着いた語り口でじっくりと弾きこんで、上記のような感覚的な印象を音楽から引き出していると感じる。バラードの第2番における、鼓動にも似た断片的なフレーズは、明確なリズムにのって、不協和な部分も明晰な響きをもって陰影のある表現を刻んでいる。第4番も安定した技術で、地道だが確実な表現を用い、情緒を品よく引き出す。
 7つの幻想曲は、情熱的な奇想曲と、瞑想的な間奏曲から構成されるが、コジュヒンは間奏曲において、音の間隙に潜む静寂に意味を持たせるように、厳粛かつ克明に音を描く。その一方で奇想曲では、時に鋭い打鍵を用い、葛藤にも似た感情を表出させ、嵐の一面を加えていく。その劇的な対立が、全体としては沈鬱な主題とあいまって、孤独感を訴える。時に恐怖を感じるような暗がりに触れる。
 いずれも、広く聴かれている楽曲とは言い難いが、コジュヒンの名演によって、緊張感と情緒をもって、高貴に響くものとなっている。

2つのラプソディー 3つの間奏曲 6つの小品 4つの小品
p: ルプー

レビュー日:2015.3.24
★★★★★ ルプーによって奏でられた情熱的かつ抒情的なブラームス
 ルーマニアのピアニスト、ラドゥ・ルプー(Radu Lupu 1945-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ作品集。ラプソディ第1番ロ短調と3つの間奏曲は1970年、他は1976年の録音。
 ルプーは最近こそ録音は少ないが、当録音が市場に登場したころは、いろいろな録音がリリースされていた。その際、レコード会社が彼に与えた肩書は「千人に一人のリリシスト」というフレーズである。リリシストは"lyricist"で、抒情詩人といったところだろう。たしかにルプーのピアノの音は、一音一音に情感が込められたもので、微細に弱音を変化させながら、時に天国的な美しい響きを聴かせるピアニストだった。
 そんな彼の録音で、特に評価が高かったのがシューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828)だったと思う。数々の美しい歌曲を遺した夭折の天才が書いたピアノ曲は、その苦悩や慰め、諦めといった感情がないまぜになったもので、抒情詩人の語りにぴったりの印象だったのだろう。ただ、私は、ルプーの弾くシューベルトが、あまりにも静謐で、細やかな情感に即そうとしすぎているようにも感じた。その音楽には、もう一つ、尊敬する偉大な先人ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)への焦がすような憧れがあるはずだとも感じていた。
 私にとってルプーの代表的録音とは、このブラームスのアルバムと言える。もちろん、この録音だってすでに名盤の誉れ高いものなのだけど。
 ブラームスの作品というと、たぶん多くの人は、まず交響曲や協奏曲、あるいはハンガリー舞曲やヴァイオリン・ソナタといったあたりになるのではないだろうか。私もそうだった。他方で、ブラームスのピアノ独奏曲というと、何か先行するイメージのようなものがあまりなく、何から聴いたらいいか、わからなかった。
 しかし、私は、このアルバムこそ、ブラームスのピアノ独奏曲への入口にふさわしいと思う。まず2つのラプソディが収録されているが、これは多くの音楽フアンが愛好する名品でもある。ルプーの奏でる調べは情熱的だ。まさに燃えるようなタッチで、若々しい猛りや情熱を発散させ、素晴らしいエネルギーを宿しながら終結に向かっていく。その吸引力は比類ない。
 さらに後期の作品である小品集が続く。これらの小品には、ブラームスの枯淡が反映されている、と言われることが多いが、私はブラームスの後期の作品にそれほどはっきりとした枯淡があるようには感じない。むしろ、「ちょっとこれくらいにしておいた方が、聴き手は枯淡といって喜びそう」というブラームス一流のエンターテーメント精神を感じる。そんな私にとって、ルプーの歌と情熱を底辺に宿したアプローチは、曲の印象にぴったり。「枯淡さえも演出できるブラームスの巧みさ」までを描き切った演奏に思う。
 ルプーの技術は、現代の一流のピアニストに比べると、やや緩いところがあるかもしれない。それに録音も、この時代のデッカにしては、鮮明度が高くないところもある。しかし、それらの点を考慮しても、当盤を推すのにまったくためらいがないほど、ルプーの瑞々しい表現は、私には魅力的だ。

創作主題による変奏曲 8つの小品 2つのラプソディー 3つの間奏曲
p: ラルーム

レビュー日:2011.9.7
★★★★★ 若きピアニストがブラームスのピアノ曲の渋みを的確に表現
 2009年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝したフランスのピアニスト、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)によるブラームスのピアノ作品集。2010年録音。収録曲は、「創作主題による変奏曲」「8つの小品」「2つのラプソディー」「3つの間奏曲」で、収録時間は80分ちょうどになる。
 ブラームスのピアノ・アルバム、と言うと思い出すことがある。90年代のはじめにアファナシエフ(Valery Afanassiev 1947-)がブラームスの後期のピアノ作品集を録音した際、浅田彰氏がこれを激賞し、「私はこの1枚のディスク のために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう」と述べたものである。いやはや、私もクラシック音楽を酔狂に聴いている身分であるが、思想家の感性というのはぶっとんでいるものだ。私にもアファナシエフの当該ディスクを聴いてみる機会があったけれど、とても浅田氏のような彼岸の境地には至れたものではない。そもそも、ブラームスの後期のピアノ曲というのは、渋みの魅力こそあれど、さまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつような価値順列のところに君臨しているとは、どう考えても思えないのである。正直なところ。
 さて、その後、私にはブラームスのピアノ曲には、それらしいあり様が引き出されていれば、それが一番良いと考えるようになった。素直に交響曲や協奏曲の方が、聴いていて楽しいのは、仕方ないのである。
 それで、この若いラルームの演奏は、私のようなリスナーにとって、本当に好ましいディスクと言える。そもそもコンクール出たての若いピアニストが、いきなりブラームスのこれらの作品を世に問うというのがふるっているのだけれど、聴いてみるとなるほどと思える適性があるのだ。
 まず、このピアニスト、たいへん情感を大事にするピアニストだ。「創作主題による変奏曲」の冒頭。たっぷりしたぺダリングで、しっとりと音をかみしめるように鳴らすところなど、心憎いほどの余裕がある。淡い情感をきれいに掬い、消化して前に進む。しかし決して遅くなりすぎず、きちんとした輪郭が整えられている。後期の作品である「8つの小品」や「3つの間奏曲」でも、適度に耽美的な瑞々しさと構成感を保ちながら、心ゆくまで歌ったような自在さがあって、ブラームス作品の本来的と思われる中枢のような価値を、うまく抽出しているように思う。「2つのラプソディー」も力に訴えるようなそぶりがなく、このピアニストのブラームス作品への解釈に、確固たる自信が感じられる演奏になっている。

3つの間奏曲 6つの小品 8つのピアノ小品 op.76より第1-4番
p: ヴォロドス

レビュー日:2017.6.12
★★★★★ ブラームスがピアノ独奏曲に込めた情緒を、細やかに表現しつくした名演
 ロシアのピアニスト、アルカディ・ヴォロドス(Arkadij Volodos 1972-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
8つのピアノ小品 op.76 より
1) 第1番 奇想曲 嬰へ短調
2) 第2番 奇想曲 ロ短調
3) 第3番 間奏曲 変イ長調
4) 第4番 間奏曲 変ロ長調
3つの間奏曲
5) 第1番 変ホ長調
6) 第2番 変ロ短調
7) 第3番 嬰ハ短調
6つの小品 op.118
8) 第1番 間奏曲 イ短調
9) 第2番 間奏曲 イ長調
10) 第3番 バラード ト短調
11) 第4番 間奏曲 ヘ短調
12) 第5番 ロマンス ヘ長調
13) 第6番 間奏曲 変ホ短調
 2017年の録音。ヴォロドスのピアノ・ソロ・アルバムとしては、モンポウ(Frederic Mompou 1893-1987)の作品集以来、4年ぶりのものとなる。ヴォロドスは、ヴィルトゥジオーソとしてその名が知られてきたピアニストであるが、彼の芸風はそこに一元的に帰結してしまうものではなく、様々な音楽に、じっくりと心に染み入るような深さを感じさせる周到な「解釈」を聴かせるピアニストでもある。そんな彼がスタジオで録音したアルバムは多くないが、一枚一枚が、職人が作り上げたような肌合いを感じさせるもので、私は彼の崇高な芸術に触れるたびに、感動させられてきた。
 果たして、今回のブラームスも「素晴らしい」の一語。
 ヴォロドスは内声部に細やかな感情の機微を巡らせて、暖かかくも寂寥感のある憂愁の音楽を作り上げている。特にブラームスがアルトやテナーの音域に込めた情緒を、自然に掬い取って、全体像の中で的確な位置を与え、全体として美しい音楽として完結させる手法の見事さは、これらの音楽の価値をあきらかにするものだ。
 「8つのピアノ小品」では「第1集」に相当する第1番~第4番のみの収録なのが残念ではあるけれど、第1番の陰影豊かな冒頭から魅了されるし、第3番の静謐の中から響いてくる結晶化したメロディの純粋さも忘れがたい。第2番の躍動も、しっかりとした刻印を残しながら、決してはしゃぎ過ぎない佇まいが、高貴な風合いを引き出す。
 3つの間奏曲は、その美しさで広く愛好される楽曲だが、ヴォロドスのピアノは静寂を背景とした余韻の先端にまで暖かいピアニズムを巡らせたもので、感動の幅は大きい。大仰なことは一切しないのだけれど、気が付くと深くブラームスの音楽の世界に導かれていて、周囲は独特の香気に満ちているのである。
 6つの小品では、焦燥、憧憬といった感情が、技巧的なゆとりをもった表現を経て、聴き手に豊かに伝えられていく。第4番で描かれる感情的なひだの細やかさ、第5番における劇的でありながら、どこか寂寥感が吹く佇まいに、私は特に魅せられた。
 ヴォロドスという芸術家によって描き出されたブラームスの世界は、果てしないほどの音楽的深みを、味わわせてくれる。

3つの間奏曲 6つの小品 4つの小品 7つの幻想曲
p: ハフ

レビュー日:2022.2.1
★★★★★ ブラームス晩年のピアノ独奏曲集に名録音登場
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)による“the Final Piano Pieces”と題されたブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)最晩年のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。
7つの幻想曲集 op.116
 1) 第1番 奇想曲 ニ短調
 2) 第2番 間奏曲 イ短調
 3) 第3番 奇想曲 ト短調
 4) 第4番 間奏曲 ホ長調
 5) 第5番 間奏曲 ホ短調
 6) 第6番 間奏曲 ホ長調
 7) 第7番 奇想曲 ニ短調
3つの間奏曲 op.117
 8) 第1番 変ホ長調
 9) 第2番 変ロ短調
 10) 第3番 嬰は短調
6つの小品 op.118
 11) 第1番 間奏曲 イ短調
 12) 第2番 間奏曲 イ長調
 13) 第3番 バラード ト短調
 14) 第4番 間奏曲 ヘ短調
 15) 第5番 ロマンス ヘ長調
 16) 第6番 間奏曲 変ホ短調
4つの小品 op.119
 17) 第1番 間奏曲 ロ短調
 18) 第2番 間奏曲 ホ短調
 19) 第3番 間奏曲 ハ長調
 20) 第4番 狂詩曲 変ホ長調
 2018年の録音。
 ブラームス晩年のピアノ独奏曲を集めたアルバムはいろいろあるのだけれど、このハフのアルバムは、特に優れたものの一つだと思う。どこか広々としたスケールを感じさせながらも、晩秋を思わせる深い情感が宿っており、時折押し寄せる感情の荒波のようなものが、聴き手の心の内に、大きな波を起こす。楽曲に潜む不協和音や、その後の音楽界を示唆する一種の曖昧さを、巧みに音楽表現の中で消化し、「晩年」という言葉がイメージする様々な思索性や詩情を表現しつくした感がある。
 op.116-1の奇想曲冒頭の衝撃は、ハフの緊密なコントロールで切迫感を帯び、その後の展開によって得られる劇的な感情の動きが現れる。op.116-4における内省的な色味の深さも素晴らしい。op.116-7の終結部の研ぎ澄まされた感性は、彫像的な音像を逞しく築き上げる。
 op.117-1は瞑想的な子守歌となっており、美しい中に深い間があって感動的だ。op.118-2はやや速めのテンポで仕上げるが、音楽としての味わいの濃さは聴き手の印象に強く刻まれるだろう。op.118-3では、両端部の立体的な音像が素晴らしいし、全体として音楽的なバランスも申し分ない。
 op.119-1の間奏曲も深い内面性の掘り下げが感じられる演奏で、音色を精妙に扱うハフのピアノに感心させられる。op.119-2の中間部の回顧的な哀しさと暖かさの入り混じった響きも秀逸。op.119-3は、あえて強い音をセーヴしたバランス感覚が曲想に映える。
 これらのブラームスのピアノ独奏曲は、ブラームスの人生の締めくくりを感じさせる「枯淡」という形容がしばしば成されるが、それだけではない感情的な複雑さを、みごとに音楽芸術として昇華させた演奏で、今後も、当盤は、これらの楽曲における名録音としてのステイタスを維持するだろう。

間奏曲 全集
p: コロリオフ

レビュー日:2019.11.1
★★★★★ 聴きこむと、「間奏曲」のみを抜粋した意図が感じられてくるコロリオフのブラームス
 コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「間奏曲(Intermezzo)」というタイトルが付せられた小品をすべてあつめたアルバム。
 「間奏曲」といのは不思議なタイトルだ。この形式は、本来は幕間に奏でるとか、なんらかのプロローグとエピローグを持つ前後と関連した経過的楽曲であるとか、そういった小曲の呼び名である。しかし、ロマン派になって、ときどき、独立したピアノ楽曲にこの呼称が用いられるようになった。「前奏曲」も似たような歴史的経過を辿ったのだが、「間奏曲」の名を持つ作品は「前奏曲」ほどには多くはなく、それゆえ、あえて「間奏曲」と名付けられたことに、思索が感じられる。この「間奏曲」というネーミングを、ことのほか気に入っていたのがブラームスであり、彼が生涯に作品としてのこした43のピアノ楽曲のうち、間奏曲の名を与えられたものがいちばん多く、なんと18曲もある。
 それで、コロリオフの当アルバムは、そんな間奏曲ばかり集めたもので、その詳細は以下の通りとなる。
【CD1】
4つのバラード op.10から
 1) 第3番「間奏曲」 ロ短調
8つの小品 op.76から
 2) 第3番「間奏曲」 変イ長調
 3) 第4番「間奏曲」 変ロ長調
 4) 第6番「間奏曲」 イ長調
 5) 第7番「間奏曲」 イ短調
7つの幻想曲 op.116から
 6) 第2番「間奏曲」 イ短調
 7) 第4番「間奏曲」 ホ長調
 8) 第5番「間奏曲」 ホ短調
 9) 第6番「間奏曲」 ホ長調
3つの間奏曲 op.117
 10) 第1番 変ホ長調
 11) 第2番 変ロ短調
 12) 第3番 嬰ハ短調
【CD2】
6つの小品 op.118から
 1) 第1番「間奏曲」 イ短調
 2) 第2番「間奏曲」 イ長調
 3) 第4番「間奏曲」 ヘ短調
 4) 第6番「間奏曲」 変ホ短調
4つの小品 op.119から
 5) 第1番「間奏曲」 ロ短調
 6) 第2番「間奏曲」 ホ短調
 7) 第3番「間奏曲」 ハ長調
 2018年から2019年にかけての録音。
 まず、いきなりで恐縮だが、当企画の欠点であるが、CD2枚で82分という中途半端な収録時間という点がある。聴いていて、当然のことながら、CD2枚あるのだから、「間奏曲」の抜粋だけでなく、それぞれの曲集の全曲で聴きたいと思ってしまうのは、私だけではないだろう。これがCD1枚で、めいっぱい使った収録時間だったら、そこまで思わなかったに違いない。規格が人の心理に与える微妙な現象といって良い。
 ただ、その点を除けば、これは良いアルバムだと思う。
 ブラームスの間奏曲は、いずれもABAの三部形式を持っていて、それゆえの単純さ、風合いといったものに、ブラームス特有の旋律が加わって、なんとも言い難い風情を醸し出すのである。カール・ガイリンガー(Karl Geiringer 1899-1989)が言うところの「突き詰められたわびしいあきらめ、落莫たる晩秋の感」に近い。そして、間奏曲のみが抜粋された当盤を聴いているうちに、その情感の深まりを感じさせるところも出てくるから不思議だ。
 コロリオフは、いつもの彼のスタイルに従い、楽曲から一定の距離感をもった演奏をこころがける。録音が克明なこととあいまって、浄化され、澄み切ったような感情が表現されていて、迷いがない。ロマン派的な熱の要素が感じられず、ある意味枯淡であるが、よりクールな心掛けが、世界を作り上げている。
 op.10-3では、劇的な対比感を克明に描き出し、op76-3では簡素ではあるが、精密な設計間が奥行を作り出す。落ち着いた瞑想感が魅力だ。op.76-6も明晰な響きが音楽の細部を照らし出す。op.116-4でコロリオフの美音が築きあげる起伏と陰影が鮮やか。名曲として名高いop.117はことに簡素な響きが作り出す淡い情感がこのうえなく楽曲に合っている。op.118-6ではエネルギーの流れ自体に絶対的な魅力が横溢し、op.119-1では、思索的なメロディの深さを味わわせてくれる。
 すぐれた録音も特筆したい。奥行きや空間を感じさせながら、楽器のそのものの音色が克明に捉えられており、コロリオフの演奏意図を的確に聴き手に伝えてくれる。
 「間奏曲」だけという選曲には、最初に書いたようなプログラムとしての寂しさを感じるのではあるが、聴いていてその欠損はあまり感じない。むしろブラームスが手掛けた間奏曲という名称に込めた人生のふとしたもの、そこに潜むえもいわれぬ情感を引き出した音楽が、聴き手を音楽世界に誘ってくれる。

16のワルツ 3つの間奏曲 4つの小品
p: ザラフィアンツ

レビュー日:2020.9.3
★★★★★ 濃厚な味わいを引き出したザラフィアンツのブラームス
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants 1959-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ独奏曲集。収録内容は以下の通り。
16のワルツ op.39
 1) 第1番 ロ長調
 2) 第2番 ホ長調
 3) 第3番 嬰ト短調
 4) 第4番 ホ短調
 5) 第5番 ホ長調
 6) 第6番 嬰ハ長調
 7) 第7番 嬰ハ短調
 8) 第8番 変ロ長調
 9) 第9番 ニ短調
 10) 第10番 ト長調
 11) 第11番 ロ短調
 12) 第12番 ホ長調
 13) 第13番 ハ長調
 14) 第14番 嬰ト短調
 15) 第15番 変イ長調
 16) 第16番 嬰ハ短調
3つの間奏曲 op.117
 17) 第1番 変ホ長調
 18) 第2番 変ロ短調
 19) 第3番 嬰は短調
4つの小品 op.119
 20) 第1番 間奏曲 ロ短調
 21) 第2番 間奏曲 ホ短調
 22) 第3番 間奏曲 ハ長調
 23) 第4番 狂詩曲 変ホ長調
 16のワルツは独奏版。2004年の録音。
 ザラフィアンツの演奏における構えの大きさと、豊穣で肉厚な音色が、楽曲の特性とマッチした良いアルバムだ。
 いずれの楽曲でも、ザラフィアンツは色彩感豊かで、豪華な響きを引き出している。「3つの間奏曲」「4つの小品」といったブラームス晩年の楽曲は、むしろ行間に淡い情感を漂わせるような幽玄なアプローチを試みるケールが多いが、ザラフィアンツの演奏はそういったアプローチとは一線を画す。
 それでいて楽曲の魅力は良く伝えられている。「3つの小品」の第1番は、私に肌寒くなる季節の夕暮れを連想させる作品だが、ザラフィアンツの演奏は、内面的な活力がそこに加わった感じで、わびさびというよりは、一歩積極的な表現性を感じさせる。その結果、そこに濃厚なノスタルジーが表れており、相応に魅力的である。第2番も同じように熱量を感じさせ、枯淡というよりは、そう見せかけて英気を養っているような、生命力を感じさせて興味深い。テンポは遅めであるが、饒舌なものがあり、薄味というわけではない。
 「4つの小品」もゆったりとした幅をとり、それに相応しいダイナミックな情感の振幅が設けられる。結果として、ブラームス晩年の作品というよりは、血色豊かな、脂の乗った響きがあり、それが音楽的に美しく響くのが面白い。ザラフィアンツという演奏家の、意欲的なこころみが成功していると言っていいだろう。
 16のワルツも同様で、単調な3拍子に収まらないルバートがちりばめられ、音色も広がっており、様々な味を感じさせる。個人的には、このワルツ集には、当盤くらいに表現性豊かな演奏の方が聴き易いと思う。特に豪華さの強調された第14番は聴きごたえがあり、充実している。有名な第15番も、曲の隅々にまで情感がくまなく通っており、その能弁さが、ブラームスらしさに結び付いていると思う。

ブラームス ハンガリー舞曲 全曲(2台のピアノ版) 愛の歌 ワルツ集  ドヴォルザーク スラヴ舞曲 全曲(2台のピアノ版)
p: ベロフ コラール

レビュー日:2011.9.8
★★★★☆ もう少し瑞々しい音を捉えた録音であれば、もっと良かったのだが・・
 ミシェル・ベロフ(Michel Beroff 1950-)とジャン=フィリップ・コラール(Jean-Philippe Collard 1948-)によるブラームスとドヴォルザークの4手のためのピアノ作品を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
ブラームス 「ハンガリー舞曲集」(21曲)、「愛の歌」(18曲)、「ワルツ集」(16曲)
ドヴォルザーク 「スラヴ舞曲集」(16曲)
 いずれの曲集も「全曲を収録していること」による価値が高い。録音は1973年~76年。
 4手のためのピアノ作品というジャンルは、ちょっとした「遊び心のある」ジャンルだ。このジャンルで深い精神性を感じる名曲といったものは、ちょっと私には思いつかないけれど、しかし音楽の一つの重要な要素である「楽しみ」を、衒いなく放つことができる分野だと思う。ここに納められたハンガリー舞曲とスラヴ舞曲は、このジャンルの象徴的作品と言える。いずれも一つ一つの楽曲の規模は小さく、祭典的で瀟洒な音楽で、ちょっとしたアンコール・ピース集を聴いているような気分になれる。深く考える必要もないし、聴いていてリズムにのって膝を叩いていれば、おおむね満足できよう。
 ブラームスがこのジャンルに多くの作品を書いていることが興味深い。この作曲家には、バッハ作品を編曲した「左手のための練習曲」シリーズなどもあるし、ちょっとした遊興に向いたフレーズを、束縛条件のあるジャンルでアレンジするような「遊び心」が豊富にあったのだろう。まったく人は見かけによらないものである(?)。
 ここでピアノを弾いているのがフランスの達人、ベロフとコラールの名コンビで、このジャンルにおける集積的録音の草分けといえるコンビであろう。これらの録音も、二人が20代のころのもので、溌剌とした意気軒昂振りが漲っている。(それにしても、メシアン・コンクールでその名を轟かせたベロフが、このジャンルに精力的に展開したのは、ちょっと不思議な気もする)。
 “堅苦しいこと言いっこなし”のジャンルとは思うけれど、演奏について書くと、前述のようにとにかく爽快に弾き飛ばした感じ。スラヴ舞曲など、もうすこしスラヴらしい情感を引き出してもよかったのでは?と思うところも多いけれど、この演奏は、それよりも祭典的な爽快感を追及したものだろう。ブラームスのワルツ集も同様で、ややガチャガチャ感が強く出てしまったのは、個人的には惜しまれる。それでも、いちばん歌の要素が好ましく引き出されたのはハンガリー舞曲だろうか。
 それと、このころのEMIの欠陥だが、録音が大味で潤いに乏しいのがとても残念。

ドイツ・レクイエム(4手ピアノ版)
p: ケーン マーティス

レビュー日:2020.8.21
★★★★★ 4手のピアノが奏でるドイツ・レクイエムの妙
 ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の名作、「ドイツ・レクイエム op.45」は、当然の事ながら、オーケストラと合唱、独唱のための楽曲である。ただ、ブラームスは、小規模な演奏会場を前提とした、オーケストラを「4手のピアノ」に変更した版も書いている。また、それに加えて、「4手のピアノのみ」による、ドイツ・レクイエム全曲演奏用のスコアも遺している。
 当盤は、ドイツの二人のピアニスト、クリスティアン・ケーン(Christian Kohn)とジルケ=トーラ・マティース(Silke-Thora Matthies 1960-)による、その 「4手のピアノのみ」による、ドイツ・レクイエムの全曲録音となる。
1) 第1曲 「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」
2) 第2曲 「肉はみな、草のごとく」
3) 第3曲 「主よ、知らしめたまえ」
4) 第4曲 「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」
5) 第5曲 「汝らも今は憂いあり」
6) 第6曲 「われらここには、とこしえの地なくして」
7) 第7曲 「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」
 1996年の録音。
 それにしてもナクソスというレーベルはありがたい存在だ。このような、スコアの存在に着目し、それに相応しい演奏家を見出し、録音し、廉価で世界に供給する。このレーベルのおかげで、私も随分と楽曲やアーティストの存在を教えていただいたものだ。
 この録音も、すでに録音から20数年経過したとは言え、当時斬新なジャンルであっただけではなく、今現在も、十分に「新しいものが聴きたい」というフアンの渇望を満たしてくれるものの一つだと思う。
 作曲者自身の編曲ということもあり、楽曲の構造が違和感なくピアノに着せられており、充実した聴きごたえである。もちろん、オーケストラと合唱の表現力には及ばないので、例えば「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」などは、あまりにも簡素で平板に響く部分も多かったりするのであるが、全般にピアノと言う楽器の適性に即した新たな味わいを付加しつつ、原曲の魅力を残している。
 例えば、第2曲の「肉はみな、草のごとく」では、上昇傾向を持つフレーズと、対照的なフレーズが組み合わされて、荘厳な雰囲気を作り上げているのであるが、ピアノという楽器で奏した場合、そのフレームが明らかとなり、それゆえの構造からもたらされるダイナミズムが、直接的に伝わる面白さがある。ピアノという楽器の特性は、構造の明瞭化に役立つ。そのことは、第3曲 「主よ、知らしめたまえ」と第6曲 「われらここには、とこしえの地なくして」の輝かしいフーガがもたらす力強い脈によく表れているだろう。
 ケーンとマティースのピアノは、クセがなく、ブラームスの大曲に献身性を思わせる姿勢で臨んでいる。また、ピアノ作品として、純器楽的なアプローチに徹した感がある。それが成功を感じさせるということは、二人の演奏が、ブラームスの編曲の意図に、おおよそ即したアプローチとなっているからではないか、と思う。


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声楽曲

ドイツ・レクイエム
ネゼ=セガン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 合唱団 S: ワッツ Br: ドゥグー

レビュー日:2011.3.22
★★★★★ 1975年カナダ生まれセガンが、イギリスの名門オケとドイツ・レクイエムの秀演
 レビューを書くようになって、結構な年数になるけれど、おかげ様で様々な形で貴重な情報をいただけるようになっている。このディスクは私の尊敬するレビュアーの方から推薦をいただくという形で知ることができた。聴いてみて、なるほど素晴らしい録音だと思ったので内容と感想についてまとめてみたい。
 楽曲はブラームスのドイツ・レクイエムである。指揮をしているのは1975年モントリオール生まれのヤニック・ネゼ=セガン(Yannick Nezet-Seguin)という指揮者。ロンドンフィルと同合唱団の演奏で、独唱はソプラノがエリザベス・ワッツ、バリトンがステファン・ドゥグー。2009年のライヴ録音。これは、ロンドンフィルの若き主席客演指揮者であるセガンの名を高めた演奏会であったらしい。
 演奏の特徴については、まず静謐なシーンの抑制の厳密さにある。非常に均質的で、密度を落さずにぐっとトーンを落とし、必要な感情をライトアップするようなピンポイントの演出がある。次いでクライマックスについて。迫力があるが、エネルギーの質が特徴的で、説明が難しいが、全体が一枚板になるような、総体としてのポテンシャルを瞬時にグッと上げてくる様相がある。最近流行の3D映像というのがあるけれど、セガンの演奏の演出は、私に3D効果を思い出させる。また、ティンパニの思い切った叩きっぷりも凄い。それも、「ドスン!」というような重さといよりも、その触れる瞬間のインパクトスピード、そのためのしたたかな加速感を彷彿とさせるような臨場感に満ちたティンパニだと思う。私はこのティンパニを聴いて、コンドラシンがウィーンフィルを指揮したドヴォルザークの第9交響曲を思い出した・・あの演奏もティンパニがカッコ良かった・・・
 本盤の聴き所を一箇所あげるとすれば、第3曲「主よ、知らしめたまえ」の後半の壮麗なフーガのクライマックスだ。グングンと供給されるエネルギーによって、一気に飽和していく音楽の迸(ほとばし)りが圧巻で、まわりを音楽の世界へと引き込んで行く。
 また、最初の方で述べた静謐な緊迫感を味わえるのは、第1曲「幸いなるかな、悲しみを抱くものは」がいちばんと思う。これはやはり実際のコンサートの冒頭であるというリアルな意味での緊迫との重なりが、濃厚な雰囲気を引き出すことを助長しているのかもしれない。
 最近では2010年のレコードアカデミー大賞を受賞したアーノンクールの名盤でこの曲を楽しんでいるところだったが、セガンという指揮者もどうやらすごい力量の持ち主であるということが伝わる同曲の秀演であった。

ドイツ・レクイエム
アーノンクール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 アルノルト・シェーンベルク合唱団 S: キューマイヤー Br: ハンプソン

レビュー日:2011.1.28
★★★★★ アーノンクールのスタイルを徹底させた名演
 いきなり“どうでもいい話”で恐縮だが、先だって私は、TVでドイツの有名な温泉地「バーデンバーデン」が紹介されているのを観た。バーデンバーデンの名前なら聞いたことがある。福島競馬場では毎年バーデンバーデンカップという名物レースが開催される。福島市とバーデンバーデンは、ともに「競馬場と温泉がある街」ということで、姉妹都市なのだそうである。それで、テレビで紹介されていたバーデンバーデンは、雪の降る、どこか日本的とも言える情緒のある人口5万人ほどの町で、そこには、中世に建築された、格式高く立派な浴場があるのだそうだ。そして、例えば3時間もかけていろいろな浴槽なサウナを「はしご」する保養コースみたいなものがあるのだそうである。いやはや、贅沢な話である。
 かのヨハネス・ブラームス氏もこの地を気に入って別荘を持ち、そこでいくつかの作品のインスピレーションを育(はぐく)んだそうで、その代表作の一つが「ドイツ・レクイエム」というわけである。言われてみると、「人はみな草のごとく」など、天井の高い格調高い浴場に「さあ、これから入りますよ」と大きな気構えで歩いていくような感じの音楽だ。
 長くなった!それではアーノンクールの録音を聴いてみよう!2010年リリースの話題盤である。本盤は2010年のレコード・アカデミー賞大賞を受賞しており、アーノンクールの巨匠風意気込みの示されたディスクとされている。しかし、私が聴いた感想では、やはり紛れもない「アーノンクールならでは」の音作りとなっている。それが顕著なのが「人はみな草のごとく」の部分。フレージングが特徴的で、一つのフラグメントが終わるたび、末尾を少し早めるように切り上げて、そこで一息付く。この一呼吸、一呼吸の間合い、ニュアンスはいつだってアーノンクールの音楽に独特な個性をもたらしてきたものだ。またクライマックスでの金管の鳴り方もきわめて個性的で、ボワッと膨張するように鳴り始め、ちょっと揺らいでからすっと引いて消音する。このフレージングと金管の扱いこそがアーノンクールの刻印に思える。
 確かにこの曲は、アーノンクールのアプローチがことごとく効果的に収まる美点があり、その親和性ゆえに、「アーノンクールの指揮スタイルが巨匠的とも言える風格に近づいている」と感じられるのだけれど、よく考えると、それはアーノンクールが今までと全然違うことをやっているのではなく、今まで同様のことを徹底してやった結果だと思えるのだ。
 「万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう」「この地上には永遠の都はない」の迫力も、しっかり地に足を付けた様に響いており、聴き手を強く満足させると思える。
 また管弦楽伴奏付き合唱曲において、アーノンクールは、いつも合唱と管弦楽のアプローチを強く統一する。今回も、まったく齟齬のない仕上がりで、この点もさすがと感じられた。

ドイツ・レクイエム
シノーポリ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 プラハフィルハーモニー合唱団 S: ポップ Br: ブレンデル

レビュー日:2012.8.8
★★★★★ シノーポリ特有の感性が映える別解釈「ドイツ・レクイエム」
 2001年、ヴェルディのアイーダを指揮中に指揮台から崩れ落ち、そのまま急逝したイタリアの名指揮者、ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)。その若すぎる死はたいへん惜しまれたが、一方で彼は数多くの貴重な録音を遺してくれた。私は、2012年にグラモフォン・レーベルから16枚組のBox-セットが発売されたのを好機と思い購入し、収録されたものを一通り聴かせていただいている。当ディスクもその中の一枚として聴いた。1983年に録音されたブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のドイツ・レクイエム。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とプラハフィルハーモニー合唱団の演奏で、独唱はS: ルチア・ポップ(Lucia Popp 1939-1993)とBr: ヴォルフガング・ブレンデル(Wolfgang Brendel 1947-)。
 シノーポリの急死の話題に戻りたい。シノーポリの死後に発売された彼の録音の中にドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の「スターバト・マーテル」があった。この崇高な美しさを湛えた作品が、指揮者の死後に発売されるという因縁に不思議なものを感じつつ、その演奏は、まるで、(そんなことはあるわけないと思いつつも)自身の死を予期したかのような厳かな演奏は感動的で、世界のクラシック・フアンの間で大いに話題になった。私も、このような美しい楽曲があったのかと大きな感銘を受けたものだ。
 なぜ、この話題を書いたかというと、このシノーポリのドイツ・レクイエムの演奏が、スターバト・マーテルを彷彿とさせる雰囲気があるからである。
 つまり、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」という曲にはブラームス特有の死生観が出ている一方で、壮大でシンフォニックな演奏効果が図られていて、その双方を引き出す演奏というのが主流だと思うのだけれど、シノーポリの演奏からは、そのような従来的なデザインにはそれほどこだわらず、むしろ遠くにある何かに対する崇高な畏怖を表現しているような印象を受ける。合唱、管弦楽ともに感情を抑えたような雰囲気で、禁欲的とも言える効果を感じる。シノーポリとチェコ・フィルという珍しい顔合わせも作用しているかもしれない。
 第6曲「われらここには、とこしえの地なくして」など、むしろさりげないほどの印象で、金管もむしろ軽めの響きで応じている。このようなドイツ・レクイエムというのはちょっと他に聴くことが出来ない。また、ハープの音色などをクリアに響かせているところもシノーポリ流だろう。
 いわゆる「ブラームスらしさ」を望む人には向かない演奏だとも思うけれど、シノーポリのドヴォルザーク(スターバト・マーテル)に心動かされた人なら、一度聴いてみる価値は十分にあるだろう。熱っぽい成分を抑制し、従来とは別の感覚に照らされたドイツ・レクイエムに接することができるだろう。

ドイツ・レクイエム
P.ヤルヴィ指揮 フランクフルト放送交響楽団 スウェーデン放送合唱団 S: デセイ Br: テジエ

レビュー日:2016.7.4
★★★★★ 精神的な重厚さより、音楽の構造に即したアプローチに徹したヤルヴィのドイツ・レクイエム
 パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、フランクフルト放送交響楽団とスウェーデン放送合唱団による、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のドイツ・レクイエムop.45。2009年フランクフルト放送交響楽団の創設80年記念を祝して行われたコンサートの模様を収録したもの。
 二人の独唱者は、ソプラノがナタリー・デセイ(Natalie Dessay 1965-)、バリトンがリュドヴィク・テジエ(Ludovic Tezier 1968-)。
 ブラームスのドイツ・レクイエムは、ブラームス自身が抜粋したテキストによる「演奏会用作品」であって、実際の典礼に用いることができないものであることは、よく知られている。このヤルヴィの演奏は、そういった作品の性格を体現したような、演奏会作品として割り切った耳あたりの良い、聴き心地の良いものであるというのが、トータルの印象である。表現は安定した中庸の美を守ったもので、よどみのないスムーズな進行に基づく。
 スウェーデン放送合唱団も、ヤルヴィのスタイルに即した合唱であり、前後の連続性に配慮した貫かれた美観に満ちている。オーケストラもバランスの良い響きで、聴こえてほしい音がすべて届けられるような心地よさがあり、ハープの音なども他の録音とくらべても聴き取りやすい。全体的にビブラートは控えめであり、荘厳な感情に訴えるのではなく、純音楽的な表現力を重視した演奏と感じる。
 全7楽章のうち、安寧なものを表現した第4楽章「いかに愛すべきかな、なんじのいますところは、万軍の主よ」の暖かく、満ち足りた感触に溢れた表現は、この演奏の特徴をよく示したものだろう。第6楽章「われらここには、とこしえの地なくして」においては、ヤルヴィのアプローチが、純音楽的な迫力を追求したもので、構造に基づく力感がよく伝わってくるところ。あるいは、ヤルヴィの演奏意図として、この箇所がクライマックスであったとも思われる。第7楽章「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは」で暖かいものに帰還していく様も、心地よく、美しい。
 二人の独唱は、こちらも安定した表現で、個性ではなく、全体の中の機能を意識した音楽が作られていると言って良い。大規模な器楽曲を聴くようなスタンスで楽しむことのできる録音として、高い完成度に達している。

ドイツ・レクイエム
ケーゲル指揮 ライプツィヒ放送交響楽団 ライプツィヒ放送合唱団 S: ヘガンデル Br: ローレンツ

レビュー日:2019.12.26
★★★★★ 聴かせどころに明確な焦点の合った演奏
 ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel 1920-1990)指揮、ライプツィヒ放送交響楽団とライプツィヒ放送合唱団によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ドイツ・レクイエム op.45」。ソプラノ独唱はマリアンネ・ヘガンデル(Mari Anne Haggander 1951-)、バリトン独唱がジークフリート・ローレンツ(Siegfried Lorenz 1945-)。1985年の録音。
 ブラームスの「ドイツ・レクイエム」は、演奏によって設定テンポに「幅」のある楽曲で、全曲の演奏時間は、早いものだと60分台前半、遅いもの80分を越える。現代では、早いテンポ設定の録音は多くはない。当盤は、全体はほぼ72分でまとまっているが、現代の感覚では、やや速めと感じる人が多いくらいのテンポだろう。
 ケーゲルは、そのテンポに自然な安定感を与えている。オーケストラはマイルドでかつ洗練された響きである。それでいて、細部に特有のきめ細かさや外連味のあるところがある。それは全体的な印象というより、部分部分でスポットライトが当たるような、点景のようにして印象付けられるところがあるのだ。
 例えば、第2楽章「人はみな草のごとく」。ティンパニの深刻なリズムに導かれて、音楽は荘厳な響きを増して行くが、ここでティンパニの立ち位置を鮮やかにスイッチングして、金管とのバランスを整え、楽想の転換に劇的なものを与えることに成功している。また、第6楽章「この地上には永遠の都はない」では、クライマックスと言えるほどにエネルギーの奔流を導くが、ここでも金管のコントロールに特に集中力を注いでおり、その効果的な音響が、音楽の立体的な迫力を鮮やかに演出している。そのような意味で、ケーゲルの「キメどころを外さない」周到な演奏を堪能できる一枚と言えそうだ。
 録音の品質も安定している。コーラスの響きが、楽器の個別の鮮明度に与える影響をうまく回避し、つねに器楽と声楽の距離感がキープされている感覚がある。一言で言うと「奥行きを感じる」響きになっている。
 2人の独唱も好演だ。特にローレンツのバリトンは素晴らしく、厳かでありながら、テキストに即した情感の抑揚が伝わり、聴き手の心に訴える力の強いものとなっている。それに比べると・ヘガンデルのソプラノは、素朴であるが、これは当該楽章全体の雰囲気の違いに沿ったものなのかもしれない。
 全体としては、弛緩のない、聴き易くまとまったドイツ・レクイエムであり、録音の優秀さと併せて、気が逸れることなく、全曲に浸れる演奏であると感じる。

ブラームス 運命の歌  R.シュトラウス 3つの賛歌  レーガー 希望に寄せる リーム ヘルダーリン断章
アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団 S: マッティラ Br: ケスタース

レビュー日:2015.7.27
★★★★★ ヘルダーリンを音楽で問う 没後150年演奏会の模様
 ドイツの思想家で詩人でもあったフリードリヒ・ヘルダーリン (Friedrich Holderlin 1770-1843)の没後150年を記念して、アバド(Claudio Abbado 1933-2014)がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、ヘルダーリンの詩に音楽を付随した作品を演奏した模様を集めたアルバム。すべて1993年のライヴ録音。収録曲は以下の通り。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) 運命の歌 op.54
2) R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949) 3つの賛歌 op.71(愛の讃歌、帰郷、愛)
3) レーガー(Max Reger 1873-1916) 希望に寄せる op.124
4) リーム(Wolfgang Rihm 1952-) ヘルダーリン断章(1977年版)
 1)は、合唱、2,3)はソプラノ独唱、4)はバリトン独唱を伴っていて、それぞれライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団、カリタ・マッティラ(Karita Mattila 1960- ソプラノ)、ヨハネス・M・ケスタース(Johannes M. Kosters バリトン)が担う。
 ヘルダーリンの啓示的な詩は、ハイデッガー(Martin Heidegger 1889-1976)やニーチェ(Friedrich Nietzsche 1844-1900)の哲学にも大きな影響を与えたもの。ギリシア神話やロマン派のテーストを持ちながらも、そこで描かれる神事は自然現象であり、神の介在は結果である自然のなかにその様相を示すというスタンスが多い(感覚的には神道に近い気がする)。彼の詩は19世紀中で音楽の題材に取り上げられることは少なかった。その詩は、抑揚や韻文が独特で、流暢さという点においてロマン派の題材にはなりにくかった。しかし、20世紀に入ると、その寓意性や象徴性が、十二音音楽と符合するものを持つことなどから、様々な作曲家に題材として用いられるようになる。感情と知性の表現が同時に行われる音楽において、その実践的価値が近い詩であった、というのも穿った考えではないだろう。
 中にあって、ブラームスがいち早く彼の詩から音楽を書いたことは注目に値する。とはいえ、この「運命の歌」自体は、新ウィーン楽派への直接的な影響を感じるものではない。むしろブラームス特有の甘美さがある作品。アバドの演奏は郷愁的な響きを爽やかな力強さで引き出している。この楽曲から、これほど絵画的な美しさを感じさせる演奏に接するというのは、私にとって初めて。美しい夕映えの風景に通じるものがある。
 この感覚と連続して奏でられるR.シュトラウスも美しい。ブラームス同様、後期ロマン派の彼がヘルダーリンにどのような感覚を持って接したかわからないが、彼はニーチェにインスパイアされた曲も書いているし、好みだったのかもしれない。それはとにかく、「3つの賛歌 op.71」は傑作だと思う。ソプラノと管弦楽によって奏でられる豪華さと退廃的な美の同居は絶妙で、ヘルダーリンの詩ってこんな感じなのでは、といった妙な説得力も感じる。それこそ素人の感想で恐縮だが、当マッティラの名唱で是非味わっていただきたい一品だ。
 レーガーの作品は、なかなか思惟の勝った作品が多く、私は苦手なのだけれど、「希望に寄せる」は聴きやすい。少しディーペンブロック(Alphonsus Diepenbrock 1862-1921)を彷彿とさせるロマン派の香りが漂う。深々と鳴らされるティンパニは、優しさと力強さを備えていて胸を打つ。
 最後のリームの作品が、あるいは最近の、もっともヘルダーリン音楽的なものなのかもしれない。静寂の中で突如なる衝撃的な音色、間断を交えながら蓄積する寓意的音型。感覚の鋭敏さを求めた作品だろう。いずれもアバドの解釈で優れた演奏と感じられる内容だ。


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歌曲

プラーテンとダウマーによるリートと歌 ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲 4つの厳粛な歌
Br: ゲルネ p: エッシェンバッハ

レビュー日:2016.9.16
★★★★★ 地味な暗さのある楽曲たちですが、ゲルネの美声により、豊かな情感で表現されています
 一連のシューベルト(Franz Schubert 1797-1828)の歌曲の録音で大きな成果を挙げた、バリトンのマティアス・ゲルネ(Matthias Goerne 1967-)とクリストフ・エッシェンバッハ(Christoph Eschenbach 1940-)によるブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の歌曲集。2013年と15年にセッション録音されたもの。収録内容は以下の通り。
プラーテンとダウマーによる9つの歌曲 op.32
 1) 第1曲 私は不意に飛び起きた(Wie rafft ich mich auf in der Nacht)
 2) 第2曲 もうお前のところには行くまい(Nicht mehr zu dir zu gehen)
 3) 第3曲 私はさまよい歩く(Ich schleich umher)
 4) 第4曲 私のそばを流れ去った河(Der Strom, der neben mir verrauschte)
 5) 第5曲 忌々しい、お前はそうやって私をまた(Wehe, so willst du mich wieder)
 6) 第6曲 私が思い違いをしているとお前は言う(Du sprichst, dass ich mich täuschte)
 7) 第7曲 ひどいことを言おうと思っているが(Bitteres zu sagen denkst du)
 8) 第8曲 私とあの子はこんな中(So stehn wir, ich und meine Weide)
 9) 第9曲 わが妃よ、あなたは何と(Wie bist du, meine Konigin)
(ハインリヒ・ハイネの詩による歌曲から)
 10) 夏の夕べ(Sommerabend) op.85-1
 11) 月の光(Mondenschein) op.85-2
 12) 死は冷たい夜(Der Tod, das ist die kuhle Nacht) op.96-1
 13) 花は見ている(Es schauen die Blumen) op.96-3
 14) 航海(Meerfahrt) op.96-4
4つの厳粛な歌 op.121
 15) 第1曲 人の子らに臨むところは獣にも臨むからである(Denn es gehet dem Menschen)
 16) 第2曲 わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た(Ich wandte mich, und sahe an)
 17) 第3曲 ああ死よ、おまえを思い出すのはなんとつらいことか(O Tod, wie bitter bist du)
 18) 第4曲 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても(Wenn ich mit Menschen)
 10-14)の5曲は、異なる歌曲集から、ハイネ(Heinrich Heine 1797-1856)の詩によるものを選び出した形。
 ブラームスの歌曲の重要性はしばしば指摘されるが、特有の難渋さを持った曲が多く、それを愛好する人は多いとは言えないだろう。ここに収録された楽曲でも、特に両端の「歌曲集」の体裁となっている曲たちは、概して曲想が重く、聴く人の気持ちが明るくなるようなものではない。
 しかし、その前提を別とすれば、ゲルネとエッシェンバッハの深い洞察に支えられたこの録音は見事なものなので、音楽的な深みに接するという点で、推薦したいもの。(聴き手は限られるかもしれないが)。
 ゲルネの歌唱は、低音を扱った長いフレーズの処理が巧く、実に自然である。「プラーテンとダウマーによる9つの歌曲」に見られるように、低声を前提とした歌曲でも、ブラームスはピアノ伴奏に低音をふんだんに使うことを厭わなかったが、エッシェンバッハのピアノはさすがに心得が深く、ゲルネのフレーズはよく活きている。特に第9曲「わが妃よ、あなたは何と」は、楽曲の充実もあり、聴き映えが豊かだ。
 ハイネの詩による5つの歌曲では、特に「夏の夕べ」と「月の光」が印象的で、寄せては返す波のような背景の中、美しい情緒が綴られていく。また、ここでは、ゲルネの静謐を感じさせる弱音の美しさも特筆したいところ。
 「4つの厳粛な歌」は、ブラームスの辞世の作といっても良い作品で、その諦観的な世界観は、時に重々しくのしかかるが、ゲルネの伸びやかな声は、救いの要素を感じさせるものだろう。それはしばしば闇の中を伝わってくる甘味のように、不思議な情感を伴って、音楽を聴くものに届けられる。
 全般にゲルネの弾力ある低音を十全に生かした演奏となっている。エッシェンバッハのピアノも実に自然で、楽曲の進行をさりげなくコントロールする巧さに、聴き終ってあらためて気付かされる。


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