ベルリオーズ
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幻想交響曲 レリオあるいは生への復帰(リリック・モノドラマ) トリスティア デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 合唱団 vo: ウィルソン T: クレメント ジェッツ Br: ルイヨン レビュー日:2007.11.3 |
★★★★★ デュトワの適性が発揮されたベルリオーズ
エクトール・ベルリオーズはいちはやく「交響曲」という様式に多用な発展の可能性を見出した作曲家ということになる。ベートーヴェンの着想をより自由に誇大に拡張したとも言える。幻想交響曲は5楽章からなる標題性を持った交響曲であるが、なんとこの作品には「続編」がある。それが「レリオ、あるいは生への復帰」である。幻想交響曲は失恋からの薬物自殺により垣間見る「幻想」を描き、自殺未遂に終わった後の描写が「レリオ」と、大雑把に言ってしまえばそうなる。 では「レリオ」は交響曲か?と言うとそうではないらしい。ナレーターの語りに導かれて、ピアノ付歌曲になったり管弦楽が華やかなになったり、それが突然また闇に閉ざされたり・・・といったあいかわらず夢と現実を行きつ戻りつな世界であり、また幻想交響曲の美しいモチーフが時折たちあわれては霧のように去っていく・・・ デュトワはまず84年に幻想交響曲を録音し(これは当時のレコードアカデミー賞の録音部門を受賞している)、後に96年に録音した「レリオ」をカップリングしてアルバムとして完成させた。さらに当盤には管弦楽をともなう合唱曲「トリスティア」が収録されている。デュトワの演奏はパステルカラーの色彩で、見通しのよい健康的なもので、病的なこれらの楽曲を鮮やかに再現している。いささか健康的過ぎるかもしれないが、音楽としてのまとまりは素晴らしく、サウンドは常に耳に心地よい。「レリオ」はマイナーな作品だが、実はベルリオーズの作品の中でも特に魅力的な旋律に溢れたチャーミングな作品でもあり、その長所をデュトワはことごとく引き出している。「猟師」「亡霊の歌」「山賊の合唱」などポリフォニーが純粋にまっすぐ交錯して、いかにも清清しい。旋律自体の魅力も存分に奏でられている。さすがの快演だ。「幻想交響曲」もモダンな配色で仕上がっていて、20年以上たった今聴いても、新鮮な響きに満ちている。また「トリスティア」は大太鼓のどことなく和風なリズムが印象的な楽曲で、これまたとても楽しく聴くことができる。デュトワのベルリオーズへの適性がいかんなく発揮された名演だと思う。 |
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幻想交響曲 序曲「宗教裁判官」 ショルティ指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2007.7.3 |
★★★★★ まちがいなくブラボー級の快演
グラミー賞を受賞した名盤。ショルティは、この後92年にもこの曲をライヴで再録音しているが、この72年版の方が熱狂的なファンが多いのではないだろうか。 「幻想交響曲」の概念を根底から見直した、まるでマーラーのような音楽である。と書いてしまうと語弊を招きそうだが、実に立派な逞しい演奏である。とにかく瞬間瞬間のキレが尋常なレベルではなく、その踏み込みの深さと速さにおいて、比類ない反射を見せるオーケストラの技術が圧巻である。これだけ感性で押し切った「幻想交響曲」はめったに聴けるものではない。1楽章のクライマックス、そして4楽章の断頭台への行進シーンで思い切り縦線をくっきり打ち出して鳴らされるティンパニの鮮烈な効果は抜群だ。これだけでも聴く価値がある。終楽章のブラスの壮麗な音の伽藍は圧巻である。 また、あわせて収録された序曲「宗教裁判官」も、ブラスセクションの活躍する曲であり、ショルティとシカゴ交響楽団の面目約如といった活躍ぶりで、その爽快感は比類ない。まちがいなくブラボー級の快演である。 |
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幻想交響曲 序曲「宗教裁判官」 ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団 レビュー日:2020.7.2 |
★★★★☆ ノリントンの趣味性によって貫かれた攻撃的かつ個性的な演奏
ロジャー・ノリントン(Roger Norrington 1934-)指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏で、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の以下の2つの楽曲を収録。 1) 序曲「宗教裁判官」 op.3 2) 幻想交響曲 op.14 2003年のライヴ録音。 ノリントンは、1978年にロンドン・クラシカル・プレイヤーズを設立し、ノン・ヴィブラートやメトロノーム指示の厳守といったピリオド奏法を唱導した大家の一人である。1998年に現代楽器によるオーケストラであるシュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者に就任すると、このオーケストラにもノン・ヴィブラートを中心とした演奏手法を取り入れ、幅広い作品に同様のアプローチを心掛けた。 当盤に収録されたベルリオーズもその一つであり、その響きはとても個性的である。 基本的にヴィブラートを抑制していることから、弦楽器陣の響きは薄く、音色も硬めである。そのため、凹凸感が強まり、響きは断続的な傾向を示す。テンポは、時に劇的な抑揚を設けるところがあるが、全体としては平均的かむしろ遅めをとる傾向があり、その結果、部分ごとにクローズアップして、そこにどんなパーツか存在するのかを説明するようなデフォルメが導かれる。解析的と言う形容もできるかもしれない。金管とティンパニは、強い音がことさら激しく、調和ではなく独立を目指す。そのため、様々な対比がクローズアップされ、音楽的演出も「唐突さ」を感じさせる部分が多くなる。 ノリントンの演奏に、現代オーケストラの豊穣なハーモニーを期待するのはお門違いなのだろう。とにかくユニークだし、「自分はこうやるんだ」というスタンスは、学術的探求を踏まえた自信を背景としたものだろう。確かに面白い効果は出ている。特有のギクシャク感は、幻想交響曲の後半のグロテスクな要素を強調しているし、第3楽章のティンパニも強烈な印象を刻む。その一方で、この交響曲が持っている「幻想」の名にふさわしい性格は、その強度を弱められていて、ずいぶん乾いた素気の無い印象にもつながる。 それと、私が当演奏の問題点として感じる最も大きな点は、ベルリオーズが、大きな編成のオーケストラを用いて獲得を目指したであろう豊かな表現性が、ほとんど感じられないという点にある。もちろん、目指すものが違うということは理解するが、疎らさの目立つ合奏音は、短期的には刺激的だが、繰り返されることによって、どうしてもその薄みが気になり、この音楽から陶酔の要素をほとんど取り去ってしまうことになる。 というわけで、ベルリオーズの作品を味わいたいという人には、正直不向きな一枚だと思う。ただし、ノリントンという芸術家が探求した成果を踏まえて、ピリオド奏法がベルリオーズに還元されるとこうなるのだという面白味は、感じ取ることが出来る。 |
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幻想交響曲 カンタータ「クレオパトラの死」 ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 S: グラハム レビュー日:2019.2.19 |
★★★★☆ 解析的な緻密さがユニークなラトルの幻想交響曲
2002年から2018年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めたサイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)が、その前半に録音したものが廉価のBox-setとなったので、この機会に入手して聴いている。その1枚が当盤に相当。ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の以下の2作品が収録されている。 1) 幻想交響曲 2) カンタータ「クレオパトラの死」 2008年の録音。カンタータ「クレオパトラの死」におけるソプラノ独唱はスーザン・グラハム(Susan Graham 1960-)。 結構、話題になった録音だったと思ったけれど、私は10年も経過してからはじめて聴いたことになる。 さて、この「幻想交響曲」、かなり挑戦的な演奏である。つまり、この楽曲は、ロマン派の幕開けの頃に書かれた気宇壮大な管弦楽曲で、表題性があり、しかもその表題性は、薬物による幻覚をテーマとした、熱的かつグロテスクなものであるので、この楽曲にアプローチする際には、そのような土壌から情熱的・夢想的なものを、如何に描き出すが、という視点がある程度重視されるわけであるが、このラトルの演奏はそれらの演奏と完全に一線を画しているのである。 私の感覚で行ってしまえば、ラトルはこの演奏によって、聴き手の「情」より、まず「知」に働き替えることを念頭に置いている。 例えば、第4楽章。この楽章は、(夢の中で)恋人を殺害した芸術家が断頭台に引き立てられ、その周囲で悪鬼たちが乱舞する様を描いているので、通常、かなり情熱的で推進力みなぎらせて、劇的な演出を施すわけであるが、ラトルの演奏はまったく違う。非常に緻密に音楽構成を区分化し、線的な処理を繰り返していく。打楽器は正確であるが、全般に音量が抑制されているのは、ラトルの解釈として意外なものを感じさせるが、それだけに指揮者の考え方が明瞭に伝わる面白さがある。 第1楽章も緻密だ。透明感のある音であるが、後半に待ち構えるクライマックスめがけて高揚感を高めていくよりは、機能的な処理に徹し、その中で聴こえてくる「新しいもの」に目ざとくスポットライトを当てる。カチカチと光が切り替わっていくような不思議な感覚を覚える。 第2楽章は弦の圧倒的といってもよいシームレスな運びが凄い。処理法としては機械的なのかもしれないが、完成された響きの完全性は高いし、他の演奏とはまったく違う配色を感じる。第3楽章は木管の独立性をことのほか際立てた解釈がユニーク。 第5楽章も、情熱的表現から明瞭に一線を画し、金管、打楽器ともに音の大きさを緊密な制御下において、隙のない造形性を気づきあげる。 なかなか面白い、特徴的な演奏で、(私が)録音から10年を経て初めて聴いたラトルの幻想交響曲は、思っていたものとかなり異なるものであった。その評価は一概にはし難いものがある。一つはっきりと言えることは、好悪のはっきりわかれる演奏であり、当盤を、幻想交響曲を聴く際のファースト・チョイスにはオススメできない、ということであろう。ただ、楽曲をいくつかの録音で知った後で聴くことで、知的な刺激を様々に受ける演奏であるはずだ。 併録してあるカンタータ「クレオパトラの死」は聴く機会の少ない作品だろう。レリオを思わせるダークな側面を感じる楽曲だが、ここでもラトルの指揮ぶりは解析的で、時にやや奥まった印象を感じる。後半の「瞑想」と題された部分で、グラハムの独唱とともに、独特の深刻な雰囲気を描き出している点が魅力的だ。ただ、私はこの曲については、他の録音で聴いたことがないので、比較検討は出来ない。 |
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幻想交響曲 序曲「海賊」 クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団 レビュー日:2019.9.5 |
★★★★★ 「幻想交響曲」の隠れ名盤の一つ
ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏で、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の以下の2作品を収録したもの。 1) 幻想交響曲 op.14 1981年録音 2) 序曲「海賊」 op.21 1962年録音 ともにライヴ録音。収録年に開きがあり、序曲「海賊」はモノラル音源である。 クーベリックとベルリオーズという組み合わせは、ぱっと見た感じで、あまりそぐわないように思う。スラヴの音楽文化に端を発し、ドイツ・オーストリアの王道路線にアプローチした音楽家にとって、対岸にある作品、というイメージが強い。実際、クーベリックの演奏で、入手可能なベルリオーズの音源は限られている。 しかし、えてしてそのような先入観はアテにならないもので、ここで聴くクーベリックの幻想交響曲はとても面白い。この交響曲が、ダーク・ファンタジー的なストーリーに沿って描かれていることはよく知られているが、クーベリックの演奏は、ライヴ特有の踏み込み、燃焼性の高さ、フレージングの扱いの妙により、この作品を「きれいごとでは終わらせない」といった意志表出があり、聴き飽きないものとなっている。 第1楽章は導入こそじっくりしているが、音楽が進むにつれて、弦楽器に大きな振幅を感じる響きが強まり、それとともに、様々な感情が喚起されるようになるが、その中には、不安を託つ(かこつ)ものや、挑戦的で、聴き手の心を惑わすものも含まれていて、様々に気持ちを動かされるのを感じる。第2楽章は比較的普通だが、フレーズの扱いにユニークなものがあり、決して安穏としたものではない。第3楽章をどの演奏を聴いても同じように聴こえるという人は、是非このクーベリック盤を聴くべきで、様々な演出が入っていて、各奏者の妙味もあり、かつて聴いたことがないような雄弁な音楽となっている。第4楽章はオーケストラの機能美を引き出しながら、逞しい音像が立ち上がり、そして第5楽章では、様々な音が「効果音」的な装飾性を持ちながら、不安を煽りたて、そこから果敢に踏み込んだアグレッシヴなフィナーレに突き進むというという「力技」を披露してくれる。まさに、クーベリックのライヴならではの熱い幻想交響曲であり、当曲の隠れ名演の一つと言っていいだろう。 ライヴならではの音響的な不完全さは確かに指摘できるが、ある意味で、そのことさえ迫力に転化した手腕も感じる演奏だ。 序曲「海賊」も力強いが、さすがにこちらは録音面での古さが目立ち、幻想交響曲と続けて聴いてしまうと、寂しいところが残る。 |
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ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」 歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲 パガニーニ 大ヴィオラと管弦楽のためのソナタ アシュケナージ指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 va: カーペンター レビュー日:2011.10.17 |
★★★★☆ アメリカ気鋭のヴィオラ奏者、カーペンターを聴く
エクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-1869)の歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲、交響曲「イタリアのハロルド」それにニコロ・パガニーニ(Niccolo Paganini 1782-1840)の「大ヴィオラと管弦楽のためのソナタ」の3曲を収録。アシュケナージ指揮ヘルシンキフィルの演奏で、「イタリアのハロルド」と「大ヴィオラと管弦楽のためのソナタ」でヴィオラ独奏を務めるのはデヴィッド・アーロン・カーペンター(David Aaron Carpenter)。録音は2011年。 選曲からも、アルバムのテーマは「ヴィオラと管弦楽の音楽」にあるだろう。カーペンターは1986年ニューヨーク生まれのヴィオラ奏者。アメリカでは、カーペンターはピンカス・ズーカーマン(Pinchas Zuckerman)に指導を受けていたという。ズーカーマンとアシュケナージは、室内楽でも協奏曲でもしばしば共演していたので、ひょっとするとアシュケナージはズーカーマンを通してこの若手ヴィオリストを早くから知っていたのかもしれない。 ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」はバイロンの長編詩にインスパイアを受けて作曲された独奏ヴィオラ付の4つの楽章からなる交響曲で、ヴィオラとオーケストラという作品自体が少ない状況では貴重なジャンルを占めている。ベルリオーズらしい重々しさや豪壮さがあり、主題も比較的馴染み易いと言える。ここでアシュケナージの指揮スタイルは、ふくよかで柔軟な響きを求めていて、ベルリオーズらしい「ズシンとくる」感じをむしろ中和していると感じる。そこで、まずこの演奏の好みが分かれそう。とは言え際立って個性的ではなく、バランスの良い力配分だと思う。カーペンターのソロは、冒頭しばらくはちょっとかしこまった感じがあるが、すぐに滑らかな弦の扱いが立ち現われ、たいへん聴き味の良いスマートな音楽になる。第2楽章の巡礼の音楽は起伏の少ないインテンポで描かれる。終楽章は協奏曲というよりオーケストラ曲であるが、ここでは管弦楽が力強い合奏音を引き出していて、気持ちの良い踏み込みもある。 パガニーニの作品は初めて聴いた。非常に軽いテイスティングの音楽で、特にユーモラスとも言える終楽章の遊びながらの追いかけっこのような部分が印象的。オーケストラと独奏者の楽しみが伝わるような演奏だ。 冒頭に収録されているベルリオーズの序曲も、インテンポながら縦線の強調を抑えた丸みのあるサウンドが特徴だろう。また、オンディーヌのソロ楽器(ヴィオラ)だけでなく、管弦楽の一つ一つの楽器の音まで、克明に、瑞々しく捉えた録音が見事。同じレーベルからリリースされたアシュケナージとヘルシンキフィルによるスークのアスラエル交響曲の時と同じように、鮮烈なインパクトを感じさせる仕上がりだ。 |
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交響曲「イタリアのハロルド」 歌曲集「夏の夜」 劇音楽「ファウストの劫罰」から「テューレの王のバラード」 ミンコフスキ指揮 ルーヴル宮音楽隊 va: タムスティ MS: オッター レビュー日:2022.9.7 |
★★★★☆ アメリカ気鋭のヴィオラ奏者、カーペンターを聴く
マルク・ミンコフスキ(Marc Minkowski 1962-)指揮、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル-グルノーブル(ルーヴル宮音楽隊)の演奏によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の下記の作品を収録したアルバム。 交響曲「イタリアのハロルド」 op.16 1) 第1楽章 「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」 2) 第2楽章 「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」 3) 第3楽章 「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」 4) 第4楽章 「山賊の饗宴、前後の追想」 歌曲集「夏の夜」 op.7 5) 第1曲 ヴィラネル (Villanelle) 6) 第2曲 ばらの精 (Le Spectre de la Rose) 7) 第3曲 入り江のほとり(哀歌) (Sur les lagunes (Lamento)) 8) 第4曲 君なくて (Absence) 9) 第5曲 墓地で(月の光) (Au cimetiere (Clair de lune)) 10) 第6曲 未知の島 (L'ile inconnue) 11) 劇音楽「ファウストの劫罰」 op.24 から 「テューレの王のバラード」 1-4)のヴィオラ独奏は、アントワーヌ・タムスティ(Antoine Tamestit 1979-) 5-11)のメゾソプラノ独唱は、アンネ=ゾフィー・フォン・オッター(Anne Sofie von Otter 1955-) 2011年の録音。 ピリオド楽器による演奏だが、思いのほか楽曲との相性が良く、適切な音響や音色で満たされた感がある。 イタリアのハロルドは、音の輪郭を描き出す乾いた弦の響きが、全体的な雰囲気を良く作っているし、多少抑制感のある金管も、ヴィオラ独奏を含むというこの楽曲特有の編成にマッチしている。つまり、独奏ヴィオラの音と、オーケストラのサウンドが、ピリオド楽器ゆえのトーンを作っていて、それが聞き味として良い方に作用している。木管とヴィオラのやりとりも、適度なコントラストと距離感があり、落ち着きがあって、良い効果をもたらしている。また、その色彩感は美しい。色合いとしては、シックな感じであるが、必要な情感は備わっている。第2楽章の有名な巡礼の旋律も、ほどよい歌謡性がにじみ出る品の良さがあり、上々の聴き味。第3、第4楽章も、節度とバランスを感じるテンポと音量であり、過不足ない響きになっている。また、この好演は、当然のことながら、タムスティの自在性と表現力に秀でた独奏ヴィオラがあってこそであり、オーケストラの音と優れた対応を示すヴィオラの妙技は、全編通しての聴きどころとなっている。 歌曲集「夏の夜」では、オッターの弾力があって、透明な歌唱が魅力。「ヴィラネル」のリズムにそよぐような歌唱、「君なくて」で描かれる情感、「未知の島」におけるあこがれを思わせる響きと、楽しい。一緒に収録された「テューレの王のバラード」も、印象に残る旋律であり、このアルバムを締めくくる一編として、素敵である。 |
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幻想交響曲(リスト編ピアノ独奏版) p: ペトロフ レビュー日:2013.9.20 |
★★★★☆ 「20世紀三大ロシアンピアニスト」に数えられたペトロフの記録
ロシアのピアニスト、ニコライ・ペトロフ(Nikolai Petrov 1943-2011)は、ギレリス(Emil Gilels 1916-1985)、リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)と併せて、「20世紀三大ロシアンピアニスト」の一人、と称えられたが、他の二者に比べて、ずっと若かったにも関わらず、旧西側諸国や日本における認知度は概して低かった。私が個人的に考える「その理由」は、リヒテル、ギレリスが自由主義経済の商業ベースにおいて、レコード会社の戦略と適切なタイミングで自身の芸術を進化させたのに比し、ペトロフはそういったことに無関係・無関心といったスタイルだったことがあると思う。そのことを象徴するのは、ペトロフの当時のソ連にあって、前衛的とも言えるレパートリーがある。 そのような背景があって、ペトロフの録音というのは絶対数が少なく、リリースされたものも、短期間で廃盤となることが多い。しかし、その中には、レパートリー自体の希少性とあいまって、伝説性を帯びるものも少なくない。 それで、当盤もそういった気配をもったもので、収録されているのは、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の名曲「幻想交響曲」を、リスト(Franz Liszt 1811-1886)がピアノ独奏用に編曲したもの(そこにさらにペトロフによる追加アレンジがなされたもの)である。1987年のデジタル録音。この幻想交響曲のピアノ版自体、録音がほとんどないものだと思われる。 はじめに、当盤の録音であるが、お世辞にもいいとは言えない。むしろ響きが痩せており、ピアノの音にふくよかさが感じられない。ペトロフの知名度が高まらなかった背景には、そのような恵まれない録音環境もあったと思う。本人が自身の芸術の売り込みにさほど関心がなかったのかもしれないが、ファンとしては残念に思うところである。 そのような録音を前提として演奏である。前述の録音のため、響き自体については、実音と差があると考えられるため、言及が難しいが、一音一音の独立性が高い音色で、かなり硬質系の響きである。またフォルテの凄まじい音量は、リヒテルやギレリスとも共通する印象で、全般に彼らに近い音楽性を感じる。 編曲は、元来がいかにもオーケストラ映えする、しかも弦楽器の響きを堪能させる楽曲だっただけに、部分的に音が疎になるイメージになるところが避けられないが、それでも急速な部分のたたみ掛ける迫力や、4楽章の葬送行進曲、5楽章のグレゴリオ聖歌の旋律など、ペトロフのパワーも手伝って、目も覚めるような効果が獲得されている。 もう少しいい音で聴きたかったという感は残るが、選曲・演奏の双方で、ペトロフという芸術家の存在感を伝える記録であることは間違いない。 |
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ベルリオーズ 幻想交響曲(リスト編ピアノ独奏版) リスト ウィリアム・テルの聖堂 泉のほとりで オーベルマンの谷 p: ムラロ レビュー日:2019.7.8 |
★★★★★ ピアノ版「幻想交響曲」の隠れ名盤
フランスのピアニスト、ロジェ・ムラロ(Roger Muraro 1959-)が、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の生誕200年を記念して、2010年に録音したアルバム。収録曲は以下の通り。 1) リスト 巡礼の年 第1年 「スイス」 より 第1曲 「ウィリアム・テルの聖堂」 2) ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869) 「幻想交響曲」 op.14(リスト編曲 ピアノ版) 3) リスト 巡礼の年 第1年 「スイス」 より 第4曲 「泉のほとりで」 4) リスト 巡礼の年 第1年 「スイス」 より 第6曲 「オーベルマンの谷」 当アルバムの目玉と言えるのは、なんといってもピアノ版幻想交響曲である。この曲には、ニコライ・ペトロフ(Nikolai Petrov 1943-2011)が1984年に録音した、ちょっと有名なものがあって、私も所持しているのだが、私は断然にムラロの方が好きである。ただ、ペトロフのディスクは、録音状態があまり良くないというディスアドヴァンテージがあるのだけれど。しかし、そうは言っても、ムラロの演奏には、ペトロフ盤では味わえない多彩さがある。何と言っても音色の豊かさが桁違いだ。 幻想交響曲の第4楽章、断頭台への更新のシーン、低く刻まれるリズム、ざわざとうごめく弦、やがて壮麗なクレッシェンドとともに立ち現れるファンファーレ。この部分だけでも、ムラロの紡ぎだす音色は千変万化と形容したいもので、とてもオーケストラ的だ。もちろん、ピアノ曲となった時点で、オーケストラの音から離れてもいいのだけれど、ペトロフの録音では、オーケストラの比べたとこに疎らに感じられてしまうその音が、(私には)夢中になれない要素になっていた。しかし、ムラロは違う。低音のリズムだけでも、ニュアンスを微妙に調整し、弦のざわめきもいかにも何かが起きると言うエネルギーの蓄えを感じさせる。そして、その放散の瞬間に、輝かしくも怪しい光が、強く放たれるのである。 第3楽章など、オーケストラでも相当うまい演奏でないと、やや退屈するところだと思うのだけれど、ムラロのピアノは、風情、心象といった行間の情が描き出すものを感じさせ、それにともなった感情的な動きがあり、楽しい。 前半2楽章では、鍵盤楽器を用いるという条件の中では、限界に感じられるほどの柔らかな膨らみを演出。幻想交響曲ならではの楽想が活きた、あでやかな音楽が導かれている。急速部分におけるテクニック面での見せ場も、聴き手を満足させてくれるものに違いない。終楽章は、ペトロフに比べると、ド迫力ではないが、豊かな恰幅と洗練があり、美しい。鍵盤楽器という制約を感じさせない、幻想交響曲の各場面を想起させてくれる、魅力いっぱいの演奏だ。 幻想交響曲を挟むように、巡礼の年第1年「スイス」から選ばれた3曲が配されている。おごそかな「ウィリアム・テルの聖堂」、安らぎを感じさせる「泉のほとりで」、そしてどこか不吉な「オーベルマンの谷」で結ばれるが、幻想交響曲と連続して聴いてみ、突飛さのない工夫された曲順に感じられる。 |
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劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 歌曲集「夏の夜」 ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団 合唱団 S: ディーナー T: ターヴァー Br: セドフ レビュー日:2007.10.7 |
★★★★☆ ベートーヴェンの第9を引き継いだ独創的な交響曲
ベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」はきわめて独創的な作品である。まず歴史的な立ち位置として、ベートーヴェンが第9交響曲において、交響曲というジャンルに声楽を抱合させたわけだが、その形を始めて引き継いだのがこの作品ということになる。この作品が成立したのが1839年だから、ベートーヴェンの第9から15年ということになる。決して交響曲というジャンルが主流ではなかったフランスにおいて、最初に「声楽付き交響曲」が引き継がれたのも興味深い。 次に、「ロメオとジュリエット」は声楽を伴っているのだが、ロメオとジュリエットに当たる独唱者が存在せず、この二人の描写は管弦楽によって行われる。ベルリオーズはファウストも劇音楽する際に脚本を大きく変更しているし、その音楽表現においては、シェイクスピアであっても「素材」に過ぎないということでしょう。 有名なのは「マヴ女王のスケルツォ」といわれる第4楽章と、終楽章になるだろうか。ブーレーズの演奏は聴いてみての感想であるが、「いかにもブーレーズ」というスタイルで、克明な表現によっており、客観性の保たれた表現である。第4楽章はその緻密な計画性がきわめて効果的に出ていて美しく響く。グロテスクさはさほどないけれど、非常に抵抗なく耳に入る。音色はやや乾燥した感じで、時としてもっと水分が欲しいと思うけれど、乾いた清潔感は好ましい。序曲にあたる冒頭部分などその乾いた感性が如実に出ていると感じられた。 また、このアルバムには併せて収録されている歌曲集「夏の夜」は、普通女声によって歌われるが、ここでは男声も含めて曲によって独唱者を代えているところが面白い。なかなか新鮮に感じられた。 |
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レクイエム C.デイヴィス指揮 ドレスデン・シュターツカペレ ドレスデン・シンフォニー合唱団 ドレスデン・ジングアカデミー T: イカイア=パーディ レビュー日:2018.4.10 |
★★★★★ 大オーケストラの鳴動、感動的なベルリオーズのレクイエム
コリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-2013)が、1990年以降名誉指揮者を務めたシュターツカペレ・ドレスデンを振って、1994年の2月14日にライヴ録音されたベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の「レクイエム(死者のための大ミサ曲) op.5」。コンサートの行われた時期にも大きな意味があり、第二次世界大戦終盤に英米軍によって行われた凄惨な「ドレスデン爆撃」(1945年2月13~15日)の追悼を兼ねてのコンサートだった。イギリス人であるコリン・デイヴィスが、それを指揮したことに、時代が変わったことの一つの象徴を見ることもできるだろう。CD2枚に以下のように収録されている。 【CD1】 1) 第1曲 入祭唱とキリエ(Introit et Kyrie) 2) 第2曲 続唱(Sequence) 怒りの日(Dies Irae) 3) 第3曲 そのとき憐れなるわれ(Quid sum miser) 4) 第4曲 恐るべき御稜威の王(Rex tremendae) 5) 第5曲 われを探し求め(Quaerens me) 【CD2】 6) 第6曲 涙の日(Lacrymosa) 7) 第7曲 主イエス・キリストよ(Domine Jesu Christe) 8) 第8曲 賛美の生贄(Hostias) 9) 第9曲 聖なるかな(Sanctus) 10) 第10曲 神羊唱(Agnus Dei) 合唱は、ドレスデン国立歌劇場合唱団、ドレスデン・シンフォニー合唱団、ドレスデン・ジングアカデミー。「聖なるかな」のテノール独唱はキース・イカイア=パーディ(Keith Ikaia-Purdy)。 ベルリオーズの「レクイエム」は大曲である。8対のティンパニをはじめとするパーカッション群を含む大オーケストラと大合唱団、さらに正オーケストラの東西南北にバンダと呼ばれる「別動隊」が配置され、それぞれがトロンボーンを中心とした8~12人の編成を持つ。演奏には総勢500人を超える演奏家が必要であり、演奏機会は稀だ。 しかし、ベルリオーズの大家であるC.デイヴィスは、この曲を当録音以前に2度録音しており、最初は1969年にロンドン交響楽団と、2度目は1989年委バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音となる。当盤が3度目の録音となるが、この曲を3度以上録音した指揮者というと、この人以外にいないのではないだろうか。この巨大な作品を、録音芸術としてたびたび仕上げてきた巨匠の手腕は、ここでも存分に発揮されている。とにかく、この作品の巨大性が鳴動するような録音だ。 ことに凄いのは「怒りの日」と「涙の日」だろう。この2編は、巨大編成が全体に躍動する部分でもあるのだが、ティンパニの雷鳴のようなド迫力と、金管の壮麗な伽藍が、いくら見上げても頂きを認めることのできない山脈を思わせるような、圧倒的なパワーで聴き手に迫ってくる。巨大で壮麗であるだけでなく、そこには燃焼度の高い熱気が存分に含まれていて、その力強い咆哮は、楽曲の持つ鎮魂の作用を越え、どこか宇宙的、創造的な世界観をみせる。合唱、弦楽器陣も含めて、すさまじい音だ。 もちろん、聴きどころはそれだけではない。「そのとき憐れなるわれ」で聴かれる静謐な安寧、「恐るべき御稜威の王」の情熱的な合唱、「われをさがしもとめ」の敬虔さを感じさせるアカペラなど、ベルリオーズの音楽の神髄といって良いものが、しっかりした手ごたえで伝わってくる。「賛美の生贄」の木管と金管のやりとりには十分な細やかさがある。「聖なるかな」のイカイア=パーディの独唱はかなり情熱的で、ベルカントという表現が合致しそう。これはライヴの雰囲気に燃え立つものが多かったかもしれない。そして、「神羊唱」で意味深な導きの音、静謐に帰っていく。 ベルリオーズが、巨大な編成を用いて、様々に要求した音楽的効果を、高いレベルで、熱血的に表現した見事な名演といって良い。録音もこれだけの音をよく拾っている。同曲の代表的な録音であり、ベルリオーズ作品を広く手掛けてきたC.デイヴィスのたどり着いた一つの模範が示されたものとも言えるだろう。 |
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テ・デウム ネルソン指揮 パリ管弦楽団 合唱団 ヨーロッパ連合児童合唱団 聖アントニー聖歌隊 org: アラン T: アラーニ レビュー日:2019.8.16 |
★★★★★ 千人近い奏者を必要とする宗教曲の「それらしさ」を感じさせてくれる録音
アメリカの指揮者、ジョン・ネルソン(John Nelson 1941-)によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869)の大曲、「テ・デウム」。1曲が以下の様にCD1枚に収録されている。 1) 第1曲 賛歌 神なる御身を(Te Deum) 2) 第2曲 賛歌 すべては御身に向かい(Tibi omnes) 3) プレリュード(Prelude) 4) 第3曲 祈り 成したまえ(Dignare) 5) 第4曲 賛歌 栄光の王、キリストよ(Christe, Rex gloriae) 6) 第5曲 祈り それ故に願いまつる(Te ergo quaesumus) 7) 第6曲 賛歌と祈り われ信ず、審判に(Judex crederis) 8) 第7曲 旗の掲揚式のための行進曲(Marche pour la presentation des drapreaux) オーケストラはパリ管弦楽団、合唱は、パリ管弦楽団合唱団、ヨーロッパ連合児童合唱団&聖アントニー聖歌隊。 テノール独唱はロベルト・アラーニャ(Roberto Alagna 1963-)、オルガンはマリー=クレール・アラン(Marie-Claire Alain 1926-2013)。 2000年の録音。オルガンはマドレーヌ寺院において別に収録されたもの。 「テ・デウム」は、ベルリオーズの作品中、「レクイエム」「葬送と勝利の大交響曲」と並んで、大編成のための楽曲として知られる。オーケストラにはバンダと呼ばれる4つの別動隊を配し、合唱の規模も数百人、演奏のためには、1,000人近くが必要となる。その規模のため、録音点数も少ないが、ベルリオーズの大家として知られるネルソンが、フランスの演奏家たちを指揮して録音した当盤は、その数少ないものの一つ。 演奏陣の規模が大きいため、録音技術も難しい。別動隊の位置関係など克明に捉えることは難しい。当録音の場合でもオルガンが別に録音されていることもあって、奥行きの再現には限界を感じるが、澄んだ音で聴き易い仕上がりになっている。 また、当盤の特徴は、出版時ベルリオーズ自身がカットした「プレリュード」を含んでいる点がある。この「プレリュード」と終曲「旗の掲揚式のための行進曲」は声楽を含まない純器楽による音楽である。プレリュードだけでなく、終曲も割愛される場合がしばしばある。だが、当演奏を聴くと、どちらもぜひとも演奏に加えるべき部分であると感じられる。プレリュードは太鼓の音の導きが壮大な楽曲構成に相応しいし、終曲の壮麗な行進曲も、聴後の充実感に貢献できる内容だ。 演奏は、この楽曲に相応しい豪壮なもの。規模が規模だけに、こまかくコントロールできる範囲は限られているが、悠然たるテンポで、音響を豊かに構築している。ベルリオーズも、当然のことながら巨大な編成ならではのスコアを書いているが、その中で対位法的な劇性が模索されている。その点も踏まえて「栄光の王、キリストよ」では劇的な演奏効果がもたらされている。 マドレーヌ寺院のオルガンを鳴らしたアランの演奏も、なかなか相応しい。とくに冒頭曲における存在感、オルガンのトーンがもたらす宗教的な雰囲気は圧巻で、感動的だ。アラーニャの歌唱は「ベルカント」と形容すべきもので、かなり色艶を感じさせる。楽曲の宗教的性格をふまえると、かなり思い切った表現だと感じるが、私以外の人はどう感じるだろうか。 穏やかな部分では、ひたすらな広がりを感じさせる。それも、この規模がもたらす効果であり、ネルソンの棒は、ぼう漠としかねない部分であっても、適宜行き届きがあり、まとめてくれる。 ベルリオーズの大曲の録音として、一つの模範的なレベルにあると感じさせてくれる内容になっている。 |