ベリオ
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ホーンパイプ(原曲:パーセル) コントラプンクトクスXIX(原曲:バッハ) 「マドリードの夜の帰営ラッパ」の5つの版(原曲:ボッケリーニ) モーツァルトのためのディヴェルティメント 交響曲スケッチに基づく「レンダリング」(原曲:シューベルト) クラリネットソナタのオーケストラ編曲(原曲:ブラームス) シャイー指揮 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団 cl: ギアッツァ レビュー日:2006.3.12 再レビュー日:2013.11.28 |
★★★★★ 古典を踏襲した現代への布石と融合の見事な再現芸術
ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio 1925-2003)というイタリアの作曲家は現代音楽の担い手の一人ではあるが、その作品や思想は、簡単に言いきれるものではない。おそらく20世紀のヨーロッパを中心とする音楽潮流は、ダダイズムに象徴的なように、伝統音楽といかに決別するかであり、それによって芸術表現のアイデンティティやステイタスを確保する多くの試みとして独創的な作品が数多く生み出された。 しかし、その過程によって、逆に「普遍性の尊さ」、まさに「クラシック(本流)である」という音楽の幹が、あらためて洗い出され、そのきわめて強力な支配力を認めざるをえない芸術のありようが明確化された。おそらく、ルチアーノ・ベリオという作曲家は、いちはやくその構造を直感的に知っていた。 この「ベリオ編曲集」はその思想に触れることのできる高い機知に富んだ企画性を持っており、そのことだけでも大推薦に値するが、それどころか、オーケストラの技術力、録音の美しさ、そして楽曲自体の面白さ、どれをとっても超のつく一級品である。ボッケリーニ作品の編曲はまったく古典的でありながら、音楽の楽しみ、愉悦を心行くまで楽しめる最高に洒脱なアレンジが堪能できる。また、シューベルトについては未完のスケッチ(交響曲第10番としたニューボウルド版でも知られる)による編曲だが、ここでベリオは、自身の作品とシューベルト作品の融合を高い次元で実現している。ニューボウルド版(マッケラス指揮のハイペリオン版が聴ける)と比べても面白さは当版の方がずっと上だろう。ブラームスの有名なクラリネットソナタはすっかり立派な、古典的な「クラリネット協奏曲」にその趣を変えている! |
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★★★★★ ベリオの管弦楽編曲の意趣を明瞭に伝えるアルバム
リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)によるイタリアの作曲家、ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio 1925-2003)の編曲管弦楽曲集。ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の演奏で、2004年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。 1) パーセル ベリオ編 歌劇「妖精の女王」の導入組曲から「ホーン・パイプリオ」 2) バッハ ベリオ編 「フーガの技法」から「コントラプンクトゥス19」 3) ボッケリーニ ベリオ編 「マドリードの夜の帰営ラッパ」の4つの版 4) ベリオ モーツァルトのためのディヴェルティメント-アリア「恋人か女房がこのパパゲーノに」の12のアスペクト 5) ベリオ シューベルトの交響曲スケッチに基づく「レンダリング」 6) ブラームス ベリオ編 「クラリネット・ソナタ 第1番」 6)は独奏クラリネットを残して、ピアノ・パートをオーケストラに編曲したような形で、ファウスト・ギアッツァ(Fausto Ghiazza)がクラリネット・ソロを担う。 ベリオという作曲家について、日本ではやはり現代音楽の作曲家といった肩書きが受け入れられており、もちろんそのことは間違いではない。しかし、多くの物事が多面的な要素を持っているように、彼の作品や思想も、簡単に言いきれるものではない。おそらく20世紀のヨーロッパを中心とする音楽潮流は、ダダイズムに象徴的なように、伝統音楽といかに決別するかであり、それによって芸術表現のアイデンティティやステイタスを確保する多くの試みがあり、独創的な作品が数多く生み出された。しかし、その過程によって、逆に「普遍性の尊さ」、まさに「クラシック(本流)である」という音楽の幹が、あらためて洗い出され、そのきわめて強力な支配力を認めざるをえない芸術のありようが明確化された。おそらく、ルチアーノ・ベリオという作曲家は、いちはやくその構造に自分の芸術作品をフィットさせた人物だったのではないだろうか。本盤の編曲の対象となった作曲家たちの顔ぶれも、パーセル(Henry Purcell 1659-1695)、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)、ボッケリーニ(Luigi Boccherini 1743-1805)、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)、シューベルト(Franz Schubert 1797-1828)、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)と古典性が顕著な印象。 ボッケリーニ作品の編曲はまったく古典的な音色によりながら、音楽の楽しみ、愉悦を心行くまで楽しめる最高に洒脱なアレンジが堪能できる。 また、シューベルトについては未完のスケッチ(交響曲第10番としたニューボウルド版でも知られる)によるものだが、ここでベリオは、自身の作品とシューベルト作品の融合を高い次元で実現している。ニューボウルド版(マッケラス指揮のハイペリオン版が聴ける)と比べても面白さは当版の方がずっと上だろう。 ブラームスの室内楽の管弦楽曲への編曲については、高名なものとしてシェーンベルク(Arnold Schonberg 1874-1951)によるピアノ四重奏曲第1番の編曲がある。これはシェンーンベルク自身が「ブラームスの第5交響曲である」と語ったそうであるが、私も大変好きな編曲ものの一つだ。しかし、シェーンベルクが多彩な打楽器などの導入により、新たな色合いの要素を含めたのに比べて、べリオの編曲は、有名なクラリネット・ソナタを、すっかり立派で古典的な「クラリネット協奏曲」に仕立て上げるようなもので、意趣性に大きな違いが指摘できるのが面白い。私は、それこそが「ベリオらしさ」だと思うのであるが。 いずれの曲でも古典を踏襲した現代への布石、そして融合を省みる見事な再現芸術となっている。演奏は、さすがはリッカルド・シャイー、さすがはデッカ!と思わず唸ってしまう出来。管弦楽の色彩感、良好な分離性、透明な情感、全てが卓越した完成度。お見事。 |
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セクエンツァ 全曲(第1-第14) fl: シュルマン hp: グッドマン p: ボリス・ベルマン tb: トゥルーデル va: ダン ob: シャルツ cl: バルデパニャス g: ギジェガス tp: フュウ fg: マンディ vc: アドキンス sax: ハラディ レビュー日:2006.8.5 |
★★★★★ なんとナクソスがベリオのセクエンツァ全曲をリリース!
ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio 1925-2003)のセクエンツァ全集がナクソスからリリースされた。録音は1998年から2004年にかけて行われている。 さて、この曲集について若干の説明をすると、14の作品からなる一群である。各作品はそれぞれソロ(フルート、ハープ、女声、ピアノ、トロンボーン、ヴィオラ、オーボエ、ヴァイオリン、クラリネット、トランペット、ギター、ファゴット、アコーディオン、チェロ、サクソフォン)楽器のために書かれている。それだから、全集としてリリースするためには14人の奏者が個別に曲を録音することになる。また、ベリオの狙いとして、それぞれの楽器の奏法の「新しい技術」を求めたため、どの曲も相応のテクニシャンでなければ太刀打ちできない代物である。 ナクソスのような廉価レーベルがこの全集を出してくれたことは、とてもうれしいが、聴いてみて驚いたのは、その質の高さである。そもそも、ジャケットのデザインからしていつものナクソス・レーベルに比べて抽象度が高く、内容を期待させるセンスのよいものだったが、実際中身も負けていなかった。それにしても奏者の名前は正直言ってまったく聞いたことがない人ばかりである。そのメンバー全員が、一人のはずれもなくこれほどの演奏をしているのだから、その企画力の見事さにまず脱帽するほかない。 楽曲は聴いてみるのが一番だが、とても面白い。様々な音色を一つの楽器に求めるが、決して破壊的ではなく、音楽としての求心性を保っている。とはいえ、その旋律は簡単に口ずさめるものではないし、現代音楽が一切ダメという人には向かないでしょう。しかし、最近亡くなった偉大な芸術家のライフワークを聴く貴重な機会は、私にとっていいものでした。 |
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ベリオ フォーク・ソングス ゴリホフ アイレ S: アップショウ ジ・アンダルシアン・ドッグス レビュー日:2017.11.20 |
★★★★★ 「フォーク・ソング」を題材とした、近現代の個性的な二編の声楽曲集
アメリカのソプラノ、ドーン・アップショウ(Dawn Upshaw 1960 )とジ・アンダルシアン・ドッグスによるアルゼンチンの作曲家、ゴリホフ(Osvaldo Noe Golijov 1960-)とイタリアの作曲家、ベリオ(Luciano Berio 1925-2003)の声楽のための作品2編を収録したアルバム。 ゴリホフ Ayre 1) 聖ヨハネの日の明け方に(Mananita De San Juan) 2) 子供を焼いた母親(Una Madre Comio Asado) 3) 土地は壁で囲われて(Tancas Serradas A Muru) 4) 月(Luna) 5) ナニ(Nani) 6) 愛する人(Wa Habibi) 7) 私の目は泣いている(Aiini Taqtiru) 8) 流れよ、私のギターの弦になっておくれ(Kun Li-guitari Wataran Ayyuha Al-maa) 9) リボンを解いて(Sueltate Las Cintas) 10) ああ神よ、あなたをどこで見つけられるでしょう(Yah, Annah Emtza' Cha) 11) 迷宮のアリアドネ(Ariadna En Su Laberinto) ベリオ 声楽と7つの楽器のための フォーク・ソング 12) 私の恋人は黒い髪(Black Is The Color) アメリカ民謡 13) なにゆえにイエスは(I Wonder As I Wander) アメリカ民謡 14) 丘の上に月がのぼる(Loosin Yelav) アルメニア民謡 15) 森の小さなナイチンゲール(Rossignolet Du Bois) フランス民謡 16) よい天気になりますように(A la femminisca) イタリア民謡 17) 理想の女性(La donna ideale) イタリア民謡 18) 舞踏(Ballo) イタリア民謡 19) 悲しい歌(Motettu de tristura) イタリア民謡 20) 女房もちはかわいそう(Malurous qu’o uno fenno) フランス民謡 21) 紡ぎ女(Lo fiolaire) フランス民謡 22) アゼルバイジャンの恋歌(Azerbaijan love-song) 2004年の録音。 これら2つの曲集には、類似点が多い。というより、ベリオが、多彩な声を使い分けた歌手キャシー・バーベリアン(Cathy Berberian 1925-1983)のために、各国の民謡を用いて編んだ「フォーク・ソング」に見立てて、ゴリホフはアップショウのため、やはり11の曲からなる作品集を書き上げたと言って良いだろう。 ゴリホフの音楽を聴くと、ベリオから一世代よりさらに時代が進んだ感覚と彩りを感じるこことなる。ゴリホフが題材としたテーマは、キリスト教文化、アラビア文化、セファルディ系ユダヤ文化の混在するスペインの音楽文化であるが、その強烈なエスニシティは、圧倒的な特徴として現れる。これに付随する器楽は、伝統的なものには限定されず、テープ媒体や、電子楽器も用いて、時に強烈なリズムを刻む。 この音楽を聴いていると、かつて世界の民俗音楽を題材としたワールドミュージックと呼ばれた一連の加工音楽、例えばディープ・フォレストなんかの音色を彷彿とさせるシーンがあちこちにある。「土地は壁で囲われて」など、聴いていて、これがいわゆる「クラシック」に分類されるようには思えないところがある。そういった点で、この作品を楽しめる人というのは、それなりに広範なジャンルの音楽を楽しめている人となるように思う。 感嘆するのはアップショウの万能と形容したい歌唱力で、どのような楽曲であっても、その世界観、色彩感をみごとに自分の芸術的感性で消化し、強力なメッセージ性のある表現として完結させる点だ。これほどの歌い手は少ないであろうし、ゴリホフがアップショウを念頭に作品を書いたといのも納得させられる。もちろん、「ナニ」のように美しい抒情線が描かれる場所も、見事な完成度である。 ベリオの作品は、シャイー(Riccardo Chailly 1953-)が、ヤルド・ファン・ネス (Jard van Nes 1948-)を起用して録音したものも聴いたことがあるが、当録音はより原色的な印象が強い。わりと知られた民謡「なにゆえにイエスは」や、カントルーブ(Joseph Canteloube 1879-1957)のオーヴェルニュの歌の第3集にも登場する「紡ぎ女」といった楽曲があり、こちらの方が「ああ、聞いたことがある」と思い起こすものが多いことがあるだろう。 ジ・アンダルシアン・ドッグスという楽団については、私はよく知らないのだが、共感たっぷりで楽曲を存分に盛り上げてくれていれ、名手が集っているに違いない。 |