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ベルク



管弦楽曲

ベルク 「ルル」組曲  R.シュトラウス 楽劇「サロメ」から フィナーレ
ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 S: シリア

レビュー日:2015.3.2
★★★★★ 祝!リリース。ドホナーニとウィーン・フィルによる名録音です。
 ユニバーサルレーベルによる「栄光のウィーン・フィル名盤100」という復刻企画による1枚で、1973年に録音されたもの。国内盤としては1990年以来の復刻。このたびはあわせてSHM-CD(ユニバーサルが開発した規格。記録情報の精度が向上させたCD)化も行われている。
 ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)の指揮で以下の楽曲が収録されている。
ベルク(Alban Berg 1885-1935) 「ルル」組曲 5つの交響的小品
 1) ロンド
 2) オスティナート
 3) ルルの歌
 4) 変奏曲
 5) アダージョ
R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949) 楽劇「サロメ」から フィナーレ
 6) 物音一つしない
 7) ああ!お前は自分の口に接吻させようとはしなかった
 8) ああ!なぜ私を見なかったの
 3) 及び 6-8)のソプラノ独唱は、アニヤ・シリア(Anja Silja 1940-)。ちなみにドホナーニの妻である。
 ドホナーニのこれらの楽曲への適性が良く示された好録音。ベルクの「ルル」は「ヴォツェック」完成後にベルクが精力を注いで完成させたオペラで、ドイツの劇作家、フランク・ヴェーデキント(Frank Wedekind 1864-1918)の「パンドラの箱」と「地霊」から構想されたもの。夫を含む取り巻きに次々と命を失うような不幸を与え続けたルルが、最後に客としてとったジャック・ザ・リッパー(Jack the Ripper)に、同居しているゲシュヴイッツ伯爵令嬢ともども惨殺されて物語が終わる。この時期らしい退廃性の顕著なストーリーである。最後のシーンに相当するのが組曲の末尾のアダージョ。
 演奏は、ドホナーニらしい緻密な音響設計で、ベルクの細かいスコアが入念に音化されたもの。テンポを厳密に守りながらも絢爛と荒廃の入り混じった世界が描かれている。シリアの、ルルの内面に直結していると考えられる「ルルの歌」も、奔放さがあって、適切に感じる歌唱。
 R.シュトラウスの「サロメ」、このワイルド(Oscar Wilde 1854-1900)によるストーリーは、現在ではあまりにも知られたものとなった感もあるが、本盤で取り上げられているのは「7枚のヴェールの踊り」の見せ場が終わって、踊りの褒美にヨカナーンの首を要求する以降の部分である。
 この作品を聴くと、音楽の描く心理描写が、いかに抽象性に富んだ深みのあるものであるか、あらためて感心させられる。不気味、退廃、官能といったものが、様々に交わって、複雑な感触を紡ぎあげている。ドホナーニとシリアの音づくりも、狂気的なものと、恐ろしく正確なものが入り混じっていて、面白い。印象的な下降音型がもたらす余韻に、たっぷりと浸りたい名演だ。
 1973年の録音であるが、デッカの録音の素晴らしさも、あらためて堪能させられる。国内盤復刻を歓迎したい。


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協奏曲

ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」  ヤナーチェク ヴァイオリン協奏曲「魂のさすらい」  ハルトマン ヴァイオリンと弦楽合奏のための「葬送協奏曲」
vn: ツェートマイヤー ホリガー指揮 フィルハーモニア管弦楽団 ツェートマイヤー指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

レビュー日:2014.7.25
★★★★☆ 死を描いた近代の3つのヴァイオリン協奏曲
 オーストリアのヴァイオリニスト、ツェートマイヤー(Thomas Zehetmair 1961-)による近代の3曲のヴァイオリン協奏曲を収めたアルバム。
1) ベルク(Alban Berg 1885-1935) ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
2) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) ヴァイオリン協奏曲「魂のさすらい」
3) ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann 1905-1963) ヴァイオリンと弦楽合奏のための「葬送協奏曲」
 1)と2)は、ホリガー(Heinz Holliger 1939-)指揮、フィルハーモニア管、3)はツェートマイヤー自身の指揮とドイツ・カンマーフィルによる演奏。ヤナーチェクのヴァイオリン協奏曲は、作曲者の存命中には完成しなかったが、ミロシュ・シュチェドロニュ(Milos Stedron 1942-)とレオシュ・ファルトゥス(Leos Faltus 1937-)の両音楽学者によって現在のスコアが編集されたもの。1)と2)は1991年、3)は1990年の録音。
 これら3つのヴァイオリン協奏曲の共通のテーマは「死」ということになる。ベルクの曲は夭折した少女に捧げられたものだし、ヤナーチェクの作品は、ドストエフスキー(Fyodor Mikhailovich Dostoevskii 1821-1881)の「悪霊」にインスパイアされた作品とされるが、同作家の作品からヤナーチェクが書いたオペラ「死者の家から」と共通の素材を用いている。ハルトマンの作品は、タイトルがズバリ「葬送」だ。
 しかし、これは観念的な共通項であって、これら3作品の聴き味はずいぶんと異なる。
 ベルクの作品は、古典的なレパートリーにも数えられるが十二音音楽の作法で書かれた名作で、多くの名盤が存在する。最近では、ファウスト(Isabelle Faust 1972-)とアバド(Claudio Abbado 1933-2014)の精緻を究めた美演が圧倒的な存在感を示しているし、また、私にはムター(Anne-Sophie Mutter 1963-)とレヴァイン(James Levine 1943-)による1992年録音の濃厚な味わいも忘れがたい。
 これらと比較すると、当盤はどうしても「その次」のランクに甘んじるところがある。一つはオーケストラの低音域の音圧と表現力に、もう一つのところがあることと、もう一つはツェートマイヤーの細かい至芸が、やや細身に感じられるところがあり、前述のオーケストラの響きから、全般にやや寂しい感じが残るためである。もちろん、そうは言っても、一定のレベル以上を維持された演奏ではある。
 むしろ、競合盤の少ない他の2曲に当アルバムの価値があるだろう。特にヤナーチェクは良い。他者の手により完成された作品であるが、ヤナーチェクの他作品からの転用の効果もあって、全編にこの作曲家特有の野趣性や幻想性が満ちている。ツェートマイヤーは、この曲では驚くほど踏込の深い切り口で、情熱的に迫っていて、やや粗さを含みながらも、力強い迫力に満ちている。ツェートマイヤーというヴァイオリニストは、時としてこのような表現も用いるのだな、と感心した。後半に向けて高まる楽想とともに、燃焼度の高いひとときを提供してくれる。
 最後にハルトマンの楽曲である。彼はヴェーベルン(Anton Webern 1883-1945)、無調と特殊な実験的リズムを表面的な特徴とする作風を身に着けたが、その作品は古典的なものへの結びつきが形式や構成感にあらわれる。この協奏曲などもその代表的なもので、序奏と3つの楽章から構成されていて、主題も不協和な要素を持ちながら、ロマン派の残り香を強く宿し、その繰り返しも古典性を強く感じさせるものだ。逆に言うと、(当時の作曲家の中では)分かり易い作風とも言える。
 「葬送」という標題性は、ナチズムの高まりと、大戦の開始という悲劇性に基づいている。ドイツのチェコスロバキアの占領に起因し、フス派の讃美歌の旋律を引用している他、ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の交響曲第11番に通ずるロシア革命歌の引用もあり、そういった観点で聴くのも面白い。
 ツェートマイヤーの演奏は、今の彼であれば、終楽章の希望と絶望の対比など、さらに突き詰めた表現ができるのでは、と思うところを残しているが、この楽曲を知るのには十分な良演であると思う。

ベルク 室内協奏曲  ブラームス ヴァイオリンとチェロのための協奏曲
アバド指揮 ロンドン交響楽団 vn: スターン p: P.ゼルキン シカゴ交響楽団 vc: マ

レビュー日:2015.7.21
★★★★☆ 新ウィーン楽派の幕開けの象徴曲と、ブラームスの組み合わせを聴く
 アイザック・スターン(Isaac Stern 1920-2001)のヴァイオリン、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮による以下の2曲を収録した再編集版。
1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調op.102
2) ベルク(Alban Berg 1885-1935) 室内協奏曲
 1)のチェロ独奏はヨーヨー・マ(Yo-Yo Ma 1955-)、オーケストラはシカゴ交響楽団。2)のピアノはピーター・ゼルキン(Peter Serkin 1947-)、オーケストラはロンドン交響楽団。1)は1986年、2)は1985年の録音。
 当アルバムは再編集版で、1)は本来ブラームスのピアノ四重奏曲第3番と、2)はベルクのヴァイオリン協奏曲と組み合わされてリリースされていた。なぜこのような再編集が行われたのか不明であるが、新ウィーン楽派に様々に影響を与えたブラームスと、新ウィーン楽派のベルクから、それぞれ複数の独奏楽器を配した器楽作品を組み合わせるという意図だったのだろう。
 ベルクの作曲家としての出発点はブラームスやシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の影響の濃い歌曲の創作で、1900年からの10年ほどの間に80曲程度の作品を書いている。しかし、シェーンベルク(Arnold Schonberg 1874-1951)との出会いを経て、彼の作風は大きく変化していく。1923年から25年にかけて書かれた「ヴァイオリン、ピアノと13管楽器のための室内協奏曲」は、12音的な処理により、著名な新しさを示している。また、この作品からベルクは作品番号の付与をやめており、新しい芸術意識を象徴させたものと考えられる。こののちベルクはより厳格な12音技法により、様々な傑作を書いたのだが、この作品には後期ロマン派的な感覚も大いに残っていると言えるだろう。
 当演奏を聴くと、12音技法から由来する一種の非人間性の影を感じさせながらも、感傷が彷徨いこんできており、この音楽の歴史的意義に思いを偲ばせる。特にスターンという優れた感覚をもったヴァイオリニストは、この作品の有機的なものや、旋律的なものを、ほのかな情緒をもってかなでることで、不思議と人の琴線に響く要素を良く引き出している。管楽器の音色は厳密な強弱の調整を経て、高い洗練を感じさせるもの。
 ブラームスの二重協奏曲は、流麗なフォルムを持った演奏で、特に第2楽章が美しい。整理の行き届いた響きで、第3楽章など、この曲のもっている「荒さ」が中和されて、マイルドな聴き味になっている。この楽曲は、このような演奏が、いちばん聴きやすいかもしれない。


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器楽曲

ベルク ピアノ・ソナタ  リスト ピアノ・ソナタ  ヤナーチャク 「霧の中で」
p: ヴァーリョン

レビュー日:2012.3.8
★★★★★ 神秘性、怪奇性・・3つの作品を繋いだヴァーリョンの意図
 ハンガリーのピアニスト、ヴァーリョン・デーネシュ(Varjon Denes 1968-)による2011年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ベルク(Alban Berg 1885- 1935) ピアノ・ソナタ
2) ヤナーチャク(Leos Janacek 1854-1928) 霧の中で
3) リスト(Franz Liszt 1811-1886) ピアノ・ソナタ
 私は、ヴァーリョンというピアニストの演奏を、これまで室内楽でしか聴いたことがなかったけれど、このたび初めてソロ・アルバムを聴き、大いに感銘を受けた。まず、注目されるのは選曲であろう。ここではまず、ヴァーリョン自身の言葉を拝借したい。「音楽史におけるエポック(新時代)間の架け橋、作曲家間の繋がりを模索することは、いつだって実に興味深いことだ。他の時代や作曲家を“鏡”として、その中に、自分が演奏した作品の新しい側面を見ること。リストの作品を演奏するときは特にそうだ」。
 つまり、ヴァーリョンはこのアルバムにおいて、まず私たちが後の作品であるベルクとヤナーチェクの音楽を聴き、その中に「リストのピアノ・ソナタの新しい側面を照らし出す鏡」を発見する喜びを見出して欲しい、と考えているのである。
 さて、新ウィーン楽派の傑作であるベルクのピアノ・ソナタを聴いてみよう。不思議な怪奇性、ロマンティシズム、多様なパーツを含む単一楽章構成。これらはリストのピアノ・ソナタの形容として、そのまま当てはまるように思う。ベルクが、リストのピアノ・ソナタが持つ現代へ通じる理論性、音響効果を取り入れたというのは、確かにあるのかもしれない。であれば、リストのピアノ・ソナタ(この作品、実は私には難解なものなのだけれど)には、様々な音楽技法を一つの楽章に封じ込めた作曲家の意志が存在しそうだ。
 ヤナーチェクの「霧の中で」とベルクのピアノ・ソナタの類似性は、ポール・グリフィス(Paul Griffiths)氏が指摘している。「ドビュッシーの影響、広がってゆく和声を無理に調和させようとはしない。常に動くように声部が奏でられる・・・」。私個人的にもヤナーチェクのこの作品には無類の魅力を感じる。これほど「霧」を感じさせる音楽はないのではないだろうか。辺縁が定かならず、微温に満ち、行く手が分らない。時折濃淡が顕われ、不気味な影が行き交う。そんな楽曲をグリフィスは冷静に分析し、ベルクの名作との類似性を明らかにしている。面白い。このアルバムではそれが一緒に聴けることになる。しかも、両作品を、時代を超越して「繋ぐ」リストのソナタとともに。
 これらの楽曲の考察とは別に、ヴァーリョンのピアノが素晴らしい。シェイプアップされたピアニズムで、きわめてしなやかに音楽を奏でている。全てのフレージングが自然な呼吸に満ちていて、音節間の繋がりがきわめて流麗。しかもダイナミクスの効果も十分だ。リストのピアノ・ソナタだけとっても、古今の名演の一つに数えて然るべきだろう。
 このアルバムを通して聴いた後に残る不思議な感触、怪奇的とも神秘的とも言える雰囲気を、ぜひ多くの人に味わっていただきたい。


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歌曲

初期の7つの歌 「抒情組曲」から3つの楽章 アルテンベルク歌曲集 3つの管弦楽曲
A: バレイズ アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

レビュー日:2008.7.21
★★★★★ ベルクの主要な作品を描いた高品質の演奏
 アシュケナージが1989年から1999年まで音楽監督を務めたベルリン・ドイツ管弦楽団とのベルクの作品集。録音は90年から92年にかけて行われている。
 アシュケナージは、自分が音楽監督に就任したおり、このオーケストラの名称を「ベルリン放送交響楽団」から「ベルリン・ドイツ管弦楽団」へと改めている。オーケストラの活動がラジオ放送向けに限られた印象のある旧名称からの変更は、アシュケナージのレコーディング活動への強い意欲の現われと思える。実際、数々の優れた録音が行われたが、このベルク(Alban Berg 1885-1935)の作品集も忘れてはならないものの一つだろう。
 ベルクの主要な作品4曲が収録されているが、うち2曲は管弦楽伴奏による歌曲で、ブリギット・バレイズの独唱による。バレイズはアシュケナージとはフランクのオラトリオなどでも共演しているそうだが、繊細な音色で、ベルクの緻密な作品によく合っていると思う。録音もとても良い。
 「初期の7つの歌」はベルクが若き日に書いた膨大な歌曲(その大半は破棄されている)から編まれたもので、当初はピアノ伴奏であった。いわゆる調合のない音楽であるが、ロマン派の音色をよく残しており、シューマンやブラームスの影響も見える。当録音では管弦楽の多彩な技巧の精度に驚かされる。抑制された美はブルーな色彩を放ち、夜の世界を思わせる。「抒情組曲」は同名の弦楽四重奏曲から抜粋された3楽章からなる弦楽オーケストラのための作品で、ベルクの代表作の一つ。オーケストラの弦楽器陣のロマン性を湛えながら抑制された美しさは特筆されるだろう。無機性に陥らないベルク特有の甘美さがただよう。「アルテンベルク歌曲集」は5曲からなるオーケストラ付き歌曲で、単に「5つの歌曲」とも称される。ペーター・アルテンベルク(1859-1919)はユダヤ系の詩人で、自然と心理描写の混じった刹那的な詩である。楽曲は、シェーンベルクやマーラーの影響も踏まえ、第1曲ではほとんど全ての基音による音程を用いているなど、無調と多調の融合を感じさせる。当録音は理知的な冷たさの間隙に情感を織り成した佳演。最後に収録された4管編成の大曲「3つの管弦楽曲」ではさらに力感も加わり、かつ均衡感が高く、安定性に優れていると思う。特に金管の多彩な音色は聴き所だ。


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歌劇

ベルク 歌劇「ヴォツェック」  シェーンベルク モノドラマ「期待」
ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 Br: ヴェヒター S: シリア T: ヴィンクラー ツェドニク

レビュー日:2012.10.26
★★★★★ 新ウィーン楽派を象徴するオペラ二編を収録
 クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮(Christoph von Dohnanyi 1929-)ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるアルバン・ベルク(Alban Berg 1885-1935)の歌劇「ヴォツェック」とアルノルト・シェーンベルク (Arnold Schonberg 1874-1951)のモノドラマ「期待」を収録。録音は1979年。独唱陣は、ベルクはBr: ヴェヒター(ヴォツェック Eberhard Wachter 1929-1992)、S: シリア(Anja Silja 1940-)、T: ヴィンクラー(Hermann Winkler 1923-2009)、ツェドニク(Heinz Zednik 1940-)、ラウベンタール(Horst Laubenthal 1939-)、Bs: マルタ(Alexander Malta 1942-)。シェーンベルクの作品は独唱一人という形式のショート・オペラで、こちらもシリアがソロを務める。ちなみに、シリアは当時指揮者ドホナーニと夫婦だった。
 ベルクの「ヴォツェック」とシェーンベルクの「期待」は、ともに無調音楽をベースとしながら、目まぐるしくテンポと音色を変化させる音楽で、新ウィーン楽派の面目躍如たるラインナップ。ヴォツェックのテーマが「狂気」、期待のテーマが「深層心理」であるというのも当時を彷彿とさせる。
 1922年に完成した「ヴォツェック」は、ドイツの劇作家カール・ゲオルク・ビューヒナー(Karl Georg Buchner 1813-1837)の戯曲に基づいているが、この戯曲の題材は1821年にライプツィヒで起こった殺人事件であり、その犯人の名がヨハン・クリスティアン・ヴォイツェック(Johann Christian Woyzeck、1780-1824)である。犯人の供述の異常性からも注目を集めた事件である。「ヴォツェック」も同様のスタイルによっている。だいたいの筋は、主人公の様々な精神を摩耗したシチュエーションを描いたのち、ついには嫉妬で、妻マリーを刺殺、酒場に戻り付着した血の指摘を受け、現場で証拠隠滅を図るうちに事故死という暗澹たるもの。新ウィーン楽派ならではのテーマだろう。
 1909年の作品である「期待」は、ジークムント・フロイト(Sigmund Freud 1856-1939)の影響を強く受け、女性の深層心理(潜在意識)を描いた幻想的な台本による。シェーンベルク作品の重要なモチーフである「月に照らされた世界」を描いた作品の一つ。
 両曲ともドホナーニのクールで解析的なタクトが凄い。DECCAの録音も絶品といえる優秀さだが、ドホナーニのスタイルが、作品の鋭利な描写的性格をシャープに描いている。ベルク作品の基底にある対位法的音楽構造を明らかにしながら、殺人シーンのぞっとするような迫力など、臨場感に満ちている。歌手陣ではヴォツェックと務めたヴェヒターとマリーを務めたシリアが見事で、両者とも、一面的ではない複雑さがよく表れていると思う。
 近現代のオペラというのは、なかなかハードルの高い作品ではあるが、中にあって「ヴォツェック」は比較的古典性を踏まえた形式感があり、わかりやすいものだと思う。興味のある方には、当ディスクを推奨したい。


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