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ベートーヴェン



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 歌劇


交響曲

交響曲 全集 バレエ「プロメテウスの創造物」序曲 コリオラン序曲 レオノーレ序曲 第3番 フィデリオ序曲 アテネの廃墟序曲 エグモント序曲 「命名祝日」序曲 劇付随音楽「シュテファン王」序曲
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 ゲヴァントハウス合唱団 ゲヴァントハウス児童合唱団 MDR放送合唱団 S: ベラノワ A: パーシキヴィ T: スミス B: ブラッハマン

レビュー日:2011.11.29
★★★★★  現代の代表的ベートーヴェン交響曲全集と言えるでしょう
 突然、思いもしないような名演奏にめぐり合えた喜びというのはとても大きいものだけれど、今回のリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)によるベートーヴェンの交響曲全集に接した時の私も、まさにそのような幸せな気持ちに包まれた。
 もともと、シャイーは私好みの指揮者で、数々の録音を聴いてきたのだけれど、長い間コンセルトヘボウ管弦楽団という素晴らしいオーケストラを振りながら、ベートーヴェンの交響曲ではBOXものに収録された第2番かかろうじて聴けるくらいであった。それで、私は、シャイーにはとって、ベートーヴェンはアプローチの難しい作曲家なのかもしれない、と思うようになっていた。なんといっても、パステルカラーの色彩をブルーのバックに敷き詰めたような彼のスタイルは、ロマン派や近代のレパートリーに強いハズだった。
 そんなシャイーがライプツィヒに移り、バッハの録音を集中的に開始したときも、若干不思議な気がしたけれども、今度はベートーヴェン、しかもいきなりの全集である。
 それでは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して2007年から2009年の間に録音されたこの全集の特徴は?・・それはもう凄まじいエネルギッシュな「迫力」だ。「血沸き肉踊る」というフレーズがあるが、まさしくそんな感じ。
 とにかくテンポが速い。これはピリオド楽器の流行以来、一定の市民権を得たテンポではあるけれど、シャイーの演奏は速いだけでなく、音楽に厚みがあり、しかも曲想に応じて、瞬時にその厚みを変化させるのだ。その変化の際に放たれるエネルギーの量が凄い。聴いているものは、ハートを直接揺さぶられるような強靭なパワーに晒されるだろう。その快感たるや比類ない。これこそ現代楽器が持っているポテンシャルだ。
 細かく挙げるとまさにキリがないのだけれど、交響曲第9番の終楽章、あの有名な声楽を伴った楽章で、ソロが入る直前の全管弦楽の嵐のように流れ落ちる激流、続けざまに壮絶に打ち鳴らされるティンパニの凄いこと!この瞬間にどれほどの集中力を投入したのだろうか?ライプツィヒという世界でも最も歴史あるオーケストラから、これほど清新な感興に満ちた音色を引き出すとは。やはりシャイーはとんでもない指揮者だ。
 また、従来からのシャイーの良き特徴も損なわれていない。それどころか隅々で活かされている。運命交響曲の終楽章で鳴るピッコロのガラスのような透明感!なんと結晶化した美しさ。また、急速なギアチェンジの際にも、金管が淀みなく呼応する心地よさも無類だろう。最後になったが、9曲の交響曲に加えて、バレエ「プロメテウスの創造物」序曲、コリオラン序曲、レオノーレ序曲第3番、フィデリオ序曲、アテネの廃墟序曲、エグモント序曲、「命名祝日」序曲、劇付随音楽「シュテファン王」序曲まで収録されているのも素晴らしいサービス。いや、いずれもサービスの一語で片付けるのはもったいない名演揃い。“いまのベートーヴェン”、全集で聴くなら、迷わずこのシャイー盤を挙げたい。

交響曲 全集
ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 ベルリン放送合唱団 S: ベーレ A: ナエフ T: ウィンスレイド Bs: ミュラー=ブラッハマン

レビュー日:2015.9.14
★★★★★  鮮度に溢れた表現で、現在を代表するベートーヴェンの一つ
 ギーレン(Michael Gielen 1927-)指揮、南西ドイツ放送交響楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)交響曲全集。1997年から2000年にかけてライヴ録音されたもので、当アイテムはリマスターを経て再発売されたもの。ギーレンと南西ドイツ放送交響楽団は、すでに1986~1994年にかけてEMIに全集を録音していたから、それからあまり間を開けずに2度目の全集が完成されたことになる。CD5枚の収録内容は以下の通り。
【CD1】 2000年録音
交響曲 第1番 ハ長調 op.21
交響曲 第3番 変ホ長調 op.55「英雄」
【CD2】 1998年録音
交響曲 第2番 ニ長調 op.36
交響曲 第7番 イ長調 op.92
【CD3】 2000年録音
交響曲 第4番 変ロ長調 op.60
交響曲 第8番 ヘ長調 op.93
【CD4】 1997年録音
交響曲 第5番 ハ短調 op.67「運命」
交響曲 第6番 ヘ長調 op.68「田園」
【CD5】 1999年録音
交響曲 第9番 ニ短調 op.125「合唱付」
 交響曲第9番ではベルリン放送合唱団が加わるほか、4人の独唱者は以下の通り
 ソプラノ: レナーテ・べーレ(Renate Behle)
 アルト: イヴォンヌ・ナエフ(Yvonne Naef 1957-)
 テノール: グレン・ウィンスレイド(Glenn Winslade 1958-)
 バス: ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(Hanno Muller-Brachmann 1970-)
 さて、私はギーレンのベートーヴェンを新旧両録音を通じて、このリマスター盤ではじめて聴いた。そのため、既出盤との比較という観点で論じることは出来ないけれど、これはとても素晴らしいベートーヴェンだと思う。少なくとも、今の時代において、加味すべき様々な重要な価値観の中で、とても意義深いプライオリティを配した録音であり、それが私の感覚にはよく馴染む。
 私もクラシック音楽を聴き始めると同時にベートーヴェンの交響曲を聴き始めたから、これまでに相当な数のものを聴いてきた。でも、今、どれがいちばん好きかと問われると、まず挙げたいのは2007~09年に録音されたシャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮ゲヴァントハウス管弦楽団のものなのだけど、このギーレン盤はそれに次いで気に入った。とにかく何度も聴いている。ちなみに、もう一つ挙げよと言われたら、私の場合歴史的な録音になってしまうが、コンヴィチュニー(Franz Konwitschny 1901-1962)とゲヴァントハウス管弦楽団の名盤になるかな。
 それはおいておいて、とにかく、私はこのギーレンのベートーヴェンは、とても良いと思う。何が良いのか?ベートーヴェンの音楽では、焚き付けるような高揚感、内燃的な情熱や興奮といったものを経て、勝利の歓喜が導かれ、そのための強烈な発汗作用があるのだけれど、ギーレンの演奏では一種の即物性をキープした明瞭な透明性によって、それらを高度にコントロールしているのだ。その結果、音の間隙の風通しが素晴らしく良くなり、私にはとても心地よい。
 これはテンポ・ルバートを控えた表現、早めのテンポを主体とし、残響の広がりや音の揺れを一定範囲で厳密に制御することによって生まれる効果である。そう、だから、これは凄い演奏だと思うけれど、楽団員は演奏していて、それほど楽しくないのかもしれない(笑)。けれども、総体として生まれるサウンドは、清涼感に満ちていて、これが早いテンポとあいまって、最高に気持ち良い爽快性をもたらす。
 こう書くと、いかにもオリジナル楽器演奏的な印象をもたれるだろうか?たしかにそういった面もある。だがギーレンの演奏で素晴らしいのは、適度に浪漫派から続く演奏史の表現を踏まえた「味わい」を残しているところにある。オリジナル楽器演奏のように、学術的なもので割り切らず、適度にエモーショナルなものが残っていて、それが様々な味として効いてくる。だから、何度聴いても楽しめるのだ。例えば第9交響曲の第3楽章、あの有名な祈りの音楽に、様々なものが浄化されていく時に放つ神々しい薫りが漂っていると思えるのは、合奏音に混濁がないだけでなく、音色に健やかな情感が息づいているためである。
 そうして聴くと、このギーレンの演奏は、もう十数年前のものであるにもかかわらず、素晴らしい鮮度を持って聴き手に迫ってくるものだ。感情的な偏りが少ない分、何度聴いても飽きることのない快演奏と言えるだろう。

交響曲全集
ブロムシュテット指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 MDR放送合唱団 ゲヴァントハウス合唱団 ゲヴァントハウス児童合唱団 S: シャトゥロヴァー A: 藤村実穂子 T: エルスナー Br: ゲルハーヘル

レビュー日:2018.3.13
★★★★★  90歳のブロムシュテットが示す清新なベートーヴェン解釈
 ヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt 1927-)が名誉指揮者を務めるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と製作したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲全集。CD5枚の収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ長調 op.21 2017年録音
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.36 2015年録音
【CD2】
3) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」 2014年録音
4) 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60 2017年録音
【CD3】
5) 交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」 2017年録音
6) 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」 2016年録音
【CD4】
7) 交響曲 第7番 イ長調 op.92 2015年録音
8) 交響曲 第8番 ヘ長調 op.93 2014年録音
【CD5】
9) 交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」 2015年録音
 第9番の合唱は、MDR放送合唱団、ゲヴァントハウス合唱団、ゲヴァントハウス児童合唱団の編成。4人の独奏者は、ソプラノがシモナ・シャトゥロヴァー(Simona Saturova)、アルトが藤村実穂子、テノールがクリスティアン・エルスナー(Christian Elsner 1965-)、バリトンがクリスティアン・ゲルハーヘル(Christian Gerhaher 1969-)。いずれの音源もライヴ収録されたもの。
 まず、このシリーズ作製中に90歳となり、今なお世界を駆け巡り、あちこちのオーケストラの指揮台に立ち続けているブロムシュテットに敬意を表したい。
 さて、演奏である。私はベートーヴェンの交響曲全集の録音で、このオーケストラによる二つの名盤を愛聴している。一つはコンヴィチュニー(Franz Konwitschny 1901-1962)盤、もう一つは、リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)盤だ。
 このうち、シャイーの録音が2007年から09年に行われていて、このオーケストラにとって直近のものと言える。それは、ベートーヴェンのメトロノーム指示をほぼ遵守し、きわめて快速でありながら、内燃的な表出力、エネルギーにも事欠かない見事なものだった。
 対するにブロムシュテットは、80年代にドレスデンと録音したベートーヴェンを聴く限りでは、はるかに穏当なスタイルであったと思う。それからさらに30年を経て90歳になるころに振ったベートーヴェンは如何に?これが、なかなかびっくり。しばしばブロムシュテットの年齢から、当全集に「円熟」という形容が行われているようだが、私はこの演奏に「円熟」という言葉が適切だとは考えない。ブロムシュテットがこの30年間で、何をどう考えたのか、興味深いが、テンポは一貫して早い。以前の彼の録音よりずっと早い。
 とはいっても、そのテンポの早さはシャイーほどではない。ブロムシュテットは、かつては「早すぎる」と考えられてきたベートーヴェンによるメトロノーム指示について、様々な試みが行われるようになってきた現代までの流れを鑑み、自分なりの再考を経て、「これだ」というものに至ったのだろう。それが「彼の旧録音よりかなり早く、しかしシャイーよりは少し遅い」というポジション。そのテンポの「置き所」が、まずは当盤の特徴であろう。そして、このテンポによる音楽表現について、ブロムシュテットは相当深く検討し、周到に準備したと思われる。そう思わせるくらい、この演奏のテンポは確信に、満ち溢れていて、輝かしさを感じさる。オーケストラがとても生き生きしていることは言うまでもない。それは円熟というより、颯爽とした新鮮味にあふれた響きといって良い。
 ブロムシュテットの演奏からは、随所に「敏捷さ」が顔を出す。それは単にテンポが早いというだけの話ではない。音の減衰までち密に計算された強弱、適度に間合いを詰めた呼吸。それらが反映された音の長さと強弱。それらが組み合わさって、とても自然な味わいで演奏され、本格的な、まさにクラシックな響きを形成するのである。巨匠が培ったオーケストラを統御するノウハウを存分に感じさせるし、その結果、清新な音楽の流れが導き出されていることに感動する。音自体のすばらしさ、例えば弱音であっても、しっかりと芯の通った響きであり続けていることも、見事なところ。
 また、全般にバズーンやクラリネットといった楽器の、幸福感に作用する音が、常に生気にあふれた明るさを持っているところも印象深い。心地よく流れる透明な響きのヴェールの中で、これらの木管楽器が添える色合いの美しさは、得難いものに違いない。
 他方で、もしこの演奏に不満を感じる人がいるとしたら、重々しい劇性の効果が減じられて感じられるところだろうか。シャイー盤と比べると、ティンパニの効果は強くないだろう。とはいえ、それは徹頭徹尾計算された上でのことであり、全体のバランスは絶妙にキープされているといって良い。
 第9では声楽陣の好演も目立つ。特にゲルハーエルの美声は、人を酔わせる力を持つ。
 90歳を迎えるブロムシュテットが、周到に検討を重ね、これだと自信をもって提示したベートーヴェンが、ここで表現されている。

交響曲 第1番 第2番 序曲「プロメテウスの創造物」 「レオノーレ」序曲第3番
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2012.3.16
★★★★★  「速きこと」に明瞭なプライオリティーを示した演奏
 2007年から2009年にかてて録音されたリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集からの分売。計5つに分かれての分売で、それぞれのディスクは全集中での5枚のディスクをそのまま抜き出した形で、曲順の変更などは行われていない。
 これは全集の1枚目に相当するディスクで、交響曲第1番、第2番、序曲「プロメテウスの創造物」、「レオノーレ」序曲第3番が収録されている。
 シャイーのように多彩なキャリアを積んできた指揮者が、これまでそれほど取り上げてこなかったベートーヴェンの交響曲を世に問うとき、おそらく相応の準備なり検討を重ねるに違いない。レコード時代から常に録音の王道レパートリーであり続けたベートーヴェンにおいて、自分(とオーケストラ)の名によりエントリーするためには、そこにどのような「新しい価値」を吹き込めるかが重要だ。
 そういった意味で、シャイーのベートーヴェンの全集は極めて果敢な積極作に打って出たものであり、私もこの全集を聴いて、今までにない刺激を与えられた。これらの全集が「旧来の価値観と違う」という不満が人によってあるのは当然だと思うが、そのことは、決してこの演奏が劣っていることを指すものにはならないだろう。
 この全集の主な注目点は(1)新鮮でダイナミックかつスピーディーな解釈、(2)それを可能とするオーケストラのヴィルトゥオジティ、(3)それらの特徴を克明に捉えた録音、ということになるだろう。
 シャイーの演奏の抜群の特徴は「速さ」だ。最近よく使用されるベーレンライター版などのスコアを用いているわけではないのだが(むしろあえて旧来のオーソドックスなスコアを採用したのではないか)、明瞭に「速さ」中心のプライオリティーを打ち出したその手法は、「迅速を尊ぶ」の趣だ。これは基本的に(よく早すぎると指摘される)スコア中のメトロノーム指示に従った結果であるのだが、ピリオド奏法などにこだわらず、現代楽器で高いクオリティの演奏が再現できている点が見事。現在辿ることができるこのテンポの元祖はトスカニーニ(Arturo Toscanini 1867-1957)ということになるだろう。シャイーは現代の録音技術を意識し、一層の音色、音響を配慮しており、その点が「現代的」だ。交響曲第1番と第2番は大きく性格の異なる音楽だが、ベートーヴェンの強い主張はむしろアレグレットなどの急速楽章に強く打ち出されていると思える。それで、シャイーはその力点に畳み掛けるような、強烈なインパクトを設置している。「レオノーレ」序曲第3番では、鋭い金管の立ち上がりが印象的で、ベーレンライター版を用いたジンマン盤以上の先鋭性を感じさせる。最近聴いたベートーヴェンでもとりわけ強力に衝撃的な内容であり、爽快演奏だと感じられた。

交響曲 第1番 第2番
ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団

レビュー日:2021.12.7
★★★★★  ファイとハイデルベルク交響楽団によるベートーヴェン。活力に満ちた表現が魅力
 トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2つの交響曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第1番 ハ長調 op.21
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.36
 2000年の録音。
 非常にアグレッシヴで、前進する力に満ちたベートーヴェン。ハイデルベルク交響楽団は、トランペット、ホルン、ティンパニがピリオド楽器で、他が現代楽器という「混合編成」だが、ファイの演奏スタイルは、弦楽器陣のヴィブラートを抑制し、いわゆるベーレンライーター版準拠による快速進行である。ピリオド奏法を念頭に置いた上で、自分なりのベートーヴェンを積極的に描き出そうとした意欲の漲る演奏と言える。特徴は畳み掛けるようなアップテンポと、収束性の高い切り口の鋭さである。弦楽器陣は、ヴィブラートを抑えているため、やや硬く、輝きに乏しい面はあるものの、機敏な動き回り、瞬時の反応性でこれをカバーし、全体として、運動的な快感を強く刺激する方向へ向かっている。トランペットは、ピリオド楽器特有の不安定さを持ちながらも、タイミングを律義に守って、リズムの効果を高める役割を強めに担っており、全体としての方向性は齟齬が無い。一貫性の強い演奏だ。
 第1番では、第3楽章に示されるベートーヴェンの新規性が、積極的に表現されている。第1番という楽曲は、基本的には、第2番以降の飛躍に比べ、ベートーヴェンが、いまだ保守的な作風を踏襲している傾向が強い作品なのだが、この第3楽章には、その後のベートーヴェンを示唆するものが多くあり、いわゆるスケルツォ的性格が表出している。ファイは、その新規性やユーモア、そしてどこか雰囲気の異なったものが流入してくる楽想を、恣意的な表現性で強く描き出しており、魅力的だ。
 第2番は、さらにファイの解釈が活きた感がある。第2楽章では、「ラルゲット」としての活力とエネルギーが、スケールの大きさを感じさせつつ放出されており、爽快。第3楽章の「スケルツォ」も、明瞭な緩急とアクセントを織り交ぜて、活発で、生命力に満ちた音楽となっており、見事。そして、両端楽章では、勢いに勢いを重ね、ひたすらアクセルを踏み込むような躍動性があり、スピードそのものの魅力とあいまって、生気に溢れた音楽になっている。音の奔流と称したいその様子は、この交響曲の魅力を的確に表現している。
 音色自体に好みが分かれるかもしれないし、人によっては、もう少し落ち着きが欲しいと感じられるところもあるかもしれない。ただ、私は、ファイのこれらの録音が、音楽的な魅力を湛えたものであり、演奏芸術として、高いレベルにあるものと感じます。

交響曲 第1番 第2番 第3番「英雄」
ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2012.7.10
★★★★★  今だからこそ、あえてやりたかった。このスタイルの演奏!
 ドイツの指揮者、クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann 1959-)が、2008年から2010年にかけてウィーンフィルと行ったベートーヴェンの交響曲全曲演奏プロジェクト「BEETHOVEN9」の模様を収録したCD。全3巻で分売されていて、本巻には第1番、第2番、第3番「英雄」の3曲が収録されている。録音は第1番と第2番が2008年、第3番が2009年。
 今の時代では、あまり聞けない、むしろユニークとも言える演奏だと思う。しかし、決して奇異というわけではない。むしろ、かつてよく聴かれ、多くの人に好まれたスタイルを現代のオーケストラのスペックと録音技術で記録したというもので、意表を突いた領域を占める録音だと思う。
 端的に傾向を示しているのが交響曲第2番の第1楽章。このAllegro con brio(輝きをもって速く)の指示のある音楽は、現代ではインテンポで颯爽とまとめることが多いが、ティーレマンの音作りは肉厚で、実に表情豊か。それだけでなく、音幅のあるアクセントの挿入により、時に、はっきり意識するほど指揮者の「こう振るんだ」という気持ちが伝わる。この交響曲から、このような感興を得る経験というのは、最近ではほとんどないと言っていいと思う。
 もう一つ感心するのは肉厚な音響を導きながら、決して鈍重な音にはならないことで、むしろその状態である程度のスピードを維持することに迫力が感じられる。
 第3番「英雄」も濃厚なポルタメントが印象的で、いかにも豪放で古風な英雄像を描いている。第2楽章も演出が施されており、現代の主流といえるシャープなスタイルに味気無さを感じる人には嬉しいところだろう。
 私は、このティーレマンの演奏を聴き、いくつか近い音楽を聴かせてくれた指揮者の名を思い浮かべた。カラヤン、バーンスタイン、フルトヴェングラーなど、私の中では「近い」と感じる演奏である。現代で強いて言うならバレンボイムか?私はバレンボイムも、過去のスタイルに並々ならぬ憧憬を持った指揮者だと考えているが、このベートーヴェンを聴いて、ティーレマンもそうなのではないだろうかと思った。いかがだろうか?
 英雄交響曲の終楽章は私も大好きな音楽であるが、これほどおおらかに鳴る金管と、たっぷりした弦楽器の響きを、衒いなく解放する演奏というのは、デジタル録音ではちょっと探し出せないぞ、と感じた。そういうこともあり、先に書いた「意表を突いた領域を占める」録音が登場したと実感したわけである。
 この演奏、繰り返しの試聴を前提とする現代のメディアで、聴き手に飽きられないか?という心配は残るけれど、しかし、逆に、だからこそ、この演奏をしたかったんだ、というティーレマンの主張があると思う。そのようなハートが伝わってくるこの録音は、それなりの価値を伴うに違いない。

交響曲 第1番 第2番 第3番「英雄」 第4番
シュイ指揮 コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.4.3
★★★★★  びっくりの名快演!ラン・シュイによるベートーヴェン
 中国杭州市出身のラン・シュイ(Lan Shui 1957-)指揮、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲集。CD2枚に以下の収録内容。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ハ長調 op.21 2011年録音
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.36 2009年録音
【CD2】
3) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」 2012年録音
4) 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60 2010年録音
 さて、ベートーヴェンの交響曲となると、録音の数自体、無数と言っていいほどのものがある。その中には、名盤と呼ばれるものがあったり、あるいは新解釈として名高いものがあったりする一方で、ほとんど表だってとりあげられるようなことのないものも、当然のことながら随分ある。
 失礼をわきまえたうえで、言わせていただければ、この録音も、おそらく日本の批評界で、まともに取り扱われたことはなく、クラシック音楽フアンでさえ、その存在さえ知らない人が大部分ではないだろうか。しかし、そのような録音の中に、捨てがたいものが数多くあることもまた然り。それにしても、このラン・シュイのベートーヴェン、「捨てがたい」でくくってしまうレベルをぶち破るとんでもない快演だ。この録音を聴いて、私は、ベートーヴェンの交響曲に、まだまだ表現の突き詰められていない部分が残っていたことを痛感した。それくらい、発見の面白味と、音楽を聴くことの喜びを存分に提供してくれる、まさに痛快な演奏である。
 ベートーヴェンのメトロノーム指示が、「早すぎる」と考えられ、その通りに演奏することに疑問を投げかけてきた歴史があることは言うまでもないかもしれない。そして、最近になって、やはりそのメトロノーム指示で表現する可能性について、様々な解釈が示されてきたことも。
 その中で、このラン・シュイのベートーヴェンは、私の聴く限り、最高といって良い回答を導いたものに他ならない。オーケストラは、ティンパニと一部の金管楽器のみピリオド楽器で(パーヴォ・ヤルヴィも同様の試みを行っている)、かつ最大でも70人程度の編成。大規模なものではない。それゆえの各パートのバランスを徹底して緊密に磨き上げたうえで、連携を強化した鮮やかな快速運転を実現している。しかも、それが決して音楽表現として必要なものを置き去りにせず、いや、このテンポだからこそ「出来ること」をすべてやりつくしたような、圧巻の手際の演奏となっているのだ。ラン・シュイという指揮者、ただものではない。
 交響曲第1番の両端楽章の見せる生気に溢れた推進力(弦の限界に挑むような鋭い表現!)、第3楽章の迫力満点の切迫感、通常は葬送行進と言われる第3番の第2楽章のスタイリッシュな抜けの良さ、第4番の終楽章のそれこそ疾風怒濤かくありといった趣き。しかも、それらがただ面白い、ユニークというだけでなく、音楽的な真実味と切迫性をともなったしっかりした手ごたえのある表現として、完成されているのである。
 ベートーヴェンの交響曲にすっかり聴きなれて、いまさら、と思う人にこそ聴いてほしい。刺激と魅力に満ち溢れた内容だ。

交響曲 第1番 第2番 第5番「運命」 第7番
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2011.1.20
★★★★★  まるで近代高層建築のビルディングのようなベートーヴェン
 最近、ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団の録音を一通り聴こうと思っていろいろ聴いている。このTELARCレーベルへのベートーヴェンの全集も、ひととき評判になったと聞くけれど、私は今まで聴いたことがなかったので、あらためて聴いてみた。
 本ディスクには、第1番、第2番、第5番「運命」、第7番の4曲が収録されている。録音年は第5番と第7番が1987年、第1番と第2番が1988年。
 一聴して、(多少予測はしていたけど・・)そのクリアなサウンドに驚かされる。クリアというのは、それぞれの楽器の音色が直線的で、ハーモニーというよりいくつかの階層が存在していて、その階層の総体としてそこに交響曲が出来上がるというような、近代建築の枠組みのようなイメージなのだ。そのイメージ中の建築物には、非常に吹き抜けの良い空間があって、どこか人工的な観葉植物が等間隔でディスプレイされているような、高級感のある近代的空間が広がっている・・・
 ベートーヴェンの音楽を演奏するにあたっての一つのポイントとして、「パッション」をどのように表出するのか、ということがあると思うのだけれど、ドホナーニのアプローチは均質的な音の配置により、むしろパッションの成分を分離抽出して純化させ、一段手前のパーツに還元してしまったような面白さがある。例えば運命交響曲でも、第3楽章から第4楽章にかけて。管弦楽の響きは多層的。従来この部分は「盛り上がって勝利の行進」という発汗作用の多いところだけれど、クールに、ドライにこなしてしまう。テンポも速く、その音楽の質について考えるより、ひたすら聴き手は感性で付いて行き、即時即時で感応していく、というような・・・そしてあっというまにフィナーレである。これほど発汗作用の少ないベートーヴェンというのはちょっと珍しい。
 第1番と第2番はその快活さが全面に出ている。表現は解析的だが、第2番の第1楽章の颯爽たる進捗は、まるで初夏の深緑の中を心地よいスピードでドライヴしているような気持ちになり、広々とした開放感に満ちている!
 第7番も透き通った音楽になっていて、くっきりとしたサウンド、明瞭な距離感が常にキープされている。これは、とても個性的なベートーヴェンだ。ベートーヴェンの交響曲の場合、とにかく膨大な録音数があるのだけれど、中にあってこれだけ指揮者の顔がはっきりと伝わる演奏も珍しいだろう。好悪が分かれる可能性があるけれど、突き抜けた魅力を持ったベートーヴェンの一つだと思う。

交響曲 第1番 第3番「英雄」
ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2009.12.30
★★★★★  素晴らしい作品をまっすぐに演奏した王道の名演
 80年代にハイティンクが20年の永きに渡って蜜月関係にあったコンセルトヘボウ管弦楽団と録音した珠玉のベートーヴェン交響曲全集からの分売。第1番と第3番という贅沢な内容である。ベルナルト・ハイティンクという指揮者の評価は、当初日本ではあまり高くなかった。むしろブルックナーの第0番のようなマニアックなジャンルの録音なので、「全集請負人」的な便利屋の位置づけだったと思う。今にして思うととんでもない話で、いま例えば70年代のハイティンクの録音などを聴いてみても、その評価があまりに軽んじられたものであったことは明白だ。
 そんなハイティンクの日本国内での名声を確固付けたのがこのコンセルトヘボウ管弦楽団との集大成とも言えるベートーヴェンだろう。
 さて、ハイティンクの演奏であるが、なにも際立って特徴的なことをやっているわけではない。しかし、必要なことだけ指示し、輪郭をまとめた上で、オーケストラの自発性にゆだねたような拘束感のない音楽となっている。その印象は「喜び」といった感情となって聴き手に伝わるものだと思う。なので、第3番の第2楽章のような深刻な楽想も、強く悲劇性を感じさせるわけではない。しかし、もともとの音楽それ自体がもっている音楽的な性質だけで十分であるという確信があるため、未練のない堂々たる音楽になっている。
 このころのハイティンクの音作りはやや柔らかめである。この後、ハイティンクはウィーンフィルとブルックナーを、ベルリンフィルとマーラーを精力的に録音したのだけれど、そちらは比較的引き締まったソリッドな音色である。今世紀になってロンドン交響楽団と録音したベートーヴェンもそう。どちらが優れているというわけではないが、コンセルトヘボウ時代の柔らかい曲線的な音色の方を好む人も多いのではないだろうか。
 最近ではこういうベートーヴェンはもう一つインパクトがないということになるのかもしれないが、素晴らしい作品をまっすぐに演奏した王道の名演として、私には今後も愛聴盤として聴き続けたい名録音である。

交響曲 第1番 第6番「田園」 第8番
アシュケナージ指揮 NHK交響楽団

レビュー日:2008.5.25
★★★★★ まさにアシュケナージとNHK交響楽団の「有終の美」
 非常に素晴らしい演奏である。この録音を聴いてNHK交響楽団が確かな力量を備えた世界的なオーケストラであることを再認識した。
 指揮は2004年か2007年までNHK交響楽団の音楽監督を務めたアシュケナージ。アシュケナージは、従来指揮者としてはベートーヴェンをほとんど取りあげてこなかった。しかしNHK交響楽団という、ドイツ・オーストリアものをレパートリーの中心としているオーケストラを振るにあたって、また彼の中でも、いまベートーヴェンを振ろうという要求があり、充実した録音のラインナップになったに違いない。今回は第6番がライヴ録音で、第1番と第8番がスタジオ収録された。いずれも2007年の録音。
 当録音で特徴的なのは、チェロ、コントラバスの豊かな表情付けである。実際、ベートーヴェンの交響曲を聞いていて、これらの低弦楽器の細やかなニュアンスがこのように伝わってきたことはない。田園交響曲第1楽章の心地よいフレーズで、淡々としかし憂いを含みながら添えられるチェロバスの音色は絶品といっていい。
 全般にいつものアシュケナージらしく健康的で明朗・軽快なテンポ設定であるが、音色の深みがいつも以上であり、その全体的な響きが高い品格となって曲調を支えている。現代楽器を用いたまさに「王道のベートーヴェン」だと言っていい。第1番や第8番の、木管主導のフレーズや、あるいは隠し味的に添えられる経過句も実に的確に決まっている。
 金管の立体的な彫像も見事。田園交響曲の第3楽章でオーケストラ最後方から吹き鳴らされる音の伽藍は圧巻の迫力がある。第4楽章の嵐の描写の切迫感も精度の高いアプローチで驚かされる。そして嵐のあと、第5楽章への移行部で低弦による遠雷が残るなか、雲間から差すホルンの厳かな光の美しいこと!NHK交響楽団の録音の中でも最高傑作といえるものだと思う。

ベートーヴェン 交響曲 第2番  ブラームス 交響曲 第2番
ヤンソンス指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2006.3.21
★★★★★ ヤンソンスの充実を示すベートーヴェンとブラームス
 1943年ラトヴィア生まれのマリス・ヤンソンス(Mariss Janssons)はすっかり現代を代表する指揮者となった。20年の長きに渡り手兵オスロフィルを磨き上げた後、2003年からバイエルン放送響の音楽監督に就任する一方で、2004年8月月からロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席指揮者にも就任。まさにヨーロッパの中枢といえる2つのオーケストラを使い分ける一方で、2006年のウィーンフィルのニュー・イヤーコンサートにも抜擢された。さて、その録音活動であるが、ここにきてライヴ録音の比率がぐんと増えている。バイエルン放送交響楽団とのライヴはCBS系列から、そして当盤を含むコンセルトヘボウ管弦楽団とのライヴ録音は自主製作レーベルであるRCO LIVEから続々とリリースされている。
 今回はベートーヴェンの第2交響曲とブラームスの第2交響曲を収録。2004年10月27日と28日のライヴを収録したもの。ヤンソンスのベートーヴェンは珍しいが、最近の若手指揮者では、比較的ベートーヴェンというと、この第2を取り上げる傾向があるように感じる。この曲の古典性からロマン派を遠謀するような、「時代の幕開け」的な趣きが共感を得やすいのか?たしかリッカルド・シャイーもベートーヴェンではこの曲をコンセルトヘボウと振っていた。
 さて、演奏であるが、非常にふくよかで優しい演奏である。弦楽器陣の包容力のある響きが高級感をかもし出す。テンポはたいへん穏当なもので、早過ぎず、遅過ぎずという、いつものヤンソンスのスタイルだ。木管のチャーミングな響きも特筆される。ブラームスの第2交響曲第1楽章終結部の典雅な音色は天国的。録音はライヴにしては検討しており、ときおり合奏の強奏音がやや硬めにはなるが、気になるほどではない。適度な乾きのあるやや軽めの響きは、弦楽器の合奏の表情を細かく再現できている。

交響曲 第2番 第3番「英雄」 第7番
ベーム指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2008.3.20
★★★★★ まさしく貫禄の名演奏です
 「カール・ベームがドイツのオーケストラを振ってのベートーヴェン、悪いはずがない」と乱暴な言い方をしてしまえばそうなるのだが、聴いた後は「ほら、ね!」となる貫禄の名演奏です。
 ベーム(Karl Bohm 1894-1981)はオーストリアに生まれた名指揮者で同時代の演奏家たちに与えた影響は絶大であった。4回の来日公演で日本のファンにも広く親しまれていた。来日のたびに熱狂的なファンに囲まれ、TVや新聞も大きく報道した。いま現在では情報の価値観が多様化したこともあり、ベームに相当するようなアーティストはいないと言わざるをえないでしょう。
 さて、演奏。当盤には十八番といえるベートーヴェンの交響曲が3曲収録されている。第2番、第3番「英雄」、第7番で、第7番のみ1973年、他の2曲は1978年のライヴ録音。オーケストラはバイエルン放送交響楽団(Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks)。~ベームはオーストリア生まれだが、私個人の感想としてはドイツのオーケストラ(ベルリンフィル、ドレスデン国立管弦楽団、ケルン放送交響楽団、ベルリン・ドイツオペラ、バイエルン放送交響楽団など・・・)との録音にことさら素晴らしいものが多いと思う~。この演奏にまさに勇壮そのものの演奏。時代背景もあって、いま流行の「オリジナル楽器的」演奏に一顧だにしないゆるぎない巨匠性を感じる。落ち着きのあるテンポでオーケストラから太く逞しい音色を引き出す。ホルンはアルプスの峰々から高らかに鳴り響くようだし、ティンパニは真ん中を叩いているかのごとく重量感を持って響き渡る。そしてその活力のよさ、心地よい疾走間。クライマックスで開放される音、その膨大なエネルギー量はすさまじい。それでいて筋肉質ともいえるバランスに満ちた均衡性。さすがと感服せずにはいられない。特に第7番は圧倒的。一瞬たりとも弛緩せずに脈々と生命感を供給し続ける熱が全編に満ちている。録音状況も良好。

交響曲 第2番 第4番
ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2009.12.30
★★★★★  現代楽器のパワーを感じる比類ない膂力ある名演
 ベルナルト・ハイティンクが80年代にコンセルトヘボウ管弦楽団と録音したベートーヴェンの交響曲集が分売の形で再リリースとなった。レーベルの統廃合のため、従前フィリップスであったが、このたびはデッカに変わっている。
 ハイティンクという指揮者は、今でこそ日本国内での評価も確立しているが、今一つ評価のタイミングが遅れたという感じがする。あくまで私見であるけれど、この指揮者の国内での評価が定まったのは、アシュケナージとのラフマニノフやブラームスの協奏曲録音あたりからではないだろうか?かく言う私も、あのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の重厚にして厳かなサウンドで音楽の世界に引きずり込まれた1人である。
 そこで、今回あらためてハイティンクとコンセルトヘボウ管弦楽団のベートーヴェンを聴いた。一聴していまとなっては懐かしい古典的なオーソドックスな名演だと思う。最近ではベートーヴェンの交響曲の録音となると、ちょっと編成を小さくしてみたり、ピリオド楽器を使ったり、版の問題に踏み込んだアプローチを試みるなど、「戦略的」な部分がそのカラーとなる。しかし、ここに聴くハイティンクの演奏は、まさに王道のど真ん中に投げ込んだ直球である。魅力的でないはずがない。
 もちろん、ベートーヴェンの素晴らしい交響曲である。普通に演奏すれば十分魅力的な音楽となる。では、ハイティンクの当演奏のプラスアルファは何か?私の場合、オーケストラの各パートの織り成す暖色系のコントラストがたいへんな魅力だと思う。コンセルトヘボウ管弦楽団というオーケストラの持つまろやかなテイストが、自然で伸びやかに繰り広げられる。第2番は元来弦楽器のよく響く古典的な調性の音楽であるが、このオーケストラの場合さらに鮮やかな色彩感が添えられる。また過度な発色にはならないハイティンクの統率力も見事だ。第4番は序奏の後の全合奏の壮麗さが印象的。第2楽章の気品のある「たゆたい」も輝かしい表現だと思う。また全般に最近のピリオド楽器演奏に顕著な「あざとさ」がないという点もよい。もちろんピリオド楽器による演奏にもそれなりの魅力があるのだけれど、何十年にも渡って進化した現代の楽器による表現力を全開した演奏のパワーというのは比類ない。

交響曲 第2番 第6番「田園」
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2011.12.16
★★★★★  ライヴ録音で伝わるクーベリックの芸術家としてのみなぎる情熱
 チェコの指揮者、ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)による往年のライヴ録音。ベートーヴェンの交響曲第2番と第6番「田園」で、オーケストラはバイエルン放送交響楽団。録音は、交響曲第2番が1971年で、第6番が1967年。
 クーベリックは独グラモフォンと多くの正規スタジオ録音があり、それらを通じて私もこの巨匠の音楽に触れてきたが、近年、Auditeレーベルによって、多くのライヴ音源がCD化され、私たちはそちらも聴くことができるようになってきた。
 よく、スタジオ録音とライヴでは演奏のスタイルの異なる指揮者がいると言われる。古いところでは、フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)などもその代表格で、ライヴの方が魂の宿ったような演奏になると表現される。また、チェリビダッケ(Sergiu Celibidache 1912-1996)みたいに録音自体を受け付けたがらなかった人もいる。
 それで、最近クーベリックのライヴ録音など、どんどん巷に出るようになると、どうやらクーベリックもスタジオ録音とライヴ録音で、若干以上に雰囲気が変わる指揮者だったように思える。たとえば、彼の振ったマーラーの第5交響曲なんて、ライヴの激烈さはちょっとスタジオの正規録音からは考えられないものだったから。
 それで、このベートーヴェンもなかなか凄い。たいへん熱気のある演奏だ。オーケストラ全体が聴衆に向かって前のめりになってくるような、そんな演奏。交響曲第2番はいかにも巨匠的で、大オーケストラを燦然と輝かしく鳴らしているのが特徴。弦楽器陣の多少の過度な残響も厭わないたっぷりした鳴りが力強い。個人的に、合奏音の末尾がやや広がって締まりがないところがあるのが少々気になるけれど、全体的な勇壮さは、最近の主流の演奏とは一線を画した風格を導いている。
 交響曲第6番もほぼ同様のスタイルだが、こちらの方がややシェイプアップ感のあるフォルムかもしれない。しかし、有名な第4楽章の嵐のシーンのつんざく様なトランペットの咆哮に、この瞬間にあったクーベリックの芸術家としての留めようもない情熱が照らし出されているように思う。また、私はこの曲では、嵐の過ぎ去った後、つまり第4楽章から第5楽章へ移ろう部分が大好きなのだけれど、この部分でもクーベリックの美意識は存分に発揮されていて、陰影の濃い音楽を味わわせてくれる。
 クーベリックの遺したこれらのライヴ音源をCD化してくれたAuditeレーベルに感謝したい。

交響曲 第2番 第7番
アシュケナージ指揮 NHK交響楽団

レビュー日:2008.8.7
★★★★★ まさにアシュケナージとNHK交響楽団の「有終の美」
 アシュケナージとNHK交響楽団によるベートーヴェンの交響曲全集が本盤をもって完結した。このオーケストラの力量が十全に表現された全集であり、アシュケナージとの録音も適切な時期だったと思う。国内の実力あるオーケストラの一つの金字塔の完成を祝いたい。
 それにしても、その最後を飾るに相応しい名演である。私はTVで、この第7交響曲の演奏の模様を視聴したのだが、その闊達にして漲るエネルギーと爽快なパフォーマンスにCD化を心待ちにしていた。そんなわけで発売日に予約して購入した。NHKホールでの収録だったので、録音を心配したが(同じNHKホールで収録された第9番の録音は良くなかった)、今回の録音は十分現代の水準あり、そのことにほっとしたが、それよりも演奏である。
 まず第2番も非常に的確なスケールで瀟洒に、しかし良心的で絶対的な音楽の範に即している。心持ち適度な距離感もあり風通しがあるのが心地よい。しかし圧巻はやはり第7番である。第1楽章の冒頭の和音から見事な質感である。そのあとの全合奏による主題の提示では音色のブレンドがきわめて秀逸。今まで聴いたことがない、しかし確かにやってみると「おおっ」と思う音色だ。これが「NHK交響楽団の音」なのだろうか。もちろん聴き手の好みの問題もあるだろうが、私はどうもアシュケナージの感性が伝わりやすい体質であるようだけど、それを差し引いても見事だと思う。第2楽章は高雅さと的確なリズムがあいまってとても心地よい。終楽章が圧巻中の圧巻。爽快なテンポ、もちろん速ければいいというわけではない。音楽的で、確信的で、論理的。それでいて感情の思い切った開放があり空に向かって解き放たれるような力感だ。終演後の熱狂的な拍手も必然の効果のように聴こえる。このような録音で全集の幕が閉じられるのは実に喜ばしい。

交響曲 第3番「英雄」
朝比奈隆指揮 大阪フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2009.5.23
★★★★☆ 本当に「一番新しい録音」が、「いま聴いて欲しい直近の成果」だったのだろうか?
 それにしても朝比奈隆はいったい同じ曲を何回録音したのだろう?と思ってしまう。もちろん再録音にも必要な場合がある。代表的な理由として(1)録音技術が進歩した場合、(2)自身の楽曲への解釈を変更した場合、(3)別の共演者(オーケストラ)とアプローチをする場合、(4)レーベルの変更等による商業的都合、(5)以前の録音に不満な点が残る場合。
 たいていの場合、そのどれかもしくは複数に該当する正当な再録音理由があるのだけれど、朝比奈の遺した膨大な録音には、根拠の不明なものが多い。レパートリーが少ないとは思わないが、一部のコアなファンによる購買が確実なため、同曲異録音が多くなる状況を誘発してしまった面もある。
 かくいう私も、そのために朝比奈の録音には手を出し難い状況である。本人にとって、本当に当時の「一番新しい録音」が、「いま聴いて欲しい直近の成果」だったのだろうか?これは私がこのアーティストに抱き続けた率直な感想である。さてこの演奏を聴く。演奏自体が悪いとは思わない。ややゆったりとしたテンポで裾野を広げつつ、スケールの大きい音楽を作っている。かつてこの指揮者にあった特有のアクが薄くなっているのは、私にはむしろ聴き易い。それでも部分的な強奏音など、やや唐突な箇所は残るが、音楽の愉悦性を引き出したと考えると、歓迎されてしかるべき表現だろう。それにしても「朝比奈のベートーヴェン」といって、この録音です、というわけでもないだろう。今となっては、なかなかリスナーには手ごわいアーティストになってしまった。

ベートーヴェン 交響曲 第3番「英雄」  ワーグナー ジークフリート牧歌
ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.3.27
★★★★★ ニーベルングを彷彿とさせるような英雄交響曲
 この「英雄交響曲」が録音されたのは1959年である。1959年といえば、ショルティが名プロデューサー、カルショウとともに歴史的名盤となるワーグナーの「ニーベルングの指輪 全四部作」に取り組んでいたところである。筆者もこの名録音をLPそしてCDで聴いてきたが、これは本当に「凄い」の一語に尽きる録音で、いわゆる音楽の「記録芸術」の金字塔ともいえるものである。技術も圧巻であるが、それに加えて圧倒的なエネルギーに満ちた歌手陣とオーケストラの演奏も神がかり的で、芸術家と技術者の見事なコラボレーション作品であった。そしてその時期にこの英雄交響曲の録音がある。
 というわけで、これまた凄い演奏なんです。ショルティはこのあとシカゴ交響楽団とこの曲を2回録音していますが、それらと比較してこちらは気宇壮大というか、音楽の「踏み込み」がただならない。もう一歩も引かないという感じ。しかし一方でウィーンフィルはウィーンフィルで、その持ちうる限りの芳醇な音色でショルティの挑発(?)に応戦するものだから、いやが上にも尽きない戦国絵巻が繰り広げられるのです。たしかにこれは好みの分かれる演奏でしょう。一般的にはシカゴ交響楽団との録音の方が、スタイリッシュで理知的。私もやはりそちらを高く評価するかもしれない。でも「これにはこれの」と言うか本当に「この録音にしかない」魅力が縦横にあふれていることもまた然り。これはぜひ聴いておきたい一枚だ。録音もデッカならではの優秀さ。ニーベルングの指輪の神がかり的な録音が「必然」であったことをここに証明、と言った感じです。

交響曲 第3番「英雄」 レオノーレ序曲 第3番
アシュケナージ指揮 NHK交響楽団

レビュー日:2008.7.1
★★★★★ 機敏なリズムで爽快、クライマックの恰幅も立派
 アシュケナージとNHK交響楽団によるベートーヴェン・チクルスの第4弾。今回は第3交響曲と序曲レオノーレ第3番だ。前者が2006年、後者が2004年のライヴ録音。このシリーズは欠かさず購入しているが、NHKホールで収録された第9番が、なぜか録音の質が悪くて、響きが痩せていたのだけれど、今回のサントリー・ホールで録音されたものは、演奏の質ともども見事な出来栄えで、豊かなホールトーンと合わせて存分に堪能できる一枚となった。
 第3番は、アシュケナージには初録音となる。元来、機敏なリズムで颯爽とした音色を好むこの指揮者にあって、なるほどと思える内容だ。同時に、この楽曲ならではのスケール感を巧みに盛り込んでいると思う。第1楽章冒頭、有名な和音連打からして響きが豊かで、不要な肉付きを排したシャープさを感じる。それに続く細やかなで丁寧なコントロールから紡がれる音楽は、明晰であると同時に、適度な柔和さを保つ。楽器間でのモチーフやメロディの受け渡しが回を重ねるごとに、どんどん小気味良くなり、テキパキと決まっていくのはとても気持ちがいい。そして全合奏におけるホルンを中心としたふくよかな金管の響きは深みがあって格調が高い。第1楽章終結近くでもホルンのニュアンスを込めた音色は絶品。終結部の畳み掛けるテンポも心地よい。
 第2楽章も名演。ここでは弦の「憂い」が美しいし、決して過度にむせび泣いたりしないのがよい。また中間部からの壮絶なクライマックスの盛り上がりは圧巻で、この部分の演奏効果としては過去の名盤をも凌ぐとも思われる。第3楽章、第4楽章も爽快と言っていいテンポでありながら、必要な音楽的掘り下げや考察も十分にあり、これは実に見事なベートーヴェンの英雄交響曲であると感心させられた。
 それに比べるとレオノーレ序曲第3番はやや淡白であったが、もちろん悪い演奏ではない。NHK交響楽団の力量が如何なく発揮された録音と思う。

交響曲 第3番「英雄」 レオノーレ序曲 第3番
パイタ指揮 ロイヤル スコティシュ管弦楽団 オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2019.8.31
★★★★★ 英雄交響曲の名演の一つ
 カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の下記の2作品を収録したアルバム。
1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」
2) レオノーレ序曲 第3番 op.77b
 オーケストラは英雄交響曲がロイヤル・スコティシュ管弦楽団、レオノーレ序曲がオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団。
 当盤では録音年が不詳であるが、関連サイトで情報収集したところ、英雄交響曲については1975年とのこと。レオノーレ序曲については詳細不明ながら、音質的にほとんど差がないこともあり、いずれ当該年近傍に録音されたものであろう。
 演奏はなかなか見事なものである。正直に言うと、当演奏を聴くまで、この時代のロイヤル・スコティシュ管弦楽団が、ここまで堂々たる演奏を繰り広げることが出来たとは考えていなかった。自らの不明を感じ入る。
 パイタの指揮は、よく言われるように、フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)への憧憬が感じられるもので、幅広く、熱気に溢れたもの。
 第1楽章は、冒頭の2和音から、輝かしく、勇壮であり、金管は壮麗だ。そのあとも、パワーに溢れた表現で、肉厚でスピーディーな音楽が展開していく。恰幅豊かであるが、決して重すぎないバランスがあり、管弦楽の美麗な響きとあいまって、英雄交響曲に相応しい音像を築き上げていく。弦楽器陣の常に幅を感じさせるシンフォニックな響きは、ロマンティックで奥行きがある。熱を帯びていく展開部、一気果敢に駆け巡るコーダと実に頼もしい。
 第2楽章も壮大なドラマ性を持った表現で、旋律は濃厚に扱われ、音楽は豊かに流れていく。決して外面的なものに特化した演奏ではなく、エモーショナルな表現を踏まえた掘り下げがあるため、劇的な高揚感の演出に必要な起伏も見事に再現されている。クライマックスの壮大な音の繋がりは、感動的だ。
 第3楽章は機敏な瞬発性が支配的だが、音は決して細くならない。ホルンの音色は、柔らか味がありながらも大きく、それはヨーロッパ山岳地帯の狩を思わせる響きだ。
 第4楽章も早めだが、そのテンポには闊達な自在性があり、その自在さが楽想に即していて気持ち良い。決してあざとさを強く感じるわけではなく、自然な太さと強さがあり、勢いが魅力的な音楽表現として消化されている。豊かな音量も好ましい。
 レオノーレ序曲も同様のスタイル。
 現在、これと似たようなスタイルの演奏をする指揮者として、私は、パイタと同郷の指揮者、バレンボイム(Daniel Barenboim 1942-)を思い出すのだけれど、英雄交響曲を聴く限り、私見では、パイタの方が、巧いと思う。外連味の発揮がとても周到で、自然に心地よく決まっている。バレンボイムの方が世評の高い芸術家なのかもしれないが、機会があれば、是非当盤を一聴して、パイタの芸術性をあらためて評価しても良いのではないか、と思う。

交響曲 第3番「英雄」 第4番 歌劇「フィデリオ」序曲
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2012.3.16
★★★★★ 「人類の傑作」交響曲を圧倒的な速さで体感
 2007年から2009年にかてて録音されたリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集からの分売。計5つに分かれての分売で、それぞれのディスクは全集中での5枚のディスクをそのまま抜き出した形で、曲順の変更などは行われていない。
 これは全集の2枚目に相当するディスクで、交響曲第3番「英雄」、第4番、歌劇「フィデリオ」序曲が収録されている。8曲の序曲がそれぞれ5つのディスクに分割収録されている点もサービス感に溢れ、企画の良心性を感じさせる。
 シャイーの演奏の圧倒的な特徴は「速さ」である。かつて、カセットテープに音楽を録音してカーステレオなどで聴いていた頃、英雄交響曲なんて、とても90分テープの片面で収まる音楽ではなかった。だいたい、普通、演奏に50分くらい要するだろう。しかし、このシャイーの録音は全曲が42分20秒で、余裕で45分を切っている。この「英雄交響曲」が完成した当時、「史上最長の交響曲」だったそうだが、42分ではこの肩書きも少し微妙かもしれない。
 まったくの余談だが、この作品に関する私の原体験を一つ。アニメ「ルパン三世」でこんなストーリーがあった。「人工音」に反応する高精度保安装置の警戒網がなかなか突破できない。最終的にルパンの考案した方法は、“人類が作り出した最高の芸術品”「英雄交響曲」を保安装置の監視空間で流すことだった。保安装置は英雄交響曲の音楽が完璧であったため、これを異常音と感知できず作動しない、という話。もちろん、そこまで鋭敏な感性の機械があったらそれは見事なものなのだが、このエピソード、音楽愛好家には実に含みのある話であった。
 シャイーの演奏は軽快な英雄だ。速い速い!風を切る速さとはこういうものか。第1楽章はこのスピードにより、むしろオフビート感が強いが、感性で押し切ったような、シェイプアップされた容姿を感じさせる。第2楽章の葬送行進曲では「荘厳さ」は示されないが、ライトなスタイルで颯爽としており、「規律」を感じさせるもの。終楽章は、ベーレンライターなどではない“古典的なスコア”(主要主題を告げるトランペットなどに象徴的)による快活テンポの演奏として、従来にない存在感を感じさせており面白い。シャイーの英雄交響曲は、速さゆえの非古典性、不安定さを持っており、批判も受け易いところだと思うが、私は新しい感性の漲る演奏として評価したい。
 交響曲第4番はシャイーのスタイルが肯定的に強い生命力を引き出していると感じられ、より多くのリスナーに受け入れられるに違いない。終楽章はこれまた疾風のごとき勢いで、バズーンのソロなど弦合奏の嵐でかき消され気味だが、演奏のスタイルは強烈な刻印を残している。多少圧殺されるものがあるのは仕方ないだろう。それよりもまさに切れば血の出るようなスピーディーな迫力に満ちた躍動感を楽しみたい。

交響曲 第3番「英雄」 第8番
P.ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

レビュー日:2007.12.1
★★★★★ 「意図した表現」のためにすべてを合理的に鳴らした演奏
 パーヴォ・ヤルヴィはエストニアの指揮者ネーメ・ヤルヴィの実子。本盤はドイツ・カンマーフィルとのベートーヴェン録音第1弾となったもの。第3番は2005年、第8番は2004年に収録されている。
 現代、ベートーヴェンの交響曲を録音するにあたって、当然数多くある録音の中の一つとして存在感あるものであるために、様々な試行が重ねられると思う。それが指揮者にとってどこまで本来的なものだったのか、私にもときどき悩む場合がある(私が勝手に悩んでいるのですが)。ただ、結果として様々に面白い提案が現れてくるわけだし、それを聴けるのはもちろん楽しいわけで、この録音もそういった「ニーズに合った」録音といえる。つまり個性的で面白い。
 まず楽器であるが、トランペットとティンパニにピリオド楽器を用いているらしい。これは、さらっと書いたけれどかなり特殊なことだ。いったい何ゆえか?と思うけれど、聴いてみるるとティンパニに関しては、かなりクローズアップしている。これはおそらく弦などの人数を少人数にしているということだと思うが、ティンパニの生々しい音を使って、あちこちで「決め打ち」気味に活躍させる。実にリズム感のある音楽となる。また金管の音色も現代楽器のような伸びよりも、多少不安定さがあっても鋭さを求めており、その表現に適した楽器をチョイスしたらこうなった、という感じである。その合理主義的精神も見事と思う。そうしてトントントントンと小気味のいい軽い音色で音楽を走らせながら、木管中心に歌わせるコントロールも巧みだ。これはもう深く悩まずに反応にまかせて楽しめばよいのだろう!・・でも終わって感想を言葉にしようとすると、ちょっと考えるところはあるわけです。

交響曲 第3番「英雄」 第6番「田園」 レオノーレ序曲 第3番 合唱幻想曲
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 p: R. ゼルキン 小澤指揮 ボストン交響楽団 タングルウッド音楽祭合唱団 S: ロビンソン バージス A: コーカシアン T: リーゲル Br: ゴードン Bs: ロビンス

レビュー日:2011.1.21
★★★★★ 晴天の見晴らしの良い丘から見下ろす田園風景
 ドホナーニがクリーヴランド管弦楽団と1980年代に録音したベートーヴェンの交響曲全集は、2CDずつ3組の廉価な輸入盤により分売されている。当ディスクには交響曲第3番「英雄」と交響曲第6番「田園」それにレオノーレ序曲第3番が収録されている。交響曲第3番が1983年、他は1986年の録音。
 さらに当ディスクには、不思議なおまけとして「合唱幻想曲」が収録されている。これは奏者が異なっていて、ピアノがルドルフ・ゼルキン、オケが小沢指揮ボストン交響楽団、合唱がタングルウッド音楽祭合唱団、独唱陣がS: ロビンソン、バージス、A: コーカシアン、T: リーゲル、Br: ゴードン、Bs: ロビンスで1982年の録音。特にドホナーニの録音とは脈絡のない収録内容であるが、余白の収録時間を利用して、例え別種の録音でも追加しようというサービスは良心的でうれしい。(ただ、通販などで購入しようとする場合、当該サイトでそこまで明示してくれない場合があり、要注意でもある)。
 私はドホナーニの全集の一環としてこのディスクを購入したので、俄然注目は「交響曲」である。ドホナーニのベートーヴェンへのスタイルは確固たるもので、ひたすら機能美に徹してクリアなサウンドを心がけたものだ。重さより速さ、感情より感性の勝負に徹していて、その際に不要となってしまったものは、省みることなく、あっさり振り切った潔さが聴き所である。交響曲第3番は冒頭の一撃からシャープな切り口で、以後もサッ、サッ、と場面が切り替わっていく。ティンパニの瞬激も刹那の迫力に満ちているし、第1楽章後半で主要主題を高らかに吹き鳴らすトランペットも衒いなく立派の一語。第2楽章では弦の精度の高い音響が鮮やかで、一点の聴きもらしもない。実はこの曲の後に小沢とゼルキンの合唱幻想曲が収録されていて、そちらも単品ではぬくもりの通った秀演なのだけれど、ドホナーニの英雄交響曲と続けて聴いてしまうと、何か曇ったような印象になってしまう。不思議なものである。
 交響曲第6番はいくぶんしっとりした音響があり、少し違った印象を持つが、それでも全管弦楽による合奏シーンなどでは、ドホナーニならではの透き通った音色がまるで見晴らしの良い丘から見下ろす田園風景を描いているかのようで無類に心地よい。有名な嵐の音楽は機敏な音楽の移り変わりを瞬時で反応する機転が心地よく、一気に聴き通してしまう。
 もちろん、このような感性で押し切ったベートーヴェンを異質と感じる人も多いに違いない。私も、そういう違和感をまったく感じないわけではないが、それにしても聴いていて圧倒される清清しさである。好きな人はとことん好きになるのではないか、そう思わせるベートーヴェンだ。

ベートーヴェン 交響曲 第4番  リャードフ バーバ・ヤーガ  グラズノフ バレエ「ライモンダ」より第3幕への前奏曲
ムラヴィンスキー指揮 レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2008.10.11
★★★★☆ ソ連の神秘的演奏家の1973年来日時の録音
 1973年来日時のライヴ収録。エフゲニー・ムラヴィンスキー(Evgeny Muravinsky)は1903年ペテルブルク生まれの指揮者で、35歳の若さでレニングラード・フィルの常任指揮者に抜擢された。来日当時はソ連の実演に触れる機会の少ない指揮者とオーケストラであり、また録音活動もソ連国内のメロディア・レーベルのものだけだったので、「秘められた指揮者と演奏集団」というイメージだったと思う。東京文化会館の大ホールでNHKによるライヴ録音が行われたため、このようなCDとして復刻することになった。
 ベートーヴェンの交響曲は名演として名高いものであるが、そこには一抹の古めかしさもただよう。つまり指揮者の強い個性が出ており、交響曲ではあるがどこか標題音楽のような演出がある。もちろんそれは悪いことではないし、様々に評価されるべきものであるが、現代的な演奏に慣れると、そのアクに戸惑うことも否めないと思う。
 とややネガティヴな印象に書かせていただいたが、もちろんこれは存在感のある演奏だ。第1楽章の序奏の重々しさ、荘厳さは真に迫ってくるものがあり、その後のスピード感と金管、ティンパニの痛烈な響きもさすが。また、第2楽章では木管中心の音色の豊かさ彩豊かでロマン性を帯びている。第4楽章も快速だが、ややオーケストラの足並みの乱れは気にならないわけではない。しかし、現代では得られない独特のカリスマ音楽家の演奏だというのはよく分かる。
 アンコール的小品としてリャードフの「バーバ・ヤーガ」とグラズノフの「ライモンダ、第3幕への前奏曲」があり、こちらも意気揚々たる演奏で、自信に溢れた音が漲っている。このような機会に日本のフアンにロシアのネームヴァリューの低い作曲家の作品を伝えたいという気持ちが伝わる。

交響曲 第4番 第6番「田園」
ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団

レビュー日:2023.1.31
★★★★☆ 第4交響曲が素晴らしい出来栄え
 トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2つの交響曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第4番 変ロ長調 op.60
2) 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」
 2001年の録音。
 ファイとハイデルベルク交響楽団は、2000年に第1番と第2番を録音していたので、それに次ぐベートーヴェンの交響曲シリーズとなった。ただ、彼らは他の交響曲については録音しなかった。当欄をご覧の方はご存知のことと思うが、ファイは2014年に事故で重傷を負い、現時点で再起は難しい状態とのこと。なんとか回復してほしいというのは多くの音楽フアンの思うところだろう。
 さて、録音内容に話を移す。ハイデルベルク交響楽団は、トランペット、ホルン、ティンパニがピリオド楽器で、他が現代楽器という「混合編成」だが、ファイの演奏スタイルは、弦楽器陣のヴィブラートを抑制し、いわゆるベーレンライター版準拠による快速進行である。
 ここで、参考までに書いておくと、ベーレンライター版とは、イギリスの音楽学者ジョナサン・デル・マー(Jonathan Del Mar 1951-)がベートーヴェンの資料を研究し、あらためて原典譜から校訂し、ベーレンライター社が1996年に刊行したスコアである。ただ、このスコアに従うと「快速」になるというわけではなく、本来ベートーヴェンの交響曲のスコアにおける速度指示は、概して快速なものなのであり、それが演奏史の中で、テンポを落した解釈が主体となってきた背景がある。そこに、改めて、原典主義を謳ったベーレンライター版が登場したため、この版を扱う際、その原点主義の精神に則って、早い速度指示に改めて忠実に従う演奏となったわけである。つまり速いテンポというのは、ベーレンライター版の特徴というより、ベーレンライター版のイズムに従ったということになる。もちろん、その他にも、ベーレンライター版では、従来のスコアが前後の脈絡から整える傾向にあったものを、あえて不揃いな印象を与えるものをそのまま残すなどの特徴があり、そこにさらに指揮者の解釈が加わるので、一口にベーレンライター版といっても、非常に括りにくいもので、速いテンポばかりが概念として先行してしまった感はあるのである。
 また、話がずれてしまった。あらためて当演奏に話を戻す。ファイの演奏の特徴は、第1番・第2番の録音と同様で、畳み掛けるようなアップテンポと、収束性の高い切り口の鋭さにある。弦楽器陣は、ヴィブラートを抑えているため、やや硬く、輝きに乏しい面はあるものの、機敏な動き回り、瞬時の反応性でこれをカバーし、全体として、運動的な快感を強く刺激する方向へ向かっている。トランペットは、ピリオド楽器特有の不安定さを持ちながらも、タイミングを律義に守って、リズムの効果を高める役割を強めに担っており、全体としての方向性は齟齬が無い。一貫性の強い演奏だ。
 収録された2曲のうちでは、ファイの解釈は特に第4と相性が良く、冒頭の序奏の緊張感、第1主題の金管のアクセントの鮮やかさ、展開部の活き活きしたフレーズの連続的な処理が実に爽快。また、第3楽章のダイナミックレンジの広い演出は、快速なテンポとあいまって、胸のすく効果を導き出している。第4楽章も、ベーレンライター版がどうのこうのというよりも、とにかくアクセル全開の勢いそのものが魅力で、すべてがパタンパタンと勢いよく畳み込まれていく様が圧巻である。
 それに比べると第6番は、やや相性が悪い。解釈としては同じなのだが、この曲の場合、特にヴィブラートの抑制が表現性を削って、全般的に表情の硬さとして聴き手に伝わってしまうところがある。ファイの演奏は、この楽曲を古典の範疇で取り扱っていると思うが、そのことが逆説的に、ベートーヴェンの第6交響曲の革新性を証明することになっている。それは、すなわち、従来に書かれてきた数々の交響曲と比較して、圧倒的な濃厚さで宿る表現性である。その部分において、当演奏では、いかにもかわいた素朴な感触にならざるをえない。それが美しくないわけではないが、他の名演と比べて優れているとまでは感じられなかった。
 とはいえ、第4番の大成功だけでも、十分に聴く価値のある一枚であり、そのアグレッシヴな音の奔流は、他の演奏とは一味違った感慨を聴き手にもたらすだろう。

交響曲 第4番 第7番
P.ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

レビュー日:2007.12.1
★★★★★ あらゆる楽器が機能的に働き、ひとつの臓器のように目的を果たす
 話題になっているパーヴォ・ヤルヴィ(ネーメ・ヤルヴィの実子である)のベートーヴェンの交響曲を2枚まとめて聴いてみた。基本的な印象は第1弾(第3番&第8番)と同様で、ティンパニのくっきりした乾いた躍動感あるリズムとトランペット中心の刹那的ともいえる鋭い音色をいかして小編成のオーケストラならではの機動性を発揮した演奏だ。特に第4番は全面が鮮やかな生気に満ち溢れている。
 ただ、録音データをみて思いついたのだけれど、第4番は2005年に録音されているが、第7番に関しては2004年の6月と2006年の9月にわけて収録している。これにはびっくりした。一つの交響曲を収録するのに、間に2年以上もインターバルを挟むようなスケジュールを普通、切るものだろうか?・・・絶対切らない。だいたいそんなに間があったら「前にやったこと」を忘れてしまう。・・いや優秀な音楽家なら忘れないのかもしれないけど、それにしても人数の多いオーケストラである。途中でメンバーが代わっても不思議じゃない。でも聴いてみるとちゃんとなっている。といことは、もうこの特徴的なベートーヴェンは、パーヴォ・ヤルヴィとこのオーケストラが完全に手中に収めた「究極形態」とでも言えるものなのではないだろうか?それにしても躍動感と生命感に満ちている。あらゆる楽器が機能的に働き、ひとつの臓器のように目的を果たす演奏となっている。インターバルの謎は残るが、逆にそれが私には更なるインパクトを与えた。パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン、恐るべき芸術家集団だ。

交響曲 第4番 第8番 第9番「合唱付」
ドホナーニ クリーヴランド管弦楽団 合唱団 S: ヴァネス MS: テイラー T: イェルザレム Br: ロイド

レビュー日:2011.1.20
★★★★★ メタリックな光沢で鋭利に切り込むベートーヴェン!
 ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団のベートーヴェン。本盤には交響曲第4番、第8番、第9番の3曲が収録されている。第9番はクリーヴランド合唱団にS: ヴァネス、MS: テイラー、T: イェルザレム、Br: ロイドといった独唱陣。録音年は、第4番が1988年、第8番が1983年、第9番が1985年。当時はちょっと話題になった録音ということだが、私は最近になって初めて聴くことになった。
 ベートーヴェンの交響曲第9番は言うまでもなく巨大な歴史上の芸術モニュメントである。この作品の登場によって、ベートーヴェンは芸術家たちを既成の価値観から解き放ちった。まさしく、ロマン派開放を告げる砲声の一撃である。フルトヴェングラーの歴史的名演を始め、この曲には神性を宿したかのような豪演、爆演の類に事欠かないが、ドホナーニの演奏はかなりそれらの路線とは異なる。
 そう。言ってみれば、ドホナーニのスタイルは「ただの合唱付きの交響曲」である。・・・この表現では誤解を招くかもしれない。私はこの演奏を肯定的に捉えているのである。
 ドホナーニの音楽作りは非常にクールなのだ。この曲の偉大性とか神性とかを語ろうというのではなく、それぞれのスコアを各パートに純然と指示するのみで、それを計算づくで組み上げていったような風情。その結果、非常に陰影がはっきりし、細部まで明瞭。声部ははっきりと分けられていて、見通し抜群。そしてやや速めのテンポで急峻な崖を一気にすべり降りるようにクライマックを築き上げる。その瞬時のメタリックな光沢も鮮やか。合唱もおおらかに歌い上げるものではなく、確実に音符をトレースしていき、音量と美観にのみ細心の注意を払ったかのよう。イェルザレムを始めとする独唱陣もその方針の下、きれいな統率を見せている。
 交響曲第4番、それに第8番でもドホナーニのスタイルは同様。鮮明で、音楽の推進性を高い統率能で維持し続ける。機能的なサウンドで、暖かい音色というわけではないけれど、あちこちで独特の鋭利さが輝く。とても面白い!。ベートーヴェンらしい熱量や、喜びの感情を積極的に感じさせるものではないが、必要なものは必要に応じて伝わっており、あとはまっすぐに自分のスタイルで行くことに専念した演奏と言えるだろう。80年代半ばにして、これほどシャープなスタイルを未練なく構築したドホナーニは、やはり超一流の指揮者であったのに違いない。

交響曲 第5番「運命」 レオノーレ序曲 第3番
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2011.10.17
★★★★★  たまには久しぶりに「運命交響曲」でもいかがですか?
 アシュケナージがフィルハーモニア管弦楽団を指揮してのベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とレオノーレ序曲第3番。1981年の録音。
 アシュケナージというアーティストは、なぜか批評家の評価が「今ひとつ」なところが多い。ピアニストとして、幅広いレパートリーに、完成度の高い多くの録音をしてきたが、突き抜けた強い主張がないため、批評家が積極的に取り上げたくような、「攻撃的な」側面に欠けるのかもしれない。しかし、一つ一つの録音を聴いてみると、とても安定した強度の高い仕事をしていて、私は彼の録音を今だっていろいろとよく聴く。また、アシュケナージが指揮者として活躍の場を広げたときも、その「万能ぶり」が、特に「エキスパート」を好む批評家からは疎ましがられたに違いない・・・と思うのだが。
 となると、指揮者としてはまだキャリアの浅い、この1981年当時のベートーヴェンの「運命交響曲」のようなものは、いよいよきちんと聴かれたり、議論されたりしていないのではないだろうか?と思ってしまう。だって、ベートーヴェンの「運命」なんて、相当の昔から、それこそ歴史的録音のオンパレードなわけで、いまさらロシア出身のインターナショナルなアーティストが、イギリスのオーケストラを振ってそのキャリアの初期に録音したものなど、あまり興味をもって省みることなどないだろうから。
 しかし、ここからが面白いのだけれど、この演奏、びっくりするぐらい「イイ」のである。何が「イイ」かって?それはもう、大胆に大きな波を揺らせるように、エネルギッシュな爆発力と破壊力を持っている点がいいのですよ。豪放なだけでなく、美麗で、細部に適度な音幅があるのも聴き味の柔らか味を保っていて良好。
 と書くと、またまた「それって、アシュケナージのスタイルと違うのでは?」と思う人もいるでしょう。わかります。それこそが「先入観」です。実は、私でさえこのディスクを期待して聴いたわけではないのです。私はアシュケナージのすべての録音を収集することを一つのテーマとしていて、そのためにこのディスクも聴いたのですが、聴いてみて、その爆演ぶりにびっくりして椅子から立ち上がってしまったほどなのです。
 このころのアシュケナージは、フィルハーモニア管弦楽団とのシベリウス、コンセルトヘボウ管弦楽団とのラフマニノフ、クリーヴランド管弦楽団とのR.シュトラウスなど、精力的に録音をしていた時期なのですが、このベートーヴェンでは、蓄えられている情念を一気果敢に解き放ったようなダイナミックな音楽が展開しているのです!それは、聴いた私がびっくりしたくらい。忘れられかけている録音とはいえ、この時期のアシュケナージとフィルハーモニア管弦楽団にしかなしえなかった貴重な記録でしょう。たまには久しぶりに「運命交響曲」でもいかがですか?

交響曲 第5番「運命」 コリオラン序曲番
パイタ指揮 フィルハーモニック交響楽団 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2019.9.28
★★★★★  カルロス・パイタの代表的録音の一つ
 アルゼンチンの指揮者、カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)は、クラシック音楽フアンにはある程度知られた存在だ。裕福な家庭に生まれ、音楽的素養を持ち合わせ、フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)に傾倒した彼は指揮者となった。自由な音楽活動を獲得するため、オーケストラ「フィルハーモニック交響楽団」を自ら総説。またスイスを拠点にLodiaというレーベルを立ち上げ、その録音活動を行った。
 当盤はそのLodiaレーベルからリリースされたもので、パイタの名演の一つとして知られるもの。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2作品が収録されている。
1) 交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」
2) 序曲「コリオラン」 op.62
 交響曲は、フィルハーモニック交響楽団を指揮して1982年の録音。序曲はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1985年の録音。
 演奏は、エネルギーの漲ったもので、隅々まで膂力を伝えながら、活力豊かな推進力を兼ね備えたもの。パイタの名は、いわゆる「爆演」のスペシャリスト的位置づけで通っていて、その仰々しいイメージから、コアなクラシック・フアンや批評家からは敬遠される傾向にあり、かく言う私も、あまり聴いてこなかったのであるが、当演奏は、どうしてどうして、音楽的素養をベースに感じさせながら、厚み、重み、スピードのいずれをも損なわない見事なコントロールで導かれたもので、清々しいほどの名演といって良い。
 運命交響曲は、冒頭の主題提示から、低音のしっかりした響きの下支えのもと、弦楽合奏のみとは思えないほどの重さを感じさせる響きであり、かつ強くスリリングな音色。展開部は足早で、頂点までいちはやく達し、聴き手の鼓動を早くする。合奏音の連打は強烈なティンパニとともに迫力満点だが、音楽的で、しっかりした集中線を感じさせる。第2主題の扱いも、齟齬がなく、爽快だ。中間楽章も、クライマックスまでのステップアップで、確実に聴き手の気持ちを高める手順が踏襲され、奮い立つような勇敢さがあり、魅力的だ。終楽章の熱血性は言わずもがな。
 序曲「コリオラン」も圧巻の演奏。弛緩のない早いテンポ、前面化を惜しまない金管の激しさあるが、この俊敏な情景転換で、フレーズが新たな魅力をまとっていると感じられることも新鮮だ。第2主題前の「タメ」の深さは、多少芝居がかっているものの、心憎い演出。そして、熱血的なテンションを蓄えて、あっと言う間にコーダに導かれる。「ああ、本当にこの曲は、カッコイイ曲なんだな」と改めて思わせてくれる快演奏だ。
 2019年になってカルロス・パイタのベートーヴェンを聴いたのだが、聴かないで済ませてしまうのはもったいない一枚だったな、聴いて良かったな、と思える録音でした。

ベートーヴェン 交響曲 第5番「運命」  バッハ 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 から 「エール」 (G線上のアリア)
ケーゲル指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2019.11.26
★★★★★  1989年、ケーゲル日本公演の良質な記録
 東ドイツの指揮者、ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel 1920-1990)は、いまなお一定の熱烈な支持を集める音楽家である。また、それにもかかわらず、録音の流通量や、専門誌での言及の機会に関しては、多いとはいえない。
 また、ケーゲルにはミステリアスなイメージがある。東西ドイツ統一直後の1990年に拳銃自殺により世を去ったことにより、もたらされている部分もあるだろう。また、現代音楽への理解の薄い共産圏で長く活動しながら、積極的に現代音楽を手掛けたという芸術の在り方、またそのようなスタンスにも関わらず、指揮者としていっぱしのステイタスを築き上げた彼の人生も、どことなくミステリアスに思う。
 そんなケーゲルの芸術性に触れたいと考えるなら、当録音は象徴的なものの一つだろう。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団との来日公演のライヴの記録で、その日付は1989年10月18日。それからひと月もたたない11月9日に、ベルリンの壁崩壊という歴史的事件が起き、ケーゲルは、その1年後の1990年11月20日に、一発の銃声とともにこの世を去ることとなる。
 もちろん、この手の歴史事象の羅列は、後世の人間が勝手に並べて、後付けでその意味を探している感が多分にあり、迂闊な言及は謹んで然るべきだとも思うが、このディスクを聴く人であれば、そのことを意識の外に追いやることは、かえって難しいだろう。
 収録曲は以下の2曲。
1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) 交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」
2) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 から 「エール」 (G線上のアリア)
 演奏は、なるほど個性的だ。特徴的なのは豊かな振幅だろう。エネルギー波の増減の効果を生み出すようなタメをつくっては、開放を行うが、開放によって流れだす音楽の勢いと美観が見事で、ドレスデンの作り出す極上の美音をつややかに仕立て上げていく。これを聴いていると、ケーゲルは、このオーケストラが作り出す音を前提に、アプローチを練り上げていった感が強い。ベートーヴェンの第2楽章はことのほか耽美的でありながら、その節々から感じられる情緒は清らかと表現したいものであり、奥行きがあって、表面的なものではない。
 当演奏の特徴が最もよく出ているのが第4楽章で、ファンファーレのブレーキのかけ方。ホルンの深々とした応答など、懐の深いドライヴで、どんどん聴き手を導いていく。そのあり様は実に頼もしく、浪漫的かつ巨匠的である。現代では聴く機会の少ない職人芸的な個性があり、それが楽曲の表現方法として、しっくりいくものになっている。ライヴで聴いた人たちは、心を強く動かされたに違いない。
 アンコール曲であるバッハは、永遠を感じさせる静謐から音楽がゆっくりと引き出されていく様が感動的で、尾を引くような、味わい深く長い余韻があって、こちらも耽美的だ。いずれも、美しさと、表現者の意志の強さを感じさせる演奏で、ドイツの音楽文化の脈流を感じさせる演奏であると思う。
 以上のことをもって推薦としたい・・・が、ライナーノーツの大仰な書きっぷりによって気が削がれる点は如何ともしがたい(目を通さなければいいだけですが)。

交響曲 第5番「運命」 第6番「田園」
ヴァイル指揮 ターフェル・ムジーク・オーケストラ

レビュー日:2009.9.7
★★★★★  ピリオド楽器云々とは別に楽しく聴ける豊かな音楽
 ブルーノ・ヴァイル指揮、ターフェルムジーク・オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」。2004年の録音。
 ターフェルムジーク・オーケストラはカナダのトロントに本拠を置くピリオド楽器によるオーケストラ。ブルーノ・ヴァイルと良質な録音活動をしており、もっと積極的に評価されてもいいと思う。
 ベートーヴェンの交響曲へのピリオド楽器によるアプローチもいまや数多くあるのだが、ヨーロッパのオーケストラと比べても遜色のない質の高い演奏だ。
 ピリオド楽器による演奏の場合、その特性を活かした奏法によりスピーディーで攻性のアプローチをとることが一般的だし、また金管やティンパニは鋭角的なリズムを刻むことが多い。しかし、ヴァイルの演奏にはそれらの過度な強調がないのが私には好ましい。
 とはいってももちろん小編成ならでは機動力を活かしたたたみかけや足の速い展開、あるいは古風な付点的リズムの味付けはある。しかし決して音楽として表現したいものの主客が転倒することはない(つまりあざとさがない)。そうして流れる音楽は流暢で、人によっては「あまりにもナチュラル」と感ずるものかもしれない。しかし、この演奏を聴いていると、心地よいリズムが真まで貫いていて、要所要所の迫力も適度に表出しながら、トントントントンとテンポよく進んでいってしまうので、あっというまに曲の終結部が近づいてくる。演奏時間が極端に短いわけではない。それだけ聴き手が音楽を自然に楽しんだことの証左と言える。「運命交響曲」の第2楽章も、リピートを忠実にやる分、これくらいの軽やかさを持っていた方が、聴き手に優しいのである。
 ピリオド楽器云々とは別に楽しく聴ける豊かな音楽、それを体現した演奏の1つと言える。

交響曲 第5番「運命」 第6番「田園」 序曲「コリオラン」
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2012.3.16
★★★★★ 現代楽器を用いた高速アプローチで、見事な成果を得たベートーヴェン
 2007年から2009年にかてて録音されたリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集からの分売。計5つに分かれての分売で、それぞれのディスクは全集中での5枚のディスクをそのまま抜き出した形で、曲順の変更などは行われていない。
 これは全集の3枚目に相当するディスクで、交響曲第5番「運命」、第6番「田園」、序曲「コリオラン」が収録されている。
 シャイーのベートーヴェンの全集を通じての特徴は、疾駆するような「速さ」である。従来から、ベートーヴェンの交響曲におけるメトロノーム指示は「速過ぎる」と解釈されてきた。しかし、20世紀末のピリオド楽器による奏法の研究から、「速過ぎる」と解釈されていた設定には、十分な演奏上の根拠があることが見出された。その後、ベーレンライター版などの新しいスコアにより、現代楽器による俊足演奏も試行されてきている。しかし、シャイーの演奏は「旧来のスコアを用いての現代楽器オーケストラによる高速演奏」を成したことが画期的だろう。もとよりこの方向性ではトスカニーニ(Arturo Toscanini 1867-1957)という大先輩がいるのだが、シャイーはその演奏を復興させ、なおかつ現代的な明るく切れ味のあるソノリティを体現させている。
 「運命交響曲」はベートーヴェンのテーゼの一つ、「苦悩をつき抜け歓喜に至れ(暗黒から光明へ)」を、「余分な」枝葉をそぎ落とし、フレームワークだけで単刀直入に示した音楽だ。シャイーの演奏はこの音楽が持つ力強い肯定性、推進性をまっすぐに打ち出したものと言える。これはシャイーがそういった解釈を目指したというより、前述の奏法を追及した結果、必然的にそこに至ったのだと考える方が自然だろう。というわけで、きわめて熱いエネルギーを感じさせる演奏になっている。「熱い」のだが、濃厚ではなく、クリアな軽さを同時に獲得している点が面白い。抜群に聴き味が爽やかなのは終楽章で、ベートーヴェンの歓喜の謳歌を現代的な高揚感を持ってスタイリッシュに描ききった演奏と言ったところだろう。
 田園交響曲も軽やかに、明るく溌剌とした音楽で進んでいく。時に繰り返し音型が、速さから硬めの響きになるところもあるが、全般を通してクリアな見通しに貢献できており、演奏としての全体的な主張は良く伝わっている。第2楽章も非常にあっさりした味わいだが、ほのかな気品がオーケストラから伝わるのが好ましい。第4楽章の有名な嵐の音楽も、「雨嵐」というより、まさしく「風の嵐」といった趣で、千切れた雲が凄い勢いで風に乗って流れて行きそうだ。

交響曲 第5番「運命」 第6番「田園」 第7番 第8番
シュイ指揮 コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.4.5
★★★★★ 快活で爽快!無比の生命力に溢れた薫風のようなベートーヴェン
 中国杭州市出身のラン・シュイ(Lan Shui 1957-)指揮、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲集。CD2枚に以下の収録内容。
【CD1】
1) 交響曲 第5番 ハ短調 op.67 「運命」 2011年録音
2) 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」 2013年録音
【CD2】
3) 交響曲 第7番 イ長調 op.92 2012年録音
4) 交響曲 第8番 ヘ長調 op.93 2012年録音
 先に第1番から第4番までの4曲を収録した第1集にレビューを書いたばかりであるが、本当に見事な録音である。これまでにある、数えきれないほどのベートーヴェン録音の中にあっても、決して得埋もれることのないしっかりした輝きでその存在感を示しうる録音である。
 ティンパニと一部の金管のみピリオド楽器という編成により、ベートーヴェンのメトロノーム指示の意味を積極的に解釈した意欲に満ち溢れた演奏だ。ラン・シュイという指揮者にしても、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラにしても、私はこれらのベートーヴェンの録音を聴いて、その実力を圧倒的に知ることとなった。すでに数年前の録音である。それなりに、クラシック音楽の録音にアンテナを張っているつもりだった自分の不明さえ痛切に感じさせられる。それにしても、日本国内の評論で、これらの録音がまともに取り上げられていないのは不思議と感じざるを得ないが、それも私の不明だろうか。
 ラン・シュイの解釈は、まずスピードの維持を念頭に置いている。その前提の上で、スコアを読み進めた時、どのような表現が可能であるか、またどのような表現であれば、そのスピードに音楽的な真価を与えられるかを徹底的にさぐり、方法論を打ち立て、それをオーケストラに浸透させた。その力量は並々ではない。そして、それを我が事のように理解り、表現するオーケストラの響きの美しいこと。フレッシュで、余分なものは一切なく、すべてが一つの意志に集約されている。そのあるしゅの絶対性が、ベートーヴェンの音楽を一層凛々しくひき立てるのである。
 象徴的な個所として、第5交響曲の終楽章を挙げよう。この終楽章、暗黒から光明へ、そして勝利の行進への結びの部分であるのだけれど、ベートーヴェンのある種の熱血性と粘性が示された部分でもある。ラン・シュイはこの終楽章の起伏をスピードと精密なコントロールによって、薫風のような印象に一新させる。確かに熱血的なものを望む人には、その響きは全体に軽やかに感じるかもしれない。しかし、ラン・シュイのスピードはヴィヴィッドな感覚美に溢れ、一つ一つの表現は積極的な意志表出に満ちている。だから、その音楽はつねに明確な方向性をもっていて、集約されるべき地点は一瞬だって見失われることはないのである。その畳みかけるように集結するエネルギーの放つ光の美しいこと。いくたびも聴いてきた運命交響曲で、このような新しい興奮を得ることができるとは、この演奏を聴くまでは思いつかなかった。
 田園交響曲はスピーディーな軽やかさの中で、「穏やかさ」を十全に表現する弦の柔らか味が素晴らしい。第7番、第8番も爽快な運動美に貫かれている。これらのスタイルは、パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)とドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンと、精神的な親近性を感じさせる。(それに、パーヴォ・ヤルヴィも、ティンパニとトランペットをピリオド楽器に置換していた)。かつ、私には、緊密なパッセージのやりとり、それにより一層の快速テンポの徹底、さらにはそのテンポを説得する音楽表現といった点で、このラン・シュイ盤はヤルヴィを上回ると感じた。
 録音もすこぶる良好。雑味がなく風通し抜群。多くの人にぜひ一聴を促したいベートーヴェンです。

ベートーヴェン 交響曲 第6番「田園」 合唱幻想曲  ブラームス ヴァイオリンとチェロの為の協奏曲
ザンデルリンク指揮 ケルン放送交響楽団 vn: ツェートマイヤー vc: メネセス モスクワ放送交響楽団 ソヴィエト国立アカデミー合唱団 p: リヒテル

レビュー日:2022.6.10
★★★★☆  慈愛を感じさせる柔らかな響きに満ちたベートーヴェンとブラームス
 2011年に亡くなったドイツの指揮者、クルト・ザンデルリング(Kurt Sanderling 1912-2011)の追悼企画としてProfilから発売された2枚組アルバム。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」
【CD2】
2) ブラームス(Johannes Brahms1833-1897) ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 op.102
3) ベートーヴェン 合唱幻想曲 op.80
 1,2)はケルン放送交響楽団との1985年のライヴの模様を収録したもの。
 3)は当盤における「ボーナストラック」で、1952年にモスクワ放送交響楽団を指揮して、モスクワで録音されたもの。当然の事ながらモノラル録音。
 2)のヴァイオリン独奏はトーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair 1961-)、チェロ独奏はアントニオ・メネセス(Antonio Meneses 1957-)。
 3)のピアノはスヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)、合唱はソヴィエト国立アカデミー合唱団。なお、独唱者の名前は、クレジットされておらず、ちょっと調べてみたけれど、分からなかった。
 田園交響曲とブラームスの二重協奏曲は、いずれもこの時期のサンデルリンクならではの、ゆったりとした裾野の広い音楽で、急速部分であっても、大変落ち着いた足取りで、構えの大きな音楽を作っている。
 田園交響曲は、常に柔らかで、温厚かつ慈愛を感じるような響きに包まれている。第1楽章で象徴的な付点のリズムも、運動的な前進性が抑制される一方で、よく吟味された合奏音を導き、あくまでふくよかな全体像を描き出すことが優先されている。第2楽章の耽美的ともいえる美しさは忘れがたく、神がかり的とでも称したいような響き。夕暮れ時に、天上からとどく柔らかな光が大地を覆っていくような、そんな感動的な自然美に満ちている。第3楽章、第4楽章は、他の演奏に比べると、より力強さが欲しくなるところもあるのだが、ブレンド感溢れたオーケストラの絶対的な美しさは見事である。第4楽章から第5楽章への移行部は、私が特に愛する個所だが、嵐が去り、雲間から再び光が射してくるような、天国的なホルンと弦楽合奏が、素晴らしい。
 ブラームスの二重協奏曲は、私がこれまで聴いた中で、もっとも表現の柔らかな解釈と言って良い。ヴァイオリン、チェロもザンデルリンクが描く全体的な柔らかさの中に溶け込んだ響きを演出しており、その統率性に感心させられる。第2楽章の素朴な主題も、いかいも大事に扱われているのが良く伝わるし、普通ならかなりガチャガチャしたところの出てくる終楽章も、おや、と思うほど起伏が緩やかで、なだらかな聴き心地だ。大家の至芸を感じさせつつ、好悪が分かれるところかもしれない。
 田園交響曲、二重協奏曲とも録音状態は良く、透明感があって、すっきりしたサウンドになっている。雑音も少ない。
 ボーナス収録してあるベートーヴェンの合唱幻想曲は、前二者に比べると(楽曲が違うと言うこともあるが)、ずっと力強い前進性を感じさせる演奏。ただ、当然のことながら、音源自体が古いので、あくまで雰囲気が伝わるくらいである。リヒテルのピアノは直線的で堂々としたものであり、この時のザンデルリンクのスタイルと、よく合致している。

交響曲 第6番「田園」 第8番 エグモント序曲
ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2009.12.30
★★★★★  田園交響曲第2楽章は全集の白眉とも言える美しさ
 ベルナルト・ハイティンクが20年に渡って良好な関係を築き上げたコンセルトヘボウ管弦楽団と80年代末に作成したベートーヴェンの交響曲全集からの分売。かつてはフィリップスだったがレーベルの統合によりデッカとなった。CDのタスキのデザインが変わるだけで、随分印象も変わるものだと感じる。
 当ディスクは収録曲の量も十分だし、曲目も当時のハイティンクとコンセルトヘボウ管弦楽団の特徴を十全に伝えるものだと思う。その特徴はまろやかな肌触りであり、高級なブレンド感であり、かつ力強い芯の通った楽器の響きにある。現代では、このような大編成の現代楽器のオーケストラを存分に鳴らしたベートーヴェンは、ちょっと古めかしいスタイルと見られるのかもしれない。しかし、そのようなオーソドックスな演奏がかように魅力的に響くということもまた、とても大事な価値観だと思う。
 交響曲第6番「田園」は、楽園アルカディアを描いた標題音楽であるが、「田園」というタイトルから受ける日本人が漠然と思い描く牧歌的な田舎の風景にもよくマッチしている。神への感謝で終わるこの交響曲は、自然賛美のための音楽として聴いていて何ら違和感がない。嵐の過ぎ去ったあとの神秘的な美しさはロマンの作曲家たちでさえその高度な「標題性」に打ち負かされたのではないだろうか。さて、ここでハイティンクの演奏であるが、非常に自然な屈託のない喜びに満ちたサウンドとなっている。しかも各楽器の繰り出す音が豊かな色と味を湛えているように思える。白眉は第2楽章の美しさだろう。弦楽器がこまやかな感情の基礎を築き、管楽器がそこから派生する自然光のようなニュアンスを細かに伝えてくれる。
 第8番も「開放の音楽」である。ハイティンクの棒の下、溌剌たる生命感に溢れた音楽が展開する。決して急ぎ過ぎず、かと言って大家風になり過ぎるわけでもない。若々しい活力が感じられる。この曲はこういう音楽なのだとあらためて認識させられる。
 「エグモント序曲」が収録されているのもウレシイ。交響曲に聴き劣らない充実した音楽と演奏だ。

交響曲 第7番 序曲「コリオラン」
パイタ指揮 フィルハーモニック交響楽団 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2019.9.28
★★★★★ 血沸き肉躍るリズムの祭典。パイタによるベートーヴェンの第7
 カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の下記の2作品を収録したアルバム。
1) 交響曲 第7番 イ長調 op.92
2) 序曲「コリオラン」 op.62
 1)はフィルハーモニック交響楽団と1983年、2)はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と1985年の録音。
 たいへん力強い、推進力に溢れたベートーヴェン。駆り立てるような前進性は、両曲が持つ躍動的な一面を如実に示しており、その燃焼性は高い。パイタの音楽づくりは、楽曲が持つ外向的な一面を強調したもので、そのスタイルはしばしば批判の対象になったり、批評の対象に上げることさえ避けられる場合さえあるのだが、私は、これらのベートーヴェンが、とても魅力的な演奏であり、また、楽曲のもつ芸術性や、抽象的ではあるがいわゆる「精神性」を、貶めるよなものではないと考える。パイタの録音を取り扱うLodiaレーベル(パイタ自身が私財を投じて設立したことで有名)の音源が、入手しにくくなってきている背景もあって、私は最近になってパイタの録音を一部ながら入手して聴くようになったのだが、特にベートーヴェンの解釈は堂に入った感があり、当盤も見事なものだと思う。
 それにしても、交響曲第7番という曲は、やはりリズムが命だと思う。そこさえ「キメる」ことができれば、聴き手の心は演奏に付いてくるだろう。当盤の魅力もスピーディーで心地よい躍動感につきる。停滞のない力の供給。その厚みと幅。それが魅力だ。オーケストラも、音色そのものの魅力にもう一つなにかほしいところが残るとはいえ、聴いているうちに、演奏の熱さに圧倒され、そんなことは気にならなくなるだろう。低音、金管、ティンパニの強さは、決して藪から棒ではなく、音楽的な脈の中でうまく吸収されている。第2楽章はフレーズの響きの太さ、そしてそこから紡がれる濃厚な情感が頼もしい。第3、第4楽章はまさに勢いの勝利。特に終楽章の迅速な展開の楽しさは、なかなか捨てがたい魅力に満ちている。
 序曲「コリオラン」も圧巻の演奏。弛緩のない早いテンポ、前面化を惜しまない金管の激しさあるが、この俊敏な情景転換で、フレーズが新たな魅力をまとっていると感じられることも新鮮だ。第2主題前の「タメ」の深さは、多少芝居がかっているものの、心憎い演出。そして、熱血的なテンションを蓄えて、あっと言う間にコーダに導かれる。「ああ、本当にこの曲は、カッコイイ曲なんだな」と改めて思わせてくれる快演奏だ。
 カルロス・パイタという指揮者、未聴で興味があるなら、まずはベートーヴェンがおすすめ。なお、第7交響曲の第1楽章はリピートあり。終楽章は省略している。

交響曲 第7番 第8番
ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

レビュー日:2007.3.12
★★★★★ 「聴かず嫌い」はもったいないですよ!
 サー・ゲオルグ・ショルティの往年の録音が一気に再リリースされた。これを機にこの大指揮者の評価が再度高まることを期待したい。
 さて、この録音はショルティが70年代に手兵シカゴ交響楽団と録音した最初のベートーヴェン交響曲全集に含まれるものである(再録音あり)。常日頃思うことだが、日本のクラシック音楽ファンには、どうも欧州幻想というものがある。例えば、オーケストラであっても、欧州に拠点を置くオーケストラを「本場」として、ちょっと一目高く置いてみる。別にそれは罪なことではないし、趣味というのは概ねそんなものかもしれないが、しかし、あらたまってこの録音を聴いてみてどう思うだろうか?私の場合「これほど勇壮で真にヒロイックなベートーヴェンは、そう簡単に聴けるものではない・・・」と感嘆してしまった。つまり、「とりあえず、聴いてみてください!」と宣伝したくなる“いい演奏”なのである。ショルティ/シカゴ響というと、条件反射的に、ややメタリックで機能美で押し通したような演奏を連想する人が多いと思う。しかし、この演奏、ふくよかな弦のニュアンスといい、管の呼応する距離感といい、実に的確で、かつ含蓄豊かな温かみがある。もちろん、贅肉を削ぎ落としたような凛々しさも漂っているし、まさにベートーヴェンの本流たる演奏なのである。第7番、壮大な序奏が終わり、開始5分ごろに提示される全合奏による第1主題、その完璧な響き!ブラスセクションと豊穣な音色とゆるぎない逞しさに圧倒されてしまう。「聴かず嫌い」はもったいないですよ!

交響曲 第7番 第8番 「エグモント」序曲 「アテネの廃墟」序曲
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2012.3.16
★★★★★ 余計な(?)思考はおいておいて、このスピード感を楽しみましょう!
 2007年から2009年にかてて録音されたリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集からの分売。計5つに分かれての分売で、それぞれのディスクは全集中での5枚のディスクをそのまま抜き出した形で、曲順の変更などは行われていない。
 これは全集の4枚目に相当するディスクで、交響曲第7番、第8番、「エグモント」序曲、「アテネの廃墟」序曲が収録されている。
 これだけの曲数が収録できることからも示されている通り、たいへんな快速演奏が特徴である。しかも、交響曲第7番と第8番という楽曲の性格もあいまって、終結まで一気に一直線に引ききったような潔(いさぎよ)い音楽だ。濁りの少ない音色は、聴き味を軽やかなものする一方で、スピード感を一層高めており、急峻に畳み掛ける勢いを増幅している。少し、ショルティとシカゴ交響楽団の演奏を思い出させるところがあるが、シャイーのは一層、急(せ)くような息遣いがあり、それがこの演奏の迫力の要素になっている。
 私が目にしたシャイーのベートーヴェンの批評の中に、「精神性が薄い」というようなコメントが、ネガティヴなニュアンスとして使用されていたものあったが、私はこの点に二重に懐疑的である。まず「精神性」というのは主観的なものである。もちろん、そういった「何か言い難い印象」を形容するのに使用することもあるし、ベートーヴェンの音楽に深い精神性があるというのは、確かにそうだろう。しかし、「精神性を感じる」という言い方は出来ても、「この演奏は精神性が薄い」と否定的に使うのは、あまりにも主観に過ぎるのではないか。第2に、そもそもベートーヴェンは、「さあ、私の音楽から深い精神性を感じてくれ」と考えて作品を書いていただろうか、ということ。ベートーヴェンは後年、自分の芸術は福祉のために存在する、と言っている。福祉とは、おそらく英語のwelfareに近く、音楽を通じて大衆に喜びを与えること、民衆の幸福を増すことに意識が赴いていたように思う。だから、「さあ、おれの音楽で楽しんでくれ」という気持ちが第一にあり、結果として、現在の私たちが深い精神性を彼の作品から感じているのではないだろうか。
 つまり、シャイーの喜びや悦楽に強く作用し、人を鼓舞するようなアプローチに対し、「精神性が薄い」と言うのは、コメントとしてズレているように(私には)思えてならないのです・・。
 まあ、そんな私の御託はどうでもいいですかね(笑)。聴きましょう聴きましょう!楽しいですよ、快活で屈託無く、オーケストラの力量も圧巻なシャイーのベートーヴェン。気持ちがスカッとする見事な快演です!

交響曲 第7番 第8番 第9番「合唱付」
ティーレマン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン楽友協会合唱団 S: ダッシュ A: 藤村実穂子 T: ベチャワ B: ツェッペンフェルト

レビュー日:2012.7.10
★★★★★ 50年代~70年代を彷彿とさせるようなベートーヴェン
 ドイツの指揮者、クリスティアン・ティーレマン(Christian Thielemann 1959-)が、2008年から2010年にかけてウィーンフィルと行ったベートーヴェンの交響曲全曲演奏プロジェクト「BEETHOVEN9」の模様を収録したCD。全3巻で分売されていて、本巻には第7番、第8番、第9番「合唱付」の3曲が収録されている。録音は第7番と第8番が2009年、第9番が2010年。第9番では、ウィーン楽友協会合唱団の合唱に、以下の独唱陣が参加。S: アネッテ・ダッシュ(Annette Dasch)、A: 藤村実穂子、T: ピョートル・ベチャワ(Piotr Beczala)(テノール)、B: ゲオルク・ツェッペンフェルト(Georg Zeppenfeld)。
 日本国内では2011年の秋に、リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)の全集とほぼ同時期に発売となり、話題となったものの分売版。全集にはDVDが付属していたが、分売はCDのみで価格も安価に設定してある。さて、この2種の全集、対照的な特徴がある。シャイーの先鋭性に対し。ティーレマンの特徴は保守性と言える。
 では、「保守性」とは何か。これは従来から名演と形容されてきたスタイルを踏襲した点にあると思う。それを感じさせる主な特徴は以下の通り。(1) カラヤン、ベームなどのドイツ・オーストリア本流に近いテンポ設定であること。 (2) 現代楽器の特性を生かしたオーケストラサウンドの構築していること。 (3) デュナーミクやアゴーギグを使ってフレージングを明瞭に設けていること。(4) ポルタメントやラレンタンドを多用すること。
 結果として美麗で豪壮な、いかにも「あなたのイメージにある本来のベートーヴェンってこんな感じでしょう?」といった音楽が提示されている。中でも私が興味深いのは音楽への表情付けに係る演出。例えば交響曲第8番の第1楽章冒頭、燦然たる第1主題の提示に引き続いて、連続する弾むのような和音に、微妙な呼吸を与え、瞬間ぐっとタメを作って改めて加速する。このマニュアル車のギアチェンジさながらのタメは、インテンポ主体の現代では逆に新鮮だ。この手法はあちこちで顔を出すので、聴きながらリズムをとっていると、そのたびにぐっと体が前にのめるような、不思議な力を感じ取ることができる。これは聴く人によっては気になるのかもしれないけれど、(私もときおりそれが気になる個所もあったけど)、面白いことは面白いし、これがティーレマンのベートーヴェンなのだろうと思う。
 第7番もそのタメと踏み込みの効果があちこちで見られる。オーケストラサウンドは、さすが天下のウィーンフィルといったところで、特に第7番では、豊かな情感を湛えたブラスの響きが素晴らしい。音楽に豊饒な恰幅を与えている。ティーレマンの演奏は、とくにフレージングの大きいところでデュナーミクやラレンタンドをはっきりと設定していることが多く、パート毎に音楽をまとめていくような趣がある。それで、聴き手に「さあ、ここまでよく分かりましたか?」とその都度、にこやかに問いかけてくるような感じで、そのことも昔風のスタイルに思える一因だろう。ちょっと親切な先生の授業のような感じかな?
 第9番はことに浪漫的な音楽なので、ティーレマンの演奏にほとんど不自然さは感じられない。むしろ「これくらい演出をしてくれたら、それはそれで第9らしい」と思えるほど。ウィーンの素晴らしい音響を存分に味わうことのできる終楽章は、王道のベートーヴェンと呼ぶにふさわしい風格を感じさせてくれる。

ベートーヴェン 交響曲 第8番 ピアノ協奏曲 第3番 大フーガ(ギーレン編)
ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 p: リトウィン

レビュー日:2020.3.2
★★★★★ ギーレンならではの鋭利な解釈が光るベートーヴェン
 ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen 1927-2019)指揮、南西ドイツ放送交響楽団の演奏で、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の楽曲を収録。
1) 交響曲 第8番 ヘ長調 op.93
2) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
3) 大フーガ(ギーレン編) 変ロ長調 op.133 (ギーレン編による弦楽合奏版)
 2)のピアノ独奏は、メキシコのピアニスト、ステファン・リトウィン(Stefan Litwin 1960-)。
 2000年の録音。
 ギーレンならではのベートーヴェンだ。全般に早目のテンポで一貫し、ルバート奏法は控えめ。楽器のバランスを厳密にコントロールしながら、明瞭なリズムとアクセントで、響きを統一している。
 交響曲第8番は特に解釈の一貫性を強く感じさせるが、コントールされた刻み幅の綿密な設計により、常に整然とした輝かしさがあり、それによって音楽は情感や発色性を持っている。決して敷居の高い演奏ではなく、むしろリズムの妙が冴えており、この交響曲が持つ喜びの感情がストレートに出てくる。アクセントの明瞭さは、時に硬さを感じさせるもので、当演奏もその傾向と無縁ではないが、オーケストラの音色自体に暖かみがあり、結果として中和される。第2楽章は、平均より少し遅いかもしれないが、それとて、弛緩に繋がる要素はなく、ベートーヴェンらしい筋肉質な美観が貫いている。
 ピアノ協奏曲第3番も同じスタイルで、正確なリズムの中で、きびきびとアクセントを入れて進んでいく。リトウィンのピアノはとにかく真面目。カデンツァなど、もっとピアニストの個性を感じさせてもいいのでは、と思うのだが、ギーレンの音楽性に触発されたか、進行の正確さを重んじ、緻密で、一定の緊張感を持続させる。総じて、ギーレンのベートーヴェンになっていると感じられる。
 大フーガの弦楽合奏版は、いくつかスコアがあり、録音点数もそれなりにある。当盤はギーレン自身の編曲となっている。こちらも緻密な演奏で、強い響きによるアクセントもしっかり挿入している。ギーレンの厳密な作法に従った表現が、この曲の構造を解析的に照らす出す効果があって、面白い。
 全体として、緻密な進行でありながら、感情も発色も豊かな演奏となっており、ギーレンならではの見事なベートーヴェンとして完成されている。

交響曲 第9番「合唱付」
アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 二期会合唱団 S: 森麻季 Ms: ヘルカント T: ポホヨネン Br: レイフェルクス

レビュー日:2006.3.21
★★★★☆ 演奏はいいのですが、録音に疑問!
 アシュケナージの指揮者としてのキャリアはもう20年以上になるが、NHK交響楽団の音楽監督となって以降、そのレパートリーは変化しているようだ。これまではネーム・ヴァリューのあまり大きくない作曲家、あるいは作品の録音が多くあり、ドイツ音楽の本流のようなジャンルはあまり多くはなかった。しかし、NHK交響楽団というドイツ・オーストリア系の音楽の経験がほとんどであるオーケストラを振るに当たって、そこにベートーヴェンを持ってくると言うのは、アシュケナージのキャリアとしてそこに至るタイミングと重なったとも感じられる。そして第9交響曲のライヴ録音がリリースされることになったのだろう。
 演奏であるが、今までのアシュケナージのスタイルと違った顔が出ていて驚かされる。やや早めのテンポ設定はいつも通りであるが、元来の透明感溢れる瑞々しい指揮とは違い、音楽の色合いが深刻で、内省的な響きに満ち、緊迫感が強い。
 それはベートーヴェンの第9だから、という以上にアシュケナージのベートーヴェンへの距離感そのものの変化と考えたほうが面白いだろう。1,2楽章の緊密な構成感、3楽章のクールで控えめな歌による内面の掘り下げ、そして終楽章もリズム感豊かでありながら、均質な密度を保っている。
 と、演奏はなかなか一興をそそるのだが、このディスクの問題点は録音にある。
 NHKホールという場所の問題なのか、録音セッションの不備によるものかわからないが、音がこもりがちで、音色が曇ってしまうのだ。エクストン特有のハイブリッド仕様であるが、仕様云々の前にそもそもの録音レベルが水準に達しないのは残念である。できれば、あらためてスタジオで収録しなおしてほしいものだ。演奏がもったいない。

交響曲 第9番「合唱付」
シノーポリ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 S: クリンゲン MS: パーマー T: モーザー B: タイタス

レビュー日:2012.8.3
★★★★☆ 録音の点で問題を残した、もったいないシノーポリの第9
 2001年、公演中の指揮台で倒れ、そのまま急逝したイタリアの名指揮者、ジュゼッペ・シノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)は、早すぎるその死を惜しまれたが、その一方で、幅広いジャンルに録音を遺した。2012年になってグラモフォン・レーベルから、その録音から抜粋した16枚組の廉価Box-セットが発売されたので、私はこれを購入し、聴いている。
 この16枚組のセットで、「1枚目」に収録されているものが、当盤に当たる。シノーポリ指揮、ドレスデン・シュターツカペレとドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲第9番「合唱付」。独唱陣は、S: クリンゲン(Solveig Kringelborn 1963-) MS: パーマー(Felicity Palmer 1944-) T: モーザー(Thomas Moser 1967-) B: タイタス(Alan Titus 1945-)。1996年のライヴ録音。
 シノーポリはロマン派から近現代に至るまで、実に幅広い音楽をやってきたが、一般的に、古典派を振ることは多くなかった。この第9交響曲も自身が50歳になってからの録音で、おそらく、これから古典派にも取り組んでいこうと考えていたのではないだろうか。他にも同様の足跡をたどるアーティストがいるので、そう思う。今となっては私の想像の範囲でしかないけれど。
 さて、それではシノーポリが遺した第9交響曲を聴いてみよう。まず、基本的にかなり速いテンポである。また、音作りが固めで、他のシノーポリの演奏とは大きく異なる印象であるのに驚いた。私は、この作品であっても、シノーポリらしいふくよかさや、透明感が感じられるのではと期待していたのだが、むしろ多少の濁りが生じても、テンポを押し通すような、ちょっとした強引さが感じられ、「本当にシノーポリの演奏なの?」とびっくりしてしまった。
 もう一つ、このディスクを聴いての大きな印象だが、録音の品質に問題が感じられた。響きに潤いが足りなく、一様な薄味を伴ってしまう。第1楽章、第2楽章とも早めのテンポで押し通しているのだけれど、この録音の品質のせいもあって、単調な感をぬぐえない。第3楽章は美しさを増すが、こちらもソリッドな肌触りがあり、録音が演奏を活かしていないと感じられる。せっかくのシノーポリの遺した第9がもったいないことだ。
 このディスクの良いところを挙げるならば、第4楽章であろう。合唱とソリストの充実もあって、音楽は全般に息を吹き返したように色づき、音楽の喜びが伝わるものとなっている。ただ、私のようにBox-セットで買った場合は別だけれど、ベートーヴェンの第9交響曲のCDとしてこれを上位で推せるかと言われれば、上記の理由によりためらいが残る。

交響曲 第9番「合唱付」 「命名祝日」序曲 劇付随音楽「シュテファン王」序曲
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 ゲヴァントハウス合唱団 ゲヴァントハウス児童合唱団 MDR放送合唱団 S: ベラノワ A: パーシキヴィ T: スミス B: ブラッハマン

レビュー日:2012.3.16
★★★★★  全集中でも白眉と思える第9交響曲第4楽章を堪能
 2007年から2009年にかてて録音されたリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集からの分売。計5つに分かれての分売で、それぞれのディスクは全集中での5枚のディスクをそのまま抜き出した形で、曲順の変更などは行われていない。
 これは全集の5枚目に相当するディスクで、交響曲第9番「合唱付」、「命名祝日」序曲、劇付随音楽「シュテファン王」序曲が収録されている。合唱は、ゲヴァントハウス合唱団、ゲヴァントハウス児童合唱団、MDR放送合唱団の混合編成で、独唱陣は、S: カテリーナ・ベラノワ(Katerina Beranova)、A: リリー・パーシキヴィ(Lili Paasikivi)、T: ロバート・ディーン・スミス(Robert Dean Smith)、B: ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(Hanno M'ller-Brachmann)。
 私は、シャイーのベートーヴェンを全集で購入させていただいたのだが、その全集のレビューに「“いまのベートーヴェン”、全集で聴くなら、迷わずこのシャイー盤を挙げたい」と書かせていただいた。その後、分売が発売されることとなり、自分の中でもたいへんインパクトのある録音だったので、それぞれに言い足りなかったことを付け加えて改めてレビューをさせていただいている。
 中で、自分が「いまのベートーヴェン」の代表としてシャイーを推すにあたり、この第9交響曲の名演は決め手とも言える内容だったと思う。この曲でも、シャイーはベートーヴェン時代のメトロノーム指示に従った高速演奏を披露しているが、第4楽章の合唱、ソロのバランス感覚の卓越は圧巻で、ただ速いだけではなく、速いテンポならではの美観をどうやって獲得するかという問いに、実に鮮やかな解答を提示していると思う。
 声楽が導入される直前の雪崩の様なオーケストラの迫力、ティンパニの効果も実に見事だが、それに続いて展開する声楽陣の活躍ぶりもまた圧巻の見事さで、ソリストたちの掛け合いは弦楽四重奏でも聴く様に緻密で音量のバランスが絶妙。合唱は中声部の充実により、速いテンポでも乱れない安定感があり、決して叫びにならない高貴さを保っている。オーケストラ共々みごとな透明感があり、純器楽的で緻密な演奏を繰り広げる。音楽における喜びの表現というだけでなく、美しく焦点を合わせるためのテクニカルな方法論まで提示した成功例だと思う。
 他の楽章も速さが特徴であるが、特に第2楽章の峻険な鋭さは聴き手にぐいぐいと迫るような迫力を感じさせている。第3楽章はサラッとした印象になるが、むしろ長さを感じさせず、流線型の美観が貫かれていると考える。第1楽章は暗示的ではないが、開放感があり、十分に聴き手の気持ちをつかみうるものだ。あまり有名ではない序曲まで収録されているのも、企画の価値を高めており、フアンの購買意欲に繋がるものだと思う。

交響曲 第9番「合唱付」
アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン放送合唱団 スウェーデン放送合唱団 エリク・エリクソン室内合唱団 S: イーグレン MS: マイヤー T: ヘップナー Br: ターフェル

レビュー日:2015.7.24
★★★★☆  登場時に、様々な話題を提供した録音です。
 アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送合唱団、エリク・エリクソン室内合唱団演奏による1996年のザルツブルク祭音楽祭でライヴ収録されたベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」。4人の独唱者はソプラノがジェーン・イーグレン(Jane Eaglen1960-)、メゾソプラノがヴァルトラウト・マイヤー(Waltraud Meier 1956-)、テノールがベン・ヘップナー(Ben Heppner 1956-)、バス・バリトンがブリン・ターフェル(Bryn Terfel 1965-)である。
 いろいろと有名な録音である。注目点は大きく2つある。
1) イギリスの音楽学者ジョナサン・デル・マー(Jonathan Del Mar 1951-)により、1996年に刊行された「ベーレンライター版」のスコアを用いていること
2) エストニアの名合唱指導者、トヌ・カリユステ(Tonu Kaljuste 1953-)が合唱を担当していること
 まず、1)についてである。ベートーヴェンのスコアは、長らくブライトコプフ版が使用されてきた。しかし、このスコアがその基本資料としたパート譜及びヴィルヘルム3世への献呈譜については、当時の演奏事情による変更があったこと、ベートーヴェン自身の厳密な校訂がなされていないこと、写譜者のミスがあること、慣例的な修正が加えられていること、等によりベートーヴェンのオリジナルなアイデアのいくつかが失われていると考えられてきた。それまでも別箇部分的に、より古いスコアを研究して、反映させた演奏はあったのだが、ベーレンライター版は、前述の価値観を鑑み、9曲の交響曲すべてについて、スコアをオリジナル主義で見直した。第9交響曲の場合、ブライトコプフ版が原典としたスコアより1年前の写譜等に基づいた編集を行っている。
 最近ではジンマン(David Zinman 1936-)やラトル(Simon Rattle 1955-)がこのベーレンライター版を積極的に取り上げているが、このアバドの演奏がその祖と言えるもの。ただし、アバドの演奏は、場所によっては旧来のブライトコプフ版を使用しているところもある。詳細はわからないが、アバドが無効と判断したのか、よく知っている楽曲を単に慣行的に従来のまま演奏した場所があったのかのどちらかだろう。例えば第1楽章のフルートの音程などである。
 とはいえ、第2楽章の反復の短縮化や、いくつかのメトロノーム指示の変更により、聴き味は「速めの演奏」となっている。そのため、終楽章の冒頭部と中間部などを中心にアクセントの強さを感じる部分がいろいろ出てくる。とはいえ、演奏自体に、ラトルやジンマンのような「従来版との違い」を強調する趣向は採用されていない。スコアは新しいが、アバドの基本的な解釈は、わりとスタンダードなのである。
 (ちなみに、終楽章のピッコロのオクターブ変更については、ベーレンライター版ではなく、本演奏独自のものである)
 2)についてであるが、終楽章の合唱について、全般に当アルバムは高い評価を得ているようである。たしかに純度の高い、明瞭さを感じさせる合唱である。その一方で、私は妙に表面部に刺々しさの残った合唱にも聴こえる。従来の表現への慣れのせいかもしれないが、神々しさよりも、はるかに人間的な地べたに通じるパワーを感じるもので、それがこれまで長く築いてきたこの楽曲の印象と(私の場合)若干の違和感になって伝わる。もちろん、新鮮さはあるのだけれど。また、前述のベーレンライター版のテンポの新規性と合わさって、そのような突起のある印象を持つのかもしれない。
 スコア云々の話は別として、私が当盤でいちばん気に入ったのは第2楽章である。キビキビとした音楽の運びで、快活無比に仕上がっており、アバドならではのリズム感と機能美の融合を楽しんだ。
 それにしても、この注目を集めた録音から早くも20年近くが経過したのか、と感慨深い。その後登場した様々なベーレンライター版の演奏と聴き比べてみるのも面白いです。

交響曲 第9番「合唱付」
シュイ指揮 コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団 アルス・ノヴァ・コペンハーゲン ラトヴィア放送合唱団 S: エック A: ヤンソン T: クーリー Br: チャンヤン

レビュー日:2018.4.6
★★★★★  第九交響曲から新しい魅力を引き出した意欲的録音
 中国杭州市出身のラン・シュイ(Lan Shui 1957-)指揮、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の、交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」。2013年の録音。合唱はアルス・ノヴァ・コペンハーゲンとラトヴィア放送合唱団。独唱者は以下の通り。
 ソプラノ: クララ・エック(Klara Ek)
 アルト: エリザベト・ヤンソン(Elisabeth Jansson 1976-)
 テノール: トーマス・クーリー(Thomas Cooley 1970-)
 バリトン: リァオ・チャンヤン(Liao Changyong 1968-)
 2013年の録音。ラン・シュイとコペンハーゲン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集シリーズの最後を飾る一枚。
 すでに、彼らの第1集と第2集のアルバムにもレビューを書かせていただいたが、同様に見事な一枚となっている。ティンパニと金管楽器の一部のみをピリオド楽器に置換した編成で、ベートーヴェンのメトロノーム指示を守ることを第一義とし、そのために必要な表現とサウンドを究極まで突き詰めたような演奏だ。
 ベートーヴェンの第9交響曲は、誰もがご存知の通り、第4楽章で声楽が加わる。その冒頭のバリトンよるレチタティーヴォは「おお、友よ! このような調べではない!そんな調べより、もっと心地よいものを歌おうではないか。もっと喜びに満ち溢れるものを。」 ~これはシラー(Friedrich von Schiller 1759-1805)の詩に基づくテキストに入る前に、ベートーヴェン自身が書き加えた歌詞である。では、その前段部は、心地よくない、喜びのない音楽なのか? 断じてそんなことはないのである。確かにニ短調の第1楽章から深刻で神秘的な気配が支配的ではあるが、そこに込められた音楽の機微は多彩で、魅力に溢れているのである。このレチタティーヴォの歌詞に拘泥することに、私はさほど音楽的な価値を見出さない。
 ラン・シュイの演奏を聴く。ベートーヴェンのメトロノーム指示に従い、素早くさばき畳みかけるようなテンポは、前述の合唱前導入前の3つの楽章を、きわめて軽やかで、活力に溢れたものとしている。颯爽と機敏に駆け回り、鮮やかな色彩を瞬時に放つ。それは、「心地よい」響きであり、他の一般的な演奏に比べて、「喜び」に作用する要素が大きく増大していると感じる。あのレチタティーヴォの言葉など一切意に介さないほどに、ここまで自由に、清々しく解釈された第9交響曲は、かつてなく新鮮な魅力に溢れている。そして、この演奏から得た手掛かりをもとに、全曲を俯瞰すると、前半3つの楽章が、序奏的な役割を帯びていることに気づく。
 もちろん、それは単に序奏と呼ぶには、圧倒的に偉大で大きな存在でもある。しかし、演奏時間の短縮と、音色の軽量化、そして機動性の確保は、速やかな連携性を発揮し、さながら2部構成のオラトリオのように楽曲の表情を整える。そのような観点でみると、あらためて、シュイが周到な考察をもとに、各パッセージに、その役割を与えなおしていたことに思い当たる。たいへんな策士である。
 もちろん、そのような「解釈」に、「従前と違う」と異を唱えるのはたやすい。しかし、この演奏は、捨てがたい独特の魅力に溢れている。巨大性や神秘性とまったく異なる新しい領域に、従来とは違った生命力を息吹かせた。これは得難い経験といって良い。
 声楽についても言及しておくと、4声の独唱とても協調性、親和性の高い歌唱、ということができる。それは独唱同士のバランスとともに、オーケストラの各楽器との間でも緊密なコントロールを感じさせ鵜ものだ。合唱も、その価値観に従った誠実な響きといって良い。
 録音優秀なこともあり、存在感のある第九交響曲の録音というべき内容である。ラン・シュイのベートーヴェン・シリーズの成功を端的に物語る。

交響曲 第9番「合唱付」
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団 バイエルン放送合唱団 S: ドナート A: ファスベンダー T: ラウベンタール B: ゾーティン

レビュー日:2019.8.31
★★★★☆  巨匠クーベリックの棒による熱血的な第9のライヴ録音
 チェコが生んだ名匠、ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)が、蜜月の関係にあったバイエルン放送交響楽団を振っての、1982年のライヴ音源をCD化したもの。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の 交響曲 第9番 ニ短調 op.125 「合唱付」。合唱はバイエルン放送合唱団。4人の独唱者は以下の通り。
 ソプラノ: ヘレン・ドナート(Helen Donath 1940-)
 アルト: ブリギッテ・ファスベンダー(Brigitte Fasbaender 1939-)
 テノール: ホルスト・ラウベンタール(Horst Laubenthal 1939-)
 バス: ハンス・ゾーティン(Hans Sotin 1939-)
 クーベリックのライヴ特有の熱血性が良く伝わってくる録音。現代の感覚で言えば、「大時代的」と形容したいフォルムだが、その表現の濃さは、この楽曲が持つ世俗性を、強烈に聴衆に突き付けた感があり、なかなか気持ち良い。
 第1楽章の冒頭はややゆっくりしたテンポによるが、第1主題のクライマックスから込められた力が辺りを支配し、弾力的な進展があたりを支配していく。激しいリズム、強靭なフォルテは、時にその外形を荒々しくするが、この時代ならではの迫力をもっている。クーベリックという指揮者に備わっている燃焼的な性質が、オーケストラにのり移った様な、異様な迫力を感じるが、その一方で、演奏の完成度と言う点では、高いというわけではなく、よりリズム的な鋭さを感じさせるものが欲しい部分も残す。
 第2楽章も同様で、第1楽章から引き続く流れが、とめどなく打ち寄せてくる。熱的な性質は、とても人間臭さを感じさせるが、その突き抜けた部分に、崇高な気配があるのが、この楽曲に相応しいだろう。第3楽章は静かな音楽であっても、そのうちに秘めた情熱が、隠すことなどできないという風に首をもたげてくるのが、この演奏の特徴である。
 第4楽章も同様の熱さを持っている。ただ、合唱、独唱それぞれの力強さが、やや一面的に聴こえる部分もある。現在の演奏に耳慣れたからかもしれないが、あまりに大らかで明朗な方向で、力強過ぎる・・・というと、伝わるだろうか。
 以上のように、全般に大味に感じられてしまうところもあるが、クーベリックのライヴならではの、滾るような熱さに満ちていて、この時代の音楽表現の一つのスタイルをよく伝えてくれる記録となっている。


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管弦楽曲

エグモント序曲 アテネの廃墟序曲 プロメテウスの創造物序曲 コリオラン序曲 フィデリオ序曲 レオノーレ序曲 第1番 第3番
C.デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2011.10.24
★★★★★ 重厚美麗で、雄大なスケールを感じるベートーヴェンの「序曲集」
 コリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-)指揮バイエルン放送交響楽団によるベートーヴェンの序曲集。収録曲は「アテネの廃墟」序曲 、序曲「コリオラン」、「レオノーレ」序曲第1番、「プロメテウスの創造物」序曲、「エグモント」序曲、「レオノーレ」序曲第3 番、「フィデリオ」序曲。1985年の録音。
 ベートーヴェンの「序曲」と題される管弦楽作品は、そこそこの数があり、その主要なものを集めて収録したアルバムというのもいくつかある。しかし、交響曲や協奏曲と比較すると、作品としてのスケールが小さく、そのような序曲集が発売されても、長く定番化するという傾向はないようだ。リリースからしばらく月日がたつうちに、廃盤となることがほとんど。そのようなわけで、むしろ交響曲と合わせて収録されているケースの方が、市場的には「長持ち」する。
 それで、このコリン・デイヴィスの序曲集も、素晴らしい内容を持ちながら、廃盤化の命運を辿ったものの一枚で、これが交響曲全集の余禄に収まるような形だったら、またそのあり様は変わっていたかもしれない。
 しかし、逆に言うと、この「序曲」だけをクローズアップしたアルバムは、希少価値があり、今もって私を含めて愛聴している人が多いのではないかとも想像する。
 デイヴィスは、これらの楽曲から、きわめて重厚なサウンドを引き出している。ややスローなテンポで、暖かく、幅のあるトーンを主体に、音楽を美麗に描いている。加えて、「美麗さ」のみで覆い尽くすわけではなく、ここぞというときの内から絞り上げられるような、逞しい求心力が表出される。その「迫力」がまた魅力的だ。
 この録音が行われた1985年当時、デイヴィスはバイエルン放送交響楽団の音楽監督を務めていた。この演奏を聴いていると、指揮者とオーケストラの、互いを知り尽くしたような深い表現力が随所に込められている。有名な「コリオラン」序曲などでは、むしろ熱とは距離を置いたスタイルで、淡々と、しかし克明にドラマが描かれているが、後半に進むに連れて、音楽はその振幅の深度を増し、驚くほどの波高を持って、聴き手の心を動かす音像を作り上げている。「エグモント」序曲も高名な作品だが、デイヴィスの演奏を聴いていると、ベートーヴェンの名交響曲を聴くかのような情熱や耽美があり、その内包するドラマの量に息をつかされる。
 「序曲集」というライトなイメージのあるタイトルではあるが、その内容は巨匠と名門オーケストラによって奏でられたベートーヴェンそのものであると実感させられる。

バレエ音楽「プロメテウスの創造物」全曲
マッケラス指揮 スコティッシュ室内管弦楽団

レビュー日:2015.7.3
★★★★★ 早くに登場した「プロメテウスの創造物」全曲盤です
 マッケラス(Charles Mackerras 1925-2010)指揮、スコティッシュ室内管弦楽団の演奏によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のバレエ音楽「プロメテウスの創造物」全曲。1994年の録音。
 ベートーヴェンはバレエ音楽を2作品書いている。しかし、それらの演奏機会に接することはほとんどない。しかし、90年代からいくつか全曲録音したものが入手できるようになってきた。このマッケラス盤はアーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929-)盤とともに最初期にリリースされた全曲盤である。
 このバレエ音楽は、序曲と2幕からなるが、その詳細は以下のようになっている。
1) 序曲
2) 序奏「テンペスト」
第1幕
3) Poco adagio
4) Adagio - Allegro con brio
5) Allegro vivace
第2幕
6) Maestoso - Andante
7) Adagio - Andante quasi allegretto
8) Un poco adagio - Allegro
9) Grave
10) Allegro con brio - Presto
11) Adagio - Allegro molto
12) Pastorale. Allegro
13) Andante
14) Maestoso - Allegro
15) Allegro - Comodo
16) Andante - Adagio - Allegro
17) Andantino - Adagio - Allegro
18) Finale. Allegretto - Allegro molto
 さて、それでは、この音楽作品がどのような興味を持ちうる作品かをちょっと考えてみよう。まず序曲は、現在まで頻繁に演奏されており、純粋なベートーヴェンの管弦楽曲として楽しむことが出来る。それに続くテンペストは、1分ちょっとの短い音楽であるが、これもベートーヴェンならではの力強さに満ちた音楽で魅力十分。最後のフィナーレで用いられる主題は、ベートーヴェンによって、エロイカ変奏曲に、そして英雄交響曲の終楽章に転用されたもの。もちろん、英雄交響曲は、書法において圧倒的に優れているのであるが、その主題の初々しい登場ぶりと味わうことは十分に出来る。
 それでは、中間の舞曲たちは、どうだろう?これもなかなか興味深い。まずベートーヴェンが、これらの舞台音楽に、古典的均衡感を持った音楽を導入しようと考えていたことがよくわかる。それとともに、バレエ音楽としての彩りを与えるため、他のベートーヴェンの管弦楽作品ではあまり登場しない楽器の用法が加味されている点がまた面白い。
 具体的に挙げると、16)のバセット・ホルンのソロ、7)のハープ、フルート、クラリネット、バズーン、チェロといった楽器の独奏による掛け合い、11)のオーボエやクラリネットによる主題の扱い、そして全体的に活躍するハープなどである。
 また10)に一つの山場を設けた音楽の構成、15)で登場するドイツ舞曲なども、この作品ならではの味わいである。全体に軽妙なテーストのオーケストレーションで、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozar 1756-1791)を思わせる部分も多くあるが、その中で、ベートーヴェンらしいパッションがしばしば前面に繰り出してくるのも楽しい。
 そういった点で、ベートーヴェンの作品が好きな人には、十分な興味を満たしながら、全曲を聴くことができると思う。
 マッケラスの演奏は、小編成オーケストラによるものであるが、全般に前述のような楽器使用による効果が明瞭になっていると思われる。小気味の良いテンポでサクサク進みながら、必要なところで重い音を用い、不足感も感じさせない。また明晰なティンパニの活躍も愉悦性に作用し、バレエ音楽の楽しみを良く演出していると思う。
 なお、録音も優秀です。

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第11番「セリオーソ」(マーラー編)管弦楽版  ブラームス ピアノ四重奏曲 第1番(シェーンベルク編)管弦楽版
ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.11.19
★★★★★ まさに「ブラームスの交響曲第5番」でしょう!
 マーラー編曲によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」の弦楽合奏版とシェーンベルク編曲によるブラームスのピアノ四重奏曲第1番の管弦楽版を収録。ドホナーニ指揮ウィーンフィルの演奏で録音は1995年。
 いずれも原曲偏重の現代ではあまり省みられない作品だと思うが、本当に聴いていて楽しい。どうしてこのような企画がもっと持ち上がらないのだろうか。いずれにしてもこれらの楽曲に素晴らしい録音してくれたドホナーニとデッカには頭が下がる思いでいっぱいである。
 ベートーヴェンの名曲の編曲は、原曲が手の付けようのない完璧なものだっただけに、マーラーほどの人物でなければ思いつかなかったかもしれない。編曲による第一の特徴はコントラバスの追加であり、低音部の重層化は響きに安定感を増し、威風のようなものを備えるに至っている。終楽章など力強い推進力に満ちていて、聴き応え万全。ウィーンの弦も珍しいレパートリーを「ノリにノッて」弾いている感があり、心地よい限り。
 ブラームスの原曲は名曲とは言えないが、シェーンベルクはたいへん気に入っていたとのこと。そして、あまり省みられないこの作品が、そのステイタスを一気に高めるきっかけとするため、編曲を手がけたようだ。結果として後期ロマン派の香気を湛えた艶やかなオーケストレーションになっている。また打楽器などの追加はあるけれども、ブラームスのオーケストラらしい響きが随所で聴こえてくるため、シェーンベルク自身が言ったように、これはブラームスの第5交響曲と言ってさしつかえない出来栄えだと思う。もちろん、メロディー自体の価値は、第1番から第4番の4曲と比較すると劣るとは思うけれど、熱量を蓄えていく展開にシェーンベルクによって与えられた新たなサウンド効果が相まって、いよいよ音楽が豊かな彩りを増していく様はブラームスの交響曲に勝るとも劣らない魅力を感じる。
 正直言って、私はブラームスのピアノと弦楽合奏による室内楽は、あまり好きではないのだけれど、この編曲版は原曲よりずっと聴き応えで勝っていると思う。ブラームス、新ウィーン楽派の双方を得意としているドホナーニが、十全にウィーンフィルをドライヴした当盤は、フアンには福音と呼べる貴重な存在に間違いない。今後も同様の企画が継続されることを願う。

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第14番(ミトロプーロス編)弦楽合奏版  ヴェルディ 弦楽四重奏曲(トスカニーニ編)弦楽合奏版
プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.11.19
★★★★★ 史上の傑作をより多くの人に知ってもらうために・・
 クラシック音楽ファンにはいろいろな「遊び」があって、そのうちの一つに「史上最高傑作の作品はどれか?」というテーマがある。それで、私の場合、もう10年も前からそのベスト3を心に決めている・・・もちろん、ただの一フアンがそんなこと心に決めようがどうでもいいことなのですが、そこが「遊び」ですね(笑)。それで、一応第1位がモーツァルトの交響曲第39番、第2位がバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番、そして第3位がベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番なのです。
 さて、ここで世の中を見回してみると、この第3位に挙げたベートーヴェン先生の大傑作が、他の2作品に比べてどうも分が悪い・・。これは曲の諸相が深刻で馴染み難い面があるとともに、「弦楽四重奏曲」というジャンル自体が持っている一種の「渋さ」が影響しているのではないか?もっとちがった形でこの作品が紹介される機会があってもいいのではいか?
 と思っていたのですが、それをやってくれた人がいたのですね。この名作を弦楽合奏版に編曲してくれたのはディミトリ・ミトロプーロス(Dimitris Mitropoulos 1896-1960)である。ミトロプーロスは指揮者として名が伝わっているが作曲活動も活発に行っていて、この編曲も遺した。
 しかし、せっかくの編曲があっても、なぜか録音点数は少ない。中にあってこのプレヴィンがウィーンフィルを指揮して録音したものがあるのは本当に素晴らしい。
 弦楽合奏版ではサウンドはふくよかで耳当たりが良い。弦楽四重奏曲特有の屹立とした緊迫感が原曲に比べて減じるのはやむを得ないが、第1楽章の禁欲的でかつ無辺の美を感じさせる主題が奥行きをもって奏でられるのは感動的ですらある。また中間楽章の刹那的な暖かさや悲しさもより感情の幅を得たようで、好ましい。終楽章のドラマティックな音楽もよりシンフォニックで人によっては伝わりやすくなるだろう。さすがプレヴィン、よくぞ録音してくれた。
 ちなみにトスカニーニが弦楽合奏版に編曲したヴェルディの弦楽四重奏曲も収録されていますが、ベートーヴェンの作品と一緒に聴くと、格の違いを見せ付けられているような気がしてしまうのですが・・・


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協奏曲

ピアノ協奏曲 全集(第1番 第2番 第3番 第4番(2種) 第5番「皇帝」 合唱幻想曲 ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲) ピアノ・ソナタ 第1番 第6番 第8番「悲愴」 第11番 第12番「葬送」 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第16番 第21番「ワルトシュタイン」 第23番「熱情」 第24番「テレーゼ」 第26番「告別」 第28番 第29番「ハンマー・クラヴィーア」 第30番 第31番 第32番 ディアベッリの主題による33の変奏曲 11の新バガテル 幻想曲ロ長調 
p: R.ゼルキン オーマンディ指揮 フィルハーモニア管弦楽団(第1番、第2番、第4番) バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック(第3番、第5番、合唱幻想曲) ウェストミンスター合唱団 シュナイダー指揮 マールボロ祝祭管弦楽団(第4番、三重協奏曲) vn: ラレード vc: パルナス

レビュー日:2012.8.24
★★★★★ いぶし銀の魅力。ルドルフ・ゼルキンの往年のベートーヴェン!
 20世紀を代表するドイツ音楽奏者といえるルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin 1903-1991)による、SONYレーベルへのベートーヴェン録音を集めた全11枚からなるBOX-SET。収録内容をまとめる。
CD1) ピアノ協奏曲 第1番 第2番 オーマンディ(Eugene Ormandy 1899-1985)指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1965年録音
CD2) ピアノ協奏曲 第3番 バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1964年録音 第4番 オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団 1962年録音
CD3) ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 合唱幻想曲 バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック ウェストミンスター合唱団 1962年録音 合唱幻想曲 ピーター・ゼルキン(Peter Serkin 1947-)指揮 マールボロ祝祭管弦楽団・合唱団 1981年録音
CD4) ピアノ・ソナタ 第1番 第6番 第8番「悲愴」 第11番 1962-73年録音
CD5) ピアノ・ソナタ 第12番「葬送」 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第16番 1962-80年録音
CD6) ピアノ・ソナタ 第21番「ワルトシュタイン」 第23番「熱情」 第24番「テレーゼ」 第26番「告別」 1962-77年録音
CD7) ピアノ・ソナタ 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」1969-70年録音
CD8) ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 1976年(30番)、1960年(31番)録音
CD9) ピアノ・ソナタ 第31番 第32番 1971年(31番)、1967年(32番)録音 
CD10) ディアベッリの主題による33の変奏曲 1957年録音(モノラル) 11の新しいバガテル 幻想曲ロ長調 1966、70年録音
CD11) ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲ハ長調 vn: ハイメ・ラレード(Jaime Laredo 1941-)vc: レスリー・パルナス(Leslie Parnas 1931-) シュナイダー(Alexander Schneider 1908-1993)指揮 マールボロ祝祭管弦楽団 1960年録音(ライヴ) ピアノ協奏曲 第4番 シュナイダー指揮 マールボロ祝祭管弦楽団 1974年録音(ライヴ)
 ピアノ・ソナタ第31番とピアノ協奏曲第4番、それに合唱幻想曲の3曲については、2種の録音が収録されている。
 ロシア系ユダヤ人であったゼルキンはナチスの迫害を避け、アメリカに渡って活躍した。これらの録音もその成果で、ゼルキンの若々しいスタイルが強く伝わる時代の録音でもあり、まさに往年の、王道のベートーヴェンと表現したい貫禄に満ちた演奏を聴くことが出来る。協奏曲は晩年のクーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)との共演盤が有名だが、これらの録音でも真摯で力強いゼルキンのピアニズムは端的に示されている。
 ピアノ・ソナタはいずれも素晴らしく「風格ある演奏」だ。熱情や悲愴といった高名なソナタが、ど真ん中の力強い解釈により、「これこそ原型である」という説得力に満ちる。聴き手はその本来の姿にあらためて酔い、感動する。これこそベートーヴェン!ここぞという時の渾身の迫力が凄いだけでなく、簡素な楽想でさりげなく添えられる深い芸術的情緒は、なんとも味が深く、コクがある。
 中でも従来からこのピアニストの代表的名演として知られてきた第24番「テレーゼ」は、是非多くの人に聴いていただきたい名演だ。木目調といいたいぬくもりを持って、高雅な風情が聴き手に伝わってくる。現在であっても、この曲の代表的名演としてこのゼルキン盤を最初に挙げたいと思う。
 ソナタの全集が完成されなかったのはたいへん残念だが、これらの録音を廉価で一気に聴けること自体に感謝したい。

ピアノ協奏曲 全集 ピアノ・ソナタ 第23番「熱情」
p: シフ ハイティンク指揮 ドレスデン国立管弦楽団

レビュー日:2004.1.10
再レビュー日:2011.8.18
★★★★★ とにかく一人でも多くの人に聴いてほしい名盤
 私個人的には決定的と言える全集録音。
 シフは確信的に聴き手の智にアピールする。余分なものを捨てて抽出された音楽に「新生」という言葉を感じる。例えば有名な第5番においても、威風をことさら装う風もなく、フレーズを解体し、細やかに彫像を作りなおす。フレーズからフレーズへの受け渡しに間合いが生じるが、この「ため」が実に鮮やかに音楽の構造を解きほぐす。
 人によっては解析的すぎると感じられるかもしれないが、ピアニスティックな響きによって編みなおされたその爽快さは無比である。
 第3番も見事。特にピアノの導入部。尋常ではない鋭い切り口はスリリング。カデンツァの表現も実に意欲的で素晴らしい。終楽章のたたみかける迫力も随一。
 併録されている熱情ソナタは特に2楽章で構造的な響きが面白く堪能できる。
★★★★★ シフというピアニストのアーティステッィクな知性を感じさせた画期的録音
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲全5曲とピアノ・ソナタ第23番「熱情」を収録。シフ・アンドラーシュ(Schiff Andras 1953-)の独奏、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮ドレスデン国立管弦楽団の演奏で1996年の録音。
 これは私がシフというピアニストにのめり込むきっかけとなったアルバムだ。実際、これ以後のシフの録音はほとんどすべて購入している。この録音のあと、シフは2004年からECMレーベルにベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を開始するが(2007年に完成)、あのすばらしいソナタ全集の布石とも言える録音がこの協奏曲全集であったのだ。
 いや、「布石」という言葉は失礼だろう。なんといってもベートーヴェンのピアノ協奏曲全集である。その重量感はもちろんのことながら、「布石」という言葉で扱えるものではない。
 しかし、このシフの録音、重量級の演奏かと言うとそうではない。むしろ、ちょっと前の「大御所」たちの演奏とは大いに異なる趣きを示している。どこが違うのかと言うと、音楽の中にある様々なパーツの扱い、配置の軽重が大いに異なっている。
 シフの演奏からは多分に奏者の知性を感じさせる。それはソナタでもそうだったのだけれど、協奏曲でも同じで(だからこそ、最初に「布石」という言葉を思いついたのだ)、まず一つの楽曲を細かく解体し、一つ一つのフレーズを洗うようにして抽出し、そこにそれぞれの解釈を与えて、新たに組み直した・・まさにそんな感じなのだ。なので例えば協奏曲第3番を聴いても、フレーズとフレーズの間の休符の両側が、非常に急峻な勾配を持っていて、スッと急に終わり、またスッと急に立ち上るような、特有の息遣いに満ちている。それで、この演奏を聴いていると、解析的なイメージがするのだけれど、その間隙にたち現われるニュアンスがとても鮮烈かつ新鮮で、面白い、面白い、と思っているうちにあっという間に曲が終わってしまう。そういうわけで、「重量級のベートーヴェンを聴いた」というより、あのベートーヴェンの名作が、こちらの角度から見ると、こんな風になっていたのか、という感興こそが主たる印象となって残るのである。
 ハイティンクがシフの解釈をよく理解してバックを務めている。この人は、ブレンデルとも、アシュケナージ(DVDで入手可能)とも、ペライアとも全集をやっているけれど、いずれも上手いと思う。なんて協奏曲を振るのがうまい指揮者だろう。
 また、合わせて収録されている熱情ソナタも、同じスタイルで貫かれた知的快演で、これこそ、のちのECMレーベルへの全集の「布石」だったのかもしれない。

ピアノ協奏曲 全集 ピアノ・ソナタ ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲 
p: ポリーニ アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 p: ロンクィヒ vn: グリンゴルツ vc: ブルネッロ ベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ

レビュー日:2008.6.1
★★★★★ 意表を突いたカップリングですが、いずれも名演でしょう。
 ポリーニとアバド指揮ベルリンフィルによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(92年~93年、ベルリンでのライヴ録音)に2006年、ローマでライヴ収録されたロンクィッヒ(ピアノ)、グリンゴルツ(ヴァイオリン)、ブルネッロ(チェロ)、アバド指揮ベネズエラ・シモン・ボリバル・ユース・オーケストラによるベートーヴェンの「ヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲」をカップリングした新録音を合わせた再編集版。こういう再編集版はなかなか買う方にしてみると悩ましいもので、商業戦略的な意図を感じてしまうのだが、のせられて買ってみました。
 ポリーニによる全集については再度言及の必要はないかもしれないが、改めて聴いてみての印象であるが、やはりその瑞々しいピアノは見事である。ポリーニのピアノは元来理知的で、直線的な音色によるクールな響きに特徴があったが、その一方で冷たさや即物性もあった。しかしこの頃の録音になると、情感、と言っていいのだろうか、適度な柔らか味を合わせて獲得している。この特性は協奏曲を始めとする他の器楽と競演をするジャンルにおいて、ことのほか重視されるものだと思う。現にポリーニは室内楽への参画が極端に少ないピアニストであるが、今であれば、室内楽にも素晴らしい名演を聴かせることは間違いないと思う(なのでこちらの方面の開拓も、ファンとしては望まれるわけです)。
 協奏曲の中では古典的でありながら、即興的な色合いを持っている第2番などで、この暖かみのある音色は音楽の幅を心地よく広げてくれる。第2楽章の高雅さなどなかなか得がたい魅力に満ちている。第4番も良い。音色がつねに高級な色合いを持っていて、オーケストラと溶け合っている。楽想の移り変わりが自然で、ニュアンスが濃い。「皇帝」もぱっと聴いた感じ「豪壮」であるけれどもその、その「豪壮さ」の内訳が高度に裏打ちされた論理的な構成感によっている。それでいて冷徹一辺倒にならないところが巨匠の芸といえる。
 さて、新たに加えられた「三重協奏曲」であるが(オーケストラまで違うので、共通の演奏者はアバドだけどいうことになるのですが・・・)、まずアバドがこの若手中心のオーケストラから見事に滋味豊かなサウンドを引き出していることに驚かされる。このオーケストラはドゥダメルとの録音では指揮者ともども溌剌とした生命力が見事だったのだが、ここでは時として老成感のようなものさえ醸し出すようなユーロピアン・サウンドだ。もちろん、合奏による若々しい推進力も健在で、いい演奏だ。独奏陣も息が合っている。第2楽章のブルネッロのチェロによる息の長いフレーズは夢心地の美しさだし、ピアノ、ヴァイオリンとも内省部を鑑みた表情の交錯が見事。これまた名演で、ポリーニの録音とカップリングしても、勝るとも劣らない内容と思います。

ピアノ協奏曲 全集
p: キーシン C.デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2008.10.12
★★★★★ セッション録音ならではの潤いに満ちた美演
 ヴィルトゥオーゾとしての活躍ぶりがすっかり板についてきたキーシンが、協奏曲というジャンルにも積極的にレコーディングを行うようになってきた。今回はベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲を一気に録音した。
 最近では大規模なオーケストラを伴う録音はライヴ録音が多い。これは別にライヴ録音の需要や要望があるわけでなく、セッション録音の機会を別に設けるよりも安上がりであるという供給側の理由にある。その結果、確かにライヴならではの演奏を聴く機会は増えたが、一方で「アカデミックな芸術の一分野である」セッション録音の機会が減っているのは悲しい限りだ。特に録音技術に秀でたデッカのようなレーベルが、その活動域を大幅に狭めていることなど慙愧に耐えない。なので、今回のキーシンの気合の入ったセッション録音による全集を、まずそのような意味で歓迎したい。
 バックはC.デイヴィス指揮のロンドン交響楽団で、2006年のモーツァルト&シューマンに引き続いてのコンビだ。
 一通り聴いてみての印象は、非常に繊細なオーケストラとピアニスティックな独奏だと思った。そしてその効果はおそらくこの録音がセッションで行われたこととも深い関係があると思う。例えば第4番の冒頭のオーケストラの弱音でキメの細かい表現を、ゆとりをもって奏でるところなど、強く聴き手を刺激する。その結果、私たちを一気に音楽の世界に集中させてくれる。ゆとりがあるのに緊迫している。
 第5番でもきわめて優美で流麗に歌われた「皇帝協奏曲」だと思う。いままでのキーシンはシンフォニックで重層的な音で聴き手を圧倒する演奏が多かったと思うが、最近は特に豊かな詩情を表出するようになってきた。移行部での潤いに満ちた高音が透明感を持って魅力的に響く。
 デイヴィスの指揮は全般にはやや抑え目で、抑制を感じるが、決め所では音が適度に広がり非常に心地よい。今のキーシンの演奏スタイルにもビタリとはまっている。現代の名演がまた一つ加わった。

ピアノ協奏曲 全集
p: エマール アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

レビュー日:2010.4.30
★★★★★ エマールとアーノンクールの個性が際立った不思議演奏
 2002年から2004年に録音されたエマールとアーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、日本の音楽フアンが、ピエール=ロマン・エラールの名を(鬼才アーノンクールとの共演を通じる形で)知る契機となったもので、エマールにとっても里程標となる録音だったと思う。発売当時は当然のことながら「指揮者アーノンクール」に比重のかかった宣伝で、この様相は、私に、かつてバレンボイムが独奏でありながら「指揮者クレンペラー」ばかりに重きがおかれた録音を思い起こさせたものだ。いまでは、「エマールを聴きたい」と思う人が、相当多くいるのではないかと思う。
 演奏であるが、非常に特異な演奏と思える。まず「皇帝協奏曲」の冒頭を聴いてもらいたい。壮麗な全合奏音に導かれて、いきなり独奏ピアノが豪壮なカデンツァを披露する有名な箇所だけれど、これほど音楽の「喜び」や「楽しみ」と無縁な冒頭は聴いたことがない。オーケストラの合奏音はどこか不安定感を残しており、エマールのピアノは怖いほどのクールさで、楽譜を鍵盤上へトレースすることに専念している。それはもう、「この曲が聴き手に与えるもの」の概念を覆すばかりに。
 これを聴いて、今度はシフとハイティンク指揮ドレスデン国立管弦楽団の96年録音の全集を思い出した。あの全集も同じテルデック・レーベルだった。シフは音楽をいくつものフラグメントに解体し、それらを再構築して、新たな連携を生み出すことで、音楽に別角度の「あり様」を与えた。それも私の大好きな演奏。
 ところで、エマールは、また一頭別の方向に抜けているというのか、そこまで知能的確信犯という感じではない。「機械的」とでも言おうか。しかし音色の、特に弱音の粒だった音色は美しく、皇帝協奏曲の終楽章の音階も思い切ったピアニシモで果てしなく細かく表現されている。いつのまにかその世界に浸っている不思議な演奏とも言える。
 アーノンクールの指揮ももちろん面白い。彼特有のフレージング、アゴーギグはもちろん健在で、その効果のための“楽器の力配分の妙”はいつもながら感心する。ここが音楽的な感動とは距離を置いた学術的な感心として伝わるので、それが聴き手の評価をわけるところだろう。しかし、聴き始めに感じた違和感が、聴き進むほど薄れてゆき、やがて新たな面白さを見出させてくれると言う点で、やはり存在感のある録音で、ときおり非常に聴きたくなる録音だ。・・・「名演」という言葉で表現されるものとは、ちょっと違うものなのかもしれないけれど。

ピアノ協奏曲 全集
p: ブッフビンダー ブッフビンダー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2014.1.14
★★★★☆ ブッフビンダーの典雅なピアノが魅力です
 2011年に行なわれたオーストリアのピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダー(Rudolf Buchbinder 1946-)によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との弾き振りで行われたベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲全曲演奏会の模様を3枚のCDに収録したアルバム。もちろん、全曲ライヴ録音で、曲の末尾の拍手もカットせずに収録されている。CDごとの収録内容を示すと、以下の通り。
【CD1】
ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
【CD2】
ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
【CD3】
ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
 いきなり恐縮だが、当録音と直接関係のない私の率直な感想を書くと、最近になってブッフビンダーの録音が多く発売され、しかも、そのいずれもが、好評を持って迎え入れられているのは、昔を思うと意外な感じがする。
 というのは、私には、このピアニストの録音で忘れられないものがあるのだけれど、それはLPで一度発売されたきりで、CD化さえされなかったからだ。かつては、あまり市場のニーズに合致するアーティストとは言えなかったブッフビンダーが、今やウィーンフィルを弾き振りし、ベートーヴェンの全集を作っているというのだから、隔世の感を覚えることを禁じ得ないのだ。
 ちなみに、私にとっての「忘れられないブッフビンダーの録音」というのは、同じオーストリアのヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シヴォー(Josef Sivo)とシューマン、R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタを収めたもので、「CDになったら買おう」と思っていたのだが、これまで国内外でCD化された痕跡はない。つまり、それくらい「渋い」存在だったブッフビンダーが、今や「花」になった、とそういう感慨のある当アルバムなわけです。
 さて、当録音を聴くと、ブッフビンダーの演奏の特徴は、心地よいアーティキュレーションによる楽曲全体の活き活きした色付けにある、と感じた。いろいろな箇所にそれを思うのだけれど、時折、聴き手が予測するより、ちょっとだけ間を詰めて、次のフレーズを始めたり、細かいアッチェランドの効果を多めに挿入したりするスタイルに、そのことを感じる。全体としては、しっとりした本格的な音楽を目指す雰囲気でありながら、あちこちで見せる豊かな表情がとてもチャーミング。ブッフビンダーのピアノは、ウィーンではことに人気があると言うけれど、このディスクに聴くブッフビンダーのピアノは、なるほど、ウィンナ・ワルツを聴くかの様な、人懐っこさと微笑みに溢れているもののように思える。
 このようなブッフビンダーの典雅なピアニズムを、当盤を聴くことで、私も楽しませていただいた。ただ、オーケストラの響きには、若干不満を感じる。例えば第1番の弦楽合奏のフォルテ音の末尾などで、響きが硬く、かつ不揃いになる感じがあり、私は気になるし、その他にも、全般に、(特に弦が)やや興が乗らない、というか、ぶっきらぼうな感じの音を出すところがある。あまり指摘されていないようだけれど、天下のウィーン・フィルにしては、ちょっとガサツな感じではないでしょうか?
 とはいえ、ブッフビンダーの豊かな音楽性には触れることができたので、私の印象としては、全体的にはまずまず良好といったところでしょうか。

ピアノ協奏曲 全集 合唱幻想曲
p: アンスネス アンスネス指揮 マーラー室内管弦楽団 プラハ・フィルハーモニー合唱団

レビュー日:2014.10.28
★★★★★ アンスネスによる意欲的なプロジェクト“Beethoven - A Journey”による成果です
 現代を代表するノルウェーのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)による “Beethoven - A Journey(ベートーヴェンへの旅)”というプロジェクトに基づいて完成されたベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲全集。収録内容をまとめると、以下の通り。
【CD1】 2012年 ライヴ録音
1) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
2) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
【CD2】 2013年 セッション録音
3) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
4) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
【CD3】 2014年 ライヴ録音
5) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
6) 合唱幻想曲 ハ短調 op.80
 アンスネスの弾き振りで、オーケストラはマーラー室内管弦楽団。合唱幻想曲のコーラスはプラハ・フィルハーモニー合唱団。独唱者名は記載なし。
 プロジェクト“Beethoven - A Journey”では、2012年から2016年にかけて、世界55都市でベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏するそうだが、録音はそれに先んじて全集化が完結した形。
 演奏は、いかにも小編成のオーケストラらしい、ダイナミックレンジの広いインパクトのあるもの。アンスネスは、自身のピアノから引き出すいわゆるピアニスティックなニュアンスを「オーケストラ」にも細かく要求していて、その結果、アクセントの効果が大きく、刹那的なクレシェンド、デクレシェンドが特徴的。その雰囲気は、ときおりオリジナル楽器の奏法を思わせるが、歌の部分では柔らかなカンタービレを引き出していて、現代オーケストラならではの響きを満たす。
 アンスネスのタッチはなんとも柔らかい。この人は、グリーグなどを弾いたとき、非常に清潔な感じの、発汗作用のない清々しい響きが印象的だが、ベートーヴェンでは非常に滑らかな音になっていて、それでいて線的な繊細さと、強靭な力強さの双方がバランスよく保持されている。
 第1番は、第1楽章のカデンツァが印象的で、なんとも弾けるような音がソフトに響きわたり、暖かい幸福感に満ちた音楽となる。
 第2番は、浪漫的な起伏を敢えて設けることはせず、簡素で古典的な佇まいでありながら、ピアニスティックな味わいが精妙を究める。一聴した感じでは、インテンポで起伏の小さい流線型の演奏と思うが、明晰で音楽的な処理の連続が、聴き手の気持ちに呼応し、豊かな味わいの様な残り香を漂わせてくれる。これがなんとも気持ち良い。新緑の中で、さわやかな風と木漏れ日を感じているような気持ち。
 第3番は、室内演奏的なアクセント主義の表現と、柔らかいピアノの融合が聴かれる。常套手段に埋没しないよう意図的な解釈といった雰囲気もあるが、聴き馴染みが良いので、最終的に心地よく聴けるという人が多いと思う。
 第4番は、端正に、スピードを維持したピアノをベースに、彫像性を構築していく。メロディの持つ情緒を損なわず、かつ華美な味付けを施すこともせずに、均衡性の高い古典的な様式美を導いている。第1楽章のカデンツァにこの演奏の特徴は顕著に表れているのではないだろうか。流麗な、しかし、細やかなベクトルを織り交ぜて、溌溂たる情感を漂わせた表現。起伏は大きくはないのだけれど、しっかりとニュアンスを汲んだ心地よい力感。
 第5番は、同様のスタイルではあるが、楽曲の性格から、かなり特色のある音響になっていて、アンスネスのアプローチが輝き、鋭い切り口をもつ一方で、オーケストラは、全集中でも、特に室内楽的な緊密さに終始する。アナリーゼ(解析)的な面白さを引き出している一方で、特に弦の響きが薄く感じられる点に、どうしても、時々「寂しさ」を感じてしまうところもある。象徴的なのは、冒頭で、アンスネスのカデンツァは、偉大な音楽の壮麗な入場口に相応しく奏でられるのだが、一転して弦楽器のみによる第1主題の提示になると、突如として、ありふれた日常の営みに美点を見出すような音楽になり、一気に夢から現実に連れ戻されるような感じなのである。この関係性はその後も継続し、そこには全身全霊を掛けたピアノと、軽妙で軽やかなオーケストラの、不思議な掛け合いが展開する。
 合唱幻想曲は、立体的なピアノ、加わってくる管弦の朗らかさ、そして合唱を伴った音楽の豪胆な気迫。祭典的でありながら、内省的な響きもきちんと詰められた、プロフェッショナルな等方向に強度のある音楽。
 以上のように、個人的に第5番の演奏にちょっと微妙な含みを感じるところがあったが、全般に現代的な鋭利な感性を感じさせる高品質なベートーヴェンで、アンスネスの考え抜いたベートーヴェン像は、よく再現されていると感心させられた。

ピアノ協奏曲 全集
p: ヴァーリョン ケラー指揮 コンチェルト・ブダペスト

レビュー日:2016.9.12
★★★★☆ 透明性に満ちたピアノと管弦楽による、淡くも鮮やかなベートーヴェン
 ハンガリーのピアニスト、デーネシュ・ヴァーリョン(Varjon Denes 1968-)と、アンドラーシュ・ケラー(Andras Keller 1960-)指揮、コンチェルト・ブダペストの演奏によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲全集。2014年から15年にかけて、すべてセッション録音で製作された。CD3枚組で、以下のような曲の割り振りで収録されている。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
2) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
【CD2】
3) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
4) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
【CD3】
5) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
 たいへん聴き味が軽やかでしなやかな演奏である。私は、ヴァーリョンというピアニストのこれまでの室内楽の録音や、そしてヤナーチェク、リスト、ベルクの作品を組み合わせた独奏曲集のアルバムを聴いて、とても感心し、また違ったものを聴いてみたいと思っていたところに、この全集が登場したので、とても興味深く聴いた。
 その解釈は、とても良心的で現代的なものであると感じられる。オーケストラの編成は大きくも小さくもないが、音響は整理が行き届き、特に木管の音色の浮き立つような美しさは印象に残るし、どこをとっても、きれいに分離されていてよどみがない。フレーズの一つ一つが、細やかな表現を突き詰めた形をしていて、そのプロポーションは整っている。独奏ピアノも、音の混濁を避け、風通しの良い、ある意味室内楽的な距離感を感じさせたアプローチと言える。
 その結果、特に緩徐楽章では、隅々まで光の行き渡った鮮明な情景が繰り広げられ、清々しい緑の中を行くような気持にさせてくれる。冒頭に収録された第2番の軽やかな運動美は忘れがたい爽快さだし、第4番の絹を思わせるトーンも魅力いっぱい。
 その一方で、これらの演奏は、もう一つ踏み込んだ燃焼性の少なさという点で、一つのベートーヴェンらしさが不足している、というところもあるだろう。全般にテンポの早い祭典的な終楽章では、もう一つギアアップするような興奮が控えられるため、聴き手によっては、物足りない、と感じることもあるだろう。
 しかし、それを踏まえてあえて確信犯的なアプローチではあろう。そのような知的なセンス、そして、皇帝協奏曲の冒頭のカデンツァに特徴的な「刻み」を意識させるフレージングなどから、私は、同じハンガリーの名ピアニスト、シフ(Andras Schiff 1953-)の演奏を彷彿とさせた。ヴァーリョンのスタイルは、さらにコンパクトな透明性を感じさせるが、二人の解釈の共通性を、私は楽しんだ。
 エネルギー量の少ない清涼な味わいで、心地よく楽しめるベートーヴェンとなっている。

ピアノ協奏曲 全集
p: ルイス ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

レビュー日:2023.6.14
★★★★★ エレガントで優雅。叙情性に溢れ、かつ輝かしいベートーヴェンのピアノ協奏曲全集
 2005年から07年にかけて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全曲を録音したポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)が、引き続いて録音した協奏曲の全集で、CD3枚に下記の通り収録されている。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
2) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
【CD2】
3) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
4) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
【CD3】
5) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73 「皇帝」
 イエジ・ビエロフラーヴェク(Jiri Belohlavek 1946-2017)指揮、BBC交響楽団との協演で、2009年から2010年にかけての録音。
 さて、これは本当に素晴らしい全集だと思う。私が本レビューを書いている時点で、録音からすでに13年が経過したわけだが、音色の新鮮味はまったく色褪せていないし、普遍的な美を全編に渡って提供している録音であり、また、私個人の意見としては、指揮者のビエロフラーヴェク、オーケストラのBBC交響楽団ともに、それぞれの録音業績のうちで、最上の部類に入ると思う。
 この演奏の特徴は、エレガントな浪漫性である。ルイスのピアノは軽やかで、流れが良い一方で、アクセントやグリッサンドによる刺激的効果を存分に発揮し、緩徐楽章では、なだらかなレガートで、夢見るような瞬間を現出させ、また、ルバートによるテンポのゆらしもなかなか積極的だ。また、オーケストラは、透明感に溢れた木目調の響きを主体としながらも、弦楽器陣の豊穣な輝かしさ、クラリネットをはじめとする木管楽器の発色性ゆたかな音色など、実に魅力的で、それら独奏者の音楽性と、オーケストラの演出が、巧妙にブレンドして、素晴らしい聴き心地が提供されている。カデンツァは概してベートーヴェンが遺したものの中で、もっとも華やかで規模の大きいものが選ばれている。
 第1番第1楽章冒頭の、オーケストラの柔らかで透き通ったトーンは、たちまち聴き手を魅了するに違いない。添えられるフルートの美しいこと。洗練の極みといったところか。ピアノが加わることで、グイッとギアが入る感じは、いかにもこの曲にふさわしい力感。第2楽章の情感、第3楽章の変化が豊かな色彩感もこの上ない。第2番はなんといっても第2楽章の美しさが抜きんでている。この音楽にこれほど豊かできめ細かな情感を通わせた演奏というのは、ちょっと比較する録音を思いつかないくらい。もちろん、録音品質の高さも、その効果を上げることに大いに寄与している。第3番は、厳格な曲想もあって、彼らの演奏も緊張感を漂わせる。その場合であっても、独奏楽器とオーケストラの緊密な関係性は、見事に働いており、楽曲にふさわしい重厚さも引き出している。そして、音色は相変わらず無類に素晴らしい。第4番は、独奏ピアノで開始されるがゆえに、ルイスらしい自然な語り口が全体を支配する傾向が強まっていると思うが、ルバート奏法を多用したロマン的な性格もいかんなく破棄されており、第2楽章の詩的・散文的性格も、説得力のある音楽になっている。第5番は、至福のトーンの連続と言って良く、ピアノ、オーケストラともに、柔らかで、滑らかで、輝かしい響きに満ちている。そして、この曲でも、第2楽章の美しさは、得難いと表現できるところまで到達しており、聴き手を心地よい幸福感に誘ってくれる。
 今世紀を代表するベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の一つと言って良いと思う。

ピアノ協奏曲全集 ピアノ・ソナタ全集 ディアベッリの主題による33の変奏曲
p: ルイス ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

レビュー日:2023.7.14
★★★★★ ポール・ルイスの芸術を、心行くまで堪能できるベートーヴェンBox
 2005年から2010年にかけて、イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)が録音した一連のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)作品をまとめた14枚組のBox-set。収録内容の詳細は、下記の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1 2005年録音
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」 2005年録音
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 「狩」 2005年録音
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」 2006年録音
5) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22 2005年録音
6) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101 2006年録音
【CD3】
7) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1 2005年録音
8) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2 2005年録音
9) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」 2005年録音
10) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」 2005年録音
【CD4】
11) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90 2006年録音
12) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」 2006年録音
13) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」 2006年録音
【CD5】
14) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1 2006年録音
15) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2 2006年録音
16) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3 2006年録音
【CD6】・
17) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7 「恋する乙女」 2006年録音
18) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54 2006年録音
19) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」 2006年録音
【CD7】
20) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26 「葬送」 2006年録音
21) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想風」 2006年録音
22) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」 2006年録音
【CD8】
23) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 2007年録音
24) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 2007年録音
25) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 2007年録音
【CD9】
26) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」 2006年録音
27) ピアノ・ソナタ 第19番 ト長調 op.49-1 2005年録音
28) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 2005年録音
29) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」 2007年録音
【CD10】
30) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 2007年録音
31) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 2007年録音
32) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 2007年録音
【CD11】
33) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15 2009,10年録音
34) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19 2009,10年録音
【CD12】
35) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37 2009,10年録音
36) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58 2009,10年録音
【CD13】
37) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73 「皇帝」 2009,10年録音
【CD14】
38) ディアベリ変奏曲 op.120 2009年録音
 ピアノ協奏曲集は、イエジ・ビエロフラーヴェク(Jiri Belohlavek 1946-2017)指揮、BBC交響楽団との協演。
 ピアノ・ソナタの収録曲順がかなり独創的であるが、これは、以下の4つの先行する分売版の収録順を、再編集せず、並び順をそのままでBox-set化したためである。(聴きたい曲がある時、どこに収録されているか、探すのに一苦労するのだけれど・・・)
・第1集【CD1】、第2集【CD2-4】、第3集【CD5-7】、第4集【CD8-10】
 また、協奏曲全集とディアベリ変奏曲については、それぞれ単独のアイテムがある。
 さて、このBox-setであるが、これらの曲をまとめて聴ける上に、演奏・録音とも、現代最上といってよいものであり、ぜひとも強く推奨したい。以下、私の感想を書く。
 ピアノ・ソナタは、全曲を通じてしなやかで、表現性豊かな活力に満ちた、とても気持ちの良い演奏、といったところだろう。とても好きなタイプの演奏であることは間違いない。熱情ソナタに代表される「火を噴くような」要素は、抑制的に表現されているので、そちらを期待される人には向かないかもしれないが、それでも魅力に溢れた演奏なので、録音から相応の年月が流れたけれど、改めて多くの人に聴いてほしいものだと思う。
 第16番の第1楽章からルイスの世界は開花する。左手の巧妙に抑揚のあるリズミカルなアクセントは、聴いていてクセになるほどの心地よさ。第18番の最初の2小節の不思議さも素敵だ。まるで後期弦楽四重奏曲を思わせるような開始で、これをうまく弾くのは相当難しいと思うのだが、その後の清々しい歌の広がりにスムーズにつながる様は、とても清清しい。
 第11番のトリルから始まる第1楽章の流れの良い事!なだらかでいかにも程よく力の抜けた音楽の起伏は見事で清涼感抜群。第21番のアタッカで入る第3楽章の冒頭部分の繊細さは夢見るような美しさ。第29番では一転して広めのダイナミックレンジで装飾効果の高い演奏だ。第27番の後期の幕開けを感じさせる内省的な雰囲気もよく出ている。
 第1番、第2番の軽やかなスタッカートにこもるニュアンスは、静かではあっても、しっかりした方向性がある。第3番も、この曲の一種の仰々しさに対し、芸術的手管で洗練が施さた解釈で、新鮮な魅力に満ちている。第22番では、終楽章では、声部の動きに細心の配慮があって、それが音楽としてもとても美しい効果を上げている。
 第4番の第2楽章や、第12番の第1楽章において、これほど落ち着き払って、どこまで進んでも等価な距離を保つように弾かれた演奏は、ちょっと聴いたことがないように思う。第4番は、ルイスのスタイルが特に奏功した楽曲の一つで、特に前半2楽章の風合いは、明晰さと柔らかさを兼ね備えた、味の深い響きになっている。
 第14番や第23番のような、あまりにも良く聴かれた偉大な作品においても、ルイスのスタイルは変わらず、情熱の放散も、ベースに静謐があり、少し遠くの事象として語られるような、俯瞰性がある。これらの曲に、情熱的なものを求める人には、まったく向いていない演奏ではあるが、ルイスはそれと異なる価値観を追及して、ひとつの表現を完成させている。
 第5番は、冒頭の充実したハーモニーと果断な速さのバランスが実に見事で、この最初の音を聴くだけでも、十分な価値がもたらされると思う。中間部の対位法の明晰な処理と、伸びやかな歌の両立も見事。作品10の3つの作品(第5番~第7番)は、いずれも終楽章の早い速度指示の楽章が置かれるが、ルイスの演奏は、まさに疾風と形容したいものであり、しかも表現性においても充実しきったものを湛えている。特に第6番の第3楽章は、これまでに聴かれたことがないほどにスリリングで美しい。
 第15番は、夢見るような美しさに満ちている。第1楽章の歌のしなやかさは、彼の弾くシューベルトの素晴らしさに通じるものであるが、加えて終楽章に見られる運動美も、ピアニスティックな表現の一つの極致を感じさせるものであり、感動的。第19番の憂い、第20番の愛らしさも、きわめて健康的でありながら、精妙に奏でられる。告別ソナタは、古今の名演と呼ばれるものと比較すると、いかにも軽やかで、終楽章など、軽すぎると感じるかもしれないが、その適度な乾いた淡さは、繰り返し聴きこむにふさわしい深い味わいをともなっているものと感じられ、聴き減りのしない豊かさを持っている。
 第30番は、バランスの取れた美しい表現。第2楽章は告別の終楽章と同様に抑制的だが、それゆえの美しさがあり、聴き手を納得させるだろう。第3楽章は、自由なようでいて、とても流れが良く、聴き終わると、とても構成的な整合性を伝えてくれていたことがわかる。最後の3つのソナタのうち、特に素晴らしいのは第31番で、これもルイスというピアニストの特徴が良く出ており、ピアニストの深い感性から引き出された歌と、音楽への深い教養のバランスで、高い均衡美に満ちている。第32番は、劇性より詩情の表出にウェイトを置いた表現で、レガートの洗練された扱いに、瑞々しい情感が宿っている。
 ルイスのベートーヴェン演奏において、ヴィルトゥオジティを誇示したり、激しい情熱を表現したりすることには、主眼とはならない。その一方で、客観的な視点を維持しながら、各曲のテクシュチュアを鮮明化し、その軽やかなタッチの中にある、こまやかな挙動や、内声的なフレーズの明晰化に注力し、そして、一つの彼なりのベートーヴェンに到達している。ちょっと聴いた感じでは、ウィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)の演奏を思い起こす人もいるかもしれないが、ケンプよりもずっと遠視点的なものがあり、それでいて、部分的には、驚くほど精神的な集中を感じさせせるものがある。
 協奏曲も素晴らしい出来栄え。私が本レビューを書いている時点で、録音からすでに13年が経過したわけだが、音色の新鮮味はまったく色褪せていないし、普遍的な美を全編に渡って提供している録音であり、また、私個人の意見としては、指揮者のビエロフラーヴェク、オーケストラのBBC交響楽団ともに、それぞれの録音業績のうちで、最上の部類に入ると思う。
 この演奏の特徴は、エレガントな浪漫性である。ルイスのピアノは軽やかで、流れが良い一方で、アクセントやグリッサンドによる刺激的効果を存分に発揮し、緩徐楽章では、なだらかなレガートで、夢見るような瞬間を現出させ、また、ルバートによるテンポのゆらしもなかなか積極的だ。また、オーケストラは、透明感に溢れた木目調の響きを主体としながらも、弦楽器陣の豊穣な輝かしさ、クラリネットをはじめとする木管楽器の発色性ゆたかな音色など、実に魅力的で、それら独奏者の音楽性と、オーケストラの演出が、巧妙にブレンドして、素晴らしい聴き心地が提供されている。カデンツァは概してベートーヴェンが遺したものの中で、もっとも華やかで規模の大きいものが選ばれている。
 第1番第1楽章冒頭の、オーケストラの柔らかで透き通ったトーンは、たちまち聴き手を魅了するに違いない。添えられるフルートの美しいこと。洗練の極みといったところか。ピアノが加わることで、グイッとギアが入る感じは、いかにもこの曲にふさわしい力感。第2楽章の情感、第3楽章の変化が豊かな色彩感もこの上ない。第2番はなんといっても第2楽章の美しさが抜きんでている。この音楽にこれほど豊かできめ細かな情感を通わせた演奏というのは、ちょっと比較する録音を思いつかないくらい。もちろん、録音品質の高さも、その効果を上げることに大いに寄与している。第3番は、厳格な曲想もあって、彼らの演奏も緊張感を漂わせる。その場合であっても、独奏楽器とオーケストラの緊密な関係性は、見事に働いており、楽曲にふさわしい重厚さも引き出している。そして、音色は相変わらず無類に素晴らしい。第4番は、独奏ピアノで開始されるがゆえに、ルイスらしい自然な語り口が全体を支配する傾向が強まっていると思うが、ルバート奏法を多用したロマン的な性格もいかんなく破棄されており、第2楽章の詩的・散文的性格も、説得力のある音楽になっている。第5番は、至福のトーンの連続と言って良く、ピアノ、オーケストラともに、柔らかで、滑らかで、輝かしい響きに満ちている。そして、この曲でも、第2楽章の美しさは、得難いと表現できるところまで到達しており、聴き手を心地よい幸福感に誘ってくれる。
 ディアベリ変奏曲は、楽曲が進むにつれて、変奏曲間のコントラスト、明暗の対比を強めていくさまが巧妙に演出されており、変奏曲ごとの「性格的」な弾き分けが明瞭と鳴る。楽曲が内在する「進展するにしたがって、性向が変る」という傾向を、しっかりと引き出した解釈だ。最初のうちは、テンポは全般に少し早めであり、その変動幅は、抑える方向性を持っているのだが、中間部から、やや遅めになることが多くなる。第13変奏におけるユニークな間合い、第23変奏の強靭な和音のもたらす色彩感が際立っているし、第24変奏の自然発揚的な情感は、とても音楽的で美しい。第29変奏から3曲続く短調の変奏曲は、たっぷりと情感が込められながらも、高貴さを湛えており、見事な聴き味になっている。また、細かいソノリティまで克明に捉えた優秀な録音も、当盤の価値を大いに高めている。
 これらの見事な演奏が、ひとまとめに聴けてしまう当Box-setは、間違いなくフアンにはありがたいアイテムである。

ピアノ協奏曲 第0番 第5番「皇帝」
p: ギルトブルク ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2022.4.22
★★★★★ 最近録音された他の皇帝協奏曲と比べても出色の内容
 ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)のピアノ、ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko1976-)指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の協奏曲シリーズ。既出の第1番&第2番に続く第2弾で、下記の2作品が収録されている。
1) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73 「皇帝」
2) ピアノ協奏曲(第0番) 変ホ長調 WoO.4
 第5番は2019年、第0番は2020年の録音。
 言わずと知れた名曲「皇帝協奏曲」のことはとりあえずおいておいて、「ピアノ協奏曲 第0番」とはいったい何であるか?私も当盤ではじめて聴いたのだが、ベートーヴェンが13才のときに構想したピアノ協奏曲であるとのこと。オーケストラ譜は失われたと考えられている作品で、ここで録音されているのは、協奏曲として完成する前にひとまず書き上げたピアノ・ソロによる全3楽章の作品で、協奏曲と銘打っているが、形の上では、「ピアノ独奏曲」として遺ったスコアということになる。
 たいへん貴重なスコアであるが、聴いてみると、なるほど、これから協奏曲へアレンジしようという雰囲気が随所にあって、オーケストラのトゥッティに当たるであろう部分や、カデンツァに当たるであろう部分も、十分に想像を巡らせることが出来る。作曲時13才とは言え、現代の感覚の「13才」ではないし、まして神童ベートーヴェンの作品であり、その整い、構造性は見事で、協奏曲としてのバランスや優美さを随所に感じられる。もちろん、その後のベートーヴェンの作品にみられる神々しいほどのインスピレーションはまだ発芽していないかもしれないが、古典的な均衡美は立ち現れており、ギルトブルクの美麗なタッチで浮かび上がるその姿は、なかなか聴きモノだ。終楽章の舞曲風の進展も楽しく、なかなかいいものを聴かせていただいた。
 とはいえ、メインは皇帝協奏曲。これがまた良い演奏。優美さを極めた演奏といったらいいだろうか。語弊をまねくかもしれないが、彼らのアプローチは、第4協奏曲に対するそれを思わせるようなスタンスで、ソフトでありながら、芯が通っていて、洗練の極みと言って良い。そしてギルトブルクのピアノと、ワシリー・ペトレンコの指揮の、こまやかな応答の妙が素晴らしい。アクセントの添え方、タッチの軽重がピアノとオーケストラの間で、豊穣な運動美を保って取り交わされる様は、天国的と形容したい雰囲気。皇帝の偉大さ、豪壮さではなく、優美と洗練を極めた表現であり、それでいて、風格豊かな響きが維持されている。最近はやりのピリオド楽器では、決して表現することの出来ない細かく深い描き分けがあり、聴き手を魅了し続ける。
 最近の当曲の録音として、出色の内容と言って良い。

ピアノ協奏曲 第1番 6つのバガデル
p: アンデルジェフスキ アンデルジェフスキ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン

レビュー日:2008.7.1
★★★★★ アンデルシェフスキならではの攻性の愉悦に満ちています
 アンデルシェフスキの期待のベートーヴェンである。以前、バッハの「イギリス組曲第6番」、ヴェーベルンの「変奏曲」とカップリングさせてベートーヴェンのソナタ31番を録音するという、このソナタを「組曲」のように見立てた非常に面白いアルバムを聴き、このピアニストが次に取り組むベートーヴェンは何だろう?(どのようなテーマだろう?)と思っていたのだけれど、6つのバガデルと、さらに自身が指揮をしての協奏曲第1番という組み合わせ。この収録曲だけで「面白さ」を予感させるものだが、はたして?
 結果を書くと、確かに面白かった。アンデルシェフスキの戦略性に満ちたアプローチは攻性で、あれやこれやと特に音楽の「愉悦性」の余地を探求しつくしたものである。思い切った強調音や、アゴーギクの多用、それらによって織り成される音楽は瞬間瞬間に細やかな刺激を聴き手に与えてくれる。「6つのバガデル」では、あるいは以前弾いたピアノ・ソナタ第31番に近い手法を取ろうとしたのかもしれない。ただ作品の性格上、各部の関連性が求められたソナタと違って、各小品の独立性がそもそもからあるものだから、アンデルシェフスキの演奏は、その違いを更に際立たせる方向性を持っていると思えた。それはそれでいいのだけれど、ことさら繰り返される強調は、時として不自然さをはらんでいるものでもあり、そこが時折気になるところもある。しかし、他方で、これらの小曲に、強い個性を与え、その存在感を高めたと考えれば、それは美点とも考えられる。
 協奏曲第1番も同じスタンスであり、オーケストラにも強いアクセントと刺激的な音色を求め続ける。ちょうどこのオーケストラを指揮してベートーヴェンの交響曲を録音しているパーヴォ・ヤルヴィの解釈にも通ずるものがある。(もちろん同じオーケストラなので、オケ自体の音色もかなり近い。)また、この協奏曲が、大きな構えと共に持っている、モーツァルト的な「典雅さ」もこの演奏はよく表現できていて、陰りのない明るい雰囲気に満ちている。まさに幸福な楽しい音楽となっており、この方向性の秀演と言えるでしょう。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番
p: アシュケナージ ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

レビュー日:2007.7.3
★★★★★ 情熱的で意欲的な若々しさに溢れています。
 アシュケナージがベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に、ショルティが交響曲全集に取り組んでいた時期に、その両者によるピアノ協奏曲全集が録音された。双方にとって、確かなキャリアを積みながら、意気高くベートーヴェンに臨む気概がまさに最高に満ちていたころの録音で、きわめて情熱的であり、血気にあふれる演奏となっている。
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲の場合、この作曲家の創作活動の「傑作の森」と呼ばれるの疾風怒涛期とそれ以前の若き情熱的な作品ばかりであり、二人の若々しいとさえ感じる感受性は、おおむね良好に作用しているだろう。
 第1番の冒頭でこれほど勇壮な響きを示す演奏というのは、最近ではほとんど聴くことができないスタイルだし、それだけに貴重だ。しかも、この演奏は聴いているうちに、思わずこちらもリズムをとって、どんどんと彼らの音楽の世界に引き込まれてしまうような魅力に満ちている。第2楽章の溢れる様な豊かな感興も素晴らしい。
 第2番も万全の配備を感じるオーケストラが、ピアノとともに悠然と突き進むようで、きわめて壮観な趣きである。アシュケナージとしては、かなり前のめりになった意欲的な演奏だが、曲の構築性を決して崩すことのないバランス感覚が、演奏を確かなものにしている。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番
p: ディリュカ K.ライアン指揮 ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団

レビュー日:2014.9.25
★★★★★ これは名演!二人の異才による快活精妙なベートーヴェン。
 スリランカ国籍の両親を持つモナコのピアニスト、シャニ・ディリュカ(Shani Diluka 1976-)と、トリニダード・トバコ系カナダ人の指揮者クワメ・ライアン(Kwame Ryan 1970-)による注目すべき録音。フランス国立ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団との演奏で、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2曲を収録。2010年の録音。
1) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
2) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
 カンデンツァはヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)作のものを使用。
 私は、同じMirareレーベルからリリースされた、このピアニストによる「アメリカ・ピアノ作品集」(MIR239)に深い感銘を受け、引き続いてこのアルバムを購入したのだけれど、これがまたたいへん素晴らしかった。
 このアルバムは、あまり音楽誌などでも取り上げられていなかったと思うから、そういった意味で、「発見」の喜びも、そこに加わっていただろう。
 ディリュカのタッチは、実に多彩で、様々な色合いを感じさせてくれる。また単音と重音の音量のバランスが精妙を極めていて、この高度に研ぎ澄まされたバランスで、絶妙の運動美に基づく快感をもたらしてくれる。そういった意味で、ベートーヴェンのこの2曲という選曲も、演奏者のスタイルにとても良くマッチしたものに違いない。
 第2番の第1楽章は、展開部での細やかな転調に即応するディリュカの音色の変化は実に楽しいし、しかもそういった表情付けが、決して過度になることはなく、全体として古典的な音楽のプロポーションが好ましく保持されているのも、私の気に入ったところ。ライアンの指揮も巧い。ピアノのタッチを引き継ぐような様々なニュアンスを、あざとさを感じさせることなく実現し、それらを音楽的に解決していく。その手腕には若手らしからぬ百戦錬磨といった熟達振りを感じる。しかし、全体的な音楽の活力は瑞々しく、典雅な明朗さを伴っていて、いかにも若々しい。第2楽章は情緒が健康的に表現されていて、私は、この協奏曲に相応しいものだと思う。
 第1番も同様で、管弦楽の見事なバランス感覚を背景に、ディリュカの快活で、しかし精妙を尽くしたタッチが見事。
 なお、カデンツァでケンプ作のものを使用しているのも本盤の特徴だ。ケンプのカデンツァは、演奏によっては、やや聴き味に重みを残してしまうところがあるのだけれど、当盤に関しては一切の心配は無用!こんなに鮮やかに響くのか、とむしろ開眼させられたくらいだ。
 以上、2曲とも素晴らしい演奏で、私個人的には、いずれの演奏も同曲のあまたの録音の中で、ベストを競うものといっても過言ではない。この2人のアーティストをまだ知らない人にも、ぜひ聴いていただきたいディスクです。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 ロンド WoO 6
p: ギルトブルク ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2022.3.10
★★★★★ 設計された自然な優美さに心奪われる演奏
 ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)のピアノ、ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko1976-)指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の下記の3曲が収録されたアルバム。
1) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
2) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
3) ロンド WoO 6
 2019年の録音。
 末尾に収録されているロンドは、ベートーヴェンが最初にピアノ協奏曲第2番の終楽章として書いたもので、最終的に置き換えられたわけだけれど、なかなか聴き逃すのは惜しい作品で、できれば「大フーガ」のように、単独の作品として、もう少し高いステイタスが与えられてもいいだろう。当盤ではギルトブルク作のカデンツァを含めて奏されるが、楽しく、自由な飛躍のある楽想は、魅力いっぱいだ。
 協奏曲第1番に、ベートーヴェンは長短2つのカデンツァを書いている。ほとんどの録音では、長いカデンツァが用いられる。規模も相当違うし、長いカデンツァの煌びやかな雰囲気は、一つの聴きどころとなっていると言えるが、当盤でギルトブルクは短い方のカデンツァを採用している。実は、私は、当盤ではじめてこの短いカデンツァによる演奏を聴いたのだが1分ほどで終わってしまうので、その差にかなりびっくりした。この点について、ギルトブルク自身、長いカデンツァでは、楽曲全体のバランスに難点が生じると考えているようだ。いずれにしても、いつものカデンツァを期待する人には、肩透かしになるかもしれない。
 しかし、その注意点を除けば、この録音はとても素敵な演奏だ。
 2つの協奏曲で、ピアノはよく考えぬかれたタッチで全体を構築しながら、音響的な意味でクローズアップされ過ぎることなく、またオーケストラは、現代オーケストラの洗練された輝かしい響きにより、静寂や緊張を引き出している。
 第1協奏曲では、透明感のあるサウンドが素晴らしく、木管楽器、殊にクラリネットの表現性とピアノの語らいが楽しい。ギルトブルクのピアノは、丸みのあるスタッカートと、優美なレガートを駆使し、この上なくチャーミングな歌に満ちた彩りを旋律に与えている。加えて強弱、明暗の俊敏な変化が巧妙で、それを支えるしっかりとしたペトレンコのリズムも見事。中間部に聴かれるオーボエの潤いも忘れがたい。第2楽章は前述のクラリネットの妙味が抜群の冴えを聴かせる部分であり、思わず耳をそばだてさせる美しさを持っている。終楽章では、ピアノの低音部の表現性の豊かさに注目したい。逸脱しない範囲で、しっかりとアクセントを盛りつけてあり、自然と表現は濃厚さを増す。それが全体的な聴き味の豊かさに結び付いている。
 第2協奏曲は、第1協奏曲より先に書かれた作品であるが、よく指摘されるように、第2協奏曲の方が浪漫的である。そして、それはしばしばシューベルトを感じさせる。第1楽章では、マナーを守りながらも劇的な表現がある。ピアノとオーケストラの綿密なやりとりは、一瞬も弛緩することなく、音楽を凛々しく作っている。第2楽章では、交響曲を思わせるような息の長い旋律が扱われるが、ギルトブルクの処理の明晰さは、聴いていて総てしっくりいく安定感を持ち、それでいて積極的な語り掛けを感じさせる。終楽章のピアノは穏やかでありながら弾力的であり、途中から低音と高音の交錯が鮮明な光を放つように繰り広げられる。なお、カデンツァはベートーヴェン作のものを用いている。
 とても魅力的で、「現代のベートーヴェン」と呼ぶにふさわしい演奏。これらの楽曲の保守的美観と革新的表現性を、あわせて存分に引き出した名演と思う。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第4番
p: アファナシエフ スダーン指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

レビュー日:2019.10.29
★★★☆☆ これは苦行ですか?極遅テンポのベートーヴェン
 ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev 1947-)のピアノ、ユベール・スダーン(Hubert Soudant 1946-)指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の演奏で、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の3つのピアノ協奏曲が、CD2枚に収録されている。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 op.15
2) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
【CD2】
3) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
 第1番と第2番は2001年、第4番は2002年のライヴ録音。
 私はこのアルバムを中古で見つけて、いまさらながら出来心で入手して聴いたのだけれど、やはり、と言うか、アファナシエフが弾くと、やっぱりこうなるんだな、という単なる再確認作業になってしまった感が強い。
 テンポがとにかく遅い。それはどんな曲に関わらず、この人が弾くとそうなるのである。そのテンポの中で、アファナシエフ特有の誇張されたシンコペーションにより、通常では聴くことのない細かい加工が施されていく。
 アファナシエフが弾く独奏曲であれば、冗長で退屈な一面があるものの、まだそれなりの面白さのようなものも感じられるのであるが、しかし、これらの協奏曲では、結果として得られる成果に、私はたいへん懐疑的にならざるを得ない。特に、各曲の第1楽章は、ベートーヴェンの音楽に必須の推進力が欠けていて、様々な楽想が、きわめて淡くなってしまっている。私は、この演奏を聴いていると「無限希釈」という言葉を連想する。
 それでも、アファナシエフのピアノが活躍する部分はまだ良い。前述の特有なアヤを面白く感じるところ、例えば第1番の第1楽章のカデンツァなど一抹の美しさもある。一方で、気の毒なのはオーケストラで、オケ・パートだけ早くするというわけにも行かないわけだから、同様に遅滞傾向にあるのだが、これがピアノと比較して各段にキツいのだ!あえてテンポを極限に落とし、ベートーヴェンの音楽から生気を失わせた上で、音の羅列化を延々と行うという、それは苦行にも似た様相で、楽団員たちは、何の因果でこんな演奏をしなければならないのか、少なくとも私が聴く限り、そこに義務感以外のものは感ぜられないのである。
 これは、ベートーヴェンじゃないな。最後にそういう思いが残った。

ピアノ協奏曲 第1番 第3番
p: アンスネス アンスネス指揮 マーラー室内管弦楽団

レビュー日:2012.9.26
★★★★★ 満を持してベートーヴェンに挑むアンスネス
 多彩な録音活動を展開するノルウェーのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)の次なるターゲットは、満を持してのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)。
 「ベートーヴェン・ジャーニー」と銘打ってのプロジェクトは、2012年から2016年にかけて、世界55都市でベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏するもの。それらのコンサートを通じて、ライヴ録音により、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が完成されるらしい。当アルバムは早くもその第1弾となるもので、収録曲はピアノ協奏曲第1番と第3番の2曲。アンスネスのピアノ兼指揮で、オーケストラはマーラー室内管弦楽団の演奏。録音は2012年。レーベルはこれまでのEMIではなく、SONYからのリリースとなった。
 アンスネスはハイドン、モーツァルトでも弾き振りの録音を行っていたし、それと別に指揮者としての活動も行っており、そのような充実期にベートーヴェンに取り組むというのは、いかにもふさわしいタイミングだ。ベートーヴェンの「弾き振りでの全集」というと、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、バレンボイム(Daniel Barenboim 1942-)なども挑戦しているが、ハイドン、モーツァルトに比べてオーケストラのパートの比重がはるかに高まったベートーヴェンの協奏曲の「弾き振り」は並大抵ではないと察せられる。アンスネスがこれに挑むというのは、指揮能力という観点でも、十分な自信を身に着けてのことに違いない。
 演奏は、いかにも小編成のオーケストラらしい、ダイナミックレンジの広いインパクトのあるもの。アンスネスは、自身のピアノから引き出すいわゆるピアニスティックなニュアンスを「オーケストラ」にも細かく要求していて、その結果、アクセントの効果が大きく、刹那的なクレシェンド、デクレシェンドが特徴的。金管楽器はブォッと押し出すときの音圧も大きく、ややオリジナル楽器の奏法にも似るが、歌の部分では柔らかなカンタービレを引き出していて、現代オーケストラならではの響きを満たす。
 アンスネスのタッチはなんとも柔らかい。この人は、グリーグなどを弾いたとき、非常に清潔な感じの、発汗作用のない清々しい響きが印象的だが、ベートーヴェンでは非常に滑らかな音になっていて、それでいて線的な繊細さも保たれている。この柔らかく繊細な雰囲気を味わうのに抜群な箇所が協奏曲第1番の第1楽章のカデンツァ。なんとも弾けるような音がソフトに響きわたり、暖かい幸福感に満ちた音楽となる。
 第3番は曲想が深刻なので、印象は異なるのだけれど、やはり室内演奏的なアクセント主義の表現と、柔らかいピアノの融合が聴かれる。常套手段に埋没しないよう意図的な解釈といった雰囲気もあるが、聴き馴染みが良いので、最終的に心地よく聴けるという人が多いと思う。協奏曲だけでなく、今後は独奏曲にも進出するのだろうか。いずれにしても、今後のアンスネスのベートーヴェンには、一層の期待が集まるだろう。
 なお、投稿日現在、同内容の輸入盤が、より廉価で入手可能となっています。

ピアノ協奏曲 第1番 第4番
p: ルプー メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.1.2
★★★★☆ 「千人に一人のリリシスト」と呼ばれたピアニスト。
 ラドゥ・ルプーのピアノ、ズビン・メータ指揮イスラエルフィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番と第4番。録音は1979年と77年。
 ラドゥ・ルプー(Radu Lupu)は1945年ルーマニアで生まれたピアニスト。これらの録音が発売された当時からしばらくの間「千人に一人のリリシスト」というキャッチコピーが付いていたと思う。リリシスト・・・あまりぱっとしない言葉のような気もするが、私はまだ覚えているので、それなりのインパクトがあったのだろう。私の勝手な解釈だけど、「リリシスト」には「詩的な情緒を持っている」の他に「音楽に詩的な構成力を与える」のようなダブルミーニングがあるような気がする。でも「千人に一人」は多すぎる。世界の人口が50億人いたら、ルプー並みのアーティストが500万人もいることになってしまう。
 それは置いておいて、ルプーの演奏をあらためて聴いてみた。この第4番はLPが出た当時はたいへん評判になったらしい。ルプーのピアノの細やかな美しさが非常に印象的である。細やかではあるが、おおらかである。アヤが細かいというのではなく、むしろテンポは均一である。そして音の強弱の幅が弱音域を主体に動いている。その中でこまやかなスタッカートやレガートがあり、そうして優美な音楽へと至っている。ベートーヴェンの曲となると、やはり、迫真の展開や重層的な響きを使用しておかしくない箇所がもちろんあるのだけれど、ルプーは「意にも介さない」ほどの軽やかさを持って、運動美を整える。この音楽はほとんどが歌から構成されていると思う。
 ただ、メータの指揮がそれにしてはやや力任せの感がある。ルプーの意図を壊すところまでは行っていないが、夢のようなカデンツァからいきなり現実に戻るくらいのオーケストラの音色に思える。このころのメータはまだちょっと血の気が多すぎたとも感じる。もっとルプーのスタイルに合わせても良かったのに・・・
 それとルプーのその後の活躍ももう一つと思う。これだけの世界観のある音楽家だったのに、その後思いのほか録音の機会は限られた。今からでも積極的な録音活動を期待したい。

ピアノ協奏曲 第2番 第4番
p: アンスネス アンスネス指揮 マーラー室内管弦楽団

レビュー日:2014.2.27
★★★★★ 抜群の感性が冴える、新鮮味に溢れたベートーヴェン
 「Beethoven - A Journey(ベートーヴェンへの旅)」と題しての、現代を代表するピアニストの一人、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)による、弾き振りでのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲全曲録音のプロジェクト第2弾。今回は、2013年にセッション録音された以下の2曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.19
2) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
 オーケストラは第1弾に引き続いて、マーラー室内管弦楽団。先にリリースされた第1番&第3番はライヴ録音であったし、ライヴ録音で全集化するというアナウンスもあったのだけれど、今回はセッション録音されている。そのため、当盤は、より完成度の高い録音芸術になった趣。
 このアルバムを聴いて、最初に感じたのは「第2番と第4番という組み合わせは、とてもいいな」という事である。変ロ長調とト長調というのは、特に古典的な明朗さや力強さが端緒に発揮される調性なので、聴いていて、全体的なカラーに統一感を抱くし、幸福感を強める組み合わせであるとも言える。まあ、その辺は、聴き手の私の側に、前もってそういった思い込みがあるためかもしれないが・・・
 加えて、当盤の聴きあたりは、すこぶる良い。しかも新鮮味に溢れていて、とても楽しかった。
 第2番という楽曲は、ベートーヴェンがいちばん最初に書いたピアノ協奏曲で、そのため「習作的」位置づけで見られることが多い。確かに他の作品と比べると、こじんまりとした印象があるのだが、実際に聴いてみると、とても魅力的で個性的な音楽であると思う。軽妙な爽やかさと雄弁さを併せ持っていて、つまりモーツァルト的なものと、ベートーヴェンらしさが交錯するような軽重の妙味がある。特に第1楽章のカデンツァなんて、不思議な憂いを感じさせるところもあって、思索的な深みさえ感じさせる。アンスネスの演奏は、清流を思わせる清々しい活力に満ちている。浪漫的な起伏を敢えて設けることはせず、簡素で古典的な佇まいでありながら、ピアニスティックな味わいは精妙を究める。一聴した感じでは、インテンポで起伏の小さい流線型の演奏と思うが、明晰で音楽的な処理の連続が、聴き手の気持ちに呼応し、豊かな味わいの様な残り香を漂わせてくれる。これがなんとも気持ち良い。新緑の中で、さわやかな風と木漏れ日を感じているような気持ち。
 第4番も同様のスタイルで、この曲の場合、もっと巨匠ふうに大らかな味わいを引き出すことも出来るのだけれど、アンスネスは端正に、スピードを維持した上で、彫像性を構築していく。メロディの持つ情緒を損なわず、かつ華美な味付けを施すこともせずに、均衡性の高い古典的な様式美を導いている。こちらも第1楽章のカデンツァにこの演奏の特徴は顕著に表れているのではないだろうか。流麗な、しかし、細やかなベクトルを織り交ぜて、溌溂たる情感を漂わせた表現。起伏は大きくはないのだけれど、しっかりとニュアンスを汲んだ心地よい力感。
 オーケストラも全般に優れた演奏で、アンスネスのやりたい音楽を理解した万全の意思疎通を感じさせる。曖昧さの残らない精度の高い表現で、作品の隅々までを克明に照らし出している。
 当演奏は、これらの効果があいまって、現代的かつ新鮮なベートーヴェン像を浮かび上がらせることに成功していると感じる。アンスネスのベートーヴェンへの適性の良さについては、疑いないだろう。今後の幅広い展開に期待したい。

ピアノ協奏曲 第3番 ピアノ・ソナタ 第1番
p: ゴルラッチ テヴィンケル指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2018.1.5
★★★★★ 天分を感じさせるゴルラッチのベートーヴェン
 2006年の浜松国際ピアノコンクールで優勝を果たしたウクライナのピアニスト、アレクセイ・ゴルラッチ(Alexej Gorlatch 1988-)による、2011年のミュンヘン国際コンクールにおけるライヴ録音。セバスチャン・テヴィンケル(Sebastian Tewinkel 1971-)指揮、バイエルン放送交響楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37」。このコンクールでも、ゴルラッチは優勝することとなった。
 また、当盤には、上記コンクールの翌月に、ゴルラッチがスタジオ収録したベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1」が併録されている。
 私は、先にこのピアニストが2013年に録音したベートーヴェンのソナタ集を聴き感銘し、それより前の録音となる当盤を後から聴いたことになる。いずれにしても立派な演奏であり、実演で接した聴収の喜びが伝わる。
 ゴルラッチは、ハ短調の協奏曲を、これまで書かれた音楽作品で特に優れたもの、と位置づけているらしい。吉田秀和氏は、この曲について「再現部をピアノに任せる作曲手法が、すぐに限界にぶつかったことを示す」ように書いていたように思うが、私もこの作品は大好きで、ベートーヴェンの気迫や清澄な精神、深刻な諸相が端的な構造で示されたものに思う。ゴルラッチのピアノは鮮明でありながら瑞々しさが際立っていて、音響の輪郭がくっきりし、そこに巧妙でスピーディなアゴーギグを伴った劇性豊かな表現力が加わる。活気がありながら、必要な抑制の心得があり、理知的なバランス感覚にも秀でたものが感じられる。そういった点で、すでにこの演奏は、一流のベートーヴェンといった味わいに満ちている。テヴィンケルの指揮は、ソツのない安定したもので、オーケストラの自然な音色の深さを的確に伝えたものと言えそうだ。
 併録してあるソナタ第1番がまた見事なもの。透き通った運動美に溢れたタッチで、克明に弾かれながら、随所に抒情的な味わいがある。中間2楽章の憂いに溢れた表現は、夢見心地でありながら、造形的バランスが周到にキープされており、文句の付け様もない。内省的な深みをもった安らぎは、この演奏の一つの特徴である。そして、急速楽章の凛々しい力強さもまた魅力。
 これらの録音がなされたとき、ゴルラッチはまだ23歳。すでにベートーヴェン弾きとしての適性には天分を感じる。今後も聴き逃せないピアニストの一人と言って、間違いない。

ピアノ協奏曲 第3番 ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 第32番
p: サイ ノセダ指揮 フランクフルト放送交響楽団

レビュー日:2021.2.1
★★★★☆ サイ独自の語り口で奏でられる楽しいベートーヴェン
 トルコのピアニスト、ファジル・サイ(Fazil Say 1970-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の作品集。以下の楽曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
2) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
3) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
 協奏曲は、ジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮、フランクフルト放送交響楽団との協演。
 2013年の録音。
 こまやかなタッチを駆使して、個性的な、趣向を凝らした表現をこころみるサイならではのベートーヴェンである。ここで聴く演奏は、装飾性が豊かで、表情の変化に富んでいる。その表現幅は、一般にベートーヴェンを演奏する際に演奏者に与えられていると考えられがちな幅を越えた感があり、その点で、まず評価が分かれるだろう。私個人的には、とても面白く聴いた。「名演」か?と言われれば、そうでないと思うが、だが、面白い、聴いていて楽しい演奏であり、そこにサイの芸術性の発露を感じるので、この録音は、好きである。「名演」ではないが、「いい演奏」である。
 それに、前述した「ベートーヴェンを演奏する際に演奏者に与えられていると考えられがちな幅」の価値観も考えどころだろう。最近の録音では、様々な批評に晒されることもあって、その表現幅を厳しく考えたり、ピリオド楽器のように制約的な響きを守ろうとしたりする傾向があるのだが、それ自体が本当の音楽の目的に合致することなのかどうか、それは考えどころである。むしろ、もっともっと多くの演奏家が、サイのような「尖り」を磨いても良いのではないか。たとえ、ベートーヴェンであっても。
 さて、収録された3曲の中では、私は協奏曲が面白いとおもった。ノセダの好サポートもあって、テンポの変化やニュアンスの見せ方に即応性があり、かつ音楽的だ。サイは鋭いスタッカート的な響きをところどころで用いるが、これに呼応するようなティンパニなど、オーケストラとのやりとりは有機的であり、わかりやすく、楽しい。ピアニスティックなオーケストラと、オーケストラを思わせるようなピアノの協演、と書くとそれっぽいだろうか。カデンツァはオリジナルのものを弾いている。これも、ベートーヴェン自身が書いたものが常用されている現在では、非常に特異なことだ。このカデンツァがサイらしいスピードと華やかさに満ちた面白いもので、独創的であるが、曲の在り方を損ねるようなものではない、見事なもの。とにかく楽しませてくれる演奏だ。
 2曲のソナタでは第32番がより個性的で、ある程度のスピードの乗った状態で刻まれるアクセントの運動美が特徴だろう。後半の付点リズムの軽やかさは、なかなか聴けないレベルに達している。第14番の第1楽章は、思いのほか感情を抑えて切々とした、ある意味普通の演奏であるが、終楽章では、サイは再び独自性を発揮。スピードと装飾性に長けた表現で、聴き手を愉悦性で満足させてくれる演奏だ。

ピアノ協奏曲 第3番 ヴァイオリン協奏曲(ピアノ版)
p: ムストネン ムストネン指揮 タピオラ・シンフォニエッタ

レビュー日:2018.5.30
★★★★★ クリエイティヴな発想に満ちたムストネンのベートーヴェン
 オッリ・ムストネン(Olli Mustonen 1967-)のピアノと指揮、タピオラ・シンフォニエッタの演奏によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2曲を収録したアルバム。
1) ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37
2) ヴァイオリン協奏曲(ピアノ版) ニ長調 op.61a
 2007年の録音。
 ヴァイオリン協奏曲のベートーヴェン自身によるピアノ版は、最近でこそ比較的取り上げられるようになっているが、かつては、珍曲というイメージが強かったと思う。しかし、それを積極的に取り上げたのがムストネンで、DECCAレーベルに、サラステ(Jukka-Pekka Saraste 1956-)指揮、ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団との共演でこの曲を録音したのが1993年のこと。そして、私も、そのムストネンの1回目の録音でこの「ピアノ版」を初めて聴き、とても楽しかった記憶がある。特にヴァイオリンという楽器のためにかかれたレガート奏法が映える主題に、あえてピアニスティックなタッチを究めて挑むようなムストネンのスタイルに、先鋭的な感覚を感じたのと、そしてベートーヴェン自身が書いたティンパニと派手なやり取りを繰り広げるカデンツァが、とても面白かったのである。
 それで、ムストネンにとって、この曲の録音は2回目ということになる。本盤は、指揮もムストネンが兼ねる形。この曲を「弾き振り」で録音するケースは多くないと思う。いずれにしても、ムストネンのスタイルは基本的に旧録音を踏襲しており、レガート奏法と一線を画したスタッカート奏法の重ね合わせのようにして、曲のフレーズを描き出していく。その様に、ある意味、解体的な感触を持つところはあるが、しかし、全体的な俯瞰で聴いたとき、細やかな色づきがあって面白い。私が目にした批評の中で、ムストネンのこの双方は「フォルテピアノを意識したもの」と述べたものがあったが、私は、むしろ現代ピアノならではの、一音一音の「輝き」や「冴え」を極限までコントロールし、微細なパーツの構成で動きを表現するような、歴史的な考察とは無縁と感じられる芸術家の遊行のようなものを感じる。ただ、ムストネンが指揮をするオーケストラは、そこまで先鋭的もしくは特徴的と形容するスタンスではなく、やや軽量のトータル・トーンをベースとした穏当なものと言っていいだろう。
 ピアノ協奏曲第3番も同様だ。ムストネンのスタイルに似た演奏として、私はシフ(Schiff Andras 1953-)の録音に思い至る。けれども、シフの演奏が、聴き手の「智」に積極的に働きかける作用を持っていたのに対し、ムストネンはより即興的で、遊戯性が高い。ムストネンのピアノの自由さは、とても面白が、それは、もちろん批判の対象ともなりうるものだ。つまり、彼の分解的なアプローチは、このピアノ協奏曲の構造、特に第1楽章のピアノ導入が、主要な主題を重ねて再現する形となっているというこの楽章のスタイルにおいて、当然、聴き手が期待するであろう「積み重ね」によるドラマの深まりという聴かせどころを、いとも簡単に放棄し、刹那的な運動性にたよることとなる点において、である。それは、この協奏曲では特に問題点として提起されるべきものだろう。私は、このムストネンの演奏が、とても面白く、特にアレグロ部分の響きの新しさに多大な興味を喚起されるのだけれど、前述のように否定的な要素が喚起される可能性も高いものであることも、併せて書いておくべきだろう。
 それも含めて、作曲も含めた多彩な活動を続けるムストネンが、この演奏を貫くことを、私は面白いと思い、芸術表現として、一つの立派な価値観を提示するものになっていると思う。

ピアノ協奏曲 第3番
p: 辻井伸行 アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2022.10.7
★★★★☆ 堂々たるベートーヴェンですが、「収録曲が1曲のみ」は寂しい
 辻井伸行(1988-)が、シドニー・オペラ・ハウスで、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-) 指揮、シドニー交響楽団と協演した2016年のコンサートの模様をライヴ収録したもの。収録曲は、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 op.37」の1曲きりで、収録時間は37分程度。
 当盤は、新譜ではなく、元々CD3枚とDVD1枚からなる「辻井伸行 CDデビュー10周年記念 スペシャルLIVEコレクション」に含まれていたもので、そのうち、1枚のCDを、単独のアルバムとした形。
 辻井、アシュケナージ、両者の名声について、いまさら私が書き足すものは何もない。しかも、辻井はアシュケナージを敬愛し、アシュケナージも辻井の才能を高く評価していたという。両者は、世界中で協演を重ねてきたし、そのことを通して、世界を代表するピアニストとして長く活躍してきたアシュケナージの経験が、辻井のさらなる成長の糧となったことは想像に難くない。アシュケナージが音楽活動から引退してしまったいま、あらためてそのことを考えると、胸が熱くなるのは私だけではあるまい。また、辻井は、シドニーでは聴衆が熱狂的に迎えてくれたことを、心に残ることとして語っており、そのことからも、辻井にとって、巨匠アシュケナージとの邂逅が、いかに幸福なものであったかがわかる。
 それで、このベートーヴェンを聴いてみる。これは、実に真面目な、どこを切ってもベートーヴェンという響きである。現代であれば、学究的な原版の探索や、ピリオド奏法の解釈の延長線に、ベートーヴェンの作品をどう置くかという考えで演奏を行うことが増えてきているが、この演奏は、とにかく、ど真ん中にズシンと構えた、あのベートーヴェンであって、それ以外ではない、という感じ。オーケストラの音色は常に引き締まっていて、間延びがなく、かつ性急になることもない。それを真面目過ぎると感じる人もいるかもしれないが、私はこういう演奏の存在を大切にしたいし、そこに演奏家たちの揺るがない主張や表現者としての良心を感じるのである。辻井のピアノも、誠実そのものであって、奇をてらうような解釈はいっさいなく、正しく重ねられた響きと、仄かにただよわせるロマンが、正統性を感じさせるプライオリティーを伴って、しっかりとそこにある。
 腰の据わったベートーヴェンらしいベートーヴェンである。ただし、今の時代、この1曲だけでフルプライスの価格設定としては、消費者としての観点では、やはりどうしても高価過ぎる。辻井のソロでもオーケストラ曲でもかまなわないので、なにか併録曲があれば、と思わずにはいられない。そのため、商品価値としては、少し下げた評価をせざるをえない。

ピアノ協奏曲 第3番 第4番
p: アシュケナージ ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

レビュー日:2007.6.27
★★★★★ 両者の気概に満ちた渾身のベートーヴェン
 アシュケナージの最初のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集から。(全集は全部で3回録音しています)。
 録音は1972年ですが、この年は指揮者ショルティがシカゴ交響楽団との最初のベートーヴェン交響曲全集に取り掛かり始めた年であり(74年に完成)、またアシュケナージにとっては、前年の1971年からベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音を開始したところになります(82年に完成)。つまり、両者にとって「さあ、いよいよベートーヴェンの牙城に臨むぞ!」という気持ちの入った時期ということになります。
 また、両アーティストとも、デッカが全面に押し出したいナンバー1級のアーティストであり、そのことは、前年に同じレーベルからグルダとシュタインによる素晴らしい全集が出たばかりにもかかわらず、このシリーズが開始されたことからも明らかだ。
 さて、演奏は、そんなスタッフ・キャストの「やる気」がほとばしる豪快な美演となっています。テンポはやや速めの印象ですが、落ち着いたしっかりとした根が感じられ、きわめて逞しい演奏。アシュケナージもピアニストとしてはこのころが一番「燃焼系(?!)」だったのではないでしょうか。ショルティの力感あふれる指揮に触発されたのか、きわめて凛々しい立ち回りで、直線的な表現を前に打ち出しています。テクニックが見事。例えば第3番の第1楽章のカデンツァの流れの鮮やかなこと。もうこれは急峻な山を下る清流のような練達ぶりです。オーケストラも、若干荒々しい面がありますが、この演奏スタイルであれば、それもむしろ歓迎されるくらいの勢い。第4番も曲想以上に線的な推進力を感じる内容となっています。
 アシュケナージとショルティの組み合わせは、このあとバルトークも録音していますし、意外なほど息の合う面をみせていて、繰り返しますが「豪快な美演」と感嘆させていただきました。

ピアノ協奏曲 第4番 第5番「皇帝」
p: コヴァセヴィッチ C.デイヴィス指揮 BBC交響楽団 ロンドン交響楽団

レビュー日:2011.7.22
★★★★★ 「交響的」で「豪壮」。皇帝協奏曲を思わせるような第4番
 スティーヴン・コヴァセヴィッチ (Stephen Kovacevich 1940-)のピアノ、コリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-)指揮によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番「皇帝」。第4番はBBC交響楽団と1974年の録音。第5番はロンドン交響楽団と1969年の録音。
 この顔合わせによるベートーヴェンの全集では、最初に録音された第5番のみオーケストラがロンドン交響楽団であった(他はBBC交響楽団)。この第5協奏曲の録音は、まだ20代であったコヴァセヴィッチが、ベートーヴェン弾きとしてその名を上げたものとして知られる。もともとはPhilipsレーベルからリリースされていたが、当ディスクは再編集盤で、レーベル統合によりDECCAとなっている。
 さて、コヴァセヴィッチのベートーヴェンというと、1991年から2003年にかけてEMIレーベルに録音されたソナタの全集が記憶に新しい。競合相手の多い激戦区だったため、この全集は、現在(2011年)廃盤となっているが、スタンダードな解釈で、真摯なピアニズムに貫かれた見事なベートーヴェンだった。
 それで、今回あらためて協奏曲の録音を聴いてみた。ソナタより20年~30年ほど前の録音と言うことになるけれども、前述の様なコヴァセヴィッチのベートーヴェンへの演奏スタイルが当時から一貫していたことがわかる。
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番は、しばしばその優美な主題から、第5番と対比させて「王妃」などと形容されることが多い。しかし、このコヴァセヴィッチの演奏、第4番にも「皇帝」と名付けたくなってしまうほど、豪壮なものだ。冒頭から芯まで突き通るような力強いタッチで克明明快に音像を描いていて、分散和音などもきわめて階層的でシンフォニックに響く。クライマックスの恰幅ある盛り上がりを「まるで第5協奏曲のようだ」と書くと違和感があるだろうか。もちろん第4協奏曲には第4協奏曲の良さがある。この演奏は決してそれを相殺しているというわけではない。第4協奏曲の良さの一つの追求の仕方として、このような素晴らしい例が示された、と言うこと。終楽章の闊達さも見事。
 第5番ももちろん良い。しっかりとしたピアノの響きが、オーケストラと呼応し合う様はとっても「交響的」な印象。デイヴィスの作り出すオーケストラ・サウンドは、古典的でふくよかで、しかもやや渋めのカラーを帯びている。風格がありながらも前進する膂力に満ちていて、ベートーヴェンの音楽を芯から鳴らしているという安心感がある。コヴァセヴィッチとの相性も抜群だ。また、両曲とも当時としては理想的といえる録音状態だし、総じてこれらの曲の隠れ名盤の一つとして抑えておいても間違いないだろう。

ピアノ協奏曲 第4番 第5番「皇帝」
p: フェルナー ナガノ指揮 モントリオール交響楽団

レビュー日:2022.12.26
★★★★★ 巧妙に計算され尽くした柔らかな響きが美しい
 オーストリアのピアニスト、ティル・フェルナー(Till Fellner 1972-)と、アメリカの指揮者、ケント・ナガノ(Kent Nagano 1951-)指揮、モントリオール交響楽団の演奏で、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2つの名曲を収録したアルバム。
1) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58
2) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
 2008年の録音。
 輝かしくも軽やかな響き、ソフトでマイルドな味わいを極めたベートーヴェンだ。フェルナーのピアノは、強さや技術的な華麗さを訴えるものではなく、木目調の暖かさを主体に、とてもなめらかなレガート主体の響きと言って良いもので、加えてオーケストラも、響きのバランスを慎重に見極めながらも、心地よく耳触りの良い響きで、徹底した洗練を感じさせるサウンドを醸成している。
 第4番は、そのテイストがいかにも合致するが、フェルナーの暖かいピアノとともに、ホルンや木管の巧妙なコントロールがこの演奏の特徴をひときわ明瞭にしている。また活気のある部分では、それにふさわしい感情の起伏があり、制御ゆえに大事なエッセンスが失われているという不足感もいだかせない。深刻な第2楽章・・・私は若いころ、なぜベートーヴェンは、この楽曲の第2楽章をこういう楽想にしたのか、あまりにも楽曲全体の雰囲気とコントラストがあり過ぎる感がしたものだけれど、この演奏は、ピアノが静謐を極める響きで、全体を幻想的な味わいに包んでいて、なるほどと感じる。
 第5番は、この曲の「豪壮さ」をまったく意識していないような軽さと滑らかさである。私はフェルナーのピアノを聴いていて、DECCAから出ていたかつてのラドゥ・ルプー(Radu Lupu 1945-2022)の演奏を思い起こした。ルプーのピアノも、この楽曲にリリシズムにぐっと寄った解釈を施したけれど、あの演奏は、ズービン・メータ(Zubin Mehta 1936-)指揮のオーケストラが、むしろ粗いほどの音を出していたので、当盤の方が、ずっと方向性の一致が感じられる。もちろん、協奏曲はソリストとオーケストラの方向性が一致すればいいというほど単純な話ではないのだが、当演奏の洗練や完成度に関する印象は、そこに由来する。
 これらの演奏はライヴ収録されたということだが、ノイズはまったくと言っていいほど聞き取れず、それがまたこの演奏に相応しい。表現として適切かどうかわからないが、演奏会における臨場感から隔絶されたような、遠視点的な演奏なのである。それは、決して退屈というわけではない。特に管楽器のニュアンスの徹底した制御の美しさは、クロソイド曲線を思わせるような力学に自然なカーヴに沿っており、鑑賞において、感銘を受けることとなる。  なるほど、このような美学が貫かれたベートーヴェン、これはこれで、大いに芸術的だと感じ入った。

ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 ピアノ・ソナタ 第21番「ワルトシュタイン」
p: アシュケナージ ショルティ指揮 シカゴ交響楽団

レビュー日:2007.7.3
★★★★★ 炎の出るような皇帝です
 アシュケナージはベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を3度録音しているが、これはその最初の録音のものだ。一般的には2度目の録音であるメータ、ウィーンフィルとのものの人気が高いが、この最初の録音も捨て置けない価値があり、このような機会に再びリリースされるのはうれしい。
 というのも、ショルティとレコーディングされた一連の協奏曲の中でも、この皇帝の燦然たる魅力がまた格別であるからだ。アシュケナージは、元来、スタンダードともいえる演奏を心がけ、それでいて、楽曲の輪郭を的確に整え、その前提のもと、詩情を湛えた表現を試みるスタイルを持っている。そして、その普遍性こそが、彼の存在を高めたし、数多くの録音が長く広く愛聴される所以だろう。
 この「皇帝」においても、そのスタイルが大きく変わっているわけではないが、しかし、中にあってきわめて気迫を前面に出した録音であることは間違いない。この時期のアシュケナージは有名なリストの練習曲や熱情ソナタの録音のように、炎の出るような演奏をしている時期で、ショルティのすこぶる英雄的ともいえる演奏に真っ向からぶつかり呼応する様子がすさまじい。そして絶対的な音色の美しさはどんな時でもキープされており、それこそアシュケナージの皇帝であると気づく。あっという間にエンディングを迎えるだろう。
 余白に収められたワルトシュタイン・ソナタも知情意のバランスの取れたアシュケナージならではの行き届いた演奏だ。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」  シューマン 幻想曲
p: ユンディ・リ ハーディング指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2014.5.17
★★★★★ 明朗で輝かしいユンディ・リのベートーヴェンとシューマン
 ユンディ・リ(Yundi Li 1982-)による、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲「幻想曲 ハ長調 op.17」を組み合わせたアルバム。録音は2014年、協奏曲ではダニエル・ハーディング(Daniel Harding 1975-)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がバックを務める。いずれもセッション録音。
 ユンディ・リは、2012年にベートーヴェンの3大ソナタを録音していたので、それに続くベートーヴェン作品として、このたびの皇帝協奏曲の録音となった。王道中の王道と言えるレパートリーの連続は、彼の支持層の嗜好性を踏まえたレコード会社側の意図もあるかもしれない。それは置いておくとして、私も、このピアニストの才能には感じ入っているところが多いので、今回もさっそく聴かせていただいた。
 聴いてみての感想は、なんとも衒(てら)いのない、輝かしい演奏だ、というもの。以前、彼の弾くソナタを聴いたとき、ベートーヴェンの古典的性格の強い作品であっても、随分ロマンティックなベースを通わせたものだ、と思ったが、今回のアプローチは、より颯爽とした、一気果敢な気概に満ちている。冒頭から、いかにもなめらかな音の連続が心地よく、しかも一つ一つの響きが美しく研ぎ澄まされているから、誰だって、聴いたとたんに、「わぁ、きれい!」と思うのではないだろうか?私もそう感じた。これがリの現在のスタイルなのだろう。
 ハーディングの指揮も実にスタイリッシュ。脂っこい表現は用いず、さわやかなカッコ良さを体現した指揮振り。一陣の風のように、肩肘に力の張らない、それでいて、リズムに喜びの要素を存分に通わせた演奏。この皇帝協奏曲には、そんな「ウキウキ」「ワクワク」といった要素が存分にあるのだ。人によっては、ベートーヴェンにもっと古典的な精神性のようなものを求めるかもしれないが、この演奏が目指したものは違う。そして、私は、それこそが、この演奏の美点であり、魅力であると思う。ピアノが、ちょっと和音のアクセントを裏打ち気味で刻んで見せたり、オーケストラが、低音を重く響かせずに、締まったサウンドに集約したり、そういった運動美と快活性を併せ持った、全面陽性の明るさが良いのである。・・もちろん、もっと陰りが欲しいところがないか?と訊かれれば、私もちょっと考えるところはあるのだけれど、そういう気分の時は、それに応じた演奏を聴けばいい。当然のことながら、全部が全部、同じようなベートーヴェンである必要は無いわけだ。私は、そういった意味で、リとハーディングの作り出す音楽が、たいへん魅力的に感じられた。気風がいい、というのだろうか。これもまた音楽を聴く喜びの一つに違いない。
 シューマンも基本的に同じスタイル。シューマンがベートーヴェンに捧げる意志をもって書いたこの名作を、ユンディ・リは実に瑞々しく、スマートに奏でる。心地よいスピード。流麗な音がたえず脈々と供給されていく。行進曲ふうの第2楽章が、おおよそ屈託のない輝かしさで、かつ品の良いセンスを漂わせて響き切っているところなど、美麗の一語。
 以上の様に、明るい、喜びに満ちた両曲の演奏であり、一つの音楽美の洗練を究めたような出来栄えとなっている。なお、国内盤のみ、ボーナストラックとして、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)の「熊蜂の飛行」が収録されています。

ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 ピアノソナタ 第32番
p: フレイレ シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2014.10.8
★★★★☆ 軽やかなフレイレのベートーヴェン
 ブラジルのピアニスト、ネルソン・フレイレ(Nelson Freire 1944-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethove 1770-1827)のアルバム。以下の名曲2曲の組み合わせ。
1) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
2) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 1)ではリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団との共演。2014年のセッション録音。
 ちょっと変わった組み合わせ。この2曲はベートーヴェンが書いたそれぞれのジャンルの「最後の曲」であるが、作曲時期的には協奏曲の方がだいぶ先であるので、一つのアルバムに収録する因果関係のようなものは、あまり感じられない。むしろ、それぞれを独立して楽しむという聴き方になるだろう。
 私が個人的に期待していたのはシャイーの指揮だ。というのも、シャイーとゲヴァントハウス管弦楽団は2007年から09年にかけて、ベートーヴェンの交響曲全集を録音したのだけれど、これがとても素晴らしく、すっかり私の愛聴盤となっているからだ。それで、今回の彼らの演奏にも大いに興味を持った次第。
 協奏曲を聴いてみての感想である。一言で言うと「いい演奏。だけど交響曲ほど痛快ではなかった」といったところ。やはり、協奏曲であるので、独奏者のスタンスが、大きなウェイトを占めることになるわけだ。このフレイレのピアノが、どちらかというと内省的で静謐さを湛えたもので、それ自体は美しいのだけれど、シャイーの熱のこもった棒と、若干の距離感を感じるところが残る。
 そうはいっても、乖離がある、という程ではない。フレイレが夢見るように奏でる第1楽章の第2主題は、しっとりした低弦の支えが麗しく、とてもきれい。アダージョも瞑想的かつ憧憬的な雰囲気が良く出ていて、詩情がある。だが、シャイーの表現は、「もっとやりたいものがあるけれど、協奏曲なので、やや制御を効かせた」感じがあり、ちょっともったいない気もしてしまう。そういった意味で、私がいちばん良く感じたのは終楽章。華やかな疾走感に満ち溢れ、管弦楽の白熱した響きは、グイグイと聴き手を引っ張ってくれる。聴かせどころで、豪快なリズムで打ち鳴らされるティンパニは爽快無比で、これは従来の演奏では、ちょっと覚えがないくらい強力だ。総じて活発な美しさのある良演であるが、私個人的には、第1楽章にもっと踏み込みのある表現があった方が良かったように感じる。
 次いでピアノ・ソナタ第32番が収録されている。フレイレの演奏は、全般に軽めの響きを用いていて、冒頭などもずいぶんとあっさりと聴こえる。このソナタの第1楽章は、ズシーンと胸に迫る響きが欲しいところがあるのだけれど、フレイレの演奏は、響きは美しいが、劇的・啓示的なものが、平均化されてしまったような印象も与えるところがある。第2楽章にうつり、快活なフレーズはテンポも的確で心地よいが、この辺は多くのピアニストが、そのように弾くところだ、と言えば、そう言うことになってしまうだろう。
 このソナタ第32番は、私が大好きな曲なのだけれど、そんな私にとって、ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli 19201995)の1990年のライヴ(aura)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の1991年のスタジオ録音が最高のもので、次いで、グールド、コヴァセヴィッチ、シフ、ヴェデルニコフ、チアーニなどを聴いている。一方で、このフレイレ盤が彼らに比較しうるかというと、私の中では、上述の理由で、そこまでの感動は得られなかった、というのが正直なところ。
 以上の様にシャイーと共演した協奏曲は楽しめたが、ソナタについては、物足りなさを感じるところがあった。また、同じ2014年にリリースされた皇帝協奏曲としては、私は、ユンディ・リ(Yundi Li 1982-)とハーディング(Daniel Harding 1975-)によるものの方を、より気に入っています。

ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 合唱幻想曲
p: アンスネス アンスネス指揮 マーラー室内管弦楽団 プラハ・フィルハーモニー合唱団

レビュー日:2014.9.22
★★★★☆ ピアノの熱とクールな管弦が織りなす、新感覚の皇帝協奏曲
 現代を代表するノルウェーのピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970)によるプロジェクト“Beethoven - A Journey(ベートーヴェンへの旅)”完結編。
 本盤の登場で、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲が全曲揃ったことになる。
 今回の収録曲は以下の2曲。
1) ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」
2) 合唱幻想曲 op.80
 アンスネスの弾き振り。オーケストラはマーラー室内管弦楽団。合唱幻想曲のコーラスはプラハ・フィルハーモニー合唱団。なお、当盤には、合唱幻想曲における4人の独唱者の名前の記載がなく、詳細不明である。2014年、プラハでのライヴ録音。
 さて、この皇帝協奏曲、ベートーヴェンの書いた最も偉大で、雄大なピアノ協奏曲である。アンスネスのアプローチは輝いていて、鋭い切り口をもって、鮮明な音像を作り上げていて、そこに内包される強靭さや、現代ピアノらしい雄渾なパワーに私は感じ入るのだが、一方で、オーケストラは、全集中でも、特に室内楽的な緊密さに終始するという手法がとられている。このピアノとオーケストラのバランスが、本盤の最大の特徴であるが、人によって「いい」とも「良くない」とも感じ取れるものだろう、と思う。
 つまり、私はこのアンスネスの演奏を聴いていると、ピアニスティックな効果が、他の演奏ではしばしば埋もれがちな対位法を支える音型の明瞭化など、アナリーゼ(解析)的な面白さを引き出している一方で、特に弦の響きが薄く感じられる点に、どうしても、時々「寂しさ」を感じてしまうからだ。つまり、その一種の「寂しさ」を受け入れた上で、確保された見通しの良さから派生する「面白さ」を追求しているわけだが、そこの前提の部分で、すでに大きな抵抗を感じる人には、この演奏は薦めにくいと思う。
 象徴的なのは、とにかく冒頭だ。アンスネスの冒頭のカデンツァは、まさに偉大な音楽の壮麗な入場口に相応しい響きで奏でられる。ところが、一転して弦楽器のみによる第1主題の提示になると、突如として、ありふれた日常の営みに美点を見出すような音楽になり、一気に夢から現実に連れ戻されるような感じなのである。この関係性はその後も継続し、そこには全身全霊を掛けたピアノと、軽妙で軽やかなオーケストラの、不思議な掛け合いが展開する。第2楽章の弦も、妙に現実的な描写を感じさせる。ピアノの登場で世界観は変わるが、この一変ぶりを音楽として堪能しきれるかどうか。ここら辺も、聴き手の感性が、逆に試されているような心持ちがする。
 他方、併録してある「合唱幻想曲」は、まったくそのような意識を持つことなく、純粋に楽しめた。立体的なピアノ、加わってくる管弦の朗らかさ、そして合唱を伴った音楽の豪胆な気迫。祭典的でありながら、内省的な響きもきちんと詰められた、プロフェッショナルな等方向に強度のある音楽だ。
 以上のように、シリーズ最後の録音は、たいへん特徴的なものとなった。アンスネスの目指したベートーヴェンとしては、おそらくこれで正しいのだと思うが、この新しい感覚をどのように受け入れるかは、聴き手の音楽指向に大きく依存するだろう。
 なお、ライヴであるが、ほとんど雑音はなく、拍手もカットされていて、聴き味はセッション録音に近い。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲(原曲:ヴァイオリン協奏曲)  バッハ ピアノ協奏曲 第3番
p: ムストネン サラステ指揮 ドイツ室内フィルハーモニー

レビュー日:2005.4.2
★★★★★ カデンツァを聴いてびっくり!
 ベートーヴェンのピアノ協奏曲ニ長調?これは実はベートーヴェン自身によって書かれたヴァイオリン協奏曲の「ピアノ版」なのだ!
 さてこのピアノ版最大の聴き所・・・それはカデンツァである。実はベートーヴェンは自作のヴァイオリン協奏曲にカデンツァを遺さなかった。その仕事をヴァイオリニストに任せたのであり、現代ではクライスラーのものが最もよく知られている。
 しかし、ピアニスト・ベートーヴェンはこの作品にピアノ版のカデンツァを遺した。このピアノ版カデンツァ、実はクレーメルが「ヴァイオリン用」に編曲して弾いているが、これは断然ピアノで聴いた方が面白いだろう。
 この曲は元来、ティンパニが特徴的な役割を果たす。冒頭からティンパニの響きで音楽が始まるのだから。。。そしてそのティンパニがカデンツァでピアノとともに大活躍してしまうのだ。このティンパニの演出は当時の時代背景(戦争の影)が濃いと言われる。がとにかく、楽想そのものがとても面白いのだ。カデンツァだけ別な作品になってると言えるくらい個性的だ!
 ムストネンの鬼才ぶりも素晴らしい!ピアニスティックな響きを心行くまで堪能させてくれる。バックのオーケストラも小編成ならではの機動力と合奏の統率力の見事さで聴きごたえ満点だ。この値段なら間違いなく、買い!ベートーヴェンの隠れ名曲として、ぜひご堪能あれ!

ベートーヴェン ピアノ協奏曲(原曲:ヴァイオリン協奏曲)  クレメンティ ピアノ・ソナタ ロ短調 op.40-2  クラーマー ピアノ・ソナタ ホ長調 op.62「ロンドンへの帰還」
p: ラツィック ニコリッチ指揮 オランダ室内管弦楽団

レビュー日:2018.7.3
★★★★★ 19世紀のロンドンが結ぶ3人の作曲家。ラツィックのダイナミックな演奏でどうぞ!
 クロアチアのピアニスト、デヤン・ラツィック(Dejan Lazicc 1977-)による“The London Connection”と題したアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ協奏曲 ニ長調 op.61a(原曲: ヴァイオリン協奏曲 op.61)
2) クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832) ピアノ・ソナタ ロ短調 op.40-2
3) クラーマー(Johann Baptist Cramer 1771-1858) ピアノ・ソナタ ホ長調 op.62 「ロンドンへの帰還」
 協奏曲では、ゴルダン・ニコリッチ(Gordan Nikolic 1968-)指揮、オランダ室内管弦楽団との共演。2017年の録音。
 面白い構成のアルバム。“The London Connection” のタイトルを解題しておくと、ピアニスト、作曲家、ピアノ製作者、出版と様々な形で音楽に関わったクレメンティは、ベートーヴェンのスコアの出版にも大きく携わっていて、ロンドンにおける交響曲第4番や、弦楽四重奏曲第7番の出版には大きな力を果たした。そんなクレメンティの勧めもあって、ベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲に「ピアノ版」を書いたとされる。また、クラーマーはクレメンティの弟子の一人で、やはりコンポーザー=ピアニストであるとともに、ピアノの製作に携わった人物で、ロンドンを中心に活躍した。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番に「皇帝」というタイトルを発案したのは、クラーマーだと言われている。そんな彼の作品の中で、比較的知られ、「ロンドンへの帰郷」の副題を持つソナタを当盤には収録している。以上、ロンドンつながり。
 また、ベートーヴェン、クレメンティ、クラーマーの3者には、「新しいピアノ」の開発もしくは表現法の開拓になみなみならぬ意欲を持っていたという点でも共通項がある。当盤に収められたクレメンティやクラーマーのソナタを聴いても、どこまで楽器の特性を生かした多様な表現が追及できるかに心血をそそいだ痕跡はあきらかに見て取れる。
 さて、ラツィックである。当盤のリリースを知って、多くの人がラツィックがブラームスのヴァイオリン協奏曲をピアノ版に編曲した驚異の企画を想起したのではないだろうか。そんなラツィックであれば、当然、ベートーヴェン自身が書いたヴァイオリン協奏曲のピアノ版にだって、相当な関心があったに違いない。そんなラツィックのアプローチはふくらみ豊かなロマンティックなものだ。元来がヴァイオリンのためにかかれた旋律だけに、そのメロディーは滑らかな肌合いを持つ要素が多いが、ラツィックはピアニスティックな冴えを削がないのみならず、ときに色めくような闊達さを踏まえて音楽を華やかに演出する。先行する録音ではムストネン(Olli Mustonen 1967-)のものに親近性があるだろう。いずれにしても、細やかなフレーズに様々なアヤを与えながら、全体の流れを整えるため、ラツィックの技巧は存分に発揮される。オーケストラはソツのない堂々たる運び。
 クレメンティとクラーマーのソナタでも、ラツィックは現代ピアノの特性を踏まえた劇的な演奏効果を目指しており、前述の作曲家たちのスタイルと照らして説得力のある解釈だ。特に私はクレメンティの各ソナタが大好きで、ハイドンやモーツァルトより聴く機会も多いのだが、この悲劇的な性格を持ったソナタにラツィックの強烈な録音が加わることを歓迎したい。クローマーの作品ともども、あるいみ先駆的・挑戦的なものを含んだものであり、それを積極的に打ち出したラツィックの演奏は輝かしさに満ちている。

ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン・ソナタ 第9番「クロイツェル」
vn: ファウスト ビエロフラーヴェク指揮 プラハ・フィルハーモニア p: メルニコフ

レビュー日:2008.3.2
★★★★★ あらためて名曲中の名曲に「回帰感動」しました!
 イザベル・ファウストのヴァイオリンでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」を収録。競演はビエロフラーヴェク指揮のプラハフィルハーモニアとアレクサンドル・メルニコフ(p)。録音は2006年。  ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はもちろん「名曲中の名曲」だ。だが、クラシック音楽を長く聴いていると、意外とこのような名曲を聴く機会から遠ざかってしまう。新しいものを求めるあまり、古典的なレパートリーを離れてしまうのだ。しかし、時おり、このような優れた演奏を聴くことで、まるでその曲に初めて出会ったかの様に新鮮な感動を得るときがある。私はこれを勝手に「回帰感動」と呼んでいるが、そんな言葉はありません。さて、この演奏はまずファウストのヴァイオリンの音色の素晴らしさが特筆される。潤いがありながら、その弱音の柔らかさと音色の細やかなバランスが見事なのだ。この曲は独奏ヴァイオリンの弱音旋律による長調から短調へ、あるいはその逆といった転調シーンが元来印象的だけれど、当演奏はその瞬間に聴き手が宙に浮くような夢見心地の美しさである。カデンツァは、ベートーヴェンがこの協奏曲を「ピアノ版」に編曲したときに自ら書いたものをさらにヴァイオリン版にアレンジして用いているが(クレーメルが同じ試みをしていたのを思い出す)、ここでもヴァイオリンの自然な音色がたいへん好ましい。加えてプラハフィルハーモニアの王道的名演も特筆される。  また、併録曲の「クロイツェルソナタ」では、競演のメルニコフとともにややセーヴ気味に「秘められた情熱」を表出している。こまやかなパッセージの移り変わりが鮮やかで、楽器間の線的な受け渡しも爽快。第2楽章の変奏曲は心を水に浮かせ遊ばせるような朗らかさがあり、終楽章も典雅で心地よい。本当に贅沢なカップリングだ。私にとって、あらためてこれらの名曲をじっくり聴くよい機会をなった。感謝である。

ヴァイオリン協奏曲 ロマンス 第1番 第2番
vn: クレーメル アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 p: サハロフ

レビュー日:2008.9.27
★★★★★ 原典主義もいいけれど、いろいろあるともっといい。
 1992年の有名なライヴ録音。ギドン・クレーメルとニコラウス・アーノンクールという奇才のコンビ。当然ながら『何か』が起こった演奏である。
 そもそもの話からしよう。ベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲を1曲しか作曲しなかった。それはベートーヴェンがその1曲の完成度に完璧といえる自信を持っていたからだと思われる。だがベートーヴェンは自作のヴァイオリン協奏曲にカデンツァを書かなかった。奏者の仕事に残したのである。現在最もよく聴かれる「よく出来た」カデンツァはクライスラーのものである。しかし、ここで妙なスコアが残ることになる。自分のヴァイオリン協奏曲をいたく気に入ったベートーヴェンはこれを「ピアノ協奏曲」に編曲した。そして「ピアニスト」でもあったベートーヴェンはこちらにはカデンツァを遺した。つまりその部分は「奏者」としての仕事を後世に遺したのである。
 クレーメルの発案は、このベートーヴェンが「ピアノのために」書いたカデンツァを「ヴァイオリン協奏曲」の演奏に用いてしまおうというものである。しかし、これをそのままヴァイオリンで弾く、というほど単純ではない。なんと、このクレーメル版のカデンツァ、いきなり「ピアノ」が登場する。ヴァイオリン協奏曲のカデンツァがピアノ!と驚いていると、こんどはそこにクレーメルがヴァイオリンで旋律を「どうだい」といった気配たっぷりに奏でる。そして、このピアノ版カデンツァではティンパニが活躍する(一説では戦争のイメージとも考えられている)。なので、いっときはピアノ、ティンパニ、ヴァイオリンが繰り広げるなんとも楽しげな世界となる。さらには第3楽章のカデンツァでも、またまたピアノが出てくる。
 この演奏と録音をどう捕らえるかはもちろん聴く側の自由だけれど、私はとても楽しいと感じた。何もスコア通りにやるのが全てではない。かのベートーヴェン自身が「さらに美しいために破りえぬ規則は何一つない」と述べた革命家であったことを考えると、むしろ今の風潮はこのような試みを安易に咎め過ぎるくらいだと思う。だからこそ、クレーメルとアーノンクールという権威であり大家である二人がこのような試みをこの時代にやったことに大きな意味があると思う。
 最後になったがこのころのクレーメルの弾きぶりは全般にロマンティック。なかなかたっぷりとした歌いまわしで、こちらも堪能できる。

ヴァイオリン協奏曲 ロマンス 第1番 第2番 ヴァイオリンと管弦楽のための断章
vn: コパチンスカヤ ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団

レビュー日:2010.3.29
★★★★☆ ピリオド楽器の特徴を活かした自由に弦を使った演奏
 パトリシア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja)は1977年モルドヴァ生まれのヴァイオリニスト。ファジル・サイとのデュオでも話題になった。気鋭の演奏スタイルが話題。
 そんなコパチンスカヤがヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団と2008年に録音したベートーヴェンの協奏曲。レパートリーの広いヴァイオリニストらしいが、あえて王道中の王道で勝負したディスクだ。
 演奏はピリオド楽器を使用している。カデンツァはベートーヴェンが「ピアノ編曲版」のために書いたものを「ヴァイオリン版」に再アレンジして使用している。最近ではイザベラ・ファウストもそうだったし、この傾向は増えてきているようだ。・・・実際、このカデンツァは面白いのだが「ピアノで弾いてこそ」の部分もあり、あまりメジャーになられても、という気もするが、とりあえずこれはこれで良いでしょう。
 コパチンスカヤのヴァイオリンは確かに個性的である。ピリオド楽器なので、音の伸びや広がりは限られているが、それを機動性やフレージングの妙で補ったような印象。それは研究的な考察により得られたピリオド楽器の演奏とは一味違っていて、この楽器ならではの自由な領域を存分に楽しんでいるといった趣である。実際、最近はピリオド楽器の演奏は「アカデミック」なアプローチだけでなく、それを単に手法として自分の音楽作りに応用する方法論が増えていて、パーヴォ・ヤルヴィなんかもそうだと思うのだけれど、なかなか楽しい。ヘレヴェッヘの指揮はいつもながらの分離のよい音で、音がぎゅっと詰まっているわけではなく、適度に、やや広めにスペースを取ったような響き。風雅でソフト。それなので、独奏楽器がより自在で闊達に動いている。個人的には終楽章のそれも後半の音の弾みかたがたいへん心地よかった。
 一方で、「ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏」として聴いたとき、やはりピリオド楽器の「限界」も如実に物語っている。太い音が出ない分、アプローチは「別物」になるが、それは「そうなってしまう」という拘束的な意味合いを含むのだ。
 2曲のロマンスに加えて、「ヴァイオリンと管弦楽のための断章」が収録されているのも本盤の特徴。いかにも未完成のように終わってしまうが、さすがベートーヴェンで、内容のある音楽だ。もし完成していれば「ピアノ協奏曲第2番」のように特に独奏者にとっていろいろと楽しめる作品になっていたのではないか、と思う。

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲  ツィンツァーゼ 6つの小品
vn: バティアシヴィリ バティアシュヴィリ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン グルジア室内管弦楽団

レビュー日:2012.9.7
★★★★★ グルジアの音楽を紹介してくれる意図的な組み合わせ
 グルジアのトビリシ出身のヴァイオリニスト、リサ・バティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-)によるスルハン・ツィンツァーゼ(Sulkhan Tsintsadze 1925-1992)の「6つの小品」とベートーヴェン(Ludwig van Beethoven1770-1827)の「ヴァイオリン協奏曲」という意欲的なカップリングのアルバム。指揮もバティアシュヴィリ自身が務める。オーケストラは、ツィンツァーゼがグルジア室内管弦楽団、ベートーヴェンがドイツ・カンマーフィル。2007年の録音。
 ツィンツァーゼはグルジアを代表する作曲家で、1950年にはスターリン賞を受賞している。チェリストでもあったツィンツァーゼはグルジアの民謡を収集し、これを体系化しつつ、クラシック作品へと転用させていった。同じグルジア出身のバティアシュヴィリがその作品をベートーヴェンの名曲と併録したということは、このアルバムでベートーヴェンを聴く人に、等しくこのグルジアの音楽家の作品を聴いてほしいという気持ちがあったに相違ない。実際、このアルバムを聴いて、一層輝いており、魅力に満ちていると感じられたのが、ツィンツァーゼの作品だ。
 ツィンツァーゼの作品が冒頭に収録されていることも特徴的。なんとしても聴いてほしいという作り手の主張が改めて伝わる。その音楽は実に雄弁だ。民俗的な旋律とリズムの特徴が色濃く引き出されている。冒頭からパーカッションの響きで情緒たっぷりの旋律がうなりをあげ、疾走するように奏でられる。かと思えば第2曲のように郷愁に満ちた哀切な歌もある。けれん味たっぷりの音楽にノリノリのヴァイオリンで、そのスウィング感は実に心地よい。圧巻の終曲で閉じられる実に聴き応えにみちた時間である。
 その後、ベートーヴェンが始まるのだけれど、少し間を置いて聴いた方がいいかもしれない。連続して聴く面白みはあるのだろうけれど、音楽の肌合いがあまりにも違うから。
 ここで、バティアシュヴィリはなめらかな動線を武器に伸びやかに歌っている。カデンツァはクライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962)によるもっとも高名なもので、その点でも全般に王道の演奏を心掛けた印象だ。とくに弱高音の輝かしさが印象的。オーケストラはやや常套的な響きだが、一生懸命に凛々しい音を出していて、特に問題はない。ヴァイオリンの快活な響きが楽しめる終楽章が特に印象的であった。
 バティアシュヴィリにはロシアや中央アジアの作品を是非積極的に録音していってもらいたい。これらの地域には私たちの知らない魅力的な作品が、まだまだ無数にあると思う。今後の活躍を期待する

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲  ベルク ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」
vn: ファウスト アバド指揮 モーツァルト管弦楽団

レビュー日:2013.2.1
★★★★★ ファウスト2度目のベートーヴェン、そしてベルク。いずれも秀演。
 イザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)のヴァイオリンと、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-)指揮、モーツァルト管弦楽団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン協奏曲とベルク(Alban Berg 1885-1935)のヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」を収録したアルバム。2010年の録音。
 2012年のレコード・アカデミー賞を受賞したディスク。私は、このアルバムがリリースされた時、気にはなったのだけれど、ベートーヴェンについては、ファウストには2006年にビエロフラーヴェク(Jiri Belohlavek 1946-)指揮プラハ・フィルハーモニアと録音した素晴らしいアルバムが既にあって(harmonia mundi HMC 901944;こちらはメルニコフとのクロイツェルソナタがカップリングされていた)、私もこれを所有していたことから本盤の購入については見送っていた。
 このたび、本盤を聴いたのは、その評判の高さからあらためて聴いてみたくなったのと、それにやはりベルクの名曲も聴けるという期待感が大きくなったためである。
 聴いてみての感想である。まずベルクであるが、これは曲が良くできているということもあって、丁寧丹精に弾きこまれた演奏であれば、感心し心も動く音楽である。しかし、それに加えてこの演奏は良好な印象をもたらす。この要因は、まずファウストの独奏が、微細な音色を良くコントロールし、響きを美しく保っているということもあるが、私はオーケストラがことに見事だと思う。特にトゥッティでの、情熱の放散された瞬間に、各パートがそれぞれに、情緒を放ちながら、しかも個々の主張を湛えながら沈静化するところ、その“えも言われぬ”響きの美しさは圧巻で、私のこの演奏の印象はここに集約されるといっても良い。さすがにアバドは凄い指揮者だと感じ入った。
 ベートーヴェンは、ほぼ前回の録音の印象に近いが、ファウストがその演奏を深化させたと感じるのは第1楽章のカデンツァである。ここで、ファウストは前回の録音同様、ベートーヴェンがピアノ版を書いた際のスコアを基にしたカデンツァを使用しているが、ファウストのヴァイオリンは、表現の幅を一層広く、逞しくした感がある。中でも細かいフレーズの末尾のキレ味というか、その一瞬宙に放たれる残響の完璧とも言える彫像性は、この演奏の強烈なインパクト・ポイントと言えるもので、私もたいへん興奮した。また、第2楽章の瞑想も濃度の濃さを感じさせる内容で、質感豊かな響きが強く支配しており、その充実感が聴き手の幸福感に作用するもの。
 現代を代表するヴァイオリニストの力量を如何なく発揮した録音と言える。


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室内楽

弦楽四重奏曲 全集 弦楽五重奏曲
東京四重奏団 va: ズーカーマン

レビュー日:2009.11.27
★★★★★ ピアノ・ソナタ第9番による名編曲「ヘ長調」も収録した名演
 東京四重奏団によるベートーヴェンの初期弦楽四重奏曲集。作品18の6曲(第1番から第6番)に加えて、弦楽五重奏曲、さらにピアノ・ソナタ第9番を編曲したヘ長調の弦楽四重奏曲を収録している。弦楽五重奏曲では追加のヴィオラ奏者として、ピンカス・ズーカーマンが加わっている。録音は1991年から92年にかけて行われている。
 この時期の東京四重奏団がRCAに残した一連の録音は、いずれも素晴らしいものばかりだと思うのだが、なぜかほとんどが廃盤となってしまった。もともと販売シェアのさほど多くない室内楽というジャンルであることに加え、東京四重奏団にはハルモニアムンディに「新録音」があるので、やむなし、といったところだろうか。しかし、この旧録音には新録音にはないはっきりした特徴がある。
 1つは演奏のスタイル。当時の東京四重奏団のスタイルは独特の「自然体」であった。まろやかな風味があり、先を急がない落ち着きが音楽をシックに整える。木目調の響き。けっして尖らない音色で、しかし、必要な箇所では十全な迫力を引き出す。
 もう1つは収録曲。ズーカーマンという素晴らしいプレーヤーをヴィオラ奏者に加えた弦楽五重奏曲のアンサンブルもさるところながら、ピアノ・ソナタ第9番を作曲者自身の手により編曲した「弦楽四重奏曲ヘ長調」が加わっているのがうれしい。ベートーヴェンは依頼によりこの編曲を行ったそうだが、ベートーヴェンならではの充実した音楽になっているだけでなく、原曲からのカット、楽想の追加、転調により、完全な弦楽四重奏曲として生まれ変わった逸品である。私は、この原曲のピアノ・ソナタが大好きである。むかし、アシュケナージが弾いた第9番から第11番までのソナタのLPを繰り返し聴いたものである。それ以来の「ご贔屓曲」なのだ。それがこのような素晴らしい変身振りを見せてくれるのは、実にウレシイ。ちまたの弦楽四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を録音するとき、なぜ惜しげもなくこの佳曲を削ってしまうのか、不思議でならないといったところ。
 もちろん作品18の6曲も素晴らしい。生気溢れる歌に満ちた第5番、内省的で深刻な後期の諸相を垣間見せる第4番、ベートーヴェンのこのジャンルへの意欲をさりげなく表現した「名曲」第1番。どれも廃盤にしておくのはもったいない名演揃い。

弦楽四重奏曲 全集
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.11.5
★★★★★ 現代の一つのスタンダードといえるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集
 1998年に開始し、途中2人のメンバー交代を経て2011年に完成したアルテミス弦楽四重奏団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の弦楽四重奏曲全集。メンバー交代だけでなく、この四重奏団は曲によって第1ヴァイオリンを交代する方式をとっているため、これらの曲において、全部で4通りの編成パターンが存在していることになる。すなわち、以下の4つである。
(メンバー交代前)
 パターンA 第1ヴァイオリン:ハイメ・ミュラー(Heime Muller 1970-) 第2ヴァイオリン:ナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-) ヴィオラ:フォルカー・ヤコプセン(Volker Jacobsen 1974-) チェロ:エカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)
 パターンB 第1ヴァイオリン:プリシェペンコ 第2ヴァイオリン:ミュラー ヴィオラ:ヤコプセン チェロ:ルンゲ
(メンバー交代後)
 パターンC 第1ヴァイオリン:プリシェペンコ 第2ヴァイオリン:グレゴール・ジークル(Gregor Sigl 1976-) ヴィオラ:フリーデマン・ヴァイグル(Friedemann Weigle 1958-) チェロ:ルンゲ
 パターンD 第1ヴァイオリン:ジークル 第2ヴァイオリン:プリシェペンコ ヴィオラ:ヴァイグル チェロ:ルンゲ
 これを踏まえて、収録曲ごとの録音年と、編成パターンをまとめたのが、以下です。
第1番ヘ長調 op.18-1 2010年 C
第2番ト長調 op.18-2 2002年 B
第3番ニ長調 op.18-3 2011年 C
第4番ハ短調 op.18-4 2008年 D
第5番イ長調 op.18-5 2010年 C
第6番変ロ長調 op.18-6 2009年 C
第7番ヘ長調 op.59-1「ラズモフスキー第1番」 2005年 A
第8番ホ短調 op.59-2「ラズモフスキー第2番」 2008年 C
第9番ハ長調 op.59-3「ラズモフスキー第3番」 1998年 A
第10番変ホ長調 op.74「ハープ」 2011年 C
第11番ヘ短調 op.95「セリオーソ」2005年 B
第12番変ホ長調 op.127 2010年 C
第13番変ロ長調 op.130 2009年 C
大フーガ変ロ長調 op.133 2009年 C
第14番嬰ハ短調 op.131 2002年 A
第15番イ短調 op.132 1998年 A
第16番ヘ長調 op.135 2011年 D
ヘ長調Hess34 2011年 C (ピアノ・ソナタ第9番ホ長調 op.14-1の編曲)
 こうしてみると、基本的には第1ヴァイオリンをプリシェペンコが担当(BとC)することが多く、ミュラーが第1ヴァイオリンだったのが第7番、第9番、第14番、第15番(A)。このミュラーが楽団を去り、後任のジークルが第1ヴァイオリンを担当したのが第4番と第16番(D)ということになる。
 メンバー交代後の録音(CとD)では、より精緻で緊密なアンサンブルが徹底し、十全なバランス配慮に基づいた設計の美学が貫かれているように感じられるが、いかがだろうか。
 なお、収録曲の注意であるが、第13番の「終楽章」は録音されておらず、ベートーヴェンが当初この曲の終楽章とし、その後出版社の意向等によりしぶしぶ単独曲として分離独立させた「大フーガ」を、「第13番の終楽章」として収録している。
 さて、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の録音史を考えると1978-83年に完成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団の全集が一つのターニングポイントと言える。圧倒的な技術と、シンフォニーのような音量、雄大なダイナミックレンジと、機敏で明晰な解釈で、一世を風靡した。以後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を録音するにあたっては、アルバン・ベルクとは違った新しい価値をどのように達成するか、というのが一つの基準になる。
 そこで、このアルテミス弦楽四重奏団の録音であるが、彼らも豊かな音量を誇っており、そういった意味でスケールの大きい、室内楽的範疇に収まらない演奏と言える。しかし、併せて、きわめて緊密なやり取りを高度な制御により行っている点が凄い。このスタンスの徹底により、彼らの全集は、大きい存在感を獲得している。そうして彼らが獲得した自然な歌謡性は、アルバン・ベルクではやや乏しく感じられたものである。聴いていて「潤う」成分が欲しい人には、このアルテミスの演奏は、絶好と言える。
 個人的に強く印象に残ったのは、飛躍を感じさせる充実感に満ちた第5番、弦楽四重奏曲の概念を覆した名曲に相応しい壮大さを感じさせる第7番、アコースティックな暖かみを十全に感じさせてくれる第12番の3曲。これらはとても良い。
 逆に、もう一つなにか欲しい、と思った曲としては、均質性に配慮しているが、もう一つ力強い踏込みが欲しかった第14番、弦楽器的なサウンドに徹しているが、より活発さの欲しかったヘ長調Hess34の2曲を挙げる。
 しかし、全般に現代的でシャープな感性で押し切った、素晴らしい内容の濃い全集であり、その平均的な質の高さは驚異的なものと言っていい。全集として強く推薦したい。
 なお、シリーズ最後に録音されたのが、第10番「ハープ」と「ヘ長調Hess34」の2曲であるが、これらは当全集のみの収録で、別売がない(2013年現在)。いままで、既発の分売シリーズを購入してきた人は、最後にコンプリートするために「当全集」を買わなくてはならないハメになる。こういう商法は、個人的に歓迎できない。その点だけは、申し上げさせていただきます。

弦楽四重奏曲 全集
ベルチャ四重奏団

レビュー日:2020.9.9
★★★★★ ベートーヴェンに相応しい深く厳しい諸相を、時に激しく、時に美しく奏でた名演
 ベルチャ四重奏団(Belcea Quartet)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)弦楽四重奏曲全集。CD8枚に以下の様に収録されている。
【CD1】
1) 弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 op.18-6
2) 弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 op.127
【CD2】
3) 弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 op.18-2
4) 弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 op.59-3 「ラズモフスキー第3番」
【CD3】
5) 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95 「セリオーソ」
6) 弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 op.131
【CD4】
7) 弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 op.18-1
8) 弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 op.18-4
【CD5】
9) 弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 op.18-3
10) 弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 op.18-5
11) 大フーガ変ロ長調 op.133
【CD6】
12) 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1 「ラズモフスキー 第1番」
13) 弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 op.59-2 「ラズモフスキー 第2番」
【CD7】
14) 弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 op.74 「ハープ」
15) 弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 op.130
【CD8】
16) 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132
17) 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135
 【CD1~4】が2011年、【CD5~8】が2012年の録音。同時期にライヴ収録された映像メディアも入手可能であるが、当盤はセッション録音によるもの。
 録音時のベルチャ四重奏団のメンバーは以下の通り。
 コリーナ・ベルチャ=フィッシャー(Corina Belcea-Fisher 1975-) ;第1ヴァイオリン
 アクセル・シャッハー(Axel Schacher 1981-) ;第2ヴァイオリン
 クシシュトフ・ホジェルスキ(Krzysztof Chorzelski 1971-) ;ヴィオラ
 アントワーヌ・ルデルラン(Antoine Lederlin 1975-) ;チェロ
 ベルチャ四重奏団は、多国籍な団員という一面を持つが、何度かメンバーの入れ替えを経た録音時も、ベルチャがルーマニア、シャッハーがスイス、ホジェルスキがポーランド、ルデルランがフランス、と相変わらず多彩な顔触れである。
 彼らのベートーヴェンは、果敢だ。強弱のダイナミクス、そしてフレージングの劇的な扱いとともに、時にかなり早いテンポを選び、緊迫したドラマを内包する。また、中間楽章のうち、緩徐楽章ではない方(通常メヌエットやスケルツォ)の楽章に、深刻な諸相を感じさせることも、彼らの演奏の特徴の一つであろう。
 第6番では、第3楽章のしっかりとした構築性を経て、第4楽章の序奏に当たる深遠なアダージョに移る過程が、すでに後期のベートーヴェン像を示唆しており、幽玄な雰囲気を醸し出している。「速さ」が特に凄みを見せるのは、第9番の終楽章や第11番の第1楽章であろう。第11番は、疾風と称したい勢いの中で、細やかなアクセントが取り交わされ、きわめて濃密な音楽が表現されており、見事の一語だ。ベートーヴェンの音楽でしばしば形容される「精神性」と称されるものが演奏を通じて表れていることを強く感じる。
 私がベートーヴェンの数ある名曲の中でも最高傑作だと思う第14番は、レガート表現の扱いの巧みさによって、全体の流れがすみやかでかつ引き締まったものとなっており、その結果、中間部に重ねられる内省的な色味が相応しい格調を感じさせて素晴らしい。この名品にふわさしいアプローチだと思う。
 第7番も彼らの特徴が色濃く表れている。特に中間2楽章が出色で、第2楽章は時に敢えて粗削りな音を演出しながら、激しく曲想の内奥に切れ込むような演出が激しい。またそれに続く第3楽章は痛切さと緊迫感があいまって、ベートーヴェンが書いた緩徐楽章の一つの究極とでも言える芸術的示唆が、深く描き出されている。
 第10番では、タカーチ四重奏団の調和的な名演と比べると、はるかにエッジの利いた表現を多用し、聴き手によっては、必要以上に荒立っている感もあるかもしれないが、その力強さは音楽的に吟味されたもので、エネルギーに溢れている。第15番の緩徐楽章における祈りは感情的な膨らみをもって描かれ、第16番のスケルツォは、この楽章の新規性を強調した積極性に貫かれている。
 また、第1番や第4番のような初期の名作においても、フレーズに込められた情感を美しいアヤで織り込んだ深みがあり、中後期の作品群に劣らない聴き味の豊かさが醸成されている。第5番の第3楽章のスケールの大きな楽器間の交換の様は、その後のベートーヴェンの足跡を知る私たちには、とても説得力のある表現として感じられるだろう。
 全体的に、合奏音の力強さは言うまでもない見事さであるが、一方で各楽器のソロ・パートにおいてはレガートの扱いが綿密に設計されており、その結果、ソロ・パートが全体の起伏の滑らかさを意識させ、合奏音がきわめて強い表出性で、音楽の意志を伝える。その演出は、彼らのベートーヴェンにおいて、一貫性あるものとして感じ取られる。当録音の個性的な面とも言えるだろう。必要な個所では存分に鋭利さを発揮する弦の艶やかな響き。その響きがもたらす強靭な劇性に、ベートーヴェンの刻印を感じさせる。4人の独奏者は、互いの主張を弱めることなく、しかし一つの表現形に基づいた意志を統一させ、緊密性の高い音楽をドラマティックに解き放っている。
 初期、中期、後期、いずれの楽曲においても、ベートーヴェンの芸術にふさわしい恰幅と厳しさをもって奏でられる。名演だ。

弦楽四重奏曲 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 第6番
東京四重奏団

レビュー日:2006.1.22
★★★★★ 東京四重奏団2度目の全集から・・作品18の6曲は万全の名演です
 東京四重奏団による2度目のベートーヴェン弦楽四重奏曲全集シリーズ中の第2弾。今回は作品18の6曲(第1番~第6番)が収録された。録音は2006年から2007年にかけて行われている。
 これら6曲の弦楽四重奏曲は1798年から1800年に作曲されている。これらの作品を一つの作品番号でまとめて発表するところにベートーヴェンの意欲が現れていると思う。実際ベートーヴェンは第9交響曲の完成後、このジャンルに大きな力を注いだのは周知の事実である。モーツァルトら先人の作風を意識しながら、すでにベートーヴェンはこのジャンルに確固たる個性を表出している。第1番と第4番は特に溢れるメロディの宝庫であり、広く親しまれているといっていいだろう。
 東京四重奏団はRCAレーベルに80年代末から90年代初めにかけてこれらの曲を録音していた。そちらも素晴らしい演奏であったが、今回も見事な録音だと思う。音色はややソリッドになった印象だが、音楽の切り口が鮮やかで、クリアな輪郭とともにことに中域音の暖かい音色が演奏の特徴を際立たせている。例えば第5番の第3楽章の低弦の提示から始まるカノン風の楽想から展開し、第4楽章へと流れていくところなど多彩な表情を楽しめる。第1番では終始しなやかに楽想が受け継がれ、淀みのないきわめて心地よい流麗さがある。第4番は作品18の中では唯一の短調の曲だが、描かれる悲しみの表現は気高い美しさを保っている。また全般に音楽自体の持つ深みも十分に味わわせてくれる。前回録音の「ラズモフスキー」の3曲を上回る名演だと思う。

弦楽四重奏曲 第1番 第2番 第4番 第6番 第9番「ラズモフスキー 第3番」 第11番「セリオーソ」 第12番 第14番
ベルチャ四重奏団

レビュー日:2020.9.7
★★★★★ 艶やかで強靭。速くて濃密。ベルチャ四重奏団のベートーヴェン
 ベルチャ四重奏団(Belcea Quartet)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)弦楽四重奏曲集。全集の第1巻に相当する当アルバムは、CD4枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) 弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 op.18-6
2) 弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 op.127
【CD2】
3) 弦楽四重奏曲 第2番 ト長調 op.18-2
4) 弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 op.59-3 「ラズモフスキー第3番」
【CD3】
5) 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95 「セリオーソ」
6) 弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 op.131
【CD4】
7) 弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 op.18-1
8) 弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 op.18-4
 2011年の録音。同時期にライヴ収録された映像メディアも入手可能であるが、当盤はセッション録音によるもの。
 録音時のベルチャ四重奏団のメンバーは以下の通り。
 コリーナ・ベルチャ=フィッシャー(Corina Belcea-Fisher 1975-) ;第1ヴァイオリン
 アクセル・シャッハー(Axel Schacher 1981-) ;第2ヴァイオリン
 クシシュトフ・ホジェルスキ(Krzysztof Chorzelski 1971-) ;ヴィオラ
 アントワーヌ・ルデルラン(Antoine Lederlin 1975-) ;チェロ
 ベルチャ四重奏団は、多国籍な団員という一面を持つが、何度かメンバーの入れ替えを経た録音時も、ベルチャがルーマニア、シャッハーがスイス、ホジェルスキがポーランド、ルデルランがフランス、と相変わらず多彩な顔触れである。
 彼らのベートーヴェンは、果敢だ。強弱のダイナミクス、そしてフレージングの劇的な扱いとともに、時にかなり早いテンポを選び、緊迫したドラマを内包する。また、中間楽章のうち、緩徐楽章ではない方(通常メヌエットやスケルツォ)の楽章に、深刻な諸相を感じさせることも、彼らの演奏の特徴の一つであろう。
 第6番では、第3楽章のしっかりとした構築性を経て、第4楽章の序奏に当たる深遠なアダージョに移る過程が、すでに後期のベートーヴェン像を示唆しており、幽玄な雰囲気を醸し出している。「速さ」が特に凄みを見せるのは、第9番の終楽章や第11番の第1楽章であろう。第11番は、疾風と称したい勢いの中で、細やかなアクセントが取り交わされ、きわめて濃密な音楽が表現されており、見事の一語だ。ベートーヴェンの音楽でしばしば形容される「精神性」と称されるものが演奏を通じて表れていることを強く感じる。
 私がベートーヴェンの数ある名曲の中でも最高傑作だと思う第14番は、レガート表現の扱いの巧みさによって、全体の流れがすみやかでかつ引き締まったものとなっており、その結果、中間部に重ねられる内省的な色味が相応しい格調を感じさせて素晴らしい。この名品にふわさしいアプローチだと思う。
 また、第1番や第4番のような初期の名作においても、フレーズに込められた情感を美しいアヤで織り込んだ深みがあり、中後期の作品群に劣らない聴き味の豊かさが醸成されている。
 合奏音の力強さは圧巻であるが、一方で各楽器のソロ・パートにおいてはレガートの扱いが綿密に設計されており、その結果、ソロ・パートが全体の起伏の滑らかさを意識させ、合奏音がきわめて強い表出性で、音楽の意志を伝える。その演出は、彼らのベートーヴェンにおいて、一貫性あるものとして感じ取られる。当録音の個性的な面とも言えるだろう。必要な個所では存分に鋭利さを発揮する弦の艶やかな響き。その響きがもたらす強靭な劇性に、ベートーヴェンの刻印を感じさせる。名演だ。

弦楽四重奏曲 第1番 第12番
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.11.5
★★★★★ アルテミスのベートーヴェン・シリーズ、充実の第6弾になります。
 1998年に開始されたアルテミス弦楽四重奏団によるvirginレーベルへのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)・シリーズの第6弾。途中2人のメンバー交代を挟みながら、十分な内容を維持していて、本盤は2010年に録音された以下の2曲を収録。
1) 弦楽四重奏曲 第1番 ヘ長調 op18-1
2) 弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 op.127
 4人の奏者は、第1ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)、第2ヴァイオリンがグレゴール・ジークル(Gregor Sigl 1976-)、ヴィオラがフリーデマン・ヴァイグル(Friedemann Weigle 1958-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)。2010年の録音。
 質の高い全集の進行を感じさせる充実の1枚。アルテミス弦楽四重奏団の特徴である「精緻で正確な響き」と「豊かな音量」が全編に渡って横溢している。第1番は初期、第12番は後期の作品であり、両曲間で様式性や構造学的意図は異なっているが、これら2つの曲は、いずれも明朗で、健康的な印象をもたらす点で共通項があり、アルテミスの演奏は、そういった特徴を実に伸びやかに表現している。
 第1番はすでに将来のベートーヴェンの飛躍を感じさせる作品だと思う。特に前半2楽章。第1楽章で扱われる簡素な主題は、対位法的な展開のしやすさ、処理の多様さを予感させ、ソナタ形式に素晴らしい順応を見せる。私は、この曲を聴くと、初期のソナタ形式の様式美やそのために発案された快活な主題から、ピアノ・ソナタ第1番を思い起こす。どちらも、ベートーヴェンの天才性が早くも現れた名曲だ。ことに弦楽四重奏曲第1番では、第2楽章の充実が素晴らしい。のちの、ラズモフスキー3部作での飛躍を思わせる規模の大きい緩徐楽章であり、従来の弦楽四重奏曲が内包していなかった価値を提示している。アルテミスの演奏は、明快な処理で、そのフレージングや対位法的展開を、一点の曇りもなくやってのけ、かつ適度なスピード感と豊穣な音量で、相応し恰幅をもって描いている。特に第2楽章のスケール感は、このような演奏で聴いたとき、いよいよ大きい喜びをもって味わえるだろう。
 第12番は、後期のベートーヴェンとしてはライトな作風であるが、アルテミスの溌剌とした音色、他の奏者の音を慎重に引き継ぐ周到性により、フレッシュな響きを常に聴かせてくれる演奏になっている。冒頭の和音の強弱の見事なバランスと、音色の絶対的な美観、その輝きは、すでにその時点でこの演奏が成功することを物語っているよう。
 また、本盤の録音は、シリーズ中でも特に優れていると感じられる出来栄えで、楽器の本来的なソノリティーや、踏み込んだ表現の微妙な色合いなどが細やかに再現されている点も強調したい。
 シリーズ中でも、特に優れた出来栄えを感じさせる1枚となった。

弦楽四重奏曲 第2番 第9番「ラズモフスキー 第3番」 第14番 第15番
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.10.24
★★★★★ 聴き味さわやかで、コントロールの効いたフレッシュな演奏
 アルテミス弦楽四重奏団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の弦楽四重奏曲集で、シリーズ中で最初に録音された4曲が収められたアルバム。収録内容は以下の通り。
【CD1】 1998年録音
1) 弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 op.59-3「ラズモフスキー第3番」
2) 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132
【CD2】 2002年録音
3) 弦楽四重奏曲 第2番 ハ長調 op.18-2
4) 弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 op.131
 発売当時、【CD1】のみの内容のものが欧州の既発売盤として、日本でも流通があったのだが、アメリカでは当該品の発売がなかったこともあり、【CD2】の収録が済んでから、改めて当セットの形で発売されたという経緯。【CD2】のみの形で発売されているものがないため、【CD1】をすでに所有している人には、不親切な販売形態と言える。
 アルテミス弦楽四重奏団は、このベートーヴェンの全集の作成中にもメンバーの交代があったので、参考までに当録音時の団員を記載する。1),2),4)は第1ヴァイオリンがハイメ・ミュラー(Heime Muller 1970-)、第2ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)、ヴィオラがフォルカー・ヤコプセン(Volker Jacobsen 1974-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)。3)のみ第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが入れ替わっている。
 高い技術と合奏の精度を誇り、エレガントで洗練されたベートーヴェンとなっている。【CD1】の内容は、当該アイテムのレビューにも記載させていただいたが、客観性の貫かれたスタイルで、普遍性の高い解釈で貫かれている一方で、第15番では、適度なゆとりを設けて、柔らかな暖かさを湛えた演奏となっていると思う。
 【CD2】では、第2番がやはり模範的名演といったところ。この作品は「挨拶」というニックネームもあるが、このニックネームの通り、作曲の師であるハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)を思わせる古典的均衡感を典型的に備えている。そういった作品に、アルテミスのアプローチはとてもよく馴染む。この演奏は、第2弦楽四重奏曲が「ハイドンの延長線上」にあるという価値観を疑うことなく、そのことをまっすぐに表現したものに思われる。速いテンポの楽章の明朗な抒情性の発露、健康的で溌剌とした楽器間の受け渡しなど、とにかく自然体で、美しい。いわゆる古典芸術の「快活」、「静穏」、「優美」の3つの要素を端的に示した感じ。
 これと晩年の哲学的ともいえる不滅の大傑作第14番を組み合わせているのが凄い。まさに「両極端」だ。この7つの楽章を持つ(と考えられる)音楽は、様々な音楽的解釈の方法を試みることができる。アルテミスのアプローチは、ここでも自然体でしなやかなもの。特に後期の深淵な作品だからといって気負った風もなく、もっとも負荷のかからない運動力学に従順な方法で音楽を奏でている。ただし、音量は大きく、しなやかでありながら、ダイナミックな活力も持っている。第5楽章に相当するプレスト部分の鮮やかな乾いたピチカートも、第6楽章の暗示的なアダージョも、間合いは柔らかで、聴き手に音色を楽しむ余裕を提示している。さらに、力強い、弦楽四重奏というジャンルより、やや骨太な響きを味わうことが出来る。繊細かつ雄大で、音楽の裾野の大きさを感じさせる。
 一方で、第15番の例えば第3楽章でも感じられるように、これらの音楽により瞑想的な深みや、啓示的な影を聴き取りたいという場合、このアルテミスの演奏には、一種の物足りなさを感じることがあるかもしれない。
 しかし、ここで聴く解釈は、普遍的であり、楽曲のスタイルが明瞭にわかるという点で優れているので、彼らの意図は十分に達成されたと思える。また、楽器のバランスの緊密なコントロールは、全体の響きに豊かな幅を与えているので、聴いていて決して軽薄な感じになることはない。その質感が、本演奏の特徴だと思う。

弦楽四重奏曲 第3番 第5番 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第8番「ラズモフスキー 第2番」 第10番「ハープ」 第13番 第15番 第16番 大フーガ
ベルチャ四重奏団

レビュー日:2020.9.8
★★★★★ 意欲的な表現性に貫かれたベルチャ四重奏団のベートーヴェン
 ベルチャ四重奏団(Belcea Quartet)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)弦楽四重奏曲集。全集の第2巻に相当する当アルバムは、CD4枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) 弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 op.18-3
2) 弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 op.18-5
3) 大フーガ変ロ長調 op.133
【CD2】
4) 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1 「ラズモフスキー 第1番」
5) 弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 op.59-2 「ラズモフスキー 第2番」
【CD3】
6) 弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 op.74 「ハープ」
7) 弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 op.130
【CD4】
8) 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132
9) 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135
 2012年の録音。同時期にライヴ収録された映像メディアも入手可能であるが、当盤はセッション録音によるもの。
 録音時のベルチャ四重奏団のメンバーは以下の通り。
 コリーナ・ベルチャ=フィッシャー(Corina Belcea-Fisher 1975-) ;第1ヴァイオリン
 アクセル・シャッハー(Axel Schacher 1981-) ;第2ヴァイオリン
 クシシュトフ・ホジェルスキ(Krzysztof Chorzelski 1971-) ;ヴィオラ
 アントワーヌ・ルデルラン(Antoine Lederlin 1975-) ;チェロ
 ベルチャ四重奏団は、多国籍な団員という一面を持つが、何度かメンバーの入れ替えを経た録音時も、ベルチャがルーマニア、シャッハーがスイス、ホジェルスキがポーランド、ルデルランがフランス、と相変わらず多彩な顔触れである。
 強く、美しく、そして苛烈さも交えて描かれたベートーヴェンである。
 彼らのスタイルの特徴が強く出た1曲が、第7番だと思う。特に中間2楽章が出色で、第2楽章は時に敢えて粗削りな音を演出しながら、激しく曲想の内奥に切れ込むような演出が激しい。またそれに続く第3楽章は痛切さと緊迫感があいまって、ベートーヴェンが書いた緩徐楽章の一つの究極とでも言える芸術的示唆が、深く描き出されている。
 4人の独奏者は、互いの主張を弱めることなく、しかし一つの表現形に基づいた意志を統一させ、緊密性の高い音楽をドラマティックに解き放っており、その熱量は圧巻である。
 第10番では、タカーチ四重奏団の調和的な名演と比べると、はるかにエッジの利いた表現を多用し、聴き手によっては、必要以上に荒立っている感もあるかもしれないが、その力強さは音楽的に吟味されたもので、エネルギーに溢れている。第15番の緩徐楽章における祈りは感情的な膨らみをもって描かれ、第16番のスケルツォは、この楽章の新規性を強調した積極性に貫かれている。
 初期の曲にも中後期のような重厚感がもたらされているのもベルチャ四重奏団の演奏の特徴の一つ。第5番の第3楽章のスケールの大きな楽器間の交換の様は、その後のベートーヴェンの足跡を知る私たちには、とても説得力のある表現として感じられるだろう。
 初期、中期、後期、いずれの楽曲においても、ベートーヴェンの芸術にふさわしい恰幅と厳しさをもって奏でられる。

弦楽四重奏曲 第3番 第5番 第16番
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.11.5
★★★★★ 第5弦楽四重奏に潜むロマン性を高らかに歌い上げたアルテミス
 ドイツのアルテミス四重奏団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のシリーズで、2010年から2011年にかけて録音された。シリーズ第7弾に当たるもの。3曲を収録。当盤に収録されたのは以下の3曲。
1) 弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 op18-5
2) 弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 op.18-3
3) 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135
 この時点で、残すのは第10番「ハープ」のみとなっていた。
 ちなみに、録音時のメンバーは、ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)とグレゴール・ジークル(Gregor Sigl 1976-)、ヴィオラがフリーデマン・ヴァイグル(Friedemann Weigle 1958-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)。この弦楽四重奏団の特徴として、曲によって第1ヴァイオリン奏者が交代しており、ここでは、第3番及び第5番ではプリシェペンコが、第16番ではジークルが担当している。
 アルテミス弦楽四重奏団のベートーヴェンはどれも素晴らしいと思うが、これも聴き逃せない一枚。特に第5番が素晴らしい。そもそも私は第5番という曲が好きで、ベートーヴェンの初期の6曲の中では抜群に好き。次いで第1番だろうか。第5番には若きベートーヴェンの瑞々しい感性と、将来のロマン派への橋渡しとなった偉大な中後期作品群を予感させる様々な要素が含まれている。
 そして、アルテミス弦楽四重奏団の演奏が、たいへん見事。この第5番の懐の深さを、実に大きなスケール感で描いていて、「この曲はこうでなくちゃ」と思わせる演奏である。特に強調したいのが第3楽章。従来の弦楽四重奏にはないような、複層的とも言える「中間楽章」であるが、この叙事詩的とも言える楽章を、情感豊かに、きわめてきめ細かく、かつ暖かな音色で仕上げている。音の精密さもさることながら、音楽的な息遣いの通った表現、肌合いの良いアアコースティックな音色で、入念に織り上げられた音楽だ。この楽章の中間部を聴いていると、私はワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の「ニーベルングの指輪」の第2夜、ジークフリートの森のシーンを想起してしまう。この音楽はロマン派の深い森の描写に通じているように思えてならない。
 第5番だけでなく、他の2曲も優れた演奏。ベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲である第16番、再びシンプルな4楽章構成に戻ったベートーヴェンが書いた「シンプルだけど極限まで深い緩徐楽章」。アルテミスの透徹したアンサンブルは、陽光のような暖かさとともに、不思議な懐かしさに作用する情緒に満ちていて、感動を呼び起こす。
 初期、後期のいずれの作品にも、理想的といえるアプローチを繰り広げた、素晴らしいベートーヴェンの記録となっている。

弦楽四重奏曲 第4番 第8番「ラズモフスキー 第2番」
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.10.29
★★★★★ 2人のメンバー交代を経ても、継続して獲得されたアルテミスの音を実感
 アルテミス四重奏団によるvirginレーベルへのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)シリーズの第4弾となる。2008年の録音で、以下の2曲が収録されている。
1) 弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 op.59-2「ラズモフスキー第2番」
2) 弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 op.18-4
 当シリーズの第4弾と書いたが、op.59-1とop.95を収録した第3弾が2005年の録音であったため、前作から3年間のインターバルがあることになる。この間にアルテミス弦楽四重奏団はヴァイオリンとヴィオラのメンバーを代えている。本録音収録時は、ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)とグレゴール・ジークル(Gregor Sigl 1976-)、ヴィオラがフリーデマン・ヴァイグル(Friedemann Weigle 1958-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)というメンバー。新たにジークルとヴァイグルが加わったことになる。
 また、第8番ではプリシェペンコ、第4番ではジークルが第1ヴァイオリンというように、曲によって第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを変えている。
 私は2005年録音の「ラズモフスキー 第1番(op.59-1)」が大好きだったので、何ゆえのメンバー交代なのか分からなかった(しかも、ベートーヴェンのシリーズ中である!)のだが、本録音を聴いてみると、改めて高品質な演奏が得られており、なるほど、メンバー交代を機にじっくりとインターバルを設けて録音しただけのことはある、と妙に感心した。
 第1ヴァイオリンが曲によって交代するというのは、エマーソン弦楽四重奏団がよくやっていた。それで、実際、アルテミスの演奏にも、エマーソン的な精緻なメカニズムを感じさせるところが多くある。ただ、エマーソンの方がもっと徹底していたように思う。一方でアルテミスは、自然で大らかな歌の内発性を重視しているように感じる。それでは、アルテミスの方が自由な演奏なのか?と考えると、一面ではそう思う。しかし、「多くの精神は、まず制約を感じたときに初めて自由に動き出す」というシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の言葉にあるように、彼らの演奏からは、精緻な正確さを貫き通した上で、はじめて湧き出してくるようなアコースティックな豊かさを感じるのである。これが、この四重奏団の音色である。
 第8番では、適度な速さを感じさせるテンポを維持していて、特に終楽章など疾走感があるが、感情的な表現が適度に挿入されていて、ほどよい情緒が漂っている。初期の6曲の中で唯一短調で書かれた第4番も、作品が持つロマン的な要素を十分に拾いながら、ほどよい前進性に満ち、聴き手を飽きさせることがない。実に上質な仕上がりを感じさせる。また、メンバーが交代しても、この四重奏団らしい響きの大きさ、音の雄大さは、継続されており、ベートーヴェンによってもたらされた当該ジャンルのスケール・アップに相応しいヴォリューム感で、楽曲を奏でている。
 2人のメンバー交代を経ながら、継続して、アルテミスらしさを表出することが出来た、見事なベートーヴェンとなっている。

弦楽四重奏曲 第6番 第13番 大フーガ
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.10.28
★★★★★ 高い技術で調和に満たされたベートーヴェン
 アルテミス弦楽四重奏団によるvirginレーベルへのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)シリーズの第5弾となる。2009年の録音で、以下の3曲が収録されている。
1) 弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 op.18-6
2) 弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 op.130
3) 大フーガ op.133
 ただし、本盤では、初演後に、ベートーヴェンが弦楽四重奏曲第13番の終楽章として(しぶしぶ)「差し替えた」アレグロを収録していない。つまり、大フーガを、ベートーヴェン本来の意図通りに「弦楽四重奏曲第13番の終楽章」として演奏・録音したものということになる。
 また、本アルバムでは、弦楽四重奏曲第6番の終楽章の「憂鬱」と名付けられた序奏部分に、「一つの楽章」としてトラックナンバーを与え、前半の“La Malinconia. Adagio - Attacca 3:21”を第4楽章、後半の“Allegretto Quasi Allegro 4:31”を第5楽章として編集している。
 録音時のメンバーは、第1ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)、第2ヴァイオリンがグレゴール・ジークル(Gregor Sigl 1976-)、ヴィオラがフリーデマン・ヴァイグル(Friedemann Weigle 1958-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)。
 演奏は、現代的な洗練美の極を行くもので、きわめて緻密な音量のバランスを保ちながら、自然発生的なおおらかさを歌いあげたもの。彼らのベートーヴェン・シリーズは、特に作曲年代にこだわらずに、本アルバムでも初期の第6番と後期の第13番を一緒にしているが、初期の作品のスタイルにより適合するように思われる。当盤でも第6番について問題を指摘する人はほとんどいないように思う。第2楽章に聴かれるゆとりのある明朗な自然美の姿は、私には例えばハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の晩年の交響曲の緩徐楽章を思わせるもの。両端楽章は、のちのベートーヴェンの威風ある作品の端緒を示すが、アルテミスの演奏は、そのような含みをことさら取り合えげることはせず、ひたすら純音楽的な整合性が求められ、調和的である。ほのかに甘い音色が添えられるところはあるが、全体的には古典的上品さをまとっていて、この楽曲にふさわしい主張だと感じられる。
 第13番でもアルテミスのアプローチに大きな変化はない。これことは、私には前述の、あえて初期と後期の作品を一枚にまとめて録音するという意志と共通するものを感じさせるもので、アルテミスは、この方法により、一貫した普遍的な解釈をベートーヴェンに適用しようとしている。しかも、シリーズ当初のメンバーからヴァイオリン一人とヴィオラが交代していることにより、より節度感が高まっているようにも思われる。この曲でも、内省的な堀り下げは、精緻で厳密なバランスを徹底することにより行われ、突発的に外に向く力というものは、あまり発見されないが、その代わりに全体的な音量が豊かで、響きがしっかりしているため、単に「なだらかな音楽」というより、ちょっとした交響曲を聴くようなスケール感がある。この音の大きさによる聴き味を増す効果は、初期作品より後期作品で強められているようだ。この均質で雄大な美しさを見ることは容易で、例えば第5楽章の「カヴァティーナ」なんかは、神々しいほどである。
 終楽章の「大フーガ」はどうだろう。古今から幾多の音楽家を悩ませた難解な作品。不協和な処理や、リズムの不一致を意図的に要求するこの異様な音楽に対し、アルテミスはやはり基本的には均質化により対応している。楽器たちは、鋭い対立を避け、融合を目指す。もちろん楽譜にはひたすら従順さを示しているが、音の質としての方向性は常に調和と感じられる。もちろん、前述の音量の豊かさは維持されているため、そういった点では、音楽が前のめりになって、こちらに迫ってくるような印象も受け取る。それの結果、私には「とても聴き易い」大フーガとなっている。古今の音楽家たちを悩ませてきた攻撃的、前衛的な側面は、適度に表面を整えられ、正確に奏でられることによって、本来あるべき姿に近いものになっていると感じられる。
 アルテミスのアプローチは、種々の技術的困難さを、高度な技巧で乗り越えて、ついに獲得したものであり、現代のベートーヴェン演奏を代表する一つのスタイルとして模範的なものになっている。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第8番「ラズモフスキー 第2番」
エベーヌ四重奏団

レビュー日:2022.6.30
★★★★☆ 濃厚な情感を湛えた、エベーヌ四重奏団によるベートーヴェン
 1999年にフランスで結成されたエベーヌ四重奏団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の下記の2作品を収録したアルバム。
1) 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1 「ラズモフスキー 第1番」
2) 弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 op.59-2 「ラズモフスキー 第2番」
 2019年の録音。
 録音時のエベーヌ四重奏団の顔ぶれは、以下の通り。
 ピエール・コロンベ(Pierre Colombet 1979-) 第1ヴァイオリン
 ガブリエル・ル・マガデュール(Gabriel Le Magadure) 第2ヴァイオリン
 マリー・シレム(Marie Chilemme 1988-) ヴィオラ
 ラファエル・メルラン(Raphael Merlin) チェロ
 このエベーヌ四重奏団の団員の略歴を見てみると、なかなか面白い。第1ヴァイオリンのコロンベと第2ヴァイオリンのマガデュールは、それぞれ、ブローニュ=ビヤンクール地方音楽院でジャズ・ドラムを専攻し、チェロのメルランは、ジャズ・ピアノを専攻していたとのこと。彼ら3人は、ジャンルも楽器も異なる分野で、研さんを積んできたと言う。それが、異なる楽器、ジャンルにおいて、しかも弦楽四重奏曲というアンサンブルの緻密さにおいて特に高度なものが求められる世界で、すでにたいへんな名声を築き上げたわけだから、恐れ入る。
 さて、それでは当盤の演奏についてだが、私個人の感想としては、とにかく感情表現豊かで、振幅の大きな演奏だ、と言うに尽きる。私の場合、最近、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲と言うと、アルテミス弦楽四重奏団やベルチャ四重奏団の全集をよく聴くから、必然的に、それらとの感覚的な差異にもっとも敏感になってしまうのだけれど、その感覚で言うと、とにかく情感たっぷりで、曲想によって、大きくギアチェンジして進む。
 だから、第7番の第3楽章なんて、本当に「泣かせ節」といった感じで、本当に切々とこみ上げるものを歌い上げた感があるし、第8番の第2楽章も、たっぷりとした濃い郷愁が漂う響きだ。これらの特徴は、最近の主流と言える、インテンポで品よくこなす演奏とは、大いに一線を画している感がある。そういう演奏であっても、俗な感じがせず、つねに感覚的な鋭さを感じさせるところもあって、例えば、第8番の第2楽章から第4楽章にかけての、楽章感のつながりの良さなど、こういうタイプの演奏にかかわらず、聴き手の腑に落ちる説得性がある。また、第7番第1楽章の溌溂とした闊歩も、とにかく積極的な響きで、楽しい。
 ただ、私が当演奏で気になるのは、高音で、ややキツイ尖った音がしばしば用いられる点で、その結果、ダイナミックレンジは広がった感があるが、私は、絶対的な音の傾向として、弦楽器の高音域の響きについては、当盤で聴かれるものより、柔らかなものを好むので、全般にその点が没入感を妨げたのだが、当然の事ながら、聴き手の嗜好性によって、左右されるところであるし、音楽自体が充実した立派なものであることは、間違いないだろう。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第8番「ラズモフスキー 第2番」 第9番「ラズモフスキー 第3番」
東京四重奏団

レビュー日:2006.1.22
★★★★★ ハルモニア・ムンディから東京Qによる新全集スタート!
 東京四重奏団によるベートーヴェンの新全集がハルモニア・ムンディからスタートした。第一弾となる今回は中期の傑作第7番~第9番のいわゆる“ラズモフスキー”3曲だ。ロシア貴族であるラズモフスキー候に献呈された有名な3曲セットで、第7番と第8番ではロシア民謡の主題を巧みにフューチャーしている作品。まさに傑作の森の中核だ。
 前回のRCAからリリースされた全集は、室内楽的な暖かみと、高級なブレンディ感に溢れたものだったが、今回の録音を聴くとそれが純化されて、より特化された印象を持った。録音のせいか、前回より響きはやや硬質に感じるが、技術の高度さからか音のキレが鮮明で、歯切れ余よい歌に満ちている。
 第7番の冒頭はリズミックな中から第1主題が提示されるところなど、より鮮明さを増しており、くっきりとした濃淡が出ている。もちろん楽団員の一糸乱れぬ呼吸はさすがで、内的な緊迫感は高い。第8番のように幾分内省的な作品では、深い思索的な雰囲気が漂う。この内省的でやや寂寞とした色合いも出すところは、前回の録音よりやや冷たい響きになった印象を与える。華やかな第9番でも、至極穏当で中庸なテンポを守りながら、部分部分でキレのいい縦揃いのきれいな響きを聴かせてくれる。
 もちろん、十二分にベートーヴェンらしさの主張された録音となっており、今後のシリーズ展開が期待されよう。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第8番「ラズモフスキー 第2番」 第9番「ラズモフスキー 第3番」 第10番「ハープ」 第11番「セリオーソ」
東京四重奏団

レビュー日:2009.11.27
★★★★★ 芯のある柔軟さ。木目調の響きが美しい名演。
 東京四重奏団によるベートーヴェンの中期弦楽四重奏曲5曲を収録したもの。録音は1989年から90年にかけて。東京四重奏団は2005年にハルモニアムンディから第7番から第9番までのラズモフスキー3部作をリリースしているので、このRCA盤は旧録音という立ち居地になる。
 ベートーヴェンの作風の遍歴を、ある作品群から見たとき、「ピアノ・ソナタ」とともに面白く、興味をかき立てられるのが「弦楽四重奏曲」群である。第1番から第6番の6曲が初期、第7番から第11番の5曲が中期、第12番から第16番(と大フーガ)の5曲(+1)が後期と見事に「均等割り」になるのも面白い。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴き始めるなら、やはりいかにも脂の乗り切った中期からというのが最善だろう。私は、最初に第9番を聴き、室内楽という言葉から大きくかけ離れたスケール感に感服した。ピアノ・ソナタでは表現が難しく消化しきれない楽想や展開を、存分に含んでいるだけでなく、弦楽四重奏という編成のパフォーマンスを究極まで引き出そうという天才ベートーヴェンの意気込みがストレートに伝わってくる。
 この東京四重奏団の演奏は、古典的な典雅さと現代的な精緻さを併せ持った、きわめてレベルの高いものだ。例えば第7番の冒頭。かつて「弦楽四重奏曲」というジャンルでは聴かれなかったほどの展開を予感させる第1主題の提示のさりげなさ。なんとも成熟を感じさせる。その「成熟」は伴奏楽器の一つ一つの音色の幅の適切さと、健やかなテンポ、そして歌い過ぎない抑制の効いた主題を奏でる楽器のアンサンブルからもたらされる印象である。
 第11番「セリオーソ」も人気曲だ。全楽章がコンパクトにまとまって、迫真の音楽というに相応しい。ここでも東京四重奏団は木目調ともいえるやや柔らかめの音色を主体としながら、巧みに鋭角的な表現を完成させている。まさしく近代の弦楽四重奏団の1つの完成形を提示したと言える。第10番「ハープ」でも、ことさらピチカートのフレーズを強調るわけではない独特のゆとりが音楽を伸びやかにしていて、それが私にはとても耳障り良く響く。
 アルバンベルクの名演と比べると、アルバンベルクの「剛」に対し、こちらは「柔」というイメージ。しかしきちんと芯の通った高質の「柔」である。これらの弦楽器が、木からできていることを改めて認識するような自然な音色が得がたい魅力である。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第8番「ラズモフスキー 第2番」 第9番「ラズモフスキー 第3番」 第10番「ハープ」
タカーチ四重奏団

レビュー日:2005.1.15
★★★★★ 刷新たるベートーヴェン
 メンバーの交代等により一時期録音活動も停滞気味だったタカーチ弦楽四重奏団であるが、ここにきて、いよいよその真価をしらしめるベートーヴェン全集の登場となった。
 これは中期の作品をまとめたもので、第7番「ラズモフスキー第1番」、第8番「ラズモフスキー第2番」、第9番「ラズモフスキー第3番」、第10番「ハープ」の4曲が収録されている。通常、ベートーヴェンの中期と言えば、これに第11番「セリオーソ」が加わるのだが、タカーチの場合、これは後期に収められている。
 タカーチの演奏は従来潤いある音楽表現としなやかな弦の運びによる明朗な歌謡性に特徴があった。ロンドンレーベルに録音されたハイドンの「エルディーテ・セット」など代表的な例だろう。これも筆者お気に入りの録音だ。
 しかし、ここに来てベートーヴェンに必要なソロプレイヤーの意思の確立性が得られてきたようだ。やはりベートーヴェンというきわめて個性的な作曲家の作品にたちむかうには、それなりの背景が必要なのだろう。
 その結果、ここに聴かれるベートーヴェンは、テンポは全般に速めだが、もちろん音楽の枠をはみ出るようなオーバードライヴな一切なく、美しく整ったフォルムでまとめられている。歌もきわめて上品でいい意味で常識的であり、かつ知的洗練で厚みよりも出ていると感じられる。
 中でも最高の美演となっているのがゴダールの映画「恋人のいる時間」で2楽章が用いられた「ハープ」だと思える。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第9番「ラズモフスキー 第3番」
上海クァルテット

レビュー日:2011.3.28
★★★★★ 上海クワァルテットの素晴らしいベートーヴェンを是非聴いてみてください!
 世の中、どんな人にだって「先入観」というのはあるだろう。わけもなく持っているものもあるし、一方的な情報ばかりを摂取した結果、形成された場合もあるだろう。もちろん、「先入観」などあって当たり前だとも思うけれど、たまに明らかな形でその先入観が「思い違い」に過ぎなかったことを知らされたとき、なんとも気恥ずかしい気持ちになるものである。
 今回ご紹介するのは、私の恥ずかしい「先入観」例。「上海クァルテットの名前は知っていたが、正直なところ、今まで、聴く対象とは考えてこなかった。」上記の先入観の理由;中国の室内楽団がヨーロッパ音楽の真髄中の真髄といえる弦楽四重奏曲のジャンルで、優れた演奏を披露するとは想像していなかった・・・。
 ここまで書けば自明の通り、この上海クァルテット、実に素晴らしい演奏家集団である。ヨーロッパでもこのレベルの演奏、このレベルのベートーヴェンを聴かせてくれる弦楽四重奏団はそう多くはないに違いない。
 メンバーはヴァイオリンが1964年上海生まれのウェイガン・リ(Weigang Li)と1963年北京生まれのイーウェン・ジャン(Yi-Wen Jiang)。ヴィオラが1962年上海生まれのホンガン・リ(Honggang Li)でウェイガンの兄。チェロはニコラス・ツァヴァラス(Nicholas Tzavaras)。彼は1975年ハワイ生まれのアメリカ人だ。
 彼らのベートーヴェンを聴く。中でも傑作の名高い弦楽四重奏曲第7番と第9番だ。第7番の冒頭、刻むリズムから歌に満ちた第1主題が奏でられるシーン、すでに聴き手は彼らの術中にはまる。なんという包容力のあって、含蓄の豊かさを感じさせる音色だろう。音と音の間にある呼吸までもが音楽的な機能を果たし、流麗で美しい進展を繰り広げる。和声の扱いや処理も巧みの一語に尽きる。
 また、これらの楽曲はベートーヴェンのあらゆる作品の中でも常に「歌う」ことが要求される作品群だ。中途半端な歌では不足だし、歌を意識し過ぎるとアプローチが平板になって面白くない。
 上海クァルテットはそのような不備を一瞬たりとも感じさせない。ほどよい緊張感の中で健やかな歌が奏でられ、確かな精度で高い品格を感じさせてくれる。第9番の冒頭の和音も強い音だけれど、全部の楽器の調和する色合いが素晴らしい。「マホガニー色の音」とでも言おうか。ベートーヴェンの音楽の真髄に触れた、という幸福な実感を、どの瞬間でも感じさせてくれる。
 というわけで、このたびは自分の不見識な先入観をいたく恥じた次第。

弦楽四重奏曲 第7番「ラズモフスキー 第1番」 第11番「セリオーソ」
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.10.28
★★★★★ アルテミスの代表的録音に推したい「ラズモフスキー第1番」
 アルテミス弦楽四重奏団によるVirginレーベルへのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の弦楽四重奏曲シリーズの第3弾。2005年録音。以下の2曲を収録。
1) 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95「セリオーソ」
2) 弦楽四重奏曲 第7番 ヘ長調 op.59-1「ラズモフスキー第1番」
 アルテミス弦楽四重奏団は、このベートーヴェンのシリーズの進行中にもメンバーの入れ替えを行っている。参考までに当盤録音時は、以下の顔ぶれであった。ヴァイオリンがハイメ・ミュラー(Heime Muller 1970-)とナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)、ヴィオラがフォルカー・ヤコプセン(Volker Jacobsen 1974-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)。
 ちなみに、第1ヴァイオリンは第7番ではミュラー、第11番ではプリシェペンコと、両曲で奏者の入れ替えを行っている。曲によって第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの入れ替えを行うのは、エマーソン弦楽四重奏団を彷彿とさせるスタイルだ。
 演奏は大変見事なもの。ラズモフスキーの第1番は、交響曲で言えばちょうど「第3交響曲」のような存在で、ベートーヴェンがそのジャンルにおける可能性の幅を一気に広げ、従来の枠組み、既成の価値観をすべてぶっ飛ばしてしまうような圧倒的な名曲だ。4つの楽章一つ一つのキャラクターの明確さ、主題の長大さ、展開の豊富なアイデア、全てがベートーヴェンの偉大な功績の刻印そのものといった音楽。そして、アルテミスの音楽は、そんな楽曲の個性にぴったり。すなわち、音量豊かで、各楽器の表情付が豊かで、しかも対位法的なやりとりは厳格に処理を行い、楽曲の規模を適正に再現すること。
 楽器の音色自体が、木目調ともいえるアコースティックな響きであるが、たっぷりとした音の大きさ、かつ精緻で巧妙な細部の処理の双方を駆使して、このスケール壮大な弦楽四重奏曲の世界を余すことなく表現しつくしている。様々な表情を持つ第2楽章、美しい情緒が横溢する第3楽章、共に万全といっていい出来栄え。アルテミスの一つのクライマックスと言える仕事ぶりだろ思う。もちろん、両端楽章のシンフォニックな運びも素晴らしい。チェロの音色のコントロール幅も凄い。太い細いを自在にあやつり、あらゆる役割に瞬時に順応する。
 第7番が英雄交響曲なら、第11番「セリオーソ」は運命交響曲のような作品。贅肉を削ぎ落し、必要なものだけで究極的に構成された筋肉質な音楽。こちrは、アルテミスにとっては一番得意な音楽ではないかもしれないが、それでもうまく対応してまとめている。なんといっても技術が高く、アンサンブルの精度が安定しているので、まず失敗するということはない楽団だ。あとは素晴らしいベートーヴェンの名曲の「名曲性」に任せれば、すべてうまく行く。このあたりが「自然体の強み」といったところ。
 いずれにしても、間違いない名盤です。

弦楽四重奏曲 第9番「ラズモフスキー 第3番」 第15番
アルテミス四重奏団

レビュー日:2013.10.23
★★★★★ 緊密なアンサンブルですが、陽の光のような暖かみを感じます。
 1989年に結成されたドイツの弦楽四重奏団、アルテミス弦楽四重奏団による、virginレーベルへのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)シリーズ第1弾で、1998年の録音。当盤には以下の2曲が収録された。
1) 弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 op.59-3「ラズモフスキー第3番」
2) 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op.132
 この弦楽四重奏団は、何度かメンバーの入れ替えを行っているが、この録音が行われた当時のメンバーは、第1ヴァイオリンがハイメ・ミュラー(Heime Muller 1970-)、第2ヴァイオリンがナタリア・プリシェペンコ(Natalia Prischepenko 1973-)、ヴィオラがフォルカー・ヤコプセン(Volker Jacobsen 1974-)、チェロがエカルト・ルンゲ(Eckart Runge 1967-)という構成である。  以後、プリシェペンコとルンゲが、この弦楽四重奏団の核になっていく。
 ここで聴かれるアルテミス弦楽四重奏団の演奏は、高度な客観性によって保たれたものだと思う。すなわち、アンサンブルの周到なバランス、合奏音のエレガントな外形など、非常に、録音芸術らしい高い完成度をかち得ている。ラズモフスキー第3番の第1楽章冒頭の合奏音、強い開始からその直後の「音の伸び」に至るまで、4つの楽器の音の大きさの比率が非常に均一で、実になめらかな響きとなる。この特徴が全編を通じて維持されており、そのことが、「整えられた外観」といったイメージに結びついていく。
 続く第2楽章の端正な気品に満ちた歌も、容易には得難い精度がある。単純に「旋律を司る楽器が歌う」だけに留まらず、つねに他の楽器との相対的な位置付けを、かなり厳格な定義をもって、意識しているという印象。そのため、均質で常に安定した感触となる。ちょっと聴くと、プレーヤーのセルフィッシュな踏み込みなどがないため、特に個性的ではない、という印象になるかもしれないが、暖かく美しい音色が行き渡っていて、いつのまにか聴きこむような奥の深さがある。
 終楽章もインテンポで、正確に弾かれるため、適度な爽快感が獲得されていて、非常に良質な音楽を聴いているという実感がわく。
 第15番も同様のアプローチで、あらゆる観点からみて欠点の少ない、強度のある演奏と言える。白眉とも言えるのは、長大な緩徐楽章である第3楽章。この楽章は、「病の癒えから神への感謝を示した」といわれるが、この敬虔さを内包する暖かい音楽を、アルテミスはいかにも優しく描き出している。緊密なアンサンブルではあるのだが、適度なゆるみのようなものを音楽の進行に与えていて、その余裕の部分に、暖かさが「含み」として生み出されている、そういうイメージだ。
 これは、例えば、アルバン・ベルクとかラサールとかの名演とは一味違ったフレッシュな感覚で、私はとても心地よくこの音楽を聴いた。
 この弦楽四重奏団のベートーヴェンは、現代的な演奏の一つの模範を示しているように思う。

弦楽四重奏曲 第10番「ハープ」 第11番「セリオーソ」
東京四重奏団

レビュー日:2021.5.20
★★★★★ 東京四重奏団による、誠実なベートーヴェン
 東京四重奏団によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の下記の中期の2つの傑作を収録したアルバム。
1) 弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 op.74 「ハープ」
2) 弦楽四重奏曲 第11番 へ短調 op.95 「セリオーソ」
 2007年の録音。
 録音時のメンバーは下記の通り。
 第1ヴァイオリン:  マーティン・ビーヴァー(Martin Beaver 1967-)
 第2ヴァイオリン:  池田菊衛(Kikuei Ikeda 1947-)
 ヴィオラ:  磯村和英(Kazuhide Isomura 1945-)
 チェロ:  クライヴ・グリーンスミス(Clive Greensmith)
 誠実、練達といった形容が相応しい貫禄ある美演だ。
 最近に至るまで、ベートーヴェンの弦楽四重奏演奏史において、節目と言える録音をなしたのはアルバンベルク四重奏団でるが、彼らの演奏の大きな特徴の一つに圧倒的な音量があった。それは弦楽四重奏というジャンルの性格を覆すといえるほどで、まるでシンフォニーを聴くような重厚感と輝かしさがあった。現代でも、その流れの名演が数多くあり、例えばアルテミス四重奏団の録音もその代表格の一つだろう。
 他方、従来のスタイルで、内声部の精度を上げながら、全体から滲み出るような味わいを丁寧に救う演奏もあって、私見では、東京四重奏団のこの録音は、そちらのカテゴリに入る。だからハープの第1楽章の輝かしさや、セリオーソの冒頭の迫力などでは、現代の他のスーパーな弦楽四重奏団のように圧倒的なものではないのだが、その一方で、いかにも室内楽にふさわしい緊密な音の積み重ねや、細部の整合性の探求といった点で、この東京四重奏団の演奏からは、独特の深みやコクのようなものが感じられ、当然のことながら、これもまた素晴らしいベートーヴェンの解釈なのである。
 私が当演奏の素晴らしさがもっとも出ていると感じるのは、ハープの第2楽章で、そこでは、緊密に慎重に調整された内声部の質感をベースに、精妙な旋律の受け渡しがあり、ただ美しいという以上に、気高い孤高の雰囲気がたちこめていて、魅了される。音色は全般に暖かいアコースティックな味わいで、結果、全体から受ける印象は明るめである。深刻な諸相をもつセリオーソという作品であっても、東京四重奏団の演奏からは、暖かい家の中にいるような落ち着きがあり、外で寒風に吹き晒されるような感じにはならない。このあたりは、聴き手の好みで評価が分かれるかもしれないが、決して鋭い表現を欠くということではない。力みなく自然に響く風合いの中、豊かな音楽的表現が満ちており、その薫りは、とても高い。

弦楽四重奏曲 第11番「セリオーソ」 第12番 第13番 第14番 第15番 第16番 大フーガ
タカーチ四重奏団

レビュー日:2005.3.13
★★★★★ タカーチの最高傑作では!
 普通は中期に分類される「セリオーソ」も含むタカーチによるベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集で、これをもって全集完成となった。この後期のアルバムは既発のもにに比しても素晴らしい演奏だ。いままでの彼らの録音でも最高傑作ではなかろうか。内声部の歌謡性、見通しの良い音色、そして乾燥無味に決して陥ることのない豊かな深みがある。
 理解が難しいとされるベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集はそれまでのベートーヴェンの歩み、堅牢な構築性と音楽理論の追求から自由に乖離し、水に心を遊ばせるような自由さと枯淡さ、孤独と思索が入り混じるが、それゆえに名演のたどり着く抽象性はとてつもない深みを感じさる。これはそんなアルバムだ!
 第13番の第5楽章、第15番の長大な第3楽章(病の癒えから神への感謝を示したといわれる楽章)、第16番の第3楽章などの浄化を感じさせるほどの美感は壮絶なほど。陰影に富む美しさに漂う一抹の寂寥感は晩年の境地をうかがわせるし、超個性的な作曲家であるベートーヴェンが、ロマン派の思想も飛び越えて、より抽象化された音楽概念の布石を試みる様がはっきりとうかがえる。

弦楽三重奏曲 第2番 第3番 第4番
vn: ツィンマーマン va: タムスティ vc: ボルテラ

レビュー日:2013.6.24
★★★★★ 歴史の中であっさり消え失せたジャンル「弦楽三重奏曲」が残したもの
 ドイツのヴァイオリニスト、フランク・ペーター・ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)、フランスのヴィオリスト、アントワーヌ・タムスティ(Antoine Tamestit 1979- ヴィオラ)、スイスのチェリスト、クリスチャン・ポルテラ(Christian Poltera 1977-)による、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の弦楽三重奏曲第2番(Op.9-1)、第3番(Op.9-2)、第4番(Op.9-3)の3曲を収録したアルバム。2010年から2011年にかけての録音。
 「弦楽三重奏曲」というのは絶滅したジャンルである。例えば、これより歴史的に古い合奏協奏曲とか、教会ソナタとかいったものは、近代になって復活したり、あるいは形を変えて発展するなどしたが、中にあって、はっきり「絶滅」といえるのがこの弦楽三重奏曲というジャンルである。
 弦楽三重奏曲の絶滅の原因は、弦楽四重奏曲の完璧さにある。弦楽三重奏がヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3艇の楽器を使うのに対し、弦楽四重奏は、そこにヴァイオリンをさらに1本加えただけのものである。しかし、それは、もっとも美しい和声と音色の調和が得られ、しかも技巧と変化に富み、器楽合奏の最上かつ最高の形式とし全合奏曲中重要な地位を占めるものであった。そのため、そのすぐ近くを周回していた“小惑星”三重奏曲は、またたくまに、弦楽四重奏曲の引力に引かれ、吸収されてしまったのである。
 あまりにもその歴史が短かったため、弦楽三重奏曲というのはめったに存在しないものとなった。ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の20のトリオ(ただし、これはヴァイオリン2つとチェロという編成)、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)のディヴェルティメント(K.563)、そしてベートーヴェンのop.3(1曲)、op.9(3曲)。他には、もう(演奏機会のあるものは)ほとんどないといっていい。ベートーヴェンも1797-98年にこれら3曲を書いて以来、このジャンルには興味を示さなかったわけだ。なんとも不遇なジャンルである。
 さて、それではこのベートーヴェンが20代のときに書いた3作品であるが、実はこれがなかなか美しい作品なのである。たしかに弦楽四重奏曲に比べて、楽器のキャパシティーによる制約は多いのだが、ベートーヴェンのこれらの曲には、そういった不足を感じさせない工夫がある。重音による多層化、各楽器間での移し渡しの巧妙化、弦楽四重奏曲以上にそのような実際的な工夫が必要だったに違いないが、それを音楽的に高い純度で消化させているところが、さすがなのである。そこらの作曲家とはわけが違う。ベートーヴェンである。
 ここに収録された3曲のクオリティが高いということもあるが、当盤の演奏は実に見事。本当になんとなく聴いていると、「弦楽四重奏?」と思えるほどの充実した響きに満ちている。第3番第1楽章の冒頭のふくよかな滑らかさは、この音楽が小編成であることを忘れてしまうくらいの恰幅を示しているし、ハ短調という深刻な調性で書かれた第4番は、弦楽三重奏の可能性がまだまだあるのではないかと思わせるような深い諸相を刻んでいる。
 弦楽三重奏曲というジャンルは消滅したが、それでもこのような楽曲が残っている事が「良きこと」なのだ、とあらためて想起させてくれる録音だと感じた。

ピアノ三重奏曲 第1番 第2番 第3番 第4番 ヴェンツェル・ミュラーのジングシュピール「わたしは仕立て屋カカドゥ」の主題による10の変奏曲とロンド ピアノ三重奏のためのアレグレット
p: アシュケナージ vn: パールマン vc: ハレル

レビュー日:2015.6.29
★★★★★ ベートーヴェンの若々しい才能の発芽を実感させてくれるアルバム
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)、ハレル(Lynn Harrell 1944-)という現代を代表する3人の器楽奏者によって、1979年から84年にかけて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ三重奏曲の全集が録音された。現在、EMIの廉価版で、2つの2枚組セットにより、これを揃えることが出来るというのは、実にうれしいことである。当盤はその第1の2枚組セットで、初期作品を収録している。
 ベートーヴェンのピアノ三重奏曲というジャンルは、意外なほど全集録音は少ない。これは、この偉大な作曲家の熟成と完成を象徴する室内楽が「弦楽四重奏曲」であるのに対し、「ピアノ三重奏曲」は、その初期の活動を象徴するものであり、ベートーヴェンの作品群を俯瞰してみたとき、そのもっとも重要な作品の系列には属さないためである。ベートーヴェンの作品1は、当盤に収録された3曲のピアノ三重奏曲に他ならない。確かに、これらの楽曲から感じるベートーヴェンの精神性は、まだそれほど気高さを感じさせない。
 しかし、その一方で、この時代にベートーヴェンがこれらの楽曲を書いた歴史的価値は、より大きな意味で汲むことができる。三重奏曲を多く書いたハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の作品において、それはヴァイオリンとチェロの伴奏が付いたピアノ曲という体裁であり、それを幾分楽器間の扱いの対等性を試みたのがモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)である。若きベートーヴェンが取り組んだのは、3つの楽器がそれぞれに主張を持った室内楽の世界の樹立であり、そういった意味で、この若き日に書かれた楽曲たちは、のちのベートーヴェンの作品をすでに示唆させるものであるとともに、音楽史における室内楽の様式的発展において、大きな意味を持つ重要な存在なのだ。
 ところが、全集録音は少ない。私がその大体を聴いたことがあるのは、全集となっているのは、他ではバレンボイム、ズッカーマン、デュ・プレのもの、イストミン、スターン、ローズのもの、ボザール・トリオのもの、といったところである。他に有力な全集というのはカタログを探せばあるのだろうけれど、あまり思いつかない。
 その中で、音楽的内容の充実と、近代的な感覚によるアプローチ、さらに奏者3人のヴィルトゥオジティの発露など、様々な観点で、もっともすぐれているのは、当全集と言って良い。当盤に収録されているのは、以下の楽曲である。
1) ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調 op.1-1
2) ピアノ三重奏曲 第2番 ト長調 op.1-2
3) ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調 op.1-3
4) アレグレット 変ロ長調 WoO39
5) カカドゥ変奏曲ト長調 op.121a
6) ピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調「街の歌」 op.11
 5)はミュラー(Wenzel Muller 1767-1835)のジングシュピール「プラハの姉妹」の「私は仕立て屋カカドゥ」の主題による変奏曲。また6)の第3楽章ではヴァイグル(Joseph Weigl 1766-1846)の歌劇「船乗りの恋、あるいは海賊」中のアリア「仕事の前に」の主題が用いられている。
 当録音を聴くと、なぜこれらの楽曲がこれほど見過ごされているのだろう、という感慨を改めて感じる。作品1の3つのピアノ三重奏曲は、たしかに若書きと言って良いところもあるが、音楽の流れの豊かさや、その中で紡がれる様々な感興は、十分な魅力を持っている。それにしても、アシュケナージを中心とした溌剌とした演奏が素晴らしい。3人の奏者の技術的卓越もあり、楽想に応じた機敏な対応が聴き味を存分に高めていることも、当然看過できない。楽曲本来の魅力を存分に発揮させた名演なのだ。そして、聴き手は、これらの作品の中に、すでにベートーヴェンの天才性が明らかにされていることを知ることになる。
 それにしても、私も当録音に出会わなかったら、これらの楽曲を魅力的と感じることが出来たかどうか自信がない。そのような点でも、当録音の存在に、感謝の念は絶えないのである。

ピアノ三重奏曲 第5番「幽霊」 第6番 第7番「大公」 創作主題による14の変奏曲 ピアノ三重奏曲 変ホ長調
p: アシュケナージ vn: パールマン vc: ハレル

レビュー日:2015.6.29
★★★★★ 3人の奏者の深い音楽的造形に裏付けられた感性が光る名演
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)、ハレル(Lynn Harrell 1944-)という現代を代表する3人の器楽奏者によって、1979年から84年にかけて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ三重奏曲の全集が録音された。現在、EMIの廉価版で、2つの2枚組セットにより、これを揃えることが出来るというのは、実にうれしいことである。当盤はその第2の2枚組セットで、中期の充実した作品を中心に収録している。
 この優れた全集が、2つの廉価版を買うだけで揃えることができるというのは、本当にありがたいことだ。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲の全集録音というのは、意外に少ない。私がそのおおよそを聴いたことがあるのは、当名盤の他では、バレンボイム、ズッカーマン、デュ・プレのもの、イストミン、スターン、ローズのもの、ボザール・トリオのもの、といったところ。他の全集については存在もよくしらないのだけれど、しかし、私は、その中では当アシュケナージ、パールマン、ハレルの名演が圧倒的に良いと思うし、これを聴けば十分だとも感じる。3人の奏者の絶対的な力量が高い上に、音楽的な解釈の精度、現代的な感性の反映など、様々な観点で、きわめて完成度が高く、充実した音楽に接する喜びに満ち溢れているからである。
 例えば、「幽霊」の標題で名高い第5番。冒頭のスリリングで引き締まった響き、第2楽章の歌に溢れながらも形成期的な美観を貫いた表現などいずれも見事。そして、ここからが大事なところなのだが、それらの様々な美点が互いに調和し、かつ一つの美点のみが強調され過ぎることなく、全体として合理的な音楽の完結形を描いているところが当盤の素晴らしさなのである。
 これは音楽全体を通して聴いたときに、最終的な印象として残るものといった要素が強い。だから、部分部分をピックアップするような聴き方だと、伝わりにくい特徴であるのだろう。しかし、特にこのような2枚組のアルバムを通して聴いたとき、それぞれの作品の特徴や関連性といったものを、共通の視点で感じ、それゆえの美しさをおおよそ正しいと思えある視点で味わうことが出来る。このことは、私が特に様式美を持つ作品を聴くときに、大事に思っている音楽表現だ。この3人のアンサンブルは、そういった点で卓越したセンスを感じさせる。単にセンス、といっても、そのことが深い音楽的造詣や考察から導かれていることは間違いないだろう。
 当盤に収録されている名曲「大公」の演奏について、かつて「3人の奏者が、それぞれ協奏曲の独奏者のように主張を持った演奏」という批評があったのを目にしたことがある。しかし、これはこの演奏を途中までしか語っていないようにも思う。それに続いて、補足するなら、私なら「それでいて、互いの補足性という点でも類まれな機能美を示しており、総じて全体の構成という視点でも、なんら欠点を見出せないのである」とでも表現するだろうか。
 全集としても、また1曲毎の演奏としても、きわめて高い価値を有するアルバムに間違いない。

ピアノ三重奏曲 第6番 第7番「大公」
fp: メルニコフ vn: ファウスト vc: ケラス

レビュー日:2014.2.24
★★★★★ 機敏な動きで、多彩な味わいを引き出したピリオド楽器による三重奏
 アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)のフォルテピアノ、イザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)のヴァイオリン、ジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras 1967-)のチェロによる、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ピアノ三重奏曲 第6番 変ホ長調 op.70-2」と「ピアノ三重奏曲 第7番 変ロ長調 op.97 「大公」」を収録したアルバム。2011年の録音。
 表記にある通りピリオド楽器による演奏。メルニコフは現代ピアノでも優れた演奏をするが、フォルテピアノ奏者としても応分の実力者で、すでにいくつか録音もある。また、当盤における3人の奏者の顔合わせも、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)のピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」で、すでに録音(2004年)がある(こちらは現代楽器を使用したもの)。
 ベートーヴェンのピアノ三重奏曲については、現在までピリオド楽器の録音もいくつか行われている。また、名曲「大公」に関しては、古今多くの名演が居並ぶ。当盤はそこにまた新鮮な風を吹き込んだ一枚と言えそう。
 収録順に、まず第6番について書こう。この曲は、ベートーヴェンの通称「傑作の森」という創作時期に生まれたにもかかわらず、存在としては目立たない作品で、旋律も保守的な色合いが濃い。しかし、当盤の演奏は、非常にメリハリの効いた解釈で、この楽曲の性格を、思い切り「外向的なもの」に切り替えたようなイメージがある。私は、最近、この第6番という曲を、1991年録音のドレスデン・トリオの内省的とも言える味わいのある演奏で聴いたばかりだったのだが、このメルニコフらの演奏で聴くと、別の曲かと思うくらい楽曲の印象が異なる。
 メルニコフのフォルテピアノは、この楽器ならではの残響の少ない響きで、どちらかというと性急なくらいの勢いを感じさせる。次の楽想、次の楽想というふうに、精力的に進んで行く。トリルの輪郭がきわめて明瞭であるため、装飾音の効果が目立ち、これがさらに音楽の起伏を急にするため、単位時間あたりの音量の振幅が大きくなり、派手な印象をもたらす。このフォルテピアノをベースにして、ヴァイオリン、チェロが旋律に肉付けを与えるが、これらもある程度急峻な表情付けが必要となる。それで、全体像は、急峻な流れに沿って、これを整えつつ前進していくという、間断のない即応性に富んだものとなっている。そのため、聴いていると、推進力があって、ダイナミックレンジの広い音楽、という印象になる。いかにも血気盛んな、生気に溢れる演奏である。一方で、静謐な情緒のような要素は減じられるが、彼らのスタイルは、開放的で明瞭な音楽を目指したものであり、沈鬱なものについては、必要としないということだろう。なるほど、なかなか爽快で、「この曲はこんなふうにも響く曲だったのか」と感心させられた。
 第7番の「大公」も同様で、急峻な強弱の設定で、スリリングである。またフォルテの音であっても、楽器から引き出される音色に透明感が保たれていて、響きすぎるようなことのない制御が自然に効いている。ここらへんが、彼らの大家としての芸風を感じさせるところ。現代楽器のような伸びやかに広がっていく雄大さはそれほど感じないが、その代わりに、機動的な展開の強調や、和声の微細な変化の描写といったもので楽しませてくれる。
 全般にむしろ第6番の方に、新鮮な衝撃を感じる一枚であったが、第7番も特に中間楽章の表情の多彩さが見事で、情報量の多い解釈で、聴き応えのある演奏と感じた。

クラリネット三重奏曲 変ロ長調 op.11(ピアノ三重奏曲第4番) 変ホ長調 op.38 (ピアノ三重奏曲第8番)(七重奏曲 op.20の編曲)
cl: マンノ p: パール vc: シーフェン

レビュー日:2019.5.16
★★★★☆ 清涼な響きで軽やかに描かれるベートーヴェンのクラリネット三重奏曲
 ドイツのクラリネット奏者、ラルフ・マンノ(Ralph Manno 1964-)と、チリのピアニスト、アルフレッド・パール(Alfredo Perl 1965-)、ドイツのチェリスト、グィド・シーフェン(Guido Schiefen 1968-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「クラリネット三重奏曲」集。収録曲は以下の2曲。
1) クラリネット三重奏曲 変ロ長調 op.11
2) クラリネット三重奏曲 変ホ長調 op.38
 1995年の録音。
 この盤に収録されている2つの作品は、いずれも「クラリネット三重奏曲」の形で演奏されることは多くない。op.11は「ピアノ三重奏曲 第4番 街の歌」として知られれるもの。また、op.38は、高名な「七重奏曲 変ホ長調 op.20」を、ベートーヴェン自身がピアノ三重奏に書き改めたものであり、ヴァイオリン版とクラリネット版の双方が存在する。そのうちヴァイオリン版(ピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成)のものは、「ピアノ三重奏曲 第8番」の名称で、演奏されることもある。
 そのようなわけで、ここに収録されている2曲、特にop.38の作品は、知名度は高くはないが、聴けば「ああ、あの旋律か」と思うところが随所にあるもので、そういった点で十分な親しみやすさのある、名曲性を備えた楽曲である。「七重奏曲 変ホ長調 op.20」の第3楽章が、「ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2」の第2楽章に転用されたため、広く聴かれていることも、この作品に親近性を感じさせる要素の一つになるだろう。いずれにしても、「クラリネット三重奏」という編成自体の珍しさはあるが、その音楽はベートーヴェンらしい質感を持っていて、「珍曲」扱いされるものではないだろう。また、ピアノという和声表現に秀でた楽器が加わったことを踏まえて、原曲の7つの楽器の音色的多様さが、ピアノの鍵盤上でのヴァリエーションに移行している点も、興味深く聴ける。
 さて、当盤の演奏であるが、とても清々しい内容である。重さよりも軽さ、叙情よりも運動美を優先的に表現した雰囲気で、全般に軽やかで小気味が良い。op.11の終楽章や、op.38の第3楽章で、その転がるような鮮やかさは、特に心地よく響いてくる。逆に言うと、全体があまりにサラッとし過ぎている感もある。op.38には時折重厚な部分もあるのだけれど、前後の軽さと連続的な処理の中でいつの間にか過ぎてしまうようなところもあり、薄味過ぎて物足りない部分もある。BGM的な気持ちで聴けてしまうのが、なんとも微妙で、前述の名曲性をもっと複層的、多様に味わいたいところも残った。

ヴァイオリン・ソナタ 全集 ロンド 6つのドイツ舞曲 フィガロの結婚の主題による12の変奏曲
vn: 寺神戸亮 pf: ヴォデニチャロフ

レビュー日:2006.1.15
★★★★★ 吹きぬけの心地よいリビングルームのような演奏
 寺神戸亮がピアノ・フォルテ奏者ヴォデニチャロフと8年を費やして完成した全集となる。10曲のソナタだけでなく、初期のヴァイオリンとピアノのための作品も収録しており、DENONらしい細かいINDEX編集とあわせてアカデミックな価値も高い。
 もちろんバロック・ヴァイオリンを用いた演奏となっている。フォルテ・ピアノとあわせて、非常に風通しのよい、澄んだ音色となっている。吹きぬけの、陽光の燦燦と降る心地よいリビングルームのような演奏だ。
 クロイツェル・ソナタのような熱っぽい音楽も、よどみのない清流のようであり、しかし心地よいスピード感で迫力不足を感じさせない。初期のソナタにおいてすでに見られる、伴奏対旋律という旧弊な構造からの離脱感は、本演奏における心地よい受け渡しで体感できるし、模範的な演奏として広く受け入れられる録音ともいえる。
 さすがに第10番のようにロマン派の入口ともいえる作品になると、特にフォルテピアノという楽器の限界も同時に見えてくるが、それも当盤を聴く事によって得られる貴重な「体感」といえる。
 しかもかなりの部分でダイナミズムの不足を、演奏表現の工夫で克服しているし、そういった着眼点から聴いてみると、また楽しんで聴けるということになり、なかなかレコード・ライヴラリの幅を広げてくれる全集である。

ヴァイオリン・ソナタ 全集
vn: ファウスト p: メルニコフ

レビュー日:2010.1.2
★★★★★ ケースのデザイン以外は素晴らしい?
 イザベル・ファウスト(Isabelle Faust)のヴァイオリン、アレクサンダー・メルニコフ(Alexander Melnikov)のピアノによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集。録音は2008年。
 ソナタ第9番「クロイツェル」だけは、ヴァイオリン協奏曲(ビエロフラーヴェク指揮、プラハフィルハーモニアHMC 901944) とのカップリングで2006年に録音され、先行発売されている(同一音源)ので、今回のアルバムではその1曲がボーナスディスク的扱いで付いている。かくいう私も重複して所有することとなった。
 それにしても、「クロイツェル」を聴いた時から「全曲録音してくれないかな」と期待していたので、こんなに早くに全集を聴けることになったのはたいへん喜ばしい。非常に現代的で知的な名演の誕生となったと思う。
 この録音の個性が良く出ているのが例えばソナタ第5番の「春」。この有名な第1楽章で、ヴァイオリンはいわゆる古典的なスタイルのように表に出ない。むしろピアノに主導権を委ねるかのような奥ゆかしさである。しかしそれでいて不自然ではない。双奏者の呼吸の中で、主張が必要な部分ではきちんと主張をする。表情付けはやや抑えられているが、それが高雅な雰囲気を湛えていて、この下手をすると俗になりかねないソナタを遠景から捉えている。また第2楽章のそれこそ春の夕暮れを散策するような情緒的な美しさは特筆もの。第4番でも冒頭の切れ味ある音型が全体像をしっかりと支えている。安定感のあるしたたかな柔軟性を湛えている。第10番ではもっとロマン性を出してもいいかもしれないけれど、これはこれでノーブルな味わいが良く出ていると思う。
 ところで、このCDのケースのことであるが、かなり凝っていて、4枚のディスクがそれぞれ上下左右に開き、全部開放すると「十」字型になる。しかし、多くのコレクターが思うのは、多分、「もっとコンパクトな収納を優先して欲しい」ということではないだろうか。クラシックフアンはそういった点はかなり合理的である。あまりスペースをとってしまうようなデザインは、歓迎されないと思うのだが・・・

ヴァイオリン・ソナタ 全集 ロンド 6つのドイツ舞曲 フィガロの結婚の主題による12の変奏曲
vn: シュレーダー fp: インマゼール

レビュー日:2015.2.8
★★★★☆ ピリオド楽器によるベートーヴェンへのアプローチの難しさ
 1986年から翌1987年にかけて録音された、ヤープ・シュレーダー(Jaap Schroder 1925-)のバロック・ヴァイオリン、ジョス・ファン・インマゼール(Jos van Immerseel 1945-)のフォルテ・ピアノによるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全集。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ヴァイオリン・ソナタ 第5番ヘ長調 op.24「春」
2) ヴァイオリン・ソナタ 第4番イ短調 op.23
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番変ホ長調 op.12-3
4) ヴァイオリン・ソナタ 第8番ト長調 op.30-3
【CD2】
5) ヴァイオリン・ソナタ 第9番イ長調 op.47「クロイツェル」
6) ヴァイオリン・ソナタ 第1番ニ長調 op.12-1
7) ヴァイオリン・ソナタ 第2番イ長調 op.12-2
【CD3】
8) ヴァイオリン・ソナタ 第10番ト長調 op.96
9) ヴァイオリン・ソナタ 第6番イ長調 op.30-1
10) ヴァイオリン・ソナタ 第7番ハ長調 op.30-2
 当録音は、ピリオド楽器を使用した初のベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集であった。最近まで、同様の試みは多くなされているが、その「さきがけ」となったという意味で価値のある録音と言える。ただし、ベートーヴェン作品へのアプローチに際して、ピリオド楽器上の性能上の制約から受ける表現の困難さについても、よく分かるものにもなっている。
 全体として、その牧歌的とも言える、甘さ、柔らかさを伴った語り口が魅力だと思う。それはソナタ第5番の緩徐楽章のように、素晴らしい雰囲気を作り出す瞬間もある。ビブラートを控えた表現は、もろ刃の剣だが、趣向が曲想に合致するところでは、とても好ましい音楽を導いている。
 また、いくぶん気ままな第8番のアレグロ・アッサイや、リズミカルな要素が不可欠な第4番のプレストも成功していると言っていいと思う。
 他方で、楽器の制約を強く感じるのは、やはり最後の2曲で、特にフォルテ・ピアノはレガート奏法の難しさから響きがスタッカート的なものに寄ることで、これらの楽曲に特有な強さや浪漫性が随分減じられて、ちぢこまった表現に感じされてしまう。音符の長さも、指定通りに徹するわけにはいかないところがある。そういったところも、建設的な解決ではなく、やむなく、という形で別の表現方法を取っているように聴こえてしまう。
 フォルテ・ピアノの表現力の限界は各所で顔をのぞかせる。単純なアルベルティ・バスのような音型も、ちょっとした鬼門で、表現の画一性から平板な印象をもたらしかねないところだ。中期以降のベートーヴェンに必須な情熱、歌謡性、多様性といった要素が、いずれも減じざるを得ない。また、カノン風な効果を狙って書かれている場所でも、そのような作用はほとんど肩すかしになってしまう。
 これらの欠点は、現在までピリオド楽器演奏が克服できないものであるが、特に、初期の当録音では、その問題点がはっきりと浮かび上がっている傾向がある。だから、今から聴くということであれば、当盤による必要は必ずしもないだろう。だが、現代のピリオド楽器演奏の先駆者たちが、初期活動において、ベートーヴェンでどのような表現を試みようとしたか、ということを知る点において、とても興味深い録音ではある。
 また、最初に書いたように、成功を感じさせるところも多い。素朴な暖かい音色と言う点では魅力もあるので、たまに思い出して聴くのもいいと思う。

ヴァイオリン・ソナタ 全集
vn: イブラギモヴァ p: ティベルギアン

レビュー日:2014.12.25
★★★★★ チャレンジ精神に溢れたベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集
 ロシアのヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)とフランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアン(Cedric Tiberghien 1975-)が2009年から10年にかけてロンドンのウィグモア・ホールで行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏の模様が全集化された。これまで分売されていた3枚が1枚に集約された形。
 イブラキモヴァはロシア生まれで、イギリスで活躍する新鋭ヴァイオリニスト。ティベルギアンはフランス生まれ、1998年のロン=ティボー国際コンクールで優勝を果たしたピアニスト。両者の情熱的で新鮮な息吹に満ちた好演だ。
 さて、演奏について書く前に、これらのソナタの音楽史上の位置づけについてさらってみよう。というのは、この演奏のもつアグレッシブな性質が、ベートーヴェンのソナタの持つ強い存在感と、良く符合するものであると思うからだ。
 ニューグローヴ世界音楽大事典では、「ソナタ」の項目を以下の3つに分類している。「Baroque(バロック)」、「Classical(古典派)」、「The Sonata After Beethoven(ベートーヴェン以後)」。・・ベートーヴェンのもたらした音楽史上における「進化」は、容易に推し量れないほど大きなもので、その象徴のように君臨するのが9つの交響曲だと思うけれど、「ソナタ」においても、ベートーヴェンの足跡は3つの大項目分類に資するほどの功績であったことを、この音楽辞典の記述方式が如実に物語っている。
 ベートーヴェンの10曲のヴァイオリン・ソナタのうち9曲までが1797年から1803年という創作初期に書かれている。それまでモーツァルトの(特に初~中期の)ものも含めて古典的なヴァイオリン・ソナタは、「ヴァイオリン付きのピアノ・ソナタ」としての性格を持っていて、ヴァイオリンはハーモニーを支えるような従属的役割が主だった。しかし、ベートーヴェンの作品になると、ヴァイオリンには多様な性格が与えられ、楽器も代替不能なヴァイオリンのためのみの作品として発展していく。
 ベートーヴェンが9つのヴァイオリン・ソナタ連作群を通じて追い求めたテーマが、それまでピアノとは主従の「従」の関係があったヴァイオリンの地位を開放し、ひいてはヴァイオリンの可能性を極限まで突き詰めたソナタを書き上げることににあったのではないか。そう考えると、本当に「クロイツェル」は到達点に相応しい作品だ。跳梁し躍動し縦横無尽に駆け回るヴァイオリンはまさに圧巻の一語。
 第10番のみが1812年という比較的後期の作品となる。これらのヴァイオリン・ソナタを俯瞰すると、古典派の書法を発展的に応用させていき、第9ソナタでいよいよヴァイオリンの全てを解き放ったベートーヴェンは、次いで第10番で心機一転歌の要素のみを紡ぎだすような可憐なソナタを書いた。このソナタはまさにロマン派の幕開けを告げるものに他ならない。ピアノ・ソナタ第31番に通じる楽曲。
 第1番などの初期の楽曲には、モーツァルト、ハイドンの影響が強く見られる。これは作品18の6曲の弦楽四重奏曲と良く似た傾向だと思う。そうでありながら、ベートーヴェンらしい大胆さが随所にあって、例えば第2楽章のヴァラエティー豊かな変奏曲などそれが顕著だ。第4番は存在感のある作品だ。ルイス・ロックウッド(Lewis Lockwood 1930-)はこの曲をこう評している・・・「厳しく、風変わりで突き放される様な音楽。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの系譜では、さながら不当に無視されたような存在。にもかかわらず、オリジナリティがあって挑戦的」。
 イブラキモヴァとディベルギアンのデュオはこれらのソナタが持っている進歩的な要素を前面に押し出すような、積極的な勢いに満ちた音楽だと思う。急峻な表情の変化は、時に野蛮さを思わせるほどの息遣いであるが、その踏み込みによって、これがどういう音楽であるかという、力強い主張を伴って聴き手に訴えてくる。初期のソナタは、ともすれば快いBGM音楽のように演奏されることもあり、そういう演奏ももちろんいいのだけれど、彼らは、この作品の芸術的な真価を引き出そうと、攻勢のアプローチに徹した観がある。ソナタ第3番と第6番はエネルギッシュな両者の取り組みが面白く、技巧的にも安定していて、豊かな風情を感じさせてくれる。
 第5番は最近ではややトーンを抑えた調和主義的な演奏が主流だが、イブラギモヴァはときに踏み込みのある大きな音を巧みに使っている。そのゴツゴツ感が聴き手によっては違和感があるかもしれないが、この演奏がこれらの楽曲の革新性に焦点をあてていると感じる以上、合理的だと納得する。
 他方、第9番でも、初期作品で示した攻撃的で起伏のあるアプローチが特徴だ。シャープに音を切ってみたり、中音域を抑えて高低のダイナミクスを強調したり、クロイツェルの運動的なスコアとあいまって華やかな演奏効果を上げている。ただし、ティベルギアンのピアノはここではちょっと弾き飛ばし過ぎのようなところも感じた。イブラギモヴァ嬢の自由奔放ぶりに全力で付いてきたけど、ちょっと最難関のクロイツェルソナタで足取りを乱し気味といったところもある。しかし、それでも全体的な迫力は健在で、多少の勇み足もライヴならではの味わいとして受け取ることもできそうだ。
 また、イブラギモヴァは現代楽器とピリオド楽器の両方の奏法をマスターした達人でもあるようだ。現代楽器の能力を活かしながらも、ピリオド楽器のような弓使いによって、弾力に富んだ表現をも生み出している。その結果、ソナタ第10番は特に終楽章の弾むようなピアノとの掛け合い、軽重を巧みに織り交ぜたヴァイオリンのしなりのある音色が特徴的だ。ロマン派的な甘美さだけでなく、研ぎ澄ましたような鋭利な感性を加えて、跳ねるように個性が伝わってくる。
 以上の様に、全般に猛るような彼らの若々しいフィーリングを堪能でき、ベートーヴェンのこれらのソナタの革新性を鋭く示す全集となっている。

ヴァイオリン・ソナタ 全集
vn: マン p: ハフ

レビュー日:2018.8.28
★★★★☆ 長くジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を務めたロバート・マンによる誠実なベートーヴェン
 1946年に結成されたジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を50年に渡って務め、晩年は指揮活動にも精力的に取り組み、先日98歳で世を去ったロバート・マン(Robert Mann 1920-2018)が、1985~86年に、スティーブン・ハフ(Stephen Hough 1961-)とニューヨークのカウフマン・ホールで行ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の模様を収めたもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.12-2
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 op.12-3
【CD2】
4) ヴァイオリン・ソナタ 第4番 イ短調 op.23
5) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24 「春」
【CD3】
6) ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調 op.30-1
7) ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 op.30-2
8) ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調 op.30-3
【CD4】
9) ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47 「クロイツェル」
10) ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96
 録音はデジタル録音となっているが、高音部がやや歪むところがあって、ところどころそれが気になるのが残念なところ。演奏はハフの確かな技術に支えられたピアノにより、ヴァイオリンが歌うべきところは歌ったしっかりしたもので、ヴァイオリンとピアノという二重奏の規範的なものというイメージ。若きハフとの協演という点でも注目されるが、彼らの誠実な取り組みは、一定の成果を挙げた、とみなしていいだろう。
 初期の3作では、第1番の人気がもっとも高いと思うが、この第1楽章では、ピアノが技巧的なパッセージを、どこにも余分な力の入るところがないかのように、スマートに響くのがまず快いが、これに沿って歌われるヴァイオリンの旋律が、とても朗らかかつ内密に表現されているのは流石である。第2番の冒頭の、いかにも古典的な風情を湛えた装飾性を湛えた伴奏に導かれた主題など、いかにも滞りがなく流れ落ちるように表現されていて、淀むところがない。他方で、現在のハフの充実を考えると、少し物足りない部分も残る。例えば、ソナタ第3番の第1楽章で、ここではピアノにより多彩で様々なものが含まれている演奏により満ち足りた充足を感じるのであるが、ハフの演奏は真面目で一本気に過ぎるようなところがあって、もう一味ほしい、というところも残る。また、マンのヴァイオリンも、全体としては格調の高いものであるが、ところどころ強い音に粗さが伴うところもある。
 ソナタ第4番は、第1楽章の引き締まった動線が魅力的で、颯爽と、厳しい旋律が進む爽快さに満ちている。その一方で第2楽章のピアノには、より様々なニュアンスを求めたいと思うところも残る。この曲では、楽想が深刻な両端楽章に比べて、挟まれた緩徐楽章がやや淡々とし過ぎるところがあって、私は当演奏だと、その「聴き足りなさ」を補う演出がもう少し欲しくなる。終楽章は勢いが良いが、ところどころマンの強音に粗さを感じるところがあり、ライヴならではのものとも言えるが、耳当たりの厳しいものも含んでいて、気になるところがある。
 ソナタ第5番は冒頭の主題提示から、マンによる麗しいポルタメントを含んだ歌が語られて、この楽曲に相応しい典雅さを醸し出す。ハフのピアノは、とにかく堅実で、各音のバランスが良い。真面目なピアノは、ヴァイオリンという楽器の「歌う」特性をさらに明瞭化し、結果として両者のコントラストを描き出しており、その効果は音楽的に美しく結実していると言ってだろう。全曲を通じて、運動的な美観と構造的なバランスが両立されていて、聴き映えすべきところも十分におさえられた良演だ。ただし、第2楽章など、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)やファウスト(Isabelle Faust 1972-)の名演に比べると、ヴァイオリン、ピアノとも、より情感に作用するものが多くあってもいいように思う。しかし、これはこれでまとまっているだろう。
 ハフのピアノは全般に高い技術を示すが、例外的に第6番の第1楽章でやや不安定なところがあるが、第2楽章の一見さりげない旋律が、香しいほどの情感をもって奏でられているのが感動的であり、ロマン派の萌芽を感じ取る瞬間に溢れているのである。この全集中の聴きどころの一つだ。第7番では、第1楽章のフォルテでヴァイオリンにややピッチの揺らぎが感じられて、技術的に気になるところが無いわけではないけれど、この程度であればライヴゆえの迫力と好意的にみなすこともできるだろう。第8番は第3楽章が好印象。花咲く野辺を駆け抜けるような大らかな朗らかさに満ちていて、この音楽に相応しい演奏であると感じ取れる。
 ソナタ第9番は、ハフのピアノのインテンポを主体とした進行が、タメの少ない直線的なスタイルを導くことで、コンパクトな姿にまとまった感がある。第1楽章では、この楽章特有の情熱的放散を、むしろ制御し、颯爽と響かせたものと思う。マンのヴァイオリンは、ときどき強音でボウイングに粗さを残すところがあるけれど、ライヴならではのものと思われ、気にしなければ問題ないくらいのものだろう。個人的には、彼らのスタイルは、この曲では特に第2、第3楽章に的確なスケール感をもたらしていると考える。ほどよく快活なテンポを維持し、スリムな外躯を保つピアノによって整えられた基礎の上で、ヴァイオリンが曲想に応じたアヤを添えていく。古典的な均衡感とともに、楽器の役割に即した彼らの演出は、音楽による感情表現を自然なものとし、快く聴き手に伝わっていく効果がある。
 典雅な作法でロマン派の幕開けを告げる第10番でも、両者のスタイルは変わらず、そのため、終楽章の弾むような展開部など、もっと色彩感がほしいと感じてしまう。とはいえ、第1楽章のピアノの表情を抑えた真摯な響きは、清澄な気配を持っていて、なかなか美しい。マンのヴァイオリンは全曲を通じて自由な歌を含んでおり、それはこの曲でもはっきり示されるが、スケルツォ楽章の高音部など、やや歪みを感じさせてしまうのが残念。これは録音の影響も大きいかもしれない。
 全般に、ピアノとヴァイオリンの位置関係、すなわち基礎を作るものと、旋律を謳歌するものとが、その役割比に応じた節度と自由度を担った良心的な演奏といえる。その一方で、ヴァイオリンの音、特に高音にキツい響きがあって気になるのと、ピアノに一層のニュアンスを引き出してほしい部分でも引け気味に聴こえる部分があり、私としては、あくまで良演の一つといったところで、様々な現役版がひしめく現在では、あえて当盤を強く推すとまでは言えないだろう。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 第3番
vn: マン p: ハフ

レビュー日:2018.7.11
★★★★☆ ロバート・マンの珍しいソロ、そして若きハフとのデュオが楽しめます。
 1946年に結成されたジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を50年に渡って務め、晩年は指揮活動にも精力的に取り組み、先日98歳で世を去ったロバート・マン(Robert Mann 1920-2018)が、1985年から86年にかけてライヴ収録したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全曲録音のうち3曲を収めたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.12-2
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 op.12-3
 マンの珍しいソリストとしての活動という点でも注目できるが、共演しているのが、当時のアメリカでは、まだデビューしたばかりという存在だったスティーブン・ハフ(Stephen Hough 1961-)であるというところも、気になるところだ。
 さて、内容であるが、前提として録音がやや硬く、デジタル録音にしては精度に高くないところがあるのだが、演奏は非常に良心的でっまじめなもの。なめらかで流麗なヴァイオリンとともに、誇張のないピアノが瑞々しく、全般に健やかで明朗な音楽が導かれている。第2番の冒頭の、いかにも古典的な風情を湛えた装飾性を湛えた伴奏に導かれた主題など、いかにも滞りがなく流れ落ちるように表現されていて、淀むところがない。
 3曲のソナタでは、おそらく第1番の人気がもっとも高いと思うが、この第1楽章では、ピアノが技巧的なパッセージを、どこにも余分な力の入るところがないかのように、スマートに響くのがまず快いが、これに沿って歌われるヴァイオリンの旋律が、とても朗らかかつ内密に表現されているのは流石である。
 他方で、現在のハフの充実を考えると、少し物足りない部分も残る。例えば、ソナタ第3番の第1楽章で、ここではピアノにより多彩で様々なものが含まれている演奏により満ち足りた充足を感じるのどえあるが、ハフの演奏は真面目で一本気に過ぎるようなところがあって、もう一味ほしい、というところも残る。また、マンのヴァイオリンも、全体としては格調の高いものであるが、ところどころ強い音に粗さが伴うところもある。
 とはいえ、ライヴであることを考えると、両者の技術的な安定は、十分なものであり、これら3曲の表現として、それなりのレベルでこなれたものを聴くことができる。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 第3番 第4番
vn: ツィンマーマン p: ヘルムヘン

レビュー日:2022.6.14
★★★★★ ベートーヴェン初期作品の特性に即した活力に富む名演
 ドイツのヴァイオリニスト、ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)と、同じくドイツのピアニスト、ヘルムヘン(Martin Helmchen 1982-)による、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ集。収録曲は下記の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ長調 op.12-1
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 op.12-2
3) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 変ホ長調 op.12-3
4) ヴァイオリン・ソナタ 第4番 イ短調 op.23
 2019年の録音。
 当盤は、彼らのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲録音の第1弾に相当し、投稿日現在、全3巻からなる全集はすでに完成している。
 まず、当盤の特徴として、通常op.12の3曲で1枚のアルバムとなされることが多いのであるが、加えて、傑作の一つに指折られる第4番も収録されていることがあり、とてもお得感がある。また、ツィンマーマンとヘルムヘンの演奏は、古典的なスピード感と、ロマンティックな表現性の双方を兼ね備えたもので、質・量の双方において、満足なアイテムとなっている。
 第1番は、第1楽章を聴き始めたときから、その滑らかなメロディの在り様に魅了されるが、中間部では、そのスムーズさに加えて、フレーズのメリハリが明瞭にあり、ベートーヴェンが2つの楽器に与えた役割を積極的に打ち出すスタイルといえる。活力に富む表現は、この楽章に相応しい。第2楽章の変奏曲は少しテンポを落して開始されるが、ここでも変奏ごとの特色が明瞭で、短調による第3変奏も深みを感じさせる。終楽章は、2つの楽器の激しい情熱的な呼応があり、そのやりとりの迅速さと熱さが魅力だ。若きベートーヴェンの情熱が、的確に表現されている。
 第2番は、両端楽章のリズムの明晰な活力と、短調で書かれた中間楽章の憂いの対比が鮮やかで、さらに第2楽章の中に、第1主題の哀しみと第2主題の暖かみが巧妙に引き出される。全体に、流れがスムーズなことは一貫しているが、楽器そのものの豊穣な音色の聴き味が素晴らしく、全体に味わいが薄くなるようなことはなく、常に情感が脈々と供給されている。
 第3番は、伸びやかなサウンドで、前2曲と比較して、よりスケールの大きな表現を感じさせる。結果として、静謐な気配もより存在感を増し、少し神秘的なものを漂わせるようになる。特に中間楽章で、その効果は表れているだろう。
 第4番は、曲想を踏まえ、劇的で、緊張感を保った演奏が展開する。両端楽章の力強い推進、ピアノのスナップの強さと、透明な音色の気高さをバックに、ヴァイオリンが疾走する様は、白熱している。一方で、中間楽章が見せる救いを思わせる癒しも、貴重な気配を感じさせてくれる。
 op.12の3曲では、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)の延長線上にありながら、ピアノの技術面での飛躍、より重厚な2つの楽器の関係性が求められ、第4番では、いよいよベートーヴェンのシンボルである、いわゆる「精神性」を感じさせる芸術性が開花していくわけだが、当盤の演奏は、そんな作品たちの価値に相応しい名演で、録音明晰なことも手伝って、聴き応え十分なものとなっている。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第4番 第7番 第8番
vn: イブラギモヴァ p: ティベルギアン

レビュー日:2011.12.2
★★★★★ 作曲者と演奏者の若々しい野心や情熱が感じられるアルバム
 アリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)とセドリック・ティベルギアン(Cedric Tiberghien 1975-)によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集。全集が3枚のアルバムに分割する形で収録されていて、本アルバムには、第1番、第4番、第7番、第8番の4曲が収められている。収録時間82分超のお得なディスクでもある。2009年、ロンドンのウィグモア・ホールでのライヴ録音。
 イブラキモヴァはロシア生まれで、イギリスで活躍する新鋭ヴァイオリニスト。ティベルギアンはフランス生まれ、1998年のロン=ティボー国際コンクールで優勝を果たしたピアニスト。両者の情熱的で新鮮な息吹に満ちた好演だが、その前に楽曲について触れよう。
 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)は数々のジャンルに革命的な書法による変革と進歩をもたらした「楽聖」だが、ベートーヴェンの10曲のヴァイオリン・ソナタのうち9曲までが1797年から1803年という創作初期に書かれている。それまでモーツァルトの(特に初~中期の)ものも含めて古典的なヴァイオリン・ソナタは、「ヴァイオリン付きのピアノ・ソナタ」としての性格を持っていて、ヴァイオリンはハーモニーを支えるような従属的役割が主だった。しかし、ベートーヴェンの作品になると、ヴァイオリンには多様な性格が与えられ、楽器も代替不能なヴァイオリンのためのみの作品として発展していく。
 それでも、当アルバムに収録された曲は、古典的な色も残っていて、第1番などはモーツァルト、ハイドンの影響が強く見られる。これは作品18の6曲の弦楽四重奏曲と良く似た傾向だと思う。そうでありながら、ベートーヴェンらしい大胆さが随所にあって、例えば第2楽章のヴァラエティー豊かな変奏曲などそれが顕著だ。第4番は存在感のある作品だ。ルイス・ロックウッド(Lewis Lockwood)はこの曲をこう評している・・・「厳しく、風変わりで突き放される様な音楽。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの系譜では、さながら不当に無視されたような存在。にもかかわらず、オリジナリティがあって挑戦的」。
 イブラキモヴァとディベルギアンのデュオはこれらのソナタが持っている進歩的な要素を前面に押し出すような、積極的な勢いに満ちた音楽だと思う。急峻な表情の変化は、時に野蛮さを思わせるほどの息遣いであるが、その踏み込みによって、これがどういう音楽であるかという、力強い主張を伴って聴き手に訴えてくる。これらの初期のソナタは、ともすれば快いBGM音楽のように演奏されることもあり、そういう演奏ももちろんいいのだけれど、彼らは、この作品の芸術的な真価を引き出そうと、攻勢のアプローチに徹した観がある。
 まずは猛るような彼らの若々しいフィーリングを堪能できる格好の一枚といったところだろう。

ヴァイオリン・ソナタ 第2番 第5番「春」 第10番
vn: イブラギモヴァ p: ティベルギアン

レビュー日:2011.12.2
★★★★★ ベートーヴェンの急進性、革新性にスポットライトを当てた演奏
 ロシアのヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)とフランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアン(Cedric Tiberghien 1975-)によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集第2集。本盤には第2番、第5番「春」、第10番の3曲が収録された。2010年、ロンドンのウィグモア・ホールでのライヴ録音。
 ニューグローヴ世界音楽大事典では、「ソナタ」の項目を以下の3つに分類している。「Baroque(バロック)」、「Classical(古典派)」、「The Sonata After Beethoven(ベートーヴェン以後)」。・・ベートーヴェンのもたらした音楽史上における「進化」は、容易に推し量れないほど大きなもので、その象徴のように君臨するのが9つの交響曲だと思うけれど、「ソナタ」においても、ベートーヴェンの足跡は3つの大項目分類に資するほどの功績であったことを、この音楽辞典の記述方式が如実に物語っている。ベートーヴェンは10曲のヴァイオリン・ソナタを書いたが、第10番のみが1812年という比較的後期の作品となる。これらのヴァイオリン・ソナタを俯瞰すると、古典派の書法を発展的に応用させていき、第9ソナタでいよいよヴァイオリンの全てを解き放ったベートーヴェンは、次いで第10番で心機一転歌の要素のみを紡ぎだすような可憐なソナタを書いた。このソナタはまさにロマン派の幕開けを告げるものに他ならない。ピアノ・ソナタ第31番に通じる楽曲だ。
 イブラギモヴァとティベルギアンの演奏を聴いていると、私には、これらのソナタが持っている「革新的な性格」が如実に顕われてくるように思える。イブラギモヴァは現代楽器とピリオド楽器の両方の奏法をマスターした達人のようだが、ここでは現代楽器の能力を活かしながらも、ピリオド楽器のような弓使いによって、弾力に富んだ表現を生み出している。ソナタ第10番は特に終楽章の弾むようなピアノとの掛け合い、軽重を巧みに織り交ぜたヴァイオリンのしなりのある音色が特徴的だ。ロマン派的な甘美さだけでなく、研ぎ澄ましたような鋭利な感性を加えて、跳ねるように個性が伝わってくる。
 ソナタ第2番は第1番より早くに作曲されたとされる。古典派の影響が色濃いが、ベートーヴェンならではのヴァイオリンという楽器ならではの響きの性格づけや技術的ハードルを垣間見る楽しみを感じさせてくれる演奏だ。
 ソナタ第5番は最近ではややトーンを抑えた調和主義的な演奏が主流だが、イブラギモヴァはときに踏み込みのある大きな音を巧みに使っている。そのゴツゴツ感が聴き手によっては違和感があるかもしれないが、この演奏がこれらの楽曲の革新性に焦点をあてていると感じる以上、合理的だと納得する。

ヴァイオリン・ソナタ 第3番 第6番 第9番「クロイツェル」
vn: イブラギモヴァ p: ティベルギアン

レビュー日:2011.12.2
★★★★★ 注目のベートーヴェン・チクルスの完結編となります
 ロシアのヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)とフランスのピアニスト、セドリック・ティベルギアン(Cedric Tiberghien 1975-)によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ集第3集。本盤には第3番、第6番、第9番「クロイツェル」の3曲が収録された。2010年、ロンドンのウィグモア・ホールでのライヴ録音。このディスクを持ってこのベートーヴェン・チクルスは完結。全10曲のソナタが3枚のCDで収められている点も良心的で好感が持てる。
 ベートーヴェンは1797年から1803年にかけて集中的に9つのヴァイオリン・ソナタを書き、その9年後に1曲だけ加えた。ベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲を1曲しか書かなかったし、ピアノ協奏曲も「皇帝協奏曲」を書いて以後、手を付けようとしなかった。どちらの曲も絶対の自信作で「これを越える作品を書くのは不可能」と考えていたと伝えられる。後付けのエピソードだとしても、それらの曲を聴くと「なるほど」とナットクさせられてしまうから、秀逸なエピソードとも言える。それで、おそらくヴァイオリン・ソナタにおいても第9番「クロイツェル」を作曲して一端筆を置いたのは、それだけこの作品の内容に確信的な自信があったからではないだろうか。
 ベートーヴェンが9つのヴァイオリン・ソナタ連作群を通じて追い求めたテーマが、それまでピアノとは主従の「従」の関係があったヴァイオリンの地位を開放し、ひいてはヴァイオリンの可能性を極限まで突き詰めたソナタを書き上げることににあったのではないか。そう考えると、本当に「クロイツェル」は到達点に相応しい作品だ。跳梁し躍動し縦横無尽に駆け回るヴァイオリンはまさに圧巻の一語。
 さて、イブラギモヴァの演奏、ここでも前2作のアルバムで見せ付けた攻撃的で起伏のあるアプローチが特徴だ。シャープに音を切ってみたり、中音域を抑えて高低のダイナミクスを強調したり、クロイツェルの運動的なスコアとあいまって華やかな演奏効果を上げている。ただし、ティベルギアンのピアノはここではちょっと弾き飛ばし過ぎのようなところも感じた。イブラギモヴァ嬢の自由奔放ぶりに全力で付いてきたけど、ちょっと最難関のクロイツェルソナタで足取りを乱し気味といったところもある。しかし、それでも全体的な迫力は健在で、多少の勇み足もライヴならではの味わいとして受け取ることもできそうだ。
 ソナタ第3番と第6番は従前のようにエネルギッシュな両者の取り組みが面白く、技巧的にも安定していて、豊かな風情を感じさせてくれる。というわけで、微小な破綻振りはあったけれど、総じてこの全集を飾るに相応しい最後のアルバムであったと思う。私も全3枚のアルバムを通じて、久しぶりにベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ10曲を通して聴き、大いに楽しませていただきました。

ヴァイオリン・ソナタ 第4番 第10番
vn: マン p: ハフ

レビュー日:2018.8.28
★★★★☆ 室内楽的な作法に従った良心的なベートーヴェンでしょう
 ジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を長年にわたって務めたロバート・マン(Robert Mann 1920-2018)による珍しいソロ活動の記録で、1985~86年に、スティーブン・ハフ(Stephen Hough 1961-)とニューヨークのカウフマン・ホールで行ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の模様を収めたもの。当盤には以下の2曲が収録されている。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第4番 イ短調 op.23
2) ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96
 デジタル録音ではあるが、音感はかなり乾いたもので、特にヴァイオリンの高音部がややキツイ感じに響くところがある。
 演奏自体は、様々に興味深いもので、特に、ソロ活動の少ないマンが、これらの楽曲を演奏するにあたり、当時まだアメリカでは知られていなかったであろうハフを協演者に選んでいるという点が、現在の聴き手の気持ちをくすぐる。現在のハフの大成を思うと、さすがにマンの眼力は確かなものだった、と述べるのは単純すぎるかもしれないが。
 演奏はハフの均質的で、古典的作法にのっとった確かなピアノをバックに、マンが柔軟で流暢な歌を披露するもの。ヴァイオリンとピアノによる室内楽として、一つの模範的な演奏を繰り広げていると感じる。
 ソナタ第4番は、第1楽章の引き締まった動線が魅力的で、颯爽と、厳しい旋律が進む爽快さに満ちている。その一方で第2楽章のピアノには、より様々なニュアンスを求めたいと思うところも残る。この曲では、楽想が深刻な両端楽章に比べて、挟まれた緩徐楽章がやや淡々とし過ぎるところがあって、私は当演奏だと、その「聴き足りなさ」を補う演出がもう少し欲しくなる。終楽章は勢いが良いが、ところどころマンの強音に粗さを感じるところがあり、ライヴならではのものとも言えるが、耳当たりの厳しいものも含んでいて、気になるところがある。
 典雅な作法でロマン派の幕開けを告げる第10番でも、両者のスタイルは変わらず、そのため、終楽章の弾むような展開部など、もっと色彩感がほしいと感じてしまう。とはいえ、第1楽章のピアノの表情を抑えた真摯な響きは、清澄な気配を持っていて、なかなか美しい。マンのヴァイオリンは全曲を通じて自由な歌を含んでおり、それはこの曲でもはっきり示されるが、スケルツォ楽章の高音部など、やや歪みを感じさせてしまうのが残念。これは録音の影響も大きいかもしれない。
 全体を通して、「特別な何かを感じる」ような演奏というわけではなく、録音にも注文が残るが、室内楽的な正しい作法にのっとって、真摯に歌われたベートーヴェンであり、当然のことながら、決して良くない演奏というわけではない。ただし、これより優れた録音は、現在では数多くのものがあるというのも感じるところである。

ヴァイオリン・ソナタ 第5番「春」 第6番 第7番
vn: ツィンマーマン p: ヘルムヘン

レビュー日:2022.7.15
★★★★★ 快適で快活。清涼な心地よい響きに満たされるベートーヴェン
 ドイツのヴァイオリニスト、ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)と、同じくドイツのピアニスト、ヘルムヘン(Martin Helmchen 1982-)による、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ集。収録曲は下記の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24 「春」
2) ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調 op.30-1
3) ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 op.30-2
 2020年の録音。
 当盤は、彼らのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲録音の第2弾に相当し、投稿日現在、全3巻からなる全集はすでに完成している。
 概して彼らのベートーヴェンは、早目のテンポを主体とし、活き活きとしたフレージングで、明るく透明な響きを導いている。ヘルムヘンのピアノは、低音が大きく響き過ぎないように一定の配慮をもちながも、前に出るべきところは、果敢と表現したいほどに勢いをもって立ち現れるし、スピーディーなヴァイオリンとのコンタクトは、ベートーヴェンの作品に相応しい二つの楽器の対峙性を感じさせてくれる。
 当盤の収録曲では、私は第6番が特に素晴らしいと思う。この楽曲は、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ群の中では、かなり地味なイメージの曲だけれど、彼らの演奏は爽やかな一陣の風を思わせるもので、第1楽章のアレグロは活力と喜びに満ちて響き渡り、第3楽章ではヘルムヘンの前述の果敢さが典型的に表出している。彼らの演奏の神髄と呼びうるものが、この楽曲に詰まっているように感じられる。
 第5番はとても有名な作品で、競合する名録音も多くあるのだが、ツィンマーマンとヘルムヘンの演奏は、快適なテンポを維持し、軽やかかつ伸びやかに響くヴァイオリンがいっさいの翳りのないように響く。その天真爛漫と言える様に思わず微笑みを返したくなるような、愛すべき演奏と思う。また、彼らの演奏は、伸びやかな音を繰り出して、大きなスケール感を描く場合でも、決して壮大な表現にはならず、現代的な洗練の中に納まる礼儀正しさのようなものも持ち合わせている。
 第7番は、中間楽章で、あえて間を詰めるようにしてインテンポ主体の表現を重視している点に特徴的なものを感じる。この第7番という曲は、とても良く出来ていて、誰が演奏しても、カッコ良く聴こえるのだけれど、ツィンマーマンとヘルムヘンの演奏は、つねに清潔感を感じさせる燃焼性を示していて、熱血的になっても、爽やかさを湛えており、いかにもクールな演奏を繰り広げている。

ヴァイオリン・ソナタ 第5番「春」 第9番「クロイツェル」
vn: パールマン p: アシュケナージ

レビュー日:2005.1.8
再レビュー日:2014.10.21
★★★★★ 文句無しの名曲に文句無しの名演
 文句無しの名曲に文句無しの名演という組み合わせがある。このアルバムもまさにそんな一枚だ。
 ベートーヴェンのクロイツェルとスプリング。これは古今東西のヴァイオリン・ソナタ中でも名曲中の名曲である。
 そしてイツァーク・パールマンのヴァイオリン、ウラディーミル・アシュケナージのピアノ。これまた天下一品だ。良くないはずがない。
 クロイツェルの冒頭、パールマンのすっとスタイルのよい、しかし豊穣なヴァイオリンは鮮やかに曲を開始する。見事な高揚感と適度な圧力であり、音程も抜群にいい!そしてアシュケナージのピアノが加わる。素晴らしい音色。そして作品との見事の距離感。安定した優しさと、ここぞというときの迫力。大家の演奏とはこいうものだ。
 この演奏が出るまでは、オイストラフやスーク、シェリングやティボーといったヴァイオリニストの録音があった。
 しかし、この演奏は既成の名演とも一線を画している。それまでこの曲は職人芸というか、格調と重みといったものが重宝されていたように思う。一方で、このパールマン・アシュケナージ盤は一切の既成の価値観を意識せず、何度も録音・演奏されてきたこの楽曲にまったく新鮮な薫風を送りこんだ。そしてその演奏の美しく力強いこと!
 この名演がこの名曲のイメージさえも一新させてしまったと言えるだろう。これは革命的な演奏でもあったのである。
 ちなみにスプリングソナタも勿論文句無し!音楽の楽しみここに極まれりといった胸のすく快演だ。
★★★★★ 文句無しの名曲に文句無しの名演
 パールマン(Itzhak Perlman 1945-)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2大名曲を収録したもの。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調「クロイツェル」 op.47
2) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調「春」 op.24
 1973年から74年にかけて録音されたものの再発売版。私は、以前この録音の既出盤に絶賛のレビューを書かせていただいた。2005年のことだ。あれから10年近くが経過しているが、いまだに私の気持ちには微塵の変わりもない。むしろ年月を経て、様々な他の演奏に触れる機会を通じて、改めて当録音の「凄さ」を認識し直している。
 この録音に、私が感じた凄味というのは、いったい何だろうか?私は以前のレビューで以下の様に書いていた。
 「この演奏は既成の名演とも一線を画している。それまでこの曲は職人芸というか、格調と重みといったものが重宝されていたように思う。しかし、このパールマン・アシュケナージ盤は一切の既成の価値観を意識せず、何度も録音・演奏されてきたこの楽曲にまったく新鮮な薫風を送りこんだ。そしてその演奏の美しく力強いこと!この名演がこの名曲のイメージさえも一新させてしまったと言えるだろう。これは革命的な演奏でもあったのである。」
 その後、現在まで、特にピリオド楽器などの分野を中心に、「新しいスタイル」の演奏が提案され、私もそれらを楽しんできた。しかし、やっぱりこのパールマンとアシュケナージの演奏は、突き抜けているように思う。それは、この演奏が、全面的に楽器の「対立」を受け入れ、それを超積極的に開放したという、他に例をみない攻撃的な手法を用いているからだ。その斬新さは、他盤と次元の異なるものなのである。
 ベートーヴェンがこれらの2曲を書いたのは1801年(31歳)から1803年(33歳)にかけてのことである。その頃のヨーロッパは、1789年のフランス革命からナポレオン(Napoleon Bonaparte 1769-1821)が台頭し、民主政と帝政という価値観が凌ぎを削った時代だ。ベートーヴェンは帝政打破の闘争を続けるナポレオンに深く共鳴し、彼の為に第3交響曲「英雄」を書いたと言われる。しかし、自ら帝位についたナポレオンにベートーヴェンは深く失望し、1804年に完成された第3交響曲の表紙に彼はただこう書き記した。「ある英雄の思い出のために」。
 この2曲のヴァイオリン・ソナタには、青年ベートーヴェンのありあまる情熱が注ぎ込まれている。民主政の夢と独裁という現実で引き裂かれた世界、彼は音楽において保守的な規則と、これを打ち破って更なる美を獲得する革新的手法の間に、同じ関係性を見出した。ヴァイオリン・ソナタという形式に、保守的な2つの楽器の折り合いを与えることから脱却し、楽器同志が激しく己をぶつけ合い、対立し、パッションを放出する音楽を書き上げた。これは前代未聞の「闘争的な」室内楽なのである。
 そして、その「闘争の美」を極限的な形で再現したのが、このパールマンとアシュケナージの演奏に他ならない。互いが衝突を辞さない激しいアプローチによって、放出される莫大なエネルギーの坩堝に、聴き手は巻き込まれていく。数十年に渡り、当演奏を愛聴してきた私は確信を持って結論する。「これは、そういう演奏だ」と。

ヴァイオリン・ソナタ 第5番「春」 第9番「クロイツェル」
vn: マン p: ハフ

レビュー日:2018.8.23
★★★★★ ロバート・マンが若きハフと記録した80年代の良演
 ジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を長年にわたって務めたロバート・マン(Robert Mann 1920-2018)による珍しいソロ活動の記録。1985~86年に、スティーブン・ハフ(Stephen Hough 1961-)とニューヨークのカウフマン・ホールで行ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の模様を収めたもの。当盤には、とりわけ名曲としての広く知られる以下の2曲が収録されている。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24 「春」
2) ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47 「クロイツェル」
 録音はデジタル録音となっているが、高音部がやや歪むところがあって、特に第5番で、ところどころそれが気になるのが残念なところ。演奏はハフの確かな技術に支えられたピアノにより、ヴァイオリンが歌うべきところは歌ったしっかりしたもの。
 ソナタ第5番は冒頭の主題提示から、マンによる麗しいポルタメントを含んだ歌が語られて、この楽曲に相応しい典雅さを醸し出す。ハフのピアノは、とにかく堅実で、各音のバランスが良い。真面目なピアノは、ヴァイオリンという楽器の「歌う」特性をさらに明瞭化し、結果として両者のコントラストを描き出しており、その効果は音楽的に美しく結実していると言ってだろう。全曲を通じて、運動的な美観と構造的なバランスが両立されていて、聴き映えすべきところも十分におさえられた良演だ。ただし、第2楽章など、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)やファウスト(Isabelle Faust 1972-)の名演に比べると、ヴァイオリン、ピアノとも、より情感に作用するものが多くあってもいいように思う。しかし、これはこれでまとまっているだろう。
 ソナタ第9番は、ハフのピアノのインテンポを主体とした進行が、タメの少ない直線的なスタイルを導くことで、コンパクトな姿にまとまった感がある。第1楽章では、この楽章特有の情熱的放散を、むしろ制御し、颯爽と響かせたものと思う。マンのヴァイオリンは、ときどき強音でボウイングに粗さを残すところがあるけれど、ライヴならではのものと思われ、気にしなければ問題ないくらいのものだろう。個人的には、彼らのスタイルは、この曲では特に第2、第3楽章に的確なスケール感をもたらしていると考える。ほどよく快活なテンポを維持し、スリムな外躯を保つピアノによって整えられた基礎の上で、ヴァイオリンが曲想に応じたアヤを添えていく。古典的な均衡感とともに、楽器の役割に即した彼らの演出は、音楽による感情表現を自然なものとし、快く聴き手に伝わっていく効果がある。

ヴァイオリン・ソナタ 第6番 第7番 第8番
vn: マン p: ハフ

レビュー日:2018.7.20
★★★★☆ 流れの良い演奏。第6番の第2楽章、第8番の第3楽章が特に秀逸
 ジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者を長年にわたって務めたロバート・マン(Robert Mann 1920-2018)による珍しいソロ活動の記録で、1985~86年に、スティーブン・ハフ(Stephen Hough 1961-)とニューヨークのカウフマン・ホールで行ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会の模様を収めたもの。当盤には以下の3曲が収録されている。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第6番 イ長調 op.30-1
2) ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 op.30-2
3) ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調 op.30-3
 一応すべてデジタル録音となっているが、ただ録音状態は良いとは言えない。強音部でやや歪みを感じるほか、ピアノの弱音のタッチに濁ったような感触があって、当時であればもっと良い録音が残せたに違いないのに、と思うと残念。
 演奏は、全般に奏者の均衡感の働いた安定したものであり、語り口の自然さが魅力である。当時まだニューヨークではあまり知られていなかったと思われるハフを起用したのは、マンからの信頼感ゆえだろう。ハフのピアノはそれに応えるように高い技術を示す。例外的に第6番の第1楽章でやや不安定なところがあり、またマンのヴァイオリンも第7番の第1楽章のフォルテでややピッチの揺らぎが感じられて、技術的に気になるところが無いわけではないけれど、この程度であればライヴゆえの迫力と好意的にみなすこともできるだろう。
 全体的な印象では、彼らのスタイルに特にふさわしいと思うのは第6番で、特に第2楽章の一見さりげない旋律が、香しいほどの情感をもって奏でられているのが感動的であり、ロマン派の萌芽を感じ取る瞬間に溢れているのである。第8番の第3楽章の花咲く野辺を駆け抜けるような大らかな朗らかさに満ちていて、この音楽に相応しい演奏であると感じ取れる。
 3曲の中で、異質なほどに深刻な曲想を持つ第7番では、前述の録音の不鮮明さが気になるところがあるのだけれど、演奏そのものは過不足ない表現であって、ことさらどこかに弱点を持つようなものではない。特に、全曲の締まった線的な構成感を感じ取れるのは当演奏の美点と言っていいだろう。ただ、この曲については、古今様々な名演豪演が存在するので、中にあって当盤が強い存在感を示すとまでは言えない。

ヴァイオリン・ソナタ 第7番 第10番
vn: パールマン p: アシュケナージ

レビュー日:2014.2.5
★★★★★ 私はこれからもこのアルバムを聴き続けていく、と確信を持って言える名盤
 パールマン(Itzhak Perlman 1945-)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 op.30-2」と「ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96」を収録したアルバム。1974年から75年にかけての録音。
 これは本当にステキなアルバム。「名盤」と呼ぶのに、なんの躊躇もない。私は学生時代のころに、このCDを購入し、当時繰り返し何度も聴いたし、今でも時々取り出して聴いている。
 ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでは、第5番「春」と第9番「クロイツェル」という大名曲があるため、他の楽曲の存在がやや霞んでしまう傾向がある。いろいろな名曲案内などで取り上げられるのも、「春」と「クロイツェル」ばかりで、もちろん、その2曲が素晴らしいことはよくわかるのだけれど、そのために「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタでは、この2曲だけ聴いておけばいいだろう」となってしまうと残念どころではない。中でも、ここに収録された第7番と第10番は優れた作品で、古今のヴァイオリン・ソナタを代表する名曲群の一角を占める重要なものであるということは間違いない。
 第7番は、暗い陰りのある情熱を、力強く太い動線を持って描き切った、生気漲る音楽だ。劇的で衝撃的なフレーズ、高揚感に満ちた展開、機敏な楽想の移り変わり、いずれもが、ベートーヴェンならではの論理性と構築性に裏付けられた様式美を映し出す。もし「クロイツェル」ソナタがなかったら、この曲がベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの「顔」となっていただろう。
 他方、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中で、1曲だけ、別の作曲時期に書かれた最後のヴァイオリン・ソナタ「第10番」は、明らかにロマン派的思考に軸を置いたもので、典雅な歌の成分から音楽を紡ぎ出している。ピアノ・ソナタ第31番にも通ずる晩年のベートーヴェンの清澄な心が伝わる名作であり、その後の「室内楽」の発展する方向を指し示した啓示的な音楽でもある。
 いずれも疑いもなく、ベートーヴェンのみが書きえた名曲である。
 演奏がまた素晴らしい。これらの音楽の名曲性を余すことなく表現している。こういうのを「名演」と呼ぶのだろう。パールマン、アシュケナージともに、音色の豊かさと輝かしさが見事で、他にちょっと聴けないくらいの美観を放っている。しかも、音が太く、フォルテの力強い響きと重量感が凄い。しかも、そのフォルテの響きが、内層的な充実を感じさせる質感をともなっていて、常に音楽的で、決して軽々に鳴ることはない。そのため、第7番では、重量感と疾走感の両方を、類まれなレベルで表現しきっていて、手に汗握る表現であるとともに、美しさにも圧倒されてしまあうのである。情熱はまさに火を噴くような迫力で表現されるし、情緒は潤いに満ち、時に神秘的な魅惑を伴って聴き手に迫ってくる。
 第10番は、明朗で健康的な抒情性が、きわめて自然で内発的に獲得されているのが心地よい。無駄な作為を感じさせず、音楽そのものが持つ歌謡性をストレートに突きつけている。これは、基本的にインテンポのスタイルを通し、アゴーギグなどの人工的な効果を最小限に抑えることによって得られた効果である。感情付けを排しながら、奏でられる音楽は、歌を包み、なだらかで豊饒な幸福感に満ちている。
 この素晴らしい録音から40年が経過したことになるが、その価値はまったく減じることなく、私にとっても、今後も聴き続けていくに違いない名盤である。

ヴァイオリン・ソナタ 第8番 第9番「クロイツェル」 第10番
vn: ツィンマーマン p: ヘルムヘン

レビュー日:2021.11.18
★★★★★ 軽快な中に「熱」と「機敏」を内包するベートーヴェン
 BISレーベルからリリースされてきたフランク・ペーター・ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)とマルティン・ヘルムヘン(Martin Helmchen 1982-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のヴァイオリン・ソナタ・シリーズ。当盤が第3弾で、最後の3曲が下記の通り収録されている。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第8番 ト長調 op.30-3
2) ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47「クロイツェル」
3) ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96
 2020年の録音。
 最初に断っておくと、当盤により彼らのベートーヴェンの全集は完結した形になるのだが、私がその演奏を聴くのは当盤がはじめて。別にこれまで興味がなかったわけではないのだが、限られた時間の中で、聴けるCDも限られるという私事にまつわる制限によるもの。
 というわけで、今回初めて彼らのデュオを聴いたわけでだが、率直な感想として、かなり熱い演奏と感じた。これは、たぶん、私が今まで聴いてきたツィンマーマンやヘルムヘンの録音から持っている印象と異なるというギャップがあったせいで、自分の中で、やや印象が強調された感もある。ただ、少なくともヘルムヘンの様々な録音、~それらはPentatoneレーベルからリリースされたものだが~から受けた彼のピアノの印象は、もっと木目調のアコースティックな響きだったのであるが、当盤では、金属的な光沢を感じるピアノの音色になっていて驚いた。なんでも、ここで使用されているピアノは「平行弦」と呼ばれる弦の張りかたを採用したピアノを用いているそうだが、それよりも、彼の「弾きぶり」が、異なっていると感じられた。あるいは、彼にとって、ベートーヴェンは、このように弾かれるべき音楽であるのかもしれない。ツィンマーマンのヴァイオリンも思いのほか華やかで、発色性に富んでいる。
 私が特に良いと感じたのは、最初に収録されている第8ソナタで、彼らの積極的な表現は、このソナタにふさわしい軽快な機敏さに富んでおり、この楽曲がもつ運動性とウィットの複合が、手を変え品を変え提示されていて、聴いていてとても楽しい。中間楽章もスピーディーかつ軽やかな表現が、楽想をことごとく活かしているし、終楽章の鮮やかな躍動感も見事だ。
 第9ソナタでも同様の手法が用いられ、かつピアノとヴァイオリンのやり取りにも工夫がなされている。個人的には、この楽曲に関しては、両楽器がどっしりと構えた上で、丁々発止のやりとりを繰り広げる演奏が好きなのだが、この演奏における輝かしくも軽妙な味わいもなかなか魅力的だ。第1楽章の全休符で挿入されるヴァイオリンの即興も、まずまず面白い。軽さと熱さがこまやかに交錯する傾向は、全アルバムを通して一貫している彼らの特徴だが、第9ソナタの終楽章の表現性は、それゆえの叙情性とユーモアにあふれており、ふさわしい。
 第10ソナタは、彼らの身軽さと俊敏さが随所で活きており、こまやかなアクセントによるニュアンスのやりとりが楽しい。この楽曲は、全体としては簡素な印象を与える響きを持っているが、そこに行間を読むような感情を添えることで、音楽的な幅をいかようにも増す不思議な作品である。ツィンマーマンとヘルムヘンの演奏は、たっぷりした余韻を与えることに成功している。一つ一つの楽章が性格的に描かれ、とてもしっかりした足跡を感じさせる演奏となっている。

チェロ・ソナタ 全集 ホルン・ソナタ(チェロとピアノ版) ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 魔笛の主題による7つの変奏曲 魔笛の主題による12の変奏曲
vc: ペレーニ p: シフ

レビュー日:2005.4.30
★★★★★ 豊穣な響きに満ちたベートーヴェン
 ミクローシュ・ペレーニによる2度目のベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集。今回はシューベルトなどで、すばらしい演奏を聴かせてくれたアンドラーシュ・シフとのコンビである。当全集は5曲のソナタのほか、チェロとピアノによる変奏曲や、あるいはホルンソナタのチェロ版も含めたもので、ベートーヴェンの「ピアノとチェロのための作品全集」と言える。希少な作品まで、この充実した演奏で聴けるのがウレシイ。
 演奏は非常に表情豊か。いかにもふところの深い楽器の鳴りが、楽器の木目まで伝わってくるよなぬくもりに溢れている。例えばソナタ第5番の第2楽章は、まるで天上のやすらぎや至福のような、宗教性まで帯びた美しさを感じさせる。またソナタ第3番は、名曲的な大きな恰幅をみせて、気品ある豪華さを打ち出す事に成功している。このスタイルは、特に後期の作品で見事な結実をみせている。
 ただ、初期の作品では、もっと軽やかな「はずみ」のようなものがあってもいいと思う。そういった点で、鈴木秀美版は優れていた。また後期でも、よりシャープで客観的だったハレル(アシュケナージの好サポートも含めて)の演奏も捨てがたい。
 とはいえ、もちろんこれもまた、あやなす素晴らしい全集の一角を担う録音だ。

チェロ・ソナタ 全集 ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 魔笛の主題による7つの変奏曲 魔笛の主題による12の変奏曲
vc: ウィスペルウェイ p: ラツィック

レビュー日:2006.1.29
★★★★★ 古典的で風雅なベートーヴェンは特に初期作品が傑出
 ピーター・ウィスペルウェイとデヤン・ラツィックによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集。ソナタだけでなく2つのモーツァルトの主題による変奏曲とユダ・マカベアの主題による変奏曲も含んでいる。
さっそく演奏であるがいかにもウィスペルウェイらしい健康的な軽やかさが特徴である。すなわち、各フレーズの末尾ごとに、さらりと乾いて気化するような音のすっと消えて行く清涼感がある。全般に音色は軽く、細やかな表情をつけており、ベートーヴェンを強く古典的に捉えている。こまやかなフレーズは即興的な風合いを持っているが、全体的に非常によく計算された演奏で、そのことはピアノのラツィックが細やかなフレーズのうつりかわり一つ一つに、ウィスペルウェイと同じアプローチを打ち続けることからもわかる。
こうした演奏で、特に奏功しているのは初期の作品で、ソナタ第1番や変奏曲などは音楽の性格がとてもよく伝わる。他方で第3番のような規模の大きな楽曲では、同様のアプローチがやや「あざとさ」を感じさせてしまうところもある。第2楽章のスケルツォはベートーヴェンの書いたもっともドラマティックなスケルツォの一つだと思うが、細かい「アヤ」が在り過ぎて、今一つ違和感を感じたことも事実である。そういったところでは、ラツィックのピアノもやはりお付き合いしてしまって、意識がありすぎると感じられる。
とはいえ、非常に質の高い全集であることは、間違いない。特に初期の作品の傑出した出来映えは古今の名演の中に数え上げられていいだろう。

チェロ・ソナタ 全集 ホルン・ソナタ
vc: ハレル p: アシュケナージ hrn: タックウェル

レビュー日:2006.3.12
★★★★★ シャープで現代的な快演
 リン・ハレルとウラディーミル・アシュケナージによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集。録音は1984年に行われている。本盤の収録曲上の特徴として、アシュケナージとバリー・タックウェルによるホルン・ソナタ(1974年録音)が合わせて収録されていることがある。作品17のホルンソナタは、チェロ版が存在し、最近のチェロ・ソナタ全集にはこのチェロ版も合わせて収録されることが多い。だが、ここではその原曲である通常編成によるホルンソナタが聴ける。再編集版らしい、サービスであり、良心的である。
 ホルン・ソナタは凛々しいホルンの音色が特徴の華やかな演奏になっており、明るいこの曲にふさわしい演奏。
 チェロ・ソナタももちろん過不足ない、大家による自然な表現であり、好ましいスケールでまとまっている。アシュケナージのピアノの絶対的な美しさはここでももちろん活きており、北国の夏のようにさわやかな清涼感に満ちており、かつスピード感に溢れている。ハレルのチェロはピアノに比し、ダイナミックレンジはやや小さめであるが、合奏としての密度は思いのほか良く、一つの現代のオーソドックス・スタイルといえる。(ただし、チェロの朗々たる響きを期待する向きには、不足と感じられるかもしれない)。つまり、チェロは感情表現の中心として前面に出るよりは、全体のバランスを支えることに意識を集中していると感じられる。音色は繊細であり、風通しが良く、旋律線はきわめて明快でシンプルに浮かび上がる。こうして描かれるチェロ・ソナタの全体像はとてもシャープで現代的なものとなる。中でも第3番では適度にウィットにバランスよく表情を変化させるており、アシュケナージのピアノとともにスケルツォの歯切れの良さは絶品となっている。

チェロ・ソナタ 全集 ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 魔笛の主題による7つの変奏曲 魔笛の主題による12の変奏曲
vc: ケラス p: メルニコフ

レビュー日:2014.9.22
★★★★★ 精緻なテクニックで自在さを貫いたモダンなベートーヴェン
 フランスのチェリスト、ジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras 1967-)と、ロシアのピアニスト、アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「チェロとピアノのための作品全集」。2013年録音。CDメディアは2枚組(harmonia mundi HMC 902183.84)。収録内容の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) モーツァルトの「魔笛」の「娘か女か」の主題による12の変奏曲 ヘ長調 op.66
2) チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 op.5-1
3) チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2
4)  ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の「見よ勇者は帰る」の主題による12の変奏曲 ト長調 WoO.45
【CD2】
1) チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 op.69
2) モーツァルトの「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲 変ホ長調 WoO.46
3) チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 op.102-1
4) チェロ・ソナタ 第5番ニ長調 op.102-2
 この2人のベートーヴェンと言うと、2011年にイザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)を加えての2曲のピアノ三重奏曲の録音があったが、このたびは、ベートーヴェンの「チェロとピアノのための作品全集」というヴォリュームのあるアルバムがリリースされることになった。
 ケラスは、同じフランスのピアニストであるアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud 1968-)との共演で、優れた録音がいくつかあったのだけれど、このたびのデュオの相手には、メルニコフを選んだようだ。ベートーヴェンの作品で、すでに共演実績があったことが大きかったのかもしれない。いずれにしても注目したい録音。
 3回通して聴き、気になった箇所など繰り返し再生した結果、全体の印象としては、ファウストを加えての三重奏にも増して、自由さを感じさせる部分が多かったように思う。それは二重奏と三重奏の違いによるところかもしれないが。
 メルニコフのピアノは暖かで、以前より柔軟なタッチを多用するようになった。かつての、例えばショスタコーヴィチなどの録音と比べると、丸くなった印象。音楽に対する活き活きとした表情付けや、闊達な運指は相変わらずで、適度な装飾音を挿入しながら、精緻に、しかし快活な自由さをもって、よく楽器を鳴らしている。
 ケラスのチェロは、自在性という点で、他を圧するほどの技術の冴えをみせる。特に高音域の軽やかですみやかな展開は、ヴァイオリンの音と聞き間違えるほどの自然さで、チェロと言う楽器の拘束性をほとんど感じさせない。このことが、前述の「自由さ」という印象に繋がっているようにも思う。両奏者の俊敏な反応性と、ときとして即興的とも言える快活な歌は、とてもアグレッシヴで、いかにもベートーヴェンの音楽を楽しんでいるというふうな豊かさがある。
 特に印象に残ったのは第4番と第5番の2曲のチェロ・ソナタで、ここでは前述のかれらの特徴が、一層全面に繰り出されていて、音の疎密や緩急に関する自在な判断が、とても心地よい。ことに後期の歌を思わせる第5番の中間楽章の美しさは抜きんでている。
 ヘンデルの「ユダ・マカベア」の主題による変奏曲も、重心を高めに置いた軽やかなテイスティングで、ちょっとピリオド楽器を意識したようなフレージングやアクセントが面白い。
 また、私自身が、ベートーヴェンの「隠れた名曲」として、たびたび挙げさせていただいているチェロ・ソナタ第1番も、スピーディーな展開で、この音楽の持つ若々しい活力を躍動的に描き切った優れた演奏だ。
 明るく、快活な彼らのベートーヴェンは、現代の多くの人に受け入れられるものに違いないと思う。

チェロ・ソナタ 全集 ホルン・ソナタ(チェロとピアノ版)
vc: ペレーニ p: ラーンキ

レビュー日:2016.6.9
★★★★★ ペレーニとラーンキによる、真面目さが魅力なベートーヴェン
 ハンガリーのチェリスト、ミクローシュ・ペレーニ(Miklos Perenyi 1948-)と同じくハンガリーのピアニスト、デジェー・ラーンキ(Ranki Dezso 1951-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のチェロ・ソナタ全集。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 op.5-1
2) チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2
3) ホルン・ソナタ ヘ長調 op.18(チェロ版)
【CD2】
4) チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 op.69
5) チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 op.102-1
6) チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 op.102-2
 録音は1978年から1979年にかけて行われている。ペレーニは、当録音から23年後に、やはりハンガリーのピアニストであるシフ(Schiff Andras 1953-)と全集を録音している。
 ペレーニのこれらの楽曲の録音というと、おそらくシフとの新しい録音の方が圧倒的に有名なのだろうけれど、この最初の録音も捨てがたい魅力を持っている。23年というタイムスパンは、ペレーニのスタイルを変化させている。また、ピアニストのスタイルの違いも大きい。この最初の録音は、真摯なほどのまっすぐさを感じさせる録音といってよい。
 彼らの実直な表現は、どことなく古めかしさを感じながらも、「ベートーヴェンを聴いた」という実感を味わわせてくれるものだ。各ソナタが、簡潔な楷書体のようなスタイルで、速く、克明かつ鮮明、模範的に表現されていて、音像がくっきりしている。のちのシフとの録音で感じられた豊穣な浪漫性とは、印象がだいぶ異なると言って良い。特にソナタ第2番の深刻さを持ちながらも若きベートーヴェンの意欲が直線的に伝わるような気風は、私にはとても良好に感じられるもの。また、ホルン・ソナタの瑞々しい感覚にあふれた表現も、さわやかさを伴った本格志向といった音作りで、中央ヨーロッパの古典的様式美に精通した音楽として響いている。
 それに比べると、中後期の作品は、やや一味薄い感じを持つところもあるが、それでも真面目さに満ちた彼らの演奏は、聴き手の期待を大きく裏切ることはないだろう。
 他方で、当盤の難点として録音がある。ある程度の質は維持されているが、ピアノの音がやや大きめに録られており、ラーンキの勇猛な反応性が、急ぎすぎるというわけではないが、時に全般を覆うようになって、ガチャついた印象に繋がるところがある。後半の楽曲で、これらの録音特性が、特に平板さとして聴き手に伝わるところもあって、録音アイテムとしての完成度を下げてしまっている。
 とはいえっても、演奏自体は十分に聴く価値があり、特有の魅力を持つもので、捨てがたい全集であり、忘れられてしまうのはもったいないアルバムだ。

チェロ・ソナタ 全集 ヘンデルのオラトリオ「マカベウスのユダ」の主題による12の変奏曲 魔笛の主題による7つの変奏曲 魔笛の主題による12の変奏曲
vc: H.シフ p: フェルナー

レビュー日:2023.1.16
★★★★★ 心落ち着けてじっくりと味わうベートーヴェンのチェロ・ソナタ
 オーストリアのチェリスト、ハインリヒ・シフ(Heinrich Schiff 1951-2016)と、同じくオーストリアのピアニスト、ティル・フェルナー(Till Fellner 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のチェロ・ソナタ全集。CD2枚に下記の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 op.5-1
2) チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2
3) チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 op.69
【CD2】
1) チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 op.102-1
2) チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 op.102-2
3) ヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカウベス」の「見よ勇者は帰る」の主題による12の変奏曲 WoO.45
4) モーツァルトの歌劇「魔笛」の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲 op.66
5) モーツァルトの歌劇「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲 WoO.46
 1998年の録音。
 ベートーヴェンのチェロ・ソナタ集は、クラシック音楽における同ジャンルの最高峰と言うべき作品群であり、当然の事ながら、古今様々な録音がある。そのため、良演・佳演であっても、それらの中に埋もれてしまうケースが多い。私の印象では、当録音も、そんなふうに感じられるものの一つ。聴くのが後回しになってしあっていたけれど、聴いてみれば、滋味豊かな良い演奏で、聴き手に豊かさを感じさせてくれる録音だ。
 演奏の印象を一言でいうと「シックな演奏」だろうか。落ち着いていて、十分な考証に基づいた解釈であり、勢いに任せて弾き飛ばしたり、急な加減速で聴き手を煽ることもない。ピアノとチェロの良好なバランスは、暖かみがあり、流れの良いメロディーラインは、自然な起伏によって、心地よく彩られている。
 【CD1】に第1番から第3番のソナタが収録されているが、これは、第1番と第2番におけるリピートの省略による演奏時間の短縮効果を反映している。その点を残念に感じる人もいるかもしれないが、聴いていて、まとまった感じはあり、個人的には、むしろリピートがないことで、程よく引き締まっているように思った。ソナタ第1番の序奏がおわって、快活な展開部に移る部分は、心躍るところだが、彼らのアプローチはとても柔らかく品が良い。なめらかなシフト・チェンジは高級車の走りを思わせてくれる。第2番のアレグロも同様で、抑制が効き、齟齬の無い音楽で、とてもスムーズに心地よく流れる。もちろん、ここにもっと情熱的なものを望む向きもあるとは思うが、彼らのスタイルは別のものであり、その方向性において、よく考えられ、完成された響きになっている。
 有名な第3番も、抑制的な演奏と言って良い。曲想にともなった切迫性はあるが、それを必要以上に荒立てることはせず、自然な起伏の中で吸収している。劇的な第2楽章なども、バランス重視と言っていいだろう。
 【CD2】の第4番が、あるいはもっとも力を感じる表現を採用しているかもしれない。ここではシフのアクセントが巧妙で、アルバム全体の中でも特にコントラストのあるところである。第5番の緩徐楽章は、このアルバムのハートと言っても良い部分であり、ここでシフとフェルナーが紡ぐ歌は、背景の静謐さとあいまって、神秘的と言えるほどの雰囲気を現出させており、美しい。末尾に収録された3つの変奏曲も、いずれも嫋やかと表現したいニュアンスに満ちているが、中でもモーツァルトの歌劇「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲には、はっとさせられる瞬間があって感動させられる。
 落ち着いた気持で、じっくりと音楽と向き合う時間を与えてくれるアルバムであった。


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器楽曲

ピアノ・ソナタ 全集
p: チアーニ

レビュー日:2004.3.13
★★★★☆ 奇蹟的に遺されたチアーニのベートーヴェン全集
 チアーニは現在のクロアチアで1941年に生まれたピアニスト。極めて強いパーソナリティーを持つ芸術表現を持っていたピアニスト。しかし、彼は1974年、ローマ近郊で交通事故のため、33歳の若さで世を去っている。彼が無事生き長らえていたら・・・そう思わずにはいれまない。
 そんな彼の、レコード会社による正規の録音は、無い事はないが、とても満足のいくラインナップではなかった。
 そこに登場したのがこの全集。これは1970年にトリノで行われたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会の模様を収録したもの。
 ただ、正規の録音セッションによるものではない。同封の解説によると、彼の芸術の理解者であり協力者であった友人たちの手による、きわめてプライヴェートな録音。録音用のテープレコーダはホールの中心に据え置かれたもので、当然モノラル録音。聴衆の拍手の音が一番大きくてびっくりする。しかし、もしこのような方法がこのとき行われなかったら、この貴重な記録は、永遠に失われていたであろう。。。
 まず、録音はやはり聴きやすいものではなく、とくに低音が濁り、高音がややキンキンする。しかし、これはないものねだり。それを差し引いても、素晴らしい演奏であることはよくわかる。まずその音量の豊麗なこと。そしてロマンティックな感情の高ぶりの見事さ。音楽全体が生気溢れる躍動感に満ちている。瞬間瞬間の刹那的ベクトルがもつエネルギーもすごい。中期の特にロマンティックなソナタで一番適性を発揮していると思われるが、初期や後期のソナタももちろん魅力的な演奏である。
 なお、ソナタ14番のみ2テイクが収録されている。
 確かに録音状況を考慮すると、「さあさあ買いなさい、聴きなさい」と無責任にオススメはできないが、個人的には、主知的なアシュケナージと主情的なチアーニの両ベートーヴェンの全集は、今やどうしても手放すわけにはいかないCDとなった。

ピアノ・ソナタ 全集 アンダンテ・ファボリ
p: アシュケナージ

レビュー日:2006.8.1
★★★★★ まさに現代のスタンダードといえる名録音です!
 アシュケナージが西欧的なスタイルをまとって録音した刷新のベートーヴェン全集。旧弊な大仰さを排した主知的名演。ピアニスティックなタッチで清廉なアプローチは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏史に新たに価値あるページを加えた。録音から20年以上経過したが、音質も良好でまったく問題ない。ロシアピア二ズムの最良な資質を持ち合わせ、かつ現代的な感性により透徹された、一人の洗練されたピアニストによって仕上げられた「本物の音楽」だ。
 簡潔なソナタ形式の第1番、幻想性を含んだ第2番と肉付きのいいピアノの音色が魅力的に響く。第5番の澄んだニュアンスはさすがで終楽章はモーツァルト的悲しみを纏う。
 3大ソナタ(「悲愴」「月光」「熱情」)では定盤に相応しいオーソドックスな魅力を湛える。ピアニスティックな月光。運動美の極致を示す「熱情」。
 第9番は小気味のいいリズム感が見事だし、第10番は右手と左手が奏でる声部のやりとりが実に巧み。「テンペスト」の透明感は見事。第18番の機敏な弾力は爽快だし、第19番や第20番の小粋な表現もビタリだ。「告別」ではバランスのとれた表現で曲の構成をスマートに消化している。
 ベートーヴェンが改良された(現代の姿に近い)ピアノのために描いた賢覧豪華な絵巻「ハンマークラヴィーア」は、作曲当初は演奏したピアニスト達には悪評だった。答えてベートーヴェンいわく「私はピアノのために書いたのであって此れをピアニスト達のために書いた覚えはない」。アシュケナージの表現は、この曲ではまさにそこをついて、きわめて意欲的である。最後まで豪快に描ききっている。31番中間部のウィットに富んだ情緒も素晴らしい。中庸の美をつくした現代ベートーヴェンであり、無名で地味な曲についても曲自体の評価までも見直させる輝きを帯びている。
 なお第14番、第21番、第23番、第28番、第30番、第31番、第32番の7曲については再録音があり、そちらも名演なので合わせて薦めておきます。また、当アイテムと同内容の輸入盤が、より廉価で入手可能となっていますので、日本語解説が不要の方には、そちらをオススメします。

ピアノ・ソナタ 全集 アンダンテ・ファボリ
p: アシュケナージ

レビュー日:2007.8.23
★★★★★  「名演」です。
 世の中に「名演」と言われるものがあるけれど、名演の条件とは何だろうか?あくまで私見だけれども「名演」と「いい演奏」は別である。また「名演」は「いい演奏」であるか?というのも難しいが、必ずしもそれも言えないと思う。
 これもまた私の勝手な意見になってしまうけれども、名演というのは、「演奏家が確固たる芸術的な意志を持ち、すべてをそのために機能させた演奏」というのが私の定義である。もちろん、これは勝手な理屈であることは百も承知だし、もっと別の定義はいくらだってあってもいいのだけれど、自分の中ではそういう線引きをしているという話です。
 さて、そんな私にとってこのアシュケナージが録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、名演と呼ぶにふさわしい内容をもっている。かつてアシュケナージは「自分にはベートーヴェンへのアプローチが難しい」と語っていたことがあるけれど、そんなアシュケナージがここで試みているのは、西欧的近代ピアニズムとロシアロマンティシズムの「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ上」における融合にほかならないと思うからである。そして、初期作品から後期作品にいたるまでそのスタイルは貫かれ、すべてがそのために機能している。
 そうして達成された演奏を聴くと、ほのかな香気を残したロマンティシズムが近代的なピアノ演奏の教養を礎に漂う、独特の気品と情熱に満ちた情緒が伝わってくる。そして、まったく「押し付けがましさ」とは無縁のクールさをまとっている。
 「月光」ソナタの終楽章の流れ落ちる清流のような瑞々しい美観、「テンペスト」ソナタの第1楽章の静謐な夜のような情緒、第30番の終楽章の思索性に富む色彩、第18番の爽快無比な弾性のあるピアニズム、第1番の第3楽章の暖かいまどろみ・・・。確かにベートーヴェンが作品に込めたパトスをそこに見出す。
 ベートーヴェンピアノ・ソナタ演奏史を考える上でも、決してはずすことのできない名盤だと思う。

ピアノ・ソナタ 全集
p: ポリーニ

レビュー日:2014.11.19
★★★★★  現代を代表する録音芸術の成果
 現代を代表するピアニストの一人であるポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集が、ついに完成した。
 最初に取り上げられた第30番と第31番の録音が1975年。それから実に39年の歳月をかけた全集の完成である。まずは、その収録内容を俯瞰してみよう。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1 2006年録音
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2 2006年録音
3) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3 2006年録音
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7「恋する乙女」 2009年録音
2) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1 2009年録音
3) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2 2009年録音
4) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22 2009年録音(再録音)
【CD3】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 2002年録音
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 2002年録音
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 2002年録音
4) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13「悲愴」 2002年録音
【CD4】
1) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26「葬送行進曲付」 1997年 ライヴ録音
2) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 1991年録音
3) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」 1991年録音
4) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28「田園」 1991年録音
【CD5】
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1 2013,14年録音
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」 2013,14年録音(再録音)
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 2013,14年録音
4) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1 2013,14年録音
5) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 2013,14年録音
【CD6】
1) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53「ワルトシュタイン」 1997年 ライヴ録音(再録音)
2) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54 2002年録音
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」 2002年録音
4) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78「テレーゼ」 2002年録音
5) ピアノ・ソナタ 第25番ト長調 op.79「郭公」 1988年録音
【CD7】
1) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a「告別」 1988年録音
2) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90 2002年録音
3) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106「ハンマークラヴィーア」 1977年録音
【CD8】
1) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101 1976年録音
2) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 1975年録音
3) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 1975年録音
4) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 1977年録音
 1970年代に録音された第28番~第32番の5曲以外は、すべてデジタル録音。
 ところで、この全集には、残念ながら分売盤から割愛されたものがいくつかある。これについても、購入時の参考になるかと思い、まとめてみました。
 (分売時に収録されていたが、当全集から割愛された音源一覧)
1) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22 1997年のライヴ録音
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」 1988年録音
3) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53「ワルトシュタイン」 1988年録音
4) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」 2002年のライヴ録音(特典)
5) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78「テレーゼ」 2002年のライヴ録音(特典)
 これらをお聴ききになりたい方は、この全集とは別に、当該分売盤を入手する必要があります。
 できれば、これら5つの割愛されてしまった録音を、ディスク1枚相当で、この全集に付随させてくれれば、どれほど良かっただろうと思う。特にソナタ第21番は、1997年のライヴ録音のものより、1988年のスタジオ録音の方が、録音芸術としての完成度の高い一面が強かったとも思う。新しい方を選ぶと言うスタンス自体は、ポリーニの意志も踏まえたに違いないとは思うけれど、旧録音を特典的に収録することが妥当だったように思う。
 ・・とは言え、素晴らしい全集である。
 39年という歳月は、当然の様にポリーニに芸風の変化をもたらしているが、それでも、一貫して深い陰影のある彫像性が刻まれた、コクのあるベートーヴェンとなっている。発売の都度、購入してきた私も、改めて感慨を受けた。
 ポリーニのスタイルについては、あちこちで言及されているので、今更私が付け加えても仕方ない、とも思いつつ、まず70年代から80年代にかけては、「完全性」という形容がもっともあてはまるだろう。圧倒的な技巧と音量を背景に、しかし、徹頭徹尾楽譜に忠実なスタイルで、迫真のベートーヴェンを描き出した。一方で、90年代以降は、表現の幅を広げ、抒情性、そして細部の柔らか味といった要素を加えていく。当初の「完全性」のインパクトがきわめて強力だったため、そのころに全曲を録音してくれていたら、というフアンの声も多かったと思うが、私は結果的に、適切な時期にそれぞれの作品が録音されたことになったのではないだろうか、とも思う。
 全集中に収録されたものの中から、私の気に入っているものをいくつか挙げさせていただこう。
 第1番は、心地よいテンポの畳み掛けがあり、青年期のベートーヴェンのパッションを表出している。左手で支えられる音型は堅固で確か。その一方で第3楽章のペダルの踏み込みに代表される独特の情念的表現があって豊かだ。第5番は第1楽章冒頭の付点の連続する即興的・印象的なフレーズが重く太い。続く第2楽章も荘重な神々しいオーラの中を確固と進んで行くようだ。第10番の終楽章は、最近のポリーニならではの幅のある表現で、音楽の深みをすくった含蓄を感じさせる表現が見事。第13番は充実したシンフォニックな聴き映えが恰幅をもたらす。第21番はグリッサンドの劇的表現が卓越した聴き映え。第23番では完璧ともいえるコントロールの美学で、冷たいけど熱い音楽の奔流だ。颯爽としてスピーディーな第25番は、重量感さえ伴って、見事。第26番は終楽章の階層的な響きが圧巻。第30番は結晶化した響きが等位にカットされたダイヤモンドを連想する。第31番は鋭利で知的な歌が高貴で惹かれる。
 以上、ちょっとかいつまんだだけだけれど、どこをとってもベートーヴェンならではの音が鳴り響く素晴らし聴き心地だ。「現代を代表するピアニストによる、現代を代表する録音芸術の成果」と表現して、まったく差し支えないだろう。

ピアノ・ソナタ 全集 創作主題による6つの変奏曲 エロイカ変奏曲 ロンド・カプリッチョ「失われた小銭への怒り」 6つのバガテル op.126 小品「やや生き生きと」 Wo060 小品「アレグレット」 Wo061a
p: コルスティック

レビュー日:2018.9.19
★★★★☆  異質性の強い特徴的なベートーヴェン全集
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集。既発の単発売CD10枚を、曲順・曲目などそのままの内容でセット化したもので、以下の様に収録されている。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1 2005年録音
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2 2005年録音
3) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3 2005年録音
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7 2006年録音
2) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1 2006年録音
3) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2 2006年録音
4) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26 「葬送行進曲付」 2006年録音
【CD3】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 2006年録音
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 2006年録音
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 2006年録音
4) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」 2006年録音
【CD4】
1) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22 2007年録音
2) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1 2007年録音
3) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 2007年録音
4) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 2007年録音
5) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」 2007年録音
【CD5】
1) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」 2007年録音
2) 創作主題による6つの変奏曲ヘ長調 op.34 2007年録音
3) 「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調(エロイカ変奏曲) op.35 2007年録音
【CD6】
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1 2008年録音
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」 2008年録音
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 2008年録音
【CD7】
1) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」 2003年録音
2) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54 2008年録音
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」 2008年録音
【CD8】
1) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」 2008年録音
2) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」 2008年録音 3) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」 2008年録音
4) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90 2008年録音
5) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101 2008年録音
【CD9】
1) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」 2003年録音
2) 6つのバガテル op.126 2003年録音
3) 小品「やや生き生きと」 Wo060 2003年録音
4) 小品「アレグレット」 Wo061a 2003年録音
5) ロンド・カプリッチョ「失われた小銭への怒り」 op.129 2005年録音
【CD10】
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 1997年録音
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 1997年録音
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 1997年録音
 コルスティックのベートーヴェンの特徴には、透明感のある力強いタッチを駆使したものであること、急速楽章は速く、緩徐楽章は遅くとメリハリが強調されていること、フレーズの繰り返しなどが緊密に制御され、同じように維持されていること、といったものが挙げられるだろう。その結果、私は、その迫力あるダイナミズム、平衡可感の強い構造性の維持に感心しながらも、楽曲によっては、緩徐楽章が平板に過ぎること、フォルテが強すぎると思うことがかなり頻繁にあること、タッチのメタリックな光沢が人工的な肌合いに感じられ、それが当該楽曲のパッションの表出のっ表現手法として異質性を感じることから、どうしても違和感を持ってしまっている。彼のベートーヴェンを聴いて、サラリとした味わいにナット(Yves Nat 1890-1956)を思い出し、全曲の均一な表現に横山幸雄(1971-)を想起し、強靭な和音にコヴァセヴィッチ(Stephen Kovacevich 1940-)を連想した。だが、当然のことながら、その誰とも違う。また、もう一つコルスティックのベートーヴェンで言えると思うのは、どの時期に作曲されたソナタであっても、アプローチの仕方が徹底して、共通したものである、ということが言えると思う。つまり、モーツァルト、ハイドンの古典的系譜から連なる初期のもの、情熱的かつ主知的なスタイルを模索・確立した中期のもの、旋律、歌の要素に着目し、ロマン派の思索へ飛躍した後期のもの、そのどれであっても、コルスティックは「同じように」弾く、少なくとも私にはそう思える。以下、全曲とまでいかないが、各曲の感想を書いていってみよう。
 第1番と第2番では、どの楽章も入り方はどこか軽やかなのであるが、急速楽章ではやがておとずれるフォルテに強靭な響きを叩きつける。そのフォルテの結晶化しきった美観は見事なもの。しかし、その一方で、「情熱」の印象につながるような「粘り」の成分がなく、強靭な音であっても実にサラリとしている。緩徐楽章では、たいていの場合一般的なものよりむしろ遅いくらいのテンポをとって、そのフレーズの一つ一つを克明に浮かび上がらせる。しかし、フォルテの音のあまりにも強靭でかつクールな響きに、どうしても違和感がぬぐえないところがある。特にソナタ第3番の第1楽章など、私は元来この楽章にやや苦手感があるのだけれど、そのどこかガチャガチャしたところが衒いもなく強調される様を聴いていると、肌合いの違いを感じてしまう。
 第9番や第10番は、どちらも私の大好きな名だが、コルスティックの演奏は、これらの楽曲の性格や楽曲が求めるであろう表現の成熟性といったものと、まったく無関係に、独立した一つの対象としてコルスティックのアプローチによる完成を目指している。ただし、その完成度は高い。それはわかるのだが、感覚的にわかるということと、芸術として感動するということの間のギャップをどうしても感じてしまう。第9番のあの愛らしくほほ笑みかけるような第1楽章が、これほどメタリックな光沢で、一気果敢に進められること、第10番の第1楽章の展開部のはじまりが聴いたこともないほどの最強音によって布告されること。いずれも、私には、何か自分の考えを強烈に封じられるような気持ちがしてしまう。それは大げさな表現であって、むしろ私の感受性が、そのような多様性を受け切れていないという問題なのかもしれない。もちろん、そのことは書いておいたほうがいいだろう。だがその前提を踏まえて、コルスティックのあまりにも透明で壮麗で一貫した音楽に、齟齬を感じ、これらの楽曲が大切な何かを失ったように思ってしまう。ただし、フレーズの規則性、再現の安定性は、曲の構造をしっかりと捉えているし、強い音といっても、決して乱暴に弾いているのではなく、むしろ結晶化した完全性を帯びている。だから、聴いていてその点は見事だし、聴くべきところが十分にある演奏であるだろう。
 第5番の冒頭の音型のシンフォニックでかつ整えられた響きは、多くの聴き手の気持ちをつかむだろう。私もそうである。ソノリティが明瞭で、くっきりしていて、一つ一つの音の輪郭が鮮明。鍵盤に伝えられる力が、常に芯まで突き通る充足感を持つ。その一方で、あまりにも衒いや陰りの少ない響きという印象も持つ。その光沢感も、ベートーヴェンの響きとしてはやや異質さを感じるところがある。第7番の第2楽章には13分以上が費やされているが、全体的な構成感という観点でみても、どうも私にはバランスがとれていないように思える。そこに歌があることはわかるが、退屈を感じるところが否めない。有名なソナタ第8番の第2楽章の中間部でも、このスローなテンポはあらわあれる。こちらは第7番ほどには気にならないが、それでその遅さを必然として納得させてくれるだけの何かを欲しいと思う。
 第11番もコルスティックの解釈の典型例だ。この第1楽章冒頭の16分音符と4分音符による印象的なモチーフの明瞭な提示がきわめて鮮やかで、粒立ちのそろい方といい、輪郭の克明さといい、適度なさりげなさといい、完璧といって良い提示と思える。実に爽快で聴き味が良い。この第1楽章はその後も動的かつ鮮やかに展開が進み、コルスティックの全集の中でも聴きどころの一つとなっていると思う。その一方で、第2楽章は、そこまで極端とはいえないまでも、第1楽章との関係性で言うと遅めに感じられるテンポでじっくりと進が、第1楽章に比べると、どうしても平板な印象で、また途中から低音の保持音が、最強音で打たれるところも、私にはやや面喰わされるところである。このソナタの前半2楽章に、コルスティックのベートーヴェンの象徴的なものが集約されていると思える。第19番の第1楽章は冒頭の軽やかさが魅力的。このようなところは、私がコルスティックの演奏に惹かれる部分ではある。ただ、やはり光沢感のある強奏の挿入は、この曲、それに第20番のような可憐さのある曲では、特に気になるところとなる。第13番は、当盤に収録された楽曲の中では、私には違和感が少なく、楽しめる部分が多かった。第14番の第1楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と語られる。付点のメロディがモノローグのようで印象深い。その一方で後半の左手の保持音が情感を増すように上昇下降するところでは、やはり通常聴きなれない強い打鍵が加えられており、この方法での刻印が、コルスティックのベートーヴェンではどうしても必要となるのだろう。第3楽章のソノリティは美しく、技術的なほころびのなさはさすが。克明で正確な音価で表現している。
 第15番では、冒頭のさりげない導入、その後繰り返される明瞭で浮き立つようなすばやいフレーズに興奮を覚える一方で、終結部近くで鳴る強音にこのソナタらしからぬなにかが差し込むように感じてしまう。そのわりに、第1楽章の末尾を飾る2つの和音の軽いこと。これほどさりげなく軽い終りは、ちょっと聴いたことがない、というくらい。第2楽章では、やはりその歩みは私には慎重に過ぎるものと思えるし、このテンポだと、この楽章における美しいフレーズの因果関係は、やや間を感ぜざるを得ないと思ってしまう。【CD5】に収録された2つの変奏曲は、なかなか見事で、鮮やかに聴こえる。これは、一つ一つの変奏が、そもそも対比感をもって書かれていて、かつ楽曲規模が小さいので、コルスティックのメリハリを強調するピアニズムに、楽曲が似合っているためと思える。「創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調」は第4変奏の爽快無比な聴き味が見事で、その後に冴えたピアニズムも、実に楽しい。「エロイカ変奏曲」では、たしかにもっと様々なニュアンスを引き出してほしいところもあるのだが、一つ変奏曲が進むにつれ、旋律やリズムがどのように変化し、またそれがどのような順番であるのかというのが、この上なく明瞭に示される爽快感がある。楽曲の性格を踏まえれば、これはなかなか良い演奏だ。たしかに第8変奏のように、やはり「強すぎる」音が入ってくるところが気にならないわけではないが、それでも屈託なく歌い上げられる最終変奏は、この楽曲の明朗な性格をよく反映していて、清々しいものである。
 第16番の第1楽章において、冒頭こそさりげないが、すぐに対比感の際立った強靭な音が披露される。この楽章における鮮明かつ強靭・俊敏なパッセージの提示は、その音の強さとともに金属質といってもよい光沢をもっている。その表現は、無類に音が強くとも、内燃的なものとは一線を画したスタイルで、それがコルスティックのベートーヴェンなのだろう。それに続く第2楽章は遅く、左手の単音のポツンポツンとした響きも、夢中になれるものとはなっていない。第17番も同様で、急速楽章の当該部では、「速く、強く、透明に」の3原則がひたすらに貫かれるわけだが、そのソノリティの完璧さに畏怖し、驚嘆するとしても、ベートーヴェンの音楽らしい精神的清澄さとはまた違った人工的な質感を受けるものである。少なくとも、私にはそう感じられる。第2楽章は、第16番ほどには遅くなく、楽想は十分に生命力をもって奏でられていて、こちらは好印象。終楽章はフレーズの克明さがやはり特徴だが、強音の衝撃はあいかわらずだ。第18番は良いように思う。この楽曲の運動的で快活な性格を胸のすくような運動美で再現していて、気持ち良い。特に第2楽章の屈託のなさは、この楽曲の好ましい姿に思える。深刻さや深い情感をある楽曲より、ある程度一本気なスタイルの方が、コルスティックのピアノとは相性が良いように思う。
 第21番では、特徴的な音階を彼は非常に俊敏で光沢豊かなものとして響かせるが、そこに入念に織り込まれたニュアンスは、いわゆるベートーヴェンとしてはかなり饒舌な語り口に思えるし、突然立ちはだかるように挿入されるフォルテは、ところどころ、私には強すぎるように感じる。透明性の高い響きは、それ自体とても魅力的で、清々しい見通しの良さを感じさせてくれる。それは気持ちの良い聴き心地を担保してくれるが、畳みかけるような迫力を、音の総和のコントロールとしてではなく、個々の単音の出力を増強することで達成する感覚がある。そして、それが、私の聴きなれたベートーヴェンと異なる印象をもたらす。第21番と第23番の第2楽章は美しいと思った。そこで透徹した響きで描き出されるフレーズは、清らかな水の流れのように滾滾と聴き手の耳に届いてくる。
 【CD8】はわりと好き。第25番の終楽章のように、衝撃的なフォルテに異質感を持たざるをえないところはあるものの、テンポの緩急によるダイナミクスの演出は十分に蓋然性のある範囲で収まっていて、わりとしっくりくる。第24番の第2楽章、第27番の第2楽章など、コルスティックの、さりげない情緒の表出が、タッチの透明さと美しく呼応して、とても感じのよい響きになっている。第28番の第1楽章など、いかにもサラリとしすぎていて、なにかもう一味欲しいところもあるが、私も一通り聴いてきたから、これがコルスティックのベートーヴェンなのだ、ということはすでに納得できる。第26番もコルスティックのベートーヴェンの「あり様」を端的に示す演奏だと言えるだろう。この曲の3つの楽章には「告別」「不在」「再会」の副題めいたものがあるのは良く知られているが、コルスティックの演奏は、ある意味そのような世俗的な観念とはあえて無関心な立場のように響き、超然とした響きで占められている。
 しかるに、第29番は厳しい。コルスティックのベートーヴェンの特徴が、もっとも強調された内容といって良い。第1楽章はとにかく闊達で、透明な響きには一切の夾雑物がなく、逐次的で簡潔な処理を連続させ、畳み込むように音楽を閉じる。そこでは、(私の感覚では)感情的な要素のやりとりは希薄で、楽節の扱いは高度な均一化を感じさせる。かなり線的なベートーヴェンと思うが、その一方でこれでもかというほどの強い打鍵で繰り出されるフォルテは、騒々しささえ想起させてしまう。簡潔な第2楽章を経て第3楽章に入るのだが、これがまた問題で、コルスティックは限界といっていいほどテンポを落とし、第1楽章との強烈な対比性を描き出す。この第3楽章の演奏時間は実に29分近くに及び、さながらブルックナーの交響曲の緩徐楽章のような長大さとなる。だが、正直これが私にはピンと来ない。響きは美しいし、糸を引くような付点のタッチ自体の完成度は見事なもの。だが、それぞれのパーツが長大化された時間軸にプロットされるときに、互いの関係性をどうしても希薄にせざるをえず、全体像との相関が見通せなくなる。少なくとも私はそう感じる。少なくとも、この演奏で「楽しむ」には、この聴く側が、楽曲を相当に深く知っているか、スコアを見ながらといったそこで聴かれる音楽以外の情報を併せ持つ必要があって、もちろんそういう楽しみ方は一つのあり様ではあるが、ベートーヴェンのこの楽曲でそこまで音楽への関わり方を限定する意味は私には感覚的に理解できないし、正直、それでも退屈してしまった。第4楽章に戻るや、またそれを払拭するように快活な音楽に戻るのも、なんだか置いて行かれるような気分になる。そういった意味で、この巨大なソナタを当演奏で楽しむことは、私には難しかった。むしろその後に収められた小曲集の方がしっくりくるし、ロンド・カプリッチョなんかの方が、素直に楽しめてありがたい。
 第31番では、こまやかに分かれた楽想の一つ一つが、しっかりと完結するような趣がある。ダイナミックレンジだけでなく、テンポの対比感も大きい。第32番の第2楽章は、ぐっと落としたテンポで進められる。これもじっくり歌い上げているというより、この音楽の意図を突き詰める場合、このテンポが必要なのだ、というどこか解析的なイメージが支配的だ。逆にその対比感の大きさが、聴いていて、どこか流れが区切れてしまうようなイメージもある。

ピアノ・ソナタ 全集
p: リル

レビュー日:2020.7.24
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェンのソナタ全集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集。32曲のソナタが、全10枚のCDに以下の様に収録されている。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2
3) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1
4) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」
2) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3
3) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
【CD3】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3
【CD4】
1) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
2) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
3) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想的」
4) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
【CD5】
1) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22
2) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調ト長調 op.26 「葬送行進曲付」
3) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」
【CD6】
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 「狩」
【CD7】
1) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」
2) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
【CD8】
1) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」
2) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」
3) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」
4) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101
【CD9】
1) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90
2) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
【CD10】
1) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
2) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
3) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
 リルのベートーヴェンは、全般にダイナミックレンジが広く、スケールの大きさを重んじた表現が特徴だ。また、全般に遅めのテンポをとることが多く、特に緩徐部では、際立って遅めのテンポを設定する場合が多い。以下、収録曲順に感想を書く。
 ソナタ第1番は、落ち着いたタッチで、しっとりとした響きが行き渡った演奏。装飾音をインテンポで弾き飛ばすのではなく、それらの音がもたらす味わいが聴き手にしっかりと届くような緩急を交えて奏でられ、一つ一つがしっかりと届けられるという感覚がある。テンポはややゆっくり目であるが、聴いていて遅いと思わせるものでは決してない。聴こえてくる音楽の密度はむしろ増しているとさえ感じられる。ひとつひとつのフレーズの意義付け、そして音幅の演出の巧妙さゆえだ。
 ソナタ第2番は私が愛聴する作品。ベートーヴェンの作品2の3つのソナタでは、世評では第3番の評価がいちばん高いのだが、私は第3番はそれほど好きではなくて、第2番と第1番の2曲が大好き。それはおいておくとして、リルのこの演奏は名演と呼んで然るべきもの。特に第1楽章の厚みのある表現、肉厚な響きは、現代の演奏家からはほとんど聴かれない性質のものと言って良い。左手の何気ない伴奏のなかにも、突如、積極的に表現性を主張させつつ、全体の流れは巧みにコントロールされている。
 ソナタ19番は、冒頭からはじまるト短調の主題にこぼれるほどの情感が通っている点でたちまち心を動かされる。テンポはゆっくりであるが、そのテンポではじめて浮かび上がる曲想を巨匠風と表現したい振幅をともなって響かせる。一転して第2楽章のスタッカートはダイナミック。華やかであるが、一つ一つの音のニュアンス汲み取り、的確に聴き手に届けてくれる。このかわいらしい作品に豊かなスケール感をもたらしている。
 ソナタ20番は快活だ。この曲の場合、19番と同様に、ソナチネと呼んでも良いサイズの小さなソナタなので、それにふさわしいタッチで弾かれることが一般的だが、リルの演奏は威風堂々といった力感があり、強い音を厭わずにしっかりと歩みを進めていく。その様がとてもふさわしく響くから、ある意味曲のイメージを変える演奏と言っても良いかもしれない。
 ソナタ第8番は、楽器本来の響きを十全に響かせた深さと光沢のある和音で開始され、以下悠然と進んでいく。フレーズの意図を慎重に吟味し、それらの味わいを克明に響かせるテンポ設定で、少しゆっくり目だが、展開部ではそれに加えて運動的な面白味が加わっていく。右手が低音と高音を交換してスピーディーに進行する中間部は、応答の間合いを小さく詰めることで、一連の流れを自然に演出。トリルの強調も、演出としてよく収まる範囲で、気持ち良い。第2楽章はテンポを落してウェットな情感を漂わせるが、光沢ある音色が鋭い感覚性を保つ。第3楽章は、フレーズの歌謡性と全体的な運動性のバランスが良く、とにかく流れが良い。
 ソナタ第3番は、豪放さのある楽曲で、それに相応しい華やかなアプローチ。両端楽章における左手のニュアンスの表出力が表現に豊穣な幅を与えている。第2楽章はテンポを落してじっくりと弾き込んだ感じでロマン性が強く薫る。第3楽章では3連符に様々な表情が感じられるのもリルの演奏の特徴だと思う。
 ソナタ第4番は、ベートーヴェン初期の傑作の一つであるが、リルの演奏はそのスケール感に相応しい。緩急の差、強弱の差、いずれも広く、勇壮な雰囲気を引き出している。第1楽章の第2主題から派生した変容が、一気に力強さを増す個所など、リルのスタイルが良く表れている。第2楽章でテンポを落して、厚めの情感を描き出しているが、その豊かな恰幅は、ベートーヴェンが初期作品ですでに豊かな表現性を目指していたことがよくわかるものとなっている。第3楽章の途中から聴かれる3連符の連続も、味わいが濃く、それでいて流れもそこなわれていない。強いだけでなく柔らか味を兼ね備えた音色だ。終楽章は雄弁な左手のソノリティをバックに、ハ短調の劇的な和音が鮮やかに打たれる。
 ソナタ第5番は、第1楽章の付点が印象的な主題を十分な重量感をもって表現し、柔らかく光沢のある音色で、スケールの大きな気風を示す。それは、このソナタが持っている本来の表現の幅を一段広げた印象である。また、左手の音型も、伴奏であっても、時に表出力のある強さを交えることで、聴き味に豊かな恰幅をもたらしている。第2楽章では、十分に重みづけしたトリルが存在感を高め、カンタービレを濃くする。第3楽章はスラーとスタッカートを細かく交換する俊敏なフレーズとともに、決然と鳴る和音の力強さが魅力的だ。
 ソナタ第6番は、全般に遅めのテンポをとっており、これも当該作品の一般的な印象よりやや重々しさを感じさせる演奏だ。和音の響き、装飾的な音の存在感の強さは第5番と同じ印象。第2楽章のユニゾンも速度表記より遅いテンポであり、物憂さを強めている。対位法的な展開が楽しい第3楽章は、一つ一つの音の芯をしっかりと鳴らした逞しさがある。リルの演奏で楽曲は立派に響くが、この曲がもつウィットに富む部分については、”真面目なベール“に覆い隠されてしまったという感もあるだろう。
 op.10の中にあって、もっとも規模の大きいソナタ第7番で、リルはいよいよそのスケール感を高めたピアニズムを示す。第1楽章はその力感が如実に伝わる。しかし、第2楽章はかなり遅いテンポである。リルのベートーヴェン演奏において、緩徐パートはしばしばゆっくりしたテンポで奏でられるが、この楽章は特にその感が強い。ただ、この楽章では、相応の成果が得られていないように感じた。神秘的と表現できるかもしれないが、楽曲全体の流れとしては、やや唐突な静謐さである。楽曲の新たな面を開拓したという捉え方もあるが、その新趣向がまだ十分にこなれていない様な違和感が残っていると思う。第3、第4楽章は、リルらしい膂力に満ちた表現で、楽想を大きく描いている。
 ソナタ第9番は、第1楽章をかなりゆったりしたペースでスタートする。冒頭の3連音も、一つ一つ、慎重に計ったように鳴らされていて、(言い方として微妙だが)まるで「練習しているみたい」な弾き方に聴こえる。それゆえの味付けと相反する事象ではあるが、人によっては気だるく感じられるかもしれない。第2楽章も付点のフレーズを2回繰り返した後の和音がかなりズシンとして重みがある。まるでそこにアンカーを打ち込むような感じであるが、次の楽想には思いのほか自然に繋がっており、リルならではの考察の結果を感じさせるところだろう。終楽章も快活な中にしばしば楔のような強さが刻印される。
 ソナタ第10番は第9番に比べると普通の印象であるが、第2楽章の最後の変奏の重々しさなどリルらしい感触だろう。その弾きぶりは、リルよりもう少し以前のスタイルに近いように感じられるが、この印象が他の人にもある程度共有されるものかはわからない。第3楽章は、演奏によっては転がるような快活さをもたらすが、リルの演奏には常に重力が働いている感がある。
 ソナタ第13番についてだが、当盤ではCD編集上の特徴があり、楽章ごとのトラックを設けず、全曲が一つのトラックに収録されている。おそらく、この楽曲が「3つの楽章からなるソナタ」ではなく「1つの幻想曲」であるという演奏解釈を反映したものであると思うがいかがだろうか。この曲の第1楽章に相当する部分で、リルはかなり荘重で遅いテンポを設定しており、かなり個性的である。第2楽章に相当する部分の和音のスタッカートも、存分な時間をかけて弾いており、全体として、重心の低い印象を催す。一貫した重々しさでまとめられた第13番は、確かに相応のまとまりを感じるが、好みは分かれるところだろう。
 ソナタ第14番が、当盤に収録された4曲の中では、もっとも一般的なスタイルで弾かれたものといって良いだろう。第1楽章は耽美的だが、濃厚に過ぎることのないバランスでまとめている。終楽章の鮮やかな運動美は当盤の白眉といって良く、この1枚をしめくくる爽快な疾風となっている。
 ソナタ第11番は、最初の部分は比較的常套的だが、音楽が進につれて、決然たる響きを交えるようになってくる。第1楽章の両手のユニゾンで付点の音階が奏でられるところなど、その力感は並々ならぬものがある。音色はほどよい丸みがあるので、強い響きであっても、金属的になったり人工的な印象になったりしないのは、リルの演奏の魅力的なところであると思う。この曲の第2楽章は、スローテンポだ。リルのベートーヴェンでは、緩徐楽章で、しばしば通常以上にテンポを落し、スケール感を高めたアプローチをこころみるが、この楽章はその典型の一つだろう。第3楽章では明晰なトリルや彫像性のある和音表現が印象に残る。第4楽章のロンドはなめらかな流れの良さがあり、通して聴くと相応のバランス感覚で全曲がまとまる。
 ソナタ第12番は、リルのベートーヴェンの中では、とても普通の解釈に聴こえる1曲。第1楽章の変奏も、強弱の対比感を強めに盛りながらも、バランスとして崩れを感じさせることなくまとまっている。第2楽章は冴えたリズムで奏でられる。第3楽章、第4楽章とも重量感と運動性の双方によく配慮しているが、いずれも、今日聴かれる様々な演奏と比較して、際立って何か印象が残るというほどではない。
 ソナタ第15番は、第1楽章では、低音の刻みを慎重に鳴らしながら歩みを進めていく。田園と称される暖かな風合いの主題が奏でられてくるが、リルは低音のニュアンスを大切にしながら、厳かな足取りで音楽を紡いでいる。第2楽章でもやはり左手のスタッカートに様々な表情が宿っている点にリルのスタイルが感じられるだろう。第3、第4楽章とも厳かさの中で、リズミックな旋律が扱われるが、これらは無難にまとまった印象。ただ、私の所有しているディスでは、この第15番の録音は、響きが強すぎて、ところどころ、音に歪みが感じられる点がある。マスターテープ由来のものかはわからないが。  ソナタ第16番は、第1楽章で、16分音符分ずれた右手と左手が力強く、その決然たる佇まいで幕を開ける。スピーディーな第2主題は快活そのもので、強いだけでなくバネの効いた表現で、「ベートーヴェンのアレグロ・ヴィヴァーチェ、かくあるべし」と示されている感がある。この楽章におけるリルの強靭に跳ね回るような音楽は、リルのベートーヴェンの中で、私にとって印象に強く残った個所の一つ。第2楽章は、テンポを落して、たっぷりした表情を付けて奏でられるが、濃厚な味わいは維持されていて、特に雄弁な低音の扱いに特徴を感じる。第3楽章は前2楽章に比べるとさりげないが、それがこの曲には相応しいかもしれない。
 ソナタ第17番は、第1楽章の前奏が終わって、象徴的な第1主題の提示がかなり強い音で弾かれるが、音色は美しく、表現としての外形の美観は整っており、そこに理知的な面を併せて感じさせる。劇的でロマンティックなソナタではあるが、リルのもたらす強さは、あくまで実直な方向性をもっていて、古典的な安定を示している。第2楽章はリルが弾く他のソナタの緩徐楽章に比べると、平均的な速度で、旋律を歌わせる。終楽章は、第1楽章の劇的な表情を踏襲し、階段を駆け上るような動感が強調される。展開部でも音域は強めのものを主体的に使い、果敢な勢いを維持したまま全曲を閉じる。
 ソナタ第18番は、緩徐楽章を置かない4楽章構成という変わった楽曲だが、時々、リルの緩徐楽章におけるテンポ設定がスロー過ぎると感られる私には結果的にとても聴き易い。第1楽章の明瞭な付点の扱い、第2楽章のスタッカートの鮮やかに駆け巡る様は、清々しい勢いをもって再現されており、この曲に相応しいと感じられる。メヌエット、そして第4楽章と、運動的な魅力を存分にアピールした演奏。その一方で、音色にはつねに深みが感じられるし、全体のフォルムが整っているので、芸術性も豊かに感じられる。
 ソナタ第21番は、オクターヴを駆け巡る音階に込められた力強さにリルの演奏の方向性は示される。この曲では、華やかな音階の効果が繰り返されるが、リルはそれらを情熱的に歌い上げ、力強くかつ音楽的な彫像性を作り上げている。第1楽章のテンポは平均的だが、添えられるエネルギーの起伏幅が大きいため、ギュっと中身が詰まった印象であり、結果的に早く聴こえるだろう。一転して第2楽章ではぐっとテンポを落し、一音一音を噛んで含めるような足取りで響かせ、その瞑想性を高めている。楽章そもそもの規模が大きくないこともあり、間延び感はない。第3楽章は再びエネルギッシュな展開が戻り、華麗に全曲を閉じる。
 ソナタ第22番は、少し遅めのテンポで、一つ一つを克明に響かせたもの。ユニゾンによるスタッカートなど、少し大仰で、芝居がかかって感じられるところもあるが、音色自体が自然なぬくもりを感じさせるので、意外にソツない感じに収まっている。運動的な第2楽章では、細やかなアクセントとフレージングにより、楽曲のスタイルを一回り大きく聴かせるような解釈だ。
 ソナタ第23番は、その名の通り情熱的な演奏。このリルの演奏は、一般的な熱情ソナタの名演良演の羅列と一続きのものとして感ぜられる。言い方を変えれば、リルのベートーヴェンは、どんな楽曲も、熱情ふうの弾きぶりを感じさせるのだ。だから、逆にこのソナタは、普通の好演奏という印象が強い。個性的なものが目立つことはないが、このソナタを演奏するにあたって多くの人々が求めるであろう「情熱の放散」を、リルはいつものようにスケールの大きいアプローチと、強く美しい音でもたらしており、自然で、強靭な解釈である。普遍的な美徳を感じさせる演奏とも言える。技術も安定している。
 ソナタ第24番は、冒頭から抑制を感じさせるテンポで、憧憬的な主題をニュアンス深く描きながら進んでいく。あたりの風景を見回すような余裕を感じさせつつ、強さが求められる音は鋭い打鍵でしっかりとそれに応じる。第2楽章は2音ずつ区切られたスラーに添えられた鮮やかな表情付けが生命力に溢れた力強さを示している。
 ソナタ第25番は、全編に渡って勢いのある快演。第1楽章冒頭から弾けるような音楽が流れ下る。ただ勢いがあるだけでなく、フレーズの性格に応じた細やかな強弱が添えられているところがきわめて音楽的。第2楽章の物憂さは、規模に相応しい適度なさりげなさで、終楽章は力感に満ちた疾走が心地よい。
 ソナタ第26番は、第1楽章の情感の表出が美しい。木目調を感じさせるピアノの音色は、強音であっても人工的な趣は感じさせず、旋律の持つ歌謡性を濃厚に引き出しながら歩みを進める。第2楽章は、淋しさを感じさせる主題を十分な余韻をもって響かせて、味わい豊か。終楽章は一気に弾ける。この楽章を、私の知人は「久しぶりにご主人と再会してはしゃぎまわる愛犬の様子」と言っていたが、この演奏は、まさにそんな感じ。勢いの良さ、転回の素早さ、そして華麗な演奏効果で、見事に締めくくる。
 ソナタ第28番は、第1楽章をゆったりと開始し、序奏的な性格を持つその音楽に幾分重々しさを添えながら奏でていく。第2楽章は付点の華やかな音楽だが、引き飛ばさずじっくりと、しっかりと歩みを進める。第3楽章では、リルらしい力強さが全編に渡って展開する。リルにしては、いくぶん音色がメタリックに感じられるところもあるが、全体としてはバランスも聴き味も良く、ベートーヴェンを聴いたという充実感を残す。  ソナタ第27番の第1楽章は、遅すぎないことが楽譜指示されているが、リルはたっぷりした情感をやどすように、一種の重々しさをもって楽曲を始める。リルが奏でる主題は、荘重さをもって響くが、この雰囲気を軸として、リルは楽曲を俯瞰し、構成感を考慮していると感じられる。低音で紡がれる主題も、この演奏では、暗さを増した感じが印象深い。第2楽章は、シューベルトの先駆を思わせる愛らしさのある音楽だが、リルはここでも濃い情感を与え、陰影を深く彩っていく。ひとつひとつのアクセントに重さや意志を感じ取りやすく、芸術家としての積極的な表現性の発露がある。  ソナタ第29番は、言うまでもなくベートーヴェンが書いたもっとも大きな規模のソナタである。これが気風の大きいリルの演奏スタイルの場合、どうなるか、と思って聴くと、意外とすんなりと普通に感じられる。楽曲本来の姿とリルの演奏のスタイルのギャップがもともと小さいため、その親和性ゆえに普通な感じになったのかもしれない。ただ、第3楽章に関しては、ちょっと問題を残していると思う。第1楽章は、豪壮な主題を細やかなコントロールを踏まえて鳴らしており、決してフォルテ一辺倒ではない。その後、付点のリズムが目立つようになると、各和音がやや粘り気を含んだ表現で奏でられ、豊かな音色の質感を併せて、聴き味が良い。第2楽章の運動美は清々しく心地よい。第3楽章はリルらしく、ぐっとテンポを落して24分を費やして弾いている。この楽章、私が聴いた中で最も遅いのはコルスティック(Michael Korstick 1955-)の29分近くがあり、私は、その演奏については、ちょっと付いて行けないな、という印象を持っているのだが、このリルの演奏も、やっぱり長さを感じさせてしまうところがネックだ。情感をたっぷりと紡ぐのは良いのだが、その濃淡と楽曲の長さが、私には互いに良い相互作用をする適距離範囲を越えてしまっているように感じる。つまり、印象が薄くなってしまい、聴いていて気持ちが逸れてしまうのだ。第4楽章になると息を吹き返したように盛り上がり、トリルの演奏効果もすさまじいが、私の場合、ハンマークラヴィーア・ソナタの名演として数えるところまでは、行かなかった。
 ソナタ第32番は、冒頭からゆっくりしたテンポで、裾野の広がった表現が特徴だろう。衝撃的な冒頭が終わって、低音から展開部のフレーズがたちあがってくるのだが、その低音のジワジワした遅さと重さは、リルのベートーヴェンの特徴の一つだろう。疾風のような第1楽章の展開部は、ダイナミックレンジが広く劇的だ。第1楽章はなかなか良いのだが、第2楽章は悩ましい。とにかくスローなテンポでゆっくりと歩みを進めていて、一つ一つの音は情感がこもっているのだけれど、全体を通してみると、私には間延びが感ぜられる。リルは、スローなテンポ設定をしばしば用いるが、楽曲によっては巧みに構成感の中で吸収させ、自然ななめらかさを確保しているのだけれど、この楽曲に関しては、消化不良な部分が残っていると思う。結果的に、最終的に得られる感動も、やや気配が薄い。
 ソナタ第30番は、第1楽章から、ニュアンスの陰影のある表現が好ましく、情緒の彩によって楽曲の雰囲気が深みを増している。第2楽章は強靭な音色を使いながらも、決して感情に任せただけではない“綿密な設計感”があり、表現のバランスが保たれている。終楽章は抑えたテンポで濃厚な抑揚をもって奏でられる。
 ソナタ第31番は、リルの全集中でも白眉と形容したい演奏で、この楽曲が持つ「歌」の気配が、リルのピアノによって、感情豊かに表現される様が美しい。左手の和音が伴奏を担うシーンで、少しブレーキをかけ気味に、特有の“間”をとりながらフレーズを扱い、全体として感じ取ることのできる情感が豊かに膨れ上がるところなど見事だ。終結に向けての奏者の洞察とコントロールも素晴らしいと思う。一瞬の間断もなく、全曲を存分にかみしめて、豊穣な帰結を迎える。このような音楽を聴けることは、幸せなことである。

ピアノ・ソナタ 全集
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.17
★★★★☆  ミスタッチ乱発なれど、奏者の芸術的創造性や精神性はしっかりと記録されています
 ソ連のピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集。全32曲のソナタがCD9枚に収録されているBox-set。全音源が1984年にモスクワ音楽院大ホールでライヴ収録されたものであり、各曲の終了後には拍手も入る。
 ニコラーエワのまとまったベートーヴェンの録音として貴重な存在。
 ニコラーエワのベートーヴェンは、非常に平明かつ明朗で、凛々しく旋律線を濃く描き出したものである。強靭な音色を使用し、メロディを担う音が強く奏でられ、それに即して、他の音は階層的な役割を明瞭に与えられており、非常に棲み分けがはっきりしている。いかにもロシア・ピアニズムと呼ぶべき音の強さや低音の重々しさがある一方で、明快に響くその音色は、むしろラテン的と形容したいほどの明るさを持っており、彼女のベートーヴェンを、特徴的なものにしている。
 旋律線の明瞭さとともに、回音や装飾性の高い前打音も、非常にはっきりとしており、アウフタクトで始まる楽章であっても、まるでそこから拍が開始されているかのように、立派な恰幅をもって始まるので、なかなか圧倒される。実に堂々としており、たくましい。また、音色の重みづけにともなった野太い緩急があって、そのあたりはいよいよロシア・ピアニズムと形容したいスケールを感じさせるのである。響きは清張であり、なかなか聴き味豊かな演奏である。個人的に気に入ったのは、第5番、第7番、第15番といった初期の楽曲で、初期の楽曲ならではの素朴さが、素晴らしい恰幅をもって奏でられる魅力を、あらためて味わい、魅了されたところ。
 ただ、この演奏には欠点があって、かなりミスタッチが多い。もちろん、世にある様々なライヴに、特にピアノ演奏ではミスタッチは付き物なのであるが、当録音では、その頻度がきわめて高く、大事な音も結構外している。また、指回りにも怪しいところが多いので、そこらへんが気になる人には、かなり聴きづらい録音かもしれない。実は、私も、このレベルになると結構気になってしまう。ただ、そこは大御所で、ミスタッチが乱発されようとも、その精神性や表現性に一切の乱れを感じさせず、終結まで、弾き切ってしまうのは、さすが大家の精神力と感服するところでもある。
 以上の様に、大いに欠点を指摘できる演奏ではあるのだけれど、このピアニストならではのベートーヴェンを確かに感ずることは出来るので、個人的には、十分に、芸術を味わえる内容だと思っています。

ピアノ・ソナタ 全集
p: ルイス

レビュー日:2023.7.13
★★★★★  現代的で知的な感覚美で磨き上げられたベートーヴェンのピアノ・ソナタ
 イギリスのピアニスト、ポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集。収録内容は下記の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1 2005年録音
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」 2005年録音
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 「狩」 2005年録音
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」 2006年録音
5) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22 2005年録音
6) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101 2006年録音
【CD3】
7) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1 2005年録音
8) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2 2005年録音
9) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」 2005年録音
10) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」 2005年録音
【CD4】
11) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90 2006年録音
12) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」 2006年録音
13) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」 2006年録音
【CD5】
14) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1 2006年録音
15) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2 2006年録音
16) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3 2006年録音
【CD6】
17) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7 「恋する乙女」 2006年録音
18) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54 2006年録音
19) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」 2006年録音
【CD7】
20) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26 「葬送」 2006年録音
21) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想風」 2006年録音
22) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」 2006年録音
【CD8】
23) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 2007年録音
24) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 2007年録音
25) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 2007年録音
【CD9】
26) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」 2006年録音
27) ピアノ・ソナタ 第19番 ト長調 op.49-1 2005年録音
28) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 2005年録音
29) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」 2007年録音
【CD10】
30) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 2007年録音
31) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 2007年録音
32) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 2007年録音
 全集としては、収録曲順がかなり独創的であるが、これは、以下の4つの先行する分売版の収録順を、再編集せず、並び順をそのままでBox-set化したためである。(聴きたい曲がある時、どこに収録されているか、探すのに一苦労するのだけれど・・・)
・第1集【CD1】、第2集【CD2-4】、第3集【CD5-7】、第4集 【CD8-10】
 全集を通して聴いての私の印象は、しなやかで、表現性豊かな活力に満ちた、とても気持ちの良い演奏、といったところだろう。とても好きなタイプの演奏であることは間違いない。熱情ソナタに代表される「火を噴くような」要素は、抑制的に表現されているので、そちらを期待される人には向かないかもしれないが、それでも魅力に溢れた演奏なので、録音から相応の年月が流れたけれど、改めて多くの人に聴いてほしいものだと思う。
 印象的だった曲を中心に私の感想を書かせていただく。
 第16番の第1楽章からルイスの世界は開花する。左手の巧妙に抑揚のあるリズミカルなアクセントは、聴いていてクセになるほどの心地よさ。第18番の最初の2小節の不思議さも素敵だ。まるで後期弦楽四重奏曲を思わせるような開始で、これをうまく弾くのは相当難しいと思うのだが、その後の清々しい歌の広がりにスムーズにつながる様は、とても清清しい。
 第11番のトリルから始まる第1楽章の流れの良い事!なだらかでいかにも程よく力の抜けた音楽の起伏は見事で清涼感抜群。第21番のアタッカで入る第3楽章の冒頭部分の繊細さは夢見るような美しさ。第29番では一転して広めのダイナミックレンジで装飾効果の高い演奏だ。第27番の後期の幕開けを感じさせる内省的な雰囲気もよく出ている。
 第1番、第2番の軽やかなスタッカートにこもるニュアンスは、静かではあっても、しっかりした方向性がある。第3番も、この曲の一種の仰々しさに対し、芸術的手管で洗練が施さた解釈で、新鮮な魅力に満ちている。第22番では、終楽章では、声部の動きに細心の配慮があって、それが音楽としてもとても美しい効果を上げている。
 第4番の第2楽章や、第12番の第1楽章において、これほど落ち着き払って、どこまで進んでも等価な距離を保つように弾かれた演奏は、ちょっと聴いたことがないように思う。第4番は、ルイスのスタイルが特に奏功した楽曲の一つで、特に前半2楽章の風合いは、明晰さと柔らかさを兼ね備えた、味の深い響きになっている。
 第14番や第23番のような、あまりにも良く聴かれた偉大な作品においても、ルイスのスタイルは変わらず、情熱の放散も、ベースに静謐があり、少し遠くの事象として語られるような、俯瞰性がある。これらの曲に、情熱的なものを求める人には、まったく向いていない演奏ではあるが、ルイスはそれと異なる価値観を追及して、ひとつの表現を完成させている。
 第5番は、冒頭の充実したハーモニーと果断な速さのバランスが実に見事で、この最初の音を聴くだけでも、十分な価値がもたらされると思う。中間部の対位法の明晰な処理と、伸びやかな歌の両立も見事。作品10の3つの作品(第5番~第7番)は、いずれも終楽章の早い速度指示の楽章が置かれるが、ルイスの演奏は、まさに疾風と形容したいものであり、しかも表現性においても充実しきったものを湛えている。特に第6番の第3楽章は、これまでに聴かれたことがないほどにスリリングで美しい。
 第15番は、夢見るような美しさに満ちている。第1楽章の歌のしなやかさは、彼の弾くシューベルトの素晴らしさに通じるものであるが、加えて終楽章に見られる運動美も、ピアニスティックな表現の一つの極致を感じさせるものであり、感動的。第19番の憂い、第20番の愛らしさも、きわめて健康的でありながら、精妙に奏でられる。告別ソナタは、古今の名演と呼ばれるものと比較すると、いかにも軽やかで、終楽章など、軽すぎると感じるかもしれないが、その適度に乾いた淡さは、繰り返し聴きこむにふさわしい深い味わいをともなっているものと感じられ、聴き減りのしない豊かさを持っている。
 第30番は、バランスの取れた美しい表現。第2楽章は告別の終楽章と同様に抑制的だが、それゆえの美しさがあり、聴き手を納得させるだろう。第3楽章は、自由なようでいて、とても流れが良く、聴き終わると、とても構成的な整合性を伝えてくれていたことがわかる。最後の3つのソナタのうち、特に素晴らしいのは第31番で、これもルイスというピアニストの特徴が良く出ており、ピアニストの深い感性から引き出された歌と、音楽への深い教養のバランスで、高い均衡美に満ちている。第32番は、劇性より詩情の表出にウェイトを置いた表現で、レガートの洗練された扱いに、瑞々しい情感が宿っている。
 ルイスのベートーヴェン演奏において、ヴィルトゥオジティを誇示したり、激しい情熱を表現したりすることには、主眼とはならない。その一方で、客観的な視点を維持しながら、各曲のテクシュチュアを鮮明化し、その軽やかなタッチの中にある、こまやかな挙動や、内声的なフレーズの明晰化に注力し、そして、一つの彼なりのベートーヴェンに到達している。ちょっと聴いた感じでは、ウィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)の演奏を思い起こす人もいるかもしれないが、ケンプよりもずっと遠視点的なものがあり、それでいて、部分的には、驚くほど精神的な集中を感じさせせるものがある。
 私にとって、お気に入りの全集の一つである。

Beethoven A Chronological Odyssey
p: カツァリス

レビュー日:2020.2.5
★★★★★ 異才カツァリスのプレゼンで、新鮮な角度からのベートーヴェンを味わえます
 シプリアン・カツァリス(Cyprien Katsaris 1951-)が「ベートーヴェン~クロノロジカル・オデッセイ」と題したトンデモないアルバムをリリースした。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の様々な楽曲から、演奏機会の少ない珍しいピアノ独奏曲、他の作曲家が編曲したベートーヴェンの他ジャンルのピアノ独奏版楽曲などを集めて、それらの作品が作曲された当該時代を代表する作品と一緒にCD1枚に収録するコンセプトで、全6枚のCDからなるBox-setだ。とりあえず、収録曲の詳細を書こう。カッコ内に各曲の作曲年代を表記する。
【CD1】
1) ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲ハ短調 WoO.63 (1782)
2) 選帝侯ソナタ 第1番 変ホ長調 WoO.47-1 (1782-1783)
3) ピアノまたはオルガンのための2つの前奏曲 op.39 (1789)
4) 騎士バレエのための音楽(ピアノ版) WoO.1 (1791)
5) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1(1794)
6) ロンド・ア・カプリッチョ ト長調 op.129 「失くした小銭への怒り」(1795)
【CD2】
1) 弦楽三重奏曲 変ホ長調 op.3(ピアノ版) ディアベリ(Anton Diabelli 1781-1858)編 (原曲 1796 編曲 1815)
2) チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2より 第3楽章(ピアノ版) ヴィンクラー(Louis Winkler 1820-1886)編 (原曲 1796)
3) マンドリンとチェンバロのためのソナチナとアダージョ(ピアノ版) ブローク(Vladimir Mikhailovich Blok 1932-1996)編 (原曲 1796)
4) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1(1795-1798)
【CD3】
1) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2(1799)
2) 七重奏曲 変ホ長調 op.20より第3楽章(ピアノ版) リスト(Franz Liszt 1811-1886)編 (原曲 1799)
3) 弦楽四重奏曲 第6番 変ロ長調 op.18-6より 第2楽章(ピアノ版) サンサーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921)編  (原曲 1799-1800)
4) 弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 op.18-4より 第1楽章(ピアノ版) レスラー(Gustav Rosler 1819-1883)編  (原曲 1799-1800)
5) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ長調 op.24「春」(ピアノ版) ヴィンクラー編 (原曲1800-1801)
6) フルート、ヴァイオリンとヴィオラのためのセレナード ニ長調 op.25より 第1楽章 ヴィンクラー編 (原曲1801)
【CD4】
1) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」 (1801)
2) ヴァイオリン・ソナタ 第7番 ハ短調 op.30-2より 第2楽章 ヴィンクラー編 (原曲 1802)
3) 7つのバガテル op.33(1801-1802)
4) オーケストラのための12のコントルダンスWoO.14 (ピアノ版) カスパール・カール・フォン・ベートーヴェン編 (原曲 1802)
5) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」 (1802-1803)
【CD5】
1) ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 op.47「クロイツェル」(ピアノ版) ツェルニー(Carl Czerny 1791-1857)編 (原曲 1803)
2) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」 (1804)
3) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61より 第3楽章(ピアノ独奏版) フランツ・クラク(Franz Kullak 1844-1913)編 (原曲 1806)
【CD6】
1) 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 (1806-1807)
2) 幻想曲ト短調 op.77 (1809)
3) 軍楽のための行進曲 第1番 ヘ長調 WoO.18(初稿版) (1809)
4) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78「テレーゼ」 (1809)
5) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 (1821-1822)
6) 交響曲 第9番 ニ短調 op.125「合唱」より 第3楽章(ピアノ版) ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)編 (原曲 1823-1824)
7) 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135より 第3楽章(ピアノ版) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)編 (原曲 1826)
8) 最後の楽想 ハ長調 WoO.62 ディアベリ編 (原曲 1826-1827)
9) カノン「私たちはみな迷うものだ」 WoO.198 (1826)
 録音は月光ソナタのみ2016年、他はすべて2019年に行われている。
 【CD5】の3)の編曲を行ったフランツ・クラクは、テオドール・クラク(Theodor Kullak 1818-1882)の息子。当該曲のカデンツァ部分は、ベートーヴェンがピアノ協奏曲にアレンジした際に書いたものを使用。
 とにかく、発見の喜びに満ち溢れたアイテム。「こんな楽曲があったのか」「こんな編曲があったのか」という新鮮さで、とにかく楽しめる。ベートーヴェンという作曲家、かなり知っているつもりでも、まだまだ知らないものがたくさんあるものだ。それにしても、これほどの珍スコアを集めたカツァリスの収集力には頭が下がる。
 中でもチェルニーが編曲したクロイツェル・ソナタ(チェルニーが編曲したことが明らかなのは第2楽章のみらしい)、ワーグナーが編曲した第9交響曲の第3楽章など、実に貴重だ。考えてみると、楽聖ベートーヴェンの作品を、「ピアノ編曲」することは、のちの時代の作曲家にとって、創作と学習の双方を兼ねた作業であったわけで、そういった意味で、このような作品というのは、他にもまだ知られていないものが、いろいろと埋もれているのかもしれない。
 カツァリスは、リスト編によるベートーヴェンの交響曲のピアノ版全集をいちはやく作成したピアニスト。彼ならではの着眼というのは言うまでもない。また、それぞれの編曲がよく出来ているし、その良さを引き出すカツァリスの技巧がある。
 カツァリスのピアノ自体は、ややクセのあるものと言えるだろう。聴きなれたピアノ・ソナタなど、左手の伴奏音型にも多彩なアクセントを設けて、発色性を高めており、その点で演奏自体に好悪はあるかもしれない。ただ、それを覆してあまりまるこれらの楽曲をプレゼンテーションする面白さ、また披露する順番の工夫があって、飽きることがない。
 個人的には、各弦楽四重奏曲の編曲が、いずれもなかなかしっくりくるのが楽しかった。前述のクロイツェルは聴きごたえ十分だし、ピアノ・ソナタもクセがあるとは言え、細かい強弱のコントロールが楽しい。また、ベートーヴェンと同時代の人たちのベートーヴェンとの様々なかかわり方についても、想像を多彩に刺激してくれる。趣味性豊かで、最高の悦楽を味わえるアイテムだ。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番
p: ポリーニ

レビュー日:2007.10.30
★★★★★ 古典的だけど浪漫性もあって、聴きごたえ十分です
 ほんの十数年前くらいまで、マウリツィオ・ポリーニというピアニストは、自身の完全主義的な美学ゆえに、その録音活動も、おそらく極めて拘束的なものにならざるを得ないのではないか?だから、多くを聴きたいと思っても、そのレパートリーは(残念ながら)ごく限られたものとなってしまうのではないだろうか?・・・などと危ぶんだものである。おそらく、同じようなことを考えた方も多いのではないでしょうか。それゆえに、最近までの彼の充実した録音活動の成果は、私にはまさに望外の喜びの感があります。だって、ちょっと前まで、このピアニストがショパンの夜想曲の全曲や、ベートーヴェンの初期の3つのソナタを録音してくれるなんて予想していた人は、きっとほとんどいなかったはずである。(それとも、存外に慧眼の諸氏がいらっしゃるのだろうか)
 というわけで、この初期の3つのソナタも感慨深く聴き入りました。ベートーヴェンのソナタ全集も完成間近となる1枚でもありますね。
 いつものように構築性にきわめて優れたベートーヴェンであり、真摯なに表現された造形美が深い精神性を感じさせてくれる。それと合わせて最近のポリーニらしい、いくぶん肩の力の抜けたロマンティシズムを内包させているところがまた良い。第1番は心持ち急(せ)くようなテンポの畳み掛けがあり、それが青年期のベートーヴェンのパッションの表出の様に思う。左手で支えられる音型は堅固で確かだけれども、例えば第3楽章のペダルの踏み込みに代表される独特の「跳び」がある。第2番もまたしっかりとした足取りが見事であり、中間楽章のちょっと神秘的な雰囲気も特筆される。第3番では左手で保持されるメロディの強固な意志が一層の聴き栄えをもたらす。まずは文句ない名演となった。


ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番
p: コヴァセヴィッチ

レビュー日:2014.10.16
★★★★★ 初期ベートーヴェンに嵐の様なアプローチを施したコヴァセヴィッチ
 スティーヴン・コヴァセヴィッチ (Stephen Kovacevich 1940-)は1991年から13年の歳月を費やしてベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集を完成したが、当盤に収められている最初の3つのソナタをいちばん最後に録音した。
 ソナタ第3番が2002年、第1番と第2番が2003年の録音となる。
 コヴァセヴィッチのベートーヴェンは、しなやかな流動感と加速感、それに適度な歌謡性と潤いを持ったもので、私もしばしば聴いている。彼のベートーヴェンを聴くと、そこから溢れてくるのは、きわめて濃厚で情熱的な音楽であり、それは通常ベートーヴェンの作品の中でも、中期に分類される作品の表現で、よく使用される手法だ。コヴァセヴィッチの全集は、一貫してこの手法により、ベートーヴェンの初期から後期まで、押し通した点が面白い。
 そのようなわけで、この初期の3つのソナタ、そこには、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)やモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)から受け継いだ古典的作法があるのだけれど、コヴァセヴィッチの演奏からは、そのような作品背景はほとんど感じられない、むしろ中期のベートーヴェンが、それこそ確固として己が道を歩み始め、ありあまる情熱と才気を炸裂させたソナタを彷彿とさせるピアニズムが満ちているのである。
 ソナタ第1番は、簡潔なソナタ形式を持っているが、コヴァセヴィッチの演奏は速いテンポを主体とし、急峻なクレッシェンドやデクレッシェンドを用い、迸(ほとばし)る情熱に満ち溢れた音楽となる。まるで、同じヘ短調のソナタ第23番を彷彿とさせるような。。終楽章など嵐を思わせる怒涛の迫力だ。このコヴァセヴィッチの極めてアグレッシブな解釈を受け入れられるかどうかで、この演奏の好悪は分かれるだろう。
 ソナタ第2番は私の大好きな作品だけれど、コヴァセヴィッチの演奏はさほど神秘を感じさせるものではない。しかし、そのリアルなアプローチは、このソナタの「愉悦的」な要素を損なってはいないと思う。全体の構造の中で、各楽章の性格付けが、それなりに活かされていて、求心性が持続されているためだ。
 第3番は他の2曲に比べて本来が外面的な音楽なので、コヴァセヴィッチのスタイルはいよいよ発揮されている。そこでは失われているもののことを考える必要のない、明るい屈託のなさが満ち溢れている。緩徐楽章のテンポの速さも、この曲に関して言えば、問題視する人は少ないと思う。
 以上の様に、コヴァセヴィッチのベートーヴェンの中でも、私にとって、特徴が際立っていると感じられるのは当盤に収録された3曲である。このピアニストのスタイルを知りたいと言う方には、当盤にそれが如実に示されていると思うので、そういった人にも、推薦したいディスクだ。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番
p: コルスティック

レビュー日:2018.8.1
★★★★☆ 粘着性と無縁の強靭さが一つの特徴でしょうか
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。全集の一環として製作されたアルバムで、投稿日現在、コスト・パフォーマンスの良い全集が入手可能。当盤の収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2
3) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3
 2005年の録音。
 このたび私も上述の全集を入手したので、コルスティックのベートーヴェンを一通り聴くこととなった。これがなかなか特徴的なベートーヴェンで、自分の中でもどのように理解するのが良いのか、考えさせられている。ちなみに、レビューを書く、という行為は、少なくとも私の場合、音楽芸術全般を「聴く」という行為により能動的なものが関わることになるので、自分の趣味への内因的なかかわりが深まるので、楽しんでいる。芸術、とくに音楽のような抽象性の高い芸術について、感じたことを自分なりに考えた言葉でまとめるのは、(それが正しいことかどうかはおいておくとしても)自分の理解の仕方を整理することができる。
 コルスティックのベートーヴェンで一つ言えると思うのは、どの時期に作曲されたソナタであっても、アプローチの仕方が徹底して、共通したものである、ということが言えると思う。つまり、モーツァルト、ハイドンの古典的系譜から連なる初期のもの、情熱的かつ主知的なスタイルを模索・確立した中期のもの、旋律、歌の要素に着目し、ロマン派の思索へ飛躍した後期のもの、そのどれであっても、コルスティックは「同じように」弾く、少なくとも私にはそう思える。
 ここに収録された3つのソナタ、特に第1番と第2番は私の大好きな曲だが、コルスティックはここでも透明かつ力強いタッチで克明にその姿を描き出していく。どの楽章も入り方はどこか軽やかなのであるが、急速楽章ではやがておとずれるフォルテに強靭な響きを叩きつける。そのフォルテの結晶化しきった美観は見事なもの。しかし、その一方で、「情熱」の印象につながるような「粘り」の成分がなく、強靭な音であっても実にサラリとしている。緩徐楽章では、たいていの場合一般的なものよりむしろ遅いくらいのテンポをとって、そのフレーズの一つ一つを克明に浮かび上がらせる。
 私は、このベートーヴェンを聴いて、サラリとした味わいにナット(Yves Nat 1890-1956)を思い出し、全曲の均一な表現に横山幸雄(1971-)を想起し、強靭な和音にコヴァセヴィッチ(Stephen Kovacevich 1940-)を連想した。
 そんなコルスティックのベートーヴェンは、私には感動というより、感心を覚える演奏と感ぜられる。その透明な響きは、一つ一つの楽曲の完結性にささげられており、他の楽曲との関連性や、時代考察といった観念と別のところにあるのではないだろうか。
 私は、そんな当盤を聴いて、とても興味深かった。ただ、私がこの演奏を好きかというと、特にフォルテの音のあまりにも強靭でかつクールな響きに、どうしても違和感がぬぐえないところがある。特にソナタ第3番の第1楽章など、私は元来この楽章にやや苦手感があるのだけれど、そのどこかガチャガチャしたところが衒いもなく強調される様を聴いていると、肌合いの違いを感じてしまう。なので、私の評価は、微妙なところで留まらざるをえなくなる。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番 第4番「恋する乙女」 第12番「葬送行進曲付」 第13番「幻想風」 第14番「月光」 第22番 第23番「熱情」
p: ルイス

レビュー日:2023.6.12
★★★★★ 聴き手、奏者、作品、それらの距離感を周到に考えた演奏
 ポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全曲録音のうち、「第3集」として、2006年に録音されたもの。CD3枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2
3) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7 「恋する乙女」
5) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54
6) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
【CD3】
7) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26 「葬送行進曲付」
8) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想風」
9) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 ポール・ルイスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、比較的短期間で完成されたが、これらの9曲も2006年の10月と11月に集中して録音されている。
 ルイスのベートーヴェンの特徴は明らかで、彼はこれらの楽曲を演奏するにあたってヴィルトゥオジティを誇示したり、激しい情熱を表現したりすることには、おおむね興味はない。その一方で、客観的な視点を維持しながら、各曲のテクシュチュアを鮮明化し、その軽やかなタッチの中にある、こまやかな挙動や、内声的なフレーズの明晰化に注力し、そして、一つの彼なりのベートーヴェンに到達している。ちょっと聴いた感じでは、ウィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)の演奏を思い起こす人もいるかもしれないが、ケンプよりもずっと遠視点的なものがあり、それでいて、部分的には、驚くほど精神的な集中を感じさせせるものがある。
 例えば、第4番の第2楽章や、第12番の第1楽章において、これほど落ち着き払って、どこまで進んでも等価な距離を保つように弾かれた演奏は、ちょっと聴いたことがないような気がする。第4番は、ことに、そんなルイスのスタイルが奏功した楽曲であり、特に前半2楽章の風合いは、明晰さと柔らかさを兼ね備えた、味の深い響きになっている。
 第3番も同様だ。私は、若いころ、ベートーヴェンが最初に書いたop.2の3つのソナタの中で、第3番はどうも苦手だった。第1番と第2番が、あんなに瀟洒で、洒脱な味わいを持っているのに、第3番はどこか仰々しいというか、作者の気負いが出すぎて、品が崩れてしまった感じを受けたものだ。しかし、ルイスの演奏からは、かつて私がネガティヴなイメージをもった要素は一切感じられない。これほどまで、この楽曲に洗練が施されて、かつ新鮮な魅力に満ちているのは、得難い経験と言って良い。第22番では、終楽章では、声部の動きに細心の配慮があって、それが音楽としてもとても美しい効果を上げている。第1番、第2番の軽やかなスタッカートにこもるニュアンスは、静かではあっても、しっかりした方向性がある。
 第14番や第23番のような、あまりにも良く聴かれた偉大な作品においても、ルイスのスタイルは変わらず、情熱の放散も、ベースに静謐があり、少し遠くの事象として語られるような、俯瞰性がある。これらの曲に、情熱的なものを求める人には、まったく向いていない演奏ではあるが、ルイスはそれと異なる価値観を追及して、ひとつの表現を完成させている。
 静謐な中に、知的な味わいが溢れた滋味のあるベートーヴェンとなっている。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番 第4番「恋する乙女」
p: シフ

レビュー日:2005.12.20
★★★★★ 考え抜かれたベートーヴェン
 シフがいよいよ万全を期してとりかかったベートーヴェン・チクルスの第1弾。以前ソナタは第23番を協奏曲全集の余禄としてテルデックに録音していた。それも充実した演奏だったが、ここでもシフらしい聴き手の知に訴えかける演奏を展開している。
 まず、一音一音を明確に鳴らそうという配慮があり、それに引き続いて必然的に各フレーズの相対的な地位が明確に確立がされる。しかもその解釈はアカデミックというだけではなく、それらのフレーズの有機的関連性を解き明かすことが一つの純音楽的な表現となることまでも証明している。そのため各楽曲の特徴が明らかとなっている。音像はきちんと焦点があっていて、前述した演奏内容により、やや硬めの耳ざわりをあえて残しているようである。そのくっきりとした明暗が、歯切れの良い爽快さにも通じている。
 また、シフは同時に遊び心も持ち合わせていて、ベートーヴェンのソナタ演奏にしては、かなり装飾音を増やして録音に臨んでいるようだ。ただ知を探求するのみではない、シフというい音楽家の懐の広さを感じさせる録音でもある。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番 第5番 第6番 第7番 第8番「悲愴」 第9番 第10番 第12番「葬送」 第13番「幻想的」 第14番「月光」
p: グールド

レビュー日:2015.11.18
★★★★★ グールドが愛したベートーヴェンの初期ソナタ集
 グレン・グールド(Glenn Gould 1932-1982)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven1770-1827)のピアノ・ソナタ集。CD3枚組。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1 1974年録音
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2 1976年録音
3) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3 1976,79年録音
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 1964年録音
5) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 1964年録音
6) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 1964年録音
7) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26「葬送」 1979年録音
【CD3】
8) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13「悲愴」 1966年録音
9) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1 1966年録音
10) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2 1966年録音
11) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1「幻想的」 1979年録音
12) ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 op.27-2「月光」 1967年録音
 当盤に収録されているのは、グールドが録音したベートーヴェンの初期のソナタである。そして、これらの楽曲は、グールドがベートーヴェンの作品の中でも愛したものたちであった。これについてはグールド自身の以下のコメントがある。「難聴が彼の後期作品に影響を与えたのは確かです。それ以前は彼のエゴは完全に支配権を握っていました。初期ピアノ作品のほとんど全ては、完璧なバランスを保っていました。最高音から最低音まで、どの音域も。それらの作品では、ベートーヴェンの構造的センス、幻想、多様性、主題の持続性、和声の推進力、対位法的な秩序、それらがすべて緊密に結びついていたのです。」
 じっさい、ベートーヴェンの作品は、その生涯において大きく発展し、熱いパトスの流れる中期作品から、歌と思索の入り混じった後期まで、その様式は多様化していく。その発展は、人類の音楽史においてきわめて重要なもので、その過程があってこそ、ロマン派以降の百花繚乱な音楽絵巻が広がるわけである。
 しかし、グールドは、自らをロマン派的人間としながらも、ベートーヴェンの中では、古典的な均質性や平衡感覚の維持された初期作品こそ、素晴らしいと述べている。
 グールドの演奏の中で、これを彷彿とするのは、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)が体系化した対位法の骨格である声部が、とても独立的に響く点である。これはベートーヴェンがそこからの発展を目指して音楽の可能性を探究したにもかかわらず、演奏によって、対位法の世界に釘づけるような、不思議な感興を呼び覚ます。
 また、逆に独創的なテンポや、スコア指示からの離脱は、グールドの浪漫的嗜好性を示す。強弱の配置、不自然なほどのリタルダンド。しかし、その響きは、決して浪漫的な濃厚さには至らず、洗練された活発性に帰結する。また、これらの効果は即興的なようでいて、グールドによると、例えば前後の調性の移行における飛躍の程度などを考慮した間を、計算して挿入していると言及されている。スコアの指示とはまったく別に。
 そこで構築された新たな秩序に基づく響きは、グールドにしか成し得なかったもの。もちろん、どんなピアニストの演奏だって、そのピアニストにしか成し得ないものを含んでいるのだけれど、グールドの場合、他の演奏からの跳躍の度合いが、桁外れなのである。
 当盤では、第7番、第8番、第14番といったソナタの急速性が圧巻だ。特に有名曲では、耳慣れた演奏とのギャップが激しいが、悲愴ソナタの展開部のトリルの鮮明さや、月光ソナタの第1楽章のスピーディーな古典美の表出は、独壇場とも言える魅力を引き出す。
 また、op.2の3曲や葬送ソナタにおいては、概してスローなテンポが採用されながらも、そこで生じる間を恐れることなく軽やかに進む様は、グールドという芸術家の気高い精神を反映させたものに違いない・・。聴き手にそう思わせるような気配に満たされている。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第19番 第20番
p: リル

レビュー日:2020.7.10
★★★★★  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第1集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第1巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.2-1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 イ長調 op.2-2
3) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1
4) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2
 作品番号が離れているが、これらの4曲はいずれも1795~96年ごろに作曲されたと考えられており、一枚のアルバムにまとめる蓋然性は高いだろう。
 リルのベートーヴェンは私には一つの古典的王道を究めたもののように感じる。現代ピアノの特性という観点から、ベートーヴェンの楽曲を改めて俯瞰し、正統的と呼ぶにふさわしい十全なアプローチを心掛けた演奏。こう書くと、真面目なだけの演奏と思われるかもしれないが、十分に個性的でもある。そして、奏でられる音楽は、なかなかに魅力的で、味わい深い。
 ソナタ第1番は、落ち着いたタッチで、しっとりとした響きが行き渡った演奏。装飾音をインテンポで弾き飛ばすのではなく、それらの音がもたらす味わいが聴き手にしっかりと届くような緩急を交えて奏でられ、一つ一つがしっかりと届けられるという感覚がある。テンポはややゆっくり目であるが、聴いていて遅いと思わせるものでは決してない。聴こえてくる音楽の密度はむしろ増しているとさえ感じられる。ひとつひとつのフレーズの意義付け、そして音幅の演出の巧妙さゆえだ。
 ソナタ第2番は私が愛聴する作品。ベートーヴェンの作品2の3つのソナタでは、世評では第3番の評価がいちばん高いのだが、私は第3番はそれほど好きではなくて、第2番と第1番の2曲が大好き。それはおいておくとして、リルのこの演奏は名演と呼んで然るべきもの。特に第1楽章の厚みのある表現、肉厚な響きは、現代の演奏家からはほとんど聴かれない性質のものと言って良い。左手の何気ない伴奏のなかにも、突如、積極的に表現性を主張させつつ、全体の流れは巧みにコントロールされている。
 ソナタ19番は、冒頭からはじまるト短調の主題にこぼれるほどの情感が通っている点でたちまち心を動かされる。テンポはゆっくりであるが、そのテンポではじめて浮かび上がる曲想を巨匠風と表現したい振幅をともなって響かせる。一転して第2楽章のスタッカートはダイナミック。華やかであるが、一つ一つの音のニュアンス汲み取り、的確に聴き手に届けてくれる。このかわいらしい作品に豊かなスケール感をもたらしている。
 ソナタ20番は快活だ。この曲の場合、19番と同様に、ソナチネと呼んでも良いサイズの小さなソナタなので、それにふさわしいタッチで弾かれることが一般的だが、リルの演奏は威風堂々といった力感があり、強い音を厭わずにしっかりと歩みを進めていく。その様がとてもふさわしく響くから、ある意味曲のイメージを変える演奏と言っても良いかもしれない。
 イギリスの名手、ジョン・リルのベートーヴェンは、豊かな聴き応えを私たちに提供してくれる。

ピアノ・ソナタ 第1番 第8番「悲愴」 サリエリのオペラ「ファルスタッフ」から、アリア「まさにその通り」の主題による10の変奏曲 7つのバガテル
fp: 小島芳子

レビュー日:2005.1.1
★★★★★  かえすがえすも急逝が惜しまれてならない・・・
 2004年、まだ40代半ばにして、癌のため急逝された小島芳子氏の遺産である。世界屈指のフォルテピアノ奏者としての力量を如何なく発揮した快演だ。
 悲愴の冒頭の和音の息の長さにまず驚かされる。この和音が消えてしまうまでなにも始まらないのでは?と一瞬思ってしまうほど。
 確かデビューしたてのころのルプーがこういう間の長い演奏をしていた記憶がある。さて、その後もフォルテピアノという楽器の性能限界を改めて認識しなおすほどの多彩な表現を繰り広げダイナミックに進む。展開部以降の激しさも屈指。その力強さは若き日のベートーヴェン像とも重なる。ときおり軽くアルペッジョもまじえ、演奏効果は盛りあがる。
 ソナタ1番・・・これはソナタ形式の原型を重んじたような基調ソナタといえる。すなわち、「呈示部(第1主題 - 第2主題) - 展開部 - 再現部 - 終結部」とつらなるソナタ形式だ。その後ベートーヴェンはピアノという楽器の機能性の発展とともにソナタの意味も大きく拡大拡張していくわけだが、この瑞々しくもベートーヴェンの創作意欲が結集した初期の名品を、いとも軽やかに弾きあげた小島の素晴らしさも特筆される。
 サリエリの主題による変奏曲は録音が少なくめったに聴く機会がないが、洒脱な面白い作品だ。

ピアノ・ソナタ 第3番 第4番「恋する乙女」 第8番「悲愴」
p: リル

レビュー日:2020.7.13
★★★★★  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第2集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第2巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」
2) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3
3) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
 リルのベートーヴェンは、グランド・マナーという言葉を思い出す。気風が大きく、かつ理知的な構成感を感じさせる音楽は、古典的な美徳を思わせる。
 ソナタ第8番は、楽器本来の響きを十全に響かせた深さと光沢のある和音で開始され、以下悠然と進んでいく。フレーズの意図を慎重に吟味し、それらの味わいを克明に響かせるテンポ設定で、少しゆっくり目だが、展開部ではそれに加えて運動的な面白味が加わっていく。右手が低音と高音を交換してスピーディーに進行する中間部は、応答の間合いを小さく詰めることで、一連の流れを自然に演出。トリルの強調も、演出としてよく収まる範囲で、気持ち良い。第2楽章はテンポを落してウェットな情感を漂わせるが、光沢ある音色が鋭い感覚性を保つ。第3楽章は、フレーズの歌謡性と全体的な運動性のバランスが良く、とにかく流れが良い。
 ソナタ第3番は、豪放さのある楽曲で、それに相応しい華やかなアプローチ。両端楽章における左手のニュアンスの表出力が表現に豊穣な幅を与えている。第2楽章はテンポを落してじっくりと弾き込んだ感じでロマン性が強く薫る。第3楽章では3連符に様々な表情が感じられるのもリルの演奏の特徴だと思う。
 ソナタ第4番は、ベートーヴェン初期の傑作の一つであるが、リルの演奏はそのスケール感に相応しい。緩急の差、強弱の差、いずれも広く、勇壮な雰囲気を引き出している。第1楽章の第2主題から派生した変容が、一気に力強さを増す個所など、リルのスタイルが良く表れている。第2楽章でテンポを落して、厚めの情感を描き出しているが、その豊かな恰幅は、ベートーヴェンが初期作品ですでに豊かな表現性を目指していたことがよくわかるものとなっている。第3楽章の途中から聴かれる3連符の連続も、味わいが濃く、それでいて流れもそこなわれていない。強いだけでなく柔らか味を兼ね備えた音色だ。終楽章は雄弁な左手のソノリティをバックに、ハ短調の劇的な和音が鮮やかに打たれる。
 様々なパートを濃厚に描き分けながらも、全体の流れの良さを失わない名演だと思う。

ピアノ・ソナタ 第3番 第14番「月光」 第23番「熱情」 第26番「告別」 第32番 創作主題による32の変奏曲
p: キーシン

レビュー日:2017.9.20
★★★★★  キーシンが確信をもって選び抜いた自身のライヴの記録
 現代を代表するヴィルトゥオーソ、エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin 1971-)がドイツ・グラモフォンと専属契約を結んだことを期にリリースされたのが当アルバム。キーシン自身が、この10年の間に行ったコンサートでライヴ収録されたベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の作品から、これぞというものを集めた形。25年ぶりとなるドイツ・グラモフォンからのアルバムは充実したCD2枚組となった。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第3番 ハ長調 op.2-3(2006年録音)
2) 創作主題による32の変奏曲ハ短調 WoO.80(2007年録音)
3) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」(2012年録音)
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」(2016年録音)
5) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a「告別」(2006年録音)
6) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111(2013年録音)
 いずれも異なるコンサートの音源が集められている。キーシンはかねてより、自分の芸術の完成に、聴衆は不可欠な存在である、と言及している。
 キーシンは言う。「私にとって、ライブ・レコーディングは常にスタジオのものを上回っています。なぜなら、聴衆の存在は、演奏に一層のインスピレーションをもたらすからです。聴衆とコンサートを共有し、精神を分かち合うことができるということは、私にとっては多くの意味を持っているのです」
 私は、以前からキーシンの録音を聴いていた。そして、そのスタジオ録音が当録音に比して劣ったものとは考えないのだけれど、当盤に収録された演奏には、確かにその場のエネルギーの放散によりもたらされた踏み込みや劇性の要素が多く詰め込まれている。前述のコンセプトを守って、エディット作業は最小限のものとなっていて、ライヴならではのノイズも、ほぼ無加工で収録されていると思われる。
 キーシンの演奏の特徴は重厚さと俊敏さの両立にある。それは、ベートーヴェンのいわゆる疾風怒濤(Sturm und Drang)と称される作風の作品と、みごとな相乗効果を成すものである。収録された楽曲には、いずれもその要素を持っていて、キーシンの演奏は、それを見事に高めている。
 しかし、それだけではない。キーシンは勢いや圧力だけで押し通すのではなく、つねに鋭利なコントロールを持っていて、それは一定の制御のもとにおかれる。そして、その中で、恐ろしいほどにピュアな孤高の美しさを見せる瞬間があって、そのことが特に私を魅了する。例えば、最後のソナタ32番の終結近く、あの付点のリズムの狂騒が終わって、静謐にエネルギーが収束をめがけるときにわきあがってくる自然で祈りを感じさせる瞬間に、それがある。
 これは、確かに見事な演奏である。収録曲だけみると、名曲を集めたような味気無さを警戒するかもしれないが、そんな心配は無用だ。聴き始めた瞬間から、ベートーヴェンが周囲を支配し、その世界に聴き手は没入することになる。さながら、キーシンと聴衆が共有した貴重な時間を、メディアを通じて分け与えられる喜びを感じることのできるアルバムである。

ピアノ・ソナタ 第4番「恋する乙女」 第9番 第10番 第11番
p: ポリーニ

レビュー日:2013.10.9
★★★★★  70歳になったポリーニが提示する豊かなベートーヴェン
 ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)による2012年録音のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7「恋する乙女」
2) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
3) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
4) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22
 思えば、ポリーニがベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音を開始したのは1975年、ポリーニが33歳の時であった。そこから、実に37年の歳月が流れ、ポリーニは70歳になった。
 シリーズの前作は2006年録音のソナタ第1番~第3番。本録音まで6年のインターバルである。ちなみに全集完結まで残り4曲(第16番、第18番、第19番、第20番)。これは1枚のディスクに収まる量だから、ラスト1であろう。文字通りライフワーク。完成のあかつきには、おそらく史上最も時間を費やしてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を完成させたピアニストとなるであろう。
 それにしても、正直に言って、もっと早くに録音してくれても良かったのではないかな、と思う。37年という歳月は重い。ポリーニのベートーヴェンの全集を聴きたいと思いながら、亡くなった人も世界中にいることだろう。まったくポリーニという人は罪な人だ。
 と書いてみたけれど、それこそ芸術というのは、芸術家一人一人に、それぞれ考え方やスタンスがあるものだから、本件に関しても、他の人間には計り知れないものがあるのであろう・・・。
 それはさておき、今回のポリーニのベートーヴェンである。この人の演奏をずっと聴いてきた私としても聴かないわけにはいかないディスク。聴いてみるとこれがいかにも円熟のまろみといったものを感じさせる出来栄え。さすがである。
 ポリーニの場合、かつては、その精度の高い技巧で、ベートーヴェンの音楽の構造性を強固に打ち立てたピアニズムが特徴であった。彼のベートーヴェンでも、80年代の録音のものまではそれが顕著。しかし90年代くらいから、彼のスタイルはもっと柔軟になり、いわゆる「情」の要素をいろいろ含ませるようになってきた。
 しかし、そうはいってもポリーニのベースというのはやはり保たれている。心地よいテンポを維持し、構造的な音の展開を十分なダイナミクスを持って描く。音色は、かつてよりやや “くすみ” があり、音の独立性も以前ほど完璧ではなくなったが、聴いていてそのことがマイナス要因としては響かず、むしろ私には全体的な暖かみ、豊かさとして伝わるように思う。ここらへんは、聴く人の趣味にも依るのだろうけど。
 この演奏も、いかにも間断も弛緩もない流れの豊かさを感じるテンポが透徹していて、フォルテの膨らみや、旋律の柔和なカンタービレなど、堂々たるものといったところ。また、最近のポリーニを象徴する柔らかなタッチは、例えばソナタ第10番の終楽章の冒頭をちょっと聴いていただけるだけで、十分、聴き手のみなさんにも伝わるものではないかと思います。
 総じて、いまのポリーニらしい、彫像的でありながら暖かみを感じるピアニズムが横溢した、豊かなベートーヴェンが鳴り響いています。
 全集完結を待つとともに、70歳のポリーニですが、まだまだこれから弾いてほしいものがいっぱいあるので、最低でもあと20年ぐらいは第一線で活躍してほしいと思います。

ピアノ・ソナタ 第4番「恋する乙女」 第9番 第10番 第12番「葬送行進曲付」
p: コルスティック

レビュー日:2018.8.2
★★★★☆  立派な音響だが、第9番、第10番といった性格のソナタでは違和感を覚えます
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。すでに全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、以下の4曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
2) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
3) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
4) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調 op.26 「葬送行進曲付」
 2006年の録音。
 私は上述の全集を購入して聴いているのだが、コルスティックのベートーヴェンについては、どうしても留保せざるをえない部分が多い。この4曲でもコルスティックの技巧は本当に見事なものだ。流れはよどみないものでありながら、強音は鋭く、その立ち上がりはことのほか鋭角的で、一つ一つの音の高い独立性を併せ持つ。クライマックスはエネルギッシュで、当盤であれば、ソナタ第12番の終楽章など、実に爽快だ。
 その一方で、どの曲であっても、「そうであり過ぎる」ように思えてならない。例えば、第9番や第10番といった楽曲、私はこれらの曲をアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)、ブレンデル(Alfred Brendel 1931-)といった名人たちの演奏で、学生の頃から何度も聴いてきた。愛すべき佳曲であり、どちらも名曲であると思うのだが、コルスティックの演奏は、これらの楽曲の性格や、楽曲が求めるであろう表現の成熟性といったものと、まったく無関係に、独立した一つの対象として、「コルスティックのアプローチによる完成」を目指している、ように思われる。そして、その完成度は、確かに高い。
 それはわかるのだが、感覚的にわかるということと、芸術として感動するということの間には差がある。コルスティックの手にかかると、第9番のあの愛らしい、ほほ笑みかけるような第1楽章が、メタリックな光沢で、一気果敢に進められること、第10番の第1楽章の展開部のはじまりが聴いたこともないほどの最強音によって布告されること。そのようないずれにも、私は、何か自分の考えを強烈に封じられるような気持ちがしてしまう。
 それは大げさな表現であって、むしろ私の感受性が、そのような多様性を受け切れていないという問題なのかもしれない。もちろん、そのことは書いておいたほうがいいだろう。だがその前提を踏まえて、コルスティックのあまりにも透明で壮麗で一貫した音楽に、齟齬を感じ、これらの楽曲が大切な何かを失ったように思ってしまう。
 もちろん、コルスティックの演奏には、見事で高く評価したいところもある。フレーズの規則性、再現の安定性は、曲の構造をしっかりと捉えているし、強い音といっても、決して乱暴に弾いているのではなく、むしろ結晶化した完全性を帯びている。だから、聴いていてその点は見事だし、聴くべきところが十分にある演奏であると思う。
 ただ、私の感性では、上述のように受け止めきれない部分があって、万感の喜びをもって迎えることにはならないのである。

ピアノ・ソナタ  第4番「恋する乙女」 第9番 第10番 第11番 第13番 第14番「月光」 第26番「告別」 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: H.J.リム

レビュー日:2019.10.29
★★★★☆  H.J.リムによる過激なベートーヴェン
 韓国出身でフランス在住のピアニスト、リム・ヒョンジョン(Hyun-Jung Lim)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。投稿日現在、すでに全集化(ただし、第19番と第20番の2曲はリムの意向により、当該全集から除かれている)されているが、当アルバムはその第1弾として製作されたもので、CD2枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
2) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22
3) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ短調 op.81a 「告別」
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
2) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
3) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
4) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1
5) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 2011年録音。
 2枚のCDには、それぞれサブタイトルがあるようで、【CD1】は「Heroic Ideas(英雄的思想)」、【CD2】は「Eternal Feminine: Youth(永遠に女性的なもの: 青年期)」と題されている。リムのベートーヴェンは、最終的にCD8枚で全集となり、そのそれぞれにサブタイトルが付されている。と、それだけで、リムの感受性の一端に触れるような気もするのだが、実際にその演奏はとても主情的なものと言えるだろう。通常では用いられないような極端なルバートやアクセントを多用し、つねに楽想を動かしている。
 クラシック・ピアニストにとって、ベートーヴェンのピアノ・ソナタにどのように挑み、如何にして克服するかは至上の命題であり、一流ピアニストになるためには避けて通ることのできない道だ。リムは自身のベートーヴェンへのアプローチ法について、簡潔に述べている。「ベートーヴェンのピアノ・ソナタを理論的に分析する試みは何度も行われています。私は、それよりもむしろ感情的、人間的、精神的、心理的な側面を表現します。」。そして、リムはベートーヴェンのピアノ・ソナタを、作曲者の時に苛烈な感情を書き連ねた日記のようなものと見なしていると述べている。その上で、リムはその「感情的なもの」を露にするような表現性をもった演奏を試みる。
 確かに、ある意味これは面白い演奏だ。刹那的な迫力、衝動的なフレージングは、素人臭さと薄氷の関係で、時には薄氷が割れているようにも感じられるのだが、リムには、それらがもっともらしく聴こえるようにするフィンガリング・テクニックがあり、聴き手を説き伏せるような力強さで演奏を帰結に導いてしまう。興奮的な要素が満ちている。
 ただ、それにしても、このベートーヴェンは、ひたすら刺激を注入し続けることでしか活路を見出せない音楽となっており、そのことに私の場合少なからぬ疑問を感じてしまう。リムは32のソナタを8つのカテゴリに分類した。いまのところ、私はそのうちカテゴリ1と2を聴いたに過ぎないが、「1と2で何が違うのか」は私にはピンとこないし、少なくとも、どれも同じように弾いているように聴こえる。もちろん、私の感性や感受性の不足かもしれないが、あまりにも過激で、運動的で、軽重の差のあるアクセントは、これらの楽曲がもつ思索的な要素をほとんど垣間見させてくれない。
 一端以上の面白さがあることはよくわかるのだが、それでは、このベートーヴェンを愛聴盤として何度も聴きたいか?と問われると、私の場合、「そこまでじゃないです」という回答になります。

ピアノ・ソナタ 第4番「恋する乙女」 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第24番「テレーゼ」
p: パール

レビュー日:2019.5.22
★★★★☆  清涼でさわやかなベートーヴェン
 ドイツを中心に活躍している、チリ出身のドイツ系ピアニスト、アルフレッド・パール(Alfredo Perl 1965-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。全集中の1枚で、vol.2に相当する当盤には、以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 op.7
2) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1
3) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調「月光」 op.27-2
4) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調「テレーゼ」 op.78
 1994年から95年にかけて録音されたもの。
 清潔で清涼感に溢れたベートーヴェンといったところ。
 パールのピアノは、透明で、粘着力が低く、輪郭がくっきりしている。そのことによって、全体の音像が、ガラス工芸品を思わせるような、透明な輝かしさがあり、逆に言うと、重さ、熱さ、濁りといった要素からは遠ざかる。
 パールの演奏自体は楽譜に忠実といった印象で、正確なリズムで正しい音価の表現を心掛けている。曲想の激しい個所では、アクセントの挿入、その俊敏さによってこれを達成し、不足感のない聴き味を導く。その透明で明瞭な音楽性は、健やかで、正統性も感じさせる。中でも、急峻に楽想が変化する部分での即応性は、このピアニストの優れた部分であり、そのくっきりした移り変わりの鮮やかさが、魅力的だ。
 収録曲では、第4番の終楽章などにその効果は端的に顕れている。重い和音も結晶化しきった俊敏な衣装をまとい、鮮やかな運動美の中で的確なサイズに置換されて表現される。スピーディーに処理が繰り返される過程は、なかなかに聴き手を清々しい気分に浸してくれる。第13番の終楽章も、その爽やかさで、新鮮な味わいを醸し出してくれる。
 他方で、叙情的な個所、楽想がゆっくりと描写されるような場所では、あまりにも淡々として、表情が乏しく感じられる部分がある。第4番の第2楽章など、もっとピアノが歌ってくれないと、単調さが目立ち、聴いていて気持ちの逸れるところがある。音色は美しいのだが、芸術表現として、もう一つなにか足りないと感じさせる。
 技術は安定しているし、清涼なスタイルは魅力たっぷりなのだが、楽章によっては、起伏の乏しさを感じさせてしまうのが心残りだ。

ピアノ・ソナタ 第4番「恋する乙女」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: エデルマン

レビュー日:2010.10.29
★★★★★  特有の呼吸を持ったエデルマンのダイナミックなベートーヴェン
 エクストン・レーベルへの充実した録音活動が続いているセルゲイ・エデルマン(Sergei Edelmann)によるベートーヴェンのピアノ・ソナタ集。「熱情」「月光」という2曲の超有名曲に加えてソナタ第4番が収録されている。いわゆる「3大ソナタ」の枠を一つ外している形。ソナタ第4番はミケランジェリも好んで取り上げていた作品で、「恋する乙女」のサブタイトルが使用されることもあるが、規模の大きい展開を含んでいて、ベートーヴェンが強い個性を打ち出した曲の一つとも言える。エデルマンのスケールの大きいピアニズムがいかにも映えそうだ。
 聴いてみると、いつものエデルマンらしい恰幅の大きい音楽になっている。エデルマンは、これまでのリストやシューベルト、シューマンなどの録音で、比較的ゆったりしたテンポを設定することが多かったが、今回のベートーヴェンでは、テンポは比較的普通である。しかし、その音楽は、広いダイナミックレンジを持っていて、劇的な表情付けを可能にしている。
 ソナタ第4番は旋律を司る右手の和音がやや硬質に響き、とてもリアリスティックな印象を受ける。この楽章には夢見るようなアプローチが多い中で一線を画す表現に思える。終楽章はいかにも規模が大きく、流動感よりもポイントで放たれるエネルギーの凝集量を増すことに集中したかのよう。朴訥としていながら、平穏ではない特有の気宇を感じさせる。
 月光ソナタの第1楽章は比較的ゆっくりめ。適度な重量感を持った音色が力強く響く。いかにもまじめな第2楽章の表現もエデルマンらしい。あまり跳ねる様な音色は用いず、レガート気味にまとめていく。終楽章は第4番と同様、硬質な打鍵と、瞬間の「塞き止めるような」パッションが横溢していて、重みがある。
 熱情ソナタも同様だが、第4番や月光よりなめらかな流れがあるように思う。両端楽章の力感溢れるフォルテがやはり聴き所で、近頃、これほど重量感のあるピアノを弾く人はあまりいないのではないだろうか。ところで、これらのエデルマンの「重量感」は、重く真面目に弾いている、というだけではない。それだけでは、聴き手の「感興」へ作用する力が乏しい。エデルマンの巧みさは、実は、パッションの流れに意表をつくような大小様々なベクトルを織り込ませている点にある。それがエデルマンのピアノを「音楽」たらしめていると思う。今後のレパートリーの開拓にも継続して期待したい。

ピアノ・ソナタ 第5番 第6番 第7番
p: リル

レビュー日:2020.7.14
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第3集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第3巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3
 リルのベートーヴェンは、強靭な音色、緩徐部におけるゆったりとしたテンポが特徴である。ベートーヴェンが、表現性の獲得を試行したと思われるop.10の3つのソナタであっても、そのアプローチは一貫している。
 ソナタ第5番は、第1楽章の付点が印象的な主題を十分な重量感をもって表現し、柔らかく光沢のある音色で、スケールの大きな気風を示す。それは、このソナタが持っている本来の表現の幅を一段広げた印象である。また、左手の音型も、伴奏であっても、時に表出力のある強さを交えることで、聴き味に豊かな恰幅をもたらしている。第2楽章では、十分に重みづけしたトリルが存在感を高め、カンタービレを濃くする。第3楽章はスラーとスタッカートを細かく交換する俊敏なフレーズとともに、決然と鳴る和音の力強さが魅力的だ。
 ソナタ第6番は、全般に遅めのテンポをとっており、これも当該作品の一般的な印象よりやや重々しさを感じさせる演奏だ。和音の響き、装飾的な音の存在感の強さは第5番と同じ印象。第2楽章のユニゾンも速度表記より遅いテンポであり、物憂さを強めている。対位法的な展開が楽しい第3楽章は、一つ一つの音の芯をしっかりと鳴らした逞しさがある。リルの演奏で楽曲は立派に響くが、この曲がもつウィットに富む部分については、”真面目なベール“に覆い隠されてしまったという感もあるだろう。
 op.10の中にあって、もっとも規模の大きいソナタ第7番で、リルはいよいよそのスケール感を高めたピアニズムを示す。第1楽章はその力感が如実に伝わる。しかし、第2楽章はかなり遅いテンポである。リルのベートーヴェン演奏において、緩徐パートはしばしばゆっくりしたテンポで奏でられるが、この楽章は特にその感が強い。ただ、この楽章では、相応の成果が得られていないように感じた。神秘的と表現できるかもしれないが、楽曲全体の流れとしては、やや唐突な静謐さである。楽曲の新たな面を開拓したという捉え方もあるが、その新趣向がまだ十分にこなれていない様な違和感が残っていると思う。第3、第4楽章は、リルらしい膂力に満ちた表現で、楽想を大きく描いている。

ピアノ・ソナタ 第5番 第6番 第7番 第8番「悲愴」
p: シフ

レビュー日:2006.4.8
★★★★★ 知能犯シフによる「設計通りのベートーヴェン」です!
 アンドラーシュ・シフによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の第2弾。今回は第1弾に引き続いて、ソナタの番号順に「悲愴ソナタ」を含む第5番~第8番の4曲を収録。録音は2004年。
 今回の手法も第1弾とまったく同様で、とにかくクリアで明晰な響き。力強い運指によって、音階のパッセージの粒だった音色が最大の魅力。例えばソナタ第6番の終楽章、弾むようなリズムに乗って音階が何度も錯綜するように繰り広げられるシーンはヤミツキになりそうなほど気持ちのよい響きだ。音感も十全で、各音の保持時間や、ペダリングの呼吸も計算されつくしている。
 まさに「設計通りのベートーヴェン」と言える。そして、そのことが音楽をここまで面白く生命力に溢れさせるのだということを通してベートーヴェンの音楽の本質を深く知ることができる。何度も聴いたソナタ第8番(悲愴)も新鮮に聴くことができること、うけあいだ。ちなみに悲愴の第1楽章のリピートは曲頭まで戻る版を採用している。(そのため第1楽章の演奏時間は10分以上を要している)

ピアノ・ソナタ 第5番 第6番 第7番 第8番「悲愴」
p: コルスティック

レビュー日:2018.8.10
★★★★☆ 音の鮮明な粒立ちは見事だが、私には消化しきれない感覚が残る
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。すでに全集が廉価なbox-setとなっているが、登板はそれに先んじて1枚単位で発売されたものの一つで、収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3
4) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13 「悲愴」
 2006年の録音。
 私は、ヨーロッパで「ベートーヴェン弾き」として評価の高いこのピアニストのことを以前から知ってはいたのだけれど、聴かずにいた。それが、最近になって、コルスティックが2010年に録音したカバレフスキー(Dmitri Kabalevsky 1904-1987)のピアノ協奏曲集が素晴らしかったものだから、上述のbox-setを購入し、聴いているのである。
 私の気持ちを率直に言うと、カバレフスキーの方が良い。・・まあ、カバレフスキーは本当にすごく良かったので、それと比べるとどうしても、という点もあるのだけれど、このピアニストのベートーヴェン、なかなか個性的で、人によっては好きなる要素は十分にあるだろう。
 当盤についての感想を書こう。いつものように透明感にあふれた力強いタッチだ。第5番冒頭の音型のシンフォニックでかつ整えられた響きは、多くの聴き手の気持ちをつかむだろう。私もそうである。ソノリティが明瞭で、くっきりしていて、一つ一つの音の輪郭が鮮明。鍵盤に伝えられる力が、常に芯まで突き通る充足感を持つ。その一方で、あまりにも衒いや陰りの少ない響きという印象も持つ。その光沢感も、ベートーヴェンの響きとしてはやや異質さを感じるところがある。
 もちろん、それらは、ユニークさのあるコルスティックの芸術的解釈として成り立っているのであるが、私の感覚では、どうしても違和感があり、純粋に音楽芸術として感動できない「引っ掛かり」が残ってしまう。
 それと、もう一つ気になるのは、緩徐楽章でコルスティックがしばしばとるスローなテンポ設定である。当収録曲では、なんといってもソナタ第7番の第2楽章で、この楽章に13分以上費やすというのは、ソナタ第7番の全体的な構成感という観点でみても、どうも私にはバランスがとれていないように思える。そこに歌があることはわかるが、退屈を感じるところが否めない。
 有名なソナタ第8番の第2楽章の中間部でも、このスローなテンポはあらわあれる。こちらは第7番ほどには気にならないが、それでその遅さを必然として納得させてくれるだけの何かを欲しいと思う。
 とはいえ、コルスティックのベートーヴェンには、聴きどころもまた十分にある。最初に書いたように強い音の完成度、けっして歪まない光沢は見事なもので、スピーディーな個所での崩れのない疾走感は、聴き手に悦楽をもたらしてくれる。そのような、コルスティックならではの美点も確かにあって、なかなか全体的にどう判断するのか、私もまだ悩んでいるところもある。私の中で消化しきれないものがある、と表現するのが妥当かもしれない。すると主観の問題?
 いずれにしても、現時点での私の評価は、名演とは言い切れない、ユニークな録音の一つというところになる。

ピアノ・ソナタ 第5番 第6番 第7番 第15番「田園」 第19番 第20番「ソナチネ」 第26番「告別」 第30番 第31番 第32番
p: ルイス

レビュー日:2023.7.10
★★★★★ ポール・ルイスの芸術の奥深さを感じさせるベートーヴェン
 ポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全曲録音の「第4集」としてまとめられたCD3枚からなるアルバム。収録内容は下記の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ短調 op.10-1 2007年録音
2) ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 op.10-2 2007年録音
3) ピアノ・ソナタ 第7番 ニ長調 op.10-3 2007年録音
【CD2】
4) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」 2006年録音
5) ピアノ・ソナタ 第19番 ト長調 op.49-1 2005年録音
6) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 「ソナチネ」 2005年録音
7) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」 2007年録音
【CD3】
8) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 2007年録音
9) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 2007年録音
10) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 2007年録音
 当盤は、ポール・ルイスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音の完結編に相当する。録音開始が2005年だから、比較的短期間のうちに集中して録音され、それらが4つに分売されたという印象であるが、決して急いだ仕事というわけではなく、一つ一つが味わい深いものとなっていると思う。実際、この第4集は、2008年の独・グラモフォンのレコード・オヴ・ザ・イヤーを受賞している。
 ポール・ルイスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集全体に関して、すごく紋切型な感想を述べさせてもらうと、特に有名でない曲がめちゃくちゃに良いということがある。このアルバムだと、まずは、冒頭の第5番に注目したい。冒頭の充実したハーモニーと果断な速さのバランスは、実に見事で、この最初の音を聴くだけでも、十分な価値がもたらされると思う。中間部の対位法の明晰な処理と、伸びやかな歌の両立も見事。作品10の3つの作品は、いずれも終楽章の早い速度指示の楽章が置かれるが、ルイスの演奏は、まさに疾風と形容したいものであり、しかも表現性においても充実しきったものを湛えている。特に第6番の第3楽章は、これまでに聴かれたことがないほどにスリリングで美しい。
 第15番は有名曲だが、夢見るような美しさに満ちていて、これもとても良い。第1楽章の歌のしなやかさは、彼の弾くシューベルトの素晴らしさに通じるものであるが、加えて終楽章に見られる運動美も、ピアニスティックな表現の一つの極致を感じさせるものであり、感動的だ。第19番の憂い、第20番の愛らしさも、きわめて健康的でありながら、精妙に奏でられる。告別ソナタは、古今の名演と呼ばれるものと比較すると、いかにも軽やかで、終楽章など、軽すぎると感じるかもしれないが、その適度に乾いた淡さは、繰り返し聴きこむにふさわしい深い味わいをともなっているものと感じられ、聴き減りのしない豊かさを持っている。
 第30番は、バランスの取れた美しい表現。第2楽章は告別の終楽章と同様に抑制的だが、それゆえの美しさがあり、聴き手を納得させるだろう。第3楽章は、自由なようでいて、とても流れが良く、聴き終わると、とても構成的な整合性を伝えてくれていたことがわかる。最後の3つのソナタのうち、特に素晴らしいのは第31番で、これもルイスというピアニストの特徴が良く出ており、ピアニストの深い感性から引き出された歌と、音楽への深い教養のバランスで、高い均衡美に満ちている。第32番は、劇性より詩情の表出にウェイトを置いた表現で、レガートの洗練された扱いに、瑞々しい情感が宿っている。
 ポール・ルイスのベートーヴェンの素晴らしさが詰まったアルバムとなっている。

ピアノ・ソナタ 第7番 第14番「月光」 第22番 第23番「熱情」
p: ルガンスキー

レビュー日:2006.2.12
★★★★☆ 凛々しく等しく磨き上げられた光沢あるベートーヴェン
 ロシアものやショパンを中心に名演を聴かせてくれているルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)が、いよいよベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)に挑戦したアルバム。2005年録音。収録曲は以下の4曲。
1) ピアノ・ソナタ 第23番ヘ短調 op.57「熱情」
2) ピアノ・ソナタ 第14番嬰ハ短調 op.27-2「月光」
3) ピアノ・ソナタ 第22番ヘ長調 op.54
4) ピアノ・ソナタ 第7番ニ長調 op.10-3
 ルガンスキーはこれまで、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)で素晴らしい録音を聴かせてくれた。またショパン(Frede Chopin 1810-1849)やプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)にも注目すべき録音があり、これからの一層の飛躍を期待していたところ、今回はベートーヴェンの登場とあいなった。
 プログラム的には3大ソナタからの2曲と、それほど有名ではない2曲を組み合わせたものとなっている。このうち、後者の2曲に特に私は感心した。音響的な充実と、階層的な響きにより、実に凛々しく逞しい音像を構築している。光沢を伴った量感豊かな響きは圧倒的な存在感をもたらしていて、特に第22番の第1楽章、オクターブ和音の連続シーンや、ソナタ第7番の終楽章の可憐なロンドの満ちる音響の内的充実にこのピアニストの長所を強く感じた。
 これに比べると有名2曲はやや構えた感じのところがある。技巧的な卓越は感じさせるけれど、それと同時にやや一本調子に感じるところもある。常に冷静に等価値な音色を繰り広げる普遍性に驚愕するが、もう少し変化の要素があってもいいように思う。たとえば熱情ソナタは思いのほかスローなテンポで、きわめて正確に打鍵を刻み続けてはいるものの、物語の展開が限られているところがあるようにも思う。
 とは言え、この演奏において用いられる明晰で明快、かつ力強い表現が隅々まで行き渡っていることをもって、すべてが余すことなく解決されている、という評価もありえるだろう。この辺は音楽表現の多様性による各人の評価によって変わりうるところである。いずれにしても、この強度の高い表現力はこのピアニストの強靭な武器であり、今後の展開にいよいよ期待を抱かせる1枚となっていることは、間違いないだろう。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第9番 第10番 第11番 第21番「ワルトシュタイン」 第24番「テレーゼ」 第25番「郭公」 第27番 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: ルイス

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 流麗でよどみがなく、ソフトな語り口のベートーヴェン
 作品31の3つのソナタに続くポール・ルイス(Paul Lewis)のベートーヴェン・ピアノ・ソナタシリーズの第2弾。今回は一気に3枚組でのリリース。勢いのある若手らしい意欲的な録音活動だ。録音は2005年から06年にかけて行われている。今回の3枚組みが面白いのは、初期、中期、後期の区別なく様々なソナタが収録されていることだ。収録曲は以下の10曲。第8番「悲愴」 第9番 第10番 第11番 第21番「ワルトシュタイン」 第24番「テレーゼ」 第25番「郭公」 第27番 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」。
 そんなわけで、この3枚組を聴くと、だいたいルイスのベートーヴェンのピアノ・ソナタの全体像が見える。流麗でよどみがなく、ソフトな語り口のベートーヴェンである。ブレンデルの弟子のルイスであるが、ブレンデルが純ドイツ的ともいえる滋味のある演奏だったのに比べ、ルイスの演奏にはずっと自由さがある。
 聴いてみて印象に強く残ったのは、まずソナタ第11番の第1楽章。このトリルから始まる流動的な第1楽章のなだらかでいかにも程よく力の抜けた音楽の起伏は見事で清涼感抜群。また第21番のアタッカで入る第3楽章の冒頭部分の繊細さは夢見るような美しさ。第29番では一転して広めのダイナミックレンジで装飾効果の高い演奏でこれもよい。第27番の後期の幕開けを感じさせる内省的な雰囲気もよく出ている。
 一方で、私の好きな曲である第28番であるが、これはちょっと気楽に行き過ぎるかな・・・お思った。この曲の場合、深遠な祈りと、晩年特有の喜びの追求がほしい。私の好きな84年録音のアシュケナージ盤と比べると、曲自体の重みがだいぶ「軽め」に設定されている感じがある。第8番の序奏部はかなりゆったりめであるが、ちょっと緩みを感じてしまう面もある。しかし総じて面白い選曲であり、間違いなく新しいベートーヴェン・ピアノ・ソナタ演奏スタイルの一つと思う。
 それがこのアルバムの本質であろう。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第17番「テンペスト」
p: ゴルラッチ

レビュー日:2017.12.27
★★★★★ 若きベートーヴェン弾きの見事なアプローチに感嘆
 2006年の浜松国際ピアノコンクール、2011年のミュンヘン国際コンクールでともに優勝を果たしたウクライナのピアニスト、アレクセイ・ゴルラッチ(Alexej Gorlatch 1988-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。以下の3曲を収録。
1) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13「悲愴」
2) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
3) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」
 2013年の録音。
 録音時まだ25歳の若きピアニストの演奏であるが、その演奏からはすでに彼が自分のベートーヴェンをしっかりと考察し、表現できているという手応えが感じられる。特にピアノ音楽の新約聖書と称されるベートーヴェンのピアノ・ソナタを弾く際には、当然のことながら、正しく弾くという以上に、芸術家としての精神に係わる表現が重要となってくる。もちろん、それは、対外的に同じ方法で指し示すことのできるような絶対的なものではないのだけれど、多くの演奏を聴いていると、感覚として様々に味わうことであり、ゴルラッチのこの演奏にもそれはしっかりと感ぜられる。となると、このピアニスト、これからの「ベートーヴェン弾き」として、大いに期待できる存在ということになる。
 明快なアーティキュレーションを伴って、やや早めのテンポを主体としている。それらの効果は、冒頭に収録された悲愴ソナタで、ただちに示されている。すなわち、冒頭の和音で左右の手による減衰の差により、新鮮な効果を上げて聴き手を惹きつけるとともに、疾走部ではスキのない考え抜かれたテンポで颯爽と進む。また、このソナタに限らず、左手が、単純音型を繰り返すような伴奏部分であっても、こまやかな変化により、劇性の味付けが施されている。その一方で、それらの味付けは、決して濃厚過ぎるものとはならず、全体の表現の中での位置づけがしっかり吟味されている。
 悲愴ソナタとテンペストソナタの第2楽章に象徴的なタッチの美しさも、持ち味と言っていいだろう。
 個人的に、ベートーヴェンの作品では、その場の感情にゆだねた即興的な演奏をメデイアで聴く場合、聴き減りを感じるケースが多いのだが、ゴルラッチのスタイルは、劇性と美しさを維持しながらも、周到な用意によって即興性を回避し、よく練られた表現として聴き手に届けられる。
 全体に重厚な演奏というわけではない。ベートーヴェンと言うと、重々しい響きを期待する人も居るかもしれないが、ゴルラッチの演奏は、その呪縛と違うところで、見事なベートーヴェン像を形作っていると思う。私の感想を集約すると、「知的な切れ味を感じさせるベートーヴェンらしいベートーヴェン」といったところで、ベートーヴェン弾きと言うにふさわしいピアニストの演奏と思う。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第21番「ワルトシュタイン」 第25番「郭公」
p: オズボーン

レビュー日:2016.11.18
★★★★★ 間接光の暗がりを感じさせる月光の曲
 スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の4曲を収録した2008年録音のアルバム。
1) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
2) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13「悲愴」
3) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79
4) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53「ワルトシュタイン」
 オズボーンは、2015年にソナタ第27番、第28番、第29番を録音していて、私はそのアルバムを聴き、大いに感銘を受けたので、その7年前の録音である当盤を聴いてみた。
 聴いてみての感想であるが、2015年録音の強靭な演奏者の精神性、意趣の表れに比べると、この2008年録音のアルバムは、味わいとしてはマイルドなものとなっている。しかし、その表現は細やかで、しっかりとした彫りがあり、こちらも別の意味で良い演奏であると感じられた。
 特に印象的なのは冒頭に収録された月光ソナタの第1楽章である。この美しい分散和音の連続の中で、静謐な主題が聞こえてくる音楽が、時に死のイメージを誘うことは、吉田秀和氏も指摘しているし、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)が亡くなる直前に完成させたヴィオラ・ソナタでも、そのモチーフがはっきりと立ち現れるのであるが、オズボーンは、この美しい楽章をどこか間接的な雰囲気で包む。実に静かで感情を抑制した分散和音の中、霞にかかったようにこれまた静かに主題が聴こえてくるのだ。不思議な暗さと暖かさが同居する。それは、輝く月を直接見ているというより、月の光でぼうっと照らされた林の中にいて、その淡い物影の世界を感じているような音楽なのだ。この月光ソナタの第1楽章は、今まで聴いたどのような演奏とも違うなにかを、私に感じさせてくれる。
 また、ワルトシュタイン・ソナタも印象的だ。実に細かく精妙なタッチを駆使し、ガラス工芸品のような音楽を作り上げる第1楽章から、より大きな情動を獲得し、ダイナミックに躍動する終楽章まで、実に豪放精緻な音楽が築き上げられている。
 全般にテンポは落ち着いたゆっくりしたものと感じられるが、アレグロ楽章では一転して畳み掛けるような迫力を宿しており、その劇的な力強さも当演奏の大きな魅力。緩徐楽章の情緒もよく表現されている。
 確かに価値ある一つのベートーヴェンが提示されている。その後2015年まで第2弾録音へのインターバルを設けた理由はわからないが、今後もどのようなベートーヴェンを披露してくれるのが、興味深いピアニストである。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: アシュケナージ

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 普遍的な「三大ソナタ」の演奏
 「悲愴」「月光」「熱情」・・・いわゆるベートーヴェンの三大ソナタである。もっともポピュラーなソナタの組み合わせはベートーヴェン入門としても人気が高く、この組み合わせのCDは相当な数に上るに違いない。そして名演も数多いが消えて行くものも少なくない・・・
 中にあって、発売当初から再版が重ねられ、常に高いクオリティーによって支持されてきたのがこのアシュケナージ盤である。録音は80年代に行われおり、このピアニストの一つのスタイルが究極点に達したころの録音と考えていいだろう。まず音色の絶対的な美しさ!これは例え様もない、代え難い美点である。熱情冒頭の情熱的な和音の連打、月光の終楽章の運動的美学を追求したソノリティの完璧さ!どこをとっても申し分ない。逆にその申し分のなさが欠点かもしれないが、それはないものねだりだろう。
 私も音楽ファンを続けて様々な音楽を聴くようになったが、「いいものはいいんだ!」と屈服させられる名曲と名演。
 それがこのアルバムの本質であろう。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: F.ケンプ

レビュー日:2008.6.1
★★★★☆ 流れのよい爽やかなベートーヴェン演奏
 今回、フレディ・ケンプが2000年に録音したベートーヴェンの後期の3つのソナタを聴く機会があり、合わせて2004年録音の彼にとって第2弾のベートーヴェン録音となる当盤も聴いてみた。曲目はソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第23番「熱情」の3曲で、いわゆる「3大ソナタ」式の選曲・録音である。
 このピアニストのベートーヴェンへのアプローチにおける基本的なスタンスはほとんど変わっていないと思われた。すなわち、テクニックを駆使し、流れのよい爽やかなベートーヴェンである。この方法はこれらの楽曲にも面白い色彩を与えてはいる。
 ただ、いろいろと「個性的」な面も出ている。それが顕著なのが「悲愴ソナタ」で、まず冒頭の悲愴和音の提示が、きわめて短時間で行われる点がユニークだ。これは彼のこれまでの録音を聴いていると、ある程度考えられるものかもしれない。そしてこの刹那的とも言える陰影の儚さはこの演奏を通じて繰り返し与えられることになる。彼は、ショパンのバラードや幻想ポロネーズを弾いたときでも、テンポの「落ち」から来る「緩み」を、相当警戒した上でできる限り排除し、最後まで一筆書きのようなテンポでさらっと鮮やかにまとめてみせたのである。もちろん特にベートーヴェンの場合、(聴き手からすれば)さらにそこにもう一味も二味も欲しくなるのも事実であり、今後の発展が期待される。月光ソナタの終楽章はもっともっと流麗な演奏を期待したが、こちらは意外と凹凸のある印象を残している。あるいは試行の過程で何かの変更があったのだろうか。ただソノリティ自体は美しい。
 いずれにしても、ベートーヴェンの音楽の本質に近い何かを射抜いているという感じとはちょっと違うけれども、聴いていて面白い演奏ではある。中でも熱情ソナタの第3楽章、それもコーダから終結に至る息もつかせぬスピード感とそれでいて十分に鳴りきっている音色は清清しいかった。このアルバムの最後を飾るに相応しかった。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: フェルツマン

レビュー日:2011.11.11
★★★★★ フェルツマンの「らしさ」を十分に感じさせてくれるベートーヴェン
 ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるベートーヴェンのピアノ・ソナタ集。収録曲は、いわゆる「3大ソナタ」で、第8番「悲愴」、第14番「月光」、第23番「熱情」の3曲。2009年録音。
 同じタイミングでNimbusから発売されたショパンのバラード集と比較して、こちらのベートーヴェンの方が良いと思う。何と言っても、フェルツマンがそのパフォーマンスを、妙に閉じ込めたりせずに解き放った感があるのがいいところ。
 フェルツマンというピアニスト、日本では国内盤の発売が少なかったこともあり、目立った存在とは言い難いが、80年代にはティルソン・トーマスと鮮やかなプロコフィエフの協奏曲を録音していて、力量があり感性豊かな芸術家だと思う。以前にもベートーヴェンのソナタを何曲か録音しているようだけれど、私はこのディスクで初めて彼のベートーヴェンを聴いた。
 このベートーヴェンはフェルツマンらしい奔放さがよく出ている。まずテンポの設定が自由だし、音楽の起伏も振幅幅が広い。音色も、思い切ったペダリングがある。頻繁というわけではないが、少し装飾的音型をいじってみたりして(悲愴ソナタの1楽章中間部がわかりやすいだろう)、とても面白い。悲愴ソナタは比較的ウェルバランスで節度が整えられているが、月光ソナタの有名な第1楽章は、やや早めのテンポで、旋律線に歌のアヤがこめられるのは、フェルツマンのロマンティシズムが反映された顕著なところだろう。終楽章は細やかなパッセージの後のダンダン!という鋭角的でスポーティな和音連打が、いかにもこの人らしい鋭さ。また、フォルテのところで、思い切りペダルを踏み込んで、粒だったたくさんの音を、いちめんに地面に広げるような音響効果は、劇的で、勇ましい。
 熱情ソナタも力強い部類の演奏だと思うが、重々しさを感じさせない、不思議な「軽妙さ」を伴っている点が特徴的。この曲の演奏としては、芯をあまり感じさせないようなところがあり、そこが聴き手の好みの別れ具合になるとも思う。でも、個人的には「良い演奏」で、やりたいことがうまく出来ているという安心感がある。ところどころスリリングな技巧の冴えがあるのも好ましい。
 他のいわゆる名演と称されるベートーヴェンと比較すると、ちょっと異質で個性的な演奏だとは思うが、このピアニストならではの柔軟性が発揮された録音だと思う。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: ユンディ・リ

レビュー日:2012.10.1
★★★★★ とびきりの美音とルバートで奏でられるロマン派のベートーヴェン
 2000年に開催されたショパン・コンクールで優勝し、アジアの楽界の飛躍の象徴ともなったユンディ・リ(Yundi Li 1982-)は、録音面でも、着実にそのキャリアを積み上げているが、このたび、初となるベートーヴェンのアルバムがリリースされた。収録曲は、いわゆる三大ソナタということで、ピアノソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第23番「熱情」の3曲。録音は2012年。
 私の場合、相当長い年月クラシック音楽を聴き続けてきたので、この3曲の組み合わせを改めて聴くというのは、「もう何度も聴いたものを、再度聴く」という気持ちになるのだが、このたびは、ユンディ・リの初のベートーヴェンということで、新鮮な気持ちで聴くことができた。それに、何度聴いてもベートーヴェンの名曲は、本当に素晴らしいものである。
 それでは、当ディスクについて感想を書こう。まず、私が購入したものは、特典としてDVDディスクを添付してあるものだった。その収録内容は全部で12分弱の短いもので、プロフィール(ごく簡単な英語、日本語字幕付きの本人の語り)と演奏(悲愴ソナタの第2楽章全部と第3楽章途中まで)が収録されていた。演奏は肘から先のしなやかな運動性、スナップのバネの良さが視覚的な印象としてよく伝わるものだったが、本人のコメントはごく簡単なサラッとしたもの。しかし、その発言の中で興味深いのは、ベートーヴェンを単に「ドイツ・ロマン派」と語る奏者の考え方である。
 確かに、ベートーヴェンはロマン派の幕開けの号砲を鳴らした大家でもあるが、少なくとも初期のソナタなどは、これまではむしろ「古典派」としてのステイタスを確保されたジャンルであったように思う。しかし、ここでユンディ・リはあっさりと「ドイツ・ロマン派」とコメントしている。そして、(コメントが部分的なものなので、拡大解釈すべきでないかもしれないが)彼のベートーヴェンはやはり多分にロマンティックに響くのだ。例えば、悲愴ソナタの第2楽章。この美しい楽章をユンディ・リは更に一層美しいソノリティで、夜の配色を施したブルー系のパレットを用い、そこに星の光をトレースしていくように描いている。その美しさは、彼のショパンの夜想曲を聴いた印象に通じるものだ。月光ソナタの第1楽章だってそう。基本的にはインテンポで奇をてらわない演奏だけれど、細やかなルバートにほどよい甘味があり、それを最高の美音で提示するのだから、静謐でありながらロマンの香りのただよう流麗な演奏となっている。これが彼のベートーヴェンの醍醐味であろう。
 悲愴ソナタは全般としては抑え目の表情で、丸みのあるタッチが特徴的だが、速いパッセージの運動的な処理の卓越は、鮮やかに軽やかに階段を駆け上がっていくような好ましさに満ちている。
 月光ソナタは前述のような美麗さとともに、終楽章の細かなペダリングの効果とあいまって、踏み込みのある強奏の妙は心地よく決まっていく。
 熱情ソナタも流麗の極みといったところ。1楽章の和音連打の運動的な一貫性は見事で、一つの流線型のフォルムを描き出しており、聴き味が鮮烈でありながら、押しつけがましさのないクールさを湛えている。2楽章の健康的なルバートがこの演奏の性格を的確に物語っているだろう。終楽章もただ情熱的なだけでなく、美しい響きを活かしたバランスが作用している。
 久しぶりに三大ソナタのアルバムを聴いたが、現時点のユンディ・リの健やかでロマンティックな音楽性が存分に発揮された内容だと感じられた。おそらく、これからも彼はベートーヴェンを弾いていくことだろうと思うが、そのロマンティックな、今の時代らしいベートーヴェンは、おおいにフアンを獲得していくのではないだろうか。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第23番「熱情」
p: ヤンドー

レビュー日:2017.6.26
★★★★★ ヤンドーの実力を示す模範的なベートーヴェン
 ハンガリーのピアニスト、イェネ・ヤンドー(Jeno Jando 1952-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)。いわゆる3大ソナタとして、以下の3曲を収録している。
1) ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 op.13「悲愴」
2) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」
 1987年の録音。
 ヤンドーというピアニストを発掘したのは、廉価レーベルの草分け的存在であるナクソスで、80年代以降、ヤンドーの録音は、このレーベルから様々なものがリリースされた。
 しかし、ヤンドーというピアニストの評価はどうだろうか?廉価レーベルから数多くの録音がリリースされた、という印象が先行してしまい、「粗製乱造」とまで言わないまでも、どこかに他の録音と比べて、一つ落ちる演奏のようなイメージが敷衍しているのかもしれない。そういう私も、人のことを言えない立場で、このピアニストの録音を聴いたのは、だいぶ後になってからである。
 以上の前振りから想像されるかもしれないが、このベートーヴェン、実に立派な演奏なのである。そのピアニズムが、楽譜に忠実で、実直真面目。その一方で、音色にモダン楽器特有のまろやかな柔らかさがある。この演奏の見事なところは、どこをとってもベートーヴェンらしい音に満ちていて、全てが模範的で、かつ豊かな味わいがあり、飽きさせないというところである。
 こういう演奏に近い存在というのを考えると、私は、ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)やブレンデル(Alfred Brendel 1931-)といった人たちの名前を思い出す。いずれも中央ヨーロッパを感じさせる正当性、古典性を感じさせるピアニズムで人々を魅了した芸術家であるが、ヤンドーは彼らと並び称したとして、なんら過不足ない実力を持っていると考える。
 これほど優れた演奏家を発掘して、数々の録音を世に送り出したナクソスの戦略は、慧眼というほかないが、一般に、世の中の批評は、メジャー・レーベルを優遇する傾向があって、それで、これらの録音も地味な位置に留め置かれたままになっているのかもしれない。
 しかし、ベートーヴェンらしい構造的な組み立ても、熱血的な奔流も実に見事で、堂々たるもので、どこといって欠点のないまとまりの良さといい、ヤンドーというピアニストが聴き洩らしてしまうには惜しい存在であることには、間違いないと思う。何か一つ、どこか突き抜けた「代表的録音」の存在が出現すれば、彼の録音全般の評価が一気に高まるような気もする。しかし、その一方で、幅広いジャンルに、いずれもクオリティの高い録音を行う彼の活動は、それ自体で、高い評価を得るべきものなのである。これほどの活動のできる人は、メジャー・レーベルでも、そうは居るまい。

ピアノ・ソナタ 第8番「悲愴」 第14番「月光」 第15番「田園」 第17番「テンペスト」 第21番「ワルトシュタイン」 第23番「熱情」 第26番「告別」
p: アシュケナージ

レビュー日:2010.11.23
★★★★★ アシュケナージという音楽家について
 アシュケナージという音楽家の美質について、私はあちこちでいろいろ書いてきたけれど、それは私がそう思っているということもあるし、プロの批評家の中にも、なぜか今ひとつ的確な言葉でその美質を語ってくれる人が少ないということもある。「音楽を音楽たらしめているもの」が何か?と考えたときに、よく言われるのはメロディーとかリズム、ハーモニーということになるのだけれど、この音楽家はそれらを本当に作為なく調和させることができて、ここはこう響く、という普遍的なものを余計な力を加えることなくすっと出せるのである。
 これは理屈で考えると、どうやっても的確に言葉で表現することはできないのだけれど、音楽を奏でる上での「教養」と「技術」、そして表現される音楽が聴き手のハートに伝わるときの媒体である「詩情」をきわめてバランスよく備えている、ということではないだろうか?・・ある一つの側面からだけみて「この演奏はこうだ」と捉えたとき、アシュケナージの演奏はきわだって特徴だっているものではないかもしれない。しかし、音楽というのはとても多様で多次元な構造を有していて、たいていの聴き手はそれを丸ごと一度に受け取るものである。それで、アシュケナージの奏でる音楽はその全体として見事なまでに自然なプロポーションを持っていて、あらゆる面で破綻がなく、確固としながら包容力を持っているのだ。
 このアルバムにはベートーヴェンの代表的な7つのピアノ・ソナタ・・・第8番「悲愴」、第14番「月光」、第15番「田園」、第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」、第23番「熱情」、第26番「告別」が収録されている。アシュケナージが1971年から82年にかけて録音した全集から抜粋されたものだけど、どこをとっても、ベートーヴェンの音楽が、的確な情報量と緊張感、優美さと情熱をもって響いてくる。「熱情ソナタ」の鋭い打鍵も、圧倒的な技術で奏でられる運動的なパッセージも相応しい場所に収められ、完全な機能を果たしている。「月光ソナタ」の終楽章を聴いてみよう。なんと美しくも激しい音楽だろう。これほど流麗ありながら音楽の骨子をはっきりと示し、かつ作為性がない演奏というのはちょっと他では考えられないのではないだろうか?「田園ソナタ」の暖かさは脈々とした生気が通っている。「テンペストソナタ」の静と動の対比で描かれるドラマのサイズも絶妙だ。少し早めのテンポを維持しながら音楽の輪郭は常に強い平衡感覚で保たれている。
 もちろんアシュケナージに限らず音楽を言葉で表現することは困難を要するが、それにしてもなかなか的に近い表現をしてくれる人は(特に批評家には)いないと思うので、ちょっと書いてみました。

ピアノ・ソナタ 第9番 第10番 第12番「葬送」 第15番「田園」
p: ペライア

レビュー日:2008.12.31
★★★★★ 「なるほど」と思うペライアのベートーヴェン
 ペライアの久しぶりのベートーヴェンのピアノ・ソナタアルバム。CDとしては、初期の3つのソナタ(94年録音)と、ソナタ第28番(弦楽四重奏曲第12番の弦楽合奏版との併録、2003-04年録音)があり、また私はかつてLPで第4番と第11番を録音したものを聴いていた(こちらはCD化されていないようである)。むかし、第4番と第11番のソナタを聴いたとき、ずいぶん軽くて、全体的なバランスが高音域にシフトした演奏という感想を持った記憶がある。それ以後、ペライアは2度の手の故障があり、そしてまたベートーヴェンのソナタに戻ってきたという感じ。
 ペライアというピアニストはベートーヴェンに本質的には向いていないような気がする。というのはこのピアニストの特徴は、自然に内から溢れてくる歌であり、それを自然に紡ぎ合わせて、夢見るようなバッハやスカルラッティを奏でてくれたりする。他方ベートーヴェンは、歌よりも論理と構造の美学から、質実剛健たる音楽を打ち立てていった超人である。だから、ペライアがアプローチする場合、それなりの一策が必要になると思う。
 これを聴いてみると、ペライアはやはりその柔らかなソノリティでベートーヴェンの音楽を歌のフィールドに近づけていると感じる。ソナタ第12番の終楽章は立派なソナタ形式であるが、ペライアが弾くと一本気というか、まるでショパンかグリーグの小品のようなチャームな雰囲気を宿す。つまり、ペライアはベートーヴェンのソナタに確かに存在する歌の要素をまず捉え、それらの重み付けを再配分することで、音楽を再構成している。ソナタ第9番や第10番は比較的アプローチしやすいかもしれない。じっくりと感興をためて品よく歌わせた高貴なベートーヴェンである。そして、おそらくこれこそが「ペライアのベートーヴェン」なのだろうと思う。決して表現として斬新というわけではないけれど、いわゆるドイツ的なベートーヴェンとはあきらかに一線を画した歌うベートーヴェンだ。そしてスマートで流線型の、パッション型ではないベートーヴェンとも言える。個人的はとても気に入ったが、より古典的なベートーヴェン演奏を重視する聴き手には受けないかもしれない。

ピアノ・ソナタ 第9番 第10番 第11番 第19番 第20番「ソナチネ」
p: シフ

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 現代の楽器のパフォーマンスを最高に引き出しています
 ECMからリリースされているアンドラーシュ・シフによる注目のベートーヴェン・シリーズも今回が3枚目となる。収録されたのは、第9番、第10番、第11番、第19番、第20番の5曲だ。
 まず第19番が冒頭に収録されている。非常に美しいロマンティックな要素を持ったこのソナタをはじめに持ってきたところが、シフの演奏意図を如実に反映していると感じる。シフのベートーヴェン演奏のスタイルは「現代の楽器のパフォーマンスを最高に引き出す」ものだと思われるからで、もちろんそれ一点ではないが、重要なポイントに間違いない。またシフならではのバランス感覚によって、ソナタの成り立ちも見通すことができて十分にアカデミックだし、他方で装飾音の自在性などもあり、これはまさしく「シフのベートーヴェン」である。一つ一つの音が太く芯まで届いており、かつ高級な美観に貫かれており、その香気はさすがといったところ。第20番はソナチネ形式であるがここでもシフの細心の表現は微に入り細に入りである。
 続いて収録してある第9番と第10番についてはもっと評価の分かれる演奏であると思う。もちろん決して悪い演奏ではないが、十全のグランドマナーを魅惑的放つ一方で、テンポが通常の演奏よりだいぶゆったり目である。たっぷり聴かせてくれるわけであるが、たっぷり過ぎる、と感じる人がいても文句は言えない。個人的には結構好きだが、この2曲についてはアシュケナージの名演がどうしても想起される。
 第11番ではまた中庸のテンポに戻っており、規模の大きくなってきたソナタの浪漫性を余すことなく伝えている。

ピアノ・ソナタ 第9番 第10番 第13番「幻想的」 第14番「月光」
p: リル

レビュー日:2020.7.15
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第4集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第4巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 op.14-1
2) ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2
3) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想的」
4) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 リルらしい、重さと力強さを感じさせる演奏になっている。ソナタ第9番、第10番といった楽曲は、ある種の軽やかな味わいが大きな特徴だと思うのだけれど、リルの演奏では印象が異なる。
 第9番は、第1楽章をかなりゆったりしたペースでスタートする。冒頭の3連音も、一つ一つ、慎重に計ったように鳴らされていて、(言い方として微妙だが)まるで「練習しているみたい」な弾き方に聴こえる。それゆえの味付けと相反する事象ではあるが、人によっては気だるく感じられるかもしれない。第2楽章も付点のフレーズを2回繰り返した後の和音がかなりズシンとして重みがある。まるでそこにアンカーを打ち込むような感じであるが、次の楽想には思いのほか自然に繋がっており、リルならではの考察の結果を感じさせるところだろう。終楽章も快活な中にしばしば楔のような強さが刻印される。
 第10番は第9番に比べると普通の印象であるが、第2楽章の最後の変奏の重々しさなどリルらしい感触だろう。その弾きぶりは、リルよりもう少し以前のスタイルに近いように感じられるが、この印象が他の人にもある程度共有されるものかはわからない。第3楽章は、演奏によっては転がるような快活さをもたらすが、リルの演奏には常に重力が働いている感がある。
 第13番についてだが、当盤ではCD編集上の特徴があり、楽章ごとのトラックを設けず、全曲が一つのトラックに収録されている。おそらく、この楽曲が「3つの楽章からなるソナタ」ではなく「1つの幻想曲」であるという演奏解釈を反映したものであると思うがいかがだろうか。この曲の第1楽章に相当する部分で、リルはかなり荘重で遅いテンポを設定しており、かなり個性的である。第2楽章に相当する部分の和音のスタッカートも、存分な時間をかけて弾いており、全体として、重心の低い印象を催す。一貫した重々しさでまとめられた第13番は、確かに相応のまとまりを感じるが、好みは分かれるところだろう。
 第14番が、当盤に収録された4曲の中では、もっとも一般的なスタイルで弾かれたものといって良いだろう。第1楽章は耽美的だが、濃厚に過ぎることのないバランスでまとめている。終楽章の鮮やかな運動美は当盤の白眉といって良く、この1枚をしめくくる爽快な疾風となっている。

ピアノ・ソナタ 第11番 第12番「葬送行進曲付」 第15番「田園」
p: リル

レビュー日:2020.7.16
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第5集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第5巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22
2) ピアノ・ソナタ 第12番 変イ長調ト長調 op.26 「葬送行進曲付」
3) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」
 リルらしい気風の大きな表現で奏でられている。
 第11番は、最初の部分は比較的常套的だが、音楽が進につれて、決然たる響きを交えるようになってくる。第1楽章の両手のユニゾンで付点の音階が奏でられるところなど、その力感は並々ならぬものがある。音色はほどよい丸みがあるので、強い響きであっても、金属的になったり人工的な印象になったりしないのは、リルの演奏の魅力的なところであると思う。この曲の第2楽章は、スローテンポだ。リルのベートーヴェンでは、緩徐楽章で、しばしば通常以上にテンポを落し、スケール感を高めたアプローチをこころみるが、この楽章はその典型の一つだろう。第3楽章では明晰なトリルや彫像性のある和音表現が印象に残る。第4楽章のロンドはなめらかな流れの良さがあり、通して聴くと相応のバランス感覚で全曲がまとまる。
 第12番は、リルのベートーヴェンの中では、とても普通の解釈に聴こえる1曲。第1楽章の変奏も、強弱の対比感を強めに盛りながらも、バランスとして崩れを感じさせることなくまとまっている。第2楽章は冴えたリズムで奏でられる。第3楽章、第4楽章とも重量感と運動性の双方によく配慮しているが、いずれも、今日聴かれる様々な演奏と比較して、際立って何か印象が残るというほどではない。
 第15番は、第1楽章では、低音の刻みを慎重に鳴らしながら歩みを進めていく。田園と称される暖かな風合いの主題が奏でられてくるが、リルは低音のニュアンスを大切にしながら、厳かな足取りで音楽を紡いでいる。第2楽章でもやはり左手のスタッカートに様々な表情が宿っている点にリルのスタイルが感じられるだろう。第3、第4楽章とも厳かさの中で、リズミックな旋律が扱われるが、これらは無難にまとまった印象。ただ、私の所有しているディスでは、この第15番の録音は、響きが強すぎて、ところどころ、音に歪みが感じられる点がある。マスターテープ由来のものかはわからないが。
 当盤に収録された3曲に関しては、リルの演奏は、低音の強さと第11番の第2楽章のスローさに特徴があるが、概して一般的な良演の一つと感じられた。

ピアノ・ソナタ 第11番 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第19番 第20番「ソナチネ」
p: コルスティック

レビュー日:2018.8.22
★★★★☆ 明晰透明で鋭い打鍵。ただ、かなり人工的に感じられる強音に私は違和感アリ。
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。すでに全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、以下の5曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第11番 変ロ長調 op.22
2) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1
3) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2 「ソナチネ」
4) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想的」
5) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 2007年の録音。
 私は、上述のコルスティックの全集を購入し聴いている。全般に、透明かつ力強いタッチを駆使し、構築性の明瞭なベートーヴェンとなっているが、その一方で、強音に唐突な印象があることと、しばしば緩徐楽章で、極端にスローなテンポを設定することがあり、その人工的といってもよい感触に、齟齬を感じるところもある。
 当盤も同じ印象である。
 典型的なのはソナタ第11番。この第1楽章冒頭の16分音符と4分音符による印象的なモチーフの明瞭な提示がきわめて鮮やかで、粒立ちのそろい方といい、輪郭の克明さといい、適度なさりげなさといい、完璧といって良い提示と思える。実に爽快で聴き味が良い。この第1楽章はその後も動的かつ鮮やかに展開が進み、コルスティックの全集の中でも聴きどころの一つとなっていると思う。その一方で、第2楽章は、そこまで極端とはいえないまでも、第1楽章との関係性で言うと遅めに感じられるテンポでじっくりと進が、第1楽章に比べると、どうしても平板な印象で、また途中から低音の保持音が、最強音で打たれるところも、私にはやや面喰わされるところである。このソナタの前半2楽章に、コルスティックのベートーヴェンの象徴的なものが集約されていると思える。
 第19番の第1楽章は冒頭の軽やかさが魅力的。このようなところは、私がコルスティックの演奏に惹かれる部分ではある。ただ、やはり光沢感のある強奏の挿入は、この曲、それに第20番のような可憐さのある曲では、特に気になるところとなる。第13番は、当盤に収録された楽曲の中では、私には違和感が少なく、楽しめる部分が多かった。
 末尾に三大ソナタと称される月光ソナタが収録されている。第1楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と語られる。付点のメロディがモノローグのようで印象深い。その一方で後半の左手の保持音が情感を増すように上昇下降するところでは、やはり通常聴きなれない強い打鍵が加えられており、この方法での刻印が、コルスティックのベートーヴェンではどうしても必要となるのだろう。第3楽章のソノリティは美しく、技術的なほころびのなさはいつもの通り。
 いずれの楽曲も、コルスティックは、克明なピアニズムと正確な音価で表現している。ただ、そこに加えて、もう一つ何か欲しい、と感じさせるところが、私には残る。

ピアノ・ソナタ 第12番「葬送」 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第15番「田園」
p: シフ

レビュー日:2007.6.8
★★★★★ 丹念に弾き込まれた大家の芸風です
 アンドラーシュ・シフによるベートーヴェン・ピアノ・ソナタ集の第4弾。今回は第12番~第15番までの4曲が収録されていて、収録時間も74分を超えるお特用盤です。
 前回(9,10,11,19,20番)とほぼ同様のアプローチで、第12番の冒頭からゆったりとしたテンポで恰幅の豊かな音色が響きます。一つ一つの変奏が、大きな呼吸で描かれ、美しい結びを迎えてから、またおもむろに次の変奏が始まる・・・その繰り返しの中で、聴き手を音楽の森へ誘ってくれます。第3楽章の「葬送行進曲」も、暗さをあまり感じず、落ち着いた味わいの中で丹念に弾き込まれた大家の芸風をといった趣き。
 第13番と第15番「田園」も同様に、ややゆったりめのテンポで、それでいて装飾的な高音部などに、カリッとした響きを含ませて、音楽が「なで肩」になり過ぎるのを防いでいます。コードの変化も、確認するように、しっかりとした足取りで進み、十全の演奏といった風格。
 一方で第14番「月光」の第1楽章は以外に早めのテンポをとり、ペダリング操作により、やや残響を引っ張った特徴のある内省的な雰囲気が出ていて、ちょっと他の曲とは違ったアプローチ。しかし元のスタイルに戻った終楽章では、やや控えめな表情ながら、装飾音をスタッカート気味に際立てて輪郭を明瞭に出すことで、シフの「らしさ」を印象付けています。
 総じて、これまでのリリースに引き続き、よく練りこまれた万全のアプローチによるベートーヴェンだと思う。

ピアノ・ソナタ 第13番「幻想的」 第14番「月光」 第15番「田園」
p: ロルティ

レビュー日:2019.9.28
★★★★☆ ロルティのベートーヴェンの特徴が、端的に顕れているアルバム
 カナダのピアニスト、ルイ・ロルティ(Louis Lortie 1959-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。全集の一貫として録音されたものの一つで、当盤には以下の3曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調 op.27-1 「幻想的」
2) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
3) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」
 1998年の録音。
 ロルティのベートーヴェンはとてもスタイリッシュな聴き味を持っていると思う。精妙な音価と強弱の扱いにより、配慮があって流れの良い音楽が形作られていて、流れも自然だし、音楽的な起伏もきれいに描き出されている。
 テンポは比較的遅めを主体とすることが多い。その落ち着いたテンポをベースに、ロルティは主に左手が担う伴奏のフレーズも、こまやかに描写し、明晰さを欠くことのないように、細心の注意を払う。音楽的な勢いは、若干弱められるが、精妙な伴奏に対し、しっかりした関係節を維持したフレーズを載せて描く手法は、古典的な作風の妙を明確にしていて、整った味わいを引き出す。
 ソナタ第13番では、第1楽章の右手の細やかなフレーズの粒立ちが新鮮であるが、左手との機能的連携の鋭利さがより聴き手の感覚を刺激するし、第2楽章では、フレーズに与えられるレガートと伴奏のニュアンスの交錯が瑞々しい。
 ソナタ第14番は、じっくりと弾き込まれる第1楽章が特徴的だが、その音価の扱いには神経を使った感が深く、しばしばその緊張が交錯し、単に耽美に傾かない。第3楽章は、ロルティの取り組みが、高い明晰さを獲得したことがよく伝わる部分である。
 ソナタ第15番は、ゆっくりとした響きの中で、ほのかな詩情が立ち現れて心地よい。そこにも、ロルティならではの、きちんと計算した音楽観がある。
 以上のように、美しくしなやかなフォルムを感じさせる演奏である。反面、その濁りから乖離した音像は、ベートーヴェンの音楽が持つ情熱的要素を、やや俯瞰的、客観的に描かざるをえない部分があり、そこが聴き手によって印象を違える部分となると思われる。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第14番「月光」  ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番  ブラームス パガニーニの主題による変奏曲  ハイドン ピアノ・ソナタ 第32番
p: ガヴリリュク

レビュー日:2004.3.6
★★★★☆ ガブリリュクのデビュー盤!
 2000年の浜松国際ピアノコンクールにおいて審査員満場一致で優勝を果たしたアレクサンダー・ガブリリュクのデビュー盤。
 収録曲はハイドンのピアノ・ソナタ第32番、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」、ブラームスのパガニーニの主題による練習曲、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番。
 録音当時17歳ながら信じられないほどの完成度に到達している。特に素晴らしいのがラフマニノフのピアノ・ソナタで、この曲の激しく表情を変えるほの暗い情緒を完璧と思える技巧で弾ききっている。
 次いでハイドンの小さなソナタが愛らしい表現で、好ましい。ベートーヴェンではさすがにもう一つ深みが欲しいが今後の活躍が期待されることは間違いない。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第14番「月光」  バッハ フランス組曲 第1番  グラズノフ ピアノ・ソナタ 第1番
p: ザラフィアンツ

レビュー日:2020.8.4
★★★★★ ザラフィアンツの芸術家としての表現性がしっかりと刻印された良アルバム
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants 1956-)による、下記の楽曲を収録したアルバム。
1) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV812
2) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 「月光」 op.27-2
3) グラズノフ(Alexander Glazunov 1865-1936) ピアノ・ソナタ 第1番 op.74
 2004年の録音。
 投稿時点で16年前の録音。かつて、私はこの録音に関して、批評等を読んで、何度か興味を抱いたことがあったのだが、フルプライスの国内盤のみが流通という状況もあって、ずっと聴かずにいた。
 今回、たまたま廉価で売りに出されているのを見つける機会があり、入手してみた。
 良いアルバムである。何が良いのかというと、ザラフィアンツというピアニストが、その芸術性をリスナーに伝える媒体として、しっかりした密度なり、内容なりを感じることが出来る、という点で良いのである。
 バッハ、ベートーヴェン、それにグラズノフという選曲は、それ自体に脈絡の薄さを感じるが、逆に言えば、ザラフィアンツが、この機会に録音したいという芸術的内的要求に応じて選ばれた楽曲たちなのだろう、と思う。演奏を聴くと、その強い個性にその成果が顕れていることがわかる。
 バッハのフランス組曲を、ザラフィアンツは、この上なくピアニスティックな弱音とペダルを活かして、やわらかに奏でる。それは、この楽曲が作曲された当時であれば、楽器的制約ゆえ想定されていないアプローチであるに違いないのだが、その無類の美しさ、しなやかにながれるトーンの心地よさに、たちまち惹き込まれてしまう。現代ピアノで弾くバッハの優美さ、その高い芸術性は、聴き手を彼岸に誘うようで、感動的である。
 当アルバムのタイトルにもなっているベートーヴェンの「月光ソナタ」は、ある程度フアン歴の長い人には、もう何度も聴いた楽曲であるが、ザラフィアンツの演奏はそこに新鮮さをもたらす。前半2楽章の耽美性も然ることながら、なんといっても第3楽章が面白い。両手でスピーディーに紡がれる4連符が連続する階段と、2つの和音による衝撃は、この楽章の顔であるが、ザラフィアンツは、通常運動的な処理に傾くこの場面に、豊かな緩急の傾斜を配し、一回りスケールの大きな再設計を施した演奏を披露する。聴きなれた音楽だからこそ、その意趣性が、聴き手の胸を高まらせる。そして、楽器自体の美しい音色、やわらかなホールトーン、その臨場感を克明に捉えた録音が、演奏の価値を高めている。
 グラズノフのピアノ・ソナタは、聴く機会のめったにない楽曲だが、当録音で聴くその印象はなかなか魅力的だ。比較的規模の大きい3つの楽章からなるが、ロマンティックなフレーズの積み重ねからメロディーが歌を紡ぐ手法はわりと楽章間で共通している。両端楽章のほのぐらい情熱とともに、夜想曲的で、いかにもロシア的なメランコリーを歌いあげる第2楽章が美しく、しっとりと、かつ安定感のあるザラフィアンツのピアノが、情感豊かに響くのは、とても好ましい。

ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 第17番「テンペスト」 自作の主題による32の変奏曲
p: ヴェデルニコフ

レビュー日:2004.1.10
★★★★★ もっとも「ベートーヴェン」な演奏
 国外での活動は1980年まで許されず、国際的には無名に近い状態が続いたヴェデルニコフ。リヒテル、ギレリス、ザークとともにネイガウス派の精鋭ピアニストながらその存在は長らく西側では知られなかった。92年にやっとドイツで演奏が叶い“間違い無く現代最高のピアニストの一人”と賞賛された。
 ソ連崩壊後の1993年に来日公演が決定していたものの、彼は来日直前93年7月に急死してしている。スターリンと同じ日に死んだプロコフィエフの葬列に初日から参列した二人のうち一人がヴェデルニコフだった。
 ベートーヴェンの中でもロマンティックなナンバーである「月光」「テンペスト」は最も彼のスタイルにフィットしている。ロシア・ピアニズムの質感を持ちながら西欧的洗練を身につけているのだ。「月光」の1楽章はとてもゆっくりと即物的に進むが、無味乾燥ではない。「テンペスト」も中庸の美をたもちながら、力強い響きをバランスよくおりまぜる。
 そして、このアルバムの最大の聴きモノは「創作主題による32の変奏曲」だ。これぞベートーヴェン!と唸らせる。ベートーヴェンの中のベートーヴェンだ。

ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 第17番「テンペスト」 第23番「熱情」
p: ルガンスキー

レビュー日:2022.3.1
★★★★☆ 美しく、完璧と形容したい演奏。だが・・・
 ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の3つのソナタを収録したアルバム。
1) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
2) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
3) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」
 2021年の録音。
 ルガンスキーは、これまで、ベートーヴェンのピアノ・ソナタでは、第7番、第14番、第22番、第23番を2005年に、第28番、第30番、第32番を2020年に録音している。そのため、今回の3曲のうち、「月光」と「熱情」は、16年振りの再録音ということになる。
 私は、概してルガンスキーの演奏が好きで、彼の録音は、大方所有している。ただ、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに関しては、少しばかり肌合いの違いというか、自分にとってのベートーヴェンとのイメージの乖離が埋めきれず、消化しきれない感を持っていた。それでも、ルガンスキーが録音したのであれば、興味深く聴くのではあるけれど。果たして、今回のベートーヴェンも、私には「何か」が残る感じがする。
 ただ、これをどう表現するべきなのか、非常に難しい。彼のピアノは、ほぼ完ぺきである。なんなら、「ほぼ」という前置詞もいらないくらい「完璧」だと思う。指の独立性、しなやかな流れ、光沢豊かな響き、よどみのないイントネーション、理知的なコントロール。すべてが行き届き、照らし出されて、曖昧なところなど一つもない。
 また、ルガンスキーは技巧にまかせて、苛烈なものを押し付けるようなこともしない。例えば、テンペスト・ソナタの終楽章の、澄んだ流れは、一様でありながら、高雅であり、その清澄さにおもわず居住まいを正す。
 ただ、それほど完璧でありながら、私は他の様々な名録音と比べた時、なぜかこのルガンスキーのベートーヴェンに「足りないもの」を感じ取ってしまう。それこそ揚げ足取りの無いものねだりと言われるかもしれないが、一言で言って、あまりにもしなやかで、起伏がシームレスであり、その結果、ベートーヴェンらしいエネルギーの放散される力点のようなものが、全体に均されてしまっているような感じなのである。部分、部分を取り上げて聴いてみると、どのパートも完璧無類なのに、全部繋いで聴いてみると、なにか、心にズドンと来るものがない、ように思うのだ。もちろん、これは私の個人的な感想で、私の感受性が不足していると言われば、そうかもしれないのだけれど。
 もちろん、悪い演奏だというわけではない。美しいし、秩序だっていて、凛々しい。月光ソナタの第1楽章の秘めたような暗さにも魅了される。ただ、私には、どうしても、何か一つ、大事なものが、表現しきれていないように感ぜられるのだ。

ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 第21番「ワルトシュタイン」 第26番「告別」 第31番
p: フレイレ

レビュー日:2007.7.5
★★★★★ フレイレの今を感じるアルバムです
 かつては、ほとんどアルゲリッチの演奏上のパートナーとしてしか目されていなかった感のあるネルソン・フレイレが、最近になってデッカから続々と意欲的なソロ録音をリリースしていて、まずそのことに驚くが、おそらく製作側からも積極的な働きかけがあったと思うし、フレイレにしても、自己の芸術の探求において、いま録音活動をしたいという衝動が強くあったに違いない。
 このベートーヴェンにもそのような意欲が感じられる。これらの有名なソナタには、もちろん競合盤も数多いわけだが、フレイレの演奏はその中でも個性を放っている。彼の技巧は、最近の腕達者な新鋭たちと比較したときに、やや劣るのかもしれない。音の粒立ちにもどことなく不揃いなところがある。だがソツのない演奏もまたよいが、フレイレの演奏はベートーヴェンにおいて必要なプラスアルファのものが感じられ、それがこの録音の価値を高めている。それは何だろうか?
 一つは泡立つような「くすみ」を持った特有のピアノの音色によってもたらされる「味わい」である。それは見る角度によって色合いが変わるように、(それも決して華美なものではなく)、時間を経るごとに様々な表情を見せてゆく。それともう一つは、生命感とでもいえるもの。フレイレのとるテンポは比較的早めで、場所によってはやや崩れ気味に飛ばすところもあるが、全体としてのバランスが絶妙であるため、気にならず、むしろ必要で妥当な表現と感じられる。冒頭に収録されたワルトシュタインソナタの第1楽章の鮮やかで適度な自由さを持った展開にもっともそれを感じる。この年齢にしてソロ活動を活発にした何かを感じさせるアルバムである。

ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: ペライア

レビュー日:2018.2.26
★★★★★ ペライアというアーティストにとって、最高のタイミングで録音されたに違いないベートーヴェン
 マレイ・ペライア(Murray Perahia 1947-)の独グラモフォン移籍後第2弾となるアルバム、今回はベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2曲のピアノ・ソナタを収録。
1) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
2) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 op.27-2 「月光」
 録音は、ソナタ第29番が2016年、第14番が2017年。
 70歳となったペライアであるが、そのキャリアにおけるベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音は、限定的で、これまで録音したソナタは全体の半分たらず。大家と呼ばれるにしては、いささか物足りないものもあった。そんなペライアがかつて録音したベートーヴェンを私はいくつか持っている。その印象は、透明で清潔感のあるベートーヴェンといったところで、悪くはないのだけれど、ベートーヴェンらしい内燃性の力強さや、内声部の厚みといった点で、ややクールで淡泊過ぎるようなところも感じた。
 なので、ペライアにとって、ベートーヴェンのぴあの・ソナタは、アプローチの難しいジャンルなのかな、と考えていた。だから、最近になって、ペライアがヘンレ版のスコアの校訂を行っていると聞いたとき、やや意外な感じがした。もちろん、彼ほどのピアニストだから、ベートーヴェンのソナタであれば、弾いたことがない曲なんてないんだろうけれど、彼の従来のレパートリーから、ベートーヴェン作品との距離感を感じるところが多々あったからだ。
 しかし、このたびの録音を聴いてみると、いかにも大家らしい、堂々たる構えを感じさせる名演奏となっていて、前述の私の思い込みは、あっという間に覆ったものである。2曲ともペライアのキャリアの中で初めての録音となるのだが、私はこれを聴いていて「どうして、これまでこの2曲を録音しなかったのだろう」と思うとともに、「ペライアは、この2曲を録音する自身にとって最良のタイミングが訪れることを、若いころから知っていたのではないだろうか」という思いが交錯した。それくらい、ここで聴かれるベートーヴェンは、ペライアのかつての録音の延長線上とは、また一線を画したくらいに、私に印象の違いをもたらした。おそらく、前情報なく、これらの録音を聴かされて「誰が弾いているのか」質問されたとしても、私には、ペライアの名前は、ついに出せなかったかもしれない。
 ハンマークラヴィーアは、冒頭の和音の豊穣で色彩豊かな響きが圧倒的だが、それに続く弾力に富んだリズム感が最高に心地よい。幸福な音色をベースに、力強く展開する音楽は、浪漫的で、感情の振幅も豊か。第2楽章のフレーズの息遣いも素晴らしいが、第3楽章、そして終楽章と、音楽的な意味でも齟齬のない構成であるとともに、旋律の膨らみが美しく、温もりにあふれた感覚が支配する。私がこれまで聴いた中でも、特に幸福感にあふれたハンマークラヴィーア・ソナタと言うことが出来るだろう。
 月光ソナタも美しい。ソノリティの絶対的な美しさは当然のようにあるとして、一つ一つのタッチに血を通わせたような詩情が流れていて、それがフレーズに自然に還元されている。その結果、とても心地よい流れの中で、的確な表現がつらなってゆくのである。運動的な意味でも、情緒的な意味でも、過不足のない、貫禄ある演奏といって良い。
 ペライアはまだヘンレ版の校訂作業の途中であると聞くが、その作業を経て、今後も録音が継続されるのであれば、引き続いて名演が期待できるだろう。

ピアノ・ソナタ 第15番「田園」 創作主題による6つの変奏曲 「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ
p: コルスティック

レビュー日:2018.8.31
★★★★★ ソナタよりむしろ変奏曲に醍醐味を感じるコルスティックのベートーヴェン
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ作品集。すでに当盤を含むソナタ全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、ソナタは1曲だけだが、代わって変奏曲2曲が収録される形となっている。
1) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 「田園」
2) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
3) 「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35
 2007年の録音。
 私は、上述のコルスティックの全集を購入し、順番に聴いているところ。いまのところ、後期の1枚、中期の1枚、それに初期のソナタを一通り聴いたところだが、その印象は、透明かつ力強いタッチを駆使し、構築性の明瞭なベートーヴェンといったところだが、その一方で、あまりにも透徹した響き、びっくりするような強音のアクセント、そしてしばしばあまりにもゆっくりと進む緩徐楽章といったものが特徴としてあって、私の中で、それらが「ベートーヴェンのソナタの表現」として聴きこなせないところがあって、美しく聴くべきものがある一方で、もう一つ何か足りないものがあるという感じを抱いている。
 この田園ソナタもそうで、冒頭のさりげない導入、その後繰り返される明瞭で浮き立つようなすばやいフレーズに興奮を覚える一方で、終結部近くで鳴る強音にこのソナタらしからぬなにかが差し込むように感じてしまう。そのわりに、第1楽章の末尾を飾る2つの和音の軽いこと。これほどさりげなく軽い終りは、ちょっと聴いたことがない、というくらい。第2楽章では、やはりその歩みは私には慎重に過ぎるものと思えるし、このテンポだと、この楽章における美しいフレーズの因果関係は、やや間を感ぜざるを得ないと思ってしまうのです。
 ところが、私は当盤に収録された2つの変奏曲は、なかなか見事で、鮮やかに聴こえる。これは、一つ一つの変奏が、そもそも対比感をもって書かれていて、かつ楽曲規模が小さいので、コルスティックのメリハリを強調するピアニズムに、楽曲が似合っているためと思える。
 「創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調」は第4変奏の爽快無比な聴き味が見事で、その後に冴えたピアニズムも、実に楽しい。「エロイカ変奏曲」では、たしかにもっと様々なニュアンスを引き出してほしいところもあるのだが、一つ変奏曲が進むにつれ、旋律やリズムがどのように変化し、またそれがどのような順番であるのかというのが、この上なく明瞭に示される爽快感がある。楽曲の性格を踏まえれば、これはなかなか良い演奏だ。
 たしかに第8変奏のように、やはり「強すぎる」音が入ってくるところが気にならないわけではないが、それでも屈託なく歌い上げられる最終変奏は、この楽曲の明朗な性格をよく反映していて、清々しいものであった。
 コルスティックのベートーヴェンの全集としては、この2つの変奏曲は「特典」的位置づけになるかと思うが、当盤に関しては、メインとして、存分に楽しむことができる。

ピアノ・ソナタ 第15番「田園」 選帝候ソナタ 第1番 第2番 第3番  ソナチネ ト長調 Anh.5, No.1 ヘ長調 Anh.5, No.2 やさしいソナタ WoO 51
p: ヤンドー

レビュー日:2020.3.22
★★★★☆ めったに録音されないベートーヴェンが少年期に書いたソナタ群を収録
 ハンガリーのピアニスト、ヤンドー・イェネー(Jando Jeno 1952-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集中、最後にリリースされたもので、以下の楽曲を収録している。
1) ピアノ・ソナタ 変ホ長調 「選帝候ソナタ第1番」 WoO 47-1
2) ピアノ・ソナタ ヘ短調 「選帝候ソナタ第2番」 WoO 47-2
3) ピアノ・ソナタ ニ長調 「選帝候ソナタ第3番」 WoO 47-3
4) ソナチネ ト長調 Anh.5, No.1
5) ソナチネ ヘ長調 Anh.5, No.2
6) ピアノ・ソナタ ハ長調 「やさしいソナタ」 WoO 51
7) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 「田園」 op.28
 1989年録音
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタとして、通常のナンバリングに加わっているのは、末尾に収録された第15番のみである。他の楽曲は、いずれもベートーヴェンが創作活動を始めた頃に書いた習作的作品であり(2つのソナチネに関しては、ベートーヴェンの作品であるかどうか疑わしいとされている)、通常「ピアノ・ソナタ全集」に含まれることはない。
 ヤンドーは、これらの「ソナタ」の体裁を感じさせる作品も含めて録音することにより、ライブラリ的な付加価値を生み出したわけである。なお、1-6)の作品に、便宜上「第33番~第38番」のソナタ番号を振るって表記することがまれにあるが、作品系列上、適切な方法とは言い難いだろう。前述のように、ソナチネにいたっては、本当にベートーヴェンの作品なのか、わからないこともあるのだし。
 さて、当演奏。ヤンドーの演奏は、模範的といって良い。
 最初の3つの作品は、ベートーヴェンが13歳のときに書いたもの。父のヨハン・ヴァン・ベートーヴェン(Johann van Beethoven 1739-1792)が選帝侯となったケルン大司教、マクシミリアン・フランツ(Maximilian Franz 1756-1801)に献呈したため、「選帝候ソナタ」の通称で知られる。のちのピアノの特性に即した音楽とはなっていないが、それゆえのモーツァルト的な無垢性があって、相応に楽しい。ヤンドーは、誠実でありながら、ニュアンスの富んだピアノを披露し、その曲が、相応しい愛らしさをもって響くよう心掛けている。これらの3つのソナタでは、ヘ短調の第2番にベートーヴェンらしい情熱的な面が垣間見え、そして第3番では、将来の偉大なソナタへの布石のような大きなものを目指す気持ちがあり、それなりに楽しい。ヤンドーは、それらの若々しい萌芽を、瑞々しいタッチで表現している。
 2つのソナチネ、やさしいソナタも同様に、ヤンドーの演奏は正統的で、かつ楽曲の持つ特性を分かりやすく示したものと言えるだろう。現代楽器のピアニスティックな効果もふまえて、アプローチしている。ただし、そうは言っても、(当然のことだが)その後のベートーヴェンの充実した作品群と比較した場合、芸術性も表現される意趣性も小さい。
 そういった点で、やはり末尾に収録された名品、田園ソナタが、メインとならざるを得ない。もちろん、ヤンドーらしい、誠実で良心的な演奏だ。中間楽章のペダルを抑制したスタッカート気味の表現は、グールド(Glenn Gould 1932-1982)の有名な録音を思い起こさせるところもある。ヤンドーは、そこにピアニスティックなロマン性をほのかに加える。柔らか味と甘みがほどよく添えられた佳演。

ピアノ・ソナタ 第15番「田園」 第16番 第17番「テンペスト」 第18番 第23番「熱情」 第30番 第31番 第32番
p: グールド

レビュー日:2015.11.17
★★★★★ 普遍的な価値を持ったグールドのベートーヴェン
 グレン・グールド(Glenn Gould 1932-1982)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven1770-1827)のピアノ・ソナタ集。CD3枚組。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28「田園」 1979年録音
2) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57「熱情」 1967年録音
【CD2】
3) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1 1971,73年録音
4) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」 1960,67,71年録音
5) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 1967,73年録音
【CD3】
6) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 1956年録音
7) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110 1956年録音
8) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 1956年録音
【CD3】のみモノラル録音。
 グールドのベートーヴェンについて、今になって、何を書くとよいのか、悩ましいところだ。すでに伝説となったきわめて個性的な録音だから、すでに語りつくされているし、その内容も広く知られているだろう。
 とは言っても、グールドが「伝説的」な存在となった現在は、彼が生きていたころからずいぶん年月が経過したので、そのことも踏まえて、未聴の世代がいることを意識して書いてみたい。
 グールドという個性的なピアニストは、様々な作品にきわめて特徴的な解釈をもたらした人だ。彼が録音した一連のバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)は、それらの作品がピアノで奏でられることの可能性だけでなく、優位性までをも示したもので、現在、多くのピアニストがバッハを手掛けるのは、グールドの功績があったから、と言って良い。
 グールドの解釈で際立ってユニークだったのは、ピアノという楽器を用いて、ポリフォニーの表現を突き詰めた点にある。ピアノという楽器の特徴は「一度にたくさんの音を出せる」点にある。十指で鍵盤を押さえれば十の音が鳴る。クラスター奏法を使えば、それこそ、もっと多くの音が鳴る。
 つまり、ピアノは一つの楽器で様々な和音を奏でることが可能な、和声表現に対してきわめて強力な楽器である。そして、その楽器の発展に伴い、豊饒な和声を持った楽曲が書かれるようになった。例えば、ベートーヴェン。彼の「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の壮麗な主題が、肉厚な和音連打で響くのは、その象徴である。「難しすぎる」という当時の演奏家たちに対し、ベートーヴェンは言い放った。「君たちのために書いた作品ではない。楽器のために書いたのだ。」
 しかし、グールドは、そのような歴史的経緯と無縁と思える立ち回りを演じる。徹底した声部の明瞭化。それだけでなく、多くの和音が分散化され、細やかな「音の破片」として提示される。これは、ベートーヴェンの作品を、いまいちど「演奏者のもの」に引き戻す強烈で、能動的な芸術的作業である。
 和音と和声は、ロマン派への飛躍を促す重要な音楽要素だ。その役割をいち早く察したベートーヴェンの書いたソナタから、よりによってその肉厚さを奪い、ポリフォニーを抽出する。そして、これを音楽的に表現するため、グールドは概して早いテンポを取る。また、声部の独立性に介入する要素を削る様に、ペダルやルバート奏法の使用は極端に控えられる。
 そうしてアップテンポな推進力をもって奏でられるベートーヴェンの簡素ながら不思議と瑞々しく整った味わいがこれらの録音の魅力だ。
 しかし、一筋縄でいかないのもグールドの特徴。彼がベートーヴェンのソナタの中で、いちばん評価していなかったのが熱情ソナタ。「なんで、こんなもんにみんな熱狂するのか、全然わからないね」と言ったとか言わなかったとか。その熱情ソナタでは、一転して冒頭2楽章、音楽が解体されるギリギリと思えるほどまで、彼のテンポは沈滞する。とても不思議。一人の芸術家のアプローチとは信じがたいほどの解離。ところが、それこそまさしくグールドの芸術なのである。
 当盤には、グールドがベートーヴェンの作品の中でも、ことに愛したop.28やop.31の3曲も収録されている。ポリフォニーへのこだわりと、そのためにプライオリティーを並べ替えられた演奏技法による、グールド以外には決して鳴らすことのできない音楽がきわめて新鮮な装いで流れていく。
 後期の3つのソナタのぶっちぎりのスピードも凄いが、その中で浮き立つフーガと、対位法の妙は、絶妙の味わい。永遠に色あせない魅力的な解釈だ。

ピアノ・ソナタ 第16番 第17番「テンペスト」 第18番
p: ルイス

レビュー日:2005.11.19
★★★★★ 流麗な歌に満ちたベートーヴェン
 ポール・ルイスの新録音。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集で、第16番、第17番「テンペスト」、第18番の作品31の3曲が収録された。CDのタイトルには“BEETHOVEN #1”となっているので、順次録音するのだろう。楽しみだ。
 さて作品31の三作品はベートーヴェンがいよいよ「ソロ・ピアノ作品の世界」に多彩な意味付けを大胆に取り入れ始めたターニングポイント的作品と考えられるが、ルイスの演奏は相変わらずその世界を無理せず、しなやかに自然に表現していて、たいへん好印象を与える演奏になっている。
 ペダリングをちょっと引っ張ってみてみたり、流動的な楽章で軽い裏打ちの拍のアクセントを入れてみたりしつつ、最終的にその流れのよさとセンスのよさで、最後まですっと聴けてしまう。例えば第18番の最初の2小節など、かなり不思議で、後期弦楽四重奏曲を思わせるような開始で、これをうまく弾くのは相当難しいと思うのだが、ルイスの演奏を聴くと、まったく「なんでもないんだよ・・・」という感じで、それでいてその後の歌の広がりかたはとても清清しい。

ピアノ・ソナタ 第16番 第17番「テンペスト」 第18番
p: コルスティック

レビュー日:2018.9.5
★★★★☆ ソナタ18番が魅力的。ただ、全体的には、人工的な異質さを残す。
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ作品集。すでに当盤を含むソナタ全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、以下の3曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調op.31-2 「テンペスト」
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3
 2008年の録音。
 私は、上述のコルスティックの全集を購入し聴いている。全般に、透明かつ力強いタッチを駆使し、明晰・鮮明なベートーヴェンとなっているが、その一方で、強音に唐突な印象があることと、しばしば緩徐楽章で、極端にスローなテンポを設定することがあり、その人工的といってもよい感触に、齟齬を感じるところもある。
 当盤で言えば、ソナタ第16番の前半2楽章にその特徴はすべて顕著に表出していて、第1楽章におけて、冒頭こそさりげないが、すぐに対比感の際立った強靭な音が披露される。この楽章における鮮明かつ強靭・俊敏なパッセージの提示は、その音の強さとともに金属質といってもよい光沢をもっている。その表現は、無類に音が強くとも、内燃的なものとは一線を画したスタイルで、それがコルスティックのベートーヴェンなのだ。と、私はいろいろ全集でいろいろ聴いてきたから、頭ではそうとわかっているのだが、やはり違和感はぬぐえない。それに続く第2楽章は遅く、左手の単音のポツンポツンとした響きも、慣れてはきたが、夢中になれるものとはなっていない。
 ソナタ第17番も同様で、急速楽章の当該部では、「速く、強く、透明に」の3原則がひたすらに貫かれるわけだが、そのソノリティの完璧さに畏怖し、驚嘆するとしても、ベートーヴェンの音楽らしい精神的清澄さとはまた違った人工的な質感を受けるものである。少なくとも、私にはそう感じられる。第2楽章は、第16番ほどには遅くなく、楽想は十分に生命力をもって奏でられていて、こちらは好印象。終楽章はフレーズの克明さがやはり特徴だが、強音の衝撃はあいかわらずだ。
 当盤の収録曲では、ソナタ第18番がいちばん良いように思う。ちなみに、当盤をPCで再生すると、当該トラックには「狩」の副題が表示される。(ジャケットには、特に「狩(The Hunt)」の表記はない)。コルスティックは、この楽曲の運動的で快活な性格を胸のすくような運動美で再現していて、気持ち良い。特に第2楽章の屈託のなさは、この楽曲の好ましい姿に思える。深刻さや深い情感をある楽曲より、ある程度一本気なスタイルの方が、コルスティックのピアノとは相性が良いように思う。

ピアノ・ソナタ 第16番 第17番「テンペスト」 第18番
p: リル

レビュー日:2020.7.17
★★★★★  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第6集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第6巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3 「狩」
 力強い響き、全体的な構成の巧さを感じさせる演奏。
 第16番は、第1楽章で、16分音符分ずれた右手と左手が力強く、その決然たる佇まいで幕を開ける。スピーディーな第2主題は快活そのもので、強いだけでなくバネの効いた表現で、「ベートーヴェンのアレグロ・ヴィヴァーチェ、かくあるべし」と示されている感がある。この楽章におけるリルの強靭に跳ね回るような音楽は、リルのベートーヴェンの中で、私にとって印象に強く残った個所の一つ。第2楽章は、テンポを落して、たっぷりした表情を付けて奏でられるが、濃厚な味わいは維持されていて、特に雄弁な低音の扱いに特徴を感じる。第3楽章は前2楽章に比べるとさりげないが、それがこの曲には相応しいかもしれない。
 第17番は、第1楽章の前奏が終わって、象徴的な第1主題の提示がかなり強い音で弾かれるが、音色は美しく、表現としての外形の美観は整っており、そこに理知的な面を併せて感じさせる。劇的でロマンティックなソナタではあるが、リルのもたらす強さは、あくまで実直な方向性をもっていて、古典的な安定を示している。第2楽章はリルが弾く他のソナタの緩徐楽章に比べると、平均的な速度で、旋律を歌わせる。終楽章は、第1楽章の劇的な表情を踏襲し、階段を駆け上るような動感が強調される。展開部でも音域は強めのものを主体的に使い、果敢な勢いを維持したまま全曲を閉じる。
 第18番は、緩徐楽章を置かない4楽章構成という変わった楽曲だが、時々、リルの緩徐楽章におけるテンポ設定がスロー過ぎると感じられる私には結果的にとても聴き易い。第1楽章の明瞭な付点の扱い、第2楽章のスタッカートの鮮やかに駆け巡る様は、清々しい勢いをもって再現されており、この曲に相応しいと感じられる。メヌエット、そして第4楽章と、運動的な魅力を存分にアピールした演奏。その一方で、音色にはつねに深みが感じられるし、全体のフォルムが整っているので、芸術性も豊かに感じられる。
 当盤の収録曲は、いずれもリルの個性が良い方に強く作用しているように感じられた。

ピアノ・ソナタ 第16番 第17番「テンペスト」 第18番 第19番 第20番
p: ポリーニ

レビュー日:2014.11.19
★★★★★ 72歳になった巨匠ポリーニが紡ぎ出す、精神性を感じさせてやまない芸術表現
 現代を代表するピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。本盤の登場をもって、ポリーニによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音が完遂したこととなる。1975年に開始されて、39年という歳月を費やした成果を、まずは祝いたい。当盤に収録されているのは以下の5曲。
1) ピアノ・ソナタ 第16番 ト長調 op.31-1
2) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」
3) ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3
4) ピアノ・ソナタ 第19番 ト短調 op.49-1
5) ピアノ・ソナタ 第20番 ト長調 op.49-2
 CD表記によると、全体の録音が2013年と14年となっているが、曲単位での録音年の詳細は不明。
 このうち、ピアノ・ソナタ第17番は、1988年に一度録音していたため、このたびの録音は「再録音」ということになる。
 素晴らしい演奏である。早めのテンポを主体に、豊饒な音量により、ベートーヴェンの音楽が持っている構造美を、力強く描き出している。ソナタ第17番については、思いのほか旧録音に近いイメージで、シンフォニックで陰影の濃い響きが特徴。一つ一つのソノリティを追求しながら、俯瞰的な構築性を厳しく問い詰めている。ベートーヴェンの弟子、シントラー(Anton Felix Schindler 1795-1864)によって「プロスペローの娘、ミランダの描写」と伝えられる変ロ長調の第2楽章が美しい。暖かい血の通った表現で、旧録音との違いをもっとも感じるところだ。第3楽章は速いテンポで一気に弾き切った劇的な演奏で、凄まじい鬼気を感じさせる。
 ソナタ第16番では心持ち急く(せく)ようなところも感じるが、それでも決して不安定な印象にはならず、適度に動的な感覚を踏まえた表現として巧みにまとまっている。ソナタ第18番、この愛らしいソナタにはフアンが多い。かくいう私も昔第1楽章を弾いて遊んだものだ。ポリーニは引き締まった直線的なスタイルで押し通す。それでも情緒を殺すことなく、的確に拾っていく表現の幅があり、適度な安心感と緊張感のバランスを演出している。心憎いほどの巨匠の芸の深さを感じる瞬間だ。
 作品49の2曲は、どこか古典に立ち返ったようなベートーヴェンを感じさせる愛すべき2曲。そのうちソナタ第19番は、悲しい色合いが強く表出している作品だが、ポリーニの表現には高貴さがまとい、音楽のステータスを高めてくれていると感じる。本来、この曲は、このような音楽なのだろう。最後にソナチネ集にも収録され、初学者にも愛奏されるソナタ第20番。ポリーニの演奏は、真面目なスタイルの中に瀟洒な微笑ましさを交錯させるもので、味わいが深い。また、全般に優雅な暖かさを湛えた表現だ。
 通して聴いてみて、72歳となったポリーニであるが、衰えを感じさせるどころが、いよいよ精神的な音楽世界を深く歩んでいると感じさせる名演ばかりだと感じた。例えばトリルの輪郭など、かつてのポリーニの方が、よりくっきりと描き出していたと思うのであるが、今のポリーニにはそういった価値観とは別の「表現の幅」と形容したいものを感じさせてくれる。それは、決して苦肉の策として編み出されたものなどではなく、長く音楽を究めた芸術家ならではの、人の心を動かす力をもった表現力である。
 ベートーヴェンの全集完成に感謝しつつ、このピアニストには、一層多くの録音を今後も期待したい。

ピアノ・ソナタ 第16番 第17番「テンペスト」 第18番 第21番「ワルトシュタイン」
p: シフ

レビュー日:2007.10.16
★★★★★  「知」へアプローチする確信的ベートーヴェン
 アンドラーシュ・シフによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ・チクルスも早いもので、今回が第5集ということになる。今回は第1集(第1番~第4番収録)と同様に変則的ともいえる2枚組で、収録曲は第16番、第17番「テンペスト」、第18番という作品31の3曲に、第21番「ワルトシュタイン」と、当初ワルトシュタインソナタの第2楽章として構想されたアンダンテ・ファボリが収録されている。
 作品31の3曲だけで、収録時間的にはちょうどCD1枚分であり、ここでもそのように収録されていることから、なぜあえて2枚組にしてこのようなプログラムとなったのか、その意図は不明である。あるいはこの後の収録の組み合わせを考えての深慮遠謀あってのことなのだろうか。
 演奏であるが、いつもながらの熟慮に熟慮を重ねたベートーヴェンである。シフは常にベートーヴェンのピアノ・ソナタにおいて「知」に訴えかける要素を大きく含ませるけれど、ここでもその足跡は明瞭で、克明な響きと特有の間合い、簡素さと豪華さを入り交えたアプローチだと思う。
 個人的に大好きなソナタである第18番がよい。さりげない冒頭から小気味のよい音色、ところどころに歯ごたえのあるカリッとした装飾的な音型を聴き手の耳に残し、布石を効かせてくる。ただ、シフの演奏は万人に薦められる性質のものではない。例えばテンペストの疎ともいえる乾いた音楽は、軽やかにリズムをとって聴くのが好きな人にはためらわれるものだと思う。このソナタではシフの個性が強くでているので、その点でもさらに好悪が分かれそうだ。第21番はそれに比べるとオーソドックスだが、終楽章のゴツゴツした感触は独特だ。それも含めて一石投じる存在感のある演奏というには間違いないだろう。

ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」 第18番 第26番「告別」
p: ペライア

レビュー日:2009.8.11
★★★★☆ ペライアならではのユニークなベートーヴェン
 ペライアのベートーヴェンのピアノ・ソナタ録音は散発的で、まず1980年に第4番と第11番を録音(未だCD化されていない。私は所有していないが同時期に第7番と第23番の録音もあるようだ)、次の録音に当たるのが1986年の当盤で、第17番「テンペスト」、第18番、第26番「告別」となる。その後、第1番、第2番、第3番 <1994>、第28番 <2003>、第9番、第10番、第12番「葬送」、第15番「田園」 <2008>となっていて、多くのピアニストが全集を目標に弾くベートーヴェンを、かなり自由に選択して、その時のフィーリングに正直に録音している感じがする。
 これは全体的なペライアのベートーヴェンのソナタへのスタンスであるとともに、演奏の特徴にも反映しているように思える。概して、このピアニストのベートーヴェンは束縛より自由を感じさせる点で特徴的だからだ。
 加えて、80年代の演奏にはより颯爽とした若者らしい一種の軽さが散見されると思う。低音域の重い響きを避け、瑞々しい高音の響きが印象的で、いかにも胃もたれのしない清涼な感覚である。また瑞々しいわりにはしっとりとした印象がなく、いくぶん乾いた感触でもある。テンペストソナタは私の大好きな作品であるが、弾く人によって大きく印象が異なる。個人的には、ヴェデルニコフ、アシュケナージ、チアーニの録音が特に好きだが、ペライアは3者の中ではアシュケナージに近いと思う。しかし、アシュケナージは中庸の美とともに時として重層的な質感を帯びたのに対し、このペライア盤は、なお浮遊しているような佇まいがある。
 つまりペライアのアプローチは(これは今も変わらないと思うが)やはり紡がれる歌がまずありきで、楽曲の構造性は表現順位としてずっと下位にあるような気がする。それがペライアのベートーヴェンのユニークさであり、存在感でもある。同様の演奏がなかなか少ない現状を考えると、1980年録音の第4番と第11番についてもCD化していただきたいと思う。

ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」 第18番  ショパン バラード 第1番 第2番 第3番  ドビュッシー 前奏曲集 第1巻 第9番「とだえたセレナード」
p: アシュケナージ

レビュー日:2019.5.27
★★★★★ 冷戦という国際情勢に翻弄されながら、逞しく生き抜いた芸術家の刻印
 歴史的な録音がリリースされた。
 1963年6月9日、モスクワ音楽院大ホールで行われたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるコンサートのライヴ録音。すでに世界的なコンクールで優勝を果たし、ソ連国内で、高い評価を得ていたアシュケナージであるが、このコンサートの直後、電撃的にイギリスへの亡命を果たす。当時の世界情勢を鑑みれば、それは祖国や肉親との永遠の離別を意味することであり、実際、アシュケナージの名声は、ソ連国内では失われることとなる。
 もちろん、現在の私たちは、その後の世界情勢の変化により、1989年にはアシュケナージが母国で再び音楽活動を行い、肉親たちとも再会できたことを知っている。だが、当然のことながら、1963年当時には、そのような未来は知るすべもなく、アシュケナージは悲愴な決意をもって、多くの大切なものとの離別、そして危険を冒すことを選んだのである。
 このライヴが有名なのは、演奏そのものが素晴らしいというだけではなく、すでに心を固めたアシュケナージが、祖国の聴衆に離別の意を示すかのような、異様な熱気があふれているからである。当盤の収録曲は以下の通り。
1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 op.31-2 「テンペスト」
2) ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 op.31-3
3) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) バラード 第1番 ト短調 op.23
4) ショパン バラード 第2番 ヘ長調 op.38
5) ショパン バラード 第3番 変イ長調 op.47
6) ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918) 前奏曲集 第1巻 第9曲「とだえたセレナード」
 ところで、これらの音源のうち、初出のものは、テンペスト・ソナタのみである。当MELODIYA盤に先んじて、Russian Discから発売されたアイテムがあり、私はそちらも所有しているが、そちらでは、テンペスト・ソナタが割愛される代わりに、ショパンのバラード第4番、ドビュッシーの「喜びの島」と「月の光」が収録されている。
 当アイテムの出現で、すべての音源が出そろったのかは分からないが、個人的には、できれば2枚組で、全曲を収録した形でリリースしてほしいところ。とは言え、このたび、このライヴでのテンペスト・ソナタも聴くことができたのは、またとない喜びであった。録音状態は、当時の状況を踏まえれば、十分に上々の部類で、生々しく様子が伝わってくる。
 アシュケナージのスナップの凄まじい強靭さ、しかもどんな強音でも混濁することのない響きの輝かしさが全体を覆っている。
 テンペスト・ソナタは、アシュケナージがのちにDECCAへスタジオ録音したものに比べると、内燃的なものが外に放出する力が強く、そのエネルギーが奔流となって溢れている。私は、DECCA盤の情感を無類に愛するが、当盤における慟哭的とも形容したい叫びにもにた力は、別の意味で胸を打つ。もちろん、それは私が前述のストーリーを知っていることで、聴いている側の意識下で増幅したものがあることは否めないが、それにしても決然たる力を持ったテンペスト・ソナタである。
 ソナタ第18番については、数ある録音・演奏の中で、私は当ライヴ録音がいちばん好きだ。特に第2楽章の二連音の力強い鋭さ、その消音の見事さに引き続くこまやかなフレーズの生命力に溢れた躍動が素晴らしい。しばしば、この楽曲は「狩」の愛称で呼ばれることもあるが、アシュケナージの刻むリズムの多感さは、狩の動的な迫力と、音楽的な喜びの双方を高い次元で満たす。
 4つのバラードのうち、残念ながら第4番が割愛されているが、おそらく、これらのバラードにアシュケナージの熱い感情はもっとも端的に顕れているだろう。というのは、亡命の翌年にアシュケナージはDECCAに4つのバラードを録音するのだが、両者の性格はまったく異なっているからだ。後者を詩情と高貴のバラードだとすれば、当盤に収録されたものは激情と慟哭のバラードである。クライマックスで奏される、鬼気に満ちた嵐のような激しさは、祖国に永劫の別れを告げようとする青年の心情に即したものに思えてならないのである。

ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」 第21番「ワルトシュタイン」 第23番「熱情」
p: サイ

レビュー日:2006.8.30
★★★★★ 研ぎ澄まされた感性を感じるベートーヴェン
 最近ベートーヴェンのピアノ・ソナタ録音の世界にあって、いろいろと注目したいものが出てきている。アンドラーシュ・シフがECMで継続している一連の録音もそうだし、あるいはポール・ルイス、コヴァセビッチ、アンデルジェフスキ、ルガンスキー、内田などなど注目盤の枚挙にいとまがない。本盤もまぎれもなくその中の1枚に該当する。
 ファジル・サイによる17番,21番,23番である。中期の傑作ばかりを並べたラインナップであるが、サイの個性を作用させやすい楽曲がたくみに選ばれた感じがする。サイの演奏はなかなかスリリングだ。基本的にはノン・レガートに近く、こまやかなスタッカートを多用し、各音の持続時間がきわめて短く聴こえる。スラーというよりも、ほとんどの音節は強弱とアクセントによって区別させる。そのため必然的に(特に急速楽章では)テンポが速まる。しかし、速いテンポでありながらも、細やかな音が浮かびあがってモザイクのように表面に形成させる模様は、あくまでベートーヴェンである。
 熱情ソナタの終楽章では、その細やかなパッセージとアクセントの交雑が見事な像を描いて、衝撃的である。しかし、その1楽章の導入部の和音などはズシリとした響きで切り込んでおり、全体的な音楽の軽さの中で、それは異様な存在感をしめし、力強い。それは演奏から直に伝わる生命力となっている。
 テンペストソナタの終楽章など、ちょっとした「打ち込み系」のテクノ音楽のようにも聴こえるが、その細やかな変化に通う血はまぎれもなく芸術家のインスピレーションを多層に含んでおり、これは見事なサイのベートーヴェンである、と気づかされる。

ピアノ・ソナタ 第17番「テンペスト」 第21番「ワルトシュタイン」 第26番「告別」
p: アシュケナージ

レビュー日:2004.2.14
★★★★★ もっとも「ベートーヴェン」な演奏
 べトーヴェんの“裏三大ソナタ”「テンペスト」「ワルトシュタイン」「告別」を収録。
 「テンペスト」の透明感は見事。「告別」のバランスとれた演奏もなかなか得がたいものだ。ところで、「テンペスト」については、ベートーヴェンの忠実な下僕とされているシントラーによって、より具体的な記録が残されてる。 シントラーはベートーヴェンに「この作品はどのように考えたらよいか」と尋ねたところ、ベートーヴェンは面倒臭かったのか、「シェークスピアのテンペストを読め」と言ったことから、この作品が「テンペスト」と呼ばれることとなった。 ベートーヴェンの作品の中では田園交響曲とともに標題性の高い珍しい作品となっている。一般的解釈は以下のようなものだ。第1楽章:プロスペローが岩岸に座して竪琴を奏でる。彼は弟アントニオによって君主の地位を横領されたのだ。娘ミランダと追放され、絶海の孤島に幽閉されたのだ。第2楽章:しかし娘ミランダの無垢な美しい心は彼の心を癒す。 第3楽章:運命の糸に手繰られ、復讐の嵐の中、弟アントニオ一行の舟は難破する。命からがら孤島にたどりくアントニオ。復讐の鬼となったプロスペローとの対峙。
 アシュケナージの解釈はことさら悲劇を強調するわけではないが、鋭い打鍵と、洗練された美しさを兼ね備える。テンペストの終楽章はまるで夜想曲のようにやさしい表情を見せ、はっとさせられる。
 「ワルトシュタイン」も自由度のある表現が中庸の美しさを十全に発揮している。「告別」も豊な音色で鮮やかに描かれている。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第18番  ショパン 4つのバラ-ド  ドビュッシー 喜びの島 とだえたセレナード 月の光
p: アシュケナージ

レビュー日:2009.6.14
★★★★★ 歴史的録音
 これは何と運命的な録音だろう!アシュケナージが西側に亡命する直前に、母校であるモスクワ音楽院で行った1963年6月9日のライヴの模様が収録されている。曲目はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番、ショパンの「4つのバラ-ド」、ドビュッシーの「喜びの島」「とだえたセレナード」(前奏曲集第1巻第9曲)「月の光」。
 厳しい時代だった。体制下の芸術家の選択肢の一つとして「祖国を捨てる」ことがあった。永遠に続くと思われた冷戦下で、それは多くの肉親や友人との今生の別れを意味する。しかも、その別れを前もって口にすることはできない。アシュケナージはあらゆる感情をこの演奏を通じて伝えたに違いない。バラードに込められた激情と悲嘆は圧倒的だ。音色は確かにアシュケナージである。しかし、その荒れ狂う音楽は、社会が突きつける様々な矛盾を薙ぎ払う強靭な生命力をやどす。激流により音楽が崩壊するかに思える間際、刹那にこれを束ね、再び収束点に向けて一気に放たれる。そのエネルギー量は尋常ではない。ポーランドを去り、二度と祖国の土を踏むことが無かったショパンの作品と奇跡的な共鳴が起こった。
 ベートーヴェンとドビュッシーでは、一転して過酷な運命を踏み越えた先の未来への希望が込められていると感じられる。録音は当時の状況を考えると、よくぞこのレベルのものが残ってくれたと思う。十二分に鑑賞に耐える。と言うより演奏が凄すぎて、再生後数分でそんなこと(録音の質)はまったく気にならなくなる。
 なお、59-60年にメロディアで録音され、長らく日の目を見なかった24の練習曲も凄まじい演奏である。2009年現在、入手可能なようなので、こちらも強力に推薦したい。

ピアノ・ソナタ 第21番「ワルトシュタイン」 第22番 第23番「熱情」
p: リル

レビュー日:2020.7.20
★★★★★  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第7集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第7巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」
2) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
 スケールの大きい表現で、凛々しく奏でられたベートーヴェン。
 ソナタ21番は、オクターヴを駆け巡る音階に込められた力強さにリルの演奏の方向性は示される。この曲では、華やかな音階の効果が繰り返されるが、リルはそれらを情熱的に歌い上げ、力強くかつ音楽的な彫像性を作り上げている。第1楽章のテンポは平均的だが、添えられるエネルギーの起伏幅が大きいため、ギュっと中身が詰まった印象であり、結果的に早く聴こえるだろう。一転して第2楽章ではぐっとテンポを落し、一音一音を噛んで含めるような足取りで響かせ、その瞑想性を高めている。楽章そもそもの規模が大きくないこともあり、間延び感はない。第3楽章は再びエネルギッシュな展開が戻り、華麗に全曲を閉じる。
 ソナタ22番は、少し遅めのテンポで、一つ一つを克明に響かせたもの。ユニゾンによるスタッカートなど、少し大仰で、芝居がかかって感じられるところもあるが、音色自体が自然なぬくもりを感じさせるので、意外にソツない感じに収まっている。運動的な第2楽章では、細やかなアクセントとフレージングにより、楽曲のスタイルを一回り大きく聴かせるような解釈だ。
 ソナタ23番は、その名の通り情熱的な演奏。このリルの演奏は、一般的な熱情ソナタの名演良演の羅列と一続きのものとして感ぜられる。言い方を変えれば、リルのベートーヴェンは、どんな楽曲も、熱情ふうの弾きぶりを感じさせるのだ。だから、逆にこのソナタは、普通の好演奏という印象が強い。個性的なものが目立つことはないが、このソナタを演奏するにあたって多くの人々が求めるであろう「情熱の放散」を、リルはいつものようにスケールの大きいアプローチと、強く美しい音でもたらしており、自然で、強靭な解釈である。普遍的な美徳を感じさせる演奏とも言える。技術も安定している。

ピアノ・ソナタ 第21番「ワルトシュタイン」 第30番 第32番 6つのバガデル ピアノ協奏曲 第4番
p: ブレンデル ラトル指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.8.27
★★★★★ ワルトシュタイン・ソナタは、ブレンデルの傑作録音の一つと思います
 オーストリアのピアニスト、アルフレート・ブレンデル(Alfred Brendel 1931-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の録音を再編集した2枚組のアルバム。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1) 6つのバガテル op.126 1984年録音
2) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 1996年録音
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111 1995年録音
【CD2】
4) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 op.58 1997年録音
5) ピアノ・ソナタ 第21番 op.53 「ワルトシュタイン」 1993年録音
 協奏曲はサイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との協演。
 ソナタ、協奏曲とも全集として完成された音源から抜粋されたもので、再編集のための選曲の意図は不明ながら、いずれも優れた演奏であり、楽しめる。ブレンデルのベートーヴェンは、木目調と形容したいシックなピアノの音色を用いて、力強さ、歌の双方に過不足のない等方的に優れた品質を持つものであり、これらの楽曲でもその価値は十分に示されている。
 私が、これらの録音の中で、特に気に入っているのは「ワルトシュタイン・ソナタ」である。ここで聴かれるブレンデルの演奏は、このソナタに必要な快活性を、適度な自由さを交えながら表現していて、第1楽章の第1主題と第2主題の対比にはロマン的な香りが漂うし、展開部では力強い踏み込みもあって、こうあってほしいというものを見事に叶えてくれる。第2楽章の耽美的な瞑想も美しいが、終楽章ではいよいよ快活で、この楽章ではブレンデルの全集中でも随一と言っていいほどの熱さを湛えたものが流れていく。左手の刻むリズムの激しさ、繰り返される音階の強弱の豊かさ、それでも決して表面上の輪郭が崩れることはない、ブレンデルの芸術家としての美意識と、情熱の両面が、見事なバランスで込められた名演と言っていい。
 次いで協奏曲第4番が美しい。ブレンデルの詩情豊かなピアノは、この楽曲の気品をよく表現しているが、それに加えてラトルの流麗で鮮やかな指揮が見事。テンポ、音色とも心地よい豊かさに溢れている。ちなみに、ブレンデルは第1楽章で聴きなれないカデンツァを披露している。彼は、有名なカデンツァ(例えば、モーツァルトの協奏曲第20番におけるベートーヴェンが書いたカデンツァ)であっても、たびたび自作のものと差し替えるので、ここでも同じ志向を示しているのかもしれない。
 ソナタ第30番も構造的ものと感傷的ものとがあいまった均衡性に優れているが、制御の訊いた第2楽章から、ロマンティックな第3楽章への流れが自然でなだらかだ。ソナタ第32番も同様なのだが、特にこの楽曲では、より奏者の何らかの世界観を強く打ち出したものの方が、私個人的には良く、ブレンデルの演奏はこころもち穏当過ぎるように感ぜられる。「6のバガデル」も、味わいとしては自然でサラリとした演奏といったところ。欠点もなく、音色も美しいが、より思索的なものがあっても良いように思う。
 気になるところも書いたが、全般に優れた演奏であることは間違いなく、重複する音源がないのであれば、購入をオススメして良い内容のアルバム。ただ、いずれの録音も「どうせなら全集を買った方が」というところもあり、商品価値自体は高くはないので、ご注意を。

ピアノ・ソナタ 第21番「ワルトシュタイン」 第22番 第23番「熱情」
p: コルスティック

レビュー日:2018.7.27
★★★★☆ コルスティックのベートーヴェンの特徴とは
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。現在すでに全集として入手可能となっている。当盤は以下の3曲を収録した内容となっている。
1) ピアノ・ソナタ 第21番 ハ長調 op.53 「ワルトシュタイン」
2) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54
3) ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
 録音は、第21番が2003年、他の2曲が2008年となっており、収録曲間でややインターバルのある内容となっている。
 コルスティックのベートーヴェンはドイツを中心にとても評判が良い。フレーズの扱いが安定していて、表現の再現性が高く維持されていることで、ベートーヴェン作品の構造的な均衡感をよく体現している、とおおむねそのような評価であろう。またロマン主義、古典主義のどちらかにグッと軸足を置いた解釈というわけでなく、ある程度の自由さがあって、そのことが聴き手に作品への親近性を呼び覚まさせるところもあると思う。
 ただ、そこに私の感想を付け加えるなら、コルスティックのベートーヴェンは、特徴的なものであり、決してスタンダードな解釈というわけではないだろうということだ。ワルトシュタイン・ソナタに特徴的な音階を彼は非常に俊敏で光沢豊かなものとして響かせるが、そこに入念に織り込まれたニュアンスは、いわゆるベートーヴェンとしてはかなり饒舌な語り口に思えるし、突然立ちはだかるように挿入されるフォルテは、ところどころ、私には強すぎるように感じる。
 コルスティックの編み出す透明性の高い響きは、それ自体とても魅力的で、清々しい見通しの良さを感じさせてくれる。それは気持ちの良い聴き心地を担保してくれるが、畳みかけるような迫力を、音の総和のコントロールとしてではなく、個々の単音の出力を増強することで達成する感覚がある。そして、それが、私の聴きなれたベートーヴェンと異なる印象をもたらす。
 誤解のないように書いておくと、それが良くないということではもちろんなく、それこそがコルスティックのベートーヴェンであり、彼の紡ぎだす音なのである。その物性的な力強さは、確かにインパクトがあるし、早いパッセージであっても、細やかなアクセントの挿入を可能とする彼の技術とあいまって、独特の音響を構築する。それは確かに魅力である。その一方で、私には、その印象が、ややメタリックに過ぎるようにも感ぜられるのである。それは、もちろん感受性の問題にも置換できることだが。
 私が当盤を聴いて、むしろ心から楽しんだのは、静謐な部分、特にワルトシュタイン・ソナタと熱情ソナタのそれぞれ第2楽章である。そこで透徹した響きで描き出されるフレーズは、清らかな水の流れのように滾滾と聴き手の耳に届いてくる。
 以上のように、私の当盤の感想は、優れてユニークなベートーヴェンであるが、しかし、どこか自分が聴きたいものと逸れていくところも感じてしまうものといったところである。

ピアノ・ソナタ 第22番 第23番「熱情」 第24番「テレーゼ」 第25番 第26番「告別」
p: シフ

レビュー日:2008.5.25
★★★★★ 「理から入って情に至る」感服のベートーヴェン
 アンドラーシュ・シフによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集シリーズ第6弾。今回は第22番、第23番「熱情」、第24番「テレーゼ」、第25番「郭公」、第26番「告別」という中期の充実した5曲が収録された。(もちろん、ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、1曲残らず充実した名品なのですが・・・)
 それにしてもこのシフの全集、完成のあかつきには、(おそらく同時期に完成するであろう)ポリーニのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集と並んで、このジャンルの勢力図を一気に塗り替えてしまうのではないだろうか。それほどまでに1曲1曲入念に弾き込まれ、かつ一貫した強靭な意志と知性を感じさせるベートーヴェンとなっている。
 シフは1996年にハイティンクと素晴らしいベートーヴェンの協奏曲の全集を録音しているが、その余録として熱情ソナタが収録されていた。(これも素晴らしい演奏だったのだが)。なので今回の熱情ソナタは、ほぼ10年振りの再録音となる。シフのアプローチはほとんど変わってはいない。(すでに96年の時点で、自らのベートーヴェンの姿が明瞭に描かれていたに違いない)。透徹したタッチによる明瞭な旋律線、対位法やソナタ形式の主題の確固たる提示、そして理知的なアプローチによる情緒への獲得。まさに「理から入って情に至る」現代のベートーヴェンである。
 また第22番におけるオクターブ連打のフレーズでのアクセント・コントロールの秀抜さ、第24番の高級感ある木目調とも言える雰囲気も印象的。第25番でも凛々しく切り立った音の輪郭が気高く響く。「軽やかさ」も陰影深く表出される。第26番は詩的ともいえる瞑想性をおびた豊かなインスピレーションが横溢する。どこをとっても魅力に溢れている。それにしてもこれらがライヴ録音だとは、表記を見ても信じがたいほどのクールさである。これがシフの到達した芸域なのだろう。感服。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第22番 第24番「テレーゼ」  ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番
p: ポゴレリチ

レビュー日:2019.9.28
★★★☆☆ ポゴレリチ21年ぶりの録音だが・・
 イーヴォ・ポゴレリチ(Ivo Pogorelich 1958-)とは懐かしい名前が登場した。新譜から彼の名前が消えて久しく、録音活動から完全撤退してしまったのかと思っていた。このたびは、実に21年ぶりとなる新録音とのこと。
 それにしても、ジャケットのポゴレリチの姿を目にすると、過ぎた年月の長さを実感する。髪型の印象かもしれないが、以前の青年の面影はなく、いかにも壮年然とした雰囲気だ。かつてはグラモフォン・レーベルのイメージが強かったのが、SONYに変わったこともあって、まるで別のアーティストのようだ。
 とはいえ、それでは久しぶりの録音がどのような内容なのか、さっそく聴いてみた。まず、収録内容。
1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第22番 ヘ長調 op.54
2) ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第24番 嬰へ長調 op.78 「テレーゼ」
3) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36 (1931年改訂版)
 ベートーヴェンは2016年、ラフマニノフは2018年の録音。
 さて、演奏であるが、あいかわらずユニークだ。そして、個人的には、良いと思うところと、そうでないところの両方がある。楽曲単位で言えば、ベートーヴェンの22番は良い。ラフマニノフは正直言って、良くない。
 いずれにしても、楽曲本来の性格とは、あえて違ったものを表現するというポゴレリチらしさがあるのだが、ベートーヴェンのソナタ第22番では、例のオクターヴのフレーズが象徴的だが、ポゴレリチは強靭な音の連打から瞬間的なニュアンスを鮮やかに描いている。その印象は、ロマン派的なものであり、ベートーヴェンの強弱のコントラストが持つ古典的造形性とはあきらかに別のベクトルを持った提案になっていて、それを聴き手がどう受け止めるかということになる。私はそのスリリングで情熱的なスタイルを面白いと感じ、その新鮮味を楽しんだ。音色の確かさ、スナップの鮮やかさもそれを手伝っているだろう。第2楽章でもポゴレリチの解釈は、運動性の面白さに特化しており、フレーズの意図が解体される傾向があるが、斬新な面白味を感じさせる。
 第24番もポゴレリチは同様のスタイルと思われるが、この楽曲の場合、フレーズの持つ思索的あるいは甘美な要素が高い分だけ、ポゴレリチの方向性が「あらぬ方」を向いた齟齬感が強まる。憧憬的な第1楽章の主題はスローで解体的であり、いわゆるフレージングの要素が極端に狭められている。音色自体の絶対的な美観は見事だが、前述の要素と合わさったとき、かなり人工的な肌合いになるところがあった、私の場合、この演奏にのめり込むことは難しかった。
 ラフマニノフはどうだろう。この曲には、最近になって、様々な名録音が登場している。2010年以降の録音に絞ってみても、ルガンスキー(2012年)、ギルトブルク(2012年)、オズボーン(2012年)、ロマノフスキー(2013年)、有森博(2015年)、ハイルディノフ(2015年)など。それらと比較して、ポゴレリチの演奏はあきらかに肌合いが異なる。解体的で、フレーズを切る傾向はベートーヴェンと同様だが、加えて終楽章で設定された極端にスローなテンポは、私にはこの曲の良さを引き出しているものには聞こえない。少なくとも、音楽的事象として、前後が結び付くための必要な間隙を詰められておらず、そのため、妙に冷めたものに感ぜられてしまう。そして、この楽曲が、その解釈で、魅力的に聴こえないというのが問題だ。
 音色の見事さ、あいかわらずの卓越した技術には感じ入った。面白いところもある。だが、現代の他の名演・名録音と比較すると、内容的な寂しさは否めない。

ピアノ・ソナタ 第24番「テレーゼ」 第25番「郭公」 第26番「告別」 第27番 第28番
p: コルスティック

レビュー日:2018.9.14
★★★★☆ コルスティックのベートーヴェンのスタイルが端的に示された告別ソナタ
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ作品集。すでに当盤を含むソナタ全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、以下の5曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」
2) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」
3) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」
4) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90
5) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101
 2008年の録音。
 私は、コルスティックのベートーヴェンの全集を購入し、順番に聴いている。どの盤も、何度か繰り返し聴いているが、その印象は(当然のことだけど)全般に共通する部分が多く、透明感のある力強いタッチを駆使したものであること、急速楽章は速く、緩徐楽章は遅くとメリハリが強調されていること、フレーズの繰り返しなどが緊密に制御され、同じように維持されていること、といった特徴が挙げられるだろう。
 その結果、私は、その迫力あるダイナミズム、平衡可感の強い構造性の維持に感心しながらも、楽曲によっては、緩徐楽章が平板に過ぎること、フォルテが強すぎると思うことがかなり頻繁にあること、タッチのメタリックな光沢が人工的な肌合いに感じられ、それが当該楽曲のパッションの表出のための表現手法としては異質性を感じること・・などから、どうしても違和感を持ってしまっている。
 その中にあって、当盤に収録された楽曲は比較的聴きやすいと思う。もちろん、ソナタ25番の終楽章のように、衝撃的なフォルテに異質感を持たざるをえないところはあるものの、テンポの緩急によるダイナミクスの演出は十分に蓋然性のある範囲で収まっていて、わりとしっくりくる。第24番の第2楽章、第27番の第2楽章など、コルスティックの、さりげない情緒の表出が、タッチの透明さと美しく呼応して、とても感じのよい響きになっている。第28番の第1楽章など、いかにもサラリとしすぎていて、なにかもう一味欲しいところもあるが、私も一通り聴いてきたから、これがコルスティックのベートーヴェンなのだ、ということはすでに納得できる。
 第26番もコルスティックのベートーヴェンの「あり様」を端的に示す演奏だと言えるだろう。この曲の3つの楽章には「告別」「不在」「再会」の副題めいたものがあるのは良く知られているが、コルスティックの演奏は、ある意味そのような世俗的な観念とはあえて無関心な立場のように響き、超然とした響きで占められている。そのこと自体に、音楽芸術における面白さがあるとも言えるだろう。

ピアノ・ソナタ 第24番「テレーゼ」 第25番「郭公」 第26番「告別」 第28番
p: リル

レビュー日:2020.7.21
★★★★★  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第8集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第8巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 op.78 「テレーゼ」
2) ピアノ・ソナタ 第25番 ト長調 op.79 「郭公」
3) ピアノ・ソナタ 第26番 変ホ長調 op.81a 「告別」
4) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101
 リルのベートーヴェンは、概して暖かくも強靭な音色で、ダイナミックレンジを広く設定するほか、遅めのテンポを主体とし、じっくりと作品と向き合うものになっていると感じられる。
 ソナタ第24番は、冒頭から抑制を感じさせるテンポで、憧憬的な主題をニュアンス深く描きながら進んでいく。あたりの風景を見回すような余裕を感じさせつつ、強さが求められる音は鋭い打鍵でしっかりとそれに応じる。第2楽章は2音ずつ区切られたスラーに添えられた鮮やかな表情付けが生命力に溢れた力強さを示している。
 ソナタ第25番は、全編に渡って勢いのある快演。第1楽章冒頭から弾けるような音楽が流れ下る。ただ勢いがあるだけでなく、フレーズの性格に応じた細やかな強弱が添えられているところがきわめて音楽的。第2楽章の物憂さは、規模に相応しい適度なさりげなさで、終楽章は力感に満ちた疾走が心地よい。
 ソナタ第26番は、第1楽章の情感の表出が美しい。木目調を感じさせるピアノの音色は、強音であっても人工的な趣は感じさせず、旋律の持つ歌謡性を濃厚に引き出しながら歩みを進める。第2楽章は、淋しさを感じさせる主題を十分な余韻をもって響かせて、味わい豊か。終楽章は一気に弾ける。この楽章を、私の知人は「久しぶりにご主人と再会してはしゃぎまわる愛犬の様子」と言っていたが、この演奏は、まさにそんな感じ。勢いの良さ、転回の素早さ、そして華麗な演奏効果で、見事に締めくくる。
 ソナタ第28番は、第1楽章をゆったりと開始し、序奏的な性格を持つその音楽に幾分重々しさを添えながら奏でていく。第2楽章は付点の華やかな音楽だが、引き飛ばさずじっくりと、しっかりと歩みを進める。第3楽章では、リルらしい力強さが全編に渡って展開する。リルにしては、いくぶん音色がメタリックに感じられるところもあるが、全体としてはバランスも聴き味も良く、ベートーヴェンを聴いたという充実感を残す。

ピアノ・ソナタ 第27番 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: シフ

レビュー日:2008.10.19
★★★★★ 今後大きな存在感を持ち続けると思われるベートーヴェン
 アンドラーシュ・シフによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、ほぼソナタ番号順にリリースが進み、快調といえるペースで全集化とあいなった。快調だったのはリリースだけでなく、一つ一つの録音の内容の質が高く、私にとって感銘の大きい全集となった。
 当盤にはピアノ・ソナタ第27番、第28番、第29番「ハンマークラヴィーア」の3曲が収録されている。後期と称される第28番と第29番の2曲に、中期の色合いを湛えながら、後期の典雅さを帯びた第27番が一緒に収録されているという構成もよい。
 録音は2006年5月。チューリヒでライヴ収録されたもの。いつもながらライヴとは思えない完成度の高さであり、また深い精神性とともに音楽の愉悦性を感じさせてくれる録音だ。
 第27番は健康的で明朗な音色を活かし、輝かしい演奏効果に満ちている。伸びやかな音色はしかしよく統御されており、計算された美観を湛えている。高雅なソナタである第28番は私の特に好きなソナタの一つであるが、シフはこの曲の歌の要素を活かしながらも、やや早めのテンポで安定した構築感を聞かせてくれる。第1楽章は元来簡素な音楽だと思うが、シフの演奏では適度な密度が持続し、きわめて豊穣で濃厚な音楽となっている。第2楽章は静謐な雰囲気が特筆に価する。音楽で表現される「静けさ」の高い芸術性を再認識させてくれる。
 第29番「ハンマークラヴィーア」では連続する和音の響きが素晴らしく、立体的で逞しい。第3楽章の瞑想も集中度の高さを感じさせてくれる音楽が続く。いずれにしても全集を通じて1曲1曲が非常に高次に統御された全集の一環であり、今後大きな存在感を示し続けるに違いない。

ピアノ・ソナタ 第27番 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: オズボーン

レビュー日:2016.9.30
★★★★★ 楽曲を支配する強靭なピアニズム!オズボーンのベートーヴェン。
 イギリスの実力あるピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による2枚目のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。以下の3曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106「ハンマークラヴィーア」
2) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101
3) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90
 2015年、セッション録音。
 2枚目といっても、1枚目の録音は2008年まで遡る。それは、第8番「悲愴」、第14番「月光」、第21番「ワルトシュタイン」、第25番「郭公」の4曲を収録したもので、日本国内の批評雑誌などでも、高く評価されたのを覚えている。ただし、私は聴いていない。興味はあったのだけれど、名曲を集めたようなラインナップに、やや聴く気が削がれて、買わずに放置してしまったのである。
 なので、当盤がリリースされたとの報を聞いて、「そういえば、以前1枚あったな」と思い出した。そのようなわけで、今回、7年のインターバルをおいて録音されたこの第2弾を、私は「オズボーンの弾くベートーヴェンのソナタ」としては、始めて聴かせていただいたことになる。
 聴いてみての感想となるが、率直に素晴らしいと思った。おそらく、現在聴くことのできるベートーヴェンでも、特に素晴らしいものの一つではないだろうか。
 収録曲は、第29番を冒頭に配し、そこから一つずつ番号を繰り上がっていく形で3曲が収録されている。この3曲が1枚で収録されていることからわかる通り、全般に早めのテンポで、まとめられている。冒頭のハンマークラヴィーアから、劇的かつ動的な迫力に満ちていて、渾身の鍵盤さばきから、流麗にして明朗な旋律線を紡ぎだしてゆく。強靭なフォルテシモと、俊敏な運指を折交え、鮮明な光沢が与えられていく。第2楽章の旋律的な処理も見事だが、第3楽章の確信的でありながら、即興的な生命力にあふれた表現が素晴らしい。
 第28番も速さを維持するフレージングで、和音連打も心持ち間隙を詰めているが、それが音楽全体の美観として有効に働き、躍動感あふれる楽曲後半へエネルギーを供給する役割を担う。第27番は第2楽章のロンドから響く実に意志の強い歌が美麗だ。
 この演奏全体を通して、一言で表現するなら「演奏者が楽曲を支配したもの」と言ったところ。最近の演奏スタイルは、むしろ作品を大切にしたり、吟味して細かく整理したりするものが主流なのだろう。それが悪いわけではないが、オズボーンの演奏は、なによりも演奏家が「こうである」という強靭な主張を持ち、その主張が、圧倒的な技術力を背景に、楽曲を統率する、まさに演奏者が主となりきった音楽表現がある。そして、ベートーヴェンの作品は、そのような力強さにふさわしい反応を返すものだ。
 あらためて、そのようなスタイルの演奏が成功したときの見事さ、そして、ベートーヴェンの作品の完成度の高さに感じ入った一枚となった。

ピアノ・ソナタ 第27番 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: リル

レビュー日:2020.7.21
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第9集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第9巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第27番 ホ短調 op.90
2) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
 リルらしいやや遅めのテンポを中心とした気構えの大きな演奏。
 ソナタ第27番の第1楽章は、遅すぎないことが楽譜指示されているが、リルはたっぷりした情感をやどすように、一種の重々しさをもって楽曲を始める。リルが奏でる主題は、荘重さをもって響くが、この雰囲気を軸として、リルは楽曲を俯瞰し、構成感を考慮していると感じられる。低音で紡がれる主題も、この演奏では、暗さを増した感じが印象深い。第2楽章は、シューベルトの先駆を思わせる愛らしさのある音楽だが、リルはここでも濃い情感を与え、陰影を深く彩っていく。ひとつひとつのアクセントに重さや意志を感じ取りやすく、芸術家としての積極的な表現性の発露がある。
 ソナタ第29番は、言うまでもなくベートーヴェンが書いたもっとも大きな規模のソナタである。これが気風の大きいリルの演奏スタイルの場合、どうなるか、と思って聴くと、意外とすんなりと普通に感じられる。楽曲本来の姿とリルの演奏のスタイルのギャップがもともと小さいため、その親和性ゆえに普通な感じになったのかもしれない。ただ、第3楽章に関しては、ちょっと問題を残していると思う。第1楽章は、豪壮な主題を細やかなコントロールを踏まえて鳴らしており、決してフォルテ一辺倒ではない。その後、付点のリズムが目立つようになると、各和音がやや粘り気を含んだ表現で奏でられ、豊かな音色の質感を併せて、聴き味が良い。第2楽章の運動美は清々しく心地よい。第3楽章はリルらしく、ぐっとテンポを落して24分を費やして弾いている。この楽章、私が聴いた中で最も遅いのはコルスティック(Michael Korstick 1955-)の29分近くがあり、私は、その演奏については、ちょっと付いて行けないな、という印象を持っているのだが、このリルの演奏も、やっぱり長さを感じさせてしまうところがネックだ。情感をたっぷりと紡ぐのは良いのだが、その濃淡と楽曲の長さが、私には互いに良い相互作用をする適距離範囲を越えてしまっているように感じる。つまり、印象が薄くなってしまい、聴いていて気持ちが逸れてしまうのだ。第4楽章になると息を吹き返したように盛り上がり、トリルの演奏効果もすさまじいが、私の場合、ハンマークラヴィーア・ソナタの名演として数えるところまでは、行かなかった。

ピアノ・ソナタ 第28番 6つのバガテル アンダンテ・ファヴォリ エリーゼのために
p: アシュケナージ

レビュー日:2009.6.28
★★★★★ なんとステキなベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番・・!
 「なんてステキな曲なんだろう!」このディスクがリリースされた当時、私はこれを聴いてすっかりベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番が好きになってしまった。
 アシュケナージは1971年から82年にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音。その現代的でシャープな感性に貫かれた表現は、明らかにベートーヴェン新時代を告げるものだった。そんなアシュケナージが90年代にいくつかのソナタを「再録音」した。この第28番はそのうちの一つで1991年の録音。その特徴は、限りなく透明な響きに紡がれた「歌」にある。そう、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第28番の第1楽章は、ベートーヴェンがはじめて「歌」の要素だけで描いたピアノ・ソナタの楽章であるに相違ない。アシュケナージはその作品の本質を、類まれな美音にて抽出してみせたのである。
 静謐な雰囲気を湛えたこの第1楽章は、あまたのベートーヴェンの名曲の中でももっとも神秘的なものの一つである。アシュケナージのマジカルなタッチが純粋にその「要素」そのものを取り上げていることに気づく。これはドイツ・オーストリア音楽の本流とは別の普遍的な「歌」に相違ないのだ。晩年のベートーヴェンがいよいよ足を踏み入れた佳境がそこに広がっている。
 もちろん運動美の冴える第2,3楽章も、ピアニスティックな魅力が横溢している。併録されているものが80年代に録音された小品集の再編集だったため(もちろん良い演奏ではあります)、いま一つ一般には知られていないが、機会があればぜひ入手すべき名演だと思う。

ピアノ・ソナタ 第28番 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: コロリオフ

レビュー日:2013.5.28
★★★★★ コロリオフのベートーヴェン後期、その素晴らしい成果
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgenij Koroliov 1949-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ第28番と第29番「ハンマークラヴィーア」を収録。2012年の録音。
 たいへん素晴らしいアルバムだ。
 コロリオフのディスクは輸入盤でいろいろ入手可能であるが、主要な録音レパートリーとなっているのがバッハで、私もこれまで彼の弾くバッハをいろいろ聴いてきた。そして、それらは概して素晴らしいと感じさせるものであった。彼の演奏は、音楽を構成する線を鮮やかに浮き立たせ、明瞭に声部を描き分けるもので、そのスタイルがバッハのロジカルな多声の扱いにマッチし、高い演奏効果を獲得していた。このような方向性の演奏の中で、コロリオフのものは、もっとも純粋でまじりっけがないように思える。それは、それらの録音の状態が良好なことも一因であろう。
 それで、今回のベートーヴェンであるが、やはりまず録音の素晴らしさはすぐにわかる美点だ。ピアノの音の突き通るようなリアリティ、反射音の制御、適切な空間把握、それらがあいまって、「非常に純度の高い音を聴いている」という実感が得られる録音になっている。
 次いで、その録音をベースとした、コロリオフの演奏の見事さ。ベートーヴェンのソナタ第28番は、高雅で思索的な響きに満ちた音楽で、私の大好きな曲だ。私はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1991年に録音したものがお気に入りで、もう何回も聴いてきたのだけれど、コロリオフはまたそこに即物的な美学を一片切り拓いた感がある。鮮明なタッチで、淡々と刻まれる第1楽章は、不思議と滋味豊かな歌が内面から押し出されるようにして溢れているのだが、その様が輝かしく、感動的である。
 語弊を招くかもしれないが、コロリオフの演奏からは、聴き手に感動を与えようとして弾いているような感じは受けない。しかし、彼が黙々とスコアから、その音楽を抽出する作業の簡素さは、すべてを光で照りつくしたような、それぐらいのインパクトを内包しているように思える。カリスマティックとでも表現しようか。
 第29番は第1楽章の壮麗な冒頭から、適当な力感と卓越したリズム処理で、躍動感に満ちながら、多彩な課題を次々とさばいていく手腕が見事。第3楽章は、やはり長さを感じるけれど(ここの聴き易さという点では、ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin 1903-1991)盤を推したい)、誠実にスコアに向かい続ける真摯さが伝わっており、その中で神々しいような美しい瞬間がある。第4楽章の豪放さはこれまた見事。中でもトリルの完璧とも言える響きは、鮮烈に印象に残るだろう。
 以上の様に、これらの楽曲がピアニストのスタイルに良く合致した観もあるのだが、素晴らしいディスクというのが実感であり、今後もこのピアニストには、ベートーヴェンの録音に挑んでほしいと思う。

ピアノ・ソナタ 第28番 第30番 第32番
p: ルガンスキー

レビュー日:2020.11.30
★★★★☆ 完璧性はピカ一。ただ、これらの作品には、影や、曖昧で情緒的な要素もほしい。
 ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の後期の3つのソナタを収録したアルバム。
1) ピアノ・ソナタ 第28番 イ長調 op.101
2) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 2020年の録音。
 ルガンスキーは、2005年に、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ4曲(第7番、第14番、第22番、第23番)を録音しているが、今回の3曲はそれ以来のベートーヴェンということになる。
 私は、ルガンスキーの録音はほとんど聴いているのだが、2005年に録音されたベートーヴェンは、あまりにもメタリックな感触が強く、技術的な卓越、彫像的な音響は見事ではあったが、何度も聴くまでには至らなかったのを覚えている。
 それから15年を経ての後期の3つのソナタとなった。一聴して、確かにルガンスキーの中で、ベートーヴェンへのアプローチとして、なにかステップアップした感はある。それは、単に私が勝手に感じているだけのことかもしれないが、全体の流れ、テンポなどがとてもしっくり行くように感じられるし、積み重ねられる断片のあり様が、よりベートーヴェンに相応しくなったように思う。
 もともと持っている技術から繰り出される完璧にコントロールの効いた音。くっきりとした輪郭で、音の運びには、一切乱れがない、というか、そういった不確定性からもっとも離れたところにこの人のベートーヴェンはある。奏者と作品の間には、つねに安定した距離感があって、その節度が保たれているから、強い均衡性が支配し、響きの均質性も見事なものだ。また、それらを利したニュアンスの表出と言う点でも、近年のルガンスキーの演奏には目を見張るものがって、この録音では、例えば第30番の終楽章、最後の壮麗なクライマックスが閉じていくところで、低音がもたらす余韻など、心憎いほどである。
 だが、この演奏の完璧性を認めつつ、この録音が、私にとってこれらの楽曲の代表的愛聴盤になるか、と言われると、実に表現に難しいのであるが、そうはならないと思うのである。これは、現時点まで、4,5回聴いた限りでの感想だから、そこまで絶対的なものではないし、あるいは最初から「ないものねだり」の部類かもしれないのだが、上記のような完璧性、均衡性、均質性ゆえに、ベートーヴェンの音楽がもつそこしれない深みの探求に関して、音楽がそちらを向いていないと感じられてしまうのである。音色の輝かしい光沢性や、私にとってはところどころ強靭すぎるフォルテがそのような印象をもたらすのかもしれない。しかし、私の感じ方では、ベートーヴェンはやはり特別であり、他の様々な作曲家の作品に素晴らしい演奏を繰り広げるルガンスキーであっても、もうひとつ違った何かがほしいと、そういう飢えを多く残す演奏であると感ぜられるのである。
 何年か後に、私がこの録音を大事に聴いているか、と自問すると、他の演奏を聴いている可能性がずっと大きい。

ピアノ・ソナタ 第29番「ハンマークラヴィーア」
p: アシュケナージ

レビュー日:2008.8.7
★★★★★ 自由なインスピレーションによる「旧録音」
 時々「旧録音」というフレーズがステイタスを帯びるケースがあるのだが、このアシュケナージが1967年に録音したベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」もそうしたものの一つだろう。アシュケナージはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を1971年から1982年にかけて録音しており、その中で「ハンマークラヴィーア」ソナタも1980年に再録音されたわけで、その結果、本盤の方が「旧録音」と称されるようになった。
 実は、アシュケナージによるベートーヴェンのソナタ全集が発売されたころ(現在は違うのだが)この旧録音のハンマークラヴィーアソナタが「特典盤」として追加されていたりした。人気の表れだろう。
 旧録音の特徴は奔放な若々しいアシュケナージの感性を束縛なく解き放った豪胆さにあると思う。第1楽章冒頭の豊穣無比とも言える響きは圧巻で、たちまちのうちに聴き手をアシュケナージの世界に誘う。実際、私もこの録音は大好きで、今もってこのソナタを最後までとことん聴き通せる録音はこれだと思っている。ところで、80年の新録音ももちろんいい演奏である。そこでも闊達とよべるピアニズムが咲き誇っている。しかしある程度理性的なセーヴが強い。それはこの楽曲の多彩な速度記号をある程度忠実に再現しようとする場合、やむを得ない「制限速度」が存在するためで、後のアシュケナージはこの部分で合理的な整合性を求めた上で、音楽を展開したのだと思う。それに比べて旧録音は自由だ。もちろん、大きく楽曲の枠組みを逸脱するようなことはないのだが、まずピアニストが存分に楽曲を素材にして楽しみ、それに聴き手が引き込まるという構図が延々と続くのである。いつ聴いても、いつのまにか終楽章の壮麗なエンディングに到達する。この長大なソナタがあっという間である。論理的な欠陥はあるのかもしれないが、音楽とは何かを考えてしまう録音とも言える。

ピアノ・ソナタ 第29番「ハンマークラヴィーア」 6つのバガテル ロンド・カプリッチョ「失われた小銭への怒り」 ピアノのための小品 変ロ長調 WoO.60 ト短調 WoO.61
p: コルスティック

レビュー日:2018.9.19
★★★☆☆ 当演奏の第3楽章の長大さに、自分なりの接し方を見出せなかった
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。すでに全集が廉価なBox-setとして入手可能となっている。当盤は先行して単発売されたものの一つで、ソナタ1曲と、いくつかの小品が以下のように収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」
2) 6つのバガテル op.126
3) ピアノのための小品 変ロ長調 WoO.60
4) ピアノのための小品 ト短調 WoO.61
5) ロンド・カプリッチョ ト長調 op.129 「失われた小銭への怒り」
 ロンド・カプリッショのみ2005年、他は2003年の録音。
 私は、上述のコルスティックの全集を購入し聴いている。全般に、透明かつ力強いタッチを駆使し、構築性の明瞭なベートーヴェンとなっているが、その一方で、強音に唐突な印象があることと、しばしば緩徐楽章で、極端にスローなテンポを設定することがあり、その人工的といってもよい感触に、齟齬を感じるところもある。
 中でも、当盤に収録されたハンマークラヴィーア・ソナタは、コルスティックのベートーヴェンの特徴が、もっとも強調された内容といって良い。第1楽章はとにかく闊達で、透明な響きには一切の夾雑物がなく、逐次的で簡潔な処理を連続させ、畳み込むように音楽を閉じる。そこでは、(私の感覚では)感情的な要素のやりとりは希薄で、楽節の扱いは高度な均一化を感じさせる。かなり線的なベートーヴェンと思うが、その一方でこれでもかというほどの強い打鍵で繰り出されるフォルテは、騒々しささえ想起させてしまう。
 簡潔な第2楽章を経て第3楽章に入るのだが、これがまた問題で、コルスティックは限界といっていいほどテンポを落とし、第1楽章との強烈な対比性を描き出す。この第3楽章の演奏時間は実に29分近くに及び、さながらブルックナーの交響曲の緩徐楽章のような長大さとなる。だが、正直これが私にはピンと来ない。響きは美しいし、糸を引くような付点のタッチ自体の完成度は見事なもの。だが、それぞれのパーツが長大化された時間軸にプロットされるときに、互いの関係性をどうしても希薄にせざるをえず、全体像との相関が見通せなくなる。少なくとも私はそう感じる。少なくとも、この演奏で「楽しむ」には、この聴く側が、楽曲を相当に深く知っているか、スコアを見ながらといったそこで聴かれる音楽以外の情報を併せ持つ必要があって、もちろんそういう楽しみ方は一つのあり様ではあるが、ベートーヴェンのこの楽曲でそこまで音楽への関わり方を限定する意味は私には感覚的に理解できないし、正直、それでも退屈してしまった。
 第4楽章に戻るや、またそれを払拭するように快活な音楽に戻るのも、なんだか置いて行かれるような気分になる。
 そういった意味で、この巨大なソナタを当演奏で楽しむことは、私には難しかった。むしろその後に収められた小曲集の方がしっくりくるし、ロンド・カプリッチョなんかの方が、素直に楽しめてありがたい。
 とりあえず、コルスティックのベートーヴェンの中でも、とりわけ気難しいのが、当盤のソナタ第29番であった、とそう言わざるを得ない。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: F.ケンプ

レビュー日:2008.6.1
★★★★☆ 清涼感に満ちたいかにも若々しい演奏です。
 1977年ロンドンで生まれ、1998年のチャイコフスキー・コンクールで第3位(この時優勝したのがデニス・マツーエフ)となったフレディ・ケンプによる初のベートーヴェン録音。選ばれたのは最後の3つのソナタで、録音は2000年。
 どうも、若手の、それもコンクールを登竜門としたピアニストは、ベートーヴェンではまず晩年のソナタからアプローチする傾向が強いように思う。ポリーニもベートーヴェンで最初に録音したのは後期の5曲のソナタだったし、若きアシュケナージも亡命前に第21番とあわせて第32番(最後のソナタ)を録音していた。
 理由は(と素人ながら勝手に推測しているのですが)、おそらく後期のソナタに含まれる多用なロマンティシズム、歌の要素、劇性、耽美性などの鮮やかな彩りが、あるいは技巧を入り口としてこの世界に入ってきたピアニストにとってアプローチしやすいため為ではないだろうか?それに、コンクールの題目もショパンやチャイコフスキーのようにロマンティシズムの横溢する作曲家を冠名にしているわけだし、それならベートーヴェンの入口は後期になるような気がする。もちろん、それもこれも勝手に私が遊びで考えていることだけれど。
 さて、そのような感覚でこの3つのソナタを聴いてみると、やわらかいタッチで克明、鮮明に描かれたベートーヴェンであり、ケンプのアプローチは流れのよいスタイリッシュなベートーヴェンを目指していると思える。それが顕著なのは第31番だと思う。中間部以降から始まる「歌」をケンプは健康的でリズミックに流す。そして、その拡大からコーダへ至る過程も、あえて起伏を設けずすらりと直線的に弾いている。きわめて、あと口のさわやかなベートーヴェンであり、若者らしい感受性を感じ取れる演奏となっている。
 ただ、逆にベートーヴェンの深遠などへの配慮は感じられない。と言うより、もとよりそこを目標にしていないのだから、これでいいのだろう。しかし、これはあくまで録音当時の、23歳という年齢のフレディ・ケンプの演奏であると思う。今後、彼がより多様な表現の幅を見出し、再びこれらの作品に挑戦するのも、楽しみに待ちたいという気になる。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: シフ

レビュー日:2008.10.27
★★★★★ たどりついた静謐な森閑たるベートーヴェン
 シフが2004年から開始したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音は、ほぼソナタの番号順にリリースが進行し、2007年録音の最後の3つのソナタを収録した当盤により完結した。とにかく熟慮に熟慮を重ねたシフならではの存在感のある全集となった。
 シフはソナタの録音を開始する前、1996年にハイティンクとベートーヴェンのピアノ協奏曲の全集を録音したが、その折見せた研ぎ澄まされた感性と鋭敏なタッチ、音楽の断片の抽出とそれらの機知に富む連絡に私はとても感銘した。とても面白いベートーヴェンだった。またその時合わせて一曲だけ収録された熱情ソナタも同じ傾向の「面白さ」を持った知的快演だったため、このシリーズのリリースが始まったとたん「いよいよ来たな」と思った。そして新譜が出るたびに予約して購入させていただいた。
 果たして、素晴らしい全曲録音となった。やはり熟考を重ねたシフならではの慎重な音楽でありながら、構造線を把握し、その中心となる部分を明瞭に提示し、かつふくよかな音楽性を湛えたものばかりだ。もちろん、聴く人によっては、ベートーヴェンのソナタはもっとすっきりとまとめた率直さが欲しいと感じるかもしれないが、それでもこのような演奏があることを良くないとは言わないと思う。
 さて、それでこの最後の3曲であるが、ここでは27番以降をまとめた前作と同様、詩学的というか、透明な静謐さを湛えた演奏であると思う。例えばソナタ第32番の終楽章の終結部近く、両手で高音の微細なグラデーションを長く奏でる箇所は、私にはどこか北海道の森閑たる大地に、静かに降り注ぐ雨が針葉樹の葉を伝って落ちていくシーンを思い浮かべた。人の介在しない静物画のようであり、それでいて絶え間なく響く自然な、世界に必要な音色である。
 ちょっと思い入れを書きすぎたかもしれないが、この静謐なロマン性は、シフがたどり着いたベートーヴェンの最後のソナタの神秘性や自然美に繋がっていると思う。また第31番の高貴な歌の旋律の扱いも強く印象に残った。全集の完成を静かに祝いたい気持ちになる一枚。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: アシュケナージ

レビュー日:2009.6.28
再レビュー日:2019.2.1
★★★★★ これこそ、ベートーヴェンの最後の3つのソナタであると確信する
 アシュケナージが90年代にデッカレーベルへ録音したものには、なぜか廃盤になっているものが多い。この1991年録音のベートーヴェンの後期の3つのソナタ(第30番、第31番、第32番)もそうだ。これはおそらくアシュケナージが70年代から80年代に完成した全集が現役盤として何度も再版されているため、出版側がコスト削減のため他の録音の再版を割愛したためと感じられる。しかし、それはもったいない!いや、「もったいない」では済まない。なぜなら、私はこの3つのピアノ・ソナタの録音は、古今を代表する名録音であるからと確信しているからである。
 ベートーヴェンの最後の3つのピアノ・ソナタは言うまでもなく名曲中の名曲だ。名曲は名演を生む。私も随分多くの録音を聴いてきた。バックハウス、ポリーニ、ブレンデル、チアーニ、ケンプ、グールド、コヴァセヴィッチ、ヴェデルニコフ、シフ・・・・。いずれも素晴らしかった。しかし最終的に私はこの1991年録音のアシュケナージ盤を選ぶ。それは美しいピアノの音色が、晩年のベートーヴェンがたどり着いた滾々たる深遠な歌の湧水を、汲みつくしていると感じられるからである。
 全編を通して響き渡るクリスタルなタッチは、様々な音楽的な感情を昇華させ、マイナスイオンを発生する森林に注ぐ夏の木漏れ日のような清冽さと暖かさを併せ持った雰囲気を導く。また、第32番のダイナミックな箇所では、シンフォニックな和音が支える音楽の構造線、そして生命力に満ちた躍動感も溢れる。なんという音楽の喜び!これこそ、ベートーヴェンの最後の3つのソナタであると確信する。
★★★★★ ついに、だが当然の「再発売」。むしろ遅過ぎる。けど歓迎!
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1991年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の最後の3つのピアノ・ソナタがやっと再発売された。
 そう、「やっと」である。私は、この1991年録音のアルバムを購入し、長いこと聴いてきた。その輸入盤は現在まで当サイトで取り扱いがあったとはいえ、実質的に廃盤の状態が継続していた。それは、あまりにも不幸かつ不遇な事象である。
 アシュケナージは70年代から80年代にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を完成している。そちらが現役版としてつねに流通してきた事情もあったとは思うが、私は、当盤に収録されている最後の3つのピアノ・ソナタに関しては、この91年録音のものがさらに優れた演奏であると考える。私は、上記の輸入盤に2009年6月28日付けでレビューを書いている。そこに「私はこの3つのピアノ・ソナタの録音は、古今を代表する名録音であるからと確信しているからである。」とある。それから10年が経過したわけだが、私の気持ちはまったく変わっていない。だからこそ、当国内盤の再発売を、私は祝うのである。
 私がことのほかこの録音を愛するのは、アシュケナージの繰り出す美しい音色、それはただ美しいというだけでなく、自然でぬくもりがあり、寂寥とか叙情といった情緒に作用するものがある音色が、これらの晩年のベートーヴェンの思索的であり、しかし、新しいものへの変わりつつある内省的な変化を描くのに、またとない効果を発揮していると考えるからである。
 また、音色が美しく、込められたものが深いと言うだけでなく、一つの楽曲を俯瞰したテンポやフレーズの扱いが秀逸で、音楽的な齟齬がまったく感じられないという点でも見事。構成的な美しさと、叙情的な美しさのバランスが、芸術的に高い次元で保たれている演奏なのだ。そんなアシュケナージの奏でる3つのソナタは、四季の移り変わりや輪廻転生を思わせる巡回的な生命力を感じさせる。
 第30番の終楽章の透明な歌、第32番の第2楽章の終結部付近の清冽な情感が特に印象深い。ことに第32番は、ベートーヴェンが32のソナタを経てめぐった長い旅路が終着駅にたどり着くような美しい情緒が満ちている。そして、そこからは、新しい道が続いている。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: コロリオフ

レビュー日:2015.3.24
★★★★★ 適度な柔和さをも備えたコロリオフの解釈
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集、第2弾。2014年の録音。今回の収録曲は以下の3曲。
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 コロリオフは2012年にソナタ第28番と第29番を録音していたので、本盤により、ベートーヴェンの後期の名曲5曲の録音がそろったことになる。
 コロリオフの名は、日本では優れたバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の弾き手としてある程度知られていると思うが、バッハ以外にもいろいろと優れた録音がある。前述のベートーヴェンの2曲を収めたアルバムも素晴らしい内容だったし、もっと話題にのぼっても良かったのではないかと感じていた。
 このたびは引き続いての3曲であるが、やはり見事な出来栄えだ。前回の第28番と第29番は、明瞭に声部を描き出した、それこそ彼の弾くバッハの解釈を彷彿とさせる内容だったのに比べて、今回の3曲は、基本的スタイルは同様であるが、よりマイルドな幅をもった弾力を感じさせる仕上がりだ。
 第30番の冒頭、左右の両手によって交互に紡がれていくフレーズは、溢れ出すような情感を持って清冽に響き渡っている。ベートーヴェンの音楽には、しばしば光を感じさせるシーンがあるが、コロリオフの弾くこの個所も、私は輝かしい光の世界を思わせる。第2楽章は豊かな彫像性を保ちながらも、角ばりすぎることのない響きで、満ち足りたもの。雄大な第3楽章も、技術と感性の高度な融合を感じる表現。安定した進行の中で、すべてが合理的に解決していく気持ちよさに満ちている。
 私がこのアルバムでいちばん感心したのは次の第31番、それも特に第2楽章である。後期のベートーヴェンの創造によって、全編が歌の要素から構成され、しかし第3楽章では古典的なフーガのベースを用いるという、独創的な音楽の中で、間奏曲ふうの楽章であるが、コロリオフは壮麗な和音の絶対的な美しさと、2つの声部の明瞭な対比を合わせて、充実感に溢れた荘厳な音楽を築き上げていて、大きな感動を呼び覚ましてくれる。
 第32番は、特に第2楽章など、いよいよ自由を謳歌する音楽であるが、コロリオフは一本線を引いたような厳格な真面目さを保ちながらも、明晰で、適度に柔和な音楽的ニュアンスを引き出した。
 確かに後期3大ソナタには、古今名演奏名録音が目白押しではあるのだが、このコロリオフの演奏も、十分にそこに加えられる資質をもったものだと思う。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: コルスティック

レビュー日:2018.7.24
★★★★☆ ダイナミックレンジとテンポの幅を大きく取って、常に響きの透明さが維持されたベートーヴェン
 ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の後期ピアノ・ソナタ集。収録曲は以下の3曲。
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 1997年の録音。
 コルスティックは、ドイツを中心に、ベートーヴェンの演奏で高い評価を得ている。現在では、彼が弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタは、すでに全集となっているが、その中でいちばん最初に録音されたのが当盤ということになる。コルスティックは最初のコンサートでもベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタを弾いたそうだから、自信をもって臨める作品であり、また自身にとって特に大切な作品なのかもしれない。
 ただ、私がこの演奏を聴いたとき、何か奏者の楽曲に対する特別な思いのようなものが伝わるものだったか、と言うと、(これはもちろん私の感受性の問題かもしれないが)そうではなかった。むしろ、この演奏は、楽曲をいかにクリアに明晰に扱うか、そのためにどこまでのダイナミックレンジを設け、どのようなテンポ変化で推移させるか、といった実験的な雰囲気があちこちに感じられた。
 それは、この演奏が面白くないとか無味乾燥だというのとは違う。コルスティックのピアノは、とても響きがまっすぐで、ダイナミックレンジも広い。そして力強い音は芯まで届けとばかりの力強さを伴っている。ただ、その強い響きは、熱的なものというより、クールさに裏打ちされた力強さに感じられる。だから、強く、早いパッセージであっても、彼のベートーヴェンは熱狂的とは一線を画した透明なトーンを維持する。
 これは確かに面白い。31番など、そのこまやかに分かれた楽想の一つ一つが、しっかりと完結するような趣がある。ダイナミックレンジだけでなく、テンポの対比感も大きく、例えば第32番の第2楽章は、ぐっと落としたテンポで進められる。これもじっくり歌い上げているというより、この音楽の意図を突き詰める場合、このテンポが必要なのだ、というどこか解析的なイメージがある。逆にその対比感の大きさが、聴いていて、どこか流れが区切れるようなイメージもあるのだけれど、当然のことながら、それも計算のうちなのだろう。
 コルスティックによるベートーヴェンの後期の3曲のソナタを聴いて、正直な私の感想を申し上げると、名演とは感じない、けれど面白い、といったところか。このたび、彼の全集が廉価だったこともあり、購入したので、他のソナタも聴き進めてみたいと思う。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: タロー

レビュー日:2018.11.15
★★★☆☆ 明晰で清々しいアプローチですが、いろいろ物足りなさを感じてしまう
 実力、人気ともに兼ね備えるアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud 1968-)初のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)アルバムで、以下の3曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 2018年録音。また2018年初版リリースにあたる当WARNER ERATO 9029563382版にはDVDが付されていて、その内容は廃墟(ふうのセット)の中に設置してあるグランドピアノで、タローが同内容の3曲を弾くという演出込みの演奏風景が収録されている。
 私は、タローの録音をいろいろ聴いてきて、その中でも特に「エリック・サティ、最後から2番目の思想;2008年録音」「屋根の上の牛(スウィンギング・パリ);2012年録音」「バルバラ;2016-17年録音」といった、彼の芸術家としてのスタンスに相応しいアルバムがいずれも最高に面白く、長く楽しませていただいている。
 そして、このたびのベートーヴェンの登場となった。クラシック・ピアニストであるタローが、ベートーヴェンに取り組むことは、もちろん相応の内的必然があってのことだろう。それで、私も興味を持って当盤を聴くことになった。
 結果は、ちょっと難しい。少なくとも私にはこのベートーヴェンが、名演あるいは名盤であるという風には聴こえない。CD,DVDの双方で複数回聴かせていただいたのだけれど、全体の印象を一言で言うなら、かなりそっけない感じのベートーヴェンである。
 第30番は冒頭から、明晰かつ軽やかなタッチで開始される。障害なくするすると進んでいき、明るい風合いの中でサラリと終わる。第2楽章も実に軽やかで、強い音を鳴らし切らずに簡潔に進み、そして終わる。第3楽章の変奏は、さすがに対比感をもって奏でられる。力強い変奏曲では、それにふさわしい膂力をもって弾かれるが、あえてエモーショナルなものを抑制した弾きぶりは変わらず、その結果として、爽やかで清々しい音に満ちた響きが堪能できる一方で、この楽曲が持つ思索的な詩情は薄い。
 収録されている3曲の中では第31番が良く感じられる。スタイルは基本的に共通しているのだが、、例の「嘆きの歌」の主題に独特の重みが配されていて、静謐と強靭の陰影がくっきりとあって、そのことが一つの演奏概念としてよく効いている。和音の壮麗な連打のクレシェンドも強靭で、たっぷり踏み込んだペダルの効果も凛々しい。ただ、それでも、どこか即物的といいたいクールさが、あちこちで隙間風のように差しており、それを含めて、タローの後期ベートーヴェンの解釈として受け取ることになる。
 第32番も、冒頭からくっきりした明晰かつ軽やかな弾きぶり。どこかラテンの響きと形容したくなる輝かしさがあり、爽やかで気持ち良いが、楽想との間のギャップを私は感じてしまう。全般にきれいにまとまっていて、鮮やかな手腕で流れて終わるのだが、それにしても、この楽曲の第2楽章で私がしばしば感じる「長い旅とその終り」のような詩情は、驚くほどさっぱり洗い流されてしまっていて、秋晴れの爽やかな風の中で、静かに全曲は閉じていく。もちろん、それはそれで美しいのだが、どこか大切なことを言い終わる前におわってしまったような印象の薄さもぬぐえない。
 当然のことながら私の感想という範囲ではあるが、今後、これらの3曲を聴こうと思ったとき、当盤に手が伸びることは、あまりないように思う。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: オズボーン

レビュー日:2019.4.26
★★★★★ 楽曲の「古典性」に立脚した、膂力に満ちた魅力的解釈
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ集。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 2018年の録音。
 オズボーンのベートーヴェンでは、2015年録音の第29番ほかを収録したアルバムの印象がとても強い。私は当該レビューで、“この演奏全体を通して、その感想を一言で表現するなら、「演奏者が楽曲を支配したもの」と言ったところ。”といったコメントを記した。このたびは、それに続いて最後期の3つのソナタを収録したアルバム。
 果たして、今回の内容も見事なものである。その特徴を述べるなら、楽曲の持つ「古典性」にスポットライトを当てた演奏と言えるだろう。
 ベートーヴェンのピアノ・ソナタを手掛ける場合、よくコンクール出身の若手ピアニストは、後期のソナタから取り掛かる。それは、コンクールで技巧を披露する楽曲には、ロマン派や近代のものが多く、そのようなレパートリーを重点的に弾いてきたピアニストにとって、ベートーヴェンのソナタでは、ロマン派への布石としての要素が強い、後期のソナタが、アプローチしやすいのだろう。実際のところは、他にもいろいろあるだろうけれど、私は概してそう思っている。
 ところが、オズボーンのアプローチは、強固な古典性に基づいたものだ。もちろん、オズボーンはベテラン・ピアニストだから、いまさら上記のロジックを蒸し返して不思議がる道理はない。面白いのは、多くのピアニストが、ロマン性を引き出そうという楽曲に、あえて古典の構築性を主軸にした解釈をもたらした点にある。
 この点に関して、私はまた一つ思い出す録音がある。アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)のアルバムで、ピアノ・ソナタ第31番を、バッハのクラヴィーア楽曲ふうの組曲に見立てた解釈があった。当オズボーン盤は、それをさらに強靭な意志力で押し進めたものと言える。
 例えば第30番で言えば、第2楽章の明瞭な音を駆使したインテンポの速攻スタイルで描いた引き締まったフォルム、それに続く第3楽章の変奏における声部の厳密で均等な扱い、第5変奏の明瞭化されたフーガから、最後の第6変奏におけるトリルの厳密な均質性。加えて、オズボーンの演奏には、単に古典的な構築性を明瞭にしたというだけではなく、厳粛な空気を感じさせる。第30番の終楽章、静寂から始まる厳かさ、それに末尾に向けて明瞭になるトリルの方格性と等質性。それらが、ゴシック建築を思わせる厳格な雰囲気をもたらしている。
 第31番では終楽章の構築的美観がいちばんの聴きどころ。ここでもバッハを思わせるような、宗教的と形容するのが正しいかわからないが、敬虔な厳かさをベースとした緊密な音が形成されていて、私は感動する。フーガが始まるとき、「再生」という名詞を私はイメージした。一度途絶えたものが息を吹き返す。その連続的な脈絡が美しい。一方で、第2楽章で見える瀟洒な雰囲気は、世俗との交錯を感じさせ、それもバッハを彷彿とさせるところだ。
 第32番の第1楽章でも筋肉質な推進性が支配する。一気果敢に聴こえるが、その中にふと情緒的なものを織り交ぜる手腕も心憎い。第2楽章では厳かな開始から、鮮烈な中間部を経て、末尾に向かうが、技巧をいかんなく発揮した音楽効果、一つ一つのアクセントの正確さと、そこに潜ませる小さなルバートの巧みさが見事。
 オズボーンのこの演奏、最初聴いたときは、他の録音との違いにややびっくりさせられるところもあるだろう。正直言うと、私も最初は、ところどころ音の強さが気になったが、この解釈を聞くうちに、その必然性が腑に落ちたように感じた。その瞬間、浮かび上がってくるものの豊かさは感動的だった。後期の3つのソナタを収録したアルバムとして、外せない名盤が誕生したと思う。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: ポリーニ

レビュー日:2020.4.1
★★★★★ 40年を越えてポリーニが再び録音したベートーヴェンの最後の3つのソナタ
 ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)による以下のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の3つの最後のソナタを収録したアルバム。
1) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
2) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
3) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
 2019年録音。
 このアイテムに興味を持つ人の多くは、ポリーニが録音活動の最初期である1975~77年に、これらの作品を一度録音していることはご存知だと思う。それから、40年を越えて再録音が行われたことになる。
 旧録音は、長く名録音として君臨しているもので、当時ポリーニが示した堅牢な彫像性、メカニカルな卓越を背景とした等価性は、普遍的な価値を聴き手の心象としてもたらした。その一方で、私は、それらの録音に一種の冷たさを感じ、感心はしたけれど、そこまで繰り返し聴くようなことはなかった。
 そんなポリーニが40年を経て、どのような後期ベートーヴェンを奏でるようになったのか、それはなかなか興味深いことである。
 聴き終わって、率直な印象は、「ずいぶん違う」というもの。誤解のないように書いておくが、ポリーニの中で変わらないものももちろんある。立体的な音像、逞しい強音、そして、基本的に間を詰め気味の演奏スタンスはあいかわらずだと思う。その一方で、当録音からは、テンポの変動がもたらす豊かさや、巧妙なルバートによる暖かい肌合いが感じられる。情緒的な演奏とまでは言えないが、芸術表現として、より人間的な深みを感じるようになったと言えるだろうか。
 基本的にテンポは早目主体の設定である。そこに感情的なアヤが深まったため、第32番の第1楽章など、熱を感じる激しさに満ちている。その一方で第31番の終楽章の歌には、どこかいままでの足跡を思い起こすような、ためらいがあって、これがいまのポリーニの芸術なのだろうと感じる。
 技術的な完成度という点では、旧録音の方が上なのは、奏者の年齢を考えれば、自然なことなのであろう。しかし、細かい齟齬を巧みに吸収し、音楽表現の中で消化できる音楽性はさすがで、私はとても満ち足りた気持ちで当盤を聴くことが出来た。また、ところどころで、高音を、その音の美しさを追及するように心を込めたタッチで鳴らすところにも、気持ちを動かされた。
 当録音の欠点としては、しばしば奏者の歌声か唸り声のようなものが、気になるレベルで入ってしまうところだが、私はこの録音をおおむね気に入っている。少なくとも、私にはベートーヴェンのこれらのソナタに関しては、旧録音より、当盤の方が、ふさわしい演奏に思える。

ピアノ・ソナタ 第30番 第31番 第32番
p: リル

レビュー日:2020.7.23
★★★★☆  イギリスの名手、ジョン・リルによるベートーヴェン 第10集
 1970年のチャイコフスキー国際コンクールで第1位となったイギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1975~80年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集の第10巻。
 当巻には以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
2) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109
3) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
 リルによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の末尾を飾る1枚であり、一般的に組み合わせられることが多い第30番~第32番の3曲が収録されているのだが、なぜか第32番を冒頭に、第31番を末尾にという順番で収められている。その意図はよくわからないが、当巻では、私は「第31番が名演だ」と感じたので、その名演奏で全体が閉じることは、聴き味が良い。だから、当盤に関しては、このような順番で収録されていることに、私は賛成である。
 第31番は名演と書いたが、他の2曲も含めて感想を記そう。
 ソナタ第32番は、冒頭からゆっくりしたテンポで、裾野の広がった表現が特徴だろう。衝撃的な冒頭が終わって、低音から展開部のフレーズがたちあがってくるのだが、その低音のジワジワした遅さと重さは、リルのベートーヴェンの特徴の一つだろう。疾風のような第1楽章の展開部は、ダイナミックレンジが広く劇的だ。第1楽章はなかなか良いのだが、第2楽章は悩ましい。とにかくスローなテンポでゆっくりと歩みを進めていて、一つ一つの音は情感がこもっているのだけれど、全体を通してみると、私には間延びが感ぜられる。リルは、スローなテンポ設定をしばしば用いるが、楽曲によっては巧みに構成感の中で吸収させ、自然ななめらかさを確保しているのだけれど、この楽曲に関しては、消化不良な部分が残っていると思う。結果的に、最終的に得られる感動も、やや気配が薄い。
 ソナタ第30番は、第1楽章から、ニュアンスの陰影のある表現が好ましく、情緒の彩によって楽曲の雰囲気が深みを増している。第2楽章は強靭な音色を使いながらも、決して感情に任せただけではない“綿密な設計感”があり、表現のバランスが保たれている。終楽章は抑えたテンポで濃厚な抑揚をもって奏でられる。
 ソナタ第31番は、リルの全集中でも白眉と形容したい演奏で、この楽曲が持つ「歌」の気配が、リルのピアノによって、感情豊かに表現される様が美しい。左手の和音が伴奏を担うシーンで、少しブレーキをかけ気味に、特有の“間”をとりながらフレーズを扱い、全体として感じ取ることのできる情感が豊かに膨れ上がるところなど見事だ。終結に向けての奏者の洞察とコントロールも素晴らしいと思う。一瞬の間断もなく、全曲を存分にかみしめて、豊穣な帰結を迎える。このような音楽を聴けることは、幸せなことである。

ピアノ・ソナタ 第31番 第32番 6つのバガテル
p: スドビン

レビュー日:2019.1.31
★★★★☆ 「6つのバガテル」の輝かしくしなやかな表現が印象的
 エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)による初のベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ独奏曲録音で、「後期ピアノ作品集」として以下の楽曲が収録された。
1) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
2) ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
3) 6つのバガテル op.126
 2曲のソナタは2016年、6つのバガテルは2014年の録音。
 ベートーヴェン作品へのキャリアの少ないピアニストが、ベートーヴェンの後期のソナタを足掛かりに録音を開始するのはよくあることであるが、当アルバムでは、通常ソナタ第31番、第32番と組み合わされることの多い第30番の代わりに、6つのバガテルが収録されている。
 6つのバガデルは、ベートーヴェンがその生涯の最後に書いたピアノ独奏曲のための作品であり、第9交響曲の完成ののちに手掛けた唯一のピアノ独奏曲でもある。そういった意味で、当アルバムは、通常の最後の3つのピアノ・ソナタの組み合わせ以上に、ベートーヴェンの最晩年の活動に焦点を合わせた内容と言える。
 スドビンは6つのバガデルについて、「この小さな形式のピアノ独奏曲として最高度の習熟に達した作品」であり、「様々なアイデアが盛り込まれていて、あらゆるピアニストにとって挑戦しがいのあるもの」と述べている。そして、当アルバムを通して聴いた感想としては、このバガデルが特に印象的だ。
 スドビンは滑らかにピアノのフレーズを紡ぎだし、ポリフォニーの要素を引き出しながら、鞭のしなりを思わせる俊敏さで力点をすみやかに形成する。その所作は、特に第2曲や第4曲で顕著なのだが、そのしなやかな動感と、輝かしいタッチ、糸を引くようなフレーズが組み合わさり、溢れるような生命力が表現されている。それは、ベートーヴェン最後のというより、これから花開くロマン派時代の力強い息吹きのように感じられ、感慨が大きい。
 2つのソナタもスドビンの輝かしいタッチで美しく、ことに運動的な場面、例えば第31番の第2楽章の遊戯性を備えたリズムが鮮やかだ。スドビンは、これらのベートーヴェンの後期のソナタにおける叡智、寛容、ユーモアの要素を追及する演奏を試みたとのこと。ベートーヴェンの新規さや野心が伝わってくる演奏である。
 ただ、このスドビンの演奏の場合、もう一方でこれらのソナタから感じられる思索的、詩的な要素は、控えられているように感じられる。第31番の嘆きの歌でも、第32番の第2楽章の前半の歩みでも、これらの音楽ならではの「もう一つ深いところにあるもの」が、いま一つ伝わってこないようにも感ぜられる。なかなか言葉で説明するのが難しく、スドビンの演奏自体はまとまった美しいものではあるのだけれど、まだ何か足りないような気持が残る。それは私の感性が足りないためなのかもしれないが、私が名演と思う他のいくつかの録音に比べて、当演奏とそれらの間には、まだ一枚壁が残っているように感ぜられた。
 とはいえ、スドビンの積極的なアプローチで、力感豊かに描かれた後期の作品群は、相応の音楽の喜びを感じさせてくれる。

ディアベッリの主題による33の変奏曲 アレグレットWoO.53 アレグレットHess.69 バガテルWoO.52 楽しく、悲しくWoO.54 弦楽四重奏曲断片(ディアベッリ編)
p: ムストネン

レビュー日:2005.4.16
★★★★★ ディアベッリの主題による33の変奏曲を面白く聴けてしまう
 当時ウィーンの出版商で、かつ作曲家でもあったディアベッリが自作のワルツの主題に基づいた変奏曲を多くの作曲家に依頼した。たいていの作曲家が簡単な作品を返答するなか、ベートーヴェンは33の変奏をもつ壮大な作品を書いた。ベートーヴェンは当初この「あまりおもしろくない主題」に基づく仕事にあまり乗り気でなかったという。しかし、一旦手をつけると、32のソナタの作曲を経た晩年のベートーヴェンが、ソナタで出来なかった表現を次々とした追及した、大構想作品となってしまった。特に後半は完全にベートーヴェンの世界になっている。
 私がこの作品を面白いと思ったのは、このムストネン盤を聴いてからだ。音楽を細分化し、個々のフラグメントの陰影をくっきり際立たせ、独特の流動感と跳躍感に満ちており、最後まで鮮やかな世界像を失わない。とにかく聴いていて楽しい快演となっている。
 カップリングされた2~3分程度の5つの小曲も、聴く機会のほとんどない曲ばかりで、貴重である。

ディアベッリの主題による33の変奏曲 ヴラニツキーのバレエ「森の乙女」のロシア舞曲の主題による12の変奏曲
p: アシュケナージ

レビュー日:2007.4.28
再レビュー日:2015.2.24
★★★★★ 70歳になるアシュケナージの至高の音楽でしょう!
 CDのタスキに「アシュケナージ70歳記念」と書いてあるのを見て、ちょっと感慨にふけってしまった。コンクール型ピアニストの草分けとして縦横に活躍した彼も、いつのまにか佳境ともいえる年齢に到達したようだ。私の場合、この音楽家の存在により、クラシック音楽の深い森に分け入ったのであり、振り返ると里程標のようにアシュケナージの思い出深い録音が並んでいるように思える。
 さて、本盤であるが、一言でいってただ「素晴らしい」の一語に尽きる。アシュケナージは指揮活動に力を入れるようになってから、以前のようなピアニストとしてのエネルギッシュな録音活動は控えるようになったが、それでも一つ一つ熟考されたきわめて趣の深い録音活動をするようになったように感じる。例えば近年の後期ショパンのアルバム、バッハの平均律、ショスタコーヴィチやラフマニノフなど。このディアベッリ変奏曲も間違いなくその珠玉の系列に連なるものだ。
 適度に肉付きのある豊かな、それでいて濁りのない音色が常に新鮮な音楽を供給し続ける。一つ一つの変奏曲がとたんに鮮やかな色彩を帯び脈打つような生命感を宿し、聴き手の呼吸と脈に応じるかのように自然な動感に溢れる。テンポは至極妥当なもので、その中で入念な表情付けが繰り返され、変奏をひとつ重ねるごとに晩年のベートーヴェンの深い思索の泉に誘っていく様である。気がつくといつのまにか音楽の聖域に深く足取りを進めているのである・・・
 ともあれ、まずは一聴することをオススメしたいが、一箇所、その雰囲気が如実に現れているところ挙げるとするなら、第14変奏であろうか。この豊かな起伏と豊かな音色は何にも代え難い陶酔感をかもし出している。
★★★★★ これこそ名人の奏でるピアノ、アシュケナージのディアベッリ変奏曲
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による2006年録音のアルバム。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の以下の2曲を収録。
1) ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調 op.120
2) ヴラニツキーのバレエ「森の乙女」のロシア舞曲の主題による12の変奏曲 イ長調 WoO.71
 クラシック音楽を長年聴いていると、時々「節目」を感じる録音に接するが、私にとって、この録音もその一つ。若いころ、アシュケナージの録音に接して、クラシック音楽が大好きになり、以後、彼の録音を中心に、あちこち聴く対象を増やしてきた。当アルバムの国内盤が発売されたとき、CDのタスキに「アシュケナージ70歳記念」と書いてあるのをみて、一気に歳月の流れを感じた。また、ベートーヴェンのソナタ全集を早くに完成していたアシュケナージにとっても、残されたベートーヴェンの偉大な独奏曲を録音することは、一つ感慨深いものだったのではないだろうか。
 とそのように思うのだけれど、当盤に聴くアシュケナージの演奏は、特段畏まったようなものではなく、いつものように純音楽の見地から、十分な音楽的教養を背景とし、かつ美しく充実したものである。
 ディアベッリ変奏曲の音楽史上における価値や、その独自性については、様々に語られているし、マーティン・クーパー(Martin Cooper 1928-)やアルフォンソ・コンタルスキー(Alfons Kontarsky 1932-2010)、それにアンドレ・ブクレシュリエフ(Andre Boucourechliev 1925-1997)など色々な解説もあるが、アシュケナージの演奏は力感と巧妙な速力によって、この音楽の構造を鮮やかに展開している。各変奏の意味づけが明瞭で、しなやかな膂力に満ち、生き生きとした輝きに溢れているのだ。そのため、この音楽の「真面目さ」と、表裏にある「ユーモア」が、とてもウィットな感興を伴って、聴き手に届けられる。
 適度に肉付きのある豊かな、それでいて濁りのない音色が常に新鮮な音楽を供給し続ける。一つ一つの変奏曲がとたんに鮮やかな色彩を帯び脈打つような生命感を宿し、聴き手の呼吸と脈に応じるかのように自然な動感に溢れる。テンポは至極妥当なもので、その中で入念な表情付けが繰り返され、変奏をひとつ重ねるごとに晩年のベートーヴェンの深い思索の泉に誘っていく様である。気がつくといつのまにか音楽の聖域に深く足取りを進めているのである・・・
 他方で、全般に明朗な弾き振りであるため、第24変奏など、影の要素がもっと欲しいという人もいるかもしれない。しかし、私はこれこそアシュケナージのベートーヴェンである、と確信する。
 一箇所、その雰囲気が如実に現れているところ挙げるとするなら、第14変奏であろうか。この豊かな起伏と豊かな音色は何にも代え難い陶酔感をかもし出している。
 また、併せて収録されたヴラニツキー(Pavel Vranicky 1756-1808)の主題を用いた若き日のベートーヴェンの佳作も、アシュケナージのタッチで、魅力あふれる響きに仕上がっている。

ディアベッリの主題による33の変奏曲
p: ロマノフスキー

レビュー日:2012.5.16
★★★★★ ウクライナの新鋭、ロマノフスキーが奏でる圧巻のディアベッリ変奏曲
 ウクライナのピアニスト、アレクサンダー・ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のディアベッリの主題による変奏曲。2010年の録音。  ロマノフスキーは、2001年イタリアのボルツァーノ(Bolzano)で開催されたブゾーニ国際ピアノ・コンクールで優勝、さらに2011年のチャイコフスキー・コンクールでは第4位入賞を果たした注目すべきピアニスト。私は、WARNERレーベルから出ていたこのピアニストのグラズノフのピアノ協奏曲に大変感心し、この録音も興味深く聴かせていただいたのだが、これまた鮮烈なピアニズムが炸裂した実に気持ちの良い録音だ。
 さて、ディアベッリ変奏曲についてまずちょっと書こう。音楽学者、マーティン・クーパー(Martin Cooper)は自著「ベートーヴェン、最後の10年 1817-1827」の中でこう書いている。「ほとんど同じものがない多彩な処理は、ベートーヴェンが研磨してきた鍵盤奏法の集積といえる様で、作品自体がモニュメントと化している」。
 そもそもこの作品が生まれるきっかけを作った出版業者ディアベッリ(Anton Diabelli 1781-1858)の意図は、“自作のワルツのテーマから、当時の50人の作曲家にそれぞれ1曲の変奏曲を書いてもらい、それを繋いだ長大な変奏曲を出版する”ことだった。ところが、すでに32の偉大なソナタを完成していたベートーヴェン先生、50人のうちの1人として当該依頼を受けたものの、送られてきたディアベッリの「稚拙な主題」に失笑し、放っておいた。ところがしばらくして、ベートーヴェン先生、何を思ったか一人でこの主題に33もの変奏曲を連ねて勝手に「大変奏曲」を完成してしまった。さて、この変奏曲の「変奏ぶり」が凄まじい!当初の「ディアベッリの主題」は開始まもなく跡形もないほどに消し飛び、それ以後はまったく別世界の音楽へとひたすら突き進んで行く。思うに「稚拙な主題」という「お題」を、人類史を代表する芸術家が、(超本気モード)+(そこそこの遊び心)で「一大芸術品」に仕上げた、その迫力こそがこの作品の醍醐味だと思う。
 長くなったがロマノフスキーの演奏は、まさにそんなベートーヴェンの血気盛んな勢いを全面的に肯定し、情熱的に弾き切った爽快なもの。とにかく生気に溢れた音楽の闊達な様が素晴らしい。第21変奏のように、音が跳梁し飛躍するような箇所の爽快感たるや比類ないものだ。
 しかも、このピアニストの長所は若々しい躍動感だけではない。全曲を見通した安定した構成感があり、決して「弾き飛ばして」情感を損なうわけでもない。明快なテンポは、十分な音楽的考察から導かれていると感じられるし、輝かしいフォルテの音の美観を最強の武器に、聴き手に高揚感と充実感の双方を与えてくれる。稀有なピアニズムを示していると言えるだろう。ディアベッリ変奏曲の数ある名録音に加わるだけでなく、今後の活躍に一層の注目を払いたいピアニストの筆頭にロマノフスキーの名を挙げたくなる一枚。

ディアベッリの主題による33の変奏曲(2種) ピアノ・ソナタ 第32番 6つのバガテル
p: シフ

レビュー日:2013.10.15
★★★★☆ なぜ、ベーゼンドルファーでも弾かなかったのか?
 ハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff 1953-)は2004年から07年にかけて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ・ソナタ全集を録音した。その際、シフが弾いていたピアノはベーゼンドルファアーで、現代ピアノの特徴を活かした、瑞々しい、陰影のくっきりした見事な全集となった。
 それからしばらく経て、2012年録音の当アルバムがリリースされたわけであるが、これがまた不思議な内容である。CDは2枚組で下記の内容だ。
【CD1】 1921年製ベヒシュタイン・ピアノ使用
1) ピアノ・ソナタ 第32番ハ短調 op.111
2) ディアベッリの主題による33の変奏曲 op.120
【CD2】 ベートーヴェン・ハウスのフォルテピアノ(1820年頃製造)使用
3) ディアベッリの主題による33の変奏曲 op.120
4) 6つのバガテル op.126
 さきほど「不思議」と書いたのは、別の楽器を用いて「ディアベッリの主題による33の変奏曲」を2種も録音したにもかかわらず、シフ本来の愛器であり、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に用いたベーゼンドルファアーを用いた録音が存在しないことにある。
 ということは、本アルバムの主旨は、シフによるソナタの全集とは別に、「ベートーヴェンの最晩年のピアノ作品を、当時のピアノ、あるいは少し古いピアノの音で楽しんでみよう。ついでにディアベッリ変奏曲については、両方で弾いて、響きを比べてみよう」ということになる。
 さて、ピアノ・ソナタ第32番については、シフの2007年録音のベーゼンドルファー盤があるので、そちらと今回の1921年製ベヒシュタインの間で比較もできる。
 基本的に解釈は変わっていない。シフのアプローチは共通していて、それは当盤に収録された2つのディアベッリ変奏曲の間でもそうである。シフは、一つ一つのフレーズを明瞭に打ち出し、末尾のキレ味の鋭い音を用いて、フレーズの間隙をも明瞭に形成させる。くっきりした陰影を導きながら、音響をきれいに分け隔てていて、あえて不連続なところも設けている。
 しかし、やはりどうしても楽器の制約面が大きくのしかかった感がある。シフのこのようなアプローチは、ベーゼンドルファーのような豊かな音量のある楽器があることで、一層の効果を挙げていたのであるが、今回の録音では、特に高音の細さや軽さから、今一つ「冴え」を感じるところまで結びつかない。
 ソナタ第32番をあらためてじっくり聴き比べてみた。やはり2007年録音のベーゼンドルファーの方が、(少なくとも私には)はるかに魅力的に響く。
 私は、シフが2001年にベーゼンドルファーを弾いて録音したバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「ゴルドベルク変奏曲が大好きで、正直言って、ディアベッリ変奏曲を録音すると聞いたとき、ゴルドベルクのような豊饒な幸福感を連想し期待した。しかし、このディスクは、そもそもの指向が違ったようである。
 確かに美しい部分もあるし、ベートーヴェンの晩年の作品が書かれた当時、ピアノはどんな響きだったのか(とは言っても、この時代のベートーヴェンは、ほとんどその響きを聴きとるだけの聴力はなかったのだが・・)といった興味を満たすことは出来るのだが、私は、再度、「それでは、シフが、いつものようにベーゼンドルファーでディアベッリを弾いたら、どうなるの?」という問いかけの回答を求めたい。シフには、ぜひその録音を実現してほしい。

ベートーヴェン ディアベッリの主題による33の変奏曲   (以下「ディアベッリのワルツ主題に基づく50の変奏」より) ディアベルリ テーマ  ツェルニー 変奏IV  フンメル 変奏XVI  カルクブレンナー 変奏XVIII  ケルツコフスキー 変奏XX  クロイツァー 変奏XXI  リスト 変奏XXVI  モシェレス 変奏XXVI  ヨハン・ペーター・ピクシス 変奏XXXI  F.X.W.モーツァルト 変奏XXVIII  シューベルト 変奏XXXVIII 
fp: シュタイアー

レビュー日:2014.7.23
★★★★★ 楽しく聴いて一言・・「ベートーヴェンは神だ!」
 アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier 1955-)のフォルテピアノによる、たいへん面白いベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ディアベッリの主題による33の変奏曲」を中心としたアルバム。2010年録音。
 はじめに、本アルバムの構成を理解するため、この楽曲の背景について書かせていただきたい。音楽学者、マーティン・クーパー(Martin Cooper)は自著「ベートーヴェン、最後の10年 1817-1827」の中でこう書いている。「ほとんど同じものがない多彩な処理は、ベートーヴェンが研磨してきた鍵盤奏法の集積といえる様で、作品自体がモニュメントと化している」。
 そもそもこの作品が生まれるきっかけを作った出版業者ディアベルリ(Anton Diabelli 1781-1858)の意図は、“自作のワルツのテーマから、当時の50人の作曲家にそれぞれ1曲の変奏曲を書いてもらい、それを繋いだ長大な変奏曲を出版する”ことだった。ところが、すでに32の偉大なソナタを完成していたベートーヴェン先生、50人のうちの1人として当該依頼を受けたものの、送られてきたディアベルリの「稚拙な主題」に失笑し、放っておいた。ところがしばらくして、ベートーヴェン先生、何を思ったか一人でこの主題に33もの変奏曲を連ねて勝手に「大変奏曲」を完成してしまった。さて、この変奏曲の「変奏ぶり」が凄まじい!当初の「ディアベルリの主題」は開始まもなく跡形もないほどに消し飛び、それ以後はまったく別世界の音楽へとひたすら突き進んで行く。思うに「稚拙な主題」という「お題」を、人類史を代表する芸術家が、(超本気モード)+(そこそこの遊び心)で「一大芸術品」に仕上げた、その迫力こそがこの作品の醍醐味だろう。
 さて、それで本アルバム。このベートーヴェン大先生の大曲とともに、50人の作曲家のうち10人をチョイスし、彼らの宿題の結果をまず示します。そして、そこから「ベートーヴェンへのつなぎ」として、シュタイアー自ら作曲した3分超の「イントロダクション」というパーツを挟んで、いよいよベートーヴェン先生の巨大なモニュメントへと進んで行くのです。内容の詳細は以下の通り。
1. 50人の作曲家による「ディアベッリのワルツ主題に基づく50の変奏」より
1) ディアベッリ(Anton Diabelli 1781-1858) 主題
2) ツェルニー(Carl Czerny 1791-1857) 第4変奏
3) フンメル(Johan Nepomuk Hummel 1778-1837) 第16変奏
4) カルクブレンナー(Friedrich Kalkbrenner 1785-1849) 第18変奏
5) ケルツコフスキー(Joseph Kerzkowsky 1791-1850頃) 第20変奏
6) クロイツァー(Conradin Kreutzer 1780-1849) 第21変奏
7) リスト(Franz Liszt 1811-1886) 第24変奏
8) モシェレス(Ignaz Moscheles 1794-1870)  第26変奏
9) ピクシス(Johann Peter Pixis 1788-1874) 第31変奏
10) F.X.モーツァルト(Franz Xaver Mozart 1791-1844) 第28変奏
11) シューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828) 第38変奏
2. シュタイアー イントロダクション
3. ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ディアベッリの主題による33の変奏曲
 これらを踏まえて、このアルバムの聴きどころは以下の3つと考える。(1) ベートーヴェン以外の10人の作曲家たちの成果を知る。(2) シュタイアーが使用したフォルテ・ピアノ(コンラート・グラーフモデル)の響きを楽しむ。(3) シュタイアーの「ディアベッリの主題による33の変奏曲」の解釈を楽しむ。
 (1)に関しては、とにかく楽しい。ディアベルリの用意した主題が変奏曲に非常に向いていたということもあるのだけれど、当時のこれだけの作曲家たち書いただけあって、どれも聴き応え十分。いずれも1分前後の作品だが、それだけに聴き易く、実に贅沢な聴き味。中にあって、強い個性を放っているのが、リストとシューベルトであるのはさすがで、リストのヴィルトゥオジティを満喫させた華麗な変奏、シューベルトの淡い哀しみを漂わせた変奏は、いずれも絶品といって良い。シュタイアーのイントロダクションもかなり工夫されていて、それまでの変奏曲たちにくらべて、長めの音符を用いながら、次第にベートーヴェンを彷彿とさせるフレーズを加えていき、間断なくベートーヴェンに突入するものになっている。また、ベートーヴェンがツェルニーの練習曲を風刺したとされる第24変奏と、ツェルニーの書いた変奏曲を一緒に聴けるのも楽しい。
 (2)については、フォルテピアノとはいっても、豊かな音色を響かせてくれて、聴き味はたいへん豊か。特にヤニチャーレン・ペダルを使用して、ドシャーンという音色のなる第23変奏、第24変奏など、一つの鍵盤楽器を越えた表現になっている。
 (3)について、シュタイアーは快活なテンポとアゴーギグで、この曲に潜む様々な情感を描き出していく。特にこの曲には「皮肉」「風刺」といったニュアンスが多く含まれる。ディアベッリの、きわめて古典的調整に基づいたワルツを様々に変容させ、新たな解釈、音楽理論を与えていく。主題は解体され、ワルツの形を失っていく様は、「これからの音楽はこっちに向かうんだ」という強靭なベートーヴェンの意志を感じるとともに、それに付いてこれない人々への強烈な風刺でもある。また第23変奏ではドン・ジョバンニの主題を交えるなど、主題を変奏させて、まったく別の作品が入り込んでくる様は、「変奏」という概念そのものへのアンチテーゼでもある。また、これらの変奏曲が、曲の中央を境に対象の構造(音の上下関係を逆に展開)を示しながら進むところは、巨視的な視点を加えた芸術の雄渾さを示していて、最初の稚拙な主題が、「立つ瀬もない」といったありさまとなる。
 シュタイアーはこれらの意図を、体感的な意味で、とてもわかりやすく表現している。リズム、音色だけでなく、低音域の対旋律までもくっきりと浮かび上がらせることで、そのような面白みを十全に伝えてくれるのだ。私は、この演奏を聴いていると、あっという間に1時間が経過してしまうのを経験する。なんと愉悦に満ちた時間!
 それにしても、ベートーヴェンの偉大さは他を圧倒している。この32の変奏曲に秘められた多彩な皮肉、風刺は、聴衆にも向けられている。そして、有無を言わさず屈服させられる自分がいる。そのことが快感なのだから仕方ない。そんなベートーヴェンの偉大さを、心底味わわせてくれるアルバムである。

ディアベッリの主題による33の変奏曲
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.20
★★★★☆ 生真面目なニコラーエワのディアベッリ変奏曲
 ソ連のピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ディアベッリの主題による33の変奏曲 op.120」。1979年、モスクワでスタジオ録音されたもの。
 ニコラーエワは、特にソ連国内では、バッハ、そしてショスタコーヴィチの第一人者としてそのステイタスを確立した人で、ショスタコーヴィチについては「24の前奏曲とフーガ」を初演し、かつ同曲集を3度も全曲録音しているし、バッハについても様々な録音があるのだが、ベートーヴェン録音は多くはなく、正規の録音となると、当盤が最初になるのではないだろうか。この後、1984年に、モスクワで行ったベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会の模様がライヴ収録されているのだが、当録音の時点では、ニコラーエワにとっては、「珍しいベートーヴェン録音」であったことになる。
 それでは、ニコラーエワが弾くベートーヴェンはどのような演奏か、というと、一言で言うと、とても真面目な演奏である。生真面目と言っても良い。音色はいつものこのピアニストらしい、強靭さのある響きで、明晰で、明るめの響きであるが、色彩感はさほどなく、むしろそれを制御するように、ある種の均質化を感じさせる。一つ一つをくっきりと鳴らそうという意図があるため、変奏曲によっては、テンポはややゆっくり目であり、ニコラーエワが弾くバッハと比較しても、インテンポの傾向が強い。一つ一つがじっくりとした弾きぶりであり、かつまぎれの無い着実さを感じさせる演奏である。
 この演奏、確かにベートーヴェンらしさを感じるのだが、その一方で、私の感覚で言えば、この楽曲にはもっと遊行心や、チャームな要素が欲しいところがある。私がこの曲で愛聴している録音は、ムストネン(Olli Mustonen 1967-)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、シュタイアー(Andreas Staier 1955-)、ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)といった人たちの録音で、彼らの演奏はそれぞれに個性的だが、共通して言えるのは、ウィットに富み、時に微笑みかけてくるような楽しさ、愉悦性があることである。それに比べると、このニコラーエワのディアベッリ変奏曲は、無表情とまでは言わないが、それに近い感触があり、そのため、聴いていて、楽曲に長さを感じてしまうところがある。例えば、第16変奏曲における弾きぶりに、私が「堅物すぎる」という印象を持ってしまう特徴が、はっきり出ていると思う。
 力強い響き、階層的な明瞭さに一定の魅力を感じるが、この曲の名演奏・名録音と言えるまでには、感じなかった。

ディアベッリの主題による33の変奏曲 大フーガ(ベートーヴェンによるop.133のピアノ4手編曲版) 11のバガテル 6つのバガテル
p: コロリオフ リュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァ

レビュー日:2017.12.12
★★★★★ ベートーヴェンの「最後から2番目の作品」
 エフゲニー・コロリオフ(Evgeny Koroliov 1949-)による「ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の後期ピアノ作品集」と題した2枚組のアルバム。コロリオフは2012年にソナタ第28番と第29番、2014年にソナタ第30番~第32番を録音しているので、それに引き続くものとなる。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1) 大フーガ 変ロ長調 op.134(ベートーヴェンによるop.133のピアノ4手編曲版)
11のバガテル op.119
 2) 第1曲 ト短調
 3) 第2曲 ハ長調
 4) 第3曲 ニ長調
 5) 第4曲 イ長調
 6) 第5曲 ハ短調
 7) 第6曲 ト長調
 8) 第7曲 ハ長調
 9) 第8曲 ハ長調
 10) 第9曲 イ短調
 11) 第10曲 イ長調
 12) 第11曲 変ロ長調
6つのバガテル op.126
 13) 第1曲 ト長調
 14) 第2曲 ト短調
 15) 第3曲 変ホ長調
 16) 第4曲 ロ短調
 17) 第5曲 ト長調
 18) 第6曲 変ホ長調
【CD2】
ディアベッリの主題による変奏曲 op.120
 2016年から17年にかけての録音。
 ベートーヴェンが最後に作品番号を与えた作品はop.135の弦楽四重奏曲第16番である。それより大きい作品番号を持つ作品もあるが、それらは、基本的に遺作として後年出版される際に便宜的に番号が付与されたものである。
 ベートーヴェンの最後の作品群は、第13番以降の弦楽四重奏曲となる。これらの楽曲が書かれたころ、いずれの楽曲も世間では「難解」「意味がわからない」と言われた。もちろん、現在ではこれらの作品はいずれも傑作として知られているが、その評価が固まるまでに相当な時間が必要だったのである。晩年のストラヴィンスキーは、ひたすらこれらの楽曲を聴き続け、「つねに現代的な作品」と述べたという。ベートーヴェンの芸術家としての感性が、常人よりはるかに先行していた証である。
 しかし、弦楽四重奏曲の、特に第13番の終楽章として書かれた巨大なフーガの作曲時の不評は甚だしく、ベートーヴェンはこの楽章ごと別に置換せざるを得なかった。そのため、この終楽章は、最終的に「大フーガ」の名で独立させ、op.133となることになる。世の不評など歯牙にもかけないベートーヴェン大先生は、この自作を気に入り、さらに4手のピアノ版のスコアを書いた。これがop.134で、ベートーヴェンの「最後から2番目の作品」ということになる。ここまで自信に満ち、自らの道を堂々と歩きつづけた偉人ベートーヴェンの足跡に、人は様々なことを思うだろう。
 ところで、この4手のピアノ版、録音機会はかなり少ないのであるが、当盤では、デュオ・コロリオフの名で活躍し、コロリオフの妻でもあるピアニスト、リュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァ(Ljupka Hadzigeorgieva)との連弾による見事な演奏を聴くことが出来る。当盤の最大の特徴と言って良い。原曲の大フーガは弦楽四重奏で演奏する場合、様々な合奏技術上の障壁が存在するが、奏者を2人に減じることによって、簡明さを感じさせる響きになっている点が興味深いが、その先駆的な和声とリズムの感覚、野趣性にみちた表現が、いずれも洗練された手法で再現されており、一聴以上の価値は十分にある。特に原曲を聴き馴染んだ人には、面白いに違いない。是非一聴されたし。
 11のバガデルのうち、前半の楽曲は、ベートーヴェン後期の作品ではないと考えられている。そうは言っても、かの天才の仕事にほかならず、バガデルという自由な形式でのびのびと書いた短い作品ならではの魅力が横溢している。コロリオフのアプローチはとにかく誠実なもので、ベートーヴェンの「遊び心」もきわめて真面目に音化している。そこに一種に真摯な気配が漂う。
 6のバガデルも同様で、こちらは緩急の対比が、「ディアベッリの主題による変奏曲」を彷彿とさせる。コロリオフのピアノは明晰さとほどよい柔らか味を併せ持っており、各曲が滋味豊かに響くのがうれしい。
 大曲「ディアベッリの主題による変奏曲」は、正々堂々たるまっすぐな演奏で、時としてまじめすぎるようなところも感じられるが、全体的に音楽的な処理はソツがなく、また端正な響きの中で、ほのかな情感が添えられる見事なものである。コロリオフの録音というと、一連のバッハの作品集が有名なのであるが、当録音では、バッハの演奏より表現の幅を広めて、後期のベートーヴェンに相応しい、ロマン派への香りをほのかに湛えたものとなっていて、そのため全般に聴き易く、2枚続けて聴いても「聴き疲れ」と無縁といった響きになっている。

ディアベッリの主題による33の変奏曲
p: ルイス

レビュー日:2023.6.1
★★★★★ ポール・ルイスの解釈によって、魅力的に彩られたディアベリ変奏曲
 ポール・ルイス(Pawl Lewis 1972-)によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の「ディアベリ変奏曲(Diabelli Variations) op.120」。2009年の録音。ルイスは、2005~7年にかけて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を録音し、その後、当該曲を録音したことになる。
 「ディアベリ変奏曲」には、古今、様々な名録音があって、聴き手それぞれに愛聴盤と呼ぶものがあるだろう。私であれば、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、ムストネン(Olli Mustonen 1967-)の録音がそれに当たるし、ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)、シュタイアー(Andreas Staier 1955-)の録音も、とても面白いものだった。また、ルイスの師であるブレンデル(Alfred Brendel 1931-)にも、名盤として名高いものがあり、もちろんそれも立派な演奏である。
 これらの演奏は、おおむね、この楽曲の「性格変奏」的なもの、すなわち、楽曲が進むにつれて、ディアベリの最初の主題は全くと言って良いほど原型を失い、変奏曲間で受け渡されるものが、より概念的なもので成り立っているという特徴を引き出し、コントラストを強めているか、むしろ古典的な流れの良さでを維持しながら、変奏曲としての構造的視点を重視したものに分かれると思うが、私の感覚では、前者型がムストネン、シュタイアーであり、後者型がアシュケナージ、ブレンデルである。ロマノフスキーは中間型だろうか。そのどちらが良くて、どちらが悪いというわけではなく、私は、この曲の演奏については、おおむねそういった軸上のどこにあるかをまず聴きどころとしているということ。もちろん、ほかの視点も無数にあるだろう。
 それでは、このルイスの演奏が、私の視点で言えばどのような演奏かというと、最初のうちは、ブレンデルに近いのかなと思っていたが、楽曲が進むにつれて、変奏曲間のコントラスト、明暗の対比を強めていき、聴き終わってみると、かなり「性格的」に弾き分けがあったと感じられる演奏で、なので、「中間型」になるかもしれない。
 そして、これは、楽曲が内在する「進展するにしたがって、性向が変る」という傾向を、より強めた解釈とも言えるだろう。最初のうちは、テンポは全般に少し早めであり、その変動幅は、抑える方向性を持っているのだが、中間部から、やや遅めになることが多くなる。第13変奏におけるユニークな間合い、第23変奏の強靭な和音のもたらす色彩感が際立っているし、第24変奏の自然発揚的な情感は、とても音楽的で美しい。第29変奏から3曲続く短調の変奏曲は、たっぷりと情感が込められながらも、高貴さを湛えており、見事な聴き味になっている。
 この演奏を聴くと、ルイスは、師であるブレンデルの演奏とはまた異なる自身ならではの解釈により、名演と呼ぶべきものにたどり着いた感がある。ディアベリ変奏曲の一つの解釈として、高い芸術的価値を感じさせる。
 また、細かいソノリティまで克明に捉えた優秀な録音も、当盤の価値を大いに高めている。

変奏曲集
fp: ムストネン

レビュー日:2014.12.22
★★★★★ 面白くて仕方ない!ムストネンのベートーヴェン変奏曲集
 フィンランドの作曲家兼ピアニストであるオリ・ムストネン(Olli Mustonen 1967-)が1992年に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の変奏曲を集めたアルバム。収録されているのは、以下の8作品。
1) パイジェルロの歌劇「水車小屋」の「田舎者の恋は」の主題による9つの変奏曲 イ長調 WoO.69
2) 自作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
3) 「ルール・ブリタニア」の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
4) イギリス国歌「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
5) 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
6) パイジェルロの歌劇「水車小屋」の二重唱「わが心はもはやうつろになりて」の主題による6つの変奏曲 ト長調 WoO.70
7) 「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35
8) ヴラニツキーのバレエ「森の乙女」のロシア舞曲の主題による12の変奏曲 イ長調 WoO.71
 ベートーヴェンの作品群において、ピアノ独奏のための変奏曲は、変奏曲史を俯瞰する上でも重要な作品であると考えられるが、今日では、晩年の「ディアベッリの主題による変奏曲」が重点的に扱われる一方で、ここに収録されている初期~中期の作品は、演奏機会も少なく、録音点数も多くはない。しかし、当盤のように優れた演奏で聴くと、そのような扱いがいかに不当なものであるかわかる。
 これらの作品の多くに、ベートーヴェンは作品番号を与えていない。収録曲中では2)と7)にのみ、作品番号が与えられている。大傑作である5)でさえ、後年に研究者が与えたWoO番号のみである。しかし、各作品の内容の充実は、十分に作品番号を与えられるのに相応しいだろう。
 これらの収録曲は、作曲年代で二つのグループに分けられる。すなわち、1795~96年に書かれた1,6,8)と、1802~06年に書かれた2,3,4,5,7)である。前者が古典的な変奏曲の装いをベースとしたものである一方で、後者はベートーヴェンならではの独創性や革新性が色濃く認められる。すなわち、変奏曲であっても、原曲と各変奏の関係性は、一層複雑で、多様なものとなっており、加えて、ベートーヴェンならではのアイデアが盛り込まれている。例えば、調性面で見ると、「自作主題による6つの変奏曲」は、主題から変奏ごとに調性が3度下行していく。また、「創作主題による32の変奏曲」は、第12変奏から第14変奏までがハ長調であるほかは、すべてハ短調で書かれている。そのような一種の音楽規則との関連を踏襲した変奏が試みられている。
 後年の飛躍を一段と感じさせるのは「エロイカの主題による15の変奏曲とフーガ」で、これはベートーヴェンが第3交響曲の終楽章にも用いた主題によっているのだが、その変奏の豊かさ、創意工夫におけるインスピレーションの個性は、「ディアベッリの主題による変奏曲」を彷彿とさせるし、華やかな演奏効果も実に見事だ。
 それに比べて初期の変奏曲は、古典的な佇まいをしめす。ちなみにパイジエッロ(Giovanni Paisiello 1740-1816)は1イタリアのオペラ作曲家で、ヴラニツキー(Pavel Vranicky 1756-1808)は、チェコのヴァイオリニスト兼作曲家。
 さて、ムストネンの演奏。これがまた個性的で面白い。このピアニストは、1996年に「ディアベッリの主題による変奏曲」を録音していて、これまたフレーズの扱いが独創的で最高に面白いのだけれど、この録音も実に楽しい。とにかく一音一音のピアニスティックな効果が凄い。スタッカート奏法を多用し、しかし、各スタッカートを巧妙にコントロールすることで、瞬間の様々なベクトルを出現させ、その刹那の効果を紡ぎ合わせて音楽を導いていくのだ。
 そのため、全体的に、聴き味は軽く、かつ運動的でスリリング。「創作主題による32の変奏曲」など、ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)の名演では、いかにもベートーヴェンらしい深刻さが全編を覆い尽くしていたが、ムストネンの演奏は、つねに風通しが良く、スピーディーな聴き味で、颯爽としている。「エロイカ変奏曲」ではムストネンのスタイル全開で、聴きようによっては「やりたい放題」と思えるかもしれないのだけれど、これがまた、聴き手に抜群の悦楽を感じさせてくれる。こんな面白くてスリリングな演奏は、そうそうお目にかかれるものじゃない。
 というわけで、これらの楽曲のベーシックな演奏というわけではないのだけれど、ムストネンという異才によって、これらの変奏曲を「瞬時も聴き漏らさず楽しんで聴けるアルバム」に仕上がっている。ムストネンの作曲家としての創造性が顕著になった演奏とも言える。ベートーヴェンとムストネンという、時代を越えた二人の異才による、余人の常識を超えた快演に違いない。


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歌劇

歌劇「フィデリオ」
ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 S: シュナウト ツィーザク T: プロチュカ ハイルマン Br: フェルカー クラウゼ

レビュー日:2017.2.10
★★★★★ フィデリオという作品の特性に基づいたドホナーニのドライヴに注目
 ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン国立歌劇場合唱団の演奏によるベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の歌劇「フィデリオ」op.72。1991年の録音。主な配役は以下の通り。
 レオノーレ(フロレスタンの妻): ブリエラ・シュナウト(Gabriele Schnaut 1951- ソプラノ)
 フロレスタン(セヴィリャの政治家): ヨーゼフ・プロチュカ(Josef Protschka 1944- テノール)
 ドン・ピッツァロ(刑務所長): ハルトムート・フェルカー(Hartmut Welker 1941- バリトン)
 ロッコ(看守): クルト・リドル(Kurt Rydl 1947- バス)
 マルツェリーネ(ロッコの娘): ルート・ツィーザク(Ruth Ziesak 1963- ソプラノ)
 ヤッキーノ(門番の若者): ウヴェ・ハイルマン(Uwe Heilmann 1960- テノール)
 ドン・フェルナンド(司法官): トム・クラウゼ(Tom Krause 1934-2013 バリトン)
 囚人: ファルク・シュトルックマン(Falk Struckmann 1958- バリトン)
 CD2枚組で、以下のような収録内容
【CD1】 第1幕
1) 序曲
2) 二重唱: ようやく、二人きりになったね
3) アリア: もしあなたと一緒になれて
4) 四重唱: 何という不思議な気持ちでしょう
5) アリア: やはりお金がなければ
6) 三重唱: それは結構だ
7) 行進曲
8) アリアと合唱: うむ!何とよい機会だ!
9) 二重唱: さあ、急ぐのだ!
10) レチタティーヴォとアリア: 非道の者よ!どこへ急いで行くのか?
11) ロッコ様、いつもお願いするように
12) フィナーレ: ああ、何という嬉しさ
13) うまく行きましたか?
14) お父さん、早く早く!
15) さらば、暖かき陽光よ!
【CD2】 第2幕
1) 導入曲とアリア: 神よ!ここは何という暗さだ!
2) 人生の幸福が逃れ去った
3) メロドラマと二重唱: 地下のあなぐらの何と寒いことよ
4) 目を覚ました!
5) 三重唱: あなた方に良い報いがありますように
6) 四重唱: あいつを殺す、だがその前に!
7) 二重唱: おお、喜びにあふれて!
8) フィナーレ: この日に祝福あれ!
9) 王様の恵み深き思し召しにより
10) やさしき妻を持つものは
 フィデリオはベートーヴェンが書いた唯一のオペラであり、ベートーヴェンらしい実直で、正しいものが栄光を勝ち取るストーリーである。その音楽も、器楽曲的で、旋律も歌謡的なものというより、発展性をもったもので、歌手にも他の楽曲とはやや異なった要素が求められる。
 このドホナーニの演奏は、フィデリオの特性を意識し、オーケストラに主導的といってもいいほどの役割を与えた演奏に思われる。例えば、両幕のフィナーレでは、他盤にはないほどオーケストラの熱狂的と言って良い推進があり、やや歌い手が持って行かれるような印象をもつところがある。
 しかし、そのことで、全体としては統率感が感じられ、ベートーヴェンの音楽としての機序が明確に示されているようにも感じられる。歌手陣に関しては、私は特に不満を感じない。特にシュナウトの声は魅惑的で、ドラマの要素をよく伝えている。シュトルックマンの囚人というのも、贅沢な配役という印象で、このアルバムトータルの完成度の向上に貢献しているだろう。
 また、全般を通じて、微細な感情の表出はしばしばスピード感の卓越性により、置いて行かれるのだけれど、フルートをはじめとする管楽器の音色がこれを助けており、全体として劇的展開力を保った優れた演奏となっていると思う。


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