バルトーク
管弦楽の為の協奏曲 バレエ音楽「中国の不思議な役人」 シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2010.5.20 |
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★★★★★ シャイー&コンセルトヘボウ管弦楽団は、バルトークも素晴らしい
リッカルド・シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団によるバルトークの管弦楽曲集。なかなか見事な内容で、この顔合わせでもっと多くのバルトークの作品を録音して欲しかったと思わせる。シャイーのバルトークの録音として、シュロモ・ミンツの独奏によるヴァイオリン協奏曲第1番が企画ボックスから出ているが、個人的には、かつてFM放送されたアシュケナージとのピアノ協奏曲をぜひなにかの折にリリースしてくれればと思う。 いきなり話がずれてしまったが、当盤は1995年と97年の録音で、シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団の一連の録音の中でも特に聴き応えのあるものが集中している時期だと思う。このバルトークでもオーケストラの良さを巧みに引き出したシャイーのドライヴが聴きモノだ。 管弦楽のための協奏曲は、一聴してその細やかな配慮の行き届いた音造りに唸らされる。テンポはやや遅めであるが、細部を磨き上げることで、緩みを感じさせるものとはなっていない。弦楽器の暖色系の音色が心地よく、管、打楽器も音量とフレージングが高度に制御されていて、よくブレンドしている。そうして引き出される特性は、バルトークならではの野趣性とはまた一味違った「洗練」に通じる価値観にあり、それも「究めた」と言ってよい完成度に到達している。中間楽章のスケルツォ的な表情付けも、軽妙にして巧妙といったところ。終楽章の祭典もことのほか華やかで、しかし高尚な視点から制御が行き届き、音楽に鮮やかなコントラストを与えている。 バレエ音楽「中国の不思議な役人」は、日本ではバルトークの代表作としてあまり名を挙げられる作品とはなっていない気がするが、私の大好きな作品である。楽想の移り変わりの速さと土俗感溢れる迫力が魅力だ。このシャイー盤は、インデックスが細かく振られているので、そういった意味でも曲のことがよくわかる面白さがある。演奏スタイルは「管弦楽のための協奏曲」と同様で、いかにも現代的な洗練されたオーケストラサウンドが堪能できる。コンセルトヘボウ管弦楽団の音色は多彩なギアを持っていることもよく伝わるし、そのギアを曲想に併せて細やかに操作するシャイーの手腕も当代一品だろう。舞曲風の部分では、分離の良い素晴らしい録音が効果的で、聴き手の感情に強く働きかける。演奏・録音の両面においてデッカのカラーの良く出た名盤だと思う。 |
管弦楽の為の協奏曲 弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽 ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2010.4.8 |
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★★★★★ これまたドホナーニの不遇な名盤の一つ。
最近、良くドホナーニとクリーヴランド管弦楽団の録音を聴いている。確かに昔からこれらの録音を聴いてきたけど、それにしても今現在、ほとんどこれらの録音が省みられないのは、損失と思えるので、その分自分は聴こう・・・とまあ勝手に思っているだけなのですが、それにしても埋もれさせておくのはもったいないものがたくさんある。 この1988年と92年に録音されたバルトークも素晴らしい演奏。「管弦楽のための協奏曲」と「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」といういずれも晩年の傑作だけに聴き応えがある。このCDは一時期国内版で、廉価シリーズで1,200円で出ていたものなので、そういうときにちゃんと買っている人は「買い物上手」と言えるでしょう。私は廃盤になってから探して、割高な中古品を買うこととなりました。 バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は曲自体私の大好きなものだ。バルトークは、晩年、病苦と貧困から、非常に厳しい生活を強いられたのだが、しかしこの「管弦楽のための協奏曲」は喜びと遊戯性、そして生命肯定的なポジティヴな感情に満ちていて、聴き手を勇気付けてくれる曲とも言える。この曲の名盤としては、フリッツ・ライナーやゲオルグ・ショルティの様なスリムでシャープな演奏が多く挙げられるが、ドホナーニもほぼ同系列とみていいと思う。ただドホナーニの演奏の方が、もう少し音色がエモーショナルな面があり、悲しみや喜びがもう少し色づいて表現されていると思う。金管の音色もパレットが豊かだ。テンポは穏当で、早くも遅くもないが、クライマックスを中心とした構成感に卓越しているので、聴いていて「長さ」を感じさせることはない。 「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」は以前からバルトークの最高傑作として知られる。本当に、こんな素晴らしい音楽を書いた人が、なぜ晩年、赤貧に喘いだのだろう?当時のアメリカ(バルトークはナチスを避けアメリカに移っていた)にはまともな審美眼を持った人が極度に少なかったのではないかと勘ぐってしまうが、今とメディアによる情報伝達能なども違うということかもしれない。それにしても不遇だった。さて、ドホナーニは十二音音楽と民族性を融合し、さらに室内楽的な緊密性・緻密性に特化したこの作品を、克明な光で照らし出している。「管弦楽のための協奏曲」に比べてやや響きが冷たく感じられるが、それがこの作品の特性をよく引き出したものと思える。 いずれにしても、この名盤がいずれ復活・再評価されるのを待ちたい。 |
管弦楽の為の協奏曲 弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽 クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団 レビュー日:2019.8.31 |
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★★★★★ アコースティックなトーンで情感豊かなクーベリックのバルトーク
ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)指揮、バイエルン放送交響楽団によるライヴ音源で、バルトーク(Bela Bartok 1881-1945)の以下の傑作管弦楽曲2編を収録。 1) 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 1981年録音 2) 管弦楽のための協奏曲 1978年録音 いずれもクーベリックが得意としてきた楽曲だが、ここでも自信に溢れた輝かしく正統的なサウンドを聴くことが出来る。響きは「豊か」という形容がもっともふさわしいだろう。バルトークの音楽は、しばしば「無機的」と表現される。ただ、私には、この表現はあまりしっくりこない。確かに非常に緻密に設計された音楽ではあるのだが、そこには有機的と呼びたい様々な情感が満ちているし、旋律に宿される様々な感情がある。クーベリックの演奏も、まさにその点をついており、ある意味シンフォニックで保守的な響きとも言えるが、そのふくよかな安心感とともに、熱さや緊張のほどよいブレンド感があって、管弦楽のための大曲を味わう醍醐味に満ちた演奏となっている。 「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」では、その第1楽章に緊張の表現を認めるが、より素晴らしいのは第2楽章以降だろう。第2楽章は、弦のピチカート、そしてパーカッションの劇的な効果があるが、クーベリックのテンポはきびきびとした筋肉質なものであり、そこに十分な色づきの感じられる音色が添えられていく。このシーンだけでも、バルトークの音楽がもつ多様な表現力が明らかになっている。第3楽章も素晴らしい。やや速めのテンポを中心に、アコースティックな抒情が鮮やかに繰り広げられていき、大いに心を動かされる。これこそ名演の薫りだ。第4楽章は華やかで祭典的だが、そこに加えられる力が、一気に音楽を熱くしている。 「管弦楽のための協奏曲」では、自然な間断のないテンポがあり、普遍性を感じさせる解釈だ。中間3楽章を一貫性の感じられるテンポでまとめているのもクーベリック流であろう。様々な独奏楽器による技巧的なフレーズは、音楽として機能的に組み上げられている様は、当然かもしれないが、やはり見事であるし、全体を覆うややソフトなトーンが、音楽を親しみやすい暖かさで包んでいる。第1楽章、そして第5楽章の力強い勇壮な響きとその質感もさすが。 クーベリックの様々なライヴ録音の中でも、特に名演として指折りたいものの一つだろう。 |
バルトーク 管弦楽のための協奏曲 ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲 ルイヴィルのためのファンファーレ P. ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団 レビュー日:2007.3.14 |
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★★★★☆ ルトスワフスキとバルトークの接点が分かりやすいです
パーヴォ・ヤルヴィとシンシナティ交響楽団による注目の録音。競合盤の多いバルトークよりも、ヴィトルド・ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994 )の2作品が注目されるだろう。もちろん、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」の成功を経て、ロヴィツキの委嘱があって、ルトスワフスキの同名の作品が生まれた経緯があり、そこにこのアルバムの企画性がある。ルトスワフスキの作品は非常になじみ易いもので、バルトークの影響ももちろんのことながら、ポーランド土着のメロディ等も取り入れたルトスワフスキならではの着色がある。第1楽章の力強いリズム感などは聴き手に訴える力が強いだろう。バルトークの影響は様々に感じられるが、第2楽章のピチカートの連続する部分など、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」を彷彿とさせる。演奏は、録音のせいかやや弦が引っ込んだ感じで地味な色合いだが、ルトスワフスキという作曲家を知るのに、まずはいい録音であろう。バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、他の名演を差し置いても「これ」というほどのインパクトはさすがにないが、それでも良心的な演奏であると言えるだろう。細やかな気配りで音色がつぶれるようなこともない。私が一番印象にのこったのは終楽章で展開の開始にあたって、突如テンポを落とし、弦、木管を柔らかに歌わせるシーンである。ここは今までの名演でも聴けなかった新たな情動を感じさせてくれた。 |
管弦楽の為の協奏曲 舞踏組曲 ヴァイオリンと管弦楽のためのラプソディ 第1番 第2番 ラプソディ第1番 第2番(別エンディング版) ガードナー指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 vn: エーネス レビュー日:2017.12.14 |
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★★★★★ オーケストラの明晰なサウンドが楽曲に新鮮な味わいをもたらした快録音
2015年からベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となったエドワード・ガードナー(Edward Gardner 1974-)が、同オケを振って録音したバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の作品集。ガードナーは数年前にメルボルン交響楽団を振ってやはりバルトークを録音しているので、シリーズ第2弾といったところ。収録曲は以下の通り。 1) 管弦楽のための協奏曲 BB.123 2) ヴァイオリンと管弦楽のためのラプソディ 第1番 BB.94B 3) 同曲第2部の別エンディング版 4) ヴァイオリンと管弦楽のためのラプソディ 第2番 BB.96B 5) 舞踏組曲 BB.86A 管弦楽のための協奏曲は2016年、他は2017年の録音。 2~4) のヴァイオリン独奏はジェイムズ・エーネス(James Ehnes 1976-)。エーネスはバルトークのヴァイオリン協奏曲とヴィオラ協奏曲で秀演を録音しており、またソナタ、さらにラプソディも「ヴァイオリンとピアノ版」で録音済であり、すでにその高いクオリティは保証済みといったところだろう。 エーネスのヴァイオリンももちろん素晴らしいのだが、本盤のもう一つの聴きどころは、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の音響にあるだろう。なんとも透明感にあふれたバルトーク。オーケストラの響きが、とにかく研ぎ澄まされたように精密で、一つ一つの楽器の音色に、光沢を感じさせるものがあって、とても新鮮なのだ。 バルトークの「管弦楽の協奏曲」は、オーケストラがその力量を試す際、外せない楽曲の一つであるだろう。しかし、最近考えてみると、意外に新録音が少ない。いくつか名盤と呼ばれるものの存在があって、そこに付け加えるべきものをなかなか見いだせない状況があるのかもしれない。 そのような中で、ガードナーのアプローチは、「まだまだやるべきことがある」と示した価値あるものだと思う。例えば終楽章、きわめてきっちりとした早いテンポを維持ながら、正確なリズムでクリアな処理の徹底を繰り返すことで、清冽な旋風のような音楽が獲得されている。もちろん、この楽曲によりマジャール的な熱狂性を求める人もいるだろうが、ガードナーの指揮のもと、正確無比に動くオーケストラは、別種の興奮があり、楽しい。第4楽章も、通常あまり表面だつことのないフレーズが浮かび上がるなど、発見がある。 エーネスがヴァイオリンを担ったラプソディはさすがの安定感。これらの楽曲にしてはエレガントな性向を持った演奏と言えるが、エーネスの技巧が素晴らしく、濁りと無縁の音色がバックのオーケストラと見事にマッチしている。テンポも、つねに生き生きとしていて、生命力を感じさせるもの。 舞踏組曲は、管弦楽のための協奏曲とおおむね同じ感想になるだろう。とにかく明晰にして俊敏。パワーより機動性を感じさせる表現で、一気に書ききったような爽快さが満ちている。鮮やかな快演だ。 |
管弦楽の為の協奏曲 「かかし王子」組曲 ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 レビュー日:2019.12.25 |
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★★★★★ バランス美を維持しながら情感豊かに表現されたバルトーク
ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen 1927-2019)指揮、南西ドイツ放送交響楽団の演奏で、バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の以下の2つの管弦楽作品を収録したもの。 1) バレエ音楽「かかし王子」組曲 2) 管弦楽のための協奏曲 「かかし王子」は2006年、管弦楽組曲は2005年、それぞれライヴ収録されたもの。「かかし」王子の組曲版は幾通りか存在し、定型化していないが、当盤では(序曲、王女、森、王子の歌、小川、かかし王子の踊り)という6編により構成されている。 現代音楽に精通するだけでなく、ロマン派や古典に関しても、精緻で精妙な音作りをするギーレンのバルトークが悪いはずがない、というわけであるが、聴いてみると、たしかに良い演奏なのだが、むしろオーソドックスな聴き味で、ギーレンらしい刻印のようなものは、(私は)それほど感じなかった。 「かかし王子」は、序曲の冒頭がまず印象的で、この部分はラインの黄金の幕開けのような厳かさがあり、ロマンティシズムに満ちた情緒に溢れている。ギーレンは、彼にしては柔和な表情で、ぬくもり豊かに情景を描き出していて、この指揮者にこのような表現性も備わっていたのか、と感じさせるところだ。この作品は、打楽器の使用等により、舞曲におけるバーバリズムが聴かせどころの一つとなっているのだが、当組曲は、むしろ全体的なバランスを配慮した構成になっていて、そのこともあって、むしろ流れの良さと抒情性に感じ入る部分が多い。といっても、後半中心に熱血的なところがあり、そこではギーレンならではの卓越した棒さばきにより、整理の行き届いた音響を楽しむことができる。 管弦楽組曲も同志向の演奏と言えるだろう。この曲には、古今様々な名演奏、名録音があって、その中で当ギーレン盤がきわだった特徴をもっているわけではないと思うが、それでも良演の一つであることは間違いない。バランスに配慮しながらも、音楽に血の通った感情豊かな表現となっているところが魅力だろう。中でも「対の遊び」と題された第2楽章は、そのタイトルにふさわしい楽器間のやりとりが楽しく描かれている。第3楽章のエレジーは品よく仕上がっている。第5楽章は爽やかにまとめた感があるが、ここでは、より粘りや熱血性を求める聴き手も多いかもしれない。 また、全体的に、ライヴ録音とは感じさせないオーケストラの客観性を感じさせる機能美は、このオーケストラの特質をよく示すものだろう。 |
弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽 4つの小品 ヴァイオリン協奏曲 第1番 ギーレン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 vn: オステルターク レビュー日:2019.12.30 |
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★★★★★ ギーレンと南西ドイツ放送交響楽団 2003年のバルトーク・ライヴ
ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen 1927-2019)指揮、南西ドイツ放送交響楽団の演奏で、バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の以下の3つの作品を収録したもの。 1) 管弦楽のための4つの小品(前奏曲、スケルツォ、間奏曲、葬送行進曲) 2) ヴァイオリン協奏曲 第1番 3) 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 ヴァイオリン協奏曲におけるヴァイオリン独奏はクリスティアン・オステルターク(Christian Ostertag 1963-)。2003年のライヴ録音。 ギーレンと南西ドイツ放送交響楽団という現代音楽の奏法に精通した顔合わせによるバルトークであり、そういった点で興味深いわけであるが、聴いてみると、意外なほど、柔軟な対応で、楽曲の情緒的な面を十分に生かした良演といった味わいを感じる。 「管弦楽のための4つの小品」では、静謐から開始される冒頭曲の、透明な音色が重なっていく進行が美しい。この個所で聴き手の気持ちを掴むことに成功したギーレンは、音響とリズムの交錯に冴えを示し、この楽曲ならではの色彩感とメリハリの効いた演出を施していく。スケルツォの切れ味も忘れがたいが、野趣性あるこの作曲家ならではの「葬送行進曲」において、ギーレンの繰り出すリズム感は、力強い表現力となって、劇的に繰り出されている。 一方で、ヴァイオリン協奏曲は、この楽曲の性格もあって、情緒的な表現にシフトを置いた味わい。オステルタークの独奏は、品が良いというか、軽い聴き味でまとまった感があり、この楽曲ならではの北国の冬を思わせるような凛とした諸相はやや控えられた感じがする。ギーレンの音作りも、独奏ヴァイオリンを中心に置いた感があり、私にはその聴き味は少し以外であった。当盤の収録曲では、ギーレンらしさの感じにくいものとなっているだろう。 最後に収録された名作「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」は、いかにも慎重に計算された表現が聴ける。繊細なタッチであり、ときとして、もっと躍動的なものが聴きたい感じもあるのだけれど、特に偶数楽章は、ギーレンとこのオーケストラらしい厳格さがあり、緊迫感のある演奏になっている。第2楽章のピチカートとチェレスタのバランス、第4楽章の感性の鋭さを感じさせるリズムは特に印象に残るところ。第1楽章は、聴く前に想像していた音より、ずっとロマンティックな暖かさがあるのだが、それは私の思い込みのせいというのが大部分なのであろう。何度も聴いていると、全体にとてもうまくいっているように感じられてくる。 全3曲、79分を越える収録時間であり、ライヴとは思えないほどに録音状況も良好であるので、バルトークのアルバムとして、よく出来たものと言えるだろう。 |
バレエ音楽「中国の不思議な役人」 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 ドラティ指揮 デトロイト交響楽団 レビュー日:2007.10.6 再レビュー日:2016.6.27 |
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★★★★★ オーケストラの機能美を徹底した演奏
デッカからアンタル・ドラティの一連の貴重な録音がまとめて再販された。これはデトロイト交響楽団との代表的な録音のひとつ。1983年のデジタル録音で、同交響楽団のストラヴィンスキーの名録音と同じ時期の録音であり、一つ一つが確かな手ごたえに満ちた音で構成されている。 「中国の不思議な役人」はグロテスクな要素を持っているが、ドラティのアプローチは純然としていて、規律正しい音楽の運びがある。特定の楽器を際立たせるような効果を狙わず、全管弦楽の機能美の中であらゆる細部を動かし、巧みな配置により楽曲を構成する。しかも、音楽の全容は引き締まっていてシャープな迫力がある。聴いていると、しっかりとした足取りの中で躍動感が感じられ、しかも不自然さのない心地よさを同時に持っている。 「弦楽器。打楽器とチェレスタのための音楽」も同様で、2楽章のピチカートにのったリズム命の音楽も際立った誇張がないにもかかわらず、オーケストラの音色は迫力にみち、緊迫した中で楽器の鮮烈な音色の組み合わせを堪能させてくれる。 まさに職人芸といえる録音でしょう。 |
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★★★★★ 黄金期のドラティとデトロイト交響楽団が記録した見事なバルトーク
アンタル・ドラティ(Antal Dorati 1906-1988)指揮、デトロイト交響楽団の演奏で、バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の以下の傑作2曲を収録したアルバム。 1) バレエ音楽「中国の不思議な役人」全曲 2) 弦楽器、打楽器とチェレスタのため音楽 1983年の録音。 これら2曲はいずれもバルトークの名品として知られるが、「中国の不思議な役人」については、初演のほかには、その演奏機会を得ることが出来なかった。その理由は、性の問題や、殺人といったシーンを持つストーリーの不道徳性にあったと言われる。併せて、バルトーク特有の原始的な荒々しい表情を見せる音楽が、当時の大衆が求めるものと齟齬があったのかもしれない。いずれにしても、この作品の評価は、初演直後の封印から、数十年の時を経る必要があり、現代のように、演奏、録音の機会が得られるようになったのは、バルトークの死後のことであった。 それにもかかわらず、この曲には「組曲版」も存在する。前述の理由で、ストーリーを取り除いた純器による音楽作品としての再生をバルトークが試みたためである。バルトーク自身がこの作品にひときわ愛着と自信を持っていたことの証左でもある。 現代では、組曲版、全曲版、双方に様々な録音があるが、私としては、是非とも全曲版をおすすめしたい。というのは、組曲版で編集割愛された部分に、音楽的な魅力の高いものが様々にあるからである。全曲版では、歴史的には、まずブーレーズ)(Pierre Boulez 1925-2016)の1971年の名録音が見事であったのだけれど、録音面でさすがに古くなった感もあり、現在の代表的録音としては、このドラティ盤あたりも、有力な一枚となってくるだろう。 当時ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)の数々の目覚ましい録音で高い評価を得ていたドラティとデトロイト交響楽団の顔合わせだけあって、ストラヴィンスキーからの影響を感じさせる当作品へのアプローチは、確信を感じさせる堂々たるもの。また、ハンガリーの民俗音楽をベースとした音楽の抑揚に関するドラティならではの洞察もあって、野趣的なリズム処理も見事なものだ。特にマエストーソの部分の狂乱ぶりの迫力、オルガンを加えてのサウンドのスリリングな交錯など、聴きごたえ十分だ。すべての器楽が、オーケストラの中の機能を果たし、有機的な響きへと結びつけている。 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽では、速度変化を適宜織り込んだ表現で、高揚や迫力を獲得している。現代にあっても、なんら前時代的な印象を感じさせない、普遍的なアプローチだ。 |
バレエ音楽「中国の不思議な役人」 2つのポートレート ディヴェルティメント デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 vn: ジュイエ ロバーツ レビュー日:2018.6.28 |
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★★★★★ デュトワが描き出す鮮烈な「中国の不思議な役人」
デュトワ(Charles Dutoit 1936-)指揮、モントリオール交響楽団によるバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の管弦楽曲集。収録曲は以下の通り。 1) パントマイム音楽「中国の不思議な役人」 Sz.73 2) 2つの肖像 Sz.37 3) ディヴェルティメント Sz.113 2)のヴァイオリン独奏は、シャンタル・ジュイエ(Chantal Juillet 1960-)、3)のヴァイオリン独奏は、長くモントリオール交響楽団のコンサート・マスターを務めたリチャード・ロバーツ(Richard Roberts)。1991年の録音。 私は、「中国の不思議な役人」という曲に思い入れがあって、というのも、音楽をいろいろ聴き始めた頃に、ブーレーズが指揮したこの曲の録音を聴くことがあって、「こんなカッコイイ曲があったのか」とたちまち虜になり、毎日のように聴いていた時期があったからである。その反動のせいなのか、最近ではそれほど聴くことはなくなったのだが、最近ふと思い出してみて、このデュトワの録音を聴いてみた。 この楽曲は、ハンガリーの脚本家、メルヒオル・レンジェル(Melchior Lengyel 1880-1974)のテキストに沿ったパントマイムのための舞踏音楽として作られた。その脚本というのが、ホラー、グロテスクの要素を含んでいたこともあって、作品が書かれたころはほとんど上演機会に恵まれなかったわけだ。私がかつて聴いていたブーレーズの録音は、いかにもといった要素が強かったのだけれど、このデュトワの演奏は、(ある意味期待通りに)ブーレーズとは異なっている。なにより、全体的な音色の美しさ、それもパステル・カラーといって良いような透明感が目覚ましく、どこの部分も鮮烈で、リズムや旋律が激しく暗くなっても、その音響は透き通っていて、ステンドグラスを透過した光のように降り注ぐのである。 私は、この演奏を聴いて、ブーレーズの録音とは違った興奮を味わった。それはバルトークのオーケストレーションの見事さへの感動であり、それを鮮やかな音像として描き出したデュトワとオーケストラの好演、さらに録音の素晴らしさへの感動が相まったものである。確かに、この演奏の場合、ストーリーと同じような退廃性は感じにくいのではあるが、純粋な器楽作品として、圧倒的な完成度をもって再現されたものに違いなく、聴き手の心に伝わるものは、十分に大きいのである。さすが、この時代のデュトワとモントリオール交響楽団は、どのような作品であっても、自分たちのやり方を貫いて、芸術性を打ち立てる力に満ちている。 また、その演奏は決して迫力に不足するわけではない。役人が少女を追い回すチェイスのシーンなど、低弦、金管の応答が立体的で、その爽快なテンポとあいまって、臨場感に満ちている。 また、当盤には、バルトークの隠れた名作と言える「ディヴェルティメント」も収録されている。独奏ヴァイオリンの他に独奏弦楽器陣を配した独特の編成で、巧みな演出を楽しませてくれる。さらに「2つの肖像」も収録されていて、バルトークの主用とは言い難いが魅力ある作品を、併せて聴くことができる。現在廃盤のようだが、定盤化してほしいアルバムである。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 p: アンダ フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 レビュー日:2011.4.5 |
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★★★★★ 若くして亡くなったピアニストと指揮者による歴史的録音
アンダ・ゲザ(Anda Geza 1921-1976)のピアノ、フリッチャイ・フェレンツ(Fricsay Ferenc 1914-1963)指揮ベルリン放送交響楽団によるバルトークのピアノ協奏曲全集。録音は1959年から1960年にかけて。 ハンガリー出身のピアニストと指揮者による歴史的な録音と言える。アンダは、若くして亡くなったこともあり、最近ではその名前を聞く機会も少ないが、20世紀を代表するピアニストであったことは間違いない。 バルトークの音楽というのは、今でこそ人気のあるレパートリーになっているが、ちょっと前まで「気難しい音楽」の代名詞みたいに使われていたし、その前はもっと扱いも小さかったと思う。しかし、アンダとフリッチャイのコンビは、積極的にこれらの作品を演奏してきた。特に協奏曲第2番は60回以上も演奏したというのだから恐れ入る。 だから、この録音を聴くと、とにかく全ての表現がこなれていて、縦横無尽に自在にコントロールしているような見事さを感じさせる。自然でありながら、必要な場所に瞬時に必要な量の情報が音として供給される心地よさに満ちている。 もちろん、現代ではバルトークのピアノ協奏曲は、人気のある楽曲である。リズミックで直線的な迫力のある第1番、ファンフアァーレに象徴される民謡的で土俗的な第2番、優美で田園詩を連想させるバルトークの絶筆となった第3番。それぞれに魅力が横溢している。録音も数多くあって、必ずしも録音年代的に不利なこのディスクを聴く必要があるわけではないだろう。 しかし、この録音はそれなりに魅力的だ。私個人的にも第3番は大好きな曲で、その場合、バルトークの悲劇的な最後とオーバーラップするところもあるのだけれど、この演奏はなんとも優しい風雅さがあり、ほのかな悲しみを宿している。中でも第2楽章に聴かれる、弦楽器とピアノの淡々としたしかし滋味豊かなやりとりは、とても印象に残るところだ。 全般にアンダの技巧も聴きもの。もちろん今ではこれくらいのレベルの技術を持ってバルトークを弾くピアニストは色々いるけれど、アンダのピアノにはことさら豊かな情感が感じられる。フリッチャイとともにこれらの楽曲を繰り返し演奏してきた慈愛のようなものが込められているようにも思う。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 p: バヴゼ ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2011.5.20 |
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★★★★★ バヴゼならではの田園詩を思わせるようなバルトークです
バルトークのピアノ協奏曲全3曲を収録。ピアノはジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet)。ノセダ指揮BBCフィルの演奏で2009年の録音。バヴゼは1962年フランス生まれのピアニスト。1986年国際ベートーヴェン・ピアノ・コンクールで第1位となり、最近ではChandosレーベルを中心に録音活動を展開している。 バルトークのピアノ協奏曲には今では数多くの録音があり、そのうちどれがいいかとなるとなかなかの難題だ。私の場合、アシュケナージ/ショルティとシフ/フィッシャーの2つの全集がいちばんの愛聴盤になるが、他にも捨てがたい録音がたくさんある。そのような状況下でこのバヴゼの録音もなかなか存在感があり「外せない」1枚。 それでは、この録音の特徴は?その第一の特徴は何と言ってもバヴゼのアプローチにある。バルトークのピアノ協奏曲、特に第1番と第2番の両端楽章など、ピアノをハンマーのように用いる箇所が多くあって、それがバルトークのピアノ協奏曲の「顔」ともなっているのだけれど、バヴゼがまず目指したものは、そこではないと思う。すなわち、バヴゼはこれらの曲から、まるで印象派のような芳しいソノリティを引き出すことに成功していて、それがこの演奏を引き立たせる特徴になっている。 バヴゼはこの録音の前にドビュッシーのピアノ・ソロ曲を一通り録音していて、おそらくそこで得た知見やフィーリングというものをこのバルトークに見事に「適応させた」に違いない。それで例えば第3協奏曲の第2楽章など聴くと、そこには不思議なほどの保守性が、懐かしいような情感をまとって佇んでいて、いかにも高貴な気配に満ちている。第1番や第2番の中間楽章でも詩的で、淡くも豊かな想像力が満ちたピアニズムで、いよいよ音楽が瑞々しくなる。 それで、私は他のバルトークと比べたとき、上に述べたような印象が非常に鮮烈で、このディスクを通じて、新しいものを聴いたという喜びを感じる。それで、「この演奏は、外せない」、と感じたところ。 ただし、いわゆるリズミックな土俗感といった部分、・・確かにこの曲にはそいう要素が多分に含まれているのだけれど・・、そういうところでは、ややまろやかな領域にシフトした柔らかみがあるため、そこは人によって好みが変わりそう。ノセダの指揮もなかなか聴きモノ。注意深いアプローチだが、カラフルで、随所に「アーティストの機知」を感じさせる音があり、飽きさせない。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 p: コヴァセヴィッチ C.デイヴィス指揮 BBC交響楽団 レビュー日:2011.8.3 |
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★★★★★ 古典的とも言える充足感のあるサウンドに満ちたバルトークのピアノ協奏曲
スティーヴン・コヴァセヴィッチ (Stephen Kovacevich 1940-)のピアノ、C.デイヴィス(Colin Davis 1927-)指揮BBC交響楽団によるバルトークのピアノ協奏曲全3曲を収録。録音は第2番が1968年、第1番と第3番が1975年。 最近、バルトークのピアノ協奏曲をよく聴いている。アンダの歴史的録音を聴いたのがきっかけで、往年の名盤であるアシュケナージやシフ、それに最近のバヴゼなど、改めて一通り聴いてみて、どれも面白いと思った。 バルトークの音楽は時々「無機的」と称されることがある。どういう意味だろうか?「無機的」という言葉には、なんとなく四角四面で、誰がやっても似たり寄ったりのような印象があるけれど、バルトークの音楽がそうでないことは明らかだ。「無機的」というのは冷徹な音楽理論を持ちながら、スパイスの効いた音楽を作ったバルトークの、その学究的な部分を表現したに過ぎない。「無機」は英語で「inorganic」である。環境に左右されない、というしたたかな強さを示すものだろう。バルトークを得意にしていた同郷の指揮者、ショルティもしばしば「無機的」と形容された。環境に左右されない強靭な意志でオーケストラを統率した偉人である。 それで、バルトークのいろんな演奏を聴いて、それぞれから随分違う印象を受けるといのは、無機的なベースの上にバリアブルな無数の要因があるからで、それがバルトークの音楽を「バルトークの音楽」たらしめている重要な要素だろう。 ちょっと雑談めいた話を書いてしまったけれど、コヴァセヴィッチの演奏は、美しさとともに、内実のぎゅっと詰まった充足的な響きに満たされているところが特徴だと思う。「充足的」と言うのは、オーケストラの各楽器とピアノのサウンドの重み付けが、細かくかつ多様になされていて、そのバランスを小さい範囲で推移させながら、重厚な印象を導いている、ということで、総じてサウンドの性格としてはやや古典的な風合いだ。やや早めのテンポでありながら、オーケストラの豊かな響きに支えられ、力強いピアノの音~特に太い中声部!~が求心力を持って鳴り続ける。 中でも第2番は見事だ。繰り返されるファンファーレが適度な収束感を持っていて、音楽の均質性を維持し、鮮やかな集中線を持っている。聴いていて心地よいフレージングであり、耳あたりが良く、明朗だ。第1番は第3楽章が良い。乾いたティンパニの連打音は軽快でありながら存在感を主張して気持ちいい。私の大好きな第3番も美しい演奏。楽曲の性格を踏まえてか、やや耽美的なアプローチにシフトして、音楽の厳かさや神秘性にターゲットを当てている。ピアノ、オーケストラともにコントラストが明快で、感情とともに感性に訴える「冴え」がある。バルトークのピアノ協奏曲における古典的名演の一つだ。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 p: シフ I.フィッシャー指揮 ブタペスト祝祭管弦楽団 レビュー日:2015.2.9 |
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★★★★★ 現代のスタンダードと言えるバルトーク
シフ(Schiff Andras 1953-)のピアノ、イヴァン・フィッシャー(Ivan Fischer 1951-)指揮、ブタペスト祝祭管弦楽団の演奏によるバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)のピアノ協奏曲全曲を収録したもの。1996年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第1番 Sz.83 2) ピアノ協奏曲 第2番 Sz.95 3) ピアノ協奏曲 第3番 Sz.119 バルトークの3つのピアノ協奏曲は、いまや人気曲に名を連ねており、録音も多い。全曲録音も数多くあるが、中でもシフの当録音は、代表的なものの一つであろう。 バルトークの3つのピアノ協奏曲は、それぞれこの作曲家の重要な一面が強調された作品だ。つまり、第1番は強靭な野趣性、先鋭化されたリズムが支配的で、第2番は祭典的、民族的とも言える色彩感豊かな乱舞があり、第3番には叙事詩的で簡潔な詩情が溢れている。逆に言うと、3曲全てに品質の高い録音が可能なピアニストというと、ずいぶん限られてくるということになる。 私が、この3曲をまとめて聴くのは、歴史的なものではアンダ(Anda Geza 1921-1976)とフリッチャイ(Fricsay Ferenc 1914-1963)指揮、ベルリン放送交響楽団による1959~60年の録音、純音楽的で、等価的な強度の保たれた模範的なものとして、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とショルティ(Georg Solti 1912-1997)指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団による1978~81年の録音、そして、最近のいかにも感覚的な瑞々しさに溢れたバヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)とノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮、BBCフィルの録音、この3つがあるのだが、それらとともにとても気に入っているのがこのシフ盤である。 当盤の魅力は1曲1曲の曲想に即した当意即妙な表現の巧さにある。このハンガリーの大作曲家の名曲を、同国出身のアーティストたちが演奏している、という以上に、各曲の「特徴」への切り込みが鮮やかで、作品の個性が一層輝いているのだ。 特にシンコペーションの扱いが見事だ。バルトークの音楽が持つリズムの混交を、鮮やかな手腕で解きほぐし、明快で力強い帰結に結びつける方法論がどの場所でもきちんと働いている。それは、第1番のように野趣性という形容で語られる音楽から、一見強靭にまとめられる音楽の中にも、より複層的な作用、そこには民俗的な主題の扱いも含まれるのだが、そのような様々な物事について、階層的な響きを引き出すことに成功している。また、第2番の第2楽章のように、バルトークらしい夜の静寂を感じさせる部分でも、常に的確な推進性が働いていて、古典的な調和に近い落ち着きが感じられる。 シフの表現の幅は広い。リズムで音楽を作るところは、瞬発力のあるスタッカートを気持ちよく繰り出してくるし、フレーズには常に生き生きとした動感が与えられている。抒情的な歌もとても品が良く、まとまっている。オーケストラのバランスに卓越した音響も秀逸で、以下にも現代の模範と言って良い内容となっている。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 p: アシュケナージ vn: 鄭京和 ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 シカゴ交響楽団 レビュー日:2014.12.16 |
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★★★★★ バルトークの主要な5つの協奏曲を、いずれも名演で聴けます。
ゲオルク・ショルティ(Georg Solti 1912-1997)の指揮で録音されたバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の主要な協奏曲を2枚のCDに編集したアルバム。その内容は以下の通り。 【CD1】 1) ピアノ協奏曲 第1番 BB 91, Sz. 83 1981年録音 2) ピアノ協奏曲 第2番 BB 101, Sz. 95 1978年録音 3) ピアノ協奏曲 第3番 BB 127, Sz. 119 1979年録音 ピアノ: ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-) ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 【CD2】 1) ヴァイオリン協奏曲 第1番 (op.posth), Sz36 1976年録音 2) ヴァイオリン協奏曲 第2番 Sz.112 1983年録音 ヴァイオリン: 鄭京和(Kyung-Wha Chung 1948-) シカゴ交響楽団(第1番)、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(第2番) バルトークは、同郷のショルティにとって、重要なライフワークとなった作曲家の一人で、その録音はいずれも高い品質を保っている。ショルティの指揮は、ときどき無機的と形容された。非常にメカニカルな冴えを見せる隙のない指揮振りに、生命的な脈とは無縁の怜悧さを表現したものだろう。しかし、その形容は誤解を招くだろう。同じようにバルトークという作曲家も、その作風を「無機的」と称されることがある。時として、例えば彼のピアノ曲や室内楽に認められるような荒々しい音楽的表現を、ほとんど加工せず(と思われるほど)ストレートに突きつけるスタイルを表現するためだろう。 しかし、もちろん音楽、そして芸術というのは、それほど一面的なものではない。私が思うに、バルトークが引用したマジャール的熱血を、もっとも強靭な力で表現しえたのがショルティだったと思うし、その血肉が滾る様な表現は、どう考えても無機的とは言い難いもので、聴き手の心を鼓舞してやまないものだからである。 この協奏曲集も、ショルティの怜悧なタクトの冴えが見事であるが、協奏曲というジャンルの特質性から、ソリストの表現とあいまって、やや緩和した表現のようにも思える。しかし、いずれも優れた録音であることには疑いもない。特にピアノ協奏曲は素晴らしい。 バルトークの3曲のピアノ協奏曲では、私は第3番が好きである。不思議な簡素さと、独特の高貴さを持ち、風雅と野趣の同居した、バルトークにしか描きえない世界が広がっている。このアシュケナージとの録音は名演。アシュケナージの明るい暖かさを湛えたピアノは、この曲に相応しい情感と色彩をもたらす。とくに第2楽章のアダージョは絶品と言っても良い。 第1番と第2番も優れた演奏である。バルトークが施した対位法的処理を適切にこなしながら、適度な肉感で、程よい装飾がなされる。リズムに従った機動的処理、ブラスの豊かな音量で獲得される迫力も過不足なく、聴き味がつねに音楽的である点も私の好きなところである。この2曲には、同時期の1977年に、ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)とアバド(Claudio Abbado 1933-2014)による名演もあった。そちらは、よりシャープで尖った音を用いて、音の細分化を高めた演奏で、バルトークを無機的と形容するなら、むしろそちらの方が印象に適(かな)うかもしれない。私は、どちらも好きであるが、これまで聴いた回数で言うと、このアシュケナージとショルティのものの方が断然多いだろう。 ヴァイオリン協奏曲も良い演奏である。バルトークが巧妙に設計した音像を巧みに再現している。ただ、音色としては、かなり鋭い音であり、それが好きな人には絶好であろうが、私の場合、最近出たエーネス(James Ehnes 1976-)とノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)による余裕と潤いに満ちた表現に食指の向くところがある。とはいえ、あらためて聴いてみると、鄭とショルティの厳しさにも、素晴らしい魅力があると感じる。 いずれにしても、これらの名演で、バルトークの主要な協奏曲5曲をまとめて聴けるのだから、当盤について、推薦としないわけにはいかないというのが、私の正直な感想です。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 p: エマール サロネン指揮 サンフランシスコ交響楽団 レビュー日:2024.2.1 |
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★★★★☆ 緻密な音響、厳しく管理された進行に従ったバルトーク
ピエール=ロラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)のピアノ、エサ=ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen 1958-)指揮、サンフランシスコ交響楽団の演奏による、バルトーク (Bartok Bela 1881-1945)の全3曲のピアノ協奏曲を収録。2022年から23年にかけての録音。 バルトークの3つの協奏曲の録音というのは、様々にあって、私も相応の数のものを聴いてきたと思う。そこに、エマールとサロネンという顔合わせの録音が加わるということで、大いに期待して聴かせていただいた。 5,6回聴いてみての感想となるか、この演奏の特徴は、まずコントロールが徹底していることである。正確なリズムと音価を追求する姿勢で徹しており、その厳密な進行にあたって、テンポはやや遅めをとることが多い。全体のトーンが暗めの印象を受けることは、前述の姿勢によって誘因された第2の特徴である。もちろん、情緒的なものは表現されているが、前提として寡黙さがあった上でのものであり、それゆえ、全体としては、静的な印象をもたらす。それが顕著なのは各曲の中間楽章であり、例えば第1番の第2楽章は、夜を思わせる深い闇の中、それでも正確に時を刻む時計のように音楽は進み、その中で、オーボエ、クラリネット、フルート、イングリッシュホルン、ファゴットのソロが導かれていく。その情感は深刻な暗さを内包している。 第2番の第1楽章は、独奏ピアノと管楽器、打楽器からなる音楽で、ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)のピアノと管楽器のための協奏曲の影響を明瞭に示す部分であるが、エマールとサロネンの作り出す厳密な音の交錯は、ストラヴィンスキーを彷彿とさせるバランスを感じさせることに成功しており、緻密で知的な音響が形成されているだろう。もちろん、熱的な放散もあるが、つねに厳密な統御を感じさせる響きである。また、この曲では、ティンパニの克明な響きは、かなり印象に残る。 第3番の第1楽章は、私がかつて聴いたものの中でも、特に遅いテンポを採用したものの一つであり、そこに活力的な前進性は、ほとんど感じられないのだが、音楽としては、成立するという不思議さがある。簡素さの中で浮かび上がるエレガントなものがあって、その獲得がこの演奏の成果だと感じられる。 以上のように、なかなか特徴的で、存在感を持つ録音である。ただ、私の場合、これらの楽曲において、この演奏がお気に入りのものになるかというと、そこはちょっと違っていて、もっと色彩的で、こちらに近づいてきてくれるものを持っている演奏の方が好きである。当盤の場合、あまりにも厳格で、聴き手にも厳しい集中力の持続を要求しており、そうでないと、単調に感じられる性質を持っている。 |
2台のピアノと打楽器のための協奏曲 ヴァイオリン協奏曲 第1番 ヴィオラ協奏曲 ブーレーズ指揮 p: エマール ステファノヴィチ ロンドン交響楽団 vn: クレーメル va: バシュメト ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.2.23 |
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★★★★★ ブーレーズならではの明晰なバルトーク
ブーレーズが独グラモフォン・レーベルに録音してきたバルトーク・チクルスが本盤を持って完結した。今回は知名度の低い協奏曲を集めたもので、資料的な価値も高い。 さて、ブーレーズはこのシリーズを通して全ての協奏曲を録音したことになるが、際立って特徴的なのが曲によって独奏者が違うことである。以前のピアノ協奏曲3曲でも、ツィマーマン、アンスネス、グリモーと3人のソリストを起用したし、今回のピアニスト二人はエマールとステファノヴィチである。ヴァイオリン協奏曲も第2番がシャハムだったのに今回(第1番)はクレーメル。どこまで意図が深いのかわからないが、確実に言えるのはそれだけこのシリーズが「ブーレーズ」という音楽家をがっちりと中心に据えた企画だということだ。 「2台のピアノと打楽器のための協奏曲」は同名のソナタを編曲したもの。私は「ソナタ」をよく聴いたが協奏曲版は今回が始めてだった。原曲がとても面白かったのでそれが協奏曲になると?と様々な興味があったが、聴いた印象は「意外と変わらないかな」と思った。オーケストラ譜がすっきりしているためか、音が極端に増えたり、カラーが大きく変わったりというようなことはなく、むしろ平均化されマイルドな味わいになっている。ブーレーズの指揮も抑制を意識したのか、禁欲的とも思える冷静な音色だ。終楽章のリズム感がより明瞭に感じられた点が特徴的。ヴァイオリン協奏曲第1番はロマン派的情緒と印象派的な色彩を湛えた曲で、初期のシェーンベルクやショーソンを私に想起させる。クレーメルは相当神経をこまやかに使っている印象で、バッハを弾いたときの野太い響きとはだいぶ印象が異なった。楽曲に応じてスタイルを変えたのか。瑞々しい細やかな表情づけで、曲のロマン性がよく出ていると思う。遺作であるヴィオラ協奏曲は始めて聴いた。今回の収録曲の中では一番渋い楽曲だろう。「ヴィオラ」にしては高音域を多用しており、ちょっと聴くとヴァイオリンのようにも思える。短い終楽章がバルトークのヴァイオリンやピアノの小品、あるいは舞踏組曲等で時折みられる野趣性が出ていて、個人的にはとても楽しく聴くことができる部分だった。いずれの楽曲でもブーレーズの指揮は冷静で、解析的とも言える克明な音楽を生み出している。 |
ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 ヴィオラ協奏曲 vn: エーネス ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2012.11.7 |
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★★★★★ 現代最高のヴァイオリン技術による圧巻のバルトーク
カナダのヴァイオリニスト、ジェイムズ・エーネス(James Ehnes 1976-)とイタリアの指揮者ジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)によるバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)のヴァイオリン協奏曲第1番、第2番及びヴィオラ協奏曲を収録したもの。オーケストラはBBCフィルハーモニー管弦楽団。2009年から2011年にかけての録音。 数多くいる器楽奏者の中で、誰が優れているかというのは大変難しい問題で、その音楽性がどれくらい人の心を動かせるかというのは、人によって違うし、またどの作曲家のどの曲を弾くかによっても変わってくる。批評家の間でも、例え同じ楽曲であってもAという奏者がいいという者もいれば、Bの方がいいという者もいる。私なんかの場合、すぐに「つまりは、その多様性こそが音楽の素晴らしさである」などと言ってしまうことがしばしばで、それは間違っているとは思わないが、自分の不明を無意識に誤魔化しているところもあるだろう。しかし、それでも、人によって全然異なる結論が導かれること自体が、とても興味深い事象だと考える。 それでも、一つ客観的な指標として、「技術」という問題がある。決められたパッセージをどれくらい早く正確に、音を濁らさずに弾けるか、リズムは正確か、音量は適切かなど・・コンクールなどで、技術が重視されるのは、評価者によって評価の差の生じにくい唯一の部分だからである。それに、技術はないよりある方がいいに決まっている。それで、コンクールなどでは、技術の観点を中心に順列が定まることも多い。さて、そういうわけで、「技術」の点で、私が現代最高のヴァイオリニストと思っているのが、このエーネスである。 ここに収められたバルトークの2つのヴァイオリン協奏曲だが、比較的名高い第2番に比べて、第1番は知名度も録音点数も少ない。その2曲が当ディスクでは合わせて聴けるのだけれど、さらに遺作であるヴィオラ協奏曲まで収録してくれているのがありがたい。これで、バルトークの弦楽器と管弦楽のための協奏曲を一通り聴くことができるのである。 演奏、録音とも素晴らしい。先に述べたエーネスの圧倒的な技術は、この楽曲を音色の点で見事なバランスに導いており、そのことによって音楽が親密なものとなり、暖かみを持って響いてくる。これは、このヴァイオリニストが、技術を媒体として作品を消化し、結果として演奏を通じて聴き手に感動を与える才、いわゆる「音楽性」にも恵まれていることの証しである。特にヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章の「アンダンテ・ソステヌート」は聴きモノだ。退廃と陶酔を行き交うような、体験の少ない美観を示しており、本演奏の登場をもって、この楽曲の価値自体を見直したくなる内容。作品への深い愛情が感じられ、瞑想的とも言える幽玄な雰囲気が満ちている。それは管弦楽の巧みな情感表出力により、さらに推力を高めて、心に訴えるものとなっている。この協奏曲第1番が、これまで経験したことのないような潤いを持って「美しい音楽」として響くことが、本盤の際立った特徴である。 第2番も曲想の表出がしっくりと味よく収まっているが、これもエーネスの高い技術により、不用意な成分がまったく感じられない楽器の響きの完璧性に担保されていることが大きい。遺作のヴィオラ協奏曲でも、エーネスのテクニックは存分に発揮されており、現代的な洗練を堪能できる仕上がりとなっている。これら3曲が収録されているという以上に、高い音楽的価値を示すアルバムとなっている。 |
バルトーク ヴァイオリン協奏曲 第2番 エトヴェシュ セヴン リゲティ ヴァイオリン協奏曲 vn: コパチンスカヤ エトヴェシュ指揮 フランクフルト放送交響楽団 アンサンブル・モデルン レビュー日:2013.10.21 |
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★★★★★ コパチンスカヤの明晰な音楽性が示された近現代ハンガリーの名協奏曲集
モルドヴァ生まれの気鋭のヴァイオリニスト、パトリシア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja 1977-)による意欲的な近現代の協奏曲プログラム。収録曲は以下の通り。 1) バルトーク(Bartok Bela 1881-1945) ヴァイオリン協奏曲 第2番 2) エトヴェシュ(Eotvos Peter 1944-) セヴン 3) リゲティ(Ligeti Gyorgy 1923-2006) ヴァイオリン協奏曲 2)の作曲者であるエトヴェシュが全曲の指揮をしており、管弦楽は、1)と2)がフランクフルト放送交響楽団、3)がアンサンブル・モデルンの演奏。2012年から13年にかけての録音。 いずれもハンガリーで生まれたヴァイオリン協奏曲である。バルトークの第2番については、名曲として定着しており、私も多くの録音を聴いてきたが、他の2曲については聴く機会は少ない。特にエトヴェシュの作品は私も初めて聴いた。コパチンスカヤはこれらの楽曲に心血を注ぐような刺激的で明敏な演奏を行っており、傾聴に値する。とくにリゲティ作品について、コパチンスカヤは「自分が弾くべき作品」として運命的なものを感じるものだと言っている。 あまり聴く機会のない2作品に焦点をあてたい。エトヴェシュの作品は「セヴン」というタイトルが与えられている。これはスペース・シャトルの打ち上げ失敗で亡くなった7人の宇宙飛行士に捧げられた哀歌だという。曲は5つの部分に分かれていて、最初の4つがそれぞれ「カデンツァ」とされている。それに続いて5つ目‐これは楽譜上の「第2部」とされる-の部分が奏でられる。 この音楽は悲劇的で、鎮魂というよりひたすら荒廃とした世界に晒されているような感じになるところが多い。しかし、刺激的なソノリティの中で、例えば3つ目のカデンツァで、重音から単音、あるいは単音から重音といった飛躍を繰り返しながら、古典的な足跡をなぞって、光と闇を相照らすように描き出す音楽の素描は、緊迫感に富んだ深刻さに満ちている。しばしば用いられるオーケストラによる繰り返し音型は、象徴的だろう。高音の細やかな刺激は、聴くものの心に不安を与えるが、それがこの音楽の目的と合致していることを、当盤の録音は率直に物語っている。恐ろしいほどのリアリズムに徹した響きを聴く。 リゲティのヴァイオリン協奏曲は、最終型といえる5楽章版によっている。この5楽章版の初演を行ったのが他ならぬエトヴェシュ指揮アンサンブル・モデルンである。今回はコパチンスカヤを独奏者に迎えての録音となった。 この作品は、バルトークの第2番とならんで、「20世紀の2つの偉大なヴァイオリン協奏曲」に数え上げられることもある。しかし、演奏の至難さと、実験性の高さから、なかなか聴く機会は多くはない。しかし、この録音で聴かれる精緻な出来栄えは、同曲の録音でもおそらく随一を争うレベルではないだろうか。私もそれほど多く聴いたわけではないし、比較自体が難しい音楽とは言え、この演奏の緊迫感はただならない。 冒頭のミニマル・ミュージックを思わせる音型の正確無比さ、第4楽章の様々な楽器の長い単音を重ねながら、長大なクレッシェンドが絶叫を築き上げる過程の緻密さ、第5楽章の野趣性と色彩感、また終楽章末尾の女声のボイスや、中間楽章の不協和な木管の不可思議な音色。どれをとっても高い技術と、高精度な分配力を感じさせる。ヴァイオリンも、一つとしてリズムを曖昧にすることなく、リゲティが書き込んだ細やかな音をことごとく再現し、ポリリズムも明確に処理していく。まさに圧巻の仕事。 ちなみに、カデンツァはコパチンスカヤ自身のものによる。 最後にバルトークであるが、こちらも良演。さすがにこの曲では、他にも名演・名盤が目白押しなので、「なんとしてもこれ」と言うわけではないが、コパチンスカヤの民俗的な主題への深い洞察は、音楽の迫力を高めていて、これまた見事。いずれにしても、すごい演奏をする人だ、とほとほと感服してしまった。高い集中力を持って聴く密度の濃い音楽たちである。 |
バルトーク 弦楽四重奏曲 全集 ヤナーチェク 弦楽四重奏曲 第1番「クロイツェル・ソナタ」 第2番「ないしょの手紙」 東京四重奏団 レビュー日:2010.1.23 |
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★★★★★ 弦楽四重奏曲の深化を感じさせる名盤
1993年から95年にかけて東京四重奏団が録音した名盤。バルトークとヤナーチェクという魅力的な組み合わせ。 ベートーヴェンが後期作品群で到達した深い思索性と神秘を、「弦楽四重奏曲」のジャンルで引き継いだ作曲家として、私はバルトークを挙げたい。それほど、この6曲の作品は音楽精神の深化を感じさせる作品群だ。第1番、第2番ではベートーヴェンの技法の発展とともに「無調」「原始主義」といった特有の野趣性を放っている。次いで異様を誇る第3番と第4番の2曲がある。これらは1927年から28年にかけて作曲されている。シェーンベルクが1923年から24年にかけて発表した「5つのピアノ曲」「セレナード」「ピアノ組曲」で完成に至った十二音音楽が吸収され、弦楽四重奏曲という和声と音色の調和に富んだ優れた編成により消化された、まさに天才の技と呼ぶべき作品だろう。十二音音楽はもちろんただのランダムな無調ではない。12の半音を規則的な進行法則に振り分け、それらの進行、逆行、反行によって音楽の発展的推進力を維持させるものだ。第3番、第4番ではその過程で生まれる不協和音の動的な迫力の中、マジャール的な音色を残しており、バルトークならではの学術的な力を感じさせる作品だ。しかし、もっとも一般的な人気曲は第5番だろう。1934年の作品であり、バルトークが続々と傑作を生み出した時期に書かれた。形式の面では古典への回帰があり、しかし、バルトークならではの土俗性を見事に調和させている。1939年の作品である第6番はバルトークのヨーロッパでの最後の作品となった。この後、特有の簡素さに至った時期にこのジャンルの作品が書かれなかったのは残念だ。 ヤナーチェクの2曲の弦楽四重奏曲もヤナーチェクの代表作というだけでなく、このジャンルでひときわ大きな存在感を成している。物語ふうと称されるどことなく民謡調のメロディラインと、時折五音音階風に彩られる背景が面白い。自由な形式を持ちながら、古典的な楽器編成により個性的な世界観へと誘われる。 東京四重奏団にとってバルトークはこれが2度目の録音であったが、まさに脂の乗り切った演奏で、4つの楽器の調和の美しさ、不自然さのないテンポと緩急で説得力に富む。またフォルテの部分では楽器本来の美しい響きを存分に引き出した重量感があり、聴き応え十分だ。 |
バルトーク 弦楽四重奏曲 第4番 ハルトマン 弦楽四重奏曲 第1番「カリオン(鐘)」 ツェートマイアー四重奏団 レビュー日:2013.9.26 |
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★★★★★ 素晴らしい、力の漲るハルトマンとバルトーク
オーストリアのヴァイオリニスト、トーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair 1961-)を中心としたツェートマイヤー弦楽四重奏団は、ツェートマイヤーの妻でヴィオラ奏者のルース・キリウス(Ruth Killius 1968-)、それに第2ヴァイオリンのクーバ・ヤコヴィッツ(Kuba Jakowicz 1981-)とチェロのフランソワーズ・グローベン(Francois Groben 1965-2011)が参加する形で1997年に結成された。当盤はそんな彼らが1999年に録音し、話題を呼んだディスク。 収録曲は以下の2作品。 1) カール・アマデウス・ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann 1905-1963) 弦楽四重奏曲 第1番「カリオン(鐘)」 2) ベラ・バルトーク(Bartok Bela 1881-1945) 弦楽四重奏曲 第4番 ドイツの作曲家ハルトマンは交響曲作曲家として一定の評価を得ている存在だが、その作品に触れる機会は多いとは言えないだろう。しかも、弦楽四重奏曲となるとなおさらで、私はこのディスクではじめてこの曲を聴いた。一方でハンガリーの作曲家バルトークは、すでに名だたる大作曲家で、6曲ある弦楽四重奏曲はいずれも名作として知れ渡っており、録音も数多くある。中でも第4番は、第5番と並んで、この作曲家の弦楽四重奏群の頂点と考えらえているものである。 バルトークの弦楽四重奏曲を「いずれも名作」と書いたけれど、一般的にこれらの音楽に親しんでいる人がどれくらいいるか、となると、それほどいないかもしれない。なぜなら、その作品は、20世紀を象徴するアカデミックな要求をクリアしながら民俗的題材を取り入れた「精緻さ」と「野趣性」の両面を持つもので、その音楽的性格は、聴き手に語りかけてくるような “親しみやすさ” から一線を画したものだからである。そして、ハルトマンの作品も、同じ傾向が感じられる。だから、このディスクの2曲は、聴き手にそれなりの「聴く力」を求めたものと言えそうだ。 収録時間が43分ちょっとと短いのであるが、これは、「集中力を持ってこれらの作品を聴ける時間」から逆算して、あえて短時間の収録内容にしたようにも感じられる。 ここで少し作品のことを書かせていただきたい(このディスクの場合、そのことが大事だと思うから・・)。ハルトマンの作品は1933年、バルトークの作品は1928年の作品で、両者の作曲年代は近いと言えるが、この時代の重要な音楽的出来事として、ベルク(Alban Berg 1885-1935)が1926年に弦楽四重奏のための象徴的名品「抒情組曲」を発表したことがある。ベルクが初めて十二音技法を用いて作曲した本格的な作品であり、当時の衝撃は大きかったに違いない。そのため、当時の作曲家たちは、このベルクの問いかけに、なんらかの「回答」をすることを考えたことが多かったと思うが、ここに収められた2作品は、その回答集と言えるものだ。(ハルトマンはヴェーベルンの弟子でもあった)。 私は、このディスクの場合、特にそういった「意味」を考えながら聴く方法が適切だと思う(それでくどくどと書かせていただきました)。 さて、前述したように私はハルトマンの当該作品を初めて聴いたので、他盤との比較という観点で言及することは出来ないが、それでもこの演奏がきわめてすぐれていることはわかる。まず音色の素晴らしさ。これはロンドン・タイムズ紙で、批評家ジェフ・ブラウン氏(Geoff Brown)が “ビロード・タッチ” と形容したそのもので、輝きと、柔らかい深みを併せ持った特有のコクを感じさせるもの。次に、その演奏が解釈を明晰に反映したものとなっている点が挙げられるだろう。ハルトマンの曲は、冒頭の4分間程度、耽美的で静謐な序奏が置かれているが、彼らの演奏からは、この部分に深いインスピレーション、この作曲家固有の主張を感じさせてくれる。そうかと思うと、第3楽章では、ベルクの抒情組曲や、バルトークの弦楽四重奏曲第4番と、このハルトマンの楽曲の間に、深い関連性が存在することを、気づかせてくれる。そのような強い訴えかけが、彼らの演奏に色濃く備わっていることに感服する。 さらにはバルトークの第4楽章で響くピチカートの交錯の有機性や、第5楽章における力強い血が煮えたぎる様な熱烈な表現は、この音楽の持つ一種の野蛮さを余すことなく開放した感がある。まさに知とパワーの双方が漲った凄まじいばかりの音楽になっている。 最初に書いたようにこれらの音楽はある程度聴き手を選ぶとは思うが、それでも、クラシック音楽を深く聴きたいと思う人には、是非聴いてほしいアルバムとなっている。 |
バルトーク 弦楽四重奏曲 第5番 ヒンデミット 弦楽四重奏曲 第1番 ツェートマイアー四重奏団 レビュー日:2013.10.21 |
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★★★★★ バルトークの第5弦楽四重奏曲の多面的価値を色濃く反映させた名演
オーストリアのヴァイオリニスト、トーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair 1961-)を中心としたツェートマイヤー四重奏団は、ツェートマイヤーの妻でヴィオラ奏者のルース・キリウス(Ruth Killius 1968-)、それに第2ヴァイオリンのクーバ・ヤコヴィッツ(Kuba Jakowicz 1981-)とチェロのフランソワーズ・グローベン(Francois Groben 1965-2011)が参加する形で1997年に結成された。当盤は2006年録音のアルバムで、収録曲は以下の2曲。 1) バルトーク(Bartok Bela 1881-1945) 弦楽四重奏曲 第5番 2) ヒンデミット(Paul Hindemith 1895-1963) 弦楽四重奏曲 第4番 op.22 ツェートマイヤー四重奏団は、2001年にバルトークの第4番をハルトマン(Karl Amadeus Hartmann 1905-1963)の弦楽四重奏曲第1番と併せて録音していたので、当盤で2曲目のバルトークの録音ということになる。 さて、バルトークの第5番とヒンデミットの第4番(スコアによっては、第3番として出版されているものもある)には共通項がある。それは5楽章構成で、第3楽章を中心とした対象構造を応用している点である。これは、シンメトリ構造とかアーチ構造などと呼ばれることもあるもので、緩急の楽章構成のみならず、旋律も音符をひっくり返したような構造を基準としたものを扱ったりする。そういった点で、この2曲の組み合わせというのは、すでに音楽的な好奇心を刺激するものとなっている。参考までに作曲年を書いておくと、バルトークの第5番は1934年、ヒンデミットの第4番は1923年の作品。いずれも、当時の前衛性を示した傑作の一つと認識されている。 さて、バルトークの第5番を「前衛性を示した」と書いたけれど、彼の6つの弦楽四重奏曲を俯瞰したとき、第3番や第4番が無調(アトナール)の音楽理論を追求して、論理的で鋭利な音楽作品として無類の高みに達し事と比較したとき、第5番の作風は、むしろあらためて少し前の時代に歩み寄ったようなところがある。この点は、発表当時には、急進派から批判を受けることもあったようだ。まあ、このころは、逆に急進的な音楽を書いたら、ナチスに批判されるわけで、どっちにしろ、誰かから批判されはしたのであろうけれど。 しかし、第5番は、そういった意味で祖先帰り的なところがあるとは言え、構成力、音色、基音の扱いとアトナールの融合といった面白みがあり、またバルトークならではの民俗音楽のモチーフの引用とを含めて、バルトークが切り開いた傑作の境地といった趣の強い作品でしょう。 それで、ツェートマイヤーの演奏は、そういった第5番の特徴をかなり根本から見直した観のある演奏で、特に音節の扱いに相応の長さを持って迫っていると感じるもの。つまり、断片的、線分的ではなく、あくまで連続した音楽として、古典的な音楽性を基準にアプローチしているように思う。 とは言っても、この弦楽四重奏団の出す音は凄いし、新しいと思う。音量、音色がともに豊富で、芯の太い、しかも深みのある音色。第2楽章の有名なバルトーク・ピッツィカート(弦を指板と垂直に強く引っ張ることで、弦を指板にぶつけて衝撃音を伴った複合的な音を出す)の意味深な響きと、前後の静謐な緊迫感は、じっくりと時間をかけて弾きこんだ気迫に満ちている。弛緩とは無縁の濃厚な音楽だ。第1楽章の壮絶な効果音的な刺激音も、いかにもたっぷりとエネルギーを含有した幅のある音で、インパクトが強い。第5楽章のリズム処理の迫力も素晴らしい。バルトークの急速楽章は、このように野蛮なくらいの迫力が欲しいのだ。 ヒンデミットの第4番も、彼の7曲ある弦楽四重奏曲の中でも重要な作品だと思う。アヴァンギャルドに傾倒しながらも、新古典主義の気鋭も持ち合わせたヒンデミット。この曲もバルトークに比べると、展開はそれほど激しくはないが、時に攻撃的な音色を連続させて、煽る様なところが散見される。音色的には、やはりこの時代の先鋭性を感じるものと言えるだろう。こちらは特に終楽章のパワフルな推進が圧巻で、これもバルトークの第5番と共通する要素と言えるだろう。とはいえ、両曲を続けて聴くと、バルトークの楽曲の異様なほどの存在感を再認識してしまったというのも正直な感想だろう。 |
ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ vn: テツラフ p: アンスネス レビュー日:2008.2.23 |
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★★★★★ 現代を代表する奏者によるバルトーク
クリスチャン・テツラフとアンスネスによるバルトークのヴァイオリン・ソナタ集。第1番、第2番の2曲と無伴奏ヴァイオリン・ソナタを収録。録音は2003年。 バルトークのヴァイオリン・ソナタもこの作曲家の作品群の中で存在感のあるもの。特にソナタ第1番は抽象性・実験性が多分に交錯し、かつ聴き映えのする楽曲だ。ここでは従来からの器楽曲の形式が新たに探求されている。印象派的な音色を醸し出すピアノに対し、旋律を担うヴァイオリンは同時に同じ音をを用いることはない。またマジャール旋法のこなれた扱いや変容も織り交ぜられている。第2楽章の精緻な退廃性、そして第3楽章の野趣性に溢れたリズム感が特筆される。ほぼ同じ時期に作曲された第2番ではより簡素な抽象性を感じる。一方でメニューヒンのために書かれた晩年の作品である無伴奏ヴァイオリン・ソナタはずっと自由さを感じる作品だ。 テツラフとアンスネスという現代を代表するデュオは、クールな理知性を感じさせる精緻な演奏を展開。特にソナタ第1番でアンスネスのピアノの響かせる美しい持続音が聴いた後も尾を引くように残る。テツラフのヴァイオリンもどこか虚無的な美しさがあり、ことに無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第3楽章は無人の廃墟に響くような不気味さのある退廃的な音に思える。 |
2つのルーマニア舞曲 ハンガリー農民の歌による即興曲 野外にて 14のバガテル p: ボファール レビュー日:2018.11.8 |
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★★★★★ やや難渋なところのあるバルトークのピアノ曲ですが、実力者ボファールによる良演です。
フランスのピアニスト、フロラン・ボファール(Florent Boffard 1964-)によるバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)のピアノ作品集。収録内容は以下の通り。 1) 2つのルーマニア舞曲 op.8a 2) ハンガリー農民の歌による即興曲 op.20 3) 野外にて(笛と太鼓 舟歌 ミュゼット 夜の音楽 狩) 4) 14のバガテル op.6 2018年の録音。 ボファールのバルトーク、と言うと、私はファウスト(Isabelle Faust 1972-)との優れた室内楽のアルバム(HMN 911702 1999年録音)を思い出す。その協演者である現代を代表するヴァイオリニスト、ファウストは、その他にも、ボファールと、フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924 2001年録音)のアルバムがあって、それは私にはなお忘れがたい一枚で、いま、それを思い出して、当サイトの当該欄を見ると、14年前に書いた私のレビューがあった。(長くレビューを書いていると、そういうことが、しばしばある)。そのレビューで、ボファールのことをドイツの音楽家と書いているのは、フランスの間違いなのだが(苦笑)、ピアノのうまさに感銘を受けたことが書いてあって、「そうだった、そうだった」と思い出した。以来、久しぶりにボファールの演奏を聴いたように思う。 それにしても、このボファールというピアニスト、優れた芸術家だと思うのだけれど、こんなに久しぶりな感じがするのは、録音リリースが少ないためで、是非、もっと多くの録音を世に出してほしいところであるが、このたびのリリースも、バルトークのピアノ独奏曲というわけで、少なくとも広く親しまれている楽曲とは言い難いので、当盤の登場によって彼の名が一躍広まるということは難しいか、と思う(ボファール自身、そんなことはどうでもいいのかもしれないが)。 だが、このバルトークはさすがに面白い。たしかに難渋さのある曲で、聴く側にもそれなりの努力を要するところもあるが、当盤に収録されている楽曲たちは、いずれもとても良く演奏されている、と感じる。 その感覚は、ボファールの演奏によって、バルトークのピアノ独奏曲の特徴、すなわち打楽器的奏法を頻繁に用いながらも、理性的なものと感性的なものが交錯する様が、とても周到に表現されていることによって得られたものだろう。 「2つのルーマニア舞曲」では、リズムの明瞭な表現と併せて、複雑な感情を示唆する不協和な音色の折り込みが美しい。高い緊張を維持しながら、ピアノの音色の美しさを、鋭い作法で表したスタイルが見事。 「ハンガリー農民の歌による即興曲」は、バルトークが採取したハンガリーの民俗音楽のフレーズを用いた8曲からなる曲集であるが、その素朴さ、野趣性、そして乾いた感情表現、一瞬の陰りのように刺す風情が特徴で、それらは音楽表現としては辛口であり、わかりにく部分もあるが、骨格は驚くほどの素朴で、かつそこに加えられた独特の音階、リズムの処理法がある。ボファールは、それらを、実に機敏なピアニズムで表現し、ゆるぎのない表現として完成させた感がある。第2曲では、音程上昇に伴う高揚感と、途中からそこに刺さってくる不協和が、二元的な間合いを感じさせて面白い。第3曲は、野外にての「夜の音楽」への布石であるという位置づけも明瞭だが、そこに交じる不穏、不吉な前兆のような要素が、音響的な完璧さをもって表現されている。第5曲の熱狂、そしてドビュッシーへの追悼と言われる第7曲の印象派の影響を思わせる静けさも万全の表現だ。 収録曲中もっとも有名だと思われる「野外にて」では「舟歌」における変化、そして、「夜の音楽」における何か野性的なものが息づくような気配が色濃く表現されている。「14のバガテル」は、私はこれまで印象に残っていた楽曲ではなかったのだが、ボファールの演奏の鋭さに魅了された。特にアレグロ部分、そして終曲の力強く正確なリズムに則って得られる活力豊かな表現は、バルトークの音楽に瑞々しい生命力を与えている。 |
バルトーク カンタータ・プロファーナ ヴァイネル 小管弦楽のためのセレナード コダーイ ハンガリー詩編 ショルティ指揮 ブダペスト祝祭管弦楽団 ハンガリー放送合唱団 レビュー日:2007.9.10 |
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★★★★★ ショルティ最晩年のブダペスト凱旋録音です
ハンガリーのブダペストで生まれ、世界各地のオーケストラと数々の輝かしい演奏をしてきたショルティが、その生涯の最後に故郷のオーケストラとハンガリーの作曲家たちの作品を録音した。セッション録音としてはこれが最後になる。どうもこのようなシチュエーションを前にすると、やはり運命論的なものを感じてしまうけれど、演奏、楽曲ともに掛け値なしの素晴らしいものである。 冒頭に収録されているバルトークの「カンタータ・プロファーナ」は「9匹の不思議な牡鹿」と別題があり、森に迷い鹿に姿を変えてしまった兄弟たちを、猟師である父が探しあて、連れ帰ろうとするが「別のもの」になった兄弟たちがそれを拒むという物語である。なんとなく祖国を遠く離れざるを得なかったショルティの境遇に似通う。。。というのは穿ちすぎだろうか。そうかもしれない。バルトークならではの野趣溢れるリズム感で、ショルティのダイナミックな指揮のもと合唱ともども壮麗な演奏となっており、恰幅のよい豪快さが清清しい。 レオ・ヴェイネル(Leo Weiner 1885-1960)もハンガリー出身のユダヤ系の作曲家でショルティにとっては師にあたる人物。彼も「メロディの宝庫」ハンガリーの作曲家らしく、民俗音楽から転用された主題の扱いが巧みで、収録された「小管弦楽のためのセレナード」も、親しみやすいメロディを瀟洒に扱う。オーケストラの手腕もなかなか鮮やか。 最後のコダーイの「ハンガリー詩編」は管弦楽を伴う合唱曲。これも様々なメロディが登場するおいしいところの多い曲だ。特にトラック9の、4分過ぎあたりから始まるハープソロ以降の美しいシリーズは圧巻だ。ショルティの指揮は全編を通じて力強く、歯切れのよい力感に溢れている。合唱は朗々壮麗で、加えてこのアルバムを通じてとても暖かいものが伝わってくる。素晴らしい内容のアルバムだ。 |
歌劇「青ひげ公の城」 ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 S: シャシュ Br: コヴァーチュ 他 レビュー日:2014.2.6 |
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★★★★★ 闇から始まり闇に終わる壮絶な物語
バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)が唯一書いた歌劇、「青ひげ公の城」の全曲。ショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。1979年の録音。配役は以下の通り。 ユディット; シャシュ・シルヴィア(Sass Sylvia 1951- ソプラノ) 青ひげ公; コヴァーチュ・コロシュ(Kovats Kolos 1948- バス) 吟遊詩人(前口上の語り); スタンカイ・イシュトヴァーン(Sztankay Istvan 1936-) この音源では、映像作品も作られていて、そちらはDVDがリリースされている。かつてNHKが、この映像作品を放映したことがあり(おそらく90年代はじめ)、私はそれをみて、たちまちその世界に魅了されてしまった。以来、このショルティ盤をLPで、次いでCDで購入し、愛聴してきた。 当盤の形式上の特徴として、ハンガリー語の作品を、ハンガリーのキャストで上演することで、ハンガリー語の発音に沿った音楽技法が、明瞭に打ち出されていることがある他、しばしばカットされることのある「吟遊詩人による前口上」が収録されていることがある。 この前口上が素晴らしい。効果満点だ。 歌劇は、この前口上から始まる。暗闇の中から、ただ、声だけが聴こえてくるような、暗示的、不思議な冒頭。ゆっくりと、たっぷりした抑揚で、人の心をゆさぶるように、間合いを空けながら、前口上が述べられていく。~その大意は以下のようなものだ。「遠い昔。どこの事かはわかりません。古城をめぐる古い言い伝えを物語らせていただきましょう。奥様方、旦那様方。歌が聞こえてまいりますよ。瞼を上げてください。ステージはどこでしょうね?(瞼の)外側か、それとも内側でしょうか?奥様方、旦那様方。私たちのまわりには、様々な事が起こりましょう。しかし、どのような強い力であっても、人の運命を決定することはできないでしょう。奥様方、旦那様方。お互いに見つめ合い、ただ、自分自身の物語を始めましょう。どこであっても、驚くべき、自分自身の物語を。奥様方、旦那様方。おや、幕が上がり始めたようです。音楽が聴こえてきました。火も灯されております。それでは、一幕の劇を始めるとしましょう。瞼を上げてください。そして、決して再び閉じることなどないように。それでは始めましょう。古い城の物語。皆様、どうぞお気を付けて。」 当盤のスタンカイの朗誦の素晴らしい事。暗く、オドロオドロしい気配。人の心の内奥から、良くないもの、気づいてはいけないものを起こすような、不気味でマジカルな朗誦だ。その終わりごろから、静かに音楽が聴こえてくる。不穏な緊張感を孕んだ音楽が、前口上が終わるとともに高まり、緊迫の度合いを高めていく。 前口上と黙役を除けば、登場人物は領主青ひげ公と、その新妻ユディットの二人だけである。有名なストーリーであるが念のため、その粗筋を書いておこう。 青ひげ公は、圧倒的な力を持つ領主だが、これまで彼に嫁いだ娘たちは、みな死んだと言われている。そんな青ひげ公を愛したユディットは、家族と故郷を捨てて、青ひげ公とともに彼の城に来る。城には7つの「開かずの間」がある。青ひげ公の諌めを聞かず、それらの部屋の開錠を要求するユディット。青ひげ公は、「知る必要はないことだ」と憂いを告げながらも、次第に激情にかられるユディットに従い、一つずつ部屋を開けていく。 第1の扉「拷問部屋」では壁に血の跡がある。第2の扉「武器庫」では武器に血がついている。第3の扉「宝物庫」でもで宝物は血に汚れている。第4の扉「秘密の庭園」では花に血の痕が残っている。第5の扉「領土を見渡す部屋」では、雲が血の色に染まっている。第6の扉「涙の湖」で二人は愛情を確かめ合う。しかし、最後の扉だけは開けるべきではないという青ひげ公の願いを無視し、第7の扉を開けるユディット。そこには死んだとされていた3人の前妻たちが、物言わぬ姿で立っている。「私は四人目を見つけた」の言葉とともに第7の扉に閉ざされるユディット。一人になった青ひげ公が「すべて闇の中に…」と言い残し暗転するように物語は終わる。 物語が示す含みは多様に解釈できるが、通り一遍には、自分の愛した男の「すべて」知りたがる女性を通し、すべてを知ることによって、次にどのような運命が待ち受けるかはわからないという暗示を示している、ということになる。 とにかく全編に満ちる音楽の緊迫感がただならない。オペラといっても一幕だけの短いものであるため、テキストに「つなぎ」に相当する部分がなく、結果的に濃厚な音楽が敷き詰められることとなる。ショルティのダイナミックなオーケストラ・サウンドが圧倒的だ。第一の扉へ至るユディットと青ひげ公の淡々としたやりとりに潜む恐怖、「領土を見渡す部屋」で、広大な領土を表現したオーケストラ全合奏の壮烈なパワー、涙の湖の寂寥さを漂わせた美観、そして終結部の暗黒の畏怖。強烈な表現力に満ち溢れた、圧倒的な名演だ。 二人の歌手も素晴らしい名演。青ひげ公の野太い声とともに、折れそうなほどの弱さや、激情にかられた苛烈さを表現するユディットとも感服の歌唱である。 闇からはじまり闇に終わる歌劇の凄まじさを、これでもかと示した豪演として、今なお高い価値を持つ録音。 |
歌劇「青ひげ公の城」 ピアノ協奏曲 第3番 組曲「中国の不思議な役人」 レヴァイン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 Br: トムリンソン S: ディチェーヴァ 語り: キスファルディ p: ビス レビュー日:2021.2.26 |
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★★★★☆ レヴァインとミュンヘン・フィルによりライヴ収録されたバルトーク
1999年から2004年まで、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めたジェームズ・レヴァイン(James Levine 1943-)が、同オーケストラを振ったライヴ記録がOehmsから何点かリリースされている。当盤はその一つで、CD2枚にバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の下記の作品が収録されている。 【CD1】 1) 歌劇「青ひげ公の城」 【CD2】 2) ピアノ協奏曲 第3番 3) 組曲「中国の不思議な役人」 1)の配役は以下の通り 青ひげ公: ジョン・トムリンソン(John Tomlinson1946-) バリトン ユーディト: クレメーナ・ディチェーヴァ(Kremena Dilcheva) ソプラノ 語り: エルス・キスファルディ(Ors Kisfaludy 1948-) 2)のピアノ独奏は、ジョナサン・ビス(Jonathan Biss 1980-) いずれも2003年のミュンヘンでのコンサートの模様を収録したもの。 レヴァインのミュンヘン・フィルでの首席指揮者としての任期は、5年間のみであった。この間、現地での批評家、聴衆からの評価が芳しくなかったという指摘もあるそうだが、そうだとすれば、そのベースには、前任者であった巨匠、チェリビダッケ(Sergiu Celibidache 1912-1996)と比較したときに、紡がれる音楽の質があまりにも大きかったことがあるかもしれない。チェリビダッケの浪漫的な音楽性に比し、レヴァインは直線的で、作り出す音楽がもつエネルギーの性質が、大きく異なる。どちらが優れているとかそういう話ではなく、一方に聴き馴染み、愛着が深まるほどに、他方への違和感が大きくなることは、想像出来る。 当盤に収録されたバルトークでも、レヴァインの指揮は、熱さや幅を求めるよりは、機敏で、フレーズの線を明晰にした音作りに焦点を当てている。透明感が高まる一方で、感情的な起伏については、比較的淡々とした印象。それは、バルトークだからかもしれないが、それにしても、チェリビダッケが指揮したバルトークのテイストとは、大きく異なるものがある。 収録された3曲の中で、私が良いと思ったのは、ビスを迎えてのピアノ協奏曲第3番である。この曲特有の、重力からの乖離を感じさせるフレーズを、繊細に描き出していて、クールで心地よい演奏だ。特に第1,2楽章にその特徴は良く出ていて、ビスの乾いたタッチとの相性も抜群。とても楽しい。 メインといえるのは「青ひげ公の城」だろう。私の場合、この曲については、ショルティ(Georg Solti 1912-1997)の名盤が、忘れがたいものとして刻まれているのだが、それに比べると、レヴァインの演奏は、明るいと思う。ストーリーの暗さを考えると、たた唐突な明朗さにも思えるが、明晰さは分かりやすさにもなっており、決して悪くはない。冒頭の吟遊詩人の語りは、私には妙にテンションが高い様に感じられるが、これも個性のうちだろう。ただ、録音のせいか、弦楽器の響きがやや硬い点が、時々粗く感じられる。個人的に印象的なのは第5の扉の「領土」の描写におけるパワフルな強奏、そして第6の扉の「涙の湖」におけるクールな響き。トムリンソンの青ひげは、威圧感があって、相応しい。 組曲「中国の不思議な役人」では、レヴァインの繰り出すスピーディーで階層的なオーケストラサウンドが、この曲の野趣的な側面を強めていて、迫力がある。 |