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バッハ



管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲


管弦楽曲

管弦楽組曲全集 音楽の捧げもの ブランデンブルグ協奏曲全集 フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 チェンバロ協奏曲 第1番~第5番 2台のチェンバロのための協奏曲 第1番 第2番 3台のチェンバロのための協奏曲 第2番 4台のチェンバロのための協奏曲 ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲
メニューイン指揮 バース祝祭管弦楽団 vn: メニューイン フェラス cemb: マルコム プレストン fl: シェファー ob: グーゼンス 他

レビュー日:2019.4.22
★★★★★ 往年の名芸術家、メニューインによる録音を集めた良心的なボックスセット
 メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)指揮、バース祝祭管弦楽団を中心としたバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)作品集で、以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) 管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066 1960年録音
2) 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067 1960年録音
3) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 1960年録音
【CD2】
4) 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV1069 1960年録音
5) 音楽の捧げもの BWV1079 1960年録音
【CD3】
7) ブランデンブルグ協奏曲 第1番 ヘ長調 BWV1046 1958年録音
8) ブランデンブルク協奏曲 第2番 ヘ長調 BWV1047 1958年録音
9) ブランデンブルグ協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048 1958年録音
10) ブランデンブルグ協奏曲 第4番 ト長調 BWN1049 1958年録音
【CD4】
11) ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050 1958年録音
12) ブランデンブルグ協奏曲 第6番 ロ短調 BWV1051 1958年録音
13) フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1044 1965年録音
【CD5】
14) チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV1052 1973年録音
15) チェンバロ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1053 1973年録音
16) チェンバロ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV1054 1970年録音
17) チェンバロ協奏曲 第4番 イ長調 BWV1055 1970年録音
【CD6】
18) チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV1056 1969年録音
19) 2台のチェンバロのための協奏曲 第1番 ハ短調 BWV1060 1969年録音
20) 2台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV1061 1969年録音
21) 3台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV1064 1956年録音 モノラル
22) 4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065 1956年録音 モノラル
【CD7】
23) ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041 1958年録音
24) 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043 1959年録音
25) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042 1958年録音
26) ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ニ短調 BWV1060 1962年録音
 独奏者、協演者は以下の通り。
 ヴァイオリン: ユーディ・メニューイン 5,7,8,9,10,12,23-26)、クリスティアン・フェラス(Christian Ferras) 24) 
 フルート: エレーヌ・シェファー(Elaine Shaffer 1925-1973) 2,5,10)、ウィリアム・ベネット(William Bennett 1936-) 12)
 ファゴット: アーチー・カムデン(Archie Camden 1888-1979) 5) 
 チェンバロ: ロナルド・キンロック・アンダーソン(Ronald Kinloch Anderson 1911-1984) 5)、ジョージ・マルコム(George Malcolm 1917-1997) 10,12,14-22)、サイモン・プレストン(Simon Preston 1938-) 19,20)、アイリーン・ジョイス(Eileen Joyce) 21,22)、サーストン・ダート(Thurston Dart) 21,22)、デニス・ヴォーン(Denis Vaughan) 22)
 トランペット: デニス・クリフト(Denis Clift) 7)
 リコーダー: クリストファー・テイラー(Christopher Taylor 1929-1982) 7,9)、リチャード・テイラー(Richard Taylor) 9)
 オーボエ: ジャネット・クラクストン(Janet Craxton 1929-1981) 7)、レオン・グーセンス(Leon Goossens) 26)
 ヴィオラ: パトリック・アイルランド(Patrick Ireland) 8,11)、ユーディ・メニューイン 11)
 ヴィオラ・ダ・ガンバ: アンブローズ・ゴーントレット(Ambrose Gauntlet) 11)、デニス・ネスビット(Dennis Nesbitt) 11)
 21,22)はボリス・オード(Boris Ord 1897-1961)指揮、プロ・アルテ・オーケストラ
 23,25)はメニューイン指揮、ロバート・マスターズ室内管弦楽団
 他は、メニューイン指揮、バース祝祭管弦楽団
 21,22)の録音は、マルコムによるチェンバロ協奏曲集というコンセプトで集められたものであり、メニューインは参加していない。なお、ブランデンブルグ協奏曲第3番では、通常独奏楽器の扱いはないが、原曲では末尾の2和音しか書かれていない第2楽章に関して、当盤はブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)によって、バッハの「トリオ・ソナタ 第6番 ト長調 BWV530」の第二楽章を、独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ、通奏低音のために編曲したスコアが用いており、そのため、独奏者が存在する形となる。
 これらの演奏様式は、現代のそれと比べると、テンポはゆったりしていて、ビブラートも用いられているが、しかし、音楽を通して伝わってくる感情の豊かさは立派なものである。この録音が行われた時代は、すでにアーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929-2016)をはじめとする古楽奏法に関する提案は行われていたが、まだ学術的な範囲を越えて人心を獲得したとはいえない頃である。ただ、メニューインが採用したスタイルは、大時代的なものとはまた異なり、コンパクトな楽団構成で、ポリフォニーの効果の分かりやすい透明性を意識したものでもある。それでいて、例えば管弦楽組曲第3番の序曲では、ティンパニ、トランペットの効果も高らかに勇壮な音楽を繰り広げており、音楽的効果と、様式的美観の双方のバランスを巧みに突いた演奏であったと感じられる。有名な管弦楽組曲第3番のエアーも、とても透明で清々しく、音が厚ぼったくなることを避けており、そのことが、楽曲全体の構成感を良く保っていると思う。
 管弦楽組曲第2番のエレーヌ・シーファーのフルートも聴きモノの一つだ。アメリカの女流フルート奏者の草分け的存在として知られる演奏者だが、その演奏は高貴と形容したい響きで、音質が安定し、かつとても輪郭のくっきりしたストレートさがある。安定した響きは、しばしば落ち着き過ぎという気もしないでもないが、淡々と奏でるバディヌリーは、楽曲の性格と見事な合致を見せて、健やかで美しい。
 「音楽の捧げもの」は、様々なヴァージョンで演奏されるが、ボーイリングの編曲は、進行にともなって加わる楽器にスポットライトを当てるもので、演奏会に相応しいものの一つと思う。そのスタイルに従ったメニューインの解釈で、各奏者の腕前を堪能することが出来る。
 「ブランデンブルグ協奏曲」も、最近流行のピリオド奏法によるものと比較するとテンポはややゆっくり目である。それゆえ、現代楽器ならではの中間色の豊富な音は、豊かで健康的な華やかさを持っている。メニューインは、ポリフォニーを明確に描く透明感あるサウンドを作りながら、適度な肉付けと情感を施し、暖かく潤いのある音楽を導いている。
 このような演奏は、今となっては、「往年の」名演、といった感じで、名演と呼ぶ際であっても、ある程度の条件が付されてしまうのかもしれない。録音状態を加味して、という以上に、ロマン派的な解釈との折衷的な性格の演奏だからである。しかし、その音楽は美しく、ピリオド楽器の演奏では、乾いて、刺々しくなってしまう部分であっても、ほどよいふくよかさがあり、私には聴き易い。もちろん、それゆえの音の重さもある。フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲の冒頭など、今の感覚で言えば、いかにも腰が重い感じがする。それをどう捉えるかは人それぞれだが、ブランデンブルグ協奏曲集に関して言えば、独奏楽器と合奏の対比など、いくぶん重みづけの付された響きで配色を整えられていた方が、楽曲ごとの個性が映えるし、面白味は増すと私は思う。
 当盤では、特に明朗な祭典的華やかさが好ましい。ブランデンブルグ協奏曲では第6番や、第3番の終楽章など、交錯する音色、そのそれぞれが歌謡性をもって響く音楽的な感触が絶好だ。第5番では、管弦楽組曲第2番でもソロを担ったシェファーのフルートの折り目正しい響きが美しい。第2番のテイラーのリコーダーも典雅だ。
 マルコムのチェンバロ協奏曲集もまた「往年の佳演」といったところ。マルコム、プレストン、ダートといった名手を揃え、全般に明朗なテイストの響き。テンポは現在聴かれるピリオド奏法に比べると、ゆったりしていて、オーケストラは厚い響きも辞さないわけだが、それゆえに独奏楽器の絶対的な音量の不足を感じるところはある。私は、バロックの作品だからといって、ピリオド楽器によるピリオド奏法で演奏するべきだ、とはまったく思わないが、ことこれらの楽曲の独奏楽器にチェンバロを用いるのなら、オーケストラもピリオド楽器で演奏し、編成も縮小した方が、バランスは良くなるだろう。とはいえ、それでも重厚な主題を奏でる際、チェンバロという楽器で演奏すると、絶対的な出力不足は感じられる。だから、これらの楽曲を録音するのであれば、ピノック(Trevor Pinnock 1946-)盤のように、録音技術でメリハリをつけるか、もしくは現代楽器であるピアノで奏するのが、いちばん良いと思う。
 ただ、それに代わる当盤の魅力は、自然なマイルドさである。人工的なものを感じさせない、おおらかな明るさは、全体の印象となっていて、「古き佳き」と形容したい典雅な響きに満ちている。各チェンバロ奏者は、真摯さを感じさせるアプローチをしており、楽器自体の出力不足を百も承知の上で、一生懸命弾いているというふうに感じる。協奏曲というイメージから離れて、チェンバロを含む合奏音楽というイメージで聴いたほうが、その音楽世界に入り込みやすいだろう。「チェンバロ協奏曲 第3番」や「3台のチェンバロのための協奏曲 第2番」のような明朗で祭典的な雰囲気をもった楽曲が、特にそのスタイルに合っているように思う。
 ヴァイオリン協奏曲集については、メニューインの録音は複数あって、私はその多くを聴いてはいないが、当演奏で聴かれるメニューインのスタイルは落ち着きがあり、響きはソフトなぬくもりを感じさせる。おそらく若いころの録音の方が、力強い膂力を感じさせるものだったと思うが、さすがに今となっては、録音が古くなった。一方で、当盤の録音は、比較的良好な品質といって良く、聴いていてそれほど「聴きづらさ」は、感じない。
 第1番の冒頭は、情感豊かで憂いのある合奏音が印象的・・(しかし、この点で個人的にもっとも印象深いのは、バリリ(Walter Barylli 1921-)シェルヘン(Hermann Scherchen 1891-1966)盤である)・・だ。管弦楽の豊かな情緒に導かれるようにしてはじまるヴァイオリン・ソロは、泣かせ節を自然なテイストで表出し、滋味を感じさせる。第2楽章のソロに宿るロマンティックな感興も胸に迫るものがある。
 2つのヴァイオリンのための協奏曲は、当時模範的といっても良い解釈だろう。第2楽章では豊かなポルタメントも聴かれるが、決して胃もたれするようなものではなく、全体の雰囲気はわりと清澄だ。両端楽章のスマートな響きはむしろ最近主流の解釈に近いものを感じさせる。
 第2番も落ち着いた解釈であるが、第1番に比べると、やや平板な印象を感じさせるところがある。訥々とした語り口であるが、あえて情感を抑えた表現を目指したような感じだろうか。ただ、音色は前述の通りで聴き易く、疲れない演奏といった感じ。
 ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲は、悪くはないのだが、当時の録音技術では、オーボエの音量が弱く、芯のある音色として伝わりにくいところがある。オーケストラとの音量バランスの関係で仕方ないとは言え、難点に感じるところ。ただ、グーセンスのオーボエは、高音が醸す典雅な風合いは良い感じで、古めかしい貫禄があり、味わいのある響きにはなっている。

管弦楽組曲全集
鈴木雅昭指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン fl: 前田りり子

レビュー日:2006.4.2
★★★★★ ピリオド楽器のイネガル(不均等)奏法による到達点
 鈴木雅昭の棒の下、バッハ・コレギウム・ジャパンがついにバッハの管弦楽組曲全曲をレコーディング。フラウト・トラヴェルソは前田りり子。2枚組みで、1枚目には、第3番、第1番、第2番の順番で3曲が、2枚目に第4番の1曲のみが収録されている。
 カンタータや協奏曲を録音して十分に蓄えられた奏法、解釈を、如何なく発揮した秀演となった。いわゆるピリオド楽器によるイネガル(不均等)奏法を追求しており、付点に近いアクセント変更よる装飾音化により、特有の流れと典雅な音色を獲得している。つまり、メロディラインにある音は均等に存在するのではなく、長く保持される音と、短縮される音により構成されるわけだが、もちろん節々におけるテンポはインテンポであるし、それがピリオド楽器奏法のたどり着いた「こなれた」表現としてここに正に聴く事ができる。そして、合奏そのものの精度の高さが、その奏法による表現をより純化しており、その結果、テイストとしてはとても軽い。たとえばかつてカラヤンやメニューインがタクトをとったときの豪放さは完全に遺棄されているわけだし、この時代にあってこの表現形態があらためて再構成された意義は大きいと思う。
 というわけで、非常に質の高い演奏で、一つの到達点を感じさせる内容となっている。

管弦楽組曲全集
ミュラー=ブリュール指揮 ケルン室内管弦楽団 fl: カイザー

レビュー日:2017.6.21
★★★★★ バッハの管弦楽組曲の「決定盤」と言ってもいいくらいの録音です
 ヘルムート・ミュラー=ブリュール(Helmut Muller-Bruhl 1933-2012)指揮、ケルン室内管弦楽団によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の管弦楽組曲全4曲を1枚のディスクに収録したアルバム。収録内容は以下の通り。
1) 管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066
2) 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
3) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
4) 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWN1069
 1998年の録音。第2番のフルート独奏はカール・カイザー(Karl Kaiser 1934-)
 非常に素晴らしい演奏で、これらの名曲における現代の代表的な録音と言って差し支えない。
 ケルン室内管弦楽団は、現代楽器による合奏団で、現代楽器によるバロック演奏は、現代では少数派となった観があるが、このような素晴らしい演奏を聴くと、ピリオド楽器派の人も、いろいろ再考するところが出てくるのではないかと思う。
 また、現代楽器による演奏といっても、この楽団も一時期はピリオド楽器の演奏を行っていたことがあり、そのような経験に裏付けられたやや早めのピリオド奏法を応用した進行は、現代的な感覚美に溢れている。
 現代楽器を用いた最大の特徴は、完璧なイントネーションによる再現性の確かさにあり、可能な限り偶発的なものを削いだ合奏音の見事なフォルムは圧巻と言える。ピリオド楽器の演奏では、楽器自体の不安定さに伴った幅があり、そのことによって、独特の風味があったことは確かであるが、しかし、この演奏の様に、メカニカルな正確さの裏付けという前提があったうえで、隅々にまで感覚を研ぎ澄まして音楽を表現することは、絶対的で不可侵な価値を持つものなのである。
 不用意な膨らみのないスリムな外形を持ちながら、時に激しい弾力を感じさせる踏込は、完全燃焼を感じさせる美しさで、不純物のない完成度に満たされている。だからといって演奏が味気ないということは決してない。隅々まで行き届いた表現は、人間的な感情の機微、特に「喜び」を聴き手に伝え、暖かい感動をもたらしてくれる。
 第2番の名手カイザーのフルートも見事。管弦楽と絶妙なバランスを保ちながら、艶を欠くところがない。
 全般にとにかく素晴らしい演奏の一語なのだが、象徴的な個所を一か所挙げるとすれば、第3番の序曲、それも序奏部が終わって展開が始まる瞬間。一陣の爽やかな夏風が吹き抜けるような、涼やかで健康的な幸福を満喫させてくれる。

管弦楽組曲全集
ポンマー指揮 札幌交響楽団 fl: 髙橋聖純

レビュー日:2017.8.16
★★★★★ モダン楽器によるバッハの素晴らしさを再証明するポンマーと札幌交響楽団の偉大な業績
 2015年から札幌交響楽団の主席客演指揮者を務めるマックス・ポンマー(Max Pommer 1936-)指揮によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の管弦楽組曲全曲がリリースされた。2017年のライヴ録音である。1枚のCDに以下の順番に全曲が収録されている。
1) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV.1068
2) 管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV.1066
3) 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV.1067
4) 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV.1069
 チェンバロ奏者に辰巳美納子を迎えているほか、第2番のフルート独奏を髙橋聖純(1975-)が務める。
 札幌交響楽団の奏でる素晴らしいバッハを聴いて、感慨は大きいが、それにもまして特筆したいのが、本アルバム作製にあたってのポンマーの意気込みである。バッハゆかりの地、ライプツィヒで生まれ、バッハの作品を永年にわたって研究し、当録音以前にも管弦楽組曲を何度となく演奏してきたポンマーは、当CDの解説に寄せて、ハンス・ツェンダー(Hans Zender 1936-)の「“作曲家の正しい解釈は、その時代の演奏様式の中に見出すべきだ” という主張は誤りである」という言葉を引用した上で、本来の響きだけで正しい解釈の方法が見えるという考えに危険性があることを指摘し、モダン楽器による演奏を強く推奨している。
 ポンマーは、この録音の前年、髙橋聖純も教鞭をとる札幌大谷大学で、研究者として、バッハの音楽に関するレクチャーを行った。私はそれを聞く機会はなかったのだけれど、そこで、ポンマーはバッハが当時いかにしてフランス様式が高度に集約された管弦楽組曲を書くに至ったか、またそれを現在演奏するに当たって、どのようなことに配慮して望むべきであるのかについて、とても内容の深い講義を行ったとのこと。
 私も、現代「バロックを演奏するならピリオド楽器」というのが、定説的になっていることに、普段から大いに疑問を感じ、今こそバロック作品の演奏におけるモダン楽器の素晴らしさに、もう一度着目すべきであろう、と思っていたので、このポンマーの言は、とても納得でき、かつ勇気づけられるものなのである。
 そして、それを証明するように、当盤に収録された演奏の素晴らしいこと。現代楽器ならではの安定感を土台に、すべてが過不足なく、バランスよく調和された響き、正確な音程と音長から導かれた輝かしく愉悦に満ちたリズムと音感、そしてここぞというとき盛り上がる中音域の豊な音圧に、たいへん感動させられる。そこに見出されるのは、疑いもない音楽への愛であり、音楽を演奏し、享受することへの喜びと感謝である。これほど美しい豊かな感情に溢れたものを、そう簡単に傍流におしやってはならない。ヨーロッパの本流から地理的に離れた日本の北辺にあるオーケストラが、そのことを堂々と主張し証明するたくましさに浸り、地元の人間として、これ以上ない幸福を味わうことができた。
 ポンマーと札幌交響楽団に喝采。

管弦楽組曲全集 音楽の捧げもの
メニューイン指揮 バース祝祭管弦楽団 fl: シェファー

レビュー日:2019.4.16
★★★★★ モダン楽器によるバッハの素晴らしさを再証明するポンマーと札幌交響楽団の偉大な業績
 メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)指揮、バース祝祭管弦楽団によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)作品集で、以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) 管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066
2) 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
3) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
【CD2】
4) 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV1069
5) 音楽の捧げもの BWV1079
 1960年の録音。
 2,5)のフルート独奏はエレーヌ・シェファー(Elaine Shaffer 1925-1973)、5)のファゴットはアーチー・カムデン(Archie Camden 1888-1979)、チェンバロはロナルド・キンロック・アンダーソン(Ronald Kinloch Anderson 1911-1984)、そしてヴァイオリンはメニューイン。「音楽の捧げもの」は、バース祝祭管弦楽団の演奏のため、ネヴィル・ボーイリング(Neville Boyling)がアレンジしたスコアによる録音。
 私は、両親がクラシック音楽を愛好していたため、その影響を受けて、子どものころから名曲の旋律に馴染んできたのだけれど、高校生になったころから、ふだん両親が聴くもの以外にも、家のLPコレクションから、いろいろ引っ張り出してきて、再生することを楽しむようになった。当時、私の両親は、もっぱら古典派とロマン派の音楽が好きで、バッハを聴くことはめったになかったのだが、そのコレクションの中に、このメニューインが指揮したバッハの管弦楽曲集があった。それは第2番と第3番が裏表になったもので、バッハの音楽に馴染みのなかった私は、その第3番を聴いて、なんて素敵な音楽なんだろう、と思ったのである。以来、私の中で、バッハの管弦楽組曲というと、いちばん深くに刷り込まれているのが、このメニューインの演奏ということになる。
 これらの演奏様式は、現代のそれと比べると、テンポはゆったりしていて、ビブラートも用いられているが、しかし、音楽を通して伝わってくる感情の豊かさは立派なものである。この録音が行われた時代は、すでにアーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929-2016)をはじめとする古楽奏法に関する提案は行われていたが、まだ学術的な範囲を越えて人心を獲得したとはいえない頃である。ただ、メニューインが採用したスタイルは、大時代的なものとはまた異なり、コンパクトな楽団構成で、ポリフォニーの効果の分かりやすい透明性を意識したものでもある。それでいて、例えば管弦楽組曲第3番の序曲では、ティンパニ、トランペットの効果も高らかに勇壮な音楽を繰り広げており、音楽的効果と、様式的美観の双方のバランスを巧みに突いた演奏であったと感じられる。有名な管弦楽組曲第3番のエアーも、とても透明で清々しく、音が厚ぼったくなることを避けており、そのことが、楽曲全体の構成感を良く保っていると思う。
 エレーヌ・シーファーのフルートも聴きモノの一つだ。アメリカの女流フルート奏者の草分け的存在として知られる演奏者だが、その演奏は高貴と形容したい響きで、音質が安定し、かつとても輪郭のくっきりしたストレートさがある。安定した響きは、しばしば落ち着き過ぎという気もしないでもないが、淡々と奏でるバディヌリーは、楽曲の性格と見事な合致を見せて、健やかで美しい。
 「音楽の捧げもの」は、様々なヴァージョンで演奏されるが、ボーイリングの編曲は、進行にともなって加わる楽器にスポットライトを当てるもので、演奏会に相応しいものの一つと思う。そのスタイルに従ったメニューインの解釈で、各奏者の腕前を堪能することが出来る。
 これらの録音は、現在となっては「かなり昔のもの」となったが、オリジナル楽器による演奏とは異なった肉付けの豊かさがあり、それでいて引き締まったプロポーションを持っている。私の場合、この録音には深い思い入れがあるのだが、そのことを別にしても、魅力的な演奏であり、今なお捨てがたいものであると思う。

ブランデンブルグ協奏曲 全曲
シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2012.5.31
★★★★★ 作曲者ゆかりの地から、シャイーならではの麗しいロマンあるバッハ
 2005年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに就任したリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)は、この地にゆかりの深い偉大な作曲家、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品を積極的に取り上げるようになった。これまでシャイーという音楽家からバッハという作曲家へのアプローチが行われることは、あまり想像してなかったのだけれど、これらが聴いてみるとなかなか良い。
 当盤は、その取り組みの一つで、ブランデンブルグ協奏曲全曲が2枚のディスクに収録されている。録音は2007年。
 ブランデンブルク協奏曲は全6曲からなる作品群で、バッハの代表作の一つとして知られる。曲名の由来は、これらの作品が、ブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィッヒ(Christian Ludwig 1677-1734)に捧げられたことにある。1721年当時、すでに作曲されていた作品から6曲が選ばれたという説が定説で、これら楽曲の作曲年代は1718-21年と推定されている。
 6曲はそれぞれ楽器編成を異にしている。また、これらの曲をすべて「合奏協奏曲」と呼ぶのは正確ではないだろう。すなわち、本来「合奏協奏曲」とは、独奏楽器陣と合奏楽器陣が交互に主題を奏す様式を指すのだが、第3番と第6番の2曲に関しては、独奏楽器陣が存在しないため、一種の「管弦楽組曲」と称した方が、実態に合っていることになる。また、「合奏協奏曲」では、独奏楽器が一つではなく複数存在しているところが、古典派以後の「協奏曲」との大きな相違点となる。圧倒的に有名なのが第5番であるが、第1楽章に登場する長大なチェンバロ・ソロは、後の“独奏楽器が一つ”の協奏曲、「チェンバロ協奏曲」の発展の礎となった作品と言える。そのため、音楽史の上でも、重要な役割を果たした楽曲となるだろう。楽章は3または4つで構成されるが、第6番以外は、長調の両端楽章が短調の中間楽章を挟む形になっている共通項も注目できるだろう。
 このシャイーとライプツィヒ・ゲヴァントハウスの録音は素晴らしい。まず、どのような編成であっても、精巧なオーケストラのアンサンブルが保たれていることが特筆できる。次に、最近では、バッハの楽曲というと、判で押したようにピリオド楽器が用いられるが、現代楽器特有のふくよかな感触を、精緻に縫い上げた彩が見事だ。ピリオド楽器の演奏に聴きなれた現代では、シャイーのテンポはややゆったりめに思えるが(もちろん、アンティークな演奏と比べれば、十分速いのだが)、このテンポであってこそ掬い取られる情感が適切に得られており、それが高貴な雰囲気をまとって聴き手に「魅力的に」伝わってくるのが最大の美点である。「こうでなくちゃ」と思うファンは相当数いるのではないだろうか?(私もその一人ですが・・・)
 更には、楽器の麗しい柔らかな響きも存分に堪能できる。ことに管楽器の豊かな円熟した味わいは現代楽器ならではのまろやかな情感に満ちている。バッハの音楽が秘めるロマン性をほのかに漂わせた香気を抜群の距離感でとらえた録音も秀逸だと思う。総じて、バッハの音楽の特性を見事に表出させることに成功した価値あるディスクと言えるだろう。

ブランデンブルグ協奏曲 全曲
アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

レビュー日:2015.8.26
★★★★☆ 今となっては、の感もあるが、懐かしい美点を感じる演奏です。
 クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-2014)が1975年と76年に、ミラノ・スカラ座管弦楽団を指揮して録音したバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のブランデンブルグ協奏曲集。全6曲を収録。
 ブランデンブルグ協奏曲は、独奏楽器と、弦楽合奏・通奏低音からなる合奏が、互い違いに登場する様式で書かれた代表的な作品集。全6曲について独奏が割り当てられた楽器と併せて記載し直すと以下の通り。
第1番 ヘ長調 BWV1046 ホルン2、オーボエ3、ファゴット、ヴィオリーノピッコロ
第2番 ヘ長調 BWV1047 トランペット、リコーダー、オーボエ、ヴァイオリン
第3番 ト長調 BWV1048 ヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ3
第4番 ト長調 BWV1049 ヴァイオリン、リコーダー2
第5番 ニ長調 BWV1050 フルート、ヴァイオリン、チェンバロ
第6番 変ロ長調 WV1051 独奏、合奏の区別なし 
 当盤も上記の通り収録されている。
 このアバドの録音、海外では、最近までCD化されておらず、日本国内でも一度リリースされたのみだったらしい。最近になってbox-setなどに収録されることがあり、CDというメディアで広範に流通するようになった。
 とはいってもアバドはこれらの楽曲を2007年にモーツァルト管弦楽団と録音しており、解釈もモダンに変わっているため、いま現在アバドのブランデンブルグ協奏曲をとるなら、新しい方の録音を採るべきだろう。
 当盤で聴かれる音楽は、当時の現代楽器を用いた解釈で、ロマン派的な香りのただようもの。それはそれで悪くないのだけれど、あきらかに現在の主流の解釈とはことなった路線のものだと思う。落ち着いたテンポで、旋律にはたっぷりとした情緒があり、例えば第1番の第2楽章で朗々と歌われるヴィオリーノピッコロを聴くと、さすがに解釈面での時代的なギャップを感じるところがある。
 とはいえ、アバドとミラノ・スカラ座管弦楽団が繰り広げる明朗で開放的な演奏は、これらの楽曲の華やかな一面をよく示したものともいえるだろう。
 聴きどころとしては、有名な第5番で起用されたブルーノ・カニーノ(Bruno Canino 1935-)のチェンバロを挙げたい。カニーノはピアニストとし名を知られる人で、特に室内楽の伴奏などで録音もいくつかあるのだけれど、チェンバロをここまで闊達に響かせる人だとは知らなかった。特に有名なあの長いカデンツァの流れるように鮮烈な音のつながりは、とても爽快だ。
 かつてのアバドの解釈に思いを馳せながら、ときどきステレオから流してみても良いアルバムといったところ。

ブランデンブルグ協奏曲 全曲 フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲
メニューイン指揮 バース祝祭管弦楽団 vn: メニューイン 他

レビュー日:2019.4.17
★★★★★ メニューインの貫禄が味わえる名演です
 ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)指揮、バース祝祭管弦楽団による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のブランデンブルグ協奏曲全曲を中心としたアルバム。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ブランデンブルグ協奏曲 第1番 ヘ長調 BWV1046
2) ブランデンブルク協奏曲 第2番 ヘ長調 BWV1047
3) ブランデンブルグ協奏曲 第3番 ト長調 BWV1048
4) ブランデンブルグ協奏曲 第4番 ト長調 BWN1049
【CD2】
5) ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050
6) ブランデンブルグ協奏曲 第6番 ロ短調 BWV1051
7) フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1044
 7)のみ1965年、他は1958年の録音。
 各協奏曲の独奏楽器の担い手は以下の通り。
 ヴァイオリン: ユーディ・メニューイン 2,3,4,5,7)
 トランペット: デニス・クリフト(Denis Clift) 2)
 リコーダー: クリストファー・テイラー(Christopher Taylor 1929-1982) 2,4)、リチャード・テイラー(Richard Taylor) 4)
 オーボエ: ジャネット・クラクストン(Janet Craxton 1929-1981) 2)
 ヴィオラ: パトリック・アイルランド(Patrick Ireland) 3,6)、ユーディ・メニューイン 6)
 フルート: エレーヌ・シェファー(Elaine Shaffer 1925-1973) 5)、ウィリアム・ベネット(William Bennett 1936-) 7)
 チェンバロ: ジョージ・マルコム(George Malcolm 1917-1997) 5,7)
 ヴィオラ・ダ・ガンバ: アンブローズ・ゴーントレット(Ambrose Gauntlet) 6)、デニス・ネスビット(Dennis Nesbitt) 6)
 なお、ブランデンブルグ協奏曲第3番では、通常独奏楽器の扱いはないが、原曲では末尾の2和音しか書かれていない第2楽章に関して、当盤はブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)によって、バッハの「トリオ・ソナタ 第6番 ト長調 BWV530」の第二楽章を、独奏ヴァイオリン、独奏ヴィオラ、通奏低音のために編曲したスコアが用いており、そのため、独奏者が存在する形となる。
 現代楽器による演奏で、最近流行のピリオド奏法によるものと比較するとテンポはややゆっくり目である。また現代楽器ならではの中間色の豊富な音は、豊かで健康的な華やかさを持っている。メニューインは、ポリフォニーを明確に描く透明感あるサウンドを作りながら、適度な情感を与え、肉付けを施し、暖かく潤いのある音楽を導いている。
 このような演奏は、今となっては、「往年の」名演、といった感じで、名演と呼ぶ際であっても、ある程度の条件が付されてしまうのかもしれない。録音状態を加味して、という以上に、ロマン派的な解釈との折衷的な性格の演奏だからである。しかし、その音楽は美しく、ピリオド楽器の演奏では、乾いて、刺々しくなってしまう部分であっても、ほどよいふくよかさがあり、私には聴き易い。もちろん、それゆえの音の重さもある。フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲の冒頭など、今の感覚で言えば、いかにも腰が重い感じがする。それをどう捉えるかは人それぞれだが、ブランデンブルグ協奏曲集に関して言えば、独奏楽器と合奏の対比など、いくぶん重みづけの付された響きで配色を整えられていた方が、楽曲ごとの個性が映えるし、面白味は増すと私は思う。
 当盤では、特に明朗な祭典的華やかさが好ましい。ブランデンブルグ協奏曲では第6番や、第3番の終楽章など、交錯する音色、そのそれぞれが歌謡性をもって響く音楽的な感触が絶好だ。第5番では、管弦楽組曲第2番でもソロを担ったシェファーのフルートの折り目正しい響きが美しい。第2番のテイラーのリコーダーも典雅だ。
 確かに録音としては、さすがに古くなったのは否めないが、録音年代を考えるとその状態は良好と言えるし、「往年の」といった冠をつけなくても、今なお堂々たる名演と呼んで、差し支えないだろう。

ストコフスキーによるバッハ作品の交響的編曲集
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2011.6.14
★★★★★ だれもが共有できる「あの曲!」を想起させるストコフスキーの名編曲
 1938年ウルグアイ生まれの指揮者ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier)によるボーンマス交響楽団とのレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski 1882-1977)の編曲集。当盤にはバッハの他、ヘンデル、パーセルの作品からの編曲などが収められた。2005年録音。
 いきなりちょっと別の話を書く。結構前だが、とりたててクラシック音楽には詳しくない妻が、「パッヘルベルのカノンを聴きたい」と言ったとき、ちょっと試しに所謂ピリオド楽器によるピリオド楽器奏法の演奏を聴かせたところ、予想通り「なんじゃこりゃ?」という反応であった。「こんなに早く弾いて、CDの故障?」と・・・。「いや、故障じゃないよ、こういう解釈の演奏なんだよ・・、じゃあこっちの方がきっとイメージ通りだね」とミュンヒンガーのいわゆる「古典的な」演奏を聴かせると、今度はとっても納得していた。「この曲が聴きたかったんだ・・」「いや、まあ同じ曲なんだけどね」と・・(笑)。
 何が言いたいかというと、ピリオド楽器だ、アラ・ブレーヴェだ、イネガル奏法だ・・と研究的解釈に基づいた演奏がさかんになり、それを聴いて楽しむ一方で、もう一つの音楽の要素、人への「近づき易さ」という価値が、最近置いていかれているように思う。いや、もちろんピリオド楽器など、様々な試みは価値があって、それを否定するわけではまったくないのですが。
 それで、その「近づき易さ」を最重点に音楽をやっていた人というのが、ストコフスキーだったのじゃないかな、と思う。彼の編曲はどれもロマンティックで少し回顧調なのだ。なので、例えばこのアルバムの冒頭に収録された有名な「G線上のアリア」であっても、鳴り始めたとたんに、誰もが「ああ、この曲知ってる!」と思えるような、オーソドックスで人の心に残り易いテンポと音色が巧妙に選択されている。だから、妙にクラシック音楽に詳しくない人(そしてそれが世の大部分!)にとっては、むしろこの編曲こそが、カンタンにみんなと共有できる「あの曲」足りえるのである!
 ・・と書くとただ俗っぽいイメージだろうか?そうではない。編曲だけでなく、セレブリエールの指揮も見事。決してこれらの編曲ものも「分り易い」だけでなく、懐の大きなフォローで、必要な場所は適度に「掘り下げた」表現を見せてくれる。だから、聴いていても、通俗的で飽きるという思いも抱かせない。まさにコクのある演奏だ。また、ストコフスキー自身の編曲により巷に登場することとなった「2つの古い典礼歌の旋律」も、美しい作品で、様々な意味でストコフスキーとセレブリエールに感謝したくなるディスクだ。

ストコフスキーによるバッハ作品の交響的編曲集 2
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2011.6.14
★★★★★ 名画「ファンタジア」を彷彿とさせるストコフスキー・サウンド
 ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier)とボーンマス交響楽団によるレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski 1882-1977)のバッハ編曲集、2枚目。2008年録音。バッハだけではなく、バロックから古典にかけての他の作曲家の作品の編曲も収録されている。
 冒頭はトッカータとフーガ。そう、この曲は冒頭に置かねばならない・・・。1940年にディズニーが製作した映画「ファンタジア」はクラシックの名曲から物語を紡ぎだした名作中の名作である。日本で公開されたのは1955年で、私が生まれるよりずっとずっと前の出来事。しかし、何らかのリヴァイヴァル上演の再、私も映画館でこの映画を観た。その記念すべき第1曲がストコフスキー編曲によるトッカータとフーガである。
 映画の中で、この「トッカータとフーガ」による物語だけが抽象的な内容で、音楽の世界から少しずつ映画の世界に分け入っていくような、摩訶不思議な演出がなされていた。幼少の自分がその意図を理解していたとはとても思えないが、弦を弾く弓の重なった絵や、大きな岩の様なものがゴロゴロ動いていくシーンなど、とても印象に残っている。思えば、この作品ではじめて「ステレオ技術」の導入が果たされたのである。音楽を務めたストコフスキーの役割の多彩さを改めて思い知る。
 それで、このアルバムも「トッカータとフーガ」から、ストコフスキーの編曲の世界に入っていくことになる。ストコフスキーの編曲には衒いがない。オーケストラのパワーの最大の限りの尽くし、必要とあらば壮大な音の伽藍を築き上げる。また、セレブリエールの指揮も全合奏の迫力からデリケートなピアニシモまでストコフスキーの編曲を再現するダイナミクスを存分に表現している。
 「アリオーソ」はチェンバロ協奏曲へ短調(BWV1056)のラルゴ楽章の編曲で、弦楽器の豊かな表情が聴きモノ。また、編曲は常にフル・オーケストラというわけでなく、前奏曲第24番やシチリアーノのように弦楽合奏によるものもある。いずれにしてもセレブリエールはオーケストラから最高の能力を引き出しているように思う。「目覚めよと、呼ぶ声あり」、「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」、「トッカータ、アダージョとフーガからアダージョ」など多分にロマンティックでありながら、適度な拘束があり、音楽を自由に流し過ぎない美点もある。
 最後に収録されたハ短調のフーガは、ストコフスキーの「ワグネリアン」としての一面を端緒に示すだろう。


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協奏曲

ピアノ協奏曲全集(第1番~第7番 2台のピアノのための協奏曲 第1番~第3番 3台のピアノのための協奏曲 第1番 第2番 4台のピアノのための協奏曲)
p: ベロフ タッキーノ コラール リグット ダルベルト ワレーズ指揮 アンサンブル・オルケストラル・ドゥ・パリ

レビュー日:2007.11.25
★★★★☆ 5人のピアニストによるバッハのクラヴィーア協奏曲全集
 3枚のCDにバッハのクラヴィーアのための協奏曲を、すべてピアノによる演奏で収録したもの。5人のピアニストが参加している。だれがどの曲を弾いているか、書いておきます。
 協奏曲 第1番;ダルベルト 第2番;コラール 第3番;タッキーノ 第4番;リグット 第5番;タッキーノ 第6番;リグット 第7番;ベロフ  2台のピアノのための協奏曲 第1番~第3番;ベロフ、コラール  3台のピアノのための協奏曲 第1番;ベロフ、コラール、リグット 第2番;コラール、タッキーノ、ベロフ  4台のピアノのための協奏曲;ベロフ、タッキーノ、コラール、リグット。オケはワレーズ指揮のアンサンブル・オルケストラル・ドゥ・パリ。録音81年から93年にかけてだが全部デジタル録音となっている。
 なぜ1曲だけダルベルトなのか不思議だが、通して聴くと、思いのほか彼らは「似たタイプ」のピアニストだと気づかされる。実際、これを目隠しで聴いての「ピアニスト当て」はかなり難しい。ダルベルトはこの頃のベロフに近く、カリッとした音型を出して、オーケストラとの運びも鮮やかだ。タッキーノもきわめて近い。コラールの健康的な響きは軽やかで、「2台の協奏曲」ではベロフとの息もぴったり。全般にピアノでこれらの楽曲にアプローチした意義と合わせて、均質な全集となっているのは聴きやすい。
 ただし、この録音はぱっとしない。この時代のEMIの録音全般に言えることだけど、音に遠近感がなく、どの音も質や量に変化がないから、かなりベロッとした印象の平板な録音である。これがデッカの録音だったらきっと比類ない爽快さだっただろう、と思うと心残りである。

チェンバロ協奏曲 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 2台のチェンバロのための協奏曲 第1番 第2番 3台のチェンバロのための協奏曲 第2番 4台のチェンバロのための協奏曲
chem: マルコム プレストン ジョイス ダート ボーン メニューイン指揮 バース祝祭管弦楽団 オード指揮、プロ・アルテ・オーケストラ

レビュー日:2019.4.19
★★★★☆ 古典的な典雅さを感じさせる、明るくマイルドな演奏
 イギリスの鍵盤楽器奏者、ジョージ・マルコム(George Malcolm 1917-1997)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のチェンバロ協奏曲集。CD2枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV1052 1973年録音
2) チェンバロ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1053 1973年録音
3) チェンバロ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV1054 1970年録音
4) チェンバロ協奏曲 第4番 イ長調 BWV1055 1970年録音
【CD2】
5) チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV1056 1969年録音 1969年録音
6) 2台のチェンバロのための協奏曲 第1番 ハ短調 BWV1060 1969年録音
7) 2台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV1061 1969年録音
8) 3台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV1064 1956年録音 モノラル
9) 4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調 BWV1065 1956年録音 モノラル
 協演者は、1~7)がユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)指揮、バース祝祭管弦楽団、8,9)がボリス・オード(Boris Ord 1897-1961)指揮、プロ・アルテ・オーケストラ。マルコム以外の独奏者は、6,7)がサイモン・プレストン(Simon Preston 1938-)、8)がアイリーン・ジョイス(Eileen Joyce)とサーストン・ダート(Thurston Dart)、9)は8)の3人に加えてデニス・ヴォーン(Denis Vaughan)が参加。
 当盤の印象を一言で述べるとしたら、「往年の佳演」といったところ。マルコム、プレストン、ダートといった名手を揃え、全般に明朗なテイストの響き。テンポは現在聴かれるピリオド奏法に比べると、ゆったりしていて、オーケストラは厚い響きも辞さないわけだが、それゆえに独奏楽器の絶対的な音量の不足を感じるところはある。私は、バロックの作品だからといって、ピリオド楽器によるピリオド奏法で演奏するべきだ、とはまったく思わないが、ことこれらの楽曲の独奏楽器にチェンバロを用いるのなら、オーケストラもピリオド楽器で演奏し、編成も縮小した方が、バランスは良くなるだろう。とはいえ、それでも重厚な主題を奏でる際、チェンバロという楽器で演奏すると、絶対的な出力不足は感じられる。だから、これらの楽曲を録音するのであれば、ピノック(Trevor Pinnock 1946-)盤のように、録音技術でメリハリをつけるか、もしくは現代楽器であるピアノで奏するのが、いちばん良いと思う。
 ただ、それに代わる当盤の魅力は、自然なマイルドさである。人工的なものを感じさせない、おおらかな明るさは、全体の印象となっていて、「古き佳き」と形容したい典雅な響きに満ちている。各チェンバロ奏者は、真摯さを感じさせるアプローチをしており、楽器自体の出力不足を百も承知の上で、一生懸命弾いているというふうに感じる。協奏曲というイメージから離れて、チェンバロを含む合奏音楽というイメージで聴いたほうが、その音楽世界に入り込みやすいだろう。「チェンバロ協奏曲 第3番」や「3台のチェンバロのための協奏曲 第2番」のような明朗で祭典的な雰囲気をもった楽曲が、特にそのスタイルに合っているように思う。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番
p: バーラミ シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団

レビュー日:2011.8.16
★★★★★ ピアノならではのアプローチに一石。バーラミのバッハ。
 バッハのピアノ協奏曲5曲(第1番~第5番)を収録。ピアノは1976年、テヘラン生まれのピアニスト、ラミン・バーラミ(Ramin Bahrami)。リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏。2009年のライヴ録音。
 バッハの独奏クラヴィーアのための協奏曲は、現在では7曲あるとされていて、他に部分的に残っている1曲を「第8番」と表記することもある。現在では全てがヴァイオリン協奏曲等からの編曲であったと考えられているが、肝心の原曲が消失しているものもあり、スマートに分類はできない状況。圧倒的に完成度が高く、クラヴィーアの華麗な演奏技巧が楽しめるのが第1番で、名曲とされる。第5番は第2楽章の弦のピッチカートをバックに歌うピアノの美しい旋律が有名。また、第3番は高名なヴァイオリン協奏曲第2番の編曲なので、初めて聴いても「聴いたことがある」と思う人が多いだろう。
 バッハのクラヴィーアのための協奏曲も随分と「ピアノ」で弾かれるようになったものだ。私の場合、この第1番はピノック(Trevor Pinnock 1946-)によるチェンバロとオリジナル楽器によるカッコイイ演奏が鮮烈な第1印象だったのだけれど、第1番以外の曲では、チェンバロによる演奏はニュアンスに乏しい弱点が顕著に思えた。しかし、シフやペライアのピアノによる全集を聴いて、それらの曲の美しさが十全に表現されるようになったと感じた。
 となると、今度はまた違ったピアノで聴いてみたくなる。バーラミのピアノも面白い!この人の場合、ピアノという楽器の自由さを、より束縛なく活用していると思う。簡単に書くと、フレージングの長さが特徴だろう。「フレージングの長さ」というのは抽象的だろうか?だが、他の演奏と比べて、フレーズの明瞭な切れ目が少なく、息つくような間合いがあまり設けられていないと思う。聴きようによっては、一様で、のぺっとした印象なのだけれど、この録音では、オーケストラの弦のダイナミクスがよく映えて、いかにも協奏曲然とした趣が引き出されていると思う。それが狙いだとしたら、なかなか周到な準備をしてコンサートに臨んだものだ。もちろん、それだけが特徴というわけではなく、攻撃的なアクセントを折り交える心憎いピアニズムがあちこちで発揮されている。
 面白いものを聴いた、という一方で、私には、これらの楽曲には、もっと思い切った「現代のピアノという楽器」ならではのアプローチの余地が存分に残されているように思う。特に第1番など、さながらブラームスかラフマニノフのように重々しくピアノを鳴らしても面白いのではないだろうか、と思っている。これからも多くのピアニストに、このジャンルへ参戦してほしいと感じた。とはいえ、まずはバーラミの意欲的な録音、たいへん楽しく聴かせていただいたところ。

ピアノ協奏曲 第1番 第4番 第5番 第7番 2台のピアノのための協奏曲 第1番 第2番 第3番 3台のピアノのための協奏曲 第1番 第2番 4台のピアノのための協奏曲(3台版)
p: コロリオフ ヴィニツカヤ ハジ=ゲオルギエヴァ カンマーアカデミー・ポツダム

レビュー日:2019.6.19
★★★★★ ピアノによる開拓が十分ではなかった分野も含めて、価値ある録音が出現
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)演奏に定評のあるコロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)と、コロリオフを師とするロシアのピアニスト、アンナ・ヴィニツカヤ(Anna Vinnitskaya 1983-)、それにコロリオフの妻で、コロリオフとはしばしば「デュオ・コロリオフ」の名で共に活動しているリュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァ(Ljupka Hadzi-Georgieva)、以上3人のピアニストによるバッハのクラヴィーアと弦楽のための協奏曲集。CD2枚組。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV.1052
2) 2台のピアノのための協奏曲 第1番 ハ短調 BWV.1060
3) ピアノ協奏曲 第7番 ト短調 BWV.1058
4) 2台のピアノのための協奏曲 第3番 ハ短調 BWV.1062
5) 3台のピアノのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV.1064
【CD2】
6) ピアノ協奏曲 第4番 イ長調 BWV.1055
7) ピアノ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV.1056
8) 2台のピアノのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV.1061
9) 3台のピアノのための協奏曲 第1番 ニ短調 第1番 BWV.1063
10) 4台のピアノのための協奏曲 イ短調 BWV.1065(3台のピアノ版)
 コロリオフ 1,2,3,8,9,10)
 ハジ=ゲオルギエヴァ 2,4,5,9,10)
 ヴィニツカヤ 4,5,6,7,8,9,10)
 弦楽合奏はカンマーアカデミー・ポツダム、2018年の録音。
 本盤の第一の特徴は、やはり、古楽器ではなく、ピアノによるバッハの協奏曲演奏ということになる。特に複数台のクラヴィーア楽器のための協奏曲は、ピアノによる録音は多くはなかった。豊穣な音色を奏でる現代のピアノが複数台存することで、弦楽合奏群とピアノ群の間の音量的バランスが難しくなることなどが考えられる。しかし、当盤のようなすぐれた録音を聴くと、やはり現代楽器ならではのニュアンスの豊かさは圧巻といって良く、聴後に得られる充足感は素晴らしいもの。
 例えば「4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調」における鍵盤楽器のみで奏させるパッセージでは、きわめて緻密に制御された細やかな音の集まりが、鮮明な音像を築き上げているのだが、そこに私は感覚的な美の発散する様を体感し、感動する。
 また、原曲「2つのヴァイオリンのための協奏曲」の方が有名な「2台のピアノのための協奏曲 第3番 ハ短調」では、ハジ=ゲオルギエヴァとヴィニツカヤによる緊密なやりとりが繰り広げられるが、そこに示された表現の多彩さ、多様さはまさにピアノならではのもので、平板とは無縁なアンジュレーションに富んだ音楽表現がゆたかな情感を導き出している。
 緩徐楽章では、ことにピアノという現代楽器の特性が強く発揮されている。コロリオフの弾くピアノ協奏曲第7番(原曲はヴァイオリン協奏曲第1番)の第2楽章における旋律に込められた歌は、秩序ある安寧を感じさせ、どこか永遠を思わせる美しさだ。
 全体に、ピアノは軽いが芯のあるタッチであり、バランスに十全な配慮をしながらも、確かな存在感を示し続ける。
 それにしても、コロリオフ、ハジ=ゲオルギエヴァ、ヴィニツカヤの三者の技巧的、解釈的安定感には、たいへん感心させられる。どのような組み合わせの演奏であっても、論理性と詩的情感を感じさせるというだけでなく、装飾的な指向性も齟齬がなく、全曲通してとても自然に聴き通し、味わうことが出来る。そして、飽きが来ない。これは、もちろんピアノという楽器自体スペックの高さがあってこその事でもあるが。
 バッハの複数台のクラヴィーア楽器のための協奏曲も含めて、優れた演奏が一気にラインナップされることとなった当盤リリースの価値は、きわめて高い。

バッハ チェンバロ協奏曲 第1番 第5番  J.C.バッハ チェンバロ協奏曲 ヘ短調  W.F.バッハ ソナタ ト長調 FK.7より 第2楽章  C.P.E.バッハ 協奏曲 ニ短調
cemb: ロンドー vn: ジェント クレアック va: パクー vc: トゥーシュ cb: ピエールフ fg: キーナー

レビュー日:2022.1.7
★★★★★ フランスの若きチェンバロ奏者、ロンドーの表現意欲が込められた録音
 フランスのチェンバロ奏者、ジャン・ロンドー(Jean Rondeau 1991-)によるバッハ一族のチェンバロ協奏曲を集めたアルバムで、Dynastie(王朝)というタイトルが与えられている。収録されている楽曲は下記の通り。
1) J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV.1052
2) J.C.バッハ(Johann Christian Bach 1735-1782) チェンバロ協奏曲 第6番 ヘ短調
3) W.F.バッハ(Wilhelm Friedemann Bach 1710-1784) ソナタ ト長調 FK.7より 第2楽章 ラメント (ロンドーによるチェンバロとオーケストラ版)
4) J.S.バッハ チェンバロ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV.1056
5) C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-1788) 協奏曲 ニ短調 Wq.23
 2016年の録音。
 当盤の特徴として、オーケストラ・パートをそれぞれソロ楽器が担っており、各奏者は下記の通り。
 ヴァイオリン: ソフィー・ジェント(Sophie Gent)
 ヴァイオリン: ルイ・クレアック(Louis Creac'h)
 ヴィオラ: ファニー・パクー(Fanny Paccoud)
 チェロ: アントワーヌ・トゥーシュ(Antoine Touche)
 コントラバス: トマ・ド・ピエールフ(Thomas de Pierrefeu 1975-)
 ファゴット: エヴォレーヌ・キーナー(Evolene Kiener)
 活力に満ちて、かつ情感豊かな演奏。オーケストラが最小編成規模であり、それゆえに音圧的な薄みは感じられるが、各奏者が力強い響きを繰り出しており、迫力で不足を感じさせることはない。むしろ緊密な奏者間のやりとりがあって、その緊迫感が伝わることが、全般に良い方向に作用していると思う。
 冒頭に収録されたJ.S.バッハのチェンバロ協奏曲第1番は、きわめて劇的な諸相をもった音楽で、野心的な作品でもあるが、ロンドーの演奏は、全般にアップテンポでありながら、ここぞというところで、巧妙なタメを利かせ、エネルギーの蓄積と放出をコントロールし、結果的に鮮やかな奔流を描き出している。両端楽章の迫力は見事なものだが、中間楽章のアダージョも、スケールの大きさを感じさせつつ、美しい旋律を存分に歌わせており、聴き味十分だ。
 続くJ.C.バッハの作品も、劇的な面を持った楽曲で、のちの時代の音楽表現の発展の布石とも言える作風。ロンドーを中心に、この楽曲のエネルギッシュな面を積極的に描き出した演奏は、たいへん魅力的だ。
 当アルバムの特徴の一つともいえるロンドー自身が「協奏曲へのアレンジ」を行ったW.F.バッハの作品は、特有の哀しい色合いが存分に演出されている。聴き味は、トンボーに近いものがあり、その情感は聴き手の胸を打つ。
 J.S.バッハのチェンバロ協奏曲第5番とC.P.E.バッハの協奏曲では、いくぶん緊張感が和らぎ、テンポも落ち着いた感じであるが、もちろん、存分に情感を引き出した演奏となっており、全アルバムを通じて、たいへん聴きごたえのある内容となっている。

チェンバロ協奏曲 第3番 第4番 パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828 シャコンヌ ニ短調 BWV1004 (無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌによるスキップ・センペによる即興)
cemb: センペ センペ指揮 カプリッチョ・ストラヴァガンテ

レビュー日:2015.4.8
★★★★☆ ピリオド楽器の制約の中で、独自性を模索した解釈
 アメリカのチェンバロ奏者、スキップ・センペ(Skip Sempe 1958-)とカプリッチョ・ストラヴァガンテによるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品を集めたアルバム。1993年の録音。収録曲は以下の4曲。
1) シャコンヌ ニ短調 BWV1004
2) チェンバロ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV1054
3) パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828
4) チェンバロ協奏曲 第4番 イ長調 BWV1055
 1)及び3)はチェンバロ独奏による演奏、2)と4)は、室内楽的な小編成による演奏で、ヴァイオリンがマンフレード・クレーマー(Manfredo Kraemer)とカタリーナ・ヴォルフ(Katharina Wolff)、ヴィオラがクラウディア・ステーブ(Claudia Steeb)、チェロがミシェル・ムルギエール(Michel Murgier)、ヴィオローネがデイン・ロバーツ(Dane Roberts)。
 また、チェンバロ協奏曲第4番におけるチェンバロ独奏は、ケネス・ワイス(Kenneth Weiss)が担っている。
 冒頭に収録されたシャコンヌは、かの名高き無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲で、バッハ自身もこれをチェンバロ独奏に編曲しているが、ここで、センペは即興を交えることで、独創的な演出を試みている。全般にかなり早めのテンポで、対照的要素の協調や、ハーモニーの重ね合わせ、声部の強弱に演奏者ならではの発想を投影させている。チェンバロという楽器の制約や、派手な音色を用いた、ユニークな試みだと思う。
 2曲の協奏曲では、小編成の室内楽的な響きが、やや全体の色合いを硬くしているところがあるだろう。いずれも闊達な表現であるが、それゆえに潤いの少ない乾いた音色が連続するので、表面的にざらついた印象が残るところがある。とくに第3番は、主題自体が有名なだけに、他の演奏よりも直接的な印象が支配的で、時折キツさにつながっているところもある。
 パルティータ第3番は、最近ではピアノ曲としてレパートリー的にも定着した感があり、チェンバロの表現力の限界を随所に感じてしまうが、内的な力強さを持った演奏となっているだろう。ただし、こまやかなアヤ付けが、音量や輪郭に限界のあるチェンバロの場合、どうしてもあざとさに直結してしまい、そのため、聴き手は、単調だという印象を持つこともあるだろう。私個人的には、この作品はやはりピアノの響きが望ましいと思う。

ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043 ニ短調BWV1060
vn: マンゼ ポッジャー マンゼ指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック

レビュー日:2013.7.29
★★★★☆ 強烈なパンチのある演奏、鋭角的なアクセントが凄い
 アンドルー・マンゼ(Andrew Manze 1965-)の指揮とヴァイオリン・ソロ、アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏でバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の協奏曲集。1996年録音。収録曲は以下の通り。
1) 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043
2) ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調BWV1041
3) ヴァイオリン協奏曲第2番 変ホ長調BWV1042
4) 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1060
 1)と4)では、レイチェル・ポッジャー(Rachel Podger 1968-)が第2ヴァイオリンを務める。BWV1060は「ヴァイオリンとオーボエ」により演奏されることが多いが、ここでは2つのヴァイオリンが独奏を務めている。バッハの作品は、様々な編成によって演奏されることがあり、また別人の作品を編成を変えて編曲することもあるので、なかなか全貌がつかみにくいが、ヴァイオリン協奏曲集となると、この4曲の名曲が集められることが多い。
 いずれの楽曲も、ピリオド楽器奏法によっており、速いテンポが採用されている。しかし、ここで聴くマンゼの独奏ヴァイオリンは、そういったこと云々よりも、とにかく強烈な個性が出ている。その個性はアクセントにある。
 ガット弦が張られているピリオド楽器では、その強度から現代楽器より張は弱めで、ピッチも低くなり、音色も張りや輝きの豊かな独奏向きではなく、合奏向きなものになると言える。そこで、ソリストの個性を主張する方法というのも限られてくるのだが、マンゼの演奏は、音色的な弱点を包み隠そうともせずに、まっすぐに突き進むような威力のある音を出す。そのため聴き味は、若干刺々しさを感じるほどであり、人によっては過度に攻撃的だと思うだろう。ポッジャーもその意に沿うような演奏で、2つのヴァイオリンが交錯するところでは、それぞれの楽器の音が戦っているようにも聴こえる。合奏向けと言われるピリオド楽器が、これほどの響きを聴かせるのは、なかなか経験できない。
 さらに重音のアクセントの強さは凄い。まさに加減しない「最強の音」を鋭角的に瞬時に引き出してくるのだが、これがまた強烈だ。なので、このアルバムは、聴き手の心を安らげるものではなく、ひたすら刺激が与えられるように音が迫ってくる。
 特に急速楽章の鋭角的で、ガサツキを伴うような強力なアクセントの挿入は鮮烈で、これらの楽曲の印象を覆すほどのイメージ。まさに現代楽器で弾かれたこれらの音楽の朗々たる音色に対し、強烈に反対側を行くような演奏になっている。
 以上の様に、きわめて特徴的な演奏であるので、それなりに聴き手を選ぶディスクであると思われる。私個人的には、とりあえずライブラリに置いておいて、こういう演奏もあるということを参考に、興味のすそ野を広げたいという録音です。

ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲
vn: メニューイン フェラス メニューイン指揮 ロバート・マスターズ室内管弦楽団 バース祝祭管弦楽団

レビュー日:2019.4.22
★★★★☆ メニューインの暖かいヴァイオリンの音色が奏でるバッハ
 ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)のヴァイオリン独奏と指揮によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の協奏曲集。収録曲は以下の通り。
1) ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 BWV1041 1958年録音
2) 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043 1959年録音
3) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ホ長調 BWV1042 1958年録音
4) ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲 ニ短調 BWV1060 1962年録音
 2)の第2ヴァイオリンはクリスティアン・フェラス(Christian Ferras)、4)のオーボエはレオン・グーセンス(Leon Goossens)。オーケストラは1,3)がロバート・マスターズ室内管弦楽団、2,4)がバース祝祭管弦楽団。
 演奏は、この時代らしいふくよかさを暖かさを感じさせるもの。現代楽器を用いた演奏であるが、オーケストラの編成は当時としては小さめで、音的にもスッキリしたところがある。
 メニューインによるこれらの楽曲の録音は複数あって、私はその多くを聴いてはいないが、当演奏で聴かれるメニューインのスタイルは落ち着きがあり、響きはソフトなぬくもりを感じさせる。おそらく若いころの録音の方が、力強い膂力を感じさせるものだったと思うが、さすがに今となっては、録音が古くなった。一方で、当盤の録音は、比較的良好な品質といって良く、聴いていてそれほど「聴きづらさ」は、感じない。
 第1番の冒頭は、情感豊かで憂いのある合奏音が印象的・・(しかし、この点で個人的にもっとも印象深いのは、バリリ(Walter Barylli 1921-)シェルヘン(Hermann Scherchen 1891-1966)盤である)・・だ。管弦楽の豊かな情緒に導かれるようにしてはじまるヴァイオリン・ソロは、泣かせ節を自然なテイストで表出し、滋味を感じさせる。第2楽章のソロに宿るロマンティックな感興も胸に迫るものがある。
 2つのヴァイオリンのための協奏曲は、当時模範的といっても良い解釈だろう。第2楽章では豊かなポルタメントも聴かれるが、決して胃もたれするようなものではなく、全体の雰囲気はわりと清澄だ。両端楽章のスマートな響きはむしろ最近主流の解釈に近いものを感じさせる。
 第2番も落ち着いた解釈であるが、第1番に比べると、やや平板な印象を感じさせるところがある。訥々とした語り口であるが、あえて情感を抑えた表現を目指したような感じだろうか。ただ、音色は前述の通りで聴き易く、疲れない演奏といった感じ。
 ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲は、悪くはないのだが、当時の録音技術では、オーボエの音量が弱く、芯のある音色として伝わりにくいところがある。オーケストラとの音量バランスの関係で仕方ないとは言え、難点に感じるところ。ただ、グーセンスのオーボエは、高音が醸す典雅な風合いは良い感じで、古めかしい貫禄があり、味わいのある響きにはなっている。


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室内楽

平均律クラヴィーア曲集から4声のフーガ集
エマーソン弦楽四重奏団

レビュー日:2013.9.27
★★★★☆ 声部を別々の楽器が担当することが適切な楽曲か、その根本の疑問が残った!
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集全2巻から、オーストリアの作曲家、フェルスター(Emanuel Aloys Forster 1748-1823)が、「4声からなるフーガ」を抽出し、弦楽四重奏版に編曲したものをまとめたアルバム。エマーソン弦楽四重奏団の演奏。2007年の録音。2003年録音の「フーガの技法」に引き続くバッハの編曲シリーズ。収録曲は以下の通り。
1) BWV 846 第1巻第1番ハ長調のフーガ
2) BWV 850 第1巻第5番ニ長調のフーガ
3) BWV 857 第1巻第12番ヘ短調のフーガ
4) BWV 859 第1巻第14番嬰ヘ短調のフーガ
5) BWV 861 第1巻第16番ト短調のフーガ
6) BWV 862 第1巻第17番変イ長調のフーガ
7) BWV 863 第1巻第18番嬰ト短調のフーガ
8) BWV 865 第1巻第20番イ短調のフーガ
9) BWV 868 第1巻第23番ロ長調のフーガ
10) BWV 869 第1巻第24番ロ短調のフーガ
11) BWV 871 第2巻第2番ハ短調のフーガ
12) BWV 874 第2巻第5番ニ長調のフーガ
13) BWV 876 第2巻第7番変ホ長調のフーガ
14) BWV 877 第2巻第8番嬰ニ短調のフーガ
15) BWV 878 第2巻第9番ホ長調のフーガ
16) BWV 885 第2巻第16番ト短調のフーガ
17) BWV 886 第2巻第17番変イ長調のフーガ
18) BWV 891 第2巻第22番変ロ短調のフーガ
19) BWV 892 第2巻第23番ロ長調のフーガ
20) BWV 849 第1巻第4番嬰ハ短調のフーガ(5声)
21) BWV 867 第1巻第22番変ロ短調のフーガ(5声)
 ただし、11-15)の5曲については、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)が1782年頃に行なったとされる編曲譜「5つのフーガK.405」が採用されている。
 また、フェルスターの編曲には20)と21)の2つの5声のフーガもあるとのことで、こちらは弦楽四重奏にヴァイオリンが1挺加わった編成となる。本盤では、中国のヴァイオリニスト、ダ=ホン・セートゥ(Da-Hong Seetoo 1960-)が加わって演奏している。
 参考までに四重奏団のメンバーを記載するとヴァイオリンがユージン・ドラッカー(Eugene Drucker 1952-)とフリップ・セッツァー(Philip Setzer 1951-)、ヴィオラがローレンス・ダットン(Lawrence Dutton 1954-)、チェロがデイヴィッド・フィンケル(David Finckel 1951-)。かつて若手と言われたこの楽団も、いつのまにか結成30年を経たということで、感慨深いものがある。ジャケット写真の4人も貫禄に満ちた感じでカッコイイですね。
 さて、以上が当盤の「前提」です。以下このアルバムを聴いての感想ですが、うーん、正直難しいです。もちろん演奏それ自体は立派なものだと思います。アンサンブルの精度、音量のバランス、言う事ないです。テンポは時として速さを感じさせますが、爽快さをもたらすもので、問題を指摘するところはほぼ「ない」と言っていいように思います。
 問題は、聴き手が “これらの楽曲に求めている事” との整合性、これに尽きるのではないか、というのが私の見解です。
 フーガは、主題の導入と、主題を異なる声部で繰り返すこと、更にはその進行に対旋律を論理的に付き従わせる、いわば「数学的な美学」によって構築されます。そのため、多くの聴き手は、演奏者がいかにそれらを音楽的に「処理」するかに注目するでしょう。バッハという人は、様式の美学に作曲基盤を置く一方で、その音楽が「どのような楽器で演奏されるか」については、それほどこだわりはなかった。だから、同じ曲であっても、いろいろな編成による編曲版が存在することが多いし、そうやって演奏しても問題ない「強度」を作品に与えています。しかし、平均律という曲集については、あきらかに「クラヴィーア」を想定して書かれている。それは、音色云々ではなく、 “演奏者の技術の獲得及び提示” という目的性を持って書かれた作品ではないか。
 それで、ふだん私がこの曲集を聴くとき、ピアニスト、あるいはクラヴィーア奏者が、その処理をどのような手際で行うのかに俄然注目が行くのです。「なるほど、こうきたか」「うわ、凄い」という衝動の多くが、そこの部分から来る。
 もちろん、これらの曲が、他にも旋律的な美しさという価値を持ち合わせていることは承知しています。それでも、平均律に関しては、バッハが “クラヴィーアという楽器の奏法” という「障壁」を強く意識的に設けて作曲したという点が、少なくとも私にはとにかく重いことだと感じられる。
 それでは、当盤のように、その声部を別々の楽器に担わせたらどうなるでしょう?もちろん利点は多いに違いない。音色の違う楽器が各声部を担当したら、これはたいへん分かり易いし、すぐに分離できる。また奏者が異なっているのだから、一人の奏者が多面的な処理を行うと言う制約からも解放され、融通が利く。技術的な余裕が生まれる。その分何かできる。実際、これを聴くまでは、私もとても興味があった。しかし、聴いてみると、その方法論の応用が、これらの楽曲を聴く際の、重要な“面白み”を削いでいることは、どうしても否めなくなってしまった!。その自由なのびやかさが、何かを越えて獲得した価値を感じさせるところまで到達していないと思ってしまう。つまり、何かもう一つ心に響かない。
 それで、私はこれらの楽曲を、このような素晴らしいアンサンブルで聴けたことに感謝する一方で(それも本心です)、どうしてもふっきれないものが心に残った。それは正直に書きたいと思う。そのようなわけで、単品で見たところ、欠点のほとんどない当盤ながら、全面的に推薦という結果にはならないと考えました。もちろん、それは私個人の考えですし、私の聴き方に至らないところもあるかと思いますし、「そこまで難しく考えなくていいだろう」という方の楽しみを否定するつもりは毛頭ありませんので・・。あくまで一つの参考見解としてご了承ください。

ヴァイオリン・ソナタ 全集(BWV.1014-1019)
vn: ツィンマーマン p: パーチェ

レビュー日:2012.9.26
★★★★★ ヴァイオリンと“ピアノ”によるバッハが神々しく響く名盤
 ドイツのヴァイオリニスト、フランク・ペーター・ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)とイタリアのピアニスト、エンリコ・パーチェ(Enrico Pace 1967-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のヴァイオリン・ソナタBWV.1014-1019の全6曲を収録。2008年の録音。
 バッハのヴァイオリン・ソナタは、至上の名作「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の影に隠れて、その内容に比して聴かれる機会の少ない作品だと思う。実は、私も、これらの作品をきちんと聴く機会というのは、これまであまりなかった。しかし、私の場合その最大の理由の一つが、多くの録音において、伴奏が、ハープシコードやチェンバロ、あるいはフォルテ・ピアノによっているためである。私はピアノという楽器の表現力こそ、バッハの作品に相応しい、と常日頃考えているものなので、そのこともあって、これらの作品を聴く機会から遠ざかっていた。・・・中で、ポッジャー(Rachel Podger 1968-)によるものを聴いていたが、これもピノック(Trevor Pinnock 1946-)の伴奏はもちろんチェンバロだった。
 実際、様々なカタログを探しても、ピアノ伴奏によるこれらの楽曲の録音は3つしか見つけられなかった。参考までにその3つを書くと、メニューイン(Yehudi Menuhin 1916-1999)/ケントナー(Louis Philip Kentner 1905-1987)盤、ラレード(Jaime Laredo 1941-)/グールド(Glenn Gould 1932-1982)盤、テネンバウム(Mela Tenenbaum 1946-)/キャップ(Richard Kapp 1936-2006)盤の3種である。特に、最近の録音でピアノによる伴奏での録音は皆無と言ってよかった!
 しかし、そのような状況の中、干天に慈雨のように現れたのが当アルバムである。
 ツィンマーマンのヴァイオリンの特徴は慎ましやかな美観と言える。つまり、そのスタイルは主張の強いものではない。以前、彼が弾いたモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集を聴いた時にも感じたものだが、作品そのものを聴くような、演奏者の「献身性」のようなものが体現されたような演奏だ。とは言っても、ただ漫然と弾いているということではなく、十分な技巧により、適切な音量と方向性を持って、音楽が自然な色合いに満ち、実に清々しく響くのである。それがバッハの音楽であるから、時として神々しいような荘厳さを湛え、聴く者をはっとさせるほどの深みに到達している。それは、バッハの音楽の特性そのものだと感じられる。
 そして、ピアノ!。ピアノのパーチェも、素晴らしい感性を持った音楽家であることが示されている。ソナタ第6番ト長調は5つの楽章からなり、しかもその第3楽章がクラヴィーアのソロによっている点が特徴的だが、ここで、パーチェは軽妙な節回しで的確な音楽の流れを演出しており、楽曲に内在する音楽としての質を、過剰な力を用いずに掬い取る自然さがある。この巧妙さがツィンマーマンのヴァイオリンと抜群の相性を示した。第5番ヘ短調の緩徐楽章の「静謐な速さ」をたたえた叙情性の発露など、その効果の顕著なところではないだろうか。楽曲としては、やはり第1番のロ短調が傑作と言える内容だが、ここでもヴァイオリンとピアノによるその滋味豊かな響きは、厳かで毅然としたたたずまいを見せる。バッハの音楽の底辺に流れる普遍的な神々しさを感じさせてくれるデュオだ。
 この名演の出現に感謝しながら、ぜひ、おおくの音楽家による「ピアノによる」同曲集の録音を期待したい。

バッハ ヴァイオリン・ソナタ 第3番  ブゾーニ ヴァイオリン・ソナタ 第2番  ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ 第10番
vn: 塩川悠子 p: シフ

レビュー日:2017.12.7
★★★★★ 塩川とシフ、久しぶりの夫婦デュオ録音は、見事な出来栄えです。
 塩川悠子(1946-)のヴァイオリン、アンドラーシュ・シフ(Schiff Andras 1953-)のピアノによる以下の3つの作品を収録したアルバム。
1) J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ホ長調 BWV.1016
2) ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ホ短調 op.36a
3) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ヴァイオリン・ソナタ 第10番 ト長調 op.96
 2015年の録音。
 シフと塩川夫妻によるECMレーベルへの録音というと、2000年録音のシューベルトの作品集を思い出す。それは、シューベルトの作品から、幻想的なロマンを引き出した美しい演奏で、私も時々聴いている。
 このたびの録音も、なかなか見事なもの。まずは収録曲が面白い。現代楽器で演奏される機会の少ないバッハから始まり、ベートーヴェンの最後のソナタで結ばれるのだが、その両者から影響を受けたブゾーニの作品が間に置かれている。
 ブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第2番は、全般に、(特に構成的な面で)ベートーヴェンの影響を受けているほか、終楽章では、バッハのコラール「幸いなるかな、おお魂の友よ(Wie wohl ist mir, o freund der seele)」BWV 517の主題を用いた対位法的な変奏が置かれている。ブゾーニは、同じ主題を、2台のピアノのための作品“コラール「幸なるかな」による即興曲”にも使用しており、このバッハの主題をたいそう気に入っていたと思われる。
 当盤では、このブゾーニの作品を挟んで、バッハとベートーヴェンの名曲が奏でられることとなる。
 まず、バッハの作品である。私は、バッハのヴァイオリンとクラヴィーアの作品は、現代楽器で演奏するのが理想であると考えていて、当録音もその点でまず響き自体の美しさ、次いでピアノのピアニスティックな冴えに魅了される。また、旋律楽器と伴奏楽器の位置づけを前提とした上で、ときにこれを乗り越えるような踏み込みの心地よさも見事なものだ。その場面展開は、現代楽器ならではの性能美を伴ったものであることは言うまでもない。塩川のヴァイオリンは、どちらかというと禁欲的で、冷静な面持ちであるが、メロディの鮮やかな表現に事欠くことはないバランスを持ったものであり、これをシフのピアノが巧みに支えている。緩徐楽章の幸福感の適度な情感も流石であるが、急速楽章の溌剌とした生命力はそれを上回って魅力的であり、演奏の成功を物語る。
 ブゾーニでは曲の構造に即した表現の意図付けがしっかりしていて、規模の大きい曲をわかりやすく響かせてくれる。やはり聴きものと言えるのは終楽章で、宗教的な旋律が変奏を重ねるごとに、様々な感情を表現しながら外に放散され、そして、楽曲としては帰結に向けて収束する様が巧妙に表現されている。
 ベートーヴェンでは、シフのピアノに特に注目したい。彼のベートーヴェンのピアノ・ソナタ録音を彷彿とさせるようなスタッカート奏法が印象的で、3連符に宿る情感の濃さ、またトリルの豊かな陰影ある響きが雄弁だ。第1楽章終結部近くで響くトリルの意味深な感触は、美しくもあり、時に私をゾクッとさせるところもある。晴天の空に突然射す陰りのよう。アダージョでは、むしろ塩川のヴァイオリンよりシフのピアノが「感情」を強く表現して音楽を作っているところも特徴だろう。短い第3楽章を経て典雅な第4楽章となるが、ヴァイオリンとピアノの幸福な掛け合いが聴き手を喜ばせてくれる。
 久しぶりに、塩川、シフの二人の至芸をこころゆくまで堪能することができた。彼らのデュオの録音はあまり多くないが、当録音を契機に続編がリリースされれば、なおうれしい。

ヴァイオリン・ソナタ 第3番 第4番 第5番 第6番
vn: R.カプソン p: フレイ

レビュー日:2019.5.7
★★★★★ 現代楽器の特性を活かした歌に満ちたバッハ
 フランスのヴァイオリニスト、ルノー・カプソン(Renaud Capucon 1976-)と、フランスのピアニスト、ダヴィッド・フレイ(David Fray 1981-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のヴァイオリン・ソナタ集。収録内容は以下の通り。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第5番 ヘ短調 BWV.1018
2) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ホ長調 BWV.1016
3) ヴァイオリン・ソナタ 第4番 ハ短調 BWV.1017
4) ヴァイオリン・ソナタ 第6番 ト長調 BWV.1019
 2017年の録音。
 実に美しい、心に染み込むようなバッハ。
 カプソンとフレイは、現代楽器を用いてこれらの演奏を行っている。フレイは、かつてバッハのクラヴィーア曲をピアノで録音した際に、「表現性(expressivity)はロマン派固有のものでは決してない。バッハの音楽にそれを認めることを、恐れてはならない」との主張とともに、柔軟で、独創性に満ちた演奏を繰り広げた。今回の室内楽録音に際しては、そのようなフレイのスタンスにカプソンが同意してのものであるように思う。というのは、これらの演奏でも、フレイのピアノのピアニスティックな味わいが際立っていて、その情緒的な表現に呼応するようにしてカプソンのヴァイオリンが歌っているからである。
 これらの楽曲の録音に、現代楽器を用いるケースは多くはない。しかし、私はツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)とパーチェ(Enrico Pace 1967-)による素晴らしい録音を聴き、現代楽器の響きがこれらも楽曲の魅力を引き立てることを知っている。というのも、バッハは、クラヴィーアに伴奏や通奏低音という範囲にはとどまらない繊細なニュアンスに溢れたメロディーを、様々な形で与えたからだ。
 当盤でも、フレイのピアノが、憂いや慈しみといった感情に作用する旋律を、自然にかつロマンティックな香りを伴いながら、すくいとっているのが何と言っても素晴らしい。例えば第4番の第1楽章、ゆっくりと上下しながら繰り返される音型が醸し出す透明な哀しみ、第5番の第1楽章、深い呼吸を感じさせる落ち着き、そして優しいぬくもりに満ちた歌など。これらの、厳かさは、チェンバロの響きでは得難い神々しさを感じさせるもので、バッハの音楽の「敬虔」な要素を、深い共感をもって描き出した音楽になっている。また、ルバートによって導かれる情感は、音間の自在な伸縮性ゆえの自然さがあって、私にはとても近づきやすい、音楽の世界に入りやすいものになっている。
 闊達な楽章のポリフォニックな表現であっても、機敏なアクセントが彩を与えてくれるが、私は、それがバッハの音楽に不可欠なものに感じられるし、現代楽器の特性は、それを有利な条件で実行してくれるのだ。
 カプソンのヴァイオリンは清浄でなめらか。フレイのピアノとともに、その音響は部屋を照らす自然光のようにして、聴き手の耳に届く。バッハの音楽が、感傷的かつ感動的なものを持っていることを、こよなく伝えてくれる名演。

バッハ ヴァイオリン・ソナタ 第6番(BWV1019) ハ短調 BWV.1024 ヴァイオリンとオブリガード・チェンバロのためのアダージョとアレグロ ト長調 BWV.1019  ヴェラチーニ アカデミック・ソナタ  ヴェストホフ 無伴奏ヴァイオリンのための組曲 イ長調
vn: クレーマー cemb: センペ ムルギエール

レビュー日:2015.1.30
★★★★☆ いにしえのヴァイオリンの響きに満たされるアルバム
 アルゼンチンのバロック・ヴァイオリニスト、マンフレート・クレーマー(Manfredo Kraemer 1960-)による「イル・ヴィオリーノ Il violino ~オリジナル名器の響き」と題した1993年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ヴェラチーニ(Francesco Maria Veracini 1690-1768) アカデミック・ソナタ ニ短調 op.2-12
2) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第6番 ト長調 BWV.1019a
3) ヴェストホフ(Johann Paul von Westhoff 1656-1705) 無伴奏ヴァイオリンのための組曲 イ長調
4) バッハ ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 BWV.1024
5) バッハ ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第6番 ト長調 BWV.1019 から アダージョとアレグロ
 チェンバロはスキップ・センペ(Skip Sempe 1958-)、チェロはミシェル・ムルギエール(Michel Murgier)。バッハのヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第6番については別稿(BWV.1019a)で一通り演奏したものと別に、オリジナル版(BWV.1019)による後半2楽章が追加収録されている。
 さて、当盤で注目されるのは使用楽器である。メトロポリタン博物館所蔵の1691年製のストラディヴァリウスと1669年製のアマティが用いられており、音圧はないが、細やかな高音がひときわ特徴的。ヴェラチーニとヴェストホフは、いずれも当時に見事な技巧で世に知られたヴァイオリニストであったため、彼らの作品では、当時の最先端と言っても良いテクニカルな側面が見られ、使用されている楽器の性質とあいまって、非常に典雅な音空間が再現されている。
 ヴェラチーニ作品はストラディヴァリウス、他はアマティによって演奏されているが、細やかな共鳴の効果を楽しめる前者と比較し、後者はより強い音を持ち、音楽には暖かい含みが生まれているように感じられる。この楽器の即してか、クレーマーの演奏は、献身的と言うよりも、いくぶん甘味を湛えた薫りを感じさせるものであるので、例えば、クイケン(Sigiswald Kuijken 1944-)などと比較すると、いくぶん豊かで、古典派に寄った味わいになっていて、その点は聴き手の好みで分かれるところかもしれない。しかし、いずれも楽曲自体が美しいし、とても楽しめる一枚と感じられる。
 なお、「ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 BWV.1024」は、バッハの作品と分類されているが、近年の研究では、ピゼンデル(Johann Georg Pisendel 1687-1755)の作品である可能性が高い、と指摘されているので、参考までに付記させていただきます。

ヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロ)のためのソナタ 第1番 第2番 第3番 他
vc: フォーグラー p: シュタットフェルト

レビュー日:2016.5.26
★★★★★ 現代楽器によって潤いをもって奏でられるバッハのヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集
 ヤン・フォーグラー(Jan Vogler 1964-)のチェロ、マルティン・シュタットフェルト(Martin Stadtfeld 1980-)のピアノによるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集。2009年の録音。収録内容は以下の通り。
1) コラール前奏曲「イエス、わが喜び」BWV.1105
2) ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV.1027
3) コラール前奏曲「高き天よりわれは来れり」 BWV.606
4) コラール前奏曲「神の御子は来たれり」 BWV.600
5) ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV.1028
6) コラール前奏曲「イエス、わが喜び」 BWV.610
7) コラール前奏曲「汝にこそわが喜びあり」 BWV.615
8) コラール前奏曲「かくも喜びに満てるこの日」 BWV.605
9) ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV.1029
10) コラール前奏曲「神のひとり子なる主キリスト」 BWV.601
11) コラール前奏曲「天より天使の軍勢来れり」 BWV.607
12) コラール前奏曲「主なる神よ、いざ天のとびらを開きたまえ」 BWV.617
 ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ3曲に加え、コラール前奏曲9曲をチェロとピアノのためにアレンジしたもの9曲を収録している。コラール前奏曲のうち、BWV.1105とBWV.610は、同じ旋律を扱うもので、タイトルも同じ「イエス、わが喜び」となる。高音域の主旋律が淡々と歌うBWV.610は、ピアノが旋律を担当し、ポリフォニックな技法を交えたBWV.1105は、チェロが旋律を担当する編曲となっている。BWV.610は早いテンポで、BWV.1105はゆったりしたテンポで、性格を変えた表現となっていて、編曲者が不詳ながら、なかなか気の利いた編曲と感じられる。
 さて、当盤の魅力はやはり現代楽器の能力を生かしている点にある。これらの楽曲の原題は「ヴィオラ・ダ・ガンバとハープシコードのためのソナタ」であるが、これをチェロとピアノで演奏することによって、輝かしくニュアンス豊かな響きが導かれている。
 ことにピアノの表現力は抜群で、微妙な旋律線やフレーズを巧妙な強弱をもって引き分けることによって、楽曲や楽想ごとの特徴が豊かになり、全曲を聴きとおしても平板な感じがまったくしない。それどころか、ピアノにひかれることによって、従来隠れていた陰影が聴き手に伝わり、音楽を聴く感動の幅が広がったことを実感できる。
 フォーグラーのチェロも雄弁になりすぎることなく、しかし、バッハの音楽に潜むロマン性に適度な甘味を与えたしっとりした感触を与えていて、とても印象が良い。
 コラール前奏曲も、旋律的な魅力の豊かなものが取り上げられていて、潤いのある音楽となっている。曲順も巧妙で、最後の2曲でいよいよスリリングでダイナミックな味わいを増して、締めくくるさまが鮮やかである。
 いずれの感慨も、現代楽器の能力によって、適切に高められていて、聴き手の満足感に直結している。

フルートとチェンバロのためのソナタ ロ短調 変ホ長調 イ長調 ハ長調 ホ短調 ホ長調
fl: グラーフ cemb: デーラー fg: ザックス

レビュー日:2011.5.24
★★★★★ グラーフの峻険なバッハの高みを感じさせる名演
 バッハのフルートとチェンバロのためのソナタ集。Bwv.1030~1035の6曲(ロ短調、変ホ長調、イ長調、ハ長調、ホ短調、ホ長調)を収録したもの。このうちBWV.1033、BWV.1034、BWV.1035の3曲は「フルートと通奏低音のためのソナタ」と題され、さらにもう一つ通奏低音用の楽器が加わる。チェロやビオラ・ダ・ガンバが用いられることもあるが、本盤ではファゴットによっている。
 このディスクは1973年の録音で、フルート音楽の歴史的録音の一つといっても良いもの。スイス生まれのフルート奏者ペーター=ルーカス・グラーフ(Peter-Lukas Graf 1929 - )はこの後もこれらの曲を録音しているが、この録音の評価が一般的には最も高い。私が聴いても、あらゆる角度からみて強度に優れた安定した名演だと思う。
 ところで、曲のタイトルにある「ソナタ」であるが、これはいわゆる対位法による「ソナタ形式」ではなく、伴奏楽器と主楽器が同じ旋律を奏でる楽曲を指す。そのため一つ一つの楽章の規模は小さく、素朴であっさりと終わる儚い風雅さがあり、それがフルート、チェンバロといった楽器の音色にも良く合うように思う。
 最初のロ短調の作品が圧倒的に高名だ。バッハはロ短調という調性が好きだったようで、この調性に名曲が多いと思う。ロ短調ミサ曲、管弦楽組曲第2番・・・。このフルートソナタも絶品だが、グラーフの少し速いテンポで真摯に進める音楽が、厳かな高貴さを引き出していて、この曲の世界観を十全に表現している。粛々と弾かれるチェンバロも相応しい。
 次に収められた作品はバッハの作品ではないという説もあるが、有名な第2楽章のシチリアーノがあり、録音からはずすわけにはいかないだろう。2分ちょっとの小曲であるが、敢えて感情を抑制したフルートが、バッハの音楽であるという説得力を宿しているようにも思う。安易に情緒に逃げない、たくましい表現に徹した演奏だ。
 他ではハ長調の作品も好きである。ファゴットの通奏低音の色彩感が好ましく、楽しげな歌があり、典雅な雰囲気に満ちている。ちょっとムード音楽のようにも聴こえるが、フルートの音色が深く、時として憂(うれ)う様な響きが聴かれるので、はっとする。
 いずれにしても、バッハの峻厳な傑作を、「体得した」と感じる堂々たる名演であり、ぜひCDラックに置いておきたい1枚だ。


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器楽曲

クラヴィーア曲集
p: シフ

レビュー日:2005.5.27
★★★★★ 音楽を聴く無上の喜びを味わわせてくれる歴史的名盤
 ハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフ(Schiff Andras 1953-)が1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の鍵盤楽器のための作品をすべて集めたBox-Set。12枚組、すべてデジタル録音。
 超お買い得といっていい素晴らしいアイテムだ。CD12枚の内訳は以下の通り。
【CD1】
  1) 2声のインヴェンション BWV.772-786 1992年録音
  2) 3声のシンフォニア BWV.787-801 1992年録音
  3) 4つのデュエット BWV.802-805 1983年録音
  4) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903 1983年録音
【CD2】
  イギリス組曲(第1番~第3番)BWV.806-808 1988年録音
【CD3】
  イギリス組曲(第4番~第6番)BWV.809-811 1988年録音
【CD4】
  フランス組曲(第1番~第4番)BWV.812-815 1991年録音
【CD5】
  1) フランス組曲(第5番,第6番)BWV.816-817 1991年録音
  2) イタリア協奏曲 BWV.971 1991年録音
  3) フランス序曲 BWV.831 1991年録音
【CD6】
  パルティータ 第1番 BWV.825,第2番 BWV.826,第6番 BWV.830 1983年録音
【CD7】
  パルティータ 第3番 BWV.827,第4番 BWV.828,第5番 BWV.829 1983年録音
【CD8】
  平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第1番~第12番 BWV.846-857 1984年録音
【CD9】
  平均律クラヴィーア曲集 第1巻 第13番~第24番 BWV.858-869 1984年録音
【CD10】
  平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第1番~第13番 BWV.870-882 1985年録音
【CD11】
  平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第14番~第24番 BWV.883-893 1985年録音
【CD12】
  ゴルトベルク変奏曲 BVW.988 1981年録音
 現代ピアノで奏でられたバッハのクラヴィーア曲の美しさを心行くまで堪能できるアルバム。録音の品質も高く、欠点と言えるものは思いつかない。
 以前、シフは、インタビューで、「もし、バッハを弾くことを禁じられたら、どうしますか?」と質問されたとき、真顔で「死にます」と即答していたことがある。シフの弾くバッハに込められた「優しさ」や「喜び」に触れると、そのようなポジティヴな感情が、人間性にとっていかに大切なものであるか、思い知らされる。それらは希望に直結するものだ。希望の道を全て閉ざされたら、人は「死ぬ」だろう。
 物騒なイメージで書いてしまったけど、私が言いたいことは、これらの録音には、シフという芸術家の「バッハへの愛情」が、近代音楽分野における学究的教養や演奏技術、それに現代楽器(ベーゼンドルファー)の音響学的性能を経て、最高と形容したい形で記録されている、ということ。
 シフのピアノの音色の美しさは無比。粒立ちのよい音、明瞭な輪郭、芯まで突き通った輝き、適度な残響をともなった滑らかさ、そしてよく制御されたぺダリング。その結果、私たちは、音楽が瑞々しい生命力を帯び、光を放つ無数の粒子となって、周囲を過ぎ去っていくのを経験する。音楽を愛するものにとって、まぎれもない「至福のひと時」だ。そんな貴重な「時間」を、聴き手に脈々と供給してくれるCD12枚。まさに歴史的名盤と呼ぶにふさわしい。
 中でも私が好きなのは「フランス組曲」と「イギリス組曲」。これらの舞曲様式の音楽が持つ「典雅さ」、「優美さ」、そして内に潜む「力強さ」を、抜群の配慮で引き出し、左右の手で、ポリフォニー(多声)を鮮やかに描き分け、加えて心地よい自然なテンポで澄み切った流れを表出する。
 この録音以前に、このような録音がなされることは、おおよそ考えにくかったに違いない。しかも、シフの奏でる音楽には、常に、健やかな“歌”がある。豊かな発色を伴い、しかし過剰に主張することのない、制約の美徳を感じさせる、本物の“歌”である。それが、特に明瞭に伝わる楽曲として、私は、上記の「フランス組曲」と「イギリス組曲」を挙げさせていただいた。
 もちろん、それだけではない。ゴルトベルグ変奏曲も、パルティータも、半音階的幻想曲とフーガも、全部が素晴らしい。2014年現在、シフはこれらの楽曲のうち、多くを再録音している。それらは、全般によりスケールの大きい力感を伴っていて、やはり素晴らしいものなのだが、しかし、だからと言ってこれらの旧録音の魅力が失われたわけではない。むしろ、私にとって、時がたつとともに、ますます大事なものになりつつある。そのような珠玉の録音が、入手しやすい廉価なBox-Setとなった。
 正直に言って「こんな低価格で売るのはもったいない」と思ってしまう内容だけれど、逆に「これこそ買わないと!」と言ってオススメできるくらいのアイテムです。

鍵盤作品集成
chem,org: レオンハルト

レビュー日:2009.5.16
★★★★★ 日本国内限定というのがもったいないようなBOX企画です。
 グスタフ・レオンハルト(Guatav Leonhardt 1928-2012)は20世紀を代表するチェンバロ奏者。バロック音楽の演奏様式・装飾音奏法に一つの道筋を確立し、楽器製作にも深い造詣を持つ。またバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品を研究し、「フーガの技法」を鍵盤楽器のための作品として理論付けるなど、功績を上げている。
 当盤は、そんなレオンハルトが1962年から1988年にかけて録音したバッハの鍵盤楽器が20枚組でまとめられた、2009年発売のアイテム。申し分ない内容であり、初出時のライナーノーツを全て収録した立派な日本語(日本限定盤なので当然だが・・)ブックレットも付属している。録音毎の使用楽器等の詳細なデータも記載されているので、たいへん参考になる。
 20枚のうちCD1-17はチェンバロ、CD18-20はオルガンを用いた演奏。格調高く、味わいのある立派な演奏である。私は、バッハのクラヴィーア曲については、ピアノで演奏されたものを好むが、このレオンハルトの演奏を聴いていると、チェンバロの方がいいという人の気持ちもわかる。決して急がず、ゆったりとしたタメを設けながら、影の濃い存在感のある響きを引き出している。
 収録内容は以下の通り。
【CD 1,2】
平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV846-869 1972,73年録音
【CD 3,4】
平均律クラヴィーア曲集 第2巻 BWV870-893 1967年録音
【CD 5,6】
パルティータ(全曲) BWV825-830 1963-70年録音
【CD 7,8】
1) フーガの技法 BWV1080  1969年録音
2) パルティータ ロ短調 BWV831(フランス風序曲) 1967年録音
3) イタリア協奏曲へ長調 BWV971 1965年録音
4) プレリュード、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998 1965年録音
【CD9】
ゴルトベルク変奏曲 BWV988 1976年録音
【CD 10,11】トランスクリプション集]
1) ソナタ ニ短調 (無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調BWV1001の編曲) 1984年録音
2) ソナタ ト長調 (無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調BWV1005の編曲) 1984年録音
3) 組曲 ニ長調 (無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV1012の編曲) 1984年録音
4) 組曲 変ホ長調 (無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV1010の編曲) 1976年録音
5) パルティータ イ長調 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006の編曲) 1975年録音
6) パルティータ ト短調 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004の編曲) 1975年録音
7) パルティータ ホ短調 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002の編曲) 1975年録音
8) 組曲 ハ短調 (リュート組曲 ト短調 BWV955の編曲) 1976年録音
【CD 12】
1) 2声のインヴェンション BWV772-786 1974年録音
2) 3声のシンフォニア BWV787-801 1974年録音
【CD 13,14】
イギリス組曲(全曲) BWV806-811 1973年録音
【CD 15】
フランス組曲(全曲) BWV812-817 1975年録音
【CD 16】
1) チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV1052 レオンハルト・コンソート 1981年録音
2) イタリア協奏曲 へ長調 BWV971 1976年録音
3) トッカータ ニ長調 BWV912 1976年録音
4) トッカータ ニ短調 BWV913 1976年録音
5) フーガ イ短調 BWV944 1977年録音
6) 幻想曲 ハ短調 BWV906 1977年録音
7) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903 1979年録音
【CD 17】
1) チェンバロ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV1052 コレギウム・アウレウム合奏団 1965年録音
2) アダージョ BWV968 1969年録音
「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖」より
3) ポロネーズ ト短調 BWV Anh.119 (Nr.10) 1966年録音
4) マーチ 変ホ長調 BWV Anh.127 (Nr.23)  1966年録音
5) メヌエット ト長調/ト短調 BWV Anh.114/115 (Nr.4/5) 1966年録音
6) ロンドー変ロ長調 BWV Anh.183 (Nr.6)  1966年録音
7) クラヴィーアのためのアリア ト長調 BWV988, I(Nr.26) 1966年録音
8) マーチ ト長調 BWV Anh.124 (Nr.18)  1966年録音
9) アルマンド ニ短調 BWV812, I (Nr.30, I) 1966年録音
10) 前奏曲 ハ長調 BWV846, I (Nr.29) 1966年録音
11) メヌエット ト長調 BWV Anh.116 (Nr.7) 1966年録音
12) マーチ ニ長調 BWV Anh.122 (Nr.16) 1966年録音
13) ミュゼット ニ長調 BWV Anh.126 (Nr.22)  1966年録音
14) コラール「ただ神の御心に委ねる者は」 イ短調 BWV691 (Nr.11) 1966年録音
【CD 18】
1) 前奏曲とフーガ ハ長調 BWV547 1972,73年録音
2) カノンの技法による変奏曲「高き天よりわれは来たり」 BWV769 1972,73年録音
3) マニフィカトによるフーガ BWV733 1972,73年録音
4) コラール「いと高きところにいます神のみ栄光」 BWV633 1972,73年録音
5) コラール「われらの救い主なる主イエス・キリスト」 BWV665 1972,73年録音
6) コラール「われらの救い主なる主イエス・キリスト」 BWV666 1972,73年録音
7) コラール「われ汝の御座の前に進みいで」 BWV668 1972,73年録音
8) 前奏曲とフーガ ホ短調BWV548 1972,73年録音
【CD 19】
1) トッカータとフーガ ニ短調 BWV565 1972,73年録音
2) コラール「おお罪なき神の子羊」 BWV618 1972,73年録音
3) パルティータ「汝明るき日なるキリスト」 BWV766 1972,73年録音
4) 前奏曲とフーガ ハ短調 BWV546 1972,73年録音
5) コラール「われらキリストのしもべ」 BWV710 1972,73年録音
6) コラール「われ汝に別れを告げん」 BWV736 1972,73年録音
7) パルティータ「おお汝正しく善なる神よ」 BWV767 1972,73年録音
8) 幻想曲 ハ短調 BWV562 1972,73年録音
9) 幻想曲 ト長調 BWV572 1972,73年録音
【CD 20】
1) トッカータ ニ短調 BWV913 1988年録音
2) コラール「愛しきイエスよ、我らはここに」 BWV731 1988年録音
3) コラール「キリストは死のとりことなられても」 BWV718 1988年録音
4) コラール「我汝に別れを告げん」 BWV736 1988年録音
5) コラール「キリスト者よ、汝らとともに神を讃えよ」 BWV732 1988年録音
6) コラール前奏曲「キリエ、父なる神よ」BWV672 1988年録音
7) コラール前奏曲「クリステ、世の人すべての慰めなるキリストよ」BWV673 1988年録音
8) コラール前奏曲「キリエ、聖霊なる神よ」BWV674 1988年録音
9) コラール前奏曲「いと高き神にのみ栄光あれ」BWV675 1988年録音
10) コラール前奏曲「いと高き神にのみ栄光あれ」によるフゲッタBWV677 1988年録音
11) コラール前奏曲「これぞ聖なる十戒」によるフゲッタBWV679 1988年録音
12) コラール前奏曲「我ら皆唯一の神を信ず」によるフゲッタBWV681 1988年録音
13) コラール前奏曲「天にまします我らの父よ」BWV683 1988年録音
14) コラール前奏曲「我らの主キリスト、ヨルダン川に来り」BWV685 1988年録音
15) コラール前奏曲「深き淵より、我汝に呼ばわる」BWV687 1988年録音
16) コラール前奏曲「我らの救い主なるイエス・キリスト」によるフーガBWV689 1988年録音
17) 前奏曲とフーガ ホ短調BWV533 1988年録音
 個人的に好きなのは、「ゴルドベルク変奏曲」、「イギリス組曲」、「フーガの技法」といった作品で、チェンバロ特有の弦を弾く音色が十全な華やかさと運動性を備えて前進していく楽しさがある。全般にその表現はやや古風な感じがするところもあるけれど、それゆえの味わいにことかかない風雅さを伝えてくれる。歴史的にも貴重な録音だろう。

平均律クラヴィーア曲集 全曲
p: アシュケナージ

レビュー日:2005.10.29
★★★★★ ここにきて、このような素晴らしい録音が出てくるとは!
 アシュケナージの弾くバッハの平均律。。。クラシック音楽は本当に奥が深い。ここにきて、このような素晴らしい録音が出てくるとは!ただ感嘆を禁じえない。。。
 正直、これまでバッハ録音を避けてきたアシュケナージの録音であり、聴くまではちょっと不安な面もあった。だが、最初の一音(その適度な柔らかさと暖かさをたたえた慈しむような音色)に触れたとたんに、あらゆる不安は雲散し、ただひたすら音楽の喜びの世界となった。あまり言葉は必要ないかもしれないが、一応演奏の特徴を私なりに書いてみよう。
 テンポはややゆったりめ。そして柔和でありながら決して線がくずれずに、音楽の自然な流れが人工的な介錯物をまったく必要とせずに、ただそこにある。第2番の前奏曲、豊かな響きでシンフォニックに、短調の悲しい音色にぬくもりが加わり、かつて感じた事のない暖かさを感じる。第3番のパッセージも速いが弾き飛ばすわけではなく、一つ一つの絶対音があるべくしてそこにある安心感がある。かつ聴いていてこよなく楽しい。第4番の深い色合いは「敬虔」というキーワードについつい思いを馳せてしまう。。。第5番のなめらかな自然さ。。。第6番の3連音の表情付けの見事さ。。。
 本当に書き出せば切りが無いのだ(所詮、書けるものではない・・)。。。アシュケナージによって奏でられるバッハを聴くと、私は風を感じ、自然の呼吸を覚え、ヒューマンな情緒を感じた。光の移ろい、輝く波、深い森林を見た。稀有な体験と言ってもよい。ここにきてこの素晴らしい演奏をCDで聴けるようになったことをただただ感謝したい!

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 全曲
p: フェルツマン

レビュー日:2012.12.27
★★★★★ まるで組曲のように響くフェルツマンの平均律
 ロシアのピアニスト、ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集全2巻全曲を収めたアルバム。録音は第1巻が1992年、第2巻が1995年。CD4枚組。
 フェルツマンは、現代のバッハ弾きとして、名を挙げておきたいピアニストの一人だ。彼のバッハはカメラータ・レーベルからイギリス組曲とパルティータのそれぞれ全曲がリリースされているが、他の録音についても通販サイトなどで容易に入手可能な状態になっている。
 私は、実は以前は、この「平均律」という傑作をあまり聴いていなかった。しかし、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による録音(2004~05年録音)でこれらの曲の「美しさ」に開眼し、以来、随分多くの録音を聴いてきている。2012年にはシフ(Andras Schiff 1953-)の注目盤がリリースされ、あらためて感銘を深めたし、またコロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)が1998年から2001年にかけて録音したディスクにも、今までにない新しい衝撃を受けた。他にもグールド、リヒテル、アファナシエフ、ポリーニ(2012年現在第1巻のみ)といろいろ楽しんでおり、様々なピアニストによって、バッハの深みに触れる喜びを味わわせていただいている。
 そんな中、もう一つ気になっていたこのフェルツマン盤を聴いたことになる。聴いてみての感想であるが、これはまた一つユニークな演奏だと感じた。他のフェルツマンの録音を聴いてもわかるのだが、フェルツマンはバッハの鍵盤音楽から、普遍性や理論性を引き出すというより、より自由な解釈を織り交ぜで、自分なりの姿形を提示して見せようという意志が如実に感じられる。その自由さは、音のダイナミクスの豊かな幅とともに、響きそのものの多様性から導かれる。
 例えば第1巻の第2番において、フェルツマンのアゴーギグや音色は、あきらかにチェンバロによる奏法を意識して彩られたものだと思う。この1曲だけ聴くと、なるほど、こういう演奏か、と納得するのであるが、他の楽曲で同じアプローチに徹するかというと、まるでそうではない。つまり、全体を一つのテーマで束ねるというより、1曲1曲について、「俺ならこう弾く」という能動的な情緒が表出しているのである。
 私がこの演奏を聴いて非常に面白いと思ったのは、このようなアプローチが平均律というより、むしろ組曲やパルティータといった舞曲集を連想させる点にある。フェルツマンの奏でるリズムは豊かで、そこにはウキウキするような動機が満ちている。また、1曲1曲について考えられたアプローチであるため、全体のテーマ性があまり感じられない一方で、各曲の「前奏曲」と「フーガ」の間の、音楽的な適度なギャップを踏まえた有機的と言える結びつきが秀逸で、むしろ全曲を通して聴くような時間がなかったり、全曲を通して聴くことにテーマ性をことさら求めて聴くのでなければ、この演奏こそ、個別の楽曲の性格を反映した「曲集」として楽しんで聴くのに相応しいものとなるのではないだろうか。そのような観点で、当盤をこれらの曲集のベストと推す人も、多くいるのではないかと感じられる印象的なアルバムである。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 全曲
p: シフ

レビュー日:2012.10.4
★★★★★ シフ2度目の録音となる平均律全曲で、新たに提示されたもの
 いよいよ大家としての風格が溢れてきたアンドラーシュ・シフ(Andras Schiff 1953-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集全2巻CD4枚組。2011年の録音。シフには1984年から85年にDECCAレーベルへの同曲集の録音があり、これが2回目の録音ということになる。平均律全曲を2度録音したピアニストというのは、それほど多くないと思うのであるがいかがだろうか。
 バッハの平均律クラヴィーア曲集は、ピアノ音楽における「旧約聖書」と称される。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の32曲のソナタを「新約聖書」と称し、両者が対となるわけだが、ピアノという平均律を象徴する鍵盤楽器のジャンルで、この曲集はまさに「経典」に相応しいだろう。私は、この曲集についてはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が2004~05年に録音したものを、まさに愛聴しているが、このシフの録音も、「ピアノで弾かれたバッハ」を愛する者を、心ゆくまで堪能させてくれる内容だと感じる。
 私が以前、シフの言葉でとても印象に残っているものに「バッハのクラヴィーア曲は、チェンバロではなく、ピアノで弾いてこそ」というものがあった。私もいたく同感だったので、よく覚えている。そして、シフは2度の録音で、平均律においても「ピアノの強み」を最大限アピールした成果を得たと思う。それを実感する2度目の録音である。
 「ピアノの強み」、それは音の持続性であり、強弱の幅であり、それによって紡がれる多様な演奏表現である。シフは1回目の録音で、その微細なタッチにより旋律自体がもつ歌謡性を健やかに引き出し、麗しい音楽の情感を聴き手に楽しむ機会を提供してくれた。そして、このたびの2回目の録音では、ダイナミクスの対比により、楽曲を構成する声部の階層を明瞭に示し、その処理の過程を明晰に示した上で、これらの楽曲の基礎にある「理論的な明快さ」をシャープに示してくれたと考える。
 つまり、このたびの録音で示されたシフの演奏は、まず知的な好奇心を刺激する点があるのだが、そのために選択された「声部」の明瞭な区切りが、音楽全体の明暗、起伏を巧妙に描き分けることにも役立っており、そのコントラストのインパクトが、そのまま楽曲の印象として聴き手に伝わる利点があると思う。
 その結果、私はあらてめて平均律という作品の、特にフーガの部分における音楽的処理の面白さに感じ入っただけでなく、ややゆったりしたテンポでじっくりと紡がれた音楽の陰影の部分に、深い情感を聴きとったように思う。もちろん、様々な名録音のある曲集であり、それぞれが名演であることに一つ一つ大事な理由があるとは思うが、少なくとも一音楽ファンである私にとって、このシフによる録音は、前述のアシュケナージの録音とともに、とても大切なものになったと思う。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 全曲
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.12
★★★★★ ニコラーエワの芸術を良く伝えるアルバム
 ソ連のピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)が1971年から1973年にかけて録音したバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集。全2巻分を収録したもの。 
 ニコラーエワのバッハの平均律全曲録音は、当盤の他に1984,85年録音のものもある。私が現時点で聴いているのは当盤のみだが、私個人的には、今までに聴いたニコラーエワのバッハ録音の中では、この平均律がいちばん良いと思う。ニコラーエワのバッハ演奏上の特徴である、強靭な音色やペダルの使用、響きの重厚さが、この曲集にマッチしていて、ふくよかで、野太い歌に満ちた名演になっている。
 平均律という楽曲は、クラヴィーアという楽器の特性に即して、調性と声部に関して、天才バッハが楽曲の体裁でまとめた作品で、教典的性格と、芸術的性格の2点において、稀有の高みに達した作品であるが、演奏するにあたって、その2つの性格の融合性が奏者に委ねられる。ニコラーエワの演奏は、楽曲が作曲された当時には想定されていなかった現代ピアノの「音量の豊かさ」と、「ペダルによる音価と残響の効果」を積極的に用いている点が特徴である。この特徴においては、演奏はロマンティックな傾向のものとなり、実際、ニコラーエワの演奏からは、豊かな歌謡性が伝わってくるのだが、それとともに、声部の明晰な響きがあって、対位法に基づく、清澄な調べが維持されている。つまり、この作品における2つの大きな要素を、互いに強調しつつ、全体としてうまく音楽的に響かせるという演奏を、ニコラーエワは実践している。
 ニコラーエワは、当時ソ連国内でバッハ演奏の権威であったことは良く知られているが、前述の特徴について、背後に音楽理論に対する教養があることは疑わないが、私にはそれ以上に、ニコラーエワの感覚的、直感的なセンスのようなものを感じさせる。そして、その感覚が、この曲集では、とてもうまく消化されていて、結果として、歌と清澄さに満ちた、太く逞しい味わいの平均律が奏でられることになったのだと思う。その結果、これらの楽曲が、とても馴染みやすい、しっくりくる温度で、聴き手に伝わってくるものになったと思う。特に短調の楽曲で、その重々しさは、適度な暖かみと弾力を持っており、聴き味の良さに繋がっている。
 ニコラーエワの芸術の価値を示す、代表的な録音であると思う。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
p: ポリーニ

レビュー日:2009.10.24
★★★★★ 直截で楚な歌を持つポリーニのまじめなバッハ
 なんと、ポリーニのバッハである。これだけでも驚いてしまう。ポリーニという芸術家には完璧ともいえるピアノ演奏の技巧を身につけた上で、これまた確かな教養を裏づけとして、レパートリーを決めうち気味に制覇する完全主義的な雰囲気があった。なので、近年の録音活動の活発化は、まさにファンには歓迎の至りだろう。それにしても、これまでバッハの録音が一枚もなかっただけに、ここにきての新規レパートリーはびっくりの対象になる。
 私がすぐに思い出したのはアシュケナージの例である。アシュケナージも相当長いことバッハのクラヴィーア独奏曲は録音してこなかったが、こちらも2004年~05年に第1巻と第2巻の全曲を録音し、音楽ファンに思わぬ福音をもたらしたものだ。アシュケナージもポリーニもショパン弾きであるし、その辺もなにか関係あるのだろうか?
 さて、ポリーニは第1巻である。(第2巻も録音してくれるのだろうか?)。聴いてみると、やはり今のポリーニである。楚な佇まいながら細やかな歌心があり、バッハの直裁な音楽がややまろやかに響く。また第2番に代表されるようなポリフォニックでかつスピーディーな曲では、ポリーニならではの直線性がぐっと前面に出てくる。
 バッハの平均率の場合、モノローグのような、ともすると単調にもなりかねない部分もある。しかし、ポリーニは率直にこれを弾いていて、飾るようなところがない。起伏もあくまでも小さなニュアンスを含んだ歌にとどまっていて、このへんがポリーニというピアニストが天性として持っている芸術性による表現方法なのだろうと思う。
 部分的にもう少しなんらかの色があった方がよいと思う箇所もあったけれど、これはこれで確かに「ポリーニならでは」の厳しさを持ったバッハなのだと思う。これからも、どんどん録音のレパートリーを拡充していってほしい。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
p: コロリオフ

レビュー日:2012.12.1
★★★★★ 数学の公式のような普遍性と純粋性を感じるバッハ
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集第1巻。1998年から99年にかけての録音で、CD2枚組。
 ピアノ音楽の旧約聖書と形容されるバッハのこの曲集には、古今多くの優れた録音があるが、中でも一際特異な存在感を放つものとして、このコロリオフの録音も特異な魅力を放っている。
 いや、「特異な」なんて書いたけれど、これは私の感覚の問題で、コロリオフが「変わったことをやろう」という意図で鍵盤に向かった“確信犯”だとはとても思えない。というのは、この演奏から、コロリオフという芸術家の、真摯な「こうあるべき」というスタンスが強く伝わってくるからだ。それは奇をてらったものなどではなく、高度に芸術的な、それも、平均律という音楽の基礎にある「法則」を学究的に照らし出すような、一種の数学的ともいえる純粋な論理性を感じさせる。
 それでは、それがどのような演奏なのか、少しでも伝わるように書いてみよう。まず音色が非常に澄んでいる。清澄な響きという表現が相応しいだろうか。鍵盤へのタッチを経てピアノ線を叩くことによって生まれた音が、ストレートに聴き手に向かってくるような音色である。この音色を用いて、コロリオフがやっているのは明瞭な声部の分離である。
 平均律では各曲が「前奏曲」と「フーガ」の2つの部分からなる。そのうちフーガの部分で、声部の重なりをある程度弾き分けていく作業が演奏者には求められる。コロリオフはきわめて厳格にこのトレース作業を行っている。彼の演奏は、「メロディをもって音楽をたらしめる」のではなく、「論理的に最適なことを行った結果、音楽になっている」もののように思える。
 その結果、きわめて特徴的になるのがテンポ設定である。彼の採用するテンポは、メロディを口ずさんだり、詩情を添えたりするのに最適なものではない。むしろ、そういった観点では速すぎたり遅すぎたりすると思える。・・実は私でも、音楽として聴いていて、そのいくつかはやっぱり遅過ぎると思ってしまうくらい遅い。例えば14番のフーガなんて、こんな遅いフーガはちょっとないのでは。あるいはアファナシエフはこれくらいで弾いたかもしれないけど、アファナシエフはあきらかに「詩人タイプ」のピアニストで、そのゆったりしたテンポには、言葉数の少ない詩のリズムを感じたが、コロリオフはもっと(観念的に)物理的意味で遅い。24番のフーガだって10分を越えている。その音楽からは、メロディを楽しむという要素がすでに棄却されてしまっているようにさえ思う。しかし、数学の公式が美しいように、得も言われぬ必然性が感じられるではないか。
 私の中で、このディスクを愛聴盤と呼ぶかどうか、非常に難しいところであるけれど、しかし強烈な存在感を持つものであり、ライブラリとしてどうしても置いておきたいものの一つには違いない。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
p: エマール

レビュー日:2014.9.22
★★★★★ クールな客観性を維持したしなやかな平均律
 エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「平均律クラヴィーア曲集第1巻」。2014年の録音。
 エマールのバッハとしては、2008年の「フーガの技法」以来2つ目の録音。フーガの技法は、その音響的なメカニズムを解きほぐして、ピアニスティックで力強い美観を全編に引き出した名演で、私も今まで何度も聴いてきた。
 「フーガの技法」でバッハへの適性の高さを感じさせたエマールの録音だけに、今回も注目される。
 聴いてみての私の印象を書くと、「まろやかで、しかし、非常に構成に忠実な演奏」といったところだろうか。もちろん、この曲集は、言うまでもなく「声部」という線によって構成された音楽で、その構造をいかに音楽的に響かせるかという点が注目されるのであるが、エマールは、やや柔らかいタッチを用い、音の長短と強弱きわめて正確に奏でることにより、その音楽を完成させている。
 テンポは穏当で、むしろややゆったりしていると感じるところが多い。正直に言って、「フーガの技法」の名演ぶりに比べると、「やや普通の演奏になったな」というのが第一感。しかし、繰り返し聴いているうちに、クールな清潔さを伴った美しい響きが連続することで、ほのかな味や情緒として伝わってくるものがあり、名演といって良い。
 有名な冒頭の第1番(ハ長調 BWV 846)の前奏曲が、思いのほか柔らかく、しかも簡素に弾かれていて、この点で、“味付けの薄い”当演奏の特徴の一つは明瞭に示されているが、曲集を聴き進めているうちに視界が開けるように、音楽の世界が近づいてくる。第5番(ニ長調 BWV 850)の前奏曲の繰り返される音型の明朗で瑞々しい輝きには強く魅了されるし、第13番(嬰ヘ長調 BWV 858)の前奏曲の明るい厳かさなど、バッハの音楽に潜む宗教性と通俗性が邂逅する際の「神秘的な安寧」を含んでいて、魅力的。個人的にひときわ印象に残ったのが第15番(ト長調 BWV 860)のフーガで、短いながらも、一切の抵抗がない輪郭で、完璧にまとめられた幾何図形のような美しさを保っている。
 こうして挙げてみると、私は、この録音でも、とくに長調の部分が気に入ったようだ。一方で、短調の曲群では、いちばん最後の第24番(ロ短調 BWV 869)のフーガが印象に残った。そこには、虚無的な、音の間合いと静謐さがあり、それこそエマールが得意とする現代音楽を彷彿とする“時間の凝縮”のようなものを感じた。どこか啓蒙的な目的を感じさせるもの、と言えるかもしれない。それが、この曲集の末尾を飾る目的としてどれくらい相応しいのか、私にはわからないけれど。
 以上の様に、衝撃的とまでは言えないが、古今の名演名録音が林立するこの曲集にあって、また一つ名演と呼ぶに差し支えない一枚が加わった、といったところ。エマールのバッハとして、高い理論的な完成度を示している。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
p: シェプキン

レビュー日:2018.12.28
★★★★★ 自然な流れの中、ほどよいロマン性が香るシェプキンのバッハ
 アメリカ、レキシントンを本拠とするOngakuレーベルからリリースされた、ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「平均律クラヴィーア曲集 第1巻 BWV846 - BWV869」。CD2枚組。1998年録音。
 シェプキンの一連のバッハ録音は、Ongakuレーベルの顔と言えるシリーズであったが、最近では同レーベルから新規リリースの話題を聞かない。活動を継続しているのだろうか。
 それは置いておいて、シェプキンのバッハは、現代ピアノの特性を活かしつつ、豊かな装飾性を添えたもので、とても魅力的だ。シェプキンはグールド(Glenn Gould 1932-1982)の演奏から強い影響を受けたことに自ら言及している。当アルバムでは、冒頭の有名なBWV846の前奏曲にその影響が顕著で、右手のスタッカート奏法が生み出す乾いた感触は、グールドを彷彿とさせる。
 また、シェプキンは、これらのバッハの楽曲に、ロマン性を感じさせた表現を施してもいる。快活な曲では、さながら舞曲を思わせるような躍動感あふれるタッチを繰り広げるし、かと思えば、BWV555の前奏曲やBMV557の前奏曲では、どこか瞑想的とも言えるほどの安らぎを、情感を湛えて描いていて、麗しい。そして、それらの表現のために、現代ピアノのスペックをフルに活用し、聴き味を豊かなものにしている。
 声部の表現は非常にスマートなものと言って良い。ときにその響きはさりげなさ過ぎるほどに非意識的な印象を受ける。しかし、それゆえに人工的な印象から遠ざかっており、楽曲の持つ世俗性を聴き手はほどよい色彩感の助けを得て、存分に楽しむことが出来る。
 シェプキンの演奏の全般的な感想は、ほどよい装飾性、さりげない清潔感、心地よいスピーディーな進行といったものに集約される。声部の線的な扱いは、上述のように強く意識付けされるものではないが、十分に技術と、ほどよいアーティキュレーションによって弾き分けられており、そのことによって二次的な効果、すなわち異なる声部の交錯に生まれる感情が、ある程度の等価性をもって表現されている。私には、それがシェプキンのその他の特性とよくマッチしていて、その結果音楽の流れを自然なものにしてくれていると思える。
 シェプキンの他のバッハの録音、例えばパルティータやフランス組曲と比べると、当録音ではやや個性が抑制され、そのぶん普遍的な解釈に歩み寄っているように思えることも興味深い。シェプキンという芸術家の中で、平均律クラヴィーア曲集という作品群の位置づけが、他の楽曲とは異なることを示しているのかもしれない。とはいえ、当録音は、シェプキンの芸術感覚が、比較的つつましくも好ましく表れたものであり、素敵な演奏であると感じられる。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
p: フェルナー

レビュー日:2023.3.8
★★★★★ 今なお聞き手に「新鮮味」を与え続けるフェルナーの平均律クラヴィーア曲集
 オーストリアのピアニスト、ティル・フェルナー(Till Fellner 1972-)による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「平均律クラヴィーア曲集第1巻」。CD2枚に下記の様に全曲が収録されている。
【CD1】
1) 第1番 ハ長調 BWV846
2) 第2番 ハ短調 BWV847
3) 第3番 嬰ハ長調 BWV848
4) 第4番 嬰ハ短調 BWV849
5) 第5番 ニ長調 BWV850
6) 第6番 ニ短調 BWV851
7) 第7番 変ホ長調 BWV852
8) 第8番 変ホ短調 BWV853
9) 第9番 ホ長調 BWV854
10) 第10番 ホ短調 BWV855
11) 第11番 ヘ長調 BWV856
12) 第12番 ヘ短調 BWV857
【CD2】
1) 第13番 嬰ヘ長調 BWV858
2) 第14番 嬰ヘ短調 BWV859
3) 第15番 ト長調 BWV860
4) 第16番 ト短調 BWV861
5) 第17番 変イ長調 BWV862
6) 第18番 嬰ト短調 BWV863
7) 第19番 イ長調 BWV864
8) 第20番 イ短調 BWV865
9) 第21番 変ロ長調 BWV866
10) 第22番 変ロ短調 BWV867
11) 第23番 ロ長調 BWV868
12) 第24番 ロ短調 BWV869
 すでに録音から20年以上が経過しているが、潤い豊な感覚美に満ちた演奏で、その演奏には、矛盾を承知の表現で恐縮だが、「永遠の新鮮さ」のようなものを感じる。それは第1番のはじめの一音が鳴り響いた瞬間から、私には感じられることであり、聴き進むに連れて、ほどよい質感となめらかな輪郭で奏でられるスタッカート、バランスの良いスリムな全体像、そして、つねに中庸の美を感じさせる洗練性が、常に備わっていることが特徴である。暖かく、余計なものの無い響きは、安定した安らぎと落ち着きを感じさせる。
 バッハはこれらの楽曲において、特に強弱やテンポの指定を残さなかった。演奏者の自由に委ねたと解釈できるし、そうする他ないのであるが、しばしば劇的な速さを持って弾かれる楽曲であっても、フェルナーの音は、強すぎることを戒め、美しいレガートのラインを崩すことがない。その完成度の高さは、バッハの音楽がもつ構築性や宗教性を十全に伝えるものと言えるだろう。
 フェルナーの柔軟な語り口は、ただマイルドで耳触りが良いだけでなく、声部の照らし出しや、ポリフォニーの表現と言う点でも、好ましい明晰さを感じさせる。この曲集が、つねに洗練された形で表現されているので、聞き手にはそれが「新鮮味」として伝わる。嬰ハ長調、ニ長調、ト長調といった楽曲のプレリュードは、この演奏の特徴がことにわかりやすくなっている個所だと思う。
 また、フェルナーの音色が、いかにもクセのない自然さを湛えているところも、その解釈とよくマッチしていると言える。平均律クラヴィーア曲集には、古今様々な名録音があるが、それらの中にあって、当盤も立派な存在感を持つものとなっている。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻から 第2番 第3番 第4番 第8番 第9番 第10番 第14番 第15番 第16番 第20番 第21番 第22番  ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガから 第1番 第5番 第6番 第7番 第11番 第12番 第13番 第17番 第18番 第19番 第23番 第24番
p: ムストネン

レビュー日:2005.4.10
★★★★★ RCA編の続きはこのオンディーヌ版で
 かつてRCAから発売された、バッハの平均率クラヴィーア曲集第1巻とショスタコーヴィチの「24の前奏曲とフーガ」の両曲集から、音階の数学的規則性にしたがって、配列を再構築した上で抜粋した企画があった。  企画性は賛否あったが、演奏は問題なくすばらしく、逆に両曲集をみたときに欠番があることが残念であった。  このオンディーヌ盤は、なんと前回の「ウラ版」と言えるもので、曲順はそのままに、引用先の曲集のみを入れ替えてしまったものである。これによって、前編と後編を揃える事で、両曲集の全集が完成するという異例の運びとなった。  演奏は、文句なくいい!音色は相変わらず豊かで、ムストネンのこれらの曲への高い適性を示している。両作曲家の作品に「あえて」同じアプローチでせまっており、面白い。(人によってはそれが弱点と感じられるだろう)。なかなロマンティックで鋭角的。バッハも曲想を艶やかな緩急で自在に操っており、病み付きになる要素は十分にある。音色も技術もさすがである。特に筆者には、ショスタコーヴィチの第12番および第24番が聴けることになったのが、最もうれしい。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻
p: コロリオフ

レビュー日:2012.12.6
★★★★★ 音楽を構築する「基礎」を明示し、その発展性を示す平均律
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集第2巻。CD2枚組。2001年の録音。コロリオフは第1巻を1998年から99年にかけて録音しており、当アルバムにより全2巻が揃う。
 私は、コロリオフの平均律第1巻を聴いて、大きく心を動かされるところがあったので、続けて第2巻も聴くこととなった。第1巻と第2巻では、やや第1巻の方が作品自体の内容として上回る感もあるが、いずれ名作であることは変わりなく、これらは、クラシック音楽の諸作品の中でも一際輝きを放つ作品群である。
 コロリオフの演奏は、ここでも第1巻のアプローチを踏襲している。私は、第1巻のコロリオフの演奏から、「特異」と表現した印象を受けたが、第2巻については、楽曲の性格がやや異なることもあり、第1巻ほどの極端な「特異さ」までは感じなかった。しかし、それは、私がコロリオフのスタイルをある程度予測して聴いているからかもしれない。そうであっても、例えば第20番の前奏曲に代表されるように、他の一般的な演奏に比べて、しばしば際立った“遅さ”があるなど、コロリオフらしい刻印は示されていよう。
 演奏は、第1巻と同様に、克明な音色で、声部を明瞭に響かせており、曲の構造上の特徴を鮮やかに解きほぐしたもの。テンポは通常より遅めに設定されることが多いが、そこから導かれる音楽は、決然たる普遍性に満ちていて、ゆるぎのない推進性を感じさせる。ゆっくりでありながら、強く「進行」を意識させる内容だ。CDを再生するやいなや、時間軸にそった鮮明な音のトレース作業が行われ、その中に神々しいほどの清澄さを感じてしまう。そう、これは根源的な「力強さ」を秘めた音楽なのだ。
 私は、第1巻の方が楽曲自体内容的に優れている感があるというふうに書いたけれど、その一方で第2巻の方が未来を予感させる霊感に満ちた部分があることも合わせて述べたい。例えば、第16番や第20番のフーガを聴いていると、3世紀後のソ連の偉大な作曲家ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)の名作「24の前奏曲とフーガ」を彷彿とさせる音響が聴かれる。もちろん、これは、ショスタコーヴィチが、バッハの偉大な名作を意識して書いた作品であったからではあるけれど、それは、ショスタコーヴィチが、バッハの音楽の中に、音楽の無限ともいえる発展性の明示を読み取ったからこその挑戦であったようにも思う。そして、私はコロリオフの演奏に満ちる音響に、この「未来への予感」のようなものが聴き取れるように思うのだ。
 それは、コロリオフのアプローチが、音楽を支える「理論性」を明確に打ち出していることによる直観的印象だと思う。旋律を開始する基音がはっきりと提示され、低音から派生する関連音によって紡がれる「調性」に基づく展開を明示することは、それが一つの「解決」であるとともに、別に多彩な「変容」の可能性に満ちたものであることを感じさせる。「基礎論」の追及から「発展」を導く示唆性に富んだ本演奏は、この曲集の価値を高らかに提示したものに違いない。

バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第2巻
p: シェプキン

レビュー日:2019.10.29
★★★★★ 第1巻とはアプローチを変えたシェプキンによる平均律クラヴィーア曲集第2巻
 セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」。1998年から99年にかけての録音。
 第1巻に引き続いての録音であるが、第1巻と同様に素晴らしい内容。というより、活力の豊かさにおいて、第2巻の録音が上回っていると思う。
 シェプキンは、グールド(Glenn Gould 1932-1982)への憧れと、グールドからの影響について、名言しているが、平均律クラヴィーア曲集を聴くと、第1巻に比べて、第2巻の方に、グールドの影響からの自由さを感じる。シェプキンがより自らの語法で音楽に接しているとでも言おうか。第1巻でしばしば聴かれた乾いたスタッカートは、第2巻では瑞々しさを蓄え、聴き味はよりロマンティックになったと思う。そして、そのことによって、私は音楽がより魅力的になったように感ぜられる。表情豊かで、主観的なバッハ。それはバッハの音楽を教条主義的に捉えたい人にとっては、多分に表現されることを避けるべきと指摘したくなる要素なのかもしれない。しかし、私は、情緒的なバッハに、とても感動し、喜びを感じるのである。
 また、第1巻と第2巻の「弾き分け」について、シェプキン自身、確信的に行っていることのようだ。シェプキンは、第2巻において、純粋にロジカルな進行の部分に比し、装飾的、情緒的なものが第1巻より増えていることを指摘している。それは、楽曲の側が、奏者により表現性を求めているとも考えられる。そう考えると、シェプキンは、あえて曲集の性格を強調するように、異なったアプローチを試みたことになる。そして、第1巻も良いが、私には第2巻がより素晴らしく感じられる。
 第18番の嬰ト短調の前奏曲の激性と豊かな肉付きのバランスの良さ、そしてそこに込められた音の色使い。第17番変イ長調の色彩感豊かなフレーズの交換など、その特色が良くでた場所だろう。
 また、冒頭曲である第1番ハ長調の前奏曲で、シェプキンはかなりゆったりとした足取りで全曲を開始する。この音楽が、第2巻全体の前奏曲であり、導入部であるという語り始めを思わせるように。そんなところもロマンティックで、どこか物語を感じさせる解釈だ。
 もちろん、そうは言っても、明瞭な声部の扱い、巧みな規則性の表現も失われたわけではない。第15番ト長調の構造性を体感してほしい。

平均律クラヴィーア曲集 第1巻より 第1番 第5番 第6番 第8番 第19番 第20番 第22番 第23番 第24番 第2巻より 第4番 第6番 第12番 第14番 第19番
p: ヤンドー

レビュー日:2017.9.1
★★★★☆ 演奏は素晴らしい・・ただ気になる音が・・
 ハンガリーのピアニスト、イェネ・ヤンドー(Jeno Jando 1952-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の平均律クラヴィーア曲集の「選集」。収録された楽曲は以下の通り。
第1巻 1995年録音
1) 第1番 ハ長調 BWV846
2) 第5番 ニ長調 BWV850
3) 第6番 ニ短調 BWV851
4) 第8番 変ホ短調 BWV853
5) 第19番 イ長調 BWV864
6) 第20番 イ短調 BWV865
7) 第22番 変ロ短調 BWV867
8) 第23番 ロ長調 BWV868
9) 第24番 ロ短調 BWV869
第2巻 1993年録音
10) 第4番 嬰ハ短調 BWV873
11) 第6番 ニ短調 BWV875
12) 第12番 ヘ短調 BWV881
13) 第14番 嬰ヘ短調 BWV883
14) 第19番 イ長調 BWV888
 いずれも全曲録音が存在しており、第1巻、第2巻がそれぞれ2枚組のCDとして入手可能である。
 平均律の選集という試みはあまりないかもしれない。私が、この選集を買ったのは、安価であり、また、選集ならではの楽曲のつながりなど、ちょっと面白そうだといった興味からである。
 この曲集の「選集」が少ない理由は、いずれの楽曲も粒ぞろいの名品で、どれを加えてどれを除くかという検討が難しいからではないだろうか。試に、かつてSONYから発売された伝説的録音であるグールド(Glenn Gould 1932-1982)の録音から編集された選集には、第1巻より 第1番 第2番 第4番 第9番 第15番 第17番 第20番 第24番 第2巻より 第1番 第2番 第5番 第6番 第14番 第18番 第20番 第24番といった楽曲が収録されていた。当ヤンドーの選集と重複する楽曲は16曲中5曲でしかない。これほど、選ぶ者によって、選ばれる楽曲が違ってしまうケースも珍しいのではないだろうか。
 さて、私は、この選集を買った際、「すごく良かったら全曲盤を買い直せばいい」と考えていた。聴いてみての感想であるが、演奏はとても良いのだけれど、全曲盤を買い直そうというところまでいかなかった。その理由は、と言うと、実はグールドのケースと重複するのだけれど、奏者のハミングが、かなりしっかりと音になってしまっていて、どうにも気になるレベルであるためである。
 演奏しながら無意識に(?)ハミングしてしまうピアニストはそれなりにいて、前述のようにグールドは伝説的に有名な存在だけれど、私はヤンドーの他の録音を聴いてそういう経験がなかったので、当録音にはちょっとびっくりした。あるいは、平均律という曲集の、フーガ部分で多声を扱う性格が、奏者にそれを促すのだろうか。それ自体興味深い。とはいえ、やはり音楽を聴く際、特にCDで音だけを再生する場合、どうしても気になってしまうのである。
 演奏は素晴らしいと思う。ピアニスティックな美しさと、適度なまろやかさがあいまって、流麗なスタイルが貫かれていて、特に第1巻の第20番、第2巻の第4番と第6番など、運動美と旋律的な美しさのバランスが維持され、声部の働きもしっかりした理想的演奏に思う。それだけに、私とてしては、ハミングが残念で、結果論として、選集で買うのに、ちょうど良かったかな、といったところでした。

平均律クラヴィーア曲集 第2巻より 第1番 第7番 第8番 第9番 第11番 第12番 第16番 第17番 第18番 第22番 第23番 第24番
p: アンデルジェフスキ

レビュー日:2021.6.4
★★★★☆ 曲順の妙が興味深い選集
 ピョートル・アンデルシェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「平均律クラヴィーア曲集 第2巻」からの選集。全24曲中の半分に当たる12曲が選ばれ、下記の順番で収録されている。
1) 前奏曲とフーガ 第1番 ハ長調 BWV.870
2) 前奏曲とフーガ 第12番 ヘ短調 BWV.881
3) 前奏曲とフーガ 第17番 変イ長調 BWV.886
4) 前奏曲とフーガ 第8番 嬰ニ短調 BWV.877
5) 前奏曲とフーガ 第11番 ヘ長調 BWV.880
6) 前奏曲とフーガ 第22番 変ロ短調 BWV.891
7) 前奏曲とフーガ 第7番 変ホ長調 BWV.876
8) 前奏曲とフーガ 第16番 ト短調 BWV.885
9) 前奏曲とフーガ 第9番 ホ長調 BWV.878
10) 前奏曲とフーガ 第18番 嬰ト短調 BWV.887
11) 前奏曲とフーガ 第23番 ロ長調 BWV.892
12) 前奏曲とフーガ 第24番 ロ短調 BWV.893
 2020年の録音。
 まずは、アルバムの構成に注目したい。選ばれた12曲は番号順に並んではおらず、冒頭の第1番と、末尾の第24番を固定したまま、中間をシャッフルしている。ただし、選ばれた楽曲は、短調、長調、それぞれ6曲ずつであり、長調の曲と短調の曲が交互配置されるという仕組みは維持されている。これにより、アンデルシェフスキフスキは、新しい「長-短」ペアの組み合わせを生み出し、そこに一つのアーティストとしての創造性を試みたということであろう。
 アンデルシェフスキは、これらの楽曲に、概してゆったりしたテンポのアプローチにより、一つ一つのフレージングを丁寧に表現している。新しい楽曲構成については、各人が聴いてみて、いろいろ感じるところがあると思うが、もともとの楽曲の性格を踏まえると、もっとランダムな順番にしたとしても、演奏が良ければ、概して美しく響くとは思う。それを言っては、という気もするが。でも、例えば第1番のフーガから、第12番のプレリュードに移るところなど、その質感の差がハッとさせられるものがあり、アンデルシェフスキの意図と考えながら聴くという面白味はある。
 テンポはゆったりしているが、アーティキュレーションは明瞭であり、その音色の変化は聴き手を楽しませてくれる。ゆったりしたテンポが特に顕著なのが第8番の前奏曲と第18番のフーガで、古典的な演奏と比較すると、旧来のオーソリティに反したスタイルであることが明瞭となる。そこにアンデルシェフスキは、それゆえの表現性を見出そうと、内面的な思索性のある音が繰り出される。ただ、私はこれを聴いていて、正直、演奏者の意図に自分の感性が付いていけないところを残す。一言で言うと違和感である。もちろん、これは聴き手にとって、代わりうることなので、あくまで、私の場合は、であるが。
 私が良いと感じたのは、例えば第16番であり、そこでは不穏なトッカータ風の音楽が、それこそ近現代へも通じるような内省的な趣きをもって響いていたし、フーガにおける、一瞬の閃光を思わせるようなインスピレーションもゾクッとくるものがあった。
 そういう良いところもあるのだが、前述の通り、しっくりこないところもあって、また全般に、この12曲で78分を要するというのも、トータルでは長く感じるところがある。アンデルシェフスキの試み自体、とても興味深いものであるが、全面的な推薦とまでは言えないというのが、正直な感想となった。

平均律クラヴィーア曲集より前奏曲抜粋
p: ザラフィアンツ

レビュー日:2010.1.25
★★★★★ バッハのクラヴィーア曲はピアノで弾いてこそ「新生」する
 これは本当に面白い、そして音楽とは何かと改めて考えさせてくれるアルバムだ。ピアノを弾いているエフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants)は1959年ノボシビルスク生まれのピアニスト。
 さて、このアルバムの意図である。バッハの平均律クラヴィーア曲集は全2巻、各巻とも全ての調性による「前奏曲」+「フーガ」からなる作品から成っている。だから、24の調性×2巻分、48組の「前奏曲」+「フーガ」があることになる。
 ザラフィアンツはこのうち、「前奏曲」のみから選集を編み出し、一つのアルバムにしてしまった。これがなぜびっくりか?大きな理由は二つ。バッハのこれらの曲は、平均律を確定し12の音、24の調性を音楽の柱として学術体系化した作品であり、抜粋して何かしらの作品にするという発想が従来なかったことが一つ。もう一つは「前奏曲」と「フーガ」のうち、むしろ主従関係で言えば「従」的である前奏曲を抜き出してまとめるという発想も従来なかったことがもう一つ。
 しかし、こういう「囚われの概念」が、もちろん大事な価値観に繋がっていることもあるけれど、時として音楽の多様な発展を塞き止めてしまうことがあることもまた事実。ザラフィアンツは見事なまでに旧弊な価値観からこれらの作品を解き放った。
 このような演奏が効果を上げるようになったのは、もちろん楽器の発達の側面が大きい。バッハの時代のクラヴィーア楽器に比べて、現代のピアノという楽器の表現力は比較にならない。私個人的に、バッハのクラヴィーア曲は学術的な検討以外ではピアノで弾いてこそ美しいという気持ちが強いが、このザラフィアンツの演奏こそ、それを示してくれる好例に違いない・・・もちろん全てザラフィアンツの素晴らしい感性に依るものなのですが・・・
 ザラファインツの革新的とも思える遅いテンポ、これも凄い。以前、クニャーゼフの弾いた無伴奏チェロ・ソナタにも感動したが、ザラフィアンツのロマンティックなピアノはバッハの作品を通して神々しくも柔らかな光を放っている。チェンバロではとてもこんなことは無理である。だいたい音が持たない。何度も何度もエンドレスで聴きたくなる妙演にして名演だ。

2声部の為のインヴェンション 3声部の為のシンフォニア
p: コロリオフ

レビュー日:2012.12.3
★★★★★ クラシック音楽初心者にも薦めたいコロリオフのインヴェンション
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の2声のインヴェンション(全15曲)と3声のシンフォニア(15曲)。1999年の録音。
 コロリオフというピアニスト、日本ではそれほど知名度は高くなく、国内盤の発売もなかった。しかし、1999年録音のバッハのゴルトベルグ変奏曲の録音が一部のクラシック音楽雑誌で取り上げられたことから、注目している人も多くなってきたように思う。私もその一人であるが、今日では、ドイツのTACETというどちらかというと音質を売りにしているレーベルが彼のバッハを中心とした一連の録音を発売していることから、日本で通販サイトなどを通して入手が容易になった。これもそのような経緯で入手した一枚ということになる。
 バッハのこれらの曲集は、平均律クラヴィーア曲集とともに、教材的意図で作らたものだが、2声、3声といった制約のもとで、バッハがいかに気高く美しい音楽を紡ぎあげたかが示される名品だ。有名な曲としてはタルコフスキー(Andrei Tarkovsky 1932-1986)の映画「惑星ソラリス」で使用された3声のシンフォニア第2番ハ短調が挙げられるが、一つ一つが欠陥の見当たらない音楽で、その簡潔な完全性が力強い。1曲1曲の「短さ」(全30曲聴いても1時間くらい)も、この曲集の聴きやすく親しみやすい一面だと思う。
 コロリオフのバッハはいろいろ聴いてきたが、ここでも左手の独立した響きがまずは印象に残る。そして、その卓越した技巧をもちいての声部の慎重な扱いはバッハの音楽に相応しい崇高な精神性が漂っている。決して急くことのない音楽は、均質な安定感を保持し、その構造を光の下で克明に解き明かしている。そうして得られるコロリオフの音楽には不思議な空間性に満ちている。旋律と旋律の交錯の仕方が一様で、その一様さが図面に引かれた建築物のようだ。時間という軸に沿って再現される「音楽」は、その図面を起こし、立体へと形を変えていく過程さながらである。
 私はこのアルバムを、バッハのクラヴィーア(ピアノ)曲を聴いてみたいという初心者の方にも薦めたいと思う。むしろイタリア協奏曲やフランス組曲みたいな華美な要素の強いものより、音楽としての抽象性がより心を捉えるのではないか?いや、もちろんそれは聴く人によるのだけれど。例えば、私がいまこのレビューを書いている初冬の北海道、午後4時過ぎ、陽が山に落ち、影が街を覆い始める時間帯、少なくなった光を外の雪が反射して青白く光りはじめるときに、このアルバムをそっと聴いてみよう。たちまち、この音楽が作り出す荘厳な美に世界は印象を変えていく・・・。
 このような経験をさせてくれるアルバムを大事にしたいと思う。

2声部の為のインヴェンション 3声部の為のシンフォニア
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.4
★★★★☆ 重さの伝わる貫禄あるバッハ
 ソ連において、バッハ演奏の権威と言われたピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)による2声のインヴェンションと3声のシンフォニアの全曲。1977年に録音されたもの。収録曲の詳細は以下の通り。
1) インヴェンション 第1番 ハ長調 BWV.772
2) インヴェンション 第2番 ハ短調 BWV.773
3) インヴェンション 第3番 ニ長調 BWV.774
4) インヴェンション 第4番 ニ短調 BWV.775
5) インヴェンション 第5番 変ホ長調 BWV.776
6) インヴェンション 第6番 ホ長調 BWV.777
7) インヴェンション 第7番 ホ短調 BWV.778
8) インヴェンション 第8番 ヘ長調 BWV.779
9) インヴェンション 第9番 ヘ短調 BWV.780
10) インヴェンション 第10番 ト長調 BWV.781
11) インヴェンション 第11番 ト短調 BWV.782
12) インヴェンション 第12番 イ長調 BWV.783
13) インヴェンション 第13番 イ短調 BWV.784
14) インヴェンション 第14番 変ロ長調 BWV.785
15) インヴェンション 第15番 ロ短調 BWV.786
16) シンフォニア 第1番 ハ長調 BWV.787
17) シンフォニア 第2番 ハ短調 BWV.788
18) シンフォニア 第3番 ニ長調 BWV.789
19) シンフォニア 第4番 ニ短調 BWV.790
20) シンフォニア 第5番 変ホ長調 BWV.791
21) シンフォニア 第6番 ホ長調 BWV.792
22) シンフォニア 第7番 ホ短調 BWV.793
23) シンフォニア 第8番 ヘ長調 BWV.794
24) シンフォニア 第9番 ヘ短調 BWV.795
25) シンフォニア 第10番 ト長調 BWV.796
26) シンフォニア 第11番 ト短調 BWV.797
27) シンフォニア 第12番 イ長調 BWV.798
28) シンフォニア 第13番 イ短調 BWV.799
29) シンフォニア 第14番 変ロ長調 BWV.800
30) シンフォニア 第15番 ロ短調 BWV.801
 ニコラーエワのバッハは、概して重厚感があり、強い音やペダルも積極的に使用するスタイルで、ロマンティックでありながら、対位法に特有な声部の明瞭な区分けがあって、確かな視点を感じさせるもの。ただ、当録音に関しては、ペダルの使用は抑制的であり、楽曲の性向を重んじたのかもしれない。
 ただし、強奏はいかんなく発揮されていて、全般に長調の楽曲で強い音を積極的に使う傾向がある。また、楽曲間の対比が強い傾向があり、弱音の楽曲は、疎な雰囲気が支配し、淡々と乾いた音が連ねられていく。声部は明瞭であるが、長調の楽曲は、やや大味な味わいに感ぜられるところもある。冒頭のインヴェンションの第1番など、かなりスピード感をもっており、強いタッチと併せて、印象的なところ。この強奏による長調楽曲は、あちこちでそのインパクトが繰り返される。例えばシンフォニアの第5番や第10番など、ことにその感が強い。シンフォニア第9番の静謐さとあわせて、楽曲間のコントラストの差は強力で、これがニコラーエワによる当曲集の最大の特徴ではないだろうか。
 ピアノの音色自体は、現代の様々な録音と比較すると、そこまで美しいという感じはしない。むしろ武骨な、モノトーンといった印象であり、楽曲の表情付けは、強弱と緩急による部分で大要を占めている。これは、バッハのクラヴィーア曲ゆえに、ピアノを制約的に響かせているというより、ニコラーエワの様々録音を聴く限りでは、彼女のスタイルがそうなのだ、と言えると思う。現代を代表する、例えばシフ(Andras Schiff 1953-)の録音と比べるとその差は引き立つ。
 個人的には、よりピアノの美観を主張に加えた演奏の方が好みであるが、ニコラーエワの録音は独特の重みと厳かさを持っており、その存在感は確かに伝わってくる。

2声部の為のインヴェンション 3声部の為のシンフォニア フランス組曲 第5番
p: フェルナー

レビュー日:2022.9.9
★★★★★ 暖かく滑らかな美観。現代ピアノならではのインヴェンションとシンフォニア
 オーストリアのピアニスト、ティル・フェルナー(Till Fellner 1972-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の下記の楽曲を収録したアルバム。
2声のインヴェンション
 1) 第1番 ハ長調 BWV 772
 2) 第2番 ハ短調 BWV 773
 3) 第3番 ニ長調 BWV 774
 4) 第4番 ニ短調 BWV 775
 5) 第5番 変ホ長調 BWV 776
 6) 第6番 ホ長調 BWV 777
 7) 第7番 ホ短調 BWV 778
 8) 第8番 ヘ長調 BWV 779
 9) 第9番 ヘ短調 BWV 780
 10) 第10番 ト長調 BWV 781
 11) 第11番 ト短調 BWV 782
 12) 第12番 イ長調 BWV 783
 13) 第13番 イ短調 BWV 784
 14) 第14番 変ロ長調 BWV 785
 15) 第15番 ロ短調 BWV 786
3声のシンフォニア
 16) 第1番 ハ長調 BWV 787
 17) 第2番 ハ短調 BWV 788
 18) 第3番 ニ長調 BWV 789
 19) 第4番 ニ短調 BWV 790
 20) 第5番 変ホ長調 BWV 791
 21) 第6番 ホ長調 BWV 792
 22) 第7番 ホ短調 BWV 793
 23) 第8番 ヘ長調 BWV 794
 24) 第9番 ヘ短調 BWV 795
 25) 第10番 ト長調 BWV 796
 26) 第11番 ト短調 BWV 797
 27) 第12番 イ長調 BWV 798
 28) 第13番 イ短調 BWV 799
 29) 第14番 変ロ長調 BWV 800
 30) 第15番 ロ短調 BWV 801
フランス組曲 第5番 ト長調 BWV 816
 31) アルマンド(Allemande)
 32) クーラント(Courante)
 33) サラバンド(Sarabande)
 34) ガヴォット(Gavotte)
 35) ブーレ(Bourree)
 36) ルール(Loure)
 37) ジーグ(Gigue)
 2007年録音。
 私は、最近になってやっとこの録音を聴く機会を持ったのだけれど、聴いてみての感想は、「どうしてもっと早くにこの録音を聴かなかったのだろう」と思うほどに素晴らしかった。これまで、インヴェンションとシンフォニアの録音といえば、コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)やシフ(Andras Schiff 1953-)の録音を愛聴してきたのだが、このフェルナーの演奏は、レガートの効果を十全に活かしたもので、保守的なテンポとあいまって、しなやかさと暖かさが全体を覆い、ほどよい浪漫性と高貴さをバランスよく湛え、それが全体に渡って高いレベルで維持されている。その健やかな瑞々しさは、バッハのこれらの楽曲が、聴き手に喜びを喚起させてくれることを実感するもの。
 インヴェンション第4番では、弾力に富む音階が劇性に満ちた前進力をもたらす。舞曲風の第10番では、巧妙なリズムの陰影が鮮やかで引き立つ。シンフォニア第2番では、透明な哀しい色合いが無類に美しいし、第5番では、そのなめらかな広がりが魅力。有名な第9番はメロディに漂う高貴な情感が秀逸。
 これらの曲集全体を通して特に魅力的なのは、適度な振幅幅をもって豊かに紡がれるメロディであり、それは透明な声部の扱いとともに、楽曲にほどよい起伏を与え、自然発揚的なぬくもりをたたえて流れていくものである。これは現代ピアノゆえに引き出せる妙技であり、その美観を心行くまで味わわせてくれる当録音は、名演と呼ぶにふさわしい。
 また、末尾に収録されているフランス組曲第5番は、より浪漫性があり、解釈に自由幅を感じさせるが、フェルナーの演奏の美点は、当然の事ながらしっかりと息づいており、気品に満ちた優美な演奏となっている。

イギリス組曲 全曲
p: フェルツマン

レビュー日:2007.4.28
★★★★★ 「イギリス組曲」に、また一つ名盤が誕生
 パルティータ&インヴェンション集(99年録音)に続くウラディーミル・フェルツマンのバッハ第2弾である。今回の「イギリス組曲集」の録音は2005年。本当にフェルツマンのバッハは瑞々しい。
 イギリス組曲という曲集はバッハのクラヴィーア曲集の中でも内省的な深みの伴う曲だ。だから、全曲を通して録音というのは、なかなか難しいことのようだ。最近ではペライアのものが印象に深い(特に第1番、第3番、第6番が秀逸!)が、このフェルツマン盤は、私にはそれ以来の感銘を受けたイギリス組曲集となった。
 フェルツマンの場合、何と言うか、とても自由さを感じる演奏である。気持ちの高ぶりと内面から湧き出す芸術家特有の感性に沿って、感情の赴くままに、楽曲を奏でていく。時にリズムは跳ね、声部は色鮮やかに行き交う。途端に暗い影をにじませたり、ぱっと陽が差し込んだりする。音は特有の粒立ちを持っていて、やや保持時間は短めで、ゆえに瞬間毎の自在性は増し、それを用いてまた発展を得る。そうして描かれる世界は、きわめて「舞曲」としての体裁を適度な起伏を持って整えられ、聴くものの気分に様々な陰影を与えてくれる。
 第5番のサラバンドのゆったりした足取りで描かれる高貴さ、そしてジーグにおいてみせる奔放な疾走がこのアルバムの象徴的な場所と感じられた。
 イギリス組曲にまた一つ名盤が加わった。

イギリス組曲 全曲
p: ヴェデルニコフ

レビュー日:2009.3.9
★★★★★ 荘厳にして敬虔な雰囲気に満ちたバッハ
 アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)はロシアのピアニスト。出身地は現黒龍江省のハルビン市。ロシア・ピアニズムを象徴するピアニストの一人であり、スターリン全体主義によってその人生を大きく制約された芸術家の一人でもある。ヴェデルニコフはレパートリーの広いピアニストだったが、近現代作曲家と近い距離を保つことは旧体制下では危険と係わりあうことを意味した。ヴェデルニコフはそれでもなお芸術家としての信念を貫いたピアニストである。
 そんな背景もあって、録音活動に恵まれたとはいえない。このバッハのイギリス組曲は数少ないメロディアに遺された彼の貴重な記録の一つ。第6番だけが1962年のモノラル録音で、他の5曲は1978年の録音だ。第6番については現在DENONの国内盤「ロシア・ピアニズム」シリーズで入手可能な様だ。
 さて、当盤は貴重な録音と言うだけでなく、演奏が実に素晴らしい。ヴェデルニコフのバッハは気高い崇高な雰囲気を湛えており、古典的だが古くなく、ロマン性があるのに耽美に傾かない。ピアノの響きはややほの暗く、つねに憂愁を帯びているが、凛とした佇まいがあり、清冽である。現代のピアニストの演奏では、楽曲によってはこれらの舞曲としての色彩に配慮した一種の軽さが備えられるが、ヴェデルニコフはむしろ堅牢な構造物を思わせるような質感を持って臨んでいて、峻険な趣も呈する。結果、聴き進むにつれ、敬虔な雰囲気に包まれてゆく。これはなにもバッハの音楽が教会音楽的だという先入観によるものではなく、特定の宗派を超えたもっと普遍的な象徴を音楽が表しているように思えるのである。イギリス組曲という厳しさを湛えた舞曲が、そのアプローチを活かす見事な名作であることをも再認識させられる。

イギリス組曲 全曲
chem: ルセ

レビュー日:2023.8.21
★★★★☆ 一気呵成に弾ききった感のあるバッハ
 フランスのチェンバロ奏者、クリストフ・ルセ(Christophe Rousset 1961-)による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のイギリス組曲、全曲。CD2枚に下記のように収録されている。
【CD1】
1) イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV 807
2) イギリス組曲 第4番 ヘ長調 BWV 809
3) イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV 811
【CD2】
4) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV 806
5) イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV 808
6) イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810
 2003年の録音。
 たいへん颯爽とした演奏である。やや早めのインテンポで、一貫した流れでスラスラと弾ききっている。弾き方にクセがないので、品がよくまとまっており、聴いていてとても自然で、いつのまにかスルスルと進んでいく。といっても、無表情なわけでもなく、サラバンドには、相応の情感があって、決して味がないというわけではない。
 ただ、その一方で、その味わいは、かなり薄い。淡いとも言えるだろう。これは、私が特にピアノで弾くバッハを愛する人間であるため、チェンバロという楽器による演奏を聴いたとき、どうしても「楽器性能上の表現性の制約」という点が気になってしまうタチであるという前提も併せてお知らせする必要があると思うけれど、この演奏で聴くと、どの組曲であっても、サラバンドはサラバンド、メヌエットはメヌエットと、あまりに画一的なアプローチに聴こえる。それは、楽曲を規格化して、楽曲間の差異を見出そうという学究的な面では、有利に働くところであり、むしろチェンバロの演奏が好きな人は、演奏家の芸術性が前面にでてしまうことの方を警戒するのかもしれないけれど、私の感覚で言えば、この演奏は、全体的に、あまりにも一様な感じがする。それに、このことは、例えば、バッハ演奏の権威として知られたレオンハルト(Gustav Leonhardt 1928-2012)によるチェンバロ演奏と比較しても、言えることだと思う。
 勿論、私であっても、ルセの演奏に魅力を感じる部分も多くある。収録された曲では、短調の音楽の方が、ルセのスタイルにあっていると思うし、舞曲で言えば、ブーレやジーグにおいて、スピーディーでインテンポなルセの演奏が、爽快感に直結しやすいだろう。その瑞々しい流れは、自然発揚的な生命力に満ち、色彩も豊かに感じられる。
 ただ、全体的には、演奏家の芸術性に照らして、組曲ごとの性格的相違を、より明瞭に反映させた解釈であった方が、私には好ましい。

イギリス組曲 全曲
p: トリスターノ

レビュー日:2024.7.23
★★★★★ 速さ、明快さとともに、奏者の深い洞察が伝わってくる録音
 ルクセンブルクのピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano 1981-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲。収録曲の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV 806
2) イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV 807
3) イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV 808
【CD2】
4) イギリス組曲 第4番 ヘ長調 BWV 809
5) イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV 810
6) イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV 811
 2022年の録音。
 私の場合、2024年録音のフランス組曲のアルバムと、当アルバムを同時に購入し、まずフランス組曲を聴いてから、このイギリス組曲を聴いている。なので、当アルバムを最初に聴いた時点で「インパクトがあった」というより、むしろ「なるほど、フランス組曲と同じ手法で、演奏されているな」と感じた。そして、フランス組曲の演奏に接した後でこのアルバムを聴く形となったことにより、すぐにその音楽世界に入れたと思う。
 イギリス組曲は、私がもっとも愛するバッハのクラヴィーア曲集で、今まで数多くの名録音を聴いてきたと思っているが、この演奏からは、あらためて、とても新鮮な感動を味わった。
 トリスターノの演奏は、ノン・ペダルで、各パッセージの明瞭性と等位性が維持されている。かつ、場面によっては、精度の高い高速演奏により、新鮮な音像を構築している。全曲を通じて繰り返される音階の弾きこなしは、明晰を極めていて、かつその作法が一定していることにより、一種の普遍性を感じさせる音楽となっている。バッハのクラヴィーア曲が、その後の長い時を経て、変容していった音楽における価値を、端的に示した原初であるということが、あらためて刻印されているような響きである。すなわち、テクノ音楽の隆盛以降、現代に至るまで、ジャンル横断的に音楽の重要な要素となった厳格なリズム進行の源というべきものが、バッハの音楽において、すでに普遍的な価値をもつものであることが提示されているのであり、トリスターノの演奏は、鋭い感受性をもって、その事実を覚醒的に再現したものである。
 音色はややソリッドであるが、同型で明瞭なものが等間隔に並んだものは、けっして平面的とは限らず、むしろ、微細な変化に素早く反応し、曲線であっても鮮やかにたやすく表現できるのである。トリスターノの意識は、客観的で俯瞰的なところにある。それゆえに、深い読み筋のある表現であるため、聴き手が感じとるものも、決して一様ではなく、思索的な幅があって、そこに芸術的に高い価値を感じさせる。
 第1番のブーレ2や第3番のガヴォット2におけるリズムのスピードの相乗効果は、聴き味と言う点で、特に鮮烈なところで、最初に聴いた時から印象に強く残るところだろう。また、第6番のクーラントの音階がもたらすテクスチュアの交錯、サラバンドのアルペッジョがもたらす音色の深みなどは、後発的に効いてくるところだと思う。聴くごとに豊かさを感じ、様々な喜びに浸れる名演と思う。

イギリス組曲 第1番 第2番 第3番 ピアノ協奏曲 第1番
p: アシュケナージ ジンマン指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2021.11.17
★★★★★ この録音が聴けたことは、喜びでした
 2019年の年末に、引退を表明した巨匠アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)であるが、このたび、その2019年の4月に録音されていたJ.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のイギリス組曲集がリリースされた。私は、この録音に関する報を新譜の発売まで知らなかったので、ここにきて、またアシュケナージの新しい録音を聴く機会を得ることができたのは、望外の喜びだった。収録内容であるが、当アイテムには、ボーナス盤として、アシュケナージが1965年に録音したバッハのピアノ協奏曲のリマスターが付されており、トータルで下記の内容となる。
【CD1】 2019年録音
1) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV.806
2) イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV.807
3) イギリス組曲 第3番 ト長調 BWV.808
【CD2】 1965年録音
ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV.1052
 デイヴィッド・ジンマン(David Zinman 1936-)指揮 ロンドン交響楽団
 ピアノ協奏曲は、アシュケナージが28才の時の録音であるが、この後、アシュケナージはバッハの録音を40年近く手掛けることが無かった。21世紀になり、60代の半ばになってから、アシュケナージは再びバッハを弾くようになった。その経緯を思うと、このたびの2つの録音が、一つのアルバムに収められていることに、また新たな感慨を覚える。
 アシュケナージのイギリス組曲を聴いた。率直に言って、他の現代のピアニストが弾く当該楽曲に比べて、純粋に演奏技術によるものと思われる不均質性は、たびたび顔をのぞかせる。それらはアーティキュレーションの造形に、しばしば影響を与えている。しかし、私がこのピアニストならではと思うのは、大きな楽曲のくくりや解釈の中で、各フレーズには、相応の音楽的な役割が与えられ、その有機的な連続は、程よい発色性と活力を全体に供給し、いかにも音楽にふさわしい息遣いが満ちている点にある。
 アシュケナージのバッハ演奏全般に言えることだが、ペダルの使用は、おそらくほとんどないか、ごく最小限のものにとどめられていて、その結果、楽想のコントロールは、テンポと強弱の変化により行われている。ここで、前述の不均一性が、確かに気になる部分もあるのだが、しかし、全体の音楽的抑揚の中で、それらは手際よく吸収され、アシュケナージのバッハとしての語り口には、十分に耳をそばだたせるものがある。
 サラバンドにおけるニュアンスは、一見淡々としてさりげないように聴こえるが、そのシンプルな響きの中に、陰影があり、そこにふと香ってくる小さな情感は、ほの暗く、特徴ある趣を持っていて、私はそれに魅了された。淡いながらも、「感情のひだ」が忍ぶように現れてくる演奏であり、この録音を聴けて良かったと思った。
 併せて収められているピアノ協奏曲は、私が昔から何度も聴いてきた録音。元から録音の品質は悪くなかったので、このたび鮮明度が一気に変わった感は受けなかったが、それでも聴き始めると、最後まで聴かせる勢いと情感の豊かさがあり、名演であることを再認識させていただいた。

イギリス組曲 第1番 第3番 第5番
p: アンデルジェフスキ

レビュー日:2014.11.21
★★★★★ 多様な情感に満ち溢れたバッハ
 ポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のイギリス組曲集。2014年録音。収録されているのは以下の3曲である。
1) イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV.808
2) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV.806
3) イギリス組曲 第5番 ホ短調 BWV.810
 本当に魅力的な演奏だ。冒頭に収録された第3番のプレリュードの最初の瞬間から、このピアニストが描くバッハの世界に強く魅了される。冒頭に連打される和音を、軽やかに分散化させ、弾むように降りてくるピアノの音色は、その後に連綿と続く美しい展開を確約してくれる。なんと魅惑的な冒頭。
 アンデルジェフスキの同様のアルバムとしては、2001年に録音されたパルティータを3曲収録したものがあった。それは、現代ピアノの機能をフルに活用した魅力的な演奏だったが、このイギリス組曲は、輪をかけてピアニスティックな情感が溢れだしてくる。
 この点について、アンデルジェフスキは以下の様に述べている。「もちろん、バッハの時代において、ハープシコードが最も一般的な鍵盤楽器であったことは、常に心にとめおいています。しかし、私はピアノで“ハープシコードみたいに”弾く(imitate)気はありません。それだったら、ハープシコードを弾くでしょう。つまり、ハープシコードの楽器としての制約を意識しながら、現代のコンサートピアノが持つ表現力を最大限に駆使したいのです。これはパラドックスですね。 ただ、ピアノと言う楽器が素晴らしいのは、様々な楽器を想起させることができるということです。人の声、オーケストラ、打楽器、そしてハープシコード。バッハをピアノで演奏することは、まさに示唆(suggestion)といったものでのですね」
 つまり、アンデルジェフスキは、ピアノでハープシコードをimitateする(模倣する)ことを避け、suggestする(示唆、あるいは暗示する)演奏手法を模索したことになる。だから、聴き手は「チェンバロの演奏で聴いたものと全然違う」という感想を持つ一方で、その音響的な制約に、どこかチェンバロに通じる印象を受け取ることになる。
 その結果、アンデルジェフスキが奏でるバッハは、瑞々しい感触を湛え、豊かな情緒を感じさせるものとなる。例えば組曲第3番のサラバンドの劇的な和音の色彩からもたらされる多様な味わい、あるいは有名なガヴォットにおいて、ペダリングによる低音の保持からもたらされるポリフォニックな豊かさ、そして第5番のパスピエのピアニスティックな響きからもたらされる優美な気品など。そういった様々な情感を誘う感興が、敏感な芸術家の微妙なタッチを通じて、ピアノから繰り出される。それに接することは、まさに音楽を聴く喜びだ。
 自発性に満ちた音色の交錯は、音楽に豊かな感情を通わせ、各舞曲の性格を積極的に描き分けていく。その確固たるピアニストの芸術性に、人は感動する。ピアノで奏でられたバッハの一つの究極的な姿が、本盤で提示されている。

イギリス組曲 第1番 第3番 第6番
p: ペライア

レビュー日:2015.2.8
★★★★★ エレガントの極み、ペライアのイギリス組曲
 アメリカのピアニスト、マレイ・ペライア(Murray Perahia 1947-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のイギリス組曲集。1997年の録音で、以下の3曲を収録。
1) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV 806
2) イギリス組曲 第3番 ト短調 BWV 808
3) イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV 811
 ペライアはその後現在(2015年)まで、残りの3曲のイギリス組曲、ゴルトベルグ変奏曲、パルティータ(全6曲)の、いずれも素晴らしい録音をリリースしているが、その端緒となったのが当録音。また、私見では、中でもいちばん素晴らしいと感じるのが当盤である。
 一聴して、多くの人がこの演奏に「エレガント」という形容を思いつくだろう。じっさい、ペライアによって紡がれる適度に肉付きのある音は、バッハの音楽に適度なふくらみを与え、それこそ現代ピアノの性能をフルに活かした優美な佇まいを与えている。そこで、脈々と供給されているのは、純粋な歌である。
 もし、バッハの音楽に厳めしい、堅苦しい、あるいは厳格なものという先入観を持つ人がいたら(それは、あながち間違いではないけれど)、是非にもこの演奏を聴いてほしいと思う。その思慮深い優雅さに触れれば、この音楽が人間にとって大切な情と切っても切れないものであることに気付かされるはずだ。
 他にもペライアの演奏の素晴らしさは指摘できる。ペライアは、これらの豊かな起伏をもった表現を、バッハならではの厳格な構成感を損なうことなく獲得している。私は、これがペライアの天性の感覚的なものに感ぜられる。歌から入って理論をも充足させる。その方向性は、通常と逆なようだけれど、この演奏を聴いていると、そのような作業が無理なく行われていると感じられる。
 素晴らしいところは随所にあるが、各曲のクーラントやガヴォット、そして第6番の結びの民謡的なジーグなどにその特徴は一層顕著に表れていると思う。

イギリス組曲 第2番 フランス風序曲 トッカータ
p: アヴデーエワ

レビュー日:2018.3.1
★★★★★ 即興性を踏まえて、音色豊かに響く豊穣なバッハ
 2010年のショパン・コンクールで優勝を果たしたユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva 1985-)は、その後順調に録音のキャリアを進めている。このたびは、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の以下の3曲を収めたアルバムがリリースされた。
1) イギリス組曲第2番イ短調 BWV.807
2) トッカータ ニ長調 BWV.912
3) フランス風序曲ロ短調 BWV.831
 2017年の録音。
 たびたび、ピアニストの印象を変える録音というのがある。私は先日、ペライアが新しく録音したベートーヴェンを聴いて、同じ人が以前に録音したベートーヴェンと、大きく異なる印象を受けたばかり。今回のアヴデーエワの場合、バッハの録音自体が初めてだから、それとは話は違うけれど、でもやはり自分がこれまでアヴデーエワに抱いていた印象と違うものを受けたのというのは、正直な話。
 私は、以前、アヴデーエワの演奏に以下のような感想を書いた。「アヴデーエワはエレガントで折り目正しい、毎日の朝食のような必須さを感じさせる演奏、と言おうか」「アヴデーエワの演奏は、まずなにより「正しく」あろうとするものと感じられる。正しいというのは、音楽が理論的な整合性を持っていて、その進みに淀みがないことを言う。」
 しかし、このたびのバッハは違う。まず肉付きの良い音色で、全般に大きい音を多用し、飛翔感の強い音楽があること。次いで、アクセントや装飾、リピートに際して表現を大きく変えるなど、独自性が目立つことだ。
 これらが、バッハだからこその表現なのか、アヴデーエワの内因的な音楽性が変化したものなのか、私にはわからないが、そこには非常に積極的に何かを表現しに行く、という姿勢が感じられる。その結果、例えばトッカータなど、実に芳醇な色彩感があって、私がかつて聴いてきた、例えばグールド(Glenn Gould 1932-1982)の録音などからは、大きく隔たった世界が描かれているのである。
 そして、これが大事なのだけれど、私はそんなアヴデーエワのバッハを、とても楽しんで聴くことができた。初めて聴くときは、いったいこの曲はどんな風に弾くんだろうというワクワク感が常にあって、一度聴いて「なるほど」と思ったあと、2回、3回と聴くが、やはり楽しい。これは音楽そのものが適度に華やぎ、自由さが良い方向で作用しているからだろう。
 その一方で、この演奏にはある種の静謐さが欠ける傾向があるかもしれない。以前、バッハ演奏の大家であったシフ(Schiff Andras 1953-)が言及したように、バッハのクラヴィーア曲には「世俗性」と「信仰心」の両立がある。アヴデーエワの演奏からは、その前者にグッと比重がかかっているような感じを受ける。イギリス組曲のサラバンドでも、信仰心につながる気配は、他の演奏より薄く感じられる。
 しかし、そうであっても、私はこの演奏を高く評価したい。とくに重みのある低音を躊躇なくつかったシンフォニックな音の広がりは魅力的で、現代ピアノならではの豊かな色彩にあふれている。それは、私にとって魅力的なものだ。

バッハ イギリス組曲 第6番  ベートーヴェン ピアノソナタ 第31番  ヴェーベルン 変奏曲
p: アンデルジェフスキ

レビュー日:2005.4.2
★★★★★ ベートーヴェンのイギリス組曲!?
 バッハ/イギリス組曲 第6番、ベートーヴェン/ピアノソナタ 第31番、ヴェーベルン/変奏曲の3曲という「面白い」プログラムだ。
 しかけはCDに割り振られたトラックナンバーにある。
 イギリス組曲はもちろん各舞曲ごとにトラックが振ってある。ついで、ベートーヴェンのソナタ31番のトラックをみると・・・3楽章の曲が7つの「部分」に解体されているではないか!
 実はこれ、フーガをフィナーレに持つベートーヴェンのソナタを、「舞曲」と「みたて」て、カップリングしてしまったシロモノなのだ。CDの頭出しもそのような振り方にした企画。なかなか虚を突いた着眼点で、通して聴いてみて唸るようなアルバムになっている。
 おもいきりよいリズム感で、ベートーヴェンとバッハの「似た作品」を一本の紐で繋いだ好企画。こうして聴いてみると、ベートーヴェンのソナタ31番もいろいろなアプローチが可能な曲なのだとよくわかる。ことさら強調しているというわけではないが、確かにベートーヴェンのソナタも組曲のような変幻性を備えているのだ!
 このピアニストもムストネン級のやり手のようだ。

フランス組曲 全曲
p: コロリオフ

レビュー日:2012.12.11
★★★★☆ 確かにコロリオフのバッハであると思うのだけれど・・・
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のバッハのフランス組曲全6曲。2006年の録音でCD2枚組。
 私は、コロリオフの弾く「ゴルトベルグ変奏曲」次いで「フーガの技法」に深い感銘を受けたので、その後、彼の録音したバッハを少しずつ集めている。その、多くはドイツのTACETというレーベルからリリースされており、本盤もその一つ。
 バッハのクラヴィーア曲集を俯瞰すると、「イギリス組曲」「フランス組曲」「パルティータ」といった舞曲集があり、それぞれが第1番~第6番の6曲から成っている。私は、中で「フランス組曲」という曲集には、バッハの優美な面が出ている一方で、この作曲家特有の峻嶮さや神々しさが少し存在感を薄めているような感覚を持っている。この「フランス組曲」には、豊かな旋律の流れがあり、そこにはロマン派の「歌の音楽」へ通ずる要素がある一方で、バッハらしい純粋な理論の探求や、そのための技術の駆使という点で、「ゆるさ」のようなものを感じる。今年亡くなられた吉田秀和(1913-2012)氏は、バッハの代表作の一つに「フランス組曲」を挙げていたけど、私なら断然「イギリス組曲」「パルティータ」を取りたいと思うのは、その点である。
 しかし、フランス組曲の優美な美しさは、バッハの音楽にあっても稀有な雰囲気があり、だからこそ取りたい、ということもあるだろう。そうなると、私はフランス組曲には、前述の「ゆるさ」を、優美な歌謡性に溶け込ませて、そこから紡ぎだされる音楽に期待したくなる。
 ところが、このコロリオフの演奏はかなり雰囲気が違う。言ってみれば、彼のアプローチは、それこそ彼が弾く「平均律」や「フーガの技法」と同じスタイルで、声部の明瞭な提示を目的としており、そのために必要ではないものは、最初から取る気はない・・・ように聴こえる。そのため、第5番の「アルマンド」や「ルール」に特徴的なように、遅いテンポを設定し、一つ一つの声部を解きほぐした解析的とも言える音響を、実にクールに提示していく。そこには安易に歌や情緒を求める聴き手の気持ちを、厳しく諌めるような趣さえ感じられる。
 ピアノの音響も、非常に特徴的で、乾いた直線的な音だ。まじりっけのない、純粋な音が、空気以外のなんの媒体もなく、余計な反射をせずに伝わってくる。ペダリングも少なく、前述の音を保存する最適の条件が、まるで無菌室を思わせるクリーンさで保たれているのだ。
 私は、このような演奏を淡々とこなすコロリオフに感嘆する一方で、しかし、正直に言って、これらの曲集には、やはり、もう一つ色めいた要素がほしいと感じる。これは、平均律やフーガの技法を聴いても、感じなかった「渇き」であり、それがフランス組曲という楽曲のなにか重要な要素に直結しているもののように思うのだ。
 コロリオフの強靭な意志に敬服し、その純粋な音響に感嘆しつつ、しかし、音楽としての潤いを求め、葛藤が生じてしまう。それは私の側に、まだここまでの演奏を聴くという何らかの用意(覚悟というと大げさかもしれないが)が備わっていないためかもしれないが、他のコロリオフのバッハと同じように捉えるには、抵抗が残った。

フランス組曲 全曲
p: ガヴリーロフ

レビュー日:2015.10.30
★★★★★ 以前とは違う音楽的表情を示した1993年のガヴリーロフの録音
 アンドレイ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲。全6曲。1993年の録音。内容の詳細は以下の通り。
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
5) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
6) フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV.817
 ガヴリーロフというのは不思議なピアニストだ。彼のピアニズムは、元来、きわめてヴィヴィッドで、非常にスポーティーで、時折やりすぎて「騒々しい」という印象さえもたらすことがある。そういった点で、彼の録音のうち、私の印象に残っているものとして、有名な1985年に録音されたショパンの練習曲集の他、1977年のバラキレフのイスラメイやプロコフィエフの悪魔的暗示を入れたアルバム、1984年のスクリャービンのピアノ・ソナタ第4番やラフマニノフのピアノ小品集がある。いずれも、きわめてアグレッシヴで、とても音の量の多い演奏というイメージで、その吹っ切れた演奏に接し、私は一種の爽快感を併せて、なにか大事な音楽の要素を置き去りにした印象を同時に感じた。しかし、当録音から受ける印象は、かなり異なる。この差異の大きさから、私は、彼を不思議なピアニストと形容したわけだ。
 そんなガヴリーロフを以前から高く評価していたのが、同じチャイコフスキー・コンクールの優勝者であるアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)である。アシュケナージの指揮のもと、ガヴリーロフはストラヴィンスキーやチャイコフスキーを録音した他、1989年に、アシュケナージが二十数年ぶりとなる故郷でコンサートを行った際、これに帯同し、ラフマニノフを弾いたのもガヴリーロフだった。また、アシュケナージとガヴリーロフは、ストラヴィンスキーの連弾作品なども録音している。
 思えば、このアシュケナージとの共演が重なった80年代の後半以降から、ガヴリーロフの音楽の中に、詩情や抒情性といったもののウェイトが増してきたように感じる。たまたま時期が重なっただけだったのか、大先輩である偉大な芸術家の気風に触れたことがなんらかの要因になったのかは、私には知る由もないけれど、その芸風の変容の足跡にそって、彼の録音経歴を並べてみると、あながち的外れな邪推とも思わない。
 それで、この93年に録音されたガヴリーロフの演奏なんて、もう以前の彼から受ける印象からは大きく異なるのである。もちろん、楽曲自体の性格が違う、ということもあるけれど、以前のガヴリーロフだったら、そもそもバッハのフランス組曲なんてレパートリーに入らなかったのではないだろうか。
 それでも、以前のガヴリーロフの面影を感じるのは、各曲が比較的平均的に進行してゆくところ。つまり舞曲ごとにその性格を出そうという意図はあまり感じず、ひたすらスコアに従って、装飾音を交えながらも、快調に進んでいくところ。時にその進行の快適性を担保するため(と思うのだけれど)リピートを省略するところもある。その表情は優美で、ほどよい情感をたたえている。とはいえ、その底流の部分に、熱いダイナミズムへの渇望を宿すところがあって、時折、快活な旋律線を扱うときに、それがひょっと顔を出す。それがガヴリーロフのフランス組曲なのだ。
 この演奏を聴いていて、バッハの音楽にある宗教的な要素に関しては、他の同曲の名演、例えばシフ(Schiff Andras 1953-)の2種の録音やグールド(Glenn Gould 1932-1982)のものに比べて、それほど色濃くは感じないというところはある。仮にこの演奏に不足を覚えるとしたら、その辺だろうか。だが、純粋に器楽曲としてガヴリーロフのアプローチはほぼ万全と言って良いものだし、そもそもフランス組曲は、バッハの作品系列の中でも、神秘的な要素は抑えられたものだと思う。
 そういった点を踏まえて、現在ある様々な録音の中で、当録音を一つの高い成果が示されたものとして推すことは、なんらためらいがない。

フランス組曲 全曲
p: ペライア

レビュー日:2016.10.25
★★★★★ 優美の極致。ペライアが紡ぐ円熟のフランス組曲。
 久しぶりとなるマレイ・ペライア(Murray Perahia 1947-)のピアノ独奏曲集、しかも、これまで全録音をSONYレーベルからリリースしてきたペライアが、初めて独グラモフォンからリリースしたアルバムとなる。
 収録曲はバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲で、2枚のCDに以下のように収録されている。
【CD1】
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
【CD2】
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
5) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
6) フランス組曲 第6番 ホ長調 WV.817
 2013年の録音。ペライアの新録音としては、2010年録音のブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ作品集以来、バッハの録音は、その前年(2009年)録音のパルティータ集以来となる。そのパルティータ集も素晴らしいものだった。
 ペライアはファンの多いピアニストでもある。だから2013年録音のこのアルバムが、2016年まで発売を待った理由がどこにあるのか、私にはわからない。あるいは、相応のエディット作業が必要だったのかもしれないが、それにしても、録音したものは、出来るだけ早くにリリースしてほしいというのは、消費者心理としても当然だし、売る側にしても、話題性等で有利な面があると思うのだけれど。
 それはそれとして、これは素晴らしい演奏である。ピアノという楽器の能力を駆使した優美な組曲だ。実際、この演奏の形容する言葉として「優美」以上にふさわしいものは思いつかない、という内容である。また、グラモフォンへの移籍は、録音のスタイルにも影響をもたらしたようだ。ピアノからの距離感はやや幅を感じさせるもので、適度な反響を踏まえた柔らか味をもって捉えられている。それは、従来のペライアの録音からは、少し違った印象。
 ペライアは録音時66歳。その年齢から察せられる「円熟」という言葉も、この演奏の随所から溢れてくる。第4番冒頭の穏やかで、先を急ぐようなそぶりを垣間見せさえしない落着き。一音一音、しっとりと響かせながら、綿々と歌を紡いでゆくペライアのアプローチ。あるいは、バッハの音楽にしては、あまりに歌謡的と感じられる人もいるかもしれないが、この演奏を聴いていると、ペライアの到達した芸術表現としての完全性を強く感じる。その完全性のもと、様々な音のプライオリティは、見事な秩序によって並び立っているのである。
 主題に添えられる保持音の持つ細やかなニュアンス、自由で自然に添えられる装飾音、果てしなく優美で美しくゆったりと進行していくテンポ、これらが描き出すバッハのフランス組曲は、とても暖かく、情緒が豊かだ。現代ピアノで弾かれるバッハの、一つの神髄を示したような演奏であると思う。

フランス組曲 全曲
p: アシュケナージ

レビュー日:2017.7.4
★★★★★ アシュケナージ80歳のバッハに深い感慨をおぼえます
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による2017年録音のバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲。1枚のCDに、82分以上の収録時間で、以下の6曲が収録してある。
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
5) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
6) フランス組曲 第6番 ホ長調 WV.817
 アシュケナージ、80歳の記念アルバム、と聞くと、とても感慨深いものがある。思えば、私が音楽を聴くようになったのは、アシュケナージの弾くラフマニノフやショパンが切っ掛けだった。90年代、学生時代の私は、音楽に特に詳しいわけでもなかったけれど、このピアニストの録音はとても気に入って、レコード店で「アシュケナージ」の名前のあるものを、月に1枚ずつ程度、買って聴くようになったのが趣味のはじまり。
 時が経つにつれて、いろいろなものを聴くようになったけど、私の中でこのアーティストへの思いは変わらず、私は長いことその芸術を聴き続けている。
 アシュケナージはかつてバッハを手掛けなかった。ただ、一曲だけ、1965年、まだ20代のころに録音した協奏曲が1曲だけあって、それはとても素晴らしい演奏だった。にもかかわらず、彼はバッハを弾かなかった。何かの雑誌で、なぜバッハを弾かないのか、と水を向けられたアシュケナージは、「グールドみたいに弾けないからね」と言ってあたりをけむに巻いていた。
 そんなアシュケナージがバッハをあらためて録音したのは、2004年のこと。実に40年のインターバルを置いて弾かれた平均律の美しさに、私はあらためて虜になったものだ。「ほら、やっぱりアシュケナージのバッハは素晴らしいじゃないか」と。
 以来、70代になったアシュケナージが、20代のころに一度は封印したバッハを、少しずつ録音していったことは、私にはどこか暗示的で、感慨深いものだった。そして、80歳の記念録音もバッハとなった。
 フランス組曲を聴く。冒頭から清水が流れ落ちるように、滾々と進んでいく透明なバッハである。ペダルはほとんど使用せず、淡く、しかし、必要なものをしっかりと刻んでいくようにインテンポで進んでいく。一つ一つが明瞭で、声部の扱いにも淀みがない。奏者の技巧としては、ピークを過ぎていることは否めないが、それでもこの芸術家は、自然に歌を通わせた音楽的なフランス組曲を作り上げている。私には水彩画を思わせるようなフランス組曲だ。
 この曲集には、昨年ペライア(Murray Perahia 1947-)の優れた録音がリリースされた。ペライアの演奏は、「円熟」「優美」といった言葉を連想させるもので、ほのかな甘みが、私を心地よく刺激した。
 それに比べて、このアシュケナージの録音は、そこから何かを削ぎ落した「素」に近いものが表現されているように感ぜられる。それでいて、時折、暗がりの淵に接近しているような怖さもある。一言で表現すると、「枯淡」と形容したいもの。しかし、それでいて、音色は美しく、はじめからそこにあったような自然さで、響きが続いていく。
 アシュケナージが辿り着いた音楽の世界に、様々な気持ちを想起させる録音であることは違いない。この演奏の象徴的な個所として、第3番のメヌエットを挙げよう。ひたすらに美しくも淡く、奥のしれない音楽がそこにある。

フランス組曲 全曲
p: トリスターノ

レビュー日:2024.7.16
★★★★★ 演奏者の創造性を感じさせる1枚
 ルクセンブルクのピアニスト、フランチェスコ・トリスターノ(Francesco Tristano 1981-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲。収録曲の詳細は以下の通り。
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
5) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
6) フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV.817
 2024年の録音ということで、録音直後にリリースされた形となる。フランス組曲全6曲が1枚のCDに入っているという点で、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のアルバムを思い出す。
 トリスターノというアーティストの活動の在り方は、なかなかに面白い。デビュー当初は、ドイツ・グラモフォン・レーベルからいくつかの録音をリリースし、その独特のアルバム構成と解釈から広く注目されたのであるが、次いで、自ら「アシッド・クラシック」もしくは「アコースティック・ディスコ」と名乗るジャンル横断的なオリジナル楽曲を中心としたアルバムをリリースする。2018年には「Tokyo Stories」というアルバムをリリースし、自身、東京が大好きな町であることを宣言し、以後、日本を一つの重点的な活動場所としているようだ。
 この録音も、投稿日現在、トリスターノのレーベル「intothefuture」からライセンスを受けたキングインターナショナルが、日本限定と言う形で発売したものとなっている。あるいは、この後、欧米でも別レーベルからリリースされる形になるのかもしれないが、ヨーロッパのアーティストによるクラシックのアルバムであるにもかかわらず、日本のファンが、先行してその芸術に接することが出来るという、不思議な状況になっている。
 さて、トリスターノのフランス組曲であるが、とても素晴らしいと思う。正直に言うと、私は最初に聴いてただちに素晴らしいと思ったわけではない。だが、聴けば聴くほど良いと思えるようになってきた。こういう経験は少なくはないが、当アルバムも、そんな「何か」を持ったアルバムだ、と言うことだろうか。
 最初に聴いたときはノンペダルの奏法が、ややゴツゴツした音楽の運びに思えて、どこか優美さを欲しいと思う所があった。じっさい、トリスターノは、ノンペダルであっても、強音をためらわずに使用しているし、第1番のサラバンドのように、ぐっとテンポを落として弾くところでは、音の間隙が人工的なものになり過ぎているようにも思えた。
 しかし、聴くほどに、全体の鮮烈な流れ、等価性と対比性を明瞭に施した解析性、それらを間断なくつなぐテンポ設定の妙に魅了され、そのうち私は、このアルバムを何度も聴くようになってしまった。これは、とても革新的で魅力的なフランス組曲である。これはあさはかな素人考えなのかもしれないけれど、彼の弾くフランス組曲には、彼にボーダーレスな音楽素養が深くあって、テクノ作品をピアノで弾くなどの試みゆえのインスピレーションがあるのではないか。私がそう思うのは、等価性と快活なテンポの維持というのは、テクノ音楽の特徴でもあるからである。
 その結果、第6番の終曲ジーグの響きは、私にはドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のベルガマスク組曲の「パスピエ」を彷彿とさせるような、運動美と色彩の交錯が感じられるし、同じ第6番のメヌエット・ポロネーズの左手のニュアンスは、抜群に小気味良い清涼感を伴って響く。第5番のルールの愛らしさ、第3番のメヌエットの鮮やかなスピード、いずれも、私には、新しくかつ魅力的に響いた。
 いわゆるバッハの音楽が持つ宗教的な精神性とは別のものが表現されているのかもしれないが、私には、演奏者の創造性が、強く感じられる、魅力的な1枚である。

フランス組曲 全曲 半音階的幻想曲とフーガ 幻想曲とフーガ イ短調 BWV.904 平均律クラヴィーア曲集 第1巻から第9番の前奏曲 BWV.854
p: シェプキン

レビュー日:2018.6.27
★★★★★ アシュケナージ80歳のバッハに深い感慨をおぼえます
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲を中心とした2枚組アルバム。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV814
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV815
【CD2】
1) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816
2) 平均律クラヴィーア曲集第1巻 から 第9番 前奏曲 ホ長調 BWV854
3) フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817
4) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV904(ハンブルク・スタインウェイ Model Dによる演奏)
5) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV904(ニューヨーク・スタインウェイ Model Dによる演奏)
6) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV903
 2011年の録音。
 とにかく面白いアルバムだ。シェプキンというピアニストは、もともとレキシントンの、その名もOngakuというマーナーレーベルが90年代に、突如その録音を世に出し、一躍注目されることとなった。その第一のレパートリーはバッハであり、これまでいくつかの録音がリリースされているが、おしなべて世評は高い。
 ちなみに、前述のOngakuというレーベル、最近はまったく新しいリリースの話を聞かないので、どうなったのか。当盤は、そんなシェプキンが、Steinway And Sonsからリリースしたアルバムということになる。
 まず、収録内容が面白い。注目点は2つあって、上述したように、フランス組曲の第5番と第6番に、一応「平均律クラヴィーア曲集第1巻 から 第9番 前奏曲 ホ長調 BWV854」が挿入されてはいるのだけれど、これはあくまで、シェプキンが「フランス組曲第6番」のプレリュードとして転用したことになっている。CD表記においても、この1曲は、あっさりと「フランス組曲第6番」の中に組み込まれてしまっていて、パッと見ただけでは、当該収録曲が含まれていることには気づけないのだ。当盤の「フランス組曲第6番」は、このプレリュードから始まり、次いで、本来の第1曲に相当するアルマンドが奏されるということになる。聴いてみると、思わず「なるほど」と納得する流れの良さである。
 また、「幻想曲とフーガ イ短調 BWV904」については、同じホールで2種の楽器によって録音を行っている。こちらは両楽器の特性に応じて、フーガのテンポを変えるなど、様々にアプローチに差をつけたもので、どちらも高い完成度の演奏となっており、感心させられる。より明晰なハンブルクの楽器は「フランス組曲」で、落ち着いたニューヨークの楽器は「半音階的幻想曲とフーガ」での録音にも使用されており、その曲に応じた楽器の切り替えにより、自分のスタイルも変わりうることを示したものと言えそうだ。
 さて、演奏であるが、これがまた面白い。基本的には早めのテンポ、特にフランス組曲第5番のジーグなんてほぼ限界といっていいくらいのアップテンポであるが、それも含めて彼のアプローチは自在性と独自性に満ち溢れている。装飾性豊かであるが、ペダルの使用はやや控えめ。テンポ、デュナーミクの効果は、自由なようでいて不思議な一貫性があり、全曲のまとまりのよさという美観に繋がっている。その一方で、音色とリズムは、様々な感情的な豊かさを伴っていて、アルマンドの優美さや、第6番のカヴォットの色彩感を引き出している。また、「半音階的幻想曲とフーガ」とは自由さと荘厳な美しさの両立を認めるだろう。適度なホールトーンを活かした録音も、ピアノという楽器の魅力を的確にとらえているし、そのような環境の中で、シェプキンの細やかで極上の仕掛けが施された演奏に接することは、聴き手に大きな愉悦性をもたらすものだ。
 多面的にピアノ音楽を楽しめるアルバムであり、是非推奨したい。

フランス組曲 全曲 イギリス組曲 第1番 第4番
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.9.2
★★★★★ 現代ピアノの機能性を活かした優美にして味わい豊かな演奏
 ソ連のピアニスト、タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲全曲をはじめとするクラヴィーア作品集。CD2枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) イギリス組曲 第1番 イ長調 BWV.806
2) イギリス組曲 第4番 ヘ長調 BWV.809
3) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
4) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
【CD2】
5) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
6) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
7) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
8) フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV.817
 2曲のイギリス組曲は1965年、フランス組曲集は1984年の録音であり、両録音は19年の歳月を挟んで録られたものということになる。しかし、イギリス組曲の音源も、きれいにリマスターされており、聴いていて、両者の録音年の違いは、驚くほど気にならない。本当に1965年の録音なのだろうか。もちろん、これがDECCAのように、早くから優秀な録音技術を持っていたところであれば、そこまで驚かないのだが、データを見る限り、モスクワでのスタジオ録音とのこと。もちろん、聴き手にしてみれば、優れた技術で記録してくれたことはありがたいことなので、感謝しかないのであるが。
 さて、演奏であるが、とても優美で、現代ピアノならではの滑らかさ、カンタービレの自在さを活かしたものである。イギリス組曲から選ばれた2曲も、フランス組曲同様に、柔らか味の生きる楽曲だと思うので、全体に通う暖かな息遣いは、一つのアルバムとしてまとまりがあり、その点でも聴き易い。
 ニコラーエワのテンポは、ゆっくり目である。それは、ピアノという現代楽器特有の音の長さや残響を加味したスタイルであるため、作曲当時のクラヴィーア楽器による奏法とは異なるものである。だが、それゆえに素晴らしいところが多い。フランス組曲第4番のアルマンドや、イギリス組曲第1番のサラバンドなどは、その典型であったり、ゆったりとした流れの中で、決して緩むわけではない音がなめらかにつながり、濃い情感をまといながら、薫り高い雰囲気を導いている。それは、現代ピアノゆえの美しさであり、そうやって弾かれるバッハが、無類に美しく響くのである。また、ニコラーエワはペダルも適宜使用し、明瞭なアクセントによる色彩的な施しも取り入れる。音色自体は豊かではないかもしれないが、現代ピアノの機能を背景とした強弱や音価の様々な味付けは、楽曲から味わいの深さを引き出しており、聴き味に幅を与えてくれる。
 ソ連国内で、ピアノによるバッハ演奏の権威と呼ばれたニコラーエワならではの、ふくよかさを伴った美麗かつ流麗なバッハとなっている。

フランス組曲 全曲 フランス風序曲
p: フェルツマン

レビュー日:2022.4.28
★★★★★ 解釈の幅の大きさをメリットに、聴き味豊かに奏でられたフランス組曲
 アメリカに拠点をおいて活躍しているロシアのピアニスト、ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲集。収録内容は下記の通り。
【CD1】
1) フランス組曲 第1番 ニ短調 BWV.812
2) フランス組曲 第2番 ハ短調 BWV.813
3) フランス組曲 第3番 ロ短調 BWV.814
4) フランス組曲 第4番 変ホ長調 BWV.815
【CD2】
5) フランス組曲 第5番 ト長調 BWV.816
6) フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV.817
7) フランス風序曲 ロ短調 BWV.831
 フランス組曲集は2005年、フランス風序曲は2002年の録音だが、当盤が発売されたのは2016年であり、なぜ10年以上ものインターバルがあったのかは不明。
 演奏は、フェルツマンらしい、流れの良さと華やかな力強さ、それに自由な装飾性を加えたもので、現代ピアノの能力を存分に駆使した魅力的なもの。ペダルの使用も織り交ぜたり、時に低音部を力強く前面に表したりといった演出に加え、リピートの際には、1回目と異なった装飾音を与えたり、時にはリピートをカットするなど、解釈の自由幅を存分に使い、しかし、楽曲の優美さの表現、舞曲としてのしなやかな弾力に事欠かない、聴くものに大きな幸福感をもたらしてくれるバッハである。
 私が気に入ったところをかいつまんで書かせていただくと、第1番ではクーラントのテキパキとした心地よい処理が清々しい。適度な速さがいかにもツボにはまっている。第2番もやはりクーラントが印象的で、鮮明でありながら、情感を促す音幅も備わっている。第3番はジーグの運動美が印象的。もちろんクーラントはじめ、他の舞曲も瑞々しい。第4番以降はドイツ的と称したいほどの力強さがより顕著となる傾向となる。第4番では、コントラストのくっきりしたガヴォット、そしてメヌエット、エアーを得てジーグへという構成感が見事。第5番はアルマンドの自発性に溢れる歌も優美を極めているが、ジーグの完結性の見事さに特に心を動かされた。第6番は、サラバンド、ブーレ、ガヴォットといった舞曲の個性を引き出した表現性、主張の強さに心打たれる。フランス風序曲は、ダイナミックな演奏だが、パスピエのような舞曲では、一転して繊細でピアニスティックな魅力が散りばめられており、魅力いっぱい。
 この素敵な録音が、なぜ10年以上もの間、眠っていたのかは謎であるが、結果的にリリースされ、聴けることになったことに感謝したい。

フランス組曲 第5番 フランス風序曲
p: アンデルジェフスキ

レビュー日:2012.9.7
★★★★★ アンデルジェフスキによる愛すべきバッハ
 ポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のフランス組曲第5番とフランス風序曲。1998年の録音。
 たいへんチャーミングなアルバムである。私はアンデルジェフスキのバッハというと、パルティータとイギリス組曲から何曲か聴いたことがあり、その闊達なリズム感で生き生きと舞曲を性格的に描いたピアノにたいへん感心した。
 それで、このアルバムにも興味が湧き、聴いてみた。フランス組曲は全部で6曲あるが、中でも抜群に名曲の誉れ高いのが第5番である。ピアノ習ったことのある人には、第5番全曲とは言わないまでも、いくつかの部分を弾いたことのある人は多いと思う。実に典雅で高貴な歌に満ちた音楽で、両手で操られるメロディの扱い、声部の受け渡し、その呼吸など、自然に表現し易い愛すべき佳曲と言える。
 アンデルジェフスキのパルティータやイギリス組曲の印象から、私はここでも、闊達な音楽が聞こえるのかと思っていたが、これが一転してびっくりするほどの高貴さを湛えた「抑制の美」を感じさせる演奏である。いや、もちろん闊達でないというわけではない。表情が抑えられているとはいえ、そのメロディは清水の中をすいすいと魚が自由を謳歌するように気持ちよく進んでいく。瀟洒な雰囲気を湛えた装飾音も的確で、音楽の規模や雰囲気に沿っており、実のある音と感じられる。ピアニストの卓越したセンスが感じられる。終曲に向けての機敏な盛り上がりも豊かで、スマートな響きで細やかにスピード感のある演出を繰り出してくれる。
 フランス風序曲は、序曲、クーラント、ガヴォット、パスピエ、サラバンド、ブーレ、ジグ、エコーの8つの舞曲からなるクラヴィーア曲で、パルティータの1つと言える組曲である。フランス組曲に比べると、フランス風序曲はもう少し深刻な諸相を持った音楽であるが、こちらもアンデルジェフスキのピアニスティックなニュアンスは優美で、適度な暖かみを感じさせてくれる。
 2曲のみで50分弱という収録時間が寂しいが、値段が相応に安価であり、むしろキラクに聴けるサイズになっていると好意的に解釈もできよう。紙製の軽装なケースも中に相応しいように思う。愛すべき一枚と言えるだろう。

パルティータ 全曲 2声のインヴェンション 全曲
p: フェルツマン

レビュー日:2006.3.18
★★★★★ パルティータの名演として欠くことのできない1枚
 ウラディーミル・フェルツマンによるバッハのパルティータ全6曲と2声のインヴェンション全15曲を収録。録音は1999年モスクワで行われている。このカメラータの国内盤はリーズナブルで良心的。1952年生まれのフェルツマンは1971年のロン・ティボー・コンクールでのグランプリ受賞以来、世界で活躍しているが、国内盤のリリースが少ない事もあって、日本での認知度はやや低いと思われるが、実力確かなピアニストで、聴きもらすには惜しい存在である。このアルバムはそんなフェルツマンの円熟を示す素晴らしい内容だ。
 バッハのパルティータとなると、その楽曲の素晴らしさに比し、まだまだアプローチの手法は多く残っていると思われる。個人的にその荘厳な美しさで秀でていたヴェデルニコフ盤が廃盤なのはたいへん残念である。それでも、グレン・グールド、リチャード・グード、アンドラーシュ・シフといった人達の録音はどれも意欲的で芸術化特有の精神的なひらめきを感じさせるものであった。
 それでも、やや薄手の感のあったこのジャンルに、このフェルツマン盤が加わったことがまず慶賀の至りである。この演奏の特徴は、ピアニスティックな響きを十分に生かし、豊な躍動感により瑞々しくバッハを歌いつくしている点にある。といっても、その歌は押し付けがましいものではなく、自然な音楽のアウトラインに即しており、気品がある。中でも短調の3曲(2番、3番、6番)の音楽の全体像の大きなフォルムは、この演奏を推す大きなポイントである。第2番のシンフォニアは雄大なドラマを秘めて響くし、クーラントの機能美も純然として高潔だ。第3番のスケルツォは小気味の良い切れ味がと軽やかな低音が見事にマッチ。また第4番のアルマンドのような典雅な舞曲も雰囲気がとてもいい。  パルティータの名演として欠くことの出来ない1枚と言っていいすばらしい内容だ。

パルティータ 全曲
p: ヴェデルニコフ

レビュー日:2009.3.9
★★★★★ 崇高なる空気に満ちた哲学的名演
 アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)はロシアのピアニスト。出身地は現黒龍江省のハルビン市。ロシア・ピアニズムを象徴するピアニストの一人であり、スターリン全体主義によってその人生を大きく制約された芸術家の一人でもある。ヴェデルニコフはレパートリーの広いピアニストだったが、近現代作曲家と近い距離を保つことは旧体制下では危険と係わりあうことを意味した。ヴェデルニコフはそれでもなお芸術家としての信念を貫いたピアニストである。
 そんな背景もあって、録音活動に恵まれたとはいえない。このバッハのパルティータは数少ないメロディアに遺された彼の貴重な記録の一つ。第1番だけが1968年のモノラル録音で、他の5曲は1972年の録音だ。第1番については現在DENONの国内盤「ロシア・ピアニズム」シリーズで入手可能な様だ。
 パルティータはバッハのクラヴィーアの舞曲集の中でも後期の作品群であり、その熟達した対位法やフーガの巧みな扱い、そして声部の多彩な処理に圧巻される。「パルティータ」は「イギリス組曲」と並んで、バッハのクラヴィーア曲の中でも「傑作中の傑作」と呼ぶに相応しい。なので、ヴェデルニコフがイギリス組曲とともに、このパルティータを全曲録音していたのは音楽ファンにとって福音以外の何者でもない(ただし、現在いずれも廃盤で入手は困難なようだ)。ヴェデルニコフのアプローチは力強いタッチで、克明に内声部を描ききったものであり、その陰影のくっきりしたバッハは孤高の音楽と呼ぶに相応しい。また、パルティータの場合、シンフォニアと呼ばれる規模の大きい対位法を駆使した部分を持っており、この部分でヴェデルニコフによって描かれる直裁で真摯な表現は、まさに音楽の「音楽的である」中枢を射止めていると思わずにはいられない。崇高なる空気に満ちた哲学的名演と思う。

パルティータ 全曲
p: シフ

レビュー日:2009.10.10
★★★★★ 今のシフにしか奏でることの出来ない豊穣無比なるバッハ
 素晴らしいベートーヴェンのピアノソナタ全集をECMレーベルに完成したシフであるが、そのベートーヴェンを完成したのと同時期の2007年のライヴ録音によるバッハのパルティータ集である。シフは以前1983年にもデッカにこれらの作品を録音していたので、今回が二度目の全曲録音となる。また、ECMレーベルへのバッハとなると2001年に録音したゴルトベルク変奏曲から6年ぶり。
 今回は曲順が、第5番ト長調 > 第3番イ短調 > 第1番変ロ長調 > 第2番ハ短調 > 第4番ニ長調 > 第6番ホ短調 と並んでいて、一応、主音が等間隔で移動して行き、最後の第6番が最初の第5番と並行調ということになる。ものによると、この順番ならではの流れが生まれる・・・とのことである。私にはその辺の効果は聴いていてもピンと来なかったが(そもそも全曲通してじっくり聴ける恵まれた人はあまりいない)、しかし、そんなことはどうでもいいくらい素晴らしい演奏である。
 私は以前のデッカへ録音したシフのバッハのクラヴィーア曲集も好きである。まろやかな光沢を持ったピアノの音色が麗しく、幸福感に満ちたバッハだった。
 さて、それに比べて今回のパルティータは?・・・これは明らかにシフが直前まで取り組んでいたベートーヴェンのピアノソナタ全集の延長線上にある。リリカルで動的なモチーフの扱い、明瞭な陰影、豊穣なピアノの音色。これらの特徴を集約させ、シフは刹那刹那に非常に魅力的なオーラを抽出し、きらびやかにこれを紡ぎ出していく。バッハのクラヴィーア曲が新鮮な生命力を宿し、様々な角度から働きかけてくる。
 流れ出す音楽の奔流の水量の豊かさが圧巻で、濃厚なテイストに満ちている。パルティータはこれほどまでに雄弁な音楽だったのか。またこれもベートーヴェンのソナタから継続して繰り出される装飾音の鮮烈な効果も見逃せない。これは今のシフにしか奏でることの出来ない豊穣無比なるバッハである。

パルティータ 全曲
p: アシュケナージ

レビュー日:2010.6.12
再レビュー日:2014.10.22
★★★★★ アシュケナージにしか弾きえない『至高のバッハ』
 現代を代表するピアニスト、アシュケナージは、長らくバッハのクラヴィーア曲を手がけることはなかった。以前、「なぜバッハを弾かないのか」という問いに「グールドのようには弾けないからね」といなした、という記事を読んだ気がする。即物的な応答だったのかもしれない。もともとアシュケナージはグールドと違うタイプの演奏スタイルの持ち主である。しかし、近代的なピアノ奏法を身につけ、かつロシアのロマンティシズムを内包する自身のバッハへのアプローチについては、長いこと考えていたに違いない。かくして2004年から05年にかけて録音された平均律の全集は、柔和にして暖かい感情が脈打ちながらも、音楽そのものへの喜びに満ちた無類の名演で、私も深く感銘した。
 そして、2009年録音のパルティータ全集の登場となった。平均律にも増して素晴らしい演奏である。録音時72歳であるが、技術的な衰えを感じさせる部分はなく、しかも時として若々しい新芽が息吹くような肯定的な生命力に満ち溢れている。それは、例えば第4番のアリアや第5番のアルマンドに聴かれる典雅にして闊達な音の洪水に顕著ではないか。
 また、アシュケナージはバッハのこれらの楽曲を従来の呪縛から解き放ちさえしているように思う。つまりバロック音楽としての組曲的な拘束感ではなく、自然な呼吸と歌に満ちた多様性を感じさせる。これは音楽の構成感をないがしろにしているという意味ではない。むしろ各組曲の終曲(第2番以外すべてジーグ)におけるスケールの雄大さ、音楽そのものの大きさは、頂点を終曲に築いた一つの組曲形式の解釈となっていて、理に即しており、しかも聴き手に十分過ぎるほどの満足感、幸福感を与えてくれる。
 さらに、このたびの短調の3作品(第2番、第3番、第6番)に湛えられた深く瑞々しい詩情は、これまでピアノによって奏されてきた様々のバッハのクラヴィーア曲録音にあっても、ついぞ放たれたことのなかった稀有のパッションに他ならない。もちろんグールドのバッハも素晴らしいが、アシュケナージはついにアシュケナージにしか弾きえない至高のバッハに到達したことを実感する。
 パルティータの録音として、今後必ず名演として数え上げなければならないアルバムだ。
★★★★★ ロマンティシズムの表現型を究めたアシュケナージのパルティータ
 現代を代表するピアニスト、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の傑作クラヴィーア曲、パルティータの全曲。2009年の録音。
 アシュケナージは、その長い音楽家としてのキャリアの中で、バッハについてはほとんど手掛けてこなかった。しかし、1965年に録音されたバッハのピアノ協奏曲第1番の素晴らしい内容から、彼のバッハをもっと聴きたいと思っていた人は多いはず。私もその一人だ。果たして、彼は2004年から05年にかけて、素晴らしい平均律クラヴィーア曲集の全曲録音をリリースし、40年を経てバッハの世界に再び取り組むこととなった。そして、その第2弾となったのが、この2枚組のアルバムである。
 このアシュケナージのパルティータを聴いて、聴き手は何を感じるのだろう。フランスの舞曲様式に従った各曲は、リピートを含むが、アシュケナージは基本的に同じスタイルでこれを弾く。また装飾音も最低限のもので、むしろ形式的な印象を感じるかもしれない。しかし、アシュケナージがここでもたらす音楽は、風雅なロマンを漂わせた、“ロシア的”と形容したい、ふくよかな抒情を湛えた、実に麗しいものだ。その節度ある抒情詩的な音楽の流れは、どこか新しいバッハを伝えてくれる。思慮深く語りかける抒情性には、録音時72歳という年齢に起因してもおかしくない技術的困難さを、ほとんど感じさせない。
 アシュケナージのバッハは、そのような新鮮味を感じさせるものだと思うが、しかし、彼は因習打破的な、強い試みを持って、演奏を敢行しているわけではない。むしろ、その音楽は、常に自発性があり、自然に全体のフォルムが美しく組み上げられていくものだ。それは、私には四季を巡って成長する森を思わせるものだ。アシュケナージのこれまでキャリア、特にショパン(Frederic Chopin 1810-1849)やラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)といった抒情性豊かな作曲家の作品に精通してきた背景によって、はじめて紡がれるバッハに違いない。そういった意味で、これは、他では得がたいバッハなのである。
 第4番のアリアや第5番のアルマンドに聴かれる典雅にして闊達な音の洪水、各サラバンドにおける声部の対比から繰り出される情感の発露、それぞれの終曲(第2番以外すべてジーグ)におけるスケールの雄大さ、音楽そのものの大きさ、短調の3作品(第2番、第3番、第6番)に湛えられた深く瑞々しい詩情など、その特徴はいくつも挙げることができるだろうけれど、アシュケナージのパルティータを聴いていると、音楽における人文主義的側面の役割、すなわち様々な感情の精妙な表現において、一つのロマンティシズムを究めたスタイルとして、この演奏は存在しているものに違いない。

パルティータ 全曲
p: シェプキン

レビュー日:2018.11.1
★★★★★ シェプキン、約20年振りのパルティータ。多彩さを増した演奏。
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のパルティータ全曲。CD2枚に以下の様に収録されている。
【CD1】
1) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
2) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
3) パルティータ 第3番 イ短調 BWV827
4) パルティータ 第2番 から シンフォニア(装飾版)
【CD2】
1) パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828
2) パルティータ 第5番 ト長調 BWV829
3) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
 2014年から15年にかけての録音。
 シェプキンは、1995年にこれらの楽曲を録音し、それはアメリカのOngakuという小さなレーベルからリリースされていた。グールド(Glenn Gould 1932-1982)とコープマン(Ton Koopman 1944-)から強い影響を受けたという彼の演奏は、華やかな装飾性と快活な弾力性に満ちたもので、現代の楽器の効果を如何なく発揮したそのスタイルに、私はとても楽しませていただいた。
 それから20年を経て、再録音が行われたことになる。
 まずシェプキンの解釈であるが、基本的には大きな変更はない。以前の録音と同様に装飾音を自在に挿入し、飛翔感があり、鮮烈なピアニズムだ。ただ、さらに考察を深めたように感じられる解釈がそこに添えられている。それは対位法におけるフレーズの関連性について、より重みづけを増したものと考えてよく、第4番のブーレなどを聴き比べてみると、その曲想の移り変わりにおける印象の異なりを感じ取ることが出来るだろう。技術は以前の通り闊達なものと言えるが、ジーグに代表される急速楽章における細部の正確さは、旧録音の方が上であろう。
 その一方で、アルマンドやサラバンドにおける旋律に慈しみを込めるような味わいは、このたびの録音でより深く開拓された部分であり、私は興味深く聴いた。ペダルの使用は、旧録音と同程度か、より控えめな印象であるが、フレーズの扱いには情感が増しており、旧録音ではバッハの楽曲の世俗的な面を前面に出していたことと比べると、本録音では宗教的な面がそれと対等になろうと、首をもたげている感じを受ける。
 急速楽章の「早さ」は、旧録音から維持されており、遊戯性を思わせる機知も健在だ。また、それらが現代楽器のスペックを活かすという観点が十分踏まえられている点も同じ。そこに加えて、トーンの軽重により広がりがやや大きくなったことで、表現されるものも量を増やした感がある。もちろん、シンプルゆえの美というものも音楽において重要ではあるが、シェプキンはうまくバランスを保ちながら新しい要素を添えることに成功しているだろう。
 旧録音も、いまなお聴き手に大きな悦楽を与えてくれるものであることも疑わないが、確かに深化を感じさせる当録音も、ファンにとってはうれしい存在となるに違いない。鮮明な録音も優秀。

パルティータ 全曲
p: ティーポ

レビュー日:2018.12.3
★★★★★ 暖かいヒューマンな歌に満ちたなバッハ
 イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の6つのパルティータ を収録したアルバム。収録内容は以下の通り。
【CD1】 1991年録音
1) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV 825
2) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV 826
3) パルティータ 第4番 ニ長調 BWV 828
【CD2】 1992年録音
4) パルティータ 第3番 イ短調 BWV 827
5) パルティータ 第5番 ト長調 BWV 829
6) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV 830
 ティーポは、音楽教育の分野で、教育者としておおきな功績があった人であるが、ピアニストとしても素晴らしい才能をもっていた。ただ、録音機会が限られたもので、その記録が多くはないため、定盤的な評価を得にくい。
 しかし、録音数が少ない一方で、それらの録音は概して見事な内容である・ティーポの演奏の第一の特徴は、高い技術を背景とした正確さをベースとしながら、中間色の色合いで感情的な起伏を持つ表現力にあるだろう。その表現には、常に人間的な暖かさが通っている。
 ここに聴くバッハでもそうである。もちろんバッハの音楽が持つ宗教性を鑑みれば、より峻嶮で崇高な精神性を感じさせる演奏に特化しても良いのであるが、テォーポはその気高さを壊すことなく、鮮やかな色彩感で、舞曲としての躍動感や歌を込めている。
 生命力豊かな躍動感と言う点では、パルティータ第3番が顕著であろう。例えば第3曲のクーラントは、早い3拍子で2声が交錯するダイナミックな舞曲であるが、ティーポはそのリズムを正確にとりながら、アクセントの効果、声部が交錯する迫力を、鮮やかな発色で描きあげていて、聴くものを興奮させてくれる。
 また第6番の大規模なトッカータでは、幾分荘厳な重さを含んだテンポを設定し、ニュアンス豊かな表現を用いながら、楽曲の奥行きを存分に掘り下げて、音楽の味わいに深みを与えている。ピアノという楽器の表現力を存分に用いたアプローチであり、獲得された表現の幅も立派な広さを持っていて、気高さも維持されている。
 また、第1番のエレンガントかつ表現幅豊かに流れるような落ち着いた自然さも、この曲らしさをよく表出しているし、脈々とした美しさを感じさせる。
 全般にティーポならではの歌が現代ピアノの美音で豊かに流れる暖かい色鮮やかなバッハ。聴くものを幸せな気持ちで満たせてくれる名演。

バッハ パルティータ 第1番 最愛なるイエスよ、われらここに 主よ、汝のうちにのみわれ望みを持つ ただ神の摂理にまかすもの 我らが救い主、イエス=キリスト イエスはわが喜び 甘き喜びのうちに 高き天よりわれ来たり いと高きところにある神にのみ栄光あれ いと高きにいます神にのみ栄光あれ 我らを顧みたまえ キリストは死の絆につきたまえり おお人よ、汝の大いなる罪に泣け  リゲティ ムジカ・ルチェルカータ より 第4,3,10,9,5,7楽章  K.アームストロング ファンタジー・オン・バッハ
p: K.アームストロング

レビュー日:2018.12.6
★★★★★ 現代の神童、アームストロングによる2013年録音のデビュー盤
 ロサンゼルス生まれの台湾系イギリス人のピアニスト、キット・アームストロング(Kit Armstrong 1993-)による2013年録音のsonyレーベルへのデビュー・アルバムで、以下の楽曲が収録されている。
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)
1) 18のコラールから 我らが救い主、イエス=キリスト BWV.666
2) キルンベルガー・コラール集から いと高きにいます神にのみ栄光あれ BWV.711
3) 27のコラール編曲から 甘き喜びのうちに BWV.729
4) 27のコラール編曲から 高き天よりわれ来たり BWV.738
5) 27のコラール編曲から 神の御子は来たれり BWV.724
6) オルガン小曲集から キリストは死の絆につきたまえり BWV.625
7) キルンベルガー・コラール集から ただ神の摂理にまかすもの BWV.690
8) キルンベルガー・コラール集から 主よ、汝のうちにのみわれ望みを持つ BWV.712
9) キルンベルガー・コラール集から イエスはわが喜び BWV.713
10) 18のコラールから 主イエス=キリスト、我らを顧みたまえ BWV.655
11) 27のコラール編曲から いと高きところにある神にのみ栄光あれ BWV.715
12) オルガン小曲集から おお人よ、汝の大いなる罪に泣け BWV.622
 キット・アームストロング
13) ファンタジー・オン・バッハ
 バッハ
14) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825
 リゲティ(Ligeti Gyorgy 1923-2006)
15)  「ムジカ・ルチェルカータ」より第4,3,10,9,5,7楽章
 アームストロングは現代の神童の一人で、彼の演奏を聴いたブレンデル(Alfred Brendel 1931-)は、その才能に惚れ込み、彼が13歳になったころから、直接、指導するようになったという。アームストロングの才は音楽に限定されず、語学・数学にも秀でたものがあり、飛び級で大学に進学。パリ大学で数学の学位を取得した。また音楽においては、ピアニストであるとともに、作曲活動も展開。当盤には10分程度の自作「ファンタジー・オン・バッハ」が収録されている。
 ちょっと話はずれるが、日本では、彼のように多芸に秀でることが、かならずしもプラスの評価となる文化的土壌がないように思う。「天は二物を与えず」「二足の草鞋」「二兎を追う者は一兎をも得ず」などの慣用句はいずれも「一芸に秀でること」を尊ぶ社会背景を示す。もちろん「文武両道」「多芸多才」といった言葉もあるのだけれど、こちらの場合は単純に称賛というより、どこかにひと含み「異物感」の残る感じがぬぐえない。それよりもとにかく辛抱強く「一つの事」をやりぬくことが称賛される・・・ように思う。終身雇用という社会制度が貴ばれ、安定した職につくことがそのまま高いステイタスになるという、一種の国民性も、そのような背景を反映したものかもしれない。
 しかし、私は個人的には、たくさん出来そうなこと、やりたいことがあるなら、何かをあきらめるのではなく、工夫してがんばって全部やるのが一番いいと思っている。自分のその考えが絶対正しいというつもりは毛頭ないし、全部に手を付けた挙句、ふさわしい成果が一つも得られなかった人に対して、私が何かできるわけではないけれど、その場合は当初の「自分への見込み違い」だっただけであって、誤ったのは「全部やったこと」ではなく、全部自分に出来ることと見込んだ「自己評価」である。そこは一つ保留点とするとしても、今の時代は、終身雇用制度も壊れ気味で、生涯ひとつのことだけに打ち込んで人生をうまく乗り切ることは、逆に難しいだろうし、だからこそ、様々なことに興味を持って、自分なりのアプローチをし、多芸となるに越したことはないはずだ。
 というわけで、私は、アームストロングの多芸に秀でた経歴をみて、本当に素晴らしいことだと率直に感じた次第。・・長くなってしまった。本題に戻そう。
 まずバッハを聴く。コラール編曲集が12曲収められているが、ここで印象的なのは圧倒的な落ち着きである。常に静謐を背景とした清澄な響きであり、一定の範囲に厳しく制御されたつつましい響き。とにかく透明で美しく、ペダルによる持続音がほのかにオルガン的な残り香を伝える。素朴に、これが録音時20歳のピアニストの芸風であろうか、という感嘆があった。「いと高きにいます神にのみ栄光あれ」におけるフレーズの均質性、「イエスはわが喜び」のポリフォニーの透明度。いずれもちょっと聴いたことがないくらいの完成度である。全体にロマン性が控えられた薄味な感触ではあるが、得難い清澄な気配は、これらの楽曲の宗教性を明らかにし、文字通り心が洗われる気持ちになる。
 次いで自作であるがこれがまた見事。メシアンを思わせる音響から、こまやかな分散音のパーツがちりばめられた展開がはじまるが、その無窮動的でありながら高度な法則性を感じさせる音楽世界は、設計性があり、美しい響きに満ちている。こちらも見事。
 バッハのパルティータも落ち着いた禁欲的なもの。これほど客観性の保たれたメヌエットもあまり聴かれない。ただ、この曲に関しては、私はいくぶん世俗的な味わいがあった方が効きやすく、アームストロングの演奏にやや単調さを感じるところもあった。
 そしてリゲティである。リゲティの楽曲には、エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)やウーレン(Fredrik Ullen 1968-)の優れた全曲録音があるが、アームストロングの演奏はそれに比べると厳しさや劇性という点では弱い。その一方で、第7楽章で聴かれるような緻密さは見事なものがあって、強く魅了される。
 録音時20歳という若さである。その才能を多方面に揮ってくれるに違いない。

パルティータ 第1番 第2番 第3番 第4番
p: シェプキン

レビュー日:2018.7.13
★★★★★ 自由な装飾性に溢れながら、一貫性を維持した躍動的なバッハ
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のパルティータ集。以下の4曲を収録。
1) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825
2) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
3) パルティータ 第3番 イ短調 BWV827
4) パルティータ 第4番 ニ長調 BWV828
 1995年の録音。
 これらの録音は、元はレキシントンに拠点をおいていたOngakuというマーナーレーベルからリリースされたものなのであるが、現在では当該レーベルの活動に関する報に接することはできない。当盤は、その後の経緯は不明ながら、同じ音源をDEAR HEARTが再発売したものとなる。
 シェプキンは、自身のレパートリーの中でバッハを最重要な作曲家と位置づけていて、かつ演奏上の影響を、グールド(Glenn Gould 1932-1982)とコープマン(Ton Koopman 1944-)から受けたと述べている。しかし、彼の演奏は、グールドの乾いたタッチによるスタッカート的奏法に比べると、かなりアコースティックな印象だ。むしろ彼がグールドやコープマンから影響を受けた要素は、演奏そのものではなく、作品と対峙する際の、演奏家の持つ自由度の幅広さにあるのではないだろうか。
 そう、この演奏は、実に自由だ。華やかな装飾性、活力あふれるテンポ、それはこれらの作品が、存分にロマンティックな要素を持ち合わせていることを示している。ペダルの使用は少ないが、使用しないわけではなく、かつ使用に際しては装飾的ななんらかの必然性のようなものを背景としている。その一方で、楽曲の中心を成すフレーズは、見事な一貫性を維持していて、軽快な勢いで流れていく。
 重さから乖離したシェプキンのスタイルこそ、当録音の特徴に他ならない。その結果、楽曲は、舞曲としての性格をより明瞭に打ち出す。スピーディーに移行する音楽の中で、様々なアクセントが彩りを添え、高い愉悦性を感じさせるものと化していく。パルティータの第4番で彼の自由さは一つの頂点を見せると言っても良いだろう。弾むような序曲、テンポを落としたアルマンド、装飾性豊かなメヌエット、快活なジーグ。それらはある意味、極端なものとして聴き手に伝わるかもしれない。しかし、そのような多彩さに満ちたバッハが、とても面白く、そして不思議と合理的に響くのというのが私の感想だ。第2番のシンフォニア、壮麗な響きに呼応するように挿入されていくフレーズと音響は、あたかも、「かくあるべし」という説得力を伴っているようにさえ聴こえる。
 いずれにしても、この興味深い録音が、別のレーベルによってきちんと復刻されたことは、実に喜ばしい。是非、第2集(第5番、第6番ほかを収録)についても再発売をお願いしたい。

パルティータ 第1番 第2番 第3番 第5番 第6番
p: ワイセンベルク

レビュー日:2011.8.9
★★★★★ ワイセンベルクの語りかけに心通うパルティータ
 1929年ブルガリア出身のピアニスト、アレクシス・ワイセンベルク(Alexis Weissenberg)による1966年録音のバッハのパルティータ集。もともとはフランス風序曲も含めた全集であったが、当盤はCD1枚への収録を主眼に第1番、第2番、第3番、第5番、第6番の5曲を抜粋収録したもの。私は最近、このピアニストが1987年にグラモフォン・レーベルに録音したパルティータの第4番と第6番を聴いて感心したので、このディスクも購入してみた。
 いずれにしても、このピアニストの代表的録音だと思う。バッハのパルティータ集という音楽が、ワイセンベルクにとって、ことのほか距離感の合う作品だったに違いない。
 この演奏の特徴はスピードである。何たって、パルティータの5曲が1枚のCDに収録できているのだから、それは非常に早いテンポを設定していることになる。・・・私は詳しく知らないけれど、ワイセンベルクというピアニストは、自己鍛錬のため10年間もの間、対外的な活動を停止し、練習に明け暮れた人だと言う。技術の探求、そしてその獲得した技術をもって、何を弾くのか、考えをめぐらせたに相違ない。これは、ショパン・コンクール優勝後に沈黙期間を設けたポリーニの例にも共通する。考えてみると、両者ともメカニカルな技巧に卓越したピアニストでもある。
 ただ、私は、そうしたワイセンベルクの演奏から、何かしら「クラシックの音楽作品と対峙した」というスピリットのようなものを感じ取ってきたわけではない。それが悩ましいところで、私の感受性の問題だとも思うのだけれど。しかし、このパルティータからは、峻険な気高さや、清澄な気配というものが十全に伝わってきて、私はいよいよ音楽の世界に没入することができた。
 ワイセンベルクのテンポは早いが、一つ一つの音は明瞭に刻まれる。そして、連音符の末尾に向けて、不思議と淡い感触が放たれる。そうして解き放たれたエネルギーが、次の着地点を見出すかのように一瞬空気を凝集して、次のフレーズが開始される。この繰り返しを聴いているうちに、聴き手は、えもいわれぬ心地よさとともに、洗われるような情緒を蓄積していくことができる。また激しい楽想では、その蓄積した情緒を一気果敢に放散するような涼やかさがあり、たいへん清清しい。それが前述の「清澄」という印象に連なる。
 録音については問題ないだろう。EMIの録音は1970年代から2000年代前半にかけて、他レーベルに比べて聴き劣りがするものが多いが、この時期のものは、それほど差は大きくないだろう。幸いなことである。

パルティータ 第1番 第2番 第4番
p: ティーポ

レビュー日:2019.3.22
★★★★★ 演奏者の裁量で輝く非権威主義的なバッハ
 イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のパルティータ集で、以下の3曲 を収録。
1) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV 825
2) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV 826
3) パルティータ 第4番 ニ長調 BWV 828
 1991年の録音。
 非常に美しくロマンティックなバッハである。
 バッハのクラヴィーア楽曲をピアノで演奏する場合、しばしばそのオーソドキシーが議論になる。概して、「これらの鍵盤楽器が生まれた頃、ピアノと言う楽器はなく、演奏はもっぱらハープシコードで行われた。それゆえ、ピアノで演奏する場合であっても、その概念を踏襲した演奏をここがけるべきだ」という意見だ。
 私は、この考えを頭から否定するつもりはないが、もしその考えに沿った演奏を望むということであれば、当録音を聴くべきではないだろう。ティーポのとるゆったりしたテンポは、ピアニスティックな効果を存分に高めるためのもので、その演奏は、その旋律を色彩感豊かに歌い上げるもので、とてもロマンティックで情感溢れるもの。原典主義者の人にとってみれば、言語道断かもしれない。
 しかし、もしそこまで原典主義にこだわらない、と言うことであれば、是非ともこの演奏を聴いて欲しい。この音楽からあふれ出てくる喜びの素晴らしさに身を浸してほしい。確かにそこには線的な意味での明瞭さはさほど高いプライオリティは与えられていない。その代わりに、音幅と音色を様々に引き出しながら、そのマイルドな混交のなかから生み出される多彩な情感と躍動がこの演奏の魅力だ。しかし、この演奏を聴いて、私にはオーソドキシーが失われているという気持ちは湧かない。むしろ与えられた新たな価値順列は、ピアノという楽器の創造性に合致して、きわめて雄弁で人を魅了してやまない生き生きとした音楽が流れだしていることに感動する。そして、それは間違いなく音楽的な体験である。
 ティーポの演奏は、ハープシコードと言う楽器の守備範囲を圧倒的に逸脱している。第4番のクーラントの情感に溢れたスラーの流れ、第2番のシンフォニアの弱音域でのロマンティックなゆらぎ。。。しかし、その結果響く音楽の瑞々しさ、華やかさには、抗いがたい魅力が横溢している。その色彩感にバッハらしくないという気持ちが起きることも確かにあるが、それを上回る魅力と説得力で、微笑みかえけるような音楽になっているのである。
 ピアノという楽器の魅力を積極的に用いたバッハ。その結果色鮮やかに描かれる舞曲たち、そして奏者の力強い息遣いを、私はこころよくまで楽しんだ。

パルティータ 第1番 第3番 第6番
p: アンデルジェフスキ

レビュー日:2014.11.12
★★★★★ “現代ピアノのためのバッハ” を意欲的に表現した野心作
 ポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のパルティータ集。2001年の録音。収録されているのは以下の3曲。
1) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV.830
2) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825
3) パルティータ 第3番 イ短調 BWV.827
 たいへん若々しい才気と野心に満ち溢れた名演だ。これらのクラヴィーア曲をピアノで弾く場合、ハープシコードやチェンバロで弾かれることを念頭に置いて、それを模倣するように弾く場合があるが、アンデルジェフスキのアプローチはまったく異なる。彼は、これらの音楽が、現代ピアノのために初めから書かれた作品であるかのように、きわめて濃密なテイストで仕上げている。
 元来、ピアノと言う楽器は、弾き手のタッチにきわめて敏感であり、その微細な揺らぎを感じ、その変化に反応する。だから、無理に古いクラヴィーア楽器を意識して弾いても、それは単調さに終始してしまうことになる。そのような方法論で弾きこなすことは至難だ。
 アンデルジェフスキは、見事なほどの自発性により、これらの音楽を喜びと驚きに満ちた方法で再現する。ルバート奏法やペダリングを自在に使用する。音階を上昇したり下降したりするだけのモチーフが、なんと鮮やかな色を持っていることだろう。対照となる旋律の強調や、創造的なアクセントの挿入も心地よい。基本的にはやや速めのテンポであるが、かなり自由な趣で、各サラバンドや、第3番のアルマンドなどは、どちらかというよゆったりとした感じで、抒情性を引き出す。
 アクセントも特徴的。このアクセントは、近年はやりの古楽奏法などを意に介さない強靭な自主性が魅力。その面白さが分かり易い箇所を挙げるなら、第3番のスケルツォはいかがだろうか?
 いずれにしても、快活と静謐、喜びと鬱といった感情表現が、実に多彩でダイレクト。ピアノという楽器のスペックを、存分に使用して、アンデルジェフスキの若々しい感性が解き放った実に鮮烈なバッハだ。あらゆる制約や、バロック音楽、クラヴィーア曲の奏法の理論から解き放たれ、アンデルジェフスキというアーティストの才気によって、一気に再編されたこれらのパルティータは、いつ聴いても多くの人にスリリングで新鮮な喜びを与えてくれるに違いない。

パルティータ 第1番 第3番 第6番
p: コロリオフ

レビュー日:2021.3.15
★★★★★
 バッハのクラヴィーア作品に、いくつも優れた録音を示してきたコロリオフが、今回はパルティータ集として、パルティータ全6曲のうちの3曲を録音した。第6番ホ短調 BWV.830、第1番変ロ長調 BWV.825、第2番ハ短調 BWV.826の3曲が収録され、「Part 1」と表記されているから、近いうちに残りの3曲も収録されるのだろう。ところで、このアルバム、2枚組になっている。通常これら3曲のパルティータであれば1枚に収録できるのであるが・・・と思って確認してみると、収録時間は合計81分。おそらく、当初の予定では1枚のCDに収まるハズたったのではないか。あまりにも中途半端な形で2枚組となってしまっている。この理由は、聴くと分かるのだが、がいしてコロリオフは平均よりやや遅めのテンポを採用している。その傾向は特に第2番では顕著で、それが積み重なった結果、ギリギリで1枚での収録が難しい演奏時間となってしまったのではないか。というわけで、アイテム的には使用に不便を託つという欠陥があるのだが、演奏は悪くない。このピアニストらしい健やかで見通しのよい響きであり、また、これまでのこのピアニストのバッハ録音と比較して、幾分トーンが軟らかめになっているのも、曲集にマッチした感があり、良いと思う。心地よく歌う旋律と、そこに現代ピアノならではのふくらみが情感として備わっていて、素直にきれいである。コロリオフは、元来バッハのクラヴィーア曲の演奏において、対位法の明瞭化にかなりの意志と注意を注いでいる感じがするのだが、このパルティータ集では、いくぶんエモーショナルなものに多めに配意した感がある。第1番の冒頭に醸し出される豊かなニュアンスにそれは象徴的であり、私は、楽曲の違いという以上に、このピアニストの中でも、変化している部分があるのだと思う。いくぶんゆったりした間合いで、時間をかけて大切に弾かれたパルティータであり、聴き手に感動をもたらしてくれるものになっていると思う。

パルティータ 第1番 第5番 第6番
p: ペライア

レビュー日:2009.9.7
★★★★★ ペライアの到達したピアノによるバッハの優美なる名演
 本盤はマレイ・ペライアによるバッハのパルティータ集第2弾で、これをもってパルティータは全集が完成した。今回の録音は2008年から09年にかけて行われている。
 ついこの前まえ「バッハのパルティータには、もっともっといろいろなピアニストの録音が欲しい」と思っていたのだけれど、90年代の終わりにグードとフェルツマンが全曲を録音してくれて、このたびペライアも全集が完成、さらに2009年秋にはシフの2度目の全曲録音となるライヴ盤が発売されるとあって、一気に様相が変わってきた(もちろんいい方に変わったのである)。なかなか聴き比べも楽しい。
 さて、ペライアはバッハを録音するようになって一段と芸風の深まりを感じさせてくれる。1997年、98年にイギリス組曲、2000年にゴルトベルク変奏曲、そして今回のパルティータと、私にとってバッハの3大クラヴィーア曲がすべてペライアで聴ける状況になったわけだけれど、それらの演奏がいずれもペライアだけが到達する種類の孤高にあるように思える。
 この演奏を聴くと、一瞬とて過度な力の入っていない音楽となっていて、一つ一つの舞曲が小気味よく清流を下るように続いていく。かといってテンポは落ち着きはらっている。ある種の余裕をにじませているが、その余裕が不必要なものではなく、曲の内面から湧き上がってくる歌を丁寧に拾い上げていくのに最適のテンポと力配分を与える源となっている。ペライアが到達した必然の余裕である。そこから紡がれるバッハのクラヴィーア曲の新鮮で優美なこと。
 ヴェデルニコフの録音が直裁な崇高さを表現したのに対し、ペライアの録音は純粋な歌の優美を獲得している。これほど多彩なアプローチが可能なのは、やはりバッハの作品が素晴らしいこと、それとピアノという楽器の表現力の幅が広いことの2点がある。ピアノで弾かれるバッハの一つの極みに達していると感じさせてくれる録音だ。

パルティータ 第2番 第3番 第4番
p: ペライア

レビュー日:2008.4.26
★★★★★ 自然な歌に満ちたバッハです。
 ある時期を境にして大きく芸風を深める(と思わせる)芸術家がいるが、私にとってマレイ・ペライアもその一人。もちろんデビュー当初から瑞々しい感性と粒だった音色が魅惑的だったが、ちょうどヘンデルとスカルラッティのアルバムを収録した96年頃から、その奏でる音楽は一層の深い色を蓄え、秘め事の美を湛えるようになったと思う。
 そんなペライアが精力的録音しているのがバッハである。実際、このように美しい歌と自然な感情によって整合性を与えられ、しかも深さを感じさせてくれるバッハというのはなかなか聴けるものではない。
 バッハのパルティータというと、最近カメラータから99年録音のフェルツマンによる魅力的な全集があり、よくこれを聴いていたので、ついつい比較してしまうが、フェルツマンが盛んに音楽の小さなベクトルを操り、聴き手に積極的に働きかけたのに対し、ペライアはそこに自然に立ち、そよぐ風のように音楽を聴き手に与えてくる。だからフェルツマンのように色々な曲から様々なインパクトを引き出すわけではないが、しかし「感じ入る」音楽となっている。例えばパルティータの第3番のアルマンドに両者の違いが克明に現れるのではないだろうか?そして浪漫的な香りのあるパルティータ第4番でも、その明瞭な古典性はしたたかな安定感を持っている。
 このペライアのCDが届いてから、随分繰り返し聴いている。実に暖かく耳に心地よい自然なバッハである。

パルティータ 第2番 第6番 トッカータ
p: フレイ

レビュー日:2019.4.5
★★★★★ 独創的。現代、注目すべきバッハ録音の一つ。
 フランスのピアニスト、ダヴィッド・フレイ(David Fray 1981-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の以下の楽曲を収録したアルバム。
1) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV.826
2) トッカータ ハ短調 BWV.911
3) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV.830
 2012年の録音。
 まずフレイ自身の言葉を紹介する。「表現性(expressivity)はロマン派固有のものでは決してない。バッハの音楽にそれを認めることを、恐れてはならない」。
 これは、ピアノでバッハのクラヴィーア曲を弾くものにとって、非常に積極的な思想であり、ピアニストが、改めてそのことをはっきりと表出することは心強い。果たして、フレイの奏でるバッハは、独創的で浪漫性豊かだ。フレイはペダルを使用することも、トーンが豊麗になることも恐れない。むしろ豊かな変化を巡らせて、そこから紡がれる発色性を武器に、情感豊かなバッハを導き出している。
 フレイがスコアからアウトプットしたものは、従来にない柔軟性を感じさせるバッハである。柔軟性と表現したが、その語法には様々な鋭さも内在する。そして、しばしば、スピードに乗ったリズムは、快活この上でない勢いで、早瀬のように流れ下る。例えば、パルティータ、第2番のカプリッチョのように。この音楽は、3声の対位法に基づくフーガで書かれているが、フレイの演奏は、その原理より鮮やかな情熱の放散を強く印象付ける。舞踏的な熱気も豊かだ。第2番の冒頭を飾るシンフォニアでは、開始後すぐに聴き手はこの作品が作曲された当時のハープシコードという楽器の制約の呪縛から解放されるだろう。そしてフレーズの緩急と強弱は、別の形で楽曲内の有機的関連性を聴き手に想起させる。その結果、ダイナミックなドラマ性をもって、音楽は聴き手の心に迫る。
 パルティータ第6番ではゆったりしたテンポで描かれるトッカータがまずは印象付けられるが、サラバンドでは、その旋律線の持続的な扱いに心打たれる。そこには、ロマンティックなメロディの魅力が横溢している。
 2つのパルティータの間に置かれたトッカータも名演だ。構造的な美観を保ちながら、自由な肉付きは、力強い現代のバッハ像を現出している。


パルティータ 第3番 第5番 第6番
p: ティーポ

レビュー日:2019.3.26
★★★★★ 演奏者の芸術性が伝わる、歌に満ちたバッハ
 イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のパルティータ集で、以下の3曲 を収録。
1) パルティータ 第3番 イ短調 BWV 827
2) パルティータ 第5番 ト長調 BWV 829
3) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV 830
 1992年の録音。
 ピアニスティックでロマンティックなバッハ。
 ティーポは、バッハのクラヴィーア曲であっても、現代のピアノの性能ゆえの表現を駆使することにまったくためらいがなく、自由でありながら、ピアノ楽曲としての魅力を十全に引き出した解釈を繰り広げている。
 このティーポの解釈は、当然のことながらこの楽曲が書かれた当時に想定されていたものではない。もちろん、ピアノという楽器で演奏すること自体が想定外なのではあるが、ピアノで弾く場合であっても、ハープシコード時代の楽器的制約を考慮し、ピアノならではの自由さをある程度拘束した解釈を試みるピアニストが多い。
 それに比べるとティーポの演奏は実に自由で伸びやか、かつ歌と弾力に満ちている。確かにそれは作曲当時に想定されていた響きではないのかもしれない。しかし、音楽に限らず、すぐれた芸術作品は、様々な価値観や、時と場所を越えて、それに接する者の心を豊かにするものであり、演奏家の仕事は、これを再現する際に、芸術としての解釈を与えることにある。ティーポが奏でる音楽は、まちがいなく優れた芸術であり、作品の価値を聴き手に伝えるものである。
 ティーポは、全体的にややゆっくりしたテンポを採用する。そのテンポの中で、音楽に即した感情の起伏を与えるため、強弱、緩急を操って、いろどりに溢れた音楽を築きあげる。第6番のサラバンドは、その厳かな雰囲気のなかで、いくぶん重みのある悲しげな雰囲気が、ゆったりと漂っていて美しい。ゆっくりとはしているが、決して間延びしているわけではなく、適度な変化による感情の流れがあり、その自然さの中で音楽が歌われる。ジーグもややセーヴしながら、感情の表出を圧殺してしまわない範囲で力感を感じさせる。第3番のサラバンドも、ティーポの特徴が良く出ていて、自由でありながら整っていて、自然で、流れが良い。
 全編を通して、歌に溢れたバッハであり、ピアノという楽器のスペックを開放した鮮やかな表現に満ちている。
パルティータ 第4番 第6番 イタリア協奏曲
p: ワイセンベルク

レビュー日:2011.7.20
★★★★★ グラモフォン・レーベルのワイセンベルクの録音には名演が多い
 1929年ブルガリア出身のピアニスト、アレクシス・ワイセンベルク(Alexis Weissenberg)によるバッハのパルティータ第4番と第6番、イタリア協奏曲を収録。1987年の録音。
 ワイセンベルクは、私にとって一筋縄では行かないピアニストの一人。彼の名が有名になったのは、帝王カラヤンが、ピアノ協奏曲の録音で、頻繁にワイセンベルクを起用したためだと思う。ワイセンベルクというピアニスト、非常に美しい、硬質で輝かしいタッチを持っているが、早いパッセージなどで、極限とも思えるほどのテンポ設定をとり、時折それが過ぎてしまい、曲の輪郭が、妙にガクガクすることがある。刹那的には凄くても、全曲を聴いたときに、「何か一つまとまった印象になり難い」とでも言おうか・・・。例えば、彼とカラヤンのラフマニノフの協奏曲とか、あるいはブゾーニ編曲のバッハのクラヴィーア・ソロ曲など。
 しかし、元来ピアニスティックな美しいタッチを持っている人だし、曲が彼のフィーリングにフィットして、かつ録音がきちんとそれを捉えていれば、優れたディスクとなる。このバッハも美しい。グラモフォンらしい安定感のある充実した音響で収録されている。ワイセンベルクは他にもスカルラッティやラフマニノフのソナタ、それにドビュッシーなどをグラモフォン・レーベルに録音している。いずれも良い。そうなると、他の彼の録音のいくつかは、EMIの録音の水準が低いことによって、災いした面もあったのかもしれないな、と考える。
 当ディスクは長らく廃盤のようだが、入手機会があったら、ぜひ聴いてみていいのでは、と思うくらいの内容。冒頭に収録されているパルティータの第6番は、やはり速いテンポが主体だが、音楽の流れが滑らかで、肌理の細かなタッチが、瑞々しく輝いていて爽快だ。Correnteなど、本当にスピーディーなのだが、情感がきちんと表出している上に、無理な感じがせず、落ち着きを感じさせている。終曲のGigueで、ワイセンベルクはややトーンを落として、むしろ慎重な音楽になる。テンポは一様ではないが、そのざわめきが思わぬ風情を出していて、音楽的だ。
 次に収録されているイタリア協奏曲も良い。この曲の場合、ただスポーティーに弾いてしまうと、第1楽章の“ガチャガチャ感”が強調されて、味が薄くなってしまう。ワイセンベルクは恰幅のあるシンフォニックなサウンドを引き出していて、見事に聴かせてくれる。
 最後に収録されているパルティータ第4番も鮮やかな快演で、舞踏的な緩急を踏まえながらも、絶対的なサウンドの美しさが曲のイメージを貫いていて、十分な滋味がありながら、躍動的な心地よさもある。貫禄の名演奏といったところ。

パルティータ 第5番 第6番 4つのデュエット フランス風序曲
p: シェプキン

レビュー日:2018.8.14
★★★★★ 活力と色彩感に富むシェプキンのバッハ
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のクラヴィーア曲集で、以下の楽曲を収録。
1) パルティータ 第5番 ト長調 BWV829
2) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV830
3) 4つのデュエット(第1曲 ホ短調 BWV802 第2曲 ヘ長調 BWV803 第3曲 ト長調 BWV804 第4曲 イ短調)
4) フランス風序曲(パルティータ) ロ短調 BWV831
 1995年の録音。
 このアルバムは、レキシントンに拠点をとするOngakuというマイナー・レーベルから発売されたもの。というより、シェプキンの一連の録音は、同レーベルの看板といっていいものであり、シェプキンというアーティストがいたからこそ、Ongakuというレーベルも知られるようになったと言える。ただ、このレーベル、最近では新譜リリースの報に接したことがなく、現在は活動していないのかもしれない。当盤も、版権の委譲がなければ、在庫限りなのかもしれない。そうだとしたら、残念なことだ。当盤に収められたものは、なかなかユニークな存在感のある演奏で、録音も良好なものだから、そう思う。
 シェプキンはスタインウェイを用いて、かなり自由度の高い演奏を披露する。その演奏は、とにかく華やかで、色彩感豊か。現代楽器の特性を全力で駆使し、かつ演奏者の芸術性を感じさせるバッハを聴かせてくれる。
 基本的にテンポは速め。ダイナミックレンジの広い音を使いながら、豊かな装飾音に彩られる。だから、当盤を聴いて、やや騒々しいバッハ、と感じる人もいるかもしれない。しかし、その趣向は挑戦的であっても、当然のことながら音楽的な範囲を逸脱したものではなく、むしろ新たに得られる感興に満ちている。シェプキンが、グールド(Glenn Gould 1932-1982)に影響をうけているというのも、なるほどと思える。
 たしかなテクニックに支えられ、活力に溢れたピアニズムは、スピーディーな舞曲、例えば、パルティータのジーグやフランス風序曲のヴィヴァーチェなどで、弾けるような勢いを見せる。そこでは、鮮烈に音楽が流れ落ちていき、気持ちの良いスピード感が満ちる。また、装飾という点では、装飾音の挿入だけによらず、例えばパルティータ第5番のサラバンドでは、リピート時にオクターヴ高い音程で、まるでオルゴールを思わせるような音色を響かせるなど、いくつかの方法で、アレンジ(と言っていいもの)まで加えている。なみなみならぬ積極性を感じさせる表現手法だ。
 全般にこれらの自由で闊達な響きは、バッハのこれらの作品の世俗性、もしくはロマン性を強調する方向性を持っている。その一方で、バッハの楽曲に宿る宗教性、神秘性は、後退していると言えるだろう。ただ、シェプキンは当然のことながら、それを承知で、積極的で果敢で、そして愉悦性の高い演奏を繰り広げており、そのスタイルが、アルバムを通して維持されることによって、彼の芸術の在り方は、明瞭な形で聴き手に伝わってくるのである。
 安定した心地の良いテンポ感を維持しながら、舞踏的に描かれる生命力豊かなバッハが、ここにある。

フランス風序曲 イタリア風アリアと変奏 BWV989 イタリア協奏曲 協奏曲ニ短調BWV974(原曲:マルチェッロ)
p: アシュケナージ

レビュー日:2014.10.31
再レビュー日:2015.4.1
★★★★☆ 良い演奏ではあるが、もっと上を期待していたので・・
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるバッハのピアノ作品集。  2004年から05年にかけて録音された平均律クラヴィーア曲集全曲、2009年に録音された6つのパルティータに引き続いての第3弾ということになる。アシュケナージは以前某雑誌で「フランス風序曲を録音する」と言っていて、私もとても期待したいたのだが、ずいぶんそれから何年も経過してしまったように思う。とは言え、これらの録音を耳にすることが出来て良かった。収録曲は以下の4曲。
1) フランス風序曲 ロ短調 BWV831
2) アリアと変奏 BWV989 
3) 協奏曲 ニ短調 BWV974 ;マルチェッロ(Benedetto Marcello 1686-1739)のオーボエ協奏曲からの編曲
4) イタリア協奏曲 BWV971
 録音は2013年から14年にかけて行われたもの。
 これらの録音を聴いて、「愛すべき風雅な彩のあるバッハである」と思ったけれど、私には、これまでの平均律、パルティータ集に比べて、少し聴き劣りのするところもあると感じられた。
 「フランス風序曲」という作品は、パルティータと同系列で、当時のフランス様式の舞曲を束ねて組曲の様式にしているのだけれど、アシュケナージはこれを快活なテンポで弾いている。しかし、そのテンポを得るため、時折、細部の表現に小さな綻びがあり、それが時々音楽の「ゆるみ」に繋がってしまうところがある。全体的な雰囲気は悪くないのだけれど、じっくり耳を傾けよう、と思うと、そういう箇所が、弱点として感じられてくる。以前のパルティータの録音では、瑞々しい抒情性に溢れた詩が全編を覆っていて、私はとても感動したのだけれど、このフランス風序曲は、さすがに全体的には美しくまとまっているものの、細かいところで、聴き手の気が逸れる要因が残っていると感じる。
 これはアシュケナージが、数々の舞曲を純音楽的に響かせるため、やや速めのテンポを維持することを最上の命題としたことも、理由の一因だろう。その考え方自体は、アシュケナージらしいしもので、もちろん問題ないのだけれど、アシュケナージの全盛期の素晴らしさを知る者としては、同じ方法論による演奏の場合、完成度の点で以前に及ばない印象がある。だから、もう少し違った方法でアプローチするという方法もあったかもしれない、とも思う。アシュケナージの弾くピアノの音色自体、かつてに比べて、やや曇りのある響きになっていることもあり、そういった意味でも、心情的な要素をもっと強めても、良いのではないのだろうか。もちろん、私の様な素人がそんなことを軽々しく言えたものではないというのは、重々承知しているのだが。
 そうはいっても、当盤は悪い演奏というわけではない。「アリアと変奏」は音楽的表現として、とても優れたものになっていると思うし、イタリア協奏曲の中間楽章にただよう情緒など、一流のアーティストにしか成しえないものを感じさせてくれる。このアーティストがもっている「詩情」と呼ばれる性質、それは私の大好きなものでもあるのだけれど、そのニュアンスが伝わってくる。
 BWV974は、「ベニスの愛」のサブタイトルでも知られるマルチェッロのオーボエ協奏曲の編曲で、この有名な旋律をアシュケナージのピアノで聴けるのは嬉しい。といっても、スピーディーな箇所で、少し平板に聴こえるところが残った。
 というわけで、全般にアシュケナージ・ファンにとってありがたい録音ではあるし、良い演奏ではあるけれど、アシュケナージのこれまでのパフォーマンスと比較すると、ちょっと物足りなさが残るところがあった。その結果、いずれの曲においても、「同曲における代表的録音の一つです」と推したい、と思えるところまでは行かなかった、というのが私の正直な感想。アシュケナージのバッハを未聴の人は、是非、平均律とパルティータの録音を、優先的に聴いてほしい。
★★★★★ 渋みを通わせながらも大家の芸で美しくまとまったバッハ
 2004年から05年にかけて録音された平均律クラヴィーア曲集全曲、2009年に録音された6つのパルティータに引き続いての第3弾ということになる。アシュケナージは以前某雑誌で「フランス風序曲を録音する」と言っていて、私もとても期待したいたのだが、ずいぶんそれから何年も経過してしまったように思う。とは言え、これらの録音を耳にすることが出来て良かった。収録曲は以下の4曲。
1) フランス風序曲ロ短調BWV831
2) アリアと変奏 BWV989
3) 協奏曲ニ短調 BWV974 ;マルチェッロ(Benedetto Marcello 1686-1739)のオーボエ協奏曲からの編曲
4) イタリア協奏曲 BWV971
 録音は2013年から14年にかけて行われたもの。
 愛すべき風雅な彩のあるバッハである。ただ、正直に言って、アシュケナージが先に録音した平均律、パルティータ集に比べて、少しだけ聴き劣りのするところもあると感じられるのだけれど、それでも良い味わいの感じられるアシュケナージならではのぬくもりの通った演奏だ。
 「フランス風序曲」という作品は、パルティータと同系列で、当時のフランス様式の舞曲を束ねて組曲の様式にした作品。アシュケナージはこれを快活なテンポで弾いていて、とても心地よいが、時折、細部の表現に小さな綻びがある。それが時々音楽の「ゆるみ」に繋がってしまうところがあるのだけれど、全体的な雰囲気は上質で、健やかな音楽性の息づいた表現に満ちている。
 アシュケナージがすでに録音しているパルティータでは、瑞々しい抒情性に溢れた詩が全編を覆っていて、私はとても感動した。他方で、このフランス風序曲は、若干の渋みを感じさせる演奏と言えるだろう。当然、全体的には美しくまとまっているが、細かいところで、聴き手の気が逸れる要因が残っているかもしれないので、気になる人もいかもしれない。
 いずれにしても、アシュケナージは、各舞曲を純音楽的に響かせるため、やや速めのテンポを維持することを最上の命題としたのだろう、と思う。その考え方はとても合理的だ。アシュケナージの全盛期と比べると、若干完成度は落ちるかもしれないが、その一方で全体の呼吸を巧みに整える大家の芸により、聴き味に劣化はほとんど感じない。むしろ今なおの快活ぶりが嬉しいし、明瞭な声部の扱いには、なお教養と詩情をバランスよく配合するアシュケナージの音楽家としての良心が反映されている。
 加えて、「アリアと変奏」は、音楽的表現として、とても優れたものになっていると思うし、イタリア協奏曲の中間楽章にただよう情緒など、一流のアーティストにしか成しえないものを感じさせてくれる。このアーティストがもっている「詩情」と呼ばれる性質、それは私の大好きなものでもあるのだけれど、そのニュアンスが伝わってくる。
 BWV974は、「ベニスの愛」のサブタイトルでも知られるマルチェッロのオーボエ協奏曲の編曲で、この有名な旋律をアシュケナージのピアノで聴けるのは嬉しい。ただ、この曲にラテン的な明晰さを臨んだ場合、アシュケナージの演奏は、少し控えめで上品すぎるように感じられるかもしれない。
 いずれにしても、アシュケナージ・ファンにとってはとてもうれしい録音であることは変わりなく、良い演奏である。しかし、アシュケナージのバッハとしても、先に録音された平均律とパルティータ集の方が、さらに優れた音楽芸術であったと思うので、もしアシュケナージのバッハが全般に未聴ということであれば、そちらを優先的に聴くのが、私的にはオススメです。

半音階的幻想曲とフーガ イタリア協奏曲 パルティータ 第6番
p: エデルマン

レビュー日:2010.1.23
★★★★★ セルゲイ・エデルマンの「巨匠風バッハ」
 セルゲイ・エデルマンは1960年ウクライナ生まれのピアニスト。これまでも録音活動がないわけではなかったのだが2009年からトリトーン・レーベルと契約し正規にリリースを開始し、一躍名が知られるようになった。このバッハのクラヴィーア曲を集めたアルバムがその第一弾となるわけで、実質的なデビュー盤と言っていいだろう。
 エデルマンのピアノの特徴は比較的説明し易いかもしれない。まず、ロシア・ピアニズムを受け継いでいること。これは音が太く、輪郭がくっきりしており、凛々しい音色となって聴き手に伝わるものだろう。それと大家風とも言える落ち着いたテンポ設定。最近のピアニストでは、どちらかと言うと高等技術をもって攻性のアプローチを主体とすることが多い。もちろん、それが悪いというわけではないが、エデルマンの演奏はそれと一線を画すという以上に、おそめのテンポ設定を持つ。そしてじっくりとした味のある大きな音楽の流れを作り出していく。
 ここに収録された3曲でそれをもっとも強く感じるのがパルティータの第6番である。楽曲自体が他の2曲よりはるかに奥行きの深い作品であるので、エデルマンの風格豊かなピアノがよく合う。第1曲のトッカータをエデルマンは9分以上の時間を掛けてまさに悠然と弾いている。ゆとりをもって装飾音もくっきりと恰幅豊かに鳴らし、いかにも悦に入った王道の貫禄を見せてくれる。それでいて音楽は弛緩することなく、大地の力のようなものを宿して、ダイナミックに前身していく。こういうのを巨匠的な音楽というのだろうか。また、終曲のジーグも、一般的にはもっと躍動的な舞曲のスタイルで弾かれることが多いのだが、エデルマンはまたしても裾野の広い音を繰り出してゆく。バッハのクラヴィーア曲にこのような要素があったのか、とも思わせてくれる。
 併せて収録されている他の2曲もほぼ同様なスタイルで弾かれているが、曲の特徴とよく合っていると思うのはやはりパルティータであろう。今後の録音活動が楽しみなピアニストである。

半音階的幻想曲とフーガ フランス風序曲 イタリア協奏曲 4つのデュエット 幻想曲ハ短調
p: コロリオフ

レビュー日:2012.12.11
★★★★★ 多くの「音楽を愛する」人に聴いていただきたいアルバム
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のバッハのピアノ曲集。収録曲は以下の通り。
1) 半音階的幻想曲とフーガ
2) フランス風序曲
3) イタリア協奏曲
4) 4つのデュエット
5) 幻想曲ハ短調
 1999年の録音。
 コロリオフのバッハは、多くがTACETからリリースされているが、当盤はhansslerレーベルのもの。いずれにしても彼の弾く素晴らしいバッハがいずれも輸入盤で容易に入手できるようになったのはありがたい。彼のバッハは、是非とも多くの人に聴いていただきたい。当アルバムも本当に素晴らしいもの。
 半音階的幻想曲とフーガは実に感動的な演奏だ。それに、この曲は、対位法による音楽的学識を表現するための機能を備えた天才のインスピレーションに満ちた旋律と、その旋律によるフーガという形式の高次な追及、さらにそこから生まれる果てしなく気高い宗教的な崇高性、これを縁取るイマジネーションに彩られた幻想性、ひいては、それらを集約し一つの鍵盤楽器のための作品として完成する創造性・・と、まさにあらゆる要素を含んだ偉大な傑作である。コロリオフは研ぎ澄まされた感覚で、ひたすら真摯な手法により、この作品に臨んでいる。
 冒頭から、均質で粒だった音色による圧倒的な奔流が開始される。荘厳な迫力に満ちたその音響は、コロリオフによるスコアの精緻な再現によって究められたものだ。コロリオフは決して踏み込んだ表現により、音楽を大きく見せようとしたり、内包する情緒を高めようとしたりはしない。むしろ、ただ淡々と、自分の中で、ひたすら同じ法則によって、スコアを音として実証化しているだけのように聴こえる。だが、その結果として導かれる音楽が、壮絶なほどに美しいのである。コロリオフの半音階的幻想曲とフーガ。それはクラシック音楽の一つの到達点を示しているように思う。
 その後に弾かれる「フランス風序曲」も素晴らしい。この30分に及ぶ大曲は、バッハの得意としたロ短調という主調に導かれ、高貴さと豊かさを併せて体現した楽曲だが、その崇高な気配は、スコラ的厳密と幻想の奔放をむすびつけてきた中世ゴシック精神を引き継ぎ、バロックと呼ばれる時代に結実した芸術に違いない。コロリオフの演奏からは、厳密の追及から導かれた幻想の無限の美しさを感じてしまう。この要素を追及することにより、その後のクラシック音楽の偉大な発展は形作られたのだろう。コロリオフの清澄な響きに、ゆるぎのない幾何学的な普遍性を感じるのは、その立脚点が、長くヨーロッパの歴史ではぐくまれた音楽的精神に根差しているからではないだろうか。
 イタリア協奏曲のような典雅な音楽であってもコロリオフのスタイルは一貫している。均質な音色、ピアノという自由度の高い楽器から、あえて束縛性の強い音色のみを引き出す禁欲的とも言える姿勢。しかし、その音楽は人の心を強く動かす力を持つ。その完結性には、齟齬がない。
 これは実にすばらしいアルバムだと思う。バッハの音楽が好きな人だけでなく、多くの「音楽を愛する」人に聴いていただきたい。

半音階的幻想曲とフーガ イタリア風のアリアと変奏 幻想曲とフーガBWV.904 前奏曲とフーガBWV.894 フランス風序曲
p: ヤンドー

レビュー日:2017.8.30
★★★★★ バッハのクラヴィーア曲を荘厳かつ輝かしく描き上げた名演
 ハンガリーのピアニスト、イェネ・ヤンドー(Jeno Jando 1952-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の鍵盤楽器のための作品集。収録曲は以下の通り。
1) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
2) イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV.989
3) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV.904
4) 前奏曲とフーガ イ短調 BWV.894
5) フランス風序曲 ロ短調BWV.831
 2004年の録音。
 安定した質で奏でられた堅実で美しいバッハである。ヤンドーのピアノは、常に輝かしい強さがあるとともに、添えられるペダルの効果や、心地よく維持される快速なテンポによって、荘厳でありながら、ほどよい甘味を感じさせるバッハが仕上がっている。
 冒頭の「半音階的幻想曲とフーガ」では、冒頭の鮮烈さから、次第にすそ野が広がって行くような聴き味があり、この名品に豊かさを添えた上質な響きに満ちている。
 「イタリア風のアリアと変奏」は主題と10の変奏曲からなる作品で、のちのゴルトベルク変奏曲への飛躍を予感させる。悲しみの感情に作用する旋律がことのほか美しい。ヤンドーの演奏は、自然さを感じさせるスタイルと響きであるが、形式的なしまりが十分に効いており、様々な意味で感動的な音楽を導いている。この愛すべき佳曲の名演として指おるべき一枚である。
 「イタリア風のアリアと変奏」から3曲、イ短調の作品が続く。「幻想曲とフーガ イ短調 BWV.904」と「前奏曲とフーガ イ短調 BWV.894」はともに規模の大きな作品であるが、後者がコンチェルト様式を踏襲したものであるのに対し、前者は文字通り幻想的である。前者ではリトルネッロから派生した大規模なフーガが演奏上の様々な技巧を交えて展開するが、ヤンドーは声部の克明な対比を捉えながら、凛々しいサウンドを作り上げている。後者の前奏曲では、見事な音階の響きが圧巻で、ヤンドーというピアニストの素晴らしさが顕著となる部分でもある。様々な音域を用いてで繰り広げられる展開は、劇的で、かつ爽快でもある。そこにヤンドーの手腕が輝いていることは言うまでもない。
 「フランス風序曲」は、フランス様式とイタリア様式を融合したパルティータであり、管弦楽組曲の鍵盤楽器版であるとも言える名品であるが、ここでもヤンドーの俊敏なテンポと輝かしいタッチは鮮やかで、それぞれの舞曲を相応しい形で次々と描き出してゆく。名ピアニストが弾いたバッハの醍醐味を味わわせてくれる一枚となっている。

半音階的幻想曲とフーガ パルティータ 第6番 イタリア協奏曲
p: ルガンスキー

レビュー日:2019.5.29
★★★★☆ ルガンスキー18歳、1990年のライヴ録音
 ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)が18歳の時、すなわち1990年に、モスクワ音楽院、ラフマニノフ・ホールで行ったコンサートの模様を収録。現在では、彼のレパートリーはスラヴ系のもの、そしてロマン派の音楽が中心というイメージがあるが、ルガンスキーが国際的な注目を集めたのは、16歳の時(1988年)にライプツィヒ・バッハ・コンクールで銀賞を受賞したことが最初の契機であり、当ライヴも、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の鍵盤作品で構成されている。収録曲は以下の通り。
1) 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
2) イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971
3) パルティータ 第6番 ホ短調 BWV.830
 演奏は堂々たるもの。現在のルガンスキーに比べると、より開放的でメタリックな音色に感じられる(それは録音環境にも一因がありそうだ)が、いかにもロマンティックな野太さのあるロシア・ピアニズムであり、力強く、ピアノの能力を全面的に引き出している。通常のピアノによるバッハ演奏と比較して、強い音を積極的に用いた感じがあり、そのことに「ピアノで弾くバッハ」のあり方として、疑問を差し挟む人もいるかもしれないが、その確信に満ちたドライヴは、若きルガンスキーの音楽そのものであると感じられる。
 半音階的幻想曲とフーガでは、力強い進行の中で、重々しい響きが、鮮烈なエネルギーをもって描かれていて、特に悲劇的に聴こえる演奏の一つ。聴収の心を強く掴みとるような、啓発的な意志表示が感じられる。
 イタリア協奏曲もピアノを燦然と鳴らしながら、重量感を持った疾走が見事である。時に叙情的なものが、圧殺されたところもあるように感じるところもないではないが、ルガンスキーの演奏には若々しい自信が漲っていて、迷いがない。
 ただ、やはり「そうは言っても」現在のルガンスキーの演奏に比べると、芸術的な完成度は、もう一つに感じられるところではある。現在のルガンスキーの演奏が放つ特有の高貴さがほとんど感じられないというだけでなく、全体的にスポーティーな演奏は、例えばパルティータのクーラントではかなり急ぎ足で落ち着きのない印象を受けるところもある。
 そうは言っても、若干18歳の青年が、これほどのバッハを奏でる演奏会は、なかなか巡り合えるものではないだろう。このたびのCD化に感謝したい。

イタリア協奏曲 ヴィヴァルディによる協奏曲(ト短調BWV975、ト長調BWV973) マルッチェロによる協奏曲(ニ短調BWV971、ハ短調BWV981) シチリアーノ(BWV596から) アンダンテ(BWV979から) アリア(BWV590から)
p: タロー

レビュー日:2009.2.14
★★★★★ 旋律も、ピアニスティックな響きも、最高に楽しめます
 バッハの「協奏曲」と名のつくクラヴィーア曲を中心に、ピアノ演奏により収録した企画力の秀逸なアルバム。編曲モノが多い。ピアノはアレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)ピアノ独奏曲であるのに協奏曲というネーミングがついているのは、両端楽章においてフォルテとピアノ(トゥッティとソロ)が交互に登場する協奏曲様式が用いられていることに由来する。
 これらの曲のうちイタリア協奏曲を除けば、チェンバロ(ハープシコード)で演奏されることがほとんどであり、ピアノによる録音は少ない。しかしピアノという楽器の表現力の豊かさは弦を弾いて音を出すチェンバロ等の古楽器の比ではなく、弾いてみると(もちろん奏者のセンスも大きいが)たいへん美しく響いてしまうのである。タローはラモーやクープランのクラヴィーア曲もピアノで美しい録音をしており、いわばこのジャンルを探求する第一人者と言える。
 イタリア協奏曲では残響豊かな録音も手伝って、ピアニスティックなニュアンスを堪能できる。この曲を「うるさくなく」弾くのは難しいと思うのだが、さすがタローである。アリアと称される収録曲の原曲はオルガン曲パストラーレBWV590の第2曲。この曲は映画「ルパン三世 カリオストロの城」でカリオストロ伯爵とクラリスの結婚式の場面で印象的に使用された(オルガン版)ため、私と同じ世代には懐かしいに違いない。ピアノでも神秘的な雰囲気がよく出ている。マルッチェロによる協奏曲BWV971の原曲はオーボエ協奏曲として有名で、こちらもその耽美的な第2楽章が映画「ベニスの愛」で用いられて有名になったもの。このようにこのアルバムは旋律の魅力でも存分に楽しめる。そのほか、急速楽章での鮮やかなパッセージの切り替えや、ピアノならではの音色を駆使した音楽の起伏の表現も見事で、最初から最後まで存分に楽しむことができる。こんなアルバムを作ってしまうタローはやはり目が離せないピアニストだと再認識する。

イタリア協奏曲 パルティータ 第1番 第3番 4つのデュエット 幻想曲とフーガ 主よ、人の望みの喜びよ(ヘス編)
p: ブレハッチ

レビュー日:2017.3.17
★★★★★ ブレハッチ待望の新録音。ロマンティックで豊饒美麗なバッハ。
 2005年の第15回ショパン・コンクールで優勝を果たしたラファウ・ブレハッチ(Rafa? Blechacz 1985-)は、多くの音楽ファンがその新録音を待ち望む存在になったと言っていいだろう。私もその一人で、今回のアルバムの発売がアナウンスされてから、手元に届くのが待ち遠しかった。しかも、今回はバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品集である。ロマン派の音楽を登竜門としてきた若いピアニストが、バッハのクラヴィーア曲にどんなアプローチをするのか、大きな関心を寄せる人は多いだろう。収録曲は以下の通り。
1) イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV.971
2) パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV.825
3) 4つのデュエット BWV.802-805
4) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV.944
5) パルティータ 第3番 イ短調 BWV.827
6) 主よ、人の望みの喜びよ(カンタータ「心と口と行いと生活で」 BWV.147から)
 6)はイギリスのピアニスト、ヘス(Myra Hess 1890-1965)がピアノ版に編曲したもの。録音は2,3,4)が2012年、1,5,6)が2015年に行われている。
 たいへん聴き応えのある充実したラインナップ。しかし、それにもましてブレハッチのピアノが素晴らしい。どこが素晴らしいのか。まず技術的なことは申し分ない。すべての音が明瞭に鳴るが、つねに美しく芯まで突き通るような音色で、トリルの力強い輝きなど、当代随一と言っていいくらい。そして、快速なテンポでも、一切の乱れを感じさせない。
 そして、解釈の新しさ。そう、この演奏はとても新しい感触をもたらす。バッハのクラヴィーア曲というと、どうしても当時の楽器のイメージに囚われ、その範囲から延長した解釈を心掛ける。ブレハッチにも、そのような観点が無いわけではないのだろうけれど、私は彼の弾くバッハは、ロマン派の解釈を入り口にそこからバッハまで辿り着いた重厚なピアニズムが流れていることに気付く。制約に気を遣ってダイナミックレンジを狭めることせず、恰幅豊かで、まさしくロマンティックな響きとなることを恐れない、「肉厚さ」「力強さ」に溢れている。
 両パルティータのクーラントの響きの豊かさ、また特に第3番のスケルツォやジーグにおけるシンフォニックな広がりなど見事。幻想曲とフーガの音階も、打ち寄せる波のようにピアニスティックな起伏のあるアプローチで、豊かな表情付けが鮮やか。また、それらがバッハの音楽と見事に調和して響くバランス感覚も秀逸で、これほど豊かな演奏でありながら、「バッハらしさ」は微塵も失われているとは感じられないのである。見事な名演だ。
 両端に人気曲を配したプログラムもなかなか憎い。イタリア協奏曲の華やかな躍動で始まり、「主よ、人の望みの喜びよ」で安寧に結ばれるアルバムは、帰結性があり、聴き手を満ち足りた気持ちにさせてくれる。

イタリア協奏曲 (ブゾーニ編)トッカータとフーガ 小フーガト短調 コラール「目覚めよと呼ぶ声あり」 「今ぞ来たれ、異教徒の救い主よ」 「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」 シャコンヌ (ヘス編)コラール「主よ、人の望みよ喜びよ」   (ケンプ編) フルート・ソナタ 変ホ長調 BWV 1031~第2楽章 シチリア―ノ
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.30
★★★★★ 芸術家ニコラーエワの矜持を感じさせてくれる録音
 タチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のコラール等ピアノ編曲集で、様々な作曲家の手による編曲ものが集められている。なお、収録曲中「イタリア協奏曲」については、あきらかに音質が悪く、古い音源であると考えられる。ニコラーエワの同曲の録音としては、1982年のライヴ音源も存在するが、当盤に収録されているものは、それとも異なる。
 「イタリア協奏曲」以外の音源は、1980年にモスクワでスタジオ録音されたとなっているが、表記通りにデジタル録音であったかどうかは疑わしい。とはいえ、そこまで音質は悪くはない。
 演奏は、一言で言うと「泰然自若」。悠然たる歩みで、堂々とわが道を歩むといった雰囲気。これらの楽曲は、編曲者によって、ヴィルトゥオーゾ的な要素が加味されていて、演奏によっては、スピードやスリルで、その華やかさに演出を加える感があるのだが、当演奏はそのような背景とはまったく無縁に、バッハの音楽そのものを語るような雰囲気がある。
 ニコラーエワの演奏は、くっきりした明るさを伴いながら、ゆったりしたテンポを主体とし、ペダルや重々しい低音も存分に使用する。このような演奏スタイルは、バッハが作曲した時代のクラヴィーア奏法では前提とされていなかったものであるが、しかし、その響きは説得力があり、総ての音に、音楽的な蓋然性があって、とても心地よく響いてくるのである。現代ピアノの能力を如何なく発揮し、それでいて聴き味においては決して装飾過多にならず、バッハらしい厳かな空気が連綿と続く。なるほど、これがソ連国内で、長くバッハ作品のピアノ演奏における権威とされてきた人の演奏なのだ、と思わされる。ニコラーエワという芸術家の揺るがない矜持のようなものに触れた気がする演奏だ。
 特に私が心を打たれたのは、ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)が編曲したフルート・ソナタの有名なシチリアーノである。この楽曲をこれほどゆったりと響かせた演奏は、原曲・編曲を通じて、ほとんどないと思うのだけれど、その染み入るような情感は、深く聴き手の心に刻まれていくようで、たいへん心を動かされる。

ゴルトベルク変奏曲
p: フェルツマン

レビュー日:2011.11.4
★★★★★ リピートにどのような自由を与えるか?ある芸術家の思慮の答え
 ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるバッハのゴルトベルク変奏曲。1991年のライヴ録音。モスクワで生まれたフェルツマンは、1967年のコンチェルティーナ国際コンクールで優勝。1987年にはアメリカに移住し、現在まで活躍をしている。
 このゴルトベルク変奏曲であるが、その大きな特徴は2点ある。
・ リピートをすべて行っていること
・ リピート部分で、オクターヴの上下を伴っていること
 フェルツマンは、カノン以外の反復を省略したグールドの歴史的名盤に触れながらも、自身はまず「すべてのリピートを実行すべき」というポリシーを主張する(「結論のみ」で、いささか物足りないのだが・・・)。そして80分近くになる「演奏時間」とともに、反復時の変化量を如何に大きくするかについて考えたようだ。その結果、案出されたのが「オクターヴ移動」である。フェルツマン自身の解説に寄れば、この手法によって、以下の5つの「自由度」を手に入れることができるとしている。articulation(明瞭性)、dynamics(活発性)、ornamantation(装飾)、registration(位置関係性)、”interswitching” of the voices(声部の切り替え)。
 また彼はゴルトベルク変奏曲に2つのミラー構造を見立てるとも書いている。一つは各変奏とその反復の関係。もう一つは、真ん中の変奏曲を中心に両端にアリアが置かれた全体の構造。
 このあたりの考え方は「言ったもの勝ち」といった観もあるのだけれど、とりあえず聴いてみるのがいちばんには違いない。フェルツマンの演奏は技術的に安定していて、ピアニスティックなニュアンスが美しいが、やはり前述の様な取り組みにより、際立って「自由さ」、「独創性」を感じさせるものになっている。反復演奏に、いかにして最初の提示と違う要素を、「音楽が壊れない」ぎりぎりまで盛り込むか、そこに専心しているのだろう。こうして聴いていると、バッハのスコアには書いていないものであっても、一芸術家としてのフェルツマンが「ここまで出来る」一線を示したという気概が感じられる。「解釈」と「演奏技量」の双方を練り上げた一つの結論なのだろう。ときおりまるでオルゴールのように響く高音での反復が、「ああ、いまフェルツマンの演奏を聴いているのだ」と重ねて実感させてくれる。
 一般的に、「異端の面白さ」的な限定的理解となるかもしれないが、この演奏、一聴以上の価値アリと見た。

ゴルトベルク変奏曲
p: タロー

レビュー日:2015.10.26
★★★★★ タローの明快なピアノで、ラテンの明るさを放つゴルトベルク変奏曲
 アレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud 1968-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「ゴルトベルグ変奏曲 BWV.988」。2015年の録音。CDとDVDの双方に全曲が収録されている。
 タローはこれまでにもバロック作曲家の作品のピアノによる録音で素晴らしい成果を挙げてきた。2001年に録音されたラモー (Jean Philippe Rameau 1683-1764)の作品集は、それ1枚でこの作曲家の価値を見直させるほどの優れたものだったし、それに続く2006年録音のクープラン(Francois Couperin 1668-1733)の作品集も私の大好きなアルバム。また、2010年のスカルラッティ(Domenico Scarlatti 1685-1757)のアルバムも素晴らしかった。
 バッハのピアノ独奏曲も、当盤が初めてというわけではなくて、2004年にイタリア協奏曲を中心としたアルバムがあった。このゴルトベルク変奏曲は、それ以来のタローによるバッハの独奏曲録音ということになる。
 一聴して強い印象を受けるのは、響きの明るさである。楽器や録音環境の影響もあるだろうけれど、タローならではの、ラテンを思わせる明るさ。それは明敏で、陰陽のきっきりした音の輪郭からもたらされる作用かもしれない。
 そう、タローのバッハはとても明るいのだ。彼がイタリア協奏曲に続いてゴルトベルク変奏曲を取り上げたのだって、それなりの理由があると思う。バッハの音楽の中でも、明るいラテン的な輝きを感じさせる楽曲たち。タローは自分のこれまで培ってきた領域に近いところにあるバッハ作品から順に、アプローチを繰り広げているのだ。
 さて、私がこのゴルトベルク変奏曲でいちばん好きな録音は、シフ(Schiff Andras 1953-)による2001年の録音である。この録音はバッハの音楽が持つ宗教的なもの、世俗的なものを、それぞれ見事なバランス感覚で歌い上げたもので、聴き味の豊かさ、聴いた後の充実感といい、これまでの録音の中で、少なくとも私にとっては、第一に挙げたい名盤なのである。
 そのシフの名演に比べると、タローのピアノはとてもリアルな響きで、楽器というものをとても意識させるものだ。例えば、左手の繰り返し音型であっても、等間隔で鳴る基音の強弱をかなり明瞭に繰り出し、そこにかなり現実的に現代のピアノの響きを聞き取る。ペダルの効果は限定的に感じられ、これは前述の明瞭な音の粒立ちの背景となるが、そのため、幻想的なものや神秘的なものはやや遠ざけられていて、それがシフの録音との大きな違いに思える。
 その他の特徴として、装飾の自由さを挙げよう。それは、時にかなり多彩な響きを織り込んだもので、タローの創造性を感じさせる。これらはDVDで視聴すると、そのことを踏まえたようなカメラワークがあるので、なかなか楽しめる。後半では声部のオクターブ変更など加えられる。
 タローの輝かしい音は、時に乾いた印象にもつながり、クオドリベットなどは、その風通しの良さが、ちょっと硬い印象になるところもある。
 そうはいっても、左右での軽やかな声部の受け渡し、その合間に、巧みな強弱で周辺部を装飾していく手際の鮮やかさはさすがで、ここにまた、一つゴルトベルク変奏曲の名演が加わったという印象は強い。
 映像もなかなか凝った演出があり、タローのピアノを弾く姿を収めたメディアは多くないので、そういった意味でも、十分に買いのアイテムであると感じる。

ゴルトベルク変奏曲 パルティータ 第2番 イギリス組曲 第2番
p: ソコロフ

レビュー日:2017.4.21
★★★★☆ 武骨と清澄のくっきりした対比を示す演奏
 ロシアのピアニスト、グリゴリー・ソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)は、1966年に開催されたチャイコフスキー国際コンクールで、弱冠16歳にして優勝という輝かしいコンクール歴がありながら、その後、長くその活動は国内に限られていて、世界的に知られるようになったのはペレストロイカ以後ということになる。当アルバムは、そんなソコロフが故郷レニングラード(サンクト・ペテルブルク)で開催したコンサートで弾いたバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の3つの名品がCD2枚に収録されている。収録曲と録音年は以下の通り。
1) ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 1982年録音
2) パルティータ 第2番 ハ短調 BWV.826 1975年録音
3) イギリス組曲 第2番 イ短調 BWV.807 1989年録音
 CD1枚目にゴルトベルク変奏曲の第24変奏まで、他は2枚目に収録されている。
 ソコロフのピアニズムからは、いかにも一時代前の、ロシア・ピアニズム的なスタイルが感じられる。音の強さ、太さ、重さといったものが全体を覆うところが多く、快活な楽曲においても、それを維持したまま疾走するので、聴き手を圧倒するようなパワーを感じる。
 ゴルトベルグ変奏曲では、最初の変奏曲からそのスタイルは明確で、強く速く打ち鳴らされるピアノは、スポーティーに勢いに満ち、一気呵成に進んでいく。この演奏を聴いていると、「武骨」という形容を思いつくが、その一方で、清澄な静寂も聴かれる。その両立がソコロフの芸風ということになるだろう。しかし、私はソコロフの演奏にすっかり没頭は出来なかった。
 CD2枚目は第25変奏から始まる。この変奏曲は、ゴルトベルグ変奏曲全体の中でも、瞑想、耽美といった性格が強く、ピアニスティックな音楽でもある。そのソコロフの弾くのが遅いこと。およそ平均的な演奏1.5倍くらいの時間をかけてソコロフは弾く。この変奏だけで10分近くを要するのだ。それは瞑想の度合いを高めるが、しかし私はこれを聴いて「いくらなんでも」という思いも持った。変奏曲としての連続性が弱くなり、逆に各曲の性格的な弾き分けの効果を弱めているように感じたのだ。何度も全曲を聴いてみたのだけれど、やはり「武骨」と「清澄」の対比に演奏が特化し過ぎているように思ってしまう。二極分布で中間の淡い演奏と言う感じだろうか。
 実は、その感想はパルティータやイギリス組曲でも共通する。いずれも立派な野太い演奏で、サラバンドはじっくり時間を要して弾かれるのだけれど、3曲連続して聴くと、その画一性がなおのこと気になるのである。また、例のスポーティーな変奏や舞曲においても、武骨な荒々しさは、しばしば粗暴さをも感じさせてしまう。
 録音の状態も良いとは言えない。特にゴルトベルク変奏曲では、聴衆のノイズが気になるレベルで入ってしまっている。
 もちろん、そうは言っても、この演奏が最初に書いたような魅力を持っていることもまた事実であろう。逆に、現代でこのような、ある意味中間的なニュアンスを削ったような「厳しい」演奏に挑戦できる人は少ないだろう。そのような意味でも、捨てがたいものを持っている。とはいえ、私は全面的に素晴らしいとは考えず、録音面も含めて、アイテムとしての価値は最高からはやや下がる。

ゴルトベルク変奏曲
p: シェプキン

レビュー日:2019.5.15
★★★★★ 現代楽器でバッハを奏でる意味。シェプキンの見事な回答
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「ゴルトベルク変奏曲 BWV988」。1995年の録音。アメリカのレキシントンに本拠を置いたOngakuという小さなレーベルからリリースされたものだが、このレーベル自体、一連のシェプキンの録音によって、その名がある程度広まったと言える。ただ、投稿日現在では当該レーベルの活動に関する報に接することはできない。
 さて、このシェプキンのゴルトベルク変奏曲、とても面白い演奏だ。グールド(Glenn Gould 1932-1982)とコープマン(Ton Koopman 1944-)から強い影響を受けたという彼の演奏は、華やかな装飾性と快活な弾力性に満ちたもので、現代の楽器の効果を如何なく発揮したそのスタイル。リピートはすべて行っているが、その多くがリピートに際してアレンジを加えられていて、装飾音が変更されたり、時にはオクターヴ単位で音高を移行したりして、奏でられる。テンポは全般に早めであるが、様々な多彩さを引き出す軽やかさがつねにベースにあって、運動的でつねに変化しうる可能性を感じさせる。
 私が持っているCDには、邦文解説があり、当録音に関するインタビューも掲載されている。これがまたとても興味深い内容だ。その一部を書き出してみよう。
 インタビュアーが「古楽演奏家の出現によって(グールドの旧録音のころとは)時代が一変してしまいました。あなたは古楽演奏の司祭のような人から手酷い評価をくだされるという心配はしなかったのですか?」という質問に対し、シェプキンは「古楽演奏がその時代の音楽の響きに近似したものをあなたに与えてくれることは認めざるをえない」と前置きした上で、答えている。
 「演奏とは多様性であり、音楽家の直感を喚起させるようなリサーチに基づいていなければならない」「私のアイデアは、いわばピアノをスーパー・ハープシコードと捉えるという事なのです。ハープシコードよりクリアで引き締まった音を持ち、なおかつタッチや微妙なソノリティーに膨大な数の差異をつけることのできる楽器としてです。どんなに美しい演奏であっても、ソロのハープシコードを1時間も聴いていると、私はうんざりしてくるのです。ハープシコードとは違い、ピアノは私を飽きさせるようなことはけっしてありません」「(私がピアノで演奏するのは)あらかじめプログラムされてしまっているハープシコードの音色の制約から自由になれるし、そしてその自由さこそが、バッハの書いた声部の絡み合いをより厳密にクリエートできるからです。それによってバッハの入り組んでいる難解な対位法に正しく対処することができるのです。」
 このあと、シェプキンは、実際に変奏曲のどのような個所を、ピアノゆえに適切に表現できるかを、たくさん具体例を挙げて示してくれている。興味のある人は、是非当盤を購入の上、目を通されたいと思うが、私の感想は、シェプキンの指摘はとても正確なものに感じられる、と言うに尽きる。実際、ただ譜面通りに弾くというレベルを越えて、声部を「描き分け」て弾き、なおかつ音楽を聴く喜びに満ちたものにする場合、ピアノという楽器の性能の高さは、様々な古楽クラヴィーア楽器を圧倒的に凌駕しているのである。それゆえに、「古楽演奏の司祭のような人」たちには、さながらそれが一種の反則行為のように感じられるのかもしれないが、結果として導かれる音楽の美しさには、いかんともしがたい魅力に満ちたものなのである。
 当盤の記事に目を通したら、あらためてその演奏に耳を傾けよう。なんと豊かで、音楽的表現の意図を追及した、生命感に溢れた音楽に満ちていることか。叙情的な変奏曲における陰影豊かなタッチの妙、鮮やかに色づきながらその役割を交錯させる声部の興奮。そのような美点を、現代のピアノならではの手法で追及した、見事な芸術が繰り広げられている。

ゴルトベルク変奏曲
p: ティーポ

レビュー日:2019.7.2
★★★★★ 現代ピアノならではの手法で積極的に「表現性」を獲得したゴルトベルク変奏曲
 イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「ゴルトベルク変奏曲 BWV988」。1986年の録音。
 マリア・ティーポが録音したバッハは数点あるが、それらは投稿日現在ではカタログ上では生きていなくて、中古市場が唯一の入手方法のようだ。かく言う私も、所持しているティーポの録音は、すべて中古で入手したものだ。実際、このような状況にあると、ネット検索なので、端末から広い情報にアクセス可能なことは、ありがたいと言うほかない。
 それにしても、ティーポの録音は、なぜこれほど、市場価値を見出されていないのだろう。その内容を素晴らしいを思うほどに、解せない現状に嘆息してしまう。
 この「ゴルドベルク変奏曲」も素晴らしいものだ。ただ、その素晴らしさについては、当然ながら人によるだろうし、たしかに現代の時勢を考えると、ティーポの演奏は、あまりにもロマンティシズムに傾倒した自由さを感じさせるものかもしれない。ティーポの演奏からは、作曲当時の楽器的な制約を考慮した設計のようなものは、(少なくとも私には)あまり感じられない。ピリオド演奏全盛の現代にあっては、教条主義的な考え方の聴き手にとって、当演奏は「耐えられない」レベルのものでもあるかもしれない。
 しかし、私は、ぶっちゃけそのような教条主義には、興味の一端はあるが、縛られる必要はまったくないと考えている。いま現在でも、例えばダヴィッド・フレイ(David Fray 1981-)やセルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)といったピアニストたちが積極的に主張するように、バッハの音楽にはロマン性があり、そしてそのことをピアノや現代楽器で主張することは、素晴らしい演奏芸術として、きわめて高い価値をもたらすものなのである。
 ティーポは、様々なアクセントやアゴーギグを駆使し、実に発色性の高い、積極的な演奏を展開する。その音楽は快活で明るく、ラテン的と形容してもよいだろう。そして、そんなゴルドベルク変奏曲を聴くことが、私には実に楽しい。第11変奏における強弱変化、第14変奏における速度変化など、その好例であるが、ティーポは現代楽器であるピアノの性能を駆使して、発色性豊かな音楽を作り上げる。リピートは任意であり、ここでも教条的なルールはなく、演奏者の裁量に委ねられる。
 当演奏の特徴として、ピアノの性能を、静謐さや嫋やかさに発揮するより、はるかに活動的でエネルギッシュなものを獲得するために発揮される方向性に傾いているという点がある。その祭典的でも形容したい華やかさは、それ自体魅力である上に、それらの繋がりにもエネルギー的な躍動を感じさせる。人によっては、この楽曲にそぐわない解釈である、と考えるかもしれないが、私は当演奏をとても気に入っている。

ゴルトベルク変奏曲
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.6
★★★★☆ ニコラーエワ、1979年録音のゴルトベルク変奏曲
 1950年ライプツィヒで開催された第1回バッハ国際コンクールで優勝し、以後ソ連を中心に世界的に活躍し、特にソ連国内ではバッハ演奏の権威とされたタチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「ゴルトベルク変奏曲 BWV 988」。
 ニコラーエワによる同曲の録音は複数存在するが、当盤は1979年の2月にモスクワのスタジオで収録されたもの。なお、当アイテムには「1970年録音」と記載されているが、1979年が正しい録音年とのこと。
 当演奏は、ニコラーエワらしい、ピアノと言う楽器の強弱のダイナミックレンジを目いっぱい使った演奏である。変奏曲ごとにベースとなる音の強さを思い切りよく切り替えて、時にゴツゴツとした味わいとなることも避けないスタイルは、演奏者の意志の強さを感じさせる。そういった意味で、私は、この演奏を、靭なゴルドベルク変奏曲、と形容したい。
 強奏は、特に長調の変奏曲で顕著で、そこでは、旋律線の明瞭できっくりした線引き、声部の弾き分けが実線される。テンポは少し遅めくらいを取ることが多く、インテンポ主体であるが、揺れがないわけでもなく、そういうところにニコラーエワのロマン性が垣間見える。響きそのものは、清澄な雰囲気をもっているため、響きが大きくとも、その味わいには厳かさがあって、この楽曲に相応しい精神性を感じる。
 以上の様に、この演奏には、権威と呼ばれる人が記録したにふさわしいものが感じられる。
 ただ、私の好みで言えば、この楽曲を聴きたいときに、この演奏を好んで取り上げるわけではない。私には、この人の強奏は、ちょっと「強すぎる」と感じられるし、どうしても、より「洗練性」や「叙情性」を味わいたいという飢えが残ってしまう。また録音の問題ではあるが、ところどころ高音が割れ気味になっているのも、音色自体の強さとあいまって、聴きづらさに繋がるところである。
 全体的な雰囲気としては、相応の気配をもった演奏であることは間違いないが、個人的には、この楽曲の代表的録音とまでは、考えない。

ゴルトベルク変奏曲
p: オラフソン

レビュー日:2023.11.10
★★★★★ 現代最高と言えるゴルトベルク変奏曲
 ヴィキングル・オラフソン(Vikingur Olafsson 1984-)による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のゴルトベルク変奏曲 BWV.988がリリースされた。2023年4月に録音されたものが、ただちにリリースされる形となったのは、オラフソンというアーティストの作品を、いち早く享受したいという市場のニーズが形成されたためと見るのは、あながちうがったことではないであろう。
 私も大変な期待を以て聴き、そして聞いた後は、すばらしい満足感に陽たることができた。オラフソンの研ぎ澄まされたタッチは、鮮やかな文様を刻み、その均等なものが集合していながら、全体としては多様に動き、多彩に変わる様は、聴き手に新鮮な喜びをもたらしてくれるもの。すべてのリピートを実行しており、リピートに際して装飾性を高めたり変更したりするような手法をとっていないにもかかわらず、その鮮度は維持され、豊かな情感に満ちている。
 オラフソン自身によると、ゴルトベルク変奏曲は、「ピアノ表現の百科事典」であり、それを録音することは「25年来、考え続けていたこと」だそうだ。オラフソンは最初、ち密な設計図を描こうと、各変奏曲の合理的なテンポ設定を検討した。たしかにバッハのゴルトベルク変奏曲には、全体の設計の中に、数学的な進行や法則が多重に組み込まれている。しかし、それだけでは、求める所には達しなかったそうだ。それは、ゴルドベルク変奏曲の中に「予測不可能なおもの」が内在し、演奏者には、それを含めた上での表現性を求められるからとのこと。
 だが、結果として聴かれるゴルトベルク変奏曲は、いかにもオラフソンらしいものになった、とも言えると思う。彼が積み上げてきたキャリア、例えばミニマル・ミュージックの録音のように、楽曲の輪郭を一部ずつ変化させていくような進行があったり、印象派の作品の録音のように、色彩感に富むスピーディーな変化があったりする。そう考えて聴くと、オラフソンというアーティストがこれまでみせてきた「創造的」と形容したい解釈と、それを可能とする機能性に富んだ演奏スタイルが、今回聴くゴルトベルク変奏曲のありようにおいても、いかんなく発揮されているということになるだろう。
 第3変奏の左右の手があやなす音の交錯、第6変奏の技巧的なパッセージの精妙俊敏な表現、第14変奏の克明にして明晰な音響、第25変奏で暖かくも深く広がる暗がり、そして、壮大なクオドリベットを経て、最後のアリアが始まる瞬間の清浄で厳かな雰囲気。すべてが絶妙で巧妙。
 これこそ現代最高のピアニストの芸術作品であると思わせる1枚となっています。

ゴルトベルク変奏曲
p: コロリオフ

レビュー日:2011.12.9
★★★★★ 「無人島の一枚」と言われた高名なアルバム。でも2枚組です。
 エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハのゴルトベルク変奏曲。1999年の録音。一部のファンの間ではたいへん有名な録音だ。それと言うのも、ハンガリーの作曲家、リゲティ・ジェルジュ(Ligeti Gyorgy 1923-2006)がこの録音を「無人島にもっていく一枚」に挙げ、絶賛したためである。
 ロシアのピアニスト、コロリオフは日本国内では注目度の高いピアニストとは言えないが、1968年のバッハ国際コンクール、1973年のヴァン・クライバーンコンクール、1977年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールでいずれも優勝という輝かしいコンクール歴を持っていて、ちょっと宣伝効果があれば一気にメジャーになれるピアニストだと思う。本人はそんなことに興味がないかもしれないが・・。とくに彼のバッハはオリジナリティがあり、美しい。
 さて、このゴルトベルク変奏曲はどんな演奏か?一言で言うと「ゆっくり」である。これはテンポ設定の遅い部分で顕著な傾向で、例えば最初のアリア(このアリアはゆっくり弾かれることが多いとはいえ)、ここだけで演奏時間は5分を越える。そのため、このアルバムは2枚のCDに分割収録されている。他にも、第13変奏や第19変奏のテンポもちょっと聴いたことがないくらいにゆっくりで、一つ一つの音を噛み締めるように弾いている。私は、このスタイルを聴いていると、エフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants 1959-)をちょっと思い起こす。期せずして同じ名前を持ったロシアの芸術家だ。
 重要なのは、そのテンポによって、なにか重要な価値が提示されたり、感興が引き起こされたりするか・・・ということであるが、コロリオフの演奏はなかなか雄弁だ。例えば第19変奏のスタッカートを聴いているだけで、楽曲の背景色を刻々と変えるような雰囲気は巧妙の一語に尽きる。
 こう書いていると、この演奏、いよいよ遅くて長いというイメージを持たれるかもしれないが、しかし変奏曲によっては通常の速さを感じるテンポ設定をとっているところも多々ある。そういった場所では、むしろ溌剌とした元気な音楽ぶりを示す。
 そしてこのピアニストの解釈以上の魅力が「音色」である。一つ一つ芯まで突き通る音色。明るく、ほどよく反射板の効果を感じさせ、ぶれないまっすぐなガラス細工のような美観だ。第5変奏や第20変奏のような華やかな音楽が、透徹するようなクリスタルタッチで描かれる興奮は、これまたなかなか得難い爽快感。
 コロリオフというピアニスト、音色と解釈を操り、実に完成度の高い演奏芸術を提供している。まさに異才の音楽を聴く喜びを与えてくれるディスクだ。

フーガの技法
p: コロリオフ

レビュー日:2011.12.17
★★★★★ こちらこそが「無人島の一枚」でした。でも2枚組です。
 エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるバッハのフーガの技法。1990年の録音。
 実は、以前自分のレビューで、コロリオフが1999年に録音したゴルトベルク変奏曲を、「ハンガリーの作曲家、リゲティ・ジェルジュ(Ligeti Gyorgy 1923-2006)が“無人島にもっていく一枚”に挙げ、絶賛したもの」と紹介してしまったのだが、その後いくつかのサイトから情報を得たところ、この1990年録音の「フーガの技法」こそが、その賛辞の対象となった録音であったらしいと気付いた。そのため、コロリオフのゴルトベルク変奏曲の自分のレビューには、訂正のためのコメントを追加させていただきました。
 いきなりの自前の訂正で申し訳ない。さて、ロシアのピアニスト、コロリオフは日本国内では注目度の高いピアニストとは言えないが、1968年のバッハ国際コンクール、1973年のヴァン・クライバーンコンクール、1977年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールでいずれも優勝という輝かしいコンクール歴を持っていて、ちょっと宣伝効果があれば一気にメジャーになれるピアニストだと思う。本人はそんなことに興味がないかもしれないが・・。
 バッハの「フーガの技法」は1749年から50年にかけて書かれた「未完の大作」である。未完故にバッハのに存命中に出版されることはなかった。完成部分は4曲のカノンと15曲のフーガからなっている。特定の楽器を想定しておらず、様々な解釈や編曲で演奏される。「音楽の捧げもの」の姉妹作と考えられる。「フーガの技法」はバッハの探求した対位法による芸術作品の究極ともいえる名品。曲の順列については諸説あるが、コロリオフは、ブリティッシュコロンビア大学の音楽学教授バトラー(Gregory Butler)によって提案された「フーガの性格による順列」に基づきながら、かつカノンをバラバラに途中に挿入する形で演奏している。また、未完のフーガについても末尾に収録している。
 演奏を聴いて、とにかく圧巻なのが左右の手によって奏でられる声部の独立性の高さである。コントラプンクトゥス VIや VII(CD1のトラック6と8)など、4つの声部の明瞭な対比、そして相対化が圧巻で、非常に分り易いというだけでなく、超絶的な技巧と響きの美しさで、直接的に音楽を聴く者の興奮に作用している。アップテンポな曲の壮観な堅牢性もさることながら、ゆったりした楽曲での、じっくりした弾きぶり、更には音と音の間隙の意味さえ少しも怠ることのない緊迫感に満ちた音の構成感が見事で、いつのまにか没入するように聴きこんでしまう。フーガの技法という様々に意味深な音楽で、このような哲学や科学、論理性を感じさせる名演に触れることは、これまたクラシック音楽の大きな魅力の一つであろう。

フーガの技法
p: エマール

レビュー日:2008.3.15
★★★★★ 趣に富む見事な「フーガの技法」
 バッハの「フーガの技法」は1749年から50年にかけて書かれた「未完の大作」であり、未完故に存命中に出版されることはなかった。完成部分は4曲のカノンと15曲のフーガからなっている。特定の楽器を想定しておらず、様々な解釈や編曲で演奏される。「音楽の捧げもの」の姉妹作と考えられる。
 「フーガの技法」はバッハの探求した対位法による芸術作品の究極ともいえる名品だ。もちろん未完であることは惜しまれてならないが、ここでエマールは筆の置かれた未完のフーガの最後の一音まで見事な演奏を示してくれる。
 非常に落ち着いた音色から始まる。確実にしっかりと地に根ざしたテンポで堅実に音楽の伽藍を積み上げてゆく。様式性の高い楽曲では、その根拠となる付点等のリズムを明瞭に提示し、かつ滋味のある音色で深みを与える。再現される楽曲の一つ一つが趣き深く大切な価値を問いかけてくる。
 以前、エマールの録音した近現代もの、そしてシューマンやドビュッシーにも感銘を受けたが、ここでエマールの表現技法の上でも、また新たな地平が拓けたように思える。エマール自身、解説でこの作品への思いが自分の中で長く蓄積されたものであり、グラモフォンとの契約を機にその思いを集中して取り組んだと述べていて、なるほど非常に説得力に富む名演である。録音も確かに柔らかめだけど、個人的には悪くないと思う。
 78分以上に及ぶ対位法の世界の果て、突如歩んできた道路が足元から消えてしまうようにこのアルバムは終わる。だがそれが未完ゆえではなく、まるで必然の演出のようにさえ感じられる。演奏が終わったあとも頭の中で美しい楽曲が鳴り続けている・・・

フーガの技法
p: フェルツマン

レビュー日:2013.2.1
★★★★☆ フェルツマンの「広がっていく」音楽を感じさせるバッハ
 ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「フーガの技法」。1996年録音の2枚組。
 フーガの技法はバッハが対位法の限りを尽くした傑作で、1749年から50年にかけて書かれた「未完の大作」であり、未完故に存命中に出版されることはなかった。完成部分は4曲のカノンと15曲のフーガからなっている。特定の楽器を想定しておらず、様々な解釈や編曲で演奏される。
 曲の順番についても、様々な考え方があるが、フェルツマンは、声部の数などから、比較的性格の近いものを集めており、おおむね、CD1枚目の前半は4声のフーガ、後半は3重フーガや2重フーガ、CD2枚目にカノンが集まるようになっている。もちろん、序盤はだいたいこういう順番で弾くことが多い。
 そして、CD2の7トラック目にいわゆる途中で終わる「未完のフーガ」を挿入し、これが突然終わった後に、約1分ほどの空白を入れ、最後にコントラプンクトゥス13の編曲となっている2編(いわゆる13aと13b)を弾いて、アルバムを締めくくる形となっている。最後が未完のまま終わるのが微妙だったための思い付きだろうか。
 演奏は、ややゆったりめのテンポでじっくり弾いている趣。この人特有の装飾音や、付点の味付けはここでも存在感を示していて、音楽に特有の色を与えている。音色は明るい軽めの印象で、これもフェルツマンらしいもの。構成感を綿密に引き出すことより、まず奏者として楽曲を楽しんでいるような風情があるが、しかし、したたかな計算によるものかもしれない。そうであっても、フェルツマンのここでのスタイルは、語弊があるかもしれないが、一言で言って「集約傾向」ではなく、「拡大傾向」に聴こえる。
 特に後半のカノンが続くあたりから、この人の自由な音楽性が快活に出てきて、楽しく聴くことができた。しかし、この崇高な音楽の気配としては、ちょっと異質な雰囲気が漂っているように感じる人もいるかもしれない。
 私個人的には好きな演奏である。しかし、私は、この曲の場合、エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)とコロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)の演奏が圧倒的に忘れがたい。どうしても、これらとの比較という気持ちが入ってしまうため、ここでは自重気味の星4つとさせていただく。

フーガの技法 パルティータ 第2番
p: ソコロフ

レビュー日:2017.5.18
★★★★☆ すこぶる世評の高い演奏ですが・・・
 グリゴリー・ソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「フーガの技法 BWV.1080」と「パルティータ 第2番 ハ短調 BWV.826」を収録したアルバム。1982年録音。フーガの技法では、コントラプンクトゥスを未完のフーガも含めて連続し、その後に4つのカノンを収録するという体裁になっている。
 長くロシア国内で活動を行ってきたソコロフは、その影響で他国での知名度はそれほど高くなかったが、最近になって様々な録音が紹介され、その認知度も一気に高まり、メジャーなアーティストとなった観がある。「今まで広くは知れなかった」という肩書きも、一部の音楽ファンにとっては、魅力的なものとなるだろう。
 このバッハも、世評がすこぶる高い。それで、私も聴いてみた。
 全体的な印象は、きわめて実直で清澄なピアニズムだと感じる。硬質な音で、クリアに声部を浮き立たせ、構造的な「わかり易さ」を示しつつ、味わいは淡麗辛口といったところ。バッハの作品に相応しい精神性を感じる。テンポは全体的には落ち着いた印象だが、楽曲によっては、さらにぐっと控えたものになり、淡々と響かせるように音楽が進んでいく。コントラプンクトゥス9や未完のフーガなどで、その演奏効果は特に高い。
 ソコロフの演奏の中心は、ポリフォニックな線を明瞭に聴き手に伝えることにある。そういった意味で、この演奏は演奏者の目的を高い完成度で果たしたものであり、私はそのことにとても感心する。
 しかし、その一方で気になるのは、あまりにもその一点に表現が集中し過ぎていることである。ポリフォニックな線の強調のために、ソコロフは、しばしばそのレガートを拒絶するようなスタッカート奏法を使用するが、声部の強調に主眼をおくあまり、その音楽的効果があまりにも同じようになりすぎるところがあるし、コントラプンクトゥス2ではリズムの強調によるフレーズの分離が感じられる。また、力いっぱいの強奏は、ところどころ私には大きすぎる。
 私は、この演奏を何度も聴いてみた。その結果、もうひとつ感じた大きな指摘したい特徴は、ある種の「一様さ」である。おそらくこれは、この演奏のフォルテやピアノの種類の少なさに由来する。もちろん、これも前述の目的を達するため、あえてそれ以外のマギレを排したため、とも考えられるのだが、実はその印象はパルティータでも共通だ。ということは、これがソコロフのスタイルであると考えられる。
 そのため、パルティータでソコロフは重々しい響きで、シンフォニックと形容したい重層な演奏を聴かせてくれるが、その一方で、どこか窮屈なところがあって、舞曲としての弾力のようなものがあまり感じられないのである。
 以上、私の場合、「世評がすこぶる高い」という刷り込みがあったせいか、ちょっとマイナスに感じられた面を多く書き過ぎたかもしれないが、十指の独立性の高い動きから導かれる明瞭な線の効果は、前述の様に得難いものであり、もちろん、この演奏の「良さ」も感じさせてはくれました。
 ちなみに、私が「フーガの技法」で良いと思うのは、コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)、エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)の録音で、「パルティータ」ではペライア(Murray Perahia 1947-)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)を愛聴しています。趣味傾向の把握の参考までに。

フーガの技法
p: ニコラーエワ

レビュー日:2021.8.25
★★★★★ 荘厳な空気が満ちた「フーガの技法」
 1950年ライプツィヒで開催された第1回バッハ国際コンクールで優勝し、以後ソ連を中心に世界的に活躍し、特にソ連国内ではバッハ演奏の権威とされたタチアーナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「フーガの技法 BWV 1080」。ニコラーエワによる同曲の録音は複数存在するが、当盤は1967年にスタジオ収録されたもの。ニコラーエワの同曲の録音としては、当盤のほかに、1992年のものと、1993年の亡くなる直前のヘルシンキでのライヴの模様を収めたものがある。
 おそらく、クラヴィーア系の楽器で録音された当曲としては、最初期の録音に属するものになると思われる。ニコラーエワは以下の曲順で、未完のコントラプンクトゥス14まで弾いている。
1) コントラプンクトゥス 1
2) コントラプンクトゥス 2
3) コントラプンクトゥス 3
4) コントラプンクトゥス 4
5) カノン 1 (オクターヴのための)
6) コントラプンクトゥス 5
7) コントラプンクトゥス 6 (フランス様式の4声のフーガ)
8) コントラプンクトゥス 7 (拡大と縮小による4声のフーガ)
9) カノン 2 (5度の対位法による12度のための)
10) コントラプンクトゥス 8 (3声)
11) コントラプンクトゥス 9 (12度における4声のフーガ)
12) コントラプンクトゥス 10 (10度における4声のフーガ)
13) コントラプンクトゥス 11 (4声)
14) カノン 3 (3度の対位法による10度のための)
15) カノン 4 (反進行における拡大による)
16) コントラプンクトゥス 13 (正立と倒立)
17) コントラプンクトゥス 12 (正立と倒立)
18) コントラプンクトゥス 14 (3つの主題によるフーガ)
 ニコラーエワのバッハは、豊かな低音部、ペダルを存分に用いた肉厚さ、強靭な音量などが特徴として言われるが、しかし、この1967年の「フーガの技法」に関しては、それらの特徴は抑えられている。というより、むしろ、感じない。平均律などで聴かれた肉付きの良い音が、この録音では、非常に端正で繊細なタッチに変化しており、第1曲目の背景に感じられる独特の静謐さに、まったく異なった雰囲気を感じるのだから不思議である。おそらく、ニコラーエワにとって、この「フーガの技法」という楽曲は、特別な存在で、厳かで、畏れのある存在として扱われているのではないか。そんな想像をかき立ててしまうくらい、当演奏は、他のニコラーエワのバッハと比べても、ちょっと違う感じがする。
 私の当演奏に関する感想は、この楽曲に宿る一種の神々しさに即した、襟を正した名演奏であると思う。ニコラーエワは、時に旋律の軽重を、より明瞭にするように、くっきりした輪郭線を描き出し、時には声部において、明確な主従を示しているが、それらの解釈は、聴いていて齟齬なく収まり、かつ楽曲全体として、引き締まったスタイルを導いており、結果的に荘厳な空気が、全体を包み込むように感じられる。この楽曲にしばしば感じられる神性のようなものが、明瞭に姿を示している感があり、おもわず傾聴してしまう演奏である。一つ一つの響きは、禁欲的と言っても良く、その制約的な響きゆえの緊迫感が、常に維持されている。いつものニコラーエワであれば、より劇的な踏み込みを行うであろう場所であっても、その緊迫感は維持されており、崇高だ。
 ニコラーエワのバッハを、特別なものとして扱ってきた当時のソ連の聴衆の感じていたことが、当盤を通して、現代の聴き手にも伝わっていくように感じる。

バッハ フーガの技法(トリフォノフによる第14コントラプンクトゥス完成版付き) 主よ、人の望みの喜びよ(ヘス編) シャコンヌ(ブラームス編) コラール「己が平安に帰りて静まれ」   J.C.バッハ ソナタ 第5番 イ長調 op.17-5  W.F.バッハ ポロネーズ 第8番 ホ短調  C.P.E.バッハ ロンド ハ短調 ポロネーズ ト短調  J.C.F.バッハ 「ああ、お母さん聞いて」による変奏曲 "アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳”から
p: トリフォノフ

レビュー日:2021.11.22
★★★★☆ しなやかで、即興性豊かな演奏・・・ただし、メインの「フーガの技法」は、物足りないかも
 ロシアのピアニスト、ダニール・トリフォノフ(Daniil Trifonov 1991-)による、「Art of Life」と題された、J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「フーガの技法」を中心とした2枚組アルバム。収録曲の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) J.C.バッハ(Johann Christian Bach 1735-1782) ソナタ 第5番 イ長調 op.17-5
2) W.F.バッハ(Wilhelm Friedemann Bach 1710-1784) ポロネーズ 第8番 ホ短調 F.12-8
3) C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-1788) ロンド ハ短調 Wq.59-4, H.283
4) J.C.F.バッハ(Johann Christoph Friedrich Bach 1732-1795) 「ああ、お母さん聞いて」による変奏曲
「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」から
 5) 作者不詳 ミュゼット ニ短調 BWV Anh.126
 6) 作者不詳 アリア「わが魂よ、とくと思いみよ」 BWV.509
 7) 作者不詳 メヌエット イ短調 BWV Anh.120
 8) 作者不詳 メヌエット ヘ長調 BWV Anh.113
 9) 作者不詳 ポロネーズ ヘ長調 BWV Anh.117b
 10) 作者不詳 ポロネーズ ニ短調 BWV Anh.128
 11) J.S.バッハ コラール「己が平安に帰りて静まれ」 BWV.511
 12) ペツォールト(Christian Petzold 1677-1733) メヌエット ト長調 Anh.114
 13) 作者不詳 メヌエット ト長調 BWV.Anh.116
 14) C.P.E.バッハ ポロネーズ ト短調 BWV.Anh.125
 15) 作者不詳 メヌエット ハ短調 BWV.Anh.121
 16) シュテルツェル(Gottfried Heinrich Stolzel 1690-1749) アリア「汝が我がそばに居てくれるのなら」 BWV.508
17) J.S.バッハ/ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)編 シャコンヌ
18) J.S.バッハ フーガの技法 BWV.1080 (第5コントラプンクトゥスまで)
【CD2】
1) J.S.バッハ:フーガの技法 BWV.1080(第6コントラプンクトゥス以降)~第14コントラプンクトゥスにトリフォノフによる補筆完成付
2) J.S.バッハ/ヘス(Myra Hess 1890-1965)編 主よ、人の望みの喜びよ BWV.147
 2020年から2021年にかけての録音。
 これまでロマン派の作曲家をレパートリーとしてきたトリフォノフの実績を考えると、思い切り対象を切り替えたジャンルに、いきなり相当量の録音が登場してきた感がある。CD2枚は、バッハの子息たちのクラヴィーア曲、そしてバッハ一家が、バッハの妻に送った当時の楽曲のスコア集(通称「アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳」)からの抜粋、そして、ブラームスがバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータの有名なシャコンヌを、左手演奏用に編曲したものが並び、ついで、アルバムの核と言える「フーガの技法」、末尾に「主よ、人の望みの喜びよ」となっている。さらに、「フーガの技法」の未完の第14コントラプンクトゥスについては、トリフォノフ自身により、その帰結部が書かれており、なかなか特徴豊かなラインナップとなっている。
 まず、全体の感想を書こう。トリフォノフの演奏は、ある程度の自由さをもって旋律を歌わせた、「即興性」を持ったものとなっている。細部まで精巧に研ぎ澄ませた音を用いて、シームレスでなだらかな流れが作られる。対位法の扱いは、声部を等価に扱うというより、主従関係を与え、演奏の中でそれを明瞭にし、音楽的な起承転結を描くというスタイル。全体としてはロマン派の楽曲における彼の奏法が、素直に応用されていると考えられる。私が良いと思ったのは、ブラームスとヘスが編曲した2曲であり、ここでトリフォノフのスタイルは、とても自然で健やかに音楽の喜びや、熱さを表現している。まさにフル・スペックの芳醇な響きといった感がある。
 メインと言える「フーガの技法」は、前述の通り、メロディにしっかりと情感を通わせた演奏であり、かつ、第4コントラプンクトゥスにおけるとても速いテンポや、第6コントラプンクトゥスにおける低音部のオクターヴ移行による強調などわかりやすい特徴を持っているが、全般に、流れの良さを重視して即興的な雰囲気になることによって、この曲のもつ神秘的な側面は、後退した感があり、聴き手によって、好悪を分けかねない演奏に感じる。私個人的には、面白いところもあるが、音色が豊かなわりには、各変奏の性格分けがやや曖昧で、いまひとつ聴いていて興に乗り切れない印象を持った。私がふだんこの曲を聴いているエマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)やコロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)の録音は、私をもう一段深い場所に誘ってくれて、いわゆる「神性」のようなものを感じさせてくれたが、トリフォノフの演奏だと、演奏中の出来事が、もっと周辺的なものになっていて、それがただちに良くないというわけではないが、この曲の場合、物足りなく感じてしまう。トリフォノフ自身の未完の補筆は、低音域にニュアンスを込めて、それなりにうまくまとまっている。ただ、この補筆は、誰がやっても、大バッハの仕事と比較してしまうと、苦しいところが残るのは仕方ないところだろう。トリフォノフの演奏全般が持つシームレスな流れは、「オリジナル・エンディングへ進行が自然に感じる」という点では、奏功していると言えるかもしれない。
 収録されているJ.S.バッハ以外の作品は、「フーガの技法」と一緒に聴いてしまうと、いずれもとても単純な音楽に聴こえてしまうが、トリフォノフは、様々に「尖った」部分を設けて、分かりやすい形で演奏してくれる。ニ短調のミュゼットなど、その演出の効果が楽曲をよく引き立てているし、C.P.E.バッハのロンドは、不穏さの潜むニュアンスが面白い。人によっては、トリフォノフの演奏における表現性の豊かさを、過剰に感じるかもしれないが、私は、これらの楽曲は、いくらか饒舌に演奏する方が良いと思う。演奏が、真面目さに傾き過ぎると、聴いていて面白くなくなるだろう。J.C.F.バッハの「ああ、お母さん聞いて」による変奏曲は、モーツアルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)の「きらきら星変奏曲」と同様に、当時フランスで流行していた恋の歌「ああ、お母さん聞いて」の主題を用いたもの。インスピレーションの豊かさと言う点で、モーツァルト作品と比べると寂しさはあるが、トリフォノフは心地よい運動美をこの楽曲に与えて、生気豊かな装飾性を施してくれる。

前奏曲(前奏曲とフゲッタ ト長調 BWV.902) コラール「今ぞ喜べ、愛するキリスト者の仲間たちよ」BWV.734(ケンプ編) 平均律クラヴィーア曲集第1巻から 第2番 第5番 第10番 オルガン・ソナタ 第4番 BWV.528から第2楽章(ストラダル編) いざ来たれ、異教徒の救い主よ(ブゾーニ編) いざ、罪に抗すべし(オラフソン編) イタリア風のアリアと変奏 2声のインヴェンション 第12番 第15番 3声のシンフォニア 第12番 第15番 ガヴォット(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番ホ長調 BWV.1006から、ラフマニノフ編) 前奏曲第10番ロ短調(前奏曲とフーガ BWV.855a、ジロティ編) 協奏曲ニ短調 BWV.974 主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ (ブゾーニ編) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV.904
p: オラフソン

レビュー日:2018.11.5
★★★★★ 気鋭の芸術家、オラフソンの才気に満ち溢れたバッハ
 アイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソン(Vikingur Olafsson 1984-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のピアノ独奏曲集。収録内容は以下の通り。
1) 前奏曲とフゲッタ ト長調 BWV902 より 前奏曲)
2) コラール BWV734「今ぞ喜べ、汝らキリストの徒よ」 ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)編
3) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第10番 ホ短調 BWV855
4) オルガン・ソナタ 第4番 BWV528 から 第2楽章 ストラダル(August Stradal 1860-1930)編
5) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第5番 ニ長調 BWV850
6) いざ来たれ、異教徒の救い主よ BWV659 ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)編
7) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第2番 ハ短調 BWV.847
8) 罪に手向かうべし BWV54 オラフソン編
9) イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989
10) 2声のインヴェンション 第12番 イ長調 BWV783
11) 3声のシンフォニア 第12番 イ長調 BWV798
12) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006 から ガヴォット ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)編
13) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第10番 BWV855 の前奏曲 ジロティ(Alexander Ziloti 1863-1945)編
14) 3声のシンフォニア 第15番 ロ短調 BWV801
15) 2声のインヴェンション 第15番 ロ短調 BWV786
16) 協奏曲 ニ短調 BWV974 原曲:マルチェッロ(Benedetto Marcello 1686-1739)
17) 主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ BWV639 ブゾーニ編
18) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV904
 2018年の録音。
 これは実に楽しいアルバム。
 オラフソンは間違いなく注目すべき才のある芸術家で、私が最初に聴いたのは、2015年のアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮デンマーク放送交響楽団と協演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音(DIRIGENT DIR-1764)である。アイスランド籍を持つアシュケナージが地元の才能を紹介するという以上に素晴らしい内容で、感心したものであるが、ついでグラモフォン・レーベルから、2016年に録音したフィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)のピアノ作品集でメジャー・デビューを果たした。
 そのアルバムでは、弦楽四重奏曲との合奏版などユニークな編曲スコアを含めて見事なプログラム構成を披露し、私はあらためて感心したのであるが、このたびのバッハもオリジナリティ豊かなものである。
 楽曲を一覧してわかる通り、バッハのオリジナル楽曲だけでなく、自らアレンジしたものも含めて様々な編曲版を含めながら、バッハのオリジナル作品であっても、選曲・構成になみなみならぬ感性を感じさせるものを加え、さらにバッハ自身がマルチェッロのオーボエ協奏曲(「ベニスの愛」のタイトルで有名)から編曲したものを組み合わせて、一つのプログラムに仕立て上げた。その77分間の収録時間は、面白いことの連続だ。
 楽曲は、時に編曲者の嗜好を踏まえロマンティックに響くのだが、まったく違和感なく流れる。これは楽曲の曲順がしっくり言っているという以上に、オラフソンのアプローチの冴えによるもので、バッハのオリジナル曲であっても、編曲ものであっても透明度の高い、音楽の線的な構造を明晰に解きほぐし、そこに適度な肉付けを施したその響きは、どのような音楽であっても、一つの規範のもとに整列したかのような居住まいを感じさせる。バッハの音楽は幾分ロマンティックに、他の編曲はいくぶん古典的に響き、両者が歩み寄ったような地点に見事にオラフソンの芸術が完成している。それは、かつて味わえなかった新鮮さをともなって、私に聴くことの喜びを伝えてくれるのだ。
 アルバムの核と考えられるのが「イタリア風のアリアと変奏」であるが、この美しいメロディが、いくぶん冷たい悲しさを秘めて鳴るのは忘れがたい。それをコントロールするオラフソンのスタイルには、常に鋭利な知性が息づいている。
 どこか一つ代表的なところを挙げるとしたら、「3声のシンフォニア 第15番 ロ短調」を取りたい。俊敏な運動性、鮮やかにほぐれていく声部、添えられるほのかな情緒、そして、それらを束ねて一つの形式性の高い楽曲として提示する感性。すべてき現代的な冴えを感じさせる。
 オラフソンというピアニストの才気を明らかにする1枚となっている。

WORKS & REWORKS
p: オラフソン 他

レビュー日:2019.12.5
★★★★★ アーティスト「オラフソン」が、バッハを探求するアルバム
 きわめてユニークな2枚組のアルバム。2枚のうち1枚目はアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソン(Vikingur Olafsson 1984-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のピアノ独奏曲集で、先に単発売されたものと同内容。そして、2枚目には、「REWORKS」と題して、現代、様々な活動を行っているコンテンポラリー・コンポーザーによるバッハの作品をアレンジしたものを、オラフソンがプロデュース・演奏する形でまとめたものが収録されている。まず、収録内容を記そう。
【CD1】 2018年録音
1) 前奏曲とフゲッタ ト長調 BWV902 より 前奏曲)
2) コラール BWV734「今ぞ喜べ、汝らキリストの徒よ」 ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)編
3) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第10番 ホ短調 BWV855
4) オルガン・ソナタ 第4番 BWV528 から 第2楽章 ストラダル(August Stradal 1860-1930)編
5) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第5番 ニ長調 BWV850
6) いざ来たれ、異教徒の救い主よ BWV659 ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)編
7) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第2番 ハ短調 BWV.847
8) 罪に手向かうべし BWV54 オラフソン編
9) イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV989
10) 2声のインヴェンション 第12番 イ長調 BWV783
11) 3声のシンフォニア 第12番 イ長調 BWV.798
12) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006 から ガヴォット ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)編
13) 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 から 第10番 BWV855 の前奏曲 シロティ(Alexander Ziloti 1863-1945)編
14) 3声のシンフォニア 第15番 ロ短調 BWV801
15) 2声のインヴェンション 第15番 ロ短調 BWV786
16) 協奏曲 ニ短調 BWV974 原曲:マルチェッロ(Benedetto Marcello 1686-1739)
17) 主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ BWV639 ブゾーニ編
18) 幻想曲とフーガ イ短調 BWV904
【CD2】 2018年録音
1) オラフソン For Johann
2) V.シグルズソン(Valgeir Sigurdsson 1971-; アイスランドの作曲家) Prelude, BWV.855a
3) オラフソン Prelude In G Major
4) P.グレッグソン(Peter Gregson 1987-; イギリスのチェロ奏者) Above And Below, B Minor
5) ベン・フロスト(Ben Frost 1980-; オーストラリアのミニマル・ミュージック音楽家) Prelude, BWV.855a
6) バッハ カンタータ 第54番 「いざ、罪に抗すべし」 BWV.54 (オラフソン編)
7) 坂本龍一(1952-) BWV.974 - II. Adagio
8) H.グドナドッティル(Hildur Gudnadottir 1982-; アイスランドの作曲家兼チェロ奏者) Minor C Variation
9) C.バズーラ(Christian Badzura; ドイツの音楽家) ...And At The Hour Of Death
10) H-J.ローデリウス(Hans-joachim Roedelius 1934-; ドイツの現代音楽家)・T.ラビッチ(Thomas Rabitsch 1956-; オーストリアのキーボード奏者) Bach mit Zumutungen
11) S.スヴェリッソン(Skuli Sverrisson 1966-; アイスランドの作曲家) Kyriena
12) バッハ 教会カンタータ「神の時こそいと良き時」BWV.106 から 第1曲ソナティーナ; クルターグ(Kurtag Gyorgy 1926-)による4手ピアノ版
 ピアノ: ヴィキングル・オラフソン 1-7,9-12)、ハラ・オドニー・マグヌスドッティル(Halla Oddny Magnusdottir) 12)
 チェロ: ピーター・グレッグソン 4)、ヒルドゥール・グドナドッティル 8)
 シンセサイザー: ベン・フロスト 5)
 エレクトロニクス: ヴァルゲイル・シグルズソン 2)、坂本龍一 7) 、ハンス=ヨアヒム・ローデリウス 10)、スクーリー・スヴェリッソン 11)
 アンビエント・サウンド: トーマス・ラビッチ 10)
 【CD1】については、私が単発売アイテム(当欄の一つ上のレビュー)に書いたレビューを参考にしてほしい。
 【CD2】には、バッハの音楽を、現代のアーティストたちが、「REWORK」した作品が収められている。オラフソンの感性の豊かさと、バッハの音楽とアンビエントの相性の良さの双方を感じさせるものと言えそうだ。
 電子楽器や電子音とコラボし、再構成されたバッハの音楽は、新たなエネルギー的安定を獲得している。その音響は、ブライアン・イーノ(Brian Eno 1948-)を彷彿とさせるが、全体的に静的な方向性を持ち合わせているといって良いだろう。それは、時としてバッハという大作曲家の存在を見失わせてしまうかもしれないが、代わりに新しい美観が与えられており、REWORKという表現に適った芸術作品になっている。
 オラフソン自身、バッハの音楽を「オープンなもの」と形容しているが、当盤を聴くと、バロック音楽が持つある種の普遍性を再認識させられる。メロディの美しさと、調性移行の形式性が、トランスしやすい親和性を持っているのだろう。そういえば、マルムスティーン(Yngwie Malmsteen 1963-)も「クラシック音楽の中で、自分の興味の対象となるのはバロック音楽のみである」という意味のことを語っていた。バロック音楽は、本質的にボーダーレスな要素を内在しているのかもしれない。
 オラフソンによる、各作品に即したアプローチも聴きモノだ。ここで私は、高橋悠治(1938-)の「ピアノは18世紀のシンセサイザーである」という言葉を思い出した。時に電子加工を踏まえたピアノの響きは、メカニカルでありながら、重音が透明で、和声が明晰であり、情感を伴って伝わる。
 私自身【CD1】を単発売で別に所有しているので、【CD2】も単発売してほしいところではあったが、重複してでも買って聴いてみてよかったと思っている。なかなか楽しめるアルバムだ。不思議な心の安寧を見出す音楽世界が満ちている。
 ・・なお、参考までに、末尾の曲でオラフソンとピアノを弾いているハラ・オドニー・マグヌスドッティルは、オラフソンの妻だそうです。

ブゾーニによるバッハ作品のピアノ編曲集 1
p: デミジェンコ

レビュー日:2011.7.1
★★★★★ ブゾーニによるバッハ作品編曲のステイタスを高めた名盤
 1955年生まれのウクライナ系ロシア人のピアニスト、ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko)によるバッハ作品のブゾーニによるピアノ編曲集。収録曲は以下の通り。
1) トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
2) コラール「われらは汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」BWV.639
3) カプリッチョ 変ロ長調「最愛の兄の旅立ちに寄せて」BWV.992
4) コラール「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」BWV.659
5) 前奏曲とフーガ 変ホ長調「聖アン」 BWV.522
6) コラール「いざ喜べ、愛するキリストのともがらよ、もろともに」BWV.734
7) トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV.564
 録音は1991年。
 非常に画期的な録音である。何が画期的かと言うと、ブゾーニのこれらの編曲作品に光を当てたという点である。ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)はイタリアで生まれドイツを中心に活躍したピアニスト兼指揮者であったが、作曲家としても活動しており、長大にして巨大なピアノ協奏曲などちょっと有名である。加えて彼の作品を特徴付けているのが「編曲もの」で、中でもバッハ作品の「ピアノへの」編曲は、彼のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしての一面を併せてよく伝えるものだ。
 しかし、現代までの流れの中で、これらの編曲モノは一時期傍流に置かれる。かろうじて、シャコンヌとトッカータとフーガがまれに弾かれたくらいで、それもあまりまっとうな芸術的評価を受けたとは言えない。ところが、現代では「シャコンヌ」などピアニストのメインレパートリーの一つになった感がある。多くのピアニストがこれを録音していて、私も聴く機会が多い。
 その契機となったのが、デミジェンコのこの録音だったと言える。刷新たるピアニズム。難所もスピーディーに弾きこなす爽快なテクニックで、ブゾーニの編曲にあるピアニスティックな聴き味を最大限良い方向に引き出している。また、コラール「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」ではかなりゆったりしたテンポで、重々しい雰囲気を醸し出す妙がある。この曲にはリパッティの録音もあるので、比較するとその様相の違いには驚かされるだろう。超有名曲の「トッカータとフーガ」もピアノならではの機動的ともいえる色彩の変化が圧巻で、充実した音楽が横溢する。ただ、デミジェンコの音は時々鋭角的に強く響きすぎるところがあり、そこは気になることは気になるところ。
 とはいえ、プログラムも周到で、ほとんど他に録音のないカプリッチョや前奏曲とフーガを交えて、新しいものを聴く喜びを味わわせてくれることを含めて、良心的な内容で、このディスクの登場した意義深さと合わせて文句無く推薦したい一枚だ。

ブゾーニによるバッハ作品のピアノ編曲集 2
p: デミジェンコ

レビュー日:2011.7.1
★★★★★ ブゾーニの編曲の真価を知らしめる名演
 フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)はイタリアの作曲家・指揮者でピアニスト。作曲はヴィルヘルム・マイヤー(Wilhelm Mayer 1874-1923)に師事している。ピアノの巨匠演奏家でもあった彼は、ピアノ及びピアノを含む作品を多く残した。初期はバッハ、シューマン、メンデルスゾーンの影響を感じさせるものが多いが、その後、ブラームスの影響も目立つようになり、最終的にはリストやワーグナーに対抗する伝統的な様式感を尊重したスタイルに至った。現代では、ブゾーニの功績は、オリジナル作品ではなく、過去の作品のピアノ譜の校訂と編曲にあると言えるだろう。とはいえ、一昔前には、その「編曲作品」ですら正当な評価を受けられないことがあったように思う。しかし、このアルバムを聴けば、これらの編曲が立派な芸術作品であることは、疑う余地がないだろう。
 当盤はブゾーニの編曲に光を当てたニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko)によるバッハ作品のブゾーニによるピアノ編曲第2集。収録曲は以下の通り。
1) 幻想曲、アダージョとフーガBWV.906
2) コラール「来たれ、神にして創造主なる御霊よ」BWV.667
3) コラール「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」BWV.645
4) 前奏曲とフーガ ニ長調 BWV.532
5) 前奏曲とフーガ ホ短調 BWV.533
6) コラール「主なる神、いざ天の御門を開かせ給え」 BWV.617
7) コラール「アダムの堕落によってみな朽ちぬ」BWV.637
8) コラール「あなたのうちに喜びがある」BWV.615
9) コラール「われらが救い主、イエス・キリスト」BWV.665
10) シャコンヌ
 録音は、これらの作品群にあらたな魅力を吹き込んだ記念碑的第1集以来10年ぶりの2001年。
 やや遅めのテンポを主に歌い上げたコラール集が美しい。「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」「アダムの堕落によってみな朽ちぬ」「われらが救い主、イエス・キリスト」の3曲は強く印象に残る。これらの作品ではピアノという楽器の音色の絶対的な美しさを極限まで引き出した感があり、ブゾーニの名編曲に応える仕上がりだと思う。
 また、両端に収められた「幻想曲、アダージョとフーガ」と「シャコンヌ」も見事。幻想曲は冒頭から音楽の鮮やかな勢いが途切れることなく細やかに紡がれていて瑞々しい。また中間部のアダージョの荘厳さはピアノらしい音程の確かさを伴って、直線的な美観をまとっている。末尾のシャコンヌはいまや一般的なレパートリーとなった作品だが、デミジェンコは遅めのテンポでじっくりと弾いており、適度な強弱により弛緩のない緊張感を保っている。やや鋭角的な和音の響きもあるが、バランスのよい録音で、中庸の暖かさが得られているだろう。これらのブゾーニの編曲の真価を示した録音として高く評価されるべきだろう。

ナウモフによるバッハ作品のピアノ編曲集
p: ナウモフ

レビュー日:2015.7.3
★★★★★ ピアノ独奏で聴くバッハの崇高な旋律美
 ブルガリアのピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)が自らバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品をピアノ独奏用に編曲して録音したアルバム。録音年はCDにも記載されていないが、Cマークが1990と表示されているため、1989年頃の録音だと思われる。収録曲は以下の通りで、収録時間は63分強。
1) パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582
2) コラール前奏曲「おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け」 変ホ長調 BWV 622
3) 前奏曲とフーガ ホ短調 BWV 533
4) ヨハネ受難曲 BWV245から 第19曲 アリア「見よ わがたま 苦き喜び」
5) 前奏曲とフーガ イ長調 BWV536
6) マニフィカト ニ長調 BWV243から 第10曲 「僕(しもべ)イスラエルを」
7) 教会カンタータ「候妃よ、いま一条の光を」 BWV198 から  第2部 合唱「されど候妃よ、御身は死にたまわず」
8) カンタータ 第147番「心と口と行いと生きざまもて」 BWV147から 第10曲 コラール合唱「イエスは変わらざるわが喜び」
9) オルガン曲「いざ来たれ異教徒の救い主よ」 BWV599
10) カンタータ 第202番 「消えよ、悲しみの影」 BWV202 から 第1曲 アリア「消えよ、悲しみの影」
11) カンタータ 第127番「魂はイエスの御手に憩うています」 BWV127から 第3曲 アリア「魂はイエスの手にて憩う」
12) マタイ受難曲 BWV244から  第49曲 「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」
13) 前奏曲とフーガ 変ロ長調 BWV544
 ナウモフは、現代のピアニストの中でも、特に編曲のジャンルで優れた才能を持った人だ。私も、これまで彼がピアノ独奏用に編曲したフォーレ(Gabriel Faure, 1845-1924)の「レクイエム」やストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)の「火の鳥」、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の「ロメオとジュリエット」など、とても楽しませていただいた。
 このバッハは、楽しむというより、とても神聖な雰囲気の漂うピアノを堪能させてくれたアルバム。バッハのピアノ編曲というと、ブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)による一連の作品がとても有名なのだけれど、ブゾーニの編曲が、鍵盤作品中心だったのに比し、ナウモフはカンタータ等の声楽作品をメインにしている。バッハの膨大な声楽曲をなかなか聴く機会を得ない人には、これらの旋律に接するきっかけとなるかもしれない。
 ナウモフの編曲は透明感がありながら、思い切って鍵盤のダイナミックレンジを存分に使ったもの。冒頭のオルガン曲の極低音による冒頭も、ストレートに表現している。旋律を明晰に保ちながら、重要なモチーフはすべて拾い上げるという徹底ぶりなので、相応の技巧が求められる編曲とも言えるだろう。
 静謐で神秘的な性格の楽曲が多い。特に「消えよ、悲しみの影」といった「愛ゆえに 我が救い主は死に給う」清澄な、祭壇に響き渡るような楽曲を経て、その雰囲気を引き継ぎながら最後の「前奏曲とフーガ 変ロ長調 BWV544」が開始され、雰囲気を高めてフィナーレに結び付くのは、このアルバムの構成の妙を示すところだろう。3曲収められた前奏曲とフーガの配列も構成感を高めている。華やかなイ長調を中間部において、アルバムの前半と後半の結節点のような役割を持つ。
 「イエスは変わらざるわが喜び」は「主よ、人の望みの喜びよ」の名で広く知られる楽曲。ナウモフの新たな編曲は、特に斬新ではないが、ナウモフの演奏と相まって、輪郭の鮮明さにより凛々しさを感じさせるもの。
 演奏効果という点では、やはり冒頭曲が荘厳でダイナミック。オルガン曲としても有名だが、経過的なフレーズを一つ一つ克明に打ち出していくナウモフのアプローチは、私にはとてもこの楽曲に相応しいものに感じられた。
 新たなバッハの魅力の発見にもなる、素敵なアルバムです。

管弦楽組曲-ピアノ編曲版
p: コリー

レビュー日:2015.2.20
★★★★★ バッハに新たなクラヴィーア曲が出現?!充実したコリーによるピアノ編曲
 スイスのピアニスト、カール=アンドレアス・コリー(Karl-Andreas Kolly 1965-)は、そのキャリアの中で、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のクラヴィーア曲を中心的に取り上げてきて、一通り有名な作品を録音し終えている。そんな彼が、新たにその録音領域として開拓したのが、バッハの管弦楽組曲をピアノ独奏用に編曲した作品となった。当盤には4曲の管弦楽組曲すべてが、ソロ・ピアノによって収録されている。2014年録音。
【CD1】
1) 管弦楽組曲 第1番 ハ長調 BWV1066
2) 管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
【CD2】
3) 管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
4) 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV1069
 ピアノ編曲はいずれもコリー自身によるもの。
 コリーによると、これらの作品のピアノ編曲は、これまでにも何人かの音楽家によって手がけられたらしい。コリーは、それらの楽譜を入手し、研究した上で、あらたにすべての楽曲の編曲を行った。現時点で、この編曲はコリーの頭の中にのみ存在し、スコアにはしていない、とのこと。しかし、なかなか見事な編曲となっているので、私は是非にもスコアの出版も望みたいと思う。
 その肝心の編曲であるが、コリーの試みは、1小節もカットせず、オーケストラに与えられた音を可能な限り拾う、という一種の忠誠的な使命感に従っているようだ。そのため、演奏難易度もかなり高いものになっていると思われる。加えて、演奏にあたっては、各音の位置づけを吟味し、総和的な効果と、単音的な効果を慎重に図って奏でているようだ。
 全体的に、厚みの豊かな響きになっているのが特徴だ。例えば、管弦楽組曲第2番は、フルートという単音楽器がソロ楽器として、主題をつかさどる役割を持つが、その肉付けの音をないがしろにせず、むしろピアノという楽器の特性を活かして、和音を司る他の楽器の音をそれなりの重みで付随させている。そのため、聴き味は、「フルートと管弦楽の作品」というより「合奏曲」を彷彿とさせる厚みを感じさせる。ポロネーズなどわかりやすいところだ。
 一方で、そのような多様な技術を必要とする編曲であったため、運動性は若干弱まっているようにも感じられる。ブーレのような舞曲は、管弦楽版に比べると、少しもっさりした印象だ。
 しかし、当盤を単純にバッハのクラヴィーア作品として聴いた場合、少なくとも私は大きな齟齬は感じないし、とても充実した音楽を聴いたという実感を得ることが出来た。バッハの原曲が素晴らしいことは、今さら言うまでもないが、コリーの編曲と演奏も、きわめて優れたものであるに違いない。
 これほどの編曲・演奏能力があるのであれば、是非、他のバッハ作品にも、同様の挑戦を継続してほしい。

(レーガーによる4手のためのピアノ版)ブランデンブルグ協奏曲 全曲 パッサカリア ハ短調 BWV.582 トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV.552「聖アン」
ピアノ・デュオ・タカハシ・レーマン

レビュー日:2019.12.12
★★★★★ 4手ピアノで聴く「ブランデンブルク協奏曲」がもたらしてくれる新たな喜び
 高橋礼恵(Norie Takahashi 1969-)、ビョルン・レーマン(Bjorn Lehmann 1973-)夫妻の“ピアノ・デュオ・タカハシ・レーマン”によるJ.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品をレーガー(Max Reger 1873-1916)が「4手のピアノ版」に編曲した楽曲を集めた2枚組のアルバム。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1) ブランデンブルク協奏曲 第2番 ヘ長調 BWV.1047
2) ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV.1050
3) ブランデンブルク協奏曲 第1番 ヘ長調 BWV.1046
4) パッサカリア ハ短調 BWV.582
【CD2】
5) トッカータとフーガ ニ短調 BWV.565
6) ブランデンブルク協奏曲 第4番 ト長調 BWV.1049
7) ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調 BWV.1051
8) ブランデンブルク協奏曲 第3番 ト長調 BWV.1048
9) 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV.552 「聖アン」
 3)は2016年、他は2019年の録音。
 このアルバムを聴いて、私は、なにか音楽芸術の精神性やバッハ作品ならではの崇高さに打たれたというわけではない。そうではないのだが、とても感心して、とても楽しんだ。また、それだけでなく、発見も多かった。
 まず、一つ端的に言えるのが、レーガーの編曲の見事さである。レーガーの編曲は、バッハがこれらの作品に織り込んだ声部や伴奏を、こまかに選別し、聴く限りほぼ余すことがないような手法で、4手のピアノによる表現に還元している。その巧みさは驚くべきもので、これらの楽曲の構造が設計図のように浮かび上がる感じがした。当然のことながらブランデンブルク協奏曲のように、本来様々な楽器が声部や伴奏を受け持つ楽曲は、ハーモニクス効果に代表される各楽器の音響上の特色を踏まえた効果を念頭に書かれている。このスコアをピアノに委嘱する場合、たしかに分かりやすくはなるのであるが、演奏効果が失われるため、代替するピアニスティックな装飾を施すのであるが、レーガーの編曲は実にまっすぐ。ただし、それゆえにかなりの技巧的難易度を要求するものともなっている。
 ここで次に感服するのが、ピアノ・デュオ・タカハシ・レーマンの忠実な再現ぶりである。表現の幅をいたずらに広げず、音楽の緻密さをキープし、それでいて、楽曲の起伏にそったこまやかな機微があり、音楽として不毛なものとなってしまうような恐れがない。安心感とともに愉悦性を感じさせてくれる見事な演奏である。もちろん、それを可能としているのは、前述の技巧的難易度、それには4手による演奏特有の難しさもあると想像されるが、それを克服する2人の絶対的な演奏技術があってのことだろう。ブランデンブルク協奏曲集の中では、特に第1番と第3番の終楽章が、落ち着きの中にリズムの華やかさが満ちていて、聴き手に至福の時間をもたらしてくれる。また、このアレンジと演奏により、ブランデンブルク協奏曲という曲集のことを、より深くまで知れるように感じる人も多いに違いないと思う。とても魅力的なアルバムである。
 オルガン曲を編曲した追加収録曲も、編曲・演奏の双方の妙が楽しめるだろう。

オルガン作品集 第1巻
org: フォーゲル

レビュー日:2015.2.12
★★★★☆ バッハの初期オルガン曲集
 ドイツのオルガン奏者で、オルガン研究家でもあるハーラルト・フォーゲル(Harold Vogel 1941-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のオルガン作品集。バッハの作品としては初期のものが集められている。1991年録音。収録曲の詳細は以下の通り。
1) 幻想曲 ト長調 「ピエス・ドルグ」 BWV572
2) パストラーレ ヘ長調 BWV590
3) コラール「高い天よりわれは来たり」 BWV700
4) コラール「高き天よりわれは来たり」 BWV701
5) トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 BWV564
6) コラール「讃美を受けたまえ、汝イエス・キリスト」 BWV723
7) コラール「讃美を受けたまえ、汝イエス・キリスト」 BWV722
8) コラール「われらのキリストのともがら」 BWV710
9) コラール「甘き喜びのうちに」 BWV729
10) パルティータ付サラバンド ハ長調 BWV990
11) 幻想曲 ハ短調 BWV deest
12) プレリュードとフーガ ト短調 BWV535、BWV535a
 ただし、6)については、最近の研究ではバッハではなく、ヴァルター(Johann Gottfried Walther 1684-1748)あるいはパッヘルベル(Johann Pachelbel 1653-1706)の作品と考えられている。また8)についても、クレブス(Johann Ludwig Krebs 1713-1780)の作品であるという説がある。10)はリュリ(Jean-Baptiste Lully 1632-1687)のオペラ「ベレロフォン」の序曲による作品。
 バロックから現代へ向けて楽器の変化が著しかったクラヴィーア作品の場合、使用楽器が注目されるが、オルガン作品ではそのような問題は少なく、古来の様式にのっとった響きとなる。とはいえ、フォーゲルの演奏は慎ましやかな印象があり、典雅だけれど、どこか素朴で、そのため古風然とした雰囲気が漂っている。音色も芳醇なものではなく、スリムな味わいだ。BWV701の堂々たる旋律も、どこか自然な味わいがあり、この曲で示されるこまやかな音型の描写は、フォーゲルのスタイルに合致して瑞々しい。
 3部からなるBWV572でも「非常に速く」と指示された第1部が、繊細かつなめらかに奏でられるのが好ましいと感じる。BWV535、BWV535aのフーガも同様だ。他方でバッハの代表作の一つとして知られるBWV564などは、いかにもあっさりした味わいで、聴き手によっては物足りなさを残すかもしれない。
 ちなみに、日本で妙に人気があるのは、BWV590だろう。4つの部分からなる作品だが、そのうち第3部に相当する部分が、「ルパン三世 カリオストロの城」という映画の結婚式のシーンで用いられた。映画自体が人気作品である上に、なかなか冴えた選曲だったこともあり、多くの人が知っている曲となった。フォーゲルの慎ましい響きで、いかがでしょうか。

無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティータ 全曲
vn: クレーメル

レビュー日:2006.1.8
★★★★★ ソナタとパルティータ、ともに第2番が深い名演奏!
 ギドン・クレーメル2度目の録音となるバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ全曲だ。
 非常に深刻で真摯な演奏である。必要以上の歌を極力排除し、ヴィブラートなどの装飾性をおさえ、やや速めのスピードを保つ。和音は荘厳に重く響き、ストレートにスリリングにエネルギーを放つ。その集中力と息詰まるほどの濃い諸相は、ある意味現代ヴァイオリンによるこれらのバッハの作品の究極点的演奏といえる。弓から弦に直接伝わる膂力は、そのまま力強くスピーカーを通して、聴き手にまっすぐ伝えられる。
 オリジナル楽器により、典雅に軽快に奏されたシギスヴァルト・クイケンと対照的な演奏といっていいだろう。
 さて、そのような演奏スタイルは、特にソナタ第2番とパルティータ第2番で成功しており、その深淵を覗くような鳥肌のたつ感じがある意味ヤミツキになりそうだ。
 一方でソナタ第3番やパルティータ第3番のような華やかで、より古風な舞曲的作品では、やや作品との距離感に違和感を憶えるのも事実。これは仕方のないところか。

無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティータ 全曲
vn: クイケン

レビュー日:2015.2.9
再レビュー日:2019.1.18
★★★★★ 神との対話を思わせるクイケンのヴァイオリン
 ベルギーのヴァイオリニスト、シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken 1944-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲。ピリオド楽器を使用した演奏。1999年から2000年にかけての録音。クイケンには1981年の録音もあるので、これらの楽曲の録音は当盤が2度目。当盤の収録曲の詳細と収録順は以下の通り。
1) ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
2) パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
3) ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
4) パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
5) ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
6) パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
 とても美しい録音だ。私は、ピリオド楽器による演奏を、必ずしも歓迎するわけではないのだけれど、このクイケンの演奏はとても美しいと思う。不思議な温もりのある、自然光のような柔らか味を持った演奏だ。
 ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832)はバッハの音楽について「天地創造の直前に行われた神自身との対話のようだ。」と評した。私が、この言葉から最初に思いつくのはこの曲集だ。楽器本来の機能として多重和音を鳴らすことを考えないヴァイオリンただ一艇に、主題と対位を同時に進行させ、かつ「音楽」たらしめた偉業。ヴァイオリニストがただ一人で立ち向かう孤高の高みに、人間には到達しえない神的な世界を垣間見たとしても、不思議ではないだろう。バッハのようにきわめて限られた真の芸術家にのみ作りえた世界である。
 クイケンは、この崇高な曲集に、思いのほか即物的な方法で立ち向かう。そこで行われているのは、一艇のヴァイオリンへの、ひたすらな自己投影である。それは、ほとんど夾雑物のない、人間のもっとも純粋な芸術活動に感じられる。
 運動性に富み、構造が綺麗に再現されることで、バッハの音世界が、自然の中から湧き上がってくる。その演奏に、私はなぜか「敬虔」という単語を思いついた。それは、私に、熱心なプロテスタントであり、数多くの教会のための機会音楽を作曲したバッハのイメージが念頭にあるからだろうか?しかし、この演奏はそういった概念をつきぬけるようほどに自然で、演奏家の作為が感じられない。それでいて、永遠と思えるような楽器の音の美しさに、深い感動を味わうのである。
 最近ではイザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)の崇高な精神性を感じさせる名演もあった。他にも古今多くの名演に事欠かない作品群ではあるけれど、私にとってこのクイケン盤は、決して忘れえない名演となっている。
★★★★★ 素晴らしい音楽体験を味わったアルバム
 シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken 1944-)による、1999-2000年録音の、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲。
 この録音について、いまさらコメントしなくても、とも思うが、長いこと私の愛聴盤の一つであり、2019年になってからも何度か聴いていてそのたびに、心が洗われる思いがするので、あらためて書いてみよう。
 基本的に、私はピリオド楽器による演奏に関しては、あまり積極的に聴くタイプではない。例えバッハの作品であっても、私が好んで聴くものは、多くが現代楽器による演奏だ。現代楽器の音の強さ、輝かしさ、多様な表現量は、そもそものスペックでピリオド楽器を大きく上回るし、加えて安定感という点ではくらぶべくもない。その結果、現代楽器の方が、表現者が「意図したもの」を、よりはっきりと、フィルターを介さず、聴き手は受け取ることが出来る。私は、演奏者の芸術に触れ、その感性や考え方に接したいと強く思う。必然的に、感度の高い現代楽器による演奏を好む。
 だが、このクイケンのバッハは違う。なにが違うのか。これはあくまで私の感想であるが、ここで聴かれるヴァイオリンは、ひたすらなバッハの音楽、そして楽器そのもにに対する演奏者の献身が感じられる。それは、私が普段希求してやまない、演奏者の芸術表現というものと、なにか異なる方向性がある。
 もちろん、そのような献身性を感じさせる演奏は、現代楽器をもちいた演奏においても、まま接する。最近ではそういう機会が増えているようにも思う。ただ、そのような演奏の中には、かなりの割合で、楽譜に忠実、なのかもしれないが、おしなべて同じような印象になって、面白くない、と感じることになるものが含まれている。
 だが、このクイケンの演奏は、それらとはまったく違う。おどろくほどピュアな「価値あるもの」を感じさせる。私は、最初にこの演奏を聴いたとき、その自然なやわらかな響きと、健やかで快活なテンポに浸っているうちに、驚くほど深い音楽体験を味わったと感じた。それが何であるか、と具体的に言葉にすることは難しい。あるいは、バッハのこれらの作品が、あまりにも神がかっていて、完璧すぎるために、演奏者が自我をこよなく透明に近づけた瞬間に、なにか突然に感じられるものがあったのかもしれない。
 演奏技術は確かに見事なのだが、その技術は自己顕示のためではなく、一切がただ楽器を用いた作品との対話に用いられる。その対話の中でかわされる情報が、音楽的洗練を高め、浄化を感じさせる作用をともなって立ち現れる。それは無機質や無感動とはまったく異なる豊かな質を帯びたものだった。
 その感動を味わって以来、私はこの演奏を何度も何度も聴いている。今も聴いているし、これからも私の愛聴盤であり続けるに違いない。

無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティータ 全曲
vn: ミンツ

レビュー日:2022.8.10
★★★★★ 流線形のフォルムを感じさせる柔らかなバッハ
 ロシア出身のイスラエルのヴァイオリニスト、シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz 1957-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏ヴァイオリンのための作品集。収録内容は下記の通り。
【CD1】
1) ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
2) パルティータ 第1番 ニ短調 BWV1002
3) ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
【CD2】
4) パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
5) ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
6) パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
 1983年から84年にかけての録音。
 これらの作品群は、あらゆるヴァイオリニストにとって至高の作品であることは間違いないが、ミンツは20代のうちにこれらの作品の録音を行い、以後投稿日現在まで再録音はされていない。ミンツ自身が、当録音にあたっては、数えきれないほどのテイクを行って完成にたどり着いたことを語っており、最終的に完成されたものに、相当納得のできる内容であったのだろう。
 その演奏は、速やかかつ柔らかなものと言って良い。速やかというのは速度が速いというわけではなく、その流線形を思わせる音のフォルムが、非常に抵抗感の少ない自然な流れを導いていることを示している。テンポ自体は、落ち着いた感じであり、急くようなところはない。
 ミンツの響きは、いつものようにしなやかで、雑味がなく、普通の演奏であれば、もっと力感を強めるようなところであっても、むしろ爽やかといいたいほどのしなやかな流れを維持して進む。耳当たりは心地よく、長時間聴いても疲れないところば美点であるが、逆に言うと、この演奏に無個性的なものを感じる人もいるかもしれない。
 しかし、例えば三和音の響きの鮮やかさなど、ミンツならではのものであり、それゆえにタメをほとんど作らずに進む流麗さに、私は特有の美を感じ、魅力的だと思う。
 「流れの良さ」という点では、各色の終楽章にその傾向は端緒に示されていて、例えば、ソナタ第3番の終楽章のアレグロ・アッサイなど、その均等的な間合いと、それでいて音楽的な細やかな味わいの同居が見事で、スルスル進みながら、それがなんとも心地よく届く。対位法は明晰に処理されており、声部のコントラストはくっきりとした強弱の差で描かれているのだが、凹凸感はそこまで感じさせない。一言で言うと、まとまりが良い。
 以上の様に、私はこの録音を気に入っている。
 ただし、これらの曲集には、古今名演と呼ぶにふさわしい数々の録音があるので、中でもこれを、というところまでではない。この録音に、何か足りないものを指摘するとすれば、一種の神々しさ、荘厳さといったものかもしれない。もちろん、それは聴き手の感性によって、感じ方の異なるものではあるのだが、より力強い圧のようなものが欲しいと思う人も、それなりに居ると思う。

無伴奏器楽曲集
vn: ミンツ vc: マイスキー g: セルシェル

レビュー日:2022.8.26
★★★★★ バッハの無伴奏器楽独奏作品を集めた6枚組Box-set
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏の楽器独奏のための作品の録音を集めたBox-set。収録内容は以下の通り。
【CD1,2】 無伴奏ヴァイオリンのための作品集
1) ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
2) パルティータ 第1番 ニ短調 BWV1002
3) ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
4) パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
5) ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
6) パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
【CD3,4】 無伴奏チェロのための作品集
1) 組曲 第1番 ト長調 BWV 1007
2) 組曲 第4番 変ホ長調 BWV 1010
3) 組曲 第5番 ハ短調 BWV 1011
4) 組曲 第3番 ハ長調 BWV 1009
5) 組曲 第2番 ニ短調 BWV 1008
6) 組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012
【CD5】 無伴奏ギターのための作・編曲集 1983-84年録音
1) 組曲 ト短調 BWV.995
2) 組曲 ホ短調 BWV.996
3) 組曲 ハ短調 BWV.997
4) 前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998
5) 前奏曲 ハ短調 BWV 999
6) フーガ ト短調 BWV 1000
【CD6】 無伴奏ギターのための編曲集 2)のみ1981年、他は1991年録音
1) 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV 1005(ギター版 変ロ長調)
2) 組曲 ホ長調 BWV.1006a/1000(ギター版 変ホ長調)
2) 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007(ギター版 変ホ長調)
3) 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV 1008(ギター版 ハ短調)
4) 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012 から 第4曲「サラバンド」と第5曲「ガヴォット」 (ギター版 両曲とも変ホ長調)  【CD1,2】のヴァイオリン独奏は、ロシア出身のイスラエルのヴァイオリニスト、シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz 1957-)。【CD3,4】のチェロ独奏は、ラトヴィアのチェリスト、ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky 1948-)、【CD5,6】のギター独奏、編曲は、スウェーデンのギター奏者、イェラン・セルシェル(Goran Sollscher 1955-)。
 Box-setとして良い企画だと思う。これらの無伴奏作品は、バッハの創作活動における象徴的かつ代表的なものであり、それらが高品質な録音・演奏で併せて聴けるのは、良い機会になるし、原曲と編曲の関係にある2作品を併せて聴くこともできる。以下、各録音ごとに感想を書く。
 ミンツは20代のうちに【CD1,2】の録音を行い、以後投稿日現在まで再録音はされていない。ミンツ自身が、当録音にあたっては、数えきれないほどのテイクを行って完成にたどり着いたことを語っており、最終的に完成されたものに、相当納得のできる内容であったのだろう。その演奏は、速やかかつ柔らかなものと言って良い。速やかというのは速度が速いというわけではなく、その流線形を思わせる音のフォルムが、非常に抵抗感の少ない自然な流れを導いていることを示している。テンポ自体は、落ち着いた感じであり、急くようなところはない。ミンツの響きは、いつものようにしなやかで、雑味がなく、普通の演奏であれば、もっと力感を強めるようなところであっても、むしろ爽やかといいたいほどのしなやかな流れを維持して進む。耳当たりは心地よく、長時間聴いても疲れないところば美点であるが、逆に言うと、この演奏に無個性的なものを感じる人もいるかもしれない。しかし、例えば三和音の響きの鮮やかさなど、ミンツならではのものであり、それゆえにタメをほとんど作らずに進む流麗さに、私は特有の美を感じ、魅力的だと思う。「流れの良さ」という点では、各色の終楽章にその傾向は端緒に示されていて、例えば、ソナタ第3番の終楽章のアレグロ・アッサイなど、その均等的な間合いと、それでいて音楽的な細やかな味わいの同居が見事で、スルスル進みながら、それがなんとも心地よく届く。対位法は明晰に処理されており、声部のコントラストはくっきりとした強弱の差で描かれているのだが、凹凸感はそこまで感じさせない。一言で言うと、まとまりが良い。ただし、これらの曲集には、古今名演と呼ぶにふさわしい数々の録音があるので、中でもこれを、というところまでではない。この録音に、何か足りないものを指摘するとすれば、一種の神々しさ、荘厳さといったものかもしれない。もちろん、それは聴き手の感性によって、感じ方の異なるものではあるのだが、より力強い圧のようなものが欲しいと思う人も、それなりに居ると思う。
 【CD3,4】のマイスキーのバッハは、明るく軽やかな演奏で、自由な抑揚により、浪漫性を漂わせたものと言えるだろう。バッハの音楽ゆえの声部の維持や持続性も備えているもの、奏者のアイデアに基づくアクセントが織り交ぜられ、全体として、独特の言い回しを感じさせる。響きは緩やかで柔らかく、聴き味はスマートで、第6番のプレリュードなどでも、高音部であっても、しっかりと、芯と輝かしさのある響きを繰り出している。その一方で、バッハの楽曲のもつ荘厳さは、やや抑えられた印象。第1番のジーグでは、プレリュードから早目の明るいソノリティが印象的だが、ジーグまで進むと、その自由な表現性は幅を増しており、奏者の解釈幅の大きさを実感する。第4番はゆったりとしたテンポを主体としているのが特徴で、そのテンポゆえの情緒を膨らませた表現を刻み込んでいる。第3番は力強い冒頭が印象的。第6番は前述したプレリュードの壮麗さが見事で、当録音全体を通じて、特に印象に残る部分だろう。第6番では、他の舞曲も明るい躍動感が特に顕著だと思う。全体的に自由度の高い解釈であると感じられるが、バッハらしい明晰な声部の弾き分けは、巧みにこなしており、マイスキーの解釈がうまく吸収された感がある。テンポも緩急豊かではあるが、落ち着きをなくしたり、過度にアグレッシヴになったりするわけではないので、全体に心地よく聴き通して疲れないのが美点だ。実際、名作とはいえ、チェロ一本の楽曲を2時間以上続けて聴くのは、そういうことが好きな私でも、多少気の逸れることがあるのだけれど、この演奏は、適度な面白味があって、「お、こんな風に弾くんだ」というところもあちこちあって、いつのまにか全曲を聴き通していた。慥かに荘厳さ、雄弁さといった点で、他の名録音と呼ばれるものと比べて、遜色ないわけではないが、マイスキーのスタイルで弾かれたバッハには、相応の魅力があり、私には良い音楽体験となった。
 【CD5,6】でセルシェル(Goran Sollscher 1955-)が用いているのが11弦ギターである。私はギターには不詳なのだが、現代、通常のいわゆるアコースティック・ギターは、6本の弦により演奏される。イエペス(Narciso Yepes 1927-1997)が主に用いたのは10弦ギターである。弦の数を増やすということは、当然の事ながら音域幅が広がり、各音域の独立性の維持や、和声の組み合わせに多様さがもたらされるが、当然に奏者にも相応の技量が求められることになる。【CD5】5の1-3)は、元来リュートのための作品であり、リュート属であるギターによる演奏は理に適っているが、リュートは、時代や地域による差異が当然あるが、現代ギターより多くの弦を用いた楽器であり、かつバロック調弦においては、コースを2弦(同音程に調整)するなどの楽器に基づく演奏が主となっていたため、ギターでの再現を考えた場合、やはり弦の数を増やすことで、十分な演奏効果を得られると考えられる。ただ、私は、これらの楽曲を様々な楽器や演奏で聴いたわけではないので、それらはあくまで知識として知っている程度のことであるので、それがどれくらい効果に差を生じるものなのかを体感しているわけではない。ただ、この演奏を聴く限り、やはり低音域の表現性や、高音域の伸びやかさなどは、多弦ギターの特徴として感じられ、全体として、スキッとした格調ある響きが得られていると感じる。個人的に当盤で特に魅力的に響くのは、BWV.997で、セルシェルの紡ぎ出す心地よい運動性とともに、音価の制御の巧みさがあいまって、とても雰囲気の良い流麗さが導かれている。また、低音域の旋律性の維持などは、現代の6弦のギターでは、不可能だろうと思える精度で繰り広げられており、リュートという楽器の機能性を前提とした作品の再現として、十分なものを感じさせてくれる。解釈自体も、心地よい速度が維持されながら、バッハならではの声部の明瞭性が維持されており、理想的な演奏。
 またセルシェル自身による編曲ものも、知的な洗練を感じさせる好演奏。これらの編曲のうち、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番」などは、特に有名であり、演奏機会も多い。言うまでもなく、ギターで演奏する場合、ヴァイオリンと比較すると、強弱の幅は狭く、雄弁性、表現性ともに強い制約が生じてしまう。ここで、それを感じさせないとまでは言えないが、セルシェルは、そんなデメリットのことをほとんど意識していないかのような、暖かな自然な響きを導いていて、実に快い。装飾性も少なく、シンプルな佇まいでありながら、透明な明るさを感じさせる響きは、どこか厳かで、聴き手の心を安寧へと導いてくれる。また、ギター自体の響きが、ほのかな余韻を伴っているため、どこか人の記憶を思い起こさせるような、ノスタルジックな味わいを持っていることも、これらの演奏において効果的に作用しているだろう。各曲の、特にサラバンドでは、その風合いが聴き手を刺激する。急速楽章の運動性も、実に心地よく、「無伴奏チェロ組曲 第1番」のジーグにおける平明でありながら情感豊かな響きに、端的に効果が表れている。聴き味豊かな名録音。

無伴奏ヴァイオリンの為のソナタ 第1番 第2番 無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第1番
vn: ファウスト

レビュー日:2013.10.8
★★★★★ バッハの深淵に迫る、息詰まるほどのファウストの凄演
 2011年録音の、ドイツのヴァイオリニスト、イザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のソロ・ヴァイオリンのための作品集第2弾。2009年の第1弾と併せて、これで、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの全曲が録音されたことになる。本盤の収録曲は以下の3曲。
1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番
2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番
3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番
 第1弾のレビューにも書かせていただいたが、本録音も神々しいほどの崇高な空気に満ちた偉大なものだと思う。ファウストはこれらの論理的均整感のとれた作品に、最もふさわしい手法でアプローチし、そして、楽曲の深淵を聴き手に伝えることに成功している。聴いていて、思わず身震いするほどの演奏、とでも形容すればいいだろうか。
 ファウストは、これらの作品に対し、ビブラートの効果をきわめて抑制的に、しかし細やかに用いている。「艶やかさ」を削ぎながら、音楽の持つ対称性や対立性といった要素にくっきりと焦点を当て、荘厳な、ゴシック建築を彷彿とさせる “構造論上の完全性” を体現させている。調性の変化に対する反応、装飾音の扱いに至るまで、前述の目的性を持った明瞭な意識によって、強靭に支配下に置き、抑制と開放を操作している。
 実際、この音楽を聴いていると、凄い、という感嘆以上に、ここまで出来るのか、といった彼岸の境地を垣間見たかのような、不思議な気持ちが沸き起こってくる。
 この音楽は、完全に知性でコントロールされたものの典型だ。一切の感情的なものの強弱が、恐ろしいほどの集中力で、緊密に制御される。そのスリリングな味わいは様々な価値観を超越しているようにさえ感じる。
 例えば、あの有名なソナタ第1番の終楽章。凄まじいテクニックによって、高速でパッセージが弾きぬかれるが、その刹那刹那の輝きの色合いがなんと厳しいことか。ここで聴き手が触れるのは、スコアを介して、作曲者と演奏者が瞬時に大量の情報を交わしている姿だと思う。その情報の正確さ、読み取る意識の明晰さが、この演奏の人を感動させる原動力になっているのだと思う。
 決して速い楽章だけではない。トラック8及び10に相当するパルティータ第1番のクーラントやサラバンドのドゥーブル(Double;変奏)の部分。単音でありながら、発せられる一音一音に与えられた深さ。バッハが、ヴァイオリンという楽器に秘めた語法が紐解かれていくような、厳粛な重みを実感せずにはいられない。
 このファウストのバッハは、歴史的名盤として語り継がれるに違いない。

無伴奏ヴァイオリンの為のソナタ 第3番 無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ 第2番 第3番
vn: ファウスト

レビュー日:2013.9.17
★★★★★ これこそバッハの無伴奏、と思わせる“ただならない気配”に満ちた名演
 ドイツのヴァイオリニスト、イザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)は、15歳の時(1987年)レオポルド・モーツァルト・コンクールに優勝し、さらに6年後の1993年、パガニーニ国際コンクールでも優勝を獲得。以後、ハルモニア・ムンディと契約し、次々に素晴らしい録音を世に送り出している。
 本録音は、名ヴァイオリニストが必ず録音するバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のソロ・ヴァイオリンのための作品から3曲が収められている。2009年の録音。
1) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番
2) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第3番
3) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番
 言わずと知れた名曲たち。
 通常無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、それぞれ3曲ずつあるので、それらをすべてまとめて2枚組のアルバムとすることが多いが、ファウストは、まずそのうちの半分を録音したという形。そんな背景も手伝ってか、見事なほどの研ぎ澄まされた集中力と演奏美学を感じさせる演奏となっている。
 ファウストは全般に少し早めのテンポを保ち、音を常に新鮮に響かせる。すべての音が、いまそこで生まれたような鮮度を保って、スピーカーから解き放たれ聴き手に届いてくる。計算を究めた周到な響きは、厳かでありながら、力強く、一瞬もその生命力を緩めることなく、脈々と供給されてくる。
 やや明るい音色だが、過度な発色はなく、精緻に織り込まれた音響が、内省的な深みを伴って繰り広げられる。重音のバランスもきめこまやかに配慮され、一つ一つの音に伝えられる力の軽重が細やかに調整され、正確に導かれる。
 これらのバッハの音楽の神々しさについては、今更説明を付け加えるまでもないのだけれど、その音楽に、これほど自らの芸術的精神を覚醒させて、屹立とした姿勢で向かった演奏というのは、ちょっと今までなかったのではないのだろうか。
 グリュミオー(Arthur Grumiaux 1921-1986)の典雅で色彩感のあるバッハでもなく、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)の肉厚で豊饒なバッハでもなく、クイケン(Sigiswald Kuijken 1944-)の楽器の自然な音色を引き出したバッハでもなく、クレーメル(Gidon Kremer 1947-)の純朴さと野趣性を折り合わせたバッハでもない。もちろん、それぞれが固有の見事さを持っているのだけれど、ファウストの導きだした崇高な気配というのは、実際に聴いてみると、もっともこの曲たちが本来あるべき場所に近いような、強い説得力を持って、私を惹きつけた。
 パルティータ第2番のあまりにも有名なシャコンヌ。中間部からの疾走感。細やかに乱れなく、しかも一音一音のニュアンスを損ねることなく、完璧にひろいながら進んで行くその瞬間に、得難い神性のようなものを感じ取る。あるいはあの有名なパルティータ第3番のガヴォット。重音のニュアンス、キレのある弓の動きに導かれて、たなびくように消え入る瞬間まで、奏者の清澄な精神の気配が漂う。
 これぞバッハの無伴奏ヴァイオリンだ!聴きながら、深く感じ入った。

バッハ 無伴奏チェロ組曲 全曲
vc: ペレーニ

レビュー日:2021.1.8
★★★★★ 純朴な響きの中で、聴き手の心の奥に感動が呼び覚まされる名演
 ハンガリーの世界的チェリスト、ミクローシュ・ペレーニ(Miklos Perenyi 1948-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏チェロ組曲、全曲。ペレーニはすでに当該曲集について、1982年と2006年の2種の録音があるため、3度目の録音という形になる。
 私はペレーニの録音を様々に聴いてきて、その都度感動してきたのだけれど、彼が弾くバッハの無伴奏チェロ組曲には、独特の気風のようなものを感じる。この曲集は、言うまでもなく歴史上の無伴奏チェロのための最高の作品であり、チェリストであれば、この曲集への録音というのは、並々ならぬ意欲と準備により臨まれるはずだ。いや、これは私がそう思っているだけで、そうではないのかもしれないが、わざわざこんなことを書いたのは、ペレーニのこの録音からは、そんな構えたところ、なにか自分の演奏はこれだという主張のようなものを、それほど感じない不思議さがあるからである。かといって、それが無感動なものであるということではない。
 ペレーニの演奏を一言で表現するなら「純朴」だろうか。前述のような、この作品ゆえの特別な意欲というよりは、むしろ他の作品におけるペレーニの演奏より、一層素朴で、自然な響きが感じられる。それは、私には、作品への献身にも感ぜられる。私がこの録音から連想するのは、敬虔な教徒が淡々と捧ぐ祈りである。それは特別に格式ばったものでも、演出をこらしたものでもなく、まったく自然に、無為にすっとその動作と心構えに入るようなイメージ。
 だが、それでいて、私はこの演奏に魅了された。技術に特別に秀でたものを感じさせるわけでもなく、純粋に楽器の素材である木が響く音色が流れていく。しかし、そこに添えられた細やかな情感、それは終始明るい暖かさを私に感じさせるのだが、それがこの曲集にふさわしい空間をそこに現出させたような感覚にとらわれ、ふと気づいた時には、音楽の描く深い抽象的な世界に誘われているのである。
 例えば、第5番のサラバンド、朴訥と言いたいほどの語り口であるが、そのかすかな抑揚の中で、窓から差し込んでくる曙光を連想する。その曙光は、すぐそこにあるにもかかわらず、不思議と神々しく、思いもかけぬ敬虔な雰囲気を作り出すのである。
 私はこの録音を聴いて、これぞ大家の至芸と呼ぶにふさわしいバッハであると思った。ペレーニというアーティストが積み重ねたものが、直截に聴き手に語り掛けるかのような体験を得ることができた。

バッハ 無伴奏チェロ組曲 全曲
vc: マイスキー

レビュー日:2022.8.5
★★★★★ マイスキー、1回目の録音(1984,85年)。奏者の自由な語法が楽しめるバッハ
 ラトヴィアのチェリスト、ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky 1948-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の無伴奏チェロ組曲全曲。収録曲の詳細は下記の通り。
【CD1】
1) 組曲 第1番 ト長調 BWV 1007
2) 組曲 第4番 変ホ長調 BWV 1010
3) 組曲 第5番 ハ短調 BWV 1011
【CD2】
4) 組曲 第3番 ハ長調 BWV 1009
5) 組曲 第2番 ニ短調 BWV 1008
6) 組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012
 1984年から85年にかけて録音されたもの。マイスキーはこの後、1999年に同曲集を再録音しているが、私はそちらの録音は未聴。
 マイスキーのバッハは、明るく軽やかな演奏で、自由な抑揚により、浪漫性を漂わせたものと言えるだろう。バッハの音楽ゆえの声部の維持や持続性も備えているもの、奏者のアイデアに基づくアクセントが織り交ぜられ、全体として、独特の言い回しを感じさせる。響きは緩やかで柔らかく、聴き味はスマートで、第6番のプレリュードなどでも、高音部であっても、しっかりと、芯と輝かしさのある響きを繰り出している。その一方で、バッハの楽曲のもつ荘厳さは、やや抑えられた印象だ。
 第1番では、プレリュードから早目の明るいソノリティが印象的だが、ジーグまで進むと、その自由な表現性は幅を増しており、奏者の解釈幅の大きさを実感する。第4番はゆったりとしたテンポを主体としているのが特徴で、そのテンポゆえの情緒を膨らませた表現を刻み込んでいる。第3番は力強い冒頭が印象的。第6番は前述したプレリュードの壮麗さが見事で、当録音全体を通じて、特に印象に残る部分だろう。第6番では、他の舞曲も明るい躍動感が特に顕著だと思う。
 全体的に自由度の高い解釈であると感じられるが、バッハらしい明晰な声部の弾き分けは、巧みにこなしており、マイスキーの解釈を含めてうまく吸収された感がある。テンポも緩急豊かではあるが、落ち着きをなくしたり、過度にアグレッシヴになったりするわけではないので、全体に心地よく聴き通して疲れないのが美点だ。実際、名作とはいえ、チェロ一本の楽曲を2時間以上続けて聴くのは、そういうことが好きな私でも、多少気の逸れることがあるのだけれど、この演奏は、適度な面白味があって、「お、こんな風に弾くんだ」というところもあちこちあって、いつのまにか全曲を聴き通していた。
 慥かに荘厳さ、雄弁さといった点で、他の名録音と呼ばれるものと比べて、遜色ないわけではないが、マイスキーのスタイルで弾かれたバッハには、相応の魅力があり、私には良い音楽体験となった。

無伴奏チェロ組曲 第1番 第2番 第3番
hrn: バボラーク

レビュー日:2009.5.24
★★★★★ バボラークのホルン演奏の技術に括目する。
 奏者の技術に驚かされる録音だ。バッハの無伴奏チェロ組曲をホルンで演奏しているが、もちろんのことながら、ホルンはチェロと違って一度に一音しか出せない。原曲は元来チェロという「低音伴奏」的役割を持つ楽器に、ソロでどこまでの表現が可能かを試し、驚くほどの高みに到達した名曲である。ホルン・ソロはさらに制約が多い。
 かつて清水靖晃がサックスでこれらの曲を録音したときも驚いたものだ。そのサックス版は資生堂「アクティアハート」のCMや映画「ステレオフューチャー」で使用されて、ちょっとだけ有名になった。しかし、サックスの場合、かなりパワーのレベル調整で、曲想の表現幅を獲得できる。ホルンの場合、そこもまた難しい。とくに弱音の連続などプロの奏者でも厳しいことは疑いない。
 しかし、バボラークの技術は素人の想像をはるかに凌駕していた。聴いてみるとホルン特有の柔らかい響きが、秋の陽射しのように曲に淡い陰影を与えている。連続する細やかな音、おそらく限界と思えるパッセージも、CDで聴く限りどこかゆとりを感じさせる。そのゆとりが聴き手の心を落ち着け、曲の深部が伝わってくるように思える。ホルンという楽器の可能性を覆した録音と言っていいと思う。

バッハ 無伴奏チェロ組曲 第3番  ブラームス チェロ・ソナタ 第2番  ブリテン チェロ・ソナタ  ショパン チェロ・ソナタより第3楽章「ラルゴ」
vc: ペレーニ p: ヴァーリョン

レビュー日:2011.12.21
★★★★★ 曲の格式と価値を的確に伝えるハンガリーの2人のアーティスト
 ハンガリーのチェリスト、ペレーニ・ミクローシュ(Perenyi Miklos 1948-)による、ロンドン、ウィグモア・ホール(Wigmore Hall)での2009年のライヴの模様を収録。曲目は、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番、ブリテンのチェロ・ソナタ、ブラームスのチェロ・ソナタ第2番、最後にアンコールでショパンのチェロ・ソナタより第3楽章の「ラルゴ」。同じハンガリーのピアニスト、ヴァーリョン・デーネシュ(Varjon Denes)が伴奏を務めている。
 私は、ペレーニというチェリストを、シフとの共演盤を通して知ったのだけれど、チェロという楽器を操って、たいへん深い音楽を奏でる人だとの印象があった。チェロという楽器は、もっとも人の声に近い音色が出ると言われているが、ペレーニの演奏は、音の精度がきわめて高く、人の声よりも一段と奥行きがあって、その調整がきわめて細かい。微細なニュアンスを周到に何段も備えることで、スケールの大きい音楽を引き出していて、なるほど、ピアニスト、シフとの相性も素晴らしく良いものだった。以後、私は、このチェリストのコダーイのチェロ作品全集などを聴き、一層感慨を深めてきた。
 ペレーニの活動にはどこか禁欲的な雰囲気があり、そのレパートリーも通俗性を敬遠するかのように、いわゆるチェロ音楽の王道的なものがほとんど。なので、この演奏会でも、アンコールでさえ、ショパンのソナタを引用するような、生真面目さがある。この曲目を見るだけでもペレーニの職人気質は伝わってくるのだ。
 バッハの無伴奏チェロ・ソナタ第3番ではペレーニの自在な運弓、運指が圧巻で、ほどよく起伏を与えながらのスムーズで的確な音量は、いかにも高品質の音楽を聴いていると思わせてくれる。バッハの無伴奏チェロ作品群は、元来チェロという「低音伴奏」的役割を持つ楽器に、ソロでどこまでの表現が可能かを試し、結果驚くほどの高みに到達した名曲である。しかし、ペレーニはまじめな演奏哲学で接してはいるが、演奏にかしこまったところが少なく、むしろ実に自然なやわらかみと暖かさに満ちている。
 ブリテンのチェロ・ソナタは5つの楽章からなる作品だが、なんといっても第3楽章の「エレジー」が印象に残る。ここではヴァーリョンの卓越したピアノ伴奏も特筆したい。したたるように力の蓄積と放散を繰り返すピアノの音色が、音楽の振幅を増幅し、聴き手の情感に強く訴えかける力となっている。
 ブラームスのチェロ・ソナタ第2番はペレーニの力強く、しかし逞しい音色が素晴らしい。伸びやかでありながら、緩みのない稀有のチェロだと思う。いずれの曲も曲の格式と価値を感じさせてくれる名演だと思う。

リュートのための組曲集
g: セルシェル

レビュー日:2022.8.3
★★★★★ 11弦ギターで奏でられたバッハのリュート作品
 スウェーデンのギター奏者、イェラン・セルシェル(Goran Sollscher 1955-)のギター演奏による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のリュートのための作品集。収録曲と録音年は以下の通り。
1) 組曲 ホ短調 BWV.996 1983年録音
2) 組曲 ハ短調 BWV.997 1983年録音
3) 組曲 ト短調 BWV.995 1984年録音
4) 組曲 変ホ長調 BWV.1006a/1000 1981年録音
 当演奏でセルシェル(Goran Sollscher 1955-)が用いているのが11弦ギターである。私はギターには不詳なのだが、現代、通常のいわゆるアコースティック・ギターは、6本の弦により演奏される。イエペス(Narciso Yepes 1927-1997)が主に用いたのは10弦ギターである。弦の数を増やすということは、当然の事ながら音域幅が広がり、各音域の独立性の維持や、和声の組み合わせに多様さがもたらされるが、当然に奏者にも相応の技量が求められることになる。
 バッハの原曲が、リュートのための作品であり、リュート属であるギターによる演奏は理に適っているが、リュートは、時代や地域による差異が当然あるが、現代ギターより多くの弦を用いた楽器であり、かつバロック調弦においては、コースを2弦(同音程に調整)するなどの楽器に基づく演奏が主となっていたため、ギターでの再現を考えた場合、やはり弦の数を増やすことで、十分な演奏効果を得られると考えられる。
 ただ、私は、これらの楽曲を様々な楽器や演奏で聴いたわけではないので、それらはあくまで知識として知っている程度のことであるので、それがどれくらい効果に差を生じるものなのかを体感しているわけではない。ただ、この演奏を聴く限り、やはり低音域の表現性や、高音域の伸びやかさなどは、多弦ギターの特徴として感じられ、全体として、スキッとした格調ある響きが得られていると感じる。
 個人的に当盤で特に魅力的に響くのは、BWV.997で、セルシェルの紡ぎ出す心地よい運動性とともに、音価の制御の巧みさがあいまって、とても雰囲気の良い流麗さが導かれている。
 また、低音域の旋律性の維持などは、現代の6弦のギターでは、不可能だろうと思える精度で繰り広げられており、リュートという楽器の機能性を前提とした作品の再現として、十分なものを感じさせてくれる。
 解釈自体も、心地よい速度が維持されながら、バッハならではの声部の明瞭性が維持されており、理想的な演奏と思う。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番(ギター版) 無伴奏チェロ組曲 第1番 第2番(ギター版) 他
g: セルシェル

レビュー日:2022.8.23
★★★★★ 11弦ギターで奏でられたバッハのギター編曲集
 スウェーデンのギター奏者、イェラン・セルシェル(Goran Sollscher 1955-)のギター編曲・演奏による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のギターのための編曲集。
1) 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ長調 BWV 1005(ギター版)
2) 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007(ギター版)
3) 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV 1008(ギター版)
4) 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012 から 第4曲「サラバンド」と第5曲「ガヴォット」 (ギター版)
 1991年の録音。
 当演奏でセルシェルが用いているのが11弦ギターである。私はギターには不詳なのだが、現代、通常のいわゆるアコースティック・ギターは、6本の弦により演奏される。イエペス(Narciso Yepes 1927-1997)が主に用いたのは10弦ギターである。弦の数を増やすということは、当然の事ながら音域幅が広がり、各音域の独立性の維持や、和声の組み合わせに多様さがもたらされるが、当然に奏者にも相応の技量が求められることになる。
 当盤に収録されているのは、本来、リュート属ではなく、ヴァイオリン属独奏のための作品をギター編曲したものである。作品名にある調性は、原曲のもので、無伴奏チェロ組曲第1番は、編曲に際して、変ホ長調に移調されている。
 セルシェルの演奏は知的な洗練を感じさせる。これらの編曲のうち、「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番」などは、特に有名であり、演奏機会も多い。言うまでもなく、ギターで演奏する場合、ヴァイオリンと比較すると、強弱の幅は狭く、雄弁性、表現性ともに強い制約が生じてしまう。ここで、それを感じさせないとまでは言えないが、セルシェルは、そんなデメリットのことをほとんど意識していないかのような、暖かな自然な響きを導いていて、実に快い。装飾性も少なく、シンプルな佇まいでありながら、透明な明るさを感じさせる響きは、どこか厳かで、聴き手の心を安寧へと導いてくれる。
 また、ギター自体の響きが、ほのかな余韻を伴っているため、どこか人の記憶を思い起こさせるような、ノスタルジックな味わいを持っていることも、これらの演奏において効果的に作用しているだろう。各曲の、特にサラバンドでは、その風合いが聴き手を刺激する。急速楽章の運動性も、実に心地よく、「無伴奏チェロ組曲 第1番」のジーグにおける平明でありながら情感豊かな響きに、端的に効果が表れている。
 聴き味豊かな名録音と思う。


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声楽曲

マタイ受難曲
シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団 テルツ少年合唱団 T: クム(福音史家) B: ブラッハマン S: ラントシャマー A: シャピュイ T: シュミット B: クヴァストホフ ヘーガー

レビュー日:2013.3.12
★★★★★ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音色により成功に導かれたマタイ受難曲
 2005年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第19代カペルマイスターに就任したリッカルド・シャイーが(Riccardo Chailly 1953-)は、このオーケストラ縁(ゆかり)の偉大な作曲家であるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)を、積極的に録音するようになった。当盤は2009年にライヴ録音された大曲「マタイ受難曲」の全曲盤となる。合唱はライプツィヒ聖トーマス教会合唱団とテルツ少年合唱団。独唱陣は以下の通り。
 ヨハネス・クム(Johannes Chum テノール:福音史家)
 ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(Hanno Muller-Brachmann 1970- バス)
 クリスティーナ・ラントシャマー(Christina Landshamer ソプラノ)
 マリー=クロード・シャピュイ(Marie-Claude Chappuis アルト)
 マクシミリアン・シュミット(Maximilian Schmitt 1964- テノール)
 トーマス・クヴァストホフ(Thomas Quasthoff 1959- バス)
 クラウス・ヘーガー(Klaus Hager バス)
 バッハのマタイ受難曲は新約聖書「マタイによる福音書」のうち、イエスの捕縛、ピラトによる裁判、刑死と埋葬までを扱った内容。エヴァンゲリストによる朗誦による説明を挟みながら、アリア、コラールによって各場面が謳われる。レチタティーヴォとアリアを繰り返す近代へ繋がるオペラ様式とも言える。
 吉田秀和(1913-2012)は、その著書の中で、「もしあらゆるヨーロッパの音楽の中でただ一曲をとれといわれたら バッハのマタイ受難曲をとるだろう」と書かれていた。私は、この音楽の名曲性を認めないわけではないが、しかし、やはり純宗教的なテクストについて、私の様にまったく異なる文化的風土で育った人間にとって、その文化的背景や音楽で表現される際の標題性には、どうしても理解の足りないところがあると感じる。それで、やはり他の音楽と同じように、抽象的な音楽として聴く上での感想に限定される。
 以上の前提で、私の感想を書こう。
 シャイーの演奏は、まず最近のアカデミックな解釈に基づくテンポ設定による早めのもので、全曲の演奏時間は2時間半程度に収まっている。まず、これが私には聴きやすい。旧来のテンポでは、やはり私にはどうにも「長すぎる」部分があったのだが、当盤は最後まで聴きやすかった。そして、その聴きやすさのもう一つの要因が、とくに管弦楽の響きにあると思う。もちろん、独唱、合唱陣の安定した質の高さも特筆すべきレベルとは思うのだが、私にとって、当盤最大の美点は、なんといっても、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の作り出すベースの音色の素晴らしさにある。特に木管の色合いを適度に出しながら、典雅なまろやかさを感じさせる響きは、このオーケストラの特徴であるとともに、シャイーの純音楽的な、「透明感ある音色」を重視した感性によるもので、そのことが音楽全体の、色になり、凹凸になり、緩急になり、豊かな演出になっている。
 そのような管弦楽によって引き出された演出というベースがしっかりしているため、合唱の迫力や神秘性もまた、十全に引き出されていて、高い演奏効果が獲得されていると思う。いわゆる相乗効果というものである。
 全編において推進力のある鮮やかな音楽が息づいていて、これこそ現代のバッハであり、現代のマタイ受難曲ではないか、と私は感銘を受けた次第である。

クリスマス・オラトリオ
シャイー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ドレスデン室内合唱団 T: ラットケ S: サンプソン A: レームクール Bs: ヴォルフ

レビュー日:2013.2.1
★★★★★ 光彩陸離たるバッハに喝采
 2005年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに就任したリッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)は、この地にゆかりの深い偉大な作曲家、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作品を積極的に取り上げるようになった。その一つとしてこの「クリスマス・オラトリオ」の録音がリリースされた。2010年の録音。合唱は、ドレスデン室内合唱団で、独唱者は以下の通り。
 マルティン・ラットケ(Martin Lattke 1981- テノール)エヴァンゲリスト
 キャロリン・サンプソン(Carolyn Sampson1974- ソプラノ)
 ヴィープケ・レームクール(Wiebke Lehmkuhl 1974- アルト)
 ヴォルフラム・ラットケ(Wolfram Lattkeテノール)
 コンスタンティン・ヴォルフ(Konstantin Wolff 1978- バス)
 クリスマス・オラトリオは、バッハが書いた宗教曲の中でも傑作の一つとして知られるもの。本来は、12月25日からイエス・キリストが神性を表した1月6日(顕現節)にかけて上演される目的で作られており、全体は6部に分かれていて、本来は、期間中の別々の日に上演されるものとなっている。
 一応、本来の上演日を、本CDになぞって記載すると、以下となる。
第1部 CD1) トラック1-9 12月25日
第2部 CD1) トラック10-23 12月26日
第3部 CD1) トラック 24-36 12月27日
第4部 CD2) トラック 1-7 1月1日
第5部 CD2) トラック 8-18 新年後最初の日曜日
第6部 CD2) トラック19-29 顕現節(1月6日)
 音楽は管弦楽と、合唱、独唱4人からなるが、エヴァンゲリスト(Evangelist)と呼ばれる聖書朗読者による朗唱が加わる。
 当盤に収録された演奏は、当然のことながら現代楽器を用いているが(残念ながら現在では逆に非主流となりつつあるであろうか)、スマートで輝かしい快演である。ライプツィヒのメンバーにとって、バッハは縁の作曲家であり、その作品を隅々まで知り尽くしているということもあるが、この演奏にみちた生命力にあふれた輝かしさは得難いものだ。ライヴということもあるが、なにか漲るような気配に満ちている。
 独唱者たちの名は、私には初めてその演奏を聴く人たちで、若いメンバーだが、その質は驚くほど高い。特にヴォルフラム・ラットケの健やかな軽やかさに満ちた声はこの演奏にピタリと嵌まっている。マルティン・ラットケ(ヴォルフラムと兄弟とのこと)の朗唱も輝きを感じさせ、一切の退屈の要素と無縁の素晴らしさを提供してくれる。
 シャイーのドライヴはバッハ・コラールの骨組みを明瞭にしながらも、他の音楽的要素を巧みに融合し織り成していく見事なもので、音楽としての統一感が抜群。楽器の素晴らしい響きとあいまって、見事な成功を勝ち取っている。
 現代楽器の表現力と、力強い勇気溢れる響きについても、あらためて実感させてくれるアルバム。多角的に推奨したい。

バッハ マニフィカト 変ホ長調 BWV243a  ロッティ ミサ・サピエンティエ ト短調
ヘンゲルブロック指揮 バルタザール=ノイマン・アンサンブル バルタザール=ノイマン合唱団

レビュー日:2015.3.3
★★★★★ バッハの名曲と併せて聴く珍しいロッティの作品
 トーマス・ヘンゲルブロック(Thomas Hengelbrock 1958-)指揮、バルタザール=ノイマン・アンサンブルとバルタザール=ノイマン合唱団による演奏で、以下の2つのバロック期の作品を収録している。
1) ロッティ(Antonio Lotti 1667-1740) ミサ・サピエンティエ(叡智のミサ) ト短調
2) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) マニフィカト 変ホ長調 BWV243a
 録音は1)が2002年、2)が2000年。
 バッハのマニフィカトについては、有名な作品で、録音も数多くあるので、珍しいロッティの作品がまず注目される。
 ロッティはイタリアのオルガン奏者兼作曲家で、レグレンツィ(Giovanni Legrenzi 1626-1690)に学び、サン・マルコ大聖堂で、聖歌隊員、主席オルガン奏者を務めた後、楽長に就任した人物。その後ドレスデンで活躍した。ヴェネツィア楽派の一人で、古い対位法作曲家とより自由なヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)らのものとの中間的な作曲様式と考えられる。
 ロッティの作品は、半音階の使用はあるようだが、きわだって特徴的なもではないように思うが、しかし単純化された均衡性のフォルムが、美しい聴き味を引き出していて、十分に楽しめる。この作品には、バッハも影響を受けたと考えらえていて、人によっては、かのロ短調ミサ曲との関連を指摘している。TRACK10の「Qui tollis peccata mundi」のような音階の使用法がその遠因としてしば挙げられるので、注意して聴くとそれなりに興味深いだろう。
 バッハの「マニフィカト」は、オリジナル曲はニ長調であるが、当盤には改訂と曲の追加が行われた変ホ長調の稿が収められている。レチタティーヴォがなく、明るい曲が連続する音楽で、バッハの声楽曲の中でも特に親しみやすさのある作品だと思う。ヘンゲルブロックはやや速めのテンポ設定で、劇的な要素を演出している。TRACK22の「Fecit potentiam」における祭典的華やかさや、TRACK27 「Suscepit Israel」の厳かな雰囲気の豊かさが印象的。バッハの名曲の魅力を十二分に伝えた良演と思う。

バッハ マニフィカト ニ長調 BWV.243  ヘンデル 主は言われた
アイム指揮 ル・コンセール・ダストレ S: デセイ デゥシェイェ CT: ジャルスキー T: スペンス B: ナウリ

レビュー日:2021.2.8
★★★★☆ バッハとヘンデルの華やかな聖歌2編を楽しむアルバム
 フランスのチェンバロ奏者で指揮者であるエマニュエル・アイム(Emmanuelle Haim 1962-)が、オーケストラと合唱からなる古楽合奏団、ル・コンセール・ダストレを指揮して録音したバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)とヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)の下記のキリスト教聖歌2編を収録したアルバム。
J.S.バッハ マニフィカト ニ長調 BWV.243
 1) 第1曲 Magnificat anima mea (合唱)
 2) 第2曲 Et exsultavit (ソプラノ)
 3) 第3曲 Quia respexit (ソプラノ)
 4) 第4曲 Omnes generations (合唱)
 5) 第5曲 Quia fecit (バス)
 6) 第6曲 Et misericordia (アルト、テノール)
 7) 第7曲 Fecit potentiam (合唱)
 8) 第8曲 Deposuit (テノール)
 9) 第9曲 Esurientes (アルト)
 10) 第10曲 Suscepit Israel (ソプラノ1、ソプラノ2、アルト)
 11) 第11曲 Sicut locutus est (合唱)
 12) 第12曲 Gloria patri (合唱)
ヘンデル 「主は言われた」 HMV.232
 13) 第1曲 Dixit Dominus Domino meo (合唱)
 14) 第2曲 Virgam virtutis tuae (アルト)
 15) 第3曲 Tecum Principium in Die Virtutis Tuae (ソプラノ)
 16) 第4曲・前半 Juravit Dominus (合唱)
 17) 第4曲・後半 Tu es sacerdos (合唱)
 18) 第5曲 Dominus a dextris tuis (独唱と合唱)、第6曲 Judicabit in nationibus (合唱)
 19) 第7曲 De torrente in via bibet (ソプラノ二重唱と合唱)
 20) 第8曲 Gloria Patri et Filio (合唱)
 独唱陣は下記の通り。
 ソプラノ:  ナタリー・デセイ(Natalie Dessay 1965-)
 ソプラノ:  カリーヌ・デエ(Karine Deshayes 1972-)
 カウンター・テナー:  フィリップ・ジャルスキー(Philippe Jaroussky 1978-)
 テノール:  トビー・スペンス(Toby Spence 1969-)
 バス:  ローラン・ナウリ(Laurent Naouri 1964-)
 2006年の録音。
 豪華な独唱陣を配し、華やかな雰囲気で、楽天的に描きあげている。
 独唱陣と古楽器のからみが、意欲的に表現された感があり、バッハのマニフィカトでは、第3曲におけるデセイのソプラノとオーボエの典雅な掛け合いが楽しい。第2曲のデエ、第5曲のナウリとも特徴が感じられる歌唱であるが、ナウリは演奏に合わせて、より軽やかで運動的な歌唱に主体を置いた印象を受ける。マタイ受難曲を思わせる第6曲とそれに続く輝かしいフーガの第7曲で、いずれもオーケストラが表現性豊かなダイナミクスを感じさせてくれるのが嬉しい。
 ヘンデル22歳の野心作「主は言われた」も、バッハの「マニフィカト」と精神的な親近性の感じられる作品であり、楽曲規模も似ており、1枚のアルバムで併せて聴くのにふさわしい。第1曲のスタッカート奏法から、その演出性の多彩さに惹かれる。楽曲後半で弦楽器陣に高い表現性が求められていると思うが、アイムは、かなり能弁さを導くスタイルで、求められるものに対し、積極的に答えを提示した感がある。第2曲のチェロの表出性にその点が明確に示されているだろう。
 全体としては、それぞれの独唱、また重要な表現性を担う楽器に、サクサクと機動的にスポットライトを切り替えながら、アクセント、スラーの対比の妙を強調した演奏であり、印象としては、とても華やかである。聴き手にとっては、派手に過ぎると感じられるかもしれないが、代えがたい愉しみを提供してくれるという点で、魅力的な1枚に仕上がっている。

ソプラノとヴァイオリンのためのアリア集
S: バトル vn: パールマン ネルソン指揮 聖ルカ管弦楽団

レビュー日:2017.11.17
★★★★☆ オブリガートの魅力が伝わるパールマンとバトルの共演
 キャスリーン・バトル(Kathleen Battle 1948-)のソプラノ、イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman 1945-)のヴァイオリン、ジョン・ネルソン(John Nelson 1941-)指揮、聖ルカ管弦楽団の演奏による、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のソプラノとヴァイオリンのためのアリアを集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) カンタータ 第197番「神はわれらの確き望みなり」BWV197 から 第8曲「満ち足れる愉悦、健やかなる繁栄」(Vergnugen Und Lust)
2) カンタータ 第58番「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」 BWV58 から 第3曲「われはわれを囲める悩みの中にも満ち足れリ」(Ich Bin Vergnugt In Meinem Leiden)
3) カンタータ 第204番「われはおのがうちに満ち足れり」BWV204 から 第4曲「広き大地の蔵せる富も宝も」(Die Schatzbarkeit Der Weiten Erden)
4) カンタータ 第97番「わがなす すべての業に」BWV97 から 第4曲「われは御神の恵みに依り頼む」(Ich Traue Seiner Gnaden)
5) カンタータ 第115番「備えて怠るな、わが霊よ」BWV115 から 第4曲「かかる時にもまた祈り求めよ」(Bete Aber Auch Dabei)
6) カンタータ 第171番「神よ、汝の誉れはその御名のごとく」 BWV171 から 第4曲「イエスこそ、わが呼びまつる」(Jesus Soll Mein Erstes Wort)
7) ロ短調ミサ曲 BWV232 から 第23曲「祝福あれ、主の御名により来たる者に」(Benedictus Qui Venit)
8) ロ短調ミサ曲 BWV232 から 第5曲「われら汝を頌めまつる」(Laudamus Te)
9) カンタータ 第202番「退け、もの悲しき影たち」 BWV202 から 第5曲「春のそよ風のほほを撫でゆき」(Wenn Die Fruhlingslufte Streichen)
10) カンタータ 第36番「喜び勇みて羽ばたき昇れ」 BWV36 から 第7曲「力なき、弱き声といえども」(Auch Mit Gedampften, Schwachen Stimmen)
11) カンタータ 第187番「彼らみな汝を待ち望む」 BWV187 から 第5曲「神はこの地上の息ある」(Gott Versorget Alles Leben)
12) カンタータ 第84番「われはわが命運に満ち足れり」 BWV84 から 第3曲「われは喜びをもてわが乏しき糧を食し」(Ich Esse Mit Freuden Mein Weniges Brot)
13) カンタータ 第105番「主よ、汝の下僕の審きに拘らい給うなかれ」 BWV105 から 第5曲「われイエスをわが味方となしえなば」(Kann Ich Nur Jesum Mir Zum Freunde Machen)
 1989年から90年にかけての録音。
 その生涯において膨大な数の偉大な芸術作品を製作したバッハであるが、そのうち7割がプロテスタントの教会のための機会音楽となる。当盤に収録されたものも、ロ短調ミサ曲を以外すべてが該当する。
 カンタータで頻繁に用いられたのがオブリガート (obbligato)であり、これは主旋律と考えられるソロに対尻、序奏やあるいは対旋律の役割に対する総称であり、バッハの作品では、しばしばヴァイオリンやオーボエがこれを担うことになる。関係性としては、ベースである通奏低音、それをもとに歌う主題、そして、それに対向しながら、音楽的なサポートを行うオブリガートとなるが、バッハの作品においてオブリガートの役割は重要で、場所によっては主旋律と同等以上の役割を果たすといって良い。それは、たんに「橋渡し」の域を越えたものである。
 当盤は、独唱をソプラノと、オブリガートをヴァイオリンが担う楽曲が集められている。バトルとパールマンという顔合わせにより、全体的に明るく健康的な響きとなっている。前述の様に、これらの楽曲ではヴァイオリンは声と同じくらいテキストの意図に沿った感情の表出が求められるが、パールマンならではの歌は随所に聴かれる。例えばカンタータ115番のアリアにおける強弱の対比、フレーズを受け渡す瞬間の間の演出にそれは象徴的に感じられる。
 バッハは、楽曲の演奏において、楽器を厳密に定めることはほとんどなかった。現在の認識でも、例えば当日の都合で楽器を入れ替えたりするようなこともしばしばで、これらもすべてが必ずしもヴァイオリンのためだけに書かれたものではないかもしれない。しかし、バッハはヴァイオリンやオーボエといった旋律を歌い感情表現に性能を発揮する楽器をおもにオブリガートに起用したことは、声とのデュエットが精巧なメロディーラインを完成することを示したものであり、その点を考えると、パールマンのよく歌い、響きの明るいヴァイオリンは、ソプラノの声と実によくマッチしている。そこには、バッハの思い描いた理想像が、再現されているように思う。
 同じ傾向の楽曲が集まっている点があり、1枚通して聴いた時に、やや単調な印象を残すところはあるが、全般に、聴き易く、なにかの作業中のバックに流していても心地よい音楽となっている。演奏もとても美しい。

名アリアと合唱曲集
ミュラー=ブリュール指揮 ケルン室内管弦楽団 ドレスデン室内合唱団

レビュー日:2019.6.20
★★★★★ バッハの宗教曲から、馴染みやすく美しい個所を紹介してくれる良心的抜粋版
 バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)演奏の大家、ヘルムート・ミュラー=ブリュール(Helmut Muller-Bruhl 1933-2012)が2000年代に録音したバッハの宗教曲集から、有名な個所や聴きどころを抜粋して1枚のアルバムとしたもの。収録内容は以下の通り。
1) もろびとよ歓呼して神を迎えよ BWV51
2) ロ短調ミサ曲 BWV232より グロリアから 「いと高き処に神に栄光あれ」
3) ロ短調ミサ曲 BWV232より グロリアから 「地に平和を」
4) ロ短調ミサ曲 BWV232より グロリアから 「高き天なる神に」
5) ロ短調ミサ曲 BWV232より ベネディクトクスから 「主の御名において」
6) ロ短調ミサ曲 BWV232より ホザンナから 「いと高きところにホザンナ」
7) われ喜びて十字架を担う BWV56
8) 喜ばしい安息、好ましい魂の歓喜 BWV170
9) マタイ受難曲 BWV244より 第1曲 「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け」
10) マタイ受難曲 BWV244より 第19曲 「われは汝にわが心を捧げん」
11) マタイ受難曲 BWV244より 第35曲 「おお、人よ、汝の大いなる罪を嘆け」
12) マタイ受難曲 BWV244より 第47曲 「憐れみたまえ,わが神よ」
13) マタイ受難曲 BWV244より 第63曲 「ああ、血と傷にまみれし御頭」
14) マタイ受難曲 BWV244より 第51曲 「われに返せ、わがイエスをば」
15) マタイ受難曲 BWV244より 第78曲 「われらは涙ながらここにひざまずき」
16) われ満ちたれり BWV82
17) ロ短調ミサ曲 BWV232より アニュス・デイから 「平和をわれに」
 ソプラノ: シーリ・ソーンヒル(Siri Thornhill) 1)  クラウディア・コーウェンベルフ(Claudia Couwenbergh) 9,10,11,13,15)
 メゾソプラノ: アン・ハレンベリ(Ann Hallenberg 1967-) 2,3,4,6)  マリアンネ・ベアーテ・シェラン(Marianne Beate Kielland 1975-) 8,9,11,12,13,15)
 テノール: マルクス・シェーファー(Markus Schafer 1961-) 2,3,5,6)
 バス・バリトン: ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(Hanno Muller-Brachmann 1970-) 7,9,11,13,14,15,16)
 1) 2007年録音  2-6,17) 2003年録音  7,8,16) 2004年録音  10-15) 2005年録音
 ドレスデン室内合唱団とケルン室内管弦楽団による演奏。
 ロ短調ミサ曲もマタイ受難曲も大作だ。それぞれ全曲収録にはCD2枚以上を必要とする。それもあって、私はこれらの名作をなかなか聴くことがない。それだけ十分な時間をとれることが日常的にないというのが現実的な話としてあるし、それに、私はこれらの楽曲を理解するには、宗教学的な土壌や素養がある程度以上に必要だと感じる。特にマタイ受難曲では、福音書に基づくレチタティーヴォの部分が多く、それが直感的に音楽を楽しみたい場合に、壁になると私は感じる。だから、このような抜粋版が、存外に聴き易い。音楽的に充実している(と私が感じる)部分を抽出してくれるのはありがたいし、そのような「取っ掛かり」は、全曲を聴く機会の手助けにもなるだろう。もちろん、全曲盤も複数所有しているのだけれど、当抜粋版は、それらより圧倒的に「聴き易い」と感じる。
 さて、それでは当盤に収録された演奏はどのようなものか。まず基本として、オーケストラは現代楽器である。ただ、合唱団の編成は小さく、テンポやフレージングには現代までのピリオド奏法を考証した音楽用法を部分的に取り入れていて、ある意味折衷的と言えるかもしれない。
 ただ、その演奏は、とても真摯な正当性を感じさせる。規律的な音楽の運び、宗教的な厳かさがある。また音色は全体的に明るめで、悲劇的な個所であっても、その背後に希望が感じられるのも、私には聴き易い。ミュラー=ブリュールのバッハは、naxosレーベルによってやっと日本に紹介され、私も知ることになったのだが、とても純正なイメージで、本来バッハとはこうあるべきなのだと感じさせる演奏を示してくれる。オリジナル楽器派の人にも、ぜひ一聴してほしいバッハだ。
 ロ短調ミサ曲における「いと高きところにホザンナ」における高潔な典雅さ、そして「われ満ちたれり」におけるミュラー=ブラッハマンの圧倒的な美声は、中でも白眉と言えるだろう。


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