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アルカン



器楽曲

短調による12の練習曲全集 夜想曲 第1番 長調による12の練習曲から第5番「アレグロ・バルバロ」 25の前奏曲から第8番、第12番、第13番 48のモティーフ・スケッチから第2番、第4番「鐘」、第11番「溜息」、第48番「夢の中で」 ソロ・ピアノのための歌曲 第1集第1曲、第3集第6曲「舟歌」
p: ギボンズ

レビュー日:2005.4.10
★★★★★ ただ「ブラボー」と言わせていただきます!
 シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)はワーグナーと同い年のフランス生まれのピアノ界の変人と言えよう。至難なピアノ曲を多数作曲したが、その中でも頂点ともいえるトンデモ曲集が「短調による12の練習曲」作品39(1857年出版)である。
 その12曲の曲名を紹介すると、1「あたかも風のように」 イ短調 2「モロッソのリズムで」ニ短調 3「悪魔のスケルツォ」ト短調 4~7交響曲(ハ短調-へ短調-変ロ短調-変ホ短調) 8~10協奏曲(嬰ト短調-嬰ハ短調-嬰ヘ短調) 11序曲 ロ短調 12「イソップの饗宴」ホ短調 ・・・とめでたく12の短調を下4度づつまわって完全制覇・・・つまり「交響曲」も「協奏曲」もこの中の一部をなす「ピアノソロ作品」であり、この命名法だけでもアルカンの変人ぶりは十分知れよう。この世紀の超超難曲集を全曲ライヴで演奏してしまったジャック・ギボンズのこれまた開いた口がふさがらないようなすごい録音がコレ。中でも「悪魔のスケルツォ」と「イソップの饗宴」、「協奏曲第3楽章」などは到底人間ワザとは思えない!どーなってるんだ、いったい!
 また本アルバムは「短調による12の練習曲」が全曲入っている上、25の前奏曲、48のモティーフ・スケッチ、ソロ・ピアノのための歌曲(!)などからの抜粋も含んだサービス満点の収録だ。
 とにかくど派手な音楽の盛りあがりに加え、アルカンの作品の魅力を余すことなく伝えた素晴らしい録音なのは間違いない。冒頭から150分以上にわたって続く、圧倒的なテンションの高さとエネルギーに圧倒されました!

短調による12の練習曲全集 グランド・ソナタ「4つの時代」 他
p: マルテンポ

レビュー日:2015.11.27
★★★★★ アルカンの代表作「短調による12の練習曲」全曲を、現代的な快演で聴くことができます。
 アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)の作品に精力的に取り組んでいるイタリアのピアニスト、ヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)が2011年から2013年にかけて録音した3枚のアルバムをまとめたBox-set。その結果、アルカンの代表作として名高い「短調による12の練習曲」が、すべて収録されている。詳細は以下の通り。
【CD1】 2011年録音
1) グランド・ソナタ「4つの時代」op.33
2) 短調による12の練習曲 op.39から 第4番 ハ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第1楽章 アレグロ・モデラート」
3) 短調による12の練習曲 op.39から 第5番 ヘ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第2楽章 アンダンティーノ」
4) 短調による12の練習曲 op.39から 第6番 変ロ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第3楽章 メヌエットのテンポで」
5) 短調による12の練習曲 op.39から 第7番 変ホ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第4楽章 プレスト」
6) 片手ずつと両手のための3つの大練習曲 op.76から 第3番「両手のためのユニゾン」
【CD2】 2012年録音
1) 短調による12の練習曲 op.39から 第12番 ホ短調「イソップの饗宴」
2) 悲愴な様式による3つの曲op.15(第1番「私を愛して」 第2番「風」 第3番「死せる女」)
3) 短調による12の練習曲 op.39から 第11番 ロ短調「序曲」
4) ソナチネ op.61
【CD3】
1) 短調による12の練習曲 op.39から 第8番 嬰ト短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第1楽章 アレグロ・アッサイ」
2) 短調による12の練習曲 op.39から 第9番 嬰ハ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第2楽章 アダージョ」
3) 短調による12の練習曲 op.39から 第10番 嬰ヘ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット」
4) 短調による12の練習曲 op.39から 第1番 イ短調 「あたかも風のように」
5) 短調による12の練習曲 op.39から 第2番 ニ短調 「モロッソのリズムで」
6) 短調による12の練習曲 op.39から 第3番 ト短調 「悪魔のスケルツォ」
 マルテンポの演奏は、「アルカンの演奏にも、新しい時代が到来したんだな」と感じさせるもの。きわめてスマートで洗練されている。これらの音楽は、大仰にやろうと思えばいくらでも出来るような箇所が、これでもかといった塩梅(あんばい)で散りばめられているのであるが、マルテンポは、極端な踏み込みや踏み外しをすることなく、高い技巧で、ゆとりをもって音楽を奏でている。「ゆとりをもって」とはいっても、決してテンポが遅いわけではなく、むしろ颯爽とした勢いを維持し、清冽な感性を交えて、旋律的な歌の要素を紡いでいく。演出過剰となることを避け、作品そのものに歌わせるような、おおよそこれまでのアルカン解釈から、一歩抜け出したような、気品さえ感じさせるものなのである。
 短調による12の練習曲は、いずれも、作曲者の「ピアノという一台の楽器で、オーケストラ的楽曲を奏でてみよう」という発想が含まれていて、相応の劇性を持っているが、マルテンポの表現は適度な風通しがあり、洗練を感じさせるもの。音色も都会的といった印象。ほどよく迫力が表出し、メリハリも過不足ない。そのため、「モロッソのリズムで」などでは、先行する他の録音に比べて、やや守りに入り過ぎているように聴こえるところもあるけれど、全般によく整えられた表現で、これらの楽曲の姿をよく伝えてくれている。
 参考までに他の収録曲がどのような作品か、簡単に触れておこう。
 グランド・ソナタ「4つの時代」は、4つの楽章を持ち、それぞれに「20代(スケルツォ)」「30代 ファウストのように」「40代 幸せな家族」「50代 縛られたプロメテウス」という副題が付いていることから、一種の人生描写的な音楽であると考えられる。「片手ずつと両手のための3つの大練習曲」は、3つの曲からなり、第1番が「左手のための変イ調の幻想曲」、第2番が「右手のための序奏と変奏、フィナーレ」、そして当盤に収められた第3番が「両手のためのユニゾン」という構成。ユニゾンとは、左手と右手が平行に同じ動きをすることを示している。この第3番は、3曲の中で最も有名な楽曲。いずれの楽曲も至難な演奏技術が要求される。
 リスト(Franz Liszt 1811-1886)に高く評価された「悲愴な様式による3つの曲」は、アルカンらしいピアノで管弦楽的世界を表現したもの。アルカンの作品の中では以前から名の知られたものであったが、それでも録音点数はいまなお少ないので、当盤の登場は歓迎される。半音階の連続の中で旋律が歌われる「風」、グレゴリオ聖歌の有名な旋律を利用した「死せる女」、それぞれに適度な距離感で音楽表現が行われていて、やり過ぎ感がない。
 「ソナチネ」は4つの楽章からなる規模の大きな作品。ここでは特に第4楽章で、短い衝撃的なフレーズを、糸を引くような響きで繰り返すマルテンポの表現が効果的に決まっている。

短調による12の練習曲から第1番、第2番、第3番、第11番、第12番 悲愴な様式による3つの曲
p: 森下唯

レビュー日:2025.1.6
★★★★★ 現代を代表するアルカン録音の一つ
 森下唯(1981-)によるシャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ独奏曲集で、全5枚からなるシリーズの「第3巻」に相当するアルバム。収録曲は下記の通り。
 短調による12の練習曲(Douze etudes dans tous les tons mineurs) op.39 より
1) 第1番 イ短調 「風のように」(Comme le vent)
2) 第2番 ニ短調 「モロッシアのリズムで」(En rythme molossique)
3) 第3番 ト短調 「悪魔的スケルツォ」(Scherzo-diabolico)
 悲愴な様式による3つの曲(Trois morceaux dans le genre pathetique) op.15
4) 第1曲 「我を愛せよ」(Aime-moi)
5) 第2曲 「風」(Le vent)
6) 第3曲 「死せる女」(Morte)
 短調による12の練習曲 op.39より
7) 第11番 ロ短調 「序曲」(Ouverture)
8) 第12番 ホ短調 「イソップの饗宴」(Le festin d’Esope)
 2017年の録音。
 発売からしばらくたつアルバムで、私も聴いてみたいと思いつつ、月日が流れて、ずいぶん遅まきながら聴かせていただいたところ。率直な感想としては、非常に優れた演奏であるというに尽きる。もっと早くに聴けば良かった。
 それにしても、アルカンの作品を手掛けるピアニストというのは、数が限られる。アルカンの作品は、概して超絶的とでも形容したい技巧をピアニストに要求してくるが、時としてその技巧そのものが、手法ではなく目的になってしまっているのではないか、という思いを起こさせるところがあり、それゆえに、演奏を通じて聴き手にどのような芸術的メッセージを伝えるかという観点において、他の様々な名作・名品を差し置いてでもアルカンに取り組もう、という内的必然性を、ピアニストの内に起こさせにくい性格があるように思う。
 それだから、過去の大家と言われたピアニストたちは、アルカンの作品を手掛けてこなかった。その一方で、ロナルド・スミス(Ronald Smith 1922-2004)やジャック・ギボンズ(Jack Gibbons 1962-)のような「アルカン弾き」と言われる人たちの領分として、その作品を聴く機会を得ることになった。
 そのような状況を覆したのが、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)の登場であって、彼の素晴らしい技巧で繰り広げられた演奏によって、アルカンの作品を聴く人は、ずいぶん広がったように思う。とはいえ、まだ他の大家がアルカンの作品を弾くことは、稀な状況ではある。
 そのような中で、現在のアルカン録音のライブラリを充実させてくれるピアニストとして、イタリアのヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)とともに、森下唯の名前は、挙げられるべきであろう。このアルバムを聴いてそのことを実感した。アルカン作品を深く研究した森下は、ジャック・ギボンズにも指導を受けたとされるが、その成果は十二分に還元されてと言っていいだろう。ここでは、アルカン作品を弾くにあたって、必要なものがきちんと備わった演奏を堪能することが出来る。すなわち、一定以上の速度と、ダイナミックレンジの幅を維持した上で、作品の持つ劇場的と言っても良い華やかな演奏効果を再現する能力である。加えて、そこに絶対的な音色の美しさと、メロディ・ラインの周到の扱いから生み出される情感の表出が加わっているのだから、森下の演奏は、現代一級のアルカンといって、まったく過言はないのである。
 冒頭の「風のように」にから、快適なスピードを維持しつつ、目まぐるしくさく裂する音の花火は鮮やかで、下手をすると野暮になりかねないような場所であっても、鮮烈な感覚美が維持されており、美しい。「悲愴な様式による3つの曲」は、この曲における代表録音と言って良い内容で、壮麗・壮大な音の広がり、その中で紡がれる多彩なニュアンスの交錯が、大胆さと緻密さをもって描かれており、アルカン作品の醍醐味を存分に味わわせてくれる。
 私はギボンズの録音を聴いた頃から、短調による12の練習曲の第11番に相当する「序曲」という曲が好きで、アルカンでなければ書きえないであろう直情的と言ってもいいような性急さと、これも非常に分かりやすい静と動の対比が描かれるのであるが、その技術的至難さとともに、そのまま弾いてしまうといかにも安直に聴こえ兼ねない怖さのある作品でもあるのだけれど、森下は、非常に巧みに音に彩りと膨らみを与え、豊かな情感を宿すことに成功している。この演奏を聴いて、なお、この曲が好きになった。「イソップの饗宴」は、アルカンの作品中では、比較的多くのピアニストに手掛けられるものだと思うが、そのような競合版の多い楽曲でも、十分な聴きごたえがあって、総じて優れたアルバムとなっている。

短調による12の練習曲から「交響曲」「協奏曲」「序曲」 プチ・コント 夜想曲 第1番 ジーグと古い形式によるバレエの音楽 3つの騎兵隊行進曲 第1番 戦場の太鼓 48のモチーフ集-エスキスから第4番 第10番 第11番 第20番 第21番 第29番 第41番 第48番 小トッカータ 3つの小さな幻想曲 25の前奏曲から第11番 第12番 第13番 第15番 第16番
p: スミス

レビュー日:2007.8.25
★★★★★ アルカンの魅力を伝えた伝道師直伝の録音です
 ロナルド・スミス(Ronald Smith 1922-2004)によるアルカンのピアノ独奏作品集。CD2枚で150分以上を収録している。
 今でこそアムランらによってその作品が知れ渡るようになったが、そもそもアルカンの作品の普及にあったて、英国アルカン協会の会長も務めたスミスの功績はきわめて大きい。その活動は演奏のみではなく、講演・著作など幅広い。ジャック・ギボンズも若き日に接したスミスに多大な影響を受けた。
 本アルバムは77年と84年に録音されており、音質もまずまず。スミスの演奏はいかにも「先駆け」らしく、アルカン作品の特徴を強調したかなり力の入った演奏だ。最近はアムランやギボンズの演奏があるため、たとえば「交響曲」や「協奏曲」(注:ピアノソロ作品です!)では技巧的にかなりいっぱいいっぱいで、いかにも一生懸命やっているところもあるけれど、決して壊れていないし、むしろスリリングな面白さがある。ある意味まだ洗練されていないながらも、特有の魅力を持っており、それがちょっと泥臭い「アルカンらしさ」から乖離していない説得力を持っている。多数収められた小曲でも独特の音型やフレーズの強調が面白く、飽きずに聴きとおしてしまう妙な魅力に満ちている。

短調による12の練習曲から 第1番「風」 第2番「モロッソのリズムで」 第3番「悪魔のスケルツォ」 独奏ピアノのための協奏曲
p: マルテンポ

レビュー日:2013.11.29
★★★★★ アルカンの短調による12の練習曲録音史に加わった、貴重な1ページ
 アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)の作品に精力的に取り組んでいるイタリアのピアニスト、ヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)が、Piano Classicsレーベルへの録音を継続しているアルカン・シリーズの第3弾となったアルバム。2013年の録音で、収録曲は以下の通り。
1) 短調による12の練習曲 op.39から 第8番 嬰ト短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第1楽章 アレグロ・アッサイ」
2) 短調による12の練習曲 op.39から 第9番 嬰ハ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第2楽章 アダージョ」
3) 短調による12の練習曲 op.39から 第10番 嬰ヘ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット」
4) 短調による12の練習曲 op.39から 第1番 イ短調 「あたかも風のように」
5) 短調による12の練習曲 op.39から 第2番 ニ短調 「モロッソのリズムで」
6) 短調による12の練習曲 op.39から 第3番 ト短調 「悪魔のスケルツォ」
 マルテンポは短調による12の練習曲のうち第4番から第7番までを2011年に、第11番と第12番を2012年に録音していたので、当盤の登場により、めでたく全曲が揃ったことになる。これらの作品集は、魅力ある楽曲であるにもかかわらず、演奏の困難さなどから全曲録音を手掛けるピアニストは限られていたので、そのような状況の中、マルテンポの秀演が加わったことは、たいへん意義深いものだと思う。
 さて、私はこれらの曲集についてはいくつか愛聴盤がある。ロナルド・スミス(Ronald Smith 1922-2004)が1977年から84年にかけて録音したもの(これは先駆者としての意義付けが大きい)と、ジャック・ギボンズ(Jack Gibbons 1962-)が1985年に録音したもの。さらにマルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)は、全曲ではないが、第8番から第10番までについては1991年と2006年の2種の録音がある他、第12番を1994年、第4番から第7番までを2000年に録音していて、これらも私のよく聴くディスク。
 これらの中で、完成度という点で一歩抜け出した観があるのはアムランの録音で、彼には是非にも残り4曲の録音が待たれるが、このマルテンポの演奏も、傾向は異なるが、高い完成度を示している。両者の違いは、アムランはメカニカルなスピードの冴えが見事だったのに対し、マルテンポはエレガントな音楽の様相を良く描いたものである、と言えそうだ。
 全曲録音としては、ギボンズの演奏がとても派手で面白いのだが、マルテンポは、そんなギボンズが「置き去りにしたもの」を上手に回収してくれた演奏、とも言えると思う。過激な演奏表現ではないが、ほどよく快適なテンポを維持し、音同志が潰しあうことのない的確なスペースを設けた表現を心掛けている。
 ピアノ独奏による協奏曲でも、作曲者によって「ピアノソロ」と「トゥッティ」と疑似的にあてがわれた役割を、必要以上に強調せず、音楽的なまとまりを優先し、一つの独奏曲としての規格をまず全体画図として描いてアプローチした手堅さが感じられる。他方、「モロッソのリズムで」などでは、先行する他の録音に比べて、やや守りに入り過ぎているように聴こえるところもあるけれど、それにしても、今まで聴かれなかった音響や情感に接することができるのはうれしい。
 アルカン生誕200年の2013年に、このような優れたディスクを手にすることができたことに感謝するとともに、このマルテンポの録音を機に、さらに面白い録音が、アルカンのこの名作群に登場してくることも、期待したい。

短調による12の練習曲から「交響曲」 ソナチネ 軍隊風奇想曲 戦場の太鼓 夜想曲 第1番 スケルツォ・フォコーソ
p: 森下唯

レビュー日:2025.2.3
★★★★★ 鮮烈なピアニズムで奏でられたアルカン
 森下唯(1981-)によるシャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ独奏曲集で、全5枚からなるシリーズの「第1巻」に相当するアルバム。収録曲は下記の通り。
ソナチネ(Sonatine) イ短調 op.61
 1) 第1楽章 Allegro vivace
 2) 第2楽章 Allegramente
 3) 第3楽章 Scherzo – Minuetto
 4) 第4楽章 Tempo giusto
5) 軍隊風奇想曲(Capriccio alla soldatesca) op.50
6) 戦場の太鼓(Le tambour bat aux champs) op.50 bis
短調による12の練習曲(Douze etudes dans tous les tons mineurs) op.39 より
 7) 第4番 ハ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第1楽章 アレグロ・モデラート」(Allegro moderato)
 8) 第5番 ヘ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第2楽章 葬送行進曲:アンダンティーノ」(Fa, Andantino)
 9) 第6番 変ロ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第3楽章 メヌエット:メヌエットのテンポで」(Si bemol, Tempo di minuetto)
 10) 第7番 変ホ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第4楽章 フィナーレ:プレスト」(Mi bemol, Presto)
11) 夜想曲(Nocturne) 第1番 ロ長調 op.22
12) スケルツォ・フォコーソ(Scherzo-focoso) op.34
 2015年の録音。
 演奏至難な楽曲が揃うアルカンのピアノ独奏曲をレパートリーに加えることは、ピアニストにとってハードルの高いものであることは想像に難くないが、森下はアルカンの作品群をレパートリーの「メイン」に据えるピアニストで、その演奏も見事なものばかり。当盤はその記念すべき第1巻となる。当レビュー執筆の時点で、すでに10年前の録音であるが、以後に登場した他の録音の存在をふまえて、なお一切色あせない存在感を持った録音と言って良いだろう。
 森下はアルカンの作品の演奏至難な作品群を弾きこなす技量と体力の持ち主であるだけでなく、その音楽性を瑞々しく響かせ、ロマン派が生んだ傑作群にふさわしいピアノ独奏曲の森を出現させてみせることのできるピアニストである。
 当盤の中で「試しに」どれかの曲を聴くなら、私は「スケルツォ・フォコーソ」をお勧めする。難局ぞろいのアルカンの作品群の中でも、際立って演奏の難しい楽曲であるが、森下は卓越した運動美、跳躍するリズム、美しい音色でこの作品を弾きこなし、芸術的な音楽の伽藍を描きあげている。めまぐるしい展開の中から浮かび上がっては消える情感は、旋風の中であっても圧殺されず、情感豊かであり、そこに音楽ならではの美が示されている。
 短調による12の練習曲の第4番~第7番の4曲は、「ピアノ独奏による交響曲(の第1楽章唐第4楽章」という副題があり、一種の「見立て」楽曲となっている。この一連の楽曲は、アルカンのピアノで大きなものを表現してやろうという意欲が全面に出ていて、とても面白い。森下の演奏は、アルカンの大きなデザインに力強く切り込んだ演奏であり、その鋭い音響と俊敏なパッセージで作りされるスケールの大きさが見事。また、決して大味になるわけでなく、細やかなニュアンスを救って、音楽の滋味として作用する部分も、しっかりと描かれているのが素晴らしい。
 ソナチネは、「短調による12の練習曲」と比較しても、より録音機会の少ない作品だと思うが、これも十分に愉悦性の高い作品だ。この楽曲を聴いていると、私は、クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832)がロマン派の絢爛な衣装をまとって現れたような気がする。アルカンの作品のベースに古典的な作法があって、この演奏がそのことも含めて良く伝えているということだと思う。併録された小曲たちも魅力的で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)を髣髴とさせる夜想曲など、このアルバムの面白味は、多層的に広がっている。

短調による12の練習曲から第11番「序曲」 第12番「イソップの饗宴」 悲愴的な様式による3曲 ソナチネ
p: マルテンポ

レビュー日:2013.10.17
★★★★★ 都会的洗練を感じさせる演奏によるアルカン
 2013年は、何人かの偉大な作曲家のアニヴァーサリー・イヤーであるが、忘れてならないのがフランスの作曲家、アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)である。アルカンは、当時きわめて技巧的で劇的なピアノ曲を書いたが、演奏に必要な技術的ハードルが高かったこともあり、しばらくは忘れられた存在であった。しかし、最近になってから、アルカンの作品が取り上げられる機会は増えており、レパートリーの中心に据えるピアニストも出現してきた。そんなピアニストの一人が、イタリアのヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)である。
 当盤はそんなマルテンポが2012年に録音したアルカンのピアノ作品集。私は、当盤を聴くまで、このピアニストのことはほとんど知らなかった。しかし、聴いてみると、アルカンの作品を実にスムーズに表現しえていると感じる。安定した技術と音楽性を感じさせる内容だ。本盤収録曲は以下の通り。
1) 短調による12の練習曲 op.39より 第12番「イソップの饗宴」
2) 悲愴な様式による3つの曲 op.15(第1番「私を愛して」 第2番「風」 第3番「死せる女」)
3) 短調による12の練習曲 op.39より 第11番「序曲」
4) ソナチネ op.61
 アルカンの作品は、ピアノ・ソロに「交響的性格」を与えようと試みられたものが多く、その性格は同時代の巨匠、リスト(Franz Liszt 1811-1886)を彷彿とさせるものだ。「悲愴な様式による3つの曲」は、そのリストに高く評価され、リストに献呈されたものである。当盤に収録された作品たちも、「交響的性格」を与えよう、という意図付けが明瞭に伝わるスケールの大きな楽曲であり、そういった点でも聴き味は十分だ。
 マルテンポの演奏は堅実。表現はエレガントで仰々しさとは無縁といった感じ。それゆえにアルカンの作品にしては、無難にまとまり過ぎた印象になってしまうところもあるが、聴き易さという点では大いにメリットがある。興奮度が高いわけではないが、作品の魅力を伝えることには、十分成功している部類に入ると思う。「イソップの饗宴」は特に安定志向により、スタンダードな良演といった内容で、この作品の音響的工夫が分かり易く伝えられている。また、ほどよく踏み込みんだ表現もあるため、決して迫力不足ということにはならない。
 「悲愴な様式による3つの曲」はアルカンの作品の中では以前から名のしられたものであったが、それでも録音点数はいまなお少ないので、当盤の登場は歓迎される。半音階の連続の中で旋律が歌われる「風」、グレゴリオ聖歌の有名な旋律を利用した「死せる女」、それぞれに適度な距離感で音楽表現が行われていて、やり過ぎ感がない。
 「序曲」も、劇的で交響的な音楽だが、適度なペダリングで、全体像を洗練させてまとめあげた音色は、いかにも都会的スタイルだ。ほどよく迫力が表出しているため、メリハリもちょうどいいくらいに思える。
 「ソナチネ」は4つの楽章からなる規模の大きな作品。ここでは特に第4楽章で、短い衝撃的なフレーズを、糸を引くような響きで繰り返すマルテンポの表現が効果的に決まっている。

ピアノ独奏の為の「協奏曲」 歌曲集 第3集
p: アムラン

レビュー日:2007.8.27
★★★★★ ぜひいずれは「短調による12の練習曲」全曲録音を!
 なんとアムランがアルカンの「協奏曲」を再録音した。アムランは1991年頃に Music & Arts にこの曲を録音しているので、今回は縁の深いハイペリオンレーベルに、およそ15年ぶりに録音し直したということになる。
 まず簡単に今回の収録曲を書いておくと、アルカンの「協奏曲」と「歌曲集第3集」である。タイトルは協奏曲と歌曲だけれど、どちらもれっきとした(?)ピアノ独奏曲である。「協奏曲」はアルカンの「短調による12の練習曲」の第8曲~第10曲の3曲のことで、それぞれが第1楽章~第3楽章に対応している。中でも第1楽章にあたる第8曲は演奏時間が30分程度にもなる巨大な作品である。
 楽曲自体がリストを中心とするヴィルトゥオーゾ・ピアニスト時代を象徴する一大芸術モニュメントであるが、そこに加えてアムランの演奏がまた見事。やはりこのピアニストのテクニックはすごい。開いた口がふさがらないくらいにすごい。
 15年前の録音と比べてみると、ほぼ基本的なスタンスはそれほど変わっていないと思うが、さらに落ち着きを獲得し(といってもテンポはほとんど変わっていない)、表現としての幅が広がったと感じる。これは、この15年間にロマン派の楽曲などにたびたびアプローチしてきたことで培った何かなのだろうか。それにしてもこれほどの難曲をこれほどのスピードで弾ききり、しかも余裕を感じさせるとは、心憎いばかりではないか!(これは、もちろん誉めているのである)。また、アムランはもともと音色の豊かなピアニストではないが、それでも和音の鳴りを十分にコントロールし、決して音をつぶすことがないため、音がダマ状に固まることがない。その爽快な音色はさすが。終楽章の疾風のごとき迫力は圧巻。
 一方、今回新たに収録された歌曲第3集は、メロディアスな曲たちだが、終曲の「舟歌」に代表されるようにアムランの演奏は旋律の美しさも存分に楽しめるものとなっています。

ピアノ独奏の為の「協奏曲」 ジーグと古い形式によるバレエの音楽 練習曲「鉄道」 欲望
p: 森下唯

レビュー日:2025.2.1
★★★★★ 練習曲「鉄道」が、特に圧巻の一語
 森下唯(1981-)によるシャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ独奏曲集で、全5枚からなるシリーズの「第2巻」に相当するアルバム。収録曲は下記の通り。
短調による12の練習曲(Douze etudes dans tous les tons mineurs) op.39 より
 1) 第8番 嬰ト短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第1楽章 アレグロ・アッサイ」(Allegro assai (No.8 en sol diese mineur))
 2) 第9番 嬰ハ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第2楽章 アダージョ」(Adagio (No.9 en ut diese mineur))
 3) 第10番 嬰ヘ短調 「ピアノ独奏による協奏曲 第3楽章 蛮族風のアレグレット」(Allegretto alla barbaresca (No.10 en fa diese mineur))
ジーグと古い形式によるバレエの音楽(Gigue, et air de ballet dans le style ancient) op.24
 4) ジーグ(Gigue: Presto)
 5) 古い形式によるバレエの音楽(Air de ballet: modere)
6) 練習曲「鉄道」(Le chemin de fer) op.27b
7) 欲望(Desir) op.15
 2016年の録音。
 森下が録音した一連のアルカン作品の録音から何点かを、今(2025年)になってから聴いているが、とても面白く、楽しい音楽体験になっている。森下は日本におけるアルカン奏者の第一人者と言われているが、世界を見渡しても、これほどの闊達にアルカンを弾きこなし、アルカンの音楽から、その本質的なものを引き出していることを実感させてくれるピアニストが何人いるのだろうか、と思うと、(もちろん私が知る範囲が限られているとはいえ)「日本における」という限定句を外してしまっても、差し支えないのではないかと思う。
 それにしても、アルカンを弾くには、高い技術だけでなく、すさまじい体力を要求される。ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ協奏曲を実演で成功させるには、たいへんな体力が必要であり、それが特に女性の奏者にとっては、一つの乗り越えるべき大きな壁になる、という話はたびたび聞くけれど、アルカンの作品の多くにもそれと共通のことが言えるのではないだろうか。本盤で言えば、短調による12の練習曲における「第8番~第10番」の3曲は、それで「ピアノ独奏のための協奏曲」という一つの楽曲を構成すると見なされるが、この楽曲を演奏するのに消費されるエネルギーは、肉体的にも精神的にも、尋常ではない量となることは、私にでも十分に想像がつく。そういった点でも、アルカン奏者の肩書を得る道のりは、厳しいに違いない。
 その協奏曲は、第1楽章に相当する冒頭から、激しい和音の連打で幕を開けるが、森下の演奏は、スピードを落とすことなく、明晰なリズム感をもって、壮麗な響きでたちまち聴き手をアルカンの世界にいざなう。そこからも、激しく絢爛な展開が延々と続くことになるが、弛緩のないテンションを維持し、加えて旋律を活かした情感の表出にも卓越した冴えを見せる。盤族風のアレグレットと題される第3楽章に相当する個所は、アルカンの作品の中でももっとも劇的で激しい音楽が展開するところであるが、重量感、スピード感ともに十分なものを維持しながら、次々に音の伽藍を築き上げていく様は、まさに圧巻と言って良い。
 「ジーグと古い形式によるバレエの音楽」は、珍しい作品だが、アルカン特有の節回しと古典的な手法の融合がユニークで楽しめる。だが、個人的に当アルバムの白眉と言えるのは、練習曲「鉄道」だ。機械文明による地域間移動の革命的象徴である蒸気機関車(私も大好きである)を描いた作品であるが、そのスピード表現を極限まで突き詰めたアルカンの音楽作品は、有名な一方で、あきれるほど難しく、演奏されることも録音されることもめったにないのだが、ここで、森下の素晴らしいテクニックで、胸のすくような快演に接することが出来る。とにかく早いパッセージを連続的に正確に弾きこなすことが求められるが、それに応えた爽快感は比類ない。
 アルバムの締めは「欲望」という曲だが、曲のタイトルに反して、暖かく和やかな一品で、嵐のような激しさをもったこのアルバムも、情緒豊かに結ばれる。

グランド・ソナタ「四つの時代」 舟歌(歌曲集第3集から) ノクターン ロ長調op.22 25の前奏曲から第8番「海辺の狂女の歌」 スケッチ第1巻から第1番「幻影」、第4番「鐘」、第11番「嘆息」
p: アモワイヤル

レビュー日:2013.8.5
★★★★★ アルカンを忘れてはいけません!
 アニヴァアー・サリー・イヤーというものがあって、毎年のように、何人かの作曲家の生誕〇年とか、没後〇年とかの節目の年に当たって、これに関連した企画が登場してくる。  2013年の場合、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)とヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)という二人の巨星が、そろって生誕200年なのが、まずは注目されるところだろう。他にもブリテン(Edward Benjamin Britten 1913-1976)、ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994)の生誕100年も気になるが、もう一人忘れてならないのが、シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles Valentin Alkan 1813-1888)の生誕200年である。
 しかし、この作曲家、その風変わりな作風のおかげで、なかなか最近まで、まっとうに評価されてこなかったように思う。いや、最近になって、いろいろ面白い録音が登場してきたとはいえ、その数はまだ少なく、逆に言うと、これからいろんなピアニストに挑んでほしいところなのだ。
 それで、そのようなアルカンの作品に、一つ、アニヴァーサリー・イヤーに相応しい録音が登場した。それが当盤。フランスのピアニスト、パスカル・アモワイヤル(Pascal Amoyel 1971-)による2012年録音のアルバムだ。まず収録曲を書いておこう。
1) ノクターン ロ長調 op.22
2) 歌曲集第3集より第6曲「舟歌」op.65-6
3) 25の前奏曲より第8番「海辺の狂女の歌」op.31-8
4) グランド・ソナタ「4つの時代」op.33
5) 48のエスキース(素描)op.63から、第4番「鐘」、第1番「幻影」、第11番「嘆息」
 なお、「歌曲集」とあるが、これはれっきとしたピアノ独奏曲。アルカンには、「交響曲」とか「協奏曲」とかいったタイトルのピアノ独奏曲もあり、こういったところもとにかく風変り。
 ちなみにグランド・ソナタ「4つの時代」は、4つの楽章からなり、それぞれ次のような副題が付いている。第1楽章「20代」、第2楽章「30代、ファウストの様に」、第3楽章「40代、幸せな夫婦」、第4楽章「50代、束縛されたプロメテウス」。つまり。この音楽は一つの人生描写になっている。速いパッセージのトッカータで描かれた第1楽章、劇的で、超絶的な技巧を要求され続ける第2楽章、緩やかな第3楽章、瞑想的な第4楽章とそれぞれが性格的な音楽になっている。この曲には、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)による1994年録音の名盤がある。
 さて、アモワイヤルの演奏であるが、たいへん瑞々しい感覚的な演奏となっていると思う。すなわち、タッチの美しさから、その情感を十分に有効に響かせ、これをカンタービレの起伏に加えることで、音楽の持っている情感を水彩画のような柔らかさをもって表現している。運動的な箇所でも、リズム一辺倒にはならず、健やかな感情を巡らせて、音楽に息遣いのようなものを与えている。そこから得られる情感は、アルカンの作品に、間違いなくロマン派の濃厚な気配が存在していることを示している。
 1)~3)の3曲は、アルカンの作品群の中でも、特に親しみやすいメロディーがあり、演奏機会も多いものだと思うが、そこで紡がれるアモワイヤルの歌は、聴き手への働きかけを一層強めてくれるので、アルカンの作品に触れたいと思う人には絶好のものとなっている。
 大曲であるグランド・ソナタは、アムランの疾風の様な演奏とはまた違い、落ち着いて情緒をはぐくむような面を併せ持っている。そういったところがこのピアニストの特性だろう。末尾のエスキースもほのかな情感が麗しい。
 アニヴァーサリー・イヤーを機に、このような録音が登場したことはたいへん好ましいが、アルカンには数多くの魅力的な作品があるので、アモワイヤルには、更に一層の録音活動を期待したい。

グランド・ソナタ「四つの時代」  短調による12の練習曲から「交響曲」
p: マルテンポ

レビュー日:2013.10.29
★★★★★ アルカン作品を従来のイメージからリフレッシュさせる演奏
 アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)の作品に精力的に取り組んでいるイタリアのピアニスト、ヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)が、2013年現在Piano Classicsレーベルへの録音を継続しているアルカン・シリーズの第1弾となったアルバム。2011年の録音で、収録曲は以下の通り。
1) グランド・ソナタ「4つの時代」op.33
2) 短調による12の練習曲 op.39から 第4番 ハ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第1楽章 アレグロ・モデラート」
3) 短調による12の練習曲 op.39から 第5番 ヘ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第2楽章 アンダンティーノ」
4) 短調による12の練習曲 op.39から 第6番 変ロ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第3楽章 メヌエットのテンポで」
5) 短調による12の練習曲 op.39から 第7番 変ホ短調 「ピアノ独奏による交響曲 第4楽章 プレスト」
6) 片手ずつと両手のための3つの大練習曲 op.76から 第3番「両手のためのユニゾン」
 アルカンという作曲家の“作曲指向”を俯瞰する立派なプログラムで、「第1弾」に相応しい内容だ。アルカンの遺した作品のほとんどはピアノ独奏のための作品であるが、中にはここにあるように「交響曲」のようなタイトルを持ったものも存在する。奇をてらった発想によるネーミングとも言えるが、アルカンのピアノ作品の多くが、「ピアノという一台の楽器で、オーケストラ的楽曲を奏でてみよう」という意図に沿ったものであることから、作曲者にとっては、それなりの蓋然性のあるタイトルだったのかもしれない。
 グランド・ソナタ「4つの時代」は、4つの楽章を持ち、それぞれに「20代(スケルツォ)」「30代 ファウストのように」「40代 幸せな家族」「50代 縛られたプロメテウス」という副題が付いていることから、一種の人生描写的な音楽であると考えられる。「片手ずつと両手のための3つの大練習曲」は、3つの曲からなり、第1番が「左手のための変イ調の幻想曲」、第2番が「右手のための序奏と変奏、フィナーレ」、そして当盤に収められた第3番が「両手のためのユニゾン」という構成。ユニゾンとは、左手と右手が平行に同じ動きをすることを示している。この第3番は、3曲の中で最も有名な楽曲。いずれの楽曲も至難な演奏技術が要求される。
 マルテンポの演奏は、「アルカンの演奏にも、新しい時代が到来したんだな」と感じさせるもの。きわめてスマートで洗練されている。これらの音楽は、大仰にやろうと思えばいくらでも出来るような箇所が、これでもかといった塩梅(あんばい)で散りばめられているのであるが、マルテンポは、極端な踏み込みや踏み外しをすることなく、高い技巧で、ゆとりをもって音楽を奏でている。「ゆとりをもって」とはいっても、決してテンポが遅いわけではなく、むしろ颯爽とした勢いを維持し、清冽な感性を交えて、旋律的な歌の要素を紡いでいく。演出過剰となることを避け、作品そのものに歌わせるような、おおよそこれまでのアルカン解釈から、一歩抜け出したような、気品さえ感じさせるものなのである。
 そう、もともとアルカンの作品には、ともすれば過剰とも言えるような装飾的な部分があり、私たちも、それを稀代のヴィルトゥオーゾたちが、どのように豪快に味付けしてくれるのかを楽しむことが多かったのであるが、マルテンポは「そんなことしなくても、これらの作品は、とってもいい曲なんだよ」と肩の力を抜いて提示しているのだ。
 この演奏を聴いていると、様々な解釈によって手垢にまみれた作品が、清浄な水によって洗い清められ、あらためて本来の姿を目の前に表したかのような想いにとらわれる。そして、それが美しいのである。もちろん、アルカンに従来の情熱や演出を求めることは悪い事ではないし、私もそういった演奏も大好きなのであるが、この演奏を聴いてみると、今までなぜ気付かなかったんだろう、といったような、様々な作品の魅力に接することが出来るのである。
 2013年はアルカンの生誕200年である。今更ながら、このようなフレッシュな演奏でアルカンを聴いてみるのに、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。

グランド・ソナタ「四つの時代」  短調による12の練習曲から「交響曲」 バビロン川の流れに寄す
p: ファヴォーリン

レビュー日:2021.10.20
★★★★★ 高い技巧と音楽性を併せ持つロシアのピアニスト、ファヴォーリンによる見事なアルカン
  ロシアのピアニスト、ユーリ・ファヴォーリン(Yury Favorin 1986-)による、アルカン (Charles Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ作品集。収録曲は下記の通り。
1) バビロン川のほとりで~詩篇137番のパラフレーズ op.52
2) 全ての短調による12の練習曲 op.39 から 第4番~第7番 「ピアノ独奏による交響曲」
3) 大ソナタ 「4つの時代」 op.33
 2017年の録音。
 演奏するためにきわめて高い技術を要求するアルカンのピアノ作品であるが、最近では相応に録音されるようになってきた。アルカンの作品が世に知られるのに大きな貢献を果たしたピアニストが、現在、世界でも特に高い演奏技術を持つと言われるカナダのピアニスト、マルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)の録音群であろう。アムランは、その類まれな技巧により、弾くだけでも困難の伴うアルカンの作品に、音楽作品としてのほどよい肉付きを与え、見事な録音芸術として、音楽ファンに届けてくれた。
 そして、当ファヴォーリンの演奏であるが、これまた凄い。正直、ファヴォーリンというピアニストの名前は、少なくとも日本では、投稿日現在、あまり知られているとは言い難い。かくいう私も、彼の演奏を聴いたのは当録音が初めてである。しかし、その物理技術、すなわち単位時間あたりにどれくらいの量の音を正確に奏でられるか、という点において、当盤を聴く限りのアムランに匹敵するといって過言ではない。正直、このレベルになってくると、凄すぎて、比較検討に適当な物差しさえない感じである。
 加えて、ファヴォーリンもまた、アムランと同じように、アルカンの作品に血肉の通った解釈を与えている。その叙情的な幅は、ファヴォーリンの方が上回るかもしれない。特にそれを感じるのは、大ソナタ 「4つの時代」の中間2つの楽章である。この楽曲は、4つの楽章にそれぞれ「20代」「30代 ファウストの如く」「40代 幸せな家庭」「50代 縛られたプロメテウス」という副題がついているのだが、第2楽章は、まさに疾風のような表現であり、加えて細やかかつ正確に響くシンコペーションの演出が、さえわたっており、実に爽快。第3楽章では、モノローグを思わせるような旋律が、ほどよい発色性を湛えた緩急をまじえつつ、明晰に表現されていて、これっまたたいへんな聴きモノとなっている。
 他の楽曲も、爽快なペーシング、効果的なルバートを交えながら、精緻に音色と音価が取り扱われており、早いパッセージの克明さ、胸のすくような鋭敏なリズム処理とも、実に見事だ。
 素晴らしいアルカン作品の解釈者であるが、これほどの弾き手であれば、他の作曲家の作品であっても、相応の名演奏を繰り広げることが大いに期待できる。

エスキース(スケッチ)~ 4つの組曲による48のモチーフと「神を讃えん」
p: オズボーン

レビュー日:2010.1.23
★★★★☆ アルカンらしいインスピレーションを集めた小曲集
 アルカンの「48のエスキース」を収録。ピアノはスティーヴン・オズボーン(Steven Osborne)、録音は2002年。シャルル=ヴァランタン・アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)はワーグナーと同い年のフランス生まれの作曲家。さまざまなスタイルの技巧的なピアノ曲を書いた。
 エスキースとは「素描」と邦訳される。断片的な小品が12曲ずつ4巻に分かれていて、全部で48曲。プラスして全巻の締めくくりとして「神を讃えん」(Laus Deo)が置かれる・・・この「全巻の締めくくりとして」という構成がまたアルカンらしい。というわけで、このアルバムには都合49の小品が収録されている。全体的なテーマがあるかというでもなく、メンデルスゾーンの無言歌やグリーグの抒情小曲集を思わせるような作品もある。いずれにしても曲の規模が小さく小節数も少ないから、いつのまにかどんどん進んでいってしまうような印象。
 しかし、もうちょっと一生懸命聴くと、いろいろ面白い点も見つかってくる。特にアルカンらしいのは、一種の「見立て」曲が混じっていることだ。例えば15曲目にあたる「古い様式の協奏曲のトゥッティ」では古典的な合奏(トゥッティ)と独奏(ソロ)の対比を、1台のピアノで表現する。他にも第31曲は「四重奏曲の冒頭」と称し、弦楽四重奏曲の4つの弦楽器が奏でる音をピアノで表現したものだ。こういう点を楽しめるといよいよ「アルカン好き」皆伝が近い。
 オズボーンのピアノも良い。技巧の安定感が高く、一音一音のクリアさが構造を明確に伝えている。これらの楽曲がいま一つマイナーにしても、たまにはこういうのも、という趣味的一枚として置いておきたい。

3つの小さな幻想曲 op.41 ドイツ風メヌエット op.46 葬送行進曲 op.26 凱旋行進曲 op.27 単旋律聖歌の8つの音階に基づく小前奏曲より第6曲ポコ・レント 奇想曲-軍隊風に op.50 戦場の太鼓 op.50bis 25の前奏曲 op.31より第8曲「海辺の狂女の歌」 48のモチーフ集-エスキス op.63より「神を讃えよ」
p: マルテンポ

レビュー日:2015.2.17
★★★★★ さらに力強さを蓄えたマルテンポのアルカン
 アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ独奏曲の録音に精力的に取り組んでいるイタリアのピアニスト、ヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)による、5枚目となるアルカンのピアノ独奏曲集。今回は、1899年製作のエラールを用いての演奏。2014年の録音。収録曲は以下の通り。
1) 3つの小さな幻想曲(十分に重々しく、アンダンティーノ、プレスト) op.41
2) ドイツ風メヌエット op.46
3) 葬送行進曲 op.26
4) 凱旋行進曲 op.27
5) 単旋律聖歌の8つの音階に基づく小前奏曲より 第6曲 ポコ・レント
6) 奇想曲-軍隊風に op.50
7) 戦場の太鼓 op.50bis
8) 25の前奏曲 op.31より第8曲「海辺の狂女の歌」
9) 48のエスキス op.63より「神を讃えよ」
 「海辺の狂女の歌」は、最近ではアルカンの作品集によく取り上げられるようになった。本アルバムのタイトル曲でもある。アルカンの作品の中でも、旋律が分かりやすく、かつこの作曲家の幻想的性格が顕著なものであるため、象徴的に取り上げられることが多い。「神を讃えよ」は、24の調性を2周する小曲集「48のエスキス」において、48曲の本編とは別に、出版譜の最後の見開き2ページに書かれてある作品で、本来的には「48のエスキス」の締めくくりの役割を持つ小品。
 これまでもマルテンポのアルカンを聴かせて頂いて、そのエレガントでソツのない弾き振りに感心してきたが、当盤も立派な内容だ。1899年製のエラールを用いている意図は、演奏から明瞭というわけではないが、現代のピアノに近い響きであり、また、アルカンの作品自体、単位時間あたりの音符の数がきわめて多いため、音の保持の面での特性が雰囲気を支配するという印象でもない。狙ったとすれば、音量の均質性に若干の揺らぎが感じられるので、例えば3つの小さな幻想曲の末尾のプレストにおける同音連打に移ろうような効果が表れているところなどが期待されたものかもしれない。
 とにかく、このたびのマルテンポの演奏は、これまでの録音に比べて迫力が増して、アルカンの音楽が持つ果敢に急き立てるような効果が、全編に満ちている。「3つの小さな幻想曲」において、その華麗な運動性と、どこか悪魔的な暗示性は、十分に示されるが、その方向性で繰り返し継続されるピアノの音響は、アルカンの作品が好きな人にはたまらないほど効果的だ。
 楽曲もどれも面白いが、「葬送行進曲」は、陰鬱さと派手さが同居したような、アルカンならではの世界だ。中間部で左手が繰り返す下降音型にのって繰り広げられる音は、弔いの鐘の音の描写だろうか。私はこの曲を聴くと、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の練習曲集「音の絵」op.39の第7曲を連想する。ラフマニノフの描き出す鐘の響きはより多彩で芸術的だが、アルカンの一本気な描写にも異形の力感が感じられる。
 「凱旋行進曲」は、逆に、陽性の豪華さが特徴。また、「奇想曲-軍隊風に」は、断片的なフレーズが繰り返しながら音楽の切迫感が盛り上がっていく作品で、これまた、いかにもアルカンらしい音楽。
 マルテンポは、すでにアルカンのピアノ曲演奏のツボを心得た弾き振り。十分なテクニックを背景に、音楽的な起伏を整えるだけでなく、本盤の録音では、力強さと迅速さの面も従来以上に高まって、当代きっての弾き振りと言うに相応しい貫禄まで感じさせるようになった。
 今まで、録音点数で物足りなさのあったアルカンの作品において、マルテンポという才能の出現は、実に心強く、今後の活動にも期待したい。

シャルル=ヴァランタン・アルカン:トランスクリプション集 第1集「モーツァルト」
p: ロペス

レビュー日:2015.9.29
★★★★★ アルカンの編曲作品の世界へようこそ
 今世紀になって、急に録音点数の増えた作曲家の一人として、アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)の名を挙げることができるだろう。リスト(Franz Liszt 1811-1886)と同時代にヴィルトゥオーゾ的作品を書いた人だったのに、その扱いには差が大きく、その異様なまでに技巧を追及した作風から「変人」呼ばわりされることもままあった。
 しかし、現在では、アルカンの作品を手掛けるピアニストも増えてきた。生誕200年の2013年にも、いくつか面白いものが録音された。  その一方で、アルカンの作品を体系的に俯瞰しようとすると、いま一つイメージがまとまらない。初期や後期の作品で作風に大きな違いも感じられないし、なにより、まだまだ「発掘されていない部分」の多い作曲家なのだ。
 そんなアルカンの重要なピースを埋めることになるかもしれないのが当プロジェクトで、フロリダ国際大学でピアノを教えているホセ・ラウル・ロペス(Jose Raul Lopez)という人による、アルカンの「編曲集」である。当アイテムはその第1集と銘打たれて、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)の作品をアルカンがピアノ独奏曲に編曲したものが収められている。今後は他の作曲家の作品を編曲したものが継続されるのだろう。さて、収録内容は以下の通り。
1) 交響曲 第39番 変ホ長調 K.543 から 第3楽章
2) 英雄劇「エジプトの王ターモス」 K.345 から 「そなたら塵芥の子らよ」
3) 交響曲 第40番 ト短調 K.550 から 第3楽章
4) 弦楽四重奏曲 第18番 イ長調 K.464 から 第3楽章
5) ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466
 2014年の録音。
 まず、全体的な印象として、アルカンが編曲の対象としたものに短調のものが多いということがある。アルカンの悲劇的な感情の表出はひとつの作風であり、そのスタイルに合致した楽曲が選ばれたのだろう。それにしても気を引くのは「ピアノ協奏曲第20番」、それも全曲の編曲である。以前、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)が、アルカンがベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の第1楽章をピアノ独奏用に編曲したものをライヴ録音したものがあり、私は感心したのだけれど、今回は「全曲」だ。言うまでもなく、ピアノ協奏曲では、同じ旋律をピアノとオーケストラがそれぞれ奏でる機会があるから、その場合には、両者の音色の違いで、聴き手に音楽としての主張が行われる。ところが、これをピアノ一台で奏でるとなると、その前提機能を放棄することになるので、そもそも音楽作品として成立させることに無理なイメージがある。とはいっても、これを編曲するところが、アルカンならではだろう。
 注:当CDの解説によると、なんとフンメル(Johan Nepomuk Hummel 1778-1837)も同じ試みを行っているとのこと。私は聴いたことはないのだけれど。
 というわけで、まずはこのピアノ協奏曲を聴いてみたのだが、なかなか面白い。オクターブの使い分け、精妙で技巧的な手法を用いて、なかなか聴き味のよい音楽となっている。中でもいかにも工夫を凝らしたのがカデンツァの部分だ。第1楽章のカデンツァで、アルカンは、自らの発想に加え、モーツァルトの交響曲第41番第1楽章を引用し、実にユニークな発展を披露する。これを聴いていると、このカデンツァ、逆に協奏曲の演奏に組み込んでもいいのでは?と思えてくる。また第3楽章のカデンツァは、アルカン特有の趣味的な行進曲風の色合いの中で、楽想の振り返りなどの演出があって、こちらも楽しい。
 次いで面白かったのが、英雄劇「エジプトの王ターモス」 K.345 から「そなたら塵芥の子らよ」の編曲。この悲劇的な強靭性が、アルカンの気風にとても合い、魅力的な独立作品としての趣を呈している。
 他の交響曲や弦楽四重奏曲からの編曲は、それに比べるとやや重さのある平板さを感じさせ、このようなアルバムの中で聴くのはいいけれど、単独で聴くとちょっと面白みの少ない作品となるように思う。
 ロペスの演奏は、技術的にも十分に安定している。もっとインスピレーションの欲しいところもあるけれど、これらの作品の内容を知る演奏としては、まずは十分な出来栄え。少なくとも、技術という点で聴いていて苦しいことはなく、今後のシリーズの継続にも、期待できるものだと思った。

モッタによるアルカン作品の編曲全集
p: マルテンポ

レビュー日:2015.2.26
★★★★☆ 編曲で聴く知られざるアルカンの作品
 アルカン (Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ作品の演奏・録音に積極的取り組んでいるイタリアのピアニスト、ヴィンチェンツォ・マルテンポ(Vincenzo Maltempo 1985-)による番外編と言えるアルバム。同じくイタリアのピアニストであるエマニュエル・デルッチ(Emanuele Delucchi 1987-)とともに、アルカンの作品を、ポルトガルのピアニスト・兼作曲家だったジョゼ・ヴィアナ・ダ・モッタ(Jose Vianna da Motta 18681948)が編曲したものを集め、録音した。83分を越える長時間収録盤である。2013年の録音。
 収録内容は以下の通り。
1) 「13の祈り op.64」 から 第1、2、3、4、5、6、7、9曲 ピアノ編曲
2) 「宗教的な様式による11の大前奏曲とヘンデル“メサイア”から1曲のトランスクリプション op.66」 から 抜粋 4手のためのピアノ編曲
3) ベネディクトゥス ニ短調 op.54 4手のためのピアノ編曲
 1)と3)の原曲はオルガン曲。2)の原曲は「ペダル・ピアノ又は3手のための」作品。ちなみに2)の原題は上記の通りだが、4手編曲は抜粋によって行われており、その際“ヘンデル「メサイア」から1曲のトランスクリプション”に相当する楽曲が割愛されてしまったため、該当部分は本盤には含まれていない。だから、表記としてはすこぶる紛らわしい感じだ。
 さらに補足すると、ペダル・ピアノという楽器は、パイプオルガンのように足鍵盤を設置したピアノのこと。この楽器のための作品というのはほとんどなく、かろうじてシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の練習曲集 op. 56がかろうじて知られているくらい。そもそも、足で鍵盤を弾いていては、本来のペダル操作が出来なくなるので、ピアノという楽器の奏法的に無理があった。そもそも、この楽器は、実演用ではなく、オルガンの練習用に作られたものだった。そのような楽器にまで目を付け、作曲の筆をとったのは、奇人アルカンらしいエピソードである。
 編曲を行ったモッタは、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の弟子の一人で、アルカンの作曲活動を高く評価していた人物。
 というわけで、概要説明だけでも、ややこしいアルバムである。
 楽曲は、アルカンらしい音の行進で、「13の祈り」にしても、祈りというイメージとはあまり合致しない。アルカンらしい大仰さと泥臭さのある音楽で、あちこちでピアニストはスポーティーな要求を突き付けられる。壮大な音の伽藍を築き上げる第3曲や第5曲が象徴的なところであろう。
 「宗教的な様式による11の大前奏曲」は、リストの「詩的で宗教的な調べ」に似た陰鬱さを持っていて、単旋律なども、それ自体の魅力というより、音楽的な呼吸のように扱われているように感じる。原曲の気難しさが、4手のピアノのための編曲で強調されているようにも思う。マルテンポとデルッチはやや武骨すぎるところのある楽曲を、強靭にまとめようと努力しており、健闘ぶりは好意的に受けたいが、音楽自体の印象が希薄になるところが散見されるのは、致し方ないところかもしれない。
 アルカンの楽曲として、かつその作品が歴史の中でどのように扱われてきたかを知る意味で興味深いアルバムではあるが、アルカンの作品が大好きという人以外には、ちょっと薦めにくいところもある。


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