アダムズ
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アブソルート・ジェスト グランド・ピアノラ・ミュージック トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団 アダムズ指揮 p: アムラン O.シャハム セント・ローレンス弦楽四重奏団 シナジー・ヴォーカルズ レビュー日:2015.10.28 |
★★★★☆ これは本物の芸術であるか?アダムズが問う絶対的なジョーク
サンフランシスコ交響楽団の音楽顧問を務め、1979年から1985年まで常勤作曲家というポジションにあったジョン・アダムズ(John Coolidge Adams 1947-)の2つの作品をライヴ収録したアルバム。曲目と演奏者は以下の通り。 1) アブソルート・ジェスト(2015年録音) ティルソン・トーマス(Michael Tilson Thomas 1944-)指揮 サンフランシスコ交響楽団 セント・ローレンス弦楽四重奏団 2) グランド・ピアノラ・ミュージック(2013年録音) ジョン・アダムズ指揮 サンフランシスコ交響楽団 ピアノ: アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)、オルリ・シャハム(Orli Shaham 1975-) シナジー・ヴォーカルズ ジョン・アダムズはミニマル・ミュージックの大家の一人で、現代、人気のある作曲家の一人。私も、彼の書いたピアノのための美しい小品「中国の門 China Gates」をよく聴く。 しかし、当盤は、単にミニマル・ミュージックという括りで聴く音楽ではなさそう。「アブソリュート・ジェスト」はサンフランシスコ交響楽団の設立100周年を記念しての委嘱作品であるが、この「絶対的冗談」というのはどういう意味か。 この25分程度の弦楽四重奏曲と管弦楽のための作品は、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven1770-1827)の様々なモチーフを、いわばメドレーふうにつなぎ、そこにアダムズの作曲技術による加工を施した様相を持っている。アダムズは、この自作について、こう語っている。「ベートーヴェンの音楽のフラグメントを私流の音楽的技法でつなぎ合わせた途方もないスケルツォです。その音楽的技法は、私が長年、自身の作品を活性化させるために使用してきたものでもあるのです」。このスケルツォという形容は、「ジェスト」というタイトルにも符合するものだ。 フラグメントが引用されている楽曲は、ベートーヴェンの以下の楽曲。 ・弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 op.130 ・弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 op.135 ・交響曲 第7番 イ長調 op.92 ・交響曲 第9番 ニ短調 op.125 ・ピアノソナタ 第21番 ハ長調 op.53 他にもあるかもしれないが、そこまではっきりした引用ではないだろう。これらの中で、弦楽四重奏曲については、そのものずばりと言った形で無加工なベートーヴェンが顔を出すので、聴いていて少々面食らう。 しかし、モチーフが古典の王道であることもあり、全体的な聴き味はとても保守的な色彩で、その加工方法は、概して和声を積極的に崩したり、斬新な方向性を提示したりするものではない。全般に、一様なリズムに則った進行で、次々といろいろなものが立ち現れては、その場をにぎやかに盛り上げていく。 そういった意味で、これは大変祭典的な音楽であり、難しい音楽理論などに思いを馳せる必要などないといってよい。とはいえ、導入部からベートーヴェンの第9を思わせるが、これも正面切って「冗談音楽」と言い切れない不思議な雰囲気を持っている。ティンパニのオクターブ連打は、第9の第2楽章を彷彿とさせるが、「茶化し」というわけでもなく、このあたりに「アブソリュート・ジェスト」に込められた作曲者の意趣を感じ取る。管弦楽と弦楽四重奏曲の受け渡しも面白い。音楽手法として新しいのではなく、感覚的な斬新さを目指した音響に思える。 グランド・ピアノラ・ミュージックは1980年代の作品だが、ここではアムランとシャハムによる華麗なピアノが加わる。こちらもミニマル・ミュージック的な要素をベースに持ちながら、色彩豊かな変容をも併せ持つ。楽曲自体は聞きやすく、不協和な響きもない愉悦性の高いもの。ピアノが音階を駆け巡る華やかさは、私には皇帝協奏曲を彷彿とさせるものだ。さらにちょっとゴスペルを思わせるヴォーカルが加わり、軽音楽的な要素さえ垣間見せる。 これらの音楽を聴いて、現代の、様々な音楽を知っている聴衆を相手に、芸術家たちがどのような作品で何を訴えようとしているのか、という問題について考えるのも面白いだろう。単にベートーヴェンへのオマージュというだけでなく、過去作品を利用した作品作成の手法について、かつての大作曲家の仕事の偉大さを見越したうえでアプローチすることも、アリだと思われる。そういった「面白さ」を感じるディスクでした。ただ、これが「ホンモノ」の芸術なのかどうか、私にも悩ましいところなのですが。 |
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アダムズ 中国の門 フリギアの門 グラス ピアノ独奏のためのオルフェ組曲 p: ジャルベール レビュー日:2019.1.10 |
★★★★★ 馴染みやすいミニマル音楽のピアノ曲集で、演奏もツボを押さえた好演です
カナダのピアニスト、デイヴィッド・ジャルベール(David Jalbert 1980-)による、アメリカの2人のミニマル・ミュージックの大家の作品を収録したアルバム。収録内容は以下の通り。 1) アダムズ(John Adams 1947-) 中国の門 2) アダムズ フリギアの門 グラス(Philip Glass 1937-)/パーンズ(Paul Barnes 1961-)編 ピアノ独奏のためのオルフェ組曲 3) カフェ 4) オルフェの寝室 5) 深層世界への旅 6) オルフェと王女 7) オルフェの帰宅 8) オルフェの帰還 9) オルフェの寝室-再び 2009年の録音。 アダムズの2つの作品は、どちらも1977年の作品で、この時代の創作活動が認められたアダムズは、1979年から1985年までサンフランシスコ交響楽団の常勤作曲家を務めることとなる。ミニマル・ミュージックと分類されてしかるべき内容を持っているが、アダムズ自身は「ポストミニマル」的なスタンスに言及している。グラスの作品は、コクトー(Jean Cocteau 1889-1963)の映画「オルフェ」(1950)にインスパイアされて1991年に書かれた室内オペラ「オルフェ」に基づいて、グラス作品に様々に関わっているピアニスト、パーンズがピアノ独奏のための組曲として編曲したもの。 私は、アダムズの「中国の門」という美しいピアノ曲を、ディリュカ(Shani Diluka 1976-)の弾く「ルート66」というアルバムで知った。そのアルバムでも冒頭を飾ったこの曲は、輝きながら微細に変化していくさざ波を思わせる音楽で、どこかアンビエント系のものを感じさせ、シミュレーションゲームのサウンドトラックのような印象を持った。 当録音でもその印象は共通だ。ある意味、演奏によって大きく印象を変える楽曲ではないかもしれない。ただ、ジャルベールの演奏には、よりミニマル的な当包囲的な、方格構造を思わせる佇まいが強まっているように思う。ソノリティの輪郭の鋭さがそれを感じさせるのだろうか。 演奏時間が5分程度の「中国の門」に対し、「フリギアの門」は25分に及ぶ。音楽作品でフリギアと聞くと、「フリギア旋法」を思い起こしてしまうのだが、当作品は旋法とは特に関係ないようだ。西アジアにあった古代の国をイメージした作品なのかもしれない。また、「中国の門」と同様に邦題で「門」と訳されているが、gateは音色的な変化を指すと考えられる。この楽曲は、アダムズの作曲家としての名声をひときわ高めたもので、一定時間持続した音調が、変化し、また一定期間持続、というふうに進んでいく。その音色の楽しみと、聴き味の自然さが魅力だ。ジャルベールはこの作品でも、美しい響きで精緻なトレースを続けていて、この楽曲にふさわしい再現が行われている。 アダムズの作品に比べると、グラスの作品ははるかに旋律的だ。私個人的には、グラスの調性の扱いには、どこか日本人の琴線に触れやすいノスタルジックなものがあると思うのだけれど、どうだろうか。この楽曲でも、安定した調性の移行があり、その末尾に感情を湛えた放散があって、私は心地よくその世界に浸ることができた。ずっと聴いているうちに、自分が小さいころ、鉄道に乗って訪れた町たちの風景が蘇ってくるような。。。 特に「オルフェと王女」、「オルフェの帰還」といった楽曲に、美しく郷愁豊かなフレーズの流れがあり、心を動かされる。また、組曲全体を通して繰り返されるモチーフの存在が、一体感を保っている。原曲を聴いたことはないが、パーンズによるグラス作品を知り尽くした安定した編曲も見事なものだ。ジャルベールも、ミニマル・ミュージックの作法を踏まえながら、ここぞというところで、ハートに迫る情感を滲み出していて、うまい。 |
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コモン・トーンズ・イン・シンプル・タイム(定常リズムのなかの共通の音高) ハルモニーレーレ ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン ナガノ指揮 モントリオール交響楽団 レビュー日:2022.12.1 |
★★★★★ ジョン・アダムスのオーケストラ作品の魅力を存分に味わえる1枚
アメリカの指揮者、ケント・ナガノ(Kent Nagano 1951-)とモントリオール交響楽団による、アメリカのミニマル・ミュージックの大家、ジョン・アダムズ(John Adams 1947-)の代表的な管弦楽作品3曲を収録したアルバム。 収録内容の詳細は下記の通り。 1) 定常リズムのなかの共通の音高(Common Tones in Simple Time) ハルモニーレーレ(Harmonielehre) 2) 第1楽章(First Movement) 3) アンフォルタスの傷(The Anfortas Wound) 4) マイスター・エックハルトとクエッキー(Meister Echkardt and Quackie) 5) ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン(Short Ride in a Fast Machine) 2017年の録音。 ジョン・アダムスの作品の美しさ、力強さを心ゆくまで堪能させてくれる素晴らしいアルバムだ。 冒頭に収録されている「定常リズムのなかの共通の音高」は、ミニマル・ミュージックならではの音型と進行により、徐々に一つのものが立ち上ってくるような「映像的」な音楽だ。この楽曲については、作曲者自身の下記のコメントが流石に言い表した感がある。すなわち「ジェット機の窓から大陸の形を眺めるようにして“地形”や“風景”の上を移動するようなイメージ」である。全体は、リズミカルな拍動の継続により形成されるが、オーケストラか繰り出す色彩は豊かであり、この点がアダムスの音楽の無二の魅力となっている。やがて音は壮麗な美しさを形作り、どこには人を興奮させたり、感動させたりする要素を十分に含んでいて、繰り返し聴くことによって、その感情と再び相対することの喜びさえ含んでいる。ひとくちにミニマル・ミュージックと言っても、そこまで情感に冴えた深みを帯びたものは多くないが、この作品はとても成功していて、ナガノとモントリオール交響楽団が作り上げる精巧で美しい音響はそれに拍車をかける。 次に収録されている「ハルモニーレーレ」は、3つの部分からなり、3楽章構成の交響曲ともみなせる大作だ。最初の部分は「第1楽章」と銘打たれ、一貫したリズムの中から、自然描写的な、大河的と表現したい音響を築き上げ、壮大でファンタスティックな雰囲気に満ちている。第2の部分は「アンフォルタスの傷」と題されて、その楽想は悲劇性を帯びており、全曲の中では「緩徐楽章」としての役割を担っている。ここでは、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の未完に終わった交響曲を彷彿とする人も多いだろう。特に後半に一つのクライマックスが築かれるかたりにそれを思う。ナガノはややゆっくりしたテンポで、一つ一つの音価を精巧に作り上げ、この音楽の諸相を克明に描き出している。第3の部分は「マイスター・エックハルトとクエッキー」と題されている。このタイトルはアダムス自身が見た啓示的な夢の内容によるものだそうだが、音楽は再び暖かくも力強い定常性を持ち、途中からは心地よい加速感とともに立派なクライマックスを形作る。この個所でナガノが引き出す音色の明るさと壮大さは素晴らしく、大オーケストラの鳴動に相応しい迫力をもたらす。アダムスの野心作であり、傑作と呼ぶにふさわしい音楽の気迫が漲っていて、大きく心を動かされる。 なお、3つのタイトルをもつパーツから構成された交響曲的作品として、ヒンデミット (Paul Hindemith 1895-1963)の「画家マティス」を彷彿とする人もいるだろう。両曲の聴き比べも面白そうだ。 さて、末尾には4分ほどの小曲であるが、アダムスの作品としてよく知られている「ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン」が置かれる。快適でカラフルな、快速進行の音楽であり、これまた聴き易く楽しい。 以上の様に、輝かしいオーケストラ・サウンドで、作品の魅力を十全に表現した演奏であり、DECCAの素晴らしい録音技術が、高精度に大オーケストラの響きを記録していることと併せて、オーケストラによるミニマル・ミュージックのアルバムとして、代表的な成功作と言って良いものとなっている。 |