日高線残照

 日高線は、苫小牧を起点とし、前身である苫小牧軽便鉄道(1913-)と日高拓殖鉄道(1924-)の線形を受け継ぐ形で1927年に国有化、1933年に様似までが開業した全長146.5kmの路線である。だが2015年1月8日、太平洋に沿う厚賀周辺で高波の影響により路盤が流出、その後周辺の護岸が遺棄された形で、2018年12月30日現在、鵡川-様似間はバスによる代行運転が行われている。
 バス代行により、列車運行時、1時間で結ばれていた鵡川-静内間の所要時間は1時間40分以上、1時間20分程度で結ばれていた静内-様似間はおよそ約2時間と、所要時間が大きく増したことはあまり報道されない。その結果、多くの通学生が自宅からの通学を諦めざるをえないなど、結果として周辺の多くの自治体で過疎化に拍車がかかる事態となっている。

 本件に関して、管理人が実感するのは、北海道の厳しさのことである。北海道では70年代以降、多くの鉄道路線が廃止されていった。これらの路線の中には、産業の移り変わりにより、当初の役目を終えたと言えるものもあるとはいえ、地域の生活を支える、いわゆるインフラとしての役割を併せ持っていたものがほとんどである。それらが、単に収益という観点から廃止され、鬼籍に名を連ねることが、この地域の厳しさの象徴となっている。特に、北海道の場合、厳しい冬がある。雪に覆われる冬こそ、特に長距離移動において鉄道の果たす役割は大きかったのだが、それが多くの地域から根こそぎ奪われたのは、耐雪の維持費と不可分ではない。 だが、そのことに私は疑義を感じてしまう。厳しい冬という実情があるからこそ、鉄道は公的負担により維持されてしかるべきであり、それを民間産業と同じような価値軸~単に運賃収入を維持費で割ったもの~でその価値を図って切り捨てることが妥当であったとは、到底思えない。

 管理人は個人的には、電力、郵便、通信、交通等の生活基盤となるインフラは、公が管理するべきものだと思っている。しかし、いつの頃からかこの国は、とにかく民営化、民間委託することが良いことで、それに抗うものは「抵抗勢力」と呼ばれるようになった。極端な話、電力や郵便、通信であっても、民営化された現在であれば、企業の論理でペイしない土地から撤退することは十分に合理的なこととなってしまっているし、現在の社会的方向性はそちらを向いている。そのことに、明瞭に警鐘を鳴らす意見が、より大きくなるべきではないのだろうか。 加えて、国鉄再建法により、80年代に国鉄線の多くが廃止された際、政府は国会答弁等で、「これ以上の廃止はない」旨を何度も繰り返したのである。しかし、それからわずか30年の今日、その言質を顧みるどころか、JRに是正勧告という名で、廃止推進を諭しかねない態度を示す。それは、地域の住民にとって、多重の背信行為にほかならないだろう。そうであっても、圧倒的に人口の少ない地域の声は、たとえ正論であっても、大都市圏に住む人たちのがなり声にかき消される。悲劇である。すべての路線を残し維持すべきだったと言っているわけではない。中には運炭鉄道や森林鉄道、簡易軌道のように、その使命をまっとうしたものや、実際に利用実態がわずかしかないものもあっただろう。しかし、生活路線として利用されている多くの路線が廃止されていったこともまた事実である。

 当時、廃止の目安としたものが「輸送密度」という指標であった。これは人口における利用率ではなく、単純に利用者の絶対数を背景とした指標であったため、元来人口密度の少ない北海道で用いるには本来不適切な指標であり、地元の人の多くが利用していても、その実情は反映されず、達成不可能な基準となってしまった。そのため、利用の実態とは関係なく、次々と狙い撃つように路線が廃止となっていった。実際、管理人が乗った多くの路線では、時には通路まで一杯の利用者がいたのである。しかし、地域の人の多くが利用しても、地域の人口自体が少なければ、先の指標により「利用価値のない」「無用な」ものと見做された。現地の状況を知らない人が、まるで、我がことの利益に係る重大事のように「廃止すべき」という論調を掲げることもあった。

 紋別という町がある。町を通じる名寄線が廃止されたとき、この駅の一日の乗客数が800人。人口3万人の町の一駅で800人が列車に乗車していたのである。この比率は、当該年度の札幌市の人口と札幌駅の乗客数の比と大きく変わるものではない。紋別市の両隣の興部町、湧別町にいたっては、当時の人口:代表駅の1日利用者数比はさらに高まり、それぞれ6,600人:403人、1万7千人:686人で、当時札幌よりも、はるかにこれらの町の方が、「日常的に鉄道を利用する人の割合」は高く、依存度が大きかったのである。つまり、当時もっともらしく囁かれた「現地の人が利用してない」は、現状を知らない都会に住んでいる人たちが、たまにTVに映る乗客の少ないディーゼルカーの映像か何かから刷り込まれたであろう勝手な妄想でしかなかった。

 しかし、名寄線は廃止された。紋別市は、廃止まで5年間の人口減少率が1%であったが、路線廃止後は、それがおよそ5%となり、一層の過疎化が進んでいる。鉄道の廃止だけが原因ではないだろうが、その一方で、鉄道路線図の変遷を見ると、私は隅々まで血の通わなくなった組織を彷彿とさせる。そういった意味で、この大廃止時代は、過疎化に拍車がかかった象徴的時期に思えてならない。

 そもそも、先進国において、鉄道事業だけで経営を成り立たせることは至難である。多くの国において、鉄道は国営、もしくはいわゆる上下分離方式により、施設を公が維持した上で、運行のみを民間委託している。そうやって、鉄道を維持している。なぜか。それは、単に鉄道が地域のライフラインだというだけでなく、観光を含めた「人の移動」自体に、社会的に様々な意味での「価値」があることを、社会と地域が理解し認識しているためだ。いわゆる「物流」とよばれるものの価値は多元的なものなのである。ところが、日本ではこの感覚が非常に薄く、特に最近では、一民間会社の収支という観点ばかりが考えられるようになってきている。

 最近、過疎地域でよく聞く言葉として、「交流人口」という言葉がある。普通、「人口」という言葉はその地域に住民票を持つ「定住人口」に置換される。しかし、その減少はいまの日本では必然だ。そこで「交流人口」が重要になる。その時間、その町や地域にいる人、例え一過性であっても、そこで過ごし、人と関わったり、経済活動を行ったりする人、その数を増やすことで、定住人口の減少による「過疎」と呼ばれる衰退を少しでも食い止め、地域の活性化に結び付くことができる。

 しかし、残念ながら、日本のいくつかの自治体がそのことに気づいた時にはすでに遅し。そのための、鉄道という強力なツールが、そのような自治体においては、ほとんど廃止されてしまっていたのである。かく言う管理人も、鉄道のある町とない町では、行く頻度が全然違う。それは、私が鉄道が好きだからという以上に、利便性の問題が大きい。全国どこを旅しても、時刻表一冊あれば、いろんなプランニングをして、旅をできる。鉄道とはそのようなツールなのである。外国からくる旅行者の多くが鉄道を利用するのも、そのような利便性ゆえだ。だいたい地域のバス路線なんて、よほど旅慣れた人でも、ルートもバス停の位置も時刻表もなかなか把握ができない。細かい運営会社にバラバラに分かれていて、乗り継ぎの担保も少ない。

 そのような観点で見れば、地域の人口が減っている現在こそ、鉄道の価値をいまいちど見直すべきなのである。少なくとも広域鉄道に関して、「一企業が収益を上げるツール」という枠組みでしか評価しないことは、断じて間違いなのである。しかし、残念ながら、この国においては、地方の活性化を自らの責任として考える人は少なく、「地方のことは地方で勝手にやれ」「自分たちで知恵を絞れ」という人が多い。地方が疲弊し衰退した、そのあとに残った都市たちを、今度はどのような運命が待ち受けるのだろうか。

 鉄道利用者の数が減っている。これだけ多くの路線が廃止されているのだから当たり前でもある。もしかつてのように鉄道網が充実していたのなら、当然のように鉄道を利用していた行程であっても、鉄道がなくなってはどうしようもない、他の交通機関を利用する。ローカル線という枝を振り払ったら、幹線という幹が枯れてくるのは自然の摂理だ。二次交通網がなくれば、一次交通網も衰退するのである。バスで代替といっても限度がある。そもそも、冬期間のバスの運行は当てにならないことが多いし、遠距離であれば、いくつものバスに乗り継ぐことになる。吹雪の中、いつ来るともしれないバスを待つのは、大げさではなく命がけだ。実質的にそれは利用のハードルを大きく上げることになる。旅行者の足は遠のく。利便性が低下し、地域の価値が下がる。衰退する。だいたい、バス転換したとしても、いまの時代、バスの運転手も台数も確保できない。北海道のように、冬季の道路条件の厳しいところではなおさらである。結果として、あちこちの集落が消失する。消失する集落の規模が大きくなってきているところがさらに恐ろしい。そのような現実を知らない人が、まったくの圏外に居住し、安穏な生活を送りながら、「収支が上がらないのだから廃止は当然だ」みたいなことを平然と言ってのけたりする。そもそも「世間の声」とは、「無責任」の代名詞のようなものである。地域から公的交通を奪った「世間の声」は、自動車を持たなくては生活できない状況に押し込められた人々に対し、今度は「高齢になったら危険だから運転するな」と言う。 美しい日高線の風景を紹介する本ページと直接的には関係のないことを書いてしまったが、それでも、せめて本サイトをご覧いただく方だけにでも、そこで生活している人がいて、その大事な基盤が失われたのだという今、地続きな現実を知っていただきたい。


日高線(苫小牧~鵡川)

苫小牧貨物駅の駅舎。苫小牧を出た日高線はしばらく室蘭線と並走するが、その並走部分に苫小牧貨物駅がある。路線南側に東西1.5kmに及んで展開し、5本の発着線、20両編成の荷役を扱うホーム設備がある。2018.12.24 苫小牧貨物駅に留置されている大量のコンテナ。2018.12.24 室蘭線と別れ、勇払駅が近づくと南側車窓に日本製紙の工場が見える。
勇払駅(日高線) 2020.03.21
駅ホームと駅舎の間のスペースは、製紙工場への専用線跡。1941年に大日本再生製紙専用線として運用が開始され、日本製紙の前身である山陽国策パルプ工場でも運用されたが1980年に専用線は廃止された。駅舎は、専用線運用時代の名残で、2階建てとなっているが、現在はその一部が待合室として供されている。広いヤードもかつての繁栄を物語っている。
日高線の車内から見る勇払駅。2018.12.24 勇払駅付近で車窓に広がる勇払原野。湿原が広がる。2018.12.24
日高線から見る勇払原野。こちらは海側の風景。2018.12.24 苫小牧港に近い海岸線と並行して日高線は走る。海を行く大型船との並走も楽しい。2018.12.24 苫小牧東港のガントリークレーンが見える。ガントリークレーンはその形状から「キリン」の愛称を持つが、日高線の車窓は、草原の果てにキリンが並んでいるように見え、ロマンティックだ。2018.12.24
勇払-浜厚真間で、日高線は北海道電力の要害、総出力165万kWを誇る苫東厚真発電所の真横を通過する。広い大規模発電所内を見学しているかのような錯覚に陥る。燃料用に積おかれた石炭、石炭を搬送する空中ベルトコンベア、3つの加圧流動床複合発電棟がよく見える。2018.12.24
苫東厚真発電所を過ぎると、日高線は厚真川橋梁を超える。2018.12.24 日高線車窓。厚真川超しに見る苫東厚真発電所。2018.12.24 苫小牧東港フェリーターミナルから見る苫東厚真発電所。2021.03.19
浜厚真駅(日高線) 2018.12.24
人口4,600人の厚真町にある駅。ただ町の中心部からは離れた場所にある。ちなみに管理人は厚真ジンギスカンの大ファンです。
浜厚真駅の貨車利用待合室。2018.12.24 浜厚真駅 2021.03.19
浜厚真駅のホーム。2021.03.19 浜厚真駅を8:13に出る鵡川行き普通列車。キハ40の2両編成。2021.03.19 浜厚真-浜田浦間車窓。2018.12.24
浜厚真-浜田浦間では、入鹿別川を渡る。 浜田浦駅(日高線) 2018.12.24
むかわ町内の駅。
浜田浦駅では、並行する国道と線路の間に駅施設があり、周辺は草が茂っている。通過する普通列車もある。2018.12.24 浜田浦駅風景 2021.03.19


日高線(鵡川~日高門別)

鵡川駅(日高線) 2018.12.24
人口8,300人のむかわ町の代表駅。かつて、富内線(1922-1986)の分岐駅であったため、駅構内は広い。車庫もあるが、現在は苫小牧から来る列車が駅母屋とは反対側のホームに着いては引き返すだけの利用で、広い構内はほとんど使用されている印象がない。むかわ町はししゃも漁で有名な街。訪問時も管理人はししゃもを購入した。
鵡川-汐見間の線路。鵡川以東は、2015年4月以降、列車の運行はない。2018.12.24 汐見駅(日高線) 2018.12.24
むかわ町汐見にある駅。汐見はむかわの漁港基地であるため、国道から汐見に至る道は、大型車もよく見かける。国道からは離れており、代行バスは、国道から汐見までT字型に進むことを強いられる。
汐見駅。写真奥が富川方面。2018.12.24 富川駅(日高線) 2018.12.24
日高町富川の駅。沙流川の河口に当たり、かつては平取まで沙流鉄道(1922-1951)が分岐していた。現在も平取・占冠方面への交通分岐地点であり、付近には大きな市街地が形成されている。
富川のマンション街の中を通る日高線。2018.12.24 沙流川橋梁。日高町が高波被害を被っていない日高門別まで鉄道運行再開を打診した際、JR北海道は、新たに当該橋梁が9月の胆振東部地震で被災し、復旧する場合は工期で約2年、概算工事費は5億円掛かるとの回答を後出しした。軌道にズレがあるとのことだが。2018.12.24
日高門別駅(2018.12.24)
人口1万2千人の日高町の代表駅。鉄道があれば苫小牧まで1時間以下で到達可能な日高町が日高門別までの鉄道再開を望むのは極めて妥当なことである。鵡川以東を閉塞区間として運用するのであれば、施設改修も必要ないだろう。


日高線(日高門別~厚賀)

豊郷駅(日高線) 2018.12.24
日高町豊郷にある駅。1944年までは波恵駅と称した。ゆるやかな丘陵と海岸の間に集落と駅があり、青い空と海が広がっている。
豊郷駅付近の路盤流出現場。2015年の高波被害の後、護岸も進まず、放置状態となっている。たびたび波に洗われた線路はななめに傾いている。2018.12.24 清畠駅(日高線) 2018.12.24
日高町清畠にある駅。このあたりの日高線は太平洋に沿っており、車窓からは素晴らしい眺望が広がっていた。残された駅舎が往事の旅情を伝える。
清畠駅の風景 2018.12.24 清畠-厚賀間。無事線路が残っている部分も、草に覆われてきた。2018.12.24
厚賀駅(日高線) 2018.12.24
日高町厚賀にある駅。駅前にはロータリーがあり、タクシーの事務所や旅館が並んでいる。


日高線(厚賀~静内) 1

厚別川橋梁。厚別川の河口に架けられた橋梁で、目の前に果てしなく太平洋が広がる。かつては名撮影スポットでもあった。厚別川の対岸には日高町厚賀の集落が見える。2019.03.23
厚別川橋梁。右手に広がる太平洋。線路は、様似まで続いていた。2021.03.19 日暮れの気配が濃くなってくる時間帯。厚別川橋梁の風景。2021.03.19
大狩部駅は、海に沿う国道のさらに海側、まさに海に面したところにある。国道の反対側にある集落からは、国道の築堤を潜るトンネルを抜けて駅に向かう。撮影日現在、このトンネルの入口に代行バスの停留所があった。2019.03.23 トンネルを出ると、そこには一面に広がる太平洋を前にした小さな待合室がある。  大狩部駅(日高線) 2019.03.23
新冠町の同名の集落にある駅。風光明媚な日高線の駅のなかでも、特に海が間近な駅の一つ。国道の築堤によって、駅から集落を見ることができないため、その視覚的秘境性は高く、TVドラマの撮影で使用されたこともあったという。
大狩部駅の小さな待合室。2019.03.23 大狩部駅では、常に潮騒が鳴り響いている。2019.03.23
大狩部駅のホームから見る太平洋。2019.03.23 大狩部駅の夕景。この時は日没直後であったが、黄昏の美しい風景が広がっていた。太平洋に沈む夕陽も美しいに違いない。 2019.03.23
日没直後の大狩部駅から苫小牧方面を望む。 2019.03.23 大狩部駅風景 2021.03.19



大狩部駅への道(動画 mp4ファイル) 下の画像を左クリックすると、動画が再生されます。

動画1 1分15秒
大狩部駅と集落の間には、国道235号線の築堤があり、集落から駅へは歩行者用のトンネルを通っていく。トンネルを出ると、そこには真っ青に光る太平洋に面したホームが待っている。2021.03.19
動画2 1分5秒
築堤上の国道235号線から大狩部駅に至る道もある。太平洋の潮騒を聴き、海風を受けながら、駅への道を下っていく。
2021.03.19


日高線(厚賀~静内) 2

大狩部駅のホーム越しに太平洋を眺める。列車が来るシーンをイメージしながら。2021.03.19 大狩部-節婦間の路盤流出現場。小さな防波堤の能力を上回る高波で、岸が削られてしまった。2019.03.23 節婦駅(日高線) 2019.03.23
新冠町の同名の集落にある駅。駅前はきれいにロータリーが整備され、花壇も整えられていた。駅前旅館もあるが、不通となって数年を経たその姿は寂しげであった。2019.03.23
節婦駅 2019.03.23 新冠駅(日高線) 2019.03.23
人口5,600人の新冠町の代表駅。時計塔を思わせる瀟洒なデザインは、サラブレッドの産地という西欧文化を感じさせるこの地に相応しい。
静内駅(日高線) 2019.03.23
人口2万3千人の新ひだか町の代表駅。駅前は周辺のバス路線の拠点ともなっていて、商業施設も集中している。静内駅は日高線の中心駅であり、駅そば、駅弁の取り扱いもあった。
静内駅横で夕陽を浴びるマンション、苫小牧に向かって通じている線路。2019.03.23 静内駅、対面ホームへ移動するための通路。2019.03.23 静内駅ホームの向こうには、太平洋との間に住宅地が広がっている。2019.03.23


日高線(静内~浦河)

静内駅近くにある、新ひだか町の池内ベニヤの敷地内に、かつて静内駅からの専用線で活躍した協三工業製ディーゼル機関車が保存されている。敷地外から見ることが出来る。2021.03.19 新ひだか町静内真歌の牧場の敷地内で保存されているディーゼル機関車と車掌車(ヨ4676)。なぜ当該地で保存されているかは不明。機関車には「北斗号」のヘッドマークがついている。2021.03.19
静内-東静内間、太平洋に沿って伸びる日高線の線路。2019.03.23
東静内駅(日高線) 2019.03.23
新ひだか町の同名の集落にある駅。駅前には東静内の街並みが広がる。この駅の西方に、陸上自衛隊の対空射撃場がある。
東静内駅の風景。2019.03.23 東静内駅のホームから、待合室の出入り口を通して見えるのは、海沿いの集落と、その向こうに太平洋。2019.03.23
春立駅(日高線) 2019.03.23
新ひだか町の同名の集落にある駅。駅のすぐ裏手には春立小学校の建物があるが、2012年に廃校となった。
日高東別駅(日高線) 2019.03.23
新ひだか町の静内東別にある駅。駅ホーム上にコンクリート製の待合室がある。アーチ状の2つの出入り口で、左右対称に造形された待合室が、不思議と付近の風景によくあっている。
日高三石駅(日高線) 2019.03.23
静内町と三石町が合併して新ひだか町となるまでは、三石町の代表駅だった。
日高三石駅は、単線ホーム1本であるが、1983年までは交換可能駅だった。単線化に際して廃止されたホームが草むらのなかに見え隠れする。2019.03.23
三石付近にも美しい海岸線が延びる。このあたりには砂浜が広がる。2019.03.23 三石付近の風景。遥かに日高山脈の山なみが見える。2019.03.23
春立-日高東別間にある三石川橋梁。2021.03.19 三石川橋梁のすぐ袂には山際牧場があり、サラブレットが放牧されている。日高線の象徴的風景。2021.03.19
日高三石から、山間部に入った日高線の線路は、蓬栄駅の手前で、まるで桂林を思わせるような不思議な岩山の横を通過する。標高66mながら、その独特の風貌から、蓬萊山の名が与えられている。写真は蓬栄駅側から撮影したもの。2019.03.23 日高三石側からみた蓬莱山。2021.03.19 蓬莱山とそのすぐ東に連なる尾根の間の僅かな隙間を町道と日高線が通っている。2021.03.19
蓬栄駅(日高線) 2019.03.23
新ひだか町の同名の集落にある駅。すぐ横を通る道路との間にホームが設けられている。日高線には珍しい山の中の風景が展開する。
蓬栄駅 2021.03.19
本桐駅(日高線) 2019.03.23
新ひだか町の同名の集落ある駅。本桐駅は2015年の運行休止時点で、静内以東では唯一の交換可能駅であり、駅施設も大きい。駅の周りにも比較的大きな集落が形成されている。 国鉄時代を思わせる趣きのある駅舎が印象的。
本桐駅の風景。交換線の他にも退避・留置線があり、保線作業などでも拠点化していたと思われる。2019.03.23 本桐駅前の風景。2019.03.23
荻伏駅(日高線) 2019.03.23
浦河町の同名の集落にある駅。駅ホームは待合室から少し離れた島式様の位置となっていて、かつては交換可能駅であったことを物語っている。2019.03.23
絵笛駅(日高線) 2019.03.23
浦河町の同名の集落にある駅。駅の周りには、サラブレット生産者が点在し、牧場が広がっている。
浦河駅(日高線) 2019.03.23
人口1万3千人の浦河町の代表駅。かつては2面3線を有していたが、2015年の休止時点では、列車交換機能を持たない単線駅となっていた。
浦河町の市街地は、浦河駅の東西に広がっている。駅は、山地のせり出しで、平地が狭くなったところにあるため、平地の広いところにある東西両市街地の間にあるような立地になっている。写真は、浦河駅から、駅東側の市街地に向けて延びる日高線の線路。2019.03.23
浦河駅構内にある車庫と保線事務所の建物。2019.03.23 浦河駅の風景。背後に迫る山。その反対側には官公庁を挟んで太平洋があり、旅情を誘う風景。列車が来ないことが惜しまれてならない。2019.03.23
浦河駅構内の風景。かつては駅の機能が高かったため、構内は広い。島式のホームが廃止されたため、ホームに渡るためにあった跨線橋は、駅母屋からそのまま正面の国道に向かう歩道橋と化した。かつての貨物側線も、廃止となったが、線路が撤去されていないため、往時の姿を様々に偲ばせてくれる。2019.03.23 浦河駅の貫禄ある駅舎。古くからの残る貴重な駅舎と思われるが、建築時期は不明。2019.03.23
浦河駅。訪問時駅舎の中で、日高線の写真展が開催されており、管理人も見学させていただいた。2021.03.19 浦河駅の跨線橋。かつては、母屋反対のホームに渡るためのものであった。1986年のダイヤ改正時に浦河駅での列車交換がなくなり、跨線橋の取り壊しが検討されたが、日高線唯一の跨線橋は、町のシンボルとなっており、町内で保存のための寄付が行われ、以後現在まで、国道への跨線橋として、機能を残している。日高線廃止後も、その姿をとどめてほしい。2021.03.19
浦河駅風景 2021.03.19 浦河駅を俯瞰したところ。駅正面にあるビルが浦河町役場の庁舎。2021.0.3.19


日高線(浦河~様似)

東町駅(日高線) 2019.03.23
浦河町東町うしおにある駅。1977年開業と、日高線の中では新しい駅。駅の立地は、いかにも事後新設らしい場所で、駅正面の出入口は、マンションの駐車場のようなスペースに繋がっている。それでも、駅近くに浦河高校、浦河赤十字病院があるため、利用者はむしろ浦河駅より多かった。曲線状のホームから様似方面を見ると、太平洋の水面が輝いていた。
東町駅。正面奥に見えるのが浦河赤十字病院。2019.03.23
東町と日高幌別の間で、日高線は太平洋岸を通る。東町を出てすぐ、日高線は標高43mの岩峰と太平洋の隙間を岩山に張り付くようにして通過する。この岩峰は、地図で見る限り登ることが出来るようなので、管理人もいずれ登ってみたい。いずれにしても、日高線の絶景路線ぶりが際立つ個所の一つ。2019.03.23 標高43mの岩峰を巻き込む部分で、日高線の路肩から太平洋を見る。素晴らしい車窓が想起される。2019.03.23
標高43mの岩山に登ってみた。日高線の曲線部分に設置された東町駅が見える。2021.03.19 岩山から見える日高線と太平洋。2021.03.19 岩山から、太平洋に沿って様似方面に続く日高線の線路を眺める。2021.03.19
東町-日高幌別間の日高線風景。管理人は、中央写真正面の岩山に登って、付近の様子を俯瞰してみた。なお、2019.03.23の写真のコメントに「地図で上る道が表記されている」と書いたが、実際にその道はなく、藪漕ぎして登った。途中、キタキツネに会った。2021.03.19
日高線、東町-日高幌別間。標高43mの岩峰を過ぎると、日高線は見晴らしの良い太平洋岸を進む。2019.03.23
日高線、東町-日高幌別間。昆布漁の漁業施設が建つ海岸に敷かれた線路。中央の写真にある線路左手の建物からは、名産日高昆布を干している様子が見える。2019.03.23
日高線、東町-日高幌別間。太平洋海岸を伸びる日高線の線路。2019.03.23 日高線、東町-日高幌別間。日高幌別方面に進むと、線路の正面方向に、日高線の終着・様似のシンボルであるアポイ岳が見えてくる。2019.03.23
日高幌別駅(日高線) 2019.03.23
浦河町西幌別にある駅。駅舎は簡易郵便局、レストランなどが入る複合施設となっている。ホームの正面は太平洋、そして様似方向を見ると、アポイ岳が良く見える。
日高幌別駅の東には線路に接して浦河石灰工業の作業場が広がる。日高線の路盤からの風景。2019.03.23
日高幌別川橋梁。日高幌別川のすぐ西が浦河石灰工業であり、作業車が橋梁の下を潜って、作業場とを行き来している。2019.03.23 鵜苫駅付近から、苫小牧方面を望む。2019.03.23
鵜苫駅(日高線) 2019.03.23
様似町の同名の集落にある駅。この駅でもかつては交換が可能だったとする資料もある。現在は海に臨む集落の端にある静かな駅。
様似付近の海岸線も美しい。写真には、海中の奇岩が写っている。手前は塩釜ローソク岩、その後ろにみえるのが親子岩とそれぞれ名称がある。2019.03.23 鵜苫周辺の海岸にも、漁業関係の施設が点在し、旅情ある情景を作っている。2019.03.23 様似の風景を象徴するアポイ岳。日高山脈の主脈から外れた標高810mの山であるが、特異な立地条件から森林が育成せず、高山植物の群生地となっている。登山道が整備されており、頂上からは、太平洋、日高山脈の峰々を見ることが出来る。2019.03.23
西様似駅(日高線) 2019.03.23
様似町西町にある駅。様似までの日高線が開通したのは1937年であるが、その前の1930年には、日高幌別川、メナシュンベツ川流域の木材を搬送する三井軌道が、西様似駅付近まで線路を敷いており、ディーゼル機関車が搬送を行っていた。現在も駅周辺は付近は貯木場となっており、由来を感じさせる。
西様似駅と駅前に広がる貯木場の風景 2019.03.23
西様似駅のすぐ近くを海辺(うんべ)川が流れる。海辺川河口にある港を起点とした三井軌道は、「ウンベの軌道」と呼ばれた。現在、その川のほとりで、鬼頭木材工業様似工場が製材を続ける。2019.03.23
様似駅(日高線) 2019.03.23
全長146.5kmの日高線の本来の終着駅。人口4,400人の様似町の代表駅。日高線の終着であるが、日高線沿線の自治体では、もっとも人口の少ない町。それだけに終着駅ならではの旅情が満ちている。
様似駅の本線と側線が行きどまりの車止めまで伸びる。1982年までは、さらに日本電工の専用線が、この先0.3km延びていた。2019.03.23
様似駅から遥か苫小牧方面へ本来続いている日高線の線路。旅の終わりであり、旅の始まりでもある風景だ。2019.03.23 様似駅の待合室。休止前の最後の列車が出たのは2015年2月28日のこと。2019.03.23 いかにも終着駅らしい様似駅の風景。その線路が途切れた先には、雪を戴いたアポイ岳の優美な姿がある。2019.03.23